JR美祢線並行道路を行く(2025年〔令和7年〕9月1日公開)
はじめに
私は今から7年ほど前、「JR三江線並行道路を行く」の最終章の最後でこのようなことを書いた。
「二度とこういう企画を組まないで済むようになることを望みつつこの企画を締めることにしたい」
しかし、残念ながら「こういう企画」を再び組まざるを得なくなる事態がこの度発生した。2023年(令和5年)の梅雨期の集中豪雨により被災したために2023年(令和5年)6月30日の昼頃から全区間(厚狭〜長門市間46.0km)が不通になっているJR美祢線についてこのほど鉄道での復旧を断念する方針が定まったのである。つまり、美祢線は梅雨期の集中豪雨で昼頃から運休した2023年(令和5年)6月30日を最後に二度と列車の走ることのない路線になることが確定的な状況になったというわけである。
今後どのようにしていくのかについてはこれから美祢線を運営していた西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)や沿線自治体(山口県・山陽小野田市・長門市・美祢市)などが話し合って決めていくことになるのだろうが美祢線の鉄道としての廃止はどのような意味合いを持っているのか。それを挙げると次の通りになる。
・幹線用運賃(注1)を適用しているJRグループ各社が運営する鉄道路線で初めて全区間が廃止されること。美祢線は日本国有鉄道(東京都千代田区丸の内一丁目。1949〜1987)の経営再建論議が行われていた1980年代初頭の時点では貨物輸送が多かったことから幹線用運賃適用路線になっている。これまで幹線用運賃適用路線で廃止されたところはいくつかあるのだがいずれも一部分だけであった(注2)。
・西日本旅客鉄道が運営する鉄道路線としては初めて災害復旧を断念する形での廃止になること。これまで西日本旅客鉄道が運営する鉄道路線で鉄道として廃止されたところは利用が少ないところ(注3)や日本国有鉄道の経営再建の過程で整理対象に指定されたところ(注4)、新規に開業した路線と引き換えに廃止したところ(注5)だけであり、災害復旧を断念する形で廃止した例はなかった。
・中国地方を通る鉄道路線では一畑電気鉄道立久恵線(出雲市〜出雲須佐間18.7km。1932〜1964(注6))以来の災害復旧を断念しての廃止となること。中国地方を通る鉄道路線では一畑電気鉄道立久恵線が災害復旧を断念して廃止された初めての事例となっているため記すまでもなく山口県では初の事例となる(注7)。
・(現時点ではJR留萌本線が先になる可能性が高い(注8)のだが)JR三江線(江津〜三次間108.1km。1930〜2018)以来の全区間廃止路線となること。三江線が廃止されてから廃止された鉄道路線は一部区間だけの廃止ばかりであり(注9)、美祢線または留萌本線が久しぶりの事例となる。
・美祢市が山口県にある市では初めて鉄道路線がなくなったところになること(注10)。地理的条件から鉄道が通せないところ(注11)を除くと中国地方では井原市以来となる(注12)。
・一つの都道府県しか通過しない本州を横断する鉄道路線が兵庫県を通るJR播但線だけになること。もっとも、日本海と太平洋または瀬戸内海の双方に面している都道府県は青森県・兵庫県・山口県しかないし青森県には本州を横断する鉄道路線がないので播但線が一つの都道府県しか通過しない本州を横断する唯一の鉄道路線となる。
・本州で最も西にある本州横断鉄道路線がなくなること。JR美祢線に代わって本州で最も西にある本州横断鉄道路線は益田市と山口市を結ぶJR山口線になる(山口線は島根県〔益田市・鹿足郡津和野町〕と山口県〔山口市〕に跨っているので前記の一つの都道府県しか通過しない本州を横断する鉄道路線にはならない)。
