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表紙写真展示室・2024年(令和6年)分

写真 説明文
1月 多くの名勝負を見てきた洞門
(撮影場所:神奈川県足柄下郡箱根町湯本)
※国道1号線箱根旧道(注1)にある函嶺洞門(全長:100.9m。1931〜2014。重要文化財指定)は落石対策として1931年(昭和6年)10月に完成し、2014年(平成26年)2月7日にそのすぐそばを流れている早川の対岸に建設されたバイパスが開通するまで80年以上の長きにわたり使用されました。
ところで、函嶺洞門がある辺りの国道1号線箱根旧道は毎年1月2〜3日に開催され、今年100回目となる東京・箱根間往復大学駅伝競走(通称:箱根駅伝)の経路になっていることで知られています。函嶺洞門を走者が通っていたのは第13回大会(1932年〔昭和7年〕1月9〜10日開催
(注2))から第90回大会(2014年〔平成26年〕1月2〜3日開催)までの78回となり、実に100回中78回(注3)について函嶺洞門が東京・箱根間往復大学駅伝競走の舞台になったことになります。今は老朽化などを理由に封鎖されていますが、函嶺洞門を走者が駆け抜けていく様子を覚えている方は多いのではないかと思います。
なお、国道1号線箱根旧道を管理している神奈川県県西土木事務所小田原土木センター
(注4)(小田原市東町五丁目)では防災工事が完成したことから今年1月2〜8日に特別に公開することにしたそうです(詳細はこちら)。その後はどのように扱うのかは今のところ分かりませんが、各地にある覆道(注5)の草分け的存在であり、多くの方々が注目する行事の舞台になったこの洞門はいつまでも大切に残して頂きたいと思います。
2月 4年ぶりに開催される早春の風物詩
(撮影場所:三原市東町一丁目)
※2月第二日曜日とその直前の金曜日・土曜日の3日間開催される三原神明市は室町時代末期から続く伝統行事であり、早春の風物詩として親しまれていますが、2020年(令和2年)を最後に新型コロナウィルス感染症の世界的な流行の影響により開催は見送られてきました。しかし、新型コロナウィルス感染症が昨年5月8日に5類感染症に移行したことにより今年2月9〜11日に4年ぶりに開催されることになりました。
3月 新道に移ることなく廃止される予定のバス停留所
(撮影場所:福山市今津町)
※矢捨バス停留所(福山市今津町)はバス会社・鞆鉄道
(注6)(福山市佐波町)が運営するバス路線の一つで、福山市松永地区と尾道市原田地区東部・福山市芦田地区西部を結ぶ小原線(注7)にあるバス停留所の一つです。しかし、利用者が減ったことや乗務員の確保が困難になっていることなどから小原線は今月31日の運行を最後に廃止され、それに伴い矢捨バス停留所も役目を終えることになりました。
ところで、矢捨バス停留所の東方(写真では奥)では現在都市計画道路駅前・府中線
(注8)の建設が進められており、近く開通する予定になっています(今のところ開通時期は公表されていないが今春の可能性が高い)。JR山陽本線松永駅(福山市松永町)と福山市松永地区北部・尾道市原田地区を最短経路で結ぶことになるこの道路に小原線が設定されるのでは…と見ていたのですが、それは実現しないことになりました。道路が良くなっていく一方で公共交通機関は不便になっていくというのはどうなんだろうと思いたくなるのですが、小原線沿線に住む方はどのようにこの状況を見ているのでしょうか。その点が気になります。
4月 今春節目を迎える二つの学校
(撮影場所:福山市西深津町七丁目)
※同じ福山市西深津町五丁目を所在地としている
(注9)福山市立中央中学校(写真中央左)と福山市立西深津小学校(写真右上。小さくて分かりにくいのはご容赦願いたい)。今春福山市立中央中学校は開校50周年の節目を、福山市立西深津小学校は開校45周年の節目をそれぞれ迎えます。福山市立中央中学校は福山市立東中学校(福山市三吉町南二丁目)の生徒数増加対策として、福山市立西深津小学校は福山市立深津小学校(福山市東深津町二丁目)の児童数増加対策としてそれぞれ設置されたのですが、どれだけ当時の福山市の発展や人口増加が著しかったのだろうかと感じたくなります。
少子・高齢化などの事情により福山市の人口は数年前から減少に転じ、郊外では学校の統廃合が実施されるようになりました
(注10)。今のところ福山市は中国地方では岡山市・尾道市・呉市・府中市・下関市で見られたような中心部の学校の統廃合について行うことは考えていないようですが、果たしてどうなるのでしょうか。
5月 今月6日をもってしばしのお別れ
(撮影場所:瀬戸内市長船町長船)
※岡山市東郊の瀬戸内市長船地区の国道2号線(国道250号線重用)の沿線にあるドライヴイン・おさふねサービスエリア(瀬戸内市長船町長船)はすぐそばをJR山陽新幹線が通っており、山陽新幹線を通る列車を見ながら食事ができることや温泉施設があること、山陽新幹線の高架下にかつて倉敷市南部を通っていた下津井電鉄下津井電鉄線(1913〜1990)で使用されていた車両が静態保存されていることで知られています。しかし、営業開始から60年が経過し、建物が老朽化したことから今月6日をもって建て替えのため一旦営業を終了することになりました。今のところどのような形でいつ営業再開するのかは公になっていないのですが、営業再開後も国道2号線(国道250号線重用)を通る方々の憩いの場所として親しまれるようになることを願ってやみません。
6月 51年間お疲れ様でした
(撮影場所:新見市神郷釜村)
※屈曲の多い路線でも高速で走れることを目的として開発された381系電車が登場したのは1973年(昭和48年)のことでした。以来名古屋市と長野県を結ぶ「しなの」号(使用期間:1973〜1996
(注11))や京都・大阪と和歌山県を結ぶ「くろしお」号(使用期間:1978〜2015)、そして岡山市と山陰地方中央部(鳥取県西部・島根県東部)を結ぶ「やくも」号(使用期間:1982〜2024)で主に使用されてきました。「くろしお」号での使用が終了した2015年(平成27年)10月31日以降は「やくも」号だけで使用されていたのですが遂に今月15日の「やくも」1号(岡山午前7時5分発→出雲市午前10時18分着)をもって定期運用から外れることになりました。今後は臨時列車や今年4月6日から「やくも」号に順次導入されている273系電車の代用で381系電車が走る可能性はあるのですが車歴が40年以上になっていることを考えるとその機会は多くないのではないかと思われます。
