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民間テレビ放送局のきのう・きょう・あすを考える(2015年〔平成27年〕12月1日公開)
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中国地方と香川県には現在15局の都道府県域民間テレビ放送局がある(下表参照)。
放送区域 | 放送局名/ 略称及び所在地 |
所属系列 | 開局年月日 | 備考 |
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鳥取県 島根県 |
山陰放送テレビ (BSS、米子市西福原一丁目) |
TBS | 1959年(昭和34年)12月15日 | テレビ・ラジオ兼営局(ラジオ局については1954年〔昭和29年〕3月1日開局)。 ラジオ局については開局当初から鳥取・島根両県を放送区域としていたのに対しテレビ局は鳥取県に本社を置きながら島根県を放送区域とする変則体制をとっていた。1972年(昭和47年)の鳥取・島根両県の放送区域統合でテレビ・ラジオとも鳥取・島根両県を放送区域とするようになった。 |
日本海テレビジョン放送 (NKT、鳥取市田園町四丁目) |
日本テレビ | 1959年(昭和34年)3月3日 | 中国地方初のテレビ単営局。 開局当初は鳥取県だけを放送区域としていたが1972年(昭和47年)の鳥取・島根両県の放送区域統合で鳥取・島根両県を放送区域とするようになった。 |
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山陰中央テレビジョン放送 (TSK、松江市西川津町) |
フジテレビ | 1970年(昭和45年)4月1日 | 開局当初の社名は島根放送(愛称:テレビしまね)。 山陰地方初の県名を社名とした民間放送局。開局当初は島根県だけを放送区域としていたが1972年(昭和47年)の鳥取・島根両県の放送区域統合で鳥取・島根両県を放送区域とするようになったことから現在の社名に変更した。 現在松江市向島町に新社屋を建設している。 |
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岡山県 香川県 |
山陽放送テレビ (RSK、岡山市北区丸の内二丁目) |
TBS | 1958年(昭和33年)6月1日 | テレビ・ラジオ兼営局(ラジオ局については1953年〔昭和28年〕10月1日開局)。中国地方初のテレビ・ラジオ兼営局でもある。 テレビ・ラジオとも開局当初は岡山県を放送区域としていたが1979年(昭和54年)の岡山・香川両県の放送区域統合でテレビ局については岡山・香川両県を放送区域とするようになった。 |
岡山放送 (OHK、岡山市北区学南町三丁目) |
フジテレビ | 1969年(昭和44年)4月1日 | 開局当初は岡山県を放送区域としていたが1979年(昭和54年)の岡山・香川両県の放送区域統合で岡山・香川両県を放送区域とするようになった。 | |
テレビせとうち (TSC、岡山市北区柳町二丁目) |
テレビ東京 | 1985年(昭和60年)10月1日 | 五大都市(札幌・東京・名古屋・大阪・福岡)以外にある唯一のテレビ東京系列に属する民間テレビ放送局。岡山・香川両県の放送区域統合後に開局したことから開局当初から岡山・香川両県を放送区域としている。 | |
西日本放送テレビ (RNC、高松市丸の内) |
日本テレビ | 1958年(昭和33年)7月1日 | テレビ・ラジオ兼営局(ラジオ局については1953年〔昭和28年〕10月1日開局)。 テレビ・ラジオとも開局当初は香川県を放送区域としていたが1979年(昭和54年)の岡山・香川両県の放送区域統合でテレビ局については岡山・香川両県を放送区域とするようになった。 |
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瀬戸内海放送 (KSB、高松市西宝町一丁目) |
テレビ朝日 | 1969年(昭和44年)4月1日 | 開局当初は香川県を放送区域としていたが1979年(昭和54年)の岡山・香川両県の放送区域統合で岡山・香川両県を放送区域とするようになった。 | |
広島県 | 中国放送テレビ (RCC、広島市中区基町) |
TBS | 1959年(昭和34年)4月1日 | 中国地方最古参の民間放送局。 テレビ・ラジオ兼営局(ラジオ局については1952年〔昭和27年〕10月1日開局)。 |
広島テレビ放送 (HTV、広島市中区中町) |
日本テレビ | 1962年(昭和37年)9月1日 | テレビ新広島が開局する前は日本テレビ・フジテレビ両系列に属するクロスネット体制をとっていた。 現在広島市東区二葉の里三丁目に新社屋を建設している。 |
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広島ホームテレビ (HOME、広島市中区白島北町) |
