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SUNDAY TALK2011
第46回:分かっていたことなのに…(2011年〔平成23年〕11月13日公開)
あと1年半足らずで本州と向島を結ぶ尾道大橋有料道路が無料化される。今は深夜・早朝に限って無料で通行できる(注1)のだが、2013年(平成25年)4月1日からは料金所で止まらずに、通行料金を払わずに通行できるようになるのである。
しかし、この無料化をめぐってある問題が勃発しているのである。本州と向島を結ぶ渡船(注2)の経営に大きな影響が出ることもあるのだが、尾道大橋の北側で分岐する道のうち、国道2号線松永道路(尾道・福山自動車道)及び尾道バイパスに延びていく道については引き続き有料道路として運営されるというのである。つまり、無料化されるのは尾道市尾崎本町で国道2号線松永・尾道旧道に出る道だけであり、2013年(平成25年)4月1日以降向島から国道2号線松永道路(尾道・福山自動車道)及び尾道バイパスに一銭も払うことなく出るためには新高山団地を通らなければならなくなるのである。
なぜこのようになったのか。簡単に記せば尾道大橋有料道路の管理者が広島県道路公社(広島市中区大手町二丁目)、尾道大橋の北側から国道2号線松永道路(尾道・福山自動車道)及び尾道バイパスに出る道路の管理者が本州四国連絡高速道路株式会社(神戸市中央区小野柄通〔おのえどおり〕四丁目)に分かれているからである。つまり、無料化するのは広島県道路公社の管理する部分だけということである。まあ尾道大橋の北側から国道2号線松永道路(尾道・福山自動車道)及び尾道バイパスに出る道路は途中で西瀬戸自動車道(愛称:瀬戸内しまなみ海道)に合流することやその合流点は尾道大橋出入口(尾道市山波〔さんば〕町)という名称が付けられていることを考えれば尾道大橋北側の分岐点〜尾道大橋出入口間は西瀬戸自動車道尾道大橋出入口のランプウェイとも解釈することもでき、有料道路として管理するのは当然の帰結だという理屈なのだろうが、もし2013年(平成25年)4月1日以降もその部分が有料道路であり続けるとすると次に挙げるような問題が起きる恐れがあるのである。
・尾道市尾崎本町で国道2号線松永・尾道旧道に出る車が増え、交通量が多い時間帯はその付近で渋滞が起きる。
・国道2号線松永道路(尾道・福山自動車道)及び尾道バイパスに出ようと思う車は新高山団地の中を通ることになるが、渋滞や交通事故が多発する。
・国道2号線松永道路(尾道・福山自動車道)及び尾道バイパスに出ようと思う車が多数新高山団地の中を通ることにより新高山団地の環境が悪化する。
・尾道大橋〜国道2号線松永道路(尾道・福山自動車道)及び尾道バイパス間の尾道市道の案内が十分ではないために道に迷う車が多く出る。
・もし料金所を設置するとすれば尾道大橋北側の分岐点〜尾道大橋出入口間のどこかになるものと思われる(注3)が、料金所を設置できるだけの用地があるかどうか疑問がある。
・料金所設置のために一定期間尾道大橋北側の分岐点〜尾道大橋出入口間を封鎖するか片側交互通行にするかしなければならなくなる。
実はこういう問題は今から四半世紀前、すなわち1987年(昭和62年)にも起きていたのである。1968年(昭和43年)に尾道大橋有料道路が開通した時は尾道市尾崎本町で国道2号線松永・尾道旧道(無論当時は旧道ではない(注4))に出るしかなかったのだが国道2号線松永道路(尾道・福山自動車道)及び尾道バイパスが整備されたことや尾道大橋が本州・四国連絡橋尾道・今治ルートの一部に組み込まれたこと(注5)から尾道大橋と国道2号線松永道路(尾道・福山自動車道)及び尾道バイパスを結ぶ道路(延伸道路とも称する)の整備が企図され、1987年(昭和62年)春開通の運びとなったのである。