国鉄時代(1949〜1987)に製造され、今も走る唯一の特急列車用電車として381系電車は注目されていますが一方ではどうかという行動を起こす方もいると聞いています。今月15日の定期運用離脱までその姿を一目見ようとする方は多数いることでしょうが節度を持った行動をとって頂きたいものだと思います。
7月 遠距離受信に挑むなら今のうち
(撮影場所:福山市金江町藁江)
※見えにくいかもしれませんが左の写真は福山市園芸センター(福山市金江町藁江)の駐車場で自分の自動車の車載ラジオ受信機で山口放送(KRY、周南市徳山)の本局(周南市大津島。周波数:765kHz)の遠距離受信に挑んだ時のものです。福山市園芸センターの駐車場で山口放送の遠距離受信に挑んだのは今年6月のある日曜日の午後だったのですが、本局から約150km離れた場所でも十分受信できることが分かりました。
ところでなぜ山口放送の遠距離受信に挑むなら今のうちと書いたのかというと山口放送は今月29日をもって中波放送の運用を全て休止することにしたからです。今年2月から一部の民間中波放送局で実施している民間中波放送局がエフエム放送局に転換した場合どのような影響が出るかなどを調べる実証実験
(注12)の一環として行われることなのですが、何と山口放送は全ての中波中継局の運用を止めることにしました。あまりにも積極的なエフエム補完中継局設置状況(注13)を見て山口放送はエフエム放送局に転換しようとしているのではないかと思ったものでしたが、実証実験で全ての中波中継局の運用を止めることにしたことで山口放送の方針は明確になったと言えるのではないのでしょうか。
山口放送のエフエム放送局転換への姿勢についてはいろいろな意見があるところですが、どのような影響が出るのか、どのような結果をもたらすのか、そして経営事情などからなかなかエフエム補完中継局の整備が進んでいない他の民間中波放送局にどのような影響を与えるのか、今後が注目されるところです。
8月 令和時代初の選挙戦の結果は如何に…
(撮影場所:福山市西深津町三丁目)
※私が住んでいる福山市では今月11日に市長選挙が実施されます。前回の市長選挙では立候補者が一人しかいなかったために投票は実施されなかったので選挙戦が行われるのは2016年(平成28年)8月28日に実施されて以来約8年ぶりになります(令和時代初の選挙戦と書いたのはそのため)。人口減少や地域格差の拡大など様々な課題を抱えている福山市ですが、果たしてどんな選挙戦が展開されるのでしょうか。願わくば盛り上がって頂きたいものですが…。
9月 古希を迎える県道路線
(撮影場所:福山市水呑町)
※福山市中心部と福山市南部の景勝地・鞆の浦を結ぶ県道22号福山・鞆線は第一次主要地方道路線指定(1954年〔昭和29年〕1月20日建設省告示第16号による)で主要地方道に指定された路線で、今年9月17日に発足70周年を迎えます。旧道路法時代(1920〜1952)に発足した県道路線が現存しない広島県においては最長寿の県道路線の一つとなっており
(注14)、同時に福山市においても最長寿の県道路線となっています(注15)。また、広島県内で完結する主要地方道路線としては初めて一つの市区町村しか通らない路線になったこと(注16)や経路変更により旧道になった部分が数十年後現道に復帰するという稀有な経験をしたこと(注17)など興味深い歴史を持つ路線でもあります。
前にも記したように県道22号福山・鞆線は広島県及び福山市においては最長寿の県道路線なのですが、私としてどうかと感じているのは長い歴史を有し、交通量が多い県道路線であるにもかかわらず案内が不十分な箇所がいくつかあるということです
(注18)。まあ福山市水呑町/佐須良池交差点以北であれば多様な経路が選べることや福山市中心部と沼隈半島各地(注19)を往来するのには遠回りな経路をとっていることも背景にあるのでしょうが近い将来改善せざるを得なくなる出来事(注20)が起きる状況にはあるものの管理者の広島県東部建設事務所(福山市三吉町一丁目)には真剣に考えて頂きたいものだと思う昨今です。
10月 JR東海道新幹線を走る列車から見える山と言えば…
(撮影場所:富士市江尾)
※今月1日JR東海道新幹線東京〜新大阪間515.4km
(注21)は開業60周年を迎えました。東海道新幹線を走る列車から見える山は記すまでもなく多数ありますが、その中でも最も多くの人が注目するのはやはり日本で最も高い山として知られる富士山(標高:3,776.12m)ではないのでしょうか。天候や時間帯により見られない場合があるのですが、車窓のはるか向こうに聳えるその姿は季節や時間帯により変わり、多くの方々を魅了しています。
11月 今夏から県道ではなくなった紅葉の名所を通る道
(撮影場所:三原市高坂町許山)
※三原市西部にある古刹・仏通寺(三原市高坂町許山)は紅葉の名所としても知られ、紅葉の季節には多くの方々が訪れます。その仏通寺の境内を貫いていたのが三原市本郷地区と三原市久井地区を結んでいる県道50号本郷・久井線です。2007年(平成17年)9月23日に仏通寺の境内と、その先の狭隘区間
(注22)を迂回するバイパスが開通してからも県道50号本郷・久井線のまま留め置かれていましたが2024年(令和6年)7月16日広島県告示第712号により前記の狭隘区間を除いて区域から外され(注23・注24)、本郷側の通行可能区間は三原市道高坂町78号線に、久井側の通行可能区間は三原市道久井町坂井原93号線にそれぞれ再編されました。つまり、仏通寺の境内を貫く道は今年の紅葉の季節が三原市道高坂町78号線として迎える初めての季節となります。
なお、紅葉の季節の仏通寺周辺では渋滞が予想されることから一方通行規制などの通行規制が実施されます。詳細は三原市公式サイト(それはこちら)などで紹介していますので仏通寺に紅葉狩りに出かける方や仏通寺周辺を通過する方は事前にどのような交通規制が行われているかを確認した上で赴かれるようにして頂きたいと思います。
12月

