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なぜその時言わなかったのか(2022年〔令和4年〕6月12日公開)

「中島さん、何で今頃こういうことを報じるんですかね」
 私の友人で「ちゅうごくDrive Guide〜道と歴史と地理とラジオにこだわって〜」というサイトを運営している深津安那さんが最近、ある新聞記事を見てこのようなことを言った。その新聞記事とは今年4月1日付中国新聞朝刊に掲載されていた、響灘バラバラ殺人事件(1995年〔平成7年〕11月7日発覚。事件名称は深津安那さんが付けたものである(注1))で殺人・死体遺棄・死体損壊の容疑(注2)で全国に指名手配されていた吉田富一(注3)容疑者(1921年〔大正10年〕9月19日生まれ)について、逮捕されないまま昨年9月19日に100歳の誕生日を迎えたために既に死亡しているものとして山口県警察本部(山口市滝町)が昨年10月に書類送検したことが捜査関係者への取材で分かったというものであった。
 この事件は下関市及びその周辺地域が関係する他のバラバラ殺人事件(注4)やほぼ同じ時期に起きたその他のバラバラ殺人事件(注5)ほど有名ではない。更に事件発生前後の時期は世間を騒がせた事件や災害が頻発したこと(注6)や報道された地域が山口県及びその周辺各県に限られたこともあって広く知られることもなかった。恐らく覚えている人がほとんどいない事件ではないかと思われる。しかし、私には強く印象に残った事件の一つである。なぜそのようになったのか理由を挙げると次の通りになる。
・事件発覚の契機は下関市安岡駅前二丁目の海水浴場でショルダーバッグに入れられた男性の頭部が見つかったことであるが、そこは私の出身大学である下関市立大学(下関市大学町二丁目)の北北西約4.2kmのところにあること。事件の衝撃は発生地から離れれば離れるほど薄まるものであり、下関市立大学のある地域では現地ほど衝撃は強くなかったかもしれないのだが、事件発覚当日山口県道248号下関港・安岡線(注7)を北上する警察車両を目撃して何事だろうと思い、テレビニュースなどで事件を知ったという方もいたのではないのだろうか(注8)
・私自身事件発覚の数日前に下関市にある用があって数日間行っていること。ショルダーバッグに入れられた男性の頭部が見つかった海水浴場には行っていない(注9)のだが、いくら行かなかったところで起きたことであっても数日前に行った町で大きな事件が起きたら驚くものである。
・私が自宅で購読している中国新聞朝刊で当時この事件に関する報道が毎日のようになされていたこと。中国新聞は実質的には広島県及びその周辺地域の地方紙であり、広島市から遠く離れ、広島市の影響力がほとんど及んでいない下関市周辺(注10)では出回っていないのだが、中国新聞を発行している中国新聞社(広島市中区土橋町)には中国地方を代表する地方紙としての矜持があるからか中国地方全域の出来事を報じることが多い。更に響灘バラバラ殺人事件が起きた1990年代半ばは福岡女性美容師バラバラ殺人事件(1994年〔平成6年〕3月3日発覚→1994年〔平成6年〕3月15日容疑者検挙)などバラバラ殺人事件が頻発した時期であり、世間が騒然としていた。そのことから中国新聞社としては広島市から遠く離れ、広島市の影響力がほとんど及んでいない地域で起きた事件であっても報道したのではないかと思われる。
 何度も記すが響灘バラバラ殺人事件はバラバラ殺人事件が頻発した時期に起きた事件であり、まさかこの地で…と思った方も少なくないであろう。しかし、事件は次第に忘れ去られていった。その理由を挙げると次の通りになる。
・被害者の身元が死亡当時37歳の男性であると分かり、被害者の父親に当たる吉田容疑者が被害者を殺害して、彼の遺体をバラバラにして捨てたとして全国に指名手配されたところで中国新聞は報道しなくなったこと。下関市周辺で当時出回っていた新聞、すなわち朝日・西日本・日本経済・毎日・山口・読売各新聞(注11)はどうだったのかは確認していないので分からないのだが…。
・吉田容疑者の顔写真や遺体運搬・逃亡に用いたと考えられる自動車(注12)の種類・ナンバープレートが一切公開されなかったため情報提供を呼びかけるポスターを作ることすら困難になったこと。顔写真を公開しない指名手配はなかったというわけではない(注13)が、いかなる事情があったかは分からないが事件捜査にとって大きな障害になったことは否定し得ないところであろう。
・加害者と被害者の関係が親子だったと分かったことで非常に難しい状況が生じたこと。残された家族はいろいろな面で非常に辛い思いをすることは想像に難くないのだが、それ故に吉田容疑者の顔写真や乗っていた自動車の種類・ナンバープレートが一切公開できなくなったことやそのために情報提供を呼びかけるポスターが作れなくなったこと、家族の元に捜査員や報道記者が赴くのが難しくなったことは十分考えられるところである。
・下関市民の憩いの場である海水浴場で被害者の遺体の一部が見つかったことについて、極力触れないようにしようという雰囲気が生じたこと。海水浴場の運営者は風評被害を好ましく思わないことやあらぬ風評を立てたところで利益を得る人は誰もいないこと、事件があったことを気にするのはどうかという考えが少なくなかったこと、そして人の死はいつどこで起きるか分からないし、三方を海に囲まれている下関市では海岸部や周辺海域で漂着した遺体が見つかることはよくあったこと(注14)などが背景にあるものと思われる。
・未解決凶悪事件の中には事件が発生した日に一般市民に対して情報提供を呼びかける活動を行うものがあるが、響灘バラバラ殺人事件についてはそれを行った様子が見られないこと。前に記したように家族の中に加害者と被害者が存することになったことやそれ故に公開できないものが多数生じたこと、残された家族が更に辛い思いをさせられるのはいかがなものかという考えが強かったことが背景にあるものと思われる。
 発生当時は盛んに報道され、世間を騒がせても次第に忘れ去られ、その後どうなったのか誰も知らない未解決凶悪事件は少なくない。しかし、響灘バラバラ殺人事件は忘れ去られた事件にはなったが捜査は続いていたことは次の点から明らかであった。
・山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)に吉田容疑者に関する情報提供を呼びかける記述が掲載されていたこと。顔写真や乗っていた自動車の種類・ナンバープレートは公開されなかったが、わずかな手がかりとなる身体的特徴(身長と体格、顔の形)が記されていた。それで「吉田容疑者と思しき方を見かけたのですが…」というような通報が捜査本部が置かれている下関警察署(下関市細江町二丁目)にあったかどうかは分からないが…。
・2020年(令和2年)7月11日付中国新聞朝刊に掲載されていた記事に響灘バラバラ殺人事件について捜査本部が設置されている旨の記述が見られたこと。その記事は中国地方各県には捜査本部を設置している未解決凶悪事件がその時点で21件あるというものであった(注15)が、記事に付随して掲載された、捜査本部を設置している中国地方の未解決凶悪事件の一覧表の中に「北九州市の下関市出身の男性殺害」という名称の事件があった。それこそが深津安那さんの言う響灘バラバラ殺人事件となる。
 2010年(平成22年)4月27日に刑事訴訟法が改正され、殺人罪については公訴時効が撤廃されたことにより響灘バラバラ殺人事件も公訴時効が成立しないことになったわけであるが、今挙げた事柄を見ても条件は悪いが何としてでも37歳の若さで父親の身勝手な考え(注16)で命を絶たれ、無残なバラバラ遺体にされ、全部位の回収がならなかった被害者の無念を晴らしたいという捜査本部の思いを垣間見ることができる。
 しかし、捜査本部の切なる願いはかなわないまま一つの節目になる吉田容疑者の100歳の誕生日(2021年〔令和3年〕9月19日)を迎えることになった。捜査本部は吉田容疑者に対してどのような処置を下すのか、かつて自身のサイトで中国地方の未解決凶悪事件を取り上げた記事(それはこちら)を公開したことのある深津安那さんは注目していたのだが、山口県警察本部は何の声明も出さずただ2021年(令和3年)10月のある日に公式サイトの指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)から吉田容疑者に関する記述を削除しただけであった。
「捜査を打ち切るのであればきちんと声明を出せば良いだろうに…」
 深津安那さんはそのように思ったという。深津安那さんがそのように思うのは最近、ある二つの著名な未解決凶悪事件で捜査打ち切りが検討されたり捜査を打ち切ることにしたりしたものがあったことが背景にある。その二つの事件の概要を示すと下表の通りになる。

