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思い出写真集・広島県編

国道2号線

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鉄塔にアナログチャンネル番号(31ch)が記されたテレビ新広島本社旧館
(撮影場所:広島市南区出汐二丁目。2007年〔平成19年〕11月16日撮影)
※テレビ新広島のバーゲル・ルミアナウンサー(在職期間:2006〜2016)のブログによるとこの「31」というネオンサインはテレビ新広島(というより東日本大震災〔東北地方太平洋沖地震〕で甚大な被害を受けた岩手・宮城・福島各県を除く地域のテレビ局)がデジタル放送に移行した後の2011年(平成23年)8月下旬に撤去されたとのことです。
橋桁設置工事が始まる前の国道2号線木原道路橋脚
(撮影場所:三原市糸崎〔いとさき〕八丁目。2012年〔平成24年〕2月19日撮影)
三原バイパス全線開通約1ヶ月前の福寄トンネル
(撮影場所:三原市糸崎町。2012年〔平成24年〕2月19日撮影)
三原バイパス全線開通約1ヶ月前の時広ランプ
(撮影場所:三原市糸崎町。2012年〔平成24年〕2月19日撮影)
上下4車線化工事再開直前の国道2号線松永道路と広島県立松永高等学校
(撮影場所:福山市神村〔かむら〕町。2013年〔平成25年〕1月6日撮影)
上下4車線化工事再開直前の国道2号線松永道路松本トンネル東側坑口(左:下り線/右:上り線)
(撮影場所:福山市神村町。2013年〔平成25年〕1月6日撮影)
上下4車線化工事再開直前の国道2号線松永道路松本トンネル西側坑口(上り線)
(撮影場所:福山市神村町。2013年〔平成25年〕1月6日撮影)
尾道西パーキングエリアがあることを予告する標識(2km手前にあるもの)
(撮影場所:尾道市平原三丁目。2013年〔平成25年〕12月9日撮影)
※尾道西パーキングエリアは国道2号線木原道路整備のため2015年(平成27年)3月30日をもって閉鎖されました。
尾道西パーキングエリアがあることを予告する標識(300m手前にあるもの)
(撮影場所:尾道市吉和西元町。2013年〔平成25年〕12月9日撮影)
尾道西パーキングエリアの入口を示す標識
(撮影場所:尾道市福地町。2013年〔平成25年〕12月9日撮影)
尾道西パーキングエリア入口付近
(撮影場所:尾道市福地町。2013年〔平成25年〕12月9日撮影)
尾道西パーキングエリアの営業終了と施設撤去のための一時閉鎖、そしてパーキングエリア自体の閉鎖を告知する貼り紙
(撮影場所:尾道市福地町。2013年〔平成25年〕12月9日撮影)
尾道西パーキングエリアの建物
(撮影場所:尾道市福地町。2013年〔平成25年〕12月9日撮影)
ハングル文字(韓国語・朝鮮語)が書かれている尾道西パーキングエリアの便所の看板
(撮影場所:尾道市福地町。2013年〔平成25年〕12月9日撮影)
※私は韓国語・朝鮮語に詳しくないのでどのように読み、何を意味するのか全く分からないのですが…。なぜ尾道西パーキングエリアにだけこういう表示がなされたのか気になるところです。

国道183号線/国道261号線

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野球観戦に向かう人々
(撮影場所:広島市中区基町。2008年〔平成20年〕6月22日撮影)
※この日は旧広島市民球場でプロ野球交流戦の広島東洋カープ対東北楽天ゴールデンイーグルス戦が開催されました。東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手(当時入団2年目)がプロ入り初セーヴを記録した試合なのですがこのように書けば試合結果はどうなったか分かると思います。
旧広島市民球場から撮影した原爆ドーム
(撮影場所:広島市中区基町。2010年〔平成22年〕7月21日撮影)
雨の日の全国菓子大博覧会会場入口付近
(撮影場所:広島市中区基町。2013年〔平成25年〕5月10日撮影)
※実はこの写真は上の「野球観戦に向かう人々」とほぼ同じ場所で撮影したものです。

