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表紙写真展示室・2023年(令和5年)分

写真 説明文
1月 この交差点から1.9kmだけですが前進します
(撮影場所:総社市総社)
※現在総社市中心部の国道180号線の渋滞解消を目的として建設が進められている国道180号線総社バイパスは総社市総社/北國府交差点以東、すなわち岡山方面については開通していますが、今月29日にこの総社市総社/北國府交差点から1.9kmほど西方へ延伸されることが先頃発表されました。それでも高梁方面への国道180号線とはまだ繋がらないため交通量は少なくなるかもしれませんが、新たな年の初めに新たな希望を感じさせる出来事であると考えて今月の一枚に選ぶことに致しました。
ところでこの「北國府」は「きたこう」と読むようです。「府」が付く地名で「こう」または「ごう」と読む例は豊川市にある国府(こう)、浜田市にある上府(かみこう)と下府(しもこう)、徳島市にある府中(こう)、大分市にある古国府(ふるごう)など各地にあります(国府・下府・府中・古国府は鉄道路線の駅の名称としても用いられている)が、なぜそういう読み方をするようになったのでしょうか。気になります。
2月 合併から20年 この町から学校は消えた
(撮影場所:福山市内海町)
※沼隈郡内海町(1955〜2003)が芦品郡新市町(1907〜2003)とともに福山市に編入されて消滅したのは今から20年前の2003年(平成15年)2月3日のことでした。中国地方及び広島県における平成の大合併第1号であり、日本全国においては2003年(平成15年)最初の市町村合併となったこの合併ですが、それから19年経った2022年(令和4年)春、沼隈郡内海町改め福山市内海町にあった三つの学校(小学校…内浦・内海/中学校…内海)は対岸の福山市沼隈地区の四つの学校(小学校…千年・常石・能登原/中学校…千年)と統合して福山市立千年中学校(福山市沼隈町草深。1947〜2022)の跡地に開校した義務教育学校・福山市立想青学園(福山市沼隈町草深)に移行したため全てなくなりました。過疎化や教育の効率化が背景にあるようですがこの状況をどのように町民はとらえているのでしょうか。その点が気になります。
なお、左の写真は福山市立内海中学校(福山市内海町。1973〜2022)の校庭に建立された閉校を記念する石碑を敷地の外から撮ったものです。
3月 今月はこの道も待望の開通を果たします
(撮影場所:岡山県浅口郡里庄町新庄)
※写真中央部から奥に延びる道は県道288号園井・里庄線浜中バイパスです。有用な道路の少ない浅口郡里庄町西部の交通事情改善などを目的として建設されていたこの道は今月5日午後2時に開通することになりました。
今回開通する県道288号園井・里庄線浜中バイパスは浅口郡里庄町浜中/浜中交差点で県道47号倉敷・長浜・笠岡線西大島新田バイパスと接続しており、県道47号倉敷・長浜・笠岡線西大島新田バイパスとともに笠岡市東部・浅口郡里庄町西部を南北に貫く新たな幹線道路として有用な存在になることが期待されています。県道288号園井・里庄線浜中バイパスの開通と引き換えにその西方を通る笠岡市道青池・小島屋線(今立川右岸土手を通る道路)の一部区間(おおよその区域はこちら)が自転車・歩行者専用道路に転用されるという問題はありますが、どのような効果を地域にもたらすことになるのでしょうか。
4月 還暦を迎えた国道路線の旧道に残る「焼きおにぎり」
(撮影場所:福山市加茂町下加茂)
※新見市と福山市を結ぶ国道182号線は今年4月1日発足60周年を迎えました(前身の二級国道182号新見・福山線時代〔1963〜1965〕を含む)。60年も経てば道路改良により区域から外れるところも多数出るのですが、福山市郊外のかつて国道182号線だった道(今は福山市道下加茂・御幸幹線になっています)には何と発足した時に設置されたと思われる国道標識(正式名称は国道番号)が今も残されています。錆が進行して数字が読み取りにくくなっていますが、この標識のある狭い道がかつては福山市と中国山地を結ぶ国道路線だったことを今に伝えています。
前記の通りこの標識は錆が進行しており、いつ撤去されてもおかしくない状況になっていますが、この標識から1.3kmほど南下したところにある福山市と深安郡加茂町(1955〜1975)の境界標識とともにかつては福山市と中国山地を結ぶ国道路線だったことを示す物件としていつまでも残して頂きたいものだと思っています。