事件名称 発生年月日 概要
沖縄市警察官射殺事件 1990年
(平成2年)
11月23日
・三代目旭琉会と沖縄旭琉会(注17)との間で繰り広げられた第六次沖縄抗争(1990〜1992)の最中に起きた事件。
・三代目旭琉会錦一家の構成員二人(幹部と組員)が、職務質問をしようとした私服警察官二人を敵対する沖縄旭琉会の組員だと誤認し、射殺したものである。
・私服警察官を射殺した構成員のうちの組員一人については1990年(平成2年)12月15日に逮捕されたが、もう一人の構成員で三代目旭琉会錦一家幹部の又吉建男容疑者については逃亡した。そこで捜査を担当している沖縄警察署(沖縄市山里二丁目)は又吉容疑者を全国に指名手配した。又吉容疑者の消息は現在に至るまで不明だが、下関市や京都府に滞在していたことが分かっている。
・事件発生当時殺人罪の公訴時効成立までの期間は事件発生から15年となっていたため本来なら2005年(平成17年)11月23日午前0時をもって又吉容疑者に関しては起訴できなくなるはずであったが、共犯者の組員の裁判が長引いたことで公訴時効が延長されたことと殺人罪の公訴時効が撤廃されたことから又吉容疑者の指名手配は2005年(平成17年)11月23日午前0時以降も継続されている。
・2018年(平成30年)11月になって捜査本部は又吉容疑者が2000年(平成12年)10月頃京都府内の病院を受診していたことと脊髄に癌が転移していたこと、自力歩行が困難になっていたことを掴んだ。そのことから又吉容疑者は既に死亡している可能性が高いとして沖縄県警察本部(那覇市泉崎一丁目)と沖縄警察署は又吉容疑者を被疑者死亡のまま殺人容疑で書類送検することを視野に捜査することを表明した。
・しかし現在も又吉容疑者の指名手配は解除されていない。そのことは昨年11月に警察庁(東京都千代田区霞が関二丁目)が作成した、警察庁が指定する重要指名手配被疑者の情報提供を呼びかけるポスターに又吉容疑者の顔写真が掲載されていることや沖縄県警察本部の公式サイト(それはこちら)では現在も又吉容疑者の情報提供を呼びかけるページ(それはこちら)が存続していることからも明らかである。生死はともかくとしても又吉容疑者の消息を掴むまでは絶対に諦めないという気概をそこに感じることができるのだが果たして沖縄県警察本部や沖縄警察署の思いがかない、又吉容疑者などに射殺された警察官が成仏できる日は来るのだろうか。
池袋駅山手線ホーム
男子大学生殺害事件
1996年
(平成8年)
4月11日
・JR山手線・赤羽線(注18)池袋駅(東京都豊島区南池袋一丁目)の山手線外回り(いわゆる時計回り)の列車が発着するプラットホームで立教大学(東京都豊島区西池袋三丁目)の男子学生が会社員風の男性に何らかの理由で絡まれ、顎を殴られて転倒した際に後頭部を強打し、5日後に死亡した事件。容疑者の男性は山手線外回りの電車に乗り込んで逃亡している。
・事件の目撃者の情報を基に捜査を担当している池袋警察署(東京都豊島区西池袋一丁目)は容疑者の男性の似顔絵を作成・公開している。しかし、多くの特徴があるにもかかわらず、多くの人々が目撃していたにもかかわらず事件発生から四半世紀が経過した現在になっても容疑者の身元すら判明しないままになっている。
・事件発生当初は傷害致死罪として扱われていたが、事件発生当時傷害致死罪の公訴時効成立までの期間は事件発生から7年と定められている
(注19)ため2003年(平成15年)4月11日午前0時に公訴時効が成立することになっていた。それでは理不尽な格好で死んだ息子が浮かばれないとして被害者の父親が公訴時効期間の延長を訴える活動を展開したことにより公訴時効成立を間近に控えた2003年(平成15年)3月に容疑が殺人罪に切り替えられた。
・それでも事件解決には至らず、殺人罪の公訴時効成立(2011年〔平成23年〕4月11日午前0時)も迫っていたため被害者の父親は今度は殺人罪の公訴時効撤廃を訴える活動を展開した。その結果、2010年(平成22年)4月27日に刑事訴訟法が改正され、殺人罪の公訴時効撤廃が実現した。
・刑事訴訟法の改正による殺人罪の公訴時効撤廃が実現する少し前の2010年(平成22年)4月9日にはこの事件は捜査特別報奨金制度の適用対象となった。
・しかし、殺人罪の公訴時効撤廃が実現した頃から被害者の父親は捜査の打ち切りを警視庁(東京都千代田区霞が関二丁目)に要請するようになった。被害者の父は殺人罪の公訴時効撤廃は刑罰法規の不遡及と二重処罰の禁止を定めている日本国憲法第39条に違反する恐れがあると考えていたことを理由として挙げている。しかし、被害者の父親の主張するように殺人罪の公訴時効撤廃を2010年(平成22年)4月27日以降に起きた事件に限ることにした場合、自分の息子を殺された事件を含めた、2010年(平成22年)4月26日以前に発生した未解決凶悪事件について公訴時効が成立することになるためまず賛同されないだろう。なぜ心境に変化が生じたのかは定かではないがこの心変わりは理解し難いものがある。
・結局被害者の父親の要請により捜査特別報奨金制度の適用は二度目の適用期間が切れる2012年(平成24年)4月をもって打ち切られている。そして遺族の捜査打ち切り要請を受けて2020年(令和2年)12月11日に被疑者不明のまま書類送検したことから捜査は打ち切られた。
・但し警視庁公式サイト(それはこちら)の未解決凶悪事件の情報提供を呼びかけるページにはこの事件の情報提供を呼びかけるページ(それはこちら)は現在も残されており、しかも2021年(令和3年)9月に更新が行われている。捜査は打ち切るとは言ったが警視庁や池袋警察署としては今も事件解決を諦めていないことをうかがわせている。ただ、事件発生から四半世紀が経過していることや容疑者を特定する手段があるのかどうかが疑わしいこと、誰も「容疑者と思しき人を知っているのですが…」と名乗り出てこないことなどを考えれば容疑者検挙に至る可能性は著しく低いと言わざるを得ないだろう。その点を考えれば被害者の父親の考えていることは一理あると言えるのだろうが…。

