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一般国道発足50周年(2015年〔平成27年〕4月1日公開)

 1965年(昭和40年)4月1日、1965年(昭和40年)3月29日政令第58号に基づいて一級国道57路線(路線番号が一桁または二桁の路線。1〜57号)と二級国道165路線(路線番号が三桁の路線。101〜271号(注1))を統合して一般国道222路線が発足した。1965年(昭和40年)4月1日時点で中国地方では一級国道7路線・二級国道16路線があったから一般国道は23路線発足したということになる(下表参照)。

※起点・終点で記した市区郡町村名は1965年(昭和40年)4月1日現在のものである。

※二級国道178号舞鶴・鳥取線改め国道178号線は路線名称に「鳥取」が入っているが終点が兵庫県美方郡村岡町にあることや終点から鳥取市まで一級国道9号線と重用していた事実もないことから中国地方を通る二級国道路線としては扱っていない。

路線
番号
起点 経由府県 終点 備考
2 大阪市北区 大阪府→兵庫県→岡山県
広島県山口県→福岡県
北九州市門司区 1952年(昭和27年)12月4日政令第477号により即日発足。
9 京都市下京区 京都府→兵庫県→鳥取県
島根県山口県
下関市 1952年(昭和27年)12月4日政令第477号により即日発足。
29 姫路市 兵庫県→鳥取県 鳥取市 1952年(昭和27年)12月4日政令第477号により即日発足。
30 岡山市 岡山県→香川県 高松市 1952年(昭和27年)12月4日政令第477号により即日発足。
31 安芸郡海田町 広島県 呉市 1952年(昭和27年)12月4日政令第477号により即日発足。
53 岡山市 岡山県鳥取県 鳥取市 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に二級国道179号岡山・鳥取線(1953年〔昭和28年〕5月18日政令第96号により即日発足)から移行して発足。
54 広島市 広島県島根県 松江市 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に二級国道182号広島・松江線(1953年〔昭和28年〕5月18日政令第96号により即日発足)から移行して発足。
179 姫路市 兵庫県→岡山県鳥取県 東伯郡羽合町 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に発足。二級国道時代の路線名称は姫路・倉吉線。
180 岡山市 岡山県鳥取県島根県 松江市 1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足。二級国道時代の路線名称は岡山・松江線。
181 津山市 岡山県鳥取県 米子市 1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足。二級国道時代の路線名称は津山・米子線。
182 新見市 岡山県広島県 福山市 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に発足。二級国道時代の路線名称は新見・福山線。
183 広島市 広島県鳥取県 米子市 1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足。二級国道時代の路線名称は広島・米子線。
184 松江市 島根県広島県 尾道市 1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足。二級国道時代の路線名称は松江・尾道線。
185 呉市 広島県 三原市 1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足。二級国道時代の路線名称は呉・三原線。
186 広島市 広島県島根県 浜田市 1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足。二級国道時代の路線名称は広島・浜田線。
187 岩国市 山口県島根県 益田市 1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足。二級国道時代の路線名称は岩国・益田線。
188 徳山市 山口県 岩国市 1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足。二級国道時代の路線名称は徳山・岩国線。
189 岩国市 山口県 岩国市 1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足。二級国道時代の路線名称は岩国空港線。
190 山口市 山口県 厚狭郡山陽町 1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足。二級国道時代の路線名称は当初は山口・埴生(はぶ)線だったが終点がある厚狭(あさ)郡埴生町が1956年(昭和31年)9月30日に厚狭郡厚狭町と統合して厚狭郡山陽町に移行したため1960年(昭和35年)6月20日政令第167号により山口・山陽線に改称した
191 下関市 山口県島根県 益田市 1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足。二級国道時代の路線名称は下関・益田線。
250 神戸市長田区 兵庫県→岡山県 岡山市 1956年(昭和31年)7月10日政令第231号により即日発足。二級国道時代の路線名称は神戸・赤穂・岡山線。
261 広島市 広島県島根県 江津市 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に発足。二級国道時代の路線名称は広島・江津線。
262 萩市 山口県 防府市 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に発足。二級国道時代の路線名称は萩・防府線。

 一般国道発足から今日で50周年を迎えたということになるのだが、1965年(昭和40年)4月1日時点で23路線あった中国地方の一般国道路線は現在その倍以上の50路線になっている。また、1965年(昭和40年)4月1日時点の一般国道23路線が全てそのまま存続しているわけではなく、いくつかの路線は起点や終点、経由市区郡町村の変更が実施され、50年前と同じ起点・終点・経由市区郡町村であるとは限らない。そこで今回の「不定期刊・きょうのトピックス」では中国地方を通る一般国道路線のあれこれを紹介していきたいと思う。

一般国道発足までの変遷

 現行道路法における国道路線の発足は二段階に分けて行われた。まず一級国道(1〜40号)が1952年(昭和27年)12月4日政令第477号により即日発足し、二級国道(101〜244号)が1953年(昭和28年)5月18日政令第96号により即日発足した。二級国道発足時点の中国地方の国道路線の一覧表は下の通りになる。

※起点・終点で記した市区郡町村名は1953年(昭和28年)5月18日時点のものである。

※二級国道178号舞鶴・鳥取線改め国道178号線は路線名称に「鳥取」が入っているが終点が兵庫県美方郡射添(いそう)村にあることや終点から鳥取市まで一級国道9号線と重用していた事実もないことから中国地方を通る二級国道路線としては扱っていない。

種類 路線
番号
路線名称 起点 経由府県 終点 備考
一級国道
(5路線)
2 (なし) 大阪市北区 大阪府→兵庫県→岡山県
広島県山口県→福岡県
門司市
9 (なし) 京都市下京区 京都府→兵庫県→鳥取県
島根県山口県
下関市
29 (なし) 飾磨郡余部村 兵庫県→鳥取県 鳥取市
30 (なし) 岡山市 岡山県→香川県 高松市
31 (なし) 安芸郡海田市町 広島県 呉市
二級国道
(13路線)
179 岡山・鳥取線 岡山市 岡山県鳥取県 鳥取市
180 岡山・松江線 岡山市 岡山県鳥取県島根県 松江市 事実上の終点は鳥取県米子市。このため島根県内に単独区間は存在しない。
181 津山・米子線 津山市 岡山県鳥取県 米子市 事実上の終点は鳥取県日野郡根雨町。
182 広島・松江線 広島市 広島県島根県 松江市 事実上の終点は島根県八束郡宍道(しんじ)町。
183 広島・米子線 広島市 広島県鳥取県 米子市 事実上の起点は広島県双三郡十日市町。
事実上の終点は鳥取県日野郡根雨町。
184 松江・尾道線 松江市 島根県広島県 尾道市 事実上の起点は広島県双三郡十日市町。このため島根県内に単独区間は存在しない。
185 呉・三原線 呉市 広島県 三原市
186 広島・浜田線 広島市 広島県島根県 浜田市 事実上の起点は広島県安佐郡可部町。
187 岩国・益田線 岩国市 山口県島根県 益田市 事実上の起点は山口県玖珂郡北河内村。
事実上の終点は島根県鹿足郡日原町。
188 徳山・岩国線 徳山市 山口県 岩国市
189 岩国空港線 岩国市 山口県 岩国市
190 山口・埴生線 山口市 山口県 厚狭郡埴生町
191 下関・益田線 下関市 山口県島根県 益田市