国道183号線/県道232号高停車場線

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健気に点滅を続ける在りし日の高駅前交差点の信号機
(撮影場所:庄原市高町。2009年〔平成21年〕9月30日撮影)
※高駅前交差点付近の国道183号線は2008年(平成20年)3月9日に並行して建設されていた高道路(地域高規格道路に指定されている江府・三次道路の一部を構成する自動車専用道路)が開通したことにより交通量がほとんどなくなってしまいました。そういう中でも運用を続ける信号機に感動して撮影したのですが、交通量がほとんどないのに信号運用を続けるのはどうかという声があったのか2013年(平成25年)秋までに信号運用は停止され、交差点名標を残して撤去されてしまいました(2013年〔平成25年〕11月16日確認。もっとも私は某動画投稿サイトに投稿されていた国道183号線の走行動画を見ていてこのことに気付いた)。なお、高道路が自動車専用道路ということもあり、高駅前交差点付近の国道183号線は現在でも国道183号線のままになっています。
大きな桜の木と在りし日の高駅前交差点の信号機
(撮影場所:庄原市高町。2012年〔平成24年〕4月14日撮影)
※高駅前交差点の信号機の撤去時期は分からないのですがもしかしたら2012年(平成24年)の桜の季節がこういう写真が撮れる最後の機会だったかもしれません。なお、この写真は県道232号高停車場線の全部分も一緒に撮っています。

国道186号線

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国道186号線大竹旧道に設置されていた国道標識
(撮影場所:大竹市新町二丁目。2011年〔平成23年〕3月9日撮影)
※油見トンネル開通後も国道のまま存続していた国道186号線大竹旧道は県道1号岩国・大竹線と県道202号大竹停車場線、そして大竹市道に再編されました(2013年〔平成25年〕12月2日広島県告示第884号〔県道1号岩国・大竹線の路線延伸〕と2014年〔平成26年〕2月24日広島県告示第109号〔県道202号大竹停車場線の路線延伸〕、2014年(平成26年)3月31日広島県告示第278号〔国道186号線大竹旧道の区域解除〕による)。この国道標識があったところは大竹市道になりました。なお、1990年(平成2年)に認定されながら区域未決定状態が続いている県道122号大竹・和木線についてはやはり建設や改良のメドが立たないことから今回も区域決定には至りませんでした。

国道317号線

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東側から撮影した在りし日の尾道大橋有料道路料金所
(撮影場所:尾道市向東町。2013年〔平成25年〕1月31日撮影)
※尾道大橋有料道路は2013年(平成25年)4月1日午前0時をもって無料開放されました。
西側から撮影した在りし日の尾道大橋有料道路料金所
(撮影場所:尾道市向東町。2013年〔平成25年〕1月31日撮影)
尾道大橋有料道路料金所のそばにある回数券自動販売所の入口にあった無料開放を知らせる貼り紙
(撮影場所:尾道市向東町。2013年〔平成25年〕1月31日撮影)
撤去工事中の尾道大橋有料道路の料金所
(撮影場所:尾道市向東町。2013年〔平成25年〕4月7日撮影)
無料開放されたことを知らせる紙が貼られた尾道大橋有料道路の料金所ブース
(撮影場所:尾道市向東町。2013年〔平成25年〕4月7日撮影)
尾道大橋有料道路の回数券を購入する人のための駐車場を示す標識
(撮影場所:尾道市向東町。2013年〔平成25年〕4月7日撮影)
尾道大橋有料道路の向島側入口(尾道市向東町/二番潟交差点)のそばにあった電光道路案内板
(撮影場所:尾道市向東町。2013年〔平成25年〕4月7日撮影)
尾道大橋有料道路の向島側入口(尾道市向東町/二番潟交差点)のそばにあった通行料金一覧表
(撮影場所:尾道市向東町。2013年〔平成25年〕4月7日撮影)

