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SUNDAY TALK2012
第27回:どちらに転んでも…(2012年〔平成24年〕7月1日公開)
※今回の作品は賛否両論ある、非常に難しい問題を取り扱っております。その点を理解した上でご覧頂きますようお願い致します。なお、この作品に対する意見や批判などは一切受け付けませんのでご了承願います。
福山市南部の景勝地・鞆の浦の埋め立て・架橋問題についてこの度、広島県の湯崎英彦知事は埋め立てを撤回することを発表した。1983年(昭和58年)に広島県道47号鞆・松永線の離合困難箇所の解消や生活環境の改善、港湾施設の整備を目的に計画が策定されて以来30年近くにわたってもめてきたこの問題は新たな局面を迎えることになった。
まあ広島県知事が埋め立て・架橋計画は撤回すると発表したからこれで終わりというわけには行かないのだろうが、この問題に対して中立的な立場をとっている私としては埋め立て・架橋でもトンネルでも完璧な解決にはなり得ないのではないかと考えている。「部外者が何を言うか。黙っておれ!!」と言われるかもしれないのだが、どのような点にそのことを感じたのかをここから記していきたいと思う。
(埋め立て・架橋派)
1 埋め立ての完成までにかなりの時間がかかり、その間にも鞆地区の過疎化は進展していくこと
福山市―ここでは新市町の全域と芦田町福田の一部、高西町南の一部、山野町山野の一部(注1)を除く―の市内局番が3桁化されたのは2002年(平成14年)2月2日のことであるが、市内局番が3桁化される数年前まで市内局番を見ればどの地域に住んでいるかとかどの地域に事業所があるかが分かるようになっていた(注2)。福山市鞆地区の場合市内局番は982局か983局だったのだが、最近福山市中心部や福山市東部に事業所があるのに市内局番に982局か983局を使用するところが見られるようになってきたのである。なぜこのようになったのか。鞆地区の人口が減少したからである。人口減少で余った電話番号を需要が多い地域に転用した結果、福山市中心部や福山市東部で市内局番に982局か983局を使用するところが出てきたというわけである。
こういうこともあるのだなと思ったものであるが、感心すべき問題ではない。それだけ鞆地区の過疎化が進展しているということが明らかになったからである。鞆の浦の埋め立てには10年かかるとされているが、もし仮に今埋め立て工事が始まったとして、埋め立て工事が完成する2022年(平成34年)には鞆地区の人口がどれだけになるのか考えたことはあるのだろうか。更に埋め立て後環境が改善されたとしても鞆地区の人口が増加するという保証はどこにもない。計画が策定された1983年(昭和58年)以降のいずれかの時期に着工されたとしても結果は同じことになったのではないのだろうか。
2 広島県道22号福山・鞆線の終点と広島県道47号鞆・松永線の起点が不明瞭になる恐れがあること
広島県道22号福山・鞆線の終点と広島県道47号鞆・松永線の起点は現在は別々の場所にある。福山市中心部から南下してきた広島県道22号福山・鞆線は海に突き当たったところが終点となるのに対し、広島県道47号鞆・松永線はそこから数百m福山市中心部に戻ったところにある福山市役所鞆支所(福山市鞆町鞆)の東北にあるT字路が起点になる。鞆の浦の埋め立て・架橋計画では広島県道47号鞆・松永線のバイパスを埋め立て地に作ることになっているので埋め立て・架橋計画が完成した後は広島県道22号福山・鞆線の現在の終点が広島県道47号鞆・松永線の新たな起点になる。
つまり、広島県道22号福山・鞆線と広島県道47号鞆・松永線は一続きの道になるわけであるが、そこで気になる問題が出てくる。まずは下の写真をご覧頂きたい。