ところがいよいよ開通…という段階になって普通自動車の通行料が150円から300円に値上げされることが公になり、利用者が反発するという問題が起きたのである。尾道大橋の通行料150円+延伸道路の通行料150円=300円というわけであるが、こんなことは認められないと利用者が反発したために開通が延期されたのである。結局尾道大橋の通行料だけを徴収し、それを尾道大橋・延伸道路双方で分けるということで決着が図られたのだが、この時もし尾道大橋が無料化された場合どのようにするのかを考えていれば今日再び問題になることはなかったのではないのだろうか。次に挙げる事実を考えれば尾道大橋の無料化は不可避なことになるのは明らかだったからである。
・尾道大橋の道路規格を考えた場合、自動車専用道路として建設される本州・四国連絡橋の一部に組み込むのは不可能だったこと。
・もし尾道大橋を本州・四国連絡橋の一部に組み込むことになった場合、大規模な改造工事が必要になり、結果利用者に長期間にわたって不便を強いる恐れがあったこと。
・尾道大橋は重要な生活道路であり、本州・四国連絡橋の一部に組み込むと通行料が値上げされるなどして利用者にとって不便になる恐れがあったこと。
・延伸道路の一部は西瀬戸自動車道に組み込まれることになっていたが、山陽自動車道との接続は尾道・福山自動車道が担うことになっており、西瀬戸尾道インターチェンジから北へ延びる可能性はなかったこと(注6)。
・西瀬戸自動車道の全線開通時点で本州・四国連絡橋の一部に組み込む可能性がなくなった尾道大橋の移管先を探す必要が生じたこと。
問題を先送りしたことが今日再び浮上する結果になったというわけであるが、それならなぜ延伸道路開通時点でどのようにするのか決めなかったのだろうか。中には「簡単に国道2号線松永道路(尾道・福山自動車道)及び尾道バイパスに出られるようになると向島や因島(いんのしま)、生口島(いくちじま)の住民が福山市へ行くようになって尾道市にとってかえって良くないことが起きるから先送りしたのだろう」などと勘繰る人もいるのだが、1987年(昭和62年)の時点で十分予期し得たことではないのだろうか。現に境水道大橋(国道431号線。1972〜2002)や音戸大橋(国道487号線。1961〜1974)、大島大橋(国道437号線。1976〜1996)など中国地方にある有料道路で建設された渡海橋のほとんどはその後無料開放されている(注7)のだが、この事実を考えると尾道大橋だけずっと有料ということは考えられなかったはずではないのだろうか。まだ時間はあるが、四半世紀前と同じことを繰り返さないようにして欲しいと思う。
一方で中国地方には無料化まで半年を切ったのにどうなるのか全く分からないところがある道路が存在する。今年7月31日に全線開通を果たした山口・宇部道路(山口県道6号山口・宇部線)のうちの山口市嘉川〜宇部市西岐波(にしきわ)間である。山口市嘉川〜宇部市西岐波間は山口・宇部有料道路として1975年(昭和50年)に開通したのだが、来年4月1日に山口県道路公社(山口市水の上町)が廃止されることにより無料開放されることになるという話がある。
話がこれだけなら別にここで取り上げなくても良いのだが、実はこの山口・宇部有料道路は途中の宇部市東岐波にある宇部ジャンクションで山陽自動車道宇部・下関線と接続しているのである。元々山陽自動車道は山口市が終点となっていたのだが、1987年(昭和62年)に宇部市や山陽小野田市を経由して下関市まで延長されることが決定し、山陽自動車道宇部・下関線はその一部分として2001年(平成13年)に開通したのである。それなら何の問題もないではないかとまた思われそうであるが、この山陽自動車道宇部・下関線はもう東に延びる可能性はないのである。