 この後、一般国道が発足するまでの変遷を記すと下表の通りになる。

年月日 関係県 事柄 備考
1954年(昭和29年)3月31日 広島県 双三郡十日市町が双三郡三次町及び粟屋・神杉・河内・酒河・田幸・和田各村と統合して三次市に移行したことにより二級国道183号広島・米子線と二級国道184号松江・尾道線の事実上の起点が三次市になる。
1954年(昭和29年)7月1日 兵庫県 飾磨(しかま)郡余部(よべ)村が姫路市に編入されたことにより一級国道29号線の起点が姫路市になる。
1955年(昭和30年)4月1日 山口県 玖珂郡北河内村が岩国市に編入されたことにより二級国道187号岩国・益田線の事実上の起点が岩国市になる。 事実上の起点が岩国市域になったとしても正式な起点の変更はなかった。
1956年(昭和31年)7月10日 兵庫県
岡山県
政令第231号により二級国道250号神戸・赤穂・岡山線が即日発足する。 路線数は一級国道5路線、二級国道14路線。
1956年(昭和31年)9月30日 広島県 安芸郡海田市町が安芸郡東海田町と統合して安芸郡海田町に移行したことにより一級国道31号線の起点が安芸郡海田町になる。
山口県 厚狭郡埴生町が厚狭郡厚狭町と統合して厚狭郡山陽町に移行したことにより二級国道190号山口・埴生線の終点が厚狭郡山陽町になる。
1959年(昭和34年)5月1日 鳥取県 日野郡根雨町が日野郡黒坂町と統合して日野郡日野町に移行したことにより二級国道181号津山・米子線と二級国道183号広島・米子線の事実上の終点が日野郡日野町になる。
1960年(昭和35年)6月20日 山口県 政令第167号により二級国道190号山口・埴生線が二級国道190号山口・山陽線に改称される。 改称理由となった厚狭郡厚狭・埴生両町統合による厚狭郡山陽町発足から4年近く経ってようやく改称した理由は不明。
1963年(昭和38年)2月10日 福岡県 門司市が小倉・戸畑・八幡・若松各市と統合して北九州市に移行したことにより一級国道2号線の終点が北九州市になる。
1963年(昭和38年)4月1日 鳥取県
島根県
岡山県
広島県
1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により二級国道179号岡山・鳥取線が一級国道53号線に、二級国道182号広島・松江線が一級国道54号線にそれぞれ移行する。 路線数は一級国道7路線、二級国道16路線。
兵庫県
鳥取県
島根県
岡山県
広島県
山口県
1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により二級国道179号姫路・倉吉線と二級国道182号新見・福山線、二級国道261号広島・江津線、二級国道262号萩・防府線が発足する。
福岡県 北九州市が政令指定都市に移行したことにより一級国道2号線の終点が北九州市門司区になる。

 1953年(昭和28年)5月18日時点で一級国道5路線、二級国道13路線の合計18路線だったものが一級国道と二級国道の統合による一般国道発足直前の時点では一級国道7路線、二級国道16路線の合計23路線になっている。異動の内訳は二級国道から一級国道に昇格したのが2路線、新たに発足した二級国道路線が5路線、二級国道路線で改称したものが1路線となるのだが、道路整備が積極的に進められるようになった時期のわりには路線数はそんなに増えなかったという印象を受けた。国道にしても都道府県道にしてもその消長は政治が絡んでくるわけであるが、当時はまだ国道路線は地域振興の材料とは見なされていなかったのだろうか。

国道昇格のためにわずか5ヶ月半で消えた県道路線

 鳥取県立公文書館(鳥取市尚徳町)のサイトで閲覧できる「鳥取県公報」で1929年(昭和4年)4月1日以降(注2)の鳥取県の県道路線の異動を調べていて何とわずか5ヶ月半で廃止された県道路線があったことを知った。それは米子市と岡山県真庭郡勝山町を結んでいた米子・勝山線である。1953年(昭和28年)4月3日鳥取県告示第140号により1952年(昭和27年)12月5日に認定したと記されているのだが、それから3ヶ月半後の1953年(昭和28年)7月17日鳥取県告示第318号により1953年(昭和28年)5月18日に廃止したと記されているのである。なぜ認定告示も廃止告示も事後報告の形をとったのかは分からないのだが、認定年月日は一級国道路線の発足の翌日、廃止年月日は二級国道路線の発足当日であることや米子市も岡山県真庭郡勝山町も1953年(昭和28年)5月18日に発足した二級国道181号津山・米子線が通っていることを考えると二級国道路線発足のために認定され、廃止された路線ではないかという推論が成り立つ。主要地方道移行を前提に路線認定され、1年ほどで廃止された県道路線は島根県や岡山県、広島県で過去に存在した(注3)のだが、国道路線昇格を前提に認定され、短期間で廃止された県道路線というのは米子・勝山線ぐらいしかないのではないのだろうか(他にもあるというのなら申し訳ないことを書くことになるのだが…)。
 ところで、私が気になったのは米子・勝山線の前身路線は何だったのかということである。「鳥取県公報」には一切前身路線が何だったかの記載、すなわち前身路線の廃止告示は見当たらない。米子・勝山線は出雲街道(姫路と米子・松江・出雲を結ぶ街道)を踏襲していることから何らかの重要な路線だったことが考えられるのだが、前身路線の廃止告示がないということは旧道路法時代は国道だったのだろうか。岡山県での認定時期及び廃止時期や鳥取県側の路線番号(認定時は2号、廃止時は1号となっている(注4))を含めて謎の多い路線であり、今後調査していきたいところである。

多数あった国道路線が通っていない市

 一級国道と二級国道が出揃った1953年(昭和28年)5月18日時点で存在した中国地方の市は下表の通りである。

県名 市名
鳥取県 鳥取市、米子市(2市)
島根県 松江市、出雲市、浜田市、益田市(4市)
岡山県 岡山市、井原市、笠岡市、倉敷市、児島市、西大寺市、玉島市、玉野市、津山市(9市)
広島県 広島市、因島市、尾道市、呉市、福山市、三原市(6市)
山口県 山口市、岩国市、宇部市、小野田市、下松市、下関市、徳山市、萩市、光市、防府市(10市)

