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SUNDAY TALK2011

第6回:一度失われたものは…(2011年〔平成23年〕2月6日公開)

 2003年(平成15年)12月1日に廃止されたJR可部線・可部〜三段峡間のうちの可部駅から2kmほどの部分(注1)が2〜3年後に復活することになったという。JR可部線のうちの存続区間は電化区間と同じであり、廃止区間は非電化区間と同じだったのだが、非電化区間でも可部駅から2kmほどは民家が建ち並んでいることから復活させた上で電化区間を延長することを望む住民が多かった。ようやくこの度実現のメドが立ったのだが、こういう例は初めてなのだという。
 しかし、その一方で少子・高齢化や過疎化、モータリゼーションの進展、民主党が推進する高速道路無料化などの影響から地方では鉄道路線の廃止が相次いでいる。昨春西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)の社長が具体的な路線名は挙げなかったものの廃止を検討している路線があることを公にしたし、先日沿線に古い町並みが残る城下町・松代(長野市)を擁する長野電鉄屋代線の近い時期(2011年度〔平成23年度〕中?)での廃止が決定した。昨年暮れの東北新幹線の全線開業や来月12日に迫った九州新幹線の全線開業など明るい話題もないわけではないが、公共交通機関の苦境が続いている。
 路線廃止を検討している方々は「存在意義は消滅したと判断した」とか「残してもどうにもならないと思った」とか「その路線の存在は会社の経営を悪化させる元凶である」と言う。確かに経営者にとって最も大切なのは自分が経営している企業を破綻させないことであり、そのためには利益の見込めないものは切り捨てることは致し方のないことだというのはよく分かる。しかし、最大限の努力を尽くしたけれどどうにもならなかったので廃止を決断したのかとか鉄道路線の沿線が廃止後どうなるか考えたことがあるのかといった疑問が残る。
 まあ廃止された鉄道路線の多くは少子・高齢化や過疎化に悩む地域を通っているものであり、大量輸送機関の体をなさないと見なされたので致し方ない面はある。しかし、何らかの手を打てば利用が増えるはずなのにそれを資金の工面が付かないとかそのようにしても無駄だとか言って避け続け、遂に廃止に追い込まれたところも少なくない。例えば九州地方随一の都市・福岡市の中心部と郊外を結んでいた西日本鉄道宮地岳線は起点の貝塚駅(福岡市東区箱崎七丁目)で福岡市地下鉄箱崎線と接続しているのに相互乗り入れ実施を見送り続けたことや車両・線路の改善を行わなかったことなどで利用者を減らし、西鉄新宮〜津屋崎間を切り捨てる結果になった(注2)し、同じく福岡市の中心部と郊外を結んでいた国鉄勝田線は沿線の人口が増加していたのに日本国有鉄道(国鉄)は何の手も打とうとせず、廃止に追い込んでしまった。「もし福岡市地下鉄箱崎線と西日本鉄道宮地岳線が相互乗り入れをしていたら…」とか「もし国鉄勝田線が活性化され、近くまで延びてきた福岡市地下鉄空港線(注3)と繋がったら…」などと考えて無策の果ての廃止に対して反感を抱き続ける人も少なくないと思うのだが、第二の西日本鉄道宮地岳線や国鉄勝田線は実はどこにでも登場し得ることであると記したらどのように感じるだろうか。私が住んでいる福山市でもそうなる可能性を持つ鉄道路線が存在する。
 井原鉄道井原線はかなりの部分(注4)で着手されながら日本国有鉄道の経営難のあおりを受けて建設が中断され、第三セクター方式の鉄道会社・井原鉄道(井原市東江原町)が設立されて工事を継承し、1999年(平成11年)に開業に漕ぎ着けた路線である。子供の頃から井原・矢掛方面に行く途中で国道313号線や国道486号線(注5)に沿って作りかけの高架橋(実は最初は山陽自動車道(注6)のものだと誤解していた。鉄道路線だと知ったのは小学校3年生頃だったと思う)が放置されているのをよく目にしたものであるが、紆余曲折を経ながらも日の目を見た点は評価すべきではあろう。ところが、いざ開業してみると次に挙げるような問題点が浮上したのである。
