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SUNDAY TALK2012

第17回:諦めちゃいけないのに…(2012年〔平成24年〕4月22日公開)

 1996年(平成8年)4月11日にJR山手線・埼京線池袋駅(東京都豊島区南池袋一丁目)のプラットホームで当時大学4年生の男子学生が会社員風の男性と口論になった末に殴られて転倒し、5日後に死亡した事件(池袋駅構内男子大学生殺害事件)について、このほど被害者の父親が捜査を担当している警視庁(東京都千代田区霞が関二丁目)を訪れて捜査を打ち切るように要請したのだという。この事件は当初傷害致死容疑で捜査が行われたのだが、それでは2003年(平成15年)4月11日午前0時をもって公訴時効が成立してしまうため容疑を殺人に切り替えるように求める声が高まり、傷害致死での公訴時効が成立する少し前に殺人容疑に切り替えられた。更に殺人事件での公訴時効成立まであと1年となった2010年(平成22年)4月9日には捜査特別報奨金制度の対象になった(注1)のだが、その直後の2010年(平成22年)4月27日に殺人事件の公訴時効が撤廃され、法律が変わらない限り捜査はずっとできるようになったのである。
 そのように見れば余計なことはしなくても良いのではないかと考えるものであるが、ならばなぜ被害者の父親は捜査を打ち切るように求めたのか。実は殺人事件の公訴時効撤廃が日本国憲法第39条(刑罰法規の不遡及〔ふそきゅう〕、二重処罰の禁止(注2))に違反する恐れがあるのである。つまり、池袋駅構内男子大学生殺害事件は発生当時の規定により2011年(平成23年)4月11日午前0時で公訴時効が成立すべきものであり、殺人事件の公訴時効の撤廃は2010年(平成22年)4月27日以降に発生した事件に適用すべきものであると考えたわけである。「16年も捜査して、容疑者の似顔絵も公開され、時々テレビで流されるのに捕まらないのだからそのように思う気持ちはよく分かる」という考えと、「傷害致死罪での公訴時効が迫ると殺人罪に切り替えろと求め、更に殺人罪の公訴時効撤廃を求めたくせになぜ捜査をやめろと言い出すのか。自分勝手じゃないのか」という考えに分かれるのではないかと思うのだが、私としてどうかと思うのはそもそも公訴時効は意味があるのかということである。
 ご存知の方も多いかもしれないのだが、実は公訴時効が停止する方法が二つある。それは次の通りである。
・日本国外に出た場合。福徳銀行5億円強奪事件(1994年〔平成6年〕8月5日)の容疑者は出入国を繰り返していたことが明らかになったため公訴時効成立は2001年(平成13年)8月5日午前0時ではなく2002年(平成14年)4月1日午前0時となった(注3)。
・共犯者の裁判が続いている場合。渋谷暴動事件(1971年〔昭和46年〕11月14日)の大坂正明容疑者や東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件(1974〜1975年〔昭和49〜50年〕)の桐島聡容疑者(個人的な話で恐縮だが実家が私の家の近くにあったという噂を聞いたことがある)の指名手配書が最近作成され、各地に貼られたり、オウム真理教事件(1995年〔平成7年〕)の特別手配容疑者2名(菊地直子・高橋克也両容疑者)の指名手配が現在も継続されたり、オウム真理教事件の特別手配容疑者だった平田信(ひらた・まこと)被告が警察署に出頭してきたために逮捕されたりしたのはこのためである(注4)。
 つまり、公訴時効が成立したとされても実は完全に成立していない可能性は残されているということである。よって、その可能性を考えれば公訴時効の成立は有名無実化するというわけである。殺人事件の公訴時効撤廃はこの点からすれば理にかなったことであり、日本国憲法第39条に抵触する恐れはあるが2010年(平成22年)4月27日以前に公訴時効が成立した事件にも適用しても良かったとは言える。
 しかし、公訴時効撤廃には問題はないわけではない。法の不遡及以外で問題にすべきなのは人間の寿命には限りがあるということである。いくら長生きしても120年くらいであるし、更に様々な病気を患(わずら)う可能性も高いのである。事件発生から何十年か経ってようやく容疑者を特定できた時には既に亡くなっていたとか脳梗塞を患って全く喋れなくなっていたとか認知症になっていたとか(表現に問題があるかもしれないが)植物人間同然になって胃ろうで栄養を補給するようになっていたとか十分考えられるのである。更に被害者の家族もいずれはこの世を去ることになり、事件の記憶も年月を経るにつれて薄れることになる。恐らく池袋駅構内男子大学生殺害事件の被害者の遺族はそのことも考えて捜査の打ち切りを要請したのだろうが、果たしてどちらが良いのだろうか。

