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中波放送新時代・中国放送ラジオ福山エフエム中継局開局(2016年〔平成28年〕10月1日公開)
本日、中国放送ラジオ(RCC、広島市中区基町)としては二番目となる福山エフエム中継局が開局した。既に9月中旬(注1)から試験放送が始まっているので福山市周辺でも周波数を94.6MHzに合わせて聴いた方はいるかもしれないのだが、福山エフエム中継局が見えるかどうかという場所にある私の家でも十分きれいに受信できた。「中波放送をエフエム放送で聴くなんて…」とか「中波ステレオや見えるラジオのように次第に見向きもされなくなるのでは…」という声もあるのだが、今回の「不定期刊・きょうのトピックス」ではなぜ民間中波放送局がエフエム放送を始めることにしたのかとかこれまでの経緯とかこれからの展望を綴っていきたいと思う。
中国放送ラジオ福山エフエム中継局はどこにある?
福山市街地の北東に聳(そび)える蔵王山(標高:225.3m)。福山市を通る主な高速道路や国道路線、鉄道路線からも眺められるその山は地域の象徴たる存在である。そのことは蔵王山南東麓にあった深安郡市村(1889〜1956(注2))が福山市に編入された時深安郡市村だった区域をもって発足した町丁を蔵王町としたことや蔵王山周辺にある学校の校歌の歌詞に「蔵王」という単語が入っていること(注3)にうかがえる。
中国放送ラジオ福山エフエム中継局はその蔵王山に設置されたのだが、恐らく多くの方は蔵王山の中腹にあり、福山市中心部からも見える福山南テレビ・エフエム中継局(福山市西深津町七丁目)に内包されているのではないかと考えているのではないのだろうか(注4)。実は中国放送ラジオ福山エフエム中継局があるのは福山南テレビ・エフエム中継局の北約700m、蔵王山山頂の南西約400mのところにある大谷山(福山市千田町千田。標高:約200m)の上である(注5)。そこに中国放送はエフエム中継局を建設したのである。
中国放送ラジオ福山エフエム中継局
なぜ同じ蔵王山の別の場所にエフエム中継局を設置したのか。それは広島県南東部の広い範囲で受信できるようにするためである。もし福山南テレビ・エフエム中継局に併設するかテレビ放送のデジタル化に伴い用済みになり、解体された中国放送テレビ福山蔵王アナログ中継局(福山市西深津町七丁目)の跡地に建てるかしたら福山市北部や府中市での受信状況が芳しくなくなり、今度は福山市北部や府中市を受信対象地域としたエフエム中継局を作らざるを得なくなって非効率になる。また、コミュニティ放送局のエフエムふくやま(愛称:レディオBINGO。福山市西町二丁目)の本局と福山デジタルテレビ中継局(福山市瀬戸町長和)がある彦山(標高:429.7m)の山頂に中継局を建設することも考えられたのだが、芦田川河口付近や鞆の浦で受信しにくくなるという問題がある(注6)。この他にも候補となる山はあるのだが、福山市中心部から遠くなるとか山頂に通じる道路がないとか山頂部の開発が難しいとか受信困難地域が出るといった問題がある。そこで福山南テレビ・エフエム中継局の北方に改めてエフエム中継局を建設することにしたのであろう。確かに中国放送ラジオ福山エフエム中継局はそのすぐ近くまで登山道路(但し全体的に狭い上にかなりの急勾配が入っている箇所がある。また、今年6月22日深夜から6月23日未明にかけての集中豪雨では土砂崩れが起き、通れなくなったこともあった)が作られているし、中国放送公式サイトによると福山市だけでなく尾道市・府中市・三原市・神石郡神石高原町・世羅郡世羅町でも受信できるとある(但しどの市町も全域で受信できるわけではない。反対に中国放送の放送区域ではない岡山県・香川県・愛媛県での受信状況については考慮されていない)。中国放送の技術担当者の苦心の結果がそこには表れていると言えよう。
福山市における中国放送ラジオの歴史
福山中波中継局の開局
福山市に中国放送ラジオの中波中継局が設置されたのは1959年(昭和34年)2月1日のことであった。1952年(昭和27年)10月1日に中国地方初の民間放送局として開局した中国放送(注7)はそれまで広島本局以外に中継局を設置しておらず、広島県の大半の地域で受信できない状況が続いていた。中国放送ラジオの売りは何と言っても開局5日目の1952年(昭和27年)10月5日に始めた広島カープ(注8)の公式戦中継であったが、当時はまだ弱小球団だった広島カープの試合を聴きたいと思ってもかなわないこと(NHKラジオ第一ならいくらかは放送しただろうが全試合というわけではなかっただろうし…)にがっかりした方もいたのではないのだろうか。
中国放送ラジオ福山中波中継局が開局した当時、広島県南東部には尾道市郊外の向島の北西部にNHK広島放送局(広島市中区大手町二丁目)の中波中継局があるだけであった。そこに置けば福山市や三原市でも十分受信できると考えたからであるが、そのように考えれば中国放送ラジオ初の中波中継局は向島北西部に設置したほうが好都合になるはずであった。ではなぜ福山市に設置したのだろうか。私は当時既に福山市が広島県南東部最大の都市になっていたこと(注9)と、福山市が広島県南東部の中心都市として発展する可能性が高く、それに賭けたこと(注10)、尾道市に重きを置き続ければ福山市及びその周辺の町村が広島県からの離脱→岡山県への編入を求めてくる恐れがあったこと(注11)が理由ではないかと考えている。
さて、平地(平野・盆地)の中にある都市の中波中継局は平地に置かれることが多いが、中国放送ラジオ福山中波中継局は福山市中心部の北側にある丘陵に設置された(所在地は福山市北美台(注12))。福山市中心部を見下ろす丘の上に建てられたのは福山市中心部だけでなく尾道市や府中市、三原市でも受信できるようにするためだと思われる。後にいろいろ問題が起きてくるのだが、とりあえず広島県南東部に住む方々はようやく民間放送の番組を楽しめるようになったわけである。
中国放送ラジオ福山中波中継局遠景
広島県南東部の拠点中継局
中国放送は福山中波中継局を開局させた後、今度は三次(みよし)中波中継局(三次市南畑敷町)を1960年(昭和35年)12月20日に開局させた。これにより中国放送ラジオは広島・福山・三次の県内3拠点に中継局を設置したことになり、とりあえずの中継局整備は完了することになった。
ところで、福山・三次両中波中継局にはある共通点がある。それはコールサインが付与されたことである。すなわち、福山中波中継局はJOEO、三次中波中継局はJOEWである。中国放送としては広島・福山・三次の3拠点体制でラジオ放送を展開しようという考えがあったことがうかがえる(注13)。中国放送ラジオでは広島本局(JOER)と福山・三次両中波中継局のコールサインをよく紹介していた(注14)し、福山中波中継局の鉄塔にはかつて「JOEO」と記されたネオンサインが取り付けられていたこと(注15)から知名度は高かった。
その後三次中波中継局のコールサインは廃止され、本局と福山中波中継局のコールサインだけが現在も使用され続けているのだが、中国放送が現在でも福山市を重要視していることがこのことからもうかがえる(注16)。
三原中波中継局と府中中波中継局の開局
中国放送ラジオ福山中波中継局は広島県南東部唯一の中国放送ラジオの中継局としてしばらくの間運用され続けてきたのだが、ある不都合が生じるようになってきた。それは府中市や三原市で中国放送ラジオ福山中波中継局が受信しづらいという問題であった。前にも記した通り中国放送ラジオ福山中波中継局は福山市中心部だけでなく尾道市や府中市、三原市でも受信できるようにするために福山市中心部を見下ろす丘の上に建てられたのだが、府中市中心部や三原市中心部では山の陰になり、受信しづらくなってしまったのである。福山市の地図をご覧頂ければ分かることであるが、福山市中心部がある福山平野は南東方向に展開されている一方で府中市中心部がある北西方向、尾道市中心部や三原市中心部がある南西方向にはいずれも高い山があり、受信困難地域が出ることは避けられない問題になっていたのである。
そこで中国放送では広島県南東部における中波放送の受信環境改善に乗り出したのだが、福山市と広島市を結ぶ幹線道路(国道2号線)の途中にある三原市で中国放送ラジオが受信できないというのは問題があるし、府中市と三原市を比べた場合三原市のほうが人口も多く経済力も高いということで三原地区の受信環境改善を優先することにし、1968年(昭和43年)12月20日に三原市明神三丁目(注12)に三原中波中継局を開局させたのである。三原中波中継局は沼田(ぬた)川のそばにあり、沼田川の向こう岸には国道2号線(注17)が通っているので三原市内の国道2号線を通っている時に見た方も多数いたのではないのだろうか。
