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JR美祢線並行道路を行く・年表

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・このページの年表の掲載範囲は美祢線の起点となっていた厚狭駅(山陽小野田市厚狭)が開業した1900年(明治33年)12月3日から現時点での最終運行日となっている2023年(令和5年)6月30日までとしております(鉄道としての復旧断念という方針は定まっているが正式に決まったわけではないのでここでは省略しています)。

・下表の「美祢線及び沿線地域の出来事」は美祢線の歴史だけでなく美祢線の沿線地域(山陽小野田市〔厚狭地区〕・美祢市〔大嶺・於福・西厚保・東厚保各地区〕・長門市〔深川地区〕。なお地区は美祢線沿線地域でいわゆる昭和の大合併が行われるようになる前、すなわち1954年〔昭和29年〕3月30日時点で存在した自治体を元に分けている)の市町村や並行道路の異動に関する出来事を記しています。なお、前記地区の範囲は下表の通りです。

市名 地区名 読み方 範囲 1954年(昭和29年)
3月30日時点の
自治体名
備考
山陽小野田市 厚狭 あさ 厚狭
厚狭一丁目
鴨庄

桜一丁目
桜二丁目
山川
山野井
厚狭郡厚狭町 厚狭一丁目は山陽小野田市発足後の2008年(平成20年)2月25日発足(厚狭・郡のそれぞれの一部区域への住居表示実施による。なお、この時発足した町字が厚狭一丁目となっている点から更なる住居表示実施を山陽小野田市は企図していたことがうかがえるのだが厚狭一丁目発足後現在に至るまで住居表示を行わないでいる理由は不明〔恐らく対象地域の住民の理解を得られないからであろう〕)。
桜一〜二丁目は山陽小野田市発足後の2011年(平成23年)3月19日発足(厚狭・郡・山川のそれぞれの一部区域への住居表示実施による)。
美祢市 大嶺 おおみね 大嶺町奥分
大嶺町北分
大嶺町西分
大嶺町東分
美祢郡大嶺町
於福 おふく 於福町上
於福町下
美祢郡於福村
西厚保 にしあつ 西厚保町原
西厚保町本郷
美祢郡西厚保村
東厚保 ひがしあつ 伊佐町堀越
東厚保町川東
東厚保町山中
美祢郡東厚保村 伊佐町堀越は1962年(昭和37年)東厚保町山中の一部区域をもって発足。
長門市 深川 ふかわ 渋木
西深川
東深川
深川湯本
真木
大津郡深川町

・地名や施設名、路線名称などは出来事の発生時点のものを記しています。但し所在地表記の中には分かりやすくするために現在のものを記している場合があります。

・美祢線に関係する国道路線・主要地方道路線・県道路線の概要はこちらで紹介しております(但し国道路線・主要地方道路線・一般県道路線の改廃と高速道路の開通、国道路線・主要地方道路線・一般県道路線の改良完成は美祢線の存廃に大きな影響を与えているため下表でも触れております)。

月日 美祢線及び沿線地域の主な出来事 備考
1900年
(明治33年)
12月3日 山陽鉄道三田尻〜厚狭間が開業し、開業区間の終着駅として厚狭駅(山陽小野田市厚狭)が設置される。 山陽鉄道は現在のJR山陽本線に相当する鉄道路線を中心として兵庫県・岡山県・広島県・山口県・香川県に路線網を築いていた鉄道会社。
三田尻駅は現在の防府駅(防府市戎町一丁目。1962年〔昭和37年〕11月1日現行駅名に変更)。
1901年
(明治34年)
5月27日 山陽鉄道厚狭〜馬関間が開業し、厚狭駅が中間駅化する。 馬関駅は現在の下関駅(下関市竹崎町四丁目。1902年〔明治35年〕6月1日現行駅名に変更)。
なお、馬関駅は現在の下関駅の位置ではなく現在の下関駅の東方約800mのところ(下関警察署〔下関市細江町二丁目〕の東南角にある交差点付近)にあった(1942年〔昭和17年〕11月15日関門鉄道トンネルの旅客利用開始に伴い現在地に移転)。
1905年
(明治38年)
9月13日 山陽鉄道厚狭〜大嶺間が開業し、中間駅として厚保・四郎ヶ原・伊佐各駅が設置される。 現在の美祢線に相当する鉄道路線としては初めての開業となった。
この当時の伊佐駅は現在の南大嶺駅(美祢市大嶺町西分)。
