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結局「両雄」は並び立たなかった(2020年〔令和2年〕10月26日公開)

※本作は様々な資料やサイト、更に自分が見聞したことを基に自分なりの解釈や自分の想像も入れて記しております。その点はご了承願います。また、もし事実と異なることを書いているのではないかと感じた場合は指摘して頂けると幸いです(抗議・脅迫・誹謗〔ひぼう〕・中傷などは一切対応致しませんので悪しからず)。

 まだ2020年(令和2年)は2ヶ月以上残っているが、今年のラジオ界の大きな出来事と言えば次に挙げたことではないだろうか。
・全ての民間中波放送局がエフエム補完放送を実施するようになったこと(3月16日(注1))。
・都道府県域民間エフエム放送局の新潟県民エフエム放送(愛称:FM PORT。新潟市中央区万代二丁目。2000〜2020)とRadio NEO(名古屋市瑞穂区北原町一丁目。2014〜2020)がともに経営難により廃業したこと(6月30日。但しRadio NEOは経営難もあったがむしろ後述するある動きが主たる理由だった可能性がある)。
・ラジオ放送のインターネットサイマル配信サービスのradikoに都道府県以上の区域を放送区域としている全ての民間ラジオ放送局が参入したこと(9月1日(注2))。
・ジャパンエフエムネットワーク(JFNC、東京都千代田区麹町〔こうじまち〕一丁目)がInterFM897(東京都品川区東品川一丁目)の発行済み全株式を木下グループ(東京都新宿区西新宿六丁目)から取得し、InterFM897は全国エフエム放送協議会(JFN)の特別加盟社(注3・注4)になったこと(9月1日。前記のRadio NEOの廃業はこのことが関係した可能性が高い)。
 今記した事柄は都道府県以上の区域を放送区域としている民間ラジオ放送局の話であるが、(知名度は大きく下がるが)原則として市区町村を放送区域としているコミュニティ放送局でも気になる動きがあった。それは複数コミュニティ放送局が存在する市区町村で後発局が二つも廃業に追い込まれたということであった。複数のコミュニティ放送局が存在する市区町村で後発局が廃業に追い込まれたことは過去にもあったのだが、実は今年廃業に追い込まれたコミュニティ放送局の一つは中国地方にあるコミュニティ放送局であった。そこで今回の「不定期刊・きょうのトピックス」ではそのコミュニティ放送局の廃業を取り上げ、いかなる経緯があったのかとか何が良くなかったのかとか今回の廃業が投げかけた問題とは何なのかなどを記すことにしたい。

二つコミュニティ放送局があった中国地方の町とは…

 中国地方でこれまで開局したコミュニティ放送局は下表の通りである(放送局の詳細は鳥取県にあるものについてはこちらを、島根県にあるものについてはこちらを、岡山県にあるものについてはこちらを、広島県にあるものについてはこちらを、山口県にあるものについてはこちらをそれぞれご覧頂きたい)。

県名 放送局名/所在地 備考
鳥取県 FM鳥取
(鳥取市幸町)
愛称:RADIO BIRD。
DARAZコミュニティ放送
(米子市法勝寺町)
愛称:DARAZ FM。
島根県 エフエムいずも
(出雲市今市町)
愛称:愛ステーション。
岡山県 岡山シティエフエム
(岡山市北区中山下二丁目)
愛称:Radio momo。
笠岡放送
(笠岡市笠岡)
愛称:エフエムゆめウェーブ。
演奏所は浅口市鴨方町鴨方にある。
開局当初の社名は愛称と同じエフエムゆめウェーブだったが、2020年(令和2年)3月31日に親会社のケーブルテレビ業者・笠岡放送(愛称:ゆめネット。笠岡市笠岡)に吸収合併され、笠岡放送に改称した。
エフエムくらしき
(倉敷市白楽町)
岡山県初の民間エフエム放送局(注5)
中国地方にあるコミュニティ放送局では初めて中継局を設置したところでもある(開局と同時に設置)。
エフエム津山
(津山市小田中)
愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。
経営難により2020年(令和2年)10月25日をもって放送を終了し、廃業した。
つやまコミュニティFM
(津山市南新座)
愛称:エフエムつやま。
広島県 中国コミュニケーションネットワーク
(広島市中区土橋町)
愛称:ひろしまPステーション(2000〜2008)→エフエムちゅーピー。
エフエムハムスター
(広島市安佐南区祇園五丁目)
中国地方初の株式会社以外の組織(特定非営利活動法人)が運営するコミュニティ放送局。
広島経済大学(広島市安佐南〔あさみなみ〕区祇園〔ぎおん〕五丁目)の構内に演奏所があることから平日しか放送していない。
五日市コミュニティ放送
(広島市佐伯区皆賀四丁目)
愛称:エフエムななみ。
経営難により2007年(平成19年)11月30日をもって放送を終了し、2008年(平成20年)3月31日をもって廃業した。
尾道エフエム放送
(尾道市東御所町)
愛称:エフエムおのみちまたはエフエムおのみち79.4。
FMはつかいち
(廿日市市下平良二丁目)
別称:FM廿日市(はつかいち)。
FM東広島
(東広島市西条下見六丁目)
エフエムふくやま
(福山市西町二丁目)
愛称:レディオBINGO。
中国地方初のコミュニティ放送局である。
FMみはら
(三原市宮沖五丁目)
愛称:FOR LIFE RADIO。
演奏所は三原市円一町二丁目にある。
現時点で中国地方最後発のコミュニティ放送局である。
山口県 エフエムきらら
(宇部市新天町一丁目)
FM山陽小野田
(山陽小野田市小野田)
愛称:FMサンサンきらら。
コミュニティエフエム下関
(下関市上田中町二丁目)
愛称:COME ON! FM。
エフエム周南
(周南市久米)
愛称:しゅうなんエフエム78.4。
演奏所は下松市中央町にある。
FMながと
(長門市仙崎)
愛称:FM AQUA。
エフエム萩
(萩市江向)
愛称:FM NANAKO。
エフエムふくやまと同じ日に開局したがわずか数時間の差で中国地方初のコミュニティ放送局の座を逃した。
ぷらざFM
(防府市栄町一丁目)
愛称:FMわっしょい。
開局当時の周波数は76.7MHzだったが、同じ周波数を使っている東九州コミュニティー放送(愛称:スターコーンFM。福岡県築上郡築上町椎田)との混信が起きていたことから2015年(平成27年)6月1日に現在使用している77.3MHzに変更している(中国地方にあるコミュニティ放送局で周波数を変更したのはここだけ)。

 上表を踏まえてこれまでにコミュニティ放送局が存在した中国地方各県の市区町村の一覧表を作成すると下表の通りになる。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・本社と演奏所がそれぞれ異なる市区郡町村にある場合は本社のある市区町村を記している。

・県庁のあるところは市区名の前に◎を付けている(政令指定都市に移行している場合は県庁のある行政区に付けている)。

・同じ市区町村に複数コミュニティ放送局がある場合は市区町村名の後に局数を記している(例えば二つある場合は(2)と記している)。

県名 コミュニティ放送局が存在した市区町村
鳥取県 ◎鳥取市・米子市
島根県 出雲市
岡山県 ◎岡山市北区・笠岡市・倉敷市・津山市(2)
広島県 ◎広島市中区・広島市安佐北区・広島市佐伯区・尾道市・廿日市市・東広島市・福山市・三原市
山口県 宇部市・山陽小野田市・下関市・周南市・長門市・萩市・防府市

 上表からほとんどの市区町村に一つずつコミュニティ放送局があることがうかがえるのだが、一つだけ複数あるところがあることにお気付きであろうか。その市区町村は岡山県北東部にある津山市である。津山市は人口は10万3,746人(2015年〔平成27年〕10月1日実施の国勢調査による)となっており、どのように考えても複数のコミュニティ放送局が開局し得るところではないのでは…と思う方が多いのだが、なぜ中国山地の中にある人口10万人程度の都市で複数コミュニティ放送局が開局することになったのか、次の章で記すことにしたい。

なぜ津山市では二つもコミュニティ放送局が開局したのか

 津山市は岡山県北部でもまとまった平地、すなわち津山盆地の中にある都市である。そのため古代から美作(みまさか)国→岡山県北部の中心地と位置付けられてきた。それは現代においても変わらず、二級国道発足時(1953年〔昭和28年〕5月18日)に岡山県では岡山市以外で唯一起終点を持つ国道路線が設定されたこと(注6)や岡山県北部で唯一市の代表駅と国道路線を結ぶ道路が主要地方道に指定されたこと(注7)、今年10月1日に開局35周年を迎えた中国・四国地方唯一のテレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局・テレビせとうち(TSC、岡山市北区柳町二丁目)が開局した時に岡山市・高松市以外で唯一中継局を設置したこと(注8)などでもうかがえる。
 そんな津山市でコミュニティ放送局開局への動きが起きたのは2005年(平成17年)春のことであった。岡山県では1996年(平成8年)の暮れに倉敷市で、その約1週間後の1997年(平成9年)の元日に岡山市北区(注9)でそれぞれコミュニティ放送局が開局し、更に南西部の浅口市(注9)・笠岡市・浅口郡里庄町でも開局への動きが起きていたがいずれも南部地区での話であった。その動きを見て岡山県北部の中心都市・津山市にも…という声は高まり、開局への動きが起きたのだろうが一気に開局…というわけには行かなかった。まずは津山コミュニティFM研究会なる組織を立ち上げ、どのようにしていくかを考えることにしたのである。
 なぜ一気に開局まで進まなかったのか。恐らく次に挙げる事情があったからではないかと思われる。
・津山市は岡山県北部の中心都市ではあるが人口は10万人少々であり、また人口が減少傾向にあったため出資者を集めるのに苦労する可能性があったこと。
・数こそ少ないがコミュニティ放送局開局に向けて動き、予備免許取得までは至れたのに断念したところがあったこと(注10)
・岡山・香川両県の都道府県域民間テレビ放送局の放送区域が統合されたこと(1979年〔昭和54年〕)により津山市でも香川県の情報が容易に得られるようになったが、その香川県ではコミュニティ放送局が二つも廃業に追い込まれており(注11)、慎重に臨むべきだという意見が多勢を占めたこと。
 そういう事情からまずは研究会を立ち上げ、他地域のコミュニティ放送局の事例を研究し、津山市に合うコミュニティ放送局はどのようにするかなどを考えていこうとしたのであろう。
 やがて津山市にもコミュニティ放送局を立ち上げようという話になり、準備を進めていくのだが、開局まではもう一段階入れている。それはミニエフエム放送局を立ち上げたことである。津山市中心部の商店街で週3日放送を行う以外にも津山市内の年中行事に出張放送するなどしたのだが、なぜもう一段階入れたのか。私は前に「津山市は昔から岡山県北部の中心地と位置付けられてきた」と書いたのだが、そういう状況であれば岡山県を放送区域とするラジオ局、すなわちNHK岡山放送局(岡山市北区駅元町)・RSK山陽放送ラジオ(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)・岡山エフエム放送(愛称:エフエム岡山またはVV-FM。岡山市北区中山下〔なかさんげ〕一丁目)はいずれも中継局を設置している(注12)し、広く知られる存在になっている。それらのラジオ局を聴いている方々にも津山市に開局するコミュニティ放送局を知って頂こう、そして親しんで頂こうという目的で一段階入れたのであろう。
 こうして岡山県北部地区初のコミュニティ放送局として開局させるべく準備を重ねてきた特定非営利活動法人つやまコミュニティFM(愛称:エフエムつやま。津山市南新座)は2009年(平成21年)12月24日午後0時に開局したのだが、その頃津山市ではもう一つコミュニティ放送局を開局させようという動きが起きていた。岡山県北部の情報を取り上げている月刊タウン情報誌「JAKEN」を発行しているスタジオ ア・ビアント(津山市南新座)が中心になってコミュニティ放送局を立ち上げようとしたのである。
 コミュニティ放送局は1992年(平成4年)に制度化されたのだが、監督官庁である郵政省(現:総務省〔東京都千代田区霞が関二丁目〕)は当初は一つの市区町村に一つしか開局を認めなかった。しかし1994年(平成6年)に帯広市でコミュニティ放送局を開局させようと活動していた二つの組織の一本化調整が不調に終わり、結果二つのコミュニティ放送局の開局を認めてからは下表に示したように複数コミュニティ放送局(ここでは本社・演奏所・中継局を指す)が存在する市区町村がいくつか見られるようになっていた。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・併存期間のあったコミュニティ放送局のみ記載している(同じ市区町村にあっても併存期間のないものは記載していない)。

・コミュニティ放送局の掲載順は開局順としている。

都道府県名 市区町村名 放送局名/所在地 開局年月日 備考
北海道 札幌市中央区 札幌コミュニティ放送局
(札幌市中央区宮の森一条)
1996年
(平成8年)
7月20日
愛称:ラジオカロスサッポロ。
札幌ラヂオ放送
(札幌市中央区南九条西四丁目)
2000年
(平成12年)
4月20日
愛称:ラヂオノスタルジア。
帯広市 おびひろ市民ラジオ
(帯広市東二条南十一丁目)
1994年
(平成6年)
12月23日
愛称:FM WING。
エフエムおびひろ
(帯広市東一条南八丁目)
1994年
(平成6年)
12月24日
愛称:FM-JAGA。
エフエムおびひろの開局により帯広市は日本で初めて複数のコミュニティ放送局を有する市区町村になった。
伊達市 室蘭まちづくり放送
(室蘭市みゆき町二丁目)
2008年
(平成20年)
8月10日
愛称:FMびゅー。
室蘭市に本社があるが室蘭市の北西隣にある伊達(だて)市にも中継局を設置しており、伊達・室蘭両市を放送区域としている。
だて観光協会
(伊達市松ヶ枝町)
2015年
(平成27年)
4月30日
愛称:wi-radio(ワイラジオ)。
秋田県 秋田市 秋田コミュニティー放送
(秋田市山王三丁目)
1998年
(平成10年)
12月1日
略称:ACB。
秋田椿台エフエム放送
(秋田市雄和椿川)
2001年
(平成13年)
8月21日
愛称:エフエム椿台。
開局当時の本社所在地周辺の所属自治体は河辺郡雄和町(1972〜2005)だったが、2005年(平成17年)1月11日に河辺郡雄和町が秋田市に編入されたことにより秋田市は二つコミュニティ放送局を有するようになった。
山形県 山形市 山形コミュニティ放送
(山形市本町二丁目)
1995年
(平成7年)
4月1日
愛称:ラジオモンスター。
東北地方初のコミュニティ放送局であり、日本の都道府県庁所在地で初めて開局したコミュニティ放送局である。
やまがたシティエフエム
(山形市中桜田三丁目)
2002年
(平成14年)
10月21日
愛称:Vigo FM。
経営難により2016年(平成28年)7月22日をもって放送を終了し、廃業した
(注13)
栃木県 栃木市 ケーブルテレビ
(栃木市樋ノ口町)
2015年
(平成27年)
11月3日
愛称:FMくらら857。
この放送局の開局をもって全都道府県に一つはコミュニティ放送局が存在するようになった。
ケーブルビジョン
(栃木市大平町西水代)
2019年
(令和元年)
12月20日
愛称:FMゆうがお。
栃木市に本社があるが、演奏所は下野(しもつけ)市祇園一丁目にあり、下野市を放送区域とするコミュニティ放送局として運営されている。
新潟県 新潟市 エフエム新津
(新潟市秋葉区新津東町二丁目)
1994年
(平成6年)
7月15日
愛称:RADIO CHAT。
甲信越地方初のコミュニティ放送局。
開局時点では新津市(1951〜2005)を放送区域とするコミュニティ放送局だった(新津市は2005年〔平成17年〕3月21日に新潟市に編入されたため消滅)。新潟市秋葉区新津地区を放送区域とするコミュニティ放送局になったのは2007年(平成19年)4月1日に新潟市が政令指定都市に移行して行政区の一つとして秋葉区が発足した時からである。
けんと放送
(新潟市中央区天神一丁目)
1996年
(平成8年)
12月25日
愛称:FM KENTO。
エフエム角田山コミュニティ放送
(新潟市西蒲区巻甲)
2001年
(平成13年)
6月14日
愛称:ぽかぽかラジオ。
開局時点では西蒲原郡巻町(1891〜2005)を放送区域とするコミュニティ放送局だった(西蒲原郡巻町は2005年〔平成17年〕10月10日に新潟市に編入されたため消滅)。新潟市西蒲区巻地区を放送区域とするコミュニティ放送局になったのは2007年(平成19年)4月1日に新潟市が政令指定都市に移行して行政区の一つとして西蒲区が発足した時からである。
上越市 エフエム上越放送
(上越市本町三丁目)
1999年
(平成11年)
4月3日
愛称:FM-J。
上越ケーブルビジョン
(上越市西城町二丁目)
2015年
(平成27年)
12月14日
愛称:FMみょうこう。
上越市に本社があるが、演奏所は妙高市学校町にあり、妙高市を放送区域とするコミュニティ放送局として運営されている。
静岡県 静岡市 エフエムしみず
(静岡市清水区日の出町)
1996年
(平成8年)
6月2日
愛称:マリンパル。
開局時点では清水市(1924〜2003)を放送区域とするコミュニティ放送局だった(清水市は2003年〔平成15年〕4月1日に静岡市と統合して改めて発足した静岡市に移行したため消滅)。静岡市清水区清水地区を放送区域とするコミュニティ放送局になったのは2005年(平成17年)4月1日に静岡市が政令指定都市に移行して行政区の一つとして清水区が発足した時からである。
シティエフエム静岡
(静岡市葵区七間町)
1998年
(平成10年)
4月1日
愛称:FM-Hi!。
開局時点では静岡市(現在の葵〔あおい〕・駿河〔するが〕両区に相当する地域)を放送区域とするコミュニティ放送局だった。2003年(平成15年)3月31日以前の市域、すなわち静岡市葵・駿河両区を放送区域とするコミュニティ放送局になったのは2005年(平成17年)4月1日に静岡市が政令指定都市に移行して行政区の一つとして葵区と駿河区が発足した時からである。
愛知県 名古屋市中区 名古屋シティエフエム
(名古屋市中村区乾出町二丁目)
1998年
(平成10年)
4月23日
愛称:SHANANA! FMまたはCityFM761。
本社は名古屋市中村区千成通五丁目(1998〜2005)→名古屋市中村区乾出町(いぬいでちょう)二丁目(2005〜2008)と一貫して名古屋市中村区内に構えていたが、演奏所は2005年(平成17年)頃に名古屋市中区新栄二丁目に移転しているため名古屋市中区にあるコミュニティ放送局と見なしている。
放送区域内の高層建築物の増加による受信環境悪化を理由として2008年(平成20年)6月13日をもって放送を終了し、廃業した。その後身的存在となるのがMID-FM(愛称:MID-FM761。名古屋市中区新栄一丁目)となるのだが、放送区域やコールサインが異なることなどから本サイトでは名古屋シティエフエムとMID-FMはそれぞれ別の放送局と見なしている。
名古屋中エフエムラヂオ放送
(名古屋市中区大須三丁目)
1998年
(平成10年)
5月29日
愛称:FM DANVO(1998〜2006)→Transamerica(2006〜2009)。
経営難により2009年(平成21年)3月31日をもって放送を終了し、2009年(平成21年)7月31日をもって廃業した。
MID-FM
(名古屋市中区新栄一丁目)
2008年
(平成20年)
8月20日
愛称:MID-FM761。
名古屋シティエフエム(愛称:SHANANA! FMまたはCityFM761。名古屋市中村区乾出町二丁目。1998〜2008)の後身的存在。但し放送区域やコールサインが異なることなどから本サイトでは名古屋シティエフエムとMID-FMはそれぞれ別の放送局と見なしている。
岡山県 津山市 つやまコミュニティFM
(津山市南新座)
2009年
(平成21年)
12月24日
愛称:エフエムつやま。
エフエム津山
(津山市小田中)
2010年
(平成22年)
7月1日
愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。
経営難により2020年(令和2年)10月25日をもって放送を終了し、廃業した。
また、(経営事情が理由と思われるのだが)2012年(平成24年)3月1日〜8月19日に放送を休止していたことがある。
香川県 高松市 エフエム高松コミュニティ放送
(高松市常磐町一丁目)
1996年
(平成8年)
4月1日
愛称:MAN de GAN815(1996〜2005)→FM815。
高松シティエフエム
(高松市天神前)
1997年
(平成9年)
1月28日
愛称:FM MARINO。
2005年(平成17年)3月31日をもって放送を終了し、2005年(平成17年)4月1日にエフエム高松コミュニティ放送(愛称:MAN de GAN815〔1996〜2005〕→FM815。高松市常磐町一丁目)に吸収合併された。現時点で同業他社への吸収合併が理由で廃業した唯一のコミュニティ放送局になっている。
長崎県 長崎市 長崎市民エフエム放送
(長崎市大黒町)
2005年
(平成17年)
9月9日
長崎シティFM
(長崎市江戸町)
2005年
(平成17年)
12月11日
経営難により2020年(令和2年)4月30日をもって放送を終了し、廃業した。
総務省九州総合通信局(熊本市西区春日〔かすが〕二丁目)に照会したところ廃業したのは事実であるとしているが、正式発表がなされていないため日本コミュニティ放送協会(JCBA、東京都港区浜松町二丁目)の公式サイト(それはこちら)では長崎シティFMは存続しているという前提でコミュニティ放送局の数を掲載しているなど未だに存続していると考えている人も少なくない。総務省九州総合通信局が近く公表するであろうコミュニティ放送局の免許更新に関する報道資料でどのように触れるかが注目されるところである
(注14)
南島原市 FMしまばら
(島原市白土町)
2007年
(平成19年)
11月11日
島原市に本社があるが島原市内だけでなく島原市の南隣にある南島原市内にも中継局を設置しており、島原・南島原両市を放送区域としている。
ひまわりてれび
(雲仙市千々石町戊)
2017年
(平成29年)
4月1日
愛称:FMひまわり。
雲仙市に本社があるが演奏所は南島原市有家町中須川にある。また、本社のある雲仙市と演奏所のある南島原市に中継局を設置しており、雲仙・南島原両市を放送区域としている。
宮崎県 宮崎市 宮崎サンシャインエフエム
(宮崎市大淀四丁目)
1999年
(平成11年)
2月14日
愛称:サンシャインFM。
宮崎シティエフエム
(宮崎市橘通東一丁目)
1999年
(平成11年)
3月14日
愛称:City FM77。
経営難により2005年(平成17年)10月31日に失効する放送免許の更新を断念し、2005年(平成17年)10月31日をもって放送を終了し、廃業した。
鹿児島県 鹿児島市 鹿児島シティエフエム
(鹿児島市紫原六丁目)
1997年
(平成9年)
10月1日
愛称:フレンズFM762。
中崎電子工業
(鹿児島市新栄町)
2011年
(平成23年)
3月20日
愛称:FMぎんがまたはかごしまFM786。
開局当初は特定非営利活動法人FMさつまが運営していたが、2012年(平成24年)6月10日に運営者が、2012年(平成24年)7月1日に愛称がそれぞれ現在のものに変更された。
沖縄県 那覇市 エフエム那覇
(那覇市牧志二丁目)
2002年
(平成14年)
7月8日
別称:fm那覇。
FM琉球
(那覇市おもろまち三丁目)
2006年
(平成18年)
7月13日
愛称:FMレキオ。
沖縄市 FMコザ
(沖縄市中央三丁目)
2004年
(平成16年)
4月1日
沖縄地方初のコミュニティ放送局・沖縄市エフエムコミュニティ放送(愛称:FM Champla!。沖縄市中央一丁目。1997〜2004)の後身的存在。但しコールサインが異なるため本サイトでは沖縄市エフエムコミュニティ放送とFMコザはそれぞれ別の放送局と見なしている。
沖縄ラジオ
(沖縄市上地一丁目)
2009年
(平成21年)
5月15日
愛称:オキラジ。
宜野湾市 FMぎのわん
(宜野湾市喜友名)
2015年
(平成27年)
10月1日
デルタ電気工業
(宜野湾市我如古二丁目)
2016年
(平成28年)
8月2日
愛称:ぎのわんシティFM。

 しかし、上表をご覧頂ければうかがえるように津山市で複数のコミュニティ放送局が開局に向けて動いていた時点では既に名古屋市中区・高松市・宮崎市で後発のコミュニティ放送局が廃業に追い込まれており(注15)、高松市や宮崎市の4分の1程度の人口しかいない津山市(注16)で二つ目のコミュニティ放送局の経営が成り立つのか不安視する声も少なくなかった。総務省中国総合通信局(広島市中区東白島町)もつやまコミュニティFMの開局に向けて動いている方々と二つ目のコミュニティ放送局を開局させようとしている方々との調整を図ろうとしたことであろうが、結局どこかで譲り合えない面があったのか一本化調整は不調に終わってしまった。もうこうなると総務省中国総合通信局も諦(あきら)めるしかなかったのであろう。
 こうして津山市は中国地方で初めて複数のコミュニティ放送局が存在するところになったのである。

先発局への対抗意識

 津山市二つ目のコミュニティ放送局は2009年(平成21年)9月28日に予備免許を取得した。津山市における先発局のつやまコミュニティFMはその約2ヶ月前の2009年(平成21年)7月29日に予備免許を取得していたことを考えるとつやまコミュニティFMの開局から間もない時期に開局させようとしたことがうかがえる(注17)のだが、状況が整わなかったのか、つやまコミュニティFMの開局に近い時期の開局は結局断念されることになった。前に記した通りつやまコミュニティFMはミニエフエム放送局で実績を積んだ上で予備免許を取得し、開局に漕ぎ着けているのに何もないところから始めたと考えられる津山市二つ目のコミュニティ放送局がつやまコミュニティFMの開局から間もない時期に開局させるというのは無理があるのでは…と思いたくなるのだが、つやまコミュニティFMへの対抗意識が背景にあったのではないかと感じるのは私だけだろうか。
 当初の予定は大幅に遅れることにはなったが、津山市二つ目のコミュニティ放送局は着々と準備を進め、つやまコミュニティFM開局20日前の2009年(平成21年)12月4日にエフエム津山という名称の運営会社を立ち上げた。ここであれ? と思った方もいるかもしれないのだが、津山市二つ目のコミュニティ放送局の運営会社は何と先発局の愛称と酷似した名称を付けたのである。まあ多くの放送局は正式名称を名乗ることは多くはないこと(注18)や津山市二つ目のコミュニティ放送局、すなわちエフエム津山もレディオつやまという愛称を用いることにしていたこと、周波数は近接していないこと(つやまコミュニティFM…78.0MHz/エフエム津山…76.3MHz)を考えれば先発局の愛称と似た運営会社の名称を付けても問題にはならなかったのかもしれないのだが、例えばレディオみまさかとか津山シティエフエムといった名称を運営会社に付けるということは考えられなかったのだろうか。エフエム津山のつやまコミュニティFMへの露骨な対抗意識の表れと言えばそれまでかもしれないが、「うちはうち。よそはよそ」という意識を持てなかったことがエフエム津山のその後に大きく響いたのでは…と思うのは私だけだろうか。

前途多難

 当初の予定から大きく遅れることにはなったが、エフエム津山は本社・演奏所を津山市戸川町6番地の1にある坂本ビル(場所はこちら。そのビルの3階にはエフエム津山開局当時スタジオ ア・ビアントも入居していた(注19))の1階に、本局は津山市中心部の南方に聳(そび)える神南備(かんなび)山(標高:355.9m)にそれぞれ設置することにし、開局準備を進めた。そして2010年(平成22年)5月20日から試験電波を発射し、つやまコミュニティFM開局から半年ほど遅れた2010年(平成22年)7月1日に開局した(注20)。なお、エフエム津山は中国地方では20番目に、岡山県では5番目にそれぞれ開局した、中国地方及び岡山県において記念すべきコミュニティ放送局となったことは全く知られていない(注21)
 ここで津山市にある二つのコミュニティ放送局の開局時点のデータを示すことにしたい。

項目 つやまコミュニティFM エフエム津山 備考
運営会社
設立年月日
2007年
(平成19年)
2月5日
2009年
(平成21年)
12月4日
つやまコミュニティ放送は開局前段階のミニエフエム放送局を運営する特定非営利活動法人が設立された日を設立年月日としている。
どちらも運営会社設立年月日は公式サイトの記載に基づいている。
運営者の
正式名称
特定非営利活動法人
つやまコミュニティFM
株式会社エフエム津山
開局年月日 2009年
(平成21年)
12月24日
2010年
(平成22年)
7月1日
エフエム津山公式サイトの会社概要のページ(それはこちら)ではどういうわけか2010年(平成22年)10月1日に開局したと記されている。
本社・演奏所
所在地
津山市京町41番地 津山市戸川町6番地の1
坂本ビル1階
つやまコミュニティFMの開局当初の本社・演奏所が入居していた建物は現存しない(開局当時の本社・演奏所があった辺りを「Googleストリートビュー」で見ると2018年〔平成30年〕9月時点では駐車場になっている)。
愛称 エフエムつやま レディオつやま
本局所在地 津山市加茂町成安/
天狗寺山
(標高:831.5m)
津山市井口/
神南備山
(標高:355.9m)
コールサイン JOZZ8AR-FM JOZZ8AS-FM
周波数 78.0MHz 76.3MHz
出力 20W 20W
中継局 なし なし
放送区域内の
世帯数
約4万6千世帯 約1万5千世帯
放送時間 終日 午前7時〜午後10時 一週間の総放送時間はつやまコミュニティFMが168時間、エフエム津山が105時間。

 上表からつやまコミュニティFMが様々な面でエフエム津山に対して優位に立っていることがうかがえる。その中で私としてどうかと感じたのは本局の位置である。つやまコミュニティFMへの対抗意識を持っているのであればエフエム津山は本局を神南備山ではなくつやまコミュニティFMが本局を置いている天狗寺山(標高:831.5m)や津山市中心部の北方に聳えていて津山市中心部に電波を送るテレビ・エフエム中継局が置かれている黒沢山(標高:668m)に置いたほうが受信範囲が広がり、対等に渡り合える可能性が高まるように感じられるのだが、なぜ津山市中心部のすぐ南に聳える山に置くことにしたのだろうか。もしかしたら経営が軌道に乗ってきたところで津山市北部などに中継局を設置するとか適当な場所に本局を移すとか考えていたのかもしれないが真相は分からない。
 そしてもう一つ、エフエム津山の演奏所には重大な問題が存在した。そのことは日本全国のコミュニティ放送局を訪ね歩いてその様子を記しているブログ「コミュニティFM大図鑑」のエフエム津山の記事(それはこちら)で触れられている(注22)のだが、何と当時のスタジオは事務所の一角をパーティションで仕切っていただけだったので外の騒音(注23)を拾ってしまう構造になっていたということである。防音措置が十分ではなく、外の騒音を拾う格好になってしまったラジオ局と言えば開局当初の山陰放送ラジオ(BSS、米子〔よなご〕市西福原一丁目)が有名である(本企画でもかつてこちらで記したことがある)が、なぜ防音措置を考えなかったのだろうか。
 これらの事実からうかがえることはエフエム津山は先発局、すなわちつやまコミュニティFMへの対抗意識が先走ってしまったのか施設面・資金面などで準備が十分できないまま開局に向けて突き進んだのではないかということである。その背景には後ろ盾にある会社の、津山市を中心とした地域の情報を紙(月刊タウン情報誌)だけでなく音声(ラジオ放送)でも伝えていくのは自分達だという矜持(きょうじ)があったのだろうが、どこかで「自分達は勝算のあることをやっているのだろうか」とか「焦ってばかりで何か大切なものを見落としていないだろうか」などと考えて立ち止まることはできなかったのだろうか。露骨なつやまコミュニティFMへの対抗意識や十分だったとは言い難(がた)い準備はやがてエフエム津山を苛(さいな)ませる結果をもたらすことになる。

迷走とその末の放送休止

 開局当初のエフエム津山はスタジオ ア・ビアントが発行しているタウン情報誌「JAKEN」と連携した番組や企画が設定されたり平日の朝・昼・夕方、週末の昼に自社制作のワイド番組を設定したりした他空き時間にはJ-WAVE(東京都港区六本木六丁目)を流していた。岡山県にあるコミュニティ放送局では岡山シティエフエム(愛称:Radio momo。岡山市北区中山下二丁目)とエフエムくらしき(倉敷市白楽町〔ばくろちょう〕)がJ-WAVEを空き時間に流しており(注24)、岡山県の三大都市(岡山・倉敷・津山)では全てとは行かないまでもJ-WAVEの番組を楽しめるようになった。
 2010年(平成22年)10月からは一日の放送終了時間を午後10時から午前0時に繰り下げており、エフエム津山はいよいよ軌道に乗ってきたことを感じさせたが、それから4ヶ月後の2011年(平成23年)2月1日、エフエム津山は突然津山市戸川町6番地の1にある坂本ビル1階から津山市鉄砲町114番地にある昔は給油所として使われていた建物(場所はこちら。現存せず(注25))に本社・演奏所を移転させた。コミュニティ放送局が本社や演奏所を移転することはこれまで何度もあったことであり、エフエム津山とは対抗関係にあるつやまコミュニティFMもその約2年半後の2013年(平成25年)7月1日に津山市京町41番地(場所はこちら)から津山市南新座34番地アリコベール・しんざ202号室(アリコベール・しんざの場所はこちら)に移転しているのだが、それでもつやまコミュニティFMは津山市京町の地で3年半放送を行っている。なぜ開局からわずか7ヶ月で本社・演奏所を移転させる必要があったのだろうか。考えられる理由は次の通りである。
・開局当初の本社・演奏所は仮のものであり、開局時点でも津山市中心部で適当な物件を探していたが開局から半年以上経ってようやく見つかったこと。
・津山市戸川町6番地の1にある坂本ビル1階でずっと業務を執ることを考えていたが、演奏所の外の音が放送に入ることが分かったため津山市中心部で適当な物件を探すことになったが開局から半年経ってようやく見つかったこと。
・津山市戸川町6番地の1にある坂本ビル1階でずっと業務を執ることを考えていたが、賃貸料がかなりかかるため賃貸料が安い物件を探したところ津山市鉄砲町114番地にある昔は給油所として使われていた建物に行き当たったこと。
・スタジオ ア・ビアントとの間に何らかの微妙な問題が生じ、出ていくことにしたこと(但しスタジオ ア・ビアント公式サイト〔それはこちら〕のリンク集のページ〔それはこちら〕にはエフエム津山へのリンクが貼られていることを考えるとこれは考えにくい)。
 真相は何なのか、恐らく永遠に明かされることはないだろうが、私として思うのは次の通りである。
・津山市戸川町6番地の1にある坂本ビル1階に防音措置を施した上で開局させたほうが良かったのではないか。エフエム津山の開局に動いたスタジオ ア・ビアント本社と同じ建物にあることで連携がとれるし、当面は本社・演奏所を移転させる必要がなくなるからである。
・もしスタジオ ア・ビアント本社が入居している建物、すなわち坂本ビルに本社・演奏所を置いた状態で開局できないのであれば開局を遅らせてでも津山市中心部に適当な物件を探し、防音措置を施した上で開局させたほうが良かったのではないか。スタジオ ア・ビアント本社との連絡は電子メールや電話、ファックス、SNS(Instagram・Twitter・Facebook・mixi・LINEなど)を使えば離れていたとしても不都合は起きないし、あまり費用はかからないからである。
 そこから垣間見えることはエフエム津山はやはりつやまコミュニティFMへの対抗意識に駆られて開局を急ぎすぎたのではないかということである。つやまコミュニティFMは慎重に段階を踏んで開局に至ったことは前に記した通りであるが、それがないエフエム津山は尚更慎重に事を進めるべきではなかったのだろうか。ただでさえ津山市民には冷ややかな目で見られる恐れの高い放送局である。更に信用を失わせてどうなるのかと思いたくなる。