テレビ朝日 | 1970年(昭和45年)12月1日 | 中国地方初のテレビ朝日系列に属する民間テレビ放送局。 | |
テレビ新広島 (TSS、広島市南区出汐二丁目) |
フジテレビ | 1975年(昭和50年)10月1日 | ||
山口県 | 山口放送テレビ (KRY、周南市徳山) |
日本テレビ | 1959年(昭和34年)10月1日 | テレビ・ラジオ兼営局(ラジオ局については1956年〔昭和31年〕4月1日開局)。 |
テレビ山口 (TYS、山口市大内御堀) |
TBS | 1970年(昭和45年)4月1日 | ||
山口朝日放送 (YAB、山口市中央三丁目) |
テレビ朝日 | 1993年(平成5年)10月1日 | 中国地方最後発の民間テレビ放送局であり、唯一の平成時代に開局した中国地方にある民間テレビ放送局でもある(但し中国地方最後発の民間放送局ではない(注1))。 |
よく開局からの年数が5で割り切れる年に放送局は開局○周年記念と銘打っていろいろ企画を打つのだが、実は今年は15局中5局がそれに該当するのである。開局45周年を迎えるのが山陰中央テレビジョン放送と広島ホームテレビ、テレビ山口の3局、開局40周年を迎えるのがテレビ新広島、開局30周年を迎えるのがテレビせとうちとなる。実は昨年も15局中6局が開局○周年を迎えているのだが、6局中3局はラジオ単営局がテレビ放送を始めてテレビ・ラジオ兼営局に移行して○周年ということであり、実質的に開局○周年を祝うのは15局中3局だけとなる。よって、今年は開局○周年を祝う中国地方にある民間テレビ放送局が最も多い年となる(下表参照)。
西暦を5で割った時に 生じる余り |
開局○周年を迎える都道府県域民間テレビ放送局名 |
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0 | ・山陰中央テレビジョン放送(1970年〔昭和45年〕) ・広島ホームテレビ(1970年〔昭和45年〕) ・テレビ山口(1970年〔昭和45年〕) ・テレビ新広島(1975年〔昭和50年〕) ・テレビせとうち(1985年〔昭和60年〕) (以上5局) |
1 | ・山口放送(1956年〔昭和31年〕) (以上1局) |
2 | ・中国放送(1952年〔昭和27年〕) ・広島テレビ放送(1962年〔昭和37年〕) (以上2局) |
3 | ・山陽放送(1953年〔昭和28年〕) ・西日本放送(1953年〔昭和28年〕) ・山口朝日放送(1993年〔平成5年〕) (以上3局。山陽放送テレビと西日本放送テレビ〔いずれも1958年〈昭和33年〉〕はテレビ放送開始○周年にはなるが通常は記念企画を打つことはしない) |
4 | ・山陰放送(1954年〔昭和29年〕) ・日本海テレビジョン放送(1959年〔昭和34年〕) ・岡山放送(1969年〔昭和44年〕) ・瀬戸内海放送(1969年〔昭和44年〕) (以上3局。山陰放送テレビと中国放送テレビ、山口放送テレビ〔いずれも1959年〈昭和34年〉〕はテレビ放送開始○周年にはなるが通常は記念企画を打つことはしない) |
そこで今回の「不定期刊・きょうのトピックス」では最後に開局○周年を迎える広島ホームテレビの開局記念日に合わせて、今年開局○周年を迎える民間テレビ放送局の特色や現在の民間テレビ放送局における問題、そしてこれからの民間テレビ放送局に望むことを紹介していくことにしたい。
開局○周年を迎える民間テレビ放送局の特色
各社の概要
今年開局○周年を迎える中国地方の民間テレビ放送局の概要は下表の通りである(既に触れたことを繰り返し書くところがあるがご了承願いたい)。
開局からの 年数 |
放送局名/ 略称及び所在地 |
放送区域 | 所属系列 | 概要 |
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45年 | 山陰中央テレビジョン放送 (TSK、松江市西川津町) |
鳥取県 島根県 |
フジテレビ | 1970年(昭和45年)4月1日島根放送(愛称:テレビしまね)として開局。それまで島根県では山陰放送テレビが視聴できていたが山陰放送の本社は鳥取県米子市にあるため島根県初の民間放送局となった。開局当初は島根県だけを放送区域としていたが、1972年(昭和47年)に鳥取・島根両県の民間放送局の放送区域を統合することになったことから鳥取・島根両県を放送区域とする民間放送局に転換し、同時に現在の社名に変更した(略称は変えなかったが、結果的にそれがかつて島根県だけを放送区域としていたことの名残になっている)。開局当初からフジテレビ系列に属している。 開局当初からの本社が老朽化したことから現在松江市向島町に新本社を建設しており、近く移転する予定である。 |
広島ホームテレビ (HOME、広島市中区白島北町) |