(注釈コーナー)

注1:本サイトではバイパスが開通しても路線再編が行われず、バイパス開通前と同じ路線名称を名乗っている箇所をそのように表記している(こちらでも触れているので併せてご覧頂きたい)。国道1号線箱根旧道の場合はその南方に国道1号線のバイパスとして箱根新道が建設されたことによる。
※国道1号線箱根旧道が国道1号線のまま留め置かれている理由としては箱根新道が自動車専用道路であることやもし路線再編を行うと国土交通省から補助が出なくなる一般県道路線になる区間が生じる可能性があること、沿線住民の国道1号線に対する愛着が根強いことなどが考えられる。

注2:東京・箱根間往復大学駅伝競走が1月2〜3日に開催されるようになったのは第31回大会(1955年〔昭和30年〕1月2〜3日開催)からである。それまでは基本的には1月上旬に開催されていたが2月中旬や4月上旬に開催した年もあった。

注3:第1回東京・箱根間往復大学駅伝競走は1920年(大正9年)2月14〜15日に開催されたので今年1月2〜3日に開催される東京・箱根間往復大学駅伝競走の回数は本来なら105回になるのだが、1941〜1942年(昭和16〜17年)と1944〜1946年(昭和19〜21年)は第二次世界大戦(1939〜1945)の影響により中止されたため今年1月2〜3日に開催される東京・箱根間往復大学駅伝競走の回数は100回となる。また、それに伴い函嶺洞門が東京・箱根間往復大学駅伝競走の舞台になった回数も78回となる。
※第二次世界大戦真っ只中の1943年(昭和18年)だけはなぜか中止は免れているが、
これは靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会と銘打って開催したものを第22回大会(1943年〔昭和18年〕1月5〜6日開催)としているためである。一方で1941年(昭和16年)に二度代替競技として明治神宮水泳場前・青梅熊野神社間往復駅伝を開催しているが経路が全く異なるからか東京・箱根間往復大学駅伝競走の回数には含めていない。

注4:国道1号線は全て国土交通省(東京都千代田区霞が関二丁目)が管理しているのではないかと思う方が多いのではないかと思うのだが、実は都道府県や政令指定都市が管理している区間もいくらか存在する。国道1号線箱根旧道もその一つなのだが、国道1号線箱根旧道の管理者が国土交通省関東地方整備局横浜国道事務所(横浜市中区新港一丁目)から神奈川県県西土木事務所小田原土木センターに変わったのは2011年(平成23年)7月26日午前0時に国道1号線箱根旧道の南方を通るバイパス、すなわち箱根新道が無料開放され、管理者が中日本高速道路(愛称:NEXCO中日本。名古屋市中区錦二丁目)から国土交通省関東地方整備局横浜国道事務所に変わったためである。

注5:洞門の正式名称。

注6:鞆鉄道は現在は鉄道事業を行っていないのだが1954年(昭和29年)までは福山市中心部と福山市鞆地区を結ぶ鉄道路線を運営していた。
※鉄道事業から撤退してからも鉄道事業を行っていた当時の社名を使い続けているバス会社は少なくなく、中国地方では他に下津井電鉄(岡山市北区大元駅前。鉄道事業は1990年〔平成2年〕撤退)や船木鉄道(宇部市船木。鉄道事業は1961年〔昭和36年〕撤退)がある。

注7:小原線の「小原」は小原線の終点がある辺りの地名ではなく、途中の尾道市原田地区東部にある地名(尾道市原田町の大字でもある)である。もし終点がある辺りの地名を採るのであれば柞磨線(柞磨は福山市芦田地区西部にある地名で福山市芦田町の大字でもある)となったのだろうが、福山市芦田地区西部まで運行する便は少ないこと(平日は5往復中2往復、土曜日・日曜日・祝日は4往復中1往復となっている)や福山市松永地区と尾道市原田地区東部を結ぶことを主たる目的として設定された路線であること(平日は5往復中3往復、土曜日・日曜日・祝日は4往復中3往復となっている)、中国バス(福山市多治米町六丁目)にも同名の路線があったこと(但し2020年〔令和2年〕10月1日に廃止されており、今は運行していない)から小原線となったのではないかと思われる。

注8:都市計画道路駅前・府中線は福山市松永町/松永駅北口駅前広場前交差点(信号機・交差点名標なし)を起点、福山市今津町/今津北公園北交差点(信号機・交差点名標なし)を終点とする道路(福山市道松永駅・今津幹線でもある)で、府中市まで通じているわけではない。

注9:福山市立西深津小学校は敷地の大半は福山市東吉津町に属しているのだが、正門(北東校門)が福山市西深津町五丁目にあるため所在地を福山市西深津町五丁目としている。

注10:福山市が現在の市域になった2006年(平成18年)3月1日以降の市立小学校・中学校の再編状況は下表の通りである。

※下表では学校名については福山市立を、所在地については福山市をそれぞれ省略している。

実施年 再編対象学校名 所在地 新設学校名 所在地 備考
2006年
(平成18年)
中条小学校
三谷分校
神辺町三谷 中条小学校 神辺町東中条 中条小学校三谷分校は管理者が深安郡神辺町(1929〜2006)だった2003年(平成15年)3月末をもって休校。
深安郡神辺町は2006年(平成18年)3月1日に福山市に編入されるが、管理者が深安郡神辺町から福山市に移っても休校状態は維持され、現在に至っている。
2015年
(平成27年)
鞆小学校 鞆町後地 鞆小学校 鞆町後地 走島小学校は福山市唯一の有人離島(旅客船でしか行けない島を指す)にある小学校だった。
走島小学校 走島町
鞆中学校 鞆町後地 鞆中学校 鞆町後地 走島中学校は福山市唯一の有人離島にある中学校だった。
走島中学校 走島町
2019年
(平成31年)
鞆小学校 鞆町後地 鞆の浦学園 鞆町後地 鞆の浦学園は福山市初の義務教育学校。
鞆小学校跡地に開校。
鞆中学校 鞆町後地
2020年
(令和2年)
今津小学校 今津町 遺芳丘小学校 今津町 遺芳丘小学校は今津小学校跡地に開校。
東村小学校 東村町
駅家東小学校 駅家町法成寺 駅家北小学校 駅家町法成寺 駅家北小学校は駅家東小学校跡地に開校。
駅家東小学校は1977年(昭和52年)に駅家小学校(駅家町倉光)の児童数増加対策で開校した学校であり、福山市で初めて児童数増加対策により開校した学校が消滅することになった。
服部小学校 駅家町助元
2022年
(令和4年)
内浦小学校 内海町 想青学園 沼隈町草深 想青学園は千年中学校跡地に開校。
福山市内海・沼隈両地区の学校再編であるが福山市沼隈地区にある学校でも山南小学校(沼隈町中山南)と至誠中学校(沼隈町上山南)は対象外となった(山南小学校に通っていた児童が進学する至誠中学校が福山市熊野町全域で構成されている熊野小学校区を学区に含めていたことが主たる理由と思われる)。
内浦小学校・内海小学校・内海中学校の廃校により福山市内海地区、すなわち旧沼隈郡内海町域の学校は全てなくなることになった。
内海小学校 内海町
千年小学校 沼隈町草深
常石小学校 沼隈町常石
能登原小学校 沼隈町能登原
内海中学校 内海町
千年中学校 沼隈町草深
新市中央中学校 新市町新市 新市中央中学校 新市町新市 新市中央中学校は芦品郡新市町(1907〜2003)が福山市に編入された時(2003年〔平成15年〕2月3日)に中央中学校から改称している。新市中央・常金両中学校の統合による新たな中学校の名称を新市中央中学校としたのは20年足らずの間に二度も改称するのはどうかという声が多かったことも考えられるところである。
常金中学校 新市町金丸
2023年
(令和5年)
加茂小学校 加茂町中野 加茂小学校 加茂町中野 山野北小学校は2002年(平成14年)3月末をもって休校。福山市加茂地区の学校再編により正式に廃校になることになった。
広瀬小学校 加茂町北山
山野小学校 山野町山野
山野北小学校 山野町山野
加茂中学校 加茂町下加茂 加茂中学校 加茂町下加茂
広瀬中学校 加茂町北山
山野中学校 山野町山野