というのも宇部ジャンクションから山口市鋳銭司(すぜんじ)にある山口南インターチェンジまでは山口県道6号山口・宇部線(山口・宇部道路)と国道2号線小郡道路という二つの自動車専用道路で代替することになったからである。国道2号線小郡道路や山口県道6号山口・宇部線(山口・宇部道路)以外にも山口県道212号山口・阿知須・宇部線や山口県道25号宇部・防府線などの幹線道路が整備されたことや山口市自体の人口が20万人足らずと少ないこと、山口市中心部から離れていることや数年前まで山口市や吉敷(よしき)郡秋穂(あいお)・阿知須・小郡各町に自治体が分かれていたことなどからなかなか開発が進まなかったこと(注8)から多重投資の批判を免れない山陽自動車道山口市鋳銭司〜宇部市東岐波間の建設は見送られたのだろう(注9)。
そもそも山口・宇部有料道路は2005年(平成17年)2月26日まで有料道路として管理される予定だったのだが、山口市嘉川〜宇部市西岐波間が山陽自動車道の一部になることになったために2027年(平成39年)1月3日まで有料道路として管理されることになった。いずれは無料化される運命にあったわけであるが、そうなると山陽自動車道宇部・下関線の宇部ジャンクション〜宇部インターチェンジ(宇部市川上)間のどこかに料金所を設置しなければならなくなるはずである。ところが、何度か通ったことはあるものの料金所用地のようなものは遂に目にしなかった。山陽自動車道宇部・下関線は暫定措置として大部分が上下2車線で供用しているので料金所を設置するための工事は本線を暫定的に付け替えた上で行えば良く、特に用地を確保する必要がなかったのかもしれないのだが、山口・宇部有料道路の無料化まであと4ヶ月半しかないにもかかわらず未だに工事を始めるというような情報を聞かないのである。山口・宇部有料道路の無料化後も山口・宇部有料道路の本線上に山陽自動車道宇部・下関線を通行する車のための料金所を残すわけには行かないのだろうが果たしてどのようにするのだろうか。
いずれにせよこの問題は山陽自動車道のうちの山口市鋳銭司〜宇部市東岐波間の建設を見送った(=事実上断念した)ことと代替道路の一つである山口・宇部有料道路がいずれ無料開放されることを分かっていて山口・宇部有料道路無料開放後の料金所をどこに設置するかを決めなかったことに原因があると言える。山陽自動車道宇部・下関線が開通した2001年(平成13年)3月11日時点では高速道路の無料化問題はまだ浮上していなかったからなおさらであるが、なぜ広域的かつ長期的な視野に立って物事を考えなかったのだろうか。
道路の問題に限らず、どのような結末を迎えるのかある程度分かっているはずなのに真剣に取り組まなかったりその場しのぎの行動に出たりすることはよく見られることである。イタリア・ギリシャなどのヨーロッパ諸国の経済危機やオリンパス(東京都新宿区西新宿二丁目)の損失隠蔽(いんぺい)問題、大王製紙(愛媛県四国中央市三島紙屋町)の巨額借り入れ問題など最近盛んに報じられる由々しき問題を見るとなぜこういう結末を迎えることを考えなかったのだろうかと思いたくなる。もう記すまでもないことであるが、どのような結末を迎えるのかある程度分かっているはずなのに真剣に取り組まなかったりその場しのぎの行動に出たりすることはいつも破滅的な結末しか用意されていないのである。無論、それは私達も無関係ではない。私達の日々の生活でもこういうことは起き得るからである。
問題を先送りしたい気持ちは分かる。不都合なことを公にしたくない気持ちは分かる。今さえ良ければ後はどうでも良いというような刹那(せつな)的な考えを持ちたい気持ちは分かる。しかし、どの事柄もいつかは誰かが始末しなければならない。そのことをなぜ考えないのであろうか。東京都文京区と岡山市北区にある庭園の名称(後楽園(注10))の由来になった「先憂後楽」という言葉があるが、現代人の考え方はまさに「先楽後憂」である。こういうことで良いのであろうか。