山陽鉄道の本線(現在の山陽本線)から見れば厚狭〜大嶺間の鉄道路線は支線に当たるのだがこの時は特に路線名称は付けられなかったものと思われる。
1906年
(明治39年)
12月1日 山陽鉄道が国有化される。 この時も厚狭〜大嶺間の鉄道路線については特に路線名称は付けられなかったものと思われる。
1909年
(明治42年)
10月12日 国有鉄道の路線名称制定に伴い厚狭〜大嶺間の鉄道路線に大嶺線という名称が付けられる。
1916年
(大正5年)
9月15日 美禰軽便鉄道伊佐〜重安間が開業し、中間駅として吉則・上領両駅が設置される。 この当時の伊佐駅は現在の南大嶺駅。
この当時の吉則駅は現在の美祢駅(美祢市大嶺町東分)。
どちらも停留場形態の駅であった。
1918年
(大正7年)
10月1日 厚狭郡厚西村が改称した上で町制施行し、厚狭郡厚狭町が発足する。
1920年
(大正9年)
6月1日 美禰軽便鉄道が国有化され、美禰軽便線という路線名称が付けられる。
上領駅(美祢市大嶺町東分)が廃止される。 隣接する駅との距離が短いことや駅の周辺の人口が少なかったことなどで利用者が少なかったことから国有化をもって廃止されたのではないかと思われる。
10月30日 美禰軽便線重安〜於福間が開業する。
1921年
(大正10年)
2月10日 厚狭〜厚保間に湯ノ峠駅(山陽小野田市厚狭)が設置される。
1922年
(大正11年)
9月1日 伊佐軌道(吉則〜北川間2.6km)が開業する。 伊佐軌道は吉則〜北川間2.6kmの馬車軌道で、途中に下市駅(美祢市大嶺町東分。1922〜1935)を設置している。
伊佐軌道の起点となる吉則駅(美祢市大嶺町東分。1922〜1935)は美禰軽便線の吉則駅と同一ではなく、美禰軽便線の吉則駅の南西に設置していた。
9月2日 伊佐〜於福間の路線名称を美禰線に変更する。 軽便線という呼称を廃止したことに伴う改称。
1924年
(大正13年)
3月23日 美禰線於福〜正明市間が開業し、中間駅として渋木・長門湯本両駅が設置される。 この当時の正明市駅は現在の長門市駅(長門市東深川)。
美禰線が大嶺線を編入したことにより美禰線は厚狭〜伊佐〜大嶺間及び伊佐〜正明市間の鉄道路線に再編される。
11月3日 正明市〜長門三隅間が開業する。
1925年
(大正14年)
4月3日 長門三隅〜萩間が開業し、中間駅として三見・玉江両駅が設置される。
11月1日 萩〜東萩間が開業する。
1928年
(昭和3年)
11月1日 大津郡深川村が町制施行して大津郡深川町が発足する。
12月9日 支線として正明市〜黄波戸間が開業する。 正明市〜黄波戸間の鉄道路線について名称を付けずに美禰線の支線とした理由は不明。
1929年
(昭和4年)
4月1日 厚狭郡厚狭町が厚狭郡出合村を編入する。
4月24日 東萩〜奈古間が開業し、中間駅として長門大井駅(萩市大井)が開業する。
10月13日 支線の黄波戸〜長門古市間が開業する。
1930年
(昭和5年)
3月X日 伊佐軌道が旅客営業を休止する。 正確な休止日は不明。短距離だったことから利用が伸びなかったことが理由と思われる。
以後1947年(昭和22年)3月5日に鉄道自体が廃止されるまで貨物線として営業した。
5月15日 支線の正明市〜仙崎間が貨物線として開業する。 正明市〜仙崎間の鉄道路線について名称を付けずに美禰線の支線とした理由は不明。
12月7日 支線の長門古市〜阿川間が開業し、中間駅として人丸・伊上・長門粟野各駅が設置される。 開業区間の終点となる阿川駅(下関市豊北町阿川)は幡生方面から延びてきた鉄道路線、すなわち小串線の終点駅だったため長門古市〜阿川間の開業により長門大井〜幡生間の鉄道路線が一本化されたがこの時は路線名称の変更は行われなかった。
1931年
(昭和6年)
11月15日 奈古〜宇田郷間が開業し、中間駅として木与駅(阿武郡阿武町木与)が開業する。
1933年
(昭和8年)
2月24日 山陰本線須佐〜宇田郷間が開業したことに伴い路線再編が実施され、美禰線は厚狭〜伊佐〜大嶺間及び伊佐〜正明市間の鉄道路線に縮小される。 美禰線のうちの宇田郷〜正明市〜阿川間及び正明市〜仙崎間が小串線の全線、すなわち阿川〜幡生間とともに山陰本線に編入されたことによる。