大坂正明容疑者の指名手配書が貼られている掲示板(2009年〔平成21年〕11月12日東広島市河内町中河内にて撮影)

桐島聡容疑者の指名手配書が貼られている掲示板(2009年〔平成21年〕11月21日庄原市西城町大佐にて撮影)

公訴時効が成立した殺人事件の容疑者が掲載された指名手配書が貼られている掲示板(2007年〔平成19年〕7月31日福山市内海町にて撮影)

※撮影時点で既に公訴時効が成立していた事件の容疑者が掲載されているという意味である。なお、つい最近の話であるが、私は道の駅リストアステーション(庄原市総領町下領家)で同じ指名手配書を見かけている。

 一方で捜査を担当する警察について粘り強くやって欲しいと思うことがある。これまで廿日市(はつかいち)女子高校生殺害事件(2004年〔平成16年〕10月5日)と島根県立女子学生バラバラ殺人事件(2009年〔平成21年〕10月26日)とともに毎年2月下旬に捜査特別報奨金制度対象の更新時期を迎えていた琵琶湖男性バラバラ殺人事件(2008年〔平成20年〕5月17日)が今年2月、更新を打ち切ったのである。被害者の身元が不明のままの殺人事件としては唯一捜査特別報奨金制度の対象となり、中国地方でも各地の道の駅で被害者の似顔絵を掲載したポスターを見かけたこの事件であるが、適用を打ち切った理由は「情報提供の数が減り、効果がないと判断したから」だという。

 

琵琶湖男性バラバラ殺人事件の情報提供を呼びかけるポスター(左:2009年〔平成21年〕版/右:2010年〔平成22年〕版)

捜査特別報奨金制度適用打ち切り後に作成されたポスター(2013年〔平成25年〕2月10日福山市沼隈町常石にて撮影)