三原中波中継局が中国放送ラジオとしては4番目の中波中継局だったのだが、5番目の中継局となる府中中波中継局(府中市土生〔はぶ〕町)が開局したのはそれから12年近く経った1980年(昭和55年)9月26日のことであった。設置場所は府中市中心部南方の高台だったのだが、実は三つの意味で注目されるべき存在になったのである。府中市内に開局した初めての府中中継局だったこと(注18)とNHKラジオ第一との共同中継局になったこと(注19)、そして中国放送としては中波放送の周波数の設定が10kHz間隔から9kHz間隔に変更されてから初めて開局させた中波中継局だったことである。これにより福山市北部や府中市中心部での中国放送ラジオの受信状況が改善された。
ちなみに広島県北部(いわゆる備北地方)でも中国放送は1981〜1982年(昭和56〜57年)に庄原市中心部と庄原市東城地区に中波中継局を設置しており、備北地方での受信環境が改善されている。
二度変わった周波数
ここまで中国放送ラジオ福山中波中継局の周波数に関する事柄を書かないできたのだが、中国放送ラジオ福山中波中継局の周波数はこれまでに二度変わっている。中国放送ラジオ福山中波中継局の周波数は開局した当時は1060kHzであり、広島本局や三次中波中継局の周波数が何度も変わる中で開局時から全く変わらなかった(注20)。しかし、中波放送の需要が逼迫(ひっぱく)したことによって周波数の設定が10kHz間隔から9kHz間隔に変更されることになったため1978年(昭和53年)11月23日午前5時を期して1062kHzに変更された。なお、1980〜1982年(昭和55〜57年)に推進された中国放送ラジオの庄原・東城・府中各中波中継局の開局はこの周波数再編で周波数を確保できるようになったことで実現できたことである。
このまま1062kHzで行くのかと思いきや、中波放送の周波数設定変更の少し前に広島県に登場したあるものが福山中波中継局の運命を大きく変えることになった。それは高速道路(注21)である。1978年(昭和53年)10月28日に中国自動車道北房(ほくぼう)インターチェンジ(真庭市五名)〜三次インターチェンジ(三次市西酒屋町)間100.2kmが開通したのだが、これが広島県における高速道路の初登場であった。この中国自動車道はそれから約4年半後の1983年(昭和58年)3月24日に千代田インターチェンジ(広島県山県郡北広島町丁保余原〔よおろほよばら〕)〜鹿野インターチェンジ(周南市鹿野上)間101.7kmが開通したことにより全線開通となり、山陽自動車道が有用な幹線道路になるまでしばらくの間中国地方の大動脈として君臨するわけであるが、そこである問題が生じたのである。中国放送ラジオを聴きながら広島県北部を通過している時何度も周波数を合わせ直さなければならなくなったことである。1980年(昭和55年)7月7日に東隣の岡山県を放送区域とする山陽放送ラジオ(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)が全ての中波中継局(岡山・笠岡・高梁〔たかはし〕・津山・新見・備前・真庭)の周波数を1494kHzに統一したことから中国放送も全ての中波中継局の周波数を1350kHzに統一してはどうかという声もあったのだが、残念ながら中国放送にはそれは不可能なことであった。次に挙げるような事情があったからである。
・本局の出力が強いこと。山陽放送ラジオ岡山本局(岡山市北区撫川〔なつかわ〕)の出力は10kWだが中国放送ラジオ広島本局(江田島市沖美町美能)は20kWであり、山陽放送ラジオ岡山本局の2倍になっている。
・周波数統一に当たり中国放送ラジオ広島本局に指向性をかけることは不可能ではなかったが、そうすると遠距離受信が困難になること。遠距離受信をしてでも中国放送ラジオを聴こうと思う方の中には広島東洋カープファンの方も少なくなく、そういう方々を蔑ろにすることはできないことであった。
・コールサインが存在すること。山陽放送ラジオはJOYRしかコールサインを使わなくなっていたが、中国放送ラジオはJOER・JOEO・JOEWと三つも使っていた。
・放送時間こそ短いが福山支社(福山市北美台)が制作し、福山・府中・三原各中波中継局だけで流れる番組があったこと。福山中波中継局がコールサインを所持し続けられるのはこのためでもある。
・七大都市(札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・広島・福岡)を擁する都道府県を放送区域とする民間中波放送局で一つの周波数しか使っていないところは東京・大阪の6社しかなかったこと。しかもこの6社の中波中継局の数は1〜2箇所である。
そこで中国放送ではラジオ放送の周波数を広島地区・備南地区・備北地区の三つに集約することを考えた。まず実施したのは中国自動車道の沿線地域にある庄原・東城・三次各中波中継局の周波数統一であり、1984年(昭和59年)12月10日に庄原中波中継局(庄原市西本町二丁目。720kHz)と三次中波中継局(1485kHz)の周波数をそれぞれ最後発の東城中波中継局(庄原市東城町川西)が使用している1458kHzに変更した。
一方で備南地区の中波中継局については高速道路の整備が遅れていたため長らく変更がなかったが、1993年(平成5年)10月26日に山陽自動車道福山西インターチェンジ(福山市東村町)〜河内インターチェンジ(東広島市河内町入野)間38.0kmが開通し、(広島・岩国道路を介する区間はあるが)広島県内の山陽自動車道が全線開通したことを契機に周波数統一への動きが加速した。福山中波中継局と三原中波中継局(720kHz)の周波数を最後発の府中中波中継局が使用している1530kHzに変更するという、備北地区と同じ方法で周波数統一を行うことにしたのだが、備北地区の場合と異なるのは一挙に周波数統一を行わなかったことであった。まず1994年(平成6年)11月14日に福山・府中両中波中継局の周波数統一を実施し、その約3ヶ月後の1995年(平成7年)2月13日に福山・府中両中波中継局と三原中波中継局の周波数統一を実施するという、二段階方式で実施したのである。なぜ一挙に実施しなかったのか。それは備南地区の中波中継局で中波ステレオ放送を実施することにしていたからではないかと思われる。実は三つ以上の中継局で中波ステレオ放送を実施したところはそれまで全くなく、中国放送ラジオが最初(で最後)だったのである。だから慎重を期す必要があったのだろう。そういうこともあり、備南地区では周波数統一後に一週間にわたり機器調整のための放送休止を深夜・早朝に入れたこともあった。
備北地区に続く備南地区の周波数統一により中国放送ラジオの周波数集約計画は完結し、中国放送ラジオはエフエム補完放送開始まで20年あまりの間三つの周波数だけで放送することになる。
地域別放送の時代
中国放送が中波中継局を設置した当時、既に福山市は広島県南東部最大の都市になっていたが、その後日本鋼管(現:JFEスチール〔東京都千代田区内幸町二丁目〕)の大規模な製鉄所の進出や数度にわたる周辺市町との合併、交通網の充実などにより人口が増加し、1975年(昭和50年)には30万都市の仲間入りを果たしていた。広島県では広島市に次ぐ県内第二の都市に成長していた。
そんな中で浮かび上がってきた不満の一つは福山市に報道機関や放送局の本社がないということであった。言い換えれば情報発信機能を有するものがなかったということであった。広島市という強大な都市がある以上致し方のないことだったのだが、世が世なら県庁所在地になっていてもおかしくなかった町であることや中枢性が高いことを考えればそういうものが一つはあっても良いという声が上がってもおかしくはなかったのである。ちょうどその頃広島県では郵政省(現:総務省)によって都道府県域民間エフエム放送局用の周波数の割り当てがなされたのだが、広島県南東部に本社を誘致しようという声が上がったのはその表れであった。
広島県を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局、すなわち広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)の本社誘致も結局成就しなかったわけであるが、広島エフエム放送が本社誘致のラストチャンスだったことを考えると選択肢は既存のものを使用するしかなかった。その中で最も条件が良かったのが中国放送ラジオであった。その条件を挙げると次の通りになる。
・当時福山市延広町の駅前大通りに面したビル(現存せず)にあった福山支社はスタジオを持っていたこと。
・福山支社制作の短時間番組がいくつか設定されていたこと。
・支社と同じ町に送信所となり得る中継局があったこと。
・送信所となる福山中波中継局にはコールサインが設定されていたこと。
そして1991年(平成3年)秋の番組改編で平日の午前9〜10時台に福山支社が制作し、福山・府中・三原各中波中継局だけで放送されるワイド番組「こっちのラジオはびんご色
