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SUNDAY TALK2010
第13回:ある村の35年後は〜平成の大合併終結に思う〜(2010年〔平成22年〕3月28日公開)
芦品(あしな)郡協和村。現在の広島県にはそういう名前の郡も村も存在しない(注1)。恐らく大半の方が「そんな名前の村本当にあったのか?」と思うのではないのだろうか。実はこの村は今から35年前まで存在したのである。ではどこに存在したのか。現在の府中市のうちの阿字町・木野山町・斗升町・行縢(むかばき)町である。
この芦品郡協和村は1955年(昭和30年)3月31日に芦品郡阿字村と芦品郡大正村が統合して発足した村である。発足2週間前の1955年(昭和30年)3月17日に芦品郡阿字村と芦品郡大正村がそれぞれ甲奴郡上下町斗升の一部を編入したこと(注2)や当初の村名は芦品郡共和村だったが即日改称して芦品郡協和村になったことなど変わった経緯を持った村だったのだが、産業といえば農業と林業しかないような山の中の村は高度経済成長の中で過疎化が進展し、人口は減少の一途をたどった。芦品郡協和村が存在した当時に行われた国勢調査のデータを示すと次の通りになる。
・1955年(昭和30年)10月1日…3,848人
・1960年(昭和35年)10月1日…3,538人(減少率8.1%)
・1965年(昭和40年)10月1日…3,074人(減少率13.1%)
・1970年(昭和45年)10月1日…2,766人(減少率10.0%)
わずか15年で1,100人近くも人口が減り、その減少率は28.1%に及ぶというわけであるが、財政基盤も脆弱な村は発足20周年を間近にした1975年(昭和50年)2月1日に府中市に編入されて消滅した。今年、すなわち2010年(平成22年)は府中市にとっては芦品郡協和村編入35周年になるわけであるが、旧芦品郡協和村域、すなわち現在の府中市のうちの阿字町・木野山町・斗升町・行縢町の現状はどうかと思いたくなるものがあった。それを挙げてみると次の通りになる。
1 村名を用いたものがほとんど残っていないこと
市町村合併により消滅した自治体の名称は町名として残ることが多い。しかし、芦品郡協和村は府中市編入後阿字は阿字町、木野山は木野山町、斗升は斗升町、行縢は行縢町というように大字ごとに分割され、協和町という町名が設定されることはなかったのである。広島県東南部に現存する4市、すなわち尾道・福山・府中・三原各市が昭和の大合併の後(1960年〔昭和35年〕以降と言い換えても良い)に合併した町村を見るとそのほとんどが合併後も町名として使用されていることが下表からうかがえるのだが、編入後すぐに大字ごとに分割されたのは芦品郡協和村だけである。なぜこのようになったのかはっきりしたことは分からないのだが、「協力して和して村の発展を目指そう」という意味を込めて付けたスローガン的な名称が好かれなかったのだろうか(注3)。
市名 | 合併町村名 | 消滅年月日とその理由 | 自治体名称のその後 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
町名 | 施設名 | ||||
尾道市 | 御調郡向東町 | 1970年(昭和45年)4月1日 編入合併 |
○ | ○ | |
御調郡御調町 | 2005年(平成17年)3月28日 編入合併 |
○ | ○ | ||
御調郡向島町 | 2005年(平成17年)3月28日 編入合併 |
○ | ○ | ||
豊田郡瀬戸田町 | 2006年(平成18年)1月10日 編入合併 |
○ | ○ | ||
福山市 | 深安郡深安町 | 1962年(昭和37年)1月1日 編入合併 |
× | × | |
芦品郡芦田町 | 1974年(昭和49年)4月1日 編入合併 |
○ | ○ | ||
芦品郡駅家町 | 1975年(昭和50年)2月1日 編入合併 |
○ | ○ | ||
深安郡加茂町 | 1975年(昭和50年)2月1日 編入合併 |
○ | ○ | ||
芦品郡新市町 | 2003年(平成15年)2月3日 編入合併 |
○ | ○ | ||
沼隈郡内海町 | 2003年(平成15年)2月3日 編入合併 |
○ | ○ | ||
沼隈郡沼隈町 | 2005年(平成17年)2月1日 編入合併 |
○ | ○ | ||
深安郡神辺町 | 2006年(平成18年)3月1日 編入合併 |
○ | ○ | ||
府中市 | 芦品郡協和村 | 1975年(昭和50年)2月1日 編入合併 |
× | ○ | |
甲奴郡上下町 | 2004年(平成16年)4月1日 編入合併 |
○ | ○ | ||
三原市 | 賀茂郡大和町 | 2005年(平成17年)3月22日 統合 |
○ | ○ | |
豊田郡本郷町 | 2005年(平成17年)3月22日 統合 |
○ | ○ | ||
