トップページ不定期刊・きょうのトピックス不定期刊・きょうのトピックス2015年(平成27年)分新幹線と都道府県道あれこれ

新幹線と都道府県道あれこれ(2015年〔平成27年〕3月14日公開)

 今年は山陽新幹線の全線開業40周年に当たる。山陽新幹線は新大阪駅(大阪市淀川区西中島五丁目)と博多駅(福岡市博多区博多駅中央街)を結ぶ553.7km(実距離。以降断りがない限り実距離を表記するものとする)の路線で、まず新大阪〜岡山間が1972年(昭和47年)3月15日に開業し、その約3年後の1975年(昭和50年)3月10日に残りの岡山〜博多間が開業したのである。40年の間には兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災。1995年〔平成7年〕1月17日)で高架橋が落下し、新大阪〜姫路間が3ヶ月近く不通になるなどの苦難はあったが、山陽地方の大動脈として多くの方々に利用されている。この文を読んでいる方の中にも山陽新幹線を利用したという方は多数いることであろう。
 更に(中国地方には関係のない話にはなるのだが)今日、北陸新幹線長野〜金沢間228.1kmが開業した。私の友人で「下関市立大学・大学祭実行委員会事務局OB会公式サイト」というサイトを運営している中島孝祐(なかしま・こうすけ)さんは昨秋父親と一泊二日で北陸地方(富山・石川・福井各県)に行ってきたのだが、どこも観光客―日本人だけではなく外国人も多かったという―が多かったと話していた。恐らく北陸新幹線で北陸地方へ旅行に出かける方はこれから多くなることだろう(更に今月30日からは石川県能登地方を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説「まれ」も放送されるし…)。
 新幹線の計画・建設・開業については必ずしも良い面ばかりではなく、いつもいろいろな問題が生じるのだが、それはさておいて今回の「不定期刊・きょうのトピックス」では新幹線と都道府県道のあれこれを紹介したいと思う。

どれだけあるの? 新幹線停車駅に通じる都道府県道路線

 個人的な話で恐縮であるが、実は私は昨年11月10日に全都道府県の都道府県道一覧表を完成させた。こちらでは「富山県・岐阜県・愛知県・静岡県以西の各府県(2府28県)の国道・県道または国道・府道の一覧表を作成することを企図している」と書いたのだが、それに飽き足らず、全都道府県についても作成したのである。完全かつ正確なのかどうか疑問が残るところはあるのだが、今後本サイトで公開することを考えているところである(注1)
 全都道府県の都道府県道一覧表を完成させた後も最新情報を得るために各都府県の公報(注2)の確認も月曜日・水曜日・木曜日・土曜日(注3)と月末に行っているところであるが、ならば今新幹線停車駅に通じる都道府県道路線はどのくらいあるのか。現在開業している路線(あくまでもフル規格で建設された路線、すなわち東海道・山陽・九州・東北・上越・北陸各新幹線に限る)ごとにまとめたのが下表になる。

東海道新幹線(17駅14路線)

都道府県名 駅名 所在地 起点からの
実距離
(単位:km)
駅に通じる
都道府県道路線
備考
東京都
(2駅1路線)
東京 千代田区丸の内一丁目 0.0 都道404号皇居前・東京停車場線
品川 港区港南二丁目 6.8 (なし)
神奈川県
(2駅1路線)
新横浜 横浜市港北区篠原町 25.5 (なし)
小田原 小田原市城山一丁目 76.7 県道73号小田原停車場線
静岡県
(6駅4路線)
熱海 熱海市田原本町 95.4 県道103号熱海停車場線
三島 三島市一番町 111.3 県道51号三島停車場線
新富士 富士市川成島 135.0 (なし)
静岡 静岡市葵区黒金町 167.4 (なし)
掛川 掛川市南一丁目 211.3 県道254号掛川停車場線
県道409号大須賀・掛川停車場線
浜松 浜松市中区砂山町 238.9 (なし) かつては県道57号浜松停車場線が存在したが2005年(平成17年)1月28日静岡県告示第104号により廃止され、浜松市に移管された(浜松市が県道路線を自ら管理できるようになる政令指定都市を目指していた頃(注4)なのになぜ県道路線としての認定を解いたのか…。理解に苦しむ)。
愛知県
(3駅4路線)
豊橋 豊橋市花田町西宿 274.2 県道143号豊橋停車場線
県道388号大山・豊橋停車場線
三河安城 安城市三河安城町一丁目 312.8 県道509号新幹線三河安城停車場線
県道510号三河安城停車場線
県道509号新幹線三河安城停車場線は「新幹線」という単語が入った唯一の都道府県道路線。
名古屋 名古屋市中村区名駅一丁目 342.0 (なし)
岐阜県
(1駅1路線)
岐阜羽島 羽島市福寿町平方 367.1 県道206号岐阜羽島停車場線
滋賀県
(1駅1路線)
米原 米原市米原 408.2 県道233号米原停車場線
京都府
(1駅2路線)
京都 京都市下京区
東塩小路高倉町
476.3 府道32号下鴨・京都停車場線
府道115号伏見港・京都停車場線
大阪府
(1駅0路線)
新大阪 大阪市淀川区西中島五丁目 515.4 (なし)

山陽新幹線(19駅19路線)

都道府県名 駅名 所在地 起点からの
実距離
(単位:km)
駅に通じる
都道府県道路線
備考
大阪府
(1駅0路線)
新大阪 大阪市淀川区西中島五丁目 0.0 (なし)
兵庫県
(4駅6路線)
新神戸 神戸市中央区加納町一丁目 32.6 県道30号新神戸停車場線
西明石 明石市小久保二丁目 54.8 県道232号西明石停車場線
姫路 姫路市駅前町 85.9 県道219号姫路停車場線
県道401号中島・姫路停車場線
県道402号白浜・姫路停車場線
相生 相生市本郷町 105.9 県道64号相生停車場線
岡山県
(2駅2路線)
岡山 岡山市北区駅元町 160.9 県道42号岡山停車場線
新倉敷 倉敷市玉島爪崎 186.7 県道41号新倉敷停車場線
広島県
(5駅0路線)
福山 福山市三之丸町 217.7 (なし) かつては県道190号福山停車場線が存在したが1974年(昭和49年)2月19日広島県告示第136号により廃止され、福山市に移管された
新尾道 尾道市栗原町 235.1 (なし)
三原 三原市城町一丁目 245.6 (なし) かつては県道59号三原停車場線(一般県道)が存在したが1965年(昭和40年)3月31日広島県告示第260号により廃止され、三原市に移管された。
東広島 東広島市三永一丁目 276.5 (なし)
広島 広島市南区松原町 305.8 (なし)
山口県
(5駅8路線)
新岩国 岩国市御庄 350.0 県道114号新岩国停車場線
徳山 周南市御幸通二丁目 388.1 県道53号徳山停車場線
新山口 山口市小郡下郷 429.2 県道214号新山口停車場・長谷線
県道353号新山口停車場・上郷線
厚狭 山陽小野田市厚狭 453.3 県道227号厚狭停車場・郡線
県道228号厚狭停車場線
新下関 下関市秋根南町一丁目 477.1 県道255号新下関停車場線
県道259号新下関停車場・稗田線
福岡県
(2駅3路線)
小倉 北九州市小倉北区浅野一丁目 497.8 県道36号小倉停車場線
博多 福岡市博多区博多駅中央街 553.7 県道43号博多停車場線
県道510号博多停車場・東本町線
県道510号博多停車場・東本町線は終点(福岡市博多区堅粕一丁目)まで県道43号博多停車場線及び国道202号線と重用しており、単独区間は存在しない。

九州新幹線(12駅13路線)

都道府県名 駅名 所在地 起点からの
実距離
(単位:km)
駅に通じる
都道府県道路線
備考
福岡県
(1駅2路線)
博多 福岡市博多区博多駅中央街 0.0 県道43号博多停車場線
県道510号博多停車場・東本町線
県道510号博多停車場・東本町線は終点(福岡市博多区堅粕一丁目)まで県道43号博多停車場線及び国道202号線と重用しており、単独区間は存在しない。
佐賀県
(1駅1路線)
新鳥栖 鳥栖市原古賀町 26.3 県道348号新鳥栖停車場線
福岡県
(3駅4路線)
久留米 久留米市城南町 32.0 県道46号久留米停車場線
県道753号一丁田・久留米停車場線
筑後船小屋 筑後市津島 47.9 県道721号船小屋停車場・水田線
県道724号船小屋停車場線
県道721号船小屋停車場・水田線と県道724号船小屋停車場線は厳密には筑後船小屋駅の駅前広場を起点とする県道路線ではない。県道721号船小屋停車場・水田線と県道724号船小屋停車場線はともに筑後船小屋駅開業前に筑後船小屋駅から500mほど博多寄りにあったJR鹿児島本線船小屋駅(筑後市津島。1928〜2011)の駅前広場を起点とする県道路線なのだが、船小屋駅移転後も再編など行われないままになっている。
新大牟田 大牟田市岩本 59.7 (なし)
熊本県
(4駅3路線)
新玉名 玉名市玉名 76.3 (なし)
熊本 熊本市西区春日三丁目 98.2 県道22号熊本停車場線
新八代 八代市上日置町 130.0 県道345号西片・新八代停車場線
県道346号新八代停車場線
新水俣 水俣市初野 172.8 (なし)
鹿児島県
(3駅3路線)
出水 出水市上鯖渕 188.8 県道370号出水停車場線
川内 薩摩川内市鳥追町 221.5 県道332号川内停車場線
鹿児島中央 鹿児島市中央町 256.8 県道21号鹿児島中央停車場線

東北新幹線(23駅14路線)

都道府県名 駅名 所在地 起点からの
実距離
(単位:km)
駅に通じる
都道府県道路線
備考
東京都
(2駅1路線)
東京 千代田区丸の内一丁目 0.0 都道404号皇居前・東京停車場線
上野 台東区上野七丁目 3.6 (なし)
埼玉県
(1駅2路線)
大宮 さいたま市大宮区錦町 31.3 県道90号大宮停車場線
県道121号大宮停車場・大成線
栃木県
(3駅3路線)
小山 小山市城山町三丁目 80.3 県道263号小山停車場線
宇都宮 宇都宮市川向町 109.0 県道196号宇都宮停車場線
那須塩原 那須塩原市大原間 152.4 県道113号那須塩原停車場線
福島県
(3駅2路線)
新白河 西白河郡西郷村道南東 178.4 (なし)
郡山 郡山市燧田 213.9 県道17号郡山停車場線
福島 福島市栄町 255.1 県道373号福島停車場線
宮城県
(4駅2路線)
白石蔵王 白石市大鷹沢三沢 286.2 (なし)
仙台 仙台市青葉区中央一丁目 325.4 (なし) 宮城県の道路を取り扱ったサイト「宮城県道時刻表」にはかつて仙台停車場線(一般県道)が存在したような記述があるが詳細は不明。
古川 大崎市古川駅前大通一丁目 363.8 (なし) 宮城県の道路を取り扱ったサイト「宮城県道時刻表」にはかつて古川停車場線(主要地方道)が存在したような記述があるが詳細は不明。
くりこま高原 栗原市志波姫新熊谷 385.7 県道250号くりこま高原停車場線
県道268号くりこま高原停車場・伊豆沼線
岩手県
(7駅4路線)
一ノ関 一関市駅前 406.3 県道3号一関停車場線
水沢江刺 奥州市水沢区
羽田町駅前一丁目
431.3 (なし)
北上 北上市大通り一丁目 448.6 県道112号北上停車場線
新花巻 花巻市矢沢 463.1 (なし)
盛岡 盛岡市盛岡駅前通 496.5 県道2号盛岡停車場線
いわて沼宮内 岩手郡岩手町江刈内 527.6 (なし)
二戸 二戸市石切所 562.2 県道114号二戸停車場線
青森県
(3駅0路線)
八戸 八戸市尻内町 593.1 (なし)
七戸十和田 上北郡七戸町荒熊内 629.2 (なし)
新青森 青森市石江 674.9 (なし)

上越新幹線(10駅8路線)

都道府県名 駅名 所在地 起点からの
実距離
(単位:km)
駅に通じる
都道府県道路線
備考
埼玉県
(3駅3路線)
大宮 さいたま市大宮区錦町 0.0 県道90号大宮停車場線
県道121号大宮停車場・大成線
熊谷 熊谷市筑波二丁目 36.6 県道91号熊谷停車場線
本庄早稲田 本庄市早稲田の杜一丁目 56.7 (なし)
群馬県
(2駅1路線)
高崎 高崎市八島町 77.3 県道31号高崎停車場線
上毛高原 利根郡みなかみ町月夜野 119.1 (なし)
新潟県
(5駅4路線)
越後湯沢 南魚沼郡湯沢町湯沢 151.4 県道268号越後湯沢停車場・岩原線
浦佐 南魚沼市浦佐 181.0 県道265号下折立・浦佐停車場線
長岡 長岡市城内町二丁目 213.8 県道36号長岡停車場線
燕三条 三条市下須頃 237.4 (なし)
新潟 新潟市中央区花園一丁目 269.5 県道33号新潟停車場線

北陸新幹線(13駅12路線)

都道府県名 駅名 所在地 起点からの
実距離
(単位:km)
駅に通じる
都道府県道路線
備考
群馬県
(2駅1路線)
高崎 高崎市八島町 0.0 県道31号高崎停車場線
安中榛名 安中市東上秋間 18.5 (なし)
長野県
(5駅4路線)
軽井沢 北佐久郡軽井沢町軽井沢 41.8 県道133号旧軽井沢・軽井沢停車場線
佐久平 佐久市佐久平駅東 59.4 (なし)
上田 上田市天神一丁目 84.2 県道162号上田停車場線 県道162号上田停車場線は日本で最も短い都道府県道路線として知られる(注5)
長野 長野市栗田 117.4 県道32号長野停車場線
県道376号長野停車場・岡田線
飯山 飯山市飯山 147.3 (なし) 長野県の道路を取り扱ったサイト「じゃごたろーど」によるとかつては県道412号飯山停車場線が存在したが1982年(昭和57年)9月2日長野県告示第599号により廃止されたとのことである(但し県道412号飯山停車場線廃止当時の飯山駅の位置は現在とは異なる)。
新潟県
(2駅3路線)
上越妙高 上越市大和五丁目 176.9 県道254号上小沢・上越妙高停車場線
県道362号後谷・黒田・上越妙高停車場線
県道254号上小沢・上越妙高停車場線と県道362号後谷・黒田・上越妙高停車場線は2015年(平成27年)3月14日新潟県告示第303号により発足した、最新の新幹線停車駅に通じる都道府県道路線(県道254号上小沢・上越妙高停車場線は県道254号上小沢・脇野田停車場線から、県道362号後谷・黒田・上越妙高停車場線は県道362号後谷・黒田・脇野田停車場線からそれぞれ改称して発足)。
糸魚川 糸魚川市大町一丁目 213.9 県道154号糸魚川停車場線
富山県
(3駅1路線)
黒部宇奈月温泉 黒部市若栗 253.1 (なし)
富山 富山市明輪町 286.9 県道22号富山停車場線
新高岡 高岡市下黒田 305.8 (なし)
石川県
(1駅3路線)
金沢 金沢市木ノ新保町 345.5 県道13号金沢停車場線
県道146号金沢停車場南線
県道159号金沢停車場北線

総合計

都道府県名 駅数 路線数 備考
主要地方道 一般都道府県道 合計
青森県 3 0 0 0
岩手県 7 2 2 4
宮城県 4 0 2 2
福島県 3 1 1 2
栃木県 3 0 3 3
群馬県 3 1 0 1
埼玉県 3 2 1 3
東京都 3 0 1 1
神奈川県 2 1 0 1
新潟県 7 2 5 7
富山県 3 1 0 1
石川県 1 1 2 3
長野県 5 1 3 4
岐阜県 1 0 1 1
静岡県 6 1 3 4
愛知県 3 0 4 4
滋賀県 1 0 1 1
京都府 1 1 1 2
大阪府 1 0 0 0
兵庫県 4 2 4 6
岡山県 2 2 0 2
広島県 5 0 0 0
山口県 5 1 7 8
福岡県 5 3 4 7
佐賀県 1 0 1 1
熊本県 4 1 2 3
鹿児島県 3 1 2 3
合計 89 24 50 74

