トップページ不定期刊・きょうのトピックス不定期刊・きょうのトピックス2015年(平成27年)分今年○周年を迎えるもの

今年○周年を迎えるもの(2015年〔平成27年〕1月1日公開)

 皆様明けましておめでとうございます。本年も本サイトをよろしくお願いいたします。
 さて、今年初めての「不定期刊・きょうのトピックス」は例のごとく今年中国地方で○周年(○には5で割り切れる自然数が入る。なお、上限は125とする)を迎えるもの(本サイトが対象としている道路・市区郡町村・ラジオに限ります)を紹介します。どうぞご覧下さい。

道路編

○周年を迎える重要な告示または政令

周年 告示番号または政令番号 概要
55周年 1960年(昭和35年)3月18日
岡山県告示第335号
一般県道314路線が認定された(注1)
1960年(昭和35年)10月10日
広島県告示第682号
一般県道306路線が認定され、広島県における現行道路法による道路体系が確立した(注2)
50周年 1965年(昭和40年)3月29日
政令第58号
1965年(昭和40年)4月1日から一級国道(57路線)と二級国道(165路線)を統合して一般国道を発足させるための告示。

発足○周年を迎える国道路線(原則として一級国道・二級国道の一般国道への移行と既存路線の経路・起終点変更を除く)

周年 路線名称 発足年月日 備考
45周年 国道178号線
国道313号線
国道314号線
国道315号線
国道316号線
国道317号線
1970年(昭和45年)4月1日 国道178号線は既存路線の経路・起終点変更に該当するが初めて中国地方を通る路線になったため掲載した。
40周年 国道373号線
国道374号線
国道375号線
国道376号線
1975年(昭和50年)4月1日

今年は1969年(昭和44年)12月4日政令第280号で認定された国道路線が発足45周年を、1974年(昭和49年)11月12日政令第364号で認定された国道路線が発足40周年をそれぞれ迎えることになっている。

認定○周年を迎える県道路線(現存するもののみ掲載)

県名 周年 路線名称 発足年月日 備考
鳥取県 60周年 県道2号境・美保関線
県道21号鳥取・鹿野・倉吉線
県道22号倉吉・青谷線
県道23号倉吉・由良線
県道24号米子・大山線
県道25号鳥取停車場線
県道27号網代港線
県道28号米子停車場線
1955年(昭和30年)6月28日
55周年 県道111号神戸ノ上・新見線
県道112号大佐・日野線
県道113号上徳山・俣野・江府線
県道115号常藤・関金線
県道116号羽出・三朝線
県道118号加茂・用瀬線
1960年(昭和35年)3月18日
50周年 県道30号赤碕・大山線 1965年(昭和40年)9月10日
40周年 県道284号大山寺・岸本線 1975年(昭和50年)1月17日
県道305号大山・佐摩線 1975年(昭和50年)9月5日
県道302号大坪・隼停車場線 1975年(昭和50年)10月3日
県道282号麻生・国府線 1975年(昭和50年)12月12日
35周年 県道288号上大立・横田線
県道313号下見・関金線
県道314号赤松・大山線
1980年(昭和55年)12月16日
20周年 県道157号米子港線
県道185号東郷湖線
県道197号院内・馬場線
県道226号国安・桂木線
県道230号小河内・加茂線
県道242号大山・淀江インター線
県道251号国府・正蓮寺線
県道257号花口・下石見線
県道264号鳥取空港・布勢線
県道266号鳥取空港線
県道279号淀江インター線
県道285号米子空港・境港停車場線
県道289号船上山・赤碕線
県道290号八橋・宮木線
県道307号覚寺・青葉線
県道309号大柿・上古川線
県道319号鳥取砂丘・細川線
1995年(平成7年)3月28日
県道503号赤碕・東郷自転車道線 1995年(平成7年)8月25日
15周年 県道228号赤碕中山インター線 2000年(平成12年)4月14日
島根県 95周年 県道22号松江停車場線
県道33号浜田港線
1920年(大正9年)4月1日
60周年 県道2号境・美保関線
県道5号浜田・八重・可部線
県道28号出雲・大社線
県道30号三瓶山公園線
1955年(昭和30年)2月4日
45周年 県道190号荒島停車場線 1970年(昭和45年)7月31日
35周年 県道319号西ノ島・海士線 1980年(昭和55年)2月29日
20周年 県道123号柿木・山口線
県道153号東出雲・馬潟港線
県道161号斐川・出雲・大社線
県道176号掛合・大東線
県道183号斐川・上島線
県道249号八重垣神社・八雲線
県道253号宍道湖公園線
県道254号はまだリゾート線
県道265号黒井田・安来線
県道274号東比田・布部線
県道278号矢尾・今市線
県道302号浅利・渡津線
県道311号白上・横田線
県道314号美都・澄川線
県道323号池田・中町線
県道329号桜江・旭インター線
1995年(平成7年)4月4日
15周年 県道336号吉田掛合インター線 2000年(平成12年)3月1日
県道199号西出雲停車場線
県道337号出雲インター線
2000年(平成12年)12月8日
岡山県 55周年 こちらにて掲載) 1960年(昭和35年)3月18日 路線数が180路線(主要地方道2路線・一般県道178路線)と多数に及ぶため別掲とした。
県道103号七曲・井原線
県道104号坂瀬川・芳井線
県道106号布賀・油木線
県道107号奈良・備中線
県道157号哲多・哲西線
県道377号山口・押撫線
県道378号上市井村・西方線
1960年(昭和35年)10月10日
50周年 県道9号芳井・油木線
県道37号西大寺・山陽線
県道161号市場・佐用線
県道177号九蟠・中野線
県道386号津高・法界院停車場線
県道388号馬形・美作線
1965年(昭和40年)3月31日 県道177号九蟠・中野線の発足時期は推定(改称告示が見当たらないため)。
45周年 県道394号大篠・津山停車場線 1970年(昭和45年)4月1日
県道396号酒津・中島線 1970年(昭和45年)12月11日
県道397号寒河・本庄・岡山線
県道398号水島港・唐船線
1970年(昭和45年)12月25日
40周年 県道426号多麻・滝宮線 1975年(昭和50年)1月10日
県道433号青島新開・神島外港線 1975年(昭和50年)3月28日
35周年 県道309号巨瀬・高倉線
県道462号王子ヶ岳線
県道463号長谷・小串線
県道701号岡山・賀陽自転車道線
1980年(昭和55年)7月1日
25周年 県道702号八束・川上自転車道線 1990年(平成2年)9月18日
20周年 県道464号服部・射越線
県道465号大平山・坂田線
県道466号田井新港線
県道467号上二ケ・小鎌線
県道468号平岡・小鎌線
県道469号倉敷・総社線
県道470号柳井原・上二万線
県道471号南浦・金光線
県道472号槙谷・北線
県道473号上大竹・高山線
県道474号土橋・井倉線
県道475号本郷・石蟹線
県道476号横野滝線
県道477号金屋・国分寺線
県道478号大田・上横野線
県道479号瀬戸・宗掛線
1995年(平成7年)7月1日
広島県 55周年 こちらにて掲載) 1960年(昭和35年)10月10日 路線数が174路線(主要地方道9路線・一般県道165路線)と多数に及ぶため別掲とした。
50周年 県道7号浜田・作木線
県道9号芳井・油木線
県道21号加茂・油木線
県道23号庄原・東城線
県道86号翠町・仁保線
県道105号前原谷・仙養線
県道277号古市・広島線
県道308号溝口・加計線
県道321号金屋・壬生線
県道353号内海・三津線
県道370号高根島線
県道392号中野・駅家線
1965年(昭和40年)3月31日
45周年 県道251号後山公園・洗谷線
県道270号八木・緑井線
1970年(昭和45年)7月21日
40周年 県道260号福山港・松浜線 1975年(昭和50年)2月4日
県道259号帝釈峡・井関線 1975年(昭和50年)8月29日
県道460号栗谷・河津原線 1975年(昭和50年)10月17日
35周年 県道120号中庄・土生線
県道121号大君・深江線
県道253号南原峡線
県道296号吉和・戸河内線
県道421号矢多田・阿字線
県道464号竹原・吉名線
県道466号向島・因島・瀬戸田自転車道線
1980年(昭和55年)7月1日
25周年 県道74号下蒲刈・川尻線
県道122号大竹・和木線
県道288号見戸代・大地蔵線
1990年(平成2年)2月1日
県道276号矢野・海田線
県道336号津江・郷原線
1990年(平成2年)2月13日
15周年 県道474号温品・二葉の里線 2000年(平成12年)1月13日
県道424号甲奴インター線 2000年(平成12年)11月27日
山口県 95周年 県道50号岩国停車場線
県道53号徳山停車場線
1920年(大正9年)4月1日
55周年 県道116号大竹・美和線
県道117号乙瀬・小方線
1960年(昭和35年)10月10日
50周年 県道261号豊浦・久野線 1965年(昭和40年)3月9日
県道30号小野田・美東線
県道35号豊浦・菊川線
県道109号白木山線
県道131号本郷・五味線
県道161号岩田停車場線
県道173号笠戸島線
県道199号開作・上嘉川停車場線
県道200号陶・湯田線
県道202号香山園公園線
県道299号萩港線
1965年(昭和40年)4月1日
45周年 県道141号祖生・通津停車場線 1970年(昭和45年)4月1日
40周年 県道328号福井上・蔵目喜線 1975年(昭和50年)4月8日
県道330号祝島線 1975年(昭和50年)5月6日
県道58号防府環状線 1975年(昭和50年)7月1日
県道501号山口・秋吉台公園自転車道線 1975年(昭和50年)10月7日
35周年 県道349号江汐公園線 1980年(昭和55年)4月1日
県道121号羅漢山公園・宇佐郷線 1980年(昭和55年)12月9日
25周年 県道122号大竹・和木線 1990年(平成2年)2月6日
20周年 県道123号柿木・山口線
県道172号徳山・新南陽線
県道204号宮野・大歳線
県道280号長門・秋芳線
県道312号矢代・佐々並線
1995年(平成7年)3月31日
15周年 県道276号角島・神田線 2000年(平成12年)10月31日

