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SUNDAY TALK2012

第22回:安芸府中市は幻に終わるのか(2012年〔平成24年〕5月27日公開)

 広島県安芸郡府中町。広島市に取り囲まれているこの町は自動車製造会社・マツダ(広島県安芸郡府中町新地)の本社及び工場があることから財政事情に恵まれており、広島県で市制町村制が施行された1889年(明治22年)4月1日から一度も合併を経ずに存続している広島県で数少ない自治体である(注1)。広島市に取り囲まれているために過去何度も広島市との合併問題が浮上したが、いずれも成就することなく現在に至っている。
 そんな安芸郡府中町の人口は2010年(平成22年)10月1日に実施された国勢調査によると5万442人。日本の自治体としての町では最多の人口を有する町である(注2)。安芸郡府中町の人口が5万人を超えたのは1990年(平成2年)10月1日に実施された国勢調査からであり、以後5万人台を維持している(注3)のだが、そこで気になる問題が浮上してくる。それは安芸郡府中町は市制施行しないのかということである。
 市制施行要件の一つとなる人口は3万人以上になっていた時期もあったが、原則として5万人以上となっている。よって、この点では安芸郡府中町は問題はないことになる。そして2010年(平成22年)12月、府中町議会で和多利義之町長は町議会が市制施行する方向でまとまるなら本格的に進めたいと発言したことで中国地方及び広島県では廿日市(はつかいち)市(1988年〔昭和63年〕4月1日佐伯〔さえき〕郡廿日市町が市制施行)以来となる町村合併を伴わないいわゆる単独市制が実現するのは近いと誰もが感じた。
 ところが、それから1年半経った現在、安芸郡府中町の市制施行問題に関する動向は全く報じられていない。それどころか今月22日に告示された府中町長選挙(和多利義之町長以外に立候補者がなく、そのまま和多利義之町長が無投票で再選された)に関する記事(今月23日付中国新聞朝刊)を見るとどこにも市制施行を目指すというような発言が見られなかったのである。2010年(平成22年)10月1日実施の国勢調査で人口が5万人を超えていることが明らかになったところは安芸郡府中町以外には岩手県岩手郡滝沢村(5万3,857人)、埼玉県南埼玉郡白岡町(5万272人)、千葉県山武郡大網白里町(5万113人)、石川県石川郡野々市町(5万1,885人)、愛知県愛知郡長久手町(5万2,022人)があるのだが、既に石川県石川郡野々市町が昨年11月11日に市制施行して野々市市に、愛知県愛知郡長久手町が今年1月4日に市制施行して長久手市にそれぞれ移行しており、岩手県岩手郡滝沢村・埼玉県南埼玉郡白岡町・千葉県山武郡大網白里町も市制施行に向けて準備を進めているところである。つまり、2010年(平成22年)10月1日実施の国勢調査で人口が5万人を超えていることが明らかになったところで市制施行に向けた動きが全く進んでいないのは広島県安芸郡府中町だけになるのである。なぜ1年半以上話が止まったままになっているのか。なぜ和多利義之町長は市制施行について一切言及しなくなったのか。なぜ例えば早期の市制施行を求める人間が町長選挙に出馬しないのか。全く理解できない。
 私が安芸郡府中町の市制施行を望む理由は次の通りである。
・歌手・俳優の吉川晃司や元プロボクサーの竹原慎二など有名人を多数輩出している町なのに知名度が低いから。かつて「トゥナイト2」(テレビ朝日系、1994〜2002年〔平成6〜14年〕放送)で府中町出身の女性レポーター・高尾晶子の出身地を紹介するのに広島市中心部の名所(広島城跡〔広島市中区基町〕や平和記念公園〔広島市中区中島町〕など)を映さざるを得なくなったという話があったことを思うと市制施行して知名度を向上させるしか方法はない。
・中国地方及び広島県では廿日市市以来の町村合併を経ない市制施行になり、話題になるから。
・市の中に自治体としての町または村がある例(注4)はあったが、市の中に市が発足する稀有な例として有名になるから。
・同じ県の中に「府中」という地名の入った市が複数できることになり、有名になるから。
・安芸郡府中町が広島市への編入を拒み続ける理由の一つである広島市の財政難が解消される見込みはないから。
・人口が5万人を超えたのに市制施行に踏み切らなかったところとしては他に広島県佐伯郡五日市町(1911〜1985)があるが、五日市町の場合は広島市と合併するか市制施行するかで長らく町民が二分されたのに対し、府中町の場合は独立維持を望む町民が少なくないから。
・府中町の人口は5万人台で横ばい状態だが、今後の少子・高齢化やマツダの経営事情、未開発地の消滅などを考えると5万人台を維持できるかどうかは微妙なところにあるから。記すまでもないが人口が5万人を下回ると市制施行は不可能になるため市制施行の機会は限られていると考えて良い(注5)。