 さて、津山市鉄砲町に新たな本社・演奏所を設置し、新たな気持ちで放送に臨んだエフエム津山だったが、2011年(平成23年)12月6日につやまコミュニティFM・尾道エフエム放送(愛称:エフエムおのみちまたはエフエムおのみち79.4。尾道市東御所町)とともに総務省中国総合通信局から厳重注意を食らうことになってしまった(当時の報道資料はこちら)。エフエム津山が厳重注意を食らった理由は2011年(平成23年)6月30日の午後5時40分から午後10時14分までの約4時間半にわたり落雷による中継回線設備のトラブルで放送を中断させたのだがそのことについて放送法(注26)に定められた重大事故報告書を期限内に提出しなかったことであった(注27)
 放送施設への落雷で放送が中断することは時々あることであり(注28)、致し方ないことだとは思うのだが、問題はエフエム津山・つやまコミュニティFM・尾道エフエム放送の3社が放送法に定められた重大事故報告書を期限内に提出しなかったことである。3社それぞれの言い分は分からないのだが、つやまコミュニティFM・尾道エフエム放送はともかくエフエム津山にとってこの不手際は痛恨の出来事になったのは記すまでもないであろう。ただでさえ厳しい環境に置かれ、津山市民に冷淡に受け止められている放送局がなぜこういう不手際を起こしたのか。そういう時だからこそ信頼を少しでも得られる行動をとって頂きたかったと思うのは私だけではないであろう。余談だが、この出来事によりエフエム津山が受信できる世帯数はつやまコミュニティFMの3分の1程度(注29)であるという、エフエム津山にとってはあまりにも不都合なことが公にされている。
 総務省中国総合通信局から厳重注意を食らってから約2ヶ月半後の2012年(平成24年)2月16日、エフエム津山は総務省中国総合通信局に2012年(平成24年)3月1日から8月30日までの約半年間放送を休止する旨を届け出、受理された(当時の報道資料はこちら)。理由は分からないが、経営が苦しくなってきたことやいろいろやってきたがどうしても対抗関係にある放送局との聴取率競争で後塵を拝するばかりで一度放送を止めてどのようにするか考え直そうとしたことが考えられる。
「もしや…」
 エフエム津山の放送休止報道に接した私はエフエム津山は五日市(いつかいち)コミュニティ放送(愛称:エフエムななみ。広島市佐伯〔さえき〕区皆賀四丁目。2004〜2007)と同じ道をたどるのではないかと考えた。五日市コミュニティ放送はかつて日本で最も人口の多い地方自治体としての町村として知られた佐伯郡五日市町(1911〜1985)の後身的存在となる広島市佐伯区を放送区域として開局したコミュニティ放送局であったが、経営難によりわずか3年半程度で放送を休止し、結局廃業したのである。

五日市コミュニティ放送の演奏所が入居していた娯楽施設。
左側に見える高架橋は国道2号線西広島バイパスであり、広島市佐伯区中心部からいくらか離れたところにあったことがうかがえる。

 五日市コミュニティ放送は放送を休止するに当たって放送休止期間を2007年(平成19年)12月1日から2008年(平成20年)7月31日までの8ヶ月間とすることを総務省中国総合通信局に届け出ている(インターネットアーカイヴで保存されている当時の報道資料はこちら)。無論2007年(平成19年)12月1日に放送を休止してから何とか放送を再開させようと努力はしたのだろうが、どうにもならず、結局放送休止期間の半分のところ、すなわち2008年(平成20年)3月31日をもって廃業してしまったのである(インターネットアーカイヴで保存されている当時の報道資料はこちら)。記すまでもなく五日市コミュニティ放送は中国地方で初めて廃業に追い込まれたコミュニティ放送局となったわけであるが、なぜ放送休止から復活できなかったのか。その理由を挙げると次の通りになる。
・広島市佐伯区は広島市のベッドタウンとして発展し、大きく人口を増やしたところであるため旧来からの住民の割合が低まっていたこと。
・広島市佐伯区の経済基盤が脆弱であり、スポンサーになってくれるような企業があまりなかったこと。
・広島市佐伯区はNHK広島拠点放送局(広島市中区大手町二丁目)・中国放送ラジオ(RCC、広島市中区基町)・広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)・中国コミュニケーションネットワーク(愛称:ひろしまPステーション〔2000〜2008〕→エフエムちゅーピー。広島市中区土橋町)が十分受信できるところ(このうちNHK-FMと広島エフエム放送は広島市佐伯区に中継局を設置している)であり、その中に割って入ることは容易なことではなかったこと。
・NHK広島拠点放送局・中国放送ラジオ・広島エフエム放送・中国コミュニケーションネットワークとの聴取率競争に勝とうと若年者向けの番組を多く設定したり終夜放送を実施したりするなど身の丈に合わない放送を展開したために地域からの支持を得られなかったばかりか経営を圧迫する結果を招いたこと。
・広島市佐伯区とは広島湾を挟んで向かい合っている広島市安芸(あき)区矢野地区でも十分受信できたこと(放送休止〔=事実上の廃業〕半月前の2007年〔平成19年〕11月16日に自分が確認している)を考えると広島市佐伯区及びその周辺だけでなく広島湾岸地域を念頭に置いた放送を展開すれば生き残る道はあった可能性はあるが、全くと言って良いほど顧みなかったこと。
・広島市佐伯区は2005年(平成17年)4月25日に広島市が編入した佐伯郡湯来町(1956〜2005)を編入しているのだが、佐伯郡湯来町改め広島市佐伯区湯来地区への中継局設置などの受信環境改善を全く考えなかったこと。
・西隣にあり、佐伯郡(1664〜2005)の中心地としての地位を有し、全国的に知られる企業の本社が多く存在する廿日市市で当時コミュニティ放送局開局への動きがあり、もし廿日市市のコミュニティ放送局が開局した状態で復活させても不利な立場に追い込まれるのは目に見えていたこと(現に廿日市市では五日市コミュニティ放送が放送を休止していた時期、すなわち2008年〔平成20年〕2月23日にコミュニティ放送局・FMはつかいち〔別称:FM廿日市。廿日市市下平良〈しもへら〉二丁目〕が開局している)。
・不都合なこと、すなわち経営が厳しいことを知られないようにしようと思ったのか自社制作番組の大幅削減を断行したのが2007年(平成19年)7月とあまりにも遅く、聴取者からの信頼を失ったこと。
・そもそも演奏所が広島市佐伯区五日市地区の中心部からいくらか離れた娯楽施設の中にあり、目立った存在になり得なかったこと。
・五日市コミュニティ放送の聴取者を中心に放送再開を求める声があまり上がらなかったこと。
 広島市佐伯区は津山市のように複数コミュニティ放送局があったところではない。しかし、既存のラジオ局との競争が激しかったことや地域住民の支持を得られたとは言い難かったこと、受信可能地域が狭かったことなど共通する事柄も少なくない。大都市の郊外にあるコミュニティ放送局がこういう結末を迎えたのであれば地方都市のコミュニティ放送局はどうなるのか。放送再開への道は険しいと考えざるを得ない。
 実は私はエフエム津山が放送を休止してから3ヶ月ほど経った2012年(平成24年)6月10日に津山市へ行き、二代目演奏所があったところを見ている。前にも記した通り二代目演奏所は給油所として使われていた建物を使用していたのだが、そこでエフエム津山が放送を行っていたという痕跡を見ることはできなかった。(エフエム津山の関係者には大変申し訳ないことを記すことになるのだが)その様子を見てエフエム津山は五日市コミュニティ放送と同じ道をたどるのではないかと改めて感じたものである。

復活

 しかし、私を含めてエフエム津山が五日市コミュニティ放送と同じ道をたどることになるだろうと思う方が少なくなかった頃、エフエム津山は放送再開に向けて動き出していた。放送休止から2ヶ月近く経った2012年(平成24年)4月25日にエフエム津山は公式サイトにおいて「番組告知」という題の音声ファイルを公開し、不定期ながらインターネット配信で番組を継続していくことを発表したのである。つまり、エフエム津山は五日市コミュニティ放送と同じ道はたどらない、絶対に復活させるという意思表明を行ったのである。
 その動きを見て冷ややかな目で見た方は少なくなかったことだろうが、なぜエフエム津山は復活へ舵を切ることを決意したのか。(前にも書いたのだが)後ろ盾にある会社の、津山市を中心とした地域の情報を紙(月刊タウン情報誌)だけでなく音声(ラジオ放送)でも伝えていくのは自分達だという矜持があったことと、このままでは終われないと思う関係者が多かったことではないかと考えている。真相は分からないが、エフエム津山と五日市コミュニティ放送はそこで明暗が分かれたということになるのだろうか。
 そして2012年(平成24年)8月20日、エフエム津山は音楽しか流さないという状態ではあったが約5ヶ月半ぶり、日数に換算すれば173日ぶりに放送を再開した。エフエム津山は中国地方にあるコミュニティ放送局としては初めて放送休止を乗り越えて復活を果たしたところとなった(注30)
 エフエム津山は放送再開に当たり、いくつも変更したことがあった。それは次の通りである。
・本社・演奏所を津山市小田中2193番地の1にあるウェストマートビルの2階(場所はこちら)に設置する。
・愛称をレディオつやまからMegaWAVE76.3に変更する。
・J-WAVEの再送信は取りやめる。
・毎日午前0時〜午前7時に設定していた放送休止を廃止し、終夜放送に移行する。
・現在は音楽しか流さない状態であるが、サブカルチャーに特化した放送局を目指す。
・サブカルチャーに特化した放送局を目指す関係上、番組は夕方から夜にかけてのみ放送し、その他の時間は音楽を流し続ける。
・放送局のイメージキャラクターとして763(ナロミ)ちゃんという少女(注31)を設定する。
・Twitterアカウントを取得する(エフエム津山のTwitterページはこちら)。
 見る限りなかなか意欲的な姿勢が垣間見られるのだが、問題がないわけではなかった。それを挙げると次の通りになる。
・本社・演奏所の移転は二度目であり、中国地方にあるコミュニティ放送局では最多移転回数記録を有するところになった(注32)のだが、なぜ津山市鉄砲町114番地にある昔は給油所として使われていた建物で放送を再開させなかったのか。
・経営事情が厳しいにもかかわらず終夜放送に移行する必要はあるのか。
・津山市は若年者人口が少ないが、そういう状況でサブカルチャーに特化したラジオ局は経営が成り立つのか。
・番組は夕方から夜にかけてしか設定しないことにしたが、主たる聴取者層である若年者をどれだけ取り込めるのか。
・サブカルチャーに関心を持つ方々に対して偏見を持つ人もいることを考えるとサブカルチャーへの特化は難しいのではないのか。
・朝や昼間はずっと音楽を流し続けることにしているが、それでどれだけの方がエフエム津山を聴こうと思うのか。
・J-WAVEの再送信をやめて損はしないのか。
・例えばミュージックバード(東京都千代田区麹町一丁目)制作の番組を流すことは考えられなかったのか。
 放送休止前と放送再開後ではエフエム津山はかなり状況が変わったということになるわけであるが、エフエム津山としてはこの大変革に勝負をかけていたのではないのだろうか。もしその路線が当たればNHK岡山放送局・RSK山陽放送ラジオ・岡山エフエム放送・つやまコミュニティFMと対等に渡り合える存在になるし、番組設定のない朝や昼にも番組を設定できるようになる。更に三代目本社・演奏所のすぐ北側を通る市道(都市計画道路新錦橋・押入線)を通る方々にその存在を示す物件を示せるようになれば津山市中心部と倉吉・真庭方面を結ぶ幹線道路(注33)として交通量が多いので知名度も向上する。そんな目論見があったのではないかと私は思うのだが果たしてどうだったのだろうか。

忍び寄る暗雲

 こうして新たな歩みを始めたエフエム津山は意欲的な態度を随所に垣間見せた。平日の夕方から夜にかけて自社制作であるか否かとか生放送であるか否かを問わず集中的に番組を設定し、主たる聴取者層と位置付けた若年者を引き付けようとした。
 この他エフエム津山が行ったことは次の通りである。
・公式サイト(それはこちら)の刷新。
・土曜日への再放送時間の設定(対象番組は自社制作か否かを問わない)。
・自社制作番組のうちの録音番組のネット配信開始(そのページはこちら)。
・Facebookアカウント取得(エフエム津山のFacebookアカウントはこちら)。
・アイドルイヴェントやコスプレイヴェントの開催。
・自社制作番組の動画投稿サイト「YouTube」での配信開始(そのページはこちら
 このような積極策によりエフエム津山は2015年(平成27年)7月1日に開局5周年を迎え、そして2015年(平成27年)10月末には放送免許更新も果たしたのである(注34)。波乱万丈の5年間を乗り越え、更なる飛躍を果たすだろうと考える人は少なくなかったことであろう。
 しかし、対抗関係にあるNHK岡山放送局・RSK山陽放送ラジオ・岡山エフエム放送・つやまコミュニティFMとの差を埋めることは容易なことではなかった。エフエム津山には次に挙げるような問題点が存在したからである。
・番組は平日の夕方から夜にかけてしか設定できなかったこと。その他の時間は洋楽・邦楽問わずずっと音楽を流し続けるという状態だったのだが、そういう状況でエフエム津山に周波数を合わせようと思う方はどのくらいいたのだろうか。中にはそれでも構わないという人もいたことだろうが…。
・受信環境改善を行わなかったこと。受信環境改善の方法としては本局のある神南備山より高い山への移転や受信が難しい津山市北部(阿波〔あば〕・加茂地区)への中継局設置、ラジオ放送のインターネットサイマル配信サービスへの参加が考えられるが、全く考えなかったのだろうか。人口の多い地域に重きを置くという方針を持っていたのであればそれでも良かったのだろうが…。
・J-WAVEの再送信の再開やミュージックバード制作の番組の送信を行わなかったこと。もし行っていれば「エフエム津山は番組を流さない時間帯はずっと音楽を流し続けるだけなのでつまらない」というような印象をなくすことができるし、対抗関係にあるNHK岡山放送局・RSK山陽放送ラジオ・岡山エフエム放送・つやまコミュニティFMとは全く異なる番組が流れるのでそれでエフエム津山の聴取者を増やすこともできたのではないかと思うのだが…。
・スポンサーの獲得に苦慮したこと。つやまコミュニティFMと比べた時様々な面で劣っていたことに加えて本社・演奏所の移転を短期間で繰り返したことや半年間放送を休止したこと、地域の志向に合わない放送を展開していることを考えると広告を出そうと思う方がどれだけいたのかが気になる。
 エフエム津山としては今挙げた問題点は放送再開後展開してきた積極策が功を奏することによって解決できるのではないかと考えていたのかもしれないのだが、残念ながらそうはならなかった。むしろ状況は更に厳しくなってきた。特に2018年(平成30年)以降はそれが顕著になってきた。どのようなことがあったのかを挙げると次の通りになる。
・一部の自社制作番組を動画投稿サイト「YouTube」で配信していたが、2018年(平成30年)春以降全く配信しなくなったこと(但しそれまで配信した分は現在でも閲覧可能である)。
・番組サイトのページ(それはこちら。なお、そこに掲載されている番組は自社制作番組だけではない)を設定したのは良いが、自社制作番組について独自のサイトは全くと言って良いほど作られていないこと(昔は閲覧できたが諸事情である時期をもって閉鎖し、以後閲覧できなくなった可能性も考えられる)。
・番組サイトのページには既に終了した番組も掲載され続けていること(中には終了したと推察されることが紹介文に記されているものもあるが…)。
・放送局のイメージキャラクター・763ちゃんを紹介するページ(それはこちら)を見ると「コンテンツは随時追加予定である」と記されているが、結局それ以上の発展は見られないでいること。
・エフエム津山が持っているSNSはFacebookについては2018年(平成30年)7月11日を最後に、Twitterについては2019年(令和元年)8月30日を最後にそれぞれ新規投稿が途絶えたこと(但しTwitter・Facebookとも現在もアカウントは所有しており、閲覧は可能である)。
・自社制作番組のうちの録音番組のネット配信は2019年(令和元年)7月上旬を最後に全く行わなくなったこと(但しそれまでに配信した分は現在でも聴取可能である)。
・公式サイトは番組表しか更新されなくなったこと。
 厳しい状況に見切りを付けて今まで頑張ってきた職員が次々とエフエム津山を去っていったのか、放送継続を優先するあまりその他の事柄は放置せざるを得なくなったのか、経営陣の内部で対立が起き、いわゆる空中分解を起こしたのか、それは分からない。しかし、誰の目にもエフエム津山は厳しい環境に置かれていることは明らかであった。

次々と来襲する逆風の中で遂に…

 津山市にある二つのコミュニティ放送局、すなわちつやまコミュニティFMとエフエム津山は2019年(令和元年)暮れから2020年(令和2年)夏にかけて相次いで開局10周年の節目を迎えた。先発局のつやまコミュニティFMは開局10周年を記念する企画を打っているが、前記の通り公式サイト・SNSの更新がほとんどなされなくなったエフエム津山は開局10周年に向けて何を行ったのかは全く分からない。
 むしろエフエム津山が開局10周年を迎えた今年、すなわち2020年(令和2年)はエフエム津山にとってはいくつも逆風に見舞われる出来事が相次いだ年となった。それを挙げると次の通りになる。
・新型コロナウィルス感染症が世界的に流行し、各方面に甚大な影響を及ぼしたこと。これにより番組の放送やスポンサーの獲得が更に難しくなった。
・高校サッカーの強豪校として知られる作陽高等学校(津山市八出〔やいで〕)が2023年度(令和5年度)をメドに倉敷市玉島八島(たましまやしま)に移転する計画があることが報道されたこと。作陽高等学校を運営する作陽学園(倉敷市玉島長尾)は大学、すなわちくらしき作陽大学・作陽短期大学(倉敷市玉島長尾)を1996年(平成8年)に津山市八出から移転させているのだが、大学と高校は場所こそ離れているがどちらもJR山陽新幹線・山陽本線新倉敷駅(倉敷市玉島爪崎〔たましまつまさき〕)の近くにあることや現在倉敷市船穂(ふなお)地区〜浅口市金光(こんこう)地区間で整備が進められている県道60号倉敷・笠岡線(注35)に面していること、更にその県道60号倉敷・笠岡線はくらしき作陽大学・作陽短期大学の1kmほど東方で山陽自動車道玉島インターチェンジ(倉敷市玉島長尾)と国道2号線玉島バイパス船穂ジャンクション(倉敷市船穂町船穂)を結ぶ玉島インターチェンジ連絡道路(県道54号倉敷・美袋〔みなぎ〕線に指定されている)に接続していることを考えると交通が便利な倉敷市に移転したほうが良いという思惑があったことが考えられる。
・岡山エフエム放送が都道府県域以上の放送区域を有するラジオ局を対象にしたインターネットサイマル配信サービスのradikoに参加したこと。これにより津山市で聴取可能なラジオ局でインターネットサイマル配信サービスに参加していないのはエフエム津山だけになり、まさにインターネットサイマル配信サービスにおいて四面楚歌の状態になった(注36)
・津山市と同じ格好で複数コミュニティ放送局が開局していた長崎市で、エフエム津山と共通するところの多かった(注37)長崎シティFM(長崎市江戸町。2005〜2020)が廃業に追い込まれたこと。長崎シティFMの廃業はなぜか全くと言って良いほど報じられていないのだが、津山市の人口の4倍以上の人口を持つ長崎市(注38)でも後発のコミュニティ放送局が廃業に追い込まれたという話はどこからかエフエム津山の関係者の耳に入った可能性は考えられるところである。
・津山市の人口が推計ではあるが10万人の大台を割ったという報道があったこと。今年10月1日実施の国勢調査でも恐らく10万人の大台を割る結果が出るのではないかと思われるが、もし津山市の人口が10万人を下回ることになれば中国地方では尾道市・三原市に次いで3例目になる(注39)
 そんな中、エフエム津山は今年5月に番組改編を実施した(番組改編を実施したのかどうかは前記の通り公式サイト・SNSの更新がほとんどなされなくなっていたので定かではないがこちらで閲覧できる番組表には「2020年5月からのタイムテーブルです♪」と記されていることを考えると何らかの手直しがあったは事実であろう)。なぜ番組改編期ではない5月なのかよく分からない(注40)のだが、その結果エフエム津山の番組編成は下表の通りになった。

※番組名を赤太字で記しているものは自社制作番組またはその可能性が高いものである(フィラーの「Music Surfing」を除く)。

曜日 時間帯 番組名
午前0時〜午後5時 Music Surfing
午後5時〜午後6時 温故知“真”
午後6時〜午後7時30分 Music Surfing
午後7時30分〜午後8時 TRBの放課後電波倶楽部
午後8時〜午後9時 なういのコミカル症候群
午後9時〜午後10時 Music Surfing
午後10時〜午後11時 よかろうもんと川野淳のこんやもここで!
午後11時〜午前0時 Music Surfing
午前0時〜午後5時 Music Surfing
午後5時〜午後6時 仮面女子雪乃しほりのワクワクサワー
午後6時〜午後7時30分 Music Surfing
午後7時30分〜午後8時 Smile Girls
午後8時〜午後9時 週刊! 本庄強
午後9時〜午後10時 Music Surfing
午後10時〜午後11時 PGP RADIO
午後11時〜午前0時 Music Surfing
午前0時〜午後5時 Music Surfing
午後5時〜午後6時 鉄ちゃん親父ラジオ〜出発進行〜
午後6時〜午後7時30分 Music Surfing
午後7時30分〜午後8時 PoP☆Time
午後8時〜午後9時 ぐっさんの情報キャッチ!
午後9時〜午後10時 Music Surfing
午後10時〜午後11時 West Big Templeのぼっけぇラヂオ
午後11時〜午前0時 Music Surfing
午前0時〜午後5時 Music Surfing
午後5時〜午後5時30分 ニタちゃんのどこでも珍道中
午後5時30分〜午後6時 桜花学院・田村の英語を学ぼう!!
午後6時〜午後7時30分 Music Surfing
午後7時30分〜午後8時 ふぁんふぁに放送局
午後8時〜午後9時 イッシーのビシ叩きドラミーゴ(注41)
午後9時〜午後10時 Music Surfing
午後10時〜午後11時 Fumily Mart〜れげえの時間〜
午後11時〜午前0時 Music Surfing
午前0時〜午後5時 Music Surfing
午後5時〜午後6時 元気が出るラジオ
午後6時〜午後7時30分 Music Surfing
午後7時30分〜午後8時 ひろこの音部屋
午後8時〜午後9時 夜ドン!〜夜は行け行け! ド〜ンと歌謡曲〜
午後9時〜午後10時 Music Surfing
午後10時〜午後11時 あるこーる6%
午後11時〜午前0時 Music Surfing
午前0時〜午前10時 Music Surfing
午前10時〜午前11時 仮面女子雪乃しほりのワクワクサワー(再放送)
午前11時〜午前11時30分 ニタちゃんのどこでも珍道中(再放送)
午前11時30分〜午後0時30分 温故知“真”(再放送)
午後0時30分〜午後1時 ひろこの音部屋(再放送)
午後1時〜午後2時 イッシーのビシ叩きドラミーゴ(再放送(注41)
午後2時〜午後3時 なういのコミカル症候群(再放送)
午後3時〜午後4時 元気が出るラジオ(再放送)
午後4時〜午後5時 ぐっさんの情報キャッチ!(再放送)
午後5時〜午後5時30分 Smile Girls(再放送)
午後5時30分〜午後6時 PoP☆Time(再放送)
午後6時〜午後7時 夜ドン!〜夜は行け行け! ド〜ンと歌謡曲〜(再放送)
午後7時〜午後8時 よかろうもんと川野淳のこんやもここで!(再放送)
午後8時〜午前0時 Music Surfing
午前0時〜午前0時 Music Surfing

 上表から平日は午後5時〜午後6時・午後7時30分〜午後9時・午後10時〜午後11時の合計3時間30分しか番組がなく、土曜日は午前10時から午後8時まで10時間にわたって自社制作・他社制作問わず番組の再放送に充て、その他の時間はずっと音楽を流し続けるという、どうなんだろうなと思う編成になっていたことがうかがえる。せめて朝や午前中に番組があったら、空き時間は「Music Surfing」という洋楽・邦楽関係なく音楽を流し続ける番組ではなく、J-WAVEの再送信やミュージックバード制作の番組で充填(じゅうてん)したならまだ良かったのでは…と思うのだが、もうそれは難しい話だったのだろうか。
「いろいろ手は尽くしたがもう限界だ…」
 エフエム津山は今後放送を継続したとしても状況は好転しないと判断し、遂に総務省中国総合通信局に放送を終了し、廃業する旨を届け出た(報道資料はこちら)。そして今年10月25日をもって波乱に満ちた10年4ヶ月の歴史に終止符を打った。ただ、公式サイトやSNSには閉局することは一切記されないままになっていることや前記の通りラジオ放送のインターネットサイマル配信サービスには一切参加していなかったこと、そして私自身エフエム津山が受信できないところ(福山市)に住んでいることなどからどのような形でどの時刻をもって10年あまりの歴史に終止符を打ったかは分からない。

放送最終日に現地を訪れて知った驚愕の事実

 私は本サイトでラジオ局やラジオ番組について取り上げている関係上、総務省公式サイト(それはこちら)や放送関係の情報を伝えるサイト・ブログは毎日のように確認している。だからエフエム津山の廃業を知ったのは総務省中国総合通信局が発表したのと同じ日、すなわち今年10月21日のことであった。
 エフエム津山が放送を流していたのは2010年(平成22年)7月1日〜2020年(令和2年)10月25日の約10年4ヶ月間(但し2012年〔平成24年〕3月1日〜8月19日は放送休止)であった。その間私が津山市及びその周辺に行ったのは2010年(平成22年)9月20日・2011年(平成23年)8月26日・2012年(平成24年)6月10日・2018年(平成30年)12月3日の4回あるのだがいずれも意識してエフエム津山を聴いた覚えはなかった(もっとも2012年〔平成24年〕6月10日に行った時は前に記したようにエフエム津山は放送を休止していたのだが…)。
 そこで私はエフエム津山の放送最終日となる今年10月25日に津山市に赴き、エフエム津山がどんな放送を行っているのか、そしてエフエム津山の三代目本社・演奏所の様子はどんなものだったのかを見ることにした。ここではその状況を記すことにしたい。

 矢掛(やかげ)・総社・吉備中央経由で津山市に向かった私がエフエム津山に自分の車のカーラジオの周波数を合わせたのは久米郡美咲町・津山市境に掘られた休乢(やすみだわ)トンネル(全長:666m)を抜けて津山市に入ったところからである(注42)。前に記した通りエフエム津山は土曜日午後8時〜月曜日午後5時は「Music Surfing」という、ずっと音楽をかけ続ける番組になっており、洋楽・邦楽問わずエフエム津山からは音楽が流れ続けていた。しかし、気になったことがあった。それを挙げると次の通りになる。
・企業などの宣伝は全く流れていなかったこと。
・正時に時報は流さず、正時を跨ぐ形でずっと音楽を流し続けていたこと。
・音楽をずっと流し続けていることもあってか放送局名またはその愛称の告知は一切流されていなかったこと。
・その日をもって放送を終了し、閉局するにもかかわらずそのことに関する告知は一切流れなかったこと。
 他のラジオ局を聴いたり昼食をとるためにJR姫新線・津山線津山駅(津山市大谷)の西方の国道53号線(国道179号線・国道429号線重用)沿線にあるラーメン店に入ったり津山駅のすぐ近くにあった津山扇形機関車庫を活用して2016年(平成28年)に開業し、津山市の新たな観光名所となっている津山まなびの鉄道館(津山市大谷)を見物したりするなどしてエフエム津山を聴かなかった時間はあるのだが、どの時間に聴いても状況は同じであった。
 そして私を驚かせたのは三代目本社・演奏所の様子である。私は前に三代目本社・演奏所は津山市中心部と倉吉・真庭方面を結ぶ幹線道路のすぐそばにあると記したのだが、エフエム津山の三代目本社・演奏所があったと思しき建物のどこにもエフエム津山の三代目本社・演奏所があったことを示す物件は見当たらなかったのである。

北方から撮影したエフエム津山の三代目本社・演奏所が入居していた建物

エフエム津山の三代目本社・演奏所が入居していた建物の近景

エフエム津山の三代目本社・演奏所が入居していた建物の脇にあった、入居している店舗を記した看板(撮影時点で既に廃業していたものもある)。
どこにも「エフエム津山」とか「MegaWAVE76.3」という文字は記されていない。

 「インターネット地図で津山市小田中2193番地の1を調べたらここだと出たのにな。おかしいな」と私は思ったものである。そこで帰宅してからエフエム津山の三代目本社・演奏所が入居していた建物、すなわちウェストマートビルに入居している二つの大手消費者金融会社、すなわちアコム(東京都千代田区丸の内二丁目)と新生フィナンシャル(東京都千代田区外神田三丁目)のそれぞれの公式サイト(アコム…こちら/新生フィナンシャル…こちら(注43))でこの津山市小田中にある店舗の所在地を調べたところ、どちらも「津山市小田中2193番地の1 ウェストマートビル1階」と記されていた。よって、エフエム津山の三代目本社・演奏所はこの二つの大手消費者金融会社と同じ建物に入居していたのは確実になった。
 前にも記したようにエフエム津山の三代目本社・演奏所は津山市小田中2193番地の1にあるウェストマートビルの2階にあった。ではその2階には何があったのか。階段を昇っていってみたのだが、二つあったと思われる部屋はどちらも使われていない感じになっていて、どちらにエフエム津山の三代目本社・演奏所が入居していたのかは分からなかった。東側の部屋の入口のそばには古びたプラスチック製の郵便受けがあったのだが、そこには何も書かれていなかった(昔は書かれていたが風雨にさらされて消えたのかもしれない)。また、中からは音楽も機械の音も聞こえてこなかった。

ウェストマートビル2階の様子

 ただ、私は次に挙げる点からエフエム津山はウェストマートビル2階の東側の部屋に本社・演奏所を置いていたのではないかと考えた。
・2階東側の部屋を外から覗き込むと机や椅子のようなものが置いてあったこと。
・ウェストマートビルを南側から見ると2階東側の部屋にエフエム津山の本局があった神南備山に向けたアンテナがあったこと。

南東方向から撮影したウェストマートビル。
2階東側の部屋に相当する場所にアンテナが取り付けられているのが見える。

ウェストマートビル2階東側の部屋にあったアンテナの拡大写真。
明らかにエフエム津山の本局があった神南備山に向けられている。

 では過去の「Googleストリートビュー」ではエフエム津山の三代目本社・演奏所はどのようにとらえられていたのか。2018年(平成30年)9月と2019年(令和元年)10月に撮影されたものが公開されているのだが、いずれもエフエム津山があることを示す物件は見当たらなかった(但し2018年〔平成30年〕9月に撮影した分については私が本社・演奏所があったのでは…と思っていた部屋の北を向いている窓にポスター〔内容は不明〕が貼られているのが見える)。エフエム津山が津山市鉄砲町から移転し、放送を再開した2012年(平成24年)8月から「Googleストリートビュー」がエフエム津山の本社・演奏所周辺を撮影した2018年(平成30年)9月までの約6年間のどこかにはエフエム津山の本社・演奏所があることを示す物件があった可能性は否定し得ないところであるが、真相は分からない。
 折角津山市中心部と倉吉・真庭方面を結ぶ幹線道路のそばに本社・演奏所を置いたのだからエフエム津山の本社・演奏所があることを示す物件があればもっとその存在は知られ、こんな結末は迎えずに済んだのでは…と思いたくなるのだが、それができなかったのは何があったからなのだろうか。そういう状況故か私がエフエム津山の本社・演奏所を訪ねた時間帯(午後1時頃)にエフエム津山の本社・演奏所を訪ね、その様子を見ようとする人は誰もいなかった。
 できればどの時間まで放送されて、どのような形で10年4ヶ月間の歴史に終止符を打つのかを確かめたかったのだが、自分はある企業に勤めている人間であり、翌日、すなわち10月26日は出勤日である。しかも始業時間は早いから午前5時過ぎには起きなければならない。もし10月26日午前0時まで放送を続けたとしたら自宅のある福山市に帰着するのは早くて午前1時30分頃になる。それから数時間しか寝ず、翌日出勤するというのは難しい。そのため最後まで聴き続けることは断念し、午後3時過ぎには帰途に就くことにした(復路は真庭・高梁〔たかはし〕・井原経由)。致し方ないことだがその点が心残りになった。
 ではエフエム津山はどのような形で10年4ヶ月間の歴史に終止符を打ったのだろうか。前に記したようにラジオ放送のインターネットサイマル配信サービスには一切参加していなかったことや私自身エフエム津山が受信できないところに住んでいること、そして今記したように放送が終わるまで津山市に滞在し続けることはできなかったことから私には分からない。10年4ヶ月間の歴史を振り返り、聴取者に感謝の意を示す特別番組を設定して締めくくるのが望ましいところではあるのだが、今年5月時点の自社制作番組の割合が約6.5%(=11時間/168時間。本放送のみの数値)と低いことや土曜日・日曜日には自社制作の生放送番組の設定がないこと(土曜日は「Music Surfing」と一部の番組の再放送しか、日曜日は「Music Surfing」しかそれぞれ流していない)、宣伝が全く流れていないこと(=スポンサーが付かなくなっていること)、そして本社・演奏所と思しき部屋は使われていないような感じが見られたことなどを考えればそういう番組は設定できなかった可能性が高い。恐らくある正時―私が津山市からの帰途に就いた後の10月25日の午後4時から10月26日午前0時までのどこかだろう―の直前で「こちらはJOZZ8AS-FM、エフエム津山、愛称MegaWAVE76.3です。只今をもちまして10年4ヶ月間の歴史に終止符を打ち、閉局させて頂きます。長らくのご愛聴誠にありがとうございました」というような閉局の挨拶(あいさつ)を入れて放送を終えたのではないのだろうか。エフエム津山の10年4ヶ月間は波乱に満ちたものであったが、最後だけはきちんと締めたと私は信じたい。