現時点で最新版となる重要指名手配被疑者の情報提供を求めるポスター。
又吉容疑者の顔写真がきちんと掲載されていることがうかがえる。

 つまり、深津安那さんは山口県警察本部や下関警察署は響灘バラバラ殺人事件について上表で紹介した二つの著名な未解決凶悪事件と同様にきちんと捜査の打ち切りや指名手配の解除を表明すべきだったと言いたいわけである。そこで多少の批判は食らうだろうが大半の方は致し方ないと受け止めるであろうし、中国新聞社などの山口県を取材対象地域としている報道機関は2021年(令和3年)10月頃に吉田容疑者は既に死亡しているものとして書類送検を行い、捜査を打ち切った旨の報道を行ったことであろう。しかし、なぜか山口県警察本部や下関警察署は吉田容疑者の書類送検の際何も言わなかった。なぜそのような態度をとったのか。考えられる要因を挙げると次の通りになる。
・何の声明も出さずに吉田容疑者に関する記述を公式サイトの指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)から削除したのはなぜなのかはそのページをよく見ている方は理解しているだろうと思ったこと。
・公式サイトの指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)はあまり見られていないので黙って削除してもそれをどうかと思う声は上がらないだろうと思ったこと。
・事件自体の知名度が低い上に次第に忘れ去られていったこと。
・吉田容疑者の顔写真や乗っていた自動車の種類・ナンバープレートを公開しなかったことで積極的に捜査をやっていないなどと一般市民に思われることになり、一般市民から批判を多く受ける恐れがあったこと。
・条件が悪いながらも吉田容疑者の行方を追い続けてきたが逮捕がかなわず、一つの節目を迎えることになったことに対して何も言う気にはなれなかったこと。
・条件が悪いながらも吉田容疑者の行方を追い続けてきたが逮捕がかなわず、一つの節目を迎えることになったことに対して無念の思いを記者などから尋ねられることを避けたかったこと。
・事件解決に漕ぎ着けられなかった無念さから黙って削除しようと考えたこと。
・捜査に行き詰まった未解決凶悪事件の多くが捜査本部を解散する際一切そのことに関して声明を出さなかったように吉田容疑者の書類送検についても同じようにしたほうが良いのでは…と考えたこと。
・殺人事件の公訴時効はやはり必要だという声が上がるのを恐れたこと。
・都道府県域民間テレビ放送局の視聴率稼ぎの材料にされたくなかったこと。
・辛い思いしか残らないこの事件についてなかったことにしたいという思いを抱く関係者が少なくなかったこと。
 どれが真実かは分からないが、何だかんだ言われても残念な結果に対して何かを言う気にはなれないという思いをそこに感じることができる。できれば山口県警察本部や下関警察署は吉田容疑者の書類送検の件については黙っておきたかったのかもしれない。しかし、どこかから山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)の異変、すなわち吉田容疑者に関する記述の削除を指摘され、ようやく重い口を開いたのであろう。今年4月1日付中国新聞朝刊に載っていた記事で見られた「捜査関係者への取材で分かった」という表現は山口県警察本部や下関警察署が自発的にそのことを明らかにしたものではないことを感じさせる。書類送検を行った時に公表すれば良かったのか、誰かから指摘されてようやく重い腰を上げるのが良かったのか、それとも誰に尋ねられても一切黙っておくのが良かったのか、それは分からないが、山口県警察本部や下関警察署は難しい状況に立たされたことだけは確かである(注20)

 響灘バラバラ殺人事件は全国的に見れば知名度は低く、更に発生地となった下関・北九州両市でも覚えている方の少ない事件となっている。今回の書類送検報道でそういう事件があったことを初めて知った方も少なくないであろう。しかし、この事件は多くの課題を残したのではないかと私は考えている。それを挙げると次の通りになる。
・容疑者に繋がる重要な情報をできる限り公開すること。響灘バラバラ殺人事件の場合、吉田容疑者の顔写真や乗っていた自動車の種類・ナンバープレートが一切公開されなかったが、これが捜査にとって最大の障害になったことは否めないのではないのだろうか。まあ容疑者に繋がる重要な情報を公開しても容疑者検挙に繋がるとは限らないわけであるが、吉田容疑者の身体的特徴だけ公開してもどうにもならないことは考えて頂きたかった。
・やはり初動捜査は大切であるということ。響灘バラバラ殺人事件の場合は下関市安岡駅前二丁目の海水浴場でショルダーバッグに入れられた男性の頭部が見つかってから被害者の身元が判明するまでに一週間かかったことが全てだったと言える。その間には被害者の似顔絵を作成・公開しているわけであるが、もしもっと早く被害者の身元が判明していれば吉田容疑者を検挙できる可能性は高くなったのではないのだろうか。被害者の身元が判明するのに時間がかかった背景にあるのは被害者が長期間入院していた貝塚市内の病院を退院したのは正規の手続きを踏んだものであり、病院側が貝塚警察署(貝塚市海塚)に通報せざるを得なくなるような行為、すなわち吉田容疑者による強引な連れ去りや吉田容疑者の約束不履行(注21)ではなかったことやいくら被害者が下関市出身であっても被害者を知っている方や被害者と交流がある方があまりいなかったこと、警察署に被害者の家族などから捜索願が提出されていなかったことが挙げられるが、全てではないにしても殺人・死体遺棄事件で捜査が難航するのは被害者の身元がなかなか判明しない場合(注22)であり、どうにかならなかったのだろうかと考えたくなる。
・全国各地で見つかっている身元不明者についてもっと関心を持ち、捜索を円滑にできるようにすること。あるところで亡くなっているのが見つかった指名手配被疑者が危うく身元不明遺体として処理されそうになった事件(注23)が過去にあったが、そういう事件があったことを考えると身元不明者になった指名手配被疑者はまだまだいるのでは…と考えたくなる。捜査本部側が指名手配被疑者の人物特定に必要な材料をどれだけ取り揃えているのかは分からないが、面倒だとかあまりにも数が多すぎて対処できないとかまさかその中にはいないだろうと思っていると見逃してしまい、気付いた時には照合不可能になることは考えていないのだろうか。全てを網羅することはできないけれど身元不明者と失踪者のデータを手軽に得られ、なおかつ照合できる体制は構築できないものであろうか。
・柔軟性を持つこと。響灘バラバラ殺人事件の捜査が行き詰まったのはある一つの考えに固執し、他の可能性を考慮しなかったこともあったのではないのだろうか。吉田容疑者の顔写真を公開しなかったことはその象徴的な例であるが、指名手配書に使えるような顔写真が入手できなかったのであれば似顔絵を公開することを考えても良かったのではないのだろうか。「写真を使わないなんておかしい」という声は上がるかもしれない(注24)が、指名手配書の顔写真は過去のある時点のものであり、時間が経てば経つほど顔貌が変わるために使えなくなってくることや過去の写真を基にした容疑者の現在の似顔絵を作成・公開する例も多数あることを考えればそれもアリだったのではないかと考えたくなる。

容疑者の現在の顔貌を想定した似顔絵を掲載した指名手配書の一例。
ちなみにこの指名手配書に取り上げられている東アジア反日武装戦線のメンバー・桐島聡容疑者は現在も逮捕されていない。
間もなく彼が起こした連続企業爆破事件(1974〜1975)から半世紀が経過するが今彼はどこでどうしているのだろうか。