 上記31市の国道路線の通過状況を記すと下表の通りになる。

※かっこ書きしている路線は市域内に単独区間がないものである。

県名 市名 通過路線 備考
一級国道 二級国道
鳥取県 鳥取市 9号
29号
179号岡山・鳥取線
米子市 9号 180号岡山・松江線
181号津山・米子線
(183号広島・米子線)
島根県 松江市 9号 (180号岡山・松江線)
(182号広島・松江線)
(184号松江・尾道線)
出雲市 9号 (なし)
浜田市 9号 186号広島・浜田線
益田市 9号 (187号岩国・益田線)
191号下関・益田線
岡山県 岡山市 2号
30号
179号岡山・鳥取線
180号岡山・松江線
井原市 (なし) (なし) 一級国道発足後の1953年(昭和28年)4月1日発足。
笠岡市 2号 (なし)
倉敷市 2号 (なし)
児島市 (なし) (なし)
西大寺市 2号 (なし)
玉島市 2号 (なし)
玉野市 30号 (なし)
津山市 (なし) 179号岡山・鳥取線
181号津山・米子線
広島県 広島市 2号 182号広島・松江線
(183号広島・米子線)
(186号広島・浜田線)
因島市 (なし) (なし) 一級国道発足後の1953年(昭和28年)5月1日発足。
尾道市 2号 184号松江・尾道線
呉市 31号 185号呉・三原線
福山市 2号 (なし)
三原市 2号 185号呉・三原線
山口県 山口市 2号
9号
190号山口・埴生線
岩国市 2号 (187号岩国・益田線)
188号徳山・岩国線
189号岩国空港線
宇部市 (なし) 190号山口・埴生線
小野田市 (なし) 190号山口・埴生線
下松市 2号 188号徳山・岩国線
下関市 2号
9号
191号下関・益田線
徳山市 2号 188号徳山・岩国線
萩市 (なし) 191号下関・益田線
光市 (なし) 188号徳山・岩国線
防府市 2号 (なし)

 31市のうち井原市と因島(いんのしま)市(1953〜2006)が国道路線の通っていない市だったことが上表からうかがえる。井原市と因島市は一級国道発足後に発足したことや幹線筋から外れていること、更に因島市については離島にあること(注5)が国道路線が設定されなかった理由と考えられる。
 その後いわゆる昭和の大合併が推進されたことにより、中国地方では1958年(昭和33年)までに新たに18市が発足した。18市中最後に発足した竹原市が発足した1958年(昭和33年)11月3日時点の中国地方にある市の国道路線通過状況は下表の通りである。

※かっこ書きしている路線は市域内に単独区間がないものである。

県名 市名 通過路線 備考
一級国道 二級国道
鳥取県 鳥取市 9号
29号
179号岡山・鳥取線
倉吉市 (なし) (なし) 1953年(昭和28年)10月1日発足。
境港市 (なし) (なし) 1956年(昭和31年)4月1日発足。
米子市 9号 180号岡山・松江線
181号津山・米子線
(183号広島・米子線)
島根県 松江市 9号 (180号岡山・松江線)
(182号広島・松江線)
(184号松江・尾道線)
出雲市 9号 (なし)
大田市 9号 (なし) 1954年(昭和29年)1月1日発足。
江津市 9号 (なし) 1954年(昭和29年)4月1日発足。
浜田市 9号 186号広島・浜田線
平田市 (なし) (なし) 1955年(昭和30年)1月1日発足。
益田市 9号 (187号岩国・益田線)
191号下関・益田線
安来市 9号 (なし) 1954年(昭和29年)4月1日発足。
岡山県 岡山市 2号
30号
179号岡山・鳥取線
180号岡山・松江線
(250号神戸・赤穂・岡山線)
井原市 (なし) (なし)
笠岡市 2号 (なし)
倉敷市 2号 (なし)
児島市 (なし) (なし)
西大寺市 2号 (250号神戸・赤穂・岡山線)
総社市 (なし) 180号岡山・松江線 1954年(昭和29年)3月31日発足。
高梁市 (なし) 180号岡山・松江線 1954年(昭和29年)5月1日発足。
玉島市 2号 (なし)
玉野市 30号 (なし)
津山市 (なし) 179号岡山・鳥取線
181号津山・米子線
新見市 (なし) 180号岡山・松江線 1954年(昭和29年)6月1日発足。
広島県 広島市 2号 182号広島・松江線
(183号広島・米子線)
(186号広島・浜田線)
因島市 (なし) (なし)
大竹市 2号 (なし) 1954年(昭和29年)9月1日発足。
尾道市 2号 184号松江・尾道線
呉市 31号 185号呉・三原線
庄原市 (なし) 183号広島・米子線 1954年(昭和29年)3月31日発足。
竹原市 2号 185号呉・三原線 1958年(昭和33年)11月3日発足。
福山市 2号 (なし)
府中市 (なし) (なし) 1954年(昭和29年)3月31日発足。
松永市 2号 (なし) 1954年(昭和29年)3月31日発足。
三原市 2号 185号呉・三原線
三次市 (なし) 182号広島・松江線
183号広島・米子線
184号松江・尾道線
1954年(昭和29年)3月31日発足。
山口県 山口市 2号
9号
190号山口・埴生線
岩国市 2号 187号岩国・益田線
188号徳山・岩国線
189号岩国空港線
宇部市 2号
(9号)
190号山口・埴生線 一級国道2号線(一級国道9号線重用)が市域を通過するようになったのは1954年(昭和29年)10月1日からである(この日宇部市が厚狭郡小野・厚東〔ことう〕・二俣瀬各村及び吉敷〔よしき〕郡東岐波〔ひがしきわ〕村を編入したことによる)。
小野田市 (なし) 190号山口・埴生線
下松市 2号 188号徳山・岩国線
下関市 2号
9号
191号下関・益田線
徳山市 2号 188号徳山・岩国線
長門市 (なし) 191号下関・益田線 1954年(昭和29年)3月31日発足。
萩市 (なし) 191号下関・益田線
光市 (なし) 188号徳山・岩国線
防府市 2号 (なし)
美祢市 (なし) (なし) 1954年(昭和29年)3月31日発足。
柳井市 (なし) 188号徳山・岩国線 1954年(昭和29年)3月31日発足。

 1953年(昭和28年)5月18日時点で31市中2市だった国道路線が通っていない市は1958年(昭和33年)11月3日時点では49市中8市にまで増加している。鳥取県の倉吉市と境港市、島根県の平田市(1955〜2005)、岡山県の井原市と児島市、広島県の因島市と府中市、山口県の美祢市と各県に一つは存在するほどになった。いずれも幹線筋から外れている点で共通している。(こちらで触れているのだが)1958年(昭和33年)11月3日時点で主要地方道路線が通っていない中国地方にある市は広島市と松永市(1954〜1966)の二つだけだったからいかにその数が多いかお分かり頂けるのではないかと思うのだが、当時国道路線は重要な道路しか指定しないという考えがあったのだろう。
 その後一般国道発足までに二級国道が5路線発足するのだが、それで国道路線が通る市になったのは倉吉市だけであった。結局境港市・平田市・井原市・児島市・因島市・府中市・美祢市は国道路線が通ることのないまま一般国道発足の日を迎えることになる。
 それから半世紀経った今、倉敷・玉島両市と統合して改めて発足した倉敷市の一部になったために消滅した児島市(1948〜1967)を除き、一般国道発足時点で存在した、中国地方の国道路線の通っていなかった市にはいずれも国道路線が通るようになっているし、一般国道発足以降に発足した中国地方の市はいずれも国道路線が通っている(注6)。結局全ての市に国道路線が通ることになったことは国道路線の存在理由の変質を感じさせる。もし広島市に取り囲まれながらマツダ(広島県安芸郡府中町新地)の本社や工場があるために財政が潤沢で、独立を貫いている広島県安芸郡府中町が市制施行を果たせば府中市以来の国道路線が通らない市になることになる(注7)が、果たしてどうなるのだろうか。

