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新しい駅 新しい鉄路(2017年〔平成29年〕3月4日公開)

 本日3月4日はJRグループのダイヤ改正が実施される日である。今年は昨年(2016年〔平成28年〕3月26日実施)の北海道新幹線新青森〜新函館北斗間開業、一昨年(2015年〔平成27年〕3月14日実施)の北陸新幹線長野〜金沢間開業というような大きなニュースはないのだが、中国地方においては二つの新しいものが誕生する。一つはJR山陽本線寺家(じけ)駅(東広島市西条町寺家)であり、もう一つはJR可部線可部〜あき亀山間である。そこで今回の「不定期刊・きょうのトピックス」ではこの二つの新しいものを紹介することにしたい。

JR山陽本線寺家駅

 寺家駅は東広島市西条町寺家のJR山陽本線西条〜八本松間に設置された駅である。営業距離は西条駅(東広島市西条本町)から2.3km、八本松駅(東広島市八本松町飯田)から3.7kmとなっている。駅舎は橋上駅(自転車・歩行者が通れる自由通路併設)であり、東側・西側(注1)双方から利用可能である。また、プラットホームは相対式ホーム(2面2線)となっている。市販の時刻表によると普通列車だけが停車する駅となる。

西側から見た寺家駅

東側から見た寺家駅

広島方面から見た寺家駅

 東広島市西条町寺家に駅を設置する運動は日本国有鉄道(略称:国鉄。東京都千代田区丸の内一丁目。1949〜1987)が分割・民営化された1987年(昭和62年)に寺家駅建設促進期成同盟会が設立されたことで始まった。かつてJR山陽本線の列車に乗っていると線路の北側に寺家駅設置の実現を求める看板があったのを目にしたものであるが、開業までに30年かかったのは寺家駅付近が市街地化しておらず、利用が見込めなかったことがある。そこで東広島市は寺家駅予定地周辺の区画整理を実施して都市化を推進し、やっと駅設置に至ったわけである。
 寺家駅周辺には理髪店や不動産店が入居した高層マンションやコンビニエンスストア、スーパーマーケット、ドラッグストアがある他広島県信用組合(広島市中区富士見町)の支店(注2)も今春の開業に向けて準備が進められている。更にJR山陽本線の東側ではJR山陽本線以北の地域を東西に貫く県道329号飯田・吉行線の整備が進められている(注3)し、来春には東広島市立寺西小学校(東広島市西条町寺家)の児童数増加対策で東広島市立龍王小学校(東広島市西条町寺家)が開校することになっている。寺家駅開業時点では発展途上であるが、今後は東広島市の新たな市街地として発展し、それにつれて利用者も増えていくことであろう。