BINGO LIVE STATION 小川久志のきょうもいい朝!」(1991〜2001年〔平成3〜13年〕放送。正式の題名があまりにも長いので以降は「小川久志のきょうもいい朝!」と記すものとする)が始まったのである。その頃の中国放送本社制作の平日の午前9〜10時台の自社制作のワイド番組は今一歩人気が出なかったのか短命で終わるものが多かったことやどうしても福山市中心にはなるが広島県南東部の情報を取り上げたこと、そして番組開始当初は公開生放送の形式をとっていたことから見事に広く支持される番組になった。それに気を良くしたのか1995年(平成7年)には土曜日の午後についても福山支社制作の福山・府中・三原各中波中継局だけで流れるワイド番組を設定し、最盛期には日曜日以外は福山支社制作のワイド番組が福山・府中・三原各中波中継局だけで流れるようになっていた。その頃福山支社が制作した、中国放送ラジオの全中波中継局で流れる番組もいくつもあったというから1990年代は中国放送福山支社の最盛期といっても間違いではなかった。なお、こちらの注釈28でも書いているのだが私の友人で「下関市立大学学園祭情報局〜中国地方最古参の市立四年制大学の学園祭のきのう・きょう・あす〜」というサイトを運営している中島孝祐(なかしま・こうすけ)さんの大学時代の一級上の先輩が中国放送福山支社に勤務していたのはちょうどその頃のことであり、これらの番組の制作に関わっていたという(但し全てではなかったとのこと。また、この先輩は残念ながら不祥事を起こし、逮捕されたことにより中国放送を辞めさせられており、現在その消息は全く分からないとのことである)。
しかし、その栄光の時代も長続きはしなかった。バブル景気の終焉とともに始まった不況やWindows95の発売を契機としたインターネットの普及、中国放送の経営環境の変化などがその要因であり、2000年(平成12年)頃には月曜日〜木曜日の週4日だけの放送に縮小されていた。それに追い討ちをかけたのが1990年代後半に尾道市や福山市でコミュニティ放送局が開局したことであった。尾道市を中心とした地域を放送区域とする尾道エフエム放送(愛称:エフエムおのみちまたはエフエムおのみち79.4。尾道市土堂二丁目)、福山市・府中市を中心とした地域を放送区域とするエフエムふくやま(愛称:レディオBINGO。福山市西町二丁目)はどちらも平日に三つの自社制作のワイド番組を設定しており、こうなれば地域別放送の意味は希薄化したも同然の状態になってしまった。なお、真偽は定かではないが尾道エフエム放送・エフエムふくやまとも中国放送が開局に当たって支援したという話(注22)があり、エフエムふくやまが開局した1996年(平成8年)頃には地域別放送を近い将来取りやめようという方針が定められていたのではないかと思われる。
結局「小川久志のきょうもいい朝!」は2001年(平成13年)春に9年半の歴史に終止符を打ち、そこで中国放送ラジオの地域別放送は終焉を迎えた。ただ、現在でも中国放送福山支社では日曜日朝に放送される、全中継局向けの30分番組を制作している他、平日午後の自社制作のワイド番組「バリシャキNOW」では福山支社から広島県南東部の話題を紹介するコーナー(毎週火曜日放送)が設定されており、完全に番組制作などをやめたわけではない。また、番組OBまたはOGの中には中国放送ラジオやエフエムふくやま、岡山エフエム放送(岡山市北区中山下一丁目)などで現在も活躍している人も少なくない。
ステレオ放送再び
中国放送の経営合理化の波は福山支社が制作し、福山・府中・三原各中波中継局だけで流される番組の打ち切りだけにとどまらなかった(注23)。2001年(平成13年)10月15日には福山・府中・三原各中波中継局での中波ステレオ放送を取りやめたのである。一時期中国放送ラジオは中波ステレオ放送を実施する中継局が4箇所もあり、最多を誇っていたのだが、中波ステレオ放送があまり普及しなかったことや中波放送をステレオ化しても中波放送が抱える問題点は解消されるわけではなかったこと、民間放送局、特にラジオ局は経営環境が厳しくなったことなどから広島本局は継続するが福山・府中・三原各中波中継局はやめようということになったのであろう。なお、中国放送ラジオ広島本局における中波ステレオ放送は2002年(平成14年)10月1日に廿日市(はつかいち)市住吉二丁目から江田島市沖美町美能に本局が移転した後も継続されたが、2011年(平成23年)3月14日をもって取りやめになり、中国放送ラジオにおける中波ステレオ放送の歴史は約18年半で終止符を打つことになった。
広島県の各地にある中国放送ラジオの周波数を記した看板。「ステレオラジオ」と書かれているところに中波ステレオ放送の名残が見られる。
中国放送ラジオにおける中波ステレオ放送終了から4ヶ月後の2011年(平成23年)7月20日、中国放送ラジオと広島エフエム放送はradikoに参入した。radikoとはラジオ放送をインターネットで同時に配信するサービスであり、中国地方の民間ラジオ放送局では初めての参入となった。これにより本放送より数秒間はずれるが中国放送ラジオは再びステレオ放送で聴けるようになった。
更に中国放送はエフエム補完放送にも乗り出し、2015年(平成27年)12月1日に広島エフエム中継局(広島市南区黄金山町)が、そして本日福山エフエム中継局がそれぞれ開局した。中国放送としては今後もエフエム中継局の設置を目指すとしており、今後の展開が注目される。
そもそもなぜエフエム補完放送は始まったのか
中波放送は日本では90年以上の歴史を有する、最も古い放送方式であり、多くの人々が触れる存在となっている。だから、エフエム補完放送などとんでもない!! と思う方は少なくない。それではなぜエフエム補完放送が始まったのか。その理由を挙げると次の通りになる。
・海外の中波放送との混信がひどい地域が少なくないこと。
・中継局の中には川や海のそばにあるものがあり、災害時に放送できなくなる恐れがあること。
・都市部では高層建築物が増え、受信しにくくなったこと。
・地形的な理由で受信しにくいが費用対効果などの問題で中継局設置を見送っているところが少なくないこと。
中波放送をエフエム放送で補完する例は平成時代に入って一部のNHKの放送局や民間中波放送局で導入されたが、本格的に導入されるようになったのは2014年(平成26年)に入ってからである。中国地方では2014年(平成26年)秋にNHK松江放送局(松江市灘町)が隠岐(おき)地区にラジオ第一のエフエム中継局を設置したのが始まりである。また、総務省により民間中波放送局のエフエム電波を用いた中継局、いわゆるエフエム補完中継局の周波数割り当てがなされている。中国地方にある民間中波放送局の本局のエフエム補完中継局の割り当て周波数は下表の通りである。
放送区域 | 放送局名・略称・所在地 | 割り当て周波数 (単位:MHz) |
備考 |
---|---|---|---|
鳥取県 島根県 |
山陰放送ラジオ (BSS、米子市西福原一丁目) |
92.2 | 本社は米子市にあるがなぜか送信場所は鳥取市または松江市になっている(本社の位置からすれば松江市になるべきなのだろうが…)。 |
岡山県 | 山陽放送ラジオ (RSK、岡山市北区丸の内二丁目) |
91.4 | |
広島県 | 中国放送ラジオ (RCC、広島市中区基町) |
94.6 | |
山口県 | 山口放送ラジオ (KRY、周南市徳山) |
92.3 |
中国地方での展開
2016年(平成28年)10月1日時点でエフエム補完放送を実施している中国地方の放送局は次の通りである。
放送区域 | 放送局名 | 中継局名・周波数 | 設置理由 | 備考 |
---|---|---|---|---|
島根県 | NHK松江放送局 | 赤名(87.5MHz) | 地形による受信困難 | 全てNHKラジオ第一の中継局。 |
隠岐(79.4MHz) | 混信対策 | |||
来島(89.2MHz) | 地形による受信困難 | |||
頓原(88.0MHz) | 地形による受信困難 | |||
広島県 | 中国放送ラジオ | 広島(94.6MHz) | 都市化による受信困難 災害対策 |
|
福山(94.6MHz) | 都市化による受信困難 | |||
山口県 | 山口放送ラジオ | 周南(92.3MHz) | 都市化による受信困難 災害対策 |
|
長門(86.4MHz) | 地形による受信困難 混信対策 |
|||
萩(86.4MHz) | 地形による受信困難 混信対策 災害対策 |
|||
美祢(86.4MHz) | 地形による受信困難 混信対策 |
現在のところ松江放送局以外の中国地方のNHK放送局や山陰放送ラジオ(BSS、米子市西福原一丁目)、山陽放送ラジオについてはエフエム中継局は全く存在しないが、山陰放送ラジオについては早ければ来春には鳥取県東部・中部を対象としたエフエム中継局が開局する予定になっている。また、山口放送ラジオ(KRY、周南市徳山)については近く柳井市及びその周辺を対象としたエフエム中継局が開局することになっている。
利点と難点
ようやく自分が住んでいるところでもエフエム補完放送が始まったわけであるが、どのような利点と難点があるのか。それをここから触れていくことにしたい。
まず、利点であるが、次のようなことが挙げられよう。
・エフエム電波を用いているので音声がきれいである。
・蛍光灯・電子レンジなどの家電製品や電化されている鉄道路線に影響されない。
・音楽やスポーツ中継がステレオ放送で楽しめる。