エフエム津山の敗因を考える

 エフエム津山はなぜ廃業に追い込まれてしまったのか。理由はいろいろ考えられるところであるが、私は先発局、すなわちつやまコミュニティFMへの対抗意識が強すぎたことが大きいのではないかと考えている。どの点にそのことを感じたのか、ここから説明していくことにしたい。

1 準備が十分ではないにもかかわらず、不利な状況が多数あるにもかかわらずつやまコミュニティFMの開局から間もない時期の開局を狙ったこと

 つやまコミュニティFMとエフエム津山の開局までの状況を示すと下表の通りになる。

放送局名 運営会社
設立年月日
予備免許
取得年月日
試験放送
開始年月日
開局年月日 備考
つやまコミュニティFM 2007年
(平成19年)
2月5日
2009年
(平成21年)
7月29日
2009年
(平成21年)
7月31日
2009年
(平成21年)
12月24日
開局前段階のミニエフエム放送局を運営する特定非営利活動法人として設立。
運営会社設立年月日は公式サイトの記載による。
エフエム津山 2009年
(平成21年)
12月4日
2009年
(平成21年)
9月28日
2010年
(平成22年)
5月20日
2010年
(平成22年)
7月1日
公式サイトでは開局年月日をなぜか2010年(平成22年)10月1日と記している。

 つやまコミュニティFMとエフエム津山の予備免許取得時期の差は2ヶ月程度なのだが、そのことからすればエフエム津山はつやまコミュニティFMの開局からそう遅くない時期に開局させようとしていたことがうかがえる。しかし、エフエム津山はつやまコミュニティFMの開局から半年も後になってようやく開局した。下表は2009年(平成21年)以降に開局した中国地方にあるコミュニティ放送局の一覧表であるが、エフエム津山は予備免許取得時期が不明なFMみはら(愛称:FOR LIFE RADIO。三原市宮沖五丁目)を除いて予備免許取得から開局までの時間が最も長くかかったことがうかがえる。

放送局名/所在地 運営会社
設立年月日
予備免許取得
年月日
試験放送
開始年月日
開局年月日 備考
エフエムハムスター
(広島市安佐南区祇園五丁目)
2009年
(平成21年)
1月13日
2009年
(平成21年)
3月26日
2009年
(平成21年)
4月20日
2009年
(平成21年)
5月11日
つやまコミュニティFM
(津山市南新座)
2007年
(平成19年)
2月5日
2009年
(平成21年)
7月29日
2009年
(平成21年)
7月31日
2009年
(平成21年)
12月24日
愛称:エフエムつやま。
DARAZコミュニティ放送
(米子市法勝寺町)
2009年
(平成21年)
4月1日
2010年
(平成22年)
3月18日
2010年
(平成22年)
4月16日
2010年
(平成22年)
6月1日
愛称:DARAZ FM。
エフエム津山
(津山市小田中)
2009年
(平成21年)
12月4日
2009年
(平成21年)
9月28日
2010年
(平成22年)
5月20日
2010年
(平成22年)
7月1日
愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。
経営難により2020年(令和2年)10月25日をもって放送を終了し、廃業した。
FM東広島
(東広島市西条下見六丁目)
2011年
(平成23年)
6月8日
2011年
(平成23年)
8月25日
2011年
(平成23年)
9月27日
2011年
(平成23年)
10月8日
FM山陽小野田
(山陽小野田市小野田)
2011年
(平成23年)
12月1日
2011年
(平成23年)
9月22日
2012年
(平成24年)
1月20日
2012年
(平成24年)
2月3日
愛称:FMサンサンきらら。
FMみはら
(三原市宮沖五丁目)
2017年
(平成29年)
2月1日
(不明) 2018年
(平成30年)
1月24日
2018年
(平成30年)
5月1日
愛称:FOR LIFE RADIO。
演奏所は三原市円一町二丁目にある。
総務省中国総合通信局の報道資料には予備免許取得に関する記事は見当たらない。
総務省公式サイトなどでは開局年月日を2018年(平成30年)3月19日としているが、本サイトでは自社制作番組の放送を開始した2018年(平成30年)5月1日を開局年月日としている。
現時点で中国地方最後発のコミュニティ放送局である。

 なぜエフエム津山は予備免許取得から開局まで9ヶ月もかかったのか。考えられる理由は次の通りである。
・恐らく何もないところから開局準備を始めたこと。
・後ろ盾に有力なもの(地元の政財界など)がなかったこと。
・既につやまコミュニティFMが開局に向けて動いていたため営業活動や人材確保が難航したこと。
・準備を十分進められるだけの資金の確保が難航したこと。
・リーマンショック(2008年〔平成20年〕9月15日)が引き起こした世界的な不況や津山市の人口減少などの事情によりスポンサーの確保が難航したこと。
・どのような展開を図るのかを決めるのが難航したこと。
 今挙げたことは十分想定し得たことであり、いかにつやまコミュニティFMの開局からそう遅くない時期に開局させるのが難しいか、そしてどれだけ考えが甘かったかがうかがえようというものであるが、それで十分準備できて先発局、すなわちつやまコミュニティFMと対等に渡り合える存在になっていれば誰も何も言うことはない。では次に挙げることはどのように考えているのだろうか。
・本局を津山市中心部から近い山の上に置いたことで津山市内でも受信しづらい地域が生じたこと。
・防音措置が十分ではなく、スタジオ外の音を拾う構造になっていたこと。
・開局年月日は正式には2010年(平成22年)7月1日なのにエフエム津山公式サイトでは2010年(平成22年)10月1日としていること。
・開局から7ヶ月しか経っていないのに早くも本社・演奏所を移転したこと。
 これらの事実はようやく開局できたけれどそれでも十分準備できなかったことを示しているように感じるのだが、エフエム津山の関係者にとってはこれ以上開局は延期できないという状況に追い込まれていたのは疑いようのないことであろう。一日でも開局を延期させればそれだけ先発局、すなわちつやまコミュニティFMに大きく水をあけられることになり、つやまコミュニティFMと対等に渡り合うことは困難になってくるだろうし、エフエム津山は何をやっているんだろうと各方面から思われかねない。そして開局計画自体頓挫という考えたくない事態(注44)に陥る恐れも出てくる。恐らく苦渋の決断だったことであろう。
 エフエム津山の関係者としてはやっていけば何とかなるだろうと思っていたのかもしれない。だが、十分な準備ができていない状況で開局に漕ぎ着けたことは後々まで響き、エフエム津山に大きな影を落とす結果になったことは最早記すまでもないであろう。

2 先発局の愛称に酷似した名称を運営会社の名称に付けたこと

 (前に掲げた表を一部内容を変えた上で再度掲げるのだが)複数コミュニティ放送局(ここでは本社・演奏所・中継局を指す)がある市区町村は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・併存期間のあったコミュニティ放送局のみ記載している(同じ市区郡町村にあっても併存期間のないものは記載していない)。

・コミュニティ放送局の掲載順は開局順としている。

都道府県名 市区郡町村名 放送局名/所在地 開局年月日 備考
北海道 札幌市中央区 札幌コミュニティ放送局
(札幌市中央区宮の森一条)
1996年
(平成8年)
7月20日
愛称:ラジオカロスサッポロ。
札幌ラヂオ放送
(札幌市中央区南九条西四丁目)
2000年
(平成12年)
4月20日
愛称:ラヂオノスタルジア。
帯広市 おびひろ市民ラジオ
(帯広市東二条南十一丁目)
1994年
(平成6年)
12月23日
愛称:FM WING。
エフエムおびひろ
(帯広市東一条南八丁目)
1994年
(平成6年)
12月24日
愛称:FM-JAGA。
エフエムおびひろの開局により帯広市は日本で初めて複数のコミュニティ放送局を有する市区町村になった。
伊達市 室蘭まちづくり放送
(室蘭市みゆき町二丁目)
2008年
(平成20年)
8月10日
愛称:FMびゅー。
室蘭市に本社があるが室蘭市の北西隣にある伊達(だて)市にも中継局を設置しており、伊達・室蘭両市を放送区域としている。
だて観光協会
(伊達市松ヶ枝町)
2015年
(平成27年)
4月30日
愛称:wi-radio。
秋田県 秋田市 秋田コミュニティー放送
(秋田市山王三丁目)
1998年
(平成10年)
12月1日
略称:ACB。
秋田椿台エフエム放送
(秋田市雄和椿川)
2001年
(平成13年)
8月21日
愛称:エフエム椿台。
開局当時の本社所在地周辺の所属自治体は河辺郡雄和町だったが、2005年(平成17年)1月11日に河辺郡雄和町が秋田市に編入されたことにより秋田市は二つコミュニティ放送局を有するようになった。
山形県 山形市 山形コミュニティ放送
(山形市本町二丁目)
1995年
(平成7年)
4月1日
愛称:ラジオモンスター。
東北地方初のコミュニティ放送局であり、日本の都道府県庁所在地で初めて開局したコミュニティ放送局である。
やまがたシティエフエム
(山形市中桜田三丁目)
2002年
(平成14年)
10月21日
愛称:Vigo FM。
経営難により2016年(平成28年)7月22日をもって放送を終了し、廃業した
栃木県 栃木市 ケーブルテレビ
(栃木市樋ノ口町)
2015年
(平成27年)
11月3日
愛称:FMくらら857。
この放送局の開局をもって全都道府県に一つはコミュニティ放送局が存在するようになった。
ケーブルビジョン
(栃木市大平町西水代)
2019年
(令和元年)
12月20日
愛称:FMゆうがお。
栃木市に本社があるが、演奏所は下野市祇園一丁目にあり、下野市を放送区域とするコミュニティ放送局として運営されている。
新潟県 新潟市 エフエム新津
(新潟市秋葉区新津東町二丁目)
1994年
(平成6年)
7月15日
愛称:RADIO CHAT。
甲信越地方初のコミュニティ放送局。
開局時点では新津市を放送区域とするコミュニティ放送局だった(新津市は2005年〔平成17年〕3月21日に新潟市に編入されたため消滅)。新潟市秋葉区新津地区を放送区域とするコミュニティ放送局になったのは2007年(平成19年)4月1日に新潟市が政令指定都市に移行して行政区の一つとして秋葉区が発足した時からである。
けんと放送
(新潟市中央区天神一丁目)
1996年
(平成8年)
12月25日
愛称:FM KENTO。
エフエム角田山コミュニティ放送
(新潟市西蒲区巻甲)
2001年
(平成13年)
6月14日
愛称:ぽかぽかラジオ。
開局時点では西蒲原郡巻町を放送区域とするコミュニティ放送局だった(西蒲原郡巻町は2005年〔平成17年〕10月10日に新潟市に編入されたため消滅)。新潟市西蒲区巻地区を放送区域とするコミュニティ放送局になったのは2007年(平成19年)4月1日に新潟市が政令指定都市に移行して行政区の一つとして西蒲区が発足した時からである。
上越市 エフエム上越放送
(上越市本町三丁目)
1999年
(平成11年)
4月3日
愛称:FM-J。
上越ケーブルビジョン
(上越市西城町二丁目)
2015年
(平成27年)
12月14日
愛称:FMみょうこう。
上越市に本社があるが、演奏所は妙高市学校町にあり、妙高市を放送区域とするコミュニティ放送局として運営されている。
静岡県 静岡市 エフエムしみず
(静岡市清水区日の出町)
1996年
(平成8年)
6月2日
愛称:マリンパル。
開局時点では清水市を放送区域とするコミュニティ放送局だった(清水市は2003年〔平成15年〕4月1日に静岡市と統合して改めて発足した静岡市に移行したため消滅)。静岡市清水区清水地区を放送区域とするコミュニティ放送局になったのは2005年(平成17年)4月1日に静岡市が政令指定都市に移行して行政区の一つとして清水区が発足した時からである。
シティエフエム静岡
(静岡市葵区七間町)
1998年
(平成10年)
4月1日
愛称:FM-Hi!。
開局時点では静岡市(現在の葵・駿河両区に相当する地域)を放送区域とするコミュニティ放送局だった。2003年(平成15年)3月31日以前の市域、すなわち静岡市葵・駿河両区を放送区域とするコミュニティ放送局になったのは2005年(平成17年)4月1日に静岡市が政令指定都市に移行して行政区の一つとして葵区と駿河区が発足した時からである。
愛知県 名古屋市中区 名古屋シティエフエム
(名古屋市中村区乾出町二丁目)
1998年
(平成10年)
4月23日
愛称:SHANANA! FMまたはCityFM761。
本社は名古屋市中村区千成通五丁目→名古屋市中村区乾出町二丁目と一貫して名古屋市中村区内に構えていたが、演奏所は2005年(平成17年)頃に名古屋市中区新栄二丁目に移転しているため名古屋市中区にあるコミュニティ放送局と見なしている。
放送区域内の高層建築物の増加による受信環境悪化を理由として2008年(平成20年)6月13日をもって放送を終了し、廃業した。その後身的存在となるのがMID-FMとなるのだが、放送区域やコールサインが異なることなどから本サイトでは名古屋シティエフエムとMID-FMはそれぞれ別の放送局と見なしている。
名古屋中エフエムラヂオ放送
(名古屋市中区大須三丁目)
1998年
(平成10年)
5月29日
愛称:FM DANVO→Transamerica。
経営難により2009年(平成21年)3月31日をもって放送を終了し、2009年(平成21年)7月31日をもって廃業した。
MID-FM
(名古屋市中区新栄一丁目)
2008年
(平成20年)
8月20日
愛称:MID-FM761。
名古屋シティエフエムの後身的存在。但し放送区域やコールサインが異なることなどから本サイトでは名古屋シティエフエムとMID-FMはそれぞれ別の放送局と見なしている。
岡山県 津山市 つやまコミュニティFM
(津山市南新座)
2009年
(平成21年)
12月24日
愛称:エフエムつやま。
エフエム津山
(津山市小田中)
2010年
(平成22年)
7月1日
愛称:レディオつやま→MegaWAVE76.3。
経営難により2020年(令和2年)10月25日をもって放送を終了し、廃業した。
また、(経営事情が理由と思われるのだが)2012年(平成24年)3月1日〜8月19日に放送を休止していたことがある。
香川県 高松市 エフエム高松コミュニティ放送
(高松市常磐町一丁目)
1996年
(平成8年)
4月1日
愛称:MAN de GAN815→FM815。
高松シティエフエム
(高松市天神前)
1997年
(平成9年)
1月28日
愛称:FM MARINO。
2005年(平成17年)3月31日をもって放送を終了し、2005年(平成17年)4月1日にエフエム高松コミュニティ放送に吸収合併された。現時点で同業他社への吸収合併が理由で廃業した唯一のコミュニティ放送局になっている。
長崎県 長崎市 長崎市民エフエム放送
(長崎市大黒町)
2005年
(平成17年)
9月9日
長崎シティFM
(長崎市江戸町)
2005年
(平成17年)
12月11日
経営難により2020年(令和2年)4月30日をもって放送を終了し、廃業した。
総務省九州総合通信局に照会したところ廃業したのは事実であるとしているが、正式発表がなされていないためJCBA日本コミュニティ放送協会の公式サイトでは長崎シティFMは存続しているという前提でコミュニティ放送局の数を掲載しているなど未だに存続していると考えている人も少なくない。総務省九州総合通信局が近く公表するであろうコミュニティ放送局の免許更新に関する報道資料でどのように触れるかが注目されるところである。
南島原市 FMしまばら
(島原市白土町)
2007年
(平成19年)
11月11日
島原市に本社があるが島原市内だけでなく島原市の南隣にある南島原市内にも中継局を設置しており、島原・南島原両市を放送区域としている。
ひまわりてれび
(雲仙市千々石町戊)
2017年
(平成29年)
4月1日
愛称:FMひまわり。
雲仙市に本社があるが演奏所は南島原市有家町中須川にある。また、本社のある雲仙市と演奏所のある南島原市に中継局を設置しており、雲仙・南島原両市を放送区域としている。
宮崎県 宮崎市 宮崎サンシャインエフエム
(宮崎市大淀四丁目)
1999年
(平成11年)
2月14日
愛称:サンシャインFM。
宮崎シティエフエム
(宮崎市橘通東一丁目)
1999年
(平成11年)
3月14日
愛称:City FM77。
経営難により2005年(平成17年)10月31日に失効する放送免許の更新を断念し、2005年(平成17年)10月31日をもって放送を終了し、廃業した。
鹿児島県 鹿児島市 鹿児島シティエフエム
(鹿児島市紫原六丁目)
1997年
(平成9年)
10月1日
愛称:フレンズFM762。
中崎電子工業
(鹿児島市新栄町)
2011年
(平成23年)
3月20日
愛称:FMぎんがまたはかごしまFM786。
開局当初は特定非営利活動法人FMさつまが運営していたが、2012年(平成24年)6月10日に運営者が、2012年(平成24年)7月1日に愛称がそれぞれ現在のものに変更された。
沖縄県 那覇市 エフエム那覇
(那覇市牧志二丁目)
2002年
(平成14年)
7月8日
別称:fm那覇。
FM琉球
(那覇市おもろまち三丁目)
2006年
(平成18年)
7月13日
愛称:FMレキオ。
沖縄市 FMコザ
(沖縄市中央三丁目)
2004年
(平成16年)
4月1日
沖縄地方初のコミュニティ放送局・沖縄市エフエムコミュニティ放送の後身的存在。但しコールサインが異なるため本サイトでは沖縄市エフエムコミュニティ放送とFMコザはそれぞれ別の放送局と見なしている。
沖縄ラジオ
(沖縄市上地一丁目)
2009年
(平成21年)
5月15日
愛称:オキラジ。
宜野湾市 FMぎのわん
(宜野湾市喜友名)
2015年
(平成27年)
10月1日
デルタ電気工業
(宜野湾市我如古二丁目)
2016年
(平成28年)
8月2日
愛称:ぎのわんシティFM。

 全国で複数コミュニティ放送局がある市区町村は19箇所あるのだが、本社こそ同じ場所にあるものの複数あるコミュニティ放送局それぞれの放送区域が異なっている栃木市・上越市を除くと複数のコミュニティ放送局によって放送区域に含められている市区町村(注45)は下表に掲げる17箇所となる。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・併存期間のあったコミュニティ放送局のみ記載している(同じ市区町村にあっても併存期間のないものは記載していない)。

・併存期間外のデータは省略した。

・コミュニティ放送局の掲載順は開局順としている。

・廃業したコミュニティ放送局は社名の前に×を付けている。

都道府県名 市区郡町村名 放送区域に含めている
放送局名及び所在地
備考
北海道 札幌市中央区 札幌コミュニティ放送局
(札幌市中央区宮の森一条)
愛称:ラジオカロスサッポロ。
札幌ラヂオ放送
(札幌市中央区南九条西四丁目)
愛称:ラヂオノスタルジア。
帯広市 おびひろ市民ラジオ
(帯広市東二条南十一丁目)
愛称:FM WING。
エフエムおびひろ
(帯広市東一条南八丁目)
愛称:FM-JAGA。
伊達市 室蘭まちづくり放送
(室蘭市みゆき町二丁目)
愛称:FMびゅー。
だて観光協会
(伊達市松ヶ枝町)
愛称:wi-radio。
秋田県 秋田市 秋田コミュニティー放送
(秋田市山王三丁目)
略称:ACB。
秋田椿台エフエム放送
(秋田市雄和椿川)
愛称:エフエム椿台。
山形県 山形市 山形コミュニティ放送
(山形市本町二丁目)
愛称:ラジオモンスター。
×やまがたシティエフエム
(山形市中桜田三丁目)
愛称:Vigo FM。
新潟県 新潟市 エフエム新津
(新潟市秋葉区新津東町二丁目)
愛称:RADIO CHAT。
けんと放送
(新潟市中央区天神一丁目)
愛称:FM KENTO。
エフエム角田山コミュニティ放送
(新潟市西蒲区巻甲)
愛称:ぽかぽかラジオ。
静岡県 静岡市 エフエムしみず
(静岡市清水区日の出町)
愛称:マリンパル。
シティエフエム静岡
(静岡市葵区七間町)
愛称:FM-Hi!。
愛知県 名古屋市中区 ×名古屋シティエフエム
(名古屋市中村区乾出町二丁目)
愛称:SHANANA! FMまたはCityFM761。
×名古屋中エフエムラヂオ放送
(名古屋市中区大須三丁目)
愛称:FM DANVO(1998〜2006)→Transamerica(2006〜2009)。
MID-FM
(名古屋市中区新栄一丁目)
愛称:MID-FM761。
岡山県 津山市 つやまコミュニティFM
(津山市南新座)
愛称:エフエムつやま。
×エフエム津山
(津山市小田中)
愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。
香川県 高松市 エフエム高松コミュニティ放送
(高松市常磐町一丁目)
愛称:MAN de GAN815。
×高松シティエフエム
(高松市天神前)
愛称:FM MARINO。
長崎県 長崎市 長崎市民エフエム放送
(長崎市大黒町)
×長崎シティFM
(長崎市江戸町)
南島原市 FMしまばら
(島原市白土町)
ひまわりてれび
(雲仙市千々石町戊)
愛称:FMひまわり。
宮崎県 宮崎市 宮崎サンシャインエフエム
(宮崎市大淀四丁目)
愛称:サンシャインFM。
×宮崎シティエフエム
(宮崎市橘通東一丁目)
愛称:City FM77。
鹿児島県 鹿児島市 鹿児島シティエフエム
(鹿児島市紫原六丁目)
愛称:フレンズFM762。
中崎電子工業
(鹿児島市新栄町)
愛称:FMぎんがまたはかごしまFM786。
沖縄県 那覇市 エフエム那覇
(那覇市牧志二丁目)
別称:fm那覇。
FM琉球
(那覇市おもろまち三丁目)
愛称:FMレキオ。
沖縄市 FMコザ
(沖縄市中央三丁目)
沖縄ラジオ
(沖縄市上地一丁目)
愛称:オキラジ。
宜野湾市 FMぎのわん
(宜野湾市喜友名)
デルタ電気工業
(宜野湾市我如古二丁目)
愛称:ぎのわんシティFM。

 上表をご覧になってあれ? と思った箇所が一つあるのではないのだろうか。津山市における先発局、すなわちつやまコミュニティFMの愛称・エフエムつやまと酷似した名称を津山市における後発局、すなわちエフエム津山が運営会社の名称に用いていることである。「津山」を漢字表記にしたか平仮名(ひらがな)表記にしたかの違いではあるのだが、もし放送でどちらも「こちらは『えふえむつやま』です」というような局名告知を行ったとしたら周波数を知らない限りどちらがどちらか分からなくなる恐れをはらんでいる。まあ放送局は多くの場合愛称や略称などで自分の放送局を呼ぶので問題にはならない場合が多いのだが、なぜエフエム津山はこういうことをしたのだろうか。私は津山市に複数コミュニティ放送局が開局した原因、すなわち総務省中国総合通信局による一本化調整が物別れに終わったことが背景にあるのではないかと考えている。
 何度も記すように津山市におけるコミュニティ放送局は先発局、すなわちつやまコミュニティFMのほうに分があった。更に津山市の人口は10万人程度であり、いくら周辺地域、すなわち美作市・勝田郡・久米郡・苫田郡を見据えたとしても人口は20万人に達しないところ(注46)なので複数コミュニティ放送局が開局し、なおかつ経営が成り立つ可能性は高いとは言えない。それでもスタジオ ア・ビアントがコミュニティ放送局開局に動いたのはなぜか。恐らくつやまコミュニティFMが優位に立っているということは認識していたがどこかで同調できない問題があったことと津山市を含めた岡山県北部の情報を伝えてきたのは私達であるという矜持があったことが背景にあったのではないかと思われる。それが一本化調整が物別れに終わった原因になったことは記すまでもないであろう。
 つまり津山市における先発局、すなわちつやまコミュニティFMの愛称を津山市における後発局が運営会社の名称に採用したのは津山市及びその周辺地域の情報を伝えるのは私達であるという矜持の表れだと私は考えるのである。しかし、それは同時につやまコミュニティFMへの対抗意識をむき出しにすることでもあった。それでつやまコミュニティFMと対等に渡り合える存在になっていれば何も言うことはないのだが、そうはならなかったことは既に触れたことである。
 ではどうすれば良かったのか。私は対抗意識をむき出しにするのではなく、どのようにすれば先発局、すなわちつやまコミュニティFMとの共存共栄を図れるかを考えたほうが良かったのではないかと思っている。その一環として考えたかったのが先発局と重ならない名称を考えることである。愛称と一致させたいのであればレディオつやま、津山市中心部に特化した放送を目指すのであれば津山シティエフエム、岡山県北東部で親しまれる存在を目指すのであればエフエムみまさか、津山市の象徴を取り入れたいのであればエフエムよっしー(注47)とかエフエムかくざん(注48)などが挙げられるが、こういう発想があれば津山市及びその周辺に住む方々に浸透したのでは…と思うのは私だけだろうか。

3 何としてでもつやまコミュニティFMに追い付きたい、そして対等に渡り合いたいという意識が強く出てしまったこと

 開局時点のエフエム津山で評価できたことは次の通りである。
・開局に尽力したスタジオ ア・ビアントが発行しているタウン情報誌「JAKEN」と連携した番組や企画を設定したこと。
・平日の朝・昼・夕方、週末の昼に自社制作のワイド番組を設定したこと。
・終夜放送を実施しなかったこと。
 その一方でどうかと思ったのはJ-WAVEの再送信であった。中国地方のコミュニティ放送局において自社制作番組が設定されていない空き時間にJ-WAVEの再送信を挿入することは2000年(平成12年)頃から見られるようになり、現在FM鳥取(愛称:RADIO BIRD。鳥取市幸町)・エフエムくらしき・エフエムふくやま(愛称:レディオBINGO。福山市西町二丁目)・エフエム萩(愛称:FM NANAKO。萩市江向)の4社が実施している(注49)のだが、なぜJ-WAVEの再送信をどうかと感じたのか。理由を挙げると次の通りになる。
・J-WAVEはあくまでも東京都を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局であり、J-WAVEの再送信を行うことはずっと問題視されながら未だに解決策が見つからない東京一極集中の象徴であり好ましくないと受け取る方が少なくないこと。
・エフエム津山は開局時点では午後10時〜翌日午前7時、2010年(平成22年)10月からは午前0時〜午前7時にそれぞれ放送休止を設定していたためエフエム津山の放送休止時間帯に流れているJ-WAVEの番組が楽しめないこと。
・私の記憶が確かならエフエムふくやまでJ-WAVEの再送信が始まった時、エフエムふくやまで当時彗星の如く現れてヒット曲を連発し、一躍人気歌手になった宇多田ヒカルの番組、すなわち「宇多田ヒカルのトレビアン・ボヘミアン」(1999〜2000年〔平成11〜12年〕放送)が聴けるというような宣伝がなされたように思うのだが、エフエム津山でJ-WAVEの再送信を行うに当たって多くの方々が注目するような宣伝がなされたのかどうか分からないこと。
・岡山県の主要都市、すなわち岡山市・倉敷市にあるコミュニティ放送局でJ-WAVEの再送信をやっているのだから津山市にあるコミュニティ放送局でもやったら良いだろうというような安易な考えで飛び付いた感が否めないこと。
・津山市は人口が10万人程度しかいないし、J-WAVEの主たる聴取者層である若年者層も多いとは言えないためJ-WAVEの再送信を行ったことでエフエム津山への関心が高まるとは言えない状況があったこと。
 J-WAVEは東京都を放送区域としている都道府県域民間エフエム放送局でありながら地方で流しても全然問題のない番組が少なくないし自分自身エフエムふくやまで聴いているのでコミュニティ放送局のJ-WAVEの再送信を否定する考えはないのだが、私としてエフエム津山がフィラーとして導入したら良かったのでは…と思うのはミュージックバード制作の番組である。FM802(エフエムはちまるに。大阪市北区天神橋二丁目)をフィラーとして取り入れること(注50)も考えられはするがエフエム津山が深夜・早朝に放送休止を入れていることやFM802をフィラーとして取り入れているところはほとんどないこと(注51)を考えるとFM802の再送信は難があり、故にミュージックバードしか選択肢はないと結論付けるしかないのである。
 結局エフエム津山のJ-WAVEの再送信は2012年(平成24年)3月1日からの放送休止をもって取りやめになる(実はエフエム津山はJFL系列に属する都道府県域民間エフエム放送局、すなわちJ-WAVE・FM802の再送信を取りやめた中国地方初のコミュニティ放送局にもなっている
(注52)のだが、放送再開後はもっと感心できない状況になった。前記の通り津山市は人口が10万人程度しかいないし若年者層も多いとは言えないのにサブカルチャーに特化した路線をとるようになった上に経営を圧迫する恐れのある終夜放送を開始したのである。しかも番組は若年者層がラジオを聴きそうな夕方から夜にかけての時間帯と土曜日の昼間(再放送枠)にしか設定せず、後は洋邦問わず音楽を流し続けるという状況であった。これではエフエム津山に関心を持つ方が増えることもエフエム津山が先発局のつやまコミュニティFMに追い付くこともつやまコミュニティFMと対等に渡り合うことも夢のまた夢でしかないのでは…と思うのだが、案の定最初は好調に見えた方針変更も次第に勢いを失っていった。2010年代後半になると人手が足りなくなったのか、様々な面で余裕がなくなったのか、経営陣内部に亀裂が生じたのかは分からないが公式サイトの大部分は更新されなくなり、SNSの新規投稿も途絶えてしまうという状況になったのだが、このように見ると方針変更は短期的には成功したかもしれないが長期的には…と評価せざるを得ない。エフエム津山の息の根を止めた原因の一つはコロナウィルス感染症の世界的な流行の影響であったが、もしそれがなかったとしてもどのくらい生き延びたかは分からない。

 私がエフエム津山について感じたことは先発局に追い付くことや先発局と対等に渡り合うことしか眼中になく、どのような放送局を目指すのか、そしてどのようにして津山市及びその周辺地域に住んでいる方々に親しまれる存在になるかを全くと言って良いほど考えなかったのではないかということである。つまり、エフエム津山の方針には明確な目標・目的や気概、そして長期的かつ広域的な視野がなかったのではないかということである。世の中の多くの失敗事例を見るとそれらの事柄が欠落し、傍目にはただ目立ちたい、認められたい、評価されたいとしているようにしか見えないものが多いのだが、結局はエフエム津山もそれにはまってしまったのだろう。どこかで気付くとか誰かが指摘するとか指摘された際に素直に従うとかすればまだ救いはあったかもしれないのだが、それすらもなかったことが残念と言える。

エフエム津山は廃業する以外に道はなかったのか

 これまでに廃業に追い込まれたコミュニティ放送局はエフエム津山を含めて27社に及ぶ(下表参照)。廃業理由のほとんどは経営難であり、放送区域人口が都道府県域民間放送局で最も少ない高知県の人口を下回るところがほとんどを占める(注53)コミュニティ放送局の経営環境の厳しさを垣間見せている。