今年は何と言っても岡山県と広島県を通る一般県道路線の大半が55周年を迎えることが大きい。

開通○周年を迎える主要な道路

県名 周年 路線名称 開通年月日 コメント
鳥取県 50周年 県道45号倉吉・江府・溝口線
(大山環状道路)
1965年(昭和40年)10月1日 中国地方最高峰の大山(だいせん。標高:1,729m)を取り巻く道路のうち西伯郡伯耆(ほうき)町大内〜日野郡江府(こうふ)町御机間が鳥取県が運営する有料道路として開通(当時の路線名称は県道184号大山・御机線〔1963〜1982〕。現在の県道45号倉吉・江府・溝口線になったのは1982年〔昭和57年〕)。大山周辺にある観光有料道路としては大山有料道路(県道24号米子・大山線。1963〜1981)に次いで開通した道路となった。途中にある鍵掛峠(標高:912m)は大山南壁を望む絶好の場所であり、その辺りの紅葉の時期の写真は今は亡き道路地図出版会社・ワラヂヤ出版(大阪市西区新町三丁目。2002年〔平成14年〕破産し廃業)の「コンパニオン道路地図帖 中国編」の表紙を飾っていたことでも知られている(注3)。なお、大山環状道路は1982年(昭和57年)4月1日に無料開放され、現在は無料で通行できる(注4)
25周年 国道9号線
北条バイパス
1990年(平成2年)11月8日 羽合(はわい)・北条(ほうじょう)・由良といった人口密集地帯を迂回する目的で東伯郡湯梨浜町久留〜東伯郡琴浦町槻下間に建設されたバイパス。日本海に沿って建設され、ほぼまっすぐに東伯郡湯梨浜町久留と東伯郡琴浦町槻下を結んでいる。現在は起点側で国道9号線青谷(あおや)・羽合道路、終点側で国道9号線東伯・中山道路とそれぞれ接続しており、山陰自動車道の代替機能を果たすようになっているが、北条バイパス自体は自動車専用道路ではないため並行する自動車専用道路の建設が課題になっている。途中には北条公園(東伯郡北栄町国坂)・大栄(東伯郡北栄町由良宿)と二つ道の駅があり、多くの人で賑わっている。
10周年 国道183号線
生山道路
2005年(平成17年)7月26日 地域高規格道路に指定されている江府・三次(みよし)道路の一部を構成する道路で、日野郡日南町中心部を迂回するバイパスとして日野郡日南町丸山〜日野郡日野町福長間に建設された。江府・三次道路としては初の開通区間になる。全線が自動車専用道路に指定されているのだが、開通約8ヶ月後の2006年(平成18年)3月31日鳥取県告示第232〜233号で国道183号線は生山道路経由に一本化され、それまで国道183号線だった部分は県道8号新見・日南線と県道223号生山(しょうやま)停車場線、日南町道、日野町道に再編された。国道180号線米子バイパス開通(2004年〔平成16年〕12月21日)に伴う国道180号線の旧道処分(2005年〔平成17年〕10月18日鳥取県告示第785〜786号による)とこの旧道処分により日野郡日南町中心部と米子市中心部を最短経路で往来する場合は市町村道を挟む結果になったのだが、これらの旧道処分から間もない時期に鳥取県が県道路線を整理する方針を打ち出したこと(注5)を考えるといくら重要性のある道路でも鳥取県としては負担し切れないから県道にはしないという方針を採り始めていたことがうかがえる。
5周年 鳥取自動車道 2010年(平成22年)3月28日 河原インターチェンジ(鳥取市河原町徳吉)〜鳥取インターチェンジ(鳥取市本高)間が開通。これにより高速道路のインターチェンジから最も遠いところにある都道府県庁所在地と言われていた鳥取市の中心部の近くまで高速道路が延びることになったが、この時点の鳥取自動車道には未開通区間(大原インターチェンジ〔美作市今岡〕〜西粟倉インターチェンジ〔英田郡西粟倉村影石〕間)があり、大阪・神戸方面と高速道路(もっとも一部に自動車専用道路に指定されていないところ(注6)があるのだが…)だけで往来するのは2013年(平成25年)春までお預けとなった。なお、鳥取自動車道は新直轄方式で建設されているため佐用平福インターチェンジ(兵庫県佐用郡佐用町延吉)以北については通行料金はかからない。
鳥取県
岡山県
45周年 県道114号大山・上福田線
(蒜山・大山スカイライン)
1970年(昭和45年)7月1日 大山周辺にある観光有料道路としては最後に開通した道路で、唯一鳥取県と岡山県に跨っている。この道路の開通により道路整備はまだ十分ではなかった(注7)ものの大山や蒜山高原を周遊する観光ルートが確立した。米子自動車道が蒜山高原に通じて間もない1993年(平成5年)7月1日に無料開放され、現在は無料で通行できるが、大山環状道路と同じく積雪期は通れなくなるので注意が必要である(積雪期のはずの元日に通ったという話もあるがどうなのだろう…?)。
島根県 5周年 山陰自動車道
(国道9号線益田道路)
2010年(平成22年)3月27日 遠田インターチェンジ(益田市遠田町)〜久城インターチェンジ(益田市久城町)間が開通。益田市中心部の渋滞解消を目的に建設された国道9号線益田道路は既に高津インターチェンジ(益田市高津五丁目)以南の区間が開通していたが、遠田インターチェンジ〜久城インターチェンジ間の開通により県道333号久城インター線を介する格好にはなるが益田市中心部を迂回する道路が確立した。国道9号線益田道路は山陰自動車道の一部を構成することになっているが現在のところ浜田市方面・萩市方面とも山陰自動車道は建設中または計画中の段階であり、国道9号線益田道路は自動車専用道路としては当面の間孤立する格好になる。また久城インターチェンジ〜高津インターチェンジ間の自動車専用道路部分の建設もメドが立っていない。
県道333号久城インター線 2010年(平成22年)3月27日 国道9号線益田道路久城インターチェンジ(益田市久城町)と国道191号線を結ぶ目的で1998年(平成10年)4月17日島根県告示第364号により認定された路線。国道9号線益田道路遠田インターチェンジ(益田市遠田町)〜久城インターチェンジ間開通と同時に全線開通を果たしたが、国道9号線益田道路久城インターチェンジ〜高津インターチェンジ(益田市高津五丁目)間の自動車専用道路部分の建設が当面見送られることになったため国道9号線益田道路を代替する働きも有することになった。なお、県道333号久城インター線は本州で最も西にある県道○○インター線であることはあまり知られていない(本州最西端にある山口県には県道○○インター線は存在しないため)。
岡山県 45周年 県道195号神島外港線
神島大橋
1970年(昭和45年)4月1日 本土と神島(こうのしま)を結ぶ橋で、岡山県道にある唯一の本土と離島を結ぶ橋であり、岡山県初の本土と離島を結ぶ橋でもある。延長:170m。神島大橋開通前笠岡市神島の鯖大師付近と笠岡市横島の笠岡第一病院付近の間に設定されていた県営フェリー(一日90往復)が唯一の本土との連絡手段だった神島の住民にとっては悲願の架橋となった。現在は笠岡湾干拓地を通る道路を通っても神島に行けるので本土と神島を結ぶ唯一の道路ではなくなっているのだが、最近では国道2号線笠岡バイパスの当面活用区間としての役割を有するようになっており、神島大橋を通って国道2号線初の道の駅となった道の駅笠岡ベイファーム(笠岡市カブト南町)を訪れる方も少なくない。
県道393号鷲羽山公園線
(鷲羽山スカイライン)
1970年(昭和45年)4月1日 児島半島西部の山の尾根を通って倉敷市水島地区と倉敷市児島地区を結ぶ有料観光道路として開通。瀬戸内海や水島コンビナート、瀬戸大橋(本州・四国連絡橋児島・坂出ルート)の眺望が良く、また瀬戸中央自動車道のインターチェンジから近いところに入口があるため便利である。しかし、1995年(平成7年)4月1日に無料開放されてからは沿線にある展望台などが閉鎖されたりバイクで暴走行為を働く人が出たりするなど芳しくない話が少なくない。まだ福山グリーンライン(広島県道251号後山公園・洗谷線)のようにバイク通行禁止規制や夜間通行禁止規制をかけるところまでには行っていないが、倉敷市を代表する観光地の一つだけに何らかの対策を打つことが求められている。
40周年 中国自動車道 1975年(昭和50年)10月16日 福崎インターチェンジ(兵庫県神崎郡福崎町西田原)〜美作インターチェンジ(美作市北山)間が開通。中国自動車道は同じ1975年(昭和50年)10月16日に宝塚インターチェンジ(宝塚市安倉北一丁目)〜西宮北インターチェンジ(西宮市山口町名来)間も開通しているので吹田ジャンクション(起点。吹田市青葉台北)〜落合インターチェンジ(真庭市下市瀬)間が一本の道に繋がり、岡山県北東部と大阪・神戸方面が高速道路だけで往来できるようになった。著名な観光地を多数擁する一方で過疎に悩む地域が多い岡山県北東部待望の高速道路にはなったのだが、一方では京阪神地域へのストロー現象が著しくなったり兵庫県佐用郡佐用町以西で並行するJR姫新線の利用客が減少し、遂には優等列車が全て廃止されたりするなどの不利益も起きている。
15周年 県道64号矢掛・寄島線
遥照山トンネル
2000年(平成12年)8月10日 県道64号矢掛・寄島線の小田郡矢掛町・浅口市境にある難所・地蔵峠を迂回する目的で建設されたトンネルで全長は1,210m。トンネルは遥照山(ようしょうざん。標高:405.0m)の西方にあり、むしろ竹林寺山(標高:364.9m。国立天文台岡山天体物理観測所〔浅口市鴨方町本庄〈ほんじょ〉〕がある山として知られる)のほうが近いのだが遥照山は著名な山であることが「遥照山トンネル」と命名された理由ではないかと思われる。遥照山トンネル開通により地蔵峠経由の道は旧道化したが、なぜか浅口市側(浅口市鴨方町本庄/国立天文台岡山天体物理観測所入口交差点〔信号機・交差点名標なし〕以南の部分)の旧道は県道64号矢掛・寄島線のまま残されている(注8)
10周年 県道86号作東インター線/
県道365号上福原・佐用線
山城バイパス
2005年(平成17年)2月28日 美作市上福原〜美作市田原間に建設された県道365号上福原・佐用線のバイパスだが、途中の美作市山城までは県道86号作東インター線との重用区間になっている。途中まで県道365号上福原・佐用線と重用関係になる県道86号作東インター線は中国自動車道作東インターチェンジ(美作市田原)と国道179号線を結ぶ岡山県唯一の県道○○インター線で、1993年(平成5年)5月11日建設省告示第1,270号を受けて1994年(平成6年)4月1日岡山県告示第250号により認定されたのだが、区域決定や供用開始は中国自動車道作東インターチェンジの供用開始(2005年〔平成17年〕3月6日)までお預けとなり、長らく幻の県道(注9)になっていた。この開通によりようやく不完全ながら実体を現したことになる。なお、この道の途中にはプロ野球・阪神タイガースのロゴマークやシンボルキャラクターが浮かび上がるように耕作された田んぼ(注10)が眺められたところがある。
県道86号作東インター線 2005年(平成17年)3月6日 中国自動車道作東インターチェンジ(美作市田原)と国道179号線を結ぶ県道86号作東インター線のうち単独部分、すなわち作東インターチェンジ料金所(美作市田原)〜県道365号上福原・佐用線交点(美作市山城)間が作東インターチェンジの供用開始と同時に開通。これにより県道86号作東インター線は全線開通した。記すまでもないことだが県道365号上福原・佐用線との重用部分とは異なって作東インターチェンジの供用開始と同時に開通した部分は自動車専用道路に指定されている(2005年〔平成17年〕2月25日岡山県告示第126号により指定)。
5周年 鳥取自動車道 2010年(平成22年)3月28日 佐用ジャンクション(兵庫県佐用郡佐用町口金近)〜大原インターチェンジ(美作市今岡)間が開通。佐用ジャンクションでは中国自動車道と接続しており、京阪神方面から剣豪・宮本武蔵(1584?〜1645)の故郷(異説あり)として知られる美作市大原地区へ行くのが便利になった。岡山県初の新直轄方式で建設された高速道路の開通となったのだが、当時は大原インターチェンジ〜西粟倉インターチェンジ(英田郡西粟倉村影石)間は建設中であり、無料で通行できるのは佐用平福インターチェンジ(兵庫県佐用郡佐用町延吉)〜大原インターチェンジ間の一区間だけであった。つまり大原インターチェンジから鳥取自動車道に入ると岡山県内で降りられなかったというわけであるが、この状況が解消されるには3年ほど待たなければならなかった。
広島県 40周年 国道54号線
三次バイパス
1975年(昭和50年)5月12日 広島県北部の中心都市・三次(みよし)市中心部の西の外れ、言い換えれば江の川左岸の丘陵地帯に建設されたバイパス。かつての国道54号線は三次市中心部で右左折を何度も繰り返す経路をとっており、各所で渋滞を引き起こしていたが、このバイパスの開通により三次市中心部を通らずに広島方面と松江方面を往来できるようになった。当初から上下2車線で計画されたことと全区間で国道184号線と、一部区間で県道112号三次・江津線とそれぞれ重用していること、更にバイパスの大部分が三次市粟屋町を通っていることが特徴。松江方面から国道54号線を南下してきて三次バイパスに入ると前方に三次市中心部が見えてくるが、それを見てやっと山を抜けて人の多いところに出てきたという思いを抱いた方は少なくないのではないのだろうか。
