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今年で終止符を打って欲しいこと(2018年〔平成30年〕10月27日公開)
平成時代最後となる今年のプロ野球日本選手権シリーズ試合、すなわち日本シリーズはセントラルリーグ優勝球団でクライマックスシリーズを勝ち抜いた広島東洋カープ(注1)と、パシフィックリーグ2位で同じくクライマックスシリーズを勝ち抜いた福岡ソフトバンクホークス(注1)との対決となった。どちらも人口が多い三大都市(東京・名古屋・大阪)及びその周辺から離れたところに本拠地を持つ球団であり、最も盛り上がらない日本シリーズの対戦カードと揶揄(やゆ)する方も少なくない(注2)のだが、どちらも地元を中心に熱狂的なファンの多い球団であることや初めての顔合わせになることなどから注目の対決になることは間違いないであろう。
本音を記せば広島東洋カープと埼玉西武ライオンズの27年ぶりの対決(注3)を見たかったところ(注4)なのだが、こうなっては致し方ない。しかし、なかなかかなわなかった対戦カード(注5)での日本シリーズである。どのような対戦になるのか、今から楽しみにしているところである。
そんな中、日本シリーズに出場するセントラルリーグに属する球団を巡ってある残念なデータがいくつかある。それは次の通りである。
1 セントラルリーグに属する球団は5年続けて日本シリーズで優勝していないこと。
まずは下表をご覧頂きたい。下表は1950〜2018年(昭和25年〜平成30年)の日本シリーズの出場球団と戦績をセントラルリーグ所属球団基準で記し、なおかつ日本シリーズ優勝球団を赤太字で表記したものである。
回 | 開催年 | セントラルリーグの 出場球団 |
戦績 | パシフィックリーグの 出場球団 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1950年 (昭和25年) |
松竹ロビンス | 2勝4敗 | 毎日オリオンズ | |
2 | 1951年 (昭和26年) |
読売ジャイアンツ | 4勝1敗 | 南海ホークス | |
3 | 1952年 (昭和27年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗 | 南海ホークス | |
4 | 1953年 (昭和28年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗1分 | 南海ホークス | |
5 | 1954年 (昭和29年) |
中日ドラゴンズ | 4勝3敗 | 西鉄ライオンズ | |
6 | 1955年 (昭和30年) |
読売ジャイアンツ | 4勝3敗 | 南海ホークス | |
7 | 1956年 (昭和31年) |
読売ジャイアンツ | 2勝4敗 | 西鉄ライオンズ | |
8 | 1957年 (昭和32年) |
読売ジャイアンツ | 4敗1分 | 西鉄ライオンズ | |
9 | 1958年 (昭和33年) |
読売ジャイアンツ | 3勝4敗 | 西鉄ライオンズ | |
10 | 1959年 (昭和34年) |
読売ジャイアンツ | 4敗 | 南海ホークス | |
11 | 1960年 (昭和35年) |
大洋ホエールズ | 4勝 | 毎日大映オリオンズ | |
12 | 1961年 (昭和36年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗 | 南海ホークス | |
13 | 1962年 (昭和37年) |
阪神タイガース | 2勝4敗1分 | 東映フライヤーズ | |
14 | 1963年 (昭和38年) |
読売ジャイアンツ | 4勝3敗 | 西鉄ライオンズ | |
15 | 1964年 (昭和39年) |
阪神タイガース | 3勝4敗 | 南海ホークス | |
16 | 1965年 (昭和40年) |
読売ジャイアンツ | 4勝1敗 | 南海ホークス | |
17 | 1966年 (昭和41年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗 | 南海ホークス | |
18 | 1967年 (昭和42年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗 | 阪急ブレーブス | |
19 | 1968年 (昭和43年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗 | 阪急ブレーブス | |
20 | 1969年 (昭和44年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗 | 阪急ブレーブス | |
21 | 1970年 (昭和45年) |
読売ジャイアンツ | 4勝1敗 | ロッテオリオンズ | |
22 | 1971年 (昭和46年) |
読売ジャイアンツ | 4勝1敗 | 阪急ブレーブス | |
23 | 1972年 (昭和47年) |
読売ジャイアンツ | 4勝1敗 | 阪急ブレーブス | |
24 | 1973年 (昭和48年) |
読売ジャイアンツ | 4勝1敗 | 南海ホークス | |
25 | 1974年 (昭和49年) |
中日ドラゴンズ | 2勝4敗 | ロッテオリオンズ | |
26 | 1975年 (昭和50年) |
広島東洋カープ | 4敗2分 | 阪急ブレーブス | |
27 | 1976年 (昭和51年) |
読売ジャイアンツ | 3勝4敗 | 阪急ブレーブス | |
28 | 1977年 (昭和52年) |
読売ジャイアンツ | 1勝4敗 | 阪急ブレーブス | |
29 | 1978年 (昭和53年) |
ヤクルトスワローズ | 4勝3敗 | 阪急ブレーブス | |
30 | 1979年 (昭和54年) |
広島東洋カープ | 4勝3敗 | 近鉄バファローズ | |
31 | 1980年 (昭和55年) |
広島東洋カープ | 4勝3敗 | 近鉄バファローズ | |
