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学園祭に最適な時期って…(2018年〔平成30年〕10月7日公開)

 昨日、すなわち10月6日は私の母校・下関市立大学(下関市大学町二丁目)の学園祭、すなわち第57回馬関祭の第一日目になるはずであった。しかし、こちら(下関市立大学公式サイト内の当該ページ)とこちら(下関市立大学・大学祭実行委員会事務局公式サイト)とこちら(下関市立大学・大学祭実行委員会事務局Twitterページ)をご覧頂ければ分かる通り、台風25号の接近に伴い第57回馬関祭の第一日目の行事は全て中止ということになった。今のところ残りの2日間、すなわち10月7・8両日は天候が回復するとのことであり、大幅な変更は伴うものの学園祭は開催されるようであるが、折角この日に向けて準備してきた後輩達の思いはいかばかりであろうか。
 実は台風の影響により下関市立大学の学園祭の日程に大幅な変更が生じたのは今回だけではない。今から4年前、すなわち2014年(平成26年)秋に開催された第53回馬関祭でも台風19号の影響に伴い10月11〜13日の3日間開催する予定だった学園祭のうち最終日の10月13日の行事は全て中止せざるを得なくなったということがあった(そのことはこちらにも書いている)。下関市立大学の学園祭が10月第二月曜日(注1)に定められた祝日、すなわち体育の日(注2)とその直前の土曜日・日曜日の3日間に開催されるようになったのは2013年(平成25年)秋に開催された第52回馬関祭からである(注3)が、それからの6回で2度も台風の影響で開催期間を短縮し、企画を大幅に変更せざるを得なくなったことを関係者はどのように感じているのだろうか。
 それにしても驚いたのは2010年代に入ってから下関市立大学の学園祭は10月上旬から10月中旬にかけての時期に開催されるようになったことである(注4)。自分が下関市立大学の学生だった頃(1990〜1994年〔平成2〜6年〕)は10月下旬から11月上旬にかけての時期に開催していた(注3)から20日前後早い時期に行うようになったというわけであるが、その背景にあるのはやはり確実に連休となる10月第二月曜日(注1)に定められた祝日、すなわち体育の日(注2)とその直前の土曜日・日曜日の3日間に開催すれば多くの来場が見込めるという思惑なのだろう。考えてみれば自分が下関市立大学の学生だった頃はまだ土曜日は公立学校は休みではなかった(注5)し、体育の日は10月10日で固定されていた(注6)からこの開催期間繰り上げは時代の流れに合わせた改革と見ることもできよう。
 しかし、この改革には多くの問題点がある。それを挙げると次の通りになる。
・10月上旬から10月中旬にかけての時期は年によるのだがまだ暑さが残ることがあること。
・10月上旬から10月中旬にかけての時期は台風が襲来する恐れが高い時期であること。
・現在下関市立大学ではこちらをご覧頂ければ分かる通り春学期(2018年度〔平成30年度〕の場合は4月1日〜9月23日(注7))と秋学期(2018年度〔平成30年度〕の場合は9月24日〜2019年〔平成31年〕3月31日(注8))に分かれているのだが、第57回馬関祭は秋学期が始まってから2週間ほどで開催されること。
 更に私が下関市立大学・大学祭実行委員会事務局Twitterページを見ていて感じたのだが、最近の大学祭実行委員会事務局の日程もかなりきつくなっている感じがある。特に1年生は所属部署決定が6月後半頃となっていることやそれから学園祭までは3ヶ月半程度しかないこと、しかもその間には春学期定期試験(2018年度〔平成30年度〕の場合は7月30日〜8月7日)や夏季休業(2018年度〔平成30年度〕の場合は8月8日〜9月23日)があることを思うとかなり厳しいのでは…と思いたくなる。まあこれは実は自分達にも責任がある(注9)ので致し方ないなと思うしかないわけであるが、それでもうまく行っているのだから問題はないのだろう。
 お断りしておくが、私は下関市立大学の学園祭の日程を変えるべきだと強硬に主張する考えはないし、当然のことながら大学祭実行委員会事務局などに対して要望することも一切しない。しかし、集客力向上の裏側で天候に左右されやすいこと(注10)や部外者が日程がきつくなったように感じることはどのようにとらえているのだろうか。恐らく現在の3日間の開催期間は今後も維持されるのだろうが、公立学校が土曜日も休みになっていることを考えると金曜日・土曜日・日曜日の3日間で開催するというのも一つの手ではあろう。それならかつて学園祭を開催していた10月下旬から11月上旬にかけての時期ではいくらでも設定できるし、体育の日(注2)や文化の日(11月3日)、勤労感謝の日(11月23日)といった10〜11月にある祝日にこだわる必要もない。更に平日で集客力が落ちる金曜日は夕方から企画を行えば良いし、公立学校は現在はほとんどの場合土曜日は休みだから土曜日は全ての時間帯で多くの小学生・中学生・高校生の来場も期待できる。今書いたことは下関市立大学の学園祭が10月上旬から10月中旬にかけての時期に開催されるようになった時点では十分想定し得たことなのだが、それでも確実に連休となる10月第二月曜日(注1)に定められた祝日、すなわち体育の日(注2)とその直前の土曜日・日曜日の3日間に開催し続ける理由は何なのだろうか。
 日程を変えることに対してはいろいろな声が出るだろう。しかし、短期間に二度も台風の影響で日程を大幅に変えざるを得なかったことは由々しき問題としてとらえなければならないだろう。まあもし自分が下関市立大学に在籍していた頃のように10月下旬から11月上旬にかけての時期に開催するようにしたとしても無事に開催期間を全うできる保障はない(注11)わけであるが、このようにわずか6年で二度もこういう事態に見舞われるのなら検討しても良いのではないのだろうか。この状況が今後も頻発すれば大学祭実行委員会事務局で活動する学生の士気に大きな悪影響を及ぼし、大学祭実行委員会事務局で活動する学生の減少や学園祭の期間の更なる縮小が起きかねない。下関市立大学及びその前身の下関商業短期大学の学園祭は下関商業短期大学時代の1956年(昭和31年)11月に開学記念大学祭と銘打って開催したのを始祖として毎年開催し続けているという歴史を持っているのだが、それを今後も続けていくためにも、規模を更に縮小させないためにも、そして学生の士気を高めるためにも真剣に考えて頂きたいものだと思う。
 来年は現在の天皇陛下のいわゆる生前退位と皇太子の即位により新たな年号での初めての学園祭となる。恐らく新しい時代での学園祭を担う次の大学祭実行委員会事務局の幹部達は何らかの形で新生を期そうという考えの下で活動することになるであろう。それがどのようなものになるのか。時期が時期だけに、下関市から遠く離れたところに住んでいるだけに母校の学園祭を見に行くことは今後もないかもしれないが、後輩達の活躍を今後も注視していきたいと思っているところである。