 この琵琶湖男性バラバラ殺人事件が解決しない理由は被害者の身元が判明しないことや発見されないままの部位があること、身元特定難航工作として容疑者が頭部の一部を切り取っていたこと(注5)、そして遺棄現場になった琵琶湖は福井方面・岐阜方面・三重方面・京都方面からの交通路が集まる交通の要衝になっており、どこからでも来やすかったこと(注6)などが挙げられる。だから中国地方でも多数の道の駅に情報提供を呼びかけるポスターが貼られたわけであるが、今年1月、京都・大阪方面に行った時気になったことが一つある。それは多くの人が通る駅で情報提供を呼びかけるポスターを全く見かけなかったことである(注7)。まあかつて福岡県京都(みやこ)郡苅田(かんだ)町の臨海埋立地で身元不明の若い女性の全裸遺体が見つかった事件(1997年〔平成9年〕1月26日)で発覚から1年半後に埼玉県在住の女性だと分かったという話や栃木県塩谷郡塩谷町の町道脇に捨てられてあったキャリーケースから身元不明の若い女性の他殺遺体が見つかった事件(2008年〔平成20年〕6月1日)で発覚から3年半後に大阪府守口市在住の女性と分かったという話(この事件は後に容疑者が検挙されている)があるので琵琶湖に遺棄したから被害者は近畿(関西)地方の人間だろうと決め付けることはできないわけであるが、京都府警察本部(京都市上京〔かみぎょう〕区下立売通釜座東入薮之内町)や大阪府警察本部(大阪市中央区大手前三丁目)が非協力的では話にならない。
 更に捜査を担当している滋賀県警察本部(大津市打出浜)についてもやり方に疑問を抱きたくなる点がある。それは次の通りである。
・歯型を公開していないこと。ポスターには「歯の状態が悪い」とか「残存状況は不明」と記されているので公開できない状況なのだろうが…。
・捜索願をきちんと調べたのかどうかが分からないこと。前記の栃木県塩谷郡塩谷町での死体遺棄事件では被害者の家族が被害者が失踪した2007年(平成19年)9月に捜査願を最寄りの警察署に出しているのに身元判明までに3年半もの時間を費やしたのは栃木県警察本部(宇都宮市塙田一丁目)が被害者は東北・関東地方の人間だろうと考えてそれ以外の地方での捜査展開をおろそかにしたことが挙げられるが、このように身元不明遺体の捜査が難航するのは捜索願が出ている人との照合を円滑にするためのデータベースが構築されていないことに原因がある。テレビのワイドショーのレポーターとして活躍した奥山英志(1949〜2011)の遺体が8ヶ月間も身元不明とされたのもそれが原因である(但し遺体発見後に捜索願を出したことや捜索願提出地と遺体発見地の都道府県が違ったことも一因とされる)が、一体何度こういうことが起きれば警察はデータベースを作るのだろうか。
 はっきり言って滋賀県警察本部はこの事件の捜査に対してやる気をなくしているのではないかと思う。「情報提供の数が減り、効果がないと判断したから」とよく言えたものである。実は他の捜査特別報奨金制度の対象になりながら未解決のまま対象から外れた事件のほとんどもそれが適用を打ち切った理由なのだが、間もなく捜査特別報奨金制度が発足してから5年。果たしてこれで良いのであろうか。
 琵琶湖男性バラバラ殺人事件以外にも捜査を担当している側には諦めムードが漂っている事件はいくつもある。それを挙げてみると次のようになる。
・津山市で起きた女子小学生殺害事件(2004年〔平成16年〕9月3日)。岡山県公式サイトの「マルチメディア目安箱」を見ると2008年(平成20年)2月と2010年(平成22年)2月に捜査特別報奨金制度の対象にすべきという投稿があったが、最初の投稿から4年以上経過した現在も対象にはなっていない(注8)。投稿時期から考えて投稿者は他の中国地方で起きた未解決凶悪事件が対象になったのだから津山の事件も対象にすべきだと訴えたのだろうが、実はこの事件については最近新しいポスターも作られていない。完全にやる気を失っているとしか言いようがない。
・中国地方で発生した未解決凶悪事件でもう一つ捜査特別報奨金制度の対象になったJR山陽本線下関駅(下関市竹崎町四丁目)の近くで男性が何者かに刺殺された事件(2008年〔平成20年〕3月3日)。現在も未解決のままだが、何と山口県警察本部(山口市滝町)の公式サイトを見るとこの事件の情報提供を呼びかけるページは閉鎖されている。既に捜査本部が解散している可能性も考えられるのだが、下関市彦島福浦町一丁目で何者かが子供だけがいた家に放火した上その家に住んでいる6歳の幼女を殺害した事件(2010年〔平成22年〕11月28日)が冤罪(えんざい)の可能性が考えられること(容疑者は検挙されたが一貫して否認しているため)を考えるとこの状況が良いとは思えない。下関駅近くの事件は未解決、彦島の事件は冤罪となったら下関市民の下関警察署(下関市細江町二丁目)への信頼はガタ落ちになることを早急に認識すべきである(注9)。
・博多湾バラバラ殺人事件(2010年〔平成22年〕3月6日)。発覚当時毎日のように報じられていた一方で捜査は早い段階で行き詰まりを見せていたが、福岡県警察本部(福岡市博多区東公園)の公式サイトに情報提供を呼びかけるページが設置されたのは捜査特別報奨金制度の対象になった2010年(平成22年)暮れのことである。今なお未解決のままだが、なぜ捜査の行き詰まりははっきりしていたのにもっと早く情報提供を呼びかけるページを作らなかったのか。作ったにしても目撃証言もないことなどから捜査は難航した可能性が高いのだが、そのページ自体も簡素なものであり、やる気があるのかと考えたくなる(注10)。