32 | 1981年 (昭和56年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗 | 日本ハムファイターズ | 全ての試合が同じ球場(後楽園球場〔東京都文京区後楽一丁目。1937〜1987〕)で行われた唯一の日本シリーズ。 |
33 | 1982年 (昭和57年) |
中日ドラゴンズ | 2勝4敗 | 西武ライオンズ | |
34 | 1983年 (昭和58年) |
読売ジャイアンツ | 3勝4敗 | 西武ライオンズ | |
35 | 1984年 (昭和59年) |
広島東洋カープ | 4勝3敗 | 阪急ブレーブス | |
36 | 1985年 (昭和60年) |
阪神タイガース | 4勝2敗 | 西武ライオンズ | |
37 | 1986年 (昭和61年) |
広島東洋カープ | 3勝4敗1分 | 西武ライオンズ | 第8戦まで開催された唯一の日本シリーズ。 |
38 | 1987年 (昭和62年) |
読売ジャイアンツ | 2勝4敗 | 西武ライオンズ | |
39 | 1988年 (昭和63年) |
中日ドラゴンズ | 1勝4敗 | 西武ライオンズ | |
40 | 1989年 (平成元年) |
読売ジャイアンツ | 4勝3敗 | 近鉄バファローズ | |
41 | 1990年 (平成2年) |
読売ジャイアンツ | 4敗 | 西武ライオンズ | |
42 | 1991年 (平成3年) |
広島東洋カープ | 3勝4敗 | 西武ライオンズ | |
43 | 1992年 (平成4年) |
ヤクルトスワローズ | 3勝4敗 | 西武ライオンズ | |
44 | 1993年 (平成5年) |
ヤクルトスワローズ | 4勝3敗 | 西武ライオンズ | |
45 | 1994年 (平成6年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗 | 西武ライオンズ | |
46 | 1995年 (平成7年) |
ヤクルトスワローズ | 4勝1敗 | オリックス・ブルーウェーブ | |
47 | 1996年 (平成8年) |
読売ジャイアンツ | 1勝4敗 | オリックス・ブルーウェーブ | |
48 | 1997年 (平成9年) |
ヤクルトスワローズ | 4勝1敗 | 西武ライオンズ | |
49 | 1998年 (平成10年) |
横浜ベイスターズ | 4勝2敗 | 西武ライオンズ | |
50 | 1999年 (平成11年) |
中日ドラゴンズ | 1勝4敗 | 福岡ダイエーホークス | |
51 | 2000年 (平成12年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗 | 福岡ダイエーホークス | |
52 | 2001年 (平成13年) |
ヤクルトスワローズ | 4勝1敗 | 大阪近鉄バファローズ | |
53 | 2002年 (平成14年) |
読売ジャイアンツ | 4勝 | 西武ライオンズ | |
54 | 2003年 (平成15年) |
阪神タイガース | 3勝4敗 | 福岡ダイエーホークス | |
55 | 2004年 (平成16年) |
中日ドラゴンズ | 3勝4敗 | 西武ライオンズ | |
56 | 2005年 (平成17年) |
阪神タイガース | 4敗 | 千葉ロッテマリーンズ | |
57 | 2006年 (平成18年) |
中日ドラゴンズ | 1勝4敗 | 北海道日本ハムファイターズ | |
58 | 2007年 (平成19年) |
中日ドラゴンズ | 4勝1敗 | 北海道日本ハムファイターズ | |
59 | 2008年 (平成20年) |
読売ジャイアンツ | 3勝4敗 | 埼玉西武ライオンズ | |
60 | 2009年 (平成21年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗 | 北海道日本ハムファイターズ | |
61 | 2010年 (平成22年) |
中日ドラゴンズ | 2勝4敗1分 | 千葉ロッテマリーンズ | |
62 | 2011年 (平成23年) |
中日ドラゴンズ | 3勝4敗 | 福岡ソフトバンクホークス | |
63 | 2012年 (平成24年) |
読売ジャイアンツ | 4勝2敗 | 北海道日本ハムファイターズ | |
64 | 2013年 (平成25年) |
読売ジャイアンツ | 3勝4敗 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | |
65 | 2014年 (平成26年) |
阪神タイガース | 1勝4敗 | 福岡ソフトバンクホークス | |
66 | 2015年 (平成27年) |
東京ヤクルトスワローズ | 1勝4敗 | 福岡ソフトバンクホークス | |
67 | 2016年 (平成28年) |
広島東洋カープ | 2勝4敗 | 北海道日本ハムファイターズ | |
68 | 2017年 (平成29年) |
横浜DeNAベイスターズ | 2勝4敗 | 福岡ソフトバンクホークス | |
69 | 2018年 (平成30年) |
広島東洋カープ | ?勝?敗?分 | 福岡ソフトバンクホークス |
※上表には名称が現存しない球団がいくつかあるが、その現状は下表の通りである(球団名変更時期や統合時期は便宜上いずれもそのシーズンの開始時点としている)。
リーグ名 | 現存しない球団名 | 現在の球団名 | 備考 |
---|---|---|---|
セントラル | 松竹ロビンス | (消滅) | 1953年(昭和28年)に大洋ホエールズと統合して大洋松竹(たいようしょうちく)ロビンスに移行。しかし松竹(しょうちく。東京都中央区築地四丁目)が1954年(昭和29年)に経営から撤退したため結果的に大洋ホエールズに吸収合併された格好になった。そのような事情から松竹ロビンスの歴史は横浜DeNAベイスターズの球団史においては傍系扱いとなっている。 |
大洋ホエールズ | 横浜DeNAベイスターズ | 1978年(昭和53年)に横浜大洋ホエールズに、1993年(平成5年)に横浜ベイスターズに、2012年(平成24年)に横浜DeNAベイスターズにそれぞれ改称。 | |
