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今年○周年を迎えるもの(2014年〔平成26年〕1月1日公開)

 皆様明けましておめでとうございます。本年も本サイトをよろしくお願いいたします。
 さて、2014年(平成26年)から新設するコーナー「不定期刊・きょうのトピックス」ですが、第1回の今回は今年中国地方で○周年(○には5で割り切れる自然数が入る。なお、上限は125とする)を迎えるもの(本サイトが対象としている道路・市区郡町村・ラジオに限ります)を紹介します。どうぞご覧下さい。

道路編

○周年を迎える重要な告示または政令

周年 告示番号または政令番号 概要
60周年 1954年(昭和29年)1月20日
建設省告示第16号
初めて主要地方道路線を指定した告示。中国地方ではこの時104路線が指定された(異動の内容はこちらを参照のこと)。
50周年 1964年(昭和39年)12月28日
建設省告示第3,620号
1956〜1963年(昭和31〜38年)の国道再編を受けて新たな主要地方道路線を指定した告示。中国地方ではこの時119路線(再指定76路線・経路変更4路線・新規指定39路線)が指定された(異動の内容はこちらを参照のこと)。
45周年 1969年(昭和44年)12月4日
政令第280号
1970年(昭和45年)4月1日実施の国道再編の告示。中国地方では国道313〜317号線が発足し、国道178号線・国道186号線・国道191号線の経路変更が実施された。
40周年 1974年(昭和49年)11月12日
政令第364号
1975年(昭和50年)4月1日実施の国道再編の告示。中国地方では国道373〜376号線が発足し、国道180号線の経路変更が実施された。
30周年 1984年(昭和59年)8月31日
鳥取県告示第645号
鳥取県では1982年(昭和57年)9月10日に県道標識(正式名称は都道府県道番号)導入を前提として主要地方道路線・一般県道路線とも1号から付けていた路線番号を主要地方道路線は1号から、一般県道路線は101号からそれぞれ付けるように改正したが、鳥取県は中国地方で唯一例規に県道路線の認定を掲載しているため告示の改正が必要になった。この告示では主に県道標識(正式名称は都道府県道番号)導入を前提とした路線番号再編前に認定された県道路線の告示内容の改正を行っている。

認定○周年を迎える県道路線(現存するもののみ掲載)