・井原鉄道井原線にある駅のほとんどは高架橋の上に作られており、階段を昇らないと列車に乗れないこと(注7)。障害者や足腰が弱っている高齢者が気楽に列車に乗れないのではないか。
・福山〜井原間の運賃は19.6kmで610円かかり、かなり高いこと。JR線で19.6kmの運賃は320円と約半分だし、福山駅(福山市三之丸町)から610円で行けるところはJR山陽本線岡山方面なら新倉敷駅(倉敷市玉島爪崎。福山駅から33.1km)まで、JR山陽本線広島方面なら三原駅(三原市城町一丁目。福山駅から31.6km)まで、JR福塩線なら中畑駅(府中市河佐町。福山駅から31.8km)までであり、しかも40円のお釣りが来る(いずれも運賃は570円)。
・JR福塩線・福山〜神辺(かんなべ)間に乗り入れるのは一日わずか3往復だけであり、ほとんどの場合神辺駅(福山市神辺町川南)で乗り換えなければならないこと。JR福塩線下り線のプラットホームと井原鉄道井原線のプラットホームを往来する場合は階段を昇り降りしなければならず、やはり障害者や足腰が弱っている高齢者には気楽に列車に乗れない状況が生じる。都市圏の問題を考えるなら少なくともJR福塩線・福山〜神辺間に全列車が乗り入れるのは当然の帰結だと思うのだが…。
・起点側は開業当初は全列車がJR伯備線・吉備線総社駅(総社市駅前一丁目)まで乗り入れていたが、現在は清音駅(総社市清音上中島)始発または終着の列車も少なくないこと。岡山市や倉敷市まではそんなに遠くないのだがいろいろ問題があるのか未だに岡山駅(岡山市北区駅元町)や倉敷駅(倉敷市阿知一丁目)まで乗り入れることは実現していない。
・人口が減少している沿線自治体が少なくないこと。昨年10月1日実施の国勢調査の速報値が最近発表されたが、沿線自治体で人口が増加したのは倉敷市だけになった(注8)。通学に鉄道を使う人が少なくない高校生も学校の統廃合(注9)や募集人数の削減で減っており、利用者が増える見込みはない。
 それらの問題点に加えて1970年代には既に並行して通る国道は全て整備され、上下4車線化されているところも出ていることや今まで自動車やバスを使っていた人が鉄道に乗り換えることもそんなにないことから利用は低迷している。今のところ廃止問題は浮上していないのだが、10年後、20年後はどうなるか分からないというのが現実といったところであろう。
 探せばこういう事例はまだあると思うのだが、よく考えて欲しいのはものは作ったらそれでおしまいというわけではないことである。運営者にはそれを発展させる義務があるし、利用者などから出てくる意見に対しては聞く耳を持ってそれを元に改善していくべきであろう。利用者にはより良いものを実現させるために意見を言う権利があって誰もそれを妨げるべきではない。このようになれば好循環で物事はより良くなっていくのになぜそれができないのだろうか。その結果鉄道路線が廃止されてしまえばもう元に戻すことはできない。まあ鉄道路線だけの話ではないのだが、なぜ取り返しのつかない事態に至る前に何とかしようとしなかったのだろうか。思惑とか保身、諦め、確執など要因は多数挙がることだろうが、ならば我々は1980年代の国鉄の赤字ローカル線の大量廃止から何を学んだのだろうか。今後の社会情勢の変化ではその時以上の路線廃止が行われる恐れはあるし、何もそれは過疎化や高齢化に悩む地域だけではなく、大都会でも起こり得ることになっている。
 1年半前、高速道路無料化を掲げて政権与党になった民主党に我々は期待した。しかし、高速道路無料化は実現が遠のいているし、高速道路無料化がいかなる不利益をもたらすのかもだんだん分かってきた。更に日本は少子・高齢化の真っ只中にある。どのように社会的弱者も安心して暮らせる社会を構築するかが最大の課題のはずではないのか。ならば何をすべきなのか。もう記すまでもないことであろう。つまり、現実を見ずして何も実現させることはできないのである。
 今後政治がどのようになっていくのか、どの鉄道路線が廃止されるのかは全く分からない。しかし、本当に今やっていることが正しいのか、効果があるのか一度冷静になって考えて欲しいし、人々の声を何の理由説明もなく無視せずに真摯に聞いて行動に反映させて欲しい。「最小不幸社会」における交通の在り方とは何なのか、今政治家と経営者の言行が試されようとしている。