鞆の浦とは全然関係ない、福山市内のある場所の写真なのだが、この写真はある県道路線の終点と起点がある場所を撮影したものであると言って信じる方はどのくらいいるのだろうか。何もそういうことを示す物件はないので単なる一続きの道だと思う方が多いはずである。実はこの写真は福山市引野町にある岡山県道・広島県道3号井原・福山港線の終点と広島県道244号福山港線の起点を撮影したものである。東行き、すなわち広島県道244号福山港線から岡山県道・広島県道3号井原・福山港線に進む場合は岡山県道・広島県道3号井原・福山港線の県道標識(写真の中央にその後ろ姿が見える)があるので県道路線が切り替わったことは認識できるのだがどこから広島県道244号福山港線から岡山県道・広島県道3号井原・福山港線に切り替わったのかが分からないし、西行きに至っては福山市東手城町二丁目/入江大橋北詰交差点の手前にある案内標識を見るまで岡山県道・広島県道3号井原・福山港線から広島県道244号福山港線に切り替わったことが分からない。こういう状況がもしかしたら埋め立て・架橋計画完成後の鞆の浦で見られるようになるかもしれないのである。まあ前に記したように埋め立てには10年かかるとされているのでその間に国道・主要地方道再編(注3)が実施されることも考えられないわけではないのだが、福山市内にはこの他にも市道と県道の境が不明瞭なところがいくつかあること(注4)を考えると福山市内の県道路線を管理する広島県東部建設事務所(福山市三吉町一丁目)はもう少し路線明示に本腰を入れて頂きたいと私は考えているのだが…。
3 鞆の浦弁天島花火大会開催時に数時間だけだが通り抜けできなくなること
まずは下の写真をご覧頂きたい。
5月最終土曜日に開催される鞆の浦弁天島花火大会で交通規制が実施される様子を撮ったものであるが、写っている道、すなわち広島県道22号福山・鞆線をまっすぐ進むと埋め立て・架橋予定地の手前で突き当たりになる。埋め立て・架橋計画完成後はそこから広島県道47号鞆・松永線が西方へ延びていくことになっているのだが、写真中央左にある看板を見ると鞆の浦弁天島花火大会が開催される時は写真中央のT字路で右折しなければならないと記されている。つまり、埋め立て・架橋計画完成後も鞆の浦弁天島花火大会が開催される時だけは鞆地区の狭い道を通らざるを得なくなってしまうのである。
「5月最終土曜日の午後6時〜午後9時の3時間だけのことだろう。大したことはないのではないか」という意見もあるのではないかと思うのだが、自動車通行禁止規制を伴う花火大会のほとんどは近隣に迂回路が確保されており、十分な広さを持つ迂回路がないのは鞆の浦弁天島花火大会と島根県邑智(おおち)郡川本町の中心部(注5)で開かれる江の川名物花火大会(毎年7月最終土曜日に開催。同じ日に開催されるええなぁまつりかわもとの企画の一つ)ぐらいのものであろう(もしかしたらまだあるのかもしれないが)。しかももし埋め立て・架橋計画が実現しても状況は全く変わらない。たった3時間だけのことかもしれないが、もしその間に何か起きたとしたらどうするのだろうか。
更に鞆の浦弁天島花火大会の時は広島県道22号福山・鞆線の上り線(福山市中心部方面)は事実上一本道状態が解消される福山市水呑(みのみ)町/佐須良池交差点まで大渋滞する。埋め立て・架橋計画完成後もこの状態は変わらないことだろうが、1年のうちのたった1日のこととはいえこういう状況が生じるのは果たして許容できることなのだろうか。
(トンネル派)
1 鞆の浦は一切埋め立てを経ないできたわけではないこと
鞆の浦の埋め立て・架橋計画は前にも記したように広島県道47号鞆・松永線の離合困難箇所の解消や生活環境の改善、港湾施設の整備を目的に計画が策定された。ならばこれが鞆の浦として初めての埋め立てなのかというとそういうことはない。
そこで下の写真をご覧頂きたい。
上の写真は鞆シーサイドホテル(福山市鞆町鞆)のすぐ北側にある石垣を撮ったものであるが、かつてはこの石垣が海岸線であった。撮影者、すなわち私の後ろには広島県道22号福山・鞆線が通っており、その先に海があるわけであるが、どの時期かは定かではないものの港湾整備や広島県道22号福山・鞆線の改良を目的に埋め立てを行ったことが推察される(注6)。更に鞆地区の東岸部では港湾施設や鉄鋼団地の整備のために埋め立てが行われており、埋め立て・架橋計画中止の見返り措置でも東岸部を埋め立てて駐車場を整備するなどの構想が出ている。東岸部の埋め立てでは瀬戸内海の眺望が遮られた箇所が少なくないのだが、この点について何も声が上がっていないのはどういうことなのだろうか。
2 ある箇所から見た海岸の景観にどうかと思うものがあること