御調郡久井町 | 2005年(平成17年)3月22日 統合 |
○ | ○ |
但し、「協和」という旧村名は現在でも警察官駐在所や郵便局の名称で見ることができ、深安郡深安町(注4)のように全く廃れているわけではない。
2 支所がないこと
合併により役所または役場としての用途を終えた市役所や町村役場はほとんどの場合新たに発足した自治体の支所として活用される。旧芦品郡協和村域の場合、府中市中心部からかなり離れていることや路線バスの本数が少ないこと、過疎化・高齢化が進展していること、冬は積雪があることから旧芦品郡協和村役場は府中市役所協和支所として活用されても何の不思議もないのだが、実は府中市編入後旧芦品郡協和村役場が府中市役所協和支所として活用されたことはないのである。旧芦品郡協和村役場が老朽化していたとか府中市の財政事情とかいろいろ理由はあるのだろうが、明らかな住民サービスの低下ではないのだろうか。
3 学校が全てなくなったこと
1975年(昭和50年)2月1日に芦品郡協和村が府中市に編入された当時、協和村域には下表に記した学校が存在した。
種類 | 学校名 |
---|---|
小学校 | 府中市立阿字小学校(阿字町) 府中市立大正小学校(木野山町) 府中市立大正小学校空木(注5)分校(木野山町) |
中学校 | 府中市立第四中学校(注6)(木野山町) |
高等学校 | 広島県立府中高等学校協和分校(木野山町) |
しかし、芦品郡協和村が存在した当時から進行していた過疎化は府中市に編入された後も止まることはなかった。そして次々と学校が消えていった。その状況は次の通りである。
年 | 記事 |
---|---|
1980年 (昭和55年) |
広島県立府中高等学校協和分校廃校。 |
1981年 (昭和56年) |
府中市立大正小学校空木分校廃校。 |
1984年 (昭和59年) |
府中市立阿字・大正両小学校廃校。 府中市立北小学校(木野山町)開校。 |
2009年 (平成21年) |
府中市立第四中学校廃校。 |
2010年 (平成22年) |
府中市立北小学校廃校。 |
何と府中市編入から35年で旧芦品郡協和村域から学校が全てなくなったのである。芦品郡協和村だった地域に住んでいる子供は小学生であっても路線バスに乗って地域外の学校に通わざるを得なくなったのである。府中市としては大勢の中で学校生活を過ごすべきであることとか今後も人口減少は止まらないこと、財政事情が厳しいことなどを学校の統合を進める理由として挙げるのだろうが、地域の象徴たる学校を次々となくすのは果たして好ましいことなのだろうか。学校の統廃合は現在各地で問題になっているが、何が地域や子供にとって幸福なのか立ち止まって考えることはできないのだろうか。
今年3月31日をもって10年以上全国で展開されたいわゆる平成の大合併が終結することになった。中国地方では実施前の318市町村が今年1月16日、すなわち山口市が阿武郡阿東町を編入した時点で109市町村になった。今も島根県の一部で論議が続いているところがあるが、合併論議はほぼ沈静化したと見て良い。
しかし、2003年(平成15年)2月3日に福山市が芦品郡新市町と沼隈郡内海町を編入したことを皮切りに中国地方で平成の大合併が始まってからの7年間を振り返った時、これで良かったのかと思うことがよくある。私がどうかと思うのは次に挙げる点である。
・未だに新しく発足した自治体や消えた自治体になじめない。私の住んでいる福山市の場合、2003〜2006年(平成15〜18年)に周辺の四つの町を編入したのだが、未だに芦品郡新市町や沼隈(ぬまくま)郡内海(うつみ)・沼隈両町、深安郡神辺(かんなべ)町があるような感覚にとらわれる(さすがに誤って旧地名を書くようなことはしていないが…)。これがもし統合だったら市長選挙や市議会議員選挙が行われただろう(注7)からまだ意識は高まったのだろうが…。
・複数の町村の統合による新自治体発足の場合に限り市制施行要件を3万人以上にしたが、江田島市など人口が既にその3万人を切っているところがある。更に江津(ごうつ)市や美祢(みね)市など合併によっても人口が3万人台に回復しなかったところもある(注8)。
・政令指定都市の移行要件を70万人以上に緩和したのは良いのだが、何か物足りなさが残る。例えば昨年政令指定都市に移行した岡山市はもっと周辺自治体との合併を進めても良かったように思えたし、行政区は財政事情もあるのだろうが四つしか設定されず、しかも区名公募まで行っておきながら政令指定都市では初めて方位(北・中・東・南)しか行政区名に用いなかったというのがどうかと思った(注9)。
・自治体の中心部と郊外の格差が拡大している感が否めない。
・行政の効率化を推進する理由の一つに挙げているが、そうすることに何の意味があるのかと思う。
・財政状況が好転したようには感じられない。
・合併の際取り決めた計画が履行されないことが多い。
・行政サービスが低下した。
・どうかと思う自治体名が増えた。