 恐らく警察側は人知れず捜査活動は続けていると反論することであろう。けれど、一般市民に認められていないのはなぜだろうか。やはり汗水垂らして捜査している姿を見せていないからではないのだろうか。そもそも警察の犯罪捜査について、次に挙げるような問題点がある。
・情報提供を呼びかけるテレビコマーシャルを作成していないこと。費用対効果が見込めないとか場合によっては何年も流し続けなければいけなくなるとかどの事件を取り上げるかで一悶着起きる恐れがあるとかそういうものに頼りたくないと思う捜査担当者が少なくないことなどが考えられるが、デジタル放送への完全移行後も多くの人々が触れるものである以上使わないでいるのはどうかと思う。
・捜査結果を原則として報告しないこと。例えば前記の苅田の事件は復顔像が大学時代の後輩に似ているとして自宅近くの交番に訴え、そこから捜査を担当してた行橋警察署(行橋市行事三丁目)に電話をかけて捜査担当者に訴えているわけであるが、その後行橋警察署側が何の連絡もしてこなかったのは捜査結果を原則として報告しないという規則があったからである。しかし、そういう規則があることを知っている一般市民はあまりいないし別に捜査結果を報告してもそれを悪用する人はいない。行橋警察署側に説明不足があり、それで私が憤慨する結果になったのは否めないことであるが、問題がないのなら捜査結果を通報者に報告することぐらいは許すべきではないのだろうか。
・一般市民からの訴えを真面目に取り合わない場合があること。長崎県西海市でのストーカー殺人事件で娘がストーカー被害に遭っていると訴えたのに「○○警察署で訴えて下さい」と言ったり、ろくな捜査をしないまま旅行に出かけたりして結果2人の尊い命が奪われたとか三重県松阪(まつさか)市でひき逃げされたと思われる男性の遺体が遺棄されていた事件でこの男性の家族が警察に訴えたのにろくな捜査をしなかったとかいう話は記憶に新しいところであるが、自分自身も福山東警察署(福山市三吉町南二丁目)に千葉県で起きた殺人・死体遺棄事件(容疑者は検挙されている)の身元不明の被害者が大学時代の後輩に似ていると訴えたのに真面目に取り合ってくれるどころか5日後に電話をかけてきて「○○警察署に改めて連絡をして下さい。何度か連絡したのですが全く通じませんでした」などと言われた経験をしており、なぜ真剣な訴えをいとも簡単に軽んじるのか全く理解できない。別に福山東警察署に千葉で起きた事件について訴えることは間違っていないと思うのだが、何のための最寄りの警察署なのか。更にいつ連絡したのかも明示せず、連絡が通じなかったなどと嘘をつくのも許せない。
・身元不明遺体と捜索願の出ている人を照合するシステムが構築されていないこと。捜索願を出していても身元判明までに時間がかかってしまうことは栃木の事件や奥山英志の失踪騒ぎ、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の犠牲者の身元解明難航などで明らかであるが、遺体のデータを入力したら候補遺体が検索され、それを元に捜査をするようになればかなり楽になるのではないのだろうか。もしかしたら被害者の身元が判明しないまま未解決になった事件のいくつかはこのシステムの構築で身元判明に至るかもしれない。
 問題点を挙げればきりがないのだが、なぜ改善されないのだろうか。私は一般市民が声を挙げないことに原因があると考えている。確かに警察は一般市民には好かれない存在である。けれど、事件や事故の時は必要になるし、普段でも住んでいる地域の治安を守るために人知れず活動している。だから改善を求める声が挙がっても良いのではないかと思うのである。
 私は将来の顧客となる可能性がある志願者をぞんざいに扱う職員選考があること(注11)を知っている。志願者をぞんざいに扱うことが横行しているのは誰もそのことをしかるべきところに訴えないでいるからであろう。確かにひどい扱いを受け、不採用になったところに愛情など持ちたくはないであろう。そういうところを受けたことはなかったことにしたいであろう。けれど、自分が受けた仕打ちは他の人も受ける可能性があるのである。無論、それは警察も同じである。やはりおかしいとかひどいと思ったことはしかるべきところに訴え、改善を求めるべきではないのだろうか。そのようにしないとどうかと思う姿勢は絶対に永久に改善されないことであろう。
 今後もいろいろな声を受けながら警察は捜査活動を続けていくことであろう。けれど、私は訴えたい。我々は汗水垂らして捜査をしているのだという姿勢を見せて欲しい。少しでも諦めムードを漂わせる警察など見たくないし、当然のことながら市民の感情を蔑ろにし、上から目線で臨む警察も要らない。解決までかなりの時間を要する結果になる事件もあろうし、結局分からずじまいのままになる事件もあろう。それでも諦めることなく努力を続ける姿を見たい。そういう姿勢こそが市民の強い味方として受け入れられる要因になると思うのだがどうであろうか。