鹿島大橋 1975年(昭和50年)12月6日 広島県最南端の有人島・鹿島と鹿老渡島(注11)を結ぶ橋で全長は340m。鹿島大橋開通時点で本土〜倉橋島間には音戸大橋(全長:172m。1961年〔昭和36年〕開通)、倉橋島〜鹿老渡島間には堀切橋(全長:30m。1967年〔昭和42年〕開通)が存在したので本土と鹿島は自動車で往来できるようになった。しかし農道として建設されたため県道には認定されず、故に広島県最南端の県道路線となる県道285号宮ノ口・瀬戸線(鹿島を南から北へ縦貫する路線。終点間際には軽自動車がやっと通れるほどの道幅になる箇所があるため注意)は広島県の国道・県道ネットワークから孤立したままになっている(注12)。橋からは四国(愛媛県の松山市・高縄半島方面)の山並みが眺められ、四国に近い南の土地に来たのだという感慨を抱かせる。
35周年 県道22号福山・鞆線
水呑大橋
1980年(昭和55年)10月2日 福山市中心部の西方を流れている芦田川にかけられた橋で、全長は358m。鞆方面からの車と沼隈方面からの車が合流する福山市水呑(みのみ)町以北での県道22号福山・鞆線の渋滞解消や芦田川で最も南にある上下2車線の橋だった草戸大橋(注13)より南にあった橋(注14)の老朽化対策により企図された。水呑大橋の開通により県道22号福山・鞆線は草戸大橋経由から駅前大通り経由に変更され、上下4車線以上の区間も芦田川右岸地域まで延びたが、福山市中心部方面と福山市沼隈町方面を往来する場合右折・左折を各一回経る必要があることや福山市中心部方面から南下してきた場合、福山市水呑町/水呑大橋西詰交差点で左折すると次の福山市水呑町/洗谷三差路で赤信号に引っかかる場合が多いこと、洗谷三差路を先頭とした渋滞が通勤・通学の時間帯に起き、解消されないままでいることといった課題が今も残されている。
30周年 山陽自動車道 1985年(昭和60年)3月20日 広島ジャンクション(広島市安佐南区沼田町伴)〜五日市インターチェンジ(広島市佐伯区五日市町石内)間が広島自動車道広島ジャンクション〜広島北インターチェンジ(広島市安佐北区安佐町飯室〔いむろ〕)間と同時に開通。延長はわずか3.0kmであるが、山陽自動車道としては龍野西インターチェンジ・サービスエリア(たつの市揖西町土師〔いっさいちょうはぜ〕)〜備前インターチェンジ(備前市八木山)間に次ぐ開通区間(注15)であり、広島県内の山陽自動車道としては初の開通区間にもなっている。ちなみに広島ジャンクション〜五日市インターチェンジ間が開通した日は広島市が日本で最も人口の多い町村として知られていた佐伯(さえき)郡五日市町(1911〜1985)を編入し、(推計人口上の話ではあるが)ようやく百万都市の仲間入りを果たした日でもあった。
広島自動車道 1985年(昭和60年)3月20日 広島ジャンクション(広島市安佐南区沼田町伴)〜広島北インターチェンジ(広島市安佐北区安佐町飯室〔いむろ〕)間が山陽自動車道広島ジャンクション〜五日市インターチェンジ(広島市佐伯区五日市町石内)間と同時に開通。広島自動車道は中国横断自動車道広島・浜田線の中国自動車道以南の部分の路線名称であり、既に広島北ジャンクション(広島市安佐北区安佐町飯室)〜広島北インターチェンジ間は1983年(昭和58年)3月24日に中国自動車道千代田インターチェンジ(山県郡北広島町丁保余原〔よおろほよばら〕)〜鹿野インターチェンジ(周南市鹿野上)間と同時に開通していたので広島自動車道はこの時点をもって全線開通を果たしたことになる。開通当時は広島ジャンクション〜広島北インターチェンジ間には一切出入口はなく、広島自動車道は全長が17.2kmもあるのに一つしかインターチェンジのない高速道路となっていたが、広島市が安佐南区・佐伯区境付近で進めている大規模開発事業を受けて2001年(平成13年)には広島ジャンクション〜広島北インターチェンジ間に広島西風新都インターチェンジ(広島市安佐南区沼田町伴)が設置されている。
草津・沼田有料道路 1985年(昭和60年)3月20日 広島市が草津沖の海を埋め立てて造成した大規模流通団地・商工センター(広島市西区)と山陽自動車道五日市インターチェンジ(広島市佐伯区五日市町石内)や広島市安佐南区を結ぶ幹線道路の一部を構成する道路。広島市西区の住宅街の中を迷走する県道71号広島・湯来線のバイパス的存在でもある(但し県道71号広島・湯来線の区域に編入されたことはない)。国道2号線佐伯旧道や広島電鉄宮島線、JR山陽本線、国道2号線西広島バイパスと立体交差するため有用かつ快適な道なのだが有料道路故に通行量は低迷し、結局25年後の2010年(平成22年)3月20日午前0時をもって無料開放された。将来は広島高速の一部に組み込まれるという話もあるが現在のところそのメドは立っていない。
県道47号鞆・松永線
千年バイパス
1985年(昭和60年)10月1日 福山市西南部の沼隈地区中心部を貫くバイパス。北端部の福山市沼隈町下山南(しもさんな)字片山〜福山市沼隈町下山南字平迫間が開通して全線開通した。福山市沼隈町下山南字平迫では県道388号下山南・福山線(1960〜1994。現:県道72号福山・沼隈線)と接続するのだが、県道388号下山南・福山線改め県道72号福山・沼隈線は規格こそ低いものの1980年代初頭までには全線が上下2車線化されており、千年バイパスの全線開通によりようやく福山市中心部と福山市沼隈地区中心部を結ぶ道路が全線上下2車線化された。最後に開通した福山市沼隈町下山南字片山〜福山市沼隈町下山南字平迫間は福山市沼隈地区の郊外に当たり、信号も少ないので快適に走れるが、県道388号下山南・福山線改め県道72号福山・沼隈線に入り、しばらく進むと規格が低くなるので速度超過には注意が必要である
25周年 国道54号線
上根バイパス
1990年(平成2年)3月3日 国道54号線(国道183号線重用)の難所・上根峠を高架橋やトンネルを用いて直線的に迂回するバイパス。「中国地方建設局三十年のあゆみ」(1982年〔昭和57年〕刊行)には建設中の高架橋の写真(恐らく1980年代初頭の撮影だと思われる)が掲載されているが、結果的に1980年代、言い換えれば昭和時代に全線開通を果たせなかったところを見てもいかに建設は困難を極めたかがうかがえる。旧道は県道5号浜田・八重・可部線になったが、上根バイパス全線開通前は安芸高田市八千代町勝田(かった)が事実上の終点になっていたため上根バイパス全線開通により認定から35年半(注16)経ってようやく広島市安佐北区可部地区に単独区間を持つことができたという逸話がある。昨年2月8日に大部分が開通した国道54号線可部バイパスと接続する計画があるが、現在のところいつ実現するかメドは立っていない。
広島・岩国道路 1990年(平成2年)11月27日 大野インターチェンジ(廿日市市大野)〜大竹インターチェンジ(大竹市小方二丁目)間が開通。今なお基本計画のままの山陽自動車道廿日市ジャンクション(廿日市市宮内)〜大竹ジャンクション(仮称。大竹市小方二丁目)間を代替する形で計画された広島・岩国道路は1987〜1988年(昭和62〜63年)に廿日市ジャンクション〜大野インターチェンジ間と大竹インターチェンジ〜大竹ジャンクション間が開通していたが、大野インターチェンジ〜大竹インターチェンジ間については一部で用地買収が難航し、開通が1990年代、言い換えれば平成時代にまでずれ込んだ。大野インターチェンジ〜大竹インターチェンジ間が開通したことにより広島市と岩国市はようやく高速道路だけで往来できるようになったが、岩国市以遠(特に周南市と防府市)についても高速道路だけで往来できるようになるには1年半ほど待たなければならなかった。なお、大野インターチェンジ〜大竹インターチェンジ間の山側には「残念さん」と書かれた看板や山頂に設置された「C」の字が書かれた大きな看板といった珍物件(注17)があり、広島・岩国道路を通る人々の注目を集めている。
山陽自動車道 1990年(平成2年)11月30日 河内インターチェンジ(東広島市河内町入野)〜西条インターチェンジ(東広島市西条町吉行)間が開通。1985年(昭和60年)3月20日の広島ジャンクション(広島市安佐南区沼田町伴)〜五日市インターチェンジ(広島市佐伯区五日市町石内)間の開通以来広島市及びその周辺の山陽自動車道(広島・岩国道路になっている部分を含む)は部分開通を繰り返してきたが、この河内インターチェンジ〜西条インターチェンジ間の開通で最後となった。この時の開通区間の起点となった河内インターチェンジは広島空港(三原市本郷町善入寺)の広島側の最寄りインターチェンジとされ、1987年(昭和62年)には河内インターチェンジと広島空港を結ぶ県道280号新広島空港線(1987〜1994。現:県道73号広島空港線)が認定されているのだが、まだこの当時は広島空港は建設中であり、広島空港の西の玄関としての機能を有するようになったのは3年ほど後のことであった。
県道34号矢野・安浦線
広島・熊野有料道路
1990年(平成2年)12月6日 県道34号矢野・安浦線の難所・矢野峠を迂回する目的で建設されたバイパスで、海田大橋有料道路と同じ日に開通した。途中には熊野トンネル(全長:1,238m)がある。広島・熊野有料道路の開通により(通行料金はかかる上に自転車・歩行者は通行できないが)安芸郡熊野町と広島市中心部が楽に往来できるようになった。昨年3月24日の熊野黒瀬トンネル(県道34号矢野・安浦線の安芸郡熊野町・東広島市境に掘られたトンネル。全長:1,167m)の開通や今春に予定される東広島・呉自動車道の全線開通で国道2号線の迂回路としての機能も付加されることになるため無料開放や上下4車線化、安芸郡熊野町中心部へのバイパス建設が今後の課題になってくるものと思われる。
海田大橋有料道路 1990年(平成2年)12月6日 海田大橋は広島湾東部に架かる橋で、全長は1,856m。広島・熊野有料道路と同じ日に開通し、広島市安芸区や安芸郡海田・熊野・坂各町と広島市中心部を結ぶ新たな交通路となった。広島湾に沿って建設されている広島南道路の一部を構成することになっており、東側は県道276号矢野・海田線を介して国道2号線東広島バイパスと、西側は広島高速3号線とそれぞれ接続している。近くには広島大橋(広島・呉道路の橋)や東洋大橋(マツダ〔安芸郡府中町新地〕の専用道路のため一般車は通れない)もあり、全国的に珍しい海上橋の集中地帯になっている。
国道2号線
松永道路
1990年(平成2年)12月15日 福山市松永地区の渋滞解消を目的として建設されたバイパスで、松永新道、松永バイパスという別称を持つ。また、自動車専用区間(今津ランプ〔福山市今津町〕以西)のうちの山陽自動車道福山西インターチェンジ(福山市東村町)のランプウェイ接続点(福山市今津町)以西は尾道・福山自動車道に指定されている。神村(かむら)ランプ(福山市神村町)〜西藤インターチェンジ(尾道市西藤町)間が開通して全線開通した。途中には上り線側(岡山方面)だけだがパーキングエリア(今津パーキングエリア〔福山市今津町〕)が設置されていることが注目される点である。現在全線の上下4車線化が進められており、2016年度(平成28年度)に完成する予定であるが、「いくら国家財政事情が厳しいとはいえ遅すぎる(注18)」とか「東側で接続する赤坂バイパスも上下4車線化しないと意味がない」という声も少なくない。
20周年 県道55号尾道・三原線
太郎谷バイパス
1995年(平成7年)8月29日 山陽自動車道尾道インターチェンジ(尾道市美ノ郷町本郷)と三原市中心部を結ぶ県道55号尾道・三原線の難所・太郎谷を迂回する目的で建設されたバイパス。太郎谷付近の県道55号尾道・三原線は異常気象時通行規制区間に指定されていたが、このバイパスの開通により解消された(注19)。直線的に作られているため急勾配が入っており、上り線側(尾道方面)については登坂車線が設けられていることが特徴である(反対に下り線側〔三原市中心部方面〕は急勾配があまりないままバイパスに入る)。県道55号尾道・三原線はその後も改良が進められ、現在では全線が上下2車線化されているが、急勾配の箇所があることや上下2車線化されていても規格が低いところが残されていること、信号が少ないこと、人家密集地帯を通ること、沿線にいくつも学校があることなどから速度超過には注意が必要である。
国道54号線
横谷バイパス
1995年(平成7年)12月6日 三次市布野町横谷にある急な屈曲を解消すべく建設されたバイパスで、途中には天狗トンネル(全長:312m)がある。旧道のそばには1996年(平成8年)まで三次市立横谷小学校(三次市布野町横谷。移転した後の2006年〔平成18年〕廃校)があり、旧道にはそこに通う児童のための信号機もあったのだが、まだ横谷バイパスがなかった頃(1980年代前半〜中期)の早春にそこを通った時、信号機が冬期運用停止していたのを見て驚いたことがある。当時の三次市立横谷小学校には児童の安全確保のため寄宿舎があり、児童は授業のある日はそこで寝泊まりしていたために信号機の運用を冬期は停止していたようなのだが、こういう運用をしていた信号機は珍しいのではないのだろうか。
15周年 県道74号下蒲刈・川尻線
安芸灘大橋有料道路