 新幹線が通り、なおかつ停車駅がある都道府県は27(1都2府24県)あるが、このうち大阪府と青森県、広島県以外の24都府県(1都1府22県)に新幹線停車駅に通じる都道府県道路線があるということになる。また、新幹線停車駅は89あるが、そのうちの55駅について駅に通じる都道府県道路線があるということになる。中には複数の路線があるところもあり、姫路駅と金沢駅については何と3路線もある(下表参照)。なぜこのようになっているのかは定かではないが、各都道府県の考え方の違いや駅のある市区町村の都市計画に対する考え方の違いが如実に表れているのではないのだろうか(中国地方についてはこの後記述する)。

路線数 駅数 該当駅名
0路線 34 品川・新横浜・新富士・静岡・浜松・名古屋・新大阪・福山・新尾道・三原・東広島・広島・新大牟田・新玉名・新水俣・上野・新白河・白石蔵王・仙台・古川・
水沢江刺・新花巻・いわて沼宮内・八戸・七戸十和田・新青森・本庄早稲田・上毛高原・燕三条・安中榛名・佐久平・飯山・黒部宇奈月温泉・新高岡
1路線 38 東京・小田原・熱海・三島・岐阜羽島・米原・新神戸・西明石・相生・岡山・新倉敷・新岩国・徳山・小倉・新鳥栖・熊本・出水・川内・鹿児島中央・小山・宇都宮・
那須塩原・郡山・福島・一ノ関・北上・盛岡・二戸・熊谷・高崎・越後湯沢・浦佐・長岡・新潟・軽井沢・上田・糸魚川・富山
2路線 15 掛川・豊橋・三河安城・京都・新山口・厚狭・新下関・博多・久留米・筑後船小屋・新八代・大宮・くりこま高原・長野・上越妙高
3路線 2 姫路・金沢

参考資料:現在建設中の新幹線路線の駅に通じる都道府県道路線一覧

※対象にしたのは北海道新幹線の全線(新青森〜札幌間)と北陸新幹線の金沢〜敦賀間、長崎新幹線の武雄温泉〜長崎間。中央新幹線(経路と駅が決定しているのは品川〜名古屋間。品川〜名古屋間は2027年〔平成39年〕開業予定)は今のところ停車駅に通じる都道府県道路線の認定がないため対象から外している。

路線名 都道府県名 駅名 所在地 駅に通じる
都道府県道路線
備考
北海道 北海道 木古内 上磯郡木古内町本町 道道383号木古内停車場線
道道605号中野・木古内停車場線
現在はJR江差線・海峡線の駅として営業中。
2016年(平成28年)3月開業予定。
新函館北斗 北斗市市渡 道道262号渡島大野停車場線
道道1176号新函館北斗停車場・七飯線
現在はJR函館本線渡島大野駅として営業中。
2016年(平成28年)3月開業予定。
渡島大野駅の新函館北斗駅への改称と道道262号渡島大野停車場線の道道262号新函館北斗停車場線への改称は開業と同時に実施されるものと思われる。
倶知安 虻田郡倶知安町
北3条西四丁目
道道271号倶知安停車場線 現在はJR函館本線の駅として営業中。
2031年(平成43年)3月開業予定。
札幌 札幌市北区
北6条西四丁目
道道18号札幌停車場線 現在はJR函館本線の駅として営業中。
2031年(平成43年)3月開業予定。
北陸 石川県 加賀温泉 加賀市作見町 県道292号加賀温泉停車場線 現在はJR北陸本線の駅として営業中。
2023年(平成35年)3月開業予定。
福井県 芦原温泉 あわら市春宮一丁目 県道122号芦原温泉停車場線
県道123号芦原温泉停車場・中川線
現在はJR北陸本線の駅として営業中。
2023年(平成35年)3月開業予定。
福井 福井市中央一丁目 県道11号福井停車場線
県道128号福井停車場・米松線
県道228号福井停車場・勝見線
現在はJR北陸本線の駅として営業中。
2023年(平成35年)3月開業予定。
敦賀 敦賀市鉄輪町一丁目 県道13号敦賀停車場線 現在はJR北陸本線・小浜線の駅として営業中。
2023年(平成35年)3月開業予定。
敦賀駅以南の北陸新幹線の経路は未定。
長崎 佐賀県 嬉野温泉 嬉野市嬉野町下宿 県道349号嬉野温泉停車場線 現在建設中であり「嬉野温泉駅」は仮称。開業時に名称が変わる可能性がある。
「嬉野温泉停車場」という単語が入った県道路線としては県道303号岩屋川内・嬉野温泉停車場線もあるがこの場合の「嬉野温泉停車場」は嬉野市嬉野町下宿にあるバスターミナル(会社により嬉野温泉駅、嬉野温泉バスセンター、嬉野バスセンターと名称が異なる)を指しており、長崎新幹線嬉野温泉駅とは関係はない。
2022年(平成34年)3月開業予定。
長崎県 諫早 諫早市永昌町 県道16号諫早停車場線 現在はJR長崎本線・大村線・島原鉄道の駅として営業中。
2022年(平成34年)3月開業予定。

中国地方の新幹線停車駅

 中国地方には現在新幹線停車駅が12ある。岡山県2駅、広島県5駅、山口県5駅となっている。それぞれの駅について紹介することにしたい。

県名 駅名 所在地 接続する
JR路線
記事
岡山県 岡山 岡山市北区駅元町 山陽本線
宇野線
吉備線
津山線
1972年(昭和47年)3月15日山陽新幹線新大阪〜岡山間開業時に開業。岡山市の代表駅で、全列車が停車する。山陽新幹線新大阪〜岡山間開業を皮切りに交通網の整備が進み、現在では岡山駅から他の中国・四国地方の県庁所在地まで乗り換えなしで行けるようになっている(注6)。まさに中国・四国地方随一の拠点駅と言って良い存在である。記すまでもなく多くの列車が発着するところとなっており、様々な車両が見られるのも魅力の一つである。岡山駅周辺では最近大型商業施設が開業するなど更に都市的魅力を増しているが、岡山県庁(岡山市北区内山下二丁目)や後楽園(岡山市北区後楽園)、表町商店街、岡山城(岡山市北区丸の内二丁目)、岡山シンフォニーホール(岡山市北区表町一丁目)への足となる岡山電気軌道が東口駅前広場に乗り入れていないのが難点と言えよう。
新倉敷 倉敷市玉島爪崎 山陽本線 1975年(昭和50年)3月10日山陽新幹線岡山〜博多間開業時に開業。山陽新幹線岡山〜博多間開業前は玉島駅と称していた。倉敷市は広島市・岡山市に次ぐ中国地方第三の都市であり、代表駅であるJR山陽本線・伯備線倉敷駅(倉敷市阿知一丁目)に新幹線を停めれば良かったのでは…という声もあるが用地買収が難航する恐れがあったことや騒音公害に反対する人が出る恐れがあったこと、そして岡山駅からあまりにも近すぎることから玉島駅に新幹線を停めることになったものと思われる。玉島駅改め新倉敷駅自体倉敷市玉島地区中心部から2kmほど離れたところにあるのだが、これは倉敷市玉島地区中心部に近い場所に線路を敷設すると高梁川を斜めに渡る鉄橋を建設せざるを得なくなり、工費がかさむことや時間がかかることからそのようになったものと思われる。最近新倉敷駅周辺は区画整理が完成し、都市化が進展しているが、やはり倉敷市中心部からかなり離れていることは如何ともし難く、停車する列車は全てが各駅停車となっており、昼間には1時間に1本しか停まらない時間帯すら存在する。
広島県 福山 福山市三之丸町 山陽本線
福塩線
1975年(昭和50年)3月10日山陽新幹線岡山〜博多間開業時に開業。福山市の代表駅で、「のぞみ」号や「さくら」号など多くの列車が停車する。福山駅付近のJR山陽本線は市街地の中を通っており、建設用地捻出が困難だったことから郊外のJR福塩線湯田村駅(福山市神辺町徳田)付近に駅を作るという話もあったようであるが、世界初の二重高架(2階に在来線、3階に新幹線を通す)を建設することによって見事に代表駅停車を実現させた。また、二重高架により山陽新幹線が通る場所が高くなったために山陽新幹線を通る列車の車窓から福山城(福山市丸の内二丁目)がよく見えるようになったという効果もある。最近では本州・四国連絡橋尾道・今治ルートや中国横断自動車道尾道・松江線の整備により広島県北部や愛媛県北部からの利用者も増えているが、一方では20世紀末期から駅前にあった商業施設が次々と廃業に追い込まれており、駅前の活性化が課題になっている。
新尾道 尾道市栗原町 (なし) 山陽新幹線岡山〜博多間開業から13年後の1988年(昭和63年)3月13日に開業した駅。尾道市は広島県南東部では最初に市制施行したところで、無論広島県南東部の中心都市として君臨してきたのだが、山陽新幹線建設に当たっては尾道市中心部に通すと遠回りになることや三原市から近すぎることから駅の設置は見送られた。その後新幹線停車駅設置を求める声が高まり、尾道市中心部からいくらか離れた栗原地区に設置された。新尾道駅は駅舎のすぐ西側を国道184号線が、すぐ東側を広島県道363号栗原・長江線(国道184号線旧道)がそれぞれ通っており、尾道市中心部に出るには便利なところにあるが停車する列車は全てが各駅停車となっていることや昼間には1時間に1本しか停まらない時間帯すら存在すること、尾道市中心部から離れていることなどから利用者はそんなに多くはない。そういう状況をとやかく言う方もいるのだが、新尾道駅の開業を契機に新尾道駅周辺の都市化が進展したことや新尾道駅が広島県立びんご運動公園(尾道市栗原町)や尾道市立大学(尾道市久山田町)の最寄駅になっていることはもっと知られても良いことであろう。
三原 三原市城町一丁目 山陽本線
呉線
1975年(昭和50年)3月10日山陽新幹線岡山〜博多間開業時に開業。三原市の代表駅であるが停車する列車はそのほとんどが各駅停車となっており、昼間には1時間に1本しか停まらない時間帯すら存在する。駅の近くに旅客船の発着場があることからかつては乗り換え客で賑わったが本州・四国連絡橋の整備でその数は少なくなったし、何より駅前再開発で建設された大型商業施設・ペアシティ三原(三原市城町一丁目)が開業から30年も経たないうちに東館は解体され、西館は規模を縮小したのが寂しいところである。三原駅は福山駅と同様に近世城郭の跡に建設された駅として知られるが、福山駅と違って城跡(通称:天主台(注7))には何と三原駅のコンコースから直接入れるようになっている(もっとも三原駅のコンコース以外には入る道はなく、故に深夜・早朝には入れなくなる)。有名なやっさ踊りは三原駅周辺にあった近世城郭、すなわち三原城(三原市城町一丁目・館町一丁目)の完成を祝って領民が踊ったのが始まりと言われ、三原駅周辺は毎年8月第2日曜日とその直前の金曜日・土曜日に開催される三原やっさ祭り(ちなみに今年で40回目となる)の会場の一つになっている。
東広島 東広島市三永一丁目 (なし) 山陽新幹線岡山〜博多間開業から13年後の1988年(昭和63年)3月13日に開業した駅。山陽新幹線岡山〜博多間開業当時三原〜広島間に駅はなく、駅間距離60.2kmは当時の山陽新幹線で最長となっていた(注8)が、国立広島大学(東広島市鏡山一丁目)の統合移転(但し現在でも広島市中区や広島市南区にも広島大学のキャンパスはあり、完全統合移転ではない)などで著しい発展を遂げていた東広島市では新幹線停車駅設置を求める声が高まり、東広島市中心部からかなり離れた下三永地区に設置された。しかし停車する列車はそのほとんどが各駅停車となっており、昼間には1時間に1本しか停まらない時間帯すら存在するため利用は低迷している。ただ、駅のすぐ南側を通る広島県道32号安芸津・下三永線や今月15日に全線開通する東広島・呉自動車道の整備が進んだことにより東広島市はもとより芸南地方にある江田島市・呉市・竹原市からの利用も見込めるところとなっており、一層の充実が求められている。
広島 広島市南区松原町 山陽本線
芸備線
1975年(昭和50年)3月10日山陽新幹線岡山〜博多間開業時に開業。広島市の代表駅で、全列車が停車する。広島駅は岡山駅と違って在来線に一切優等列車が設定されていないが、中国地方最大の都市の代表駅であることもあって中国地方にある西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)が管轄する駅では乗車人員が最も多い駅になっている。最近広島駅及びその周辺は駅自体の改築に加え、プロ野球・広島東洋カープの本拠地の新広島市民球場(愛称:MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島。広島市南区南蟹屋二丁目)への移転、駅周辺の再開発などで装いを新たにしようとしているが、その一方で愛友市場(広島市南区松原町)など昔ながらの雰囲気を残す場所が失われたのが残念なところである。この度のJRグループのダイヤ改正では広島地区に新型電車・227系が導入されることやJR山陽本線と広島高速交通(愛称:アストラムライン)の接続駅となる新白島駅(広島市中区西白島町)が開業することが大きな話題になっているが、大都市にしては単線区間や非電化区間を残すJR路線が多く、その改良が今後は課題になってくるものと思われる。
山口県 新岩国 岩国市御庄 (なし) 1975年(昭和50年)3月10日山陽新幹線岡山〜博多間開業時に開業。岩国市中心部からかなり離れた御庄地区に設置された。国鉄岩日線御庄駅(現:錦川鉄道錦川清流線清流新岩国駅〔岩国市御庄〕)のそばに建設されたのだが、岩日線は島根県境の手前の錦町駅(岩国市錦町広瀬)で行き止まりになっていたことやそこからの延伸計画が進展しなかったこと(注9)などから新岩国駅と御庄駅改め清流新岩国駅の統合は実現しないままになっている(岩日線が西日本旅客鉄道の管轄から離れた現在となっては完全にあり得ない話になったと言える)。岩国市の代表的な観光名所である錦帯橋(岩国市岩国一丁目〜岩国市横山二丁目間)や岩国城跡(岩国市多田・横山二丁目)の最寄駅にはなっているのだが、停車する列車は全てが各駅停車となっていることや昼間には1時間に1本しか停まらない時間帯すら存在すること、岩国市中心部から離れていることなどから利用者はそんなに多くはない。駅周辺は区画整理がなされているのだが、前記の事情もあって住宅街となっている。
徳山 周南市御幸通二丁目 山陽本線 1975年(昭和50年)3月10日山陽新幹線岡山〜博多間開業時に開業。周南市の代表駅で、「のぞみ」号や「さくら」号など多くの列車が停車する。駅のすぐ南側には大分県国東(くにさき)市に通じるフェリーボートの発着場があり、国東半島への玄関にもなり得る駅ではあるが便数が少ない(一日5往復)のが難点と言える。北東に延びる駅前通り(御幸通りと称する。山口県道53号徳山停車場線でもある)は戦災復興の際建設された広い幅員を持つ通りであるが、毎年冬には周南冬のツリーまつりが開催され、イルミネーションを見物する多くの人々で賑わう。現在2018年度(平成30年度)の完成を目指して北口の駅ビルの改築が行われている。
新山口 山口市小郡下郷 山陽本線
宇部線
山口線
1975年(昭和50年)3月10日山陽新幹線岡山〜博多間開業時に開業。開業当時は小郡駅と称していたが、山口県の交通の要衝にあることや「のぞみ」号が停車するようになったこと、そして山口市と吉敷(よしき)郡小郡町(1901〜1944/1949〜2005)との合併問題が浮上したことなどから2003年(平成15年)10月1日に新山口駅に改称した(注10)。新幹線開業時に改称したところは多数存在する(玉島駅→新倉敷駅、長門一ノ宮駅→新下関駅など)が、新幹線開業後に改称したところは小郡駅→新山口駅が現在に至るまで唯一の事例である。山口市中心部や山陰方面に通じ、観光列車「SLやまぐち」号が走るJR山口線が分岐することから「のぞみ」号や「さくら」号など多くの列車が停車するが、山口線は非電化のままであることやJR宇部線とJR山陽本線防府方面及び山口線との直通ができないことが難点と言える。現在駅舎と駅周辺の整備が進められている。
厚狭 山陽小野田市厚狭 山陽本線
美祢線
山陽新幹線岡山〜博多間開業から24年後の1999年(平成11年)3月13日に開業した駅。現時点で山陽新幹線最新の駅である。厚狭(あさ)駅は山陽本線と美祢(みね)線が接続する交通の要衝になっているのだが、山陽新幹線は開業当時厚狭駅を無視したことから当時の厚狭郡山陽町(1956〜2005)が新幹線停車を求め続け、ようやく実現した。国道316号線や国道435号線、山口県道65号山陽・豊田線などの整備により長門市や美祢市、更に下関市(特に北部)からの利用が見込めるところではあるのだが、停車する列車は全てが各駅停車となっていることや昼間には1時間に1本しか停まらない時間帯すら存在することから利用は少ない。また、厚狭駅への新幹線停車に合わせて駅南側の区画整理も実施されたが、小野田市(1940〜2005)と厚狭郡山陽町が統合して発足した山陽小野田市の中心部から離れていることもあって都市化は進展しているとは言い難い。せっかくの交通の要衝に設置された駅であるだけに活性化が望まれるところである。
新下関 下関市秋根南町一丁目 山陽本線 1975年(昭和50年)3月10日山陽新幹線岡山〜博多間開業時に開業。山陽新幹線岡山〜博多間開業前は長門一ノ宮駅と称していた。本州と九州を隔てる関門海峡を海底トンネル(新関門トンネル〔延長:18,713m〕)で通過する関係上下関市の代表駅であるJR山陽本線下関駅(下関市竹崎町四丁目)への新幹線停車駅設置は見送られ、下関市中心部からいくらか離れた勝山地区にある国鉄山陽本線長門一ノ宮駅に新幹線停車駅を作ることになった。新幹線駅は島式ホーム2面4線+通過線2線という、人口20万人台の都市の郊外の駅としては大規模な駅として建設された(注11)が、全ての列車が停車する小倉駅(北九州市小倉北区浅野一丁目)が近いことから停車する列車はそのほとんどが各駅停車となっており、昼間には1時間に1本しか停まらない時間帯すら存在するため施設は若干持て余し気味である。ただ、新下関駅は勝山地区は大規模な区画整理が実施されたことや新幹線開業の少し前に下関市6番目(注12)の大学となる東亜大学(下関市一の宮学園町)が開学したこと、勝山地区を通って下関市中心部と下関市北部を結ぶ山口県道34号下関・長門線が整備されたことにより都市化が進展し、下関市の新たな商業集積地となっている。