・広域的視野を常に持って捜査に臨むこと。響灘バラバラ殺人事件の場合は遺体発見地が山口・福岡両県に跨っていることから広域事件となっていたわけであるが、遺体が見つかってから吉田容疑者を指名手配にするまでに10日間かかったことを考えると吉田容疑者はその10日間のうちに遠隔地に逃亡したことは十分考えられる。となれば吉田容疑者の顔写真(それが無理なら似顔絵)を公開して情報提供を呼びかけるべきだったのではないか。まあそのようにしても事件解決に至るとは限らないわけであるが、何があったのかは分からないのだが消極的な捜査行動が吉田容疑者は既に死亡しているものとして書類送検を行い、捜査を打ち切るというあまりにも残念な結末をもたらしたとは考えられないだろうか。
・何の声明も出さずにいきなり捜査を打ち切ることはなるべくなら避けること。響灘バラバラ殺人事件の場合、吉田容疑者が生きていれば100歳になったことを契機に生存の可能性はなくなったとして何の声明も出さずに山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)から吉田容疑者に関する記述を削除したわけであるが、黙って削除した背景は理解できないわけではないもののやはりきちんと言うべきではなかったのだろうか。まあ未解決の状態のまま捜査を打ち切ったり捜査本部を解散したりする場合に声明を出すことはこれまでもまず行われてこなかったわけである(注25)が、殺人事件について公訴時効が撤廃されたことを考えると何らかの声明が欲しいところである。
・ある程度の年数が経過しても解決に至らない事件については一般市民の意見も聞いた上で捜査の在り方を検討すること。確かに殺人事件については公訴時効が撤廃されたが時間が経てば経つほど真相解明は困難になることや職員の入れ替わりにより事件へのとらえ方が変わってくることについて何の対策も考えられていないことが気になる。公訴時効はそのことを考えれば理にかなった制度ではあったのだが、公訴時効の再設定はまず考えられないことを考えるとある程度の年数が経過した事件については定期的に捜査の在り方を見直す制度を設定したほうが良いように感じられる。そのほうが未解決凶悪事件の捜査に対して一層真剣になれるだろうし一般市民からの不信感を買わないで済むようになるのではないかと私は思うのだが…。
・困った時には気軽に相談でき、真面目に解決するように努める場をもっと多く設置すること。響灘バラバラ殺人事件の背景にあったものは詳らかにはなっていないのだが、被害者が貝塚市内の病院に長期間入院していたことを考えると吉田容疑者はかなり息子である被害者について悩んでいたことが推察される。どこに相談してもきちんとした対処をしてくれないとか他人に頼るのは自分にとっては屈辱だとか息子の問題は恥ずかしくてどこにも相談できないと考え、遂に殺害という手段に出たのだろうが、もし悩みに対して真摯に向き合う方がいたらどうだったのだろうか。響灘バラバラ殺人事件から四半世紀が過ぎ、高齢化は更に進展しているわけであるが、果たして今同じような状況が生じたとして誰も不幸にならない好ましい結果は用意できるのであろうか。響灘バラバラ殺人事件は知名度は低いし忘れ去られた事件となっているわけであるが、直面する家族の悩みをどのように解消していくのか、そして悲劇をどのように回避していくのかについて重い課題を残した事件としても真剣にとらえられても良いような気がする。
 響灘バラバラ殺人事件は何度も記すように全国的に知名度の低い事件であり、更に発生地となった下関・北九州両市でも覚えている方の少ない事件となっている。しかし、今回の書類送検をもっての捜査打ち切りは公訴時効廃止後の殺人事件の捜査の打ち切り方の代表的事例になるのは恐らく間違いないであろう。そこで無念の思いに打ちひしがれた捜査関係者はどのような対応をとるのが好ましいのだろうか。深津安那さんの主張するようにきちんと声明を出すのが良いのか。それとも一切声明を出さないでおくのが良いのか。何もこういう局面が見られるのは未解決凶悪事件の捜査打ち切りだけではないのだが、どちらが良いのかという議論は今後も続き、結論は出ないことであろう。
 ただ、今回の響灘バラバラ殺人事件の顛末はいくら辛い思いしか残さなかったことであっても、いくらなかったことにしたいことであっても教訓にしなければ意味がないと私は思っている。というのも、山口県警察本部は十数年後に再び今回と同じ屈辱を味わう恐れを抱えているからである。2009年(平成21年)1月14日に山口市赤妻町のアパートの一室で71歳の女性の絞殺遺体が見つかった事件(山口市赤妻町女性殺害事件。情報提供を呼びかけているページはこちら〔指名手配被疑者関係〕とこちら〔重要未解決凶悪事件関係〕)でこの女性の夫である村田俊治容疑者が指名手配されているのだが、情報提供を呼びかけているページ(指名手配被疑者関係はこちら。重要未解決凶悪事件関係はこちら)に掲載されている指名手配書によるとこの村田容疑者の生年月日は1935年(昭和10年)9月15日であると記されている。つまり、村田容疑者の消息が分からないまま今後も推移した場合、村田容疑者が100歳になる2035年(令和17年)9月15日以降の早い時期(2035年〔令和17年〕10月頃?)に山口県警察本部と山口警察署(山口市吉敷下東四丁目)は村田容疑者を既に亡くなっているものと見なして書類送検せざるを得なくなるというわけである。
 村田容疑者が起こしたとされる山口市赤妻町女性殺害事件と、吉田容疑者が起こしたとされる響灘バラバラ殺人事件は家族内に加害者と被害者がいる事件であることといわゆる後期高齢者(75歳以上)になる手前の年齢になった男性が家族の病気でずっと悩まされ続けていたことが犯行動機になったと考えられることで共通している。その一方で山口市赤妻町女性殺害事件は事件が発覚してから山口警察署が村田容疑者を全国に指名手配するまであまり日数がかかっていないこと(注26)や山口警察署は村田容疑者の顔写真や全身像を公開していること(それはこちら〔指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページ〕とこちら〔重要未解決凶悪事件に関する情報提供を呼びかけているページ〕に掲載されている指名手配書で見られる)が響灘バラバラ殺人事件と異なっているのだが、そういう状況であっても村田容疑者の行方は分からないままになっている。状況(注27)から考えて遠隔地に逃げ、そこで自ら命を絶ったことが考えられるのだが、何が容疑者検挙を妨げているのだろうか。家族内に加害者と被害者がいるために捜査がやりにくくなっていることなのか、山口県外で発見された身元不明者(生死は問わない)を一つ一つ当たるのは不可能になっていることなのか、遺体が見つかっていないか見つかっていても確認のしようがないこと(注28)なのか、それとも…。
 厳しい状況(注29)が多数ある中で今後も山口県警察本部や山口警察署は二度目の屈辱を味わうことを回避すべく村田容疑者の行方を追い続けることになるのだろうが、山口県警察本部や山口警察署は響灘バラバラ殺人事件で得た教訓をどのように捜査に生かすのか。そして史上初の屈辱を迎えた経験をどのように当分の間は経験することがない警視庁や山口県以外の各道府県警察本部(注30)に伝え、それぞれの機関で教訓として生かすように努めるようにするのか。事件自体の知名度は低く、注目されることはあまりないだろうが今山口県警察本部の態度が問われようとしている。

(注釈コーナー)

注1:事件名称は被害者の遺体の一部が響灘に面したところで見つかったことから付けたという。この事件は1995年(平成7年)11月7日に下関市安岡駅前二丁目の海水浴場でショルダーバッグに入れられた被害者の頭部が、1995年(平成7年)11月12日に北九州市小倉北区西港町の岸壁でカバンに入れられた被害者の腰部がそれぞれ見つかっているのだが、確かに遺体発見場所はいずれも響灘に面している。

注2:死体遺棄罪と死体損壊罪は刑法第190条により3年以下の懲役に処せられることが定められている。刑事訴訟法第250条第2項第6号では5年未満の懲役に処せられる罪については公訴時効成立までの期間は事件発生から3年と定められているため遅くとも事件発覚から3年が経過した1998年(平成10年)11月7日午前0時には死体遺棄罪・死体損壊罪の公訴時効が成立したのではないかと思われる。よって、遅くとも死体遺棄罪・死体損壊罪の公訴時効が成立した1998年(平成10年)11月7日午前0時以降は殺人容疑でしか吉田容疑者を起訴できなくなった。
なお、響灘バラバラ殺人事件の被害者の死因、つまり殺害方法は不明となっている。頭部・腰部以外の被害者の部位は見つからなかった(と思われる)ことが主たる理由である。