(注釈コーナー)

注1:池袋駅構内男子大学生殺害事件への捜査特別報奨金制度の適用は被害者の父親の要請により今年4月に打ち切られている。

注2:条文には「何人(なんぴと)も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。」とある。
※日本国憲法の原文は旧仮名遣いで記されているので読みにくいと思った方もいるかもしれない。現在の仮名遣いで表記すれば「何人も、実行の時に適法であった行為または既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。また、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない。」となる。

注3:この容疑者は福徳銀行5億円強奪事件の公訴時効成立後愛知県内で強盗事件を起こし、逮捕されている。記すまでもないが福徳銀行5億円強奪事件で起訴されてはいない。

注4:本作公開後オウム真理教事件の特別手配容疑者2名、すなわち菊地直子・高橋克也両容疑者は逮捕されている。

注5:欧米諸国の失踪者や身元不明遺体の情報提供を求めるサイト「The Doe Network」(全て英語などの外国語で書かれているので閲覧する際は注意)に掲載されている身元不明遺体の中に「容疑者によって鼻や耳、乳房が切り取られている」と書かれているものがある(それが書かれているページはこちら)。その遺体は1976年(昭和51年)に発見されているからもし鼻や耳、乳房を切り取る行為が身元隠蔽工作であるとすると(捜査を担当している方には大変申し訳ないことを書くが)容疑者の目論見は見事成功したということになる。
このページを見ていて感じるのだが、この身元不明の若い女性の遺族は現在どうしているのだろうか。もし殺害されていなければ1976年(昭和51年)の暮れか1977年(昭和52年)の初めに女児を出産し、母親になる予定だったようであるが、両親にとって見れば娘が生まれてくるはずの孫ごと消息を絶ったことに、夫にとって見れば妻が生まれてくるはずの子供ごと消息を絶ったことに、兄弟姉妹から見れば姉または妹が生まれてくるはずの姪(多分胎児の性別を知る術〔すべ〕は当時なかったのではないかと思うのだが…)ごと消息を絶ったことそれぞれなるわけであり、40年近く身元不明のままというのが納得できない話になってくる。もしかしたら被害者に近い誰かが容疑者なのかもしれないのだが、なぜこうなっているのだろうか。