県名 周年 路線名称 発足年月日 備考
鳥取県 45周年 県道234号東郷・羽合線 1969年(昭和44年)5月6日
県道273号三朝温泉・木地山線
県道274号青谷停車場・井手線
県道275号八束水・勝見線
1969年(昭和44年)8月29日
40周年 県道294号網代港・大岩停車場線 1974年(昭和49年)1月8日
県道286号菅沢・日野線
県道300号米子環状線
県道311号板井原・濁谷線
1974年(昭和49年)3月30日
県道292号八坂・鳥取停車場線
県道293号鳥取・郡家線
県道304号妙徳寺・鹿野線
1974年(昭和49年)11月29日
35周年 県道119号千谷・蕪島線
県道245号両三柳・後藤停車場線
1979年(昭和54年)12月25日
30周年 県道318号伏野・覚寺線 1984年(昭和59年)3月13日
20周年 県道26号秋里・吉方線
県道37号岩美・八東線
県道43号鳥取・福部線
県道49号鳥取・河原・用瀬線
県道50号東伯・関金線
県道51号倉吉・川上・青谷線
県道52号岸本・江府線
県道54号豊房・御来屋線
県道154号上地・中河原線
県道159号米子・丸山線
県道186号岩美停車場・河崎線
県道260号鉢伏・川上線
県道261号青谷停車場線
県道281号河内・槙原線
県道291号鳥取・国府線
1994年(平成6年)3月15日
島根県 55周年 県道181号七類・雲津・長浜線
県道182号多胡鼻線
県道201号湯里停車場・祖式線
県道221号川平停車場線
県道233号久手港線
県道235号仁万港線
県道238号江津港線
県道252号枕木山線
県道273号吉田・頓原線
県道298号跡市・川平停車場線
県道320号珍崎・浦郷港線
県道322号知夫島線
1959年(昭和34年)8月7日
45周年 県道208号浜田停車場線
県道241号浜田商港線
県道301号佐野・波子停車場線
1969年(昭和44年)10月14日
40周年 県道174号和江港・大田市停車場線
県道192号東松江停車場線
県道203号石見福光停車場線
1974年(昭和49年)1月16日
県道266号大野・魚瀬・恵曇線
県道324号上意東・揖屋線
1974年(昭和49年)6月28日
30周年 県道288号瓜坂・川合線
県道291号別府・川本線
県道293号高見・出羽線
1984年(昭和59年)12月28日
20周年 県道4号甲田・作木線
県道11号旭・戸河内線
県道25号玉湯・吾妻山線
県道52号弥栄・旭インター線
県道54号益田・澄川線
県道56号大田・佐田線
県道57号宍道インター線
県道114号今福・芸北線
県道185号三刀屋・佐田線
1994年(平成6年)4月1日
15周年 県道335号出雲空港・宍道線 1999年(平成11年)3月12日
県道334号安来インター線 1999年(平成11年)6月4日
10周年 県道227号松江しんじ湖停車場線 2004年(平成16年)8月31日
岡山県 60周年 県道21号岡山・児島線
県道31号高梁・御津線
県道34号笠岡・井原線
県道42号岡山停車場線
県道44号笠岡停車場線
1954年(昭和29年)12月24日
40周年 県道422号蒜山高原線 1974年(昭和49年)1月11日
県道266号長尾・児島線
県道302号宇治・鉄砲町線
県道345号上横野・兼田線
1974年(昭和49年)2月12日
県道434号小坂西・六条院中線 1974年(昭和49年)2月19日
県道435号宇治・長屋線
県道442号豊永赤馬・長屋線
1974年(昭和49年)2月26日
県道427号槌ヶ原・日比線 1974年(昭和49年)3月19日
県道453号宮地・鹿瀬線 1974年(昭和49年)3月22日
県道447号粟谷・美甘線 1974年(昭和49年)3月26日
県道105号前原谷・仙養線 1974年(昭和49年)6月18日
県道457号吉田・御津線 1974年(昭和49年)7月9日
県道428号倉敷西環状線
県道456号下籾・三明寺線
1974年(昭和49年)11月8日
県道440号上有漢・北房線 1974年(昭和49年)11月19日
県道441号下神代・哲多線 1974年(昭和49年)12月20日
35周年 県道5号作東・大原線
県道6号津山・智頭・八東線
県道8号新見・日南線
県道11号新見・多里線
県道26号津山・柵原線
県道169号西方・巨瀬線
県道306号賀陽・種井線
1979年(昭和54年)1月5日