注3:こちら、すなわちインターネットアーカイヴで探し出した山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページによると吉田容疑者の読み方は「よしだ・とみいち」と「よしだ・とみかず」の二通りあると記されている。どちらが正式な読み方なのかは分からないが、「よしだ・とみかず」という読み方を異名としていることを考えると「よしだ・とみいち」が正式な読み方なのかもしれない。

注4:主なものを挙げると次の通りになる。
・福岡女性美容師バラバラ殺人事件
・浜田女子大生バラバラ殺人事件(2009年〔平成21年〕11月6日発覚。事件発覚から7年が経過した2016年〔平成28年〕12月になって下関市出身の男性〔事件発覚直後美祢市内の中国自動車道で起こした交通事故により死亡〕が容疑者と断定され、捜査は終結している。2010年〔平成22年〕2月から捜査終結までの約6年10ヶ月間捜査特別報奨金制度の適用対象事件となっていた)
・博多湾女性会社員バラバラ殺人事件(2010年〔平成22年〕3月15日発覚。未解決。福岡県警察本部〔福岡市博多区東公園〕の公式サイト〔それはこちら〕には情報提供を呼びかけるページはなく、また事件が発覚した日の前後に事件に関する情報提供を呼びかける活動を行ったという報道も最近見られなくなっているため現在も捜査本部が設置されているのかどうかも分からなくなっている。2010年〔平成22年〕12月から2年間捜査特別報奨金制度の適用対象事件となっていた)
・小倉女性バラバラ殺人事件(2017年〔平成29年〕9月29日発覚。未解決。情報提供を呼びかけているページはこちら
なお、注2で触れたように死体遺棄罪と死体損壊罪は事件発生から3年が経過した時点で公訴時効が成立するため浜田女子大生バラバラ殺人事件については捜査終結時点では死体遺棄罪・死体損壊罪の公訴時効が既に成立していたし、現在も未解決状態にある博多湾女性会社員バラバラ殺人事件と小倉女性バラバラ殺人事件はもし今後容疑者が検挙されても死体遺棄罪・死体損壊罪では起訴できないことになる。

注5:響灘バラバラ殺人事件とほぼ同じ時期に起きた主なバラバラ殺人事件を挙げると次の通りになる。
・福岡女性美容師バラバラ殺人事件
・大阪連続女性バラバラ殺人事件(1994年〔平成6年〕4月3日発覚→1995年〔平成7年〕5月12日容疑者検挙。容疑者は1985〜1994年〔昭和60年〜平成6年〕に5人の女性〔うち1人は小学生〕を殺害し、女子小学生以外の4人について遺体をバラバラにして遺棄していた)
・井の頭公園バラバラ殺人事件(1994年〔平成6年〕4月23日発覚。1997年〔平成9年〕4月23日午前0時をもって死体遺棄罪・死体損壊罪について、2009年〔平成21年〕4月23日午前0時をもって殺人罪についてそれぞれ公訴時効が成立し、未解決事件となった)
・埼玉愛犬家連続殺人事件(1994年〔平成6年〕12月13日発覚。1995年〔平成7年〕1月5〜8日に容疑者〔3人〕検挙。後にこの事件を題材にした映画も作られている)

注6:響灘バラバラ殺人事件が発覚した1995年(平成7年)に起きた大きな事件や災害は次の通りである。
・兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災。1月17日発生)
・東京地下鉄毒物散布事件(地下鉄サリン事件。3月20日発生)などのオウム真理教によるテロ事件
・警察庁長官狙撃事件(3月30日発生。未解決のまま2010年〔平成22年〕3月30日午前0時に公訴時効が成立している)
・八王子スーパーマーケット女性従業員射殺事件(7月30日発生。未解決。情報提供を呼びかけているページはこちら

注7:山口県道248号下関港・安岡線は2015年(平成27年)3月31日山口県告示第133号により山口県道248号下関港・垢田線(1958〜2015)を改称して発足した県道路線である。それまでは山の田交差点(下関市山の田本町・山の田東町)で山口県道248号下関港・垢田線(下関市中心部・関門国道トンネル方面)と国道191号線(豊浦方面)に分かれていた。
※山口県道248号下関港・垢田線が山口県道248号下関港・安岡線に改称した理由は国道191号線下関北バイパスの全線開通(2015年〔平成27年〕3月28日)により生じた旧道、すなわち国道191号線山の田旧道のうちの山の田交差点以北の区間、すなわち豊浦方面について山口県が管理することにしたためである(国道191号線山の田旧道のうちの山の田交差点以南の区間、すなわち彦島方面については下関市が管理することになり、下関市道汐入・山の田線に再編されている)。終点や路線名称が変更されたため本来なら山口県道248号下関港・垢田線の廃止→山口県道248号下関港・安岡線の認定を経なければならないのだが、そのようにせず、ただ改称で済ませた理由は不明である。

注8:このようなことを書いたのは1992年(平成4年)1月12日に水産大学校(下関市永田本町二丁目)の近くの響灘で定員を大幅に超過した瀬渡し船が転覆し、釣り客9人が死亡した事故が起きた時、警察車両が山口県道248号下関港・安岡線を北上していくのを見かけて何があったんだろうと思った経験をしているからである。
※余談だがこの1992年(平成4年)1月12日は大学入試センター試験が実施されていた日でもある(その年は1月11〜12日に実施。1992年〔平成4年〕の曜日パターンはこちらに掲載しているので併せてご覧頂きたい)。下関市立大学も大学入試センター試験の会場になっていたことから警察車両や救急車両が山口県道248号下関港・安岡線を北上していくのを見かけたり山口県道248号下関港・安岡線を北上していく警察車両や救急車両のサイレンの音を聞いたりした受験者は少なくないのではないかと思われる。

注9:但しその近くをJR山陰本線の列車に乗って通過している。もっとも、ショルダーバッグに入れられた被害者の頭部が見つかった海水浴場がある辺りの山陰本線は海岸から250mほど離れたところを通っていることや海岸と山陰本線の間には民家が多数建ち並んでいることからその辺りの山陰本線を走る列車から響灘を見ることはできない。

注10:それでもかつては広島市に本店を置いている地方銀行、すなわち広島銀行(広島市中区紙屋町一丁目)ともみじ銀行(広島市中区胡町)の支店や中国新聞社の支局が設置されていたことがあった。

注11:このうち西日本新聞については発行元の西日本新聞社(福岡市中央区天神一丁目)が発行しているスポーツ紙・西日本スポーツとともに2009年(平成21年)3月31日をもって山口県内での発行・販売が取りやめになっている。また、その時山口市・下関市に設置していた支局も閉鎖して山口県内から撤退している。

注12:深津安那さんは吉田容疑者は自動車を持ち、それに乗っていたはずだと考えている。そのように考えている理由を挙げると次の通りになる。
・公共交通機関(列車・路線バス・渡船)を用いて遺体を入れたカバンを捨てて回るのは非効率だし人目に付く恐れがあること。
・吉田容疑者は犯行当時74歳であり、公共交通機関を用いて遺体を入れたカバンを捨てて回るのは身体的にきつく感じるはずであること。
・どこか一箇所からまとめて遺体を入れたカバンを捨てるとしても手押し車や大八車、自転車、徒歩を用いるのは非効率だし人目に付く恐れがあること。
・下関市や北九州市は公共交通機関は充実しているとはいえ自動車がないと生活していくのが難しい面があること。
・高齢者でも生活していくためには必要だとして自動車を運転する方は少なくないこと。
・自動車があれば遠隔地に逃亡できるし、海に飛び込んで自ら命を絶つこともできること。
深津安那さんは吉田容疑者は恐らく下関市・北九州市周辺のどこかの渡海橋の上から交通量が少ない深夜・早朝に被害者の遺体を入れたカバンを全て海に投げ捨て、そのまま逃亡したか海に自動車ごと飛び込んで自ら命を絶ったのではないかと話している。事件報道がなされた地域が狭かったことや事件の知名度が低いこと、捜査本部は顔写真や乗っていた自動車の種類・ナンバープレートを一切公開しなかったこと、何らかの契機がないと警察は自動車ごと海に飛び込んだと考えて各地の港湾などを捜査しようとしないことが吉田容疑者にとっては幸いしたというところになるのだろうが、真相は果たしていかなるものだったのだろうか。