2000年(平成12年)1月18日 本土と下蒲刈島を結ぶ橋で全長は1,175m。下蒲刈島・上蒲刈島・豊島・大崎下島・平羅島・中ノ島(以上呉市)と岡村島(愛媛県今治市)を経由して大崎上島(豊田郡大崎上島町)に至る安芸灘諸島連絡架橋の一号橋となる。開通当時はまだ上蒲刈島までしか車で進めなかったが2008年(平成20年)に上蒲刈島と豊島を結ぶ豊島大橋(全長:903m)が開通して岡村島まで行けるようになった(岡村島〜大崎上島間の架橋については現在のところ進展していない)。呉市東部の島嶼(とうしょ)部に住む方々の生活道路であり、また県民の浜(呉市蒲刈町大浦)や御手洗(みたらい。呉市豊町の大字の一つ)の古い町並みといった名所に通じる観光道路としての役割を担っているが、通行料金が高い(普通車で720円)のが難点である。
広島高速3号線 2000年(平成12年)3月19日 広島湾に沿って建設されている広島南道路の一部を構成する道路で、仁保ジャンクション(広島市南区仁保沖町)〜宇品ランプ(広島市南区宇品海岸三丁目)間が開通。開通区間の大半が自動車製造会社・マツダ(安芸郡府中町新地)の本社工場の上を通っていること(無論防音壁などで工場の様子はうかがえないようになっている)と海田大橋有料道路と本線が繋がっていること(記すまでもないが別料金となる)が特徴。通行料金はかかるが国道2号線東広島バイパス→県道276号矢野・海田線→海田大橋有料道路→広島高速3号線を通って宇品港は当然のこと、広島市中心部にも行けるようになり、利便性が向上した。途中にある宇品大橋(全長:550m)は地域のランドマークになっている。
県道287号上蒲刈島循環線 2000年(平成12年)3月24日 呉市蒲刈町田戸〜呉市蒲刈町大浦間が開通。県道287号上蒲刈島循環線は上蒲刈島を一周する路線であるが地形上の問題から呉市蒲刈町田戸〜呉市蒲刈町大浦間が未開通のままになっていた。前記区間の県道287号上蒲刈島循環線が開通したことにより県道287号上蒲刈島循環線は路線認定以来40年にして全線を自動車で通れるようになり、県民の浜(呉市蒲刈町大浦)へ行くのも容易になった。現在は更に呉市東部の島嶼(とうしょ)部の幹線道路としての役割も加わっている。なお、開通区間の途中にある原トンネル(全長:303m)付近は映画「海猿」のロケ地になったことで知られている。
県道155号三原・本郷線 2000年(平成12年)12月21日 前身の県道233号高坂・西町線(1960〜1965)→県道359号高坂・本町線(1965〜1998。なお路線名称は廃止時点のものを記している)時代から通行不能のままになっていた三原市小坂町〜三原市高坂町真良間が開通。20世紀が終わる10日前に開通したので20世紀最後の通行不能区間解消にはなったのだが、県道155号三原・本郷線は未改良箇所が多いことや三原市高坂町真良〜三原市本郷町船木(終点)間が区域未決定のままになっていること(注20)から有用な道になり得ておらず、知る人ぞ知る話にとどまっている。県道155号三原・本郷線は終点で広島空港(三原市本郷町善入寺)や山陽自動車道本郷インターチェンジ(三原市本郷町船木)に通じる県道82号広島空港・本郷線と接続することになっているが、広島県の財政事情の悪化などから未だに整備は進んでおらず、せっかくの新規開通区間も有効に活用されないままになっている。
5周年 東広島・呉自動車道 2010年(平成22年)3月14日 高屋ジャンクション(東広島市高屋町溝口)〜上三永インターチェンジ(東広島市西条町上三永)間が開通。東広島・呉自動車道は上三永インターチェンジ〜馬木インターチェンジ(東広島市西条町馬木)間が既に開通していたが、高屋ジャンクション〜上三永インターチェンジ間の開通によりようやく山陽自動車道と接続し、東広島市内限定ながらようやく有用な道になった。また、高屋ジャンクションからは県道59号東広島・本郷・忠海線に通じる道も延びており、東広島・呉自動車道→県道59号東広島・本郷・忠海線→県道194号西高屋停車場線を通って東広島市中心部を迂回することもできるようになった。高屋ジャンクション〜上三永インターチェンジ間開通後、なかなか馬木インターチェンジから南には延びないでいたが、今春ようやく延びることになる(馬木インターチェンジ〜黒瀬インターチェンジ〔東広島市黒瀬町津江〕間が開通するため。東広島・呉自動車道はこれにより全線開通となる)。
県道47号鞆・松永線
松永跨線橋
2010年(平成22年)3月25日 JR山陽本線によって市街地が南北に分断されている福山市松永地区に建設された跨線橋。福山市内には跨線橋は多数あるが、意外にも松永地区の跨線橋はこれが初めてとなる。松永跨線橋開通前の県道47号鞆・松永線は福山市松永地区で右左折を繰り返す経路をとっていたことや案内が不十分でどこを通れば良いのか分かりにくかったこと、松永跨線橋の真下にあった松永西踏切は大型車の通行が禁止されていた上によく渋滞していたこと、終点間際で南行の一方通行規制があったことといった問題点があったが、この松永跨線橋の開通によりようやく有用な道になった。ただ、松永跨線橋の開通と引き換えに松永西踏切は廃止され、自転車や歩行者、バイクは遠回りを強いられるようになったこと(自転車と歩行者は松永跨線橋の真下に建設された地下道を通ることになる)や松永らしさを醸し出していた堀割はそのほとんどが埋め立てられたこと(確かに美観を損ねていたし、衛生的にもどうかと思う面はあったことは理解するが…)などどうかと思う面もいくつか生じている。
松永みなと大橋 2010年(平成22年)3月25日 福山市南松永町三・四丁目と福山市高西町南を結ぶ橋で全長は389m。松永地区西部を流れる本郷川と藤井川の河口にかかっている。松永みなと大橋が開通する前は福山市松永地区と尾道市を往来するには国道2号線松永・尾道旧道を通るしかなく、特にJR山陽本線以南の福山市松永地区に住む方は不便を強いられていたが、松永みなと大橋の開通により改善された。松永みなと大橋のある通りは西進すると西瀬戸自動車道西瀬戸尾道インターチェンジ(尾道市高須町)に通じており、JR山陽本線以南の福山市松永地区と西瀬戸自動車道の通る島々、更に四国(愛媛県)との往来も楽になった点はもっと知られても良いことであろう。
広島高速2号線
(県道473号府中・仁保線)
2010年(平成22年)4月26日 温品ジャンクション(広島市東区温品二丁目)〜仁保ジャンクション(広島市南区仁保沖町)間の全線が一挙に開通。都市高速道路としては珍しく暫定2車線の区間がある。温品ジャンクションでは広島高速1号線と、仁保ジャンクションでは海田大橋有料道路や広島・呉道路、広島高速3号線とそれぞれ接続しており、広島高速2号線の開通により広島県第三の都市・呉市の中心部から山陽自動車道へ楽に出られるようになった(但し通行料金は高いが)。広島高速2号線は県道473号府中・仁保線でもあるが、路線名称上起点とされている府中、すなわち安芸郡府中町は通過自治体でしかなく(それでも出入口はある)、なぜ県道473号温品・仁保線にならなかったのかは定かではない(温品ジャンクションで接続する予定の広島高速5号線については県道474号温品・二葉の里線という路線名称で認定されているのだが…)。
広島高速3号線 2010年(平成22年)4月26日 広島湾に沿って建設されている広島南道路の一部を構成する道路で、宇品ランプ(広島市南区宇品海岸三丁目)〜吉島ランプ(広島市中区光南四丁目)間が開通。同じ日に開通した広島高速2号線の一部区間と同じく暫定2車線で開通した。途中にある元安川大橋は元安川の河口近くにかけられた橋であり、有料ながら広島市南区宇品地区と広島市中区吉島地区の往来にも使える。また、東広島・呉方面から平和記念公園(広島市中区中島町)に行く場合の新たな経路にもなっている(吉島ランプでは平和記念公園に通じる広島市道と接続しているため)。
国道375号線
門田トンネル
2010年(平成22年)4月27日 三次市作木町香淀〜三次市作木町門田(もんで)間の江の川の屈曲部を短絡するトンネルで全長は972m。三次市〜島根県邑智郡美郷町間で江の川右岸に沿って延びている国道375号線は未改良箇所が多く、某道路地図で「名ばかり国道の中国地方代表」などと揶揄(やゆ)されたこともあったが、門田トンネルの開通により三次市作木町香淀以北の広島県内区間は全線が上下2車線化された。ただ、江の川右岸に沿って延びている関係上異常気象時通行規制区間の指定は継続されたままであるし、依然として三次市三次町〜三次市作木町香淀間には狭隘箇所が残っているため広島県内区間の全線が快適に走れるようになるにはまだかなりの時間が必要なようである。
国道432号線
甲山バイパス
2010年(平成22年)11月4日 上下2車線化されていたが規格が低かった国道432号線(県道25号三原・東城線重用)の世羅郡世羅町西上原〜世羅郡世羅町川尻間に建設されたバイパス。大半が芦田川に沿って建設されている。また、世羅郡世羅町川尻では尾道自動車道世羅インターチェンジ(世羅郡世羅町川尻)と接続しており、世羅インターチェンジ以北の尾道自動車道が開通する今春までは尾道・福山・府中方面と三次方面を往来する車が多く通行する。世羅郡世羅町郊外を通っているため途中には店舗はあまりないが今春にはバイパス終点脇に道の駅世羅が開業する予定になっており、今後の変化が注目される。
尾道自動車道 2010年(平成22年)11月27日 尾道ジャンクション(尾道市美ノ郷町三成)〜世羅インターチェンジ(世羅郡世羅町川尻)間が開通。広島県側の中国横断自動車道尾道・松江線初の開通になったが、中国横断自動車道尾道・松江線は尾道ジャンクション〜三刀屋木次(みとやきすき)インターチェンジ(雲南市三刀屋町三刀屋)間が新直轄方式で建設されたため広島県初の新直轄方式で建設された高速道路の開通となった。途中の出入口は尾道北インターチェンジ(尾道市御調〔みつぎ〕町大町)だけだったため実質的な無料区間は尾道北インターチェンジ〜世羅インターチェンジ間だけになったが、並行して通る国道184号線には急な勾配や急な屈曲があるため国道184号線の実質的なバイパスとして通る車が多い。ハイライトは何と言っても尾道北インターチェンジのすぐ北側にある御調川橋で、高い橋脚の上にある車道からの眺めは良い。尾道ジャンクション〜世羅インターチェンジ間開通後、なかなか世羅インターチェンジから北には延びず、不便を強いられてきたが、今春ようやく延びることになる(世羅インターチェンジ〜吉舎〔きさ〕インターチェンジ〔三次市吉舎町矢井〕間が開通するため。中国横断自動車道尾道・松江線はこれにより全線開通となる)。
山口県 50周年 県道283号青海島線
青海大橋
1965年(昭和40年)10月27日 本土と日本海に浮かぶ青海島(おうみじま)を結ぶ橋で全長は260m。県道283号青海島線自体は1958年(昭和33年)10月1日山口県告示第644号の2により認定されていたのだが青海大橋の開通により認定から約7年で全線が車で通れるようになった。クレーン船のアームが橋桁に衝突し、橋桁が損傷するという災難に見舞われたこともあったが生活道路や観光道路として今も活用されている。
45周年 秋吉台有料道路 1970年(昭和45年)10月5日 日本最大のカルスト台地として知られる秋吉台を縦貫する観光道路。受け皿となる県道路線、すなわち県道243号秋吉台公園線(1958〜1994。なお路線名称は廃止時点のものを記している)は1958年(昭和33年)10月1日山口県告示第644号の2により認定されているので秋吉台を縦貫する観光道路の構想は1950年代後半からあったことが考えられる。秋吉台や秋芳洞(あきよしどう。「しゅうほうどう」ではない)を訪れた方が多く通ったこの有料道路は開通20周年を前にした1990年(平成2年)7月1日に無料開放されたが、面白いのはその後県道243号秋吉台公園線(1990〜1994)→県道32号萩・秋芳線(1994〜2011)→県道242号秋吉台公園線(2011〜。但し一部を除く)というように県道路線が変わったことである。主要地方道に昇格しながら国道490号線小郡・萩道路開通に伴う路線再編で一般県道(しかも区域や路線番号はともかく路線名称は昔と同じ)に逆戻りしたというわけであるが、こういう例は珍しいと言える。
県道174号笠戸島公園線
笠戸大橋
1970年(昭和45年)11月14日 本土と瀬戸内海に浮かぶ笠戸島を結ぶ橋で全長は477m。笠戸大橋の開通により笠戸島は本土と陸続きになり、下松市中心部はもとより近隣の中核都市・周南市中心部との往来も容易にできるようになった。また、海水浴場や国民宿舎などが整備され、観光客で賑わう島になっている。赤色に塗られたアーチが印象的な橋である(橋の形はアーチ橋ではなくランガートラス橋である)。
40周年 国道2号線
小郡道路
1975年(昭和50年)2月27日 山口県随一の交通の要衝である山口市小郡地区の渋滞解消を目的として建設されたバイパスで、山口県初の自動車専用の国道路線のバイパスでもある。途中の山口市佐山では同じ日に開通した山口・宇部有料道路と接続しているが、双方とも自動車専用道路だったこともあり、今なお山口南インターチェンジ(山口市鋳銭司〔すぜんじ〕)〜宇部ジャンクション(宇部市東岐波)間が基本計画のまま留め置かれている山陽自動車道を代替する道路にも指定されている(そのため山口南インターチェンジと小郡道路を直接結ぶ高架道路が建設されている)。自動車専用の国道路線のバイパスとしては珍しく途中にトンネルがないこと(注21)と制限速度が70km/hに引き上げられていること(注22)が特徴である。