多数あった路線名称と事実上の起終点が合致しない路線

 国道路線のうち二級国道については一般国道発足時まで路線名称が付けられていた。中国地方にある地名が路線名称に入っている二級国道路線は20路線あったが、そのうちの11路線について路線名称と実際の区間(単独区間)が合致しなかったのである(下表参照)。

路線
番号
路線名称 状況
178 舞鶴・鳥取線 事実上の起点は京都府加佐郡八雲村(〜1955年〔昭和30年〕4月19日)→京都府加佐郡加佐町(1955年〔昭和30年〕4月20日〜1957年〔昭和32年〕5月26日)→京都府舞鶴市八田(起点〜舞鶴市八田間は二級国道175号明石・舞鶴線と重用)。
終点は兵庫県美方郡射添村(〜1955年〔昭和30年〕3月31日)→兵庫県美方郡美方町(1955年〔昭和30年〕4月1日〜1961年〔昭和36年〕3月31日)→兵庫県美方郡村岡町。路線名称に「鳥取」が入っているが鳥取市が正式な終点になることは一度もなかった。
179 姫路・倉吉線 事実上の起点は兵庫県揖保郡太子町(起点〜揖保郡太子町間は一級国道2号線と重用)。
終点は鳥取県東伯郡羽合町。姫路方面から進んだ場合路線名称にある「倉吉」、すなわち倉吉市を通り過ぎた先にある自治体が終点だったことになる。
180 岡山・松江線 事実上の終点は鳥取県米子市(米子市〜終点間は一級国道9号線と重用)。このため島根県内に単独区間は存在しない。
181 津山・米子線 事実上の終点は鳥取県日野郡根雨町(〜1959年〔昭和34年〕4月30日)→鳥取県日野郡日野町(日野郡日野町〜終点間は二級国道180号岡山・松江線と重用)。
182 広島・松江線 事実上の終点は島根県八束郡宍道町(八束郡宍道町〜終点間は一級国道9号線と重用)。
183 広島・米子線 事実上の起点は広島県双三郡十日市町(〜1954年〔昭和29年〕3月30日)→広島県三次市(起点〜三次市間は二級国道182号広島・松江線と重用)。
事実上の終点は鳥取県日野郡根雨町(〜1959年〔昭和34年〕4月30日)→鳥取県日野郡日野町(日野郡日野町〜終点間は二級国道180号岡山・松江線と重用)。
184 松江・尾道線 事実上の起点は広島県双三郡十日市町(〜1954年〔昭和29年〕3月30日)→広島県三次市(起点〜三次市間は二級国道182号広島・松江線と重用)。このため島根県内に単独区間は存在しない。
186 広島・浜田線 事実上の起点は広島県安佐郡可部町(起点〜安佐郡可部町間は二級国道182号広島・松江線と重用)。
187 岩国・益田線 事実上の起点は山口県玖珂郡北河内村(〜1955年〔昭和30年〕3月31日)→山口県岩国市杭名(起点〜岩国市杭名間は一級国道2号線と重用)。
事実上の終点は島根県鹿足郡日原町(鹿足郡日原町〜終点間は一級国道9号線と重用)。
250 神戸・赤穂・岡山線 事実上の起点は兵庫県明石市(起点〜明石市間は一級国道2号線と重用)。
事実上の終点は岡山県和気郡備前町(和気郡備前町〜終点間は一級国道2号線と重用)。
261 広島・江津線 事実上の起点は広島県安佐郡安佐町(起点〜安佐郡可部町間は一級国道54号線〔二級国道183号広島・米子線及び二級国道186号広島・浜田線重用〕と、安佐郡可部町〜安佐郡安佐町間は二級国道186号広島・浜田線とそれぞれ重用)。

 中には終点が兵庫県内にあるのに堂々と中国地方の地名を路線名称に入れたものもあるのだが、なぜこのようになったのか。私は知名度のある地名を入れたほうがこの路線はどこに通じるか明確になって良いのではないかという思惑があったからではないかと考えている。
 下表は中国地方にある地名が路線名称に入っている二級国道路線の一覧表であるが、下表を見ていて何かに気付かないであろうか。

路線
番号
路線名称 使用時期 備考
178 舞鶴・鳥取線 1953〜1965
179 岡山・鳥取線 1953〜1963
姫路・倉吉線 1963〜1965
180 岡山・松江線 1953〜1965
181 津山・米子線 1953〜1965
182 広島・松江線 1953〜1963
新見・福山線 1963〜1965
183 広島・米子線 1953〜1965
184 松江・尾道線 1953〜1965
185 呉・三原線 1953〜1965
186 広島・浜田線 1953〜1965
187 岩国・益田線 1953〜1965
188 徳山・岩国線 1953〜1965
189 岩国空港線 1953〜1965
190 山口・埴生線 1953〜1960
山口・山陽線 1960〜1965
191 下関・益田線 1953〜1965
250 神戸・赤穂・岡山線 1956〜1965
261 広島・江津線 1963〜1965
262 萩・防府線 1963〜1965

 二級国道路線の名称で使われている中国地方の地名は23個(鳥取県…3個〔鳥取・倉吉・米子〕、島根県…4個〔松江・江津・浜田・益田〕、岡山県…3個〔岡山・津山・新見〕、広島県…5個〔広島・尾道・呉・福山・三原〕、山口県…8個〔山口・岩国・山陽・下関・徳山・萩・埴生・防府〕)あるのだが、そのうちの21個が市の名前なのである。市の知名度には差があるが、市の名前を路線名称に入れることによって行き先を明確にしたことが考えられる。
 また、市の格も路線名称に大きく影響したことが考えられる。二級国道180号岡山・松江線の事実上の終点は米子市に、二級国道183号広島・米子線と二級国道184号松江・尾道線の事実上の起点は三次市にそれぞれ存在するが、それぞれ二級国道180号岡山・米子線、二級国道183号三次・米子線、二級国道184号三次・尾道線にしなかったのはやはり何十kmもの重用区間を持つことになっても県庁所在地を起点または終点にしたほうが幹線道路らしくて良いという思惑があったことが考えられる(注8)
 そういう中で珍しい存在なのが路線名称に自治体としての町村名が入っている二級国道190号山口・埴生線→二級国道190号山口・山陽線である。二級国道190号山口・埴生線→二級国道190号山口・山陽線の終点の先には山口県最大の都市・下関市があることや埴生・山陽とも知名度が高いとは言えないこと(山陽という自治体名は岡山県にもあったし…)、「埴生」は読みにくい地名であること(「埴生(はにゅう)の宿」という有名な曲の影響で「はにゅう」と読み間違える人が多いのではないのだろうか)を考えれば山口・宇部・下関線とか山口・小野田・下関線とすれば良かったのではないかと思うのだが、なぜこのようにしたのだろうか。