廃業
順位
放送局名 開局年月日 放送終了
年月日
主たる廃業理由 備考
1 エフエムこんぴら
(香川県仲多度郡琴平町榎井)
1997年
(平成9年)
2月3日
1998年
(平成10年)
11月30日
経営難 別称:FMこんぴら。
2 沖縄市エフエムコミュニティ放送
(沖縄市中央一丁目)
1997年
(平成9年)
3月1日
2004年
(平成16年)
3月31日
経営難 愛称:FM Champla!。
FMコザ(沖縄市中央三丁目)が業務を継承したがコールサインが異なるため本サイトでは沖縄市エフエムコミュニティ放送とFMコザはそれぞれ別の放送局と見なしている。
3 高松シティエフエム
(高松市天神前)
1997年
(平成9年)
1月25日
2005年
(平成17年)
3月31日
放送区域が重なるコミュニティ放送局への吸収合併 愛称:FM MARINO。
4 宮崎シティエフエム
(宮崎市橘通東一丁目)
1999年
(平成11年)
3月14日
2005年
(平成17年)
10月31日
経営難 愛称:City FM77。
5 イセハラエフエム放送
(伊勢原市板戸)
2001年
(平成13年)
1月28日
2006年
(平成18年)
3月31日
経営難 愛称:プリズムステーションまたはiFM85.7。
6 エフエムたまな
(玉名市田崎)
1998年
(平成10年)
2月22日
2006年
(平成18年)
4月30日
経営難
親会社の経営不振
愛称:ほっとラジオ。
7 仙台市民放送
(仙台市宮城野区原町三丁目)
1999年
(平成11年)
9月25日
2007年
(平成19年)
1月19日
経営難 愛称:FMじょんぱ。
8 FMニセコ放送
(北海道虻田郡倶知安町北一条西)
2006年
(平成18年)
12月18日
2007年
(平成19年)
9月22日
経営難 別称:FMニセコ。
開局からわずか279日で廃業に追い込まれた、最短命のコミュニティ放送局である。
9 五日市コミュニティ放送
(広島市佐伯区皆賀四丁目)
2004年
(平成16年)
4月18日
2007年
(平成19年)
11月30日
経営難 愛称:エフエムななみ。
10 エフエム・セト
(丸亀市土器町東三丁目)
1996年
(平成8年)
12月26日
2008年
(平成20年)
4月13日
経営難 別称:FMセト。
11 名古屋シティエフエム
(名古屋市中村区乾出町二丁目)
1998年
(平成10年)
4月23日
2008年
(平成20年)
6月13日
放送区域内の高層建築物の増加による受信環境悪化 愛称:SHANANA! FMまたはCityFM761。
名古屋シティエフエムの後身的存在となるのがMID-FMとなるのだが、放送区域やコールサインが異なることなどから本サイトでは名古屋シティエフエムとMID-FMはそれぞれ別の放送局と見なしている。
12 南区コミュニティエフエム
(札幌市南区澄川三条六丁目)
2006年
(平成18年)
7月7日
2008年
(平成20年)
12月5日
経営難 愛称:GREEN FM。
13 名古屋中エフエムラヂオ放送
(名古屋市中区大須三丁目)
1998年
(平成10年)
5月29日
2009年
(平成21年)
3月31日
経営難 愛称:FM DANVO(1998〜2006)→Transamerica(2006〜2009)。
14 BIWA WAVE
(近江八幡市鷹飼町)
2005年
(平成17年)
5月1日
2009年
(平成21年)
5月28日
経営難 愛称:B-WAVE。
15 エフエム多摩放送
(多摩市一ノ宮三丁目)
1995年
(平成7年)
5月31日
2010年
(平成22年)
3月31日
経営難 愛称:エフエム多摩G-WIND。
16 かにかも放送
(可児市広見七丁目)
2004年
(平成16年)
6月6日
2010年
(平成22年)
7月15日
(注54)
経営難 愛称:FMでんでん。
17 貝塚コミュニティ放送
(貝塚市近木)
2006年
(平成18年)
4月1日
2010年
(平成22年)
9月30日
経営難 愛称:FM826 SENSHU JOLLY FM。
18 福岡コミュニティ放送
(福岡市早良区百道浜二丁目)
2000年
(平成12年)
3月3日
2010年
(平成22年)
10月31日
経営難
親会社の不祥事
愛称:FM MiMi(2000〜2006)→StyleFM(2006〜2010)。
19 天神エフエム
(福岡市中央区今泉一丁目)
1996年
(平成8年)
10月1日
2010年
(平成22年)
12月31日
経営難に陥っていた都道府県域民間エフエム放送局の業務継承 愛称:FREE WAVE。
20 東京コミュニケーション放送
(渋谷区道玄坂二丁目)
1996年
(平成7年)
4月28日
2013年
(平成25年)
1月11日
経営難 愛称:SHIBUYA-FM。
21 さかいhill-front forum
(堺市東区北野田)
2010年
(平成22年)
6月6日
2015年
(平成27年)
3月31日
本社・演奏所を置いていた場所の指定管理者変更 愛称:エフエムさかい。
22 エフエムわいわい
(神戸市長田区海運町三丁目)
1996年
(平成8年)
1月17日
2016年
(平成28年)
3月31日
インターネット放送への移行 愛称:FMわぃわぃ。
23 やまがたシティエフエム
(山形市中桜田三丁目)
2002年
(平成14年)
10月21日
2016年
(平成28年)
7月22日
経営難 愛称:Vigo FM。
24 市川エフエム放送
(市川市八幡二丁目)
1998年
(平成10年)
9月20日
2016年
(平成28年)
11月30日
経営難 別称:市川エフエム。
25 FMしまじり(初代(注55)
(南城市佐敷津波古)
2013年
(平成25年)
2月28日
2018年
(平成30年)
2月28日
南城市との契約期間満了 愛称:FMなんじょう。
26 長崎シティFM
(長崎市江戸町)
2005年
(平成17年)
12月11日
2020年
(令和2年)
4月30日
経営難
27 エフエム津山
(津山市小田中)
2010年
(平成22年)
7月1日
2020年
(令和2年)
10月25日
経営難 愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。

 上表に掲げた放送局の中には経営者が何とか努力すれば廃業は回避できたのでは…と思うところも少なくないわけであるが、ではエフエム津山には廃業を回避する方法、言い換えれば先発局のつやまコミュニティFMと共存する方法はあったのか。私はあったのではないかと考えている。その根拠は次の通りである。
・津山市より人口が少ない市区町村でも複数のコミュニティ放送局が存続し得ているところがあること(下表参照。なお、下表の人口は2015年〔平成27年〕10月1日実施の国勢調査による)。

順位 市区郡町村名 人口
(単位:人)
複数の
コミュニティ放送局が
存在した期間
備考
1 新潟市 810,157 2005〜2007 新潟市が新津市・西蒲原郡巻町を編入したことによりコミュニティ放送局が複数化した。
政令指定都市移行により新潟市にあった三つのコミュニティ放送局はそれぞれ別の行政区に属することになったため新潟市は複数コミュニティ放送局を有する市区町村ではなくなった。
2 静岡市 704,989 2003〜2005 静岡市と清水市が統合して改めて静岡市が発足したことによりコミュニティ放送局が複数化した。
政令指定都市移行により静岡市にあった二つのコミュニティ放送局はそれぞれ別の行政区に属することになったため静岡市は複数コミュニティ放送局を有する市区町村ではなくなった。
3 鹿児島市 599,814 2011〜
4 長崎市 429,508 2005〜2020
5 高松市 420,748 1997〜2005
6 宮崎市 401,138 1999〜2005
7 那覇市 319,435 2006〜
8 秋田市 315,814 2005〜 秋田市が河辺郡雄和町を編入したことによりコミュニティ放送局が複数化した。
9 山形市 253,832 2002〜2016
10 札幌市中央区 237,627 2000〜
11 帯広市 169,327 1994〜 日本で初めて複数のコミュニティ放送局を持つことになった市区町村である。
12 沖縄市 139,279 2009〜
13 津山市 103,746 2010〜2020
14 宜野湾市 96,243 2016〜
15 名古屋市中区 83,203 2005〜2008
2008〜2009
期間の起点は名古屋シティエフエムが演奏所を名古屋市中村区から名古屋市中区に移転した時としているが、名古屋市中村区と名古屋市中区は隣接していることを考えると実質的には名古屋中エフエムラヂオ放送(愛称:FM DANVO〔1998〜2006〕→Transamerica〔2006〜2009〕。名古屋市中区大須三丁目。1998〜2009)が開局した1998年(平成10年)を期間の起点とする見方もある。
複数のコミュニティ放送局が存在した期間に中断があるのは名古屋市中区に演奏所を置いていた名古屋シティエフエムが廃業してから名古屋市中区に本社・演奏所を置いているMID-FMが開局するまでの約2ヶ月間名古屋中エフエムラヂオ放送しか名古屋市中区に本社または演奏所を置いているコミュニティ放送局がなかったためである。
16 南島原市 46,535 2017〜
17 伊達市 34,995 2015〜

・エフエム津山は堅実な経営を行い、地域に広く知られる存在になっていれば存続し得たと考えていること。
・エフエム津山の開局に中心的な役割を果たしたスタジオ ア・ビアントの事務所のある建物に開局当時は本社・事務所を置いていたがスタジオ ア・ビアントの事務所がある建物とは別の場所に本社・演奏所を移してからエフエム津山はおかしくなったこと。
・放送休止後の新たな展開がエフエム津山の首を絞める結果になったが、どこかで見直していれば廃業に追い込まれずに済んだ可能性があること。
 「天は自ら助くる者を助く」という諺(ことわざ)があるが、経営環境の厳しいコミュニティ放送局はこの諺を重く受け止めてはどうなのだろうと私は考えている。というのも、廃業に追い込まれたコミュニティ放送局の中には経営努力を怠(おこた)り、経営が厳しくなっても一切実情を明かさないところがあるように感じているからである。そういうところが経営難に陥ったり最悪廃業の危機に瀕したりしても誰も救いの手を差し伸べないし、仮に救いの手を差し伸べても効果がないなどとして数ヶ月程度で撤退する(注56)。そうなると選択肢は廃業以外にはない。その時「あの時○○していれば良かったな…」などと思ってももう遅い。
 今後もコミュニティ放送局、もしかしたら都道府県域民間ラジオ放送局でも廃業するところは出てくる可能性はあるのだが、私として思うのは廃業の危機に瀕した時に救いの手を差し伸べるところが出てくるような経営をすることを考えて頂きたいということである。実は今年廃業を表明したが廃業直前になって突然存続することになったコミュニティ放送局がある。埼玉県南部の朝霞(あさか)・志木・新座・和光各市を放送区域としていたクローバーメディア(愛称:クローバーラジオ。志木市本町五丁目。2017〜2020)がそれである。
 クローバーメディアは放送区域が東京都区部へのストロー効果(ストロー現象とも称する)が著しい地域であること
(注57)や開局当初から首都圏の電波混雑の影響に苛まれたこと(注58)などから経営が立ち行かなくなり、今年7月に今年9月30日をもって放送を終了し、廃業することを発表していた。廃業表明以降特別番組がいくつも編成されたことから9月末で放送を終了すると誰もが思っていたのだが、何と放送を終了することにしていた9月30日になって突然業務を継承しても良いという方が現れたので存続することにしたと発表したのである。クローバーメディアはコミュニティシェアFM(朝霞市東弁財一丁目)に鞍替えして放送を続けることになったのだが、なぜ廃業が一転して存続になったのか。考えられる理由は次の通りである。
・クローバーメディアはすまいるエフエム(愛称:あさかエフエム。朝霞市西原一丁目。2007〜2017)として開局した時から受信困難対策としてインターネットを活用した放送を展開していたこと。
・朝霞・志木・新座・和光各市は東京都区部へのストロー効果が著しい地域ではあるが地域の象徴であるコミュニティ放送局がなくなることは由々しきことだと考えていたこと。
クローバーメディアの業務継承を申し出た方はクローバーメディアが抱える負債を継承しても構わないと考えていたこと。
・クローバーメディア
の業務継承を申し出た方は明確な運営計画を考えていたこと。
 今のところコミュニティシェアFMの公式サイトは設置されていないなどどうかと思う面はあるし、東京都区部へのストロー効果が著しい地域を放送区域としていることやすまいるエフエム→クローバーメディアが苛まれてきた首都圏の電波混雑をどのように克服するのか考えなければならないことなど課題は山積しているのだが、存続し得たクローバーメディア改めコミュニティシェアFMと廃業に追い込まれたエフエム津山・長崎シティFMは何が違ったのか。考えられる点は次の通りである。
・地域にとってかけがえのない存在だったかどうか。
地域にとって信頼し得る存在だったかどうか。
・地域住民に広く親しまれていたかどうか。
・人口増加が続いている地域だったかどうか。
・経営難に陥ってもまだ何とかできるところで踏みとどまっていたかどうか。
・経営改善に向けて努力していたかどうか。
・もし誰かが運営を継承しようとした場合、抱えていた負債は受け入れられる金額だったかどうか。
・運営を継承しようと申し出る方が出たことに賛成する方が多かったかどうか。
・運営がしっかりしていたかどうか。
・情報公開に努めていたかどうか。
・長期的かつ広域的視野に立って物事を考えていたかどうか。
・問題を起こさなかったかどうか。
 「人口増加が続いている地域だったかどうか」以外の項目は恐らく廃業に追い込まれたコミュニティ放送局の多くに当てはまることではないかと思うのだが、私はクローバーメディアの件を見て窮地に追い立たされても助けてやろうと思う方が出る放送局を目指して頂きたいものだと感じているところである。

エフエム津山廃業が投げかけた問題

 中国地方にあるコミュニティ放送局としては二つ目の廃業事例となったエフエム津山。エフエム津山をよく聴いていた方は多くはなかったことが想像されるし、その廃業は大きく報じられることもなかった(岡山県の地方紙・山陽新聞はともかく、広島県の地方紙だが広島県以外の中国地方各県の情報を載せることが多い中国新聞は一切報じていない)。しかし、経営難に苛まれ続け、ひっそりとその歴史に幕を下ろした放送局が投げかけた問題は果たして看過して良いものなのだろうか。ここではエフエム津山廃業が投げかけた問題を挙げ、それを考えていくことにしたい。

1 同じ市区町村に複数のコミュニティ放送局が存在することは制限すべきであろうか

 前にも記したようにコミュニティ放送局は制度化された時一つの市区町村に一局しか開局を認めない方針を採っていた。しかし、帯広市でコミュニティ放送局を開局させようと活動していた二つの組織の一本化調整が不調に終わり、結果二つのコミュニティ放送局の開局を認めてからは複数のコミュニティ放送局がある市区町村がいくつも生じるようになった。
 しかし、これまでに山形市・名古屋市中区・津山市・高松市・長崎市・宮崎市で後発局が廃業に追い込まれ、鹿児島市では後発局が経営難により運営者が交代するという事態が起きている。まだ同じ市区郡町村にある全てのコミュニティ放送局が廃業に追い込まれるという最悪の事態は起きていないのだが、もし今後も複数のコミュニティ放送局が存在する市区町村で一方または全てのコミュニティ放送局に経営問題が生じた場合、総務省は同じ市区町村に複数のコミュニティ放送局を開局させるのは無理だと考え、次に挙げる施策を打ってくる可能性がある。
・同じ市区町村にあるコミュニティ放送局の統合を勧奨する。
・一つの市区町村には一つしかコミュニティ放送局の開局を認めないことを表明する。
・コミュニティ放送局がない市区町村についてコミュニティ放送局開局への機運を盛り上げるために周波数割り当てを実施する。
・同じ市区町村でコミュニティ放送局開局への動きが複数あった場合は一本化するよう調整するが、物別れに終わった場合はどの放送局についても開局を認めない。
・もし開局を目指していたコミュニティ放送局が予備免許を取得してもなかなか開局に至れない場合は当該コミュニティ放送局の状況を調べた上で無事に開局できるように支援する。
・コミュニティ放送局の公式サイトやコミュニティ放送局の番組担当者の公式サイト・ブログ・SNSを常に監視し、おかしな動き(注59)があったことを察知した時は当該コミュニティ放送局の状況を調べて改善するように指導する。
・おかしな動きがあったコミュニティ放送局について放送を継続するのが難しい状況に直面していることが判明した場合は経営譲渡や近隣のコミュニティ放送局との統合で放送を継続できるように努力する。
・もしいかなる努力をしても放送の継続が困難だと判断した場合に限り廃業を認める。
 つまり、一つの市区町村には一つのコミュニティ放送局しか認めないけれど開局や経営難に対しては支援しますよという、硬軟織り交ぜた施策をとる可能性があるというわけであるが、恐らく次に挙げる理由から実現はしないであろう。
・放送局への干渉行為になる恐れがあること。
・長らく声高に叫ばれ続けている規制緩和に逆行する恐れがあること。
・一つの市区町村に一つしかコミュニティ放送局を開局させないようにすることで複数のコミュニティ放送局の開局への動きが起きた地域では禍根を残す恐れがあること。
・近隣にある規模が大きな都市(無論その都市にはコミュニティ放送局が存在する)へのストロー効果が生じている市町村にもコミュニティ放送局用の周波数を割り当て、開局させた場合、事実上複数のコミュニティ放送局が存在する状態になって経営難に陥る恐れが高いこと(いわゆる隠れ放送区域重複(注60))。
・前記の隠れ放送区域重複についても総務省は対策をとる必要があり、結局収拾がつかなくなる恐れがあること。
・廃業に追い込まれたコミュニティ放送局の大半は何らかの問題を起こしており、いくら総務省が支援をして延命させたとしても当該コミュニティ放送局の放送区域に住む方々の関心が高まる可能性は高いとは言えないこと。
・コミュニティ放送局は学校の同窓会と同じようにどこにもあってもおかしくない存在になりつつはあるが開局させようという機運がなければ誰も見向きもしないので周波数を割り当てても無駄になってしまうこと。
・おかしな動きを起こしているコミュニティ放送局はそのほとんどが正直なことを明かそうとしないこと。
・確かに複数のコミュニティ放送局が存在することは後発局が経営難に陥るなどの危険性をはらんでいるが、住み分けができれば共存共栄は図れるし、今でもどちらも盛業中のところが多いので特に問題視すべきことではないこと。
・(現在はほとんど論議は起きていないが)今後も市町村合併で複数のコミュニティ放送局を抱える市区町村が登場する可能性があること。
 初めて複数のコミュニティ放送局を有するに至った帯広市では二つあるコミュニティ放送局がどちらも開局から四半世紀経った現在も盛業中であることや複数のコミュニティ放送局が同じ市区町村を放送区域としているところがまだ多数あることなどを考えれば同じ市区町村を放送区域とする複数のコミュニティ放送局が共存できるかどうかはやり方次第というところなのだろうが果たして今後どうなるのだろうか。いずれにせよ今は状況を静観する以外に方法はないと言える。

2 先発局に追い付きたいと思って焦ったところはなかったのか

 「急(せ)いては事を仕損じる」という諺がある。ある目的・目標を達成しようと思うのは良いが成果を早く上げようと考えて焦ってしまうと損をするという諺であるが、世の中の失敗事例を見るとどこかで焦ってしまったのでは…と思えるところが必ずあることに気付く。しかもその失敗事例をつぶさに見ると基礎が全然できておらず、その状態で成果を上げようと思ってもどこかで破綻するのは無理からぬことだろうと感じたくなることがほとんどである。
 そこでエフエム津山の場合を考察することにするのだが、私は次に挙げる点で焦りが見られたのではないかと考えている。
・先発局のつやまコミュニティFMが開局してからそんなに時間が経っていない時期に開局させようとしたこと。
・つやまコミュニティFMの愛称と酷似した社名を付けたこと。
・準備が十分ではないところで予備免許を取得したため予備免許失効という事態に陥る恐れがあったこと。
・開局を急いだために最初の本社・演奏所は防音設備が不十分だったこと。
・開局を急いだために開局からわずか7ヶ月で本社・演奏所を移転させる事態になったこと。
・特に売りもないし深夜・早朝帯の人気番組は放送休止時間帯に当たるため流せないにもかかわらずJ-WAVEの再送信を取り入れたこと。
・半年間の放送休止後対抗関係にあるラジオ局(注61)や岡山県内にあるコミュニティ放送局は全てやっているからやらないとダメだろうと思ったのか終夜放送に移行したこと。
・放送を再開させたのは良いのだが音楽しか流さないという状態だったこと。
・放送再開後関心のある人が多いとは言えないサブカルチャーに特化した路線をとったこと。
 このように書いてきて感じたのはやはり最初が肝心ではなかったのかということである。段階を踏んで開局に至ったつやまコミュニティFMとは違ってエフエム津山は何もないところから開局準備を始めた(と思われる)ことを考えると無理につやまコミュニティFMの開局から間もない時期に開局させる必要はなかったし、どのような手段をとったとしても短期間でつやまコミュニティFMに追い付き、対等に渡り合うようにするのは困難である。そのように考えればもう少しゆとりを持たせて開局に漕ぎ着け、地道な努力をしていたらどうだったのだろうかと思うのである。そうしていればエフエム津山はつやまコミュニティFMと共存でき、あまりにも寂しい最期を迎えずに済んだのでは…と思うのは私だけだろうか。

3 みんなと同じでないといけないという意識が強すぎたのではないか

 ラジオ局として取り組まないと遅れているとか劣っていると見られることは次に挙げることではないのだろうか。
・受信環境を整えること(中継局の設置やインターネット再送信サービスへの加入)。
・自社制作番組を多く放送すること。
・終夜放送を実施すること。
・放送時間を拡大すること(放送終了時間の繰り下げと放送開始時間の繰り上げ)。
・(結局現在盛業中の都道府県以上の区域を放送区域としている全ての民間ラジオ放送局が参加するに至ったのだが)radikoに参入すること。
・(結局民間中波放送局は全て実施するに至ったのだが)エフエム補完放送を実施すること。
 しかし今挙げたことは義務ではない。ラジオ局側が費用対効果が見込めないとかもし手を付ければ経営が傾くだろうと考えるのであれば別にしなくても良いのである。それでも現在盛業中の都道府県以上の区域を放送区域としている全ての民間ラジオ放送局がradikoに参加したことや(総務省の強制もあったのだが(注62))全ての民間中波放送局がエフエム補完放送を実施したことを考えるとラジオ局側に○○をしないと損になるという強迫観念が生じていることをうかがわせている。
 ではエフエム津山のどの点にみんなと同じでないといけないという意識が強すぎたことを感じたのか。それはレディオつやま時代(2010〜2012)にJ-WAVEの再送信を行ったこととMegaWAVE76.3時代(2012〜2020)に終夜放送を実施したことである。いずれも否定することに対しては批判的な声が出る可能性のあることであるが、なぜエフエム津山にとって好ましいこととは言えなかったのか、それをここから説明していきたいと思う。
 まず、
レディオつやま時代にJ-WAVEの再送信を行ったことであるが、エフエム津山が開局した当時岡山県にあるコミュニティ放送局では岡山シティエフエムとエフエムくらしきがJ-WAVEの再送信を行っていたことと、津山市における先発局であるつやまコミュニティFMがJ-WAVEの再送信を行っていなかったことから岡山市・倉敷市とともに岡山県を代表する都市である津山市にあるエフエム津山でもやってみようという考えになったのではないかと思われる。
 しかし、エフエム津山がJ-WAVEの再送信を行うことについては次に挙げる問題点が存在した。
・J-WAVEは1988年(昭和63年)10月1日に開局した時からずっと続いている「TOKIO HOT 100(トキオ・ホット・ワンハンドレッド)」など本来の放送区域である東京都以外の道府県で流れても問題のない番組が少なくないが、あくまでも東京都を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局であり、J-WAVEの再送信を行うことはずっと問題視されながら未だに解決策が見つからない東京一極集中の象徴であり好ましくないと受け取る方が少なくないこと。
・近隣のJ-WAVEの再送信を行っているコミュニティ放送局、すなわち姫路シティFM21(愛称:FM GENKI。姫路市本町)・FM鳥取・岡山シティエフエム・エフエムくらしき・エフエムふくやまはいずれも終夜放送を実施しているが、エフエム津山は終夜放送を行っていなかったこと。
・開局当時のエフエム津山は終夜放送を実施していなかったため深夜・早朝帯のJ-WAVEの人気番組が流せなかったこと。
・J-WAVEを再送信するに当たって多くの人々に注目されるようなものがなく、ただ空き時間に流しているだけという印象を持たれたこと。
・津山市は人口が10万人程度しかいないし、J-WAVEの主たる聴取者層である若年者層も多いとは言えないためJ-WAVEの再送信を行うことでエフエム津山への関心が高まるとは考えられないこと。
・近隣のコミュニティ放送局でやっているからやろうというような安易な考えで飛び付いた感が否めないこと。
・コミュニティ放送局がJ-WAVEの再送信を行うに当たって費用を負担することになるかどうかは分からないのだが、もし費用を負担するのであればエフエム津山の経営に大きく響いたこと。
 結局J-WAVEの再送信は思ったほどの効果が得られなかったと判断したのかエフエム津山は経営事情が理由と思われる放送休止をもってJ-WAVEの再送信を取りやめたわけであるが、開局時にもう少し熟考した上でJ-WAVEの再送信を行うかどうか決めていたらどうだったのだろうか。
 次にMegaWAVE76.3時代に終夜放送を実施したことであるが、経営事情が原因で半年ほど放送を休止したはずのエフエム津山がなぜ経営事情を悪化させる恐れのある終夜放送に手を染めたのか。考えられる理由は次の通りである。
・エフエム津山が一時放送を休止した時点でエフエム津山以外の岡山県にあるコミュニティ放送局4社は全て終夜放送を実施していたこと。
・津山市で受信できるラジオ局のほとんどは終夜放送を実施していたこと。
・放送再開後のエフエム津山は空き時間に洋邦問わず音楽を流すことにしており、深夜・早朝に起きている人や何らかの活動をしている人、眠れずにいる人に聴いて頂こうと思ったこと。
・レディオつやま時代に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災。2011年〔平成23年〕3月11日)を契機にもし深夜・早朝に何かあった時すぐに放送できるようにしようと考えたこと。
 真相は分からないが、もし今挙げたことが理由であるなら私は感心できない。エフエム津山以外の岡山県にあるコミュニティ放送局4社は全て終夜放送を実施していたことや津山市で受信できるラジオ局のほとんどは終夜放送を実施していたことが理由であるなら他と同じでないと何だかんだ言われるとか劣っているように見られるのでイヤだという焦りを感じたくなるし、深夜・早朝に起きている人や何らかの活動をしている人、眠れずにいる人に聴いて頂こうと思ったことやもし深夜・早朝に何かあった時すぐに放送できるようにしようと考えたことが理由であるなら先発局のつやまコミュニティFMがしているのになぜ同じことをするのかとその考えを疑いたくなる。終夜放送のありがたみはほとんどの都道府県域民間ラジオ放送局が機器調整などを理由に放送を休止する日曜日深夜(月曜日早朝)に眠れなくなったり月曜日の午前3〜4時頃に目が覚めたりした時に自分自身感じる(注63)のだが、極端な話どこか一つだけ流れていれば良く、ただでさえ津山市民に浸透したとは言い難く、経営事情が厳しいエフエム津山が手を出す代物ではなかったのではないかと思うのである。
 エフエム津山としては他のラジオ局と同じことをしないと取り残されるし聴取者からは劣っていると思われるので経営にも大きく響くと思ったのだろうが、反対に他のラジオ局とは違うことをしても良かったのではないかと思うところである。中国地方にある民間ラジオ放送局を見ても周囲の動向に左右されず、独自の路線を歩んでいるところが少なくない。その一部を示したのが下表となるのだが、その状況を見ても自分達のやっていることは良かったと言えるのだろうか。

放送局名 状況
山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
・1990年(平成2年)春の番組改編で終夜放送に移行した時からずっと日曜日深夜(月曜日早朝)だけでなく土曜日深夜(日曜日早朝)に放送休止を設定している(注64)
岡山エフエム放送
(岡山市北区中山下一丁目)
・1999年(平成11年)に開局した時から放送終了時間は月曜日午前1時に固定している(2013年〔平成25年〕4〜9月を除く(注65))。
中国放送
(RCC、広島市中区基町)
・中国地方で最も多くの放送区域人口を擁する民間中波放送局ではあるが、周辺の民間中波放送局、すなわちRSK山陽放送ラジオ・山口放送ラジオ(KRY、周南市徳山)・西日本放送ラジオ(RNC、高松市丸の内)・南海放送ラジオ(RNB、松山市本町一丁目)よりも放送開始が遅い(注66)
・中国・四国・九州・沖縄各地方にある民間中波放送局で唯一文化放送(QR、東京都港区浜松町一丁目)制作の番組「日野ミッドナイトグラフィティ 走れ! 歌謡曲」をネットしている
エフエムハムスター
(広島市安佐南区祇園五丁目)
・広島経済大学の構内に本社・演奏所がある都合上平日の昼間(午前9時〜午後6時)しか放送しない。
エフエムきらら
(宇部市新天町一丁目)
・2002年(平成14年)に開局した時から放送する番組は全て自社制作の生放送番組とし、終夜放送は一切行わないという方針を採っている。

 まあ独自路線を探し、定着させるのは難しいものがあるのだが、もしそれが実現できていたらまた違った展開があり、つやまコミュニティFMと共存できていたかもしれない。記すまでもないがそれはMegaWAVE76.3時代に目指したサブカルチャー路線への特化ではない。

4 聴取者の存在を蔑(ないがし)ろにしていた面があったのではないか

 民間放送局は利益も追求しなければならないが視聴者または聴取者の存在を蔑ろにしてはならないという課題も抱えている。しかし、現実を見るとできていないのではないかと思うことが多い。それを挙げると次の通りになる。
・自分達のやっていることに対して説明責任を果たしていない。
・自分達の考えに合わない意見は排除する。
・視聴者または聴取者の目線に立っていない。
・番組の打ち切りが恣意(しい)的な感が否めない。
・情報公開に消極的である。
・視聴者または聴取者の意見・苦情について不快感を与える対応(無視・逆ギレなど)をする。
・恣意的な取り上げ方をして関係する方々に不満を抱かせる(注67)
・差別的・不平等な取り上げ方をする(注68)
・視聴率または聴取率を稼ぐことしか頭にない。
・視聴率または聴取率が稼げれば何をやっても許されるという驕(おご)りがある。
・平気で人権侵害とも受け取れるようなことをする。
 無論エフエム津山について見ても聴取者の存在を蔑ろにしていたのではないかと感じる面は多数存在する。それを挙げると次の通りになる。
・開局からわずか7ヶ月で早くも本社・演奏所を移転させたこと。移転する少し前から「レディオつやまは(2011年〔平成23年〕)2月1日から津山市鉄砲町114番地で放送します」というような宣伝を流していたとは思うのだが、なぜたった7ヶ月で本社・演奏所を移転する必要があるのか疑問に思った方は少なくなかったのではないのだろうか。
・エフエム津山の三代目本社・演奏所は津山市中心部と倉吉・真庭方面を結ぶ幹線道路のそばにあったのにその存在を示す物件を全く設置しなかったこと。交通量の多い幹線道路のそばに本社・演奏所を置いているコミュニティ放送局は笠岡放送(愛称:エフエムゆめウェーブ。笠岡市笠岡)やエフエムふくやまなど枚挙に暇(いとま)がないが、なぜその存在を示す物件を設置しなかったのだろうか(注69)。もし設置していればそれで存在感は高まり、また違った展開があったかもしれないのに…。
・本局を置いたところから考えれば津山市北部での受信は難しかった可能性が考えられるが、インターネット再送信サービスに参加しなかったこと。放送休止中に公式サイトにおいて「番組告知」という題の音声ファイルを公開し、不定期ながらインターネット配信で番組を継続していくことを発表していたのになぜ放送再開後はインターネット再送信サービスに参加することを考えなかったのだろうか。平日の夕方から夜にかけてしか番組を設定しなかったことや自社制作比率が今年5月時点で約6.5%とあまりにも低いこと、費用がかかることなどいろいろ理由はあったのだろうが…。
・公式サイトの内容が貧弱な上にある時期から番組表以外更新されなくなったこと。公式サイトの内容が貧弱なコミュニティ放送局が少なくない(注70)のが私としてはどうかと思うのだが、せめてどういう方が社長を務めているのかとかどういう経営理念を持って運営しているのかぐらいは示しても良いのではないか。更にサイトの更新が途絶えてしまうと聴取者などに何かあったのだろうなどと思われ、その点から経営に影響が生じる可能性がある。職員全員が放送継続のための営業活動に勤(いそ)しむなどし、サイトの更新を疎(おろそ)かにしたことも考えられるが、せめてサイトを頻度は高くなくても良いから更新するくらいのことは考えて頂きたかったところである。
・一部の人にしか親しまれないような路線をとったこと。人口が10万人程度しかなく、高等教育機関が少なく、高齢化・過疎化が進展している地域が少なくない津山市でサブカルチャー路線に特化した放送局を目指しても親しむ人はそれほど多くはなかったのではないか。しかも展開が中途半端に終わった感も否めない。だんだん経営が行き詰まっていったのは公式サイトの更新がほとんど途絶えたことなどで明らかだったのだからどこかで路線を見直すことを考えても良かったのではないか。ただ、迷走を重ねていたので身動きが取れなくなったためにできなかったのかもしれないのだが…。
・平日の夕方から夜にかけてしか番組を設定しなかったこと。サブカルチャーに特化した路線をとっていたことや経営事情が厳しかったことなどを考えれば難しかったかもしれないのだが、番組のない時間帯はずっと音楽が流れ続けるというのは別にそれでも構わないという人がいる一方で放送局に対する支持・関心を失わせる要因になる。平日の朝にもそんなに長い時間でなくても良いから自社制作番組を設定し、空き時間はミュージックバード制作の番組で埋めればまだ聴かれていたのではないか。
・放送を再開した時に終夜放送に移行したこと。経営事情が厳しいから放送を休止したのに経営を圧迫することに手を出すのもどうかと思うし、もし終夜放送に移行するのであれば放送休止をもって取りやめたJ-WAVEの再送信を引き続き行えば良かったのではないか。この件一つとってもエフエム津山のやっていることはちぐはぐだと感じたくなる。
 なぜエフエム津山は聴取者を蔑ろにしているかのような態度をとったのか。理由を挙げると次の通りになる。
・つやまコミュニティFMへの対抗意識があまりにも強かったこと。
・つやまコミュニティFMへの対抗意識があまりにも強かったために準備が不十分なまま開局に漕ぎ着けたこと。
・どのような放送局を目指すのかという明確な目標・目的がなく、ただ目立てばいずれ結果は付いてくるというあまりにも甘い観測で経営に望んでいたこと。
・番組などを充実させるために必要なスポンサーの獲得に苦戦したこと。
・経営陣の思惑が一致しておらず、経営環境が厳しくなるとだんだんそれが表面化していったこと。
・慢性的に人員が不足していたこと。
・自分達の目指すものを示すことにためらいが起きていたこと。
・ある時期に開局当時からエフエム津山の発展に尽力してきた人物がエフエム津山に見切りを付けて離れていったこと。
・ある意見しか認めず、他の意見を「やってもムダ」とか「強硬的になっても困る」とか「我々に楯突く意見は一切認めない」などと言って一蹴したこと。
・経営陣に対して適切な助言を与えられる人がいなかったこと。
 これは私の感想なのだが、エフエム津山には「自分」というものが見えてこない。ただ一日も早くつやまコミュニティFMと対等に渡り合える存在になりたい、津山市民に広く知られる存在になりたいとしか思っていないように見えて致し方ないのである。しかし、それは放送局側の都合であり、聴取者の求めることではない。結局放送局側の都合を優先したためにつやまコミュニティFMと対等に渡り合える存在にも津山市民に広く知られる存在にもなり切れず、あまりにも寂しい最期を迎えることになってしまったのではないか。どのようにエフエム津山の関係者が思っているかは分からないが、今そのことに気付いてももう遅い。