県道162号岡山・倉敷線 1979年(昭和54年)3月30日
県道421号総社停車場線 1979年(昭和54年)4月3日
20周年 県道12号足立・東城線
県道52号勝央・仁堀中線
県道58号北房・川上線
県道60号倉敷・笠岡線
県道64号矢掛・寄島線
県道73号箕島・高松線
県道74号倉敷・飽浦線
県道75号加茂・奥津線
県道76号総社・三和線
県道77号美星・高山市線
県道78号長屋・賀陽線
県道79号佐伯・長船線
県道81号東岡山・御津線
県道82号鏡野・久世線
県道84号勝山・栗原線
県道85号高梁・坂本線
県道86号作東インター線
県道109号高瀬・油野線
県道168号新賀・小坂東線
県道180号熊山停車場線
県道286号里庄・地頭上線
県道299号布賀・地頭線
県道300号宇治・下原線
県道392号百谷・寺元線
県道395号和気・熊山線
1994年(平成6年)4月1日
広島県 60周年 県道5号浜田・八重・可部線
県道22号福山・鞆線
県道25号三原・東城線
県道43号厳島公園線
1954年(昭和29年)9月17日
40周年 県道455号金田・平和線 1974年(昭和49年)1月8日
県道372号林・御寺線 1974年(昭和49年)3月22日
35周年 県道261号仁方港線 1979年(昭和54年)3月23日
20周年 県道1号岩国・大竹線
県道2号岩国・佐伯線
1994年(平成6年)3月15日
県道11号旭・戸河内線
県道12号足立・東城線
県道35号音戸・倉橋線
県道36号高田・沖美・江田島線
県道38号広島・豊平線
県道45号三次・大和線
県道56号府中・世羅・三和線
県道59号東広島・本郷・忠海線
県道60号大和・福富線
県道72号福山・沼隈線
県道73号広島空港線
県道76号神辺・大門線
県道77号久地・伏谷線
県道78号三良坂・総領線
県道79号芸北・大朝線
県道80号東広島・向原線
県道82号広島空港・本郷線
県道83号志和インター線
県道114号今福・芸北線
県道281号広停車場線
県道306号小原・猪山線
県道340号下竹仁・久芳線
県道391号加茂・福山線
県道470号三次インター線
1994年(平成6年)4月1日
15周年 県道356号豊浜・蒲刈線 1999年(平成11年)12月20日
5周年 県道303号上筒賀・津浪線 2009年(平成21年)2月5日
山口県 60周年 県道155号東浦・西浦線
県道246号長府・前田線
県道300号宇津・本村線
1954年(昭和29年)7月30日 この3路線は中国地方最古の一般県道路線である(他の一般県道路線は1958年〔昭和33年〕以降に認定されたものである)。
県道4号大島環状線
県道11号萩・篠生線
県道28号小郡・三隅線
県道29号宇部・船木線
県道34号下関・長門線
県道56号仙崎港線
1954年(昭和29年)11月16日
55周年 県道170号粭島・櫛ヶ浜停車場線 1959年(昭和34年)8月7日
45周年 県道101号嵩山・久賀港線
県道133号根笠・周東線
県道233号美祢・菊川線
1969年(昭和44年)4月1日
40周年 県道162号石城山・光線
県道320号塩田・中山線
1974年(昭和49年)2月5日
県道323号下関停車場線 1974年(昭和49年)3月29日
県道327号狗留孫山公園線 1974年(昭和49年)5月24日
県道325号宇津・払子・本村線 1974年(昭和49年)7月12日
35周年 県道196号宮野上・佐々並線
県道217号小野・木田線
1979年(昭和54年)3月30日
30周年 県道502号山口・防府・小郡自転車道線 1984年(昭和59年)10月26日
20周年 県道1号岩国・大竹線
県道2号岩国・佐伯線
県道5号周東・美川線
県道15号岩国・玖珂線
県道25号宇部・防府線
県道27号山口・徳山線
県道32号萩・秋芳線
県道33号下関・美祢線
県道39号粟野・二見線
県道144号光・玖珂線
県道178号新南陽停車場線
県道215号宇部停車場線
県道255号新下関停車場線
県道306号弥富・小川線
1994年(平成6年)3月15日
県道150号銭壺山公園線
県道184号三田尻港・徳地線
県道244号下関・川棚線
県道287号長門・三隅線
1994年(平成6年)3月29日
5周年 県道311号篠目・徳佐下線 2009年(平成21年)4月1日
県道118号南岩国・尾津線 2009年(平成21年)8月28日