全区間で他の国道路線と重用していた国道路線

 広島市と松江市を結ぶ二級国道182号広島・松江線→一級国道54号線→国道54号線は1953年(昭和28年)の発足時点から40年近くにわたって全線が他の国道路線と重用しているという稀有な路線であった。1965年(昭和40年)4月1日時点で国道54号線と重用していた国道路線は次の通りである。
・国道183号線…起点〜三次市間で重用。
・国道186号線…起点〜安佐郡可部町間で重用。
・国道261号線…起点〜安佐郡可部町間で重用。
・国道184号線…三次市〜終点間で重用。
・国道9号線…八束郡宍道(しんじ)町〜終点間で重用。
 国道183号線との重用区間の終点と国道184号線との重用区間の起点は同じ場所だから見事に全区間が他の国道路線と重用していたことになるのだが、山陽地方の中心都市と山陰地方の中心都市を結ぶ路線だったことや幹線筋を外れたところに国道路線を通すことは当時あまり考えられていなかったことがこの状況を生み出したのではないのだろうか。考えてみれば中国地方を横断する高速道路がまだなく、更に整備が完了した国道路線はかつて一級国道だったものだけという昭和時代後半から平成時代初頭にかけて広島県と島根県を往来する場合必ずと言って良いほど通っていたのが国道54号線である(無論通らないで済む往来もあったのだが…)。幹線道路故に信頼されていた姿がそこには垣間見える。
 一般国道発足後も国道186号線と国道191号線の経路変更により国道191号線と起点〜安佐郡可部町間で重用するようになったこと(1970年〔昭和45年〕4月1日)や国道375号線と短距離ながら重用することになったこと(1975年〔昭和50年〕4月1日)、三次バイパスの開通により国道183号線との重用区間の終点と国道184号線との重用区間の起点が移動したこと(1975年〔昭和50年〕5月12日)などの異動はあったのだが、平成時代に入るまで全線が他の国道路線と重用するという状況は変わらなかった。しかし、1993年(平成5年)4月1日をもって全線が他の国道路線と重用するという状況は終止符を打つことになった。国道184号線の起点が松江市から出雲市に移り、島根県飯石郡赤来町野萱以北の経路が変更されたからである。飯石郡赤来町野萱〜八束郡宍道町佐々布(さそう)間だけではあるがどの国道路線とも重用しない区間が発生したわけであるが、国道184号線の起点・経路変更と相前後して中国横断自動車道広島・浜田線が全線開通したことや他の広島県と島根県を結ぶ国道路線の整備が進み、国道54号線を通らないで広島県と島根県を往来できるようになったことを考えると国道54号線が陰陽連絡の任務を一手に引き受けていた時代は終わりを迎えたということになるのだろうか。もっとも、今日では中国横断自動車道尾道・松江線が全線開通したことで更に交通量は減ったことであろうが…。

発足当初と大幅に経路が変わった路線

 現行道路法による国道路線発足から60年以上経過しているが、その長い年月の間に大きく経路を変えている路線も少なくない。経路を変えた原因は国道再編とバイパスの開通であるが、最も大規模な経路変更を果たしたのは一級国道9号線と一級国道30号線ではないのだろうか。
 まず、一級国道9号線改め国道9号線は日本海を眺めながら走れる幹線道路という印象が強いが、特に島根県石見地方、具体的に記せば大田市〜江津市間と江津市〜浜田市間でそういう印象が生じるようになったのは1960年代中期以降のことだと記したら意外に思う方が多いかもしれない。というのも、発足当時の一級国道9号線は大田市〜江津市間・江津市〜浜田市間ともに日本海から離れた山間部を通っていたからである。石見銀山(大田市大森町)や有福温泉(江津市有福温泉町)の近くを通っていたと記したほうが分かりやすいかもしれないのだが、なぜこのようになったのか。恐らく島根県石見地方は平地が少なく、建設費用がかさむために既存の街道を踏襲して一級国道9号線を発足させたのではないのだろうか。
 しかし、一級国道9号線発足後ある問題が発生した。それを挙げると次の通りになる。
・大田市〜江津市間を短絡する主要地方道路線、すなわち大田・温泉津(ゆのつ)・江津線(1955〜1972)が発足したこと。
・江津市〜浜田市間を短絡する一般県道路線、すなわち浜田・江津線(1958〜1966)が発足したこと。
・大田市〜江津市間についてJR山陰本線沿線地域には仁摩・温泉津とある程度の規模を持った地方自治体の中心部があるのに対し、一級国道9号線沿線地域にはそういうところがなくなってしまったこと。石見銀山で栄えた頃の町並みが残る大田市大森地区ですら昭和の大合併ですったもんだの末に大田市に吸収されてしまったほどである(もっとも大森地区が大田市に編入された頃石見銀山は閉山してしまった後だったのだが…)。
・仁摩や温泉津などのJR山陰本線沿線地域に住む人々から立派な幹線道路があったほうが良いという声が上がったこと。
・一級国道9号線の道路改良は山間部を通ることなどから困難だったこと。
 そこで主要地方道大田・温泉津・江津線や一般県道浜田・江津線を活用した道路改良を企図し、大田市〜浜田市間の一級国道9号線改め国道9号線は日本海に沿う経路に変更されたのであろう。完全に完成したのは前身道路の主要地方道大田・温泉津・江津線が廃止された時期(1972年〔昭和47年〕3月21日島根県告示第209号による)から考えて1970年代初頭だったのではないかと思われる。
 一方、一級国道30号線は発足当初はJR宇野線に沿って岡山市と玉野市を結ぶ経路をとっていた。沿線には妹尾や興除、灘崎といった地方自治体の中心部があり、それらの地方自治体にとっては大切な幹線道路になっていたことがうかがえる。現在は児島湾干拓地を突っ切る経路に変更されているが、児島湾干拓地は明治時代に造成されたことや干拓地は農村地帯であり、人口はそんなに多くなかったこと、そして干拓地を突っ切る道路の建設には多額の費用がかかることを考えれば当時の経路選定は当然の帰結だったと言えよう。
 しかし、一級国道30号線は岡山市と児島市、すなわち現在の倉敷市児島地区を結ぶ主要地方道岡山・児島線と重用していたことや本州と四国を結ぶ幹線道路として交通量が増大したこと、岡山市と玉野市・高松市を短絡する道路の必要性が高まったことから児島湾干拓地を突っ切る経路に変更することにした。1962年(昭和37年)5月1日岡山県告示第427号及び第431号で主要地方道倉敷・藤戸線(1954〜1962)が一級国道30号線だった部分を編入して主要地方道倉敷・玉野線に再編されたこと(注8)を考えると干拓地を突っ切る道ができたのは1960年代初頭のことになるものと思われる。
 一級国道9号線と一級国道30号線の大幅な経路変更が実現できた背景には土木技術が発達したこともあろう。多額の費用がかかることであり、更に難工事もいくつもあったことであろうが、それらの困難を越えて有用な道になるために、多くの方々に利用してもらえるようになるためにはどのようにすれば良いか、当時の技術者は大いに悩んだに違いない。完成し、自動車が走り抜けてきたところを見た時の感動はどれほどかは分からないが、そういうところを通る時はそういう苦労があったことを想像してみても良いのではないのだろうか。