5 コミュニティ放送局に対する関心があまりにも低すぎるのではないか

 今年3月31日に新潟県民エフエム放送とRadio NEOがともに今年6月30日をもって放送を終了し、廃業することを発表したことは大きく報じられた。都道府県域民間ラジオ局の廃業は既に愛知国際放送(愛称:RADIO-i。名古屋市東区東桜一丁目。2000〜2010)で起きていたが、同じ日に複数の都道府県域民間ラジオ放送局が廃業を表明したことは新潟県民エフエム放送・Radio NEOのどちらも聴いたことのない方々にも大きな衝撃を持って受け止められた。
 様々な経緯により新潟県民エフエム放送とRadio NEOの最期は対照的なものになった(注71)のだが、動画投稿サイトには音声だけではあるがその様子が多数投稿され、新潟県民エフエム放送・Radio NEOのどちらも聴いたことのない方々にも広く知られることになった。
 その一方で今年廃業したコミュニティ放送局2社、すなわちエフエム津山と長崎シティFMの最期はあまりにも寂しいものであった。状況を記すと下表の通りになる。

放送局名 状況
エフエム津山 ・公式サイト・SNSの更新が止まっており、運営者からの閉局の挨拶は一切記されていない。
・放送最終日にもかかわらず受信してみても洋邦関係なく音楽が流れ続けているだけで閉局告知は一切流されなかった。
・(存在を示す物件が全くないせいもあるが)交通量の多い幹線道路のそばに本社・演奏所があるにもかかわらず誰も様子を見に来なかった。
・(本社・演奏所があったと思しき部屋を見て感じたことであるが)特別番組を編成して10年4ヶ月間の歴史を締めくくろうという感じはなかった。
・地元紙の山陽新聞が総務省中国総合通信局の報道発表を受けて廃業することを報じただけである(放送最終日に本社・演奏所を訪れたがどの報道機関も姿を見せていなかった。また津山市に赴く時に聴いていたRSK山陽放送ラジオのニュースでもエフエム津山廃業の件は取り上げていなかった)。
・廃業について触れた聴取者または関係者のブログ・SNSなどがあまり見当たらない(確認できたのは一つだけ)。
・どの時間でどのように放送を終了したかという最期の様子は全く不明のままである。
長崎シティFM ・公式サイト・SNSの更新が止まっており、運営者からの閉局の挨拶は一切記されていない(SNS〔Facebook〕は廃業したという情報を得た時点では閉鎖されていた。どの時点で閉鎖したのかは不明)。
・総務省九州総合通信局はコミュニティ放送局の廃業について一切報道発表しないため長崎シティFMが廃業したことは気付かれにくくなっている(総務省九州総合通信局公式サイトで公開されている九州地方のコミュニティ放送局一覧表〔それはこちら〕は長崎シティFMの廃業を受けて今年5月1日に更新しているが、それでは長崎シティFMはなかったものとされている感じがしてならない。なぜ長崎シティFMの廃業を受けて一覧表を改訂したと書かないのだろうか)。
・県庁があり、なおかつ人口が多い都市にあったコミュニティ放送局なのにどの報道機関も長崎シティFMが廃業したことを一切伝えていない。
・廃業について触れた聴取者または関係者のブログ・SNSなどがあまり見当たらない(確認できたのは二つだけ)。
・どの時間でどのように放送を終了したかという最期の様子は全く不明のままである。

 エフエム津山・長崎シティFMは放送区域における後発のコミュニティ放送局だったことや後発局であるが故に広告収入や聴取者の獲得に苦戦したこと、対抗関係にある放送局があまりにも多かったこと、どうかと思われるようなことが頻発したことなどから地域に浸透し、地域住民に親しまれる存在になり得なかった。だからこういう寂しい最期になったのは致し方ないとは言える。
 しかし、私としてどうかと思ったのは次に挙げる点である。
・エフエム津山・長崎シティFMを聴いていた方は少なからず存在したはずなのになぜ廃業を惜しむ声はほとんどないのだろうか。
・エフエム津山・長崎シティFMとも曲がりなりにも10年以上放送し続けてきたのになぜ廃業を惜しむ声はほとんどないのだろうか。
・エフエム津山・長崎シティFMの最期の様子を録音した方はいないのだろうか。
・なぜ長崎県内の報道機関は一切長崎シティFMの廃業を伝えなかったのだろうか。
・なぜエフエム津山・長崎シティFMの廃業について触れた聴取者または関係者のブログ・SNSなどがあまり見当たらないのだろうか。
 長らく曲がりなりにも営業を続けてきた放送局がなくなるということはあまりない話であり、もしそういうことが起きれば地域には大きな衝撃を与える
事件である。それがこんな扱いとはどれだけエフエム津山・長崎シティFMは存在感がないも同然の状態になっていたのだろうかと思いたくなる。状況を考えれば致し方ないことかもしれないが様々な悪条件の中で頑張ってきたこれらのコミュニティ放送局の関係者にとってみれば一層悔しく感じることではないのだろうか。
 そういえば昔中国放送ラジオで平日夜に流れていた自社制作番組「もっと基町パラダイス」(1986年〔昭和61年〕放送)の冒頭でこんなナレーションが入れられていたことがある。
「かつてRCCのある番組が聴取率0%を記録した…」
 そんなことはあり得ないだろうと聴いていた時いつも思っていたものであったが、それから三十数年、廃業を惜しむ声がほとんど聞こえてこないコミュニティ放送局が出現するという現実を目(ま)の当たりにするとそういうこともあり得るのかなと思いたくなる。よって、三十数年前の中国放送ラジオの平日夜の自社制作番組の冒頭の恐らく面白おかしくしようという目的で入れたと思われるナレーションは今はもう笑えないしツッコミも入れられない。

6 経営難に陥っても誰も助けようとしないのか

 岡山県にあるコミュニティ放送局では今年、もう一つ大きな動きが起きたところがあった。岡山県南西部にある浅口市・笠岡市・浅口郡里庄町を放送区域としているコミュニティ放送局・エフエムゆめウェーブ(笠岡市笠岡)が今年3月31日に親会社で浅口市・笠岡市・浅口郡里庄町を放送区域としているケーブルテレビ業者・笠岡放送に吸収合併されたのである。
 エフエムゆめウェーブは2006年(平成18年)5月1日に開局した、岡山県三番目のコミュニティ放送局である。社名は親会社のケーブルテレビ業者・笠岡放送の愛称・ゆめネットに由来するものであり、その点からも親会社との関係の強さがうかがえるのだが、開局当初から厳しい状況に置かれていた。それを挙げると次の通りになる。
・放送区域となる浅口市・笠岡市・浅口郡里庄町の合計人口は津山市の人口より少なかったこと(注72)
・放送区域となる浅口市・笠岡市・浅口郡里庄町の人口が減少傾向にあること(注73)
・放送区域となる浅口市・笠岡市・浅口郡里庄町は中国地方第三の都市・倉敷市と、中国地方第四の都市・福山市に挟まれた地域であり、倉敷市または福山市へのストロー効果が著しかったこと。
・エフエムゆめウェーブが開局した時点では既に倉敷市・福山市ともコミュニティ放送局が存在しており、それらのコミュニティ放送局が受信できる地域が少なくなかったこと。
・放送区域となる浅口市・笠岡市・浅口郡里庄町の経済基盤が盤石とは言い難い状況があったこと。
・エフエムゆめウェーブが使用している周波数は79.2MHzであるが、それと近接した79.4MHzを福山市の西隣にある尾道市にあるコミュニティ放送局・尾道エフエム放送が使用しているために混信する恐れがあったこと(注74)
・エフエムゆめウェーブと尾道エフエム放送は前記の通り周波数が近接している上に同じ番組を放送している時間が少なくないため局名告知がないとエフエムゆめウェーブ・尾道エフエム放送双方が受信できる地域ではどちらの放送局を聴いているのかが分かりにくくなる恐れがあったこと(注75)
・笠岡市及びその周辺は属している岡山県だけでなく大阪府・兵庫県・広島県・徳島県・香川県・愛媛県にあるラジオ局が受信できるところが少なくないため激しい聴取率競争にさらされなければならなかったこと。
 それでも自社制作番組を多数設定し、終夜放送を実施するなど頑張ってきたのだが、開局10周年を間近にした2016年(平成28年)春の番組改編で放送時間が1時間を超える自社制作番組が全く設定されなくなったのである。近隣のコミュニティ放送局には必ずと言って良いほどある自社制作のワイド番組がエフエムゆめウェーブでは全く見られなくなったわけであるが、そのことから経営が厳しくなったのだろうなと感じていた。
 笠岡放送はエフエムゆめウェーブの吸収合併の理由を業務の効率化と経営資源の有効活用としているが、いくらエフエムゆめウェーブが笠岡放送の子会社だったとしても単立させ続けることには不安があったのだろう。今のところ親会社に吸収されたエフエムゆめウェーブに大きな変化は見られないが、倉敷市・福山市という規模の大きな都市の狭間(はざま)にある地域を放送区域としているコミュニティ放送局がどのように生き残りを図っていくのか、中継局の設置や放送区域の拡大はあるのか、そして放送時間1時間以上の自社制作番組の復活や終夜放送の見直しなどはあるのか、今後の動向に注目していきたいところである。
 親会社への吸収合併で存続し得たエフエムゆめウェーブ改め笠岡放送の例や廃業を表明していたが廃業寸前で業務継承を申し出た方が出たことで一転存続することになったクローバーメディア改めコミュニティシェアFMの例はまだ良かったと言えるし、こういうところが出てきて欲しいと思うところである。しかし、現実は誰に救われることもなく、ひっそり廃業していくコミュニティ放送局が少なくない。今年廃業に追い込まれた長崎シティFM・エフエム津山もその一つであった。
 下表は廃業したコミュニティ放送局のある市区町村の現状を示したものであるが、下表をご覧頂ければうかがえるようにコミュニティ放送局の廃業によりコミュニティ放送局のないところになり、今もそのままになっている市区町村が少なくない。中には近隣のコミュニティ放送局が受信できるところもあるのだが、取り上げる情報が少なくなる傾向があることを考えると何とか存続させる方法はなかったのかとか地域は何もしようとしなかったのかと思いたくなってくる。

状況 都道府県名 市区町村名 状況など
廃業した時放送区域を同じくするコミュニティ放送局が存在した
(6箇所)
山形県 山形市 廃業したのはやまがたシティエフエム(愛称:Vigo FM。山形市中桜田三丁目。2002〜2016)。やまがたシティエフエム廃業時点で山形コミュニティ放送(愛称:ラジオモンスター。山形市本町二丁目)が存在した。
愛知県 名古屋市中区 廃業したのは名古屋中エフエムラヂオ放送。名古屋中エフエムラヂオ放送廃業時点でMID-FMが存在した。
岡山県 津山市 廃業したのはエフエム津山。エフエム津山廃業時点でつやまコミュニティFMが存在した。
香川県 高松市 後発局の高松シティエフエム(愛称:FM MARINO。高松市天神前。1998〜2005)が先発局のエフエム高松コミュニティ放送に吸収合併されたため廃業した。
長崎県 長崎市 廃業したのは長崎シティFM。長崎シティFM廃業時点で長崎市民エフエム放送(長崎市大黒町)が存在した。
宮崎県 宮崎市 廃業したのは宮崎シティエフエム(愛称:City FM77。宮崎市橘通東一丁目。1999〜2005)。宮崎シティエフエム廃業時点で宮崎サンシャインエフエム(愛称:サンシャインFM。宮崎市大淀四丁目)が存在した。
廃業したが放送休止を入れないですぐに別の業者が継承した
(1箇所)
沖縄県 沖縄市 廃業したのは沖縄市エフエムコミュニティ放送。沖縄市エフエムコミュニティ放送廃業後放送休止を入れないですぐにFMコザ(沖縄市中央三丁目)が業務を継承している。
廃業していくらか経ってから別の業者がコミュニティ放送局を開局させた
(6箇所)
宮城県 仙台市宮城野区 廃業したのは仙台市民放送(愛称:FMじょんぱ。仙台市宮城野区原町三丁目。1999〜2007)。
2015年(平成27年)に楽天野球団(愛称:Rakuten.FM TOHOKU〔ラクテンドットエフエムトウホク〕またはらくてんみやぎのエフエム。仙台市宮城野区宮城野二丁目)が開局したことにより仙台市宮城野区は再びコミュニティ放送局を有するに至った。
千葉県 市川市 廃業したのは市川エフエム放送(愛称:市川エフエム。市川市八幡二丁目。1998〜2016)。
2017年(平成29年)にエフエム浦安(愛称:市川うららFMまたはI&U-LaLaFM83。市川市八幡二丁目)が浦安市北栄一丁目から市原市八幡二丁目に移転して市川・浦安両市を放送区域とするコミュニティ放送局に移行したことにより市川市は再びコミュニティ放送局を有するに至った。
東京都 渋谷区 廃業したのは東京コミュニケーション放送(愛称:SHIBUYA-FM。渋谷区道玄坂二丁目。1996〜2013)。
2016年(平成28年)にCQ(愛称:渋谷のラジオ。渋谷区渋谷三丁目)が開局したことにより渋谷区は再びコミュニティ放送局を有するに至った。
岐阜県 可児市 廃業したのはかにかも放送(愛称:FMでんでん。可児〔かに〕市広見七丁目。2004〜2010)。
2012年(平成24年)にFMラインウェーブ(愛称:FMららまたはFM rara。可児市広見七丁目)が開局したことにより可児市は再びコミュニティ放送局を有するに至った。
福岡県 福岡市中央区 廃業したのは天神エフエム(愛称:FREE WAVE。福岡市中央区今泉一丁目。1996〜2010)。
2013年(平成25年)にコミュニティメディアパートナーズ福岡(愛称:コミュニティラジオ天神またはCOMI×TEN〔コミてん〕。福岡市中央区大名一丁目)が開局したことにより福岡市中央区は再びコミュニティ放送局を有するに至った。
沖縄県 南城市 廃業したのはFMしまじり(愛称:FMなんじょう。南城市佐敷津波古〔さしきつはこ〕。2013〜2018)。
FMしまじり廃業の12日後に南笑事(愛称:ハートFMなんじょう。南城市大里稲嶺)が開局したことにより南城市は再びコミュニティ放送局を有するに至った。
なお、FMしまじりは南城市におけるコミュニティ放送局の経営から撤退した後島尻郡与那原(よなばる)町で改めてコミュニティ放送局を開局させている。
廃業してコミュニティ放送局空白地帯になったが、現在も解消のメドが立っていない
(14箇所)
北海道 札幌市南区 廃業したのは南区コミュニティエフエム(愛称:GREEN FM。札幌市南区澄川三条六丁目。2006〜2008)。
虻田郡倶知安町 廃業したのはFMニセコ放送(愛称:FMニセコ。北海道虻田郡倶知安〔くっちゃん〕町北一条西。2006〜2007)。
東京都 多摩市 廃業したのはエフエム多摩放送(愛称:エフエム多摩G-WIND。多摩市一ノ宮三丁目。1995〜2010)。
多摩市に本部を置いている多摩大学(多摩市聖ヶ丘〔ひじりがおか〕四丁目)が中心になって多摩市を放送区域とするコミュニティ放送局を再興させようという動きが起きたことがあるがまだ具体的な動きにはなっていない。
神奈川県 伊勢原市 廃業したのはイセハラエフエム放送(愛称:プリズムステーションまたはiFM85.7。伊勢原市板戸。2001〜2006)。
愛知県 名古屋市中村区 廃業したのは名古屋シティエフエム。
滋賀県 近江八幡市 廃業したのはBIWA WAVE(愛称:B-WAVE。近江八幡〔おうみはちまん〕市鷹飼町。2005〜2009)。
大阪府 堺市東区 廃業したのはさかいhill-front forum(愛称:エフエムさかい。堺市東区北野田。2010〜2015)。
現在千葉市中央区を放送区域とするコミュニティ放送局・アクティブレイン(愛称:SKY WAVE FM。千葉市中央区新宿二丁目)が開局に向けて動いており、(いつになるかはまだはっきりしていないのだが)アクティブレインが開局した時点で堺市はコミュニティ放送局がない唯一の政令指定都市になるのは確実な状況になっている。
貝塚市 廃業したのは貝塚コミュニティ放送(愛称:FM826 SENSHU JOLLY FM。貝塚市近木。2006〜2010)。
兵庫県 神戸市長田区 廃業したのはエフエムわいわい(愛称:FMわぃわい。神戸市長田区海運町三丁目。1996〜2016)。
広島県 広島市佐伯区 廃業したのは五日市コミュニティ放送。
香川県 丸亀市 廃業したのはエフエム・セト(別称:FMセト。丸亀市土器町東三丁目。1996〜2008)。
仲多度郡琴平町 廃業したのはエフエムこんぴら(別称:FMこんぴら。仲多度郡琴平町榎井〔えない〕。1997〜1998)。
福岡県 福岡市早良区 廃業したのは福岡コミュニティ放送(愛称:FM MiMi〔2000〜2006〕→StyleFM〔2006〜2010〕。福岡市早良〔さわら〕区百道浜〔ももちはま〕二丁目。2000〜2010)。
熊本県 玉名市 廃業したのはエフエムたまな(愛称:ほっとラジオ。玉名市田崎。1998〜2006)。

 なぜ誰にも救われずにひっそり廃業するしかなくなるコミュニティ放送局が出るのか。考えられる理由は次の通りである。
・地域にとってかけがえのない存在だとは見なされていなかったから。
・複数のコミュニティ放送局が存在する市区町村の場合、先発局への信頼が高いから。
・スポンサーが確保できていないから。
・ある人物のワンマン経営だったためにその人物に事故(療養・逝去など)が起きた時の対策が全く考えられていないから。
・経営陣が恣意的に振る舞っているように見えて不快に感じる方が少なくなかったから。
・後ろ盾にいる企業が損失を賄(まかな)い切れなくなったから。
・いろいろ問題を起こし、地域からの信用を失ったから。
・地域の志向・実情と合わない放送を展開したために地域に浸透しなかったから。
・ただ目立ちたい、一日も早く浸透させたいという思いしか感じられず、何がやりたいのか、何を目指したいのかが全く見えなかったから。
・番組の改廃が激しいために親しみにくくなったから。
・ただでさえ経営事情は厳しかったのに予期し得ない事態(不況・災害など)で更に経営が傾いたから。
・自社制作番組の割合があまりにも低く、親しみにくくなったから。
・経営譲渡を考えてもどこからも色好い返事は得られなかったから。
・何とか難局を打開しようとしたがかえって泥沼にはまりまくり、どうにもならなくなったから。
・経営難を悟られまいとして合理化を見送り続け、それで更に経営が傾いたから。
・総務省や日本コミュニティ放送協会が経営難に陥ったコミュニティ放送局を救済することは全く行っていないから。
・聴取者にとって必要な情報を全く伝えず、それで嫌われるようになったから。
・公式サイト・SNSの更新が滞るなどしていい加減なことをしているとか立ち行かなくなったのだろうと思われるようになってしまったから。
 結局はコミュニティ放送局自身の問題に帰するわけであるが、エフエム津山の場合はどうだったのだろうか。今のところエフエム津山側は廃業を決めるまでの経緯は一切明らかにしていないのだが、恐らく自らで何とか難局を打開しようとしたがうまく行かず、経営譲渡を考えて話を持ちかけてもどこからも相手にされず、開局の中心的役割を担ったスタジオ ア・ビアントとしてももう面倒を見切れる状況ではなくなったのだろう。状況を考えれば致し方ないと思うのだが、新型コロナウィルス感染症の世界的な流行で状況が更に厳しくなったことともし新型コロナウィルス感染症の世界的な流行がなくても経営環境が好転する要素は皆無に等しい状況だったこと、そして放送免許更新申請期限が迫っていたことから遂に廃業を決断したのではないのだろうか(注76)
 (私の考えではないことをお断りしておくのだが)中には開局した時から状況が厳しいことは明らかだったのだし2012年(平成24年)に半年近く入れた放送休止は経営難が主たる理由だったのだから放送再開を断念して潔く閉局すれば良かった(注77)のではないかとかどこかで折れてつやまコミュニティFMとの合併を考えても良かったのではないかと考える方もいることであろうが、そのいずれもしなかったのは津山市を中心とした地域の情報を伝えるのは我々だという矜持やいかなる状況があっても先発局の軍門には下らないという意地、そして五日市コミュニティ放送と同じ末路は絶対にたどらないという強い思いがあったからであろう。しかし、あまりにも厳しすぎる現実の前にその思いはことごとく跳ね返されてしまった。特別番組を編成する様子もなく、閉局告知は一切流さないというあまりにも寂しい最期を迎えたエフエム津山であったが、「自業自得だ」とか「それ見たことか」とか「何がやりたいのかさっぱり分からない」とか「やることなすことがちぐはぐだ」などと各方面から言われ続けた放送局の無念の思いをそこに感じたのは私だけだろうか。

7 後始末をしないまま廃業して何とも思わないのか

 これまで廃業に追い込まれたコミュニティ放送局はエフエム津山を含めて27社に及んでいるが、地域住民に親しまれてきたはずのコミュニティ放送局が廃業するに当たってきちんと後始末をせず、悪い印象を残す例がいくつか見られる。その代表的事例と言って良いのが今年11月1日に廃業確定から10年となるかにかも放送である。
 かにかも放送はどのような放送局だったのか、まずは開局時点のデータを示すことにしたい。

※下表はインターネットアーカイヴに保存されている総務省東海総合通信局(名古屋市東区白壁一丁目)の報道発表資料(それはこちら)やコミュニティFM大図鑑」、インターネット百科事典「Wikipedia」、本サイトからリンクを貼っている「千客万来・でんぱでーたどっと混む!」を基に作成したものである。

項目 記事 備考
運営会社名 株式会社かにかも放送 名称の由来は可児市・美濃加茂(みのかも)市を放送区域とすることによる。
なお、可児市の母体郡(注78)は可児郡、美濃加茂市の母体郡は加茂郡であるが、可児郡・加茂郡とも現在も存在しており、可児郡・加茂郡全体を見据えた名称と考えることもできる。
運営会社
設立年月日
2004年(平成16年)4月21日
開局年月日 2004年(平成16年)6月6日
本社・演奏所所在地 可児市今渡394番地の6
蘇南ビル3階
愛称 エフエムかにかも
FMでんでん
「エフエムかにかも」は呼び出し名称。
「電波に乗せて思いを伝える」という思いを込めてFMでんでんという愛称が定められた。
また愛称の「でんでん」からカタツムリがシンボルマークに使用されていた。
本局所在地 可児市下恵土1673番地
下恵土地区センター屋上
下恵土地区センターは下恵土公民館または下恵土連絡所と称する場合もある。
コールサイン JOZZ6AR-FM
周波数 76.8MHz
出力 20W
中継局 なし
放送区域内の世帯数 4万6,694世帯
放送時間 終日 一週間の総放送時間は168時間。
自社制作番組を多数設定し、自社制作番組を設定しない時間帯は音楽を流し続けるという格好をとっていた。

 ではかにかも放送はどのような経緯をたどったのか、「コミュニティFM大図鑑」や「Wikipedia」、本サイトからリンクを貼っており、かにかも放送について何度も取り上げている「TOPPY.NET-INSIDE NAGOYA-」の一コーナー「TOPPYのくびったけブログ」やなどを基に記すと下表の通りになる。

年月日 記事 備考
2004年(平成16年)6月6日 午前6時に岐阜県内4番目のコミュニティ放送局として開局する。
2007年(平成19年)7月30日 本社・演奏所を可児市広見七丁目90番地(場所はこちら)に移転。ケーブルテレビ業者・ケーブルテレビ可児(可児市広見七丁目)と本社の建物を共有するようになる。 新しい本社・演奏所では放送している様子を見学できるサテライトスタジオやかにかも放送が直営するレストラン・sweet cafe chiocciola(スイートカフェ・キオッチョラ(注79))が設置された。
2008年(平成20年)12月1日 リーマンショックが引き起こした世界的な不況の影響もあってこの日から自社制作番組を大幅に削減。火曜日と日曜日は自社制作番組が全く設定されず、終日音楽が流れ続けるという状況になった。
2009年(平成21年)1月30日 2007年(平成19年)7月30日に実施した本社・演奏所移転について総務大臣に届け出をせずに行ったことが電波法第17条第1項に抵触したとして総務省東海総合通信局から厳重注意を受ける。 当時の総務省東海総合通信局の報道発表資料はインターネットアーカイヴに保存されている(それはこちら)。
2009年(平成21年)12月26日 本社・演奏所のある建物で運営されていたかにかも放送直営のレストラン・sweet cafe chiocciolaが閉店する。 TOPPY.NET-INSIDE NAGOYA-」の一コーナー「TOPPYのくびったけブログ」の2009年(平成21年)12月17日の記事「かにかも放送は年を越すのか?」による。記事によると当面の間休業する旨の貼り紙があったとのことだが事実上の閉店と思われる。
2009年(平成21年)12月31日 この日をもって全ての自社制作番組を打ち切る。特別番組「さよならFMでんでん」が最後の自社制作番組となった。
2010年(平成22年)1月1日 この日から終日音楽を流すだけの状態になる。 但し30分ごとに宣伝などを入れるため中断しており、エフエム津山の放送最終日のように何も入れずに音楽を流し続けるというようにはしていなかったという。
2010年(平成22年)7月15日 この日をもって2010年(平成22年)1月1日以来流し続けてきた音楽が止められ、無変調状態(注80)になる。 TOPPY.NET-INSIDE NAGOYA-」の一コーナー「TOPPYのくびったけブログ」の2010年(平成22年)8月22日の記事「電波も停まったFMでんでん―かにかも放送」による。
この日可児市周辺は梅雨末期の集中豪雨で甚大な被害が生じていたのだが、放送が再開されなかったため全く役に立たなかった。
音楽が止まり、無変調になったことから本サイトとしてはかにかも放送はこの日をもって放送を終了したと見なしている
2010年(平成22年)8月中旬 無変調状態も止まり、かにかも放送は停波する。 TOPPY.NET-INSIDE NAGOYA-」の一コーナー「TOPPYのくびったけブログ」の2010年(平成22年)8月22日の記事「電波も停まったFMでんでん―かにかも放送」による。但しそこではいつ停波したかは書いていないため正確な停波年月日は不明(恐らく記事投稿の何日か前であろう)。
2010年(平成22年)10月28日 総務省東海総合通信局は管内4県(岐阜県・静岡県・愛知県・三重県)にあるコミュニティ放送局の免許更新に関する報道発表を行う。免許更新を行ったコミュニティ放送局にかにかも放送は含まれておらず、かにかも放送の放送免許は2010年(平成22年)10月31日をもって失効することが確定する。 当時の総務省東海総合通信局の報道発表資料はインターネットアーカイヴに保存されている(それはこちら)。
なお、総務省東海総合通信局はかにかも放送からは免許更新申請がなかったとは書いていない。見れば分かるだろうという考えなのだろうが…。
2010年(平成22年)11月1日 放送免許失効によりかにかも放送はこの日をもって廃業する。 総務省東海総合通信局の報道発表資料にはかにかも放送から廃止届が出され、受理したとかかにかも放送は免許失効により廃業が確定したというような記事はない。総務省東海総合通信局は総務省中国総合通信局と同じくコミュニティ放送局の廃業に関する報道は行っていること(注81)を考えるとかにかも放送は廃止届を提出しなかったのではないかと思われる。
運営会社のかにかも放送についてその後どのような措置がとられたかは不明。かにかも放送が使用していた施設はFMラインウェーブが使用することにしたためFMラインウェーブが開局する前に何らかの措置がとられたものと思われる。
なお、臨時ホームページと銘打たれてはいるのだが2009年(平成21年)6月下旬頃更新されたと思われる
(注82)公式サイト(それはこちら)は廃業から10年近く経った現在も残されている。

 なぜかにかも放送はこんな悲惨な最期を遂げてしまったのだろうか。リーマンショックが引き起こした世界的な不況を原因に挙げる声は多いが、私はかにかも放送の経営陣自体に問題があったのではないかと考えている。そもそもかにかも放送の状況を見ると次に示すようにどうかと思うことがあまりにも多いからである。
・可児市と美濃加茂市は隣接しており、周辺の可児郡・加茂郡を含めて岐阜県によって一つの生活圏(可茂地域)としてまとめられているが、名古屋市のベッドタウンとして第二次世界大戦後大きく発展した可児市と、江戸時代は中山道(なかせんどう)の宿場町として栄え、鉄道路線が相次いで開通した大正時代以降交通の要衝として大きく発展した美濃加茂市は都市としての性格が大きく異なるためこの二つの都市を放送区域として包含するコミュニティ放送局を開局させることには無理があった可能性があること(注83)
・可児市と美濃加茂市は木曽川で隔てられているため地形的に一体とは言えないところがあるが、そういう状況でこの二つの都市を放送区域として包含するコミュニティ放送局を開局させることには無理があった可能性があること。
・人口は多いが中枢性が高いとは言えない可児市と、中枢性は高いが人口は多くない美濃加茂市(注84)を放送区域とするコミュニティ放送局を開局させようとした場合、本社・演奏所は中枢性が高い美濃加茂市に置いたほうが良いように思われるのだが、なぜか本社・演奏所を可児市に置くことにしたこと。
・運営会社の名称は可児市・美濃加茂市または可児郡・加茂郡の一体化を醸成するものではなく、可児市・美濃加茂市または可児郡・加茂郡双方の顔を立てるようなものになったこと。
・岐阜県東部・南部は名古屋市へのストロー効果が著しく、それ故に岐阜県だけを放送区域とする都道府県域民間放送局は厳しい経営を強いられている(注85)にもかかわらず、可児市・美濃加茂市・可児郡・加茂郡は経済基盤が盤石とは言えない状況だったにもかかわらず自社制作番組を多く設定し、終夜放送も実施したこと。
・自社制作番組の設定のない空き時間にミュージックバード制作の番組を入れていればまだ聴かれた可能性はあるが、それはしなかったこと(注86)
・かにかも放送の本社・演奏所はケーブルテレビ可児の本社が入居する建物に移転したが、その動きは美濃加茂市・加茂郡側に不快感を抱かせる可能性があったこと。
・かにかも放送とケーブルテレビ可児と業務提携を行った形跡が見られないこと。
・かにかも放送の本社・演奏所移転について何があったのかは分からないが総務大臣に届け出なかったこと。
・リーマンショックが引き起こした世界的な不況が原因で2008年(平成20年)秋以降経営が苦しくなったが、その時の合理化策は自社制作番組の大幅削減にとどめ、終夜放送の取りやめや直営レストランの運営見直しなどには手を付けなかったこと。
・かにかも放送はケーブルテレビ可児との経営統合を全く考えなかったこと。
・2009年(平成21年)の大晦日(おおみそか)に「さよならFMでんでん」という生放送の特別番組を設定したのであれば2009年(平成21年)12月31日をもって放送を休止して今後どのようにするのか考えれば良かったのになぜか翌日、すなわち2010年(平成22年)1月1日以降は音楽を流し続ける形で放送を継続したこと(注87)
・可児市周辺が梅雨末期の集中豪雨で甚大な被害を受けた2010年(平成22年)7月15日にかにかも放送は何もしなかっただけでなく何があったのかは分からないのだが音楽を止め、無変調状態になったこと。
・ケーブルテレビ可児はかにかも放送の経営再建などに対して何もしなかったこと。
・放送免許失効をもってかにかも放送は廃業することになったが、監督官庁の総務省東海総合通信局に廃止届を提出した様子がないこと。
・未だに廃業に至らせてしまったことに対する釈明がないだけでなく臨時ホームページと銘打たれた公式サイトも放置しており、責任を完遂しないままにしていること。
・かにかも放送という運営会社がその後どうなったのか全く分からないこと。
 かにかも放送は性格が違い、隣接しているが市街地が一体化していない二つの都市を放送区域として包含した、微妙な立場に置かれたコミュニティ放送局であった。そのことを考えれば可児側・美濃加茂側双方の顔を立て、可児側・美濃加茂側双方を平等に取り扱う必要があった。運営会社の名称はそれを反映させたものと考えられる(注88)。しかし、あることが契機になって可児側・美濃加茂側双方から出ていたと考えられる経営陣に亀裂が入り、そこからうまく行かなくなったのではないかと私は考えている。もしそれがなかったらコミュニティ放送局のほとんどが乗り越えたリーマンショックが引き起こした世界的な不況をかにかも放送も乗り越えただろうし、仮に廃業に追い込まれたとしても後始末をきちんとしないという態度はとらなかったのではないかと思うからである。
 まあ真相は分からないのだが、その後もいくつかのコミュニティ放送局が公式サイトまたはSNSを放置したまま、ろくな挨拶もしないまま廃業している。番組を聴いて下さった方々や放送区域に住んでいる方々に対して申し訳ないという気持ちはないのかという気もするのだが、なぜきちんと後始末をしないコミュニティ放送局が出るのか。考えられる理由は次の通りである。
・放送区域に住んでいる方々からの罵詈雑言(ばりぞうごん)や誹謗・中傷、嘲笑(ちょうしょう)、非難を浴びるのは耐えられないから。
・経営陣がある事件を契機に空中分解を起こしたから。
・経営者が自らに起きる事故(注89)を想定しないでいたところ事故が起きてしまい、どうにもならなくなってしまったから。
・折角の放送局を廃業に追い込んだことは恥ずべきことであり、きちんと挨拶をしよう、後始末をしようという思いになれないでいるから。
・いろいろあって明かせないことがあるから。
・公式サイトやSNSを管理している方が行方不明になるなどして公式サイトの閉鎖やSNSのアカウントの削除を行えなくなっているから。
・水面下では後始末をしており、いずれは公式サイトの閉鎖やSNSのアカウントの削除を行うことにしているがまだそのメドが立っていないから。
・ただでさえいろいろあった放送局をつぶしてしまったことは放送局を経営していた方々にとってはなかったことにしたいことだと思っているから。
 コミュニティ放送局は都道府県域民間放送局より少ない放送人口、狭い放送区域(注90)で運営されているところがほとんどであるため、何かあれば地域からの風当たりも強くなる。それ故に中には経営を傾かせ、結果廃業に至らせたことに対して口を閉ざすところも出るのではないのだろうか。決してコミュニティ放送局を廃業に至らせた方々がこのようにしてしまったことは大変申し訳ないと思っていないわけではないと思うのだが、素直にお詫びが言えるような環境は実現できないものであろうか。もしそれが実現できないと今後もかにかも放送やエフエム津山、長崎シティFMのように何の挨拶もせず、きちんと後始末をせず、ある日突然放送をやめてしまうコミュニティ放送局が出てくるのは避けられないところであろう。