災害からの復旧を断念する格好で廃止することにしたことや旅客利用自体は少なかったのだが幹線用運賃を適用していた路線だったこと、一部区間で並行して通る道路が全くないこともあってか西日本旅客鉄道はこれまでの廃止路線と異なって美祢線をバス高速輸送システムで復旧させる方針を示すなど鉄道廃止後も関わる姿勢を示しているのだがでは果たして美祢線に並行する道路の現状はどうなのだろうか。そしてもしバス高速輸送システムが導入されたとしたらどういう経路で走ることになるのだろうか。そこで私は美祢線沿線と、山口県から近いところにある2023年(令和5年)8月28日に開業した日田彦山線BRT(愛称:BRTひこぼしライン)、更に中国地方で災害復旧を断念して廃止された唯一の事例だった一畑電気鉄道立久恵線を取材し、紹介することにした(章立ては下表の通り。なお、取材の関係上章の順番通りに公開するとは限らないのでその点はご了承願いたい)。
なお、私は鉄道路線の廃止はきちんと議論を尽くした上でなされるべきであり、恣意的に行うことも何の説明もなくいきなり行うこと、そして地元側が半ば見捨てるような態度をとることについては一切賛成しないし既に役目を終えているから廃止すべきだというような主張を行う考えは一切ないことをこの場においてお断りしておく。
章 | 題名 | 取材年月日 | 公開年月日 | 備考 |
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第1章 | 美祢線の概要 | ― | ||
第2章 | 美祢線120年史・その1 | ― | 美祢線の起点・厚狭駅(山陽小野田市厚狭)のある山陽小野田市厚狭地区に鉄道路線が通じてから日本国有鉄道が発足するまでの歴史を紹介している。 | |
第3章 | 美祢線120年史・その2 | ― | 日本国有鉄道が発足してから西日本旅客鉄道が発足するまでの歴史を紹介している。 | |
第4章 | 美祢線120年史・その3 | ― | 西日本旅客鉄道が発足してから現在までの歴史を紹介している。 | |
第5章 | 厚狭〜厚保間の並行道路の現状 | |||
第6章 | 厚保〜美祢間の並行道路の現状 | |||
第7章 | 美祢〜渋木間の並行道路の現状 | |||
第8章 | 渋木〜仙崎間の並行道路の現状 | 美祢線は長門市駅(長門市東深川)までだがJR山陰本線仙崎支線仙崎駅(長門市仙崎)まで一部の列車が乗り入れていたことから仙崎駅まで紹介することにしている。 | ||
第9章 | 南大嶺〜大嶺間の並行道路の現状 | 南大嶺〜大嶺間(通称:大嶺支線)は1997年(平成9年)4月1日廃止。廃止されてから30年近くが経っているのだが美祢線の一部だったことから併せて紹介することにしている。 | ||
第10章 | 日田彦山線BRTを訪ねて | 2023年(令和5年)8月28日に開業した日田彦山線BRTの様子を紹介している。 | ||
第11章 | 一畑電気鉄道立久恵線を訪ねて | 中国地方で唯一の災害復旧断念鉄道路線だった一畑電気鉄道立久恵線の歴史と現状を紹介している。 | ||
第12章 | 総集編 | ― | 総集編。 | |
最終章 | 自分が今思うこと | ― | 美祢線の鉄道復旧断念に関して自分が思ったことを記している。 | |
付録 | ― | ― | 美祢線の施設の概要や年表、最終運行日時点のダイヤ、参考文献などを紹介している。 |
(注釈)
注1:市販の時刻表に掲載されている索引地図で黒い太線で記されている在来線を指す。反対に青い太線で記されている在来線は地方交通線用運賃が適用されている在来線である。
なお、美祢線が通る山口県におけるJRグループ各社が運営する鉄道路線(在来線のみ記載)の分類状況は下表の通りである。
種類 | 路線名称 | 備考 |
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幹線用運賃 | 山陰本線 山陽本線 宇部線 美祢線 |
美祢線は現在全区間運休中。 山陽本線は乗車区間に岩国〜櫛ヶ浜間が含まれる場合地方交通線用運賃が適用されている岩徳線を経由しているものと見なして運賃計算が行われている(そのため運賃計算キロは実際に山陽本線だけを経由した場合より17.3km少なくて済むことになる。なお、この運賃計算は山陽新幹線にも適用されている)。 |