横浜ベイスターズ | |||
ヤクルトスワローズ | 東京ヤクルトスワローズ | 2006年(平成18年)に東京ヤクルトスワローズに改称。 | |
パシフィック | 毎日オリオンズ | 千葉ロッテマリーンズ | 1958年(昭和33年)に毎日大映オリオンズに、1964年(昭和39年)に東京オリオンズに、1969年(昭和44年)にロッテオリオンズに、1992年(平成4年)に千葉ロッテマリーンズにそれぞれ改称。 |
毎日大映オリオンズ | |||
ロッテオリオンズ | |||
南海ホークス | 福岡ソフトバンクホークス | 1989年(平成元年)に福岡ダイエーホークスに、2005年(平成17年)に福岡ソフトバンクホークスにそれぞれ改称。 | |
福岡ダイエーホークス | |||
西鉄ライオンズ | 埼玉西武ライオンズ | 1973年(昭和48年)に太平洋クラブライオンズに、1977年(昭和52年)にクラウンライターライオンズに、1979年(昭和54年)に西武ライオンズに、2008年(平成20年)に埼玉西武ライオンズにそれぞれ改称。 | |
西武ライオンズ | |||
東映フライヤーズ | 北海道日本ハムファイターズ | 1973年(昭和48年)に日拓ホームフライヤーズに、1974年(昭和49年)に日本ハムファイターズに、2004年(平成16年)に北海道日本ハムファイターズにそれぞれ改称。 | |
日本ハムファイターズ | |||
阪急ブレーブス | オリックス・バファローズ | 1989年(平成元年)にオリックス・ブレーブスに、1991年(平成3年)にオリックス・ブルーウェーブに、2005年(平成17年)にオリックス・バファローズにそれぞれ改称。 | |
オリックス・ブルーウェーブ | |||
近鉄バファローズ | (消滅) | 1999年(平成11年)に大阪近鉄バファローズに改称。 2005年(平成17年)にオリックス・ブルーウェーブと統合してオリックス・バファローズに移行。愛称こそ統合後の球団に継承されているがオリックス・ブルーウェーブに吸収合併された格好になったため近鉄バファローズ→大阪近鉄バファローズの歴史はオリックス・バファローズの球団史においては傍系扱いとなっている。 |
|
大阪近鉄バファローズ |
間に名称消滅球団の現状を紹介する表を挟んだのだが、上表、すなわち1950〜2018年(昭和25年〜平成30年)の日本シリーズの出場球団と戦績をセントラルリーグ所属球団基準で記し、なおかつ日本シリーズ優勝球団を赤太字で表記した表を見ていてあることに気付かないだろうか。それはここ5年間セントラルリーグに属する球団で日本シリーズに出場したところはどこも日本シリーズで優勝できていないということである。それまで4年続けてセントラルリーグに属する球団で日本シリーズに出場したところが日本シリーズで優勝できなかったことは何度かあった(1956〜1959年〔昭和31〜34年〕/1974〜1977年〔昭和49〜52年〕/2003〜2006年〔平成15〜18年〕の3回)のだが、昨年、すなわち2017年(平成29年)の日本シリーズで遂に最長記録になってしまったのである。いくらぶっちぎりで優勝し、なおかつクライマックスシリーズを突破したとしても、2位または3位だったがクライマックスシリーズで優勝球団を撃破し、勢いに乗っていたとしてもことごとくパシフィックリーグ側の出場球団の厚い壁にはね返されているということになるわけであるが、実はあまり知られていない更に由々しき問題がある。それは次で触れることにしたい。
2 セントラルリーグ側の出場球団はパシフィックリーグ側の出場球団の本拠地で勝てないでいること。
まずは下表をご覧頂きたい。下表は2013〜2017年(平成25〜29年)の日本シリーズの戦績をセントラルリーグ所属球団基準で記したものである。
※開催場所の正式名称は次の通りである(愛称は日本シリーズ開催当時のものを記している)。
・札幌…札幌ドーム(札幌市豊平区羊ヶ丘)
・宮城…宮城球場(愛称:日本製紙クリネックススタジアム宮城。仙台市宮城野区宮城野二丁目)
・東京…東京ドーム(東京都文京区後楽一丁目)
・神宮…明治神宮野球場(略称:神宮球場。東京都新宿区霞ヶ丘町)
・横浜…横浜スタジアム(横浜市中区横浜公園)
・甲子園…阪神甲子園球場(西宮市甲子園町)
・広島…広島市民球場(愛称:Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島。広島市南区南蟹屋二丁目)
・福岡…福岡ドーム(愛称:福岡ヤフオク! ドーム。福岡市中央区地行浜二丁目)
※球団名は次の通りである。
・G…読売ジャイアンツ
・S…東京ヤクルトスワローズ
・B…横浜DeNAベイスターズ
・T…阪神タイガース
・C…広島東洋カープ
・F…北海道日本ハムファイターズ
・E…東北楽天ゴールデンイーグルス
・H…福岡ソフトバンクホークス
開催年 | 回戦 | 開催日 | 開催場所 | 結果 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
2013年 (平成25年) |
1 | 10月26日 (土曜日) |
宮城 | G2−0E | 読売ジャイアンツ1勝/東北楽天ゴールデンイーグルス1敗。 |
2 | 10月27日 (日曜日) |
宮城 | G1−2E | 読売ジャイアンツ1勝1敗/東北楽天ゴールデンイーグルス1勝1敗。 | |
3 | 10月29日 (火曜日) |
東京 | G1−5E | 読売ジャイアンツ1勝2敗/東北楽天ゴールデンイーグルス2勝1敗。 | |
4 | 10月30日 (水曜日) |
東京 | G6−5E | 読売ジャイアンツ2勝2敗/東北楽天ゴールデンイーグルス2勝2敗。 | |
5 | 10月31日 (木曜日) |
東京 | G2−4E | 読売ジャイアンツ2勝3敗/東北楽天ゴールデンイーグルス3勝2敗。 | |
6 | 11月2日 (土曜日) |
宮城 | G4−2E | 読売ジャイアンツ3勝3敗/東北楽天ゴールデンイーグルス3勝3敗。 | |
7 | 11月3日 (日曜日) |
宮城 | G0−3E | 読売ジャイアンツ3勝4敗/東北楽天ゴールデンイーグルス4勝3敗。これにより東北楽天ゴールデンイーグルスの優勝が決定した。 | |