7月26日 山陰本線正明市〜仙崎間の旅客営業が開始される。
1935年
(昭和10年)
3月10日 伊佐軌道の旅客営業が廃止される。
1939年
(昭和14年)
5月1日 美祢郡大嶺村が町制施行して美祢郡大嶺町が発足する。
1947年
(昭和22年)
3月5日 伊佐軌道が廃止される。
8月12日 伊佐軌道跡地を活用した宇部興産(現:UBE〔東京都港区芝浦一丁目〕)の専用鉄道が開業する。 現在は企業再編によりUBE三菱セメント(東京都千代田区内幸町二丁目)の専用鉄道となっているが美祢線の貨物営業廃止により休止状態にある。「Googleストリートビュー」を見ると道路との平面交差箇所に踏切は廃止している旨の看板が立てられていることや道路との平面交差箇所のレールが撤去されていることが確認できることから既に廃止されていると考えても良いのかもしれないのだが多くの地図には今でも線路が描かれていることやUBE三菱セメント側が正式に廃止したことを発表していないことから本サイトでは休止中と見なすことにしている。
1949年
(昭和24年)
1月1日 伊佐駅が南大嶺駅に改称される。
6月1日 国有化された鉄道路線を運営する組織として日本国有鉄道(東京都千代田区丸の内一丁目。1949〜1987)が発足し、美禰線はその管轄下に入る。
1952年
(昭和27年)
12月4日 政令第477号により一級国道2号線と一級国道9号線が即日発足する。 一級国道9号線は美祢線の沿線地域には単独区間を有していないが一級国道2号線と重用して通過しているためここで取り上げている。
1953年
(昭和28年)
5月18日 政令第96号により二級国道191号下関・益田線が即日発足する。
1954年
(昭和29年)
1月20日 建設省告示第16号により下関・長門線と下関・萩線(1954〜1994)、仙崎港線、美祢・豊田線(1954〜1965)、美祢・長門線(1954〜1971)が主要地方道に指定される。 1954年(昭和29年)1月20日建設省告示第16号では下関・長門線は下関・深川線、下関・萩線は下関・大嶺・萩線、仙崎港線は深川・仙崎線、美祢・豊田線は大嶺・西市線、美祢・長門線は深川・大嶺線としてそれぞれ記載されている。
3月31日 大津郡仙崎・深川両町及び通・俵山両村が統合して長門市が発足する。
豊浦郡豊田前町と美祢郡伊佐・大嶺両町及び於福・西厚保・東厚保各村が統合して美祢市が発足する。
11月16日 山口県告示第761号により下関・長門線と下関・萩線、美祢・豊田線が、山口県告示第762号により仙崎港線と美祢・長門線がそれぞれ発足する。 発足した県道路線はいずれも主要地方道路線。
1956年
(昭和31年)
9月30日 厚狭郡厚狭・埴生両町が統合して厚狭郡山陽町が発足する。
1958年
(昭和33年)
7月25日 長門湯本〜正明市間に板持駅(長門市西深川)が設置される。 この時点の美禰線の中間駅としては初めて列車交換施設を有しない駅(停留所)として開業。
10月1日 山口県告示第644号の2で 発足した県道路線はいずれも一般県道路線。
山口県告示第644号の3で 廃止された県道路線はいずれも一般県道路線(旧道路法時代〔1920〜1952〕に発足したものを含む)。
1960年
(昭和35年)
9月10日 気動車準急列車「やくも」号(1959〜1965)の編成の一部が美禰線を経由するようになる。 山陰本線を経由していた「やくも」号の一部編成について下り列車は正明市駅で、上り列車は下関駅でそれぞれ山陰本線経由の編成と美禰線・山陽本線経由の編成を分割し、下り列車は下関駅で、上り列車は長門市駅でそれぞれ山陰本線経由の編成と美禰線・山陽本線経由の編成を併合するようにしたため。
「やくも」号は美禰線としては初めての優等列車となった。
1962年
(昭和37年)
11月1日 正明市駅が長門市駅に改称される。
1963年
(昭和38年)
4月1日 気動車準急列車「あきよし」号(1960〜1985)の編成の一部が美禰線を経由するようになる。 「あきよし」号の編成の一部が東萩駅(萩市椿東)発着になったことによる(分割・併合は厚狭駅で実施)。