5月 4年ぶりに復活します
(撮影場所:福山市南町)
※毎年5月に開催される福山ばら祭の主要企画であるローズパレードはばら公園(福山市花園町一丁目)の東側を通る福山市道千田・一文字幹線で開催されるのですが、2020〜2022年(令和2〜4年)については新型コロナウィルス感染症の世界的な流行の影響により開催されませんでした。新型コロナウィルス感染症の世界的な流行はまだ予断を許さない状況ですが、今年5月27〜28日に開催される予定の第56回福山ばら祭で4年ぶりに開催されることになりました。
ところで、今私は「今年5月27〜28日に開催される予定の第56回福山ばら祭…」と書きましたが、福山ばら祭は本来なら5月第三日曜日とその前日の土曜日に開催される年中行事であり(今年の場合は5月20〜21日)、おやっと思った方もいたかもしれません。なぜ5月第四日曜日とその前日の土曜日に開催されることになったのかというと広島市南区で主要国首脳会議(サミット)が5月19〜21日に開催されることで広島市及びその周辺地域における警備を強化せざるを得なくなったからだと思われます。毎年5月に行われる福山市内の年中行事は他にも開催時期が変わっているものがありますので行こうと思われる方は事前に確認をした上で出かけて頂きたいと思います。
6月 毎夏恒例の行事も…
(撮影場所:福山市元町)
※福山市中心部の商店街では毎年6〜8月の土曜日に夜店を開催しています。ここ数年は新型コロナウィルス感染症の世界的な流行の影響を受けていましたがそれが沈静化したこともあって今年完全復活することになりました。
7月 あれから5年経ちましたが…
(撮影場所:福山市今津町)
※岡山・広島両県などで甚大な被害をもたらした集中豪雨から今月で5年になりますが、道路・河川など多くの施設が復旧されていく中で未だに復旧されていないものもいくつか存在します。福山市松永地区を流れている本郷川に架かっていた仲間橋(全長:30.5m)もその一つで、福山市今津町長波地区(本郷川右岸)と福山市今津町矢捨地区(本郷川左岸)を自動車で往来しようとした場合500mほど下流にある吾妻橋(全長:36.9m)か250mほど上流にある長波橋(全長:39.0m)を通らなければならない状況が続いています。復旧させる計画はあるようなのですが、仲間橋を通っていた方はいつまで辛抱すれば良いのでしょうか。
なお、被災から間もない頃の仲間橋の写真は2018年(平成30年)8月の「今月の一枚」で公開しています(こちらでその写真は見られます)。
8月 昔の名前で出ています
(撮影場所:府中市荒谷町)
※神石郡神石高原町小畠と府中市府中町を結んでいた県道183号小畠・府中線(1960〜1998)が県道388号木野山・府中線と県道417号小畠・荒谷線に再編されたために廃止されたのは今から25年前の1998年(平成10年)8月27日のことでした。写真撮影地付近の県道183号小畠・府中線は現在は県道388号木野山・府中線になっているのですが、廃止から四半世紀経とうという現在になっても県道183号小畠・府中線時代に恐らく地域住民が作成したのであろう案内看板が残っています。府中市中心部と神石郡神石高原町または府中市木野山町を往来するのにこの道を通る方はあまりいないことや看板自体小さいことなどから気付かれずにいたのではないかと思うのですが、今ではこの古びた看板がこの道が昔は県道183号線だったことを示す唯一の痕跡となっています。諸事情により発足時点からずっと府中市木野山町〜府中市荒谷町間で未開通のままになっている県道388号木野山・府中線の全線開通を求める声が最近出ているようですが、今後この看板はどうなっていくのでしょうか。
9月 あの日この砂浜を大きな波が襲った
(撮影場所:鎌倉市長谷二丁目)
※鎌倉市中心部の南西にある由比ヶ浜は今年9月1日に発生から一世紀を迎える関東地震(関東大震災。1923年〔大正12年〕9月1日)が引き起こした津波が来襲し、甚大な被害が出たところの一つとなりました。由比ヶ浜に来襲した津波の高さは9mに達したとされており、どれだけの高さの波が襲ったのか考えるだけでも恐ろしくなります。