中国地方の新幹線停車駅に通じる県道路線あれこれ・岡山県編

概説

 岡山県にある新幹線停車駅は岡山駅と新倉敷駅の二つであり、これは1975年(昭和50年)3月10日に山陽新幹線岡山〜博多間が開業した時から変わっていない。岡山駅・新倉敷駅ともに駅前広場を起点とする県道路線が存在するが、いずれも主要地方道に指定されている。新幹線停車駅の全てに駅前広場を起終点とする都道府県道路線がある都道府県(駅が一つしかないところ(注13)は除く)は他に栃木県と兵庫県、山口県、鹿児島県があるが、駅前広場を起終点とする都道府県道路線全てが主要地方道に指定されているのは岡山県だけである(反対に栃木県は全て一般県道になっている)。

なぜ全ての新幹線停車駅の駅前広場を起終点とする県道路線が主要地方道になったのか

 1954年(昭和29年)1月20日建設省告示第16号で主要地方道に指定された、岡山県内の鉄道駅を起終点とする県道路線は次の通りである。
・岡山停車場線
・笠岡停車場線
・倉敷停車場線
・玉島停車場線
・津山停車場線
 1954年(昭和29年)1月20日時点で岡山県に存在した市は9(岡山・井原・笠岡・倉敷・児島・西大寺・玉島・玉野・津山)であるが、そのうちの5市について代表駅を起点とする県道路線が主要地方道に指定されたというわけである。岡山・笠岡・倉敷・玉島・津山各市の代表駅に共通するのは国鉄路線の駅が代表駅になっていることと代表駅と幹線道路が離れていることである(つまり代表駅を起点とする県道路線が主要地方道に指定されなかった井原・児島・西大寺・玉野各市はそのどちらも満たしていなかったということになる(注14))。1954年(昭和29年)1月20日建設省告示第16号では広島県以外の中国地方各県が駅に通じる県道路線を主要地方道に指定しているのだが、岡山県の5路線は無論最多となる(注15)。岡山県がいかに鉄道を重要な交通路としてとらえていたかがよくうかがえる(注16)
 何度も記すように岡山県内の山陽新幹線の停車駅はどちらも駅前を起点とする主要地方道路線がある岡山駅と新倉敷駅(旧:玉島駅)である。岡山駅は鉄道路線が四方八方に延びていくところにあることから、新倉敷駅は倉敷市の代表駅である倉敷駅への新幹線停車が困難だったことや田園地帯の真ん中にあった玉島駅周辺の活性化が望まれていたこと(新倉敷駅と倉敷市玉島地区中心部の間にあり、山陽新幹線建設とほぼ時を同じくして企図された国道2号線玉島バイパスの存在も無視できないであろう)からそれぞれ設置が決まったものと思われる。山陽新幹線の通過予定地となる岡山県南部にある市町村で人口が多いところ(ここでは10万人以上の都市を指す)は岡山市と倉敷市しかないから順当な結果だったと言えるのではないのだろうか(一方で相生〜岡山間は55.0kmと山陽新幹線では小倉〜博多間〔55.9km〕に次いで駅間距離が長いのが気になるが…)。

実はもう一つあった新幹線停車駅に通じる県道路線

 場合によっては岡山県内の山陽新幹線停車駅に通じる県道路線は3路線となり、一般県道路線が加わることになっていたことはあまり知られていない。というのも新倉敷駅、すなわち昔の玉島駅を起終点とする県道路線にはもう一つ、県道77号美袋(みなぎ)・玉島停車場線(一般県道)というのがあったのである。1960年(昭和35年)3月18日岡山県告示第335号により認定されたこの路線は吉備郡昭和町美袋と国鉄山陽本線玉島駅、現在の地名に直せば総社市美袋とJR山陽新幹線・山陽本線新倉敷駅を結ぶ路線だった。
 「吉備郡昭和町美袋、すなわち現在の総社市美袋にはJR伯備線が通っていて駅(美袋駅)もあるだろう。しかも美袋駅と二級国道180号岡山・松江線(1953〜1965)を結ぶ県道路線(県道193号美袋停車場線)もある。なぜそういうところと山陽本線の駅を結ぶ県道路線が必要なのか」という声もあるかもしれない。私は県道77号美袋・玉島停車場線が認定されたのは次に挙げる事情があったからではないかと考えている。
・県道77号美袋・玉島停車場線は鉄道の駅はあるがそこに優等列車が停車しない吉備郡昭和町(1952〜1972)や鉄道自体が存在しない吉備郡真備町(1952〜2005)と国鉄山陽本線玉島駅を結ぶ目的があったこと。
・県道77号美袋・玉島停車場線は玉島市爪崎で一級国道2号線(1952〜1965)に通じる県道29号玉島停車場線(主要地方道。1960〜1965年〔昭和35〜40年〕当時の名称で記載)や県道223号福江・亀島・爪崎線(1960〜1965)と接続しており、一方で吉備郡昭和町美袋では
二級国道180号岡山・松江線(1953〜1965)と接続しているので結局一級国道2号線と二級国道180号岡山・松江線を倉敷・総社両市の中心部を経由しないで結ぶ目的も持てたこと。
 実は県道77号美袋・玉島停車場線と似た状況の路線が現在も岡山県には存在する。真庭市若代とJR伯備線方谷駅(高梁市中井町西方)を結んでいる県道320号若代・方谷停車場線である。終点間際で合流する県道197号方谷停車場線と合わせると次に挙げる目的を有する路線になるのである。
・真庭市勝山地区と高梁市を結ぶ路線(厳密には真庭市勝山地区西部と高梁市北部を結ぶ路線)。
・県道32号新見・勝山線と国道180号線を結ぶ路線。
 県道320号若代・方谷停車場線は未改良箇所や狭隘箇所、異常気象時通行規制箇所を有する路線であり、決して有用な路線ではないのだが、岡山県の県道路線に対する考え方を垣間見ることのできる例の一つと言える。

県道320号若代・方谷停車場線と県道197号方谷停車場線の路線方向表示

 しかし、県道77号美袋・玉島停車場線は1965年(昭和40年)3月31日岡山県告示第251号で廃止されてしまった(注17)。その時点をもって(まだ新幹線の計画自体存在しない時期のことではあったのだが)岡山県の新幹線停車駅に通じる県道路線は全て主要地方道になったのだが、なぜ県道77号美袋・玉島停車場線はわずか5年で廃止されたのか。私は山陽本線と県道77号美袋・玉島停車場線の立体交差が企図されたことが主たる理由ではないかと考えている。県道77号美袋・玉島停車場線だけで立体交差を企図した場合、対象区間の延長は玉島市爪崎/県道76号金光・船穂(ふなお)・倉敷線交点〜玉島市爪崎/県道223号福江・亀島・爪崎線交点間の約130m(地図サイト「MapionBB」のキョリ測を用いて計測)となり、建設が困難になるのだが、そこに降って湧いた話が県道223号福江・亀島・爪崎線の大部分が主要地方道玉野・玉島線(1965〜1982)に移行するということであった(1964年〔昭和39年〕12月28日建設省告示第3,620号による)。主要地方道玉野・玉島線発足後の県道223号福江・亀島・爪崎線は玉島市上成/一級国道2号線交点〜玉島市爪崎/県道77号美袋・玉島停車場線交点(終点)間だけが残ることになるのだが、もし県道77号美袋・玉島停車場線と県道223号福江・亀島・爪崎線を統合して新たな県道路線を発足させれば立体交差化は十分可能になるし、県道77号美袋・玉島停車場線の認定目的の一つであった一級国道2号線と二級国道180号岡山・松江線を倉敷・総社両市の中心部を経由しないで結ぶ目的を一つの路線で達成できることにもなる。そういうことから県道77号美袋・玉島停車場線と県道223号福江・亀島・爪崎線を廃止して県道80号美袋・玉島線(1965〜1972)を発足させ、県道77号美袋・玉島停車場線のうちの県道80号美袋・玉島線に移行しなかった部分は玉島市(1952〜1967)に移管するということになったのであろう。なお、県道80号美袋・玉島線はその後主要地方道に昇格し、現在は県道54号倉敷・美袋線という名称になって倉敷市玉島地区と総社市昭和地区を倉敷市真備地区を経由して結ぶ幹線道路に成長している(注18)

駅と中心部をまっすぐに結んでいた道

 JR山陽新幹線・山陽本線新倉敷駅は1891年(明治24年)7月14日、山陽鉄道倉敷〜笠岡間開業と同時に当時の浅口郡長尾村爪崎に玉島駅として開業した。なぜ玉島駅が浅口郡玉島村(1889〜1897)ではなく浅口郡長尾村(1889〜1925)に設置されたのかという話になるのだが、私は港町として栄えた浅口郡玉島村の中心部に鉄道を通すことは技術面・費用面で困難だったからではないかと考えている。もし浅口郡玉島村の中心部に鉄道を通そうとした場合、現在の国道429号線(国道2号線旧道)に沿って通すことになるのだが、この場合途中にある高梁川を斜めに渡らざるを得なくなるのである。長い鉄橋を建設するには当然のことながら多額の費用がかかるし、それに山陽鉄道には一日も早く山陽地方を貫通する鉄道を西に延ばしたいという思いがあった(注19)。だから浅口郡玉島村の中心部から北に2kmほど離れた浅口郡長尾村爪崎に駅を設置することになったのだろう。「ならばなぜ長尾駅とか爪崎駅にならなかったのか」という疑問を抱く方もいるかもしれないが、恐らく駅のあるところの地名よりも近隣の知名度のある地名を駅名にしたほうが良いという意見があってそのようにしたのではないのだろうか。こういう例は全国各地にあり、岡山県だけ見てもJR山陽本線鴨方駅(浅口市鴨方町六条院中)やJR伯備線・姫新線新見駅(新見市西方)がある(注20)
 鉄道には敬遠されてしまった浅口郡玉島村であるが、いざ鉄道が開通するとその恩恵にあずかろうという声が高まった。そこで玉島駅と浅口郡玉島村改め浅口郡玉島町(1897〜1951)の中心部をまっすぐに結ぶ道路が企図された。完成した時期ははっきりしないが、どうやら昭和時代初期(1932年〔昭和7年〕頃)らしい(注21)。まだ舗装道路などほとんどない時代のことであるが、地方でも路線バスが走り出していたことや昭和時代初期の日本は不況にあえいでいた頃であり、景気対策や失業対策で公共事業が進められたこと、そして山陽鉄道改め山陽本線の利用者が増加の一途をたどっていたことが建設の動機ではないのだろうか。
 以後数々の変遷(注22)を経ながらも長い間玉島駅→新倉敷駅と浅口郡玉島町→玉島市→倉敷市玉島地区の中心部をまっすぐに結んできたこの道であるが、山陽新幹線が玉島駅に停車することになったことや国道2号線玉島バイパスが企図されたことが大きくこの道の運命を変えることになった。山陽新幹線・山陽本線と国道2号線玉島バイパスに挟まれた地域の区画整理(新倉敷駅南土地区画整理事業)が企図されたのだが、山陽新幹線・山陽本線と国道2号線玉島バイパスが並行して通っていることから区画整理事業の対象区域では山陽新幹線・山陽本線・国道2号線玉島バイパスに垂直に交わるように道路が設定された。その結果、新倉敷駅と倉敷市玉島地区の中心部をまっすぐに結んできた道、すなわち県道41号新倉敷停車場線は起点から500mほどの区間が区画整理により潰され(注23)、国道2号線玉島バイパスの側道と重用する経路に変更された。県道41号新倉敷停車場線の区画整理により潰された区間と国道2号線玉島バイパス側道との重用区間の途中には県道60号倉敷・笠岡線と玉島沖人工島(玉島ハーバーアイランド)を結ぶ市道(産業通りと称する)が区画整理と同時に整備されたが、その市道の存在を県道41号新倉敷停車場線はどのように感じているのだろうか。

なぜ7年半も改称されないでいたのか

 国鉄山陽本線玉島駅が新倉敷駅に改称したのは1975年(昭和50年)3月10日、山陽新幹線岡山〜博多間が開業した時である。しかし県道41号玉島停車場線が県道41号新倉敷停車場線に改称されたのはそれから7年半も経った1982年(昭和57年)9月24日のことであった(1982年〔昭和57年〕9月24日岡山県告示第849号による(注24))。実は上には上がある(それはこの後記述する)のだが、なぜ7年半も改称しないでいたのか。次に挙げることが考えられる。
・山陽新幹線岡山〜博多間開業当時、倉敷市内には県道43号倉敷停車場線(1954〜1979)という主要地方道路線があり、県道41号玉島停車場線を県道41号新倉敷停車場線に改称すると紛らわしくなってしまうから。
・岡山県は1970年代中期に市町村道などを大量に県道路線に認定していたから(注25)
・県道41号玉島停車場線に県道標識があったかどうかは分からないが、倉敷市玉島地区の住民が「玉島」という地名の入った県道路線がなくなることを好ましく感じていなかったから。

県道41号新倉敷停車場線の県道標識(上り線の直線区間にあるもの)

 いずれも説明し切れない面があるためどれが真実なのかは分からないが、やはり何らかの事情があったのは間違いないであろう。そのことは新倉敷駅以外の新幹線の停車する駅で新幹線開業時以降に改称したところにも言える。その状況を記すと下表の通りになる。

※東海道・上越両新幹線には新幹線開業時点以降に改称した駅はない。

※2016年(平成28年)3月開業予定の北海道新幹線(新青森〜新函館北斗間)については駅名は既に決定しているが改称はまだ実施されていないので下表には掲載していない。

路線名 駅名 駅名変更の状況 駅前を起終点とする県道路線の状況
山陽 新倉敷 1975年(昭和50年)3月10日玉島駅から改称。 1982年(昭和57年)9月24日岡山県告示第849号により県道41号玉島停車場線が県道41号新倉敷停車場線に改称。
新山口 2003年(平成15年)10月1日小郡駅から改称。 2003年(平成15年)9月30日山口県告示第489〜490号により2003年(平成15年)10月1日に県道214号小郡停車場線が県道214号新山口停車場線に、県道353号小郡停車場・柳井田線が県道353号新山口停車場・柳井田線にそれぞれ改称(注26)
新下関 1975年(昭和50年)3月10日長門一ノ宮駅から改称。 1994年(平成6年)3月15日山口県告示第211号により県道255号長門一の宮停車場線が県道255号新下関停車場線に改称。
九州 筑後船小屋 2011年(平成23年)3月12日船小屋駅から移転・改称。 県道721号船小屋停車場・水田線と県道724号船小屋停車場線があるが未だに区域変更も路線名称変更も実施していない。
東北 那須塩原 1982年(昭和57年)6月23日東那須野駅から改称。 2008年(平成20年)3月31日栃木県告示第172号により2008年(平成20年)4月1日に県道113号東那須野停車場線が県道113号那須塩原停車場線に改称。
新白河 1982年(昭和57年)6月23日磐城西郷駅から改称。 (なし)
新花巻 1985年(昭和60年)3月14日矢沢駅から移転・改称。 (なし)
いわて沼宮内 2002年(平成14年)12月1日沼宮内駅から改称。 (なし)
北陸 上越妙高 2015年(平成27年)3月14日脇野田駅から改称。 2015年(平成27年)3月14日新潟県告示第303号により県道254号上小沢・脇野田停車場線が県道254号上小沢・上越妙高停車場線に、県道362号後谷・黒田・脇野田停車場線が県道362号後谷・黒田・上越妙高停車場線にそれぞれ改称。