物事は広域的かつ長期的に考えて結論を出してこそ意味がある。目先の利益にとらわれて結論を出せばいつか誰かが損をする。そのことをそろそろ我々は考えるべきではないのか。他人のことは言えないが、私はそのように感じている。
(注釈コーナー)
注1:午前0時〜午前5時の5時間は料金所(尾道市向東町)が無人になるため。広島県にかつて存在した有料道路では音戸大橋や福山グリーンライン(広島県道251号後山公園・洗谷線。1974〜1980)でもそういう措置がとられていた。
注2:現在は土堂〜兼吉間の尾道渡船、土堂〜小歌島間の福本フェリー、駅前〜富浜間の向島運航の3業者に減っている。また、向島運航については自動車の航送は行っていない。詳細はこちらのサイトをご覧頂きたい。
注3:尾道大橋出入口〜西瀬戸尾道インターチェンジ(尾道市高須町)間の本線に設置することも考えられるが、そのようにすると設置工事のために一定期間本線を封鎖するか対面通行にするかしなければならなくなることや向島インターチェンジ(尾道市向島町)に本線料金所が設けられており、尾道大橋出入口〜西瀬戸尾道インターチェンジ間の本線にも設置すると面倒になることから尾道大橋出入口〜西瀬戸尾道インターチェンジ間の本線に設置することはまずあり得ないと思われる。
注4:尾道市中心部の国道2号線が旧道になったのは1972年(昭和47年)、尾道バイパスが全線開通した時である。1990年(平成2年)には松永道路(尾道・福山自動車道)が全線開通し、尾道バイパスに直通できるようになったため「松永・尾道旧道」と記している。
※福山市松永地区や尾道市中心部の国道2号線がバイパス開通後も県道などに移管されないのは都市の中心部に国道を残すべきであるという広島県の方針による(記すまでもなく旧道を管理するのは広島県か広島市)。広島県では他に広島市や大竹市、廿日市(はつかいち)市、東広島市、三原市、三次(みよし)市でバイパス開通により旧道になった国道が県道などに移管されないでいる箇所がある。
注5:結局尾道大橋は本文で触れた理由により本州・四国連絡橋尾道・今治ルートの一部には組み込まれず、改めて尾道大橋のすぐ西側に新尾道大橋が建設された。
注6:西瀬戸尾道インターチェンジから山陽自動車道尾道ジャンクション(尾道市美ノ郷町三成)方面へ自動車専用道路を建設する構想はあるが現時点では具体化はしていない。もし建設するとしても尾道・福山自動車道があるのに改めて自動車専用道路を建設するのは二重投資になり、無駄だという意見が出る恐れがあることや尾道ジャンクション付近及び西瀬戸尾道インターチェンジ付近の大規模な改造が必要になることなど課題も多く、困難を極めるのは確実であろう。
注7:現在中国地方にある渡海橋(高速道路・自動車専用道路を除く)で有料なのは安芸灘大橋(広島県道74号下蒲刈・川尻線。2000〜)だけである。
注8:山口盆地に中心部がある山口市が小郡平野(椹野〔ふしの〕川河口周辺)を市域に収めたのは1944年(昭和19年)4月1日に吉敷郡阿知須・小郡両町及び秋穂二島・大歳(おおとし)・嘉川・佐山・陶・名田島・平川各村と統合した時である。しかし、時期をご覧頂ければうかがえることであるが第二次世界大戦中の国主導の統合だったために第二次世界大戦終結後分離運動が起き、1947年(昭和22年)11月23日に山口市阿知須が吉敷郡阿知須町として、1949年(昭和24年)11月1日に山口市小郡上郷及び小郡下郷が吉敷郡小郡町としてそれぞれ分離したのである。更に小郡平野にあった秋穂二島・江崎・嘉川・佐山・陶・名田島・深溝(前記の村名にない江崎・深溝は吉敷郡嘉川村の一部だった)も分離し、吉敷郡秋穂・阿知須・小郡各町及び鋳銭司村と統合して吉南市を作ろうという運動が起きたのだが、足並みが揃わなかったこともあって秋穂二島・江崎・嘉川・佐山・陶・名田島・深溝は山口市にとどまることになった。