第一次主要地方道指定路線の認定60周年と、平成時代で唯一の(言い換えれば現時点では最後の)国道・主要地方道再編の際認定された県道路線の認定20周年が今年は多く目立つ。

開通○周年を迎える主要な道路

県名 周年 路線名称 開通年月日 コメント
鳥取県 25周年 米子自動車道 1989年(平成元年)12月14日 江府インターチェンジ(日野郡江府町佐川)〜米子インターチェンジ(米子市赤井手)間が開通。中国横断自動車道岡山・米子線初の開通区間であると同時に鳥取県初の国土開発幹線自動車道の開通区間にもなった(ちなみに鳥取県は中国地方で最後に国土開発幹線自動車道が開通した県である)。個人的には下り方向(米子方面)に走った場合、大山パーキングエリア・大山高原スマートインターチェンジ(下り:西伯郡伯耆町岸本/上り:西伯郡伯耆町久古)を過ぎ、米子市に入ってから眼前に展開する風景が好きである。
5周年 鳥取自動車道 2009年(平成21年)3月14日 智頭インターチェンジ(八頭郡智頭町市瀬)〜河原インターチェンジ(鳥取市河原町徳吉)間が開通。中国地方における新直轄方式で建設された国土開発幹線自動車道として初の開通区間になった。
鳥取県
岡山県
40周年 国道180号線
明地トンネル
1974年(昭和49年)12月3日 明地峠(標高約750m)の西側に掘られていた明地トンネル(延長:1,130m)を含む新見市千屋花見〜日野郡日野町門谷間が開通した。これにより国道180号線は全線が自動車で通行できるようになった。なお、新見市神郷釜村の県道8号新見・日南線と県道11号新見・多里線の交差点にはよく見ると「国道180号線/花見地内通行不能」と書かれているのが透けて見える案内標識(いわゆる白看)が今も残されており、明地峠が自動車で越えられなかった時代があったことを今に伝えている。
島根県 50周年 国道54号線
頓原道路
1964年(昭和39年)10月25日 飯石郡飯南町頓原〜飯石郡飯南町都加賀(つがか)間に存在する難所・吹ヶ峠(標高約600m)を迂回する道路として日本道路公団が建設・運営した有料道路。このため国道54号線は長らく飯石郡飯南町頓原〜飯石郡飯南町都加賀間については頓原道路経由と吹ヶ峠経由の二つの経路が指定されていた。1981年(昭和56年)12月1日に無料開放された時に国道54号線は頓原道路経由の道に一本化され、吹ヶ峠経由の旧道は飯南町道と県道273号吉田・頓原線に再編された。現在は途中に道の駅が設置されている。
25周年 浜田自動車道 1989年(平成元年)10月18日 旭インターチェンジ(浜田市旭町丸原)〜浜田インターチェンジ(浜田市長沢町)間が開通。島根県内の国土開発幹線自動車道としては鹿足郡吉賀町を通過する中国自動車道が既に1983年(昭和58年)に開通していたが、六日市インターチェンジ(鹿足郡吉賀町立河内)以外に出入口がなく、この浜田自動車道旭インターチェンジ〜浜田インターチェンジ間が島根県内だけで利用できる初めての高速道路となった。開通当時は並行して通っていて狭隘箇所の多い県道5号浜田・八重・可部線の迂回路的存在だったが、浜田市旭地区以南の県道5号浜田・八重・可部線自体未改良箇所が多く、幹線として機能するには1991年(平成3年)暮れの全線開通を待たなければならなかった。この時の開通区間の途中には幻の陰陽連絡鉄道と化してしまった今福線(広浜線)の戦前建設線(JR山陰本線下府〔しもこう〕駅〔浜田市下府町〕から浜田市金城町今福まで建設し、レールまで引いたところで第二次世界大戦の影響により建設中断となった。これを活用していれば最低限下府〜今福間は日の目を見たのだが高規格な鉄道路線として建設したいという思惑が生じたことなどで放棄された)と交差する箇所がある。
5周年 山陰自動車道 2009年(平成21年)11月28日 斐川インターチェンジ(出雲市斐川町三絡〔みつがね〕)〜出雲インターチェンジ(出雲市知井宮町)間が開通。現在のところ山陰自動車道の有料部分で最後の開通区間になっており、恐らくその状況は今後も変わらないものと思われる。そのため斐川インターチェンジのすぐ西側の本線上に本線料金所が設置されている。
島根県
広島県
50周年 国道54号線
赤名トンネル
1964年(昭和39年)9月16日 赤名峠(標高約590m)のほぼすぐ下に掘られた赤名トンネル(延長:600m)を含む三次市布野町横谷〜飯石郡飯南町上赤名間が開通した。長らく広島県と島根県を結ぶ重要な交通路として多くの自動車が行き交ったが、他の陰陽を連絡する国道路線が次々整備されたことや中国横断自動車道尾道・松江線が開通したことで現在では交通量はかなり減っている。
島根県
山口県
50周年 国道9号線
津和野バイパス
1964年(昭和39年)11月27日 鹿足郡津和野町耕田〜山口市阿東徳佐上間が開通して全線開通した。古い町並みを残す鹿足郡津和野町津和野地区を迂回するため青野山(標高:907.6m)の中腹を通していることが特徴。無論鹿足郡津和野町津和野地区に行く場合は屈曲のある道を通らなければならない。