私が抱いた疑問あれこれ

 一般国道が発足するまでの国道路線の設定は古くからの幹線筋を踏襲する格好で行われていることが多かった。それはそれで良いのだが、この文を書いてきて、私には釈然としない思いがいくつか浮かんできた。そこでここでは私が抱いた疑問を紹介することにしたい(中にはここで既に書いたこともあるがご容赦願いたい)。
・なぜ中国山地を横断して山陰地方と山陽地方を結んでいた国道路線はそのほとんどが二級国道だったのか?(一級国道は29号だけ。本州を横断する一級国道路線は他に17号があるだけである)
・なぜ二級国道178号舞鶴・鳥取線は鳥取市を終点とする路線にしなかったのか?
・なぜ例えば岡山市と倉吉市を結ぶ路線や広島市と松山市を結ぶ路線は考えられなかったのか?
・なぜ二級国道181号津山・米子線は出雲街道を踏襲して発足したにもかかわらず姫路市と米子市を結ぶ国道路線として発足しなかったのか?
・なぜ広島県南東部で第二次世界大戦前に発足した尾道市や三原市にはそこを終点とする二級国道路線が設定されたのに同じく第二次世界大戦前に発足した福山市を起終点とする二級国道路線は1963年(昭和38年)まで設定されずじまいになったのか?(こちらで書いたのだがこのことが広島県が福山市を起終点とする主要地方道路線を4路線も発足させる一因になったわけであるが…)
・なぜ福山市や倉吉市と同じように地域の中心都市としての地位を有する出雲市や萩市、長門市、倉敷市、徳山市、防府市を起終点とする陰陽連絡の二級国道路線は考えられなかったのか?(前記の都市のうち萩市と防府市については1963年〔昭和38年〕に二級国道262号萩・防府線が設定されている)
・なぜ二級国道190号山口・埴生線→二級国道190号山口・山陽線は例えば二級国道190号山口・宇部・下関線とか二級国道190号山口・小野田・下関線という名称にしなかったのか?
・なぜ岡山市と鳥取市を結ぶ二級国道路線や広島市と松江市を結ぶ二級国道路線は後に一級国道に昇格したのに、岡山市と松江市を結ぶ二級国道路線は結局一級国道に昇格できなかったのか?(岡山市と松江市を結ぶ二級国道路線、すなわち現在の国道180号線の改良が2008年〔平成20年〕になってようやく完成したのはこのせいだと私は信じて疑わないでいる)
 既に50〜60年も前の話であるし、関係者のほとんどは既に故人になっていることを考えると真相は永遠に分からないことであろうが、前にも記したように国道にしても都道府県道にしてもその消長は政治が絡んでくることを考えればいろいろあってそうなったと考えるしかないのだろう。

それからの国道

 一般国道が発足した頃の日本は高度経済成長の真っ只中にあった。多くの雇用を生み出す都市や工業地帯では過密が起きた一方、山間部や農村地帯、島嶼(とうしょ)部などでは若年者を中心に都市や工業地帯へ出ていく人が増え、過疎化が社会問題化した。一方で道路整備が推進されたことにより陸上交通は自動車が主力を担うようになった。いわゆるモータリゼーションの進展である。
 そういう中で人々は考えた。道路が整備されれば便利になり、地域が栄えるのではないかと。そこで地域振興の材料の一つにされたのが国道である。そのことを示すように国道は大きくその姿を変えていった。
 一般国道発足後4度国道再編が実施されているわけであるが、中国地方の状況はどのようなものだったか。それを示すと下表の通りになる。

再編実施年月日 再編準拠告示 概要
1970年(昭和45年)4月1日 1969年(昭和44年)12月4日
政令第280号
・国道313号線と国道314号線、国道315号線、国道316号線、国道317号線の5路線が発足した。
・国道178号線と国道182号線、国道186号線、国道191号線の4路線が経路を変更した。
1975年(昭和50年)4月1日 1974年(昭和49年)11月12日
政令第364号
・国道373号線と国道374号線、国道375号線、国道376号線の4路線が発足した。
・国道180号線が経路を変更した。
1982年(昭和57年)4月1日 1981年(昭和56年)4月30日
政令第153号
・国道429号線と国道430号線、国道431号線、国道432号線、国道433号線、国道434号線、国道435号線、国道437号線の8路線が発足した。
・国道376号線が経路を変更した。
1993年(平成5年)4月1日 1992年(平成4年)4月3日
政令第104号
・国道482号線と国道484号線、国道485号線、国道486号線、国道487号線、国道488号線、国道489号線、国道490号線、国道491号線の9路線が発足した。
・国道184号線と国道188号線、国道313号線、国道314号線、国道429号線の5路線が経路を変更した。

 それぞれの再編における注目すべき事柄を記すと下表の通りになる。

再編実施年月日 注目すべき事柄
1970年(昭和45年)4月1日 ・二級国道時代「舞鶴・鳥取線」という名称を付けていたにもかかわらず兵庫県内で打ち切りになっていた国道178号線がようやく鳥取県進出を果たした。但し終点は鳥取市ではなく岩美郡岩美町とされた上、岩美郡岩美町は平成の大合併で独立を貫いたことから未だに鳥取市を終点とする路線にはなっていない。
・国道191号線が延長され、陰陽連絡国道としての役割も担うようになった。
・島根県西部の中心都市である浜田市を起終点とする国道路線がなくなった。
・井原市と因島市、美祢市に国道路線が通るようになった。
・それまで全く国道路線が通っていなかった広島県深安郡神辺(かんなべ)町(1929〜2006)に三つも国道路線が通るようになった。
・中国地方で初めて島嶼にも国道路線が通るようになった(生口島・因島・向島〔いずれも尾道市〕)。
・市町村道が国道路線になった箇所が生じた(国道314号線の庄原市東城町小奴可〜庄原市西城町八鳥間。このうち庄原市東城町小奴可〜庄原市西城町高尾〔こうお〕間は1980年代後半まで自動車通行不能になっていた)。
・日本海沿岸の町まで通じはしなかったのだが、福山市を起終点とする陰陽連絡国道路線が二つも発足した。
・初めて広島県と愛媛県を結ぶ国道路線が発足した。
・山口県で二つも陰陽連絡国道路線が発足した。
1975年(昭和50年)4月1日 ・初めて岡山県内で完結する国道路線が発足した。
・国道180号線が鳥取県内で大きく経路を変更した。
1982年(昭和57年)4月1日 ・境港市と平田市に国道路線が通るようになった。
・中国地方第三の都市である倉敷市を起終点とする国道路線が発足した。
・周防大島(屋代島とも称する。山口県大島郡周防大島町)を通る国道路線が発足した。
・初めて山口県と愛媛県を結ぶ国道路線が発足した。
・国道376号線が山口市で打ち切られた(岩国市周東地区と下関市豊北〔ほうほく〕地区を結ぶ、山口県の山間部を縦貫する国道路線を発足させたほうが良いようには思うのだが、県庁所在地が起終点にならないのは容認できないという意見があったのだろう)。
・島根半島や児島半島を巡る国道路線が発足した。
1993年(平成5年)4月1日 ・府中市に国道路線が通るようになり、当時中国地方にあった全ての市に国道路線が通ることになった。
・初めて島根県内で完結する国道路線が発足した。
・島後(どうご。島根県隠岐郡隠岐の島町)と西ノ島(島根県隠岐郡西ノ島町)、倉橋島(呉市)、江田島(江田島市)、能美島(江田島市)を通る国道路線が発足した。
・国道313号線が瀬戸内海沿岸の町と日本海沿岸の町を結ぶ路線になった。
・国道184号線が初めて島根県内に単独区間を有するようになった。
・反対に国道54号線が初めて単独区間を有するようになった。
・国道429号線が岡山県内で完結する国道路線ではなくなった。
・国道188号線と国道313号線について人口の多い町が起点になるように起終点の変更が行われた。
・国道188号線と国道314号線についてバイパス開通による起終点の変更が行われた。