山口・宇部有料道路 1975年(昭和50年)2月27日 山口市中心部と山口宇部空港(宇部市沖宇部)を結ぶことや国道190号線の迂回路を確保することを目的として企図された道路だが、諸事情により開通したのは嘉川インターチェンジ(山口市佐山)〜宇部市西岐波間だけにとどまった。更に平成時代に入ると椹野(ふしの)川右岸部に高規格な立体交差道路、すなわち県道212号山口・阿知須・宇部線が企図されたことで更に不遇な境遇に置かれたが、今なお山口南インターチェンジ(山口市鋳銭司〔すぜんじ〕)〜宇部ジャンクション(宇部市東岐波)間が基本計画のまま留め置かれている山陽自動車道を代替する道路に指定されたことや嘉川インターチェンジ以北の建設が再開され、2011年(平成23年)7月31日に開通したこと(この時の開通区間、すなわち朝田インターチェンジ〔起点。山口市朝田〕〜嘉川インターチェンジ間については開通時から無料で通行できるようになっている)、そして2012年(平成24年)3月28日午前0時をもって無料開放されたことで山口県中央部の幹線道路としての地位を確固たるものにしようとしている。近く中国自動車道との接続も果たすことになっているが、どのようになっていくのか今後の変化が注目される。
中国自動車道 1975年(昭和50年)4月1日 山口インターチェンジ(山口市下小鯖)〜小郡インターチェンジ(山口市小郡上郷)間が開通。この区間の開通により山口市は中国地方の県庁所在地では初めて高速道路が通るところとなり、更に山口市と山口県最大の都市・下関市が高速道路で結ばれることにもなった。しかし、山口インターチェンジは山口市中心部からいくらか離れたところにあった上、山口市と下関市を往来するには遠回りになったことから利用は少なかった。山口インターチェンジ〜小郡インターチェンジ間の交通量が増えるのは1983年(昭和58年)春に中国自動車道が全線開通してからであるが東広島市〜山口市間の山陽自動車道(広島・岩国道路を含む)が一本に繋がった頃(1992年〔平成4年〕)から山口ジャンクション(山口市黒川)以東の中国自動車道の交通量は減っている。日本道路公団が民営化される前に山口インターチェンジ〜山口ジャンクション間にある湯田パーキングエリア(山口市吉田)の売店の営業が取りやめになったのはそのことを如実に示した事実と言える。山口ジャンクションの完全化(注23)や湯田パーキングエリアへのスマートインターチェンジ設置(2019年度〔平成31年度〕供用開始予定)といった振興策がとられてはいるが交通量が増える見込みは現状ではないようである。
国道2号線
周南バイパス
1975年(昭和50年)6月5日 山口県東部の中心都市・徳山市(1935〜2003。現:周南市)の中心部の北側を東西に貫くバイパス。徳山市の中心部を迂回する道路なのに徳山バイパスという名称にならなかったのは徳山市及びその周辺が古くから周南地域と呼称されてきたことや周南バイパスは徳山市だけでなく下松市や新南陽市(1970〜2003。現:周南市)も通っており、徳山市との繋がりは深いものの合併に対して消極的だったこの両市(注24)に対して配慮したことが考えられる。市街地を通る部分と丘陵地を通る部分(その辺りでは周南コンビナートの眺めが良い)に分かれるが同じ年に全線開通を果たした小郡バイパスと同じく全くトンネルがないのが特徴である。現在周南市中心部での渋滞が激化しており、国道315号線や県道52号徳山港線と接続する三田川交差点(周南市辻町)付近の高架化が計画されているが完成時期は今のところ未定である。
彦島有料道路 1975年(昭和50年)9月30日 下関市南部にある島・彦島と中国自動車道・関門橋下関インターチェンジ(下関市椋野上町)、関門国道トンネル、安岡方面を下関市中心部を通らないで結ぶ目的で建設された道路で、県道252号福浦港・金毘羅(こんぴら)線に指定されている。途中にある彦島大橋(全長:760m)は開通当時世界最長のコンクリート橋であり、開通当時東洋一の吊り橋と称された関門橋(全長:1,068m)と並んで下関市民には自慢の橋にはなったが、肝心の交通量は有料道路であることや彦島地区の産業(造船業・漁業など)の斜陽化が著しくなったことから伸び悩み、結局開通30周年に当たる2005年(平成17年)9月30日をもって無料開放された。無料開放後はさすがに関彦橋(かんげんきょう。県道250号南風泊〔はえどまり〕港線にある橋)の迂回路として通る車も増えているが、広域的に考えた場合中途半端さは否めない(注25)。(賛否両論はあるが)彦島〜小倉間架橋(いわゆる第二関門橋)構想の実現や県道252号福浦港・金毘羅線の下関市後田町一丁目への延伸、金毘羅公園(下関市金比羅町)や昭和病院(下関市汐入町)の西方を通過して彦島方面と安岡方面を短絡する道路の整備が望まれよう。
35周年 中国自動車道 1980年(昭和55年)10月17日 鹿野インターチェンジ(周南市鹿野上)〜山口インターチェンジ(山口市下小鯖)間が開通。1970年(昭和45年)以来続いてきた中国自動車道の部分開通はこれが最後になった。周南市鹿野地区や山口市徳地地区にとっては待望の幹線道路となったが、広域的に見れば周南市鹿野地区や山口市徳地地区を通る国道路線や県道路線の整備が進んでおらず、利用は低迷した。交通量が増えるのは1983年(昭和58年)春に中国自動車道が全線開通してからであるが東広島市〜山口市間の山陽自動車道(広島・岩国道路を含む)が一本に繋がった頃(1992年〔平成4年〕)から交通量は減少し、途中にある鹿野サービスエリア(周南市鹿野中)は規模を縮小せざるを得なくなってしまった。それでも周南市鹿野地区や山口市徳地地区に住む方にとっては山口市中心部との往来に有用な道路であることに変わりはない。
25周年 山陽自動車道 1990年(平成2年)3月30日 徳山東インターチェンジ(周南市久米)〜徳山西インターチェンジ(周南市戸田〔へた〕)間が開通。開通時点で徳山西インターチェンジ以西の山陽自動車道は開通しており、山口ジャンクション(山口市黒川)で中国自動車道と接続していたため旧徳山市東部や下松市に住む方は下関・九州方面との往来が楽にできるようになった。また、徳山東インターチェンジ・徳山西インターチェンジとも国道2号線に接続しているために国道2号線のバイパスとしても利用できる。ただ、徳山東インターチェンジ〜徳山西インターチェンジ間は18.0kmと長いのに出入口も休憩施設もなく、トンネルが多いのが難点である。山陽自動車道で徳山東インターチェンジ〜徳山西インターチェンジ間に次いでインターチェンジ間の距離が長い福山東インターチェンジ(福山市蔵王町五丁目)〜福山西インターチェンジ(福山市東村町)間(16.9km)には休憩施設、すなわち福山サービスエリア(福山市津之郷町津之郷)があり、近く福山サービスエリアにスマートインターチェンジが設置されることを考えればこの状況は改善されてしかるべきだと思うのだが…。
山陽自動車道 1990年(平成2年)12月20日 熊毛インターチェンジ(周南市安田)〜徳山東インターチェンジ間が開通。1986年(昭和61年)3月27日の徳山西インターチェンジ〜防府東インターチェンジ(防府市下右田)間開通を皮切りに繰り返されてきた山口県内の山陽自動車道の部分開通はこの区間の開通をもって一段落した。この時の開通区間の見どころとしては「生野屋第○トンネル」という名称のトンネルが五つ続くことである。生野屋第○トンネルは全て下松市生野屋にあるわけではない(注26)のだが、なぜこういう名称を付けたのだろうかと思いたくなる。また、途中にある下松サービスエリア(下松市切山)は山陽自動車道では最も西にあるレストランと終夜営業の給油所のある休憩施設になっており、下り方向(九州方面)・上り方向(広島方面)双方から見ても貴重な存在となっている。
20周年 国道9号線
山口バイパス
1995年(平成7年)2月10日 山口市街地北部の山裾を北東方向から南西方向にほぼまっすぐに貫いて建設されたバイパス。そのほとんどが山口市中心部を通っており、周南市中心部を通る国道2号線周南バイパスとよく似た環境にあるがトンネルがいくつかあることと立体交差計画がないことが国道2号線周南バイパスと異なる点である。建設に当たっては山口城跡(山口市滝町)の堀を埋め立てる話(注27)や朝田墳墓群(山口市朝田・吉敷〔よしき〕)のある丘陵を切り通しにする話もあったようであるがいずれも史跡保護措置がとられたのが評価されるところである。現在では道なりに進むと山口市南部の阿知須地区まで行けるようになっており(山口市小郡下郷以南は県道212号山口・阿知須・宇部線になる)、平成の大合併で広大な市域を有するようになった山口市を南北に貫く幹線道路としての役割も有するようになっている。
15周年 県道276号角島・神田線
角島大橋
2000年(平成12年)11月3日 本土と日本海(響灘)に浮かぶ角島を結ぶ橋で全長は1,780m。開通当時は日本最長の通行料金が無料の離島架橋であった(注28)。本土〜角島間の海峡(海士〔あま〕ヶ瀬戸)には鳩島という小さな無人島があるが自然環境保護のため鳩島を迂回する形でかけられており、故にまっすぐ本土と角島を結んでいるわけではない。開通後角島や角島大橋は山口県を代表する観光地の一つとなり、多くの道路系サイトで絶賛されたりテレビコマーシャルのロケ地になったり更には中国地方最古参の市立四年制大学である下関市立大学(下関市大学町二丁目)の大学祭実行委員会事務局が新入生歓迎企画として入学式から間もない時期の週末に角島へのバス旅行を毎年開催したりするなどしている(注29)。なお、角島大橋は開通3日前まで豊北(ほうほく)町道だったことはあまり知られていない(注30)
県道40号豊浦・清末線 2000年(平成12年)11月19日 1958年(昭和33年)10月1日山口県告示第644号の2により認定された時からずっと通行不能状態にあった下関市内日上(うついかみ)〜下関市豊浦町川棚間が開通。石畑峠は下関市内日地区と下関市豊浦地区を最短経路で結ぶ道の途中にある峠であるが、豊浦側が急峻なことや交流があまりなかったこともあり長らく自動車の通れない峠になっていた。中国自動車道・関門橋下関インターチェンジ(下関市椋野上町)や関門国道トンネル、JR山陽新幹線・山陽本線新下関駅(下関市秋根南町一丁目)、長府城下町と川棚温泉(下関市豊浦町川棚)を結ぶ道として、そして下関市中心部と下関市豊浦地区を結ぶ新たな幹線道路として整備が望まれ、1994年(平成6年)には主要地方道に昇格したが、地形上・財政上の問題により完成は20世紀が終わる6週間前のことになった(注31)。その約1ヶ月後に三原市内の県道155号三原・本郷線に存在した通行不能が解消されたので県道40号豊浦・清末線は20世紀最後の通行不能解消路線とはならなかったが、中国自動車道・関門橋下関インターチェンジや関門国道トンネル、JR山陽新幹線・山陽本線新下関駅、長府城下町と川棚温泉を結ぶ道として、そして下関市中心部と下関市豊浦地区を結ぶ新たな幹線道路として有用な道になっている。豊浦側は急勾配と急な屈曲が入る道になっているが、響灘の眺めが良いのが嬉しい。
10周年 国道2号線
花岡バイパス
2005年(平成17年)3月12日 下松市東部の花岡地区における国道2号線の渋滞や線形不良を解消すべく企図されたバイパス。途中で東陽団地の間を突っ切っているが、古い下松市の地図(2000年代初頭以前のもの)を見ると東陽団地の南部に道路用地と思しき空間があるのが見えることから東陽団地造成の時点で計画されていたことがうかがえる。このバイパスの開通により下松市内の国道2号線は全線が上下4車線化された。
県道112号藤生停車場・
錦帯橋線
平田バイパス
2005年(平成17年)8月20日 国道188号線岩国南バイパスと県道15号岩国・玖珂線(欽明路道路)、県道1号岩国・大竹線を結ぶ道路で、県道1号岩国・大竹線とともに岩国外環状線を構成する道路でもある。岩国市南部とJR山陽新幹線新岩国駅(岩国市御庄)や岩国市西部を往来するには便利になったが、終点で接続する県道1号岩国・大竹線には狭隘箇所や高さ制限がかけられている箇所(岩国市柱野のJR岩徳線と錦川鉄道錦川清流線を続けてくぐるところ)があり、残念ながら有用な道には未だになり得ていない。
県道1号岩国・大竹線
関々バイパス
2005年(平成17年)11月18日 西国街道(山陽道)を踏襲した狭い山越え道を迂回すべく企図されたバイパスで、岩国市関戸と玖珂郡和木町関ヶ浜を結ぶことから関々(かんかん)バイパスと命名された。急勾配の坂を上った先にトンネルがあるのが特徴だが、残念なことに県道135号北中山・岩国線との重用区間(注32)や山口・広島県境を流れる小瀬川(木野川)にかかる両国橋が未改良のままに置かれており、開通効果を発揮できる状況にはなっていない。近く両国橋の架け替えが完成することになっているが、県道112号藤生(ふじゅう)停車場・錦帯橋線とともに岩国外環状線を構成する道路でもあり、国道2号線のバイパスにもなり得る道路でもあることを考えると早期の改良が求められるところである。
5周年 国道490号線
小郡・萩道路
2010年(平成22年)3月20日 美祢東ジャンクション(美祢市美東町真名)〜十文字インターチェンジ(美祢市美東町綾木)間が開通。1994年(平成6年)に計画が浮上し、同じ年に地域高規格道路に指定された小郡・萩道路としては初の開通区間になったが、開通区間の延長は0.6kmしかなく、実質的には中国自動車道の出入口だけができたようなものとなった。しかし、中国自動車道の出入口までが遠かった美祢市秋芳・美東地区に住む方にとっては利便性が向上する出来事になったし、何より広島方面から美祢市随一の観光地である秋吉台や秋芳洞(あきよしどう。「しゅうほうどう」ではない)に行きやすくなったことは見逃してはならない事実である。