JR可部線可部〜あき亀山間

あらまし

 広島県では井原鉄道井原線以来18年ぶりになる鉄道路線の開業となるJR可部線可部〜あき亀山間であるが、2003年(平成15年)12月1日に廃止された可部〜三段峡間の一部区間の復活であり、開業というよりは復活となる。可部線可部〜三段峡間が廃止された理由は並行して通る中国自動車道や国道191号線などの整備が進んだことや沿線の過疎化が進展し、利用者が減少したこと、浜田市まで延伸する予定があったが工事があまり進まないうちに日本国有鉄道の経営再建の一環として計画が破棄されたこと(注4)、終点となった三段峡駅(山県郡安芸太田町柴木〔しわぎ〕。1969〜2003)のすぐ近くに入口がある三段峡への観光路線として活性化することは考えられない話ではなかった(注5)が、道路整備の進展や列車本数の少なさ、線路規格の低さなどから難しかったことなどが挙げられる。そういえばJR可部線可部〜三段峡間には平成時代初頭に西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)が各地で導入した新型気動車・キハ120形が導入されずじまいになっていたが、それがある意味廃止予告だったのでは…と感じたくなる(注6)
 しかし、可部駅(広島市安佐北区可部二丁目)の位置は広島市安佐北区可部地区の中心部の南方にあったことや河戸(こうど)駅(広島市安佐北区亀山二丁目。1956〜2003)の西方まで住宅密集地であったことから可部〜河戸間について電化して欲しいという声が少なくなかった。しかし、可部〜三段峡間廃止までにそれは実現しなかった。広島市が財政難を理由に積極的な態度を示さなかったことや河戸駅の構造が終着駅としては貧弱だったこと(注7)、河戸駅がそばを通る県道267号宇津・可部線からは分かりにくい位置(県道267号宇津・可部線からは小道を南下しなければ行けなかった)にあったため利用が増えるかどうか疑わしかったことなどが実現しなかった理由である。
 可部〜三段峡間廃止後も可部〜河戸間を電化した上で復活させようという声は止まなかったが、ようやく具体化したのは2010年代に入ってからである。本サイトでもこちらで書いたことがあるのだが、諸事情により復活に向けての準備は進まず、復活予定は何度も先送りされた。更に河戸駅の復活はならず、河戸駅の東方(中間駅)と河戸駅の西方(終着駅)に駅を設置することになった。河戸駅を復活させればそこから西側の地域に住む住民が納得しないことや終着駅のすぐ南側に全面とは行かないものの広島市立安佐市民病院(広島市安佐北区可部南二丁目)が移転することが決まったこと、安佐北区役所(広島市安佐北区可部四丁目)や広島北税務署(広島市安佐北区亀山二丁目)、安佐北警察署(広島市安佐北区可部四丁目)、可部簡易裁判所(広島市安佐北区可部四丁目)といった官公庁への最寄駅として河戸駅は不適格だったこと、河戸駅は終着駅として改造するのが困難だったことなどが理由として挙げられる。
 そして2016年(平成28年)7月8日には中間駅と終着駅の名称がそれぞれ河戸帆待川(こうどほまちがわ)駅(広島市安佐北区亀山二丁目)とあき亀山駅(広島市安佐北区亀山南一丁目)に決まり、2016年(平成28年)12月23日からは可部〜あき亀山間で試運転が開始された。そして本日、可部〜あき亀山間開業と相成ったわけである。

 さて、今回の開業区間には可部駅・河戸帆待川駅・あき亀山駅と三つの駅が存在する。それぞれの駅や周辺の状況を先日見てきたのでそのことをここからは紹介したい。

可部駅

 約13年3ヶ月ぶりに終着駅ではなくなる可部駅であるが、訪れた日は既に開業に向けた準備はかなり進んでいる状態であった。下の写真は自動券売機の上にある路線図であるが、既に開業区間の駅名や運賃が記されているものに差し替えられていた。

 また可部駅から先に延びるということや可部は「かべ」と読むこともあり、こういう看板も掲げられていた(左側の写真が逆光で少々見づらいところがあるが、看板の上段には『〜Over the KABE〜KABE「かべ」を乗り越えろ!』と記されている。訪れた時期はちょうど受験シーズンでもあり、こういう看板が掲げられたのだろう)。

 

 また、可部駅は可部〜あき亀山間開業準備に際してプラットホームの形状が相対式ホーム(2面2線)に変わったが、可部〜あき亀山間開業までは当然のことながら全列車が可部駅始発になるため乗り場を確認するよう訴えたポスターも掲示されていた。可部〜あき亀山間開業後は可部駅終着・始発の列車はなくなることや可部駅で列車の交換を行うこと、そのため1番ホーム(東側ホーム)が広島方面行(注8)、2番ホーム(西側ホーム)があき亀山行にそれぞれ統一されるものと思われることから可部〜あき亀山間が開業した時をもって剥がされるのであろう。