10月1日 路線名称を美禰線から美祢線に変更する。
路線区分を厚狭〜南大嶺〜大嶺間及び南大嶺〜長門市間から厚狭〜南大嶺〜長門市間及び南大嶺〜大嶺間に変更する。
吉則駅が美祢駅に改称される。
湯ノ峠〜厚保間に列車交換を目的とした信号場として松ヶ瀬信号場(山陽小野田市厚狭。1963〜1997)が設置される。
1965年
(昭和40年)
10月1日 「やくも」号が「やえがき」号(1965〜1968)に改称される。 「やくも」号が「やえがき」号に改称したのは「やくも」という愛称が1965年(昭和40年)10月1日実施の日本国有鉄道の列車時刻改正で新大阪〜浜田間(JR福知山線経由)に設定された気動車特急列車の愛称として使用されることになったことによる(但し使用する車両が確保できなかったことから運行開始は列車時刻改正実施1ヶ月後の1965年〔昭和40年〕11月1日になった)。
※新大阪〜浜田間に設定された「やくも」号は1972年(昭和47年)3月15日実施の日本国有鉄道の列車時刻改正で廃止されている。その列車時刻改正で今度は岡山〜出雲市・益田間に設定された気動車特急列車の愛称に使用されることになったことが主たる理由である。この「やくも」号が現在岡山〜出雲市間に設定されている電車特急列車「やくも」号の始まりとなっている。
1966年
(昭和41年)
3月5日 「あきよし」号が急行列車に昇格する。
1968年
(昭和43年)
10月1日 「やえがき」号が「さんべ」号(1968〜1997)に改称した上で急行列車に昇格する。 山陰地方中央部と九州地方を結んでいた気動車急行列車「なかうみ」号(1965〜1968)と客車夜行急行列車「しまね」号(1965〜1968)、気動車準急列車「やえがき」号について種別・名称統一を図ったことによる。
1969年
(昭和44年)
3月29日 厚狭〜湯ノ峠間に列車交換を目的とした信号場として鴨ノ庄信号場(山陽小野田市厚狭)が設置される。
12月4日 政令第280号により国道316号線の発足が決定する。
1970年
(昭和45年)
4月1日 国道316号線が発足する。 国道316号線は主要地方道美祢・長門線と一般県道美祢・山陽線(1958〜1971)を再編して発足した美祢市初の国道路線。
国道316号線の発足により当時山口県に存在した全ての市(13市)に国道路線が通るようになった。
1971年
(昭和46年)
2月9日 山口県告示第100号により主要地方道美祢・長門線と一般県道美祢・山陽線が廃止される。 主要地方道美祢・長門線と一般県道美祢・山陽線の廃止はともに国道316号線の一部に再編されたことによる。
1974年
(昭和49年)
7月31日 E2A中国自動車道小郡インターチェンジ(現:小郡ジャンクション・インターチェンジ〔山口市小郡上郷〕)〜小月インターチェンジ(下関市小月幸町)間が開通する。 小郡インターチェンジが小郡ジャンクション・インターチェンジに改称したのは2016年(平成28年)3月27日にE2A中国自動車道と自動車専用道路として建設された主要地方道山口・宇部線(山口・宇部道路)との接続路が開通したことによる。なお、小郡ジャンクション・インターチェンジを介して国道9号線と主要地方道山口・宇部線を往来することはできない。
この時の開通区間は美祢市内を貫通しており、美祢市内には1箇所の接続施設(美祢インターチェンジ〔美祢市伊佐町伊佐〕)と4箇所の休憩施設(美東サービスエリア〔下り線:美祢市美東町真名/上り線:美祢市美東町真名〕と伊佐パーキングエリア〔下り線:美祢市伊佐町堀越/上り線:美祢市伊佐町堀越〕)が設置された。
11月12日 政令第364号により国道376号線の発足が決定する。
1975年
(昭和50年)
4月1日 国道376号線が発足する。 国道376号線は美祢市と岩国市周東地区を結ぶ国道路線として発足。
1980年
(昭和55年)
6月28日 国道316号線の長門市・美祢市境付近の改良が完成する。 大ヶ峠トンネル(延長:1,065m)を含めたバイパスが開通したことによる。
1981年
(昭和56年)
4月30日 政令第153号により国道435号線の発足が決定する。
1982年
(昭和57年)