・独立を保った自治体の今後が憂慮される。中には人口が1,000人台とか三桁というところすらあるし、生活圏が一体化しているように見えるところもある。
・住民と行政の距離が更に遠くなった感が否めない。
・消滅自治体の中心部の衰退が著しくなった。
・自治体の規模の拡大が最重要課題になった感が否めなかった。
・合併で発足する自治体の青写真が明確でないところが多いような感が否めなかった。
・「○○と合併すべきだった」「合併すれば良かったのに無視した」「合併すべきではなかった。それ見たことか」などと不満を抱き続ける住民が多く出た。
・同じ自治体の中でも市外局番から電話をかけなければいけない(=通話料金が市内通話にならない)ところが少なくない。携帯電話を使う人が多い今日では市外局番から電話をかけることは苦にはならなくなっているが、今後の課題になるのは避けられないだろう(注10)。
・自治体の長(首長)や議員が大幅に減り、党勢に大きな影響を与えた。
私は決して市町村合併には賛成ではない。人間の結婚と同じで一つになることが望ましいと思うなら行って良いだろうし、甘い言葉や目の前の利益、一時的な感情に目がくらんで行うものではないと思うからである。更に財政基盤が脆弱な自治体を救済するために行うのならその自治体に住んでいる方々の幸福や生存権を考える必要があるのではないか。行政区域の一部にしたからと言って、財政事情が厳しくなったからと言って、重点的に投資すべきところが他にあるからと言って好き勝手にやって良いわけではないのである。
まあ私は府中市と芦品郡協和村の合併論議がどのようなものだったのかとか昨年・今年と二度に渡って行われた府中市西部の小・中学校統合(注11)でどのような議論が行われたのかなどを知らないのだが、中央(ここではその自治体の中枢機関、すなわち市区役所や町村役場、市区町村議会を指す)の都合である地域の支所や学校が全て廃されることは今までもあったことだろうし今後も更に出てくるだろう。しかし、効率ばかり追い求めて果たして何が後に残るのだろうか。遠距離通学を強いられる子供、役所に届けを出しに行くのに不便な公共交通機関を使うしかないお年寄り、学校という核を失って更に衰退する地域、人口減少によるコミュニティの崩壊…。それを見て中央はいろいろ手を打つのだろうが、一度破壊されたものはもう二度と元には戻らない。
だから私は訴える。財政事情が厳しいとかいうことは理解するけれど、何のために合併を行ったのかを考えて欲しいし、合併した地域の幸福や住民の生存権を考えて欲しい。そしてその地域に不利益を与える行為については十分議論を尽くし、双方が納得する結論を出して欲しい。その地域を亡きものにするためにしたわけではないだろうし、たとえ住民が1人になろうと住民を蔑(ないがし)ろにしてはならない。人間は効率の向上を考えるけれど、効率の向上に重きを置けば不幸な結果に繋がる問題はいくつもあるのである。郵便局員とか新聞配達員、運送業者が不便だから…といって配達をやめたらどうなるのか。身上変更や現在の連絡先を伝えなかったために連絡先不明になったり関心を示さなかったり連絡の受け取りを拒否したりしたから…といって同窓会やクラス会、同期会、OB会などの懐古趣味を目的とする組織で会員の除名を進めたらどうなるのか。駅や停留所のそばには数人しか住んでいないから…といって鉄道の駅や路線バスの停留所を廃止したらどうなるのか。非効率なことや必要悪でも認められて良いもの、軽んじられてはならないものは世の中には多く存在するのである。市町村合併は企業の合理化とよく似ていることではあるが、だからといって効率のために何でもかんでもなくしてしまえば良いというわけではないことを合併によって発足した自治体の関係者は肝に銘じて欲しいのである。また、出来レースとか既定事項という考えで住民との論議に臨んで欲しくもないし秘密裡に事を進めて欲しくもないのである。「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがあるが、今我々はそのことわざの意味を噛み締めるべき時が来たように思う。一方で中央の意向に振り回されることが嫌なら地域住民はもっと声を上げても良いように思う。そのようにして初めて中央・住民双方にとってより良い結果が生まれるのではないかと思うのだがどうであろうか。
最後になったが、旧芦品郡協和村の現状は決して他人事(ひとごと)ではない。そのことを記してこの稿を終えることにする。
(注釈コーナー)
注1:芦品郡は2003年(平成15年)2月3日に新市町が福山市に編入されたことをもって、自治体としての村は2004年(平成16年)11月5日に神石(じんせき)郡豊松村が神石郡三和(さんわ)・神石・油木各町と統合して神石郡神石高原町の一部になったことをもっていずれも消滅した。
注2:甲奴郡上下町、すなわち現在の府中市上下町に斗升という大字は存在しないことから甲奴郡上下町斗升の全域を芦品郡阿字村と芦品郡大正村が分割して編入したものと思われる。なお、取り分は芦品郡大正村のほうが多かったらしい。