最後に

 エフエム津山の廃業は複数のコミュニティ放送局によって放送区域に含められている市区町村では6箇所目の後発局の廃業事例となった。また、それまでの5箇所、すなわち山形市・名古屋市中区(注91)・高松市・長崎市・宮崎市はいずれも県庁所在地だったので津山市の後発局の廃業は複数のコミュニティ放送局によって放送区域に含められている都道府県庁所在地ではない市区町村では初の廃業事例となった。
 この事実を見て同じ市区町村に複数コミュニティ放送局が存在することは好ましくないとか既にコミュニティ放送局があるのにわざわざ開局させようとするのは無謀だと思う方がいることであろう。しかし、だからと言って同じ市区町村に複数コミュニティ放送局が存在することを制限するのは私としてはどうかと思う。後発局でも頑張っているところはいくつもあるのだし、放送免許一本化調整の難航や市町村合併などが理由で複数のコミュニティ放送局が存在する市区町村は今後も出てくる可能性があるからである。前にも記したが監督官庁の総務省は今のところは事態を静観するより他には方法はないと言える。
 そんな中で私は思ったことがある。終わったことに対して「もしも…」を付けて論じることは好ましからざることとされているのだが、エフエム津山についてもしも次に挙げるようなことになっていたらどういう展開があったのだろうかということである。
・もしもエフエム津山が本局を神南備山ではなく、つやまコミュニティFMが本局を置いている天狗寺山や津山市中心部の北方に聳えていて、津山市中心部に電波を送るテレビ・エフエム中継局が置かれている黒沢山に置いていたらどうなったのだろうか。
・もしもエフエム津山がインターネットサイマル配信サービスに参加していたらどうなったのだろうか。
・もしもエフエム津山の三代目本社・演奏所についてその存在を示す物件(看板など)があったとしたらどうなったのだろうか。
・もしもエフエム津山が一切終夜放送に手を出さなかったらどうなったのだろうか。
・もしもエフエム津山がミュージックバード制作の番組を自社制作番組を設定していない時間帯に挿入していたらどうなったのだろうか。
・もしもエフエム津山が開局当時から終夜放送を実施した上で自社制作番組を設定していない時間帯にJ-WAVEの再送信を行っていたらどうなったのだろうか。
・もしもエフエム津山が放送を再開してからも放送休止前と同じくJ-WAVEの再送信を行っていたらどうなったのだろうか。
 開局時期の遅れや自社制作番組の少なさなどは如何(いかん)ともし難いものがあるが、もしも今挙げたことをエフエム津山がしていたら果たしてどこまでつやまコミュニティFMと渡り合えたのだろうかと思いたくなる。同じことはエフエム津山廃業の半年ほど前に廃業した長崎シティFMにも言えるのだが、なぜ手を付けなかったのだろうか。手を付けるには資金・スポンサー・人材が足りなかったのか、先発局にはかなわないと諦めていたのか、それとも…。
 真相は恐らく永久に明かされないことであろうが、私として望みたいのはやはり先発局と後発局が共存し、切磋琢磨(せっさたくま)する状況ができることである。そういう状況になって初めて公平な競争ができると考えているからであるが、関係者の思惑(おもわく)はどのようなものだったのだろうか。今後どの市区町村で複数コミュニティ放送局が存在することになるかは分からないが、津山市や長崎市の例は教訓としてとらえて頂きたいものだと思っているところである。
 最後になったが、二度とこういう企画をせざるを得なくなる事態が起きないことを願いつつこの企画を終わることにしたい。

注釈コーナー

注1:民間中波放送局のエフエム補完放送の開始状況は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・開始年月日は当該放送局が初めてエフエム電波を用いた中継局を設置した日としている。よって、本社周辺以外の地域でエフエム中継局が開局している場合がある。

・同じ日に複数の放送局で初めてのエフエム補完中継局が開局した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

・中継局数は今年10月26日時点で本放送を行っている中継局の数を記している(今年10月26日以降に開局する予定の中継局や、放送局以外の組織〔市区町村など〕が免許を所有している受信障害対策中継局は数に入れていない)。

順位 放送局名 開始年月日 中継局数 備考
1 北日本放送
(KNB、富山市牛島町)
1991年
(平成3年)
9月26日
3 結果的に日本で初めてエフエム電波を用いた中継局を設置した放送局である(設置理由は混信対策)。
2 ラジオ沖縄
(ROK、那覇市西一丁目)
2001年
(平成13年)
4月1日
9
3 琉球放送
(RBC、那覇市久茂地二丁目)
2001年
(平成13年)
4月1日
9
4 南海放送
(RNB、松山市本町一丁目)
2014年
(平成26年)
12月1日
12 エフエム補完中継局制度創設後初めてエフエム中継局を開局させた放送局である。
5 南日本放送
(MBC、鹿児島市高麗町)
2015年
(平成27年)
1月1日
6
6 秋田放送
(ABS、秋田市中通七丁目)
2015年
(平成27年)
3月2日
1
7 IBC岩手放送
(IBC、盛岡市志家町)
2015年
(平成27年)
3月29日
8
8 山口放送
(KRY、周南市徳山)
2015年
(平成27年)
7月21日
13 日本で最も多くのエフエム補完中継局を有する放送局である。
9 茨城放送
(IBS、水戸市千波町)
2015年
(平成27年)
8月17日
3
10 CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
2015年
(平成27年)
10月1日
1
11 東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
2015年
(平成27年)
10月1日
1
12 長崎放送
(NBC、長崎市上町)
2015年
(平成27年)
10月1日
5
13 新潟放送
(BSN、新潟市中央区川岸町三丁目)
2015年
(平成27年)
10月20日
1
14 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
2015年
(平成27年)
12月1日
5
15 TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
2015年
(平成27年)
12月7日
1
16 ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
2015年
(平成27年)
12月7日
1
17 文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
2015年
(平成27年)
12月7日
1
18 ラジオ福島
(RFC、福島市下荒子)
2016年
(平成28年)
1月27日
8
19 朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
2016年
(平成28年)
3月19日
1
20 大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
2016年
(平成28年)
3月19日
1 愛称:ラジオ大阪。
21 毎日放送
(MBS、大阪市北区茶屋町)
2016年
(平成28年)
3月19日
1
22 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
2016年
(平成28年)
3月28日
4
23 九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
2016年
(平成28年)
3月28日
4
24 宮崎放送
(MRT、宮崎市橘通西四丁目)
2016年
(平成28年)
4月1日
2
25 熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
2016年
(平成28年)
5月1日
4
26 和歌山放送
(WBS、和歌山市湊本町三丁目)
2016年
(平成28年)
5月30日
6
27 大分放送
(OBS、大分市今津留三丁目)
2016年
(平成28年)
6月23日
1
28 北陸放送
(MRO、金沢市本多町三丁目)
2016年
(平成28年)
8月1日
4
29 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
2016年
(平成28年)
10月19日
1
30 北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
2016年
(平成28年)
10月19日
1
31 静岡放送
(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)
2016年
(平成28年)
12月1日
3
32 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
2017年
(平成29年)
3月1日
2
33 福井放送
(FBC、福井市大和田二丁目)
2017年
(平成29年)
4月1日
7
34 東北放送
(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)
2017年
(平成29年)
5月1日
1
35 青森放送
(RAB、青森市松森一丁目)
2017年
(平成29年)
10月1日
3
36 山梨放送
(YBS、甲府市北口二丁目)
2017年
(平成29年)
12月24日
3
37 栃木放送
(CRT、宇都宮市昭和二丁目)
2017年
(平成29年)
12月28日
5
38 岐阜放送
(GBS、岐阜市橋本町二丁目)
2018年
(平成30年)
3月10日
1
39 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)
2018年
(平成30年)
3月21日
1
40 信越放送
(SBC、長野市問御所町)
2018年
(平成30年)
3月26日
7
41 京都放送
(KBS、京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町)
2018年
(平成30年)
4月2日
1 愛称:KBS京都。
42 四国放送
(JRT、徳島市中徳島町二丁目)
2018年
(平成30年)
9月30日
4
43 山形放送
(YBC、山形市旅篭町二丁目)
2018年
(平成30年)
10月15日
1
44 ラジオ関西
(CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目)
2019年
(平成31年)
4月1日
2
45 高知放送
(RKC、高知市本町三丁目)
2020年
(令和2年)
2月10日
1
46 西日本放送
(RNC、高松市丸の内)
2020年
(令和2年)
2月16日
1
47 RFラジオ日本
(RF、横浜市中区長者町五丁目)
2020年
(令和2年)
3月16日
1

注2:都道府県以上の区域を放送区域としている民間ラジオ放送局のradikoへの参加状況は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・日経ラジオ社(愛称:ラジオNIKKEI。東京都港区虎ノ門一丁目)は二波体制で運用されている上に参加時期が異なるため第一放送と第二放送は分けている。

・FM COCOLOとFM802は同じ会社(FM802)が運営しているが番組内容が異なるため分けている。

・参加年月日はradiko.jpプレミアム開始前、すなわち2014年(平成26年)3月31日以前に参加した場合は試験配信を開始した日としている。

・同じ日に複数の放送局が参加した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

・radikoで無料で番組が楽しめる地域の一覧表は中波放送についてはこちらの最下部で、エフエム放送についてはこちらの最下部で、短波放送についてはこちらでそれぞれ掲載しているので併せてご覧頂きたい。

順位 放送局名 参加年月日 備考
1 InterFM897
(東京都品川区東品川一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
2 エフエム東京
(TFM、東京都千代田区麹町一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
愛称:Tokyo fm。
3 J-WAVE
(東京都港区六本木六丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
4 TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
5 ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
6 文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
7 日経ラジオ社第一放送
(東京都港区虎ノ門一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
愛称:ラジオNIKKEI。
参加年月日は茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県での配信を開始した日を記載している。
岐阜県・愛知県・三重県では2011年(平成23年)3月25日から、滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県では2011年(平成23年)4月12日から、北海道では2011年(平成23年)4月20日から、福岡県では2011年(平成23年)4月22日から、広島県では2011年(平成23年)7月20日から、静岡県では2011年(平成23年)10月3日から、その他の県では2012年(平成24年)4月2日からそれぞれ配信を開始している。
8 朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
9 エフエム大阪
(fmo、大阪市浪速区湊町一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
愛称:FM OH!。
10 FM COCOLO
(大阪市北区天神橋二丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
11 FM802
(大阪市北区天神橋二丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
12 大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
愛称:ラジオ大阪。
13 毎日放送
(MBS、大阪市北区茶屋町)
2010年
(平成22年)
3月15日
14 岐阜放送
(GBS、岐阜市橋本町二丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
15 エフエム愛知
(FMA、名古屋市中区千代田二丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
16 CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
17 ZIP-FM
(名古屋市中区丸の内三丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
18 東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
19 三重エフエム放送
(津市観音寺町)
2011年
(平成23年)
3月25日
愛称:radio CUBE FM三重。
20 茨城放送
(IBS、水戸市千波町)
2011年
(平成23年)
4月12日
21 エフエム栃木
(宇都宮市中央一丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:RADIO BERRY。
22 エフエム群馬
(前橋市若宮町一丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
23 エフエムナックファイブ
(さいたま市大宮区錦町)
2011年
(平成23年)
4月12日
24 ベイエフエム
(千葉市美浜区中瀬二丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
25 RFラジオ日本
(RF、横浜市中区長者町五丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
26 横浜エフエム放送
(横浜市西区みなとみらい二丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:FMヨコハマ。
27 京都放送
(KBS、京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:KBS京都。
本局で流しているものを配信している。
28 兵庫エフエム放送
(神戸市中央区波止場町)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:Kiss FM KOBE。
29 ラジオ関西
(CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
30 和歌山放送
(WBS、和歌山市湊本町三丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
本局で流しているものを配信している。
31 エフエム北海道
(札幌市中央区北一条西二丁目)
2011年
(平成23年)
4月20日
愛称:AIR-G'(エアージー)。
32 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
2011年
(平成23年)
4月20日
本局で流しているものを配信している。
33 北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
2011年
(平成23年)
4月20日
本局で流しているものを配信している。
34 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
35 エフエム福岡
(福岡市中央区清川一丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
36 九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
37 ラブエフエム国際放送
(福岡市中央区今泉一丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
愛称:LOVE FM。
38 エフエム滋賀
(大津市西の庄)
2011年
(平成23年)
7月1日
愛称:e-radio。
39 エフエム京都
(京都市下京区烏丸通四条下ル水銀屋町)
2011年
(平成23年)
7月1日
愛称:α-STATION。
40 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
2011年
(平成23年)
7月20日
41 広島エフエム放送
(HFM、広島市南区皆実町一丁目)
2011年
(平成23年)
7月20日
愛称:広島エフエム。
42 北陸放送
(MRO、金沢市本多町三丁目)
2011年
(平成23年)
10月3日
43 信越放送
(SBC、長野市問御所町)
2011年
(平成23年)
10月3日
44 長野エフエム放送
(松本市本庄一丁目)
2011年
(平成23年)
10月3日
愛称:エフエム長野。
45 静岡エフエム放送
(浜松市中区常盤町)
2011年
(平成23年)
10月3日
愛称:K-mix。
46 静岡放送
(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)
2011年
(平成23年)
10月3日
47 南日本放送
(MBC、鹿児島市高麗町)
2011年
(平成23年)
10月3日
48 福井放送
(FBC、福井市大和田二丁目)
2012年
(平成24年)
1月30日
49 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
2012年
(平成24年)
1月30日
50 エフエム長崎
(長崎市栄町)
2012年
(平成24年)
1月30日
51 長崎放送
(NBC、長崎市上町)
2012年
(平成24年)
1月30日
本局で流しているものを配信している。
52 エフエム熊本
(FMK、熊本市中央区千葉城町)
2012年
(平成24年)
1月30日
53 熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
2012年
(平成24年)
1月30日
54 IBC岩手放送
(IBC、盛岡市志家町)
2012年
(平成24年)
4月2日
55 東北放送
(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)
2012年
(平成24年)
4月2日
56 ラジオ福島
(RFC、福島市下荒子)
2012年
(平成24年)
4月2日
本局で流しているものを配信している。
57 エフエムラジオ新潟
(新潟市中央区幸西四丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
愛称:FM-NIIGATA。
58 新潟県民エフエム放送
(新潟市中央区万代二丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
愛称:FM PORT。
廃業により2020年(令和2年)7月1日午前0時をもって配信終了。
59 新潟放送
(BSN、新潟市中央区川岸町三丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
60 北日本放送
(KNB、富山市牛島町)
2012年
(平成24年)
4月2日
61 富山エフエム放送
(富山市奥田町)
2012年
(平成24年)
4月2日
愛称:FMとやま。
62 エフエム石川
(金沢市彦三町二丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
愛称:HELLO FIVE(ハローファイヴ)。
63 エフエム大分
(大分市府内町三丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
愛称:Air-Radio FM88。
64 大分放送
(OBS、大分市今津留三丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
65 宮崎放送
(MRT、宮崎市橘通西四丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
66 日経ラジオ社第二放送
(東京都港区虎ノ門一丁目)
2012年
(平成24年)
7月27日
愛称:ラジオNIKKEI。
第一放送とは異なり参加した時から全国で配信している。
67 南海放送
(RNB、松山市本町一丁目)
2012年
(平成24年)
11月1日
68 琉球放送
(RBC、那覇市久茂地二丁目)
2013年
(平成25年)
1月11日
愛称:RBCiラジオ。
69 CROSS FM
(北九州市小倉北区京町三丁目)
2014年
(平成26年)
4月30日
70 エフエム福島
(郡山市神明町)
2014年
(平成26年)
5月9日
愛称:ふくしまFM。
71 青森放送
(RAB、青森市松森一丁目)
2014年
(平成26年)
10月1日
72 栃木放送
(CRT、宇都宮市昭和二丁目)
2014年
(平成26年)
12月1日
73 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)
2014年
(平成26年)
12月1日
74 四国放送
(JRT、徳島市中徳島町二丁目)
2015年
(平成27年)
4月1日
75 高知放送
(RKC、高知市本町三丁目)
2015年
(平成27年)
4月1日
76 エフエム・ノースウェーブ
(札幌市北区北七条西四丁目)
2015年
(平成27年)
7月30日
77 Radio NEO
(名古屋市瑞穂区北原町一丁目)
2015年
(平成27年)
7月30日
廃業により2020年(令和2年)6月30日午後0時をもって配信終了。
初めてradikoでの配信を終了した放送局となっている。
78 山形放送
(YBC、山形市旅篭町二丁目)
2015年
(平成27年)
9月18日
79 エフエム岩手
(FMI、盛岡市内丸)
2015年
(平成27年)
9月30日
80 エフエム岐阜
(大垣市小野四丁目)
2016年
(平成28年)
4月1日
81 エフエム富士
(FMF、甲府市川田町)
2016年
(平成28年)
5月9日
82 山口放送
(KRY、周南市徳山)
2016年
(平成28年)
5月9日
83 エフエム仙台
(FMS、仙台市青葉区本町二丁目)
2016年
(平成28年)
9月29日
愛称:Date fm(デイトエフエム)。
84 エフエム青森
(AFB、青森市堤町一丁目)
2017年
(平成29年)
4月3日
85 エフエム愛媛
(松山市竹原町一丁目)
2017年
(平成29年)
4月3日
86 エフエム鹿児島
(鹿児島市東千石町)
2017年
(平成29年)
4月3日
愛称:μ(ミュー)FM。
87 秋田放送
(ABS、秋田市中通七丁目)
2017年
(平成29年)
6月1日
88 エフエム沖縄
(浦添市小湾)
2017年
(平成29年)
10月2日
89 ラジオ沖縄
(ROK、那覇市西一丁目)
2017年
(平成29年)
10月2日
90 山梨放送
(YBS、甲府市北口二丁目)
2017年
(平成29年)
10月10日
91 西日本放送
(RNC、高松市丸の内)
2017年
(平成29年)
11月1日
92 エフエム香川
(高松市西宝町一丁目)
2018年
(平成30年)
2月1日
93 エフエム山口
(FMY、山口市緑町)
2018年
(平成30年)
4月2日
94 福井エフエム放送
(福井市御幸一丁目)
2018年
(平成30年)
7月2日
愛称:エフエム福井。
95 エフエム高知
(高知市鷹匠町二丁目)
2020年
(令和2年)
3月2日
愛称:Hi-Six(ハイシックス)。
96 エフエム秋田
(AFM、秋田市八橋本町三丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
97 エフエム山形
(山形市松山三丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
愛称:Rhythm Station(リズムステーション)。
98 エフエム山陰
(FSK、松江市学園南一丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
愛称:V-air。
99 岡山エフエム放送
(岡山市北区中山下一丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
愛称:エフエム岡山。
100 エフエム宮崎
(宮崎市祇園二丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
愛称:JOY FM。
101 エフエム佐賀
(FMS、佐賀市本庄町袋)
2020年
(令和2年)
4月15日
102 エフエム徳島
(徳島市寺島本町西一丁目)
2020年
(令和2年)
9月1日
愛知国際放送
(名古屋市東区東桜一丁目)
愛称:RADIO-i。
愛知県に本社を置く都道府県域民間ラジオ放送局がradikoに参加する前の2010年(平成22年)9月30日をもって放送を終了して廃業したため参加せずに終わる。今年9月1日をもってradikoが存する時期に存在した都道府県以上の区域を放送区域とする民間ラジオ放送局で唯一radikoに参加したことのない放送局となった。

注3:InterFM897以外の全国FM放送協議会特別加盟社にはパラオ共和国国営放送(愛称:エコパラダイスFM)がある。
※パラオ共和国国営放送が全国FM放送協議会特別加盟社になったのはエフエム東京(愛称:Tokyo fm。東京都千代田区麹町一丁目)と日本航空(東京都品川区東品川二丁目)の支援により開局したという経緯があるからである。

注4:InterFM897は外国語放送局ではあるが、全国FM放送協議会(JFN)の特別加盟社になったことによりJFN系列の番組も放送できるようになった。今年11月2日からはJFN系列の平日午後のワイド番組「seasoning〜season your life with music〜」と「Happy Hour Party!」をネットすることになっている。

注5:エフエムくらしきが開局した時点では岡山県を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局はまだ開局していなかった。岡山県を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局、すなわち岡山エフエム放送が開局したのは1999年(平成11年)4月1日のことである。結局岡山エフエム放送はエフエムくらしきだけでなく岡山シティエフエムよりも遅く開局したことになる。

注6:1953年(昭和28年)5月18日時点の岡山県を通る国道路線は下表の通りである。

※下表で記した市区郡町村名は1953年(昭和28年)5月18日時点のものを記している。

種類 路線
番号
路線名称 起点 終点 備考
一級国道 2 (なし) 和気郡三石町
(兵庫県境)
小田郡城見村
(広島県境)
路線の起点は大阪市北区。
路線の終点は門司(もじ)市。
30 (なし) 岡山市 玉野市
(香川県境)
路線の終点は高松市。
玉野市〜高松市間は海上寸断区間。
二級国道 179 岡山・鳥取線 岡山市 勝田郡豊並村
(鳥取県境)
路線の終点は鳥取市。
180 岡山・松江線 岡山市 阿哲郡千屋村
(鳥取県境)
路線の終点は松江市(但し米子市〜松江市間は一級国道9号線と重用しているため事実上の終点は米子市となる)。
181 津山・米子線 津山市 真庭郡新庄村
(鳥取県境)
路線の終点は米子市(但し鳥取県日野郡根雨町〜米子市間は二級国道180号岡山・松江線と重用しているため事実上の終点は鳥取県日野郡根雨町になる)。

1953年(昭和28年)5月18日時点で岡山県には九つの市(岡山市・井原市・笠岡市・倉敷市・児島市・西大寺市・玉島市・玉野市・津山市)があったのだが、下表で示した通り岡山市と津山市以外は国道路線が市域を貫通するだけになっているか全く国道路線が設定されていないという状況になっていた。その背景は定かではないが、岡山市・津山市に比べて中枢性が低かったことや路線の設定のしようがなかったことなどが考えられる。

市名 通過路線 備考
一級国道 二級国道
岡山市 2号
30号
179号岡山・鳥取線
180号岡山・松江線
井原市 一級国道発足後の1953年(昭和28年)5月1日発足。
笠岡市 2号
倉敷市 2号
児島市
西大寺市 2号
玉島市 2号
玉野市 30号
津山市 179号岡山・鳥取線
181号津山・米子線

注7:初めて主要地方道路線が指定されたのは1954年(昭和29年)1月20日のこと(1954年〔昭和29年〕1月20日建設省告示第16号による)であるが、その時点で岡山県には九つの市(岡山市・井原市・笠岡市・倉敷市・児島市・西大寺市・玉島市・玉野市・津山市)があった。全ての市に鉄道路線が通っていたのだが、岡山県は市の代表駅と国道路線を結ぶ道路を主要地方道に指定するに当たって次に挙げる条件を定めた。
・国道路線が通っていない市は外す(第一条件)。
・鉄道路線が通っていても私鉄路線しかない市は外す(第二条件)。
・国鉄路線が通っていても代表駅と国道路線が近接したところにある市は外す(第三条件)。
その結果残ったのが岡山市・笠岡市・倉敷市・玉島市・津山市であった(井原市・児島市は第一条件・第二条件に、西大寺市は第二条件に、玉野市は第三条件にそれぞれ該当したため除外)。そして岡山停車場線・笠岡停車場線・倉敷停車場線・玉島停車場線・津山停車場線が主要地方道に指定されたのである。
岡山停車場線・笠岡停車場線・倉敷停車場線・玉島停車場線はいずれも岡山県南部を東西に貫いている国鉄山陽本線の駅の駅前広場を起点とする路線であるのに対して津山停車場線は岡山県北部を東西に貫いている国鉄姫新線と、岡山市と津山市を結んでいる国鉄津山線が交わる駅、すなわち津山駅の駅前広場を起点とする路線であった。この結果、津山停車場線は岡山県北部で唯一の主要地方道○○停車場線となった。
しかし、津山停車場線は終点の津山市京町/京町交差点で接続していた二級国道179号岡山・鳥取線(1953〜1963)→一級国道53号線(1963〜1965)が道路改良により主要地方道津山停車場線の津山市船頭町/船頭町交差点より南側の区域の大部分を編入する経路に変更したことで存在意義を失ったため1965年(昭和40年)3月31日岡山県告示第251号により廃止された。更に岡山県は前記の井原・児島・西大寺・玉野各市に加えて1954年(昭和29年)1月20日以降に発足した市、すなわち赤磐・浅口・瀬戸内・総社・高梁・新見・備前・真庭・美作各市については市の代表駅と国道路線を結ぶ道路を主要地方道に指定することは一切しなかったため現在岡山県北部には主要地方道○○停車場線は全く存在しない。
ちなみに現在岡山県に存在する主要地方道○○停車場線は県道41号新倉敷停車場線と県道42号岡山停車場線、県道44号笠岡停車場線の三つだけである(倉敷停車場線は1979年〔昭和54年〕に廃止され、玉島停車場線は1982年〔昭和57年〕に新倉敷停車場線に改称されている)。

注8:テレビせとうちが開局時に津山市に設置した中継局は津山南アナログ中継局(津山市井口。1985〜2011)である。津山市中心部の南方に聳える神南備山(エフエム津山が本局を置いていた山でもある)に設置されていた。福山市及びその周辺地域で出回っていた中国新聞朝刊のテレビ欄に「津山南29(ch)」と記されていた時期があった。
※岡山県・香川県の人口上位3都市は岡山市・倉敷市・高松市となるが、テレビせとうちの開局当時倉敷市に中継局が設置されなかったのは倉敷市中心部でテレビせとうちの本局(岡山市南区郡)が十分受信できるためである。

注9:ここでは便宜上現在の市区郡町村名を記している。

注10:津山市でコミュニティ放送局開局への動きが起き始めた2005年(平成17年)時点では栃木市と加古川市で予備免許を取得したのに開局に至れなかったコミュニティ放送局が出ていた。栃木市と加古川市ではその後コミュニティ放送局が開局しており、コミュニティ放送局のない市区町村ではなくなっている。
※ちなみに現在までに予備免許を取得したのに開局に至れなかったコミュニティ放送局が出た市区町村は栃木市と加古川市の他に横浜市都筑(つづき)区がある。横浜市都筑区では今のところ再挑戦への動きが起きていない。

注11:津山市でコミュニティ放送局開局への動きが起き始めた2005年(平成17年)時点では高松市と仲多度郡琴平町で廃業に追い込まれたコミュニティ放送局が出ていた。その後丸亀市でも廃業に追い込まれたコミュニティ放送局が出ており、香川県では結局5社中3社が廃業に追い込まれている(廃業者数〔3社〕は全国最多であり、廃業率〔60%〕は全国最悪である)。なお、仲多度郡琴平町にあったコミュニティ放送局、すなわちエフエムこんぴらは日本で初めて廃業に追い込まれたコミュニティ放送局として知られている。

注12:津山市内にあるラジオ局の中継局は下表の通りである。

※下表の「所在地」欄では津山市は省略している。

放送局名 中継局名 所在地 周波数 備考
NHKラジオ第一 津山 伏見町 927kHz 中継局は同じ場所にある。
NHKラジオ第二 津山 伏見町 1152kHz
NHK-FM 津山 上横野 85.5MHz
美作加茂 加茂町塔中 86.3MHz
RSK山陽放送 津山 林田 1494kHz 本局及び落合・笠岡・高梁・新見・備前各中波中継局と周波数は同じ。
岡山エフエム放送 津山 上横野 80.4MHz 笠岡・新見両中継局と周波数は同じ。

なお、現在のところNHK岡山放送局・RSK山陽放送とも津山市内への中波放送のエフエム補完中継局設置計画はない(現在岡山県にはRSK山陽放送ラジオ岡山エフエム中継局〔岡山市南区郡〕しかエフエム補完中継局がない。来年春までにNHK岡山放送局が高梁市内にラジオ第一のエフエム補完中継局を設置する予定になっているが詳細はまだ発表されていない)。

注13:やまがたシティエフエムは公式には2016年(平成28年)7月21日に放送を終了したとしているが、実は2016年(平成28年)7月22日午前0時23分9秒まで放送を行っている(そのことを記録した動画はこちら。その動画を見ると音楽〔洋楽。曲名不明〕が流れていたがその曲が終わらないうちに突然切れている)。よって、本サイトでは2016年(平成28年)7月22日に放送を終了したとしている。

注14:総務省九州総合通信局は総務省中国総合通信局とは異なってコミュニティ放送局の廃業に関する報道発表は一切行っていない。放送免許失効をもって廃業した九州地方にあったコミュニティ放送局としては福岡コミュニティ放送と宮崎シティエフエムがあるが、当時の報道資料(福岡コミュニティ放送…こちら/宮崎シティエフエム…こちら〔インターネットアーカイヴ〕)では放送免許更新の申請がなかったことを記しただけにとどめている。
※今年7月に熊本県南部の球磨(くま)川流域を中心とした地域で甚大な被害が出た集中豪雨の影響により、総務省九州総合通信局では福岡県・佐賀県・熊本県・大分県・鹿児島県の一部の市区町村について今年7月3日〜12月27日に期限が切れる無線局の免許の有効期間を今年12月28日まで延長する措置をとっている(その報道発表はこちら)。対象となった市区町村の中にはコミュニティ放送局があるところも少なくないことからいつ総務省九州総合通信局がコミュニティ放送局の免許更新に関する報道を発表するのかが気になるところである。

注15:名古屋市中区の場合は事情が複雑になっている。名古屋市中区を主たる放送区域とするコミュニティ放送局という観点からすれば名古屋中エフエムラヂオ放送のほうが開局が先になるのだが、本サイトでは次に挙げる観点から名古屋シティエフエム→MID-FMを先発局と見なしたほうが妥当だと解釈している。
・開局は名古屋シティエフエムのほうが1ヶ月ほどだが早かったこと。
・名古屋シティエフエムが演奏所を名古屋市中村区から名古屋市中区に移転させたのは
2005年(平成17年)のことであるが、名古屋市中区と名古屋市中村区は隣接していることを考えると名古屋シティエフエムは開局時点から名古屋市中区でも受信できていた可能性が高いこと。
・名古屋シティエフエムは本文でも触れたように放送区域内の高層建築物の増加による受信環境悪化を理由として廃業するのだが、MID-FMに出資するなどしてMID-FMの開局に協力し、後にMID-FMに吸収合併されていること。

注16:2015年(平成27年)10月1日実施の国勢調査によると津山市・高松市・宮崎市の人口は次の通りになる。
・津山市…10万3,746人
・高松市…42万748人
・宮崎市…40万1,138人

注17:予備免許取得から開局までの期間は必ずしも一定ではない。最近の中国地方におけるコミュニティ放送局の例(ここでは2009年〔平成21年〕以降に開局したものに限ることにする)を示すと下表の通りになる。

放送局名/所在地 予備免許取得
年月日
開局年月日 備考
エフエムハムスター
(広島市安佐南区祇園五丁目)
2009年
(平成21年)
3月26日
2009年
(平成21年)
5月11日
つやまコミュニティFM
(津山市南新座)
2009年
(平成21年)
7月29日
2009年
(平成21年)
12月24日
愛称:エフエムつやま。
DARAZコミュニティ放送
(米子市法勝寺町)
2010年
(平成22年)
3月18日
2010年
(平成22年)
6月1日
愛称:DARAZ FM。
エフエム津山
(津山市小田中)
2009年
(平成21年)
9月28日
2010年
(平成22年)
7月1日
愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。
経営難により2020年(令和2年)10月25日をもって放送を終了し、廃業した。
FM東広島
(東広島市西条下見六丁目)
2011年
(平成23年)
8月25日
2011年
(平成23年)
10月8日
FM山陽小野田
(山陽小野田市小野田)
2011年
(平成23年)
9月22日
2012年
(平成24年)
2月3日
愛称:FMサンサンきらら。
FMみはら
(三原市宮沖五丁目)
(記事なし) 2018年
(平成30年)
5月1日
愛称:FOR LIFE RADIO。
演奏所は三原市円一町二丁目にある。
総務省中国総合通信局の報道資料には予備免許取得に関する記事は見当たらない。
総務省公式サイトなどでは開局年月日を2018年(平成30年)3月19日としているが、本サイトでは自社制作番組の放送を開始した2018年(平成30年)5月1日を開局年月日としている。
現時点で中国地方最後発のコミュニティ放送局である。

予備免許取得に関する記事が見つからないところもあるが、上表から予備免許取得から開局までの期間は約1ヶ月半〜約9ヶ月とまちまちであることがうかがえる。

注18:例えば岡山エフエム放送は放送では愛称のエフエム岡山を用いており、正式の岡山エフエム放送を用いることは全くと言って良いほど見られない。

注19:スタジオ ア・ビアントは2017年(平成29年)9月に現在の場所に移転している。

注20:エフエム津山公式サイトの会社概要のページではどういうわけか2010年(平成22年)10月1日に開局したと記されている。

注21:中国地方または岡山県で1番目・5番目・10番目・15番目・20番目に開局したコミュニティ放送局は下表の通りである。

(中国地方)