・大型商業施設の立体駐車場など建物の中でもきれいに受信できる。
・ほとんどが山の上に中継局を建てているため災害時でも放送が流せるようになる。
・従来の中波放送局は高い鉄塔を建てていたが、エフエム補完中継局はそこまで大きなものを建てなくても済む。
・電波の行き届く範囲が狭いため狭い地域での中継局設置が可能になる。
一方で難点としては次のようなことが挙げられよう。
・新聞のテレビ・ラジオ欄に周波数が掲載されない。あくまでも中波放送は中波放送であり、エフエム放送ではないということを示したいのだろうが…。
・まだ導入していないところが多いこともあるが、周波数が書かれた看板がない。
・未だに開局への動きが起きていない放送局が少なくない。総務省は補助金を出すことにしているが、それでも積極的にならないのはなぜなのだろうか。なお、周波数割り当ては2020年(平成32年)3月31日までに開局させないと破棄されることになっている。
・いくら受信困難地域でも費用対効果などの問題で中継局設置を見送るところが出る恐れがある。
・エフエム放送局は電波が届く範囲が狭いことから中継局を多数設置せざるを得なくなる。中国地方にある都道府県域民間エフエム放送局を見ると最も少ない岡山エフエム放送ですら9局(岡山・井原・笠岡・久世・児島・高梁・津山・新見・備前)もあることを考えるとどうなるのだろうと思いたくなる。
・エフエム放送の遠距離受信が可能なところが少なくない。例えば福山市の芦田川河口付近から鞆の浦にかけての地域(沼隈半島東岸部)では近畿(関西)地方に本社を置く都道府県域民間エフエム放送局がいくつか受信できる。また、6月頃にはいわゆるEスポ現象により広島県で北海道や宮城県、沖縄県のエフエム放送局が受信できることがある。
・ワイドFMと称される部分、言い換えれば90.1〜95.0MHzで流れる放送に対応していないラジオ受信機がまだ多数売られている。108.0MHzまで受信できるラジオ受信機は昔から多数売られていたのだから全て対応するようにできたのでは…と思うのだが、やはり日本のエフエム放送は長らく90.0MHzまでだったからこうなったのだろうか。
・中波ステレオ放送やエフエム文字多重放送のようにすぐに見向きもされなくなり、廃れる恐れがある。ただ、多額の費用をかけて中継局を設置していることを考えれば短期間で放棄することは考えられない。
・放送局の経営に影響を及ぼす恐れがある。自社制作番組の削減や終夜放送の取りやめ、日曜日深夜の放送終了時間の繰り上げなどを断行するところが出るのでは…と考えたくなる。
・中波放送をやめようと思うところが出る恐れがある。
・中波中継局を廃止するところが出る恐れがある。
・受信環境が変わり、かえって受信しにくくなるところが出る恐れがある。
・対抗局となる民間エフエム放送局の経営に影響を及ぼす恐れがある。
・未だに都道府県域民間エフエム放送局のない茨城県・奈良県・和歌山県における都道府県域民間エフエム放送局の開局の可能性が消滅する(奈良県・和歌山県については周波数割り当てはなされているが、開局したところで経営が厳しくなるのは火を見るより明らかであり、いずれは破棄の方向に進むのではなかろうか)。
・NHKがラジオ第一・ラジオ第二についてエフエム放送化を推進した場合、NHK-FMとの兼ね合いが問題になる。
・未だに「中波放送は高齢者が聴くもの、エフエム放送は若年者が聴くもの、短波放送は株式や競馬に興味がある人が聴くもの」というような先入観を持っている人がいる。そういう先入観を払拭できれば良いのだが、どれだけ高齢者にエフエム放送を聴いてもらえるのか、そして若年者が親しむのかが気になる。
いずれにせよまだエフエム補完放送は始まったばかりである。長い目で見てその効果を検証していかなければならないであろう。
今後の展望
現在中国地方で中波放送を行っている放送局は9局ある。現在そのうちの3局、すなわちNHK松江放送局と中国放送ラジオ、山口放送ラジオでエフエム補完放送が実施されているわけであるが、これら9局のエフエム補完放送は今後どうなっていくのか。最後に私の予想を放送局ごとに書いてみることにしたい。なお、この予想が外れても一切文句や抗議は受け付けないし寄せないで頂きたい。
NHK編
(NHK鳥取放送局)
NHK鳥取放送局(鳥取市寺町)の中波放送の中継局は下表の通りである。
中継局名 | 所在地 | 周波数(単位:kHz) | 備考 | |
---|---|---|---|---|
ラジオ第一 | ラジオ第二 | |||
鳥取 | 鳥取市安長 | 1368 | 1125 | 千代川の西方の平地に設置されている。 |
倉吉 | 倉吉市北野 | 1026 | 1359 | 小鴨川の西方の平地に設置されている。 |
智頭 | 八頭郡智頭町智頭 | 1323 | ― | |
日野 | 日野郡日野町下黒坂 | 1584 | ― | |
米子 | 米子市上後藤五丁目 | 963 | 1521 | |
若桜 | 八頭郡若桜町浅井 | 1026 | ― |
中継局は県内の主たるところに配置されており、現状ではエフエム補完中継局を設置する可能性は低いと思われる。
(NHK松江放送局)
NHK松江放送局の中波放送局の中継局は下表の通りである。
中継局名 | 所在地 | 周波数(単位:kHz) | 備考 | |
---|---|---|---|---|
ラジオ第一 | ラジオ第二 | |||
松江 | 出雲市小山町 | 1296 | 1593 | |
石見 | 邑智郡邑南町矢上 | 846 | 1512 | |
川本 | 邑智郡川本町川本 | 1368 | 1602 | |
江津 | 江津市江津町 | 1323 | ― | 日本海の近くに設置されている。 |
津和野 | 鹿足郡津和野町鷲原 | 999 | 1359 | |
浜田 | 浜田市殿町 | 1026 | 1359 | |
匹見 | 益田市匹見町匹見 | 1584 | ― | |
益田 | 益田市中吉田町 | 1341 | 1539 | 益田川のすぐ近くの平地に設置されている。 |
六日市 | 鹿足郡吉賀町沢田 | 1323 | ― |
中継局は平地が少ない石見地区(大田市・江津市・浜田市・益田市・邑智郡・鹿足郡)偏重になっており、その他の地区(松江市・出雲市・雲南市・安来市・飯石郡・隠岐郡・仁多郡)には松江本局(出雲市小山町)しかない。このため山間部にある飯石郡や仁多郡、日本海に浮かぶ隠岐諸島で構成されている隠岐郡では松江本局を受信しづらいという状況が生じていた。従来の中波中継局を設置しようとしても費用対効果が見込めないため長らく受信環境改善は見送られてきたが、ようやく2014年(平成26年)秋以降赤名・隠岐・来島・頓原の4箇所でラジオ第一のエフエム補完中継局が開局している。
もしNHK松江放送局が今後もエフエム補完中継局設置を推進する考えを持っているのであれば私は仁多郡奥出雲町が可能性が高いのではないかと考えている。ある程度の人口があることや松江本局とは山で隔てられていること、松江自動車道の全線開通で交通量こそ減っているが広島県に通じる国道路線が二つ(福山市に至る国道314号線と竹原市に至る国道432号線)もあることがその理由である。
(NHK岡山放送局)
NHK岡山放送局(岡山市北区駅元町)の中波放送局の中継局は下表の通りである。
中継局名 | 所在地 | 周波数(単位:kHz) | 備考 | |
---|---|---|---|---|
ラジオ第一 | ラジオ第二 | |||
岡山 | 岡山市南区藤田 | 603 | 1386 | 笹ヶ瀬川の西方の平地(干拓地)に設置されている。 |
久世 | 真庭市久世 | 1323 | ― | |
津山 | 津山市伏見町 | 927 | 1152 | 吉井川の北方の平地に設置されている。 |
新見 | 新見市金谷 | 1341 | 1125 | |
北房 | 真庭市上水田 | 1584 | ― |
中継局は山間部の多い北部に多く設置されており、南部には岡山本局(岡山市南区藤田)しかない。岡山本局だけで岡山県南部は十分というところなのだろうが、気になるのはそれでも受信しづらいところはあるのではないかということである。南部では井原市や笠岡市、備前市、小田郡矢掛(やかげ)町、和気郡和気町が、中部では岡山市北区建部(たけべ)・御津地区や高梁市がそれぞれ挙げられるのだが、これらの地域への中継局設置は考えられないのだろうか。もしNHK岡山放送局がエフエム補完中継局を設置するとすればこれらの地域が最有力候補になるのではないかと思われる。
(NHK広島放送局)
NHK広島放送局の中波放送局の中継局は下表の通りである。
中継局名 | 所在地 | 周波数(単位:kHz) | 備考 | |
---|---|---|---|---|
ラジオ第一 | ラジオ第二 | |||
広島 | 広島市安佐南区西原四丁目 | 1071 | 702 | 太田川の西方の平地に設置されている。 |
呉 | 呉市阿賀町 | 1026 | 1521 | |
庄原 | 庄原市東本町二丁目 | 1161 | 1359 | |
世羅 | 世羅郡世羅町本郷 | 1224 | ― | |