 なお、可部駅は東側・西側双方に出入口があるのだが、一つだけ利用する際気を付けて頂きたいことがある。それは駅の構造上プラットホームごとに改札が設置されているために行き先を確認して改札を通らなければならないということである。恐らく上の写真の場所などに「1番ホームは広島方面行、2番ホームはあき亀山行です。間違えて改札を通るとホーム間の往来はできなくなるので注意して下さい(注9)」という内容の看板またはポスターが貼られることになるだろうし、開業からしばらくの間は駅員が対応することになるのだろうが、果たしてどうなるのだろうか。

河戸帆待川駅

 可部駅を出た列車は北西に向きを変え、国道183号線(注10)、更に国道54号線可部バイパスの下をくぐっていく。国道54号線可部バイパスの下をくぐる前からは北側に終点までずっと並走することになる県道267号宇津(うづ)・可部線が寄り添ってくる。県道267号宇津・可部線は可部線廃線区間のうちの可部〜安芸飯室間で並行していた県道路線である。可部〜三段峡間廃止後は広島交通(広島市西区三篠町三丁目)が代替バス(路線名称は宇津・可部線。平日は一日8往復、土曜日・日曜日・祝日は一日5往復設定されている)を設定している。
 国道54号線可部バイパスの下をくぐって少し進んだところにあるのが中間駅の河戸帆待川駅である。可部駅からの営業距離は0.8kmである。可部〜河戸間の営業距離は1.3kmだったから河戸駅の0.5km可部寄りに駅が設置されたということになるが、「河戸」というのはかつて存在した駅の名称を継承したものであることは分かるもののはて帆待川とは何ぞやと思う方もいるかもしれない。その帆待川とは国道54号線可部バイパスと河戸帆待川駅の間で渡る小川である。太田川の支流の一つなのだが規模が小さいことや名称が掲載されている地図が少ないことから知名度が低いものと思われる。なお、「帆待川」という字を見て私は太田川の水運に由来するものではないかなと思ったのだが、調べたところ神武天皇が立ち寄られた地であるという伝承に由来するようである。
 さて、河戸帆待川駅は県道267号宇津・可部線のすぐそばにある駅で、(取材日当日はまだ伏せられていたものの)案内標識も県道267号宇津・可部線に設置されている(左下の写真は西行用のものを、右下の写真は東行用のものをそれぞれ撮っている)。

 

 また、駅舎の入口は県道267号宇津・可部線に向けられていて、駅舎の壁には駅名標も取り付けられている(左下の写真は駅の入口を、右下の写真は壁に取り付けられた駅名標をそれぞれ撮っている)。

 

 今は亡き河戸駅は目立ちにくいところにあったのが難点だったが、これなら利用者に認識されやすいであろう。
 また、新規開業区間の中間駅で交換を必要としないことからプラットホームの形状は単式(1面1線)になっている(下の写真。誤解を防ぐため書いておくが、下の写真は河戸帆待川駅の西方にある高宮踏切を歩いて通過している時に撮ったものである(注11)。小さくて分かりづらいのだが写真中央部にあるのが河戸帆待川駅である)。

 安佐北区役所や広島北税務署、安佐北警察署、可部簡易裁判所といった官公庁への最寄駅として河戸駅の代わりに設置された河戸帆待川駅はすぐそばにホームセンター(ダイキ)やスーパーマーケット(エブリイ)、ドラッグストア(スーパードラッグひまわり)がある駅でもある。河戸帆待川駅からそれらの店舗までは100mほどあるのだが、それぞれの企業(ダイキ…DCMダイキ〔松山市美沢一丁目〕、エブリイ…エブリイ〔福山市南蔵王町一丁目〕、スーパードラッグひまわり…ププレひまわり〔福山市西新涯町一丁目〕)の公式サイトを見るとホームセンターは午後8時まで、スーパーマーケットとドラッグストアはともに午後9時まで開いているのでこれからは河戸帆待川駅利用者がそこで買い物をして帰宅するという様子も見られることになるのだろう(下の写真。写真の左側にある白色の建物は広島北税務署)。