 島根県や広島県、山口県の島嶼部に国道路線が通るようになったことや中国地方にある全ての市に国道路線が通るようになったこと、半島や山間部を通る国道路線が発足したことを考えると国道路線が地域振興の起爆剤としてとらえられていることがうかがえる。無論その実現には地元の有力な政治家が絡んでいることは記すまでもないであろう(実現させれば「私は○○を実現させました」と宣伝でき、有権者の支持を得られるようになるし…)。
 しかし、国道路線の目的の変化は様々な課題を招くことにもなった。その主たるものを挙げると次の通りになる。
・ストロー効果(ストロー現象とも称する)が山間部などで生じたこと。
・地域振興どころか過疎化が著しくなったこと。
・平成の大合併で庄原市や三次市、山口市などに見られるように行政区域が広大な自治体が多く発足したこと。
・自然環境の保護や費用対効果、沿線住民の強硬な反対、景観の保護などが原因で改良が進まないままの路線が増えたこと。
・かつてはほとんどの国道路線がそうだった事実を蔑ろにして改良が進まないままの路線を酷道と揶揄(やゆ)する方が増えたこと。
・未開通箇所や通行不能箇所を有する路線が増えたこと。
・国が管理する道だから立派であるべきという誤った考え方が蔓延(まんえん)していること。
 実は現在も未改良箇所や未開通箇所、通行不能箇所を抱える国道路線のほとんどが一般国道発足後に発足したものである(路線番号が271以下でそういうところを抱える路線は一般国道発足後に経路の変更が実施されたものがほとんどである)。発足当時いつかは整備しようと思っていたものがその後の社会情勢の変化などで延び延びになり、今日に至っているということなのだろうが、そのことにも国道路線が地域振興の材料にされていることや必ずしも思惑通りの結果をもたらしているわけではないことを感じ取ることができるのではないのだろうか。

これから国道はどうなるのか〜私が考える一つの案〜

 一級国道と二級国道が統合して一般国道が発足してから半世紀。社会情勢は大きく変わった。一般国道が発足した頃の高度経済成長はとっくの昔に終わったし、今は少子・高齢化が進展して日本は人口減少社会に転換しつつある。国家財政事情の改善や社会基盤の老朽化対策も大きな課題になっている。道路(特に計画・建設)について一般市民の目は厳しくなっている。国道再編は1993年(平成5年)を最後に行われていないが、この情勢ではもう行われない可能性が高いと考えても間違いではなかろう。
 しかし、賛否両論あることではあるが、私はあえて国道再編はやっても良いのではないかと考えている。その理由は次の通りである。
・やはり一級国道と二級国道を統合するのは無理があったのではないかと考えているから。
・一級国道と二級国道を統合して一般国道を発足させるのなら主要地方道と一般都道府県道を統合しても良かったのではないかと思うがそれはなされていないから。
・青森〜函館間や岡山〜米子〜松江間など一級国道があっても良かったのにそれが実現せず、一般国道発足で完全に実現できなくなったところが少なくないから。
・高速道路の整備が進んだが、ほとんどの場合路線名称またはそれを略したもので呼ぶことが多く、路線番号が付けられているものは少ないから(私は見たことはないのだが路線番号が付けられていても路線番号を知る手段がないところがいくつもあるらしい)。
・仙台〜新潟間や広島〜松山間など国道路線があっても良いのではないかと感じるところがあるから。
・路線によっては管理者が統一されていないものがあるから。
・バイパスが開通しても何十kmにわたってバイパスと現道の両方がずっと同じ路線になっているところが少なくないから。
・たくさんあっても良いというわけではないが、岡山県西部と広島県東部(国道182号線〔国道314号線重用〕・国道180号線・国道313号線で囲まれた地域。市町村名では岡山県側が井原市・高梁市・新見市、広島県側が庄原市・福山市・神石郡神石高原町となる)など国道空白地帯がいくつも生じているから。
・もう少し設定目的が明確化されるべきではないかと感じているから。
 私としては国道路線を極力現在の路線網を維持した上で主要国道と一般国道、高速国道に再編したら良いのではないかと考えている。主要国道は主要都市同士を結ぶ路線(原則として複数の都道府県に跨るもの。北海道内で完結するものは複数の振興局または総合振興局に跨るもの)や大都市の環状道路を、一般国道はそれ以外の国道路線を、高速国道は国土開発幹線自動車道と国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)、一部の地域高規格道路をそれぞれ対象とするのである。路線番号は主要国道が1〜100号、一般国道が101〜500号、高速国道は501〜600号というようにすれば路線目的の明確化が図れ、今後増加する海外からの旅行者などにも分かりやすくなるのではないのだろうか。また、併せて路線名称を設定し、どこからどこに通じる路線なのかを明示することも考えても良いと思う。
 無論こんなことをここで書いたところで実現するわけはないだろうし、前にも書いた通り政治が絡む問題だからその通りにはならないだろう。更に標識更新などで莫大な費用がかかるし、再編を巡って地域住民などから反対の声が上がることも考えられる。しかし、いずれは取り組まなければならない問題になることだけは明らかであろう。それがいつのことになるか、それは誰にも分からない。
 現在中国地方には107の市町村があり、そのうち鳥取県と岡山県については全ての市町村に国道路線が通っている(反対に島根県は隠岐郡海士〔あま〕町及び知夫村が、広島県では安芸郡熊野・府中両町と豊田郡大崎上島町が、山口県では熊毛郡上関町が国道路線の通っていない市町村として残っている)。107市町村中101市町村に通っていることを考えると平成の大合併による市町村の大幅な再編があったこともあるが国道路線が一般市民に身近な存在になったことを感じさせる。これからどうなっていくかは分からないがこれからも一般市民の身近な存在であり続けることであろう。

(注釈コーナー)

注1:このうち109〜111号と214〜216号は欠番になっている。その理由は下表の通りであるが、なぜ再利用されないままになったのかはっきりしたことは分からない。

路線
番号
路線名称 読み方 欠番になった理由
109 横手・古川線 よこてふるかわせん 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に二級国道108号石巻・酒田線のうちの一級国道47号線に移行しなかった部分と統合して二級国道108号石巻・横手線に再編されたため。
110 仙台・山形線 せんだいやまがたせん 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に一級国道48号線に移行したため。
111 八戸・仙台線 はちのへせんだいせん 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に一級国道45号線に移行したため。
214 島原・諫早線 しまばらいさはやせん 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に二級国道215号島原・宇土線及び二級国道216号熊本・大分線と統合して一級国道57号線に移行したため。
215 島原・宇土線 しまばらうとせん 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に二級国道214号島原・諫早線及び二級国道216号熊本・大分線と統合して一級国道57号線に移行したため。
216 熊本・大分線 くまもとおおいたせん 1962年(昭和37年)5月1日政令第184号により1963年(昭和38年)4月1日に二級国道214号島原・諫早線及び二級国道215号島原・宇土線と統合して一級国道57号線に移行したため。