・広島市に安芸郡府中町を編入しようという積極的な動きが見られないから。
・広島市の資料を見ると安芸郡府中町は東区の一部にすることを考えていたようであるが、府中町は南区志向の地域と東区志向の地域に分かれており、このまま広島市との合併に進むのは好ましいとは思えないから(もしするのなら私は府中町全域を府中区という行政区にしたほうが良いと考えている(注6))。
・広島市及びその周辺は平地が少ないことや1970年(昭和45年)以降広島市が政令指定都市移行を目的に周辺自治体との合併を推進したことから衛星都市(ここでは1960年〔昭和35年〕1月1日以降に町村合併を経ず、人口増加により市制施行を果たした町村だけを対象とする)ができにくい傾向があり、もし安芸郡府中町が市制施行しないままで終わると広島市は七大都市(札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・広島・福岡)の中では衛星都市が廿日市市一つだけと最少になるから(注7)。
・人口は横ばいで開発はほぼ終わった現状を考えると十分独立状態でやっていけると考えられるから。
 ならばなぜ安芸郡府中町は市制施行に対して消極的な態度をとり続けているのだろうか。私は次のように考えている。
・広島市に取り囲まれている以上いくら独立を維持したとしても広島市に依存せざるを得ないもの(水道など)が少なくないから。
・市制施行するに当たって負担が増大する恐れがあるから。
・市制施行に反対する方が少なくないから。
・広島県では初めて警察署のない市が発足することになるから(注8)。
・中国地方及び広島県では久しぶりに国道が通っていない市が発足することになるから(注9)。
・広島県には既に府中市があるし、更に東京都にも府中市があるため市の名称でもめる恐れがあるから(注10)。
・町政の混乱を避けたいという思惑があるから。
・開発できるところは全て開発してしまった上にこれ以上人口が増える要素がないから。
・市として短命に終わりたくないから(注11)。
・先行きが不透明だから。
・橋下(はしもと)徹・大阪市長が推進しようとしている大阪都構想を契機に政令指定都市の在り方を見直す動きがあるから。
 広島市との合併は広島市の財政事情が芳しくないし上から目線で臨んでくるからイヤ、市制施行はいろいろ問題があるからイヤ、広島市との合併も市制施行も佐伯郡五日市町のように町内を二分する事態に陥るかもしれないからイヤということで町制堅持の方向に進むことにしたのだろうが、果たしてこれで良いのであろうか。次に挙げる現実を考えれば安芸郡府中町はそろそろ大局的な観点で将来を考えるべきではないのだろうか。
・広島市と市街地が一体化していること。
・財政状況が良かったのはキリンビール(東京都渋谷区神宮前六丁目(注12))の工場とマツダの本社があったからであるが、キリンビールの工場は閉鎖された上、マツダも今後は不透明な状況になっていること。
・府中町の代表駅(唯一の駅でもある)はJR山陽本線向洋(むかいなだ)駅(安芸郡府中町青崎南)の駅前の整備が進んでいないこと。
・今後の少子・高齢化を考えるといつまで市制施行要件の一つである人口5万人以上を維持できるか不透明であること。
・安芸郡海田町から広島市安芸区・安芸郡府中町・広島市南区にかけてのJR山陽本線及び呉線を高架化する事業が計画されていること。
・既に開発できる部分は開発が終わっており、これ以上人口が増える要素がなくなりつつあること。
・町制を堅持するのは現実から逃げようとしているとか長期的に物事を考えていないなどと批判される恐れがあること。
・市制施行を検討したいと言っておいてその後何もしないのは無責任以外の何物でもないこと。
 そういう観点で見れば今回の府中町長選挙は注目されるべきであったが、現職の無投票再選で終わってしまった。まさか「現職には勝てやしないだろう」とか「現職が府中町についてどうしたいか全く言及しないので立候補しようと考えたが身近な人から強硬的になっても困ると言われた」などと言って諦めたという話はないと思うのだが、民主主義の観点から考えれば無投票は認められるべきものではない(全体主義的な雰囲気を抱きたくなってしまうから)。たとえ負けることが濃厚だったとしても立候補し、自分の考えを有権者に訴えるくらいの気概はあっても良いのではないだろうか。府中町は今年9月に町議会議員選挙が控えており、この結果を注目したいところなのだが、それを経ても市制施行の「し」の字も出ないなら府中町の町長や町議会議員は府中町の将来を真剣に考えていないと多くの方は見なすことになるだろう(まさか和多利義之町長はこの町議会議員選挙の結果を待っているわけではないだろうが…)。とにかく府中町をどのようにしたいのかを真剣に考えるような立候補者が多数出てくることを期待したい。