岡山県 40周年 中国自動車道 1974年(昭和49年)12月21日 美作インターチェンジ(美作市北山)〜落合インターチェンジ(真庭市下市瀬)間が開通。岡山県初の国土開発幹線自動車道の開通は岡山県のうちの旧美作国部分の中国自動車道の開通となったわけであるが、「岡山県初の国土開発幹線自動車道の開通」と書いたことでもうかがえるようにこの時点では美作インターチェンジ以東が未開通であり、大阪・神戸方面と高速道路だけで往来するのは1975年(昭和50年)秋までお預けとなった。
20周年 県道48号笠岡・美星線 1994年(平成6年)3月13日 小田郡矢掛町宇内〜井原市美星町東水砂間が開通して通行不能区間が解消。上下2車線で建設されはしたが急な屈曲があり、更に近くに備中西部広域農道や県道408号東水砂・矢掛線があることもあって交通量は少ない。なお、小田郡矢掛町宇内の旧道には通行不能区間があることを示す「幅員減少」の標識が今も残されているが、どこが車道端点だったのか探るのは困難になっている(岡山県では県道・市町村道を問わず自動車通行不能箇所の手前に「幅員減少」の標識が立っているところが南西部を中心に多数ある)。
国道2号線
玉島バイパス
1994年(平成6年)3月17日 道越ランプ(倉敷市玉島道越)〜終点(阿賀崎ランプ〔倉敷市玉島阿賀崎〕)間が開通し、側道を経由する格好にはなるものの全線開通した。道越ランプ以東は1985年(昭和60年)までに開通しており、一応玉島市街地を迂回する道路として機能していたが、信号機のあるT字路、すなわち四ツ土井交差点(倉敷市玉島阿賀崎)を通過しなければならず、残り部分の開通が待たれていた。個人的な話で恐縮だが、私はその日JR山陽本線の電車に乗っていて開通したことを知った。
15周年 国道2号線
岡山バイパス
1999年(平成11年)3月24日 起点(浅川ランプ〔岡山市東区浅川〕)〜福治ランプ(岡山市東区福治)間が開通して全線開通した。福治ランプ以西は1988年(昭和63年)までに開通していたが、全線開通までにそれから11年も要した背景には未開通区間に並行する県道37号西大寺・山陽線が代替道路として機能していたことや岡山ブルーハイウェイ改め岡山ブルーライン(県道397号寒河・本庄・岡山線。岡山バイパス全線開通当時は有料道路)を通る自動車が多かったことが挙げられる。なお、起点の浅川ランプは備前市方面だけでなく岡山市中心部方面との往来もできるようになっている。
広島県 45周年 国道2号線
尾道バイパス
1969年(昭和44年)7月9日 尾道市中心部の渋滞を解消するために尾道市高須町〜尾道市正徳町間に計画されたバイパスで、この時は東半分の尾道市高須町(起点)〜尾道市西則末町間が側道を介する格好にはなったものの開通した。全線開通ではないのに本表で取り上げたのはこの尾道バイパスは中国地方の国道路線で初めての自動車専用道路になったからである。ただ、当時の自動車専用区間は尾道市高須町〜尾道市長江三丁目間だけであり、自動車専用道路として有用になるのは1972年(昭和47年)の全線開通を待たなければならなかった。
国道54号線
佐東バイパス
1969年(昭和44年)8月8日 広島市安佐南区緑井一丁目〜広島市安佐南区八木八丁目間が開通して全線開通した。佐東バイパス開通前の国道54号線(現:県道270号八木・緑井線)は途中にJR可部線の踏切があることや広島市のベッドタウン化が進んだことから渋滞が頻発していたが、佐東バイパスの開通により解消した。前半部の平地区間には現在多くの店舗が建ち並んでおり、広島市安佐南区随一の商業集積地になっている。
40周年 県道251号後山公園・洗谷線 1974年(昭和49年)4月1日 福山グリーンラインという愛称を持つ。県道388号下山南・福山線(1960〜1994。現:県道72号福山・沼隈線)との重用区間を除く部分、すなわち福山市鞆町後地(起点)〜福山市瀬戸町長和間が開通して全線開通した。開通当初は後山有料道路という有料道路だった(道路地図では後山有料道路とか後山道路よりも福山グリーンラインと記されることのほうが多かった)が、利用低迷によりわずか6年後の1980年(昭和55年)4月1日に無料開放された(もっとも有料道路時代でも夜間は無料で通行できた)。バイク通行禁止規制や夜間通行禁止規制がかけられるなど芳しくない話が少なくないが、眺望は良好であり、案内標識の新調やバイク通行規制の解除が望まれるところである。
国道2号線
西広島バイパス
1974年(昭和49年)4月3日 五日市西ランプ(広島市佐伯区千同二丁目)〜終点(地御前ランプ〔廿日市市地御前五丁目〕)間が開通し、側道を経由する格好にはなるものの全線開通した。同時に広島市西区観音本町から直接西広島バイパスに入れる高架道路(観音高架道路)も開通している。途中の廿日市市佐方には国道路線の自動車専用道路では珍しいサービスエリアが設置されている。
広島・呉道路 1974年(昭和49年)5月29日 仁保インターチェンジ(広島市南区仁保四丁目。広島高速2号線〔県道473号府中・仁保線〕開通に伴い2010年〔平成22年〕4月26日廃止)〜坂インターチェンジ(安芸郡坂町横浜中央一丁目。現:坂北インターチェンジ)間が開通。それまで広島市と呉市を往来するには安芸郡海田町を経由しなければならなかったが、この区間の開通により安芸郡海田町を経由せずに往来できるようになった。途中には広島大橋(全長:1,020m)があるがその近くには海田大橋や東洋大橋(マツダ〔安芸郡府中町新地〕の専用道路のため一般車は通れない)もあり、全国的に珍しい海上橋の集中地帯になっている。