広島県 | テレビ朝日 | 1970年(昭和45年)12月1日開局。中国地方初のテレビ朝日系列に属する民間テレビ放送局である。開局当時所属局数が少なく、更に人気番組も少なかったこと、先発局の中国放送テレビや広島テレビ放送とは異なって全てUHF電波を用いていたこと(中継局は開局時点で広島や尾道、呉、福山、三次など広島県内の主たるところには設置しており、人口カバー率は高かったのだが…)などから1980年代半ばまでは苦戦が続き、1985年(昭和60年)の時点で自社制作番組の比率はわずか6%という有様だった。音声多重放送開始(1985年〔昭和60年〕12月1日)やコーポレーションアイデンティティーの導入に伴う略称変更(1986年〔昭和61年〕4月1日。それまでの略称はUHTだった)を契機に自社制作の人気番組が多く生み出されるようになり、現在に至っている。しかし開局から十数年間も続いた低迷期を未だに引きずっているのか自社制作の新番組を始めるために既存の自社制作の人気番組を打ち切ることがよくあることやアナウンサーの入れ替わりが激しく、アナウンサーの知名度が今一歩低いこと(そのことが広島ホームテレビの自社制作番組出身のローカルタレントを多く生み出す一因にもなったのだが…)、広島県を放送区域とする民間テレビ放送局では唯一完全な終夜放送に移行できないでいること(但し放送休止時間は午前3〜4時台の数分〜数十分程度と短い)が難点と言える。 | |
テレビ山口 (TYS、山口市大内御堀) |
山口県 | TBS | 1970年(昭和45年)4月1日開局。山口県の民間放送局としては山口放送があったが、本社は徳山市(1935〜2003。現:周南市)にあるため山口県の県庁所在地・山口市に本社を置く初めての民間放送局となった。TBS系列に一本化されたのは1987年(昭和62年)のことであるが、2000年(平成12年)まではフジテレビジョン(CX、東京都港区台場二丁目)制作の番組をいくつか同時ネットしており、それがなくなった2000年(平成12年)までは実質的なTBS系列とフジテレビ系列のクロスネット局だったと言える。2011年(平成23年)春まで「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ系、1982〜2014年〔昭和57年〜平成26年〕放送)を夕方に放送していたことでも知られている(テレビ山口でのネット打ち切りにより「森田一義アワー 笑っていいとも!」の時差ネット局は消滅した)。 | |
40年 | テレビ新広島 (TSS、広島市南区出汐二丁目) |
広島県 | フジテレビ | 1975年(昭和50年)10月1日開局。本社は1966年(昭和41年)12月20日に全線開通した国道2号線新広島バイパスに面しており、本社のそばを通る道路の名称から命名された稀有な民間放送局でもある(注2)。1977年(昭和52年)放送開始の「釣りごろつられごろ」の制作局、1982年(昭和57年)放送開始の中国地方+香川県で放送される中国電力(広島市中区小町)一社提供のブロックネット番組(もっとも番組は何度も変遷しているが…)の制作局としても知られている。また、夕方に自社制作のワイド番組を長らく設定しなかったり(注3)契約アナウンサーを一切入れなかったりするなど孤高さを感じられる放送局でもある。平成時代初頭から平日午前中の自社制作の情報番組をずっと続けていることは評価できるが反対に自社制作の若年者向け深夜番組やゴールデンタイムの番組の制作には最近消極的なのが難点と言える。 |
30年 | テレビせとうち (TSC、岡山市北区柳町二丁目) |
岡山県 香川県 |
テレビ東京 | 1985年(昭和60年)10月1日開局。中国地方や四国地方では当然のこと、三大都市(東京・名古屋・大阪)以外で初めてのテレビ東京系列に属する民間テレビ放送局である。なぜこのようになったのかというと岡山・香川両県の民間テレビ放送の放送区域統合の前に岡山県第三民間テレビ放送局用のチャンネル割り当てが郵政省(現:総務省)によりなされていたこととそれが岡山・香川両県の民間テレビ放送の放送区域統合後岡山・香川両県の第五民間テレビ放送局用のチャンネルに移行したこと、更にその頃テレビ東京系列が発足したことが理由である。しかし、テレビ東京系列6社の中では最も放送区域人口が少ないことや大都市がないことから開局当初から苦戦し、中継局の整備が進んでいない、中国地方に本社を置く民間テレビ放送局で唯一広島市に支社が設置できていない、テレビ東京系列に属する民間テレビ放送局が存在しない広島県では放送されたテレビ東京(TX、東京都港区虎ノ門四丁目)及びその系列局制作の番組が放送されずじまいになるといった問題がある(その一方でわずか20年少々で本社を岡山市北区野田五丁目から現在地に移転させたことをどうかと思う意見もある(注4)。山陽新聞社〔岡山市北区柳町二丁目〕との関係が深いことが本社の移転の理由なのだが…)。1989年(平成元年)からはアニメ番組の制作にも乗り出しているが、ベネッセコーポレーション(岡山市北区南方三丁目)と提携した「しまじろう」シリーズ(1993年〔平成5年〕放送開始。現在は「しまじろうのわお!」が放送中。但し全編アニメではない)以外はヒットしたとは言い難く、1991年(平成3年)には番組改編期ではない時期での打ち切りを経験している。 |