注13:山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)を見ると日本人と中国人の偽装国際結婚に関与した容疑で指名手配している中国人男性の顔写真が公開されていない。この容疑者は中華人民共和国側の首謀者であると記されているので顔写真が入手できなかったことが考えられる。

注14:私が下関市に住んでいた時の話であるが、下関市内のある交番の掲示板に下関市内で見つかった身元不明の女性の水死体の情報提供を呼びかけるポスターが貼られたことがあった。そのポスターを見ると水死体の顔写真が掲載されており、そこまでするのかよと思ったものである。なお、この水死体がその後どうなったかは私は知らない。

注15:2020年(令和2年)7月11日付中国新聞朝刊に掲載されていた、その時点で捜査本部が設置されていた中国地方の未解決凶悪事件は下表の通りである。

※事件名称は深津安那さんが付けたものである。また、情報提供を呼びかけているページが存在するものは事件名称にそこへのリンクを貼っているので気になる方は併せてご覧頂きたい。

県名 捜査担当
警察署名
事件名称 発生年月日
または
発覚年月日
備考
鳥取県 鳥取 タクシー運転手射殺事件 2009年
(平成21年)
7月17日
JR山陰本線・因美線鳥取駅(鳥取市東品治町)の北口で被害者の運転するタクシーに乗った容疑者が被害者を射殺し、その後タクシーを奪って鳥取市郊外に乗り捨てた事件。
強盗目的で被害者の運転するタクシーに乗り、運転手を射殺したものと思われるが被害金品の有無は不明。
島根県 江津 入院患者殺害事件 2006年
(平成18年)
3月18日
済生会江津総合病院(江津市江津町)で入院中の宮司が何者かに殺害された事件。
事件発生後間もなく済生会江津総合病院は江津市江津町の中で移転している。
浜田 高齢女性殺害事件 2004年
(平成16年)
2月5日
浜田市中心部の民家で被害者が血を流して倒れているのが見つかった事件。被害者は事件発生3日後に死亡している。
不審車両の目撃情報もあるが事件との関連ははっきりしていない。
岡山県 岡山中央 高島殺人・放火事件 2000年
(平成12年)
2月14日
岡山市中区にある市営住宅の一室が放火され、そこから男性の他殺遺体が見つかった事件。
そこに住んでいた男性を重要参考人として行方を捜しているとのことであるがJR山陽本線高島駅(岡山市中区清水二丁目)の北口にこの事件の情報提供を呼びかける看板が設置されているだけになっている。
児島 殺人・放火事件 1995年
(平成7年)
4月28日
倉敷市児島地区にある民家が放火され、その焼け跡から頭部を切断された老夫婦の他殺遺体が見つかった事件。老夫婦の頭部は現在も見つかっていない。
殺人事件の公訴時効撤廃、すなわち刑事訴訟法の改正による殺人罪の公訴時効廃止はこの事件の公訴時効が迫っていたことを受けてなされたことは有名な話である。
津山 主婦失踪事件 2002年
(平成14年)
6月3日
津山市在住の主婦が突然失踪し、その日のうちに預金が男女二人組に引き出された事件。
被害者の預金を引き出した男女二人組を重要参考人として行方を追っていたが、どちらもその後死亡が確認されており、捜査は暗礁に乗り上げている。
重要参考人の一人である男性の乗っていた自動車が新見市内で目撃されていることから新見市内に何かがある可能性が高いのだが…。
広島県 高齢女性殺害事件 2003年
(平成15年)
1月22日
呉市郊外の民家で訪問介護員が何者かに窒息死させられた被害者を見つけたことで発覚した事件。
佐伯 スーパーマーケット
強盗殺人事件
2000年
(平成12年)
9月3日
広島市佐伯区中心部にあったスーパーマーケット(現存せず)で従業員が侵入してきた男性に刺殺され、手提げ金庫などが奪われた事件。手提げ金庫はその後凶器などとともに太田川放水路で発見されている。
容疑者の大まかな全身像や着ていたズボン、履いていた靴、凶器が公開されているが捜査は暗礁に乗り上げている。
広島中央 城北地下道少女刺殺事件 2000年
(平成12年)
1月20日
国道54号線(国道191号線重用)祇園新道と県道84号東海田・広島線が交差する城北駅北交差点(広島市中区西白島町)の地下に建設された地下道で16歳の少女が何者かに刺殺された事件。
広島市中心部の交通量が多い幹線道路同士の交差点の地下に建設された地下道であるにもかかわらず防犯カメラが設置されていなかったこともあって犯人像は不明のままになっている。
広島西 草津男性殺害事件 1999年
(平成11年)
10月16日
西部埋立第八公園(広島市西区草津南一丁目)にあるゲートボール場の休憩所でそこで寝泊まりしていた男性の殴殺遺体が見つかった事件。
事件が起きたのが深夜・早朝だったと見られることから目撃情報が少なく、また殺害動機も屋外生活者同士のいさかいや夜間徘徊の若者による屋外生活者いじめなどいろいろ考えられるため捜査は暗礁に乗り上げている。
広島南 高齢男性殺害事件 2007年
(平成19年)
10月6日
広島市南区内の民家でそこを訪ねていた男性が頭を殴られるなどして殺害された事件。
2013年(平成25年)2月にはその民家の住人が容疑者として逮捕されているが、その後無関係だったことが分かり、捜査は振り出しに戻ってしまった。
福山西 主婦殺害事件 2001年
(平成13年)
2月6日
福山市西郊の高台に造成された大規模住宅団地にある民家に何者かが押し入り、そこにいた主婦を刺殺した事件(当時そこには乳児がいたが無事だった)。
2021年(令和3年)10月25日に福山市在住の男性が容疑者として逮捕されたが、2022年(令和4年)4月23日付中国新聞朝刊によると容疑者は無罪を主張していることや何を根拠にして容疑者を特定し、逮捕に踏み切ったのかがはっきりしないことなどから今後どうなるかは予断を許さない状況にある。
福山東 喫茶店放火事件 1996年
(平成8年)
3月3日
福山市中心部北部の国道313号線の沿線にある深夜営業の喫茶店が何者かに放火され、店主と客が焼死した事件。
目撃情報が少ないことや店内にいた人物が全員死亡していることなどから捜査は暗礁に乗り上げている。
山県 高齢者介護施設
施設長殺害事件
2000年
(平成12年)
12月9日
山県郡北広島町大朝地区にある高齢者介護施設の施設長を務めていた男性が高齢者介護施設の近くにある田んぼで刺殺遺体となって発見された事件。
現場付近で目撃された不審者の似顔絵や不審車両が公開されているが、捜査は暗礁に乗り上げている。
山口県 下関 幸町男性射殺事件 2001年
(平成13年)
1月31日
下関市中心部で男性が何者かに射殺された事件。
竹崎町男性刺殺事件 2008年
(平成20年)
3月3日
下関駅の近くの路上で男性が何者かに刺殺された事件。
現場付近にいた不審な人物の大まかな全身像が公開されているが目撃情報が少ないことなどもあって捜査は暗礁に乗り上げている。
原則として発生半年以上経たないと適用できない捜査特別報奨金制度の適用に事件発生5ヶ月ほどで踏み切ったが効果がなかったとして一回きりでやめてしまい、一時期は山口県警察本部公式サイトの情報提供を呼びかけるページ(それはこちら)からこの事件の記述が削除されていたこともあった。
中国地方で捜査特別報奨金制度の適用対象となった事件は過去に3件あるが、その他の2件、すなわち浜田女子大生バラバラ殺人事件と廿日市女子高校生殺害事件(2004年〔平成16年〕10月5日発生→2018年〔平成30年〕4月13日容疑者検挙)の捜査が既に終了した現在、中国地方で捜査特別報奨金制度の適用対象となった事件で容疑者の目星すらついていない唯一の事件となっている。
長門 男性射殺事件 1999年
(平成11年)
2月6日
長門市中心部で男性が何者かに射殺された事件。
山口 道祖町男性射殺事件 2000年
(平成12年)
4月4日
山口市中心部で男性が何者かに射殺された事件。
赤妻町男性射殺事件 2007年
(平成19年)
10月1日
山口市中心部で男性が何者かに射殺された事件。
山口南 佐山強盗殺人事件 2013年
(平成25年)
3月26日
山口市南部にある民家を訪ねたガス業者が室内で頭から血を流して死んでいる女性2人(母親と娘)を発見したことで明るみになった事件。
被害者は2013年(平成25年)3月24日頃殺害されたものと見られているが、遺体発見まで時間がかかったことなどから捜査は暗礁に乗り上げている。
捜査特別報奨金制度の適用対象になったことはないが懸賞金300万円をかけて有力な情報の提供を呼びかけていたこともあった(但し現在は取りやめている)。
山口県 下関 響灘バラバラ殺人事件 1995年
(平成7年)
11月7日
被害者の父親が被害者である息子を入院していた貝塚市内の病院から連れ出し、北九州市小倉北区内の自宅で殺害した後遺体を切断し、海に捨てた事件。頭部は下関市内の海水浴場で、腰部は北九州市小倉北区の岸壁でそれぞれ発見されている(その他の部位の消息については不明)。
本文でも触れた通り被害者の父親が指名手配されていたが容疑者が2021年(令和3年)9月に100歳になり、生存の可能性が低くなったとして2021年(令和3年)10月に書類送検した。同時に情報提供を呼びかけるページも削除している。
福岡県 小倉北