35周年 蒲刈大橋 1979年(昭和54年)10月13日 上蒲刈島(呉市蒲刈町)と下蒲刈島(呉市下蒲刈町)を結ぶ橋であり、その後構想が浮上した安芸灘諸島連絡架橋で最初に開通した橋でもある。延長:480m。蒲刈広域農道の一部として建設された経緯もあって現在に至るまで県道に認定されていない。
中国自動車道 1979年(昭和54年)10月18日 三次インターチェンジ(三次市西酒屋町)〜千代田インターチェンジ(山県郡北広島町丁保余原〔よおろほよばら〕)間が開通。東方からの中国自動車道の延伸はここで一段落し、千代田インターチェンジ以西への延伸は3年半近く待たなければならなかった(それが中国自動車道の全線開通になるのだが)。途中にある高田インターチェンジ(安芸高田市美土里町横田)は全国的に珍しい郡名を名称に用いたインターチェンジである(もっとも高田郡は平成の大合併で消滅してしまったが…)。
30周年 国道184号線
御調バイパス
1984年(昭和59年)12月6日 尾道市御調町下山田〜尾道市御調町高尾間が開通し、全線開通した。福山・府中・尾道方面から三次・世羅方面に行く場合、尾道市御調地区中心部を過ぎるとすぐに屈曲の多い狭い道になっていたが現道の西側に新たな道路を作ることで改良を果たした。旧道は現在尾道市道と県道383号篠根・高尾線に再編されているが随所に国道時代の面影を残している。
25周年 広島・呉道路 1989年(平成元年)4月20日 天応インターチェンジ(呉市天応塩谷町。現:天応東インターチェンジ)〜呉インターチェンジ(呉市二河町)間が開通。仁保インターチェンジ〜坂インターチェンジ開通から15年近く経ってようやく二箇所目の開通区間が現れた。呉市中心部で右左折を繰り返したり建設時期が古いために高さが十分ではないトンネルがあったりする国道31号線のバイパスとしての活用が期待されたが、有料道路故に期待されたほどにはなっていない。
国道183号線
庄原バイパス
1989年(平成元年)9月27日 庄原市宮内町〜庄原市高町(終点)間が開通して全線開通した。庄原市中心部の南方を通るバイパスだが、庄原市新庄町を境にして西は上下4車線、東は上下2車線で建設されているのが特徴。その後庄原市宮内町で地域高規格道路江府・三次道路の一部となる高道路の開通(2008年〔平成20年〕3月9日)の際に庄原バイパス三次方面と高道路米子方面が直通するように改築されている。
県道53号沼隈・横田港線 1989年(平成元年)10月4日 内海(うつみ)大橋(全長:832m)を含む福山市沼隈町常石〜福山市内海町田島間が開通して全線開通。広島県にある島だけで構成される市町村と本土を結ぶ橋は1960年代以降いくつも建設されたが、この内海大橋は開通当初から無料で通行できる初めての橋になった(開通当時福山市内海地区は沼隈郡内海町〔1955〜2003〕という独立した自治体だった)。内海大橋の開通により福山市内海地区への海水浴客や釣り客が増え、反対に福山市沼隈地区の内海大橋入口交差点(福山市沼隈町草深)付近にはスーパーマーケットやホームセンターが相次いで開店して小規模ではあるが福山市南西部の商業集積地帯になった。なお、内海大橋はまっすぐに本土と田島を結んでいるわけでなく、「く」の字状に折れ曲がっているのが特徴である。
15周年 西瀬戸自動車道 1999年(平成11年)5月1日 新尾道大橋(全長:385m)を含む尾道大橋出入口(尾道市山波町)〜向東仮出入口(尾道市向東町。1999年〔平成11年〕5月1日廃止)間と多々羅大橋(全長:1,480m)を含む生口島南インターチェンジ(尾道市瀬戸田町荻)〜大三島インターチェンジ(今治市上浦町甘崎)間、大島南インターチェンジ(今治市吉海町名)〜今治インターチェンジ(今治市矢田)間が開通。但し生口島と大島の自動車専用道路が完成しておらず、この時点では全線開通とはならなかった(2006年〔平成18年〕に両島の自動車専用道路は開通するが今治インターチェンジで接続する今治・小松自動車道の建設が進んでおらず道路網の観点から未だに充実しているとは言えない面がある)。新尾道大橋を除く各橋には自転車と歩行者が通行できる道が付けられており、広島県側では県道466号向島・因島・瀬戸田自転車道線、愛媛県側では県道325号今治・大三島自転車道線としてそれぞれ認定されている(両路線は多々羅大橋の広島・愛媛県境で接続している)。
山口県 40周年 中国自動車道 1974年(昭和49年)7月31日 小郡インターチェンジ(山口市小郡上郷)〜小月インターチェンジ(下関市小月幸町)間が開通。この開通により山口県の県庁所在地である山口市と山口県最大の都市・下関市の往来が楽にできるようになった。ただ、美祢市の振興や日本海沿岸にある長門・萩両市への配慮からか小郡インターチェンジから北西方向に進んで美祢市で南西方向に転じる経路をとったため屈曲や勾配が多く入ることになり、芸人の桜塚やっくん(1976〜2013)の交通事故死に象徴される交通事故が多発する原因を作ったことは否めない。迂回路として山陽自動車道の完全化、すなわち宇部ジャンクション(宇部市東岐波)以東の山陽自動車道の建設が望まれるが現状では見通しは暗いと言わざるを得ない。