4月1日 国道435号線が発足する。 国道435号線は山口市と下関市豊北地区を結ぶ国道路線として発足。国道376号線のうちの一部区間(美祢市〜山口市間)と主要地方道美祢・豊北線(1965〜1983)の全区間を再編して発足した。
なお、国道376号線は山口市と岩国市周東地区を結ぶ国道路線に再編され、現在に至っている。
※国道376号線を山口県を縦貫する国道路線、言い換えれば下関市豊北地区と岩国市周東地区を結ぶ国道路線にしなかった理由は定かではない。下関市豊北地区と岩国市周東地区を一つの国道路線で結ぶ意義が見出しにくかったことや山口県の県庁所在地・山口市で路線を分割したほうが好ましいとする考え方が多かったことが背景にあったのではないかと思われる。
1984年
(昭和59年)
2月1日 南大嶺〜大嶺間の貨物営業が廃止される。
1985年
(昭和60年)
3月14日 日本国有鉄道の列車時刻改正で「あきよし」号が廃止され、なおかつ「さんべ」号の長門市・下関両駅における分割・併合が取りやめになり、全編成が山陰本線経由になったことにより線内を通る優等列車が消滅する。
3月27日 国道316号線の自動車通行不能区間が解消される。 角石峠(標高:約280m)付近に存在した自動車通行不能区間を迂回する目的でその西方に建設していたバイパスが開通したことによる。
なお、角石峠は幅こそ狭いのだが自動車は通行できる状況にあること(「Googleストリートビュー」が撮影しているので通行できるのは確実である)から実際は通行できたものの道路地図の出版元が通行を推奨しない意味であえて通行不能扱いにしたことも考えられるところである。
1987年
(昭和62年)
4月1日 日本国有鉄道の分割・民営化により発足した西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)の管轄路線となる。
重安〜長門市間の貨物営業が廃止される。
1993年
(平成5年)
5月11日 建設省告示第1,270号により下関・美祢線及び美祢・油谷線の主要地方道指定と下関・萩線の主要地方道指定解除が決定する。
12月1日 厚狭〜長門市間についてキハ120形気動車が導入される。
1994年
(平成6年)
3月15日 山口県告示第210号により主要地方道下関・美祢線が発足する。 下関・美祢線は主要地方道下関・萩線のうちの国道262号線や国道435号線、国道490号線、主要地方道萩・秋芳線に再編されなかった区域をもって発足。
3月29日 山口県告示第259号により主要地方道下関・萩線が廃止される。 下関・萩線の廃止は国道262号線や国道435号線、国道490号線、主要地方道下関・美祢線、主要地方道萩・秋芳線に再編されたことによる。
1995年
(平成7年)
3月31日 山口県告示第261号により一般県道長門・秋芳線が発足する。 一般県道市野尾・秋芳線(1959〜1995)が路線延長して終点を長門市渋木から長門市深川湯本に変更したことで路線名称に市野尾(長門市渋木の小字。地図では市ノ尾になっている)が使えなくなったことによる。
山口県告示第262号により市野尾・秋芳線と大嶺停車場線、渋木停車場線、四郎ヶ原停車場線、長門湯本停車場線が廃止される。 廃止された県道路線はいずれも一般県道路線。
市野尾・秋芳線の廃止は路線延長により路線名称に市野尾が使えなくなったことによる。
大嶺停車場線と渋木停車場線、四郎ヶ原停車場線、長門湯本停車場線の廃止理由ははっきりしないのだが、1995年(平成7年)3月31日山口県告示第262号により廃止された一般県道路線21路線中19路線が鉄道の駅と幹線道路を結ぶ路線だったことや鉄道の駅と幹線道路を結ぶ路線の区域は全て通過自治体に移管されていることから山口県が財政事情が厳しくなったことや人口が減少したことなどを理由として利用が少ない駅に通じる県道路線を整理対象にしたことが考えられる。
大嶺停車場線と四郎ヶ原停車場線は美祢市に、渋木停車場線と長門湯本停車場線は長門市にそれぞれ移管されている(移管後の路線名称は長門市・美祢市とも市道路線網図を公開していないため不明)。
1997年
(平成9年)