注16:深津安那さんが考える吉田容疑者の犯行動機は次の通りである。
被害者は母親が住んでいた下関市からも父親、すなわち吉田容疑者が住んでいた北九州市小倉北区からも遠く離れた貝塚市内の病院に長期間入院しており、吉田容疑者にとって入院費や治療費、交通費はかなりの負担になっていたこと。
・吉田容疑者は犯行時点で74歳になっており、自分が逝去した後被害者がどうなるのかが心配だったこと。
・被害者は治癒困難な病気になっており、親心から早く楽にしてやりたいと思ったこと。
・働き盛りの年齢になっているにもかかわらず長期間入院するなど吉田容疑者にとってみれば被害者は邪魔な存在になっていたこと。
被害者がどのような人生を送ってきたのかとかなぜ被害者が母親が住んでいた下関市からも父親、すなわち吉田容疑者が住んでいた北九州市小倉北区からも遠く離れた貝塚市内の病院に長期間入院することになったのかが分からないとどうとも言えないものがあるのだが、
真相は果たしていかなるものだったのだろうか。

注17:沖縄旭琉会は1990年(平成2年)に三代目旭琉会の内部対立が原因で三代目旭琉会から分離独立して発足した組織である。第六次沖縄抗争が終結してから20年近くが経った2011年(平成23年)暮れに構成員の多かった沖縄旭琉会が三代目旭琉会を吸収する形で再統合し、現在は旭琉會という組織になっている。

注18:現在は赤羽線と、JR東北新幹線に並行して建設されたJR東北本線の別線を合わせて埼京線と称することが多くなっており、東日本旅客鉄道(JR東日本。東京都渋谷区代々木二丁目)としては赤羽線という名称は用いなくなっている。

注19:現在は傷害致死罪の公訴時効成立までの期間は事件発生から20年となっている。

注20:響灘バラバラ殺人事件の容疑者の書類送検の件以外にも山口県警察本部や下関警察署は一般市民から厳しい目で見られている点を多数抱えている。それを挙げると次の通りになる。
・警察署の大幅な統廃合を断行したこと(状況は下表参照)。

月日 異動内容 警察署数 備考
2003年
(平成15年)
4月20日 27 山口県で平成の大合併が始まる前の状態。
4月21日 新南陽警察署を周南西警察署に改称する。 27 周南市発足(2003年〔平成15年〕4月21日)に伴う名称変更。
徳山警察署を周南警察署に改称する。
2005年
(平成17年)
4月1日 本郷警察署を岩国警察署に統合する。 26 本郷警察署(岩国市本郷町本郷。1954〜2005)は全国的にも珍しい自治体としての村(玖珂郡本郷村〔1889〜2006〕)に設置されていた警察署である。
本郷警察署として使用されていた建物は再利用せず、代わりに別の場所に岩国市本郷地区を管轄区域とする岩国警察署本郷警察官駐在所(岩国市本郷町本郷)を設置した。
なお、廃止警察署の代わりとなる幹部交番については岩国市錦地区中心部に岩国警察署広瀬幹部交番(岩国市錦町広瀬)を設置している。幹部交番を岩国市本郷地区ではなく岩国市錦地区に設置したのは交通の利便性を考えてのことであろう。
2006年
(平成18年)
4月1日 玖珂西警察署を岩国西警察署に改称する。 24 玖珂西警察署(岩国市周東町下久原。1954〜2006)の岩国西警察署(岩国市周東町下久原。2006〜2009)への改称は岩国市再発足(2006年〔平成18年〕3月20日)を受けて実施。
下関水上警察署(下関市観音崎町。1902〜2006)として使用されていた建物は下関警察署分庁舎兼下関警察署海峡交番(下関市観音崎町)として、周南西警察署(周南市富田。2003〜2006)として使用されていた建物は周南警察署周南西幹部交番(周南市富田)としてそれぞれ再利用されている。
下関水上警察署を下関警察署に統合する。
周南西警察署を周南警察署に統合する。
2007年
(平成19年)
4月1日 阿東警察署を山口警察署に統合する。 21 阿東警察署(山口市阿東生雲西分。1955〜2007)として使用されていた建物は山口警察署阿東幹部交番(山口市阿東生雲西分)として、江崎警察署(萩市下田万。1954〜2007)として使用されていた建物は萩警察署江崎幹部交番(萩市下田万)として、豊田警察署として使用されていた建物は長府警察署豊田幹部交番(下関市豊田町殿敷)としてそれぞれ再利用されている。
江崎警察署を萩警察署に統合する。
豊田警察署を長府警察署に統合する。
2008年
(平成20年)
4月1日 彦島警察署を下関警察署に統合する。 20 彦島警察署(下関市彦島緑町。1954〜2008)として使用されていた建物は下関警察署彦島幹部交番(下関市彦島緑町)として再利用されている。
5月12日 小郡警察署を山口南警察署に改称する。 20 山口市再発足(2005年〔平成17年〕10月1日)に伴う名称変更。
2009年
(平成21年)
4月1日 厚狭・小野田両警察署が統合して山陽小野田警察署が発足する。 16 山陽小野田警察署(山陽小野田市日の出一丁目)の庁舎は小野田警察署(山陽小野田市日の出一丁目。1954〜2009)の庁舎を利用。
厚狭警察署(山陽小野田市厚狭。1954〜2009)として使用されていた建物は山陽小野田警察署厚狭幹部交番(山陽小野田市厚狭)として、岩国西警察署として使用されていた建物は岩国警察署岩国西幹部交番(岩国市周東町下久原)として、大島警察署(大島郡周防大島町久賀。1954〜2009)として使用されていた建物は柳井警察署周防大島幹部交番として、平生警察署(熊毛郡平生町平生町。1954〜2009)として使用されていた建物は柳井警察署平生幹部交番(熊毛郡平生町平生町)としてそれぞれ再利用されている。
岩国西警察署を岩国警察署に統合する。
大島・平生両警察署を柳井警察署に統合する。