2014年 (平成26年) |
1 | 10月25日 (土曜日) |
甲子園 | T6−2H | 阪神タイガース1勝/福岡ソフトバンクホークス1敗。 |
2 | 10月26日 (日曜日) |
甲子園 | T1−2H | 阪神タイガース1勝1敗/福岡ソフトバンクホークス1勝1敗。 | |
3 | 10月28日 (火曜日) |
福岡 | T1−5H | 阪神タイガース1勝2敗/福岡ソフトバンクホークス2勝1敗。 | |
4 | 10月29日 (水曜日) |
福岡 | T2−5H | 阪神タイガース1勝3敗/福岡ソフトバンクホークス3勝1敗。 | |
5 | 10月30日 (木曜日) |
福岡 | T0−1H | 阪神タイガース1勝4敗/福岡ソフトバンクホークス4勝1敗。これにより福岡ソフトバンクホークスの優勝が決定した。 | |
2015年 (平成27年) |
1 | 10月24日 (土曜日) |
福岡 | S2−4H | 東京ヤクルトスワローズ1敗/福岡ソフトバンクホークス1勝。 |
2 | 10月25日 (日曜日) |
福岡 | S0−4H | 東京ヤクルトスワローズ2敗/福岡ソフトバンクホークス2勝。 | |
3 | 10月27日 (火曜日) |
神宮 | S8−4H | 東京ヤクルトスワローズ1勝2敗/福岡ソフトバンクホークス2勝1敗。 | |
4 | 10月28日 (水曜日) |
神宮 | S4−6H | 東京ヤクルトスワローズ1勝3敗/福岡ソフトバンクホークス3勝1敗。 | |
5 | 10月29日 (木曜日) |
神宮 | S0−5H | 東京ヤクルトスワローズ1勝4敗/福岡ソフトバンクホークス4勝1敗。これにより福岡ソフトバンクホークスの優勝が決定した。 | |
2016年 (平成28年) |
1 | 10月22日 (土曜日) |
広島 | C5−1F | 広島東洋カープ1勝/北海道日本ハムファイターズ1敗。 |
2 | 10月23日 (日曜日) |
広島 | C5−1F | 広島東洋カープ2勝/北海道日本ハムファイターズ2敗。 | |
3 | 10月25日 (火曜日) |
札幌 | C3−4F | 広島東洋カープ2勝1敗/北海道日本ハムファイターズ1勝2敗。 | |
4 | 10月26日 (水曜日) |
札幌 | C1−3F | 広島東洋カープ2勝2敗/北海道日本ハムファイターズ2勝2敗。 | |
5 | 10月27日 (木曜日) |
札幌 | C1−5F | 広島東洋カープ2勝3敗/北海道日本ハムファイターズ3勝2敗。 | |
6 | 10月29日 (土曜日) |
広島 | C4−10F | 広島東洋カープ2勝4敗/北海道日本ハムファイターズ4勝2敗。これにより北海道日本ハムファイターズの優勝が決定した。 | |
2017年 (平成29年) |
1 | 10月28日 (土曜日) |
福岡 | B1−10H | 横浜DeNAベイスターズ1敗/福岡ソフトバンクホークス1勝。 |
2 | 10月29日 (日曜日) |
福岡 | B3−4H | 横浜DeNAベイスターズ2敗/福岡ソフトバンクホークス2勝。 | |
3 | 10月31日 (火曜日) |
横浜 | B2−3H | 横浜DeNAベイスターズ3敗/福岡ソフトバンクホークス3勝。 | |
4 | 11月1日 (水曜日) |
横浜 | B6−0H | 横浜DeNAベイスターズ1勝3敗/福岡ソフトバンクホークス3勝1敗。 | |
5 | 11月2日 (木曜日) |
横浜 | B5−4H | 横浜DeNAベイスターズ2勝3敗/福岡ソフトバンクホークス3勝2敗。 | |
6 | 11月4日 (土曜日) |
福岡 | B3−4H | 横浜DeNAベイスターズ2勝4敗/福岡ソフトバンクホークス4勝2敗。これにより福岡ソフトバンクホークスの優勝が決定した。 |
上表をご覧頂ければうかがえることなのだが、何とセントラルリーグ側の出場球団は2013年(平成25年)の第6戦(2013年〔平成25年〕11月2日開催)を最後にパシフィックリーグ側の出場球団の本拠地で勝っていないのである。足かけ5年で12連敗(2013年〔平成25年〕…1/2014年〔平成26年〕…3/2015年〔平成27年〕…2/2016年〔平成28年〕…3/2017年〔平成29年〕…3)していることになるわけであるが、パシフィックリーグ側の出場球団の本拠地で勝てないでいることがセントラルリーグ側の出場球団の日本シリーズ5連敗の元凶になっていることは最早記すまでもないことであろう(注6)。
ちなみにセントラルリーグ側の出場球団が最後にパシフィックリーグ側の出場球団の本拠地で勝った試合というのは読売ジャイアンツが東北楽天ゴールデンイーグルスの当時の主力投手だった田中将大(たなか・まさひろ)投手を攻略し、公式戦初黒星を付けた試合であった。その年公式戦で一度も負けなかった田中将大投手に勝ったことで波に乗った読売ジャイアンツが第7戦を制し、40年ぶりの日本シリーズ連続制覇を成し遂げるのでは…と思ったのだが…(注7)。
なぜセントラルリーグに属する球団は交流戦だけでなく日本シリーズでも弱くなったのだろうか。私は次のように考えている。
・甲子園、すなわち毎年春に開催される選抜高等学校野球大会、毎年夏に開催される全国高等学校野球選手権大会で活躍し、注目された選手が新人選手選択会議、いわゆるドラフト会議の結果パシフィックリーグに属する球団に入る例が多いこと。しかもそのほとんどがプロ野球でも活躍し、注目されるようになっているのでセントラルリーグに属する球団にこういう選手がいたらどんなに良いだろうかと思いたくなる。
・パシフィックリーグでは指名打者制を導入していること。これは交流戦・オールスターゲーム・日本シリーズのパシフィックリーグ主催試合でも適用されるためパシフィックリーグに属する球団の打者は一層気が抜けない存在になり、セントラルリーグ側にとっては脅威になる(注8)。