※もし吉南市構想が実現した場合、椹野川河口周辺に港や工場が建設されるなどして商工業都市として発展した可能性がある(第二次世界大戦末期の統合も椹野川河口周辺の開発が目的だったと思われる)。恐らく山口市との統合を経て、その結果改めて発足した「山口市」は少なくとも現在の倉敷市や福山市とほぼ同じ規模の都市に成長したのではないのだろうか。もしかしたら平成の大合併では宇部市や防府市を巻き込んで岡山市・広島市に次ぐ政令指定都市移行を目指していたかもしれない。人口減少が著しいことや中核都市が形成されないままであること、未だに下関市が県内最大の都市であること、平成時代初頭まで山陰地方2県(鳥取・島根両県)より人口が多かったのに民間テレビ放送局が2局だけであり、現在でも東海道・山陽両新幹線が通過している都府県ではその数が最も少ないこと(他の都府県は全て4局以上ある)、山口放送ラジオ(KRY、周南市徳山)の終夜放送開始が平成時代初頭になったことなどを考えると吉南市構想の挫折はその後の山口県勢に大きな影響を与えたのではないかと思うのは私だけであろうか。もっとも、南部地域(秋穂二島・江崎・嘉川・佐山・陶・鋳銭司・名田島・深溝を指す)を軽んじ続け、何の犠牲も払おうとせずにただ吉敷郡小郡町との再統合を求め続けた山口市のやり方も責められるべきではあろうが…。
注9:もし山口市鋳銭司〜宇部市東岐波間の山陽自動車道が建設されたとしたら次に挙げるようなものになったのではないかと思われる。
・山口南インターチェンジがジャンクションに改造される。名称は無論山口南ジャンクションとする。
・本線は従来通りとし、宇部方面に延びる道路はランプウェイで接続する。
・山口南ジャンクション〜山口ジャンクション(山口市黒川)間の山陽自動車道は山陽自動車道山口連絡線として活用する。無論山口・山口南両ジャンクションのフル化も実施し、中国自動車道徳地(とくぢ)インターチェンジ(山口市徳地堀)方面と山陽自動車道宇部インターチェンジ(宇部市川上)方面が往来できるようにする。
・山口南インターチェンジのランプウェイが山陽自動車道本線に改造される。無論料金所は撤去される。
・山口南インターチェンジの改造により一般道路との出入ができなくなった代償として山口市鋳銭司に改めて国道2号線と接続する山口南インターチェンジが建設される。
・山口南ジャンクションから一路南西方向に進み、陶ヶ丘(標高252m)・火ノ山(標高303.6m)をトンネルで貫く。
・山口市秋穂二島の山口県道61号山口・小郡・秋穂線に秋穂インターチェンジが建設される。
・椹野川を渡る橋については周防大橋に並行して同じ意匠の橋を建設する。事情が許せば周防大橋を上下二段橋として建設しても良い(上段が山陽自動車道、下段が山口県道25号宇部・防府線となる)。
・山口市阿知須の国道190号線に阿知須インターチェンジが建設される。但し、宇部ジャンクション改め宇部空港インターチェンジが近いため広島方面からの流出と広島方面への流入しかできないハーフインターチェンジとする。
・宇部ジャンクションは宇部空港インターチェンジとする。但し、阿知須インターチェンジが近いため下関方面からの流出と下関方面への流入しかできないハーフインターチェンジとする。
・休憩施設については山口市秋穂二島か山口市佐山に椹野川パーキングエリアを設置する。