いずれも昭和時代後半、言い換えればテレビ放送がUHF電波が主流になってからの開局だったのだが、どの局も放送区域の変更や系列局の変更、経営難など激動の歴史を乗り越えて今日まで放送を継続していることがうかがえる。まあ昭和時代後半以降の社会の変動(高度経済成長の終焉、過疎化、少子・高齢化、バブル景気、バブル景気終焉後の長期的不況、中国地方全体の人口減少、インターネットの急速な普及など)を考えればそれらも影響したことが考えられるのだが、そういう状況を経験し、今日に至ったことに対して感慨深い思いを抱く関係者は少なくないことであろう。
なぜ? 中心部の外れに置かれた本社
よく都市の中心部はどこまでだろうかと考えることがある。いろいろ考え方はあるのだろうが、山陰中央テレビジョン放送・テレビせとうち・広島ホームテレビ・テレビ新広島・テレビ山口の5局の開局当時の本社の位置を地図で見るとある共通点があることに気付く。それは5局とも中心部の外れに本社があるということである。各社の本社がある場所の概要を記すと下表の通りになる。
放送局名 | 本社のある場所の概要 |
---|---|
山陰中央テレビジョン放送 | ・松江市中心部の北部にある。 ・近くには国立島根大学(松江市西川津町)や島根県立松江東高等学校(松江市西川津町)があり、文教地区になっている。 ・近くにはかつて国道431号線(国道485号線重用)が通っていたがバイパス開通により現在は松江市道になっている。 ・周囲は住宅地にもなっているが住居表示は実施されていない。 |
テレビせとうち | ・岡山市中心部の西部にある。 ・JR宇野線よりも西側にある。 ・都市化は進展している。 ・岡山県道21号岡山・児島線(国道2号線旧道)が本社のすぐ南側を通っている(国道2号線から岡山県道21号岡山・児島線に変わったのは開局前の1979年〔昭和54年〕)。 ・住居表示は実施されている。 |
広島ホームテレビ | ・広島市中心部の北部にある。 ・JR山陽新幹線・山陽本線よりも北側にある。 ・本社のすぐ北側で太田川と京橋川が分かれている。 ・都市化は進展しているが住宅地である。 ・昭和時代末期から平成時代初頭にかけて本社のすぐ東側を国道54号線(国道191号線重用)や広島高速交通広島新交通1号線(愛称:アストラムライン)が通るようになった。 ・本社の真向かいには安田女子中学校・高等学校(広島市中区白島北町)がある。 ・住居表示は実施されている。 |
テレビ新広島 | ・広島市中心部の東部にある。 ・京橋川よりも東側にある。 ・南区役所(広島市南区皆実町一丁目)に近く、広島市南区の中枢部にある。 ・都市化は進展している。 ・本社のすぐ北側を国道2号線が通っている。 ・近くには国立広島大学(広島市南区霞一丁目。医学部・歯学部)や広島県立広島工業高等学校(広島市南区出汐二丁目)、広島県立広島皆実高等学校(広島市南区出汐二丁目)、進徳女子高等学校(広島市南区皆実町一丁目)、比治山女子中学校・高等学校(広島市南区西霞町)があり、文教地区にもなっている。 ・住居表示は実施されている。 |
テレビ山口 | ・山口市中心部の東側にある。 ・椹野(ふしの)川よりも東側にある。 ・本社の少し南側を山口県道21号山口・防府線(国道262号線旧道。山口県道194号山口・秋穂〔あいお〕線重用)が通っている。 ・大型商業施設・ゆめタウン山口(山口市大内御堀)が近くにできるなど都市化は進展しているが、住居表示は実施されていない。 |
なぜ中心部に本社を置けなかったのか、はっきりとしたことは分からないのだが、恐らく中心部の地価が高かったことや中心部には本社を置けるような場所が当時はなかったこと、本社周辺の都市化の進展を見込んだこと、本局のある山との間に障害物がない場所を選んだことなどが考えられる。山陰中央テレビジョン放送・広島ホームテレビ・テレビ山口より少し早く開局した岡山放送や瀬戸内海放送にも同じ傾向が見られ(注5)、1960年代中期〜1980年代中期に開局した民間テレビ放送局には同じような認識があったのかなと考えたくなる。
初めての…
今年開局○周年を迎えた山陰中央テレビジョン放送・テレビせとうち・広島ホームテレビ・テレビ新広島・テレビ山口の5局について調べてみるとその地域で初めてとなるものが多く見つかる。それをまとめると下表の通りになる(まだあるかもしれないし、もしかしたら間違っていることを書いているかもしれないがそれはご容赦願いたいし指摘して頂ければ幸いである)。
放送局名 | 該当するもの |
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山陰中央テレビジョン放送 | ・島根県における初めての民間放送局。 ・松江市に本社を置いた初めての民間放送局。 ・山陰地方で初めての原則としてUHF電波だけを用いた民間テレビ放送局。 ・山陰地方で初めて音声多重放送を実施した民間テレビ放送局。 |
テレビせとうち | ・中国地方+四国地方初のテレビ東京系列に属する民間テレビ放送局。 ・三大都市(東京・名古屋・大阪)以外で初めて開局したテレビ東京系列に属する民間テレビ放送局。 ・岡山・香川両県の民間テレビ放送局放送区域統合後初めて開局した民間テレビ放送局。 ・初めて全国ネットのアニメ番組を制作した、地方にある民間テレビ放送局。 ・開局時点から音声多重放送を実施した中国地方初の民間テレビ放送局。 |