高速道路の開通が多いのだが、いくつか国道路線や県道路線の開通も書いてみた。まだあるとは思うのだが…。

市区郡町村編

発足○周年を迎える市区町村(現存するもののみ掲載)

県名 周年 市区町村名 発足年月日 備考
鳥取県 125周年 鳥取市 1889年(明治22年)10月1日 市制町村制施行時に発足。
西伯郡日吉津村 1889年(明治22年)10月1日 市制町村制施行時に発足(当時は会見郡所属)。
105周年 八頭郡若桜町 1909年(明治42年)4月1日 八頭郡赤松・菅野・若桜各村が統合して発足。
100周年 八頭郡智頭町 1914年(大正3年)6月1日 八頭郡智頭村が町制施行して発足。
60周年 岩美郡岩美町 1954年(昭和29年)7月1日 岩美郡岩井・浦富両町及び網代・大岩・小田・蒲生・田後・東・本庄各村が統合して発足。
55周年 日野郡日南町 1959年(昭和34年)4月1日 日野郡伯南町及び石見・高宮・多里・福栄各村が統合して発足。
日野郡日野町 1959年(昭和34年)5月1日 日野郡黒坂・根雨両町が統合して発足。
10周年 東伯郡琴浦町 2004年(平成16年)9月1日 東伯郡赤碕・東伯両町が統合して発足。
西伯郡南部町 2004年(平成16年)10月1日 西伯郡会見・西伯両町が統合して発足。
東伯郡湯梨浜町 2004年(平成16年)10月1日 東伯郡東郷・羽合両町及び泊村が統合して発足。
島根県 125周年 松江市 1889年(明治22年)4月1日 市制町村制施行時に発足。
鹿足郡津和野町 1889年(明治22年)4月1日 市制町村制施行時に発足。
110周年 隠岐郡知夫村 1904年(明治37年)4月1日 市制町村制施行時に発足(当時は知夫郡所属)。
※松江市・鹿足郡津和野町と隠岐郡知夫村の市制町村制施行時期が異なるのは旧隠岐国(現在の隠岐郡全域)については本州から離れたところにある離島で構成されているために同時施行ができなかったからである。
60周年 大田市 1954年(昭和29年)1月1日 安濃郡大田・久手両町及び川合・鳥井・長久・波根東各村と邇摩郡久利・静間両村が統合して発足。
江津市 1954年(昭和29年)4月1日 那賀郡江津・都野津両町及び浅利・跡市・川波・川平・江東・二宮・松川各村が統合して発足。
安来市 1954年(昭和29年)4月1日 能義郡安来町及び赤江・荒島・飯梨・大塚・島田各村が統合して発足。
45周年 隠岐郡海士町 1969年(昭和44年)1月1日 海士郡海士村が町制施行して発足(当時は海士郡所属)。
10周年 邑智郡邑南町 2004年(平成16年)10月1日 邑智郡石見・瑞穂両町及び羽須美村が統合して発足。
邑智郡美郷町 2004年(平成16年)10月1日 邑智郡邑智町及び大和村が統合して発足。
隠岐郡隠岐の島町 2004年(平成16年)10月1日 隠岐郡西郷町及び五箇・都万・布施各村が統合して発足。
雲南市 2004年(平成16年)11月1日 飯石郡掛合・三刀屋両町及び吉田村、大原郡加茂・木次・大東各町が統合して発足。
岡山県 125周年 岡山市 1889年(明治22年)6月1日 市制町村制施行時に発足。
英田郡西粟倉村 1889年(明治22年)6月1日 市制町村制施行時に発足(当時は吉野郡所属)。
真庭郡新庄村 1889年(明治22年)6月1日 市制町村制施行時に発足(当時は真島郡所属)。
85周年 津山市 1929年(昭和4年)2月11日 久米郡福岡村と苫田郡津山・津山東両町及び院庄・西苫田・二宮各村が統合して発足。
60周年 総社市 1954年(昭和29年)3月31日 吉備郡総社町及び阿曽・池田・久代・新本・山田各村と都窪郡常盤村が統合して発足。
勝田郡勝央町 1954年(昭和29年)3月31日 勝田郡勝間田町及び植月・古吉野・高取・吉野各村が統合して発足。
久米郡久米南町 1954年(昭和29年)4月1日 久米郡弓削町及び神目・竜山・誕生寺各村が統合して発足。
高梁市 1954年(昭和29年)5月1日 川上郡宇治・落合・高倉・玉川・松原各村と上房郡高梁町及び川面・巨瀬・津川各村が統合して発足。
新見市 1954年(昭和29年)6月1日 阿哲郡上市・新見両町及び石蟹郷・草間・熊谷・菅生・豊永・美穀各村が統合して発足。
10周年 加賀郡吉備中央町 2004年(平成16年)10月1日 上房郡賀陽町と御津郡加茂川町が統合して発足。
瀬戸内市 2004年(平成16年)11月1日 邑久郡牛窓・邑久・長船各町が統合して発足。
5周年 岡山市北区 2009年(平成21年)4月1日 岡山市が政令指定都市に移行した際に岡山市の行政区の一つとして発足。
岡山市中区 2009年(平成21年)4月1日 岡山市が政令指定都市に移行した際に岡山市の行政区の一つとして発足。
岡山市東区 2009年(平成21年)4月1日 岡山市が政令指定都市に移行した際に岡山市の行政区の一つとして発足。
岡山市南区 2009年(平成21年)4月1日 岡山市が政令指定都市に移行した際に岡山市の行政区の一つとして発足。
広島県 125周年 広島市 1889年(明治22年)4月1日 市制町村制施行時に発足。
60周年 庄原市 1954年(昭和29年)3月31日 比婆郡庄原町及び敷信・高・本田・山内北・山内西・山内東各村が統合して発足。
府中市 1954年(昭和29年)3月31日 芦品郡府中町及び岩谷・栗生・国府・下川辺・広谷各村が統合して発足。
三次市 1954年(昭和29年)3月31日 双三郡十日市・三次両町及び粟屋・神杉・河内・酒河・田幸・和田各村が統合して発足。
大竹市 1954年(昭和29年)9月1日 佐伯郡大竹・小方・玖波各町及び栗谷村と佐伯郡友和村松ヶ原が統合して発足。
40周年 東広島市 1974年(昭和49年)4月20日 賀茂郡西条・志和・高屋・八本松各町が統合して発足。
10周年 安芸高田市 2004年(平成16年)3月1日 高田郡甲田・高宮・美土里・向原・八千代・吉田各町が統合して発足。
山県郡安芸太田町 2004年(平成16年)10月1日 山県郡加計・戸河内両町及び筒賀村が統合して発足。
江田島市 2004年(平成16年)11月1日 安芸郡江田島町と佐伯郡大柿・沖美・能美各町が統合して発足。
神石郡神石高原町 2004年(平成16年)11月5日 神石郡三和・神石・油木各町及び豊松村が統合して発足。
山口県 85周年 山口市 1929年(昭和4年)4月10日 吉敷郡山口町及び吉敷村が統合して発足。
75周年 下松市 1939年(昭和14年)11月3日 都濃郡下松町及び久保・末武南・花岡各村が統合して発足。
60周年 長門市 1954年(昭和29年)3月31日 大津郡仙崎・深川両町及び通・俵山両村が統合して発足。
美祢市 1954年(昭和29年)3月31日 玖珂郡柳井町及び伊陸・新庄・日積・余田各村が統合して発足。
柳井市 1954年(昭和29年)3月31日 豊浦郡豊田前町と美祢郡伊佐・大嶺両町及び於福・西厚保・東厚保各村が統合して発足。
10周年 大島郡周防大島町 2004年(平成16年)10月1日 大島郡大島・久賀・橘・東和各町が統合して発足。