注2:こちらでも記しているのだが、「鳥取県公報」は1929年(昭和4年)4月1日に創刊されたためである。よって、1929年(昭和4年)3月31日以前の県道路線の異動は現在のところ調べていない。もしかしたら鳥取県立公文書館に所蔵されている資料に旧道路法施行時点(1920年〔大正9年〕4月1日)から1929年(昭和4年)3月31日までの県道路線の異動を記したものがあるかもしれないのだが、現在のところ調査には手を付けていない。もし1920年(大正9年)4月1日〜1929年(昭和4年)3月31日の鳥取県の県道路線の異動をご存知の方がいれば本サイトまでご一報頂きたい。
※松波成行さんが運営する道路系サイト「japan.road.jp〜The Long and Winding Road〜」の一コーナー「道路法令集」で鳥取県の旧道路法施行時点の県道路線の認定について「公報として発行されておらず、新聞にも記載なし」と書いているのは1929年(昭和4年)3月31日以前は「鳥取県公報」が発行されていなかったためである。

注3:島根県にあったのは県道329号金城・弥栄線。1993年(平成5年)3月30日島根県告示第378号により認定されたが1993年(平成5年)5月11日建設省告示第1,270号で全線が主要地方道弥栄・旭インター線の一部に移行することになったため1994年(平成6年)4月1日島根県告示第409号により廃止された。
岡山県と広島県にあったのは広島県道207号/岡山県道355号福山港・用之江(もちのえ)線。1971年(昭和46年)4月27日岡山県告示第414号及び広島県告示第436号により認定されたが、1971年(昭和46年)6月26日建設省告示第1,069号で全線が主要地方道井原・福山港線の一部に移行することになったため1972年(昭和47年)3月21日岡山県告示第264号及び広島県告示第235号により廃止された。米子・勝山線の存在を知るまではこの広島県道207号/岡山県道355号福山港・用之江線が中国地方最短命の県道路線だと考えていた(存在日数は330日。米子・勝山線の存在日数は165日だから広島県道207号/岡山県道355号福山港・用之江線のちょうど半分しか存在しなかったことになる)。

注4:旧道路法時代の鳥取県の県道1号は鳥取・岡山線で1955年(昭和30年)6月28日鳥取県告示第321号により、県道2号は鳥取・広島線で1958年(昭和33年)9月12日鳥取県告示第423号によりそれぞれ廃止されている。もし路線番号が付けられていたとしたら200番台だったのではないかと思われる。

注5:1953年(昭和28年)5月18日時点で日本を構成する島で国道路線が通っていたのは北海道・本州・四国・九州と淡路島だけであった。
※この当時現在の沖縄県に相当する地域はアメリカ合衆国が施政権を掌握していたため当然のことながら国道路線を通せるわけはなかった。

注6:現在中国地方に存在する市と国道路線の通過状況は下表の通りである。

※かっこ書きしている路線は市域内に単独区間がないものである。

※国道路線に指定されていてなおかつ現道と重用しない高規格道路(広島・岩国道路〔国道2号線〕、山陰自動車道〔国道9号線・国道191号線・国道491号線〕、瀬戸中央自動車道〔国道30号線〕、広島・呉道路〔国道31号線〕、西瀬戸自動車道〔国道317号線〕、東広島・呉自動車道〔国道375号線〕)は本サイトでは高速道路と見なしていることから対象にしていない。

※一般国道発足後に発足したが現在は存在しない中国地方の市は山口県新南陽市(1970年〔昭和45年〕11月1日発足。2003年〔平成15年〕4月21日消滅)だけである。新南陽市には国道2号線・国道376号線・国道489号線が通っていた。

※中国地方で全く市を通っていない国道路線は国道178号線だけである(鳥取県岩美郡岩美町しか通っていない)。

県名 市名 通過路線 備考
鳥取県 鳥取市 9号
29号
53号
(373号)
482号
倉吉市 179号
313号
境港市 431号
米子市 9号
180号
181号
(183号)
431号
(482号)
島根県 松江市 9号
54号
(180号)
431号
432号
485号
出雲市 9号
184号
431号
雲南市 54号
314号
大田市 9号
375号
江津市 9号
(186号)
261号
浜田市 9号
186号
益田市 9号
(187号)
191号
488号
安来市 9号
(180号)
432号
岡山県 岡山市 2号
30号
53号
180号
250号
429号
484号
赤磐市 374号
484号
2005年(平成17年)3月7日発足。
浅口市 2号 2006年(平成18年)3月21日発足。
井原市 313号
486号
笠岡市 2号
倉敷市 2号
429号
430号
486号
瀬戸内市 2号
(250号)
2004年(平成16年)11月1日発足。
総社市 180号
429号
486号
高梁市 180号
313号
484号
玉野市 30号
430号
津山市 53号
179号
181号
(374号)
429号
新見市 180号
182号
備前市 2号
250号
374号
(484号)
1971年(昭和46年)4月1日発足。
真庭市 181号
313号
429号
482号
2005年(平成17年)3月31日発足。
国道429号線は旭川ダム湖のそばに建設されている旭バイパスが開通した時点(時期未定)で通過することになる。
美作市 179号
373号
374号
429号
2005年(平成17年)3月31日発足。
広島県 広島市 2号
31号
54号
183号
191号
261号
433号
487号
488号
安芸高田市 54号
(183号)
433号
(434号)
2004年(平成16年)3月1日発足。
江田島市 487号 2004年(平成16年)11月1日発足。
大竹市 2号
186号
(433号)
尾道市 2号
184号
317号
486号
呉市 31号
185号
375号
487号
庄原市 182号
183号
314号
432号
竹原市 2号
185号
432号
廿日市市 2号
186号
433号
434号
488号
1988年(昭和63年)4月1日発足。
東広島市 2号
185号
375号
432号
486号
1974年(昭和49年)4月20日発足。
福山市 2号
182号
313号
(314号)
486号
府中市 432号
486号
三原市 2号
185号
432号
486号
三次市 54号
183号
184号
375号
433号
(434号)
山口県 山口市 2号
9号
190号
262号
315号
376号
435号
489号
岩国市 2号
187号
188号
189号
376号
434号
437号
宇部市 2号
(9号)
190号
490号
下松市 2号
188号
山陽小野田市 2号
(9号)
190号
316号
2005年(平成17年)3月22日発足。
下関市 2号
9号
190号
191号
435号
491号
周南市 2号
315号
376号
434号
489号
2003年(平成15年)4月21日発足。
長門市 191号
316号
491号
萩市 191号
262号
315号
490号
光市 188号
防府市 2号
262号
美祢市 316号
435号
490号
柳井市 188号
437号

注7:広島県安芸郡府中町は1968年(昭和43年)まで国道2号線が通過していたが新広島バイパス開通に伴う旧道処分で県道164号広島・海田線に再編されてからは国道路線の通らない町になっている。よって、もし市制施行すれば昔は国道路線が通っていたけれど今は存在しない市ということになるが、市制施行への動きはこちらこちらでも記したように鈍い。もう少し積極的な動き、印象の良くない表現を用いれば強硬的な態度をとっても良いのではないかとも思いたくなるのだが、なぜそのようにしないのだろうか。

注8:主要地方道倉敷・藤戸線の終点が倉敷市藤戸町になかったとする説はこちらで記しているので併せてご覧頂きたい。