今は鎌倉市民の憩いの場として、海水浴やマリンスポーツなどを楽しむ場として多くの方々が訪れる由比ヶ浜ですが、そういう場所の暗い過去を書くことに対して批判的な意見は出るかもしれません。しかし、火災被害が注目されることの多い関東地震では津波被害も多数起きていることは事実ですし、もっと知られても良いことだと考えています。しかももし起きれば太平洋沿岸地域に甚大な被害をもたらすであろうとされている南海トラフ巨大地震が近い将来起きるのではないかという声も出ています。日本列島が地震の多いところに立地している以上地震は今後も避けることはできないのでしょうが、二度と悲惨極まりない災害が起きて欲しくないという思いを込めて今月の一枚に数年前のゴールデンウィークに鎌倉に行った時に撮影した写真を掲載することに致しました。
10月 忘れ去って欲しくない未解決事件
(撮影場所:広島市安佐北区小河原町)
※広島市安佐北区小河原町で早朝ジョギングに出かけた当時小学校5年生の女子児童が何者かに連れ去られ、失踪した事件が起きたのは今から40年前の1983年(昭和58年)10月25日のことでした。女子児童が連れ去られた現場付近には情報提供を呼びかける看板が設置され、少なくとも1990年代末期頃までは目立つように置かれていたのですが、最近行ってみると左の写真に見えるように看板の前にはいろいろなものが置かれて目立たなくなった上に褪色が進み、判読不能になっていました。看板に記されている警察署の名称は既に使われなくなったものであり(看板に記されている可部警察署は2007年〔平成19年〕4月1日に安佐北警察署〔広島市安佐北区可部四丁目〕に改称している)、年月の流れを感じさせます。
40年前の事件ですから解決する可能性は著しく低いしもし容疑者を特定できたとしても公訴時効成立や容疑者の逝去などの理由により裁けないままに終わる可能性が高いのですが、気になるのは1980年(昭和55年)前後の広島市及びその周辺では女子小学生が何者かに連れ去られ、他殺遺体で見つかるという事件が二つ起きており、いずれも未解決のままになっているということです。発生した時間帯や曜日はそれぞれ異なるのですが、いずれも広島市中心部に通じる幹線道路のそばで起きており、同じ容疑者の仕業なのでは…と考えたくなります。ほぼ同じ時期に栃木・群馬両県で相次いで起きた幼女誘拐・殺人事件(唯一被害者が未発見であり、なおかつ公訴時効が成立していない太田市内のパチンコ店で起きた幼女誘拐事件〔1996年〈平成8年〉7月7日発生〕の情報提供を呼びかけているページはこちら)のように広く知られてはおらず、広島県民でも知っている方は少なくなっている事件ですが、事件を忘れ去って欲しくない、そしてどのような形であっても良いので真相が明らかになって欲しいという思いを込めてあえて情報提供を呼びかける看板の写真を掲載することに致しました。
11月 本州と九州を繋いで半世紀
(撮影場所:下関市あるかぽーと)
※一部映っていない箇所があるのですが奥に見える吊り橋は関門橋(全長:1,068m)です。今から50年前の1973年(昭和48年)11月14日に開通し、本州(左側)と九州(右側)を結ぶ交通路として多くの方々に利用されてきました。
12月 4年ぶりに復活する初冬の風物詩
(撮影場所:福山市東村町)
※福山市で最も西にある町・東村町では毎年12月第一日曜日にかかし祭りという行事が開催されています。東村町が沼隈郡東村(?〜1954)という自治体だった1946年(昭和21年)に始まり、開催当日は広島県を放送区域とするテレビ放送局が取材に来るほど広く知られる行事になったのですが、2020〜2022年(令和2〜4年)については新型コロナウィルス感染症の世界的な流行の影響により開催されませんでした。しかし、状況が改善したことなどから今年12月3日に4年ぶりに開催されることになりました。
東村町が属する福山市松永地区では今年、JR山陽本線松永駅(福山市松永町)南口周辺地域(おおむね福山市松永町四丁目に相当する地域)で1994年(平成6年)から毎年9月に開催されてきたゲタリンピックという年中行事が諸般の事情により終了することが決定するという残念な話がありました(最後に開催されたのは2019年〔令和元年〕9月15日。その後は新型コロナウィルス感染症の世界的な流行の影響などにより開催できずじまいになっていた)。福山市東村町で開催されてきたかかし祭りも主要会場として使われていた福山市立東村小学校(1874〜2020)の廃校(2020年〔令和2年〕)に象徴される過疎化などにより厳しい状況にあるのですが、今後も困難を乗り越えて続いて欲しいという思いを込めてこの写真を掲載することに致しました。