注3:芦品郡協和村を構成する地域には芦品郡木野山・行縢両村と組合村を結成していたこともあったが後に脱退し、昭和の大合併まで独立を貫いた阿字地区や元々郡が異なり、江戸時代中期からは阿字・木野山・行縢各地区とは治める藩も異なるようになった斗升地区といった村政を行うに当たって難しいところが存在したことから「協和」という自治体名にしたのではないかと考えられる。
府中市斗升町の広島県道24号府中・上下線の脇に立つ中津藩と福山藩の藩界石に関する説明板。藩境は芦田郡→芦品郡と甲奴郡の郡境でもあった。
注4:深安郡深安町が福山市に編入された後、旧深安郡深安町域で「深安」という地名が全く使われなくなった背景には次のようなことが考えられる。
・深安郡は1898年(明治31年)10月1日に深津郡と安那(やすな)郡が統合して発足した郡であるが、深安郡深安町域は全域が深津郡だった地域であり、安那郡だった地域を含んでいないのに深安町と名乗るのはどうかという意見があったこと。なお、安那郡だった部分は福山市のうちの加茂町・神辺町・山野町と駅家町法成寺である。
・深安郡深安町は1955年(昭和30年)3月31日に深安郡春日・大門・坪生各村が統合して発足した自治体であるが、春日地区と大門地区、大門地区と坪生地区、坪生地区と春日地区はいずれも山で隔てられている上に水系も異なるために地理的に一体ではなかったこと。
※広島県としては深安郡市・大津野・春日・坪生・引野各村で統合することを考えていたが、市・引野両村は福山市への編入を熱望したため成就しなかった。なお、市・引野両村は一足早く1956年(昭和31年)9月30日に福山市に編入されている。
なお、深安郡深安町は福山市に編入された後一旦は福山市大門町になるが、1965年(昭和40年)1月1日に春日村だった地域は春日町、坪生村だった地域は坪生町にそれぞれ分割され、福山市春日町・大門町・坪生町に再編されている。
注5:府中市木野山町の東端にある集落。すぐ東側は福山市新市町金丸となる。
注6:府中市立第四中学校は芦品郡協和村時代は協和村立協和中学校という名称だった(1975年〔昭和50年〕2月1日改称)。
注7:福山市は統合による再発足を経ている。1966年(昭和41年)5月1日に松永市と合併した時である。中国地方初の市同士の合併となったこの合併は財政難にあえぐ松永市を日本鋼管(現:JFEスチール)の大規模な製鉄所の進出で発展著しい福山市が編入(救済合併)したと解釈する考えもあるのだが、実際はそうではない。
注8:平成の大合併の結果、中国地方で最も人口の少ない市は美祢(みね)市から江津(ごうつ)市に変わっている。
注9:方位しか行政区名に用いられなかった理由の一つとして岡山市が編入してきた自治体の名称を使わないことにしたということが挙げられる(岡山市は1971年〔昭和46年〕3月8日に都窪郡吉備町を編入しているため岡山県を代表する地名の一つである「吉備」もこれにより使えなかった)。また、行政区を四つにした結果、国道53号線方面と国道180号線方面と中心部が一つの行政区になってしまい、中央区や中区にあることが多い中枢施設(代表駅や放送局、県庁、市役所など)が中区ではなく北区にあるという現象が生じた。その後政令指定都市に移行した相模原市や熊本市も地名に由来しない行政区名しか使用されておらず(熊本市は岡山市と同じく方位〔北・中央・西・東・南〕しか行政区名に使用していない)、結果として悪しき前例を作ったことになる。
注10:例えば福山市の場合、市域の大部分の市外局番は084になっているが、新市町全域と芦田町福田の一部は0847、高西町南の一部は0848、山野町山野の一部は0866になっている。また、松永地区(今津町・金江町・神村〔かむら〕町・高西町〔南の一部を除く〕・東村町・藤江町・本郷町・松永町・南今津町・南松永町・宮前町・柳津町)と内海町・神辺町・沼隈町の間の通話には市外局番が要る。
注11:府中市のうちの阿字町・小国(おぐに)町・河南(かなん)町・河佐町・木野山町・久佐(くさ)町・河面(こうも)町・三郎丸町・篠根町・僧殿町・父石(ちいし)町・斗升町・行縢町・諸毛(もろけ)町を通学区域とする小学校・中学校をそれぞれ府中市篠根町にある府中市立明郷(めいきょう)小学校と府中市立第三中学校に集約する計画。まず2009年(平成21年)に府中市立久佐小学校(府中市久佐町)と府中市立諸田小学校(府中市諸毛町)、府中市立第四中学校を廃校にし、次いで今年府中市立北小学校を廃校にした。更に今年4月1日から府中市立明郷小学校は府中市立府中明郷小学校に、府中市立第三中学校は府中市立府中明郷中学校にそれぞれ改称することになっている。
府中市西部の小学校・中学校統合により廃校に追い込まれた府中市立久佐小学校の校舎(左)と閉校記念碑(右)
(AFTER TALK)
中国地方における平成の大合併の状況を示すと下表の通りになる。