 「駅名を変えたのだからさっさと路線名称も変えれば良いだろう」と思う方がいるかもしれない。しかし、私はこの現実を見てそういうことは軽々しく口にすべきではないと感じるようになった。改称の憂き目に遭った駅名やその駅名に使われていた地名は長年多くの方々に親しまれてきたものであることを考えると「駅名を変えたのだからさっさと路線名称も変えれば良いだろう」という意見は地域住民や利用者の感情を無視した意見でしかないと考えるからである。倉敷市玉島地区の場合を考えるとそれはよく分かるだろう。かつては独立した市だったのに10kmも離れたところに中心部のある倉敷市の一部にさせられただけでなく代表駅の名称も県道路線の名称も倉敷に蹂躙(じゅうりん)されたからである(注27)。同じくかつては独立した市だったのに10kmも離れたところに中心部のある福山市の一部にさせられた福山市松永地区ではそういうことは見られない(注28)のだが、やはり新幹線が停車するところであり、倉敷市の新しい玄関であることが背景にあるのだろうか。

路面電車が走る数少ない県道路線

 岡山県の新幹線停車駅に通じるもう一つの県道路線である県道42号岡山停車場線は新幹線停車駅に通じる県道路線では数少ない路面電車が通っている路線である。新幹線停車駅は全国で89箇所あるが、駅前を路面電車が通っているのは富山・豊橋・岡山・広島・熊本・鹿児島中央のわずか6箇所である。その概要は下表の通りである。

駅名 路面電車の
路線名称
路面電車が通っている県道路線 備考
富山 富山地方鉄道
富山市内軌道線本線
富山県道22号富山停車場線
豊橋 豊橋鉄道東田本線 愛知県道143号豊橋停車場線
愛知県道388号大山・豊橋停車場線
岡山 岡山電気軌道
東山本線
岡山県道42号岡山停車場線
広島 広島電鉄本線 広島県道37号広島・三次線
熊本 熊本市交通局
本線・田崎線
熊本県道28号熊本・高森線
鹿児島中央 鹿児島市交通局
第二期線・唐湊線
鹿児島県道21号鹿児島中央停車場線
鹿児島県道24号鹿児島・東市来線

 岡山駅の場合は県道42号岡山停車場線の上を岡山電気軌道東山本線が走っているのだが、意外にも山陽新幹線の停車駅を起終点とする県道路線で路面電車が走っているのは岡山駅だけなのである。路面電車は自動車交通の邪魔だとされ、ほとんどが廃止されたこと(注29)が大きいのだが、このように考えると岡山駅は貴重な存在だと言える。
 岡山電気軌道は岡山県庁や後楽園、表町商店街、岡山城、岡山シンフォニーホールといった岡山市中心部の主要施設への足として親しまれているが、課題も少なくない。岡山駅東口駅前広場に乗り入れておらず、乗り換えには手間がかかることや路線が短く、例えば岡山市役所(岡山市北区大供一丁目)や岡山大学(岡山市北区津島中一丁目)、岡山県総合グラウンド(岡山市北区いずみ町)などには行けないこと、中心部で路線が完結しており、郊外に延びていないことなどが挙げられる。課題の解消には紆余曲折が予想されるが、果たして今後どのような展開があるのだろうか。

中国地方の新幹線停車駅に通じる県道路線あれこれ・広島県編

概説

 広島県にある新幹線停車駅は福山駅と新尾道駅、三原駅、東広島駅、広島駅の五つである。1975年(昭和50年)3月10日に山陽新幹線岡山〜博多間が開業した時は福山駅・三原駅・広島駅だけだったのだが、1988年(昭和63年)3月13日に新尾道駅と東広島駅が開業して5箇所となった。開業当時からある駅は在来線との接続駅であり、その後開業した駅は新幹線しか停車しない駅という特徴を持つ。
 しかし、新幹線停車駅が多いのに全くないものがある。それは新幹線停車駅を起終点とする都道府県道路線である。前に書いた通り新幹線停車駅を起終点とする都道府県道路線がないのは青森県と大阪府、広島県の1府2県だけであるが、大阪府は新大阪駅しかないことや新大阪駅の真下を国道423号線が通っていること、新大阪駅のある大阪市は横浜市・名古屋市・京都市・神戸市とともに1956年(昭和31年)9月1日に政令指定都市制度が発足した当時からの政令指定都市であり、特別な事情がない限り大阪市内で完結する府道路線を認定する必要がなかったこと
(注30)から、青森県は来春開業予定の北海道新幹線奥津軽いまべつ駅(東津軽郡今別町大川平。現在はJR海峡線津軽今別駅〔東津軽郡今別町大川平〕として営業中)を含めて全ての新幹線停車駅が都市の中心部にはないこと(注31)や八戸駅を除いて昭和時代末期以降に開業したことから新幹線停車駅を起終点とする都道府県道路線が存在しないものと思われるのだが、なぜ広島県には新幹線停車駅を起終点とする都道府県道路線が全く存在しないのか。考えられる理由は次の通りである。
・広島県は主要地方道を広域路線と位置付けているから(そのことはこちらでも触れている)。
・広島県は工業を主力産業とした、財政事情が良好な市町が多いから。
・広島県は人口の多い都市が多いから(人口が10万人以上の都市は中国地方最多の7箇所〔広島・尾道・呉・廿日市・東広島・福山・三原〕もある)。
・広島県は鉄道の整備・拡充に対して消極的な態度をとっているから。
・過去には存在したが都市計画の都合などで廃止され、通過自治体に移管されたから。
 ただ、新幹線停車駅を起終点とする都道府県道路線が全く存在しないからこれで終わりということにはしない。そこでここからは広島県内の新幹線停車駅と県道路線にまつわる話を書いていくことにする。

新幹線開業1年前に廃止された理由

 福山駅南口駅前広場から南に延びていく駅前大通りの序盤部分、すなわち福山市元町/福山駅前交差点〜福山市延広町/福山郵便局前交差点間を区域としていた県道190号福山停車場線(1960〜1974)が廃止され、福山市に移管されたのは1974年(昭和49年)2月19日のことであった(1974年〔昭和49年〕2月19日広島県告示第136号による)。福山駅に停車駅を設置することになった山陽新幹線が開業する1年前の話であり、なぜそういう時期に廃止したのかと思う方がいるかもしれないのだが、その理由は駅前大通りの地下に市営駐車場を建設することであった。
 1960年代以降福山市・深安郡深安町境付近の海岸部への日本鋼管(現:JFEスチール)の大規模な製鉄所の進出や周辺自治体との合併などで著しい発展を遂げていた福山市は都市開発を次々と進めていった。そんな中で福山駅から南に延びる駅前大通りに地下道と地下駐車場を整備することになったのだが、地下道と地下駐車場を整備することになったところは広島県が管理している。広島県が管理している道路の地下に福山市が管理するものがあるのはどうかということになり、県道190号福山停車場線を廃止して福山市に移管することになったというわけである。県道190号福山停車場線が廃止された1974年(昭和49年)といえば福山市中心部の鉄道路線の高架が完成した年であり、福山市が芦品郡芦田町(1955〜1974)を編入して国勢調査上の人口では下関市を抜いて中国地方第4位の人口を有する都市になった年でもある(注32)。都道府県道路線の廃止は残念な話ではあるのだが、ここは福山市の発展の礎(いしずえ)になったと考えるべきなのだろう。なお、地下道と地下駐車場は1980年(昭和55年)春に完成している。

駅前大通りに建設された地下駐車場の入口

県道三原停車場線の意外な経路と廃止された理由

 わずか4年半で廃止された県道59号三原停車場線(一般県道。1960〜1965)がどこを通っていたのか、知っている人はほとんどいない。「三原駅南口駅前広場から南下して一級国道2号線(1952〜1965)に突き当たっていたのでは…」と思う方がいるかもしれないのだが、県道59号三原停車場線が終点で接続していたのは一級国道2号線ではなく二級国道185号呉・三原線(1953〜1965)である。「ならば現在の国道2号線三原旧道(注33)が二級国道185号呉・三原線だったのか…」と思う方がいるかもしれないのだが、県道59号三原停車場線が認定された1960年(昭和35年)10月10日時点で国道2号線三原旧道に相当する道はまだ存在しなかったのである。1960年(昭和35年)10月10日時点の一級国道2号線は三原駅のすぐ北側(三原城跡の堀端の道)を通っており、三原駅南口駅前広場を起点とする県道59号三原停車場線が終点で接続する道路にはなり得なかったのである。その一級国道2号線に終点で接続するのが二級国道185号呉・三原線なのだが、三原駅の西方にある帝人通りを通っていたということで県道59号三原停車場線の終点で接続する道路となったのである。つまり、県道59号三原停車場線はJR山陽新幹線・山陽本線・呉線のすぐ南側を並行して通っていたのである。鉄道路線と直角の関係になる都道府県道○○停車場線がほとんどを占める中で完全に鉄道路線と並行の関係になる都道府県道○○停車場線は珍しく、中国地方では他には島根県道199号西出雲停車場線や広島県道468号河内停車場線があるくらいである。
 県道59号三原停車場線は認定当時の道路事情を考慮しないとその経路が判然としなくなる典型的な例(注34)と言えるのだが、私として分からないのはなぜ県道59号三原停車場線はわずか4年半で廃止されなければならなかったのかということである。二級国道185号呉・三原線の経路変更が大きいように思えるのだが、接続道路を一級国道2号線改め国道2号線か県道25号三原・東城線に変更すれば良いだけの話(注35)であるし、全面的に経路を変更した県道路線もないわけではない(注36)。そんな中で注目したいのはその後三原駅及びその周辺は早い時期に大きく変貌したという事実である。大きく変貌した点は次の三点である。
・山陽新幹線が開業し、三原駅も停車駅になったこと。
・駅前再開発事業が行われたこと。1981年(昭和56年)には再開発事業で建設された大型商業施設(ペアシティ三原)が開業している。
・在来線の高架化が行われたこと。完成したのは平成時代初頭のこと(注37)であるが、中国地方の山陽新幹線停車駅としては福山駅に次いで二番目である(中国地方にある山陽本線の駅としても福山駅に次いで二番目
(注38))。
 更に三原市は帝人(大阪市中央区南本町一丁目)や三菱重工業(東京都港区港南二丁目)の大規模な工場がある工業都市であるし、本州・四国連絡橋が整備されるまでは芸予諸島や四国への航路が多数発着しており、交通の要衝になっていた。このように考えると三原市が
都市計画を推進するに当たって県道59号三原停車場線を三原市に移管させることにしたのが真相ではないかという気がする。現に県道59号三原停車場線だった道(記すまでもないが三原市道)はペアシティ三原の建設や在来線高架化といった変貌の中で大きな変貌を遂げており、致し方ない選択だったのかなと感じたくなる。

国道と県道に挟まれた駅

 駅前を起終点とする県道路線の廃止により新尾道駅の隣の駅となる福山駅と三原駅は国道路線や県道路線から遠い駅になった(注39)が、新尾道駅はすぐそばに国道路線と県道路線がある。しかも駅舎は国道路線、すなわち国道184号線と県道路線、すなわち県道363号栗原・長江線に挟まれており、南側・北側双方にある駅前広場はどちら側に出ることも可能になっている。
 国道184号線も県道363号栗原・長江線も広島県が管理する路線であり、短い距離を隔てて広島県が管理する路線が並行することを疑問に思う方がいるかもしれない。しかし、そうなった契機を記せば納得して頂けるのではないのだろうか。実は元々の国道184号線は現在県道363号栗原・長江線になっている道を通っていた(県道363号栗原・長江線の起点である尾道市栗原町/大池三差路にその名残がある。交差点をよく見ると国道184号線出雲・三次・世羅方面と県道363号栗原・長江線がかつてはまっすぐに接続していた痕跡がある)のだが、尾道市中心部に狭隘箇所があったことから栗原川に沿って南下するバイパスが建設された。しかし、栗原川沿いの道を国道184号線に一本化し、それまでの国道184号線を尾道市に移管した場合、尾道市北部と尾道市中心部を結ぶ重要な道であるのに整備が進まなくなる恐れがあった。そこで旧道を県道363号栗原・長江線にして引き続き広島県が管理することにしたわけである(注40)。県道363号栗原・長江線は国道2号線松永・尾道旧道で終点となるが、そこを直進すると尾道市役所(尾道市久保一丁目)のすぐそばに通じることを考えると旧道になったから尾道市に移管するというわけにはいかなかったのだろう。
 県道363号栗原・長江線が認定されたのは1971年(昭和46年)4月27日のこと(1971年〔昭和46年〕4月27日広島県告示第436号による)だったのだが、その時点では山陽新幹線は尾道市内への停車駅設置は見送ったまま建設されていた。その後、尾道市への新幹線停車を求める声が高まり、尾道市栗原町に新尾道駅を設置することになったのだが、それが国道184号線と県道363号栗原・長江線に挟まれた土地だったというわけである。尾道市内で新幹線停車駅を設置する場合、そこ以外に適当な場所がなかったことからそうなったわけであるが、新幹線停車駅でこういうところは珍しいのではないのだろうか。

主要地方道に取り囲まれた広島駅

 広島駅は三つの主要地方道路線に取り囲まれていることはあまり知られていない。南口駅前広場のすぐ南側を通る県道37号広島・三次線と、北口駅前広場(新幹線口駅前広場)のすぐ北側を通る県道84号東海田・広島線、そして駅のすぐ東側にある荒神踏切でJR山陽本線とJR芸備線を渡る県道70号広島・中島線である(その東側にある荒神陸橋は広島市道であり県道ではない)。記すまでもないが広島駅の近くには県道37号広島・三次線と県道70号広島・中島線との交点(広島市南区猿猴橋〔えんこうばし〕町)と県道37号広島・三次線と県道84号東海田・広島線との交点(広島市南区大須賀町)、県道70号広島・中島線と県道84号東海田・広島線との交点(広島市東区愛宕〔あたご〕町)があり、見事にこの3路線が広島駅を取り囲む格好になっている。広島駅を起終点とする県道路線は広島県の方針などから認定されたことはないのだが、こういう駅は珍しいのではないのだろうか。
 しかし、広島駅を取り囲むこの三つの主要地方道路線は最初から主要地方道だったわけではない。広島県で現行道路法に基づく一般県道路線が認定された1960年(昭和35年)10月10日時点では県道37号広島・三次線は県道27号中島・広島線(1960〜1965)、県道70号広島・中島線は県道28号上深川・広島線(1960〜1982)、県道84号東海田・広島線は県道117号東海田・広島線という一般県道路線であった。もっとも、1960年(昭和35年)10月10日時点では広島市内を通る主要地方道路線は皆無という状況だった(そのことはこちらでも記している)のだが、その後どのように変遷し、主要地方道路線が広島駅を取り囲むようになったのかを下表で示したのでご覧頂きたい。

年月日 記事 備考
1964年(昭和39年)12月28日 建設省告示第3,620号により県道5号高陽・向原線(一般県道)の全区間と県道27号中島・広島線の一部区間をもって主要地方道広島・向原線が発足することが示される。
1965年(昭和40年)3月31日 広島県告示第259号により県道25号広島・向原線が認定される。
広島県告示第260号により県道27号中島・広島線が廃止される。
1972年(昭和47年)11月1日 県道標識(正式名称は都道府県道番号)導入に伴う路線番号再編が実施され、広島駅を取り囲む県道路線は下記の通りに改称される。
・県道25号広島・向原線→県道37号広島・向原線
・県道28号上深川・広島線→県道175号上深川・広島線
・県道117号東海田・広島線→県道273号東海田・広島線
1980年(昭和55年)4月1日 広島市が政令指定都市に移行したことにより広島市内を通る県道路線の管理者が広島県から広島市に移行する。
1982年(昭和57年)4月1日 建設省告示第935号により県道37号広島・向原線の全区間と県道433号下志和地・下小原線の全区間、県道29号竹原・吉田線の一部区間と県道439号上板木・志和地停車場線の一部区間、県道227号志和地停車場線の一部区間をもって主要地方道広島・三次線が発足することが示される。
建設省告示第935号により県道175号上深川・広島線の全区間と県道257号高陽・中島線の全区間、県道37号広島・向原線の一部区間と県道273号東海田・広島線の一部区間をもって主要地方道広島・中島線が発足することが示される。
1982年(昭和57年)12月6日 広島県告示第1,277号により県道37号広島・三次線と県道70号広島・中島線が認定される。
広島県告示第1,278号により県道37号広島・向原線と県道175号上深川・広島線が廃止される。
1993年(平成5年)5月11日 建設省告示第1,270号により県道273号東海田・広島線が主要地方道東海田・広島線に移行することが示される。
1994年(平成6年)4月1日 広島県告示第408号により県道273号東海田・広島線が県道84号東海田・広島線に改称される。