注11:「しなの」号の定期列車での使用は1996年(平成8年)11月30日までだったがその後2008年(平成20年)春までは臨時列車で使用されていた。

注12:エフエム放送局転換実証実験に参加している民間中波放送局の状況は下表の通りである。

放送局名 運用休止
中波中継局名
周波数 運用休止
開始年月日
運用休止
終了年月日
状況
アイビーシー岩手放送 田野畑 1062kHz 2024年
(令和6年)
2月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
LuckyFM茨城放送 関城 1458kHz 2024年
(令和6年)
2月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
当初の運用休止終了年月日は2024年(令和6年)7月31日としていた。
土浦 1458kHz 2024年
(令和6年)
2月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
当初の運用休止終了年月日は2024年(令和6年)7月31日としていた。
新潟放送 柏崎 1062kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
当初の運用休止終了年月日は2024年(令和6年)9月1日としていた。
長岡 1062kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
当初の運用休止終了年月日は2024年(令和6年)9月1日としていた。
北陸放送 七尾 1107kHz 2024年
(令和6年)
8月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
当初運用休止期間は2024年(令和6年)4月1日〜9月30日としていたが能登半島地震(2024年〔令和6年〕1月1日)の影響により左記の通りに変更された。
山中 1485kHz 2024年
(令和6年)
8月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
当初運用休止期間は2024年(令和6年)4月1日〜9月30日としていたが能登半島地震の影響により左記の通りに変更された。
輪島 1107kHz 2024年
(令和6年)
8月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
当初運用休止期間は2024年(令和6年)4月1日〜9月30日としていたが能登半島地震の影響により左記の通りに変更された。
福井放送 小浜 1557kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
当初の運用休止終了年月日は2024年(令和6年)8月4日としていた。
敦賀 1557kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
当初の運用休止終了年月日は2024年(令和6年)8月4日としていた。
東海ラジオ放送 恵那 801kHz 2024年
(令和6年)
7月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
下呂 1485kHz 2024年
(令和6年)
7月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
新城 1332kHz 2024年
(令和6年)
8月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
豊橋 864kHz 2024年
(令和6年)
8月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
上野 1557kHz 2024年
(令和6年)
7月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
山口放送 周南
(本局)
765kHz 2024年
(令和6年)
7月29日
2025年
(令和7年)
1月31日
2024年(令和6年)5月27日から運用休止までは空中線電力を段階的に下げて運用。
山口 765kHz 2024年
(令和6年)
3月4日
2025年
(令和7年)
1月31日
岩国 918kHz 2024年
(令和6年)
4月29日
2025年
(令和7年)
1月31日
2024年(令和6年)4月1日から運用休止までは空中線電力を段階的に下げて運用。
下関 918kHz 2024年
(令和6年)
5月27日
2025年
(令和7年)
1月31日
2024年(令和6年)4月29日から運用休止までは空中線電力を段階的に下げて運用。
須佐田万川 765kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
1485kHz 2024年
(令和6年)
2月19日
2025年
(令和7年)
1月31日
南海放送 宇和島 1116kHz 2024年
(令和6年)
4月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
2024年(令和6年)2月1日から運用休止までは空中線電力を段階的に下げて運用。
当初の運用休止終了年月日は2024年(令和6年)9月30日としていた。
新居浜 1116kHz 2024年
(令和6年)
4月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
2024年(令和6年)2月1日から運用休止までは空中線電力を段階的に下げて運用。
当初の運用休止終了年月日は2024年(令和6年)9月30日としていた。
八幡浜 1116kHz 2024年
(令和6年)
4月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
2024年(令和6年)2月1日から運用休止までは空中線電力を段階的に下げて運用。
当初の運用休止終了年月日は2024年(令和6年)9月30日としていた。
RKB毎日放送 行橋 1062kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
九州朝日放送 行橋 1485kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
長崎放送 佐賀 1458kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
有田 1458kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
伊万里 1116kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
唐津 1458kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
熊本放送 荒尾 1197kHz 2024年
(令和6年)
2月5日
2025年
(令和7年)
1月31日
南日本放送 阿久根 1107kHz 2024年
(令和6年)
2月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
大口 1107kHz 2024年
(令和6年)
2月1日
2025年
(令和7年)
1月31日
川内 1107kHz 2024年
(令和6年)
2月1日
2025年
(令和7年)
1月31日