あき亀山駅

 河戸帆待川駅を出た列車は県道267号宇津・可部線に沿って西進し、太田川支流の大毛寺(おおもじ)川を渡った先で行き止まりになる。そこに設置されたのがあき亀山駅である。河戸帆待川駅からの営業距離は0.8kmである。プラットホームは頭端式(1面2線。北側が1番ホーム、南側が2番ホームとなる)となっており、その西側に駅舎が設置されている(下の写真)。ここが終着駅であり、この先については延ばすつもりも復活させるつもりもありませんよという意思表示とも受け取れる。

 終着駅なら1面1線でも良いように思われるのだが、それだと可部〜あき亀山間は途中にある河戸帆待川駅に交換施設がないために列車が一つしか入れないことになり、事故や災害でダイヤが乱れた時や何らかの事情で増発せざるを得なくなった時に対応できなくなる。更にJR可部線の列車は全てJR山陽本線に乗り入れているし本数も多い。そこで終着駅でも1面2線にしたのであろう。それを可能にしたのは県道267号宇津・可部線やJR可部線の南側にあった県営荒下団地(広島市安佐北区亀山南一丁目)が建物の老朽化などにより廃止され、全て更地になったことであった。そのため駅前広場もあき亀山駅の駅舎の南側に建設されている(県道267号宇津・可部線から駅前広場に行くにはあき亀山駅西北角の交差点を南に折れることになる)。今は降りても周囲には梅の木が何十本か植えられているだけである(下の二つの写真参照)が、数年後には全面とは行かないものの広島市立安佐市民病院が移転することになっており、通勤・通学客だけでなく広島市立安佐市民病院に通院する人も利用することになるであろう(注12)

 

 取材時はちょうどあき亀山駅に試運転の列車(227系電車〔愛称:Red Wing〕使用)が停まっており、可部方面に向けて発車する風景も見ることができた(下の写真)。なお、現在広島地区では227系電車の増備が進められているが、この後可部駅西口に立ち寄った時、115系電車があき亀山駅に向けて発車していったのを見ており、115系電車も乗り入れるのではないかと思われる(注13)

 

 ところで、この駅の名称についてはいろいろ案が出たのだが、結局は可部線廃止区間にあった駅(安芸亀山駅〔広島市安佐北区可部町勝木。1936〜2003〕)と同音異字の名称となった。今は亡き安芸亀山駅と本日開業したあき亀山駅はどちらも安佐郡亀山村(1889〜1955(注14))だった地域にあることや可部線廃止区間の名残をどこかで残したいという思いがあったことがあき亀山駅に決まった背景ではないかと思われる。

最後に

 七大都市(札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・広島・福岡)の一つとされながら鉄道整備では遅れた面の多かった広島市であるが、ここ最近は鉄道関連の整備がいくつも進められており、少しずつではあるが改善されているように感じる。しかし、記すまでもなくこれで十分というわけではない。広島市安芸区及び安芸郡海田・府中両町のJR山陽本線・JR呉線の高架化や広島市内を通る鉄道路線で唯一非電化のままのJR芸備線の整備、広島市と呉市を結ぶ路線として利用が多いJR呉線の複線化(注15)、新駅の設置(注16)、広島空港(三原市本郷町善入寺)へのアクセス鉄道の建設など課題は多く残されている。これらの課題の解消には通過自治体の協力も不可欠なのだが、その通過自治体も財政難にあえいでいるところが多く、実現には長い時間がかかりそうである。
 また、廃止から十数年が経過した区間をどのようにするかということも課題である。安芸亀山駅があったところまで自分の車でたどったのだが、企業の敷地になったり道路改良の用地に使われたりした箇所もあったもののレールが残っている箇所もあった。可部〜三段峡間が廃止された頃、広島県公式サイトの「県政提言コーナー」で跡地を自転車道として整備してはどうかという投稿(現在は削除され、閲覧できなくなっている)があったが、それから十数年経った今もそのままの箇所が多く残されているということは未だにどうするか決していない箇所が少なくないということの表れであろう。もうどうでも良いことに映っているのかもしれないが、もう少し沿線住民がどのようにして欲しいか声を上げても良いように思うし、財政事情が厳しいことは理解するが広島県や広島市、山県郡安芸太田町も真剣に考えて欲しいと思う。
 個人的にはこちらでも書いたように自転車道として整備したほうが良いのではないかと考えている。まあこれはあくまでも個人的な案であり、必ず実現させて欲しいと訴えているわけではないのだが、廃止区間には見所が多数あることを思うと検討の価値は十分あると考えている。