(注釈コーナー)

注1:他には安芸郡坂町があるだけである。
※実は安芸郡坂町も安芸郡府中町も市制町村制施行当時からそれぞれ安芸郡坂町・安芸郡府中町だったわけではない。市制町村制施行当時はそれぞれ安芸郡坂村・安芸郡府中村だった(安芸郡坂町は1950年〔昭和25年〕8月1日、安芸郡府中町は1937年〔昭和12年〕1月1日にそれぞれ発足)。

注2:自治体としての町村では岩手県岩手郡滝沢村が最多の人口を有している。また、安芸郡府中町が自治体としての町では最多の人口を有する町になったのは今年1月4日に愛知県愛知郡長久手町が市制施行して長久手市に移行した時からである。

注3:安芸郡府中町の1990年(平成2年)以降の人口(国勢調査による)は下表の通りである。

国勢調査実施時期 人口 前回からの増減 備考
1990年(平成2年)10月1日 50,060 +1,227
1995年(平成7年)10月1日 50,676 +616
2000年(平成12年)10月1日 50,673 −3
2005年(平成17年)10月1日 50,732 +59
2010年(平成22年)10月1日 50,442 −290

注4:有名な例としては静岡県浜名郡可美村(1914〜1991)がある。可美村は自動車製造会社・スズキ(浜松市南区高塚町)の本社があることから財政事情に恵まれており、四方を浜松市に取り囲まれる結果になっても浜松市への編入を長らく拒んできた。しかし、1991年(平成3年)5月1日に浜松市に編入されて消滅した。

注5:2010年(平成22年)10月1日実施の国勢調査ではあと少しのところで人口が5万人に届かず、市制施行を断念したところが出ている。愛知県知多郡東浦町(4万9,800人)や福岡県筑紫郡那珂川町(4万9,780人)がそれである。また、北海道苫前郡羽幌町は1970年(昭和45年)10月1日実施の国勢調査で人口が当時の市制施行要件の3万人を下回った(2万8,574人)にもかかわらず1965年(昭和40年)10月1日実施の国勢調査のデータ(3万266人)を元に市制施行を強行しようとしたが自治省(現:総務省)の指導により断念させられたという話がある。
※愛知県知多郡東浦町や福岡県筑紫郡那珂川町以外に次期国勢調査の結果如何で市制施行の可能性があるところは次の通りである(ここでは2010年〔平成22年〕10月1日実施の国勢調査で人口が4万5千人以上になっている町村を挙げている)。
・北海道河東郡音更町(4万5,085人)
・宮城県黒川郡富谷(とみや)町(4万7,042人)
・茨城県稲敷郡阿見町(4万7,940人)
・埼玉県北葛飾郡杉戸町(4万6,923人)
・神奈川県高座郡寒川町(4万7,672人)
・大阪府泉南郡熊取町(4万5,069人)

注6:政令指定都市が編入した自治体がそのまま行政区になり、以後何の変動もない例としては仙台市泉区(旧:宮城県泉市)やさいたま市岩槻区(旧:埼玉県岩槻市)、名古屋市守山区(旧:愛知県守山市)、堺市美原区(旧:大阪府南河内郡美原町)、北九州市門司区(旧:福岡県門司市)がある。このうち堺市美原区は人口が3万9,280人(2010年〔平成22年〕10月1日実施の国勢調査による)と広島県安芸郡府中町より少なく、広島市府中区は十分実現可能であると言える。