注13:山口放送のエフエム補完中継局の設置状況は下表の通りである。

中継局名 所在地 周波数 開局年月日 備考
周南 防府市牟礼 92.3MHz 2015年
(平成27年)
7月21日
山口鴻ノ峯 山口市上宇野令 92.3MHz 2018年
(平成30年)
11月12日
阿東 山口市阿東地福下 92.3MHz 2017年
(平成29年)
9月23日
岩国 岩国市御庄 92.3MHz 2017年
(平成29年)
4月23日
宇部 宇部市小串 92.3MHz 2018年
(平成30年)
4月11日
下関 下関市みもすそ川町 92.3MHz 2017年
(平成29年)
5月21日
周防大島 大島郡周防大島町西安下庄 92.3MHz 2018年
(平成30年)
12月5日
須佐田万川 萩市須佐 86.4MHz 2018年
(平成30年)
8月29日
豊浦 下関市豊浦町厚母郷 86.4MHz 2017年
(平成29年)
10月23日
豊田 下関市豊田町江良 86.4MHz 2021年
(令和3年)
8月24日
長門 長門市日置上 86.4MHz 2016年
(平成28年)
4月18日
萩市椿東 86.4MHz 2016年
(平成28年)
8月2日
美祢 美祢市伊佐町伊佐 86.4MHz 2015年
(平成27年)
11月29日
柳井 光市塩田 92.3MHz 2016年
(平成28年)
10月12日

山口放送は中国地方にある民間中波放送局では最初にエフエム補完放送を始めたのだが、たった3年半で13箇所もエフエム補完中継局を整備しており、その積極ぶりがうかがえる。また、瀬戸内海沿岸地域(周南・山口鴻ノ峯・阿東・岩国・宇部・下関・周防大島・柳井各エフエム中継局)と日本海・響灘沿岸地域(須佐田万川・豊浦・豊田・長門・萩・美祢各エフエム中継局)でそれぞれ周波数を統一していることも特筆される。

注14:広島県で最長寿の県道路線は県道5号浜田・八重・可部線と県道22号福山・鞆線、県道25号三原・東城線、県道43号厳島公園線の4路線である。いずれも1954年(昭和29年)9月17日広島県告示第510号で発足しており、発足からの日数は2024年(令和6年)9月1日時点で2万5,553日となっている。
ちなみに県道5号浜田・八重・可部線と県道22号福山・鞆線、県道25号三原・東城線、県道43号厳島公園線が広島県最長寿の県道路線の座に就いたのは今から7年ほど前の2017年(平成29年)5月24日のことである。それまでの広島県最長寿の県道路線は約62年8ヶ月(存続期間は1920年〔大正9年〕4月1日〜1982年〔昭和57年〕12月6日。日数に換算すると2万2,895日となる)にわたって存続した県道41号加計・廿日市線(1920〜1982。路線名称は廃止時点のものを記している)だったのだが、2017年(平成29年)5月24日に県道5号浜田・八重・可部線と県道22号福山・鞆線、県道25号三原・東城線、県道43号厳島公園線の存続日数が県道41号加計・廿日市線の存続日数を上回ったために広島県最長寿の県道路線の座に就いたものである。

注15:県道22号福山・鞆線が福山市で最長寿の県道路線になっている理由は次の通りである。
第一次主要地方道路線指定で主要地方道に指定された、福山市に関係する県道路線は福山・鞆線と福山・井原線(1954〜1971)と福山・庄原線(1954〜1982)、福山・東城線(1954〜1965)があったが、いずれも1954年(昭和29年)9月17日広島県告示第510号で発足したものであること。
・福山・井原線と福山・庄原線、福山・東城線、福山・鞆線が発足した1954年(昭和29年)9月17日時点で福山市内を通る最古参の県道路線は福山停車場線(1920〜1960)など1920年(大正9年)4月1日広島県告示第152号で発足した路線となるのだが、それらの県道路線は1960年(昭和35年)10月10日広島県告示第682号で廃止されていること。
・つまり、県道22号福山・鞆線が福山市で最長寿の県道路線になるためには存続日数が1920年(大正9年)4月1日広島県告示第152号で認定され、1960年(昭和35年)10月10日広島県告示第682号で廃止された路線の存続日数(14,803日)を超える必要があるのだが、県道22号福山・鞆線が1920年(大正9年)4月1日広島県告示第152号で認定され、1960年(昭和35年)10月10日広島県告示第682号で廃止された路線の存続日数を既に大幅に超えていること(ちなみに県道22号福山・鞆線が1920年〔大正9年〕4月1日広島県告示第152号で認定され、1960年〔昭和35年〕10月10日広島県告示第682号で廃止された路線の存続日数を超えたのは1995年〔平成7年〕3月29日のことである)。

注16:広島県の主要地方道路線は○○港線や○○停車場線といった他の都道府県では多く見られる短距離で完結するものは一切認定していないことや他県に跨る路線を除いて総延長5km未満の路線をほとんど認定していないこと(総延長5km未満の路線は県道43号厳島公園線〔約3.1km〕だけ)といった特徴を持っている。そのため第一次主要地方道路線指定で主要地方道に指定された路線(23路線)はいずれも複数の市区町村を通っており、一つの市区町村しか通らない路線は全く存在しなかった。
しかし、その後の市町村合併で一つの市区町村しか通らない路線はいくつか生じている。そのような主要地方道路線を発生順に示すと下表の通りになる。