私として疑問に思ったのはなぜ1987年(昭和62年)以前の計画の山陽自動車道は山口市を終点としたのかということである。中国地方の山間部を東西に貫く中国自動車道が山口市から美祢(みね)市を通って下関市に抜けることについては別に異を唱える気はないのだが、なぜ宇部興産(宇部市小串)のお膝元として知られる工業都市・宇部市やセメントの町・山陽小野田市を通す高速道路を考えなかったのだろうか。山陽自動車道と中国自動車道が近いところで並行する箇所は神戸〜姫路間、広島市周辺、周南〜下関間というようにいくつもあるし、山間部を通る中国自動車道は山口県西部であっても冬は積雪や凍結の恐れがある。そのことを考えれば最初から山陽自動車道は下関市を終点とすべきだったのではないかと思うのだがどうであろうか。
注10:東京都文京区にある庭園は小石川後楽園という名称になっている。ご存知の方も多いかと思うのだが、近くにある遊園地や昭和時代末期まで読売ジャイアンツの本拠地として使用された球場の名称はそこに由来する。
(AFTER TALK)
本作を公開してから1年半近くが経過したが、本作で取り上げた尾道大橋有料道路と国道2号線松永道路・尾道バイパスを結ぶ道路(いわゆる延伸道路)の無料化問題と山陽自動車道宇部・下関線の料金所問題について、どちらも動きがあったので紹介したい。
まず、尾道大橋有料道路の延伸道路についてであるが、延伸道路についても無料開放して欲しいという声が多かったことや新高山団地の環境悪化を懸念する声が多かったことから本州四国連絡高速道路株式会社は2012年(平成24年)12月、延伸道路への料金所設置は行わず、2013年(平成25年)4月1日午前0時から尾道大橋有料道路とともに無料開放する方針にすることを発表した(報道発表はこちら)。今年3月に正式に無料開放することを改めて発表し(それはこちらで触れている)、今年4月1日午前0時をもって尾道大橋有料道路とその延伸道路は無料開放された。万事めでたし…と記したいところなのだが、課題はないわけではない。それは次の通りである。
・尾道大橋有料道路の延伸道路の無料開放は西瀬戸自動車道西瀬戸尾道インターチェンジ〜尾道大橋出入口間も無料開放されることであり、故に西瀬戸自動車道西瀬戸尾道インターチェンジ〜尾道大橋出入口間分の通行料金が値下げになると誤解する人が出る恐れがあること。こちらでも記しているが、通行料金がかからなくなるのは西瀬戸自動車道のうちの西瀬戸尾道インターチェンジ〜尾道大橋出入口間を経由して尾道大橋を通った場合だけであり、西瀬戸尾道インターチェンジと向島インターチェンジ以遠の西瀬戸自動車道のインターチェンジとの間の通行料金は全く変わらない。
・現在3業者ある渡船の経営に大きな影響を及ぼしていること。3業者はいずれも尾道市中心部と尾道市向島地区中心部を結んでいることや実は尾道市中心部〜尾道市向島地区中心部間の最短経路になっていること、高校生や高齢者など自動車を運転できない方の利用が多いことを考えれば需要はあると思うのだが、当然のことながらいずれも有料(料金はこちらに掲載されている)であり、遠回りでも尾道大橋を通ろうと思う自動車が増える可能性は否定し得ない。現に今年5月3日付中国新聞朝刊尾三版によると自動車の利用が尾道大橋及びその延伸道路の無料開放前の半分以下になった業者があると報じられている。
・尾道大橋及びその延伸道路の無料開放により交通量が増え、渋滞がひどくなっていること。無料開放前でも朝夕の渋滞はあったし、西瀬戸自動車道西瀬戸尾道インターチェンジ〜向島インターチェンジ間の通行料金節約を目的に通る自動車も多かったのだが、無料開放で渡船を利用していた自動車が尾道大橋経由に切り替えたこともあったのではないかと思われる。
・向島に住む人が尾道市を素通りして岡山市や倉敷市、広島市、福山市などの近隣の人口の多い都市に買い物や遊びに出るようになり、尾道市の経済に悪い影響を及ぼす恐れがあること。いわゆるストロー効果またはストロー現象であるが、尾道市としてはどのように考えているのかがはっきりしないのがどうかと思う。