市区郡町村編

発足○周年を迎える市区町村(現存するもののみ掲載)

県名 周年 市区町村名 発足年月日 備考
鳥取県 60周年 西伯郡大山町 1955年(昭和30年)9月1日 西伯郡所子村と西伯郡高麗村(今津を除く)が統合して発足。
10周年 西伯郡伯耆町 2005年(平成17年)1月1日 西伯郡岸本町と日野郡溝口町が統合して発足。
八頭郡八頭町 2005年(平成17年)3月31日 八頭郡郡家・八東・船岡各町が統合して発足。
東伯郡北栄町 2005年(平成17年)10月1日 東伯郡大栄・北条両町が統合して発足。
島根県 75周年 浜田市 1940年(昭和15年)11月3日 那賀郡浜田町及び石見・周布・長浜・美川各村が統合して発足。
10周年 飯石郡飯南町 2005年(平成17年)1月1日 飯石郡赤来・頓原両町が統合して発足。
仁多郡奥出雲町 2005年(平成17年)3月31日 仁多郡仁多・横田両町が統合して発足。
鹿足郡吉賀町 2005年(平成17年)10月1日 鹿足郡六日市町及び柿木村が統合して発足。
岡山県 75周年 玉野市 1940年(昭和15年)8月3日 児島郡宇野・日比両町が統合して発足。
65周年 浅口郡里庄町 1950年(昭和25年)6月1日 浅口郡里庄村が町制施行して発足。
60周年 勝田郡奈義町 1955年(昭和30年)2月1日 勝田郡北吉野・豊田・豊並各村が統合して発足。
10周年 赤磐市 2005年(平成17年)3月7日 赤磐郡赤坂・熊山・山陽・吉井各町が統合して発足。
久米郡美咲町 2005年(平成17年)3月22日 久米郡旭・中央・柵原各町が統合して発足。
真庭市 2005年(平成17年)3月31日 上房郡北房町と真庭郡落合・勝山・久世・湯原各町及び川上・中和・美甘・八束各村が統合して発足。
美作市 2005年(平成17年)3月31日 英田郡英田・大原・作東・美作各町及び東粟倉村、勝田郡勝田町が統合して発足。
広島県 65周年 安芸郡坂町 1950年(昭和25年)8月1日 安芸郡坂村が町制施行して発足。
60周年 世羅郡世羅町 1955年(昭和30年)1月10日 世羅郡大見・西大田・東大田各村が統合して発足。
35周年 広島市安芸区 1980年(昭和55年)4月1日 広島市が政令指定都市に移行した際に広島市の行政区の一つとして発足。
広島市安佐北区 1980年(昭和55年)4月1日 広島市が政令指定都市に移行した際に広島市の行政区の一つとして発足。
広島市安佐南区 1980年(昭和55年)4月1日 広島市が政令指定都市に移行した際に広島市の行政区の一つとして発足。
広島市中区 1980年(昭和55年)4月1日 広島市が政令指定都市に移行した際に広島市の行政区の一つとして発足。
広島市西区 1980年(昭和55年)4月1日 広島市が政令指定都市に移行した際に広島市の行政区の一つとして発足。
広島市東区 1980年(昭和55年)4月1日 広島市が政令指定都市に移行した際に広島市の行政区の一つとして発足。
広島市南区 1980年(昭和55年)4月1日 広島市が政令指定都市に移行した際に広島市の行政区の一つとして発足。
30周年 広島市佐伯区 1985年(昭和60年)3月20日 佐伯郡五日市町(1911〜1985)が広島市に編入された際に佐伯郡五日市町だった区域をもって広島市の行政区の一つとして発足。
10周年 山県郡北広島町 2005年(平成17年)2月1日 山県郡大朝・芸北・千代田・豊平各町が統合して発足。
山口県 75周年 岩国市 1940年(昭和15年)4月1日 玖珂郡岩国・麻里布両町及び愛宕・川下・灘各村が統合して発足。
60周年 阿武郡阿武町 1955年(昭和30年)1月1日 阿武郡奈古町及び宇田郷・福賀両村が統合して発足。
10周年 山陽小野田市 2005年(平成17年)3月22日 小野田市と厚狭郡山陽町が統合して発足。

ラジオ編

開局(本放送開始)○周年を迎える放送局(現存するもののみ掲載)