注7:七大都市の周辺にある衛星都市は下表の通りである。

都市名 都道府県名 衛星都市名及び
市制施行年月日
備考
札幌 北海道 石狩市(1996年〔平成8年〕9月1日)
恵庭市(1970年〔昭和45年〕11月1日)
北広島市(1996年〔平成8年〕9月1日)
仙台 宮城県 泉市(1971年〔昭和46年〕11月1日)
岩沼市(1971年〔昭和46年〕11月1日)
多賀城市(1971年〔昭和46年〕11月1日)
泉市は1988年(昭和63年)3月1日に仙台市に編入されたため消滅。
東京 茨城県 岩井市(1972年〔昭和47年〕4月1日)
牛久市(1986年〔昭和61年〕6月1日)
取手市(1970年〔昭和45年〕10月1日)
守谷市(2002年〔平成14年〕2月2日)
岩井市は2005年(平成17年)3月22日に猿島(さしま)郡猿島町と統合して坂東(ばんどう)市に移行したため消滅。
埼玉県 朝霞市(1967年〔昭和42年〕3月15日)
入間市(1966年〔昭和41年〕11月1日)
桶川市(1970年〔昭和45年〕11月3日)
上福岡市(1972年〔昭和47年〕4月10日)
北本市(1971年〔昭和46年〕11月3日)
久喜市(1971年〔昭和46年〕10月1日)
坂戸市(1976年〔昭和51年〕9月1日)
幸手(さって)市(1986年〔昭和61年〕10月1日)
志木市(1970年〔昭和45年〕10月26日)
白岡市(2012年〔平成24年〕10月1日)
鶴ヶ島市(1991年〔平成3年〕9月1日)
戸田市(1966年〔昭和41年〕10月1日)
新座市(1970年〔昭和45年〕11月1日)
蓮田市(1972年〔昭和47年〕10月1日)
鳩ヶ谷市(1967年〔昭和42年〕3月1日)
日高市(1991年〔平成3年〕10月1日)
富士見市(1972年〔昭和47年〕4月10日)
三郷市(1972年〔昭和47年〕5月3日)
八潮市(1972年〔昭和47年〕1月15日)
吉川市(1996年〔平成8年〕4月1日)
和光市(1970年〔昭和45年〕10月31日)
上福岡市は2005年(平成17年)10月1日に入間郡大井町と統合してふじみ野市に移行したため消滅。
鳩ヶ谷市は2011年(平成23年)10月11日に川口市に編入されたため消滅。
千葉県 我孫子市(1970年〔昭和45年〕7月1日)
印西市(1996年〔平成8年〕4月1日)
浦安市(1981年〔昭和56年〕4月1日)
鎌ヶ谷市(1971年〔昭和46年〕9月1日)
君津市(1971年〔昭和46年〕9月1日)
白井市(2001年〔平成13年〕4月1日)
袖ヶ浦市(1991年〔平成3年〕4月1日)
富里市(2002年〔平成14年〕4月1日)
流山市(1967年〔昭和42年〕1月1日)
富津(ふっつ)市(1971年〔昭和46年〕9月1日)
八街市(1992年〔平成4年〕4月1日)
八千代市(1967年〔昭和42年〕1月1日)
四街道市(1981年〔昭和56年〕4月1日)
2013年(平成25年)1月1日に千葉県山武郡大網白里町が市制施行して大網白里市が発足する予定(2012年〔平成24年〕10月27日現在「官報」での告示はまだ行われておらず、正式決定ではない)。
東京都 秋川市(1972年〔昭和47年〕5月5日)
稲城市(1971年〔昭和46年〕11月1日)
清瀬市(1970年〔昭和45年〕10月1日)
国立市(1967年〔昭和42年〕1月1日)
国分寺市(1964年〔昭和39年〕11月3日)
小平市(1962年〔昭和37年〕10月1日)
狛江市(1970年〔昭和45年〕10月1日)
田無市(1967年〔昭和42年〕1月1日)
多摩市(1971年〔昭和46年〕11月1日)
羽村市(1991年〔平成3年〕10月1日)
東久留米市(1970年〔昭和45年〕10月1日)
東村山市(1964年〔昭和39年〕4月1日)
東大和市(1970年〔昭和45年〕10月1日)
日野市(1963年〔昭和38年〕11月3日)
福生(ふっさ)市(1970年〔昭和45年〕7月1日)
保谷(ほうや)市(1967年〔昭和42年〕1月1日)
武蔵村山市(1970年〔昭和45年〕11月3日)
秋川市は1995年(平成7年)9月1日に西多摩郡五日市町と統合してあきる野市に移行したため消滅。
田無市と保谷市は2001年〔平成13年〕1月21日に統合して西東京市に移行したため消滅。
神奈川県 綾瀬市(1978年〔昭和53年〕11月1日)
伊勢原市(1971年〔昭和46年〕3月1日)
海老名(えびな)市(1971年〔昭和46年〕11月1日)
座間市(1971年〔昭和46年〕11月1日)
南足柄市(1972年〔昭和47年〕4月1日)
名古屋 岐阜県 可児市(1982年〔昭和57年〕4月1日)
愛知県 岩倉市(1971年〔昭和46年〕12月1日)
大府市(1970年〔昭和45年〕9月1日)
尾張旭市(1970年〔昭和45年〕12月1日)
高浜市(1970年〔昭和45年〕12月1日)
知多市(1970年〔昭和45年〕9月1日)
知立(ちりゅう)市(1970年〔昭和45年〕12月1日)
豊明市(1972年〔昭和47年〕8月1日)
長久手市(2012年〔平成24年〕1月4日)
日進市(1994年〔平成6年〕10月1日)
みよし市(2010年〔平成22年〕1月4日)
三重県 久居市(1970年〔昭和45年〕8月1日) 久居市は2006年(平成18年)1月1日に津市と安芸(あげ)郡安濃・河芸・芸濃各町及び美里村、一志郡一志・香良洲・白山各町及び美杉村と統合して改めて発足した津市に移行したため消滅。
大阪 滋賀県 守山市(1970年〔昭和45年〕7月1日)
栗東(りっとう)市(2001年〔平成13年〕10月1日)
京都府 京田辺市(1997年〔平成9年〕4月1日)
城陽市(1972年〔昭和47年〕5月3日)
長岡京市(1972年〔昭和47年〕10月1日)
向日(むこう)市(1972年〔昭和47年〕10月1日)
八幡市(1977年〔昭和52年〕11月1日)
大阪府 大阪狭山市(1987年〔昭和62年〕10月1日)
交野(かたの)市(1971年〔昭和46年〕11月3日)
門真市(1963年〔昭和38年〕8月1日)
四條畷(しじょうなわて)市(1970年〔昭和45年〕7月1日)
摂津市(1966年〔昭和41年〕11月1日)
泉南市(1970年〔昭和45年〕7月1日)
高石市(1966年〔昭和41年〕11月1日)
阪南市(1991年〔平成3年〕10月1日)
藤井寺市(1966年〔昭和41年〕11月1日)
奈良県 生駒市(1971年〔昭和46年〕11月1日)
香芝市(1991年〔平成3年〕10月1日)
和歌山県 岩出市(2006年〔平成18年〕4月1日)
広島 広島県 廿日市市(1988年〔昭和63年〕4月1日)
福岡 福岡県 大野城市(1972年〔昭和47年〕4月1日)
小郡市(1972年〔昭和47年〕4月1日)
春日市(1972年〔昭和47年〕4月1日)
古賀市(1997年〔平成9年〕10月1日)
太宰府市(1982年〔昭和57年〕4月1日)
筑紫野市(1972年〔昭和47年〕4月1日)
前原(まえばる)市(1992年〔平成4年〕10月1日)
宗像(むなかた)市(1981年〔昭和56年〕4月1日)
前原市は2010年(平成22年)1月1日に糸島郡志摩・二丈両町と統合して糸島市に移行したため消滅。