番目 放送局名・所在地 開局年月日 備考
エフエムふくやま
(福山市西町二丁目)
1996年
(平成8年)
8月8日
愛称:レディオBINGO。
同じ日にはエフエム萩(愛称:FM NANAKO。萩市江向)も開局しているが本放送開始はエフエムふくやまのほうが少しだけだが早かった。
コミュニティエフエム下関
(下関市上田中町二丁目)
1998年
(平成10年)
7月6日
愛称:COME ON! FM。
10 エフエム周南
(周南市久米)
2003年
(平成15年)
10月7日
愛称:しゅうなんエフエム78.4。
演奏所は下松市中央町にある。
15 FM鳥取
(鳥取市幸町)
2006年
(平成18年)
8月25日
愛称:RADIO BIRD。
FM鳥取の開局により中国地方各県に一つはコミュニティ放送局が存在するようになった。
20 エフエム津山
(津山市小田中)
2010年
(平成22年)
7月1日
愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。
現時点で岡山県で最後に開局したコミュニティ放送局である。

経営難により2020年(令和2年)10月25日をもって放送を終了し、廃業した。

(岡山県)

番目 放送局名・所在地 開局年月日 備考
エフエムくらしき
(倉敷市白楽町)
1996年
(平成8年)
12月24日
岡山県初の民間エフエム放送局(エフエムくらしきが開局した時まだ岡山エフエム放送は開局していなかったため)。
中国地方では3番目に開局したコミュニティ放送局である。
中国地方にあるコミュニティ放送局では初めて中継局を設置したところでもある(開局と同時に設置)。
エフエム津山
(津山市小田中)
2010年
(平成22年)
7月1日
愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。
現時点で岡山県で最後に開局したコミュニティ放送局である。
経営難により2020年(令和2年)10月25日をもって放送を終了し、廃業した。

注22:「コミュニティFM大図鑑」の運営者がエフエム津山を訪ねたのは2010年(平成22年)8月の一度だけである。結局は初代本社・演奏所しか訪ねなかったことになる。

注23:「コミュニティFM大図鑑」のエフエム津山の記事では「外の騒音」が何かは記していないが、職員の話し声や電話の着信音などが考えられる。

注24:岡山シティエフエムは2012年(平成24年)春をもってJ-WAVEの再送信をやめており、岡山県にあるコミュニティ放送局では現在エフエムくらしきだけがJ-WAVEの再送信を行っている。

注25:エフエム津山の二代目本社・演奏所付近の「Googleストリートビュー」を見ると2013年(平成25年)2月時点ではエフエム津山が使っていた建物は残っていたのだが、その後解体され、2015年(平成27年)8月時点では砂利を敷いた駐車場になっている。最新の写真は2017年(平成29年)10月に撮影されたものであるが、それでは駐車場はアスファルトで舗装されている。

注26:重大事故報告書を期限内に提出しなければならないことは放送法第113条第2項と放送法施行規則第124条及び第125条第4項で明文化されている(総務省中国総合通信局の報道資料に添えられていた関係条文はこちらで閲覧できるので併せてご覧頂きたい)。

注27:つやまコミュニティFMと尾道エフエム放送が放送法に定められた重大事故報告書を提出しなければならなくなった事故は下表の通りである。

放送局名 事故の概要
つやまコミュニティFM ・2011年(平成23年)6月30日午前8時35分〜午前11時34分に落雷による中継回線設備のトラブルで放送を中断させたこと。
・2011年(平成23年)6月30日午後4時17分〜午後9時25分に落雷による中継回線設備のトラブルで放送を中断させたこと。
・2011年(平成23年)7月18日午後11時15分〜7月19日午前10時55分に落雷による中継回線設備のトラブルで放送を中断させたこと。
・2011年(平成23年)7月24日午後6時26分〜午後10時10分に落雷による中継回線設備のトラブルで放送を中断させたこと。
尾道エフエム放送 ・2011年(平成23年)7月23日午前5時10分〜午後2時29分に番組送出設備のトラブルで放送を中断させたこと。

注28:私が覚えているのは2008年(平成20年)8月14日の朝に中国放送テレビのアナログ放送本局(広島市南区黄金山町)に落雷があり、中国放送テレビのアナログ放送と、中国放送テレビのアナログ放送本局を本局として使用している広島エフエム放送が送信できなくなったことである(中国放送テレビのアナログ放送本局は広島市中心部を放送区域とするコミュニティ放送局・中国コミュニケーションネットワークも本局を置いているのだが放送が中断したかどうかは不明)。
※中国放送テレビのアナログ放送本局はテレビのアナログ放送終了により2011年(平成23年)7月25日午前0時をもって放送を終了し、廃止された(ちなみにアナログ放送の最後を飾ったのは2006年〔平成18年〕秋まで放送終了時に流れていた、正体非公表の女性がハープで「中国地方の子守唄」を演奏する映像であった)。その後は広島エフエム放送と中国コミュニケーションネットワークの本局が置かれていたが、2015年(平成27年)12月1日から中国放送ラジオの広島エフエム中継局としても使用されるようになっている。

注29:エフエム津山・つやまコミュニティFM・尾道エフエム放送が総務省中国総合通信局から厳重注意を食らった報道資料を見るとエフエム津山とつやまコミュニティFMの放送区域の世帯数は次の通りであると記されている。
・エフエム津山…約1万5千世帯
・つやまコミュニティFM…約4万6千世帯
今記したことからエフエム津山の放送区域の世帯数はつやまコミュニティFMのそれの3分の1程度であることが分かる。本局の設置場所の違いがくっきりと表れた格好になった。
ちなみに2010年(平成22年)10月1日実施の国勢調査によると津山市の人口は10万6,788人、世帯数は3万9,876世帯であったので明らかにつやまコミュニティFMは津山市外の地域(勝田郡・久米郡・苫田郡など)を放送区域に含めていたことがうかがえる。

注30:中国地方にあるコミュニティ放送局ではエフエムハムスター(広島市安佐南区祇園五丁目)が事業の見直しを図ることを目的として2013年(平成25年)4月1日から6月30日まで3ヶ月間放送を休止したことがある。エフエムハムスターはその後放送を再開し、現在も放送を行っている。

注31:エフエム津山公式サイトの763ちゃんを紹介するページ(それはこちら)によると763ちゃんの年齢設定は14歳になっている。

注32:中国地方にあるコミュニティ放送局で本社・演奏所を移転したところは下表の通りである。

県名 放送局名 所在地 使用開始
年月日
使用終了
年月日
備考
鳥取県 FM鳥取 鳥取市東品治町106番地
鳥取駅バスターミナル2階
2006年
(平成18年)
8月25日
2019年
(令和元年)
11月4日
鳥取市幸町71番地
鳥取市役所市民交流棟1階
2019年
(令和元年)
11月5日
(使用中)
島根県 エフエムいずも 出雲市里方町545番地 2003年
(平成15年)
4月16日
2017年
(平成29年)
10月8日
出雲市今市町743番地の22
島根日日新聞社本社2階
2017年
(平成29年)
10月9日
(使用中)
岡山県 エフエム津山 津山市戸川町6番地の1
坂本ビル1階
2010年
(平成22年)
7月1日
2011年
(平成23年)
1月31日
津山市鉄砲町114番地 2011年
(平成23年)
2月1日
2012年
(平成24年)
2月29日
放送休止をもって使用終了。
津山市小田中2193番地の1
ウェストマートビル2階
2012年
(平成24年)
8月20日
2020年
(令和2年)
10月25日
放送再開と同時に使用開始。
2020年(令和2年)10月25日閉局。
つやまコミュニティFM 津山市京町41番地 2009年
(平成21年)
12月24日
2013年
(平成25年)
6月30日
津山市南新座34番地
アリコベール・しんざ202号室
2013年
(平成25年)
7月1日
(使用中)
広島県 尾道エフエム放送 尾道市土堂二丁目3番23号 1999年
(平成11年)
6月1日
2016年
(平成28年)
11月27日
尾道市東御所町10番1号
しまなみ交流館1階
2016年
(平成28年)
11月28日
(使用中)
FMはつかいち 廿日市市住吉一丁目5番26号
ローレルコート廿日市住吉1階
2008年
(平成20年)
2月23日
2015年
(平成27年)
5月31日
廿日市市下平良二丁目2番1号
ゆめタウン廿日市3階
2015年
(平成27年)
6月1日
(使用中)
山口県 FMながと 長門市東深川803番地の8
ショッピングセンターWAVE
屋上2階
2005年
(平成17年)
2月25日
2019年
(令和元年)
12月14日
長門市仙崎字網田322番地の2
フジ長門店1階
2019年
(令和元年)
12月15日
(使用中)
ぷらざFM 防府市八王子二丁目8番9号
デザインプラザHOFU1階
2004年
(平成16年)
12月12日
2016年
(平成28年)
4月17日
防府市栄町一丁目5番1号
ルルサス防府1階
2016年
(平成28年)
4月18日
(使用中)

中国地方にはコミュニティ放送局はこれまでに23社存在したのだが、このうちの8社が本社・演奏所の移転を経験している。しかし、エフエム津山以外の7社は移転は一度だけであり、更にエフエム津山以外の7社は開局当時の本社・演奏所は最低でも3年半は使用している。このように考えるとエフエム津山が最初の本社・演奏所をわずか7ヶ月で放棄したことと、二代目の本社・演奏所も放送休止をもって放棄したこと(使用期間は1年1ヶ月…)はどうなんだろうと思えてくる。もし最初の本社・演奏所から動かないで放送を続けたとしたら違う結果があったのでは…と思うのは私だけだろうか。

注33:エフエム津山の三代目本社・演奏所が面している市道、すなわち都市計画道路新錦橋・押入線は国道53号線のバイパスにもなり得る存在である。エフエム津山の三代目本社・演奏所前から東進して津山市中心部を通り抜けると津山市高野本郷/高野交差点で国道53号線や国道429号線と接続するし、反対にエフエム津山の三代目本社・演奏所前から西進すると津山市二宮/二宮交差点で国道53号線津山バイパス(津山市皿/津山市皿交差点津山市二宮/津山バイパス北口交差点〔交差点名標なし〕間)と接続する県道338号市場・津山線と接続するからである。国道53号線津山バイパス→県道338号市場・津山線→都市計画道路新錦橋・押入線を通れば津山市中心部を通る国道53号線の迂回路になるというわけであるが、案内が十分ではないことと遠回りになること、国道53号線現道と同様に一本道ではないこと(つまり何度か右左折を経る必要があること)などの難点を有している。
※国道53号線津山バイパスは津山市二宮で鳥取方面に延伸する意思を構造物に残しながら途切れたままになっている。津山市公式サイト(それはこちら)で都市計画参考図が閲覧できるのだが、津山市二宮以北については計画線は一切記されていない。また、国道53号線津山バイパスは津山市平福で国道53号線津山南道路と接続することになっているのだが、この国道53号線津山南道路は久米郡美咲町打穴中(うたのなか)で県道159号久米・中央線と接続することになっている。つまり、国道53号線津山南道路が開通すると久米郡美咲町から津山市にかけての地域に南端も北端も国道53号線現道に直接接続しない国道53号線バイパスが出現することになる。国土交通省中国地方整備局(広島市中区上八丁堀)はこのことをどのように考えているのだろうか。

注34:この時は中国地方にあるコミュニティ放送局21社が放送免許更新を行っているのだが、なぜか総務省中国総合通信局公式サイト(それはこちら)の報道資料(2015年度〔平成27年度〕分はこちら)にはそのことは掲載されていない。

注35:くらしき作陽大学・作陽短期大学や作陽高等学校移転予定地が面している県道60号倉敷・笠岡線は実は全線開通すれば岡山市北区学南町二丁目/学南町交差点から浅口市鴨方町鴨方/鴨方高校西交差点(交差点名標なし)まで一度も右左折を経ずに走行できる幹線道路の一部になることになっている。現在倉敷市船穂町船穂倉敷市玉島長尾間と倉敷市玉島道口浅口市金光町下竹間、浅口市金光町占見新田(うらみしんでん)浅口市金光町占見(うらみ)間の3箇所が未開通になっている。このうち倉敷市船穂町船穂倉敷市玉島長尾間と倉敷市玉島道口浅口市金光町下竹間については現在岡山県によって建設が進められている(浅口市金光町占見新田浅口市金光町占見間は交通量がそんなに多くないことや建設を急ぐ事情がないこと、民家が多数建っており、用地買収が難航する可能性が高いことなどから未着手。恐らく今後の交通量の変化を見た上でどうするか決めるのだろうが…)。
岡山市北区学南町二丁目/学南町交差点から浅口市鴨方町鴨方/鴨方高校西交差点(交差点名標なし)まで一度も右左折を経ずに走行できる幹線道路は実は浅口市鴨方町鴨方/鴨方高校西交差点(交差点名標なし)から更に西進し、浅口郡里庄町新庄/新庄橋東詰交差点(交差点名標なし)まで延びる予定になっていた。しかし、浅口市と浅口郡里庄町による都市計画道路の見直しにより浅口市鴨方町深田/鴨方高校西交差点(交差点名標なし)浅口郡里庄町里見/玉島警察署里庄東駐在所北交差点(信号機・交差点名標なし)間の都市計画道路の計画は廃止されたため岡山市北区から浅口郡里庄町まで延びる長大な幹線道路の計画は幻と化してしまった。

注36:エフエム津山廃業時点における津山市で受信可能なラジオ局(中波・エフエムのみ)のインターネットサイマル配信サービスへの参加状況は下表の通りである。

放送局名 参加サービス名 備考
NHKラジオ第一 radiko
広島拠点放送局のものを配信。
地域外配信や聴き逃し配信には対応していない。
NHKネットラジオ
らじる★らじる
基幹局(本部・札幌拠点・仙台拠点・名古屋拠点・大阪拠点・広島拠点・松山拠点・福岡拠点)のものを配信。
NHKラジオ第二 NHKネットラジオ
らじる★らじる
本部(東京都渋谷区神南二丁目)のものを配信。
※NHKラジオ第二はradikoでは試験配信は行ったが正式参入は見送っている。
NHK-FM radiko 本部のものを配信。
聴き逃し配信には対応していない。
NHKネットラジオ
らじる★らじる
基幹局(本部・札幌拠点・仙台拠点・名古屋拠点・大阪拠点・広島拠点・松山拠点・福岡拠点)のものを配信。
RSK山陽放送 radiko
岡山エフエム放送 radiko
ドコデモFM
エフエム津山
つやまコミュニティFM TuneIn Radio

注37:エフエム津山と長崎シティFMの共通点は次の通りである。
対抗関係にあるコミュニティ放送局は特定非営利活動法人が運営している(長崎シティFMと対抗関係にあるコミュニティ放送局の正式名称は特定非営利活動法人長崎市民エフエム放送)。
同じ市区町村にあるコミュニティ放送局としては後発局となっている(エフエム津山はつやまコミュニティFMより半年ほど、長崎シティFMは長崎市民エフエム放送より3ヶ月ほどそれぞれ開局が遅い)。
対抗関係にあるコミュニティ放送局より受信可能範囲が狭い(エフエム津山の場合は本文で触れている。長崎シティFMの場合はこちらを参照して頂きたい)。
・公式サイトの更新がある時期からあまり行われなくなった(エフエム津山の公式サイトは番組表だけは廃業半年前まで更新されているが、長崎シティFMの公式サイト〔それはこちら〕は2013年〔平成25年〕秋頃を最後に完全に更新が途絶えている)。
・拠点都市であるため所属する県を放送区域とするラジオ放送局全てが中継局を設置しており、対抗関係にある放送局が多数存在する格好になっている(長崎シティFMの場合、対抗関係になる都道府県域ラジオ放送局はNHK長崎放送局〔長崎市西坂町〕・長崎放送ラジオ〔NBC、長崎市上町〈うわまち〉〕・エフエム長崎〔長崎市栄町〕の3社となる)。
・人口が減少傾向にある都市を放送区域としている(特に長崎市は最近人口減少が著しい。2015年〔平成27年〕10月1日実施の国勢調査によると長崎市の人口は42万9,508人、福山市の人口は46万4,811人となっており、長崎市の人口が福山市のそれより少なくなっていたのには驚いたものである)。
・聴取者の支持を失うようなことをしている(エフエム津山は本文で書いた通りだが、長崎シティFMは公式サイトの更新が2013年〔平成25年〕秋以降途絶えたことに加えて2019年〔令和元年〕6〜7月に機器の不調が発生したのになかなか修理できず、一部の番組を結局打ち切らざるを得なくなる事態を起こしている〔そのことはこちらのブログで記されている〕)。
・本社・演奏所を移転した頃からおかしくなった(エフエム津山の場合は本文で触れている。長崎シティFMの場合は2013年〔平成25年〕頃に長崎市旭町6番1号にあるタワーシティ長崎タワーコート〔場所はこちら〕の2階から長崎市江戸町2番28号にある竹馬ビル〔場所はこちら〕の3階に移転したのだが、その頃から公式サイトの更新が完全に途絶えてしまった。長崎シティFMが本社・演奏所を移転した理由は不明だが、タワーシティ長崎タワーコートが28階建て、竹馬ビルが4階建てであることを考えると経営難により部屋の使用料の安い建物に移転することにしたことが考えられる)。
・廃業時点の本社・演奏所が分かりにくい(エフエム津山の場合は本文で触れている。長崎シティFMの場合は竹馬ビル3階東側の窓ガラスに「長崎シティFM」と記されているのが唯一の本社・演奏所を示す物件だった。ただ、それが表示されたのが移転からかなりの時間が経過してから〔「Googleストリートビュー」によると2015年〈平成27年〉1月〜2017年〈平成29年〉3月のどこかの時期〕であり、なぜ移転後すぐに存在を示す物件を取り付けなかったのかという疑問が残る)。
・あまり聴かれていなかったのか、廃業に関するブログの記事が全くと言って良いほど見当たらない(エフエム津山は未発見。長崎シティFMについては「白衣シリーズ研究所」というブログの今年4月30日公開の記事「起床音楽4月30日」に長崎シティFMがその日をもって放送を終了するとの記述があるくらいである)。
・放送局に関係する方のサイト・ブログ・SNSで廃業に関する記述が全くと言って良いほど見当たらない(エフエム津山については石原浩治〔いしはら・こうじ〕さんのFacebookページ〔それはこちらがあるだけ。長崎シティFMについては長崎シティFMで番組をいくつか持っていた下田千里〔しもだ・ちさと〕さん〔男性。DJ下田と名乗る場合もある〕のFacebookページ〔それはこちら〕に詳細は書いていないがそれを匂わせる投稿が見られる〔投稿したのは廃業前日の今年4月29日〕)。
・最期(閉局時)の様子が全く不明である。
・未だに公式サイトなどで閉局に対するお詫びや閉局の挨拶を公開していない(長崎シティFMはFacebookのアカウント〔それはこちら〕は取得していたが廃業したとの情報を得た時点では既に閉鎖されていた)。
・廃業したことが広く知られていないからか、エフエム津山または長崎シティFMの関係者から連絡が来ていないからか、あるいはエフエム津山または長崎シティFMの聴取者から指摘がないからかは分からないがエフエム津山または長崎シティFMがネットしていた番組の公式サイトなどを見ると未だにエフエム津山または長崎シティFMが存続し、番組をネットしているように書いてあるものがある。

注38:2015年(平成27年)10月1日実施の国勢調査によると津山市と長崎市の人口は次の通りになる。
・津山市…10万3,746人
・長崎市…42万9,508人

注39:尾道市はいわゆる平成の大合併で周辺の1市3町を編入したことにより現在は10万都市に返り咲いている。
※ちなみに尾道市も三原市も周辺自治体との合併が10万都市になった理由である。余談だが尾道市・三原市よりも早く広島県南東部で10万都市になった、言い換えれば広島県南東部で初めて10万都市になった福山市も10万都市になった理由は周辺自治体との合併であった。

注40:実は広島エフエム放送も小規模ではあるが今年5月に番組改編を行っている。平日午後の自社制作のワイド番組で午後1時30分〜午後4時50分に放送されていた「DAYS!」の放送時間を月曜日〜水曜日は午後1時30分〜午後4時に、木曜日は午後1時30分〜午後4時20分にそれぞれ変更し、「DAYS!」が流れなくなった時間帯にはジャパンエフエムネットワーク制作の番組や新たな自社制作番組を設定している。

注41:喋り手の石原浩治さんのYouTubeページ(それはこちら)及びFacebookページによると「イッシーのビシ叩きドラミーゴ」は9月いっぱいで終了したとのこと(本放送…9月24日/再放送…9月26日)である。「イッシーのビシ叩きドラミーゴ」の後番組は不明である。
石原浩治さんはエフエム津山は今年9月末で閉局することを番組の終了理由として挙げているが、何度も記している通り現実には9月末ではエフエム津山は閉局していない。何があってそのように伝わったのだろうか。

注42:私が津山市に行く際に通った国道429号線は久米郡美咲町・津山市境は三度通過する。平成の大合併が行われる前の久米郡美咲町から津山市にかけての地域の国道429号線の通過自治体は久米郡旭町(1953〜2005)→久米郡久米町(1955〜2005)→久米郡中央町(1955〜2005)→津山市となっていたのだが、久米郡旭・中央両町が久米郡柵原(やなはら)町(1955〜2005)と統合して久米郡美咲町に移行したことや久米郡久米町が勝田郡勝北(しょうぼく)町(1955〜2005)・苫田郡加茂町(1924〜2005)・苫田郡阿波村(1889〜2005)とともに津山市に編入されたことからこのようになっている。
※苫田郡阿波村の市制町村制施行当時の所属郡は東北条(とうほくじょう)郡(?〜1661/1698〜1900)。所属郡が苫田郡になったのは1900年(明治33年)4月1日に西西条(さいさいじょう)・西北条(さいほくじょう)・東南条(とうなんじょう)各郡と統合して苫田郡が発足した時からである。

注43:リンク先はレイクALSA(レイクALSAとは新生フィナンシャルが提供しているカードローン商品の名称)の公式サイトにしている。

注44:実はつやまコミュニティFMとエフエム津山が相次いで予備免許を取得した頃、(中国地方での話ではないのだが)横浜市都筑区を放送区域とするコミュニティ放送局・エフエムつづき(横浜市都筑区中川一丁目。周波数:83.0MHz)が予備免許を取得したのだが、開局に向けた動きが停滞し、結局開局できずに終わってしまったという話があった。エフエムつづきの開局計画頓挫の理由は明らかになっていないのだが、私は開局に動いていた方々の中で何らかの問題が生じたことが原因ではないかと考えている。
※私がエフエムつづきの開局計画頓挫の理由を開局に動いていた方々の中で生じた何らかの問題ではないかと考える理由は次の通りである。
・横浜市都筑区の情報を紹介しているブログ「うちの街 都筑!」(運営者の内野敏〔うちの・あつし〕さんはエフエムつづきの番組審議委員会に参加していた)によるとエフエムつづきの番組審議委員会は予備免許取得1ヶ月後の2009年(平成21年)9月に開催された(そのことに触れている記事はこちら)のだが、第二回の番組審議委員会はそれから8ヶ月半も後の2010年(平成22年)6月になってようやく開催されていること(そのことに触れている記事はこちら)。
・「うちの街 都筑!」の第二回番組審議委員会に関する記事で社長が交代したという記述が見られること。
・「うちの街 都筑!」の第二回番組審議委員会に関する記事に「番組審議委員会の出席率が低い」とか「今までの経緯もあり、本当に2010年(平成22年)中に開局するかどうかは分からない」というような今後が不安視される記述が見られること。
・「うちの街 都筑!」の第二回番組審議委員会に関する記事で開局計画が遅れている主たる理由は現在の経済情勢であると記されているが、そういう状況でも米子市・津山市・広島市安佐南区などでコミュニティ放送局が開局できていることを考えると疑わしくなってくること。
・第二回番組審議委員会開催以降「うちの街 都筑!」にはエフエムつづきに関する記事は一切出てこないこと。
・エフエムつづきの開局に向けて動いていた方々は開局計画頓挫に関して一切釈明などしていないこと。
・横浜市都筑区ではその後コミュニティ放送局開局への動きが起きていないこと。
・エフエムつづきの開局計画頓挫に関して何が原因だったのかを記したブログなどが一切見当たらないこと。
エフエムつづきの開局計画は2005年(平成17年)頃からあったことや予備免許を取得したこと、本社・演奏所・本局の位置(本社・演奏所…横浜市都筑区中川一丁目・ハウスクエア横浜内/本局…横浜市都筑区茅ヶ崎中央〔ちがさきちゅうおう〕・横浜市都筑区役所屋上)を定めたこと、公式サイト(それはこちら。無論既に閉鎖されている)を設置したところまで進んだことを考えると開局計画の頓挫は非常に残念だと思う。もしその理由が本当に開局に動いていた方々の中で生じた何らかの問題だったとしたら第三者に仲裁を求めるなどして円満に解決させ、開局に漕ぎ着ける努力があっても良かったのではないかと思いたくなる。それすらなかったということは開局計画を頓挫させた問題はかなり深刻なものだったのだろうか。私としてはそこが気になる。
エフエムつづきの開局計画頓挫から10年が経過したが、もう勘弁してくれという声が未だに多くある中で私は横浜市都筑区でのコミュニティ放送局開局計画は復活させて頂きたいと考えているところである。その理由は次の通りである。
・横浜市はエフエムつづきの開局計画頓挫後に起きた東北地方太平洋沖地震で大きな揺れ(最大で震度5強〔横浜市中区〕)を観測しており、建物の損壊などの被害も出ていること(この時なぜ開局計画を再燃させようという声が起きなかったのだろうか。そのためのコミュニティ放送局だということは認識していたはずであるが、そういう声が出なかったところを見ると開局計画が頓挫した要因はかなり深刻なものだったのだろう)。
・横浜市は間もなく発生から100年となる関東地震(関東大震災。1923年〔大正12年〕9月1日)で甚大な被害を受けていること。
・横浜市都筑区は横浜市港北区と横浜市緑区のそれぞれ一部の地域を再編して1994年(平成6年)11月6日に発足した、横浜市で最も新しい行政区の一つであり、区民の象徴になるようなものがあっても良いのでは…と思うこと。
・予備免許取得まで進みながら開局計画が頓挫したコミュニティ放送局がある栃木市・加古川市ではその後コミュニティ放送局が開局したため横浜市都筑区は未だに改めて開局計画が浮上していない唯一の市区町村になっていること。
・開局計画頓挫から10年が経過しており、開局計画頓挫で生じたトラウマは薄れつつあると考えられること。
・開局計画に動いた方々も何が良くなかったのかを冷静になって考えられるようになっているのではないかと思うこと。
新型コロナウィルス感染症の影響など難しい面はあるが、いつか本サイトで横浜市都筑区でコミュニティ放送局が開局したことを書ける日が来ることを願ってやまない。

注45:記すまでもないが受信は可能だが中継局が設置されていないところは放送区域外となると考えているため記していない。

注46:2010年(平成22年)10月1日と2015年(平成27年)10月1日に実施された国勢調査における岡山県北西部(津山市・美作市・英田郡・勝田郡・久米郡・苫田郡)の市町村の人口は下表の通りである。

市区郡町村名 読み方 人口(単位:人) 備考
2010年
(平成22年)
2015年
(平成27年)
津山市 つやま/し 106,788 103,746
美作市 みまさか/し 30,498 27,977
英田郡西粟倉村 あいだ/ぐん/にしあわくら/そん 1,520 1,472
勝田郡勝央町 かつた/ぐん/しょうおう/ちょう 11,195 11,125
勝田郡奈義町 かつた/ぐん/なぎ/ちょう 6,085 5,906
久米郡久米南町 くめ/ぐん/くめなん/ちょう 5,296 4,907
久米郡美咲町 くめ/ぐん/みさき/ちょう 15,642 14,432
苫田郡鏡野町 とまた/ぐん/かがみの/ちょう 13,580 12,847
合計 190,604 182,412

注47:「よっしー」という名称は津山市中心部を東西に流れている岡山県三大河川の一つである吉井川に由来する。

注48:「かくざん」という名称は津山市随一の観光名所である津山城跡(津山市山下〔さんげ〕)の別名に由来する。

注49:反対にエフエム津山以外で過去には再送信を行っていたが現在はやめているところとしては岡山シティエフエム・中国コミュニケーションネットワーク・ぷらざFM(愛称:FMわっしょい。防府市栄町一丁目)がある。

注50:中国地方ではDARAZコミュニティ放送(愛称:DARAZ FM。米子市法勝寺町〔ほっしょうじまち〕)が開局した時からフィラーとして採用していたことがあったが、2014年(平成26年)5月末をもって取りやめている。DARAZコミュニティ放送はFM802の再送信を取りやめると同時に終夜放送も取りやめており、現在は毎日午前1時〜午前5時は放送休止時間に充てている。

注51:現在FM802をフィラーとして取り入れているコミュニティ放送局はびわこキャプテン(愛称:FMひがしおうみまたはRadio Sweet。東近江市八日市上之町)だけになっている。

注52:中国地方にあるコミュニティ放送局でJFL系列に属する都道府県域民間エフエム放送局の再送信を取りやめたところは下表の通りである(掲載順は再送信を取りやめた順としている)。

放送局名/所在地 再送信を
行っていた放送局
再送信
終了年月日
備考
エフエム津山
(津山市小田中)
J-WAVE 2012年
(平成24年)
2月29日
愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。
経営事情が理由と思われる放送休止をもって再送信取りやめ。
2012年(平成24年)8月20日に放送を再開したが、J-WAVEの再送信は再開しなかった。
経営難により2020年(令和2年)10月25日をもって放送を終了し、廃業した。
岡山シティエフエム
(岡山市北区中山下二丁目)
J-WAVE 2012年
(平成24年)
3月31日
愛称:Radio momo。
同じくJ-WAVEの再送信を行っているエフエムくらしきとの住み分けを図るためJ-WAVEの再送信を取りやめたものと思われる。
ぷらざFM
(防府市栄町一丁目)
J-WAVE 2012年
(平成24年)
9月30日
愛称:FMわっしょい。
DARAZコミュニティ放送
(米子市法勝寺町)
FM802 2014年
(平成26年)
5月31日
愛称:DARAZ FM。
FM802の再送信取りやめと同時に終夜放送も取りやめ、現在は毎日午前1時〜午前5時に放送休止時間を設定している。
中国コミュニケーションネットワーク
(広島市中区土橋町)
J-WAVE 2016年
(平成28年)
3月31日
愛称:ひろしまPステーション(2000〜2008)→エフエムちゅーピー。

注53:2015年(平成27年)10月1日実施の国勢調査によると高知県の人口は72万8,276人である。その高知県の人口を上回る市区町村は東京都世田谷区(2015年〔平成27年〕10月1日実施の国勢調査によると90万3,346人)だけである。ちなみに東京都世田谷区にはコミュニティ放送局が既に存在し、そのコミュニティ放送局、すなわち世田谷サービス公社(愛称:エフエム世田谷。東京都世田谷区太子堂三丁目)制作の番組のいくつかは各地のコミュニティ放送局でネットされている。

注54:かにかも放送の放送終了年月日は「TOPPY.NET-INSIDE NAGOYA-」の一コーナー「TOPPYのくびったけブログ」の2010年(平成22年)8月22日の記事「電波も停まったFMでんでん―かにかも放送」による。ちなみにその日は可児市周辺では梅雨末期の集中豪雨で甚大な被害が発生していたのだがそういう状況だったため全く役に立たなかったという。

注55:FMしまじりというコミュニティ放送局は現在沖縄県島尻郡与那原町を中心とした地域を放送区域として盛業中である。そのため南城市を中心とした地域で放送を展開していたFMしまじりについてはFMしまじり(初代)と表記することにしている。
※現在のFMしまじり、すなわち二代目FMしまじり(沖縄県島尻郡与那原町上与那原)は初代FMしまじりを運営していた業者が沖縄県島尻郡与那原町で開局させたコミュニティ放送局である。また、南城市を中心とした地域を放送区域とするコミュニティ放送局は南笑事が継承し、現在も盛業中である。どちらもFMしまじり(初代)とはコールサインが異なるため本サイトではFMしまじり(初代)とは別業者と見なしている。

注56:廃業したコミュニティ放送局ではBIWA WAVEとエフエム・セトが近隣のコミュニティ放送局の支援を受けていたが経営改善がならないなどの理由から支援を打ち切られている。

注57:すまいるエフエム→クローバーメディア→コミュニティシェアFMが放送区域としている朝霞・志木・新座・和光各市は国道254号線または東武鉄道東上本線で東京都区部と結ばれていることや朝霞・新座・和光各市は東京都と境を接していること、新座市片山三丁目の中に東京都練馬区西大泉町の飛び地(場所はこちら)があることなどから東京都との結び付きが強い。
※「国道254号線または東武鉄道東上本線…」と書いたのは東武鉄道東上本線はコミュニティシェアFMが放送区域としている四つの市全てを通り、なおかつ各市に駅を一つは設置しているのに対し国道254号線は現在は志木市は通過していないためである。但し現在志木市内では国道254号線和光・富士見バイパスが建設されており、将来は国道254号線の通過自治体になることになっている。

注58:すまいるエフエム→クローバーメディア→コミュニティシェアFMが使ってきた周波数は76.7MHz(2007〜2018)→77.5MHz(2018〜)であるが、76.7MHzはフラワーコミュニティ放送(愛称:フラワーラジオまたはエフエムこうのす。鴻巣〔こうのす〕市東一丁目)が、77.5MHzはエフエムナックファイブ(さいたま市大宮区錦町)の秩父(ちちぶ)中継局(秩父市黒谷)がそれぞれ使用している。76.7MHzを使用していた時はフラワーコミュニティ放送との混信を回避するため出力は1wに抑えられており、放送区域内であっても受信できないところが少なくなかったという(周波数変更と同時に出力は10wに増強している)。