地方交通線用運賃 | 小野田線 岩徳線 山口線 |
注2:著名なところではJR根室本線富良野〜新得間(81.7km。2024年〔令和6年〕4月1日廃止)やJR信越本線横川〜軽井沢間(11.2km。1997年〔平成9年〕10月1日廃止)がある。
※根室本線富良野〜新得間は利用者が減少していたことに加えて2016年(平成28年)8月末に来襲し、北海道や岩手県で甚大な被害をもたらした台風10号で甚大な被害を受けたことが、信越本線横川〜軽井沢間はJR北陸新幹線高崎〜長野間117.4kmが開業したこととそれと引き換えに信越本線横川〜篠ノ井間76.8kmが東日本旅客鉄道(JR東日本。東京都千代田区代々木二丁目)の管轄下から離れることが取り決められていたこと、横川〜軽井沢間はJRグループが運営する鉄道路線で最も勾配がきついところ(最大で66.7パーミル〔1km上る間に66.7m上ることを示している〕)である上に群馬・長野県境を通っているために普通列車の利用が少なかったことが廃止の理由となっている。
注3:著名なところでは三江線の全区間(江津〜三次間108.1km。2018年〔平成30年〕4月1日廃止)やJR可部線の一部区間(可部〜三段峡間46.2km。2003年〔平成15年〕12月1日廃止)がある。
※可部線の廃止区間のうちの可部駅(広島市安佐北区可部二丁目)から1.6kmの部分については2017年(平成29年)3月4日に復活しているが廃止前に存在した駅(河戸駅〔広島市安佐北区亀山二丁目。1956〜2003〕のみ)は復活していないため新規路線と見なしている。
注4:著名なところではJR鍛冶屋線(野村〔現:西脇市〕〜鍛冶屋間13.2km。1990年〔平成2年〕4月1日廃止)やJR大社線(出雲市〜大社間7.5km。1990年〔平成2年〕4月1日廃止)がある。どちらも特定地方交通線の第三次廃止対象路線指定で整理対象になり、一旦は西日本旅客鉄道の管轄下に置かれたものの数年後廃止されたものである。
注5:著名なところではJR片町線の一部区間(京橋〜片町間0.5km。1997年〔平成9年〕3月8日廃止)がある。
※片町線京橋〜片町間の廃止はJR東西線(京橋〜尼崎間12.5km。1997年〔平成9年〕3月8日開業)と片町線を京橋駅(大阪市都島区東野田町三丁目)で接続させることにしたことが主たる理由である。
注6:一畑電気鉄道立久恵線は梅雨末期の集中豪雨による被災で1964年(昭和39年)7月18日を最後に運休し、翌1965年(昭和40年)2月18日をもって廃止となった。ここでは鉄道として運行されていた期間を記している。
注7:山口県で廃止された鉄道路線(旅客用路線で駅の廃止を伴ったものに限る)とその理由は下表の通りである(路線名称や社名、駅名は廃止時点のものを記載している)。
路線名称 | 区間 | 延長 | 廃止年月日 | 備考 |
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国鉄宇部線 | 宇部〜岩鼻 | 3.3km | 1952年 (昭和27年) 4月20日 |
宇部(現:宇部新川)〜岩鼻間の経路変更により廃止。 旧経路上には藤曲駅(宇部市居能町二丁目。1943〜1952)が存在した。 |
国鉄宇部西線 | 雀田〜新沖山 | 1.3km | 1947年 (昭和22年) 10月1日 |
並行して建設されていた現在のJR小野田線が開業したため廃止。 |
国鉄小野田線 | 宇部港〜港町 | 0.5km | 1949年 (昭和24年) 3月1日 |
貨物線転用により旅客営業廃止。 その貨物線も1961年(昭和36年)11月1日に廃止されている。 |
港町〜沖ノ山新鉱 | 1.3km | 1952年 (昭和27年) 4月20日 |
貨物線転用により旅客営業廃止。 その貨物線も1961年(昭和36年)11月1日に廃止されている。 |
|
宇部港〜西沖山 | 0.5km | 1949年 (昭和24年) 3月1日 |
貨物線転用により旅客営業廃止。 その貨物線も2006年(平成18年)5月1日に廃止されている。 |