注6:他にも東富士五湖道路バラバラ殺人事件(2004年〔平成16年〕4月9日)や富山県下新川郡朝日町大平(だいら)の新潟県道・富山県道115号上路(あげろ)・市振停車場線のそばに身元不明の若い男性の焼死体が遺棄されてあった事件(1989年〔平成元年〕6月8日。2004年〔平成16年〕6月8日公訴時効成立)が高速道路の整備の進展が捜査を難航させた事件の代表的事例となっている。

東富士五湖道路バラバラ殺人事件の被害者の似顔絵を掲載したポスターが貼られている掲示板(2008年〔平成20年〕9月2日庄原市西城町八鳥にて撮影)

※実はこれらの事件は遺体発見までにかなりの時間が経過し、その間に遺体の損傷が進んでしまったことも捜査を難航させた一因になっている。東富士五湖道路バラバラ殺人事件は(こちらのサイトをご覧頂きたいのだが)遺体は袖なし(いわゆるノースリーヴ)の服を着ていた点から暑い時期(遅くとも2003年〔平成15年〕夏か秋)に殺害された可能性が高いし、富山の事件は1989年(平成元年)5月27日に人が燃えているという通報があったことを受けて捜査した時は見つからず、なぜか12日も経ってから遺体が見つかっている。東富士五湖道路バラバラ殺人事件については死体遺棄罪・死体損壊罪の公訴時効が成立した後の2008年(平成20年)2月になってようやく張りぼてかと思いたくなるような復顔像(鮮明ではないが上の写真にそれを掲載したポスター〔中央左の「探しています」という見出しのもの〕が写っている)を公開し、更に2013年(平成25年)2月にこちらのサイトで公開しているような似顔絵を公開しているという点で、富山の事件については遺体発見までに12日を要した点でそれぞれ捜査を担当している警察署のやり方は責められてしかるべきなのだが、結局何がこれらの事件を迷宮入りに追い込んでしまったのだろうか。

注7:この他にも2011年(平成23年)2月14日に青野ダム(兵庫県三田〔さんだ〕市加茂)のダム湖である千丈寺湖でコンクリート詰めにされた男性の頭部が発見された事件の情報提供を呼びかけるポスターも一箇所(大阪市営地下鉄のある駅)でしか見かけなかった。
※この事件も未だに被害者の身元は不明のままだが、捜査を担当している兵庫県警察本部(神戸市中央区下山手通五丁目)では何の説明書きもなければ身元不明遺体の復顔像とは思えないような、言い換えれば生身の人間の写真を見ているような復顔像を製作している。製作に当たって神戸市内の特殊メイク会社に依頼したとのことであるが、それがどういうものなのか興味のある方はこちらでご覧頂きたい。それにしても兵庫県尼崎市で発覚し、世間を騒がせた監禁・虐待・殺害・死体遺棄事件(俗に尼崎事件と称する)とこの遺体は関係はないのだろうか(遺体をコンクリート詰めにしている点や三田市は尼崎市から近い点からそのように考えたのだが…。主犯格の女性が自殺してしまったのが悔やまれるが、何の報道もないので結局は無関係なのだろう)。

注8:2013年(平成25年)5月18日時点でも津山市の女子小学生殺害事件が捜査特別報奨金制度の対象になったという話はない。原因としては捜査を担当する津山警察署(津山市林田〔はいだ〕)は他にも重要な未解決事件(2002年〔平成14年〕に発生した主婦失踪事件。男女二人が容疑者とされたがいずれも逮捕される前に自殺したため迷宮入りしている)を抱えており、その捜査に当たっている職員に対する配慮が必要なことやもし適用に踏み切っても事件発生からかなりの年数が経過しているために「何を今更…」と県民から思われる恐れがあることが考えられる。恐らく前者が最大の理由なのだろうが、過ぎた時間の重さを思うと適当な回答だけして新たなポスターも作らず、捜査特別報奨金制度の適用に踏み切ろうとしないで放置している岡山県警察本部(岡山市北区内山下〔うちさんげ〕二丁目)や津山警察署の対応は認められるべきものではない。