東城 | 庄原市東城町川西 | 792 | 1602 | |
福山 | 尾道市向島町 | 999 | 1602 | 瀬戸内海(尾道水道)のすぐそばに設置されている。 |
福山木之庄 | 福山市久松台三丁目 | 1161 | 1467 | |
府中 | 府中市土生町 | 1026 | ― | 中国放送ラジオ府中中波中継局との共用中継局。 |
三次 | 三次市十日市町 | 1584 | 1035 |
中継局は県内にまんべんなく配置されているように見えるが、空白地帯が存在する。それは北西部の山県郡である。山県郡は中国自動車道や浜田自動車道が通っている上に交通の要衝たる箇所がいくつかあるのだが、広島本局(広島市安佐北区西原四丁目)とは山で隔てられており、受信環境が良いとは言えない状況にある。もしNHK広島放送局がエフエム補完中継局を設置するとすれば山県郡が最有力候補となるだろう。
なお、NHK広島放送局は今年9月1日からNHKネットラジオらじる★らじるでの再送信を開始している。これによりradikoに参加している中国放送ラジオ・広島エフエム放送と合わせて広島県を放送区域とするラジオ局は全てパソコンやスマートフォンで楽しめるようになった。
(NHK山口放送局)
NHK山口放送局(山口市中園町)の中波放送局の中継局は下表の通りである。
中継局名 | 所在地 | 周波数(単位:kHz) | 備考 | |
---|---|---|---|---|
ラジオ第一 | ラジオ第二 | |||
山口 | 防府市西浦 | 675 | 1377 | 佐波川河口と瀬戸内海の近くの平地に設置されている。 |
岩国 | 岩国市旭町三丁目 | 585 | ― | 今津川のすぐ近くの平地に設置されている。 |
下関 | 下関市向洋町一丁目 | 1026 | 1359 | |
須佐 | 萩市須佐 | 1368 | ― | |
萩 | 萩市椿東 | 963 | 1125 |
中継局は県内にまんべんなく配置されているように見えるが、空白地帯がいくつも存在する。山口市阿東地区や周南市鹿野地区、美祢市などの内陸部や長門市や柳井市などの海岸部に中継局がない。これらの地域は中継局とは山で隔てられていることが多く、受信環境が良いとは言えない状況にある。もしNHK山口放送局がエフエム補完中継局を設置するとすればこれらの地域が最有力候補となるだろう。
(総括)
記すまでもなくNHKの中波放送の中継局も海外の放送局との混信や高層建築物の増加による都市部での受信困難、地形的な理由による受信困難、災害による放送不能といった課題を抱えているのだが、今のところエフエム補完中継局を設置する場所は山間部か離島に限られているし対象となる放送はラジオ第一がほとんどである(注24)。NHKとしては三つあるラジオ放送のうちいずれか一つが使えれば良いのではないかとかもし受信できない環境にあるのならNHKネットラジオらじる★らじるを用いて番組を聴いて頂きたいとか受信環境改善を大義名分に中波放送のエフエム補完放送を推進すればエフエム放送が微妙な立場に置かれるので積極的になるわけにはいかないといった考えがあるのだろうが、果たして今後どのように取り組んでいくのだろうか。今後も注目していきたいところである。
民間放送編
(山陰放送ラジオ)
山陰放送ラジオの中波放送局の中継局は下表の通りである。
県名 | 中継局名 | 所在地 | 周波数 (単位:kHz) |
備考 |
---|---|---|---|---|
鳥取県 | 米子 | 米子市彦名町 | 900 | 中海に近い場所に設置されている。 |
鳥取 | 鳥取市里仁 | 1431 | ||
倉吉 | 倉吉市和田東町 | 1557 | ||
島根県 | 出雲 | 出雲市高松町 | 1431 | 神戸川の北方の平地に設置されている。 |
大田 | 大田市大田町大田 | 1485 | ||
浜田 | 浜田市瀬戸ヶ島町 | 1557 | 浜田沖の馬島の海岸べりに設置されている。 | |
益田 | 益田市中島町 | 1431 | 高津川の東方の平地に設置されている。 |
山陰放送ラジオの中波中継局は海や川に近いところに設置されていることが多い。そのことは同時に災害時に放送不能に陥る恐れのある中継局が多いということを示している。また、日本海沿岸地域を放送区域としていることから国内外の放送局との混信も日常茶飯事化している。山陰放送ラジオが中国放送ラジオ・広島エフエム放送に次いで中国地方で三番目にradikoに参入したのはそのことが背景にあったものと思われる。
さて、現在のところ山陰放送ラジオではエフエム補完放送は実施していない。しかし、総務省中国総合通信局(広島市中区東白島町)は今年5月10日に鳥取市・倉吉市及びその周辺を対象としたエフエム補完中継局設置に対して補助金を出すことを発表しており、恐らく来春には鳥取県東部・中部を受信範囲としたエフエム補完中継局が開局するものと思われる。ここで「山陰放送ラジオは米子市に本社があるのになぜ米子市を中心とした地域を後回しにするのか」という疑問を抱く方がいるかもしれないのだが、米子市を中心とした地域を受信範囲としたエフエム補完中継局は米子市が属する鳥取県内には設置できないこと(もし設置するとすれば松江市北部の山になるだろうがそこは島根県になるし…)や都道府県庁所在地のある場所(鳥取県の場合は鳥取市)を優先させたことが米子市を中心とした地域を後回しにした理由ではないかと思われる。
その次にエフエム中継局を設置するのは本社のある米子市が含まれる山陰地方中央部(鳥取県西部・島根県東部)となろうが、他に設置が有力なところとしては浜田市及びその周辺と隠岐諸島が挙げられる。一方で中継局がないために受信困難地域が多数存在する山間部(鳥取県…日野郡・八頭郡、島根県…飯石郡・邑智郡・鹿足郡・仁多郡)におけるエフエム補完中継局の設置は人口が少ないことや費用対効果が見込めないこと、経営事情が厳しいことなどから実現は難しいと言え、恐らく山陰放送ラジオのエフエム中継局は鳥取・松江・浜田・隠岐の4局にとどまるのではないかと思われる。
(山陽放送ラジオ)
山陽放送ラジオの中波放送局の中継局は下表の通りである。
中継局名 | 所在地 | 周波数 (単位:kHz) |
備考 |
---|---|---|---|
岡山 | 岡山市北区撫川 | 1494 | |
笠岡 | 笠岡市神島外浦 | 1494 | |
高梁 | 高梁市松原町松岡 | 1494 | |
津山 | 津山市林田 | 1494 | |
新見 | 新見市新見 | 1494 | |
備前 | 和気郡和気町田土 | 1494 | |
真庭 | 真庭市杉山 | 1494 | 平成の大合併以前に属していた自治体の名称から落合中波中継局と呼称する場合もある。 |
山陽放送ラジオと言えば中国地方にある民間中波放送局としては唯一全ての中継局の周波数を統一していることで知られているが、放送区域となる岡山県にまんべんなく中継局を設置していることや災害に遭いやすい海や川のそばに一切中波中継局を設置していないことも特筆されよう。radikoへの参入が遅くなったことも、そして中国地方にある民間中波放送局でエフエム補完放送への参入が最後になることがほぼ決まったこともこれらの事実が背景にあると言えよう。
しかし、では山陽放送ラジオはエフエム補完放送に参入しなくて良いのかと言えば私はそうは思わない。都市化が進展して高層建築物が増えた岡山市や倉敷市、中波中継局が山の向こうにある井原市や真庭市北部など受信困難地域があるからである。だったら早く手を挙げれば良いじゃないかと思う方がいるかもしれないのだが、実は山陽放送にはいろいろ難しい事情がある。それは次の通りである。
・山陽放送は同じく岡山市に本社を置いている報道機関、すなわち山陽新聞社(岡山市北区柳町二丁目)と岡山放送(OHK、岡山市北区学南町三丁目)、テレビせとうち(TSC、岡山市北区柳町二丁目)とともに岡山エフエム放送に出資していること。このようになったのは岡山県を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局の開局が496もあった申請者の一本化に手間取るなどして大幅に遅れたからである。
・山陽放送ラジオの中継局がある都市は全て岡山エフエム放送も中継局を設置していること。岡山エフエム放送は中継局を設置しているが山陽放送ラジオは中継局を設置していないのは井原市と倉敷市(児島地区)だけである。
・山陽放送の本社は既に築後半世紀以上が経過していること。このせいもあるのかradiko参入前後に日曜日早朝に放送休止を設定して機器調整に当たったこともあった(但し山陽放送の公式サイトでは放送を臨時に休止することの通知もその理由説明もなし…。理由はお察し下さいというつもりなのだろうが果たしてこれで良いのかと思ったものである)。
・山陽放送の本社は岡山城跡(岡山市北区丸の内二丁目)の中にあること。岡山城跡は国指定の史跡になっているので増築などの史跡破壊行為は不可能になっている。