発生順 路線名称 発生年月日 通過市区町村名 備考
発足時点 発生時点
1 県道22号福山・鞆線 1956年
(昭和31年)
9月30日
福山市
沼隈郡水呑町
沼隈郡鞆町
福山市 福山市が1956年(昭和31年)9月30日に沼隈郡鞆・水呑両町及び赤坂・熊野・瀬戸・津之郷各村、深安郡市・千田・引野・御幸各村を編入したことによる。
2 県道38号安佐・安古市線 1973年
(昭和48年)
3月20日
安佐郡安佐町
安佐郡沼田町
安佐郡安古市町
広島市 広島市が1971年(昭和46年)4月1日に安佐郡沼田町(1955〜1971)を、1971年(昭和46年)5月20日に安佐郡安佐町(1955〜1971)を、1973年(昭和48年)3月20日に安芸郡瀬野川町(1956〜1973)及び安佐郡高陽・佐東・安古市各町をそれぞれ編入したことによる。
1980年(昭和55年)4月1日に広島市が政令指定都市に移行したことにより通過市区町村は広島市安佐北区(旧安佐郡安佐町域)と広島市安佐南区(旧安佐郡沼田町域・旧安佐郡安古市町域)に分かれたため一つの市区町村しか通らない路線ではなくなった。
更に1993年(平成5年)5月11日建設省告示第1,270号で県道315号烏帽子・安佐線(1960〜1994。路線名称は廃止時点のものを記載)と統合して県道38号広島・豊平線に再編されることになったため1994年(平成6年)4月1日広島県告示第408号の2で廃止されている。
3 県道66号呉環状線 1982年
(昭和57年)
12月6日
呉市 呉市 県道67号馬木・八本松線とともに広島県では初めて主要地方道昇格時点から一つの市区町村しか通らない路線となった。
1993年(平成5年)5月11日建設省告示第1,270号で県道281号警固屋・広停車場線(1960〜1994。路線名称は廃止時点のものを記載)の一部区間(呉市警固屋八丁目/音戸大橋(北)交差点呉市広本町一丁目/広交差点間)を編入して路線を大幅に延伸したが一つの市区町村しか通らない路線である点は変わっていない。
県道67号馬木・八本松線 1982年
(昭和57年)
12月6日
東広島市 東広島市 県道66号呉環状線とともに広島県では初めて主要地方道昇格時点から一つの市区町村しか通らない路線となった。
5 県道82号広島空港・本郷線 1994年
(平成6年)
4月1日
豊田郡本郷町 豊田郡本郷町 主要地方道昇格時点から一つの市区町村しか通らない路線。
2005年(平成17年)3月22日に三原市と賀茂郡大和町(1955〜2005)・豊田郡本郷町(1924〜2005)・御調郡久井町(1954〜2005)が統合して改めて三原市が発足したことにより通過市区町村は豊田郡本郷町から三原市に変わっている。
県道83号志和インター線 1994年
(平成6年)
4月1日
東広島市 東広島市 主要地方道昇格時点から一つの市区町村しか通らない路線。
県道86号翠町・仁保線 1994年
(平成6年)
4月1日
広島市南区 広島市南区 主要地方道昇格時点から一つの市区町村しか通らない路線。
8 県道30号廿日市・佐伯線 2003年
(平成15年)
3月1日
廿日市市
佐伯郡佐伯町
廿日市市 廿日市市が佐伯郡佐伯町(1955〜2003)及び吉和村(1889〜2003)を編入したことによる。
9 県道65号大崎上島循環線 2003年
(平成15年)
4月1日
豊田郡大崎町
豊田郡東野町
豊田郡木江町
豊田郡大崎上島町 豊田郡大崎・木江・東野各町が統合して豊田郡大崎上島町が発足したことによる。
10 県道24号府中・上下線 2004年
(平成16年)
4月1日
府中市
甲奴郡上下町
府中市 府中市が甲奴郡上下町(1897〜2004)を編入したことによる。
県道63号三次・三和線 2004年
(平成16年)
4月1日
三次市
双三郡三和町
三次市 三次市と甲奴郡甲奴町(1955〜2004)、双三郡吉舎・三良坂・三和各町及び君田・作木・布野各村と統合して改めて三次市が発足したことによる。
県道74号下蒲刈・川尻線 2004年
(平成16年)
4月1日
安芸郡下蒲刈町
豊田郡川尻町
呉市 呉市が2003年(平成15年)4月1日に安芸郡下蒲刈町(1962〜2003)を、2004年(平成16年)4月1日に豊田郡川尻町(1922〜2004)をそれぞれ編入したことによる。
13 県道36号高田・沖美・江田島線 2004年
(平成16年)
11月1日
佐伯郡能美町
佐伯郡沖美町
佐伯郡大柿町
安芸郡江田島町
江田島市 安芸郡江田島町(1951〜2004)及び佐伯郡大柿・沖美・能美各町が統合して江田島市が発足したことによる。
県道44号江田島・大柿線 2004年
(平成16年)
11月1日
安芸郡江田島町
佐伯郡大柿町
江田島市 安芸郡江田島町及び佐伯郡大柿・沖美・能美各町が統合して江田島市が発足したことによる。
15 県道47号鞆・松永線 2005年
(平成17年)
2月1日
福山市
沼隈郡沼隈町
福山市 福山市が沼隈郡沼隈町(1955〜2005)を編入したことによる。
県道53号沼隈・横田港線 2005年
(平成17年)
2月1日
沼隈郡沼隈町
沼隈郡内海町
福山市 福山市が2003年(平成15年)2月3日に沼隈郡内海町(1955〜2003)を、2005年(平成17年)2月1日に沼隈郡沼隈町をそれぞれ編入したことによる。
県道72号福山・沼隈線 2005年
(平成17年)
2月1日
福山市
沼隈郡沼隈町
福山市 福山市が沼隈郡沼隈町を編入したことによる。
県道79号芸北・大朝線 2005年
(平成17年)
2月1日
山県郡芸北町
山県郡大朝町
山県郡北広島町 山県郡大朝・芸北・千代田・豊平各町が統合して山県郡北広島町が発足したことによる。
19 県道32号安芸津・下三永線 2005年
(平成17年)
2月7日
豊田郡安芸津町
東広島市
東広島市 東広島市が賀茂郡黒瀬・河内・豊栄・福富各町及び豊田郡安芸津町(1943〜2005)を編入したことによる。
20 県道35号音戸・倉橋線 2005年
(平成17年)
3月20日
安芸郡音戸町
安芸郡倉橋町
呉市 呉市が安芸郡音戸・蒲刈・倉橋各町及び豊田郡豊浜・安浦・豊各町を編入したことによる。
21 県道50号本郷・久井線 2005年
(平成17年)
3月22日
豊田郡本郷町
三原市
御調郡久井町
三原市 三原市と賀茂郡大和町・豊田郡本郷町・御調郡久井町が統合して改めて三原市が発足したことによる。
22 県道23号庄原・東城線 2005年
(平成17年)
3月31日
庄原市
比婆郡東城町
庄原市 庄原市と甲奴郡総領町(1955〜2005)及び比婆郡口和・西城・高野・東城・比和各町と統合して改めて庄原市が発足したことによる。
県道57号東城・西城線 2005年
(平成17年)
3月31日
比婆郡東城町
比婆郡西城町
庄原市 庄原市と甲奴郡総領町及び比婆郡口和・西城・高野・東城・比和各町と統合して改めて庄原市が発足したことによる。
県道58号西城・比和線 2005年
(平成17年)
3月31日
比婆郡西城町
比婆郡比和町
庄原市 庄原市と甲奴郡総領町及び比婆郡口和・西城・高野・東城・比和各町と統合して改めて庄原市が発足したことによる。
25 県道43号厳島公園線 2005年
(平成17年)
11月3日
佐伯郡大野町
佐伯郡宮島町
廿日市市 廿日市市が佐伯郡大野・宮島両町を編入したことによる。
26 県道81号生口島循環線 2006年
(平成18年)
1月10日
豊田郡瀬戸田町
因島市
尾道市 尾道市が因島市(1953〜2006)及び豊田郡瀬戸田町(1889〜2006)を編入したことによる。
27 県道76号神辺・大門線 2006年
(平成18年)
3月1日
深安郡神辺町
福山市
福山市 福山市が深安郡神辺町(1929〜2006)を編入したことによる。