注9:実はインターネットで検索したところそのページが残っていて閲覧できることが判明した。記載事項は捜査特別報奨金制度を適用していた当時のものだが、山口県警察本部や下関警察署が再度このページを公開することを願ってリンクを貼ることにした(それはこちら)。

注10:この事件については2012年(平成24年)12月に捜査特別報奨金制度の適用を打ち切り、同時に情報提供を求めるページも閉鎖した(インターネットで検索してもダメ)。更に2013年(平成25年)3月15日には死体遺棄罪・死体損壊罪の公訴時効が成立した。現在も捜査は継続されており、情報提供を求めるチラシを配ったという報道もなされているのだが、それならなぜ情報提供を求めるページを閉鎖する必要があるのだろうか(一度福岡県警察本部に抗議したことがあるが改善されていない)。
※ちなみに私はこの事件は島根県立女子学生バラバラ殺人事件と関係があるのではないかと考えている。被害者はある日の晩忽然と姿を消していることや島根県立女子学生バラバラ殺人事件の被害者の失踪地と遺体発見地は浜田市と福岡市を往来する場合の金銭面・時間面における最短経路に位置することなどがその理由であるが、果たして…。

注11:具体的な事例は次の通りである(私が経験したかどうかはここでは記さない。また、接客業が多いが他の業種でも見られる場合がある)。
・内定通知を出しておきながらその後何をすれば良いのか指示しない。ちょっと待って下さいというつもりなのかもしれないが、志願者がしびれを切らす可能性は考えないのか。
・採否結果を志願者本人に面接場所まで聞きに来るように指示する。なぜ電話や郵便ではダメなのか。
・何の理由説明もなく通勤不可能な場所での勤務または面接を指示する。もしそれがあなたにはこの仕事は向いていないという意味で行うものであるなら最初から不採用を通告しても良いのではないか。首の皮一枚繋がったとしても志願者にとっては不愉快だ。
・面接の雰囲気は良いと感じたのに無慈悲にも不採用にする。面接担当者としてはもし不採用でも不快な思いはしないで下さいねというつもりなのだろうが…。
・あるホテルで行った説明会では「ノルマはない」とか「今年度最後の募集」とか「もし入社して働くと性格が変わる」などとおいしいことを次々と言ったくせに二次面接のため営業所に行ってみるとそこでは職員が「○○を達成しよう!!」と叫んでいたのを見た。営業職にはノルマは必ずあると考えないのもどうかと思うが、なぜ見え透いた嘘をつくのか。
・指示された日時に面接場所に行ったのに待たされた。お客様に対して失礼を働いているという感覚はないのか。
・面接までの待ち時間にその企業のテレビコマーシャルの制作風景を収録したVTRを見せられた。別にそんなものは見たくもない。
・ある企業の福山営業所の面接でどのように考えても岡山営業所の管轄であるはずの津山市や備前市に行くことがあると言われた。この企業は福山市より規模が大きく、知名度も高い岡山市を知らないのか。
・交通事故を起こしたことがあるかどうか尋ねてきた。安全運転を心掛けているか否かを聞きたいのだろうが、別に聞く必要もないのではないか。場合によっては相手を不快な気持ちにさせる恐れがあることは考えていないのか。
・不採用者に対しては連絡しないことにしている。「あなたには金をかけるつもりはありません」と言っているのと同じで不愉快だ。
・二言三言言ったところで気に障るようなことがあったのか面接担当者が長々と説教をする。確かに志願者にも非はあったかもしれないが、どれだけ精神的な苦痛を受けるのか考えたことはあるのだろうか。
・面接担当者が志願者の人格や思想を否定するようなことを言う。一歩間違えればどうなるか一度でも考えたことはあるのか。
・面接の4日後に届いた不採用通知をよく見ると題名が「不採用のお知らせ」で、宛て名が姓名だけ、その通知の日付は面接の翌日というのがあった。こういう不採用通知を送る会社が実は高齢者介護施設で、地元の民間テレビ放送局で宣伝を流していたのだから呆れる。
・一度も連絡した形跡がないのにパソコンに「連絡したのですが全く通じませんでした」とか「連絡が取れない」などという電子メールを送り付けてくる。なぜ素直に「今回は大変申し訳ないのですが…」と言えないのだろうか。携帯電話はたとえ電源を切っていても着信履歴は残ることを思うと幼児並みの言い訳はやめて頂きたい。
・わずか10分程度で面接が打ち切られた。10分程度で「この人は私の考えに合っていない。これ以上見るまでもない」と判断したのだろうが…。
・面接で経験の少なさや転職回数の多さなど志願者の気分を害するようなことや申し込みの時点で尋ねれば良いようなことを突いてくる。
・別に不採用者に対しては連絡しないとしているわけでもないのに何日経っても連絡してこず、そのようになったことについてきちんとしたお詫びがなかった。できなくなった時点で繰り上げて採否連絡するか都合があるのでもう少し待って頂けませんかと言うことはできないのか。
・面接の日時をすぐではなく何日も先に指定してきた。多忙なのだろうが、一日も早く思いを伝えたいと思っている相手の気持ちを考えたことはあるのか。
・(ある高齢者介護施設のことなのだが)いくつも近隣に施設があるのに面接場所に指定したのは遠くの施設だった。そこで働くことを前提とした面接なのだろうが、他施設に回すことは全く考えないのだろうか。まあ不採用ということになればその企業には合わない人材となるのだろうが…。
・インターネットで申し込んだのに一切連絡してこず、しびれを切らして問い合わせたら「もう締め切った」と言われた。だったらなぜその時点で断りの連絡をしないのか。
・求人票には筆記試験があると記載されていたのに何の理由説明もなく省いた。
・申し込んでから何日も経ってからもう締め切りましたと言われた。
・既婚女性に対して妊娠の予定や妊娠中であるか否かを尋ねる。この企業は恐らく福利・厚生に何らかの問題があるのだろうが、妊娠・出産は個人的問題であり、詮索される筋合いはない。そういう質問をするくらいなら福利・厚生をきちんと整備すべきではないのか。
・面接担当者の容姿や態度に不信感を抱きたくなるものがあった。志願者に非がある場合もあるかもしれないが、横柄な対応をされたり高齢者介護施設でどのように見ても元不良だったような方が面接担当者として出てきたりした時は何だこの会社はと思ったものであった(だからといって元不良が介護職に就くのはけしからんと主張するつもりはない。それ相応の容姿に改めた上で面接に臨むのなら何も言うつもりはないのだが…)。
私として残念に思うのは民間放送局で流す宣伝では好印象を与えている会社やこれからの成長産業とされ、日本と同じく少子・高齢化が進行している大韓民国や中華人民共和国、台湾(中華民国)のお手本になるべき存在の介護業界にこういう傾向が見られることである。一人顧客を失ったところで痛くもかゆくもないのだろうが、結局はそれが自身を滅ぼすことを認識して頂きたいものである。