注釈コーナー

注1:曜日パターンごとの10月第二月曜日は下表の通りになる。

※平成時代は現在の天皇陛下のいわゆる生前退位により来年4月30日で終わるため平成32年以降はあり得ない年号になるのだが、ここでは平成時代は来年5月1日以降も続くものと考えてそのあり得ない年号をあえて記している。

曜日
パターン
特徴 10月第二
月曜日に
なる日
2013年(平成25年)〜
2040年(平成52年)の
該当する年
備考
1月1日が日曜日で平年 10月9日 2017年(平成29年)
2023年(平成35年)
2034年(平成46年)
AB 1月1日が日曜日で閏年 10月8日 2040年(平成52年)
1月1日が月曜日で平年 10月8日 2018年(平成30年)
2029年(平成41年)
2035年(平成47年)
BC 1月1日が月曜日で閏年 10月14日 2024年(平成36年)
1月1日が火曜日で平年 10月14日 2013年(平成25年)
2019年(平成31年)
2030年(平成42年)
CD 1月1日が火曜日で閏年 10月13日 2036年(平成48年)
1月1日が水曜日で平年 10月13日 2014年(平成26年)
2025年(平成37年)
2031年(平成43年)
DE 1月1日が水曜日で閏年 10月12日 2020年(平成32年)
1月1日が木曜日で平年 10月12日 2015年(平成27年)
2026年(平成38年)
2037年(平成49年)
EF 1月1日が木曜日で閏年 10月11日 2032年(平成44年)
1月1日が金曜日で平年 10月11日 2021年(平成33年)
2027年(平成39年)
2038年(平成50年)
FG 1月1日が金曜日で閏年 10月10日 2016年(平成28年) 1966〜1999年(昭和41年〜平成11年)はこの日が体育の日だった。
1月1日が土曜日で平年 10月10日 2022年(平成34年)
2033年(平成45年)
2039年(平成51年)
1966〜1999年(昭和41年〜平成11年)はこの日が体育の日だった。
GA 1月1日が土曜日で閏年 10月9日 2028年(平成40年)

注2:体育の日という祝日は1964年(昭和39年)10月10日に東京夏季オリンピック大会の開会式が開催されたことから制定されたものであるが、二度目の東京夏季オリンピック大会が開催される2020年(平成32年)からはスポーツの日に改称されることになっている。但し2020年(平成32年)のスポーツの日は東京夏季オリンピック大会の開会式が開催される7月24日(金曜日)になるため10月第二月曜日がスポーツの日になるのは2021年(平成33年)からとなる。

注3:下関市立大学及びその前身の下関商業短期大学(下関市貴船町三丁目。1956〜1966)の学園祭の開催期間はこちらをご覧頂きたい。

注4:現在の下関市立大学とほぼ同じ時期に学園祭を開催するところは他にもある。例えば福山大学(福山市東村町)の学園祭・三蔵祭は今年の場合10月12〜14日に開催される(但し一般公開は10月13〜14日だけ)。
※福山大学の学園祭の名称に見える三蔵とは福山大学のある辺りの小字である。なお、福山大学の正式な所在地表記は福山市東村町三蔵985番地の1であるが、福山大学としては福山市学園町1番地三蔵という所在地表記を使っている(記すまでもないが福山市は学園町なる町字を正式に設定したことはない)。