鞆地区の南西部にある平町(鞆町後地の小字)または焚場町(鞆町後地の小字)から北東方向の海岸を眺めると江之浦町(鞆町鞆の小字)から西町(鞆町鞆の小字)にかけて狭い砂浜があるのが見られるのだが、そこに排水管と思しきものがあるのを見て幻滅したことがある。恐らくその辺りの民家の生活排水を海に排出するために設置されたものではないかと思うのだが、トンネルを建設した場合はこの景観改良(下水道整備による排水管撤去)に取り組むのはトンネル完成後のことになる。トンネル建設のほうが費用も時間もかからないとは言うのだが、このことをどのように考えているのであろうか。
3 中国地方にある古い町並みが残る地域には近くに広い道路や大規模な工場があるところがあること
中国地方にも古い町並みが残るところがいくつもあるのだが、明治時代以降の開発でその近くに広い道路や大規模な工場があるところがいくつもある。前者には高梁市や津山市、下関市長府地区が、後者には下関市長府地区がそれぞれあるのだが、変化は受け入れざるを得ない問題であるとはいえこの事実はどのように考えているのだろうか。一方では島根県鹿足郡津和野町津和野地区のようにかつては中心部を通過していた幹線道路を地区の東にある山の中腹に迂回させたという話もあるのだが…。
4 線形に無理が生じる恐れがあること
もしトンネルが建設されるとすると福山市鞆町後地字御幸町と福山市鞆町後地字平町を結ぶことになるものと思われる。北側、すなわち福山市鞆町後地字御幸町側は鞆鉄鋼団地の南端近くで広島県道22号福山・鞆線から分岐してほぼまっすぐに山裾を進む市道(沼名前〔ぬなくま〕神社〔福山市鞆町後地〕の北側で途切れている。更に南進させる計画があったが頓挫した(注7))に、南側、すなわち福山市鞆町後地字平町側は広島県道47号鞆・松永線平バイパスにそれぞれ接続することになると思われるのだが、この経路には線形に無理が生じる箇所がいくつかある。それを挙げると次の通りになる。
・広島県道22号福山・鞆線との分岐点。沼隈方面と鞆地区中心部方面を往来する場合鋭角になるため大型車や観光バスが曲がるのに難渋する恐れがある。
・北側のトンネル入口。どのように広島県道22号福山・鞆線から分岐してほぼまっすぐに山裾を進む市道と滑らかに接続するようにするのか。
・トンネル本体。地形的にまっすぐに掘ることはできない。屈曲を入れる必要が生じるが事故が多発するなどの危険はないのだろうか。
更に広島県道22号福山・鞆線から分岐してほぼまっすぐに山裾を進む市道の沿線には民家が多数建っており、用地買収が難航する恐れも否定し得ない。もし住人が架橋・埋め立てに賛成という方だったらかなり手こずることであろう。また、トンネルの入口が景観を破壊するという意見も出る可能性がある。たださえ広島県では広島県道472号広島東インター線(広島高速1号線)の福木トンネル(広島市東区)の上で起きた地盤沈下が大きく報じられてからトンネル建設に反対する動きが各地で起きているのだが、果たしてトンネル建設に円滑に進めるものなのだろうか。
5 鞆地区中心部と沼隈方面を往来するのに遠回りになること
現在、福山市鞆地区中心部と福山市沼隈地区を往来するのに最短経路となるのはやはり広島県道47号鞆・松永線である。ところが、トンネルが建設された場合、福山市鞆地区中心部と福山市沼隈地区を往来するのに広島県道47号鞆・松永線は最短経路にならない。鞆地区の狭い道を通るのが最短経路の座を守ることになるのだが、バイパスは必ずしも現道より短くしなければならないわけではないことや鞆地区の狭い道を通れない車両が通れるようになることを考えると問題にしなくても良いことかもしれない。
中には福山市鞆町後地と福山市沼隈町能登原の間に長大トンネルを掘ったほうが良いという意見もあるが、この意見も鞆側坑口が景観を破壊するとする声が出る可能性があることや費用がかなりかかること、福山グリーンライン(広島県道251号後山公園・洗谷線)や小室浜海水浴場(福山市鞆町後地)といった広島県道47号鞆・松永線現道にある観光地へのアクセスに難があることなどの課題がある。既に芦田川流域下水道が福山市鞆町後地〜福山市沼隈町能登原間に長大トンネルを掘っているので決して困難な話ではないのだが…。
(両派)
1 鞆地区に通じる県道路線にはいずれも問題があること