国道487号線

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建設中の第二音戸大橋
(撮影場所:呉市警固屋町。2011年〔平成23年〕12月18日撮影)
※第二音戸大橋は2013年(平成25年)3月27日に開通しました。

県道21号加茂・油木線

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閉鎖直前の七曲隧道加茂側坑口
(撮影場所:福山市山野町山野。2011年〔平成23年〕10月29日撮影)
閉鎖直前の七曲隧道油木側坑口
(撮影場所:福山市山野町山野。2011年〔平成23年〕10月29日撮影)
閉鎖直前の七曲隧道内部
(撮影場所:福山市山野町山野。2011年〔平成23年〕10月29日撮影)
七曲隧道とその前後の道路を閉鎖することを予告する看板
(撮影場所:福山市加茂町北山。2011年〔平成23年〕10月29日撮影)
金網が張られて入れなくなる前の七曲隧道油木側坑口
(撮影場所:福山市山野町山野。2011年〔平成23年〕11月13日撮影)

県道26号新市・七曲・西城線

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合併から10年近く経っても残っていた合併前の地名を記した補助標識
(撮影場所:福山市新市町常。2013年〔平成25年〕1月20日撮影)
※この写真を撮影してから間もなく補助標識に記されていた地名は修正されてしまいました。10年間も旧地名のまま残っていたのが奇跡だったのですがなぜ10年間も放置されていたのでしょうか。

県道47号鞆・松永線

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廃止約1ヶ月前の松永西踏切
(撮影場所:福山市松永町。2010年〔平成22年〕2月26日撮影)
※松永西踏切はその上にある松永跨線橋とその下に建設された地下道が供用を開始した2010年(平成22年)3月25日午後3時をもって閉鎖されました。自転車やバイク、歩行者の便を考えれば残しても良かったとは思うのですが…。

県道76号神辺・大門線

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右折後の道が県道76号神辺・大門線であることが明示されていなかった案内標識
(撮影場所:福山市坪生町四丁目。2008年〔平成20年〕6月5日撮影)
※実は右折後の道は県道76号神辺・大門線と県道379号坪生・福山線の重用区間なのでこの標識は間違いではないのです。狐原バイパス開通前の2013年(平成25年)秋に修正が施されたのですが、県道76号神辺・大門線と県道379号坪生・福山線の重用区間であることが明示されなかったことと左折後の道について狭隘箇所があることを示さないまま行き先を消去したことがどうかと思っています。
狐原バイパス建設開始前の坪生地区狭隘箇所神辺側入口
(撮影場所:福山市坪生町三丁目。2008年〔平成20年〕6月5日撮影)
※狐原バイパスは2013年(平成25年)12月26日に開通しました。これにより県道76号神辺・大門線は福山市神辺町下竹田以南が全線上下2車線化されました。
狐原バイパス建設開始前の坪生地区狭隘箇所大門側入口
(撮影場所:福山市坪生町一丁目。2008年〔平成20年〕6月5日撮影)

県道103号七曲・井原線

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消滅から5年近く経っても残っていた深安郡神辺町(1929〜2006)の境界標識
(撮影場所:福山市神辺町三谷。2011年〔平成23年〕2月5日撮影)

県道104号坂瀬川・芳井線

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自治体の名称に一度もなったことのない地名が記された境界標識
(撮影場所:福山市山野町山野。2011年〔平成23年〕10月29日撮影)
※確かにこの境界標識から先は福山市山野町山野になるので境界標識の地名表示は一応正しいことにはなるのですが、山野町という名称の自治体は存在したことがなく(市制町村制施行後の地名表記は安那郡山野村山野〔1889〜1898〕→深安郡山野村山野〔1898〜1955〕→深安郡加茂町山野〔1955〜1975〕→福山市加茂町山野〔1975〜1976〕→福山市山野町山野〔1976〜現在〕となる)、なぜ「福山市」と書かないのか疑問に思っていた方もいたようです。そのため2014年(平成26年)夏頃に「山野町」の上に「福山市」と書かれたシールを貼る修正が施されてしまいました(2014年〔平成26年〕8月19日確認)。自治体の名称に一度もなったことのない地名が記された境界標識は珍しかっただけに何とか残すことはできなかったのかと感じました。