 県道37号広島・三次線と県道70号広島・中島線、そして県道84号東海田・広島線の性格や目的はそれぞれ異なるし、広島駅とどこかを結ぶ目的で認定されたわけではない。また、広島駅とどこかを結ぶ目的で認定されたわけではない以上広島駅から離れたところを通るようになることも考えられない話ではない。しかし、広島駅の周りに主要地方道路線が集中していることや広島駅の南口駅前広場と北口駅前広場のすぐそばを主要地方道路線が通っていることは何を意味するのだろうか。私は広島県や広島市が広島駅を重要な交通拠点と考えている証拠ではないかと考えている。広島駅を発着する在来線の特急列車は存在しない(注41)が、山陽新幹線の重要な駅の一つであり、そして中国地方にある西日本旅客鉄道が管轄する駅では乗車人員が最も多い駅でもある。その駅を軽んじることはいくら広島県が鉄道駅を起終点とする県道路線を主要地方道に指定しない方針を採ったとしても、広島駅を起終点とする県道路線を認定しなかったとしてもできないのではないか。恐らく広島県や広島市には「大は小を兼ねる」という発想(広島駅のそばに主要地方道を通すことで広島駅と主要な場所を結ぶ路線という性格を付加させることを指す)があったのだろう。
 広島駅を三つの主要地方道路線が取り囲むようになって20年以上が経過した。この間駅周辺の再開発が行われ、更に駅自体の改築も行われている。広島駅を三つの主要地方道路線が取り囲むようになったことが起爆剤になったわけではないのだろうが果たして今後どのようになっていくのだろうか。

駅前広場のすぐそばを通る主要地方道路線の前身

 東広島駅は南側にしか駅前広場がないが、その駅前広場のすぐ南側を県道32号安芸津・下三永線が通っている。県道32号安芸津・下三永線は記すまでもなく東広島駅を起終点とする県道路線ではないのだが、終点で国道2号線と接続しており、「大は小を兼ねる」という発想があることを感じさせる。
 さて、この県道32号安芸津・下三永線は1976年(昭和51年)4月1日建設省告示第694号で初めて主要地方道に指定された路線なのだが、その前身は県道207号安芸津停車場線と県道329号下三永・安芸津停車場線(1960〜1976)であった。県道207号安芸津停車場線のうちの東広島市安芸津町三津/安芸津公民館前交差点以南の部分と県道329号下三永・安芸津停車場線のうちの東広島市安芸津町三津/安芸津公民館前交差点以北の部分を合わせて主要地方道安芸津・下三永線に再編したということになるのだが、主要地方道路線の前身が全て鉄道の駅を起終点とする都道府県道路線だったというのは珍しいのではないのだろうか。
 さて、県道207号安芸津停車場線はともかく、県道329号下三永・安芸津停車場線は東広島市安芸津地区と東広島市西条地区の境となる蚊無峠を中心に未改良の箇所が多く、東広島市安芸津地区と東広島市西条地区を結ぶ幹線道路としては有用ではなかった。県道32号安芸津・下三永線になってからもその状況は続いたのだが、東広島市が学園都市や内陸工業都市、そして広島市のベッドタウンとして発展したことや山陽自動車道が開通したこと、新幹線停車駅が設置されたことを契機に改良が進められ、現在では東広島市安芸津地区と東広島市西条地区を結ぶ幹線道路に成長している。更に東広島市安芸津地区、すなわちかつての豊田郡安芸津町(1943〜2005(注42))が東広島市との結び付きを強め、いわゆる平成の大合併で東広島市に編入される契機にもなっている。

中国地方の新幹線停車駅に通じる県道路線あれこれ・山口県編

概説

 山口県にある新幹線停車駅は新岩国駅と徳山駅、新山口駅、厚狭駅、新下関駅の五つである。1975年(昭和50年)3月10日に山陽新幹線岡山〜博多間が開業した時は新岩国駅・徳山駅・小郡駅・新下関駅の四つだったのだが、1999年(平成11年)3月13日に厚狭駅が加わり、5箇所となった。また、2003年(平成15年)10月1日には小郡駅が新山口駅に改称している。
 山口県は新幹線停車駅の全てに駅前広場を起終点とする都道府県道路線がある都道府県の一つであるが、その路線数は8路線と最多である。その理由は次の通りである。
・新岩国駅を除く山口県にある新幹線停車駅は山陽本線の駅でもあること。
・新岩国駅を除く山口県にある新幹線停車駅はいずれも複数の出口とそれに付随する駅前広場を持っており、中には両方の駅前広場を起終点とする県道路線があるところもあること。
・山口県が区画整理の支援の見返りとして認定したと考えられる県道路線がいくつもあること。
 その一方で主要地方道に指定されている新幹線停車駅に通じる県道路線は徳山駅北口駅前広場を起点とする県道53号徳山停車場線だけである。理由としては都市の代表駅が新幹線停車駅になっているのは徳山駅しかないことや線形上の問題から郊外に駅を造らざるを得なくなったところ(新岩国駅・新下関駅)があること、いわゆる平成の大合併まで市ではないところに停車駅を設けていたところ(小郡駅→新山口駅・厚狭駅)があることが挙げられる。元々山口県の県道○○停車場線の主要地方道指定には偏り(山口県東部の山陽本線にある都市の代表駅を起終点とする路線しか指定していないことを指す)があったのだが、せめて山口県の交通の要衝となっている新山口駅を起終点とする路線ぐらいは主要地方道に指定しても良かったと思うのは私だけだろうか(国道・主要地方道再編が20年以上途絶え、県道208号新山口停車場線〔2003〜2008〕が路線延伸・改称を理由に廃止された今となってはもう無理な話になってしまったが…)。

中国地方唯一の存在

 1960年代以降に開業した鉄道路線にある駅や1960年代以降に開業した鉄道駅を起終点とする都道府県道路線は自動車交通の割合が高まったことや鉄道の利用者が減少し、中には廃止に追い込まれるところが出たことなどからあまり存在しない。そんな中でも新幹線停車駅について見ると設置が決まったことを契機に都道府県道路線に認定されるところがいくつか存在する。そういう都道府県道路線の一覧表は下の通りになる。

新幹線
路線名
駅名 開業年月日 都道府県道路線名 備考
東海道 三河安城 1988年(昭和63年)3月13日 愛知県道509号新幹線三河安城停車場線
愛知県道510号三河安城停車場線
在来線(JR東海道本線)接続駅。
岐阜羽島 1964年(昭和39年)10月1日 岐阜県道206号岐阜羽島停車場線 東海道新幹線開業時点から存在。
山陽 新神戸 1972年(昭和47年)3月15日 兵庫県道30号新神戸停車場線 山陽新幹線開業時点から存在。
新岩国 1975年(昭和50年)3月10日 山口県道114号新岩国停車場線 山陽新幹線開業時点から存在。
九州/
長崎
新鳥栖 2011年(平成23年)3月12日 佐賀県道348号新鳥栖停車場線 九州新幹線開業時点から存在(長崎新幹線は現在建設中)。
在来線(JR長崎本線)接続駅。
九州 新八代 2004年(平成16年)3月13日 熊本県道345号西片・新八代停車場線
熊本県道346号新八代停車場線
九州新幹線開業時点から存在。
在来線(JR鹿児島本線)接続駅。
東北 くりこま高原 1990年(平成2年)3月10日 宮城県道250号くりこま高原停車場線
宮城県道268号くりこま高原停車場・伊豆沼線
長崎 嬉野温泉 (建設中) 佐賀県道349号嬉野温泉停車場線 駅名は仮称。無論県道路線名称も仮称。

 建設中の長崎新幹線嬉野温泉駅を含めてわずか8駅11路線しか存在しないのだが、上表をご覧頂ければうかがえる通り新岩国駅を起点とする県道114号新岩国停車場線は中国地方で唯一新幹線駅設置が決まったことを契機に認定された県道路線である。認定されたのは1972年(昭和47年)4月1日のこと(1972年〔昭和47年〕4月1日山口県告示第262号による)だから山口県内で山陽新幹線の建設が行われていた頃のことになる。
 ところで、県道114号新岩国停車場線は新岩国駅の近くを通る国道2号線や県道1号岩国・大竹線に合流して終わりになる路線ではなく、錦川右岸に沿って岩国市岩国一丁目の県道112号藤生(ふじゅう)停車場・錦帯橋線との交点まで延びる路線になっている。駅付近の区画整理事業への支援の見返りで認定される短距離路線が多い中で異例の長さ(実延長は約5km。県道1号岩国・大竹線との重用区間〔約0.2km〕を含んだ総延長は約5.2kmとなる)を持つ路線になっているのだが、なぜこのようになったのか。私は国道2号線のバイパスとしての機能を持たせたかったことと錦川右岸地域への幹線道路の建設の必要性があったことがあったからではないかと考えている。
 もし県道114号新岩国停車場線がなかった場合、新岩国駅と岩国市中心部、更に岩国市随一の観光名所である錦帯橋(岩国市岩国一丁目〜岩国市横山二丁目間)や岩国城跡(岩国市多田及び横山二・三丁目)を自動車で往来するには国道2号線しか選択肢がないことになる。しかし、1970年代初頭のその辺りの国道2号線には次に挙げるような問題があった。
・まだ欽明路有料道路がなかった(欽明路有料道路は1972年〔昭和47年〕4月1日開通)ので徳山方面からの自動車は国道2号線を通って岩国市や広島市に行くしかなかった。
・国道2号線は岩国市杭名で国道187号線と合流するため徳山方面から来た自動車と益田方面から来た自動車が一緒になって東進することになり、交通量が多かった。
・錦川の左岸に沿っている上に山が川のすぐそばまで迫っているため災害に弱かった(その辺りの国道2号線は現在異常気象時通行規制区間に指定されている)。
・新岩国駅から錦帯橋や岩国城跡に行こうとした場合岩国トンネルの手前で右折し、県道112号藤生停車場・錦帯橋線に入らなければならないが右折が困難だった。
 そういう事情から錦川右岸を通る道路を県道に認定し、整備することを企図したのではないのだろうか。実は新岩国駅〜錦帯橋間の直線距離は3kmもなく、トンネルを掘れば良かったのでは…という意見もあるのだが、そのようにせず、錦川右岸に沿って経路を設定したのは錦帯橋周辺の環境・景観を破壊したくなかったことや巨額の費用がかかること、あくまでも錦川右岸を通る道路として整備することが目的であり、新岩国駅と錦帯橋・岩国城跡を短絡することが目的ではなかったことが考えられる。
 なお、県道114号新岩国停車場線は実延長は5kmほどである(総延長は約5.2km)が、実は山口県で最長の県道○○停車場線ではない。山口県で最長の県道○○停車場線はJR山陽本線・宇部線宇部駅(宇部市西宇部南四丁目)と国道2号線(国道9号線重用)を結ぶ県道215号宇部停車場線(実延長・総延長とも約5.7km)である。1993年(平成5年)5月11日建設省告示第1,270号により一部区間が主要地方道に移行することになった県道215号宇部・美祢線のうちの主要地方道に移行しなかった部分がほとんどを占める路線である(注43)が、なぜこのようになったのか、はっきりしたことは分からない。

大正時代から生き続ける県道路線

 徳山駅と周南市桜馬場通二丁目を結ぶ県道53号徳山停車場線は1920年(大正9年)4月1日山口県告示第141号により認定された路線である。つまり、今年4月1日には認定95周年を、そして2020年(平成32年)4月1日には認定100周年をそれぞれ迎えることになるわけである。山口県で1920年(大正9年)4月1日山口県告示第141号により認定され、今も残っている県道路線は他にJR山陽本線・岩徳線岩国駅(岩国市麻里布町一丁目)と国道2号線(国道187号線重用)を結ぶ県道50号岩国停車場線しかないことを思うと貴重な存在だと言える(注44)
 貴重な存在といえば県道53号徳山停車場線には次のような話もある。
・主要地方道第一世代同士の交わる場所があること。それは周南市桜馬場通一丁目/桜馬場交差点で、そこで県道52号徳山港線と交差する。山口県では他にはこういう場所はないし、中国地方全体を見ても他には倉吉市八屋/竹田橋東詰交差点(鳥取県道21号鳥取・鹿野・倉吉線と鳥取県道22号倉吉・青谷線が交差)と笠岡市笠岡/笠岡跨線橋北詰交差点(交差点名標なし。岡山県道34号笠岡・井原線と岡山県道44号笠岡停車場線が交差する場所だが岡山県道44号笠岡停車場線には一切路線識別手段がないため道路地図を見ない限り分からない)の2箇所しかない。
・主要地方道第一世代同士の重用箇所があること。周南市桜馬場通一丁目/桜馬場交差点で県道52号徳山港線に合流した後県道53号徳山停車場線は周南市桜馬場通二丁目/二番町交差点まで県道52号徳山港線と重用する(注45)。県道52号徳山港線は周南市桜馬場通二丁目/二番町交差点で左折した後北上し、周南市岐南町/三田川交差点で終点となるのだが、なぜ県道53号徳山停車場線は周南市桜馬場通二丁目/二番町交差点で終点になっているのか、詳しい理由は分からない。
・中国地方では唯一大正時代生まれの県道路線の交差箇所と重用箇所があること。というのも県道52号徳山港線は1923年(大正12年)4月16日山口県告示第276号により1923年(大正12年)4月1日付で認定された路線だからである(注46)
 認定から一世紀近くになる県道53号徳山停車場線は記すまでもなく都濃郡徳山町(1900〜1935)→徳山市(1935〜2003)→周南市の激動の歴史を見てきた県道路線でもある。無生物だから思いを語ることはないが、その激動の歴史をどのように感じているのだろうか。できることなら聞いてみたいものである。

5年後には全く違う姿になった県道路線

 新山口駅、すなわちかつての小郡駅を起終点とする県道路線は二つあった。北口(在来線口)の駅前広場を起点とする県道214号小郡停車場線(1958〜2003)と、南口(新幹線口)の駅前広場を起点とする県道353号小郡停車場・柳井田線(1983〜2003)である。県道214号小郡停車場線は1958年(昭和33年)10月1日山口県告示第644号の2により、県道353号小郡停車場・柳井田線は1983年(昭和58年)3月18日山口県告示第270号によりそれぞれ認定された路線であった。
 小郡駅を起終点とする県道路線、すなわち県道214号小郡停車場線と県道353号小郡停車場・柳井田線に異動が生じることになったのは2003年(平成15年)10月1日のことである。小郡駅が新山口駅に改称されることになったことを受けて2003年(平成15年)9月30日山口県告示第489号により2003年(平成15年)10月1日から県道214号小郡停車場線を県道214号新山口停車場線に、2003年(平成15年)9月30日山口県告示第490号により県道353号小郡停車場・柳井田線を県道353号新山口停車場・柳井田線にそれぞれ改称したのである。小郡駅の新山口駅への改称も、それと同時に実施した小郡駅改め新山口駅を起終点とする県道路線の改称も抵抗感を持って受け止められることであるが、小郡駅が山口県随一の交通の要衝であることや山口市の事実上の玄関になっていること、そして当時山口市と周辺自治体との合併論議が起きていたことを考えれば致し方ないことだったのだろう。なお、新幹線開業後に新幹線停車駅の名称が変わったのは現在のところ小郡駅→新山口駅だけである。
 小郡駅の新山口駅への改称から既に10年以上経っているのだが、実は県道214号新山口停車場線も県道353号新山口停車場・柳井田線も今はもうない。というのも、県道353号新山口停車場・柳井田線は2006年(平成18年)1月13日山口県告示第24号で県道353号新山口停車場・上郷線に改称し、県道214号新山口停車場線は2008年(平成20年)2月8日山口県告示第48〜49号で県道214号新山口停車場・長谷線に発展的解消を遂げたからである
(注47)。なぜこのようになったのかというと山口県随一の交通の要衝たる新山口駅と広域幹線道路の連携を考慮したからではないかと考えられる。というのも、県道214号新山口停車場・長谷線は終点で山口・宇部道路(県道6号山口・宇部線)と、県道353号新山口停車場・上郷線は終点で県道28号小郡・三隅線とそれぞれ接続するようになっているからである。
 