・パシフィックリーグに属する球団の本拠地は4箇所までが屋根付き球場になっていること。反対にセントラルリーグに属する球団の本拠地で屋根付き球場なのは二つだけだから屋根付き球場で試合する環境に慣れていない可能性が考えられる。事実、交流戦創設後に日本シリーズを制したセントラルリーグに属する球団はともに屋根付き球場を本拠地とする読売ジャイアンツと中日ドラゴンズだけであるし、2013年(平成25年)以降のセントラルリーグに属する球団の日本シリーズでの連敗と2013年(平成25年)第7戦(2013年〔平成25年〕11月3日開催)から始まった日本シリーズにおけるセントラルリーグ側の出場球団のパシフィックリーグ側の出場球団での本拠地での連敗はそのほとんどが屋根付き球場で起きている。
・プロ野球がセントラルリーグとパシフィックリーグに分かれた1950年(昭和25年)と今日、すなわち2018年(平成30年)の所属球団を比較するとセントラルリーグは一切名称を変えていない球団がある(但し読売ジャイアンツだけ(注9))のに対し、パシフィックリーグは全ての球団が名称を変えていること(つまり1950年〔昭和25年〕時点で存在した球団は全てなくなっているということ)。経営難などから親会社が変わったり最悪の場合球団を統合したりするなど全ての球団が苦難の道を歩んできたわけであるが、そのことで危機感を持つように至ったことが考えられる。
・セントラルリーグに属する球団の日本シリーズでの連敗が始まった2013年(平成25年)以降のパシフィックリーグ側の出場球団の監督を見るとそのほとんどがセントラルリーグに属する球団に在籍したことがある方(注10)なのに対し、セントラルリーグ側の出場球団の監督は全員がセントラルリーグに属する球団にしか在籍していない方ばかりであること(注11)。つまり、パシフィックリーグの野球がどのようなものかを完全に理解していない可能性がある。
・セントラルリーグに属する球団の日本シリーズでの連敗が始まった2013年(平成25年)以降のセントラルリーグ側の出場球団は毎年変わっているのに対しパシフィックリーグ側の出場球団は福岡ソフトバンクホークスが2014〜2015年(平成26〜27年)・2017〜2018年(平成29〜30年)に連続出場するなどある程度限られていること(セントラルリーグ側の出場球団…5、パシフィックリーグ側の出場球団…3)。読売ジャイアンツと広島東洋カープのクライマックスシリーズでの敗退がなければセントラルリーグ側もある程度出場球団が限られていたのだが、そのことから対策が立てづらくなったことが考えられる。
・球界の盟主とされ、9年連続リーグ制覇→9年連続日本シリーズ制覇という二度と破られないであろう記録を有する読売ジャイアンツが9年連続リーグ制覇→9年連続日本シリーズ制覇(いわゆるV9)以降連続してリーグ制覇はするものの連続して日本シリーズを制することはなく、V9時代(1965〜1973年〔昭和40〜48年〕)ほどの強さが見られなくなっていること。原因として考えられるのがV9時代の指導者・選手の後継者がV9時代の最中に育(はぐく)まれなかったことやドラフト会議を導入したことで戦力の均衡化が図られたこと、世代交代が進み、第二次世界大戦前後の辛い時代を経験した選手がいなくなったことなどであるが、賛否両論はあろうが読売ジャイアンツが強かったからこそ昔のプロ野球は面白かったのではないのか。私は読売ジャイアンツは好きではないのだが、やはり読売ジャイアンツが強くないとプロ野球は面白くならないのではないかと思っている。
・監督の選出に問題があると思う面があること。例えば今季の終了をもって読売ジャイアンツの高橋由伸監督と阪神タイガースの金本知憲(かねもと・ともあき)監督がともに成績不振を理由に辞任することになったが、どちらも指導者としての経験がないのに監督に就かせたことが指揮していた3年間一度も優勝に漕ぎ着けられなかった一因になったのではないか。私として特に由々しきことだと感じているのが(何度も記すように好きではないのだが)読売ジャイアンツの監督の人材難である。高橋由伸の後任として原辰徳をまた監督に就かせた(原辰徳監督は2002〜2003年〔平成14〜15年〕・2006〜2015年〔平成18〜27年〕に監督に就任しており、これで三度目の就任となる)のだが、読売ジャイアンツには監督に推薦できる人材や反対に監督に就任することを快諾する方はいないのだろうか。更に記すならなぜ次代の指導者を育成することに努めないのだろうか。そういう状況が続く限り読売ジャイアンツは2年以上連続してリーグを制せても2年以上連続して日本シリーズを制することはできないのでは…と感じているところである。
他にもいろいろ要因はあるのだろうが、この状況が良いとは思えない。このままの状況が続くとセントラルリーグの人気、ひいてはプロ野球全体の人気にも大きな影響を及ぼしかねないし交流戦や日本シリーズをやめろと言い出す人も出かねないだろう。どのようにこの事態を打開していくかは今後各球団が考えていくことになるのだろうが、とりあえずは今回日本シリーズに出場する広島東洋カープに頑張って頂くしかない。
予想では2010年代に入ってから日本シリーズに4回出場し、いずれも優勝をさらっている福岡ソフトバンクホークスが有利という声が多い。確かに打撃陣はともかく投手陣に不安が多い広島東洋カープが果たして福岡ソフトバンクホークスに対等に渡り合えるのかなと感じるところもある。しかし、臆することなく戦えば勝機は見えてくることだろうし、セントラルリーグ側の出場球団でのパシフィックリーグ側の出場球団での本拠地での連敗、更にはセントラルリーグ側の出場球団の日本シリーズ連続敗退に終止符を打つこともできるだろう。どこまでやれるかは分からないが、平成時代最後の日本シリーズで一生懸命戦って欲しいと思う。
注釈コーナー
注1:今年のクライマックスシリーズの戦績は下表の通りである。
※開催場所の正式名称は次の通りである。
・神宮…明治神宮野球場(略称:神宮球場。東京都新宿区霞ヶ丘町)
・広島…広島市民球場(愛称:Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島。広島市南区南蟹屋二丁目)
・福岡…福岡ドーム(愛称:福岡ヤフオク! ドーム。福岡市中央区地行浜二丁目)
・西武…西武ドーム(愛称:メットライフドーム。所沢市上山口)
※球団名は次の通りである。
・C…広島東洋カープ(セントラルリーグ1位)