県道193号本郷停車場線

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在りし日のJR山陽本線本郷駅旧駅舎
(撮影場所:三原市本郷南六丁目。2008年〔平成20年〕11月11日撮影)
※この駅舎は2009年(平成21年)に解体されました。
建設中のJR山陽本線本郷駅現駅舎
(撮影場所:三原市本郷南六丁目。2008年〔平成20年〕11月11日撮影)
JR山陽本線本郷駅旧駅舎前から撮影した県道193号本郷停車場線起点
(撮影場所:三原市本郷南六丁目。2008年〔平成20年〕11月11日撮影)
県道193号本郷停車場線起点
(撮影場所:三原市本郷南六丁目。2008年〔平成20年〕11月11日撮影)

県道195号西条停車場線

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在りし日のJR山陽本線西条駅旧駅舎
(撮影場所:東広島市西条本町。2011年〔平成23年〕10月8日撮影)
※この駅舎は2012年(平成24年)に解体されました。
夕暮れのJR山陽本線西条駅旧駅舎
(撮影場所:東広島市西条本町。2011年〔平成23年〕10月8日撮影)
JR山陽本線西条駅旧駅舎にあったレリーフ
(撮影場所:東広島市西条本町。2011年〔平成23年〕10月8日撮影)
JR山陽本線西条駅旧駅舎内に積まれていた酒樽
(撮影場所:東広島市西条本町。2011年〔平成23年〕10月8日撮影)

県道200号廿日市停車場線

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在りし日のJR山陽本線廿日市駅旧駅舎
(撮影場所:廿日市市駅前。2010年〔平成22年〕4月30日撮影)
※この駅舎は2014年(平成26年)に解体されました。
在りし日の広島電鉄宮島線広電廿日市駅旧駅舎
(撮影場所:廿日市市廿日市二丁目。2010年〔平成22年〕4月30日撮影)
※この駅舎は2012年(平成24年)に解体されました。

県道207号安芸津停車場線

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JR呉線安芸津駅北口駅前広場整備前の起点付近
(撮影場所:東広島市安芸津町三津。2009年〔平成21年〕1月6日撮影)

県道218号府中停車場線

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府中学園が建設されていた頃の路線方向表示
(撮影場所:府中市元町。2007年〔平成19年〕7月24日撮影)

県道251号後山公園・洗谷線

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取り付けるための柱が新調される前の唯一の県道標識
(撮影場所:福山市瀬戸町長和。2007年〔平成19年〕9月7日撮影)

県道275号坂・小屋浦線

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大型商業施設の駐車場に静態保存されていた路面電車
(撮影場所:安芸郡坂町平成ヶ浜三丁目。2011年〔平成23年〕12月24日撮影)
※広島市安芸区と将来広島市に編入されれば広島市安芸区に編入されることになっている安芸郡海田・熊野・坂各町の風景を紹介しているブログ「安芸区スタイルブログ」によるとこの路面電車は広島電鉄で使用されていたもので、2010年(平成22年)夏に据え付けられたものの2013年(平成25年)秋に解体撤去されたとのことです。これといった活用策もないことや手入れしないと腐食するなどしてすぐに老朽化すること、手入れしてまで静態保存を続ける必要性を感じなかったことから解体撤去したのではないかと思われます。

県道380号水呑・手城線

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新橋建設前の入江大橋
(撮影場所:福山市南手城町四丁目。2007年〔平成19年〕10月30日撮影)
建設中の新入江大橋
(撮影場所:福山市東手城町二丁目。2010年〔平成22年〕10月3日撮影)