番号 | 年月日 | 県名 | 記事 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 2003年(平成15年)2月3日 | 広島県 | 福山市が芦品郡新市町と沼隈郡内海町を編入する。 | 中国地方及び広島県における平成の大合併第一号。全国的に見ても2003年(平成15年)の市町村合併第一号でもある。この異動をもって芦品郡が消滅する。 |
2 | 2003年(平成15年)3月1日 | 広島県 | 廿日市(はつかいち)市が佐伯(さえき)郡佐伯(さいき)町及び吉和村を編入する。 | |
3 | 2003年(平成15年)4月1日 | 広島県 | 呉市が安芸(あき)郡下蒲刈町を編入する。 | |
4 | 2003年(平成15年)4月1日 | 広島県 | 豊田郡大崎・木江(きのえ)・東野(ひがしの)各町が統合して豊田郡大崎上島町が発足する。 | |
5 | 2003年(平成15年)4月21日 | 山口県 | 新南陽・徳山両市と熊毛郡熊毛町、都濃(つの)郡鹿野(かの)町が統合して周南市が発足する。 | 山口県における平成の大合併第一号。この異動をもって都濃郡が消滅する。 |
6 | 2004年(平成16年)3月1日 | 広島県 | 高田郡甲田・高宮・美土里・向原・八千代・吉田各町が統合して安芸高田市が発足する。 | この異動をもって高田郡が消滅する。 |
7 | 2004年(平成16年)4月1日 | 広島県 | 呉市が豊田郡川尻町を編入する。 | |
8 | 2004年(平成16年)4月1日 | 広島県 | 府中市が甲奴郡上下町を編入する。 | |
9 | 2004年(平成16年)4月1日 | 広島県 | 三次(みよし)市と甲奴郡甲奴町、双三郡吉舎(きさ)・三良坂(みらさか)・三和(みわ)各町及び君田・作木・布野各村が統合して改めて三次市が発足する。 | この異動をもって双三郡が消滅する。 |
10 | 2004年(平成16年)9月1日 | 鳥取県 | 東伯郡赤碕・東伯両町が統合して東伯郡琴浦町が発足する。 | 鳥取県における平成の大合併第一号。 |
11 | 2004年(平成16年)10月1日 | 鳥取県 | 西伯郡会見(あいみ)・西伯両町が統合して西伯郡南部町が発足する。 | |
12 | 2004年(平成16年)10月1日 | 鳥取県 | 東伯郡東郷・羽合(はわい)両町及び泊村が統合して東伯郡湯梨浜町が発足する。 | |
13 | 2004年(平成16年)10月1日 | 島根県 | 江津市が邑智(おおち)郡桜江町を編入する。 | 島根県における平成の大合併第一号の一つ。 |
14 | 2004年(平成16年)10月1日 | 島根県 | 安来市と能義(のぎ)郡伯太・広瀬両町が統合して改めて安来市が発足する。 | 島根県における平成の大合併第一号の一つ。この異動をもって能義郡が消滅する。 |
15 | 2004年(平成16年)10月1日 | 島根県 | 邑智郡石見(いわみ)・瑞穂両町及び羽須美村が統合して邑智郡邑南(おおなん)町が発足する。 | 島根県における平成の大合併第一号の一つ。 |
16 | 2004年(平成16年)10月1日 | 島根県 | 邑智郡邑智町及び大和村が統合して邑智郡美郷町が発足する。 | 島根県における平成の大合併第一号の一つ。 |
17 | 2004年(平成16年)10月1日 | 島根県 | 隠岐(おき)郡西郷町及び五箇・都万(つま)・布施各村が統合して隠岐郡隠岐の島町が発足する。 | 島根県における平成の大合併第一号の一つ。 |
18 | 2004年(平成16年)10月1日 | 岡山県 | 高梁(たかはし)市と川上郡川上・成羽(なりわ)・備中(びっちゅう)各町、上房郡有漢(うかん)町が統合して改めて高梁市が発足する。 | 岡山県における平成の大合併第一号の一つ。この異動をもって川上郡が消滅する。 |
19 | 2004年(平成16年)10月1日 | 岡山県 | 上房郡賀陽町と御津郡加茂川町が統合して加賀郡吉備中央町が発足する。 | 岡山県における平成の大合併第一号の一つ。この異動をもって加賀郡が発足する。 |
20 | 2004年(平成16年)10月1日 | 広島県 | 世羅郡甲山・世羅・世羅西各町が統合して改めて世羅郡世羅町が発足する。 | |
21 | 2004年(平成16年)10月1日 | 広島県 | 山県郡加計(かけ)・戸河内両町及び筒賀村が統合して山県郡安芸太田町が発足する。 | |
22 | 2004年(平成16年)10月1日 | 山口県 | 大島郡大島・久賀(くか)・橘(たちばな)・東和各町が統合して大島郡周防大島(すおうおおしま)町が発足する。 | |
23 | 2004年(平成16年)10月4日 | 山口県 | 光市と熊毛郡大和町が統合して改めて光市が発足する。 | |