広島市の周辺には廿日市市や安芸郡府中町以外にも安佐郡祇園町(1970年〔昭和45年〕10月1日実施の国勢調査によると3万9,922人)や佐伯郡五日市町(1980年〔昭和55年〕10月1日実施の国勢調査によると8万7,325人)が市制施行要件人口(1970年〔昭和45年〕当時は3万人以上、1980年〔昭和55年〕当時は5万人以上)に達しており、もし広島市が政令指定都市移行を目的とした市町村合併を推進していなければ安芸郡府中町や安佐郡祇園町、佐伯郡五日市町は市制施行に踏み切っていたのではないかと思われる。

注8:中国地方ではともに岡山県にある赤磐(あかいわ)市と浅口市に警察署がないためもし安芸郡府中町が市制施行すれば3番目の都市となる。

注9:中国地方にある市で遂に国道が通らずじまいになったのは岡山県児島市(1948〜1967。現:倉敷市)がある(但し消滅後の1982年〔昭和57年〕4月1日から国道430号線が通るようになった)。一方で児島市以外の市については1993年(平成5年)4月1日に府中市内を国道486号線が通るようになったのを最後に国道のないところはなくなっており、平成の大合併で発足した市でも国道が通っていないところは存在しない。
※安芸郡府中町には実はかつて国道2号線が通っていた。しかし、バイパスが建設され、そちらに経路が変更されたことから1968年(昭和43年)7月23日広島県告示第603号により広島県道164号広島・海田線に再編され、国道が通らなくなってしまった。よって、厳密には「かつて国道が通っていたが今は通っていない町」になる。