・下関市中心部の交番の数が大幅に減らされていること(私が住んでいた平成時代初頭は多数あったように覚えているが現在は海峡・川中・下関駅・幡生の4箇所しかない)。
・今年4月1日から山口県警察本部は交番(10箇所ある幹部交番を除く)や警察官駐在所に直接電話で連絡できないようにしたこと(交番や警察官駐在所を管轄する警察署に電話をかけて取り次ぐ方式になっている)。
・未解決凶悪事件の情報提供を呼びかけるページが事件ごとではなく、指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)と、重要未解決凶悪事件に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)にまとめられていること。
・山口市赤妻町女性殺害事件では本文で触れているように被害者の夫が指名手配されているのだが、前記の通り事件ごとに未解決凶悪事件の情報提供を呼びかけるページを作っていないため指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)と、重要未解決凶悪事件に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)の双方に掲載されるようになっていること。
・2014年(平成26年)7月3日に宇部市西岐波で身元不明の中年男性の白骨遺体が見つかった事件で、中国新聞朝刊でこの男性の似顔絵を公開した旨の報道がなされた時宇部警察署(宇部市常藤町)は殺人・死体遺棄事件として捜査しているとあったのにこの遺体の情報提供を呼びかけるページは2014年(平成26年)に見つかった身元不明遺体の情報提供を呼びかけるページ(それはこちら)にしかない上に情報提供を呼びかけるポスターは少なくとも私の生活圏である岡山・広島両県では全く見かけなかったこと。
・下関警察署は響灘バラバラ殺人事件以外の凶悪事件捜査でも迷走したものや冤罪の可能性が浮上したものがあること。

注21:吉田容疑者が被害者を貝塚市内の病院から連れ出した際に「すぐに戻しますので心配しないで下さい」と告げたにもかかわらずいくら待っても被害者は戻ってこず、なおかつ吉田容疑者への連絡もつかない状況を指す。

注22:稀にではあるが容疑者は判明しているけれど被害者の身元が不明のままという事件もある。2001年(平成13年)5月15日に習志野市袖ヶ浦五丁目にある廃屋で身元不明の若い女性の他殺遺体が見つかった事件では遺体発見数日後に自分がやったとして容疑者が名乗り出、逮捕されたのだが、被害者の身元は現在も不明のままになっている(被害者の情報提供を呼びかけているページはこちら)。容疑者は被害者は「みか」または「みき」と名乗っていたこと(但し本名の一部かどうかは分からない。偽名の可能性もある)や被害者とは2000年(平成12年)春頃テレフォンクラブを介して知り合ったことを明かしているのだが、生きていれば現在40〜50代になっている彼女を知っている人はこの世のどこにもいないのだろうか。私はこの被害者は家族からは疎まれ、親しい友人もいない、孤独な人だったのではないか(テレフォンクラブに入り浸ったのはそのせいもあろう)と思うのだが、彼女が家族の元に戻り、成仏できる日は来るのだろうか。もしもしかしたら…と思う方がいたら捜査を担当している習志野警察署(習志野市鷺沼台二丁目)に直接連絡して頂きたい。

注23:兵庫・徳島両県で男性2人(父親と息子。父親は徳島県内で、息子は兵庫県内でそれぞれ遺体で見つかっている)を殺害し、現場を放火して証拠隠滅を図った事件(2001年〔平成13年〕4月20〜21日発生)を指す。この事件で指名手配されていた小池俊一元容疑者(1960〜2012)は2012年(平成24年)10月19日に岡山市北区内で死亡しているのが見つかったのだが、その時点では同居している女性を含めて誰も小池元容疑者とは気付かなかった。しかし、同居した女性からの連絡を受けた葬祭業者が偽名を使って生活していたのではないかと怪しんで警察に相談したことにより捜査が行われ、その遺体が小池元容疑者であると確認されている。

注24:写真はあるはずなのに似顔絵を用いた例は殺人事件の被害者ではあるのだが存在する。琵琶湖の各地で身元不明の男性のバラバラ遺体が相次いで見つかった琵琶湖バラバラ殺人事件(2008年〔平成20年〕5月17日発覚。未解決。情報提供を呼びかけているページはこちら)がそれである。事件発覚から10年半経過した2018年(平成30年)11月になってようやく被害者の身元は野洲市在住の殺害当時39歳の男性であると判明したのだが、自動車免許の更新に来ず、所在不明になっていた方を中心に捜査したことが身元判明への突破口になったにもかかわらず身元判明後の情報提供を呼びかけているポスター(下の写真。なお、ポスターには捜査特別報奨金制度の適用がなされている旨が記されているが現在は適用は取りやめている)では被害者の顔写真を基にした似顔絵を掲載していた。顔写真を使うことについて何か不都合なことでもあったのだろうか。

注25:捜査態勢を縮小したという報道ならいくつか見られる。有名なものとしては東京都府中市で白バイ警察官に扮した男性が現金輸送車を奪い、車内に積んであった東芝府中工場(現:東芝府中事業所〔東京都府中市東芝町〕)の従業員に支払う賞与約3億円を盗んで逃げた事件(三億円事件。1968年〔昭和43年〕12月10日発生。未解決)や東京都新宿区歌舞伎町のラヴホテルで3人の女性が殺害された事件(歌舞伎町ラヴホテル連続殺人事件。1981年〔昭和56年〕3月20日/4月25日/6月14日発生。いずれも未解決。更に1981年〔昭和56年〕4月25日に殺害された女性〔20歳前後〕は現在も身元不明のままになっている)がある。

注26:響灘バラバラ殺人事件の場合は遺体発見から吉田容疑者が指名手配されるまで10日かかっているが、山口市赤妻町女性殺害事件の場合は遺体発見から村田容疑者が指名手配されるまで2日しかかかっていない。

注27:その状況は次の通りである。
・犯行現場兼遺体発見現場となった自室に村田容疑者は心中をほのめかすメモを残していたこと。
・村田容疑者は自分が乗っている自動車では逃げていないこと。
・司法解剖の結果被害者は遺体発見の2日ほど前に殺害されていたことが分かったこと。

注28:例えば次に挙げる状況が考えられる。
・海流や野生動物などにより白骨化した遺体がバラバラになっていった。
・長期間野ざらしになっていたためDNAを抽出するのが不可能になっていた。
・身元解明に必要な遺留品などが遺体発見現場周辺で見つからなかった。

注29:山口市赤妻町女性殺害事件における厳しい状況を挙げると次の通りになる。
・村田容疑者は現在生きていれば86歳になっているが、十数年間追われる身になっていることや年老いていくことを考えるとずっと健康でいられて誰の世話にもならないで過ごせる可能性は低いこと。
・村田容疑者の生存の可能性はだんだん低まっていくこと。
・指名手配書が作成・公開されていることは山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)と、重要未解決凶悪事件に関する情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)に掲載されていることからも明らかであるが、少なくとも私や深津安那さんは見た覚えがないこと。
・事件自体の知名度が低いこと。
・事件発生から十数年が経過しており、覚えている方が少なくなっていること。

注30:警視庁や山口県以外の各道府県警察本部が指名手配被疑者が100歳になったことを契機に死亡したものと見なして書類送検を行うことになる事件は現在の状況が続いた場合2040年代中期まで存在しない。