24 | 2004年(平成16年)11月1日 | 鳥取県 | 鳥取市が岩美郡国府町及び福部村、気高(けたか)郡青谷(あおや)・気高・鹿野(しかの)各町、八頭郡河原・用瀬(もちがせ)両町及び佐治村を編入する。 | この異動をもって気高郡が消滅する。 |
25 | 2004年(平成16年)11月1日 | 島根県 | 益田市が美濃郡匹見・美都両町を編入する。 | この異動をもって美濃郡が消滅する。 |
26 | 2004年(平成16年)11月1日 | 島根県 | 飯石(いいし)郡掛合(かけや)・三刀屋(みとや)両町及び吉田村、大原郡加茂・木次(きすき)・大東各町が統合して雲南市が発足する。 | この異動をもって大原郡が消滅する。 |
27 | 2004年(平成16年)11月1日 | 岡山県 | 邑久(おく)郡牛窓・邑久・長船(おさふね)各町が統合して瀬戸内市が発足する。 | この異動をもって邑久郡が消滅する。 |
28 | 2004年(平成16年)11月1日 | 広島県 | 安芸郡江田島町と佐伯郡大柿・沖美・能美各町が統合して江田島市が発足する。 | |
29 | 2004年(平成16年)11月1日 | 山口県 | 宇部市が厚狭(あさ)郡楠(くすのき)町を編入する。 | |
30 | 2004年(平成16年)11月5日 | 広島県 | 神石郡三和・神石・油木各町及び豊松村が統合して神石郡神石高原町が発足する。 | この異動をもって広島県から自治体としての村が消滅する。 |
31 | 2005年(平成17年)1月1日 | 鳥取県 | 西伯郡岸本町と日野郡溝口(みぞくち)町が統合して西伯郡伯耆(ほうき)町が発足する。 | |
32 | 2005年(平成17年)1月1日 | 島根県 | 飯石郡赤来(あかぎ)・頓原両町が統合して飯石郡飯南町が発足する。 | |
33 | 2005年(平成17年)2月1日 | 広島県 | 福山市が沼隈郡沼隈町を編入する。 | この異動をもって沼隈郡が消滅する。 |
34 | 2005年(平成17年)2月1日 | 広島県 | 山県郡大朝・芸北・千代田・豊平各町が統合して山県郡北広島町が発足する。 | |
35 | 2005年(平成17年)2月7日 | 広島県 | 東広島市が賀茂郡黒瀬・河内・豊栄・福富各町と豊田郡安芸津町を編入する。 | |
36 | 2005年(平成17年)2月13日 | 山口県 | 下関市と豊浦郡菊川・豊浦・豊田・豊北(ほうほく)各町が統合して改めて下関市が発足する。 | この異動をもって豊浦郡が消滅する。 |
37 | 2005年(平成17年)2月21日 | 山口県 | 柳井市と玖珂(くが)郡大畠町が統合して改めて柳井市が発足する。 | |
38 | 2005年(平成17年)2月28日 | 岡山県 | 津山市が勝田郡勝北(しょうぼく)町と久米郡久米町、苫田郡加茂町及び阿波(あば)村を編入する。 | |
39 | 2005年(平成17年)3月1日 | 岡山県 | 井原市が小田郡美星(びせい)町と後月(しつき)郡芳井町を編入する。 | この異動をもって後月郡が消滅する。 |
40 | 2005年(平成17年)3月1日 | 岡山県 | 苫田郡奥津・鏡野両町及び上斎原・富両村が統合して改めて苫田郡鏡野町が発足する。 | |
41 | 2005年(平成17年)3月6日 | 山口県 | 萩市と阿武郡須佐・田万川両町及び旭・川上・福栄(ふくえ)・むつみ各村が統合して改めて萩市が発足する。 | |
42 | 2005年(平成17年)3月7日 | 岡山県 | 赤磐(あかいわ)郡赤坂・熊山・山陽・吉井各町が統合して赤磐市が発足する。 | |
43 | 2005年(平成17年)3月20日 | 広島県 | 呉市が安芸郡音戸・蒲刈・倉橋各町と豊田郡豊浜・安浦・豊各町を編入する。 | |
44 | 2005年(平成17年)3月22日 | 鳥取県 | 倉吉市が東伯郡関金町を編入する。 | |
45 | 2005年(平成17年)3月22日 | 島根県 | 出雲(いずも)・平田両市と簸川(ひかわ)郡湖陵・佐田(さだ)・大社・多伎(たき)各町が統合して改めて出雲市が発足する。 | |
46 | 2005年(平成17年)3月22日 | 岡山県 | 岡山市が児島郡灘崎町と御津郡御津町を編入する。 | |
47 | 2005年(平成17年)3月22日 | 岡山県 | 総社市と都窪郡清音・山手両村が統合して改めて総社市が発足する。 | |
48 | 2005年(平成17年)3月22日 | 岡山県 | 備前市と和気(わけ)郡日生(ひなせ)・吉永両町が統合して改めて備前市が発足する。 | |
49 | 2005年(平成17年)3月22日 | 岡山県 | 久米郡旭・中央・柵原(やなはら)各町が統合して久米郡美咲町が発足する。 | |
50 | 2005年(平成17年)3月22日 | 広島県 | 三原市と賀茂郡大和町、豊田郡本郷町、御調(みつぎ)郡久井町が統合して改めて三原市が発足する。 | この異動をもって賀茂郡が消滅する。 |