・S…東京ヤクルトスワローズ(セントラルリーグ2位)
・G…読売ジャイアンツ(セントラルリーグ3位)
・L…埼玉西武ライオンズ(パシフィックリーグ1位)
・H…福岡ソフトバンクホークス(パシフィックリーグ2位)
・F…北海道日本ハムファイターズ(パシフィックリーグ3位)
リーグ名 | ステージ | 開催日 | 開催場所 | 結果 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
セントラル | 第一 | 10月13日 (土曜日) |
神宮 | G4−1S | 読売ジャイアンツ1勝/東京ヤクルトスワローズ1敗。 |
10月14日 (日曜日) |
神宮 | G4−0S | 読売ジャイアンツ2勝/東京ヤクルトスワローズ2敗。これにより読売ジャイアンツの勝ち抜け決定。 なおこの試合では読売ジャイアンツの菅野智之投手が無安打無得点試合を達成している。 |
||
第二 | 10月17日 (水曜日) |
広島 | C6−1G | 優勝球団である広島東洋カープに1勝のアドヴァンテージが与えられた状態で開始。 広島東洋カープ2勝(アドヴァンテージの1勝を含む)/読売ジャイアンツ1敗。 |
|
10月18日 (木曜日) |
広島 | C4−1G | アドヴァンテージを含めて広島東洋カープ3勝/読売ジャイアンツ2敗。 | ||
10月19日 (金曜日) |
広島 | C5−1G | アドヴァンテージを含めて広島東洋カープ4勝/読売ジャイアンツ3敗。これにより広島東洋カープの日本シリーズ出場決定。 | ||
パシフィック | 第一 | 10月13日 (土曜日) |
福岡 | H8−3F | 福岡ソフトバンクホークス1勝/北海道日本ハムファイターズ1敗。 |
10月14日 (日曜日) |
福岡 | H2−4F | 福岡ソフトバンクホークス1勝1敗/北海道日本ハムファイターズ1勝1敗。 | ||
10月15日 (月曜日) |
福岡 | H5−2F | 福岡ソフトバンクホークス2勝1敗/北海道日本ハムファイターズ1勝2敗。これにより福岡ソフトバンクホークスの勝ち抜け決定。 | ||
第二 | 10月17日 (水曜日) |
西武 | H10−4L | 優勝球団である埼玉西武ライオンズに1勝のアドヴァンテージが与えられた状態で開始。 埼玉西武ライオンズ1勝1敗(アドヴァンテージの1勝を含む)/福岡ソフトバンクホークス1勝。 |
|
10月18日 (木曜日) |
西武 | H5−13L | 埼玉西武ライオンズ2勝1敗(アドヴァンテージの1勝を含む)/福岡ソフトバンクホークス1勝1敗。 | ||
10月19日 (金曜日) |
西武 | H15−4L | 埼玉西武ライオンズ2勝2敗(アドヴァンテージの1勝を含む)/福岡ソフトバンクホークス2勝1敗。 | ||
10月20日 (土曜日) |
西武 | H8−2L | 埼玉西武ライオンズ2勝3敗(アドヴァンテージの1勝を含む)/福岡ソフトバンクホークス3勝1敗。 | ||
10月21日 (日曜日) |
西武 | H6−5L | 埼玉西武ライオンズ2勝4敗(アドヴァンテージの1勝を含む)/福岡ソフトバンクホークス4勝1敗。これにより福岡ソフトバンクホークスの日本シリーズ出場決定。 |
注2:現に1989年(昭和64年/平成元年)頃だったと思うのだがある若年者向けのラジオ番組でそういう投稿が寄せられ、喋り手が話していたのを聴いた覚えがある。
注3:広島東洋カープと埼玉西武ライオンズは過去に二度日本シリーズで対戦したことがある(1986年〔昭和61年〕・1991年〔平成3年〕)。どちらも広島東洋カープが先に3勝し、王手をかけながら埼玉西武ライオンズ(当時の球団名は西武ライオンズ〔1979〜2007〕。現在の埼玉西武ライオンズに改称したのは2008年〔平成20年〕のことである)に敗れ去っている。
(参考資料:1986年〔昭和61年〕と1991年〔平成3年〕の日本シリーズの戦績表)
※開催場所の正式名称は次の通りである。
・広島…広島市民球場(広島市中区基町)
・西武…西武ライオンズ球場(所沢市上山口)
※球団名は次の通りである。
・C…広島東洋カープ
・L…西武ライオンズ
開催年 | 回戦 | 開催日 | 開催場所 | 結果 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1986年 (昭和61年) |
1 | 10月18日 (土曜日) |
広島 | C2−2L | 広島東洋カープ1分/西武ライオンズ1分。 |
2 | 10月19日 (日曜日) |
広島 | C2−1L | 広島東洋カープ1勝1分/西武ライオンズ1敗1分。 | |
3 | 10月21日 (火曜日) |
西武 | C7−4L | 広島東洋カープ2勝1分/西武ライオンズ2敗1分。 | |
4 | 10月22日 (水曜日) |
西武 | C3−1L | 広島東洋カープ3勝1分/西武ライオンズ3敗1分。 | |
5 | 10月23日 (木曜日) |
西武 | C1−2L | 広島東洋カープ3勝1敗1分/西武ライオンズ1勝3敗1分。 | |
6 | 10月25日 (土曜日) |
広島 | C1−3L | 広島東洋カープ3勝2敗1分/西武ライオンズ2勝3敗1分。 | |
7 | 10月26日 (日曜日) |
広島 | C1−3L | 広島東洋カープ3勝3敗1分/西武ライオンズ3勝3敗1分。 | |
8 | 10月27日 (月曜日) |
広島 | C2−3L | 広島東洋カープ3勝4敗1分/西武ライオンズ4勝3敗1分。これにより西武ライオンズの優勝が決定した。 | |
1991年 (平成3年) |
1 | 10月19日 (土曜日) |
西武 | C3−11L | 広島東洋カープ1敗/西武ライオンズ1勝。 |
2 | 10月20日 (日曜日) |
西武 | C4−2L | 広島東洋カープ1勝1敗/西武ライオンズ1勝1敗。 | |
3 | 10月22日 (火曜日) |
広島 | C0−1L | 広島東洋カープ1勝2敗/西武ライオンズ2勝1敗。 | |
4 | 10月23日 (水曜日) |
広島 | C7−3L | 広島東洋カープ2勝2敗/西武ライオンズ2勝2敗。 | |
5 | 10月24日 (木曜日) |