鞆地区の広島県道47号鞆・松永線のバイパスが完成すれば一件落着か…というと実はそうではない。鞆地区に通じる県道路線は広島県道22号福山・鞆線と広島県道47号鞆・松永線、広島県道251号後山公園・洗谷線の3路線があるのだが、いずれも問題を抱えているのである。それを示すと下表の通りになる。
路線名称 | 問題点 |
---|---|
広島県道22号福山・鞆線 | ・福山市水呑町での経路が分かりにくい(三新田(北)交差点〜福山商業高校入口交差点間をほぼまっすぐに結ぶ道が正しい経路。三新田(北)交差点から三新田中央交差点を経由して福山商業高校入口交差点に至る経路は誤り(注8))。 ・福山市田尻町に異常気象時通行規制区間(高波襲来時に通行止めにする規制)がある。 |
広島県道47号鞆・松永線 | ・福山市鞆町後地から福山市沼隈町能登原にかけて歩道がない。 ・阿伏兎(あぶと)隧道の鞆側坑口の手前に見通しの悪い屈曲がある。 ・阿伏兎隧道は上下2車線化こそされているが規格が古いため狭い。 ・阿伏兎隧道は2000年(平成12年)に改修されているがそれでも古びた感じがする。 ・阿伏兎隧道の能登原側は急勾配になっている。 ・福山市藤江町に2箇所ほど狭隘箇所が残されたままになっている。 |
広島県道251号後山公園・洗谷線 | ・全線(注9)が異常気象時通行規制区間になっている。 ・全般的に寂れた感が否めない。 ・バイクの通行が禁止されている。 ・午後11時〜翌日午前5時の6時間については自動車自体の通行も禁止されている(事実上全線(注10))。 ・古びた標識がいくつもある。 ・鞆地区との往来が不便。 |
この中で最も考えられてしかるべきは広島県道47号鞆・松永線の阿伏兎隧道前後の部分であろう。交通量が少ないことなどから今は何も問題にはなっていないが、鞆地区の広島県道47号鞆・松永線のバイパスが開通した後必ず問題になってくるのではないかと思われる。鞆地区の問題が解決したと思ったら今度は…というのでは広い視野に立って物事を考えていないと批判されるのは確実である。このことについて広島県はどのように考えているのか。鞆地区だけの問題ではないことを認識すべきではないのだろうか。
2 たとえどのような案が実現したとしても改善できないものは残ること
埋め立て・架橋案もトンネル案も広島県道47号鞆・松永線の狭隘箇所の迂回路を設けることが目的の一つである。迂回路が完成すればなかなか進まない鞆地区の下水道の整備に弾みがつくことや通過交通が狭い町中に入らなくなり、歩行者や観光客の安全が確保されることが期待されている。
しかし、それでも次に挙げるような問題は改善できないままになる。
・警察車両や消防車、救急車などの緊急車両が通れない箇所が残ること。
・あぶと健生苑(福山市沼隈町能登原)やエクセル鞆の浦(福山市田尻町)、サンスクエア沼南(福山市水呑町)、プレジール箕島(福山市箕島町)などの近隣の高齢者介護施設の送迎で難渋する箇所が残ること。
例えば早い時期(1980年代後半だったと思う)に広島県道47号鞆・松永線のバイパスが開通した福山市鞆町後地字平町は通過交通こそほとんどなくなったが、今でも広島県道47号鞆・松永線旧道(福山市道)にある交互通行用の信号が運用され続けている(注11)など道は狭いままである。無論前に挙げたように緊急車両や高齢者介護施設の送迎車両の進入には難しい面が残っている。小型車両での進入など対策はあるのだろうが、この点に対する認識はどうなのだろうか。
私は部外者であるし中立の立場をとっているからどの案が良いとかいうことはここでは記さない。しかし、30年近くにわたり町内を二分してきた問題はどちらに決着しようとしこりを残す結果になったと言える。そんな中思うのはなぜ行政は最初から埋め立てありきで話を進めたのかということとなぜ行政はもっと住民から話を聞こうとしなかったのかということ、そしてなぜ行政は町並みや景観の問題に無頓着なのかということである。つまり、行政の恣意的な考え方や上から目線で臨む態度がこのような結末を生み出したのではないかと私は思うのである。