周年 放送局名/所在地 開局年月日 コメント
30周年 エフエム山口
(FMY、山口市緑町)
1985年(昭和60年)12月1日 広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)に次いで開局した中国地方二番目の都道府県域民間エフエム放送局。山口市に本社を置く初の民間ラジオ放送局でもある。広島エフエム放送ほどではないものの自社制作番組が多く、長年活躍しているアナウンサーまたはタレントも少なくない。中継局は11箇所と広島エフエム放送に次いで多いこと(エフエム北海道〔愛称:AIR-G'〈エアージー〉。札幌市中央区北一条西二丁目〕と同数)や山口放送ラジオ(KRY、周南市徳山)よりも2年早く終夜放送に踏み切ったこと、放送終了後次の放送開始前まで試験放送と称して音楽を流し続けており、中国地方の都道府県域民間エフエム放送局では唯一事実上の完全終夜放送を実施していること(注33)が主たる特色である。
15周年 中国コミュニケーションネットワーク
(広島市中区土橋町)
2000年(平成12年)5月1日 中国地方最大の都市・広島市にようやく開局したコミュニティ放送局で、広島県3番目のコミュニティ放送局。本社や演奏所は中国新聞社(広島市中区土橋町)の本社内にあるが、そのことからもうかがえるように中国新聞社との繋がりは深く、受信できない地域を対象に発行されている中国新聞朝刊備後本社版でも番組表や宣伝が載るほどである。開局当初の愛称はひろしまPステーションだったが、2008年(平成20年)5月1日にエフエムちゅーピーに改称したことで中国新聞社との関係が深いことを改めて印象付けている。
10周年 FMながと
(長門市東深川)
2005年(平成17年)2月25日 山口県6番目のコミュニティ放送局で、山口県の日本海側ではエフエム萩(愛称:FM NANAKO。萩市江向)に次いで2番目のコミュニティ放送局である。本社・演奏所のある長門市は山口県のコミュニティ放送局のある都市(他に宇部市・山陽小野田市・下関市・周南市・萩市・防府市がある)の中では最も人口が少ないのだが、そういう状況の中で全番組を自社制作していることが特筆される。
5周年 DARAZコミュニティ放送
(米子市法勝寺町)
2010年(平成22年)6月1日 鳥取県2番目のコミュニティ放送局。放送局名となっている「DARAZ(だらず)」とは山陰地方の方言で「バカ」「アホ」を意味するのだが、ここでは何でも真っ先に飛び付いて突拍子もないことをするけれどどこか憎めない人のことを差している。かつては空き時間に大阪府を放送区域としている都道府県域民間エフエム放送局・FM802(大阪市北区天神橋二丁目)を流しており、その点で珍しい存在だったが2014年(平成26年)5月末をもって取りやめた。更に現在は終夜放送もやめ、毎日午前1時〜午前5時に放送休止を設けている。
エフエム津山
(津山市鉄砲町)
2010年(平成22年)7月1日 岡山県5番目のコミュニティ放送局で現在のところ最新の放送局でもある。開局当時津山市には既につやまコミュニティFM(愛称:エフエムつやま。津山市南新座)があったことや津山市の人口自体10万人程度と少ないことから苦戦が予想されたが案の定そのようになってしまい、2012年(平成24年)には半年間の放送休止を余儀なくされた。放送再開後愛称をレディオつやまからMegaWAVE76.3に変更したりサブカルチャー系の番組を中心に放送したりするなどしているが今後どうなっていくか予断を許さない状況にあることに変わりはない。

注釈コーナー

注1:1960年(昭和35年)3月18日時点では広島県で現行道路法に基づく一般県道路線の認定が行われていなかったため旧道路法時代に認定された県道路線が岡山県西部(井原市・笠岡市・高梁市・新見市)でいくつか残されていた。旧道路法時代に認定された県道路線が全てなくなったのはその約7ヶ月後の1960年(昭和35年)10月10日のことである(1960年〔昭和35年〕10月10日岡山県告示第917号による)。よって、岡山県における現行道路法による道路体系が確立したのは1960年(昭和35年)10月10日のことになる。
※1960年(昭和35年)10月10日には島根県・山口県でも広島県に跨る一般県道路線の認定告示が行われている。但し島根県では広島県での現行道路法に基づく一般県道路線の認定を待たずに1958年(昭和33年)に島根県が認定した、広島県に跨る一般県道路線がいくつか存在する(広島県道/島根県道112号三次・江津線など)。

注2:1960年(昭和35年)10月10日広島県告示第682号では主要地方道に指定されているものを除くそれまでに認定した県道路線の廃止も兼ねている。本来なら現行道路法に基づく一般県道路線の認定とは別の告示にし、なおかつ廃止した路線の一覧表を掲げるべきなのだが、なぜそのようにしなかったのかはっきりしたことは分かっていない。

注3:他に音戸大橋(呉市)や秋吉台(美祢市)の写真が用いられたこともある。

注4:積雪期には閉鎖規制が実施されるため一年中ずっと通れるというわけではない。

注5:2006年(平成18年)6月3日付中国新聞朝刊による。実際に鳥取県はその後県道路線の廃止(通過市町村への移管)を進めており、2014年(平成26年)までに4路線が整理されている(下表参照)。

路線名称 廃止年月日/
告示番号
移管先 備考
県道180号伯耆溝口停車場線 2009年(平成21年)12月1日
鳥取県告示第712号
西伯郡伯耆町
県道222号岸本停車場線 2009年(平成21年)12月1日
鳥取県告示第712号
西伯郡伯耆町
県道254号清水川・福成線 2014年(平成26年)3月31日
鳥取県告示第231号
西伯郡南部町
県道272号智頭停車場線 2012年(平成24年)7月10日
鳥取県告示第499号
八頭郡智頭町

注6:岡山県英田郡西粟倉村坂根〜鳥取県八頭郡智頭町駒帰間を指す。この間にある国道373号線志戸坂トンネルには歩道が設置されている。志戸坂トンネルを自動車専用道路に転用するには旧志戸坂トンネル(1981年〔昭和56年〕閉鎖)を改修し、最低限自転車や歩行者が通れるようにすることが必要なのだが、費用対効果が見込めないことや旧志戸坂トンネルが老朽化していることなどから実現の見通しは立っていない。

注7:蒜山・大山スカイラインが開通した当時、国道313号線は発足したばかりで改良はこれからという状況だったし、中国自動車道や岡山自動車道、米子自動車道はまだ影も形もなかった。

注8:理由としては主要地方道のままにしておけば整備や維持管理に必要な費用の一部を国が補助することができることが考えられる。県道64号矢掛・寄島線の浅口市側の旧道は山陽自動車道鴨方インターチェンジ(浅口市鴨方町益坂)と遥照山を最短経路で結ぶ道であり、たとえ遥照山トンネルが開通し、旧道になったとしても整備は必要になる。更に岡山県は1990年代中期以降財政事情が悪化している。そういう事情もあり県道286号里庄・地頭上線や県道382号本庄・玉島線、浅口市道に再編されないままでいるのだろう。しかし、地形的な問題から整備は今なお進んでいない。遥照山では2013年(平成25年)8月末に遥照山ホテル(旧:遥照山簡易保険保養センター。浅口市鴨方町益坂)が経営不振により営業休止に追い込まれており、観光振興の面からも県道64号矢掛・寄島線旧道や県道382号本庄・玉島線の改良が望まれる。

注9:岡山県で「幻の県道」とされているのは県道430号玉島黒崎・金光線であり、倉敷市玉島黒崎の道路脇には幻の県道の開通(但し全線開通ではない)を記念して建立された石碑がある(下の写真。なお、石碑には人名が記されている箇所があるためその部分は加工して公開している)。

その一方で岡山県には全く自動車の通れる区間がなかったり認定自体見送ったりしているために本当に幻の県道と化している県道路線がいくつもあることはあまり知られていない。2001年(平成13年)時点では県道86号作東インター線以外に下表に挙げる路線が存在した。

路線名称 概要
県道385号高田・上郡線 備前市吉永町高田と兵庫県赤穂(あこう)郡上郡町八保甲を結ぶ路線で、1960年(昭和35年)認定。沿線住民の話ではかつては備前市吉永地区と兵庫県赤穂郡上郡町を最短経路で結ぶ路線で、岡山・兵庫県境の才ヶ峠を馬力で越えていたとのことであるが、交通網や地理的環境の変化により廃れ、路線認定時点から岡山県側は全く自動車が通れる区間がない路線と化している。
県道458号勇崎・入江線 倉敷市玉島勇崎と笠岡市入江を結ぶ路線で、1975年(昭和50年)認定。倉敷市玉島勇崎〜笠岡市入江間に計画されていた玉島・笠岡有料道路の受け皿道路として認定されたのだが、運営者になる予定だった岡山県道路公社(岡山市北区蕃山町〔ばんざんちょう〕。1971〜2006)の経営状況が芳しくなかったことや沿線住民が建設に強硬に反対したこと、並行して計画されていた山陽自動車道の建設が早く進んだこと、国道2号線玉島・笠岡道路の計画が浮上したことなどが原因で計画は休止状態になってしまった。
県道X号大高下・口波多線 津山市阿波(あば)字大高下と鳥取県八頭郡智頭(ちづ)町口波多を結ぶ予定の路線で、鳥取県で1976年(昭和51年)認定。しかし岡山県側には鳥取県側が勝手に認定したものと見なす考えがあるらしく、その存在を頑(かたく)なに認めようとしていない。背景には津山市阿波地区と鳥取県を結ぶ県道路線(県道117号鱒返・余戸線と県道118号加茂・用瀬〔もちがせ〕線)は全て岡山・鳥取県境で途切れており、そちらの整備が先だという考えがあること(津山市阿波地区と鳥取県を結ぶ県道路線が全て岡山・鳥取県境で途切れていることは1990年代末期にある民間テレビ放送局の平日朝の情報番組で取り上げられたことがある)や1976年(昭和51年)には県道117号鱒返・余戸線を鳥取・岡山両県で認定しており、岡山県や苫田郡阿波村(1889〜2005)→津山市としては同時に二つも県境で途切れる路線を持つようになることは容認できないという思いが強かったこと、岡山・津山方面と鳥取方面を結ぶ国道53号線の改良が既に完成していたこと、もし認定し、整備しても交通量など見込めたものではないこと、もし整備したとしても冬期閉鎖は避けられず、通年通行は見込めたものではないことが考えられる。なお、現在も鳥取県道として大高下・口波多線は存在するが、路線番号は岡山県に跨る路線に付けられる110〜119号ではなく303号となっている(もし岡山県が認定すれば恐らく路線番号は両県で唯一欠番になっている110号になるのではないかと思われるが、その日は来るのだろうか…)。

その後県道86号作東インター線が実体を現し、県道458号勇崎・入江線が玉島・笠岡有料道路の白紙撤回を受けて2002年(平成14年)に廃止されたことで岡山県における幻の県道は高田・上郡線と(未認定のままではあるが)大高下・口波多線の二つになっている(一方で岡山県には全く区域が決定していない県道路線は存在しない)。

注10:2011年(平成23年)8月26日に県道86号作東インター線を訪れた時撮影した写真があるので公開する(下の写真)。なお、阪神タイガースのロゴマークやシンボルキャラクターが浮かび上がるように耕作された田んぼが見られたのは2012年(平成24年)までであり、現在は見ることはできない。

注11:正式には鹿老渡島という島名は存在しないが、倉橋島とは幅数十mの海峡(運河?)で隔てられているため便宜上鹿老渡島という島名を用いている。
※本土と海峡または運河で隔てられているのに島名が付けられていないところは他にもある。尾道市浦崎町西部にある戸崎地区もその一つである。

注12:広島県にはこういうところが多い。他には高根島(尾道市)や大崎下島・上蒲刈島・豊島(以上呉市)がある(このうち上蒲刈島と豊島は県道356号豊浜・蒲刈線で結ばれている)。