山口・宇部道路(県道6号山口・宇部線)は山口市中心部と山口宇部空港(宇部市沖宇部)を結ぶ幹線道路であり、県道28号小郡・三隅線は山口市小郡地区と長門市三隅地区を結ぶ幹線道路である。どちらも主要地方道ではあるのだが、これらの道を通って行ける山口県(中部・北部・北西部)の主たる場所は多数あり、山口県が積極的に整備に乗り出している。今は鉄道を利用するとは限らないが、新山口駅と広域幹線道路を結ぶ県道路線が整備されることで路線バス(高速バスを含む)や観光バスが楽に走れるようになり、地域振興に役に立つようになるというのが山口県の考え方であり、(批判が来る恐れはあるのだが)それ故わずか数年で認定変更を行うことにしたのだろう。県道214号新山口停車場・長谷線と県道353号新山口停車場・上郷線が有用な路線になるように現在道路整備(注48)が進められているが、完成すると新山口駅の拠点性は更に向上するものと思われる。

鉄道駅と高規格道路のインターチェンジを結ぶ県道路線

 2008年(平成20年)2月8日山口県告示第48号で認定された県道214号新山口停車場・長谷線は2014年(平成26年)12月19日山口県告示第416号で国道9号線以東の経路が変更され、新山口駅北口(在来線口)駅前広場と山口・宇部道路(県道6号山口・宇部線)長谷インターチェンジ(山口市嘉川)をまっすぐに結ぶ経路になった。今のところ国道9号線以東の整備は進んでいないのだが、整備が完成すると鉄道駅と高規格道路のインターチェンジをまっすぐ結ぶ稀有な県道路線になる(注49)
 「ならば県道214号新山口停車場・長谷インター線とすれば良かったのではないか」という声も出てきそうなところであるが、なぜか山口県はそうしなかった。そもそも山口県は未だに都道府県道○○インター線を認定したことがない数少ない都道府県
(注50)なのだが、やはり鉄道にとってみれば道路は商売敵であり、「○○停車場・××インター線」という路線名称は容認できないという思いがあるのだろう。まあ明らかに鉄道駅を起終点とする都道府県道路線なのに路線名称ではそのことが無視されているものもいくつかあること(注51)を思えばこれも容認できることなのだろう。

本当の起点は…

 山口県の新幹線停車駅には駅前広場を起終点とする県道路線を複数有するところがある。新山口駅と厚狭駅、新下関駅の三つであるが、このうち新山口駅と新下関駅については事実上の起点が駅前広場にはない路線が存在する。新山口駅のそれは県道353号新山口停車場・上郷線、新下関駅のそれは県道259号新下関停車場・垢田線である。県道353号新山口停車場・上郷線は起点(新山口駅南口〔新幹線口〕駅前広場)から山口市小郡下郷まで県道212号山口・阿知須・宇部線と、県道259号新下関停車場・垢田線は起点(新下関駅東口駅前広場)から下関市秋根南町一丁目まで県道255号新下関停車場線とそれぞれ重用しているために事実上の起点が駅前広場にはないのである。
 事実上の起点が駅前広場ではなくなった要因は同じではない。県道259号新下関停車場・垢田線は2002年(平成14年)3月1日山口県告示第95号で認定された時から県道255号新下関停車場線との重用関係を持っているのに対し、県道353号新山口停車場・上郷線は前身の県道353号小郡停車場・柳井田線が認定された1983年(昭和58年)3月18日時点ではどの国道路線または県道路線とも重用関係を持っていなかった。しかし、1991年(平成3年)に県道山口・阿知須・宇部線が認定され、県道353号小郡停車場・柳井田線と山口市小郡下郷〜山口市小郡高砂町間で重用関係を持つようになったことで話は変わってきた。県道山口・阿知須・宇部線の認定当時の路線番号は365であり、記すまでもなく県道353号小郡停車場・柳井田線に優先権があったのだが、1994年(平成6年)に県道山口・阿知須・宇部線の路線番号が212に変更されたことで優先権が県道山口・阿知須・宇部線に移り、故に県道353号小郡停車場・柳井田線は事実上の起点を駅前広場に置かなくなってしまったのである。なぜ県道山口・阿知須・宇部線の路線番号を変更したのかは分からないが、1982年(昭和57年)の主要地方道再編で事実上山口市小郡下郷〜山口市陶間だけになった県道212号下郷・山口線(1958〜1994)の発展的解消を考えていたことや県道山口・阿知須・宇部線を山口市と宇部市を結ぶ新たな幹線道路として整備しようとしたことが背景にあったのではないかと思われる。その後県道353号小郡停車場・柳井田線は県道353号新山口停車場・柳井田線→県道353号新山口停車場・上郷線と変遷し、県道28号小郡・三隅線との連続化が企図されるようになったが、山口県の広域幹線道路を積極的に整備しようという思惑が垣間見える話だと思うのは私だけであろうか。

二つの駅前広場双方を起終点とする県道路線がある理由

 山口県内の新幹線停車駅のうち新山口駅と厚狭駅には南口駅前広場・北口駅前広場双方を起終点とする県道路線がある(下表参照)。こういうところは中国地方ではこの2箇所だけである。

駅名 出口名 駅前広場を起終点とする
県道路線名称
備考
新山口 北口
(在来線口)
県道214号新山口停車場・長谷線 県道214号小郡停車場線(1958〜2003)→県道214号新山口停車場線(2003〜2008)→県道214号新山口停車場・長谷線と変遷。
南口
(新幹線口)
県道353号新山口停車場・上郷線 県道353号小郡停車場・柳井田線(1983〜2003)→県道353号新山口停車場・柳井田線(1983〜2003)→県道353号新山口停車場・上郷線と変遷。
厚狭 北口
(在来線口)
県道228号厚狭停車場線
南口
(新幹線口)
県道227号厚狭停車場・郡線

 元々新山口駅・厚狭駅とも山陽新幹線が開業する前は北側にしか出入口や駅前広場がなく、故に北口駅前広場を起終点とする県道路線しか存在しなかった。無論、駅の南側は都市化されておらず、田園地帯になっていた。
 ところが、駅のすぐ南側を通る山陽新幹線の停車駅が併設されることになると出入口や駅前広場だけでなく南口周辺地域の整備が必要になってくる。しかし、新山口駅がある吉敷(よしき)郡小郡町(1901〜1944/1949〜2005)にしても、厚狭駅がある厚狭郡山陽町(1956〜2005)にしても人口は2万人程度しかないし財政事情が潤沢というわけでもない(注52)。そこでこれらの自治体は山口県の支援を仰ぐことにし、山口県はその見返りとして南口駅前広場を起終点とする県道路線を認定したのではないのだろうか。

駅名が変わっても、出入口がなくなっても…

 新下関駅東口駅前広場を起点とする県道255号新下関停車場線は山陽新幹線が開業してから19年も経った1994年(平成6年)春になってようやく県道255号長門一の宮停車場線(1958〜1994)から改称して発足した県道路線である(1994年〔平成6年〕3月15日山口県告示第211号による)。まあ山口県にはこういう県道路線が他にもあり、決して珍しい話ではない(注53)のだが、更に驚くべきことは出入口がなくなってからも長らく区域変更がなされなかったことであった。
 山陽新幹線開業前の新下関駅、すなわちかつての長門一ノ宮駅の駅舎(出入口)は下関市一の宮町一丁目の山陽新幹線と山陽本線が交差する場所の南西側にあった。よって、県道255号長門一の宮停車場線は山陽本線の南側を並行する格好で県道244号下関・菊川線(1958〜1976。現在は県道34号下関・長門線になっている)に出る経路をとっていた。しかし、山陽新幹線が開業した時をもって下関市一の宮町一丁目の山陽新幹線と山陽本線が交差する場所の南西側にあった出入口は廃止されてしまったのである。主たる出入口が下関市秋根南町一丁目の山陽新幹線と山陽本線が交差する場所の北東側に移ったことや下関市一の宮町二丁目の山陽新幹線と山陽本線が交差する場所の南東側に南口を新設したことが理由なのだが、県道255号長門一の宮停車場線の路線名称変更も区域変更もなぜか長らく見送られ、県道255号長門一の宮停車場線は駅のないところを起点とする珍しい県道路線になったのである。山陽本線の南側を並行する道は下関市勝山地区と国道191号線、長州出島(垢田沖人工島)を結ぶ幹線道路として整備が進められ、交通量も多いのだが、長門一ノ宮駅が新下関駅に改称されても、主たる出入口が移転しても、起点になる場所にあった駅舎(出入口)がなくなってもなお残り続ける県道255号長門一の宮停車場線の県道標識を見た人は多かっただろうし、当然のことながらなぜ放置しているのだろうかと思った方も多かったのではないのだろうか(中島さんもその一人だったという)。
 結局1994年(平成6年)春にこの状況は解消されたのだが、(中国地方の話ではないが)新幹線停車駅を起終点とする都道府県道路線の中には今でもかつての県道255号長門一の宮停車場線と同じような境遇に置かれているものがある。かつてのJR鹿児島本線船小屋駅を起点とする県道路線(福岡県道721号船小屋停車場・水田線と福岡県道724号船小屋停車場線)である。船小屋駅は九州新幹線博多〜新八代間開業時に500mほど熊本寄りに移転し、筑後船小屋駅に改称したのだが、今なお福岡県道721号船小屋停車場・水田線と福岡県道724号船小屋停車場線は路線名称も区域もそのままなのだという。福岡県道721号船小屋停車場・水田線と福岡県道724号船小屋停車場線に県道標識があるかどうかは分からないが、それらの県道路線を通る方はどのような思いを抱いているのだろうか。

終わりに

 新幹線の列車で移動する方のほとんどは新幹線のそばを通る道路について関心を示さないことであろう。ましてや新幹線停車駅の駅前広場からどこかへ延びる道が国道なのか都道府県道なのか市区町村道なのか考える人は全くと言って良いほどいないことであろう。しかし、新幹線停車駅89箇所中55箇所に駅前広場を起終点とする都道府県道路線があるという事実は新幹線停車駅と都道府県道路線は決して無関係ではないことを示している。
 それだけで話を終わらせては「だから何?」とか「鉄道駅の駅前広場を起終点とする都道府県道路線は全国各地にある。別段珍しいことではなかろう」と思う方が少なくないと思うのだが、今作を執筆するに当たって考えたことは道には歴史とプライド(矜持〔きょうじ〕とか自尊心、誇りとも言い換えられる)、意味、逸話があるということを示したかったということである。自分の文章力や知識では追い切れなかったことも多々あるし、もしかしたら間違ったことを書いているかもしれないのだが、駅前広場から延びる道にはいろいろなものが込められていることを知って頂ければ幸いだと感じているところである。

(注釈コーナー)

注1:全都道府県の都道府県道路線一覧表を公開したサイトとしては「国道901号」があったが、現在は公開を取りやめている。

注2:北海道については北海道道に詳しいサイト「道道資料北海道」で管理人のおくとんさんが触れている通り北海道公式サイトで閲覧できる「北海道公報」では道道路線の認定・改称・廃止に関する告示は掲載していないため「道道資料北海道」を閲覧することで情報をつかんでいるところである。
※都道府県道公報における都道府県道路線の異動告示で私がどうかと思っていることは次の通りである(北海道以外)。

都道府県名 問題点
福島県
栃木県
群馬県
神奈川県
山梨県
大阪府
異動告示で路線番号ではない番号(整理番号)を記すことが多い。
石川県
山口県
異動告示で路線番号を記さない。

注3:都道府県により定期公報の発行時期(公報の販売を取りやめ、公式サイトで公開しているところは公開時期)が異なるためである。現在の都道府県定期公報の発行曜日(公報の販売を取りやめ、公式サイトで公開しているところは公開曜日)は下表の通りになっている。

発行曜日 該当都道府県名 備考
月曜日
火曜日
水曜日
木曜日
金曜日
東京都
大阪府
徳島県
徳島県については発行しない場合がある。
月曜日
水曜日
金曜日
青森県
富山県
滋賀県
月曜日
木曜日
茨城県
山梨県
長野県
広島県
宮崎県
火曜日
金曜日
上記に記載の
ない道府県
栃木県公報については栃木県公式サイトで閲覧できるようになるのは火曜日発行分が水曜日、金曜日発行分が土曜日になっている。

注4:浜松市が政令指定都市に移行したのは2007年(平成19年)4月1日のことである。

注5:長野県道162号上田停車場線の実延長は広島県道204号安登停車場線の総延長(10m)より短い7mなのだが、実は長野県道162号上田停車場線は長野県道77号長野・上田線と重用している区間(上田市中央一丁目で完結)があるため総延長基準では日本で最も短い都道府県道路線ではない(総延長基準による日本で最も短い都道府県道路線はやはり広島県道204号安登停車場線になる)。更に実延長基準で見ると0mという路線は多数存在するので長野県道162号上田停車場線が日本で最も短い都道府県道路線だと言い切ることにも疑問が生じるし、廃止(福山市への移管)を前提に区域が大幅に削られ、末期には起点からわずか5mだけの路線になった広島県道192号松永停車場線(1960〜2005)のような例もある。この点が全く顧みられていないのが残念なところである。
※実延長0mの都道府県道路線のうち、他路線との重用によりそのようになったものは下表の通りである(他にもあるかもしれないが、私が把握しているのは下表に掲げた路線だけである。なお、区域未決定または未開通による実延長0mの都道府県道路線は多数存在すること〔鳥取県道307号覚寺・青葉線や広島県道302号橋山・下山線など〕や実延長がないことなどを理由に都道府県道としての認定解除〔廃止〕を求める考えは一切ないことを付記しておく)。

路線名称 実延長が0mになった理由
静岡県道104号来の宮停車場線 静岡県道11号熱海・函南線と重用しているため。
岡山県道209号勝間田停車場線 岡山県道67号勝央・勝北線と重用しているため。
山口県道205号山口停車場線 山口県道194号山口・秋穂線と重用しているため。
愛媛県道33号宇和島停車場線 国道320号線と重用しているため。
福岡県道510号博多停車場・東本町線 国道202号線及び福岡県道43号博多停車場線と重用しているため。
福岡県道559号原・東警固線 国道202号線と重用しているため。

岡山県勝田郡勝央町勝間田/勝間田交差点にある案内標識。勝間田駅方面の矢印に修正痕が見えるがかつてはそこに「209」と記されていた。
勝間田駅方面にはJR姫新線勝間田駅(岡山県勝田郡勝央町勝間田)の駅前広場しかないので県道ではないのではないかという指摘があり、修正がなされたという。
また、新野東方面は記載がないが岡山県道67号勝央・勝北線に岡山県道209号勝間田停車場線が重用している(重用距離は132m)。

注6:岡山市以外の中国・四国地方の県庁所在地のうち鳥取市・松江市・広島市・徳島市・高松市・松山市・高知市については代表駅まで乗り換えせずに行けるが、山口市だけは代表駅であるJR山口線山口駅(山口市惣太夫町)には乗り換えなしでは行けない。それでも山口市内にある新山口駅までは乗り換えせずに行けるため「岡山駅から他の中国・四国地方の県庁所在地まで乗り換えなしで行けるようになっている」と記している。

注7:「天主台」と書いたが、実は三原城には天守は遂に建てられなかった。「天主台」自体規模があまりにも大きく、もし天守を建てた場合巨額の費用がかかることになったことや「天主台」の北側には西国街道(山陽道)が通っており、もし天守があると目立ちすぎて防衛上問題があったこと、そして三原市中心部は山に囲まれており、天守を建てる必要がなかったことが三原城に天守がなかった理由である。なぜ天守を建てるつもりがなかったのに「天主台」という本丸より一段高い場所が設けられたのかは分からないが、私は築城前には当時の技術では切り崩せなかった硬い岩盤でできた島がそこにあったからではないかと考えている。