 私は今回の取材を通して物事の実現と成功には熱意が必要であることを改めて感じた。確かに寺家駅の開業も、可部線廃止区間の一部復活もかなりの時間がかかってしまったが、それでも実現したのは諦めずに実現に向けて熱意を持って動いた人やその動きに賛同した人が多数いたからではないのだろうか。ただ、実現したことはゴールではない。新たなるスタートである。実現させたものを盛り上げ、発展させていかないと「結局何のために作ったんだい?」とか「それ見たことか。あの時やっても無駄だと言ったがそれは現実になったじゃないか」などと言われるしかないということを肝に銘じて頂きたいものである。
 最後になったが、寺家駅と可部線の今後の発展を願いつつこの文を終えることにしたい。

(注釈コーナー)

注1:2017年(平成29年)2月26日付中国新聞朝刊によると西側出入口を南口、東側出入口を北口としてそれぞれ記している。

注2:広島県信用組合としては東広島市初の店舗となる(広島県信用組合は公式サイトによると現在広島市安佐北区・広島市安佐南区・広島市佐伯区・広島市中区・広島市西区・広島市南区・尾道市・呉市・廿日市市・福山市・三原市・安芸郡海田町・安芸郡熊野町に店舗がある)。

注3:それでも今回整備されるのは寺家駅北側の400mほどの区間だけであり(2017年〔平成29年〕3月2日広島県告示第112号及び第114号による)、既に暫定上下2車線で供用が始まっている東広島市西条町寺家/県道332号吉川・西条線交点〜東広島市西条町吉行/中川交差点(終点)間とは繋がらない(取材時に東広島市西条町寺家/県道332号吉川・西条線交点を通ったがそこから寺家駅方面に向けては工事が行われている様子がなかった)。東広島市公式サイトによると全線が都市計画道路に指定されているのだが、全線開通のメドは立っていない(そのため広島県としても計画線のままの区間については区域決定告示を行っていない)。ただ、東広島市中心部を東西に貫いている国道486号線と接続する道路は国道486号線との交差点を先頭に渋滞することが多いことを考えると整備を推進したほうが良いのではないかと感じている。

注4:もし三段峡〜浜田間の鉄道路線、すなわち今福線が開業に至ったとしても有用な路線になり得たかは疑問がある。というのも線路の規格が低いことや加計駅(山県郡安芸太田町加計。1954〜2003)以遠で山県郡戸河内町(1933〜2004)や山県郡筒賀村(1889〜2004)の中心部や三段峡の入口を経由するように計画されたため結果として広島市と浜田市を結ぶ鉄道路線として遠回りな経路になったことから仮に優等列車が設定されたとしても広島〜浜田間の高速バスに勝てたかどうか疑わしいからである。

注5:JR可部線可部〜三段峡間廃止後観光鉄道として再生させようという動きが起きたが、結局その動きは頓挫してしまった。もし実現しても経営は成り立たず、数年で行き詰まった恐れが高いことや賛同する人が少なかったこと、その動きを冷めた目で見る人が多かったこと、何としてでも実現させたいという熱意に欠けていたことなどが頓挫した理由として挙げられる。