※山口県下関市も前身の赤間関(あかまがせき)市時代(1889〜1902)を含めると今年4月1日に市制施行125周年を迎えるが、本サイトでは名称が異なる場合は現在の名称になった時点を発足時期とし、そこからの年数を計算する方針をとっているため上表には掲載しなかった。

2014年(平成26年)に○周年を迎える自治体は市制町村制施行時に発足したところと昭和の大合併の時に発足したところ、平成の大合併の時に発足したところが多い。特筆すべきは現在中国地方に残る自治体としての村が110周年か125周年のどちらかを迎えるということであろう。それぞれの村が置かれた環境は厳しいものがあるが、独立を貫いてきたことには拍手を送りたいし、今後も地域振興のために努力して頂きたいと思うところである。

ラジオ編

開局(本放送開始)○周年を迎える放送局(現存するもののみ掲載)

周年 放送局名/所在地 開局年月日 コメント
60周年 山陰放送ラジオ
(BSS、米子市西福原一丁目)
1954年(昭和29年)3月1日 開局当初の社名はラジオ山陰で、略称はRSBだったがテレビ・ラジオ兼営局に移行した後の1961年(昭和36年)に現在の社名・略称に変更した。ラジオ放送は開局当初から鳥取・島根両県を放送区域としていたのに対しテレビ放送は鳥取県に本社がありながら島根県だけを放送区域とする変則体制をとっていたが、1972年(昭和47年)にテレビ・ラジオとも鳥取・島根両県を放送区域とするようになった。毎日昼前に放送されている「音楽の風車」は開局前のサービス放送の時代から続く中国地方随一の長寿番組として知られている。
日経ラジオ社
(東京都港区虎ノ門一丁目)
1954年(昭和29年)8月27日 愛称:ラジオNIKKEI。開局当時は現在の第一放送一波だけで、1963年(昭和38年)9月2日に二波体制になった。短波放送故に短波放送が受信できるラジオを買わないと聴けなかったがradikoでの再送信を開始したことでパソコンやスマートフォンでも楽しめるようになった。これまでは株式と競馬に興味がある人しか聴かない放送局という印象が強かったが今後の展開が注目される(もっとも昔はプロ野球中継や若年者向け番組も編成され、ある少年向け週刊マンガ雑誌に広告が出ていたほどだったのだが…)。
45周年 NHK-FM
(東京都渋谷区神南二丁目)
1969年(昭和44年)3月1日 ラジオ第一・ラジオ第二に次ぐ日本放送協会(NHK)の3番目のラジオ放送。1957年(昭和32年)開始の実験放送→各放送局でのFM放送開始を経て1969年(昭和44年)3月1日に本放送を開始した。日本放送協会の番組ということで取っつきにくい面はあるが最近は結構面白い(と私が感じる)番組も多くなっており、聴く機会が多くなっている。なお、午前1時〜午前5時は原則としてラジオ第一と同時放送になっている。
15周年 岡山エフエム放送
(岡山市北区中山下一丁目)
1999年(平成11年)4月1日 中国地方で最も新しい県域民間放送局。中国地方第二の都市・岡山市、中国地方第三の都市・倉敷市を擁する県でありながら県域民間エフエム放送局の開局が遅れたことを意外に思う方がいるかもしれないのだがこれは496もあった申請者の一本化調整に手間取ったことが原因である。そういうこともあって自社制作番組は中国地方の先発3局、すなわちエフエム山陰(愛称:V-air。松江市殿町)と広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)、エフエム山口(FMY、山口市緑町)に比べると少ない。そんな中でもユニークなのはコミュニティ放送局のエフエムくらしき(倉敷市白楽町〔ばくろちょう〕)制作の番組「平成健康アラカルト」が流れていることである(無論放送日時はエフエムくらしきとは別に設定されている)。エフエムくらしきを受信できない地域に住んでいる方やエフエムくらしきでの本放送を聴き逃した方のために流しているとのことであるがこういう例は珍しい。
尾道エフエム放送
(尾道市土堂二丁目)
1999年(平成11年)6月1日 広島県ではエフエムふくやま(愛称:レディオBINGO。福山市西町二丁目)に次いで開局したコミュニティ放送局。開局の背景には福山市への対抗意識があったことや中国放送(RCC、広島市中区基町)が経営合理化のために福山支社(福山市北美台)が制作し、ラジオの福山・府中・三原各中継局だけで流していたワイド番組を打ち切ることにしたことがあったようである。本局の千光寺山から高見山への移転や因島地区への中継局設置など受信環境改善を進めているが自社制作番組が平日のワイド番組3本しかないのが難点。
10周年 ぷらざFM
(防府市八王子二丁目)
2004年(平成16年)12月12日 愛称:FMわっしょい。山口県で5番目に開局したコミュニティ放送局である。海を隔てた福岡県築上郡築上町に同じ周波数を用いるコミュニティ放送局があることから混信問題が生じている上に本局が低い場所にあることから受信困難な地域が少なくない。
5周年 FMハムスター
(広島市安佐南区祇園五丁目)
2009年(平成21年)5月11日 演奏所が広島経済大学の中にあることもあり、土曜日と日曜日は放送を休止するという珍しい形態をとっている。放送体制見直しを理由に2013年(平成25年)3〜6月に放送を休止し、その行く末を心配する声が挙がったが無事に2013年(平成25年)7月から放送を再開している。
つやまコミュニティFM
(津山市南新座)
2009年(平成21年)12月24日 中国地方の市区町村では唯一複数コミュニティ放送局がある津山市で最初に開局したコミュニティ放送局。ミニFM放送局を前身としており、その点でも後発のエフエム津山(愛称:レディオつやま→MegaWAVE76.3。津山市鉄砲町)に対して優位に立っていると言える。2013年(平成25年)7月に津山市京町から現在地に演奏所を移転した。

今年記念すべき年を迎える放送局を見ると苦境を乗り越えて放送を続けているところが多いことに気付く。例えば山陰放送ラジオは日本海沿岸部(米子本局と鳥取・倉吉・出雲・大田・浜田・益田)にしか中継局がなく、山間部では受信しづらいこと(これが中国放送ラジオ・広島エフエム放送に次いでradikoでの再送信を実施した一因になったと言える)や日曜日深夜(月曜日早朝)だけでなく土曜日深夜(日曜日早朝)にも放送休止時間を設けていること(中国地方の県域民間ラジオ放送局では唯一)、日曜日は午前0時で放送を終了していること(中国地方の県域民間ラジオ放送局では最も早い)といった難点がある。いずれも山陰地方の経済力が脆弱なことが原因であるが、そんな状況でも60年間放送を続けることができたこと、そして「音楽の風車」という、サービス放送の時代からほとんど休まず続く番組があることは鳥取・島根両県に住む人々から親しまれたという証であり、もっと評価されて良いことだと思う。同時にそういう地道さが長く続く秘訣ではないのかなとも思いたくなる。

 この他にも中国地方には○周年を迎えるものが多数あります(例えば私が住んでいる福山市を通っている鉄道路線はJR福塩線が今年7月21日に開業100周年を、井原鉄道井原線が今年1月11日に開業15周年をそれぞれ迎えることになっている)。探してみてはいかがでしょうか(別に私宛にそのことは伝えなくても結構です)。