・山陽放送ラジオの自社制作番組事情が芳しくないこと。対抗局の岡山エフエム放送には二つも十数年間(言い換えれば開局時点から)続いている自社制作のワイド番組があるのに山陽放送ラジオの自社制作のワイド番組は数年で終わるものが多い。聴取率が芳しくないのが一因と言えるが、中には喋り手の舌禍が原因で打ち切りに追い込まれた番組もあった(注25)。
・最近の山陽放送ラジオに孤高さが感じられなくなったこと。かつてはJRN(詳細はこちらを参照のこと)にしか加盟していなかった(注26)が1997年(平成9年)にNRN(詳細はこちらを参照のこと)に加盟し、他の中国地方にある民間中波放送局と同じJRN・NRNクロスネット局に転換したことが遠因になったのでは…とする声もある。
・岡山県・香川県の民間放送事情が厳しいこと。両県の合計人口は広島県より少し多いが、そこに民間テレビ放送5局、民間中波放送2局、民間エフエム放送2局もあったら経営は必然的に厳しくなる(ちなみに広島県は民間テレビ放送4局、民間中波放送1局、民間エフエム放送1局)。テレビせとうちは未だに井原市に中継局を設置できないでいることやいろいろな面で話題になった深夜アニメ「おそ松さん」(テレビ東京系、2015〜2016年〔平成27〜28年〕放送)を全く放送しなかったこと(注27)、岡山エフエム放送は開局当時から全く中継局が増えていないこと、西日本放送ラジオ(RNC、高松市丸の内)が日曜日は午前0時で放送を打ち切るようになったこと、西日本放送テレビは四国地方にあるテレビ・ラジオ兼営の民間テレビ放送局で唯一テレビの終夜放送を行っていないことなどはその象徴的事実と言える(注28)。
・岡山県の経済事情が厳しくなっていること。トレハロースの開発で名をはせた林原(岡山市北区下石井一丁目)の経営破綻や通信教育大手のベネッセコーポレーション(岡山市北区南方三丁目)の個人情報漏洩(ろうえい)事件と経営不振などは記憶に新しいところである。また、(岡山県に本社がある企業ではないが)今年発覚した、倉敷市に工場がある三菱自動車工業(東京都港区芝五丁目)の燃費試験不正問題では岡山県南西部にある関連企業が大きな打撃を受けている。
・エフエム補完放送に乗り出すことは山陽放送ラジオの売りである岡山県内全域で同じ周波数で楽しめることができなくなることでもあり、それ故消極的になっていること。
・山陽放送ラジオの中波中継局の中には山の上に建っているところが多いためエフエム中継局を設置する代わりに中波中継局を廃止することになる恐れがあること。特に岡山本局(岡山市北区撫川〔なつかわ〕)が十分受信できる地域にある中波中継局はそういう問題が起きる可能性がある。
岡山エフエム放送は裏切れないし、エフエム補完放送対応の社屋にするのは難しいし、いくら経営環境が厳しくても放送局の統合などとんでもない!! という雰囲気だし、孤高さを取り戻すために系列脱退を強行するのも難しいし、岡山県内全域で同じ周波数で楽しめることは放棄したくないし…というのが現状なのだろうが、となると残された道はエフエム補完放送には一切乗り出さないことを宣言するか(費用はかかるが)本社を移転してエフエム補完放送・radikoに対応できるようにするかしかないであろう(注29)。私としては山陽放送は岡山市中心部のどこかへ移転し、その後で岡山市は岡山城跡の整備(今秋再建50周年を迎える天守を含めた建築物の木造による再建など)を行ったら良いのではないかと考えているのだが、果たしてどのようになるのだろうか。いずれにせよ山陽放送がどのように動くか今後注目していきたいところである。
(中国放送ラジオ)
中国放送ラジオの中波放送局の中継局は下表の通りである。
中継局名 | 所在地 | 周波数 (単位:kHz) |
備考 |
---|---|---|---|
広島 | 江田島市沖美町美能 | 1350 | 瀬戸内海(広島湾)のすぐそばに設置されている。 |
庄原 | 庄原市西本町二丁目 | 1458 | |
東城 | 庄原市東城町川西 | 1458 | 成羽(なりわ)川のすぐそばに設置されている。 |
福山 | 福山市北美台 | 1530 | すぐそばには福山支社(福山放送局)がある。 |
府中 | 府中市土生町 | 1530 | NHKラジオ第一府中中波中継局との共用中継局。 |
三原 | 三原市明神三丁目 | 1530 | 沼田川のすぐそばに設置されている。 |
三次 | 三次市南畑敷町 | 1458 | 馬洗(ばせん)川の南方の平地に設置されている。 |
中国放送ラジオの中波中継局は海や川に近いところに設置されていることが多い。そのことは同時に災害時に放送不能に陥る恐れのある中継局が多いということを示している。また、広島市や呉市、東広島市、福山市などの人口の多い都市では高層建築物が増え、それ故受信しにくくなったところも出ている。中国放送ラジオのエフエム補完放送への参入は山口放送には後れを取ったが、これまでに広島市と福山市で中継局が開局している。
その次に開局する可能性が高いところは実は中国放送は公式サイトで明かしている。それは三原市と三次市である。どちらも上表をご覧頂ければうかがえることであるが大きな川のそばに中継局があり、水害で放送不能に陥る恐れがある。特に三次市は1972年(昭和47年)7月に梅雨末期の集中豪雨で中心部が浸水するという被害を受けており、人口は広島市・福山市・三原市よりも少ないが候補に挙げられるのは当然の帰結と言ったところであろう。
三次市中心部の各所にある1972年(昭和47年)7月豪雨における被災水位を示した看板
人口順や経済力から整備は三原市→三次市の順になるのではないかと思われるが、三原・三次両エフエム中継局が開局すると中国放送ラジオは広島・備南・備北の県内3地域でエフエム放送でも楽しめるようになる。
その後に続くのは私は呉市と東広島市ではないかと考えている。どちらも人口が多い都市であるが、広島エフエム中継局(広島市南区黄金山町)とは山で隔てられており、受信が難しいからである。どちらも三原市より人口は多いのだが、中波中継局がないことなどから優先順位は三原市より後になっているものと思われる。更に費用対効果は下がるが庄原市や竹原市+豊田郡、世羅郡、山県郡も候補になる可能性はある。もしかしたら山口放送ラジオと同じようにエフエム中継局の数が中波中継局のそれを上回ることもあるかもしれない。
中国放送ラジオは広島東洋カープの公式戦中継を中心にスポーツ中継番組を多く放送しているし、人気のある自社制作番組も多い。これらの番組をきれいなエフエム電波で聴けることは賛否両論はあるがその魅力・人気を更に高めることになろう。どのように今後展開していくのか、注目されるところである。
(山口放送ラジオ)
山口放送ラジオの中波放送局の中継局は下表の通りである。
中継局名 | 所在地 | 周波数 (単位:kHz) |
備考 |
---|---|---|---|
周南 | 周南市大津島 | 765 | 瀬戸内海(周防灘)のすぐそばに設置されている。 |
山口 | 山口市黒川 | 765 | |
岩国 | 岩国市尾津町一丁目 | 918 | |
下関 | 下関市上田中町一丁目 | 918 | |
須佐田万川 | 萩市須佐 | 765 | |
萩 | 萩市椿東 | 1458 | 松本川のすぐそばに設置されている。 |
山口放送ラジオの中波中継局は海や川に近いところに設置されているところがある。そのことは同時に災害時に放送不能に陥る恐れのある中継局があるということを示している。また、三方を海に囲まれているために国内外の放送局との混信もひどいし、山間部も多いために受信困難地域も少なくない。そういう点から山口放送は中国地方の民間中波放送局では最も早くエフエム補完放送に参入し、既に周南市・長門市・萩市・美祢市で中継局が開局している。更に間もなく柳井市でもエフエム中継局が開局することになっている。山口放送としては災害や混信、地形による受信困難に重きを置いていることがよく分かる。
その後に続くのはやはり岩国市と下関市といった人口の多い都市であろう。周南エフエム中継局の受信状況如何によっては山口市中心部や宇部市も候補に挙がる可能性はある。しかし、もしこれらの地域のエフエム中継局が開局すると山口放送ラジオはエフエム中継局の数が中波中継局のそれを上回ることになる。既に北日本放送ラジオ(KNB、富山市牛島町)などエフエム中継局の数が中波中継局のそれを上回っているところはあるが、中波放送不要論が出るのではないかと感じたくなる。まあ中波放送をやめることはないとは思うのだが、エフエム補完放送が充実する中で中波放送はどのように存在感を維持するのかが山口放送における今後の課題になるのは避けられないのではないのだろうか。
そこで私が提案したいのが山口放送ラジオの中波放送の周波数を統一することである。現在は周南本局(周南市大津島)と山口・須佐田万川両中波中継局の統一が完了しているのだが、更に岩国・下関・萩各中波中継局の周波数も統一するのである。これにより山口県内ではどこでも同じ周波数で山口放送ラジオの中波放送を楽しめるようになり、存在感が維持できるのではないかと考えている。
ただしこの周波数統一には課題がある。それは次の通りである。