(注釈コーナー)

注1:報道では復活させた上で電化するのは可部〜河戸(こうど)間としているが、廃止前の可部〜河戸間の区間距離は1.3kmであることや復活区間には1箇所駅を設置することから恐らく河戸駅は廃止前と同じ場所(広島市安佐北区亀山二丁目)ではなくそこから数百m西の広島市安佐北区亀山南二丁目の県営荒下住宅西端付近に設置し、国道54号線(国道183号線・国道191号線・国道261号線重用)可部バイパスと交差する辺りに駅を設置するものと思われる。

注2:西日本鉄道宮地岳線は西鉄新宮〜津屋崎間廃止と同時に西日本鉄道貝塚線に改称している。

注3:国鉄勝田線上亀山駅(福岡県糟屋郡志免〔しめ〕町別府一丁目)の南西1kmほどのところに福岡市地下鉄福岡空港駅(福岡市博多区下臼井)がある。もし国鉄勝田線と相互乗り入れするのであれば上亀山駅が接続点となったものと思われるが、上亀山駅は福岡市外にあることや国鉄勝田線は筑前勝田駅(福岡県糟屋郡宇美町原田〔はるだ〕四丁目)が終点であり、場合によっては太宰府(だざいふ)市方面への延長も視野に入れざるを得なくなる恐れがあったことを考えると難しかったかもしれない。

注4:建設が中断された1980年代初頭の時点では矢掛(やかげ)駅(岡山県小田郡矢掛町矢掛)以西はかなり建設が進んでいたが、矢掛駅以東では全くと言って良いほど着手されていなかった。これは全てではないが矢掛〜神辺間については井笠鉄道矢掛線・本線・神辺線(矢掛線・神辺線は1967年〔昭和42年〕4月1日、本線は1971年〔昭和46年〕4月1日にそれぞれ廃止)の敷地を流用して建設したためであり、井原鉄道井原線湯野駅(福山市神辺町湯野)のすぐ東側には井原鉄道井原線の高架の真下に井笠鉄道神辺線の橋梁の跡が残されているところがある(下の写真)。

注5:国道486号線は1992年(平成4年)4月3日政令第104号に基づいて1993年(平成5年)4月1日に発足した路線であり、それまでは岡山県道25号倉敷・井原線(1954〜1993)だった。今でも国道486号線の東新町交差点(井原市西江原町)の手前に直進が県道25号線であることを記した案内標識が残っている(下の写真)。

注6:福山市から岡山県方面への山陽自動車道の建設が本格的に始まったのは私が中学生になった1984年(昭和59年)の秋頃のことであり、私が小学生だった当時はまだ全く着手されていなかった(更に記しておくと経路が全く違う)。
※あまり知られていないことであるが、福山市東部では山陽自動車道の用地を確保した上で区画整理や宅地造成を行ったところがいくつかある。例えば福山東インターチェンジ(福山市蔵王町五丁目)の東にある日吉台の堀割区間は山陽自動車道建設前は広くて長い空き地になっていた。

注7:例えば井原鉄道井原線湯野駅は下の写真からも分かる通り42段もある階段を昇らないとプラットホームに着けないし、列車にも乗れない。

注8:本作を公開した後の2011年(平成23年)2月16日付中国新聞朝刊で福山市が広島県への報告期限までに調査票の確認作業が済まなかったために暫定値を報告していたことが明らかになったことが報じられた。この結果、福山市の人口の速報値は逆に増加していたことになったのだが、本作公開時点では当然のことながらこういうことは明らかになっておらず、このような表現を用いている。

注9:井原鉄道井原線が開業した1999年(平成11年)1月11日以降に沿線に存在する自治体(総社市・倉敷市〔真備町のみ〕・小田郡矢掛町・井原市・福山市〔神辺町のみ〕)で実施された高等学校再編は下表の通りである。

学校名 所在地 状況
岡山県立矢掛商業高等学校 小田郡矢掛町矢掛 2004年(平成16年)岡山県立矢掛高等学校(小田郡矢掛町矢掛)に統合。
岡山県立精研高等学校 井原市井原町 2008年(平成20年)岡山県立井原高等学校(井原市井原町)に統合。