51 | 2005年(平成17年)3月22日 | 山口県 | 小野田市と厚狭郡山陽町が統合して山陽小野田市が発足する。 | この異動をもって厚狭郡が消滅する。 |
52 | 2005年(平成17年)3月22日 | 山口県 | 長門(ながと)市と大津郡日置(へき)・三隅・油谷(ゆや)各町が統合して改めて長門市が発足する。 | この異動をもって大津郡が消滅する。 |
53 | 2005年(平成17年)3月28日 | 鳥取県 | 西伯郡大山(だいせん)・中山・名和各町が統合して改めて西伯郡大山町が発足する。 | |
54 | 2005年(平成17年)3月28日 | 広島県 | 尾道市が御調郡御調・向島両町を編入する。 | この異動をもって御調郡が消滅する。 |
55 | 2005年(平成17年)3月31日 | 鳥取県 | 米子市と西伯郡淀江町が統合して改めて米子市が発足する。 | |
56 | 2005年(平成17年)3月31日 | 鳥取県 | 八頭郡郡家(こおげ)・八東(はっとう)・船岡各町が統合して八頭郡八頭町が発足する。 | |
57 | 2005年(平成17年)3月31日 | 島根県 | 松江市と八束郡鹿島・島根・宍道(しんじ)・玉湯・美保関・八束各町及び八雲村が統合して改めて松江市が発足する。 | |
58 | 2005年(平成17年)3月31日 | 島根県 | 仁多郡仁田・横田両町が統合して仁多郡奥出雲町が発足する。 | |
59 | 2005年(平成17年)3月31日 | 岡山県 | 新見市と阿哲郡大佐・神郷(しんごう)・哲西(てっせい)・哲多(てった)各町が統合して改めて新見市が発足する。 | この異動をもって阿哲郡が消滅する。 |
60 | 2005年(平成17年)3月31日 | 岡山県 | 英田(あいだ)郡英田・大原・作東・美作(みまさか)各町及び東粟倉村、勝田郡勝田町が統合して美作市が発足する。 | |
61 | 2005年(平成17年)3月31日 | 岡山県 | 上房郡北房町と真庭郡落合・勝山・久世・湯原各町及び川上・中和(ちゅうか)・美甘(みかも)・八束各村が統合して真庭市が発足する。 | この異動をもって上房郡が消滅する。 |
62 | 2005年(平成17年)3月31日 | 広島県 | 庄原市と甲奴郡総領町、比婆郡口和・西城・高野・東城・比和各町が統合して改めて庄原市が発足する。 | この異動をもって甲奴・比婆両郡が消滅する。 |
63 | 2005年(平成17年)4月25日 | 広島県 | 広島市が佐伯郡湯来(ゆき)町を編入し、広島市佐伯区の一部とする。 | |
64 | 2005年(平成17年)8月1日 | 岡山県 | 倉敷市が浅口郡船穂(ふなお)町と吉備郡真備町を編入する。 | この異動をもって吉備郡が消滅する。 |
65 | 2005年(平成17年)9月25日 | 島根県 | 鹿足(かのあし)郡津和野・日原両町が統合して改めて鹿足郡津和野町が発足する。 | |
66 | 2005年(平成17年)10月1日 | 鳥取県 | 東伯郡大栄・北条両町が統合して東伯郡北栄町が発足する。 | |
67 | 2005年(平成17年)10月1日 | 島根県 | 大田(おおだ)市と邇摩(にま)郡仁摩・温泉津(ゆのつ)両町が統合して改めて大田市が発足する。 | この異動をもって邇摩郡が消滅する。 |
68 | 2005年(平成17年)10月1日 | 島根県 | 浜田市と那賀郡旭・金城・三隅各町及び弥栄村が統合して改めて浜田市が発足する。 | この異動をもって那賀郡が消滅する。 |
69 | 2005年(平成17年)10月1日 | 島根県 | 鹿足郡六日市町及び柿木(かきのき)村が統合して鹿足郡吉賀(よしか)町が発足する。 | |
70 | 2005年(平成17年)10月1日 | 山口県 | 山口市と佐波(さば)郡徳地(とくぢ)町、吉敷(よしき)郡秋穂(あいお)・阿知須・小郡各町が統合して改めて山口市が発足する。 | この異動をもって佐波・吉敷両郡が消滅する。 |
71 | 2005年(平成17年)11月3日 | 広島県 | 廿日市市が佐伯郡大野・宮島両町を編入する。 | この異動をもって佐伯郡が消滅する。 |
72 | 2006年(平成18年)1月10日 | 広島県 | 尾道市が因島(いんのしま)市と豊田郡瀬戸田町を編入する。 | |
73 | 2006年(平成18年)3月1日 | 岡山県 | 和気郡佐伯・和気両町が統合して改めて和気郡和気町が発足する。 | |
74 | 2006年(平成18年)3月1日 | 広島県 | 福山市が深安郡神辺町を編入する。 | この異動をもって深安郡が消滅する。 |
75 | 2006年(平成18年)3月20日 | 山口県 | 岩国市と玖珂郡玖珂・周東・錦・美川・美和・由宇各町及び本郷村が統合して改めて岩国市が発足する。 | この異動をもって山口県から自治体としての村が消滅する。 |
76 | 2006年(平成18年)3月21日 | 岡山県 | 浅口郡鴨方・金光(こんこう)・寄島各町が統合して浅口市が発足する。 | |