広島 | C3−0L | 広島東洋カープ3勝2敗/西武ライオンズ2勝3敗。 | |
6 | 10月26日 (土曜日) |
西武 | C1−6L | 広島東洋カープ3勝3敗/西武ライオンズ3勝3敗。 | |
7 | 10月28日 (月曜日) |
西武 | C1−7L | 広島東洋カープ3勝4敗/西武ライオンズ4勝3敗。これにより西武ライオンズの優勝が決定した。 |
注4:もし今年の日本シリーズで広島東洋カープと埼玉西武ライオンズが対戦した場合、次に挙げる点が注目されることになっていたものと思われる。
・27年ぶりに対決することになったこと。
・過去二度王手をかけながらいずれも埼玉西武ライオンズに敗れ去った広島東洋カープがその時の屈辱を晴らせるかどうかということ。
・両球団の監督が同じ県(佐賀県)の出身であること(広島東洋カープの緒方孝市監督は鳥栖〔とす〕市出身、埼玉西武ライオンズの辻発彦監督は小城〔おぎ〕市出身)。
・更に広島東洋カープの緒方孝市監督と埼玉西武ライオンズの辻発彦監督はどちらも広島東洋カープと埼玉西武ライオンズが対戦した1991年(平成3年)の日本シリーズに選手として出場していること(当時の在籍球団は緒方孝市監督が広島東洋カープ、辻発彦監督が西武ライオンズ。ちなみに福岡ソフトバンクホークスの工藤公康監督も1991年〔平成3年〕の日本シリーズに西武ライオンズの選手として出場している)。
・どちらの球団にも今季をもって引退することを表明した名選手がいること(広島東洋カープ…新井貴浩内野手/埼玉西武ライオンズ…松井稼頭央〔まつい・かずお〕外野手)。
・どちらも打高投低の状態でリーグを制していること。
注5:日本シリーズにおける広島東洋カープ対福岡ソフトバンクホークス戦がなかなか実現しなかった理由は次の通りである。
・1950〜1970年代は福岡ソフトバンクホークス、すなわち当時の南海ホークス(1947〜1988)が強かった時代であるが、その頃の広島カープ(1950〜1967)→広島東洋カープはずっとBクラスをさまよい続けていたこと。
・広島東洋カープがようやくリーグを制するようになったのは1970年代中期であるが、その頃から福岡ソフトバンクホークス、すなわち当時の南海ホークスは成績が低迷し始め、ずっとBクラスをさまようようになったこと。
・親会社と本拠地が変わって新生を期した福岡ダイエーホークス(1989〜2004)が低迷を脱し、Aクラス入りやリーグ優勝を果たせるようになったのは1990年代末期のことであったが、その頃から今度は広島東洋カープが成績が低迷し始め、ずっとBクラスをさまようようになったこと。
・ようやく広島東洋カープが低迷を脱し、Aクラス入りやリーグ優勝を果たせるようになったのは2010年代前半のことであったが、Bクラスに終わったりクライマックスシリーズで敗退したりしたことでどちらかの球団が日本シリーズ出場を果たせなかったこと。
皮肉なことだが広島東洋カープ・福岡ソフトバンクホークスともリーグを制しながらクライマックスシリーズで敗退し、日本シリーズに出場できなかったことがあったし、2位の球団に大差を付けて首位を独走していたのに2位の球団に猛追され、結局リーグ優勝をさらわれてしまったこともあった。果たしてそういう経験をした両球団は日本シリーズでどのような戦いを見せるのだろうか。
注6:ならばパシフィックリーグ側の出場球団の本拠地で一切勝たないでセントラルリーグ側の出場球団が日本シリーズを制することはできるのかという話になるのだが、下表で示した場合にのみ可能になる。
場合 | 状況 |
---|---|
セントラルリーグ側の出場球団の 本拠地で開幕した場合 |
セントラルリーグ側の出場球団の本拠地で第1戦・第2戦・第6戦・第7戦が、パシフィックリーグ側の出場球団の本拠地で第3〜5戦がそれぞれ開催されるのだが、セントラルリーグ側の出場球団の本拠地で全て勝ち、反対にパシフィックリーグ側の出場球団の本拠地で全て負ければ実現できる。 |
パシフィックリーグ側の出場球団の 本拠地で開幕した場合 |
パシフィックリーグ側の出場球団の本拠地で第1戦・第2戦・第6戦・第7戦が、セントラルリーグ側の出場球団の本拠地で第3〜5戦がそれぞれ開催されるのだが、セントラルリーグ側の出場球団の本拠地で全て勝ち、なおかつパシフィックリーグ側の出場球団の本拠地で第7戦までに2回以上引き分けで終わればセントラルリーグ側の出場球団の本拠地で第9戦が開催されるのでそこで勝てば実現できる(なお、第9戦で決着しなかった場合は決着するまでセントラルリーグ側の出場球団の本拠地で開催され続けることになる)。 |
そもそも本拠地だけで勝って日本シリーズを制した例は過去に一度しかない(2003年〔平成15年〕の福岡ダイエーホークス)し、引き分けは日本シリーズ68年の歴史の中でわずか7回しかなく、2回もあったのは1975年(昭和50年)の一度だけであることを考えると実現するのは至難の業と言える。
注7:そのように考えたのは過去に似たような例があったからである。1983年(昭和58年)の日本シリーズ第6戦(1983年〔昭和58年〕11月5日開催)がそれである。読売ジャイアンツが先に王手をかけた状態で行われたこの試合で西武ライオンズは9回裏に抑えで登板してきた西本聖(にしもと・たかし)投手を攻略して同点とし、延長10回裏に江川卓(えがわ・すぐる)投手を攻略して見事サヨナラ勝ちを果たしたというものである。結局西武ライオンズは第7戦(1983年〔昭和58年〕11月7日開催)でも勝ち、2年連続日本シリーズ制覇を成し遂げているが、負ければ後がない第6戦の土壇場で当時の読売ジャイアンツの主力投手を攻略して勝ったことが大きかったのではないかと今も思っているところである。
※2013年(平成25年)の読売ジャイアンツが1983年(昭和58年)の西武ライオンズと同じようにならなかった要因は次の通りである。
・2013年(平成25年)の日本シリーズにおいて読売ジャイアンツは主力打者(特に阿部慎之助捕手・坂本勇人〔さかもと・はやと〕内野手)が不振に喘いでいたこと。