注17:県道22号福山・鞆線において一度旧道になったものが再び現道に復帰したのは福山市野上町三丁目/野上町2丁目(東)交差点福山市草戸町/草戸大橋西交差点福山市水呑町/水呑大橋西詰交差点間(おおよその経路はこちら。通称:草戸大橋ルート)である。1980年(昭和55年)以降の経緯(全てではない)を示すと下表の通りになる(表内の地名は現在のものを記している)。

年月日 記事 備考
1980年(昭和55年)9月30日 広島県告示第865号で水呑大橋ルート(福山市光南町三丁目/野上町2丁目(東)交差点福山市沖野上町四丁目/沖野上町4丁目(西)交差点福山市水呑町/水呑大橋西詰交差点間。おおよその経路はこちら)が区域に編入され、野上町2丁目(東)交差点水呑大橋西詰交差点間の経路が複数化する。 野上町2丁目(東)交差点の所在地表記について草戸大橋ルートと異なるのは本サイトの方針(こちらで触れているので併せてご覧頂きたい)による。
1980年(昭和55年)10月2日 水呑大橋(延長:358m)の開通により水呑大橋ルートが全線開通する。 供用開始は1980年(昭和55年)9月30日広島県告示第866号で記されている。
1981年(昭和56年)1月9日 広島県告示第6号により草戸大橋ルートが区域から除外され、野上町2丁目(東)交差点水呑大橋西詰交差点間の経路が水呑大橋ルートに一本化される。
2022年(令和4年)9月30日 草戸大橋(通称:新草戸大橋。延長:368m)が開通する。 供用開始は2022年(令和4年)9月29日広島県告示第750号で記されている。
新草戸大橋の開通と引き換えにこれまでの草戸大橋(通称:旧草戸大橋。延長:366m。1932〜2022)は封鎖され、90年の歴史に終止符を打った。
2023年(令和5年)4月3日 広島県告示第609号により野上町2丁目(東)交差点水呑大橋西詰交差点間の経路が草戸大橋ルートに変更される。 約42年3ヶ月ぶりに草戸大橋ルートに経路が復帰したことになるが厳密には福山市野上町三丁目/野上町3丁目交差点福山市草戸町/半坂橋交差点間で草戸大橋ルート区域除外時点、すなわち1981年(昭和56年)1月9日時点とは経路がいくらか異なっている。

水呑大橋ルートは草戸大橋ルートより600mほど短くなることや上下4車線区間が長いことといった利点を有しているのだが、なぜ草戸大橋ルートに経路を戻すことにしたのか。考えられる理由を挙げると次の通りになる。
・広島県が企図した県道22号福山・鞆線の経路変更計画が頓挫したこと。1980年(昭和55年)12月に広島県福山土木建築事務所(現:広島県東部建築事務所〔福山市三吉町一丁目〕)が作成・発行した管内図を見ると県道22号福山・鞆線の起点を福山市入船町三丁目/府中分かれ交差点から福山市霞町一丁目/福山郵便局前交差点に変更し、福山市霞町一丁目/福山郵便局前交差点福山市光南町三丁目/野上町2丁目(東)交差点間の福山市道福山駅・箕沖幹線(愛称:駅前大通り)に経路を変更しようとした計画があったことがうかがえる。しかし、起点や経路の変更は行われずじまいになっている。県道22号福山・鞆線の起点・経路変更が実施されなかった理由は分からないのだが福山市入船町三丁目/府中分かれ交差点で接続する国道313号線井原・府中方面との広島県が管理する道路の連続性を維持したかったこと(国道313号線は国道ではあるが広島県が管理している。こういう地方自治体が管理する国道路線を補助国道と称している)や福山市松浜町二丁目/松浜町2丁目北交差点で接続する県道260号福山港・松浜線の処遇が問題になることなどが背景にあったのではないかと思われる。
・水呑大橋ルートは草戸大橋ルートより600mほど短くなることや上下4車線区間が長いことといった利点を有しているのだが国道313号線井原・府中方面と鞆の浦方面を往来する場合三度右左折を経る必要があったこと。右左折を経る必要があるということは渋滞が起きやすいことや手前での車線変更が難しいことなどの難点を有する右折を余儀なくされる箇所が生じるということであり、水呑大橋ルートは草戸大橋ルートよりも走りにくくなったという声は少なくなかったのではないのだろうか。
・その後の道路整備の進展により福山市中心部と鞆の浦を往来する場合の選択肢が増えたこと。福山市中心部と鞆の浦を往来する場合の選択肢が増えたということは県道22号福山・鞆線の交通量が減ったところがあるということになるのだが、それが理由なのかどうかは定かではないのだが福山市水呑地区では三新田区画整理事業実施地域に経路を変更しようとしたものの結局断念したという話がある(福山市水呑地区を通る県道380号水呑・手城線や福山市道水呑三新田・水呑幹線に設置されている案内標識にその計画の痕跡が見られる)。
・福山市中心部と福山市沼隈地区を結ぶ福山・沼隈道路の一部を構成する県道72号福山・沼隈線長和バイパスが草戸大橋ルートと接続することになったこと。県道72号福山・沼隈線長和バイパスは長和インターチェンジ(仮称。福山市瀬戸町長和)で国道2号線福山道路と接続することになっており、そのことから草戸大橋ルートは国道2号線の迂回路として有用な存在になるのが確定的な状況になっている。
・道路管理の整合性を図りたかったこと。水呑大橋ルートは右左折を三度経る必要があると前に記したのだがそれは同時に直進関係にある道路の管理者があるところから変わり、一括して管理できないという問題をもたらしている。水呑大橋ルートが県道22号福山・鞆線の区域に編入された頃はそれでも良かったのだろうがその後の道路環境の変化で直進関係にある道路は同じ地方自治体が管理したほうが好ましいという声が高まったのではないのだろうか。
・県道72号福山・沼隈線長和バイパスは草戸大橋ルートと接続することから草戸大橋ルートのうちの福山市野上町三丁目/野上町2丁目(東)交差点福山市草戸町/草戸大橋西交差点間は県道72号福山・沼隈線に編入したほうが好ましいのだろうがそれなら県道22号福山・鞆線の経路を元に戻した方が良いのではないかという声が上がったこと。県道72号福山・沼隈線沼隈方面と福山市中心部を往来する場合はどうしても県道22号福山・鞆線を通る必要があることや県道72号福山・沼隈線と県道22号福山・鞆線は福山市中心部と沼隈半島各地を結ぶ路線という共通の目的を有していることなどが背景にあるのではないかと思われる。