(AFTER TALK)

 殺人事件についての公訴時効が撤廃された2010年(平成22年)4月27日以降、「○○殺人事件公訴時効成立」という報道に接することはなくなった。しかし、殺人事件の公訴時効撤廃についての論議はこれでなくなったというわけではない。それは本文で触れた通りであるが、池袋駅構内男子大学生殺害事件の被害者の父親は自分勝手だという非難を浴びる恐れのある中で「本当にこれで良いのだろうか…?」ということを我々に提起したのではないのだろうか。
 そもそもこの池袋駅構内男子大学生殺害事件の容疑者は似顔絵が作成・公開されているにもかかわらず17年以上経過した今も誰か判明していないし検挙に繋がっていないという現実がある。これまでに捜査特別報奨金制度の対象になった事件で容疑者の似顔絵が公開されているのに検挙に至らないでいるのは廿日市女子高校生殺害事件や京都精華大学男子学生殺害事件(2007年〔平成19年〕1月15日)などが挙げられるが、なぜ誰か一人でも「もしやあの人が…」と訴え出ないのだろうか。確かに事件に対して見て知らぬふりをしている人や有力な情報は持っているが自身に降りかかる危害を恐れて言う気になれないでいる人、(まさかこういう人はいないとは思うのだが)被害者及びその家族を色眼鏡で見ている人(廿日市の事件で被害者の父親が顔を映さないことを条件に記者の取材に応じているのを見るとそういう人がいるのではないかと勘繰りたくなる)が少なくないのは事実だとは思うのだが、ならばなぜ「そういえば…」と警察に訴える人もいないのだろうか。そこで浮かび上がってくるのが捜査を担当している警察のやる気のなさである。
 私が小学生の頃、東京都新宿区歌舞伎町二丁目にあるラヴホテルで三人の女性が相次いで殺害されるという事件があった(新宿歌舞伎町ラヴホテル連続殺人事件)。
そのうちの一件、すなわち1981年(昭和56年)4月25日の夜発生した事件では被害者の身元が判明せず、捜査を担当した新宿警察署(東京都新宿区西新宿六丁目)では被害者の似顔絵を公開した。第三事件(1981年〔昭和56年〕6月14日。被害者は17歳の少女。中森明菜のヒット曲「少女A」はこの事件の被害者をモデルに作られたという話もある)が起きてから世間が騒ぎ出し、テレビのワイドショーで公開捜査を行ったこともあったほどであった。
 この新宿歌舞伎町ラヴホテル連続殺人事件と1982年(昭和57年)6月6日に起きた新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件(被害者は千葉市花見川区で発見。未解決)は子供心に東京は怖い町だと思わせるのに十分な事件だった。私が父親と二人で初めて東京に行ったのは実は新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件が起きてから2ヶ月ほど経過した1982年(昭和57年)8月7日のことだったのだが、東京は怖い町という意識が先に立ち、最初は行きたくないと言ったものである(さすがに怒られたが…)。東京に行って何を見たのかなどは機を改めて書きたいと考えているのだが、東京に滞在した2日間「身近に心当たりは…」という宣伝文句の新宿歌舞伎町ラヴホテル連続殺人事件第二事件の被害者や遺留品を掲載したポスターは一度も目にしなかったのである。
 「ワイドショーで公開捜査をやっていたからそれを契機に被害者の身元は判明し、それで全く見かけなかったのだろう」と私は思ったものであるが、実はそうではないことを数年後に知ることになった。1989年(平成元年)11月24日放送の「素敵にドキュメント」(テレビ朝日系、1987〜1992年〔昭和62年〜平成4年〕放送)で司会の逸見政孝(1945〜1993)が東京都の行旅死亡人の遺骨を保管している場所(正式名称失念)をレポートした際に多くの遺骨の入っているマンホールの蓋を開けて「ここには1981年(昭和56年)に世間を騒がせた新宿歌舞伎町ラヴホテル連続殺人事件第二事件の身元不明の被害者の遺骨も入っている」と紹介したのを見たことで結局被害者の身元は判明しないままになっていることを知ることになったからである。
後に知ったところではあまりにも手がかりがなさ過ぎて容疑者にもたどり着けないし第二事件の被害者の身元も分からないということで第一事件(1981年〔昭和56年〕3月20日。被害者は45歳の女性)からまだ1年も経過していない1982年(昭和57年)2月にはもう捜査体制は縮小されたということなのだが、どうりで新宿歌舞伎町ラヴホテル連続殺人事件第二事件の被害者や遺留品を掲載したポスターは一度も目にしなかったわけである。記すまでもなく世間を騒がせた事件も忘れ去られ、1996年(平成8年)3〜6月に相次いで迎えたはずの公訴時効成立に関する報道は全くと言って良いほどなされなかったという。
 確かに新宿歌舞伎町ラヴホテル連続殺人事件から間もなく深川通り魔殺人事件(1981年〔昭和56年〕6月17日)やホテルニュージャパン火災(1982年〔昭和57年〕2月8日)、日本航空350便墜落事故(1982年〔昭和57年〕2月9日)…というように衝撃的な事件が相次いだことを思えばらちが明かないような事件や続報もない事件、ある小さな地域でたった数人が殺害されただけの事件など忘れ去られても致し方ない面はあったと思う。
更に私的領域擁護の観点から防犯カメラすら設置していないホテルでの犯行であり、いくら被害者の身元が判明しても容疑者にたどり着くための要素には乏しかった。だから警察は捜査体制を早い段階で縮小し、報道機関は取り上げなくなったわけである。第二事件の被害者の似顔絵が新聞に出ることは何度かあったがそれは行方不明者捜索強化月間に関する報道であり、数年後にはなくなっている。「それが大都会・東京の現実」と言われればそれまでなのだろうが、このように書いてくると大都会では一人の孤独な死ですら軽い存在になるのだろうかと考えたくなる。
 「あれは致し方ない。いつまでも関わっても無駄だった」と当時捜査に携わった方々は述懐するのだろうが、
確かに被害者の身元が判明しても容疑者にたどり着かない現実がある以上は諦める必要もあったのかもしれない。しかし、捜査体制は縮小したけれど我々は被害者の身元判明や容疑者検挙まで絶対に諦めないことを示す必要はあったのではないかと思うのである。その一つが被害者の似顔絵や遺留品を掲載したポスターを新調することではなかったのだろうか。
 今では忘れ去られた感が否めないこの事件はその後の警察の捜査の在り方に教訓を残したのではないかと私は思うわけであるが、残念ながら教訓が生かされていない面が多いのは事実と言わざるを得ない。その数々は本文で触れた通りであるが、そういう現実に異を唱える人が少ないのも私としてはどうかと思うのである。「国家権力の象徴を利するようなことはしたくない」とか言うのだろうが、国家権力の象徴の恣意的な言行が何を招いているのかを考えればもう看過はできないのではないのだろうか。
 私は思う。国家権力の象徴と後ろ指を差されたとしても一生懸命に捜査に当たり、一般市民からの声を真摯(しんし)に受け止め、一般市民からの信頼を得るように努めることはできるはずではないのか。それが実現した時、状況は大きく変わると思うのだが果たして…。

(2013年〔平成25年〕5月19日追記)