更に問題をおかしくしたのは報道機関の偏向的な態度である。ほとんどの報道機関は「埋め立て・架橋計画はすべきではない。トンネルを建設すべきだ」という考え方であった。中には道路特定財源で埋め立てが強行され、景観が破壊されるなどと飛躍しすぎたような報じ方をしたところがあったし、広島県を放送区域とするある民間テレビ放送局の夕方の情報番組でこの問題を討論の対象として取り上げた時、テレビ局のスタジオに現れたのは埋め立て反対派の方々ばかりだったという話もあった(そこで得られる結論がどうなるかはもう記すまでもないであろう)。反対の立場に固まれば賛成の立場にある方々の思いは無視するし、反対派の意見は全て正しいと決め付ける。確かに放送局としては間違ったことは許せないという態度をとりたかったのだろうが、こんな偏向的な態度が認められて良いわけはない。結局報道機関も上から目線で事に臨んだのである。
民主国家なのに関係者や地域住民の話をろくに聞かず、最初から「○○ありき」と一つの結論しか用意しない行政。深く掘り下げもせずに開発に反対する人の肩を持ち、それが正しいかのようにいかなる手段を用いても伝えようとする報道機関。この二つが鞆地区の住民に消えないしこりをもたらした真犯人である。しかし、誰も彼らの責任を問う声は上げない。何も鞆の浦の埋め立て・架橋問題だけの話ではないのだが、私はこれで良いのかと考えている。もしかしたら裏に何かあるのかもしれないのだが、今までも、そしてこれからもこういう悲劇が各地で繰り返されることが非常に残念である。
今回は賛否両論ある、非常に難しい問題を取り上げた。恐らく私の書いたことに反感を抱く方もいることであろう。けれど、今回あえて書いたのは細かいことかもしれないけれど、どうでも良いことかもしれないけれど、果たして一つの結論を出すのにその場の流れで決めるのが良いことなのか。深く考えないで決めることが良いことなのか。それを訴えたかったのである。
鞆の浦の問題が今後どうなっていくか、誰にも分からない。けれど、地元の有名な観光地・景勝地の今後を私はずっと見続けていきたいと思う。
(注釈コーナー)
注1:新市町の全域と芦田町福田の一部の市外局番は0847(府中区域)、高西町南の一部の市外局番は0848(尾道区域)、山野町山野の一部の市外局番は0866(井原区域)となっている。また、今津町・金江町・神村(かむら)町・高西町(南の一部を除く)・東村町・藤江町・本郷町・松永町・南今津町・南松永町・宮前町・柳津町の市外局番は084であるが、1985年(昭和60年)11月23日に市外局番が08485から0849に変更された時福山区域への編入は見送られたため内海(うつみ)町・神辺(かんなべ)町・沼隈町との通話には市外局番(084)が要る。
注2:例えば市内局番970番台は福山市北部地区で使用されていた。972局が福山市加茂町とその周辺、974局が福山市山野町の大部分、976局が福山市駅家町の中部・南部、978局が福山市駅家町の北部(服部地区)でそれぞれ使用されていたのだが、1990年代後半になると福山市中心部で971局や973局が使用されるようになり、必ずしも福山市北部地区だけで使用される市内局番ではなくなった。
注3:今のところ1993〜1994年(平成5〜6年)を最後に実施されていない。
注4:該当箇所としては広島県道189号福山・上御領線の福山市神辺町下竹田(そこから南に延びる市道を編入する方針のようであるが今のところそのメドは立っていない)や広島県道260号福山港・松浜線の福山市一文字町、広島県道385号内浦・箱崎港線の福山市内海町、広島県道387号横島循環線の福山市内海町(横島の南西部に区域未決定区間がある。なぜか区域未決定区間の途中に広島県が設置したと思しき距離標〔黄色の円柱形のもの。下の写真参照〕がある)がある。
注5:島根県邑智郡川本町の中心部には島根県道31号仁摩・邑南(おおなん)線と島根県道40号川本・波多線、島根県道291号別府・川本線が通っているのだが、島根県道40号川本・波多線桜江方面以外は全て狭隘箇所がある。このうち島根県道31号仁摩・邑南線(島根県道40号川本・波多線重用)大森・粕渕方面については中心部を貫くバイパスが計画され、一部は完成したものの用地買収の難航が原因で頓挫している。その後計画が練り直され、川本町中心部を迂回するバイパスが現在建設されているところである。