 なお、井原鉄道井原線沿線から少し離れるが、今春には広島県立自彊(じきょう)高等学校(福山市加茂町下加茂。最寄り駅はJR福塩線万能倉〔まなぐら〕駅〔福山市駅家町万能倉〕)が廃校になる。また、2012年(平成24年)春には井原鉄道井原線の一部の列車が停車するJR福塩線備後本庄駅(福山市本庄町中三丁目)を最寄り駅としていた福山市立女子短期大学(福山市北本庄四丁目)が今春開学する予定の福山市立大学(福山市港町二丁目)に発展解消するため廃校になることになっている。

(AFTER TALK)

 本作を公開してから2年が経過したが、この度ようやくJR可部線・可部〜河戸間約1.6kmの復活(厳密には新設)が本決まりになり、2015年(平成27年)春の運行開始を目指すことになった。河戸駅(広島市安佐北区亀山一丁目)自体の復活はないのだが、広島市安佐北区亀山二丁目(広島北税務署〔広島市安佐北区亀山二丁目〕付近)と広島市安佐北区亀山南一丁目(広島県営荒下住宅跡地付近)に駅を設置することが決定したという。住民の熱意が実った形になったのだが、全国的に見ても初めてという国鉄線→JR線の一部区間の復活の今後が注目される。
 しかし、その一方で鉄道に関しては芳しくないニュースが多いのも事実である。本文で触れた長野電鉄屋代線は結局2012年(平成24年)4月1日に廃止され、松代へは鉄道では行けなくなってしまった。本作公開後に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が引き起こした津波で甚大な被害を受けたJR気仙沼線のうちの柳津〜気仙沼間55.3kmとJR大船渡線のうちの気仙沼〜盛間43.7km、JR山田線のうちの釜石〜宮古間55.4kmは廃止が懸念されているし、2010年(平成22年)夏に土砂崩れによる脱線事故により運休しているJR岩泉線については2012年(平成24年)3月、東日本旅客鉄道(JR東日本。東京都渋谷区代々木二丁目)は並行して通る国道340号線に未改良箇所(2003年〔平成15年〕夏頃の様子だがヨッキれんさんが運営するサイト「山さいがねが」にこの国道340号線の未改良箇所を紹介したページがある〔それはこちら〕ので興味のある方はご覧頂きたい)が残っているにもかかわらず鉄道での復旧は断念する旨を発表した。更に2011年(平成23年)7月下旬に福島・新潟両県を襲った集中豪雨により甚大な被害を受け、現在も運休中のJR只見線のうちの会津川口〜只見間27.6kmについて近く復旧するかどうかを判断するのだという。いずれの路線も沿線住民は廃止に反対しているのだが、東日本旅客鉄道としては今までは首都圏の路線の黒字で過疎地の路線の赤字を補填(ほてん)してきたがもうそれも限界だと言いたいのだろう。
 しかし、私はどの鉄道会社も活性化に対して無策ではないのかと思いたくなってくる。まさに野垂れ死にを画策しているかのようである。鉄道の良さに全く気付こうとせず、何だかんだ理由を付けては使えるものも使おうとせず、乗客が減っているところに災害が起きたことをこれ幸いとして復旧に消極的な態度をとったり復旧には多額の費用がかかるから廃止すると言ったりするなんてあなた何様かとか上から目線で臨むのはやめてくれと言いたくなってくる。
 東日本旅客鉄道の首都圏の路線の黒字で過疎地の路線の赤字を補填してきたがもうそれも限界だという声は分からないわけではない。しかし、公共交通機関を存続させることは福祉の一つである。更によく頭を働かせれば、矜持(きょうじ)を捨てれば、自(おの)ずと道は見えてくる。なぜそれを分からないのだろうか。なぜ福祉より利益をとるのだろうか。私は「SUNDAY TALK2010」第8回「『足』を奪わないで」の「AFTER TALK」でも書いているのだが、
どの路線についてもやれることはあると思う。
 過疎化や少子化、高齢化による人口減少は当分続くであろう。故に公共交通機関の苦境は続くことであろう。しかし、何の手も打たずに上から目線で「この路線は意味がないから廃止します」などと言うことだけは認めたくない。そのように決める前にその路線に合う活性化策は何なのかを探り、実践することはできるはずである。そのようにしていれば廃止に追い込まれずに済んだ路線は多数あったと思うのだが、どうであろうか。

(2013年〔平成25年〕2月6日追記)