注6:同じことは1997年(平成9年)4月1日に廃止されたJR美祢線大嶺支線(南大嶺〜大嶺間2.8km)にも言える。美祢線本線部分(厚狭〔あさ〕〜長門市間)については1993年(平成5年)12月1日にキハ120形気動車が導入されたが、大嶺支線については導入されなかった。西日本旅客鉄道には廃止したい路線には金を注ぎ込みたくないという考えがあったのではないかと思われるが、露骨すぎるのでは…と思うのは私だけだろうか。

注7:特に問題視されるべきこととしては駅舎がないことやホームに簡便な待合室(それも完全に雨や雪、風をしのげるものではない)しかないことが挙げられる。
※河戸駅に駅舎がなかったのは1956年(昭和31年)11月19日に仮乗降場として設置されたことが理由である。

注8:可部線の上り列車は全てが広島駅(広島市南区松原町)止まりではない。広島駅からJR山陽本線を東進して糸崎(いとざき)駅(三原市糸崎〔いとさき〕四丁目)に至る列車や海田市駅(安芸郡海田町新町)からJR呉線に乗り入れて坂駅(安芸郡坂町平成ヶ浜三丁目)や広駅(呉市広中町)に至る列車も存在する。そのため広島方面行と記している(いずれにしても全列車が広島駅までは行くということになるわけだが…)。

注9:記すまでもないが線路を横断することは危険であり、更に列車の往来を妨害する恐れがあるからである。

注10:この国道183号線は2016年(平成28年)3月31日まで国道54号線だった道である。国道54号線可部バイパスの大部分が開通し、バイパスとしての機能を十分発揮できるようになったことにより管理者が国土交通省から広島市に変更されたものである。
※国道54号線祇園新道の旧道処分(2008年〔平成20年〕4月1日)に続いて広島市内に国道183号線が出現したことになるわけであるが、国道のまま残したのは整備・維持で補助金が出るからではないかと思われる。

注11:このようなことを書いた理由は少し前に女性タレント2人(どちらも私が子供の頃アイドル歌手として活躍していた。ご存知の方も多いがあえて名前は書かないでおく)がある民間テレビ放送局制作の旅行番組で線路に無断で立ち入り、写真を撮るという行為を起こしたことである(無論この番組はお蔵入りになったという)。私もこういうことはしないし、本ページをご覧になっている方もこういうことは絶対にしないで頂きたい。

注12:JR山陽本線寺家駅のところでは触れなかったのだが、実は寺家駅は独立行政法人国立病院機構東広島医療センター(東広島市西条町寺家)の最寄駅である。但し直線距離で1kmほど離れているため寺家駅を利用して独立行政法人国立病院機構東広島医療センターに向かう場合は中国ジェイアールバス(広島市南区松原町)が運行する路線バス(所要時間6分。平日は一日13往復、土曜日・日曜日・祝日は一日6往復設定されている)かタクシーを利用したほうが無難である。

注13:可部線ではこの他105系電車や113系電車も乗り入れている。但し今後も推進される227系電車の増備により105系電車・113系電車・115系電車は見られなくなる可能性が高い。

注14:安佐郡亀山村は広島県で市制町村制が実施された時は高宮郡に属していたが、1898年(明治31年)10月1日に高宮郡と沼田郡が統合して安佐郡が発足した際に安佐郡に所属郡を変えている。

注15:呉〜海田市間については第二次世界大戦中に複線化を目指したことがあり、線路の山側には使われないままで残っているトンネルがいくつも残されている。

注16:新駅設置構想が出ているのは次の箇所である(いずれもJR山陽本線。カッコ内は駅名案)。
・安芸中野〜海田市間(畝〔安芸郡海田町〕)
・西広島〜新井口間(JR古江〔広島市西区〕)
・五日市〜廿日市間(御筋〔広島市佐伯区〕)
・玖波〜大竹間(小方〔大竹市〕)