|
西沖山〜居能 | 1.7km | 1952年 (昭和27年) 4月20日 |
貨物線転用により旅客営業廃止。 その貨物線も2006年(平成18年)5月1日に廃止されている。 |
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JR美祢線 | 南大嶺〜大嶺 | 2.8km | 1997年 (平成9年) 4月1日 |
通称:大嶺支線。 利用者減少により廃止。 |
伊佐軌道 | 吉則〜北川 | 2.6km | 1935年 (昭和10年) 3月10日 |
山口県では唯一の馬力による鉄道(いわゆる馬車鉄道〔馬車軌道とも称する〕)。 利用低迷により1930年(昭和5年)3月(期日不明)で旅客営業を取りやめ、貨物線に転用された。その後一部区間が付け替えられている。 しかし美祢線における貨物営業が2014年(平成26年)4月1日をもって廃止されたことから現在は使用されていない(正式に廃止されたのかどうかは不明)。 |
岩国電気軌道 | 新町〜港 | 5.7km | 1929年 (昭和4年) 4月5日 |
中国地方初の路面電車。 並行して建設されていた現在のJR岩徳線が開業したため廃止。 |
宇部鉄道 | 宇部新川〜沖ノ山旧鉱 | 1.2km | 1937年 (昭和12年) 10月1日 |
貨物線転用により旅客営業廃止。 その貨物線も宇部市中心部を横断する路線だったため住民の生活に支障をきたすとされて1952年(昭和27年)4月20日に廃止されている。 |
山陽電気軌道 唐戸線 |
東下関〜唐戸 | 2.3km | 1971年 (昭和46年) 2月7日 |
利用者減少により廃止。 |
山陽電気軌道 長関線 |
長府駅〜唐戸 | 9.6km | 1969年 (昭和44年) 10月30日 |
利用者減少により廃止。 廃止時点で下関市壇之浦町で建設が進められていた関門橋(延長:1,068m)の建設に支障をきたすとされたことも廃止理由とされている。 |
唐戸〜下関駅 | 2.1km | 1971年 (昭和46年) 2月7日 |
利用者減少により廃止。 | |
山陽電気軌道 幡生線 |
幡生〜東下関 | 2.2km | 1971年 (昭和46年) 2月7日 |
利用者減少により廃止。 下関市郊外と下関市豊浦地区を結ぶ鉄道路線として長州鉄道が1914年(大正3年)4月22日に開業させた路線の一部(幡生駅〔下関市幡生宮の下町。なお所在地は西日本旅客鉄道の駅のものを記している〕以南)を引き取って発足した路線(幡生駅以北は国有化され、現在は山陰本線になっている)。そのため山陽電気軌道が運営する路線では唯一単線で運用されていた。 |
山陽電気軌道 大和町線 |
下関駅〜彦島口 | 1.4km | 1969年 (昭和44年) 10月30日 |
利用者減少により廃止。 1954年(昭和29年)4月28日に開業した、山陽電気軌道では最も新しい路線だったのだが沿線には港湾施設が多かったことや人口集積地であり造船業や漁業を主力産業としていた彦島に乗り入れずじまいになったことなどから利用が伸び悩み、1967年(昭和42年)8月12日以降は平日の朝と夕方にしか列車が走らなくなっていた。 |
大日本軌道山口支社 | 小郡〜山口 | 12.9km | 1913年 (大正2年) 2月20日 |
並行して建設されていた現在のJR山口線が開業したため廃止。 |
長門鉄道 長門鉄道線 |
小月〜西市 | 18.2km | 1956年 (昭和31年) 5月1日 |
利用者減少により廃止。 鉄道事業撤退後長門鉄道はバス業者に転換したが1975年(昭和50年)にサンデン交通(下関市羽山町。山陽電気軌道の後身会社である)に吸収合併されて消滅した。 |
船木鉄道 | 西宇部〜吉部 | 17.7km | 1961年 (昭和36年) 10月19日 |
利用者減少により廃止。 なお、万倉〜吉部間8.0kmは第二次世界大戦中に不要不急路線に指定されたことにより1944年(昭和19年)3月1日から運行が休止されていたが運行が再開されることなく廃止の日を迎えている。 |