・現在も岩国・下関・萩各中波中継局にはコールサインが付与されていること(岩国中波中継局〔岩国市尾津町一丁目〕…JOPN、下関中波中継局〔下関市上田中町一丁目〕…JOPM、萩中波中継局〔萩市椿東〈ちんとう〉〕…JOPL。なお、周南本局のコールサインはJOPFである)。コールサインがあっても周波数統一は不可能ではない(岩国中波中継局と下関中波中継局は同じ周波数を使っているから(注30))のだが…。
・山口放送ラジオの周南本局の周波数(765kHz)は山梨放送ラジオ(YBS、甲府市北口二丁目)も使っていること(しかも山梨放送ラジオは765kHzしか使っていない)。山梨放送ラジオの放送区域である山梨県は周囲を山に囲まれているが、広島県世羅郡世羅町で広島県南東部で使用されている中国放送ラジオの周波数・1530kHzに合わせると何と栃木放送(CRT、宇都宮市昭和二丁目)が受信できたことがあること(栃木放送の宇都宮本局〔鹿沼市深津〕の周波数は1530kHz)を考えれば中国地方で山梨放送ラジオと山口放送ラジオが混信することはあり得ない話ではない。
・下関市は山口県で最も市制施行が早かったところ(注31)であり、なおかつ今に至るまで山口県最大の都市の座を譲っていないが、山口県を放送区域とする民間放送局の本社誘致には成功しておらず、その可能性はなくなったため下関支社(下関市南部〔なべ〕町)が制作する番組を設定して欲しいという声が上がる可能性があること。しかし、下関市の経済力や中枢性の低さを考えれば難しいと言わざるを得ないであろう。
・山口放送の立ち位置がよく分からないこと。テレビの音声多重放送開始(1979年〔昭和54年〕12月1日)やテレビの終夜放送開始(2000年〔平成12年〕1月1日)、ラジオのエフエム補完放送開始(2015年〔平成27年〕7月21日)は早かった一方でラジオの終夜放送移行(1990年〔平成2年〕4月2日)やradiko参入(今年5月9日)は遅かった(注32)。先進的なのか、保守的なのか。
何はともあれ、現在中国地方で最もエフエム補完放送に積極的な山口放送ラジオが今後どんな展開を見せるのか、これからも注目していきたいと思う。
(総括)
中国地方の民間中波放送局におけるエフエム補完放送への取り組みには著しい温度差が感じられる。それぞれの放送局の置かれた環境や状況がそれを生じさせているのだろうが、まだ総務省によって周波数割り当てがなされてから2年ほどであるし、未だに取り組んでいないところも少なくないので想定の範囲内なのかもしれない。しかし、この周波数割り当ては永久のものではなく、2020年(平成32年)3月31日までに開局させないと破棄の憂き目に遭う。ということは2019年(平成31年)春頃までに開局に向けた動きを見せなければならないということになる。残りは2年半ほどになったのだが、何の動きも見えないところはどのようにとらえているのだろうか。それが気になるところである。
一方で中波ステレオ放送やエフエム文字多重放送など始まった時は大いに注目されたがそれほど普及せず、今では廃れたラジオの新サービスとエフエム補完放送も同じ道をたどることになるのでは…とする声もある。しかし、(中国放送ラジオ福山エフエム中継局の場合であるが)中継局を建設しているところを見ると簡単に終わらせて良いものにも、短期間で見向きもされなくなるようなものにも、そして人知れず廃れ、「昔そんなものがあったよね…」と言われるようなものにもなって頂きたくない。やはり広く知られ、何十年も続くようなものにしていく必要がある。それを実現させるにはやはり同じ状況を抱えているNHKもエフエム補完放送に乗り出す必要があると思うし、民間放送局も導入の必要を感じないところを除いては導入に向けて動いている姿勢を見せるべきではないのだろうか(導入しないところは宣言しても良いと思う。聴取者から反発されるだろうが総務省は必ず導入しなさいとは一切言っていないのだしそのほうが潔いと思うからである)。
まだエフエム補完放送は始まったばかりである。その成否はまだ分からない。それが明らかになるのは当分先のことであろう。果たしてどうなるのか。今後も注目していきたいところである。
(注釈コーナー)
注1:私が情報を得て受信したのは9月14日のことである(ちなみに初めて聴いた番組は阪神甲子園球場〔西宮市甲子園町〕での阪神タイガース対広島東洋カープ戦公式戦中継)。いつから試験放送が実施されていたのかははっきりしない(恐らくその数日前ぐらいからであろう)。
注2:深安郡市村の市制町村制施行当時、すなわち1889年(明治22年)4月1日時点の所属郡は深津郡だった。深津郡は1898年(明治31年)10月1日に安那郡と統合して深安郡(1898〜2006)に移行したため所属郡は深安郡に変わったものである。
注3:「蔵王」という単語が校歌に入っている学校は下表の通りである。
校名 | 所在地 | 単語が入っている番 | 単語の 使用状況 |
備考 |
---|---|---|---|---|
福山市立蔵王小学校 | 福山市蔵王町四丁目 | 一番 | 蔵王山 | |
福山市立千田小学校 | 福山市千田町三丁目 | 一番 | 蔵王が峰 | |
福山市立西深津小学校 | 福山市西深津町五丁目 | 二番 | 蔵王の山 | 敷地のほとんどは福山市東吉津町にあるが正門が福山市西深津町五丁目にあるため所在地は福山市西深津町五丁目となっている。 |
福山市立日吉台小学校 | 福山市日吉台一丁目 | 二番 | 蔵王の山 | |
福山市立緑丘小学校 | 福山市春日町五丁目 | 一番 | 蔵王の山 | |
三番 | 蔵王の松 | |||
福山市立城東中学校 | 福山市東深津町三丁目 | 二番 | 蔵王の峰 | |
福山市立中央中学校 | 福山市西深津町五丁目 | 二番 | 蔵王の山 | 応援歌(1980年代中期には歌われていたらしいが現状は不明)にも「蔵王」という単語が入っている。 |
ちなみに福山市立西深津小学校と福山市立日吉台小学校、福山市立中央中学校の校歌の作詞者と作曲者はそれぞれ同じ人物である(いずれも1970〜1980年代の人口急増期に児童数または生徒数の増加対策として設置された学校である)。
注4:呼称はNHK広島放送局と広島県を放送区域とする民間テレビ放送局各社のものを用いている。広島エフエム放送については福山南テレビ・エフエム中継局に福山中継局が移転した後も福山中継局と呼称している。
注5:山の名前は中国放送公式サイトに記載されている中国放送ラジオ福山エフエム中継局の所在地(福山市千田町千田字大谷山137番地の1)から採っている。
※ちなみに福山市にはきちんと地図に記載されている大谷山(標高:401.0m。福山市西部に聳えており、山頂には寺院や無線中継局がある)もある。
注6:こちらでも書いたのだが、このことが蔵王山中腹にデジタル放送用中継局を設置する理由になった。なお、中国放送では公式サイトで福山デジタルテレビ中継局での受信を呼びかけているが、福山市中心部では福山南デジタルテレビ中継局にアンテナを向けている方が多い。
注7:1959年(昭和34年)2月1日時点の社名はラジオ中国だった。ラジオ中国は1959年(昭和34年)4月1日にテレビ放送を開始し、テレビ・ラジオ兼営局になるのだが、なぜか改称を見送り続けた。現在の社名である中国放送に改称したのはテレビ・ラジオ兼営局転換から8年も経った1967年(昭和42年)4月1日のことである。
注8:現在の広島東洋カープに名称を変更したのは1967年(昭和42年)12月のことである。広島カープ時代(1950〜1967)は一度もAクラスになったことはなく、球団存廃問題も浮上したほどであった。なお、現在でも広島カープと呼称する場合が少なくない(広島エフエム放送「MORNING ALIVE」のニュースコーナーなど)。
注9:福山市が広島県南東部最大の都市になったのは1956年(昭和31年)9月30日に周辺の2町8村(沼隈郡鞆・水呑〔みのみ〕両町及び赤坂・熊野・瀬戸・津之郷各村、深安郡市・千田・引野・御幸各村)を編入した時である。この合併により福山市は同時に広島県南東部初の10万都市にもなっている(1955年〔昭和30年〕10月1日実施の国勢調査によると1市2町8村の合計人口は12万7,032人)。
注10:そもそも福山市は地域の中心都市として発展する要素を有していたところであった。その理由を挙げると次の通りになる。
・広島県南東部随一の広さを有する平野の中にあること。
・江戸時代水野氏→松平氏→阿部氏の城下町として発展したこと。
・広島県南東部にある都市で唯一中国山地・山陰方面に通じる鉄道路線が分岐するところであること。
しかし、明治時代以降その優位性が生かされずじまいになっていたことは否めない。県庁所在地になれなかったことや市制施行が大正時代にずれ込んだこと、二級国道発足時に尾道市や三原市を終点とする路線は発足したのに福山市を起終点とする路線は全く発足しなかったことなどがそれを物語っている。
注11:実は福山市及びその周辺は明治時代初頭に岡山県に編入されていたことがある。広島県に編入されたのは1876年(明治9年)4月18日のことである。
注12:現在の所在地表記を使用している。