注59:例えば次のようなことが挙げられる。
・ある時期から公式サイトやSNSの更新がなされなくなった。
・喋り手が急病・逝去などの理由で出演不能になったなどの事情がないのに番組が予告もなく打ち切られた。
・ほとんどの聴取者が支持しないような何か変な番組を設定するようになった。
・自社制作番組が極端に少なくなった。
・放送を継続するに当たって重大な問題(機器の不調が起きたがなかなか修繕できないなど)が起きたことがSNSやブログなどで記されている。

注60:隠れ放送区域重複に苛まれた中国地方にあるコミュニティ放送局としてはエフエムゆめウェーブ→笠岡放送や五日市コミュニティ放送が挙げられる。その状況は下表の通りである(エフエムゆめウェーブ→笠岡放送については本文で触れているが改めて記すことにしたことをご了承願いたい)。

放送局名 主たる放送区域 受信可能な近隣の
コミュニティ放送局
備考
エフエムゆめウェーブ→
笠岡放送
浅口市
笠岡市
浅口郡里庄町
エフエムくらしき
エフエムふくやま
エフエムくらしきは浅口市金光(こんこう)地区などで、エフエムふくやまは笠岡市などでそれぞれ受信可能。
笠岡市の西隣にある福山市の西隣にある尾道市を主たる放送区域としている尾道エフエム放送とは周波数が近接している上に同じ番組を流している時間帯が多く、混同や混信の可能性がある(周波数はエフエムゆめウェーブ→笠岡放送が79.2MHz、尾道エフエム放送が79.4MHz)。
自社制作番組の縮小などを経て今年3月31日に親会社のケーブルテレビ業者・笠岡放送に吸収合併され、新生を期すことになった。但し現時点で放送時間が1時間以上の自社制作番組が復活するなどの動きはない。
五日市コミュニティ放送 広島市佐伯区 中国コミュニケーションネットワーク
FMはつかいち
中国コミュニケーションネットワーク・FMはつかいちとも広島市佐伯区五日市地区中心部などで受信可能。
FMはつかいちは五日市コミュニティ放送が体制立て直しのため放送を休止していた時期に開局した上に結局五日市コミュニティ放送は放送再開を断念して廃業したため五日市コミュニティ放送とFMはつかいちが同時に放送していた時期は存在しない。
自社制作番組の縮小などを経て2007年(平成19年)12月1日から体制立て直しを目的として放送を休止したが放送再開はならず、2008年(平成20年)3月31日をもって廃業した。

注61:エフエム津山廃業時点における津山市を放送区域に含めているラジオ局(中波・エフエムのみ)の終夜放送実施状況は下表の通りである。

放送局名 終夜放送実施状況 備考
NHKラジオ第一 実施している 定期的な放送休止は設定していない。
NHKラジオ第二 実施していない 毎日午前0時40分〜午前6時に放送休止を設定している。
NHK-FM 実施している 定期的な放送休止は設定していない。
RSK山陽放送ラジオ 実施している 月曜日午前1時〜午前4時に放送休止を設定している。
岡山エフエム放送 実施している 月曜日午前1時〜午前5時に放送休止を設定している。
エフエム津山 実施している 定期的な放送休止は設定していない。
つやまコミュニティFM 実施している 定期的な放送休止は設定していない。

注62:総務省は民間中波放送局のエフエム補完放送実施に当たり今年3月31日までに開局させないと周波数の割り当てを破棄すると決めていた。結局今年3月16日をもって全ての民間中波放送局がエフエム補完放送を実施するようになったのだが、エフエム補完放送開始が周波数割り当て破棄期限間近の今年2〜3月になったところ、すなわちRFラジオ日本(RF、横浜市中区長者町五丁目)・西日本放送ラジオ・高知放送ラジオ(RKC、高知市本町三丁目)に対して一刻も早くエフエム補完放送を開始するように指導を入れたのではないかと私は疑っているところである。民間中波放送局の大半はテレビ局を兼営していることやテレビ放送のデジタル化移行からまだ数年しか経っていないのに多額の出費を要する施策を決めたことを考えると周波数割り当て破棄期限は定めないか周波数割り当て破棄期限を何年か繰り下げるかすればもう少しゆとりを持って取り組めたのではないかと思うのは私だけだろうか。
※RFラジオ日本・西日本放送ラジオ・高知放送ラジオについてエフエム補完放送を実施すべき要因と取り組みが遅れた理由を示すと下表の通りになる。

放送局名 エフエム補完放送を実施すべき要因 取り組みが遅れた理由
RFラジオ日本 ・RFラジオ日本の放送区域である神奈川県は横浜市や川崎市など人口が多く、高層建築物が林立する都市が多いこと。
・RFラジオ日本の放送区域である神奈川県は関東地震で甚大な被害を受けていること。
・RFラジオ日本の放送区域である神奈川県は東北地方太平洋沖地震でも被害を受けた地域があること。
・RFラジオ日本の放送区域である神奈川県は相模(さがみ)湾や東京湾に面しているため高波被害に遭いやすいこと。
・RFラジオ日本は本局(川崎市幸区小向仲野町)・小田原中波中継局(小田原市桑原)とも川のそばにあり(本局…多摩川/小田原中波中継局…酒匂〔さかわ〕川)、浸水被害を受ける恐れがあること。
・1982年(昭和57年)にいわゆる「社会の木鐸(ぼくたく)」宣言をしたことを契機として経営が悪化したこと。
・「社会の木鐸」宣言をした社長(後に会長に就任)を1993年(平成5年)暮れに追放したことで「社会の木鐸」宣言は撤回されたが、今も当時の影響が強く残っていること。
・神奈川県を放送区域とする民間中波放送局であるが、自社制作番組のほとんどが東京支社(東京都港区麻布台〔あざぶだい〕二丁目)で制作されているため神奈川県民に浸透し切れていない面があること。
・神奈川県は東京のベッドタウンとして人口が大きく増えた地域が多く、その地域では県民意識が高まっているとは言えないためRFラジオ日本があまり浸透しなかったこと。
・RFラジオ日本の放送区域である神奈川県は近隣都県に本社のある民間ラジオ放送局が多く受信できるところであるため経営がかなり厳しくなっていること。
・放送施設が災害で被災することはともかくとして、受信困難地域が少なかったためエフエム補完放送は必要ないと考える職員が少なくなかったこと。
西日本放送 ・西日本放送の本社がある高松市は四国地方を代表する都市の一つであり、高層建築物が林立していること。
・西日本放送ラジオは本局(高松市木太町)・観音寺(かんおんじ)中波中継局(観音寺市柞田町〔くにたちょう〕)・丸亀中波中継局(丸亀市川西町北)が川のそばにあり(本局…宮川/観音寺中波中継局…柞田川/丸亀中波中継局…土器川)、浸水被害を受ける恐れがあること。
・西日本放送ラジオの放送区域である香川県は人口こそ97万6,263人(2015年〔平成27年〕10月1日実施の国勢調査による)と少ないが、都道府県域民間テレビ放送局の全系列が揃っており、経営がかなり厳しくなっていること。
・西日本放送ラジオの放送区域である香川県は瀬戸内海の対岸にある岡山県を放送区域としているRSK山陽放送ラジオ・岡山エフエム放送がほぼ全域で受信できるため経営がかなり厳しくなっていること。
・西日本放送はテレビ局を兼営しているが、テレビ放送のデジタル化で多額の出費を強いられたこと。
・西日本放送テレビは中国・四国地方にある日本テレビ系列に属する都道府県域民間テレビ放送局で唯一終夜放送を行っていないことやテレビ放送の本局(岡山市南区郡)はテレビせとうちの本局と共用していることからもうかがえるように経営が厳しいこと。
・西日本放送ラジオは民間中波放送局では最後にradikoに参入したことからもうかがえるように先進的なことに取り組むのに消極的な面があること。
・放送施設が災害で被災することはともかくとして、受信困難地域が少なかったためエフエム補完放送は必要ないと考える職員が少なくなかったこと。
高知放送 ・高知放送の本社がある高知市は四国地方を代表する都市の一つであり、高層建築物が林立していること。
・高知放送の放送区域である高知県は昭和南海地震(1946年〔昭和21年〕12月21日)で甚大な被害を受けていること。
・高知放送の放送区域である高知県はよく台風の上陸地になること。
・高知放送の放送区域である高知県は太平洋に面しているため高波被害に遭いやすいこと。
・高知県は山間部が多く、集中豪雨で被災しやすいこと。
・高知放送ラジオは本局(高知市大津乙)・宿毛(すくも)中波中継局(宿毛市宿毛)・中村中波中継局(四万十〔しまんと〕市具同)が川のそばにあり(本局…国分川/宿毛中波中継局…松田川・与市明〔よいちみょう〕川/中村中波中継局…四万十川)、浸水被害を受ける恐れがあること。
・高知県は高知放送ラジオが受信しにくい山間部が少なくないのだが、経営事情や費用対効果などから山間部への中波中継局設置は見送り続けてきたこと。
・高知放送ラジオの放送区域である高知県は放送区域人口が都道府県域民間放送局で最も少ないところとなっている上に都道府県域民間テレビ放送局3社・都道府県域民間ラジオ放送局2社が存在するため経営がかなり厳しくなっていること。
・高知放送ラジオの放送区域である高知県は高度経済成長期以降過疎化が進展しており、経済基盤も脆弱であること。
・高知放送はテレビ局を兼営しているが、テレビ放送のデジタル化で多額の出費を強いられたこと。
・高知放送ラジオとしては災害対策や受信困難箇所解消対策の切り札になるエフエム補完放送の必要性は認めていたが、整備しなければならない箇所があまりにも多く、いくら総務省が補助金を出すとしたとしても積極的になれなかったこと。
・高知放送ラジオは四国地方にある民間中波放送局で唯一全ての中波中継局の周波数を統一していないなど先進的なことに取り組むのに消極的な面があること(中波中継局の周波数を統一できない原因としては本局の周波数〔900kHz〕は山陰放送ラジオの本局の周波数と同じであることもあるのではないかと思われる)。

注63:福山市を放送区域に含めているラジオ局(中波・エフエムのみ)の終夜放送実施状況は下表の通りである。

放送局名 終夜放送実施状況 備考
NHKラジオ第一 実施している 定期的な放送休止は設定していない。
NHKラジオ第二 実施していない 毎日午前0時40分〜午前6時に放送休止を設定している。
NHK-FM 実施している 定期的な放送休止は設定していない。
中国放送ラジオ 実施している 月曜日午前1時30分〜午前5時に放送休止を設定している。
広島エフエム放送 実施している 月曜日午前2時〜午前5時に放送休止を設定している。
エフエムふくやま 実施している 定期的な放送休止は設定していない。

上表から中国放送ラジオ・広島エフエム放送が放送を終了した後もNHKラジオ第一・NHK-FM・エフエムふくやまが放送を継続していることがうかがえる。

注64:山陰放送ラジオより1年早く1989年(平成元年)春の番組改編で終夜放送に移行した広島エフエム放送も終夜放送移行当初は日曜日深夜(月曜日早朝)だけでなく土曜日深夜(日曜日早朝)に放送休止を設定していたことがあった。しかし、広島エフエム放送は数年後(1993年〔平成5年〕頃だったと思うが詳細は不明)土曜日深夜(日曜日早朝)の放送休止を解消している。

注65:2013年(平成25年)4月から半年間だけ、現在も放送されている「おやすみNMB48」を月曜日午前1時〜午前1時15分に設定したことから放送終了時間が月曜日午前1時15分になったためである。2013年(平成25年)10月からは「おやすみNMB48」の放送時間を1時間繰り上げて月曜日午前0時〜午前0時15分に変更したため岡山エフエム放送の放送終了時間は月曜日午前1時に戻されることになった。

注66:RSK山陽放送ラジオ・山口放送ラジオ・西日本放送ラジオ・南海放送ラジオは月曜日午前4時に放送を開始するのに対し中国放送ラジオは月曜日午前5時に放送を開始する。

注67:例えば次のようなものが挙げられる。
・周辺の道路事情を一切紹介せず、「○○広域農道をトラックが多く行き交っている」というように紹介すること。
・地域にとっては重要な幹線道路であり、開通したことで大きな効果があったにもかかわらず交通量が少ない様子を映して「××県を通る△△自動車道は閑古鳥が鳴いている」というように紹介すること。
・政治家の発言の一部を切り取って「地方をバカにしている」とか「国会を軽視している」などという問題発言をしたと仕立て上げること。

注68:例えば次のようなものが挙げられる。
・地域住民から反対運動が起きている大規模開発事業について、反対派の主張しか取り上げないこと(開発推進者の主張を全く無視している)。
・複数の人物が作者となっている、ある問題を訴えるために企図された絵本について、描画を担当した有名な人物しか取り上げないこと(知名度の低い原作担当者を全く無視している)。
・いわゆる平成の大合併に関する報道で、合併について「賛成」とか「致し方ない」と言う住民の声しか流さないこと(合併に反対する住民の声を全く無視しており、その手法から合併を推進させようという意図が感じられる)。

注69:エフエム津山が三代目本社・演奏所についてその存在を示す物件を設置しなかったことで三代目本社・演奏所が津山市二宮/新境橋北詰交差点(地名表記は津山市二宮/新境橋北詰交差点で交差する道路で最上位に当たる国道179号線〔国道181号線重用〕基準)の南東角にあるラーメン店の2階にあると考えている人がいたらしい(某インターネット掲示板でそういう書き込みがあったのを見たことがある)。無論そのラーメン店がある建物にもエフエム津山の存在を示す物件はない。

注70:ひどい例になると公式サイトに本社・演奏所の所在地すら掲載していないコミュニティ放送局もある。私としては所在地を明かしても別に問題はないと考えるのだが…。

注71:新潟県民エフエム放送とRadio NEOの最期の様子は下表の通りである。

放送局名 状況
新潟県民エフエム放送 ・放送最終日となる6月30日は午前1時〜午前6時に「SPECIAL THANKS TO YOU リクエストナイト」、午後8時〜7月1日午前0時に「Many Thanks from FM PORT」という特別番組を設定した(その他の時間帯、すなわち6月30日午前0時〜午前1時と午前6時〜午後8時は通常番組を放送。なお、新潟県民エフエム放送は独立局であり、放送最終日に放送された番組は全て自社制作番組である)。
・6月30日午前6時50分以降の番組は全て生放送だった。
・7月1日午前0時をもって放送を終了し、約19年半の歴史に終止符を打った。
・放送終了をもってradikoでの配信も終了したが、同時に(有料になるが)参加局全ての放送を楽しめるエリアフリー聴取だけでなく過去一週間の放送を聴ける聴き逃し配信(タイムフリー聴取)も停止されたため配信終了をもって新潟県民エフエム放送の番組を楽しむことはできなくなった。
Radio NEO ・最後の自社制作番組は6月27日午前11時30分〜午後0時に放送された「Uny Oil presents FUN TIME CHITA!」(2019〜2020年〔平成31年〜令和2年〕放送)であった。「Uny Oil presents FUN TIME CHITA!」が終わった6月27日午後0時以降はずっとInterFM897の番組を流すだけの状態であり、放送休止(6月29日午前1時30分〜午前5時)もInterFM897と合わせていた。
・放送最終日となる6月30日は特別番組を設定することもなく、閉局告知を流した後午後0時で放送を終了し、6年3ヶ月の歴史に終止符を打った(この結果Radio NEOは日本の都道府県域民間エフエム放送局で最短命の放送局になっている)。特別番組を設定せずに真昼間で放送を終了したのは2019年(令和元年)暮れ頃までに木下グループがInterFM897の経営から撤退する方針を固めていたこと(その時点でRadio NEOは廃業するという方針を決めたものと思われる。愛知国際放送が業務継承を考えずに廃業した経緯を踏まえて経営撤退や廃業を表明しても誰も業務継承に名乗りを上げないだろうと木下グループは見ていたのだろう)やそれを受けて2019年(令和元年)暮れで自社制作番組のほとんどを打ち切ったこと、そのことを快く思わなかった関係者が少なくなかったこと、昼間のうちに撤退作業を行いたかったことなどが考えられる。
・放送終了をもってradikoでの配信も終了したが、同時に(有料になるが)参加局全ての放送を楽しめるエリアフリー聴取だけでなく過去一週間の放送を聴ける聴き逃し配信(タイムフリー聴取)も停止されたため配信終了をもってRadio NEOの番組を楽しむことはできなくなった。

注72:2015年(平成27年)10月1日実施の国勢調査によると浅口市の人口は3万4,235人、笠岡市の人口は5万568人、浅口郡里庄町の人口は1万929人となっており、浅口市・笠岡市・浅口郡里庄町の合計人口は9万5,732人となる。2015年(平成27年)10月1日実施の国勢調査によると津山市の人口は10万3,746人だったので浅口市・笠岡市・浅口郡里庄町の合計人口は津山市の人口より8千人程度少ないということになる。

注73:エフエムゆめウェーブが開局する前の2005年(平成17年)10月1日実施の国勢調査によると笠岡市の人口は5万7,272人、浅口郡の人口は4万8,150人(内訳は鴨方町…1万8,475人/金光町…1万2,341人/里庄町…1万823人/寄島町…6,511人)となっており、笠岡市・浅口郡の合計人口は10万5,422人となる。2015年(平成27年)10月1日実施の国勢調査によると浅口市・笠岡市・浅口郡里庄町の合計人口は9万5,732人だったので10年間で1万人近く減少していることが分かる。
※2005年(平成17年)10月1日時点では浅口市はまだ発足していなかったので2005年(平成17年)10月1日実施の国勢調査では浅口郡の人口を記している(浅口市は2006年〔平成18年〕3月21日に浅口郡鴨方・金光・寄島各町が統合して発足)。

注74:笠岡市及びその周辺では岡山エフエム放送が開局する前はFM802を遠距離受信して聴く方が少なくなかったが、岡山エフエム放送笠岡中継局(笠岡市神島外浦〔こうのしまそとうら〕)が80.4MHzを使用しているためにFM802が受信しづらくなったという話がある。
※瀬戸内海沿岸地域はエフエム電波も遠くまで飛ぶことが多いため周波数の設定は困難を極めることが多い。例えば広島エフエム放送福山中継局(福山市西深津町七丁目。周波数:82.1MHz)は当初87.5MHzを使用する予定だったのだが、サービス放送開始直前になって87.5MHzを使用することについて不都合が生じ、開局当初の中継局のうち福山中継局だけサービス放送開始が見送られたという話があった(結局福山中継局については5日遅れでサービス放送が開始されている)。NHK-FM高知本局(高知市五台山)が同じ周波数を使用していることから福山市南部で混信する恐れがあることが判明したこと(あまり知られていないが福山市南部の高台では讃岐〔さぬき〕山脈〔阿讃山脈とも称する〕の向こうにあるエフエム徳島〔徳島市寺島本町西一丁目〕の池田中継局〔三好市池田町白地。周波数:82.3MHz〕が受信できるのでNHK-FM高知本局が全く受信できないとは言い切れない)が理由ではないかと見ているのだが、広島エフエム放送は一切理由を明らかにしていないため真相は不明である。

注75:そのためかエフエムふくやまでは2015年(平成27年)春の番組改編をもってミュージックバードの喋り手のいる番組を全て打ち切り、笠岡放送・尾道エフエム放送、更にはFMみはらとの差別化を図っている。

注76:エフエム津山が廃業を決断した時期は不明である。ただ、今年11月1日にコミュニティ放送局は一斉に放送免許更新の時期を迎えることや放送免許更新の申請は有効期間満了前の3〜6ヶ月間に行う必要があると定められていることから今年7月31日までに廃業を決断したものと思われる。
※エフエム津山の廃業に関してはいくつか謎が残されている。それを挙げると次の通りになる。
・注41で触れたエフエム津山で番組を持っていた方にエフエム津山側が今年9月末で閉局するので9月末をもって番組を終了させることにしたと通告したこと。現実には9月末でエフエム津山は閉局していないのだが、もし当初は9月末をもって閉局するとしたのであればなぜ閉局日を延期したのだろうか。
・総務省中国総合通信局がエフエム津山閉局に関する報道発表を行い、それを受けて山陽新聞が報じるまで全く閉局するという情報が浮かんでこなかったこと。エフエム津山が閉局することは9月中に既にエフエム津山で番組を持っていた方が自身のFacebookページで明かしているのになぜその情報は広まらなかったのだろうか。
・放送免許期間満了を迎える今年10月31日ではなく、その少し前の今年10月25日をもって放送を終了し、閉局したこと。放送免許更新を見送ったコミュニティ放送局で放送免許期間満了日まで放送を続けて閉局したところは福岡コミュニティ放送や宮崎シティエフエムなどいくつかあるのだが、なぜ放送免許期間満了日まで放送を続けなかったのだろうか。
・本当は放送免許更新申請を行っていたが、急に
放送免許更新申請を取り下げ、閉局することにした疑いがあること。もし本当にこういうことをされたら総務省中国総合通信局側はかなり面食らうことであろうが…。

注77:もしエフエム津山が五日市コミュニティ放送と同じく放送休止中に放送再開を断念して廃業した場合、エフエム津山はわずか1年8ヶ月(放送日数は609日)で廃業することになったため中国地方最短命の民間放送局になることになっていた。
※ちなみに五日市コミュニティ放送の放送日数は1,322日である。また、盛業中の中国地方にある民間放送局で最も開局からの放送日数が少ないのはFMみはらの910日(今年10月26日現在)である。

注78:ある市の中心部が市制施行する前に属していた郡を指す。例えば津山市は苫田郡、福山市は深安郡(1898〜2006)となる。

注79:chiocciola(キオッチョラ)とはイタリア語でカタツムリを意味する単語である。また、(カタツムリの殻の形から連想したものと考えられるのだが)イタリア人は@(アットマーク)のことをキオッチョラと呼ぶのだという。そのことからもカタツムリをシンボルマークとしたかにかも放送の直営レストランであることがうかがえる。

注80:電波は出していることは受信反応があるために確認できるのだが一切音が流れない状態を指す。私が知っている範囲では広島エフエム放送が月曜日早朝の放送休止時間(午前2時〜午前5時)にそのような状態にしている。

注81:例えば名古屋中エフエムラヂオ放送の廃業に関する報道発表は総務省東海総合通信局はきちんと行っており、インターネットアーカイヴで見ることができる(それはこちら)。

注82:その根拠はトップページに「7月からの新番組編成公開中」と書かれていることである。

注83:中国地方でもエフエムきらら(宇部市新天町一丁目)の姉妹局という位置付けで開局したFM山陽小野田(愛称:FMサンサンきらら。山陽小野田市小野田)が今年6月1日からエフエムきらら制作の番組を全て打ち切り、終夜放送を開始するなど独自路線を歩み始めたという話がある。FM山陽小野田がエフエムきららと袂(たもと)を分かった理由ははっきりしないのだが、次に挙げる事情があったことは否定し得ないのではないかと思われる。
・エフエムきららが放送区域としている宇部市と、FM山陽小野田が放送区域としている山陽小野田市は一つの生活圏とされているが、丘陵で隔てられているなどして地形的に一体ではないこと。
・宇部市と山陽小野田市は工業都市という共通点はあるが、主力産業が異なること。
・宇部市・山陽小野田市とも全国的に有名な企業の発祥地になっており、そのことに対する思い入れが強いこと。

注84:かにかも放送が開局する前の国勢調査、すなわち2000年(平成12年)10月1日実施の国勢調査によると可児市の人口は9万1,652人、美濃加茂市の人口は5万63人となっており、可児市のほうが美濃加茂市より4万人以上多い。なお、可児市の人口には2005年(平成17年)5月1日に編入した可児郡兼山町(1889〜2005)の人口は含めていない(つまり2000年〔平成12年〕10月1日時点の可児市域の人口をここでは記しているということ)。
一方で可児市は第二次世界大戦後名古屋市のベッドタウンとして発展したのに対して美濃加茂市は複数の鉄道路線・国道路線が集まる交通の要衝として発展したことを考えると中枢性は美濃加茂市のほうが高いと考えられる。

注85:岐阜県だけを放送区域とする都道府県域民間放送局の状況を記すと下表の通りになる。

形態 放送局名 状況
テレビ 岐阜放送
(GBS、岐阜市橋本町二丁目)
・名古屋市へのストロー効果が著しい地域では知名度や視聴率が低い傾向がある。
・経済基盤が盤石とは言えない地域であるにもかかわらず独立局となっており、経営が厳しい。
・名古屋市に本社を置いている都道府県域民間テレビ放送局で唯一岐阜県・三重県を放送区域に含めていない、言い換えれば愛知県だけを放送区域としているテレビ愛知(TVA、名古屋市中区大須三丁目)が見られない地域ではテレビ東京(TX、東京都港区六本木三丁目)及びその系列局制作の番組を見る手段として位置付けている方が少なくないが、テレビ東京系列に属していないことや経営事情が厳しいこともあるのか放送されないテレビ東京及びその系列局制作の番組が少なくない。
・通販番組が大量に放送されている。
・経営が厳しいのに終夜放送になっている日が少なくない。
ラジオ 岐阜放送
(GBS、岐阜市橋本町二丁目)
・開局が1962年(昭和37年)12月24日であり、民間中波放送局としては三番目に歴史が浅い(岐阜放送ラジオより後に開局したのはともに1963年〔昭和38年〕4月1日に開局した茨城放送〔IBS、水戸市千波町〕と栃木放送〔CRT、宇都宮市昭和二丁目〕だけである)。
・岐阜県は名古屋市に本社のある民間中波放送局、すなわちCBCラジオ(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)・東海ラジオ放送(SF、名古屋市東区東桜一丁目)の放送区域に含められており、なおかつCBCラジオ・東海ラジオ放送とも各地に中波中継局を設置しているため聴取率競争で後塵を拝することが多くなっている。
・名古屋市へのストロー効果が著しい地域では知名度や聴取率が低い傾向がある。
・岐阜県は山間部が多く、近くに中波中継局があっても受信しにくいところが少なくない。
・経済基盤が盤石とは言えない地域であるにもかかわらず独立局となっており、経営が厳しい。
・終夜放送を実施していた時期もあるが経営が厳しくなったため取りやめており、今は一切行っていない(放送休止時間は月曜日〜金曜日が午前0時〜午前6時10分、土曜日・日曜日が午前0時〜午前6時となっている)。
・中波放送が受信しにくい山間部が多いにもかかわらずエフエム補完中継局は岐阜エフエム中継局(岐阜市上加納山)一つしか整備しておらず、新たな整備計画は今のところ存在しない。
エフエム岐阜
(大垣市小野四丁目)
・開局が2001年(平成13年)4月1日とあまりにも遅かった(新潟県民エフエム放送・Radio NEOが廃業した今年7月1日からは日本で最も歴史の浅い都道府県域民間エフエム放送局になっている)。
・名古屋市へのストロー効果が著しい地域では知名度や聴取率が低い傾向がある。
・岐阜県は山間部が多く、近くに中継局があっても受信しにくいところが少なくない。
・経済基盤が盤石とは言えない地域なので経営が厳しい。
・エフエム愛知(FMA、名古屋市中区千代田二丁目)や三重エフエム放送(愛称:radio CUBE FM三重。津市観音寺町)など近隣のJFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局との兼ね合いを考えれば独立局として開局して差別化を図るべきだったのだが、経済基盤が盤石とは言えない地域だったのでそれができなかった。
・エフエム愛知・三重エフエム放送など近隣のJFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局と同じ番組を放送している時間帯が多く、独自性を発揮できていない。
・経営が厳しいのに終夜放送を行っている(放送休止時間は月曜日午前1時〜午前5時の4時間)。
・2001年(平成13年)に岐阜エフエム放送(愛称:Radio80〔レディオエイティ〕。大垣市小野四丁目。2001〜2014)として開局したが経営難により2014年(平成26年)に現在のエフエム岐阜に運営会社が変わったという経緯がある(エフエム岐阜は岐阜エフエム放送の愛称であるRadio80の使用を取りやめたり公式サイトで岐阜エフエム放送時代の沿革を一切記載しなかったりするなどしており、あくまでも岐阜エフエム放送とエフエム岐阜は別会社であると強調するかのような態度をとっている)。

ちなみに下関市立大学学園祭情報局〜中国地方最古参の市立四年制大学の学園祭のきのう・きょう・あす〜というサイトを運営している私の友人の中島孝祐(なかしま・こうすけ)さんは1991年(平成3年)8月に当時多治見市に住んでいた兄の家に遊びに行った時岐阜放送テレビの次に挙げる様子を見てものすごく驚いた経験をしたという(30年近く前の話なので記憶違いの可能性があるので注意)。
・放送開始が午前9時か午前10時ぐらいだった。在住経験のある広島県・山口県、在住経験地(福山市・下関市)で受信できる岡山県・香川県・福岡県にあるテレビ局でこんなに遅く放送を始めるところは当時全くなく、なぜこんなに遅く始めるのだろうと思ったものである。
・放送開始後すぐに番組を始めるというわけではなく、何とそれから数時間にわたって「文字ニュース」を流し続けていた。1990年代中期から2000年代(2000〜2009年〔平成12〜21年〕を指す)中期にかけての中国放送テレビのように深夜・早朝に「文字ニュース」を流すのならまだ理解できるのだが…。

・「カミナリ予報」という数分間の番組があった。夏だから設定されたのだろうか。それとも岐阜県は落雷が多い土地だから設定されたのだろうか。落雷ならどの季節でも、どの場所でも起きることを考えれば設定した意図がよく分からない。
多治見市は前記の通り岐阜県を放送区域に含めていないテレビ愛知を含めて名古屋市に本社を置いている都道府県域民間テレビ放送局が全て受信できることや名古屋市との関係が深いことから名古屋市に本社を置いている都道府県域民間テレビ放送局を見る方がほとんどであり、中島さんの兄の家族は岐阜放送テレビは滅多に見ないと言っていたという。1991年(平成3年)と言えばバブル景気が終焉を迎えた頃であるが、その頃でもこういう状況があったことを考えると岐阜県だけを放送区域とする都道府県域民間放送局がどれだけ厳しい環境に置かれているかがうかがえるのではないのだろうか。

注86:岐阜県・愛知県・三重県にあるコミュニティ放送局は愛知県にJFL系列に属する都道府県域民間エフエム放送局、すなわちZIP-FM(名古屋市中区丸の内三丁目)があることやZIP-FMは本来の放送区域である愛知県だけでなく岐阜県・三重県でも受信できる地域が多いことからJ-WAVEの再送信はどこも実施していない(一方で静岡県はJ-WAVE・ZIP-FMのどちらかが受信できる地域が少なくないにもかかわらずJ-WAVEの再送信を行っているコミュニティ放送局がいくつかある)。

注87:記すまでもないがコミュニティ放送局が放送を休止する場合は東海地方(岐阜県・静岡県・愛知県・三重県)にある放送局の場合、監督官庁である総務省東海総合通信局にその旨を届け出なければならない。しかし、総務省東海総合通信局の報道発表資料にかにかも放送が放送を休止することにした旨の届け出があったことは一切見当たらない。

注88:可児市・美濃加茂市・可児郡・加茂郡を放送区域とするコミュニティ放送局としてふさわしいと言える名称は次の通りである。
・エフエム木曽川
・エフエム中美濃
・エフエム中濃
・エフエム可茂
しかし、木曽川・中美濃・中濃は可児市・美濃加茂市・可児郡・加茂郡以外の地域を含む広域名称であることから、可茂は「かも」と読むため「加茂」を連想させることからいずれも不採用になったのではないかと思われる。

注89:業務をこなせなくなるような状態を指す。具体的には療養や失踪、退職、逝去が挙げられる。

注90:都道府県域民間放送局の放送区域面積が最も小さいのは香川県である。今年7月1日時点の全国都道府県市区町村別面積調によると香川県の面積は1,876.78平方キロメートル(但し岡山県との境界が井島〔岡山県側の漢字表記は石島〕の西岸部〔玉野市石島/香川県香川郡直島町本村〕で確定していないため面積は参考値を記している)となっている。
ちなみに香川県より広い市区町村は高山市だけである(高山市の面積は今年7月1日時点の全国都道府県市区町村別面積調によると2,177.61平方キロメートル)。

注91:愛知県庁は名古屋市中区三の丸三丁目にある。そのことから厳密には名古屋市中区が愛知県庁所在地となる。
※東京都と政令指定都市のある道府県の厳密な都道府県庁所在地は下表の通りである。

都道府県名 都道府県庁
所在都市名
都道府県庁のある
特別区または行政区
厳密な
都道府県庁
所在市区名
備考
北海道 札幌市 中央区 札幌市中央区
宮城県 仙台市 青葉区 仙台市青葉区
埼玉県 さいたま市 浦和区 さいたま市浦和区
千葉県 千葉市 中央区 千葉市中央区
東京都 東京 新宿区 新宿区 東京市(1889〜1943)は1943年(昭和18年)7月1日に東京府(1868〜1943)と統合して東京都に移行した際に廃止されているため都道府県庁所在都市名は「東京」と記している。
なお、東京市在りし当時の厳密な東京府庁所在地は麹町区(1878〜1947)となっていた(東京都発足後の東京都の厳密な東京都庁所在地は麹町区〔1943〜1947〕→千代田区〔1947〜1991〕→新宿区〔1991〜〕と変遷している)。
神奈川県 横浜市 中区 横浜市中区
新潟県 新潟市 中央区 新潟市中央区
静岡県 静岡市 葵区 静岡市葵区
愛知県 名古屋市 中区 名古屋市中区
京都府 京都市 上京区 京都市上京区
大阪府 大阪市 中央区 大阪市中央区
兵庫県 神戸市 中央区 神戸市中央区
岡山県 岡山市 北区 岡山市北区
広島県 広島市 中区 広島市中区
福岡県 福岡市 博多区 福岡市博多区
熊本県 熊本市 中央区 中央区

ちなみに上記16都道府県の厳密な都道府県庁所在地のうち仙台市青葉区・千葉市中央区・新宿区・京都市上京(かみぎょう)区・福岡市博多(はかた)区についてはコミュニティ放送局の本社・演奏所は現在のところ存在しない(このうち千葉市中央区については本文でも触れたがコミュニティ放送局の開局準備が進められている。また、仙台市青葉区・新宿区・京都市上京区・福岡市博多区については近隣にコミュニティ放送局がある)。