・その試合における主力投手の起用場所が異なること。2013年(平成25年)第6戦の田中将大投手は先発だったが、1983年(昭和58年)第6戦の江川卓・西本聖両投手は抑えであった(ちなみに1983年〔昭和58年〕第6戦の読売ジャイアンツの先発投手はこの年から先発の一角を担うようになった槙原寛己投手である)。
・江川卓・西本聖両投手は確かに1983年(昭和58年)時点の読売ジャイアンツの主力投手ではあったが公式戦で全く負けなかったわけではなかったこと。
・1983年(昭和58年)の日本シリーズにおいて江川卓・西本聖両投手の状態が万全だったわけではないこと。江川卓投手は不調だっただけでなく途中で太ももを痛めてしまったし、西本聖投手は第6戦までに二度完投しており、明らかに登板過多状態にあった(西本聖投手は更に第7戦も先発している〔この時は途中降板〕)。
・当時の監督の経験の差が出たこと。1983年(昭和58年)時点で西武ライオンズを率いていた広岡達朗と、2013年(平成25年)時点で東北楽天ゴールデンイーグルスを率いていた星野仙一(1947〜2018)はともにセントラルリーグに属する球団とパシフィックリーグに属する球団双方で監督を務めていた(広岡達朗はヤクルトスワローズで、星野仙一は中日ドラゴンズと阪神タイガースでそれぞれ監督を務めており、いずれの球団でも優勝経験を持っている。更に広岡達朗はヤクルトスワローズで日本シリーズを制している)が、1983年(昭和58年)時点で読売ジャイアンツを率いていた藤田元司(1931〜2006)と、2013年(平成25年)時点で読売ジャイアンツを率いていた原辰徳はどちらも読売ジャイアンツ以外で監督を務めたことはなかった。
細かく見れば状況は大きく異なっており、それ故同じようにはならなかったということになるのだが、結局はどちらも運命は読売ジャイアンツに味方しなかったというところだろうか。
注8:横浜DeNAベイスターズのアレックス・ラミレス監督がとった、ふつうは9番に据える投手の打順を8番に据えるようにする作戦は指名打者制度が導入されていないセントラルリーグにおいて相手球団に対する脅威を高めようという目的で導入したのではないかと考えている。つまり、指名打者制度の変形と見ることもできる。
注9:このように書くと意外に思う方が多いかもしれないのだが、実は事実である。セントラルリーグ・パシフィックリーグ創設以前から存在した中日ドラゴンズや阪神タイガースも改称を経ているのである。1950〜2018年(昭和25年〜平成30年)のセントラルリーグの所属球団の変遷を下表に示したのでご覧頂きたい。
※存在期間はセントラルリーグ発足前についても含めている。
※球団名変更時期や統合時期は便宜上いずれもそのシーズンの開始時点としている
球団名 | 存在期間 | 備考 |
---|---|---|
アトムズ | 1969 | セントラルリーグ・パシフィックリーグ創設後では唯一愛称だけを名称とした球団。 1970年(昭和45年)にヤクルトアトムズに改称。 |
大阪タイガース | 1935〜1939 1946〜1960 |
1961年(昭和36年)に阪神タイガースに改称。 |
国鉄スワローズ | 1950〜1965 | 1965年(昭和40年)のシーズン中にサンケイスワローズに改称。 |
サンケイアトムズ | 1966〜1968 | 1969年(昭和44年)にアトムズに改称。 |
サンケイスワローズ | 1965 | 1966年(昭和41年)にサンケイアトムズに改称。 |
松竹ロビンス | 1950〜1952 | 1953年(昭和28年)に大洋ホエールズと統合して大洋松竹ロビンスに移行したため消滅。 |
大洋ホエールズ | 1950〜1952 1955〜1977 |
1953年(昭和28年)に松竹ロビンスと統合して大洋松竹ロビンスに移行したため一旦消滅。 1955年(昭和30年)に名称は復活したが1978年(昭和53年)に横浜大洋ホエールズに改称。 |
大洋松竹ロビンス | 1953 | 1954年(昭和29年)に洋松ロビンスに改称。 |
中日ドラゴンズ | 1948〜1950 1954〜 |
1951年(昭和26年)に名古屋ドラゴンズに改称。1954年(昭和29年)に名称復活。 |
東京ヤクルトスワローズ | 2006〜 | |
名古屋ドラゴンズ | 1951〜1953 | 1954年(昭和29年)に中日ドラゴンズに改称。 |
西日本パイレーツ | 1950 | 1951年(昭和26年)にパシフィックリーグ所属の西鉄クリッパーズと統合してパシフィックリーグ所属の西鉄ライオンズに移行したため消滅。 |
阪神タイガース | 1961〜 | |
広島カープ | 1950〜1967 | 1968年(昭和43年)に広島東洋カープに改称。 |
広島東洋カープ | 1968〜 | |
ヤクルトアトムズ | 1970〜1973 | 1974年(昭和49年)にヤクルトスワローズに改称。 |
ヤクルトスワローズ | 1974〜2005 | 2006年(平成18年)に東京ヤクルトスワローズに改称。 |
洋松ロビンス | 1954 | 1955年(昭和30年)に大洋ホエールズに改称。 |
横浜ベイスターズ | 1993〜2011 | 2012年(平成24年)に横浜DeNAベイスターズに改称。 |
横浜大洋ホエールズ | 1978〜1992 | 1993年(平成5年)に横浜ベイスターズに改称。 |
横浜DeNAベイスターズ | 2012〜 | |
読売ジャイアンツ | 1947〜 | セントラルリーグ創設時から現在に至るまで一切名称を変えていない唯一の球団。 |
注10:例外は2014年(平成26年)に福岡ソフトバンクホークスを率いていた秋山幸二である。秋山幸二は西武ライオンズと福岡ダイエーホークスにしか在籍していない。但し秋山幸二は2013年(平成25年)以前に既に福岡ソフトバンクホークスの監督として日本シリーズを制しており、日本シリーズでの指揮経験は持っていた。
注11:2013年(平成25年)以降にセントラルリーグに属する球団の監督に就いた方でパシフィックリーグに属する球団に在籍していたことのある方は東京ヤクルトスワローズの小川淳司監督(日本ハムファイターズに在籍していた時期がある)と中日ドラゴンズの森繁和前監督(西武ライオンズと日本ハムファイターズに在籍していた時期がある)の二人だけである。