・尾道大橋は間もなく開通から半世紀を迎えるため維持・修繕の費用がかなりかかる恐れがあること。広島県も財政事情が厳しいからどのように捻出(ねんしゅつ)するのかが気になる。
いずれも想定できた話であるわけであるが、今のところこれらの課題への対策は示されていない。まだ無料開放されて間もないのでもう少し長い目で見るべきなのだろうが、今後どのように変化していくのであろうか。
尾道大橋有料道路料金所のそばにある回数券自動販売所の入口にあった貼り紙(2013年〔平成25年〕1月31日撮影)
無料開放により閉鎖された回数券自動販売所とそのシャッターにあった貼り紙の数々(2013年〔平成25年〕4月7日撮影)
撤去工事が始まった料金所(2013年〔平成25年〕4月7日撮影)
無料開放されたことを知らせる紙が貼られた無人の料金所ブース(2013年〔平成25年〕4月7日撮影)
次に、山口・宇部有料道路無料開放で浮上した山陽自動車道宇部・下関線の料金所設置問題であるが、本作公開後宇部インターチェンジのすぐ東側に建設されることになり、山口・宇部有料道路が無料開放された2012年(平成24年)3月28日から使用を開始した。山陽自動車道宇部・下関線を宇部ジャンクション〜宇部インターチェンジ間だけ通行する場合はわずか数百mの間に二度も料金所を通過しなければならなくなったわけである(こちらでその様子を収めた映像が公開されている。但し閲覧にはログインが必要なので注意)が、宇部ジャンクション付近ではなく宇部インターチェンジ付近に設置したところに山口南インターチェンジ〜宇部ジャンクション間の建設はしないという意思表示をしたようにも受け取れる(現状で建設しようものなら本文でも記した通り多重投資との批判は免れないであろう)。
宇部料金所の案内標識(左)と宇部料金所(右)。宇部料金所の先に出口を示す標識があるのが見える。
いろいろ意見はあるところであろうが、私としてはこの現実を二転三転した道路行政の象徴と感じたくなる。宇部・山陽小野田両市を無視した山陽・中国縦貫両自動車道の計画策定→山口県による山口・宇部有料道路建設の企図→山陽自動車道の下関延伸→国道2号線小郡道路や山口・宇部有料道路を用いての山陽自動車道延伸区間の概成→山陽自動車道山口南インターチェンジ〜宇部ジャンクション間の事実上の建設断念→山口・宇部有料道路の無料開放の繰り上げ…とこの半世紀の間で目まぐるしく状況は変わったわけであるが、考えてみれば1966年(昭和41年)に国土開発幹線自動車道建設法が制定された時の不備、すなわち山陽自動車道と中国自動車道が近接している区間がいくつもあるにもかかわらず、宇部市が山口県では下関市に次いで大きい都市に成長していたにもかかわらず山陽自動車道の終点を下関市ではなく山口市にしたことが全ての始まりだったように感じるのである。背景には政治的な問題もあったのかもしれないが、今振り返れば国土開発幹線自動車道建設法は制定当時の中国地方の人口10万人以上の都市はいくつも無視されている(宇部市以外には鳥取市・松江市・呉市がある)など不十分だった点は否めない。それらの問題を補ったのが第四次全国総合開発計画に基づいて1987年(昭和62年)に行われた路線の追加・延伸であるが、社会情勢の急激な変化によりそれまでのようには行かなくなったことはご承知の通りである。
どのようになるかを十分予測して計画を立てていれば…と思うわけであるが、結局どうしていれば良かったというのだろうか。もし山陽自動車道山口南インターチェンジ〜宇部ジャンクション間が改めて建設され、広島方面と下関方面が一本の道で繋がれば宇部インターチェンジは近くに大規模な工業団地があることや宇部市中心部まで国道490号線で一直線で行けることを考えると利便性は大幅に向上すると私は思うのだが…。
(2013年〔平成25年〕5月7日追記)