注8:現在は小倉〜博多間の55.9kmが最長となっている。

注9:岩日線は岩国市(JR岩徳線川西駅〔岩国市川西二丁目〕。但し厳密な起点は森ヶ原信号所〔岩国市御庄〕となる)と島根県鹿足(かのあし)郡津和野町日原地区(JR山口線日原駅〔島根県鹿足郡津和野町枕瀬〕)を結ぶ目的で計画された鉄道路線だったが、なぜか岩国側からしか建設が進まなかった。1963年(昭和38年)までに川西〜錦町間が開業した後島根県鹿足郡吉賀町六日市地区までの建設が行われ、ほぼ路盤は完成していたのだが、国鉄(日本国有鉄道)の経営再建の一環として建設はそこで中断され、結局錦町駅以北の路盤は放棄されることになった(但し岩国市錦地区では現在遊覧車が走行する観光施設として活用されているところがある)。
※中国地方にはなぜか一方からしか工事が進まず、結局全線開通に至らなかった陰陽連絡鉄道計画がいくつも存在する。そういう計画があったところを地図で見ると決して建設が難しかったわけではなく、建設を進めれば良かったのでは…と思いたくなるのだが、やはり需要が見込めないからそうしたのだろうか。それとも建設が容易だと判断したから後回しにしたのだろうか。もっとも、全線開通を果たしたとしても利用が見込めたかどうか疑問が残るところばかりなのだが…。

注10:山陽新幹線岡山〜博多間開業当時にも小郡駅を新山口駅または山口小郡駅に改称しようという話はあったが、当時吉敷郡小郡町は山口市との合併を拒否しており、その時は実現しなかった。

注11:上り線ホームは単式ホームになっているため現在は2面3線で運用されている。上り線ホームを島式にしようとした痕跡は新下関駅を西側から見た時と新下関駅新幹線上りホームに立ち、端から端まで歩いて観察した時によく分かる。恐らく需要が見込めないために上り線ホームのうちの外側の建設は見送ったのであろう。

注12:現在は東亜大学と下関市立大学(下関市大学町二丁目)、水産大学校(下関市永田本町二丁目)、梅光学院大学(下関市向洋町一丁目)、下関短期大学(下関市桜山町)の5校になっている(5校になったのは東亜大学開学当時存在した梅光女学院短期大学〔下関市向洋町一丁目。1964〜2006〕が2006年〔平成18年〕に廃止されたため)。

注13:石川県・岐阜県・滋賀県・京都府・大阪府・佐賀県の2府4県。このうち唯一の新幹線停車駅の駅前広場を起終点とする都道府県道路線がないのは本文でも触れている通り大阪府だけである。

注14:代表駅を起点とする県道路線が主要地方道に指定されなかった井原・児島・西大寺・玉野各市について、満たしていなかった点は下表の通りである。

満たしていなかった点 都市名 備考
国鉄路線の駅が代表駅になっていること 井原市
児島市
西大寺市
井原市は井笠鉄道本線・神辺線井原駅(井原市井原町。1913〜1971)が代表駅。
児島市は下津井電鉄児島駅(倉敷市児島味野三丁目。1913〜1990)が代表駅。
西大寺市は西大寺鉄道西大寺市駅(岡山市東区西大寺上一丁目。1911〜1962)が代表駅。
代表駅と幹線道路が離れていること 玉野市 代表駅であるJR宇野線宇野駅(玉野市築港一丁目)のすぐそばを国道30号線が通っている。

注15:中国地方各県における1954年(昭和29年)1月20日建設省告示第16号で主要地方道に指定された県道○○停車場線の状況は下表の通りである。

県名 駅に通じる県道路線が
主要地方道に指定された駅の名称
備考
鳥取県 鳥取・倉吉・米子
(以上3駅)
倉吉駅は現在のJR山陰本線倉吉駅(倉吉市上井)ではなく国鉄倉吉線倉吉駅(倉吉市明治町。1912〜1972)を指す(倉吉線の倉吉駅は路線廃止により現存しない)。
島根県 松江・出雲今市
(以上2駅)
出雲今市駅は現在のJR山陰本線出雲市駅(出雲市駅北町)。
1954年(昭和29年)1月20日建設省告示第16号ではJR山陰本線・山口線益田駅(益田市駅前町)を起点とする益田停車場線も主要地方道に指定された旨の記述があるがなぜかその時は主要地方道指定は見送られている。
岡山県 岡山・笠岡・倉敷・玉島・津山
(以上5駅)
玉島駅は現在のJR山陽新幹線・山陽本線新倉敷駅(倉敷市玉島爪崎)。
広島県 (なし)
山口県 岩国・下松・徳山・三田尻
(以上4駅)
三田尻駅は現在のJR山陽本線防府駅(防府市戎町一丁目)。

なお、現在は鳥取県が鳥取・米子の2駅、島根県が松江・出雲市・益田の3駅、岡山県が岡山・笠岡・倉敷の3駅、山口県が岩国・下松・徳山・防府の4駅になっており、岡山県は中国地方で主要地方道に指定された県道○○停車場線が最も多い県の座を降りている。

注16:次に挙げる事実からもそのことはうかがえる。
・特殊狭軌(JR在来線で用いられている1,067mmより狭い軌間を指す)を用いた私鉄路線の駅を起点とする県道路線を認定していること(中国地方では岡山県だけ)。井笠鉄道本線の薬師駅(笠岡市走出。1913〜1971)と下津井電鉄の児島駅・鷲羽山駅(倉敷市下津井田之浦二丁目。1914〜1990)の3駅に存在した。残念ながら井笠鉄道・下津井電鉄とも鉄道路線を廃止したためこれらの駅を起点とする県道路線は現在いずれも廃止されてしまったが、井笠鉄道本線薬師駅と国道486号線を結んでいた岡山県道459号薬師停車場線(1960〜1973。廃止当時の名称を記しているが路線番号は推定)の途中にある薬師橋(高梁川支流の小田川に架かる橋。その途中には笠岡市と井原市の境がある)の笠岡市側の取り付け道路の途中には今も「岡山県」と記された、古びたデリニエーターの柱がいくつも残されている(下の写真)。

 

・厳しい財政難に陥っても県道路線の整理に乗り出していないこと。財政事情が良好な市町村が少ないことや沿線住民の感情に配慮していること、区画整理の支援を理由に県道に認定したところが少なくないことがその理由である。
・理由が判然としない県道○○停車場線の廃止がほとんど見られないこと。岡山県で理由が判然としない県道○○停車場線の廃止事例は1973年(昭和48年)1月30日岡山県告示第89号により廃止された県道458号庭瀬停車場線(1960〜1973。廃止当時の名称を記しているが路線番号は推定)だけである。
・岡山県には日本国有鉄道→西日本旅客鉄道の管理下にあった鉄道路線で廃止または経営分離の憂き目に遭った鉄道路線が存在しないこと。もっとも、岡山県の日本国有鉄道→西日本旅客鉄道の管理下にあった鉄道路線で、その多くが廃止対象になったいわゆる盲腸線が実質的に存在しなかったことが全て存続し得た理由の一つである(岡山県の日本国有鉄道→西日本旅客鉄道の管理下にあった鉄道路線で唯一の盲腸線である宇野線も宇高連絡船〔1910〜1990〕などで四国方面と繋がっており、宇野駅で行き止まりではなかった)。
かなり完成した段階で日本国有鉄道の経営再建のあおりを受けて建設が凍結された日本鉄道建設公団が建設していた鉄道路線(井原線と智頭線)を第三セクター方式で引き継ぎ、開業にこぎ着けていること。井原線・智頭線とも並行して通る道路の整備が進んでいることや沿線の人口が減少していること、そして岡山県が1990年代中期以降ひどい財政難に陥ったことなどからとやかく言う声もあるのだが…。

注17:1965年(昭和40年)3月31日岡山県告示第251号は県道路線の認定・改称・廃止をまとめたものである。本来別々の告示がなされるものなのだが、なぜまとめたのかはっきりしたことは分かっていない。

注18:現在県道54号倉敷・美袋線は県道80号美袋・玉島線発足の契機になった山陽本線との立体交差、すなわち爪崎地下道を経由していない。というのも、爪崎地下道の東方に建設された、山陽自動車道と国道2号線玉島バイパスを結ぶ自動車専用道路に経路を変更したからである。また、県道77号美袋・玉島停車場線が山陽本線を踏切で渡っていたところには現在自転車・歩行者専用の歩道橋があり、自動車で県道77号美袋・玉島停車場線だった道をたどることはできなくなっている。

注19:山陽鉄道はわずか半年で岡山県南部を貫通させていることにもそのことはうかがえる(下表参照)。岡山県南部は平地が多いから早く建設が進んだという見方もあるのだが、半年で100km以上の鉄道路線が順次延伸していくというのは現代の感覚からすればちょっと想像しにくい(途中にはトンネルもいくつかあるので建設にはある程度の時間を要したことは想像に難くないのだが…)。

開業年月日 区間 備考
1891年(明治24年)3月18日 兵庫県境〜岡山 開業区間の起点は三石仮駅(兵庫県赤穂郡上郡町梨ヶ原。1890〜1891)。中間駅として三石・吉永・和気・瀬戸・長岡(現:東岡山)各駅が同時に開業。
1891年(明治24年)4月25日 岡山〜倉敷 中間駅として庭瀬駅が同時に開業。
1891年(明治24年)7月14日 倉敷〜笠岡 中間駅として玉島(現:新倉敷)・鴨方両駅が同時に開業。
1891年(明治24年)9月11日 笠岡〜広島県境 開業区間の終点は福山駅。同時開業の中間駅はなかった。

注20:鴨方駅の開業当時の所在地は浅口郡六条院村六条院中であり、新見駅の開業当時の所在地は阿哲郡上市村西方であった。鴨方駅が浅口郡鴨方町(1925〜2006)にある駅になったのは1955年(昭和30年)4月1日のこと(浅口郡鴨方・六条院両町の統合による浅口郡鴨方町の再発足)であり、新見駅が新見市にある駅になったのは1954年(昭和29年)6月1日のこと(阿哲郡上市・新見両町及び石蟹郷・草間・熊谷・菅生・豊永・美穀〔みよし〕各村の統合による新見市発足)である。
※浅口郡六条院村は1934年(昭和9年)11月28日に、阿哲郡上市村は1946年(昭和21年)2月11日にそれぞれ町制施行している。

注21:「角川日本地名大辞典第33巻 岡山県」(1989年〔平成元年〕角川書店〔東京都千代田区富士見一丁目〕刊)による。詳細ははっきりしないのだが、「地図・空中写真閲覧サービス」というサイトで1947年(昭和22年)10月1日に撮影された玉島駅周辺の航空写真を見ると玉島駅の駅前から南にまっすぐ浅口郡玉島町中心部方面に延びる道が見えるので1947年(昭和22年)時点では既に存在したことは明らかである。

注22:新倉敷駅と倉敷市玉島地区中心部を結ぶ道路の沿革(大正・昭和時代)を示すと下表の通りになる。

年月日 記事 備考
1920年(大正9年)4月1日 岡山県告示第186号により玉島駅前と浅口郡玉島町中心部を通って吉備郡総社町(1896〜1954)と玉島港を結ぶ県道44号総社・玉島港線が認定される。 吉備郡総社町の町制施行当時の所属郡は賀陽郡(吉備郡に所属郡を変更したのは賀陽・下道〔しもつみち〕両郡が統合して吉備郡が発足した1900年〔明治33年〕4月1日)。
県道44号総社・玉島港線の路線番号は廃止当時のものを記載している。
1925年(大正14年)11月1日 浅口郡長尾村が町制施行して浅口郡長尾町が発足する。この結果、玉島駅の所在地表記が浅口郡長尾村爪崎から浅口郡長尾町爪崎に変更される。
1952年(昭和27年)1月1日 浅口郡玉島町が市制施行して玉島市が発足する。
1953年(昭和28年)2月11日 玉島市が浅口郡長尾町を編入する。この結果、玉島駅の所在地表記が浅口郡長尾町爪崎から玉島市爪崎に変更され、名実ともに玉島市の代表駅となる。
1954年(昭和29年)1月20日 建設省告示第16号により県道44号総社・玉島港線の一部区間が主要地方道玉島停車場線に昇格することが決定する。
1954年(昭和29年)12月24日 岡山県告示第936号により県道29号玉島停車場線が認定される。 県道44号総社・玉島港線は存続したため県道29号玉島停車場線は全線で県道44号総社・玉島港線と重用することになった。
1960年(昭和35年)3月18日 岡山県告示第336号により県道44号総社・玉島港線が廃止される。 県道44号総社・玉島港線が廃止されたことにより県道29号玉島停車場線と県道44号総社・玉島港線の重用関係は解消された。
1965年(昭和40年)3月31日 国道・主要地方道再編に伴う路線番号再編が実施され、県道29号玉島停車場線は県道34号玉島停車場線に改称される。
1967年(昭和42年)2月1日 倉敷・児島・玉島各市が統合して改めて倉敷市が発足する。この結果、玉島駅の所在地表記と県道34号玉島停車場線の起点の所在地表記は玉島市爪崎から倉敷市玉島爪崎に、県道34号玉島停車場線の終点の所在地表記は玉島市阿賀崎から倉敷市玉島阿賀崎にそれぞれ変更される。
1972年(昭和47年)3月21日 国道・主要地方道再編に伴う路線番号再編が実施され、県道34号玉島停車場線は県道29号玉島停車場線に改称される。 この時岡山県は主要地方道の路線番号を1号から、一般県道の路線番号を101号からそれぞれ付けるように改正していることから県道標識(正式名称は都道府県道番号)導入に伴う路線番号再編の可能性も考えられる。
1972年(昭和47年)11月1日 県道標識(正式名称は都道府県道番号)導入に伴う路線番号再編が実施され、県道29号玉島停車場線は県道41号玉島停車場線に改称される。 岡山県における県道標識(正式名称は都道府県道番号)導入に伴う路線番号再編の実施時期は推定。私としては1972年(昭和47年)11月24日に岡山県と広島県に跨る県道路線が認定されたがその路線番号が現在も使われているものであることから広島県と同時に県道標識(正式名称は都道府県道番号)導入に伴う路線番号再編を実施したのではないかと考えている。
1975年(昭和50年)3月10日 山陽新幹線が開業し、玉島駅は新倉敷駅に改称する。
1975年(昭和50年)6月1日 住居表示実施により県道41号玉島停車場線の終点の所在地表記は倉敷市玉島阿賀崎から倉敷市玉島阿賀崎一丁目に変更される。
1982年(昭和57年)4月1日 建設省告示第935号により玉島停車場線が新倉敷停車場線に改称することが決定する。
1982年(昭和57年)9月24日 岡山県告示第849号により県道41号玉島停車場線が県道41号新倉敷停車場線に改称される。
1987年(昭和62年)4月1日 日本国有鉄道の分割・民営化により山陽新幹線・山陽本線・新倉敷駅は西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)の管理下に入る。

注23:区画整理や宅地開発、再開発事業などにより国道路線や県道路線の道路敷地が潰され、跡をたどれなくなった例は他にもあり、私が把握しているものとしては井原市内の国道313号線(国道486号線重用。区画整理による)や広島市南区内の広島県道242号上大河(かみおおこう)停車場線(1960〜1980。段原地区再開発事業による)、福山市内の広島県道380号坪生・大門線(1960〜1994。宅地開発による)などがある。

注24:注22でも記しているが1982年(昭和57年)4月1日建設省告示第935号に玉島停車場線を新倉敷停車場線に改称する旨の記述がある。1982年(昭和57年)9月24日岡山県告示第849号による県道41号玉島停車場線の県道41号新倉敷停車場線への改称はそれを受けたものである。

注25:そのせいかどうかは分からないのだが、1976年(昭和51年)4月1日建設省告示第694号を受けた県道路線の再編は他の中国地方各県では1976年(昭和51年)暮れから1977年(昭和52年)夏にかけて実施したのに岡山県は1979年(昭和54年)1月になってようやく実施している。

注26:2003年(平成15年)9月30日山口県告示第489号は県道214号小郡停車場線の県道214号新山口停車場線の改称についての告示であり、2003年(平成15年)9月30日山口県告示第490号は県道353号小郡停車場・柳井田線の県道353号新山口停車場・柳井田線の改称についての告示である。

注27:現在「玉島」という地名が入った県道路線は県道191号玉島港線と県道382号本庄(ほんじょ)・玉島線、県道430号玉島黒崎・金光線の三つだけである。

県道191号玉島港線の県道標識

県道382号本庄・玉島線の県道標識

県道430号玉島黒崎・金光線の路線方向表示(県道標識は存在しない)

注28:福山市松永地区、すなわち福山市のうちの今津町と金江町、神村(かむら)町、高西町、東村町、藤江町、本郷町、松永町、南今津町、南松永町、宮前町、柳津町を起終点とする県道路線で「福山」という地名が入ったものはないし、福山市松永地区の代表駅の名称も松永駅(福山市松永町)のままである。
1982〜1999年(昭和57年〜平成11年)に広島県道54号福山・尾道線の起点が福山市高西町真田(現:福山市高西町一丁目)にあったことがあるが国道2号線赤坂バイパス全線開通後の旧道処分を念頭に置いて広島県道54号福山・尾道線にしたものと思われるので実質的にはなかったことになる。