広島ホームテレビ | ・中国地方初のテレビ朝日系列に属する民間テレビ放送局。 ・広島県で初めての原則としてUHF電波だけを用いた民間テレビ放送局。 ・広島県で初めて多くの地域で開局当初から番組を楽しめるようになっていた放送局。 ・広島県にある民間テレビ放送局で初めて若年者向け深夜番組の制作を行った放送局。 |
テレビ新広島 | ・結果的に広島市南区に本社を置いた初めての民間放送局。 ・多くの地域で放送される番組を制作した中国地方で初めての民間テレビ放送局。 ・週末だけだが終夜放送を実施した中国地方で初めての民間テレビ放送局。 ・広島県にある民間テレビ放送局で初めて都道府県域民間エフエム放送局と同時放送を行った放送局。 |
テレビ山口 | ・山口市に本社を置いた初めての民間放送局。 ・山口県で初めての原則としてUHF電波だけを用いた民間テレビ放送局。 ・中国地方で初めて平日夕方にローカルワイドニュース番組を設定した民間テレビ放送局。 |
5局で多く見られる「初めて」は県庁所在地への本社設置(山陰中央テレビジョン放送とテレビ山口)やUHF電波の使用(山陰中央テレビジョン放送と広島ホームテレビ、テレビ山口)、中国地方初の系列局(テレビせとうちと広島ホームテレビ)、その種類の番組制作(テレビせとうちと広島ホームテレビ、テレビ新広島、テレビ山口)といったところである。無論初めてには失敗と苦労が付き物であるが、今それに関わった方々(中には既に亡くなられている方も少なくないことだろうが…)はどのように感じているのだろうか。
地方局発の多くの地域で見られる番組
広島県では広島ホームテレビで度々放送され、裏番組(注6)を短期間で打ち切りに追い込むほどの人気を博した北海道テレビ放送(HTB、札幌市豊平区平岸四条十三丁目)の「水曜どうでしょう」シリーズなど、地方局制作ながら全国的な人気を博す番組がいくつかあるが、今年開局○周年を迎えた5局が制作している番組の中には多くの地域で放送されている番組がいくつかある。ここではテレビ新広島制作の「釣りごろつられごろ」とテレビせとうち制作のアニメ番組を挙げることにしたい。
まず、テレビ新広島制作の「釣りごろつられごろ」は開局2年後の1977年(昭和52年)10月に始まった番組である。瀬戸内海を中心とした海での釣りの様子をアナウンサーと釣りを楽しんだ人が振り返るという内容の15分番組で、今年11月28日放送分で放送回数は1,968回を数えている(順調に行けば来年7月には放送回数が2,000回に達することになる)。瀬戸内海から遠く離れた青森県や山形県でも放送されているのが特徴で、ネット局の一つである東海テレビ放送(THK、名古屋市東区東桜一丁目)の午前中の生活情報番組「ぴーかんテレビ」(1998〜2011年〔平成10〜23年〕放送)ではこの番組の題名をもじった「吊りごろ吊られごろ」というコーナー(注7)が設定されていたほどである。制作局のテレビ新広島では再放送も行っており、番組開始当初から変わらないテーマ曲は広島県民におなじみの存在になっている。
一方、テレビせとうち制作のアニメは1989年(平成元年)から始まったが、1993年(平成5年)暮れに今なお続く「しまじろう」シリーズが始まるまでは苦難の連続であった。第一作の「アイドル伝説えり子」(1989〜1990年〔平成元年〜平成2年〕)放送は一年間きちんと放送したのだが、第二作の「アイドル天使ようこそようこ」(1990〜1991年〔平成2〜3年〕放送)は番組改編期ではない2月上旬で打ち切りの憂き目に遭い、第三作の「ゲッターロボ號」(1991〜1992年〔平成3〜4年〕放送)はエンディングテーマ曲が暗すぎるという苦情が出て途中で変更されるという事態になった。その後「花の魔法使いマリーベル」(1992〜1993年〔平成4〜5年〕放送)→「無責任艦長タイラー」(1993年〔平成5年〕放送)と続いたがどの作品もさほど話題にならず、「無責任艦長タイラー」が終了した1993年(平成5年)7月でテレビせとうち制作のアニメは一旦途切れることになった。
この惨憺たる状況を見て批判的な感情を持つ方も少なくなかったのだが、私はそのようになったのはむしろ当時の如何ともし難い状況にあったのではないかと考えている。それは次の通りである。
・テレビせとうちがアニメ制作を始めた平成時代初頭は女性アイドル歌手にとって冬の時代だったこと(注8)。「アイドル伝説えり子」は田村英里子、「アイドル天使ようこそようこ」は田中陽子、「花の魔法使いマリーベル」は中嶋美智代(現:中嶋ミチヨ)と関係が深いが、田村英里子・田中陽子・中嶋美智代ともアイドル歌手として大成したとは言い難い状況にあり、特に田中陽子は「アイドル天使ようこそようこ」打ち切りの半年ほど後に所属芸能事務所を解雇され、強制的に引退させられている。中嶋美智代にしても多くの人々が名前を知ったのは2000年(平成12年)に「いきなり!