注13:1976年(昭和51年)に芦田川河口に河口堰を兼ねた河口大橋が開通しているが、当時は周辺の道路が整備されておらず、有用な道とは言えない状態だった。

注14:草戸大橋より下流の芦田川にはかつて洗谷橋と水呑橋があった。いずれも老朽化しており、洗谷橋は水呑大橋に、水呑橋は小水呑橋にそれぞれとって代わられて姿を消した。

注15:龍野西インターチェンジ・サービスエリア〜備前インターチェンジ間が開通したのは1982年(昭和57年)3月30日のことである。なお、開通当時龍野西サービスエリアは開業せず、山陽姫路西インターチェンジ(姫路市石倉)〜龍野西インターチェンジ・サービスエリア間が開通した1990年(平成2年)7月31日になってようやく開業した。

注16:ここでは広島県側の認定時期からの年数を記している(広島県側の県道5号浜田・八重・可部線は1954年〔昭和29年〕9月17日広島県告示第510号により認定)。

注17:「残念さん」とは依田(よだ)神社(廿日市市大野)を指す。江戸時代末期、その地で長州藩によって狙撃され絶命した江戸幕府側の使者・依田伴蔵(1823〜1866)の死を悼み建てられた神社である。絶命の際依田伴蔵が発した「残念…」という一言が「残念さん」の由来だという。
一方、山頂に設置された「C」の字が書かれた大きな看板は大竹市立玖波(くば)中学校(大竹市玖波四丁目)で用いられている望遠視力板である。大竹市立玖波中学校の公式サイトによると1986年(昭和61年)に設置され、2003年(平成15年)に改修されて今に至っているとのことである。

大竹市立玖波中学校で用いられている望遠視力板

注18:国道2号線松永道路の上下4車線化は民主党が政権与党の座に就いた時建設凍結の対象になったことがある。それは間もなく解除されたのだが、それでも時間がかかっているのは国道2号線三原バイパスの建設を優先させたためである。

注19:道路改良により異常気象時通行規制が解除される例は稀にではあるが存在する。広島県では他に国道184号線の三次市・世羅郡世羅町境付近がある。

注20:三原市本郷町船木には将来県道155号三原・本郷線になると思しき上下2車線の道がある。途中で行き止まりになっているのだが、建設のメドが立たないために県道155号三原・本郷線に編入されないままでいるものと思われる。

注21:国道2号線の自動車専用のバイパスでは他に(中国地方にあるものではないが)兵庫県の加古川バイパスがある。

注22:国道2号線では他に(自動車専用道路ではないが)岡山バイパスに制限速度が70km/hに引き上げられているところがある。

注23:山口ジャンクションは1987年(昭和62年)12月4日に供用を開始した時は中国自動車道山口インターチェンジ方面と中国自動車道小郡インターチェンジ方面、山陽自動車道山口南インターチェンジ(山口市鋳銭司)方面と中国自動車道小郡インターチェンジ方面しか往来ができなかったが、2008年(平成20年)に中国自動車道山口インターチェンジ方面と山陽自動車道山口南インターチェンジ方面を往来するランプウェイが建設され、完全化を果たした。

注24:下松市・新南陽市とも工業都市であり、財政事情が良好だったことで共通する。更に新南陽市の中心部を構成する富田(とんだ)・福川地区は第二次世界大戦中に強制的に徳山市の一部にさせられた経緯から長らく徳山市との合併を拒否してきたし、下松市もいわゆる周南合併(下松・新南陽・徳山・光各市と熊毛郡熊毛・田布施・大和各町、都濃郡鹿野町が統合して山口県最大の都市・下関市を超える規模の都市を発足させ、なおかつ山口県には形成されていないとされる中核都市を目指そうとする構想)の論議には参加しながら結局独立を貫いた(旧徳山市中心部、すなわち現在の周南市中心部と下松市中心部の間がいくらか離れていたことも合併論議から離脱する原因になったのではないかと思われる)。

注25:広域的に見た旧彦島有料道路の問題点は下表の通りである。
彦島と小倉を結ぶフェリーボートが利用低迷により2011年(平成23年)秋になくなったために九州方面に行けない。
・下関市金比羅町/金毘羅交差点で旧彦島有料道路を受け継ぎ、下関市中心部方面に延びていく道が県道になっていない。

注26:生野屋第四トンネルは下松市生野屋〜下松市末武上間に、生野屋第五トンネルは下松市末武上〜下松市瀬戸間にそれぞれ掘られている。

注27:1970〜1980年代にワラヂヤ出版が出版していた道路地図の山口市中心部の地図で山口バイパスの予定線が山口城跡の堀にかかっているように記されていたのを見た覚えがある。もし本当に山口城跡をバイパスの敷地に取り込むことにしていたとしたら由々しき問題なのだが…。

注28:日本最長の通行料金が無料の離島架橋の座はその後沖縄県にある古宇利大橋(全長:1,960m)に譲ることになった。
※更に今年中には沖縄県にある伊良部大橋(全長:3,540m)がその座に就くことになっている。

注29:下関市立大学の大学祭実行委員会事務局が新入生歓迎企画として入学式から間もない時期の週末に角島へのバス旅行を毎年開催しているという話は私の友人で「下関市立大学・大学祭実行委員会事務局OB会公式サイト」というサイトを運営している中島孝祐(なかしま・こうすけ)さんから聞いたものである。下関市立大学の大学祭実行委員会事務局が新入生歓迎企画(新入生勧誘企画でもある)をやり始めたのは中島さんが下関市立大学・大学祭実行委員会事務局の幹部の一員として活動していた1992年(平成4年)からで、その当時は次に挙げるようなことをしていたという。
・入学式当日の昼に大学祭実行委員会事務局に興味を示した新入生を連れて大学近くにあるファミリーレストラン(現在も営業中)に行き、そこで食事をとった。
・その後下関市中心部にあるボウリング場(現存せず)に路線バスなどで行き、ボウリングを楽しんだ。
・入学式のあった週の土曜日の夜に新入生歓迎コンパを開催した(1992年〔平成4年〕の場合は4月8日〔水曜日〕に入学式が開催されたので新入生歓迎コンパを開催したのは4月11日〔土曜日〕のことになる)。
その結果74人の新入生が入会するに至り、下関市立大学・大学祭実行委員会事務局は史上初めて在籍者数が100人を突破する大所帯組織になった(その年の学園祭、すなわち第31回馬関祭のパンフレットによると在籍者数は119人。そのうち1年生は半分強の63人〔当初より11人少なくなっているのはパンフレットの原稿締め切りまでに退会した方が出たため。中島さんによるとこういう方は毎年いくらかいるという〕)。
中島さんは「当時どのくらいの新入生が関心を持ち、入会してくれるか気が気でなかったし悪条件も多くあったが、多くの新入生が関心を持ち、門を叩いたこと、大半の方が中国地方最古参の市立四年制大学である下関市立大学の学園祭の成功に貢献したこと、そして入会者の約3分の1に相当する24人の方が2年後に幹部に就任したことは本当に喜ばしいことだったと感じている。あれから20年以上の歳月が流れたが新入生歓迎企画の一つとして角島へのバス旅行を企画・実施するようになったことについては驚きを感じると同時に角島が下関市を代表する観光地になったことを感じさせる。自分が学生の時はまだ橋がなかったために行くこと自体かなわなかったところだが角島大橋が開通して間もない時期に行ってみると本当に良いところだと感じたものであった。他地域から進学してくる方が多い下関市立大学の大学祭実行委員会事務局が新入生歓迎企画とはいえこういうことを企画することは本当に好ましいことだと思っている。下関市立大学の大学祭実行委員会事務局は実はいずれも自分が学生の頃から始めたことなのだがこの他にも下関市内の年中行事に手伝いで参加したり入学式にふく鍋を振る舞う企画(中島さんが学生の頃は卒業式にやっていたが最近では入学式に開催時期を変えている。また、山口県では縁起を担いでふぐをふくと呼ぶことが多く、それであえてふく鍋と記している)を行ったりしており、他地域から入学してきて卒業後他地域に去っていくことが多い下関市立大学の学生に下関を知り、感じてもらうべく頑張っている。自分達の頃と状況は変わり、厳しくなっているが私達が始めた伝統を続け、そして発展させて欲しいと思っている」と話している。
※中島さんは現在下関市立大学及びその前身の下関商業短期大学(下関市貴船町三丁目。1956〜1966)の学園祭の歴史を調べ、下関市立大学及びその前身の下関商業短期大学の大学祭実行委員会事務局のスタッフを対象としたOB会の再興を目指す活動を行っている。中島さんは中島さん自身が1992〜1995年(平成4〜7年)に撮影した下関市立大学・大学祭実行委員会事務局関係の写真や下関市立大学の学園祭のパンフレットなどいくらかの資料は持っているのだが、不明の部分や散逸した資料があまりにも多く、苦戦しているという。中島さんは当時の仲間などにも呼びかけていくが、下関市立大学及びその前身の下関商業短期大学の学園祭に関する資料をお持ちの方は
下関市立大学・大学祭実行委員会事務局OB会公式サイト」をご覧頂いた上で連絡して欲しいと話している。

注30:ふつう離島架橋を含む道路が都道府県道に認定されるのは建設が本決まりになった時点のことが多く(例えば福山市にある内海〔うつみ〕大橋〔全長:832m〕は1989年〔平成元年〕に開通したのだが、県道に認定されたのはその約10年前の1979年〔昭和54年〕のことである)、角島大橋の場合は異例である。なぜ角島大橋については最初から県道にしなかったのかは分からない。1,780mもの長さを持つ橋であることや角島に住む方にとっては大切な生活道路であること、豊浦郡豊北町(1955〜2005)は過疎化が進み、財政事情も芳しくなかったことを考えれば最初から県道にすれば良かったと思うのだがどうであろうか。

注31:中島さんは1993年(平成5年)頃県道40号豊浦・清末線(当時の名称は県道259号豊浦・清末線)の豊浦側・清末側双方の車道端点に行ったことがあるという。「清末側は県道34号下関・長門線から入るのだが通行不能を予告する標識はなく、内日ダム(下関市内日上)を過ぎてしばらく進んだところで上下2車線の道幅のままアスファルト舗装が突然途切れ、砂利道が石畑峠に向かって続いているのが印象的だった。また、豊浦側は県道244号下関・川棚線(当時の名称は県道345号川棚・吉見下線〔1977〜1994〕)から分かれたところで工事中により入れなくなっていた。道路を作っている様子は国道191号線からも見え、数年のうちに開通するだろうと思っていたがかなり時間がかかったなあと感じているところである」と話している。なお、注29で中島さんは角島大橋が開通して間もない頃角島に行ったと記しているが、その時は山陽自動車道宇部・下関線(2001年〔平成13年〕3月11日開通)→県道40号豊浦・清末線→角島大橋と開通して間もない道路ばかりを通って角島に行き、帰りには下関市立大学・大学祭実行委員会事務局が1992年(平成4年)から毎年6月に合宿を開催している神上寺(じんじょうじ。下関市豊田町江良)に立ち寄ったという。

注32:当然のことながら県道1号岩国・大竹線と県道135号北中山・岩国線の重用区間は県道1号岩国・大竹線に優先権があるのだが、なぜか岩国市小瀬には県道135号北中山・岩国線の県道標識が設置されている。

注33:中島さんによると平成時代初頭には既に放送休止時間に試験放送と称して音楽を流していたという(当時は月曜日午前1時〜午前5時が放送休止時間。現在は放送終了が30分繰り上がり、月曜日午前0時30分〜午前5時が放送休止時間になっている)。