注18:県道22号福山・鞆線で案内が不十分だと感じる区間は次の通りである。
福山市野上町三丁目/野上町2丁目(東)交差点福山市草戸町/草戸大橋西交差点福山市水呑町/水呑大橋西詰交差点間。県道72号福山・沼隈線長和バイパス開通が数年後に控えているため案内整備は県道72号福山・沼隈線長和バイパスの開通が近付く頃まで見送っていることが考えられる。
福山市水呑町/三新田(北)交差点福山市水呑町三新田一丁目/福山商業高校入口交差点間。上下2車線幅(普通自動車同士のすれ違いに難渋しないほどの道幅がありながら中央線が引かれていない状態を指す)の箇所が長いことや住宅密集地の中を通ることなどから故意に案内を不十分にして通らないように仕向けていることが考えられる(但し福山市水呑町/三新田(北)交差点福山市水呑町三新田一丁目/福山商業高校入口交差点間は途中に信号機付き交差点が一つしかなく、なおかつその交差点、すなわち福山市水呑町/水呑交番前交差点は黄色点滅方式の押しボタン式信号機になっているため抜け道として利用する方も少なくない)。

注19:沼隈半島で福山市中心部との往来に広島県道22号福山・鞆線を通る必要のない地域としては尾道市浦崎地区や福山市松永地区南部(金江町・藤江町・柳津町)が挙げられる。

注20:県道22号福山・鞆線を巡る今後の動きを挙げると次の通りになる。
・県道47号鞆・松永線鞆バイパスの開通(2025年〔令和7年〕春頃)。
・国道2号線福山道路長和インターチェンジ〜赤坂インターチェンジ(仮称。福山市赤坂町赤坂)間及び県道72号福山・沼隈線長和バイパス鷹取インターチェンジ(仮称。福山市草戸町四丁目)または草戸インターチェンジ(仮称。福山市草戸町)〜長和インターチェンジまたは熊野インターチェンジ(仮称。福山市熊野町)間の開通(未定。早くても2020年代後半になるのではないかと思われる)。

注21:ここでは実際の距離を書いている。運賃計算用の距離(いわゆる営業キロ)はJR東海道本線経由で計算されるため552.6kmとなっている。

注22:県道50号本郷・久井線仏通寺旧道の狭隘区間の特色を挙げると次の通りになる。
・道幅が狭い(幅2m以下の自動車のみ通行可能)。
・路肩が悪いため重量制限がかけられている(総重量2t以下の自動車のみ通行可能)。
・異常気象時通行規制区間に指定されている(時間雨量30mm以上または日雨量100mm以上で通行止めになる)。
・高い崖の上を通っているにもかかわらず安全施設が十分整備されていない。
・軽自動車でも一度で曲がれないような急な屈曲がある。
・自動車同士のすれ違いができるような場所がない。
狭隘区間の様子は道路系サイトや投稿動画サイト、「Googleストリートビュー」で見ることができるのだが、道路を管理している広島県東部建設事務所三原支所(三原市円一町二丁目)は道路損壊を理由に2015年(平成27年)7月15日午後6時から狭隘区間を通行止めにしている。一応広島県の道路規制情報サイト「ひろしま道路ナビ(道路防災情報システム)」では規制解除時期(2024年〔令和6年〕11月1日時点では2025年〔令和7年〕12月下旬となっている)は示しているのだが前記の道路事情を改善する動きはないことや既に迂回路が確保されていること、もし通行止めを解除した場合問題(通行者が不快な思いをすることや運転操作を誤って転落する方が出ること、不法投棄・死体遺棄を行う方が出ることなど)がいくつも起きてどうにもならなくなる恐れがあることを考えれば二度と通行できる日は来ないのではないかと思われる。

注23:半永久封鎖状態にある区間を区域として残す例は新見市内の県道50号北房・井倉・哲西線でも見られた。新見市南部の無明谷と称される部分について道路を管理している岡山県備中県民局建設部新見地域管理課(新見市高尾)は落石が発生したことを理由として2009年(平成21年)11月15日午前11時から通行止めにしているのだが、2024年(令和6年)3月29日岡山県告示第133号で迂回路となっている阿新広域営農団地農道(通称:阿新広域農道)を区域に編入し、15年以上続いた分断状態を解消しても半永久封鎖区間(有刺鉄線付き鉄柵で封鎖している区間)については区域から外していない。県道50号北房・井倉・哲西線無明谷旧道も道幅が狭いことや自動車同士のすれ違いができるような場所がないこと、異常気象時通行規制区間に指定されていること(時間雨量35mm以上または連続雨量150mm以上で通行止めになる)、高い崖の間を通っているために落石の危険性が高いこと、貴重な動植物が生息していることを考えれば通行止めを解除する可能性は低いのだが、使い物にならない道路を通過市区町村に移管させることは通過市区町村側が好ましく思わないことからこのようにしているのだろうか。

注24:県道50号本郷・久井線仏通寺旧道のうちの半永久封鎖区間は本郷側では三原市道高坂町78号線(本郷方面)または三原市道高坂町47号線(久井方面。第三仏通寺山林道という別名を持つ)と、久井側では三原市道久井町坂井原93号線とそれぞれ接続しているだけであり、他の国道路線または県道路線との接続はない。区域変更でどの国道路線または都道府県道路線とも接続しなくなった例はいくつかあるが通行できない部分が孤立路線になったというのは私は聞いたことがない。広島県としては県道50号本郷・久井線仏通寺旧道のうちの半永久封鎖区間は廃道化する方針にしているようなのだが果たして今後どのようになっていくのだろうか。