黄金伝説。」(テレビ朝日系)で放送された、1ヶ月間1万円で生活するという企画に挑戦したこととそれから間もなく千葉ロッテマリーンズのサブロー外野手と結婚したことが契機という印象しか私にはない(実は結構有名で他でも活躍していたがあなたが知らないだけだと指摘されたら申し訳ないことを書いたことになるのだが…)。
・テレビせとうちは開局当時岡山・津山南・高松の3局しか中継局がなく、平成時代初頭の時点でも岡山・香川両県ではテレビせとうちが視聴できない地域がまだかなり存在したこと。福山市に隣接する井原市に至っては経営上の問題により開局から30年経った今になっても中継局が設置されておらず(テレビせとうちが株主になっている岡山エフエム放送〔岡山市北区中山下一丁目〕の中継局はあるのだが…。なお、井原市によるとテレビせとうちの中継局設置を求めることや金を出すことは全く考えていないと言う(注9))、テレビせとうちがアニメを制作していることを全く知らない岡山・香川両県民がある程度いた可能性が考えられる。
・昭和時代末期から平成時代初頭のかけての時期はテレビ東京系列に対する偏見が根強かったこと。今でこそ視聴率を稼げる番組はあるが、その頃はテレビ東京系列の番組は面白くないという印象が根強かった。
・テレビ東京系列に属する民間テレビ放送局が少ないこと。テレビせとうちの後に開局したのはテレビ北海道(TVH、札幌市中央区大通東六丁目)とTXN九州改めTVQ九州放送(TVQ、福岡市博多区住吉二丁目)しかなく、もう四半世紀近く途切れている。テレビ東京としてはまだ系列局を開局させたい府県はあったことだろうが、テレビせとうちやテレビ北海道の経営事情が厳しいことや開局させたい地域の一つである宮城県や広島県の人口は実は岡山県と香川県の合計人口より少ないこと、系列局を開局させたい府県では反対意見が根強いこと、TVQ九州放送開局後日本経済は何度も不況に見舞われていることなどを考えれば積極的になれないのであろう。
・地域によりスポンサーの都合などで流さない作品があったこと。例えばテレビ新広島はテレビせとうち制作のアニメを第一作である「アイドル伝説えり子」から放送しているが、テレビ山口は「アイドル天使ようこそようこ」と「花の魔法使いマリーベル」しか放送していない。山口県にある民間テレビ放送局―当時は山口放送テレビとテレビ山口しかなかったのだが―にはなぜか合体ロボットが敵を倒すアニメ番組を流さない方針が当時存在したらしく、「アイドル天使ようこそようこ」の後番組は「ゲッターロボ號」ではなくテレビ東京版「ジャングル大帝」(1989〜1990年〔平成元年〜平成2年〕放送)になったという(その「ジャングル大帝」の後番組が「花の魔法使いマリーベル」となる)。
・地域により視聴率不振などの事情により途中で無慈悲にも打ち切られる作品が少なくなかったこと。平成時代初頭に放送されたテレビせとうち制作のアニメは広告代理店のビックウェスト(東京都千代田区外神田六丁目)も制作に関わっているが、同じ時期にビックウェストが制作に関わったアニメ作品の一つである「ジャンケンマン」(テレビ東京系、1991〜1992年〔平成3〜4年〕放送)は広島県ではテレビ新広島で放送されたものの最終回まで残り数回のところで打ち切られている。「集中放送してでも最終回まで放送すべきだ」とか「あと数回我慢すれば良かったものを…。テレビ新広島の番組編成部門は何を考えているのか」という声も当時はあったことだろうが、「ジャンケンマン」自体現在も放送されている「それいけ!