防石鉄道 防石鉄道線 |
防府〜堀 | 18.8km | 1964年 (昭和39年) 7月1日 |
社名は山口県東部に存在した令制国・周防国と島根県西部に存在した令制国・石見国を結ぶ路線になることを目指して付けたものであるが並行して現在のJR山口線が敷設されたことや沿線人口が少ないことなどから山口市徳地地区の中心部・堀まで通じたところで計画は頓挫した。 利用者減少により廃止。 鉄道事業撤退後防石鉄道はバス業者に転換したが1992年(平成4年)に防長交通(周南市松保町)に吸収合併されて消滅した。 |
注8:留萌本線は2026年(令和8年)4月1日に深川〜石狩沼田間14.4kmが廃止されることをもって全区間が廃止されることが決まっている。現時点でいつ西日本旅客鉄道が美祢線の鉄道事業廃止届を国土交通大臣に提出するかははっきりしないため本文で書いた通り留萌本線の全区間廃止が先になる可能性が高くなっている。
注9:著名なところではJR日高本線の一部区間(鵡川〜様似間116.0km。2021年〔令和3年〕4月1日廃止)やJR札沼線の一部区間(北海道医療大学〜新十津川間47.6km。2020年〔令和2年〕5月7日廃止)がある。
※日高本線鵡川〜様似間は利用者が減少していたことに加えて高波による路盤流出が発生したことが、札沼線の北海道医療大学〜新十津川間は利用者が減少していたことや並行してJR函館本線が通っている箇所があり、そちらを利用する方が多かったことが廃止の理由になっている。
注10:山口県にある市の鉄道路線の通過状況は下表の通りである。
市名 | 通過路線名 | 備考 |
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山口市 | JR山陽新幹線 JR山陽本線 JR宇部線 |
県庁所在地。 |
岩国市 | JR山陽新幹線 JR山陽本線 JR岩徳線 錦川鉄道錦川清流線 |
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宇部市 | JR山陽新幹線 JR山陽本線 JR宇部線 JR小野田線 |
山陽新幹線は市内には駅を設置していない。 |
山陽小野田市 | JR山陽新幹線 JR山陽本線 JR小野田線 JR美祢線 |
小野田線は本線の他通称本山支線もある。 美祢線は現在全区間運休中。 |
下松市 | JR山陽新幹線 JR山陽本線 JR岩徳線 |
山陽新幹線は市内には駅を設置していない。 |
下関市 | JR山陽新幹線 JR山陰本線 JR山陽本線 |
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周南市 | JR山陽新幹線 JR山陽本線 JR岩徳線 |
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長門市 | JR山陰本線 JR美祢線 |
山陰本線は本線の他通称仙崎支線もある。 美祢線は現在全区間運休中。 |
萩市 | JR山陰本線 | |
光市 | JR山陽本線 | |
防府市 | JR山陽新幹線 JR山陽本線 |
山陽新幹線は市内には駅を設置していない。 |
美祢市 | JR美祢線 | 美祢線は現在全区間運休中。 |
柳井市 | JR山陽本線 |
注11:因島市(1953〜2006)と江田島市がある。どちらも島嶼だけで行政区域が構成されていることや本州・四国連絡橋児島・坂出ルートのような道路・鉄道併用の橋梁が行政区域内を通る計画がないことから鉄道が通ることはなかった。
注12:井原市は1971年(昭和46年)4月1日に井笠鉄道本線(笠岡〜井原間19.4km。1913〜1971)が廃止されたことをもって鉄道路線が通らない市になったが約27年9ヶ月後の1999年(平成11年)1月11日に井原鉄道井原線(総社〜清音〜神辺間41.7km)が開業したことで再び鉄道路線が通る市になっている。
※井原鉄道井原線の区間と延長はJR伯備線との共用区間(総社〜清音間3.4km)を含めている。