注13:これに対してアナログテレビ放送は広島・尾道の2拠点体制をとっていた(尾道アナログテレビ中継局のコールサインはJOEE)。なぜテレビ放送は福山市に拠点を置かなかったのかについてはこちらで触れているので併せてご覧頂きたい。
※中国放送テレビ尾道アナログテレビ中継局のコールサインは2011年(平成23年)7月24日のアナログ放送終了をもって廃止されている。
注14:中国放送ラジオの局名告知は次に挙げる時に行われている。
・放送開始時(月曜日午前5時〔通常時〕の時報前)
・放送終了時(月曜日午前1時〔通常時〕の時報後)
・一日の放送基点(火〜日曜日の午前5時の時報前)
なお、昔は時報の前に受信している中波中継局のコールサインをアナウンサーが読み上げていた。
注15:中国放送が開局20周年を記念して出版した「RCC20年のあゆみ」(1972年〔昭和47年〕中国放送編)にその写真が掲載されている。
注16:そのことは中国放送の県内拠点の在り方からもうかがえる。福山市内の拠点は福山支社としているのに対し、三次市内の拠点は三次支局(三次市十日市東一丁目)としている。
注17:中国放送ラジオ三原中波中継局の北側の国道2号線は三原バイパスの全線開通(2012年〔平成24年〕3月31日)に伴う旧道処分により今年4月1日に県道75号三原・竹原線に再編されている(その辺りの国道2号線の県道75号三原・竹原線への編入は2016年〔平成28年〕1月14日広島県告示第15号によって実施された)。
注18:他の放送局、すなわちNHK総合テレビとNHK教育テレビ、中国放送テレビ、広島テレビ放送(HTV、広島市中区中町)、広島ホームテレビ(HOME、広島市中区白島北町)、テレビ新広島(TSS、広島市南区出汐二丁目)、広島エフエム放送、エフエムふくやまの府中中継局は全て福山市新市町にある。但しNHK総合テレビ・NHK教育テレビ・中国放送テレビ・広島テレビ放送・広島ホームテレビ・テレビ新広島・広島エフエム放送の府中中継局(テレビ放送のデジタル化の際に一箇所に集約されている)は福山市新市町相方(さがた)の城山(標高:190.7m)に、エフエムふくやまの府中中継局は福山市新市町戸手の新市クラシックゴルフクラブ(福山市新市町戸手)のクラブハウスのすぐ近くにそれぞれ設置されており、全て同じところにあるというわけではない。
※ちなみにテレビ放送の府中中継局は広島県で初めてUHF電波を用いた中継局でもある(NHKは1964年〔昭和39年〕5月25日に、民間放送局〔中国放送テレビ〕は1964年〔昭和39年〕10月1日にそれぞれ開局)。
注19:本文で向島にあるNHK広島放送局の中波中継局は中国放送ラジオ福山中波中継局が開局するまで広島県南東部唯一の中波中継局だったと記したが、福山市中心部や府中市中心部では受信状況は芳しくなかったようである。そのため1964年(昭和39年)3月17日に福山市久松台三丁目に福山木之庄中波中継局を設置した(当初はラジオ第一だけだったが1969年〔昭和44年〕1月30日にラジオ第二が加わっている)。しかしそれでも府中市中心部でのラジオ第一の受信状況が芳しくなかったため府中市への中波中継局設置が企図されたわけであるが、適当な場所がなかったことから中国放送と共同の中波中継局設置となったものと思われる。
※このように書いてきて気になったのが第二次世界大戦中の受信状況である。向島の中波中継局は1941年(昭和16年)2月18日に開局した(当時はラジオ第一のみ。ラジオ第二は1951年〔昭和26年〕7月1日に加えられた)のだが、もし受信困難地域があったとすると空襲警報も玉音放送も聴けない地域があったということになる。70年以上も前のことなので当時を知る人〔80代以上〕は少なくなっているのだが、実際はどうだったのだろうか。
注20:中国放送ラジオ広島本局の開局当時の周波数は1260kHzだったが、1953年(昭和28年)8月1日に1240kHzに、1960年(昭和35年)4月5日に1370kHzに、1962年(昭和37年)10月1日に1350kHzにそれぞれ変更されて現在に至っている。また、中国放送ラジオ三次中波中継局の開局当時の周波数は1560kHzだったが、1965年(昭和40年)10月1日に1500kHzに変更され、1978年(昭和53年)11月23日の中波放送の周波数間隔変更まで使用された。
注21:ここでは国土開発幹線自動車道を指す。
注22:エフエムふくやまは特に中国放送との関係が深いことが推察される状況がある。中国放送福山支社制作の番組に出演していた方が担当する番組が現在でもいくつかあるし、最近では中国放送のアナウンサーだった男性が担当する番組もあるからである。
注23:この他2001年(平成13年)11月12日には福山支社の福山市延広町から福山市北美台への移転も実施されている。
注24:ラジオ第二のエフエム中継局があるのは東京都と鹿児島県、沖縄県だけであり、いずれも離島にある。
注25:平日午後のワイド番組「昼からど〜だい!」(2015〜2016年〔平成27〜28年〕放送)を指す。今年8月、番組の喋り手(倉敷市出身の落語家)がある自動車学校のことを名指しで批判したことが原因で降板させられ、その事件のあった翌週の金曜日(今年8月26日)をもって打ち切りとなった。私はこの番組は全く聴いたことはなく、今年8月26日付中国新聞備後本社版朝刊のテレビ・ラジオ欄で番組の打ち切りを知った時、なぜ番組改編期でもない時期で打ち切るのだろうかと思ったものである。
注26:山陽放送ラジオがJRNにしか加盟していなかったのは岡山県南部で受信できる西日本放送ラジオとの兼ね合いがあったからだと思われる。
注27:テレビ東京系列に属する民間テレビ放送局で「おそ松さん」を放送しなかったのはテレビせとうちだけである。「おそ松さん」はBSジャパンでも放送されたため岡山・香川両県で全く見られなかったというわけではないのだが、以前にもAKB48の柏木由紀が主演した深夜ドラマ「ミエリーノ柏木」(2013年〔平成25年〕放送)が同じような形になったことがあるだけにテレビせとうちは何を考えてこれらの番組を放送しないのかとか視聴者から放送して欲しいという声はあっただろうになぜ何の理由説明もなく無視するのかと考えたくなる。
※テレビ東京系列に属する民間テレビ放送局のない広島県の場合、「おそ松さん」は中国放送テレビで、「ミエリーノ柏木」はテレビ新広島でそれぞれ放送された。
注28:岡山・香川両県はコミュニティ放送局の事情も厳しい。香川県ではこれまで5局開局しているが既に3局は廃業している(そのうちの一つはコミュニティ放送局として初めて廃業したところとして知られる)し、岡山県でも半年間放送休止を余儀なくされたところや自社制作番組を大幅に減らしたところもあった。
注29:中国地方における民間放送局の新築移転の事例としては山陰中央テレビジョン放送(TSK、松江市向島町)が記憶に新しい(今年8月29日松江市西川津町から移転)。更に2018年(平成30年)秋には広島テレビ放送が広島市東区二葉の里三丁目に移転することになっている。
注30:山陰放送ラジオも鳥取中波中継局(鳥取市里仁)と益田中波中継局(益田市中島町)はそれぞれコールサイン(鳥取中波中継局…JOHL、益田中波中継局…JOHN。なお、米子本局のコールサインはJOHF、浜田中波中継局〔浜田市瀬戸ヶ島町〕のコールサインはJOHMとなっている)を持っているのに同じ周波数(1431kHz)を使っている。更に益田中波中継局は1983年(昭和58年)10月9日までは米子本局と同じ周波数(900kHz)を使用していた。
注31:下関市は1889年(明治22年)4月1日に市制施行した赤間関(あかまがせき)市が1902年(明治35年)6月1日に改称して発足した市である。赤間関市が下関市に改称した当時山口県には他に市はなかったから赤間関市改め下関市が山口県で最も古い市となる。
注32:それぞれの山口放送における順位は下表の通りとなる。
項目 | 順位 | 備考 |
---|---|---|
テレビの音声多重放送開始 | 1 | 同じ日には広島テレビ放送も音声多重放送を開始している。 |
テレビの終夜放送開始 | 3 | 中国放送テレビ(1993年〔平成5年〕4月1日開始)、広島テレビ放送(1999年〔平成11年〕5月10日開始)に次ぐ。 |
ラジオのエフエム補完放送開始 | 1 | |
ラジオの終夜放送移行 | 3 | 中国放送ラジオ(1970年〔昭和45年〕10月5日開始)、山陽放送ラジオ(1977年〔昭和52年〕1月31日開始)に次ぐ。 同じ日には山陰放送ラジオも終夜放送に移行している(但し月曜日早朝だけでなく日曜日早朝に放送休止を入れている点が山陽放送ラジオ・中国放送ラジオ・山口放送ラジオと異なる)。山陰放送ラジオとともに中国地方の民間中波放送局としては開始は最も遅かった。 |
radiko参入 | 5 | 中国放送ラジオ・広島エフエム放送(2011年〔平成23年〕7月20日参入)、山陰放送ラジオ(2012年〔平成24年〕1月30日参入)、山陽放送ラジオ(2014年〔平成26年〕12月1日参入)に次ぐ。中国地方の民間中波放送局としては参入は最も遅かった。 |