77 | 2007年(平成19年)1月22日 | 岡山県 | 岡山市が赤磐郡瀬戸町と御津郡建部(たけべ)町を編入する。 | この異動をもって赤磐・御津両郡が消滅する。 |
78 | 2008年(平成20年)3月21日 | 山口県 | 美祢市と美祢郡秋芳・美東両町が統合して改めて美祢市が発足する。 | この異動をもって美祢郡が消滅する。また、この合併により中国地方で最も人口が少ない市は美祢市から江津市に変わった。 |
79 | 2009年(平成21年)4月1日 | 岡山県 | 岡山市が政令指定都市に移行し、市内に北・中・東・南の4行政区を設置する。 | |
80 | 2010年(平成22年)1月16日 | 山口県 | 山口市が阿武郡阿東町を編入する。 | |
81 | 2011年(平成23年)8月1日 | 島根県 | 松江市が八束郡東出雲町を編入する。 | この異動をもって八束郡が消滅する。 |
82 | 2011年(平成23年)10月1日 | 島根県 | 出雲市が簸川郡斐川(ひかわ)町を編入する。 | この異動をもって簸川郡が消滅する。 |
福山市と深安郡神辺町の合併を記念して建てられた石碑(福山市神辺町川北にて撮影)
阿武郡阿東町が山口市に編入されることを知らせる幟と垂れ幕(2009年〔平成21年〕12月15日山口市阿東生雲〔いくも〕東分にて撮影)
2003年(平成15年)2月からの約8年8ヶ月間に82もの市区郡町村異動があり、中国地方の市区郡町村数は49市8区62郡232町37村から54市12区29郡49町4村に再編されたわけであるが、正直な気持ちこれで良かったのかという感じがする。
私が住んでいる福山市の場合、平成の大合併で1972年(昭和47年)からずっと市政の課題の一つだった周辺自治体との合併問題を終結させ、40万都市の仲間入りを果たした。編入された地域では町役場がそのまま市役所の支所となり、小学校・中学校はそのまま存続した。また、図書館や文化ホールなどの文化施設も増えた。これだけなら良いことばかりであるが、残念ながらそうはいかない。次に挙げるような問題があるからである。
・合併時に取り決めた計画の一部が実施されないまま取りやめになった。
・支所に勤務する職員が減らされ、中には市役所まで赴かないといけなくなったものもあった。
・編入した4町のうち神辺町以外は人口減少に悩まされている。
・福山市中心部と編入したそれぞれの町の中心部との間の道路事情が良くないし改良のメドすら立たないでいる。
・2010年(平成22年)10月1日実施の国勢調査で広島県への報告期限までに調査票の確認作業が完了しなかったという問題が起きた(このため速報値では初めて人口減少のデータが出たのだが、この問題が発覚したことで逆に人口が増加していたことが明らかになった)。
この上にJR山陽本新幹線・山陽本線・福塩線福山駅(福山市三之丸町)周辺の商業施設の閉店や工場の閉鎖または合理化、有名専門学校や駅弁業者の倒産、2002年(平成14年)以降中国地方唯一の公営競馬場となっていた福山市営競馬場(福山市千代田町一丁目)の廃止決定などがあったので果たして大きくなったことで良いことはあったのだろうかと感じることがある。そういうこともあって私は全くと言って良いほど芦品郡新市町と沼隈郡内海町の福山市への編入が中国地方及び広島県における平成の大合併第一号になったこと(更に全国的に見ると2003年〔平成15年〕の市町村合併第一号だったという。私も2003年〔平成15年〕1月1日付日本経済新聞朝刊を見るまで全く知らなかった)を全然名誉なこととも嬉しいこととも思わないのである。
一方で合併論議が不調に終わり、独立を貫いたところもめでたしめでたしとはなっていないようである。例えば広島市との合併論議が破談になった安芸郡海田町では町役場の移転をめぐって町長と町議会が対立しているのだが、その背景には破談になった広島市との合併論議があるようであるし、同じく広島市との合併論議が破談になった安芸郡府中町では町長が町議会が市制施行する方向でまとまるなら市制施行を本格的に進めたいと発言したが、全く進展がないままになっている(このことは「SUNDAY TALK2012」第22回「安芸府中市は幻に終わるのか」でも触れているので興味のある方はご覧頂きたい)。町役場の移転で町長と町議会がもめるのなら、市制施行したいと言っておいて結局何もしないのなら広島市と合併すれば良かったのではないかとは私は一切考えない(但しいつか再燃するのは確実だろう。それがいつになるかは分からないが…)のだが、このようなことを思う時、果たして合併はどのようなものなら幸福なものになり、どのようなものなら不幸なものになるのだろうかと考えたくなってくる。
平成の大合併の35年後は中国地方では2038年以降になる。その時我々は何を見るのだろうか。更に荒廃した地域の姿か、それとも…。
(2013年〔平成25年〕2月4日追記)