※川本町中心部を迂回するバイパスの完成は2020年(平成32年)頃になるとされているが、バイパス完成後の島根県道40号川本・波多線は邑智郡川本町川下(かわくだり)〜邑智郡美郷町粕渕間で何と4回も江の川を渡ることになるという。一部には国道261号線の邑智郡川本町川下〜江津市桜江町谷住郷間のように全て江の川右岸に付け替えたほうが良いのではないかと主張する人もいるが、江の川左岸に集落がいくつもあるのにそれを無視する結果になることや江の川左岸に新たな県道路線を認定せざるを得なくなること、難工事が予想される箇所があること、支援を仰ぐところがないことなどから実現しなかったようである。
JR三江線石見川本駅上りホームから撮影した花火(2011年〔平成23年〕7月30日撮影)
注6:第二次世界大戦後間もなくの頃まで福山市中心部と鞆地区を結ぶ鉄道路線、すなわち鞆鉄道が存在したのだが、その終点となる鞆駅は現在の鞆鉄道鞆車庫付近に存在した。鞆地区の中心部からかなり離れているのだが、鞆地区の中心部まで延ばせなかったのは海の近くまで山が迫っていることや民家が密集していることなどから用地を確保できなかったことも一因だったと思われる。鞆鉄道(福山市佐波町)が1954年(昭和29年)というモータリゼーションがまだ進展していない時期に鉄道部門から撤退し、バス会社に転身したのはそのことも一因だったと言える。
注7:この市道の整備が頓挫したことが鞆の浦埋め立て・架橋計画の策定の契機になっている。
注8:福山市水呑町/三新田中央交差点周辺の案内標識を見ると三新田(北)交差点から三新田中央交差点を経由して福山商業高校入口交差点に至る経路を広島県道22号福山・鞆線に組み入れようとした痕跡が見られる。なぜ経路変更が見送られたか、詳しいことは分かっていない。
注9:ここでは広島県道251号後山公園・洗谷線の単独部分(福山市鞆町後地〜福山市瀬戸町長和間)を指す。広島県道251号後山公園・洗谷線は実際は福山市鞆町後地と福山市水呑町を結ぶ路線であるが、福山グリーンラインではない部分、すなわち福山市瀬戸町長和〜福山市水呑町/洗谷三差路間は広島県道72号福山・沼隈線と重用しており、福山グリーンラインの部分が広島県道251号後山公園・洗谷線の実質的な部分となる(広島県道72号福山・沼隈線との重用区間は異常気象時通行規制はかけられていない)。
※広島県道72号福山・沼隈線の前身は広島県道388号下山南(しもさんな)・福山線(1960〜1994)だったのだが、県道番号からすれば広島県道251号後山公園・洗谷線と広島県道388号下山南・福山線の重用区間は広島県道251号後山公園・洗谷線が上位になるにもかかわらず広島県道251号後山公園・洗谷線の県道標識が広島県道251号後山公園・洗谷線と広島県道388号下山南・福山線の重用区間に設置されることは遂になかった。
注10:広島県道251号後山公園・洗谷線、すなわち福山グリーンラインの北側については入口(福山市瀬戸町長和)から300mほどは通行禁止規制はかけていないのだが、通行禁止規制をかけると支障が生じるものは何もないこと(以前は常時通行可能区間内にラヴホテルがあったが経営不振で廃業した)から事実上全線が通行規制をかけられていると見なしている。
注11:この交互通行用信号は交通量がほぼ皆無になる深夜・早朝には運用されていない。
(AFTER TALK)
湯崎英彦・広島県知事が鞆の浦の埋め立て・架橋計画を白紙撤回すると表明してから3ヶ月以上経ったが、記すまでもなく埋め立て・架橋派の抵抗は今なお続いている。実現を求める看板や幟はそのままだし、7月9日に広島県が開催した説明会には埋め立て・架橋派の方々は参加を拒否した。部外者ではあるがその気持ちは痛いほどよく分かる。
しかし、この問題を見ていて、埋め立て・架橋派の方もトンネル派の方も広域的かつ長期的な視野に立ったほうが良いのではないかとか現実を全く無視しているのではないかと感じたくなる。更にどうでも良いことかもしれないがどのように感じているのか尋ねてみたいこともいくつもある。本作はそのことを訴えようとして書いたわけであるが、果たして私のつたないエッセイはどのように見られるのだろうか。「そんなことはどうでも良い」と思う方がほとんどなのかもしれないが…。
最後に私は訴えたい。「あなたは未来の人間にどのような姿の鞆の浦を残したいのか」と。その質問を考えた時、この問題の正解は自ずと分かってくるのではないかと私は思うのだが…。
(2012年〔平成24年〕10月6日追記)