注5:公立学校が土曜日を休みにするようになったのは1992年(平成4年)9月からである。但し当時は第二土曜日だけが休みとなっていた。その後1995年(平成7年)4月からは第四土曜日が加わり、2002年(平成14年)4月からは全ての土曜日が休みになった。

注6:体育の日が10月10日で固定されていたのは1966〜1999年(昭和41年〜平成11年)のことである。

注7:2018年度(平成30年度)の場合、その期間のうち4月1〜8日は春季休業、8月8日〜9月23日は夏季休業となっている。

注8:2018年度(平成30年度)の場合、その期間のうち12月22日〜2019年(平成31年)1月6日は冬季休業、2019年(平成31年)2月7日〜3月31日は春季休業となっている。

注9:自分が大学祭実行委員会事務局の幹部だった1992年度(平成4年度)の場合、新入生歓迎企画(当時は下関市立大学の近くにあるファミリーレストラン〔現在も営業中〕で食事をしたり下関市中心部にあったボウリング場〔現存せず〕でボウリングを楽しんだりするというものであった)などを通じて大学祭実行委員会事務局の活動に関心を持ち、大学祭実行委員会事務局の門を叩いた学生の配属先は入会と同時に決定させていた。ところが、次に挙げるような問題が生じたのである。
・入会はしたが気が変わったのかすぐに姿を見せなくなった学生がいたこと。
・入会はしたが「他のサークルとのかけ持ちがきつくなった」とか「組織環境になじめない」などと言って短期間で退会する学生が少なくなかったこと。
・部署によって1年生の取り扱いに温度差が生じたことから他の部署の1年生との強い関係が生じずに終わり、結果孤立してしまった学生が少なくなかったこと。
・研修期間(習熟期間)を持たずに所属部署を決め、活動を始めたため「思っていたものと違う」などと言い出し、それで活動から遠ざかった学生が少なくなかったこと。
・当時は入会から学園祭までの時間が半年以上もあったため活動意欲の維持などが難しかったこと(記すまでもないがそれより短い人も多数存在する)。
・特に1992年度(平成4年度)で顕著だったことなのだが、ある部署の1年生の活躍が早い時期から目立ち、他の部署との間に著しい格差が生じたこと。
まあまだ当時は大学祭実行委員会事務局が大所帯組織に転じてから日が浅かったことや組織体系も完全に固まり切っていなかったこと、試行錯誤を繰り返していた時期だったこともあり、致し方なかった面はあるのだが、私は今でも当時の1年生には大変申し訳ないことをしてしまったなという思いを抱いているところである。
本文では現在の日程はかなりきつくなっている感じがあると書いたのだが、一方で評価したいのは本当に大学祭実行委員会事務局で活動したいのかどうかを見極める姿勢を持っていることや面接を行って所属部署を決めること、自分達が幹部だった当時と同じくしものせき海峡まつり(毎年5月2〜4日)などの年中行事に手伝いに出ていること、そして所属部署決定までに球技大会などを行い、組織の結束を図ろうとしていることである。また、私が幹部だった1992年(平成4年)から始めた、神上寺(下関市豊田町江良)での合宿が現在も続いているのも嬉しく感じているところである(合宿自体は1991年〔平成3年〕以前も行っていたが神上寺に場所を固定したのは1992年〔平成4年〕からである)。その成果のほどは分からないのだが、自分達の代の残した課題が克服され、組織結束力の強化や活況を呈する学園祭の継続に繋がっていること、そして現在も大所帯組織を維持していること(自分達が幹部だった当時は119人〔第31回馬関祭のパンフレットによる〕だったが、2015年度〔平成27年度〕には160人になっていたという…〔下関市立大学Facebookページによる〕。自分達の時より更に大所帯になっていたことには驚かされたものである)は間違いのないことであろう。

注10:学園祭で必ずと言って良いほどあることは降雨に見舞われることである。自分が1992〜1995年(平成4〜7年)に撮影した、大学祭実行委員会事務局に関する写真(現在もネガフィルムは自宅で保存している。自分のアルバムに収めているものは後に自分が見るために焼き増ししたものであり、大学祭実行委員会事務局に持っていって関係者に公開したものではない〔多分もう残っていないだろう〕)を見ると第31回馬関祭の最終日(1992年〔平成4年〕)11月3日)や第32回馬関祭の初日(1993年〔平成5年〕10月29日)に雨が降っていたことが分かる。無論雨天でも支障がない限りは企画は実施される。

自分が撮影した写真のネガフィルムを保存しているファイル

第31回馬関祭最終日(1992年〔平成4年〕)11月3日)の一風景(肖像権擁護のため顔が映っている部分は加工している)。
企画の司会者が傘を差していることや舞台の板が濡れていることから雨が降っていることが分かる。

第32回馬関祭初日(1993年〔平成5年〕10月29日)の一風景。
広場のアスファルトが濡れていることや水たまりらしきものがあることから雨が降っていたことが分かる。

注11:台風は夏から秋にかけて日本列島に襲来する傾向が高いが、1990年(平成2年)の台風28号のように11月下旬に襲来した例もある。だから10月下旬から11月上旬にかけての時期に学園祭の開催期間を移したとしても油断はできない。