3月22日 松ヶ瀬信号場が廃止される。 貨物列車の削減により列車交換の機会が減ったことと自動車では赴くのが難しい場所にあったことが廃止された理由と思われる。
4月1日 南大嶺〜大嶺間が廃止される。 最終運行日は1997年(平成9年)3月31日。
9月13日 E2A中国自動車道美祢インターチェンジ〜小月インターチェンジ間に美祢西インターチェンジ(美祢市西厚保町本郷)が設置される。 美祢西インターチェンジ設置時点で現在美祢西インターチェンジ〜小月インターチェンジ間に存在する下関ジャンクション(下関市吉田地方)は建設中だった(2001年〔平成13年〕3月11日山陽自動車道宇部ジャンクション〔宇部市東岐波〕〜下関ジャンクション間開通と同時に供用開始)。
1998年
(平成10年)
1月6日 山口県告示第2号により一般県道厚狭停車場・郡線が発足する。 厚狭停車場・郡線は厚狭駅南口駅前広場と国道2号線(国道9号線重用)厚狭バイパスを結ぶ路線。
厚狭駅へのJR山陽新幹線停車駅設置(1999年〔平成11年〕3月13日)に伴う厚狭駅南口駅前広場整備への支援で県道路線を発足させたものと思われる。
厚狭停車場・郡線の発足により厚狭駅は北口・南口双方にそこを起終点とする都道府県道路線を持つ稀有な駅となった(山口県には他にJR山陽新幹線・山陽本線・宇部線・山口線新山口駅〔山口市小郡令和一丁目〕があるだけである)。
山口県告示第3号により一般県道迫田・梶・厚狭線(1958〜1998)が一般県道津布田・郡線に改称される。 迫田・梶・厚狭線の一般県道津布田・郡線への改称は国道2号線(国道9号線重用)厚狭バイパス郡出入口(山陽小野田市郡)を境に一般県道厚狭停車場・郡線と一般県道津布田・郡線に再編したことによる。本来なら迫田・梶・厚狭線の廃止→厚狭停車場・郡線及び津布田・郡線の認定という手順を踏むべきなのだがそのようにしなかった理由は不明。
迫田・梶・厚狭線のうち厚狭停車場・郡線及び津布田・郡線のどちらにも再編されなかった部分は厚狭郡山陽町に移管され、現在は山陽小野田市道千町・広瀬線になっている。
1999年
(平成11年)
3月13日 厚狭駅に山陽新幹線の列車が停車するようになる。
2005年
(平成17年)
3月22日 小野田市と厚狭郡山陽町が統合して山陽小野田市が発足する。 この異動で所属自治体がなくなった厚狭郡は消滅している。
長門市と大津郡日置・三隅・油谷各町が統合して改めて長門市が発足する。 この異動で所属自治体がなくなった大津郡は消滅している。
2008年
(平成20年)
3月21日 美祢市と美祢郡周東・美東両町が統合して改めて美祢市が発足する。 この異動で所属自治体がなくなった美祢郡は消滅している。
2009年
(平成21年)
10月19日 JR宇部線宇部岬駅(宇部市松山町五丁目)と重安駅(美祢市大嶺町北分)を結んでいた石灰石を運搬する貨物列車が廃止される。 最終運行日は2009年(平成21年)10月18日。
2010年
(平成22年)
7月15日 梅雨末期の集中豪雨で甚大な被害を受け、翌2011年(平成23年)9月25日まで約1年2ヶ月間にわたって不通になる。
2014年
(平成26年)
4月1日 厚狭〜重安間の貨物営業が廃止されたことにより全線での貨物営業が廃止される。 最終運行日は2013年(平成25年)7月27日(JR山陰本線岡見駅〔浜田市三隅町岡見〕と重安駅をJR山口線経由で結んでいた貨物列車が山口線が集中豪雨で被災したことで2013年〔平成25年〕7月28日以降運休したことと顧客だった中国電力三隅発電所〔浜田市三隅町岡見〕で問題が起きたことなどから再開されず、そのまま廃止に追い込まれた)。
2019年
(令和元年)
9月8日 E9山陰自動車道(国道491号線長門・俵山道路)長門湯本温泉インターチェンジ(長門市深川湯本)〜俵山北インターチェンジ(長門市俵山)間が開通する。
2023年
(令和5年)
6月30日 集中豪雨で甚大な被害を受ける。 この日の昼頃から現在に至るまで運休が続いている。
現時点では鉄道としての復旧を断念する方針が定まったところであり、正式に鉄道としての廃止が決まったわけではない。
もし正式に鉄道としての廃止が決まった場合はこの日が最終運行日となる。