アンパンマン」(日本テレビ系)のパクリという印象が否めなかったことやそのせいか放送しているところは少なかったこと(ビックウェストが制作に絡んだ「アイドル天使ようこそようこ」と「花の魔法使いマリーベル」がテレビ山口で放送されていた山口県でも放送されていない)、主題歌を担当していたCottonという女性アイドルグループ(メンバーの中には広島県出身者がいたという)が伸び悩み、結局空中分解したこと、テレビ新広島としても視聴率も人気も見込めないアニメ番組は経営上の障害でしかないのでさっさと打ち切って次の番組を始めたかったこと、集中放送させる意味が見出せなかったことが最終回まで残り数回での打ち切りに至った原因と思われる。また、福岡県ではTVQ九州放送が開局する少し前から既存局、すなわちRKB毎日放送テレビ(RKB、福岡市早良〔さわら〕区百道浜〔ももちはま〕二丁目)と九州朝日放送テレビ(KBC、福岡市中央区福岡市中央区長浜一丁目)、テレビ西日本(TNC、福岡市早良区百道浜二丁目)、福岡放送(FBS、福岡市中央区清川二丁目)がテレビ東京及びその系列局制作の番組を次々と打ち切り、なるべく流さないようにしたという話がある。
・昭和時代末期から平成時代初頭にかけて首都圏で女児が相次いで誘拐され、殺害された事件の容疑者(2008年〔平成20年〕死刑執行)がアニメなどに興味を持っていたことが明らかになったこと。逮捕当時東京郊外にあった自宅の自分の部屋の様子がテレビで放送されたのだが、そこにはアニメ雑誌があり、その表紙にはあろうことか「アイドル伝説えり子」と書かれていたのを見た覚えがある。まあこの容疑者が自分の住んでいる地域でも十分見られた「アイドル伝説えり子」を見ていたかどうかは分からないのだが、その映像を見た関係者はどのように感じたのだろうか。
テレビせとうちの迷走ぶりは「アイドル天使ようこそようこ」以降に如実に示されている。女児向けアニメ一本で行くかと思いきや番組改編期ではない2月上旬でいきなり打ち切って1970年代中期にフジテレビ系列で放送されたロボットアニメのリメイク作品を流し、新路線で行くのかと思ったら今度は女児向けアニメに戻り…となったからである。そもそもどれだけの知名度があったか疑わしいものではあったのだが、視聴者の中にはこの迷走ぶりをどうなのかと思っていた方もいたことであろう。結局4年4ヶ月で終焉を迎えたわけであるが、「それ見たことか」とか「もうアニメなんか制作するな」とか「身の丈に合ったことを考えろ。背伸びするな」とか「広島支社や井原中継局の設置に金をかけろ。少子化の時代アニメに手を出してどうするのか」という声もあったのではないのだろうか。
だが、「無責任艦長タイラー」終了から数ヶ月後、テレビせとうちは再びアニメ制作に乗り出す。それが「しまじろう」シリーズの第一作となった「しましまとらのしまじろう」(1993〜2008年〔平成5〜20年〕放送)である。ご存知の方も多いかと思うのだがしまじろうとは岡山市が発祥地の出版社・ベネッセコーポレーションが運営している乳幼児向け通信教育教材「こどもちゃれんじ」に登場するメインキャラクターである。「こどもちゃれんじ」自体はテレビせとうちがアニメ制作に乗り出す少し前の1988年(昭和63年)から存在したのだが、知名度があったとは言い難く、また失敗する可能性があったためにベネッセコーポレーションとの提携などは考えてこなかったのだろう。しかし、アニメ番組がことごとくヒットしなかったテレビせとうちと少子化の中で多くの受講者を集め、飛躍に繋げたいと考えるベネッセコーポレーションの利害が一致し、「しましまとらのしまじろう」が始まったのである。
果たして、「しましまとらのしまじろう」は「こどもちゃれんじ」受講者であるかどうかを問わず育児中の方々の幅広い支持を得、「無責任艦長タイラー」以前のアニメ番組よりも多くの民間テレビ放送局で放送される番組となった(但し地域により途中で打ち切られたところもある)。「しまじろう」シリーズはその後「はっけん
たいけん だいすき! しまじろう」(2008〜2010年〔平成20〜22年〕放送)→「しまじろう ヘソカ」(2010〜2012年〔平成22〜24年〕放送)→「しまじろうのわお!」(2012年〔平成24年〕放送開始。現在放送中)と続くことになるのだが、現在放送中の「しまじろうのわお!」は全編アニメで構成される作品ではないものの放送年数22年はテレビ東京及びその系列局制作のアニメとしては最長であり、「サザエさん」(フジテレビ系。1969年〔昭和44年〕10月放送開始)、「ドラえもん」(テレビ朝日系。1979年〔昭和54年〕4月放送開始)、「それいけ!