注10:原則として複数同じ字の市が存在することは認められていないのだが、伊達市(北海道と福島県)と府中市(東京都と広島県)だけは認められている。更にかつては若松市(福島県と福岡県)も認められていた(福島県の若松市は現在の会津若松市、福岡県の若松市は現在の北九州市若松区)。

注11:中国地方で最短命の市は現在福山市の一部となっている松永市である(1954年〔昭和29年〕3月31日〜1966年〔昭和41年〕4月30日の4,414日)。現存の市では岡山県浅口市が最も発足からの日数が少ない(2006年〔平成18年〕3月21日発足。今年5月27日時点の市制施行からの日数は2,260日)。

注12:キリンビールの正式な社名は麒麟麦酒(読み方は無論キリンビール)である。

(AFTER TALK)

 なぜ広島県安芸郡府中町は市制施行に積極的にならないのか。本作公開後、私は府中町に電子メールで質問してみた。その結果、四方を広島市に取り囲まれていることや広島県が定めている「市としての要件に関する条例」(1948年〔昭和23年〕3月31日条例第28号)に定められている「学校教育法(1947年〔昭和22年〕3月31日法律第26号)に規定する高等学校若しくはこれに準ずる学校又は中等教育学校が、三以上設けられていること」(一部改変して記載)という要件を満たしていないことから広島県議会では市制施行については消極的になっているという印象を受けていて、積極的に話を進められる状況にはないとの回答を得た。四方を広島市に取り囲まれていること(それにより水道など広島市に依存しなければならないものも少なくない)は分かるのだが、私として意外に思ったのは「広島県が定めている『市としての要件に関する条例』に定められている『学校教育法に規定する高等学校若しくはこれに準ずる学校又は中等教育学校が、三以上設けられていること』という要件を満たしていない」ということであった。確かに府中町内には広島県立安芸府中高等学校(府中町山田五丁目)しか「学校教育法に規定する高等学校若しくはこれに準ずる学校又は中等教育学校」がないのだが、少子・高齢化が進み、やがて人口減少も考えられる現状では府中町内にこれ以上高校が設置される可能性は低いと言わざるを得ない。ただ、第二次世界大戦後市制施行した広島県の市―廿日市市以外は全て複数の町村の統合で発足したところばかりなのだが―の中には「学校教育法に規定する高等学校若しくはこれに準ずる学校又は中等教育学校」が2校以下だったところはいくつもあるし、今は亡き松永市に至っては広島県立松永高等学校(福山市神村〔かむら〕町(注))1校しかなかったことを思えばその点を指摘し、広島県に対して条例の改正を求め、実現させた上での市制施行は決して不可能なことではない。
 府中町では今年9月23日に町議会議員選挙が実施されたのだが、そこでも市制施行問題は全く出てこなかった。新しい町長と新しい町議会議員が決まったことで何らかの進展を期待したいところなのだが、どちらも市制施行の「し」の字も触れないところを見ると現状維持が望ましいという判断を下したのだろうか。それともこれからどのようにするか考えていくのだろうか。和多利義之町長の「
町議会が市制施行する方向でまとまるなら本格的に進めたい」という発言が気にかかるところなのだが、市制施行に向けて動くのなら積極的な動きを見せて欲しいし、逆に市制施行を断念し、現状を維持することを決めたのならきちんとそのことを表明して欲しいと思っている。
 広島市は京都市とともに20世紀中に政令指定都市に移行した都市では数少ない平成の大合併経験組であるが、一方では安芸郡海田・府中両町との合併論議は平成の大合併でもご破算になっている。海田・府中両町が広島市の財政事情の悪さを嫌ったことがその主たる理由であるが、(私は決して市町村合併には賛成ではないものの)海田町で町役場の移転をめぐって町長と町議会が対立していること(その背景にご破算になった合併論議があるという話もある)や府中町が市制施行を志向しながら停滞していることなどを考えるといずれこのままで果たして良いのかどうか問われる時は来るのではないかと私は考えている。それが何年先のことになるのか、全く見当はつかないのだが…。

(2012年〔平成24年〕10月27日追記)

注:広島県立松永高等学校が現在地、すなわち福山市神村町に移転したのは1962年(昭和37年)のことである。それまではJR山陽本線松永駅(福山市松永町)のすぐ南側(現在の地名で記せば福山市松永町四丁目)にあった。現在松永駅南口駅前広場にかつて広島県立松永高等学校がそこにあったことを示す碑(下の写真)が建てられている。