注29:山陽新幹線の停車駅がある市で路面電車が走っていたのは大阪・神戸・岡山・広島・岩国・下関・北九州・福岡の8都市である(岩国は1929年〔昭和4年〕、下関は1971年〔昭和46年〕、神戸は1974年〔昭和49年〕、福岡は1979年〔昭和54年〕、北九州は2000年〔平成12年〕にそれぞれ全線が廃止された)。
※中島さんは北九州市中心部を走っていた西日本鉄道北九州本線のうちの砂津〜黒崎駅前間が廃止された時(1992年〔平成4年〕10月25日)、乗りに行き、写真を撮ったことがあるそうである。

注30:これは政令指定都市は都道府県道路線を管理できるからである。私が静岡県道57号浜松停車場線が浜松市が政令指定都市移行を目指していた頃に廃止されたことに疑問を抱くのはこのためである。

注31:八戸駅は実は八戸市の中心部にはなく、八戸市中心部から西に5kmほど離れたところにある。八戸市中心部の最寄駅はJR八戸線本八戸駅(八戸市内丸一丁目)である。
※東北新幹線の停車駅である八戸駅は1971年(昭和46年)4月1日に尻内駅から改称している。それまで八戸駅を名乗っていたのは現在のJR八戸線本八戸駅であり、1971年(昭和46年)2月1日に改称している。優等列車が通る幹線鉄道の上に代表駅があったほうが良いという発想からであるが、実は中国地方にもこういう理由で改称されたところがいくつかある(倉吉・総社・宇部)。

注32:中島さんが運営する「下関市立大学・大学祭実行委員会事務局OB会公式サイト」というサイトの「下関市の人口変遷」によると1970年(昭和45年)10月1日実施の国勢調査では下関市の人口は25万8,425人、福山市の人口は25万5,086人となっていた。1970年(昭和45年)10月1日実施の国勢調査によると芦品郡芦田町の人口は6,640人だったので1970年(昭和45年)10月1日実施の国勢調査による福山市+芦品郡芦田町の人口は26万1,726人となり、国勢調査上は福山市が芦品郡芦田町を編入した1974年(昭和49年)4月1日に下関市の人口を抜いたことになる。但し、推計人口では1970年代初頭に福山市の人口が下関市の人口を抜いたものと思われる。
※面白いのは広島県道190号福山停車場線が廃止されてから1ヶ月半ほど後の1974年(昭和49年)3月29日に下関市の代表駅であるJR山陽本線下関駅と国道9号線を結ぶ山口県道323号下関停車場線が認定されたことである(1974年〔昭和49年〕3月29日山口県告示第257号による)。下関駅のそばを国道9号線や山口県道250号南風泊(はえどまり)港線が通っていることを考えれば認定する必要はないのではないかと思う方がいるかもしれないのだが、山口県道323号下関停車場線が1977年(昭和52年)に開業した大型商業施設・シーモール下関(下関市竹崎町四丁目)のすぐ北側を通っていることから山口県が下関駅東口の再開発事業を支援する見返りで県道に認定したのではないかと思われる。背景には1960年代以降の下関市の財政事情の悪化(中島さんによると開学して間もない下関市立大学〔下関市大学町二丁目〕を手放す話もあったという)があったものと思われる。

注33:国道X号線○○旧道とはバイパスの全線開通により旧道化したが国道X号線のまま存続しているところを指す。三原市中心部の国道2号線は2012年(平成24年)3月31日に三原バイパス(三原市糸崎八丁目〜三原市新倉二丁目間)が全線開通したことにより旧道になった。三原市中心部の国道2号線、すなわち国道2号線三原旧道は2016年(平成28年)春に管理者が国土交通省から広島県または三原市に移る予定であるが、どのようになるか現時点では分かっていない(国道2号線三原旧道を起終点とする国道路線や県道路線がいくつもあることを考えると広島県が管理する区間が出るのは確実だと思われる)。

注34:他には広島県道242号上大河停車場線が挙げられる。広島県道242号上大河停車場線の起点となる国鉄宇品線上大河駅(広島市南区出汐一丁目。1947〜1972)は現在の地図を見ると国道2号線の200mほど北にあったのだが、広島県道242号上大河停車場線は国道2号線が終点とはならず、広島県道27号中島・広島線との交点(広島市南区段原一丁目)を終点としていた。つまり、広島県道242号上大河停車場線は北に向かって延びていたということになるのだが、なぜそうなったのかというと広島県道242号上大河停車場線が認定された1960年(昭和35年)10月10日時点ではまだ国鉄宇品線上大河駅の南側に国道2号線、すなわち当時の一級国道2号線は存在しなかったからである(1960年〔昭和35年〕10月10日時点で一級国道2号線だった道は現在広島県道164号広島・海田線になっている)。上大河駅の南側に国道2号線ができたのは1966年(昭和41年)のことであるが、上大河駅は1972年(昭和47年)4月1日に廃止されたこと(国鉄宇品線の旅客営業終了による。その後国鉄宇品線は貨物線として存続したがそれも1986年〔昭和61年〕10月1日で廃止されている)や広島市が段原地区の再開発事業を企図したことなどから経路の変更は実施されず、1980年(昭和55年)7月1日広島県告示第581号により廃止されている(広島市はその3ヶ月前の1980年〔昭和55年〕4月1日に政令指定都市に移行し、市内を通る県道路線を自ら管理できるようになったのだが、なぜ政令指定都市移行前に廃止しなかったのかははっきりしない)。

注35:広島県の場合、県道195号西条停車場線と県道207号安芸津停車場線について終点変更告示がなされたことがある。

注36:中国地方では岡山県道192号服部(はっとり)停車場線や広島県道197号海田市停車場線がある。

注37:三原駅の高架化の完成時期は路線により異なる。まず高架化されたのは山陽本線上り線で、1989年(平成元年)9月28日のことであった。その後1990年(平成2年)6月26日に山陽本線下り線が、1991年(平成3年)7月31日に呉線がそれぞれ高架化され、高架化が完成した。なお、山陽本線下り線が高架化された時点で三原〜本郷間の距離が10.1kmから9.5kmに短縮されている(かつては沼田〔ぬた〕川に沿っていたものを山陽新幹線に並行する経路に変更したため)。

注38:沿線に大きな都市が多い山陽本線であるが、莫大な費用がかかることや沿線住民が強硬に反対していること、移転させなければならない施設(貨物駅や車両所など)が多いことなどから高架化されているところは少ない。現在のところ完成しているのは福山市中心部・三原市中心部・防府市中心部だけである。現在倉敷市中心部や広島市東部(安芸郡海田・府中両町を含む)の高架事業が企図されているが進展していない。

注39:三原駅の場合は三原駅のすぐ北側の道が県道55号尾道・三原線だった時期もあるが現在は三原市道になっており、最も近い国道路線または県道路線は国道2号線三原旧道となっている(三原駅の約200m南方を通過)。福山駅の場合は県道190号福山停車場線以外にすぐ近くを通る国道路線または県道路線は存在せず、最も近い国道路線または県道路線は国道2号線となっている(福山駅の約400m南方を通過)。

注40:県道363号栗原・長江線の認定と引き換えに現在の国道184号線のすぐ東側を通っていた県道239号栗原・西御所線(1960〜1971)が廃止されている(1971年〔昭和46年〕4月27日広島県告示第437号による)。国道184号線のすぐそばを並行する道も管理するわけにはいかないというのが廃止の理由であるが、廃止から40年以上経過した今も県道239号栗原・西御所線だった道(尾道市道)を通ると幹線道路の趣を感じることができる。

注41:理由としては山陽新幹線が開業したことや山陰・四国方面への鉄道路線に恵まれなかったことが挙げられる。昼行の特急列車は山陽新幹線と同時に全廃され、夜行の特急列車も2009年(平成21年)春のダイヤ改正をもって全廃されている。ちなみに広島県はJR在来線を定期の特急列車が通らない数少ない都道府県になっている(他には奈良県と宮城県がある)。
※宮城県についてはJR常磐線が復旧すれば再びJR在来線を定期の特急列車が通る可能性はある(東日本大震災発生で無期限延期になったが、2012年〔平成24年〕春に特急「ひたち」号のうちのいわき駅〔いわき市平字田町〕以北に行く列車を廃止していわき〜仙台間に特急列車を設定するという計画があった)。但し、それがいつのことになるかは全く分かっていないし常磐線が復旧したとしても特急列車を設定できるほどの需要が見込めるかどうかも分からない。

注42:安芸津町は発足当時の所属郡は賀茂郡だったのだが、1956年(昭和31年)4月1日に賀茂郡・豊田郡の所属町村入れ替えにより豊田郡に所属郡を移している。
※「賀茂郡・豊田郡の所属町村入れ替え」とは賀茂郡安芸津・川尻・竹原・安浦各町及び安登・賀永各村の所属郡を豊田郡に、豊田郡河内・大和・豊栄・福富各町及び入野村の所属郡を賀茂郡にそれぞれ変更したものである。

注43:県道215号宇部・美祢線は1958年(昭和33年)10月1日山口県告示第644号の2で認定された時は宇部市西宇部南四丁目と美祢市伊佐町伊佐を結ぶ路線であった。1993年(平成5年)5月11日建設省告示第1,270号により主要地方道に移行することになったのは国道2号線(国道9号線重用)以北の部分、すなわち宇部市吉見〜美祢市伊佐町伊佐間だったのだが、全線を主要地方道に移行させなかったのは県道215号宇部・美祢線は宇部市西郊を起点としており、宇部市中心部と美祢市中心部を結ぶには遠回りになることや宇部市中心部と国道2号線(国道9号線重用)をほぼまっすぐに結ぶ道路(国道490号線)があることが考えられる。

注44:中国地方全体を見ても1920年(大正9年)4月1日に認定された県道路線は現在4路線(島根県道22号松江停車場線と島根県道33号浜田港線、山口県道50号岩国停車場線、山口県道53号徳山停車場線)しか残っていない。

注45:県道52号徳山港線と県道53号徳山停車場線の重用区間には更にもう一つ、県道347号下松・新南陽線も重用している。この三重重用区間が発生したのは1978年(昭和53年)のことで、国道2号線周南バイパスの全線開通に伴う旧道処分により生じたものである。
※県道52号徳山港線が周南市岐南町/三田川交差点まで延長されたのは1992年(平成4年)のことである。国道2号線周南バイパスと高架橋で繋がっている国道188号線下松バイパスの全線開通に伴う旧道処分により実施された。

注46:同じ1923年(大正12年)4月16日山口県告示第276号により1923年(大正12年)4月1日付で認定された路線としては県道51号下松停車場線がある。

注47:2008年(平成20年)2月8日山口県告示第48号では県道214号新山口停車場・長谷線を認定することが、2008年(平成20年)2月8日山口県告示第49号では県道214号新山口停車場線を廃止することがそれぞれ記されている。

注48:県道214号新山口停車場・長谷線と県道353号新山口停車場・上郷線の道路整備の概要は下表の通りである。

路線名称 整備の概要
県道214号新山口停車場・長谷線 新山口駅北口(新幹線口)駅前広場と山口・宇部道路(県道6号山口・宇部線)を直結する道路の建設。本文でも触れている通り既に2014年(平成26年)12月19日山口県告示第416号で国道9号線以東の経路が変更されているが、新たに編入された区域の整備はまだ行われていない。
県道353号新山口停車場・上郷線 県道353号新山口停車場・上郷線と県道28号小郡・三隅線を直結させ、JR山口線との平面交差箇所を解消するためのバイパスの建設。完成は2021年度(平成33年度)の予定である。

注49:今のところ山口県道214号新山口停車場・長谷線以外に鉄道駅と高規格道路のインターチェンジをまっすぐ結ぶ都道府県道路線があるかどうかは私は知らないのだが、将来そうなりそうな路線が広島県に存在する。JR芸備線東城駅(庄原市東城町川東)と国道314号線を結ぶ広島県道238号東城停車場線である。広島県道238号東城停車場線は今のところ庄原市東城町川東/東城郵便局前交差点で国道314号線に合流して終点になっているのだが、現在国道314号線には庄原市東城地区中心部を迂回するバイパス(国道314号線東城バイパス)の計画があり、国道314号線東城バイパスが全線開通した時には庄原市東城町川東/東城インターチェンジ交差点まで延長される可能性がある。ただ、庄原市東城町川東/東城インターチェンジ交差点では国道182号線(右折方向・左折方向)とも接続しているためもし国道314号線東城バイパスの全線開通に伴う旧道処分で広島県道238号東城停車場線が庄原市東城町川東/東城インターチェンジ交差点まで延長されても名称は変わらない可能性が高い。

2007年(平成19年)8月27日広島県告示第881号で区域に編入されたところにある広島県道238号東城停車場線の県道標識

注50:路線名称に「インター」という単語が入った都道府県道が存在しないのは他に山形県・福島県・東京都・神奈川県・大阪府・和歌山県・愛媛県・佐賀県がある。また、愛知県道には路線名称に「インター」という単語が入ったもの(愛知県道/三重県道168号立田・長島インター線)はあるが、終点にあるインターチェンジ(東名阪自動車道長島インターチェンジ〔桑名市長島町間々〕)は三重県にあるものであり、愛知県内にある高規格道路のインターチェンジを起終点とする県道路線は未だに存在しない。
※山口県が路線名称に「インター」という単語が入った県道路線を未だに認定しない理由としては財政事情が厳しいこと(そのせいかどうかは分からないが路線名称に「インター」という単語が入った都道府県道が登場し始めた1994年〔平成6年〕頃に山口県は鉄道駅を起点とする県道路線を大量に廃止し、通過自治体に移管させている)や高規格道路のインターチェンジのほとんどは国道路線か県道路線と接続しており、改めて認定する必要はないと考えていることが考えられる。

注51:私が把握している例としては長野県道430号為栗(してぐり)・和合線や島根県道297号皆井田・江津線がある。長野県道430号為栗・和合線はJR飯田線為栗駅(長野県下伊那郡天龍村平岡)が起点になっているし、反対に島根県道297号皆井田・江津線はJR山陰本線都野津(つのづ)駅(江津市都野津町)が終点になっているが、どちらも路線名称には反映されていないため素人目には鉄道駅を起終点とする県道路線とは分からない。なお、長野県道430号為栗・和合線は天竜川にかかる天竜橋(延長:117m)が幅員が狭いことなどから自動車通行止めになっているため自動車で起点に行くことはできない。

島根県道297号皆井田・江津線の終点

注52:ならばなぜ吉敷郡小郡町は長らく山口市との合併を拒み続けてきたのかという話になるのだが、私は第二次世界大戦中に一度強制的に合併させられた過去があることや山口市が南部地域(秋穂二島・江崎・嘉川・佐山・陶・鋳銭司〔すぜんじ〕・名田島・深溝を指す)を冷遇していること、山口市が何の犠牲も払おうとせずにただ吉敷郡小郡町との再統合を求め続けたことが理由ではないかと考えている。

注53:他にはJR山陽本線防府駅(防府市戎〔えびす〕町一丁目)を起点とする県道54号三田尻停車場線の県道54号防府停車場線への改称(1977年〔昭和52年〕3月8日山口県告示第181号による)と、JR山陽本線新南陽駅(周南市清水二丁目)を起点とする県道178号周防富田(すおうとんだ)停車場線の県道178号新南陽停車場線への改称(1994年〔平成6年〕3月15日山口県告示第211号による)がある。三田尻駅の防府駅への改称は1962年(昭和37年)11月1日に、周防富田駅の新南陽駅への改称は1980年(昭和55年)10月1日にそれぞれ実施されているから、県道54号三田尻停車場線は約14年半、県道178号周防富田停車場線は約13年半それぞれ改称されないでいたことになる。
※実は三田尻駅改め防府駅を起終点とする他の県道路線(県道185号防府停車場・向島線と県道186号防府停車場・大薮線)の改称は1963年(昭和38年)5月31日に行われている(1963年〔昭和38年〕5月31日山口県告示第297号による)。本来ならこの時三田尻停車場線の防府停車場線への改称も行われるべきだったのだが、なぜかその時は行われなかった。しかし、山口県発行の資料では三田尻停車場線は1960年代後半以降防府停車場線と記されているため1963年(昭和38年)5月31日山口県告示第297号で改称されたと解するのが妥当ではないかと私は考えている。