県道396号柞磨・駅家線

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誤った地名表記のある補助標識
(撮影場所:福山市芦田町柞磨。2007年〔平成19年〕4月15日撮影)

県道404号小谷・宇津戸線

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八田原ダムの渇水期に姿を現した旧道
(撮影場所:世羅郡世羅町小谷。2009年〔平成21年〕6月20日撮影)

県道419号坂瀬川・駅家線

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在りし日の道路情報板
(撮影場所:神石郡神石高原町坂瀬川。2008年〔平成20年〕6月17日撮影)

県道424号甲奴インター線

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建設中の尾道自動車道甲奴インターチェンジ入口
(撮影場所:三次市甲奴町小童。2010年〔平成22年〕8月20日撮影)

県道433号穴笠・三次線

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建設中の願橋
(撮影場所:三次市十日市東五丁目。2010年〔平成22年〕8月20日撮影)
願橋開通前の北側取り付け道路
(撮影場所:三次市三次町。2010年〔平成22年〕8月20日撮影)
「三次東I.C」がマスキングされている案内標識
(撮影場所:三次市三次町。2012年〔平成24年〕8月13日撮影)
※マスキング部分を拡大しても「三次東I.C MIYOSHI-HIGASHI」と鮮明に読み取れなかったためマスキング部分の拡大写真の掲載は見送らせて頂きました。それにしても君田・尾関山公園方面への道も庄原・三次東インターチェンジ方面への道も県道434号和知・三次線のはずなのですが、なぜこの案内標識には県道番号は記されていないのでしょうか。

県道434号和知・三次線

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「三次東I.C」がマスキングされている案内標識
(撮影場所:三次市三次町。2012年〔平成24年〕8月13日撮影)
※下の写真はマスキングされている部分を拡大したものですが、確かに「三次東I.C MIYOSHI-HIGASHI」と書かれているのが分かります。正式に三次東インターチェンジという名称になることが決まったのはこの標識を撮影してから4ヶ月半経った2012年(平成24年)12月27日のことですが、案内標識設置者の三次市には三次市東部に設置されるインターチェンジだから三次東インターチェンジになるのが妥当という考えがあったのでしょうか。それにしても庄原・三次東インターチェンジ方面への道は県道434号和知・三次線のはずなのですが、なぜこの案内標識には県道番号は記されていないのでしょうか(東広島・三次インターチェンジ方面への道は県道433号穴笠・三次線になる予定だが今のところは三次市道として扱われているので県道番号の記載はなくても良いのだが…)。

消滅路線

県道191号備後赤坂停車場線(1960〜2010)

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駅前整備事業開始前(県道だった当時)の路線全景
(撮影場所:福山市赤坂町赤坂。2007年〔平成19年〕7月17日撮影)
※県道191号備後赤坂停車場線はこの写真を撮影してから2年半ほど経った2010年(平成22年)2月8日広島県告示第88号により廃止されました。福山市の都市計画上の都合が理由だったのですが、その後福山市によって駅前整備事業が実施され、道路右側の民家は全て解体されてしまいました。備後赤坂駅周辺はあまり都市化が進展していないところだったし備後赤坂駅の駅舎は昔ながらのものであるだけに今後の動向が気になります。

県道318号山手・吉田線(1968〜2004)

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補助標識が古びて判読不能になった県道標識
(撮影場所:安芸高田市吉田町山手。2003年〔平成15年〕11月30日撮影)
※県道318号山手・吉田線はこの写真を撮影してから3ヶ月半ほど経った2004年(平成16年)3月18日広島県告示第410号で後継路線となる県道318号上入江・吉田線の全線の区域が決定したことから2004年(平成16年)3月22日広島県告示第430号により廃止されました。この県道標識のあった辺りは県道318号上入江・吉田線ではなく安芸高田市道になったため県道標識は撤去されています。撮影した時4ヶ月後に廃止されることになるとは全く知らなかったのですが、結果的に貴重な一枚となりました。