アンパンマン」(日本テレビ系。1988年〔昭和63年〕10月放送開始)、「クレヨンしんちゃん」(テレビ朝日系。1992年〔平成4年〕4月放送開始)に次ぐ長寿アニメ番組となっている(注10)。また、「しまじろうのわお!」は日本BS放送(愛称:BS11。東京都千代田区神田駿河台二丁目)でも放送されており、衛星放送が見られる環境であれば日本のどこでも見られる番組になっている。ベネッセコーポレーションの後ろ盾があるとはいえ如何に多くの方々に親しまれている番組になっているかはこのことからもうかがえよう。
この他にも中国地方にある民間テレビ放送局が制作し、多くの地域で放送されている番組は既に終わったものも含めていくつもあるのだが、「釣りごろつられごろ」と「しまじろう」シリーズは誇って良い存在だと私は考えているし、今後もずっと続いて欲しいものだと思っている。
挑戦的であり、孤高を貫く放送局
考えてみれば今年開局○周年を迎えた民間テレビ放送局は厳しい時代を早くから経験したところでもある。山陰中央テレビジョン放送・広島ホームテレビ・テレビ山口は高度経済成長の真っ只中に開局したが間もなく高度経済成長を終わらせる契機となった第一次石油危機(1973年〔昭和48年〕)を経験したし、テレビ新広島は第一次石油危機直後の不景気の中で開局を迎えた。テレビせとうちが開局したのは円高不況や造船不況真っ只中の頃であった(余談だが福山市中心部でテレビせとうちが見られるようになるために必要だった笠岡中継局〔笠岡市神島〈こうのしま〉〕が開局したのはいわゆるブラックマンデー〔1987年〈昭和62年〉10月19日〕の頃であった(注11))。その後日本経済はバブル景気と長期にわたる不況、リーマンショックによる世界的な不況などを経験してきたが、無論これらの放送局もそれらの激動の歴史とは無縁でいられなかった。
一方で中国地方に目を転じると過疎化が進展したのに続いて産業構造の変化からある程度の人口規模を有する都市でも人口減少に転じるところもいくつも出てきた。そして平成時代に入ると中国地方唯一の百万都市・広島市を擁する広島県ですら人口減少に転じるようになった。人口が減少すれば経済力減退にも繋がるわけであるが、追い打ちをかけるように1990年代中期以降インターネットが台頭し、更に価値観が多様化したこともあって若年者を中心にテレビを見ない方が増えている。
そういう社会情勢の変化は当然のことながらテレビ局の経営にも響いてきた。経営面が厳しいことをうかがわせる事実を挙げると次の通りになる。
・中継局の設置が進まなかった。
・最初に中継局を設置するところは放送区域内の主要なところであるが、そこはVHF電波を用いた中継局ばかりのことが多いので定着するのに時間がかかった。
・自社制作番組の充実が進まなかった。
・新たな自社制作番組を始めるのに既存の番組を終了させることが多く、視聴者の不信を買った。
・いわゆる名物アナウンサーが出現しなかったり数年で消え去ったり突然入ってきたりするなどアナウンサー事情が芳しくなかった。
・音声多重放送の開始が遅れ、長らくスポーツ中継や海外の映画、音楽番組、ヴァラエティ番組、人気ドラマをモノラル放送で楽しまなければならない状態が続いた。
・人気があるはずなのに突然何の理由説明もなく(一見すれば恣意的に)打ち切られる番組が増えた。
中には広島ホームテレビのように自社制作番組の比率が1985年(昭和60年)時点で約6%しかなく、郵政省(現:総務省)から指導を受けたところ(注12)やテレビせとうちのように未だに市であっても中継局が設置できていないところもあるのだが、そういう中で気を吐いたのがテレビ新広島であった。テレビ新広島は広島県を放送区域とする民間テレビ局としては最後発であり、しかも(結果的に)広島市中区に一度も本社を設置できなかった唯一の民間テレビ放送局でもある。しかも開局した時は前にも記した通り第一次石油危機直後の不景気の真っ只中にあったしフジテレビ系列も人気番組はいくつかあったが当時はまだ人気系列とは言い難い状況にあった。「こちらが日本テレビ系列、広島テレビ放送がフジテレビ系列になれば良かったのに…」という恨み節を吐く方もいたことであろうが、そういう環境が挑戦的な姿勢と孤高さを感じられる姿勢を育んだと言えよう。
ではテレビ新広島はこれまでどのような挑戦をしてきたのか。フジテレビ系列がヴァラエティ番組の充実で人気系列にのし上がってきた1980年代以降について挙げると次の通りになる。
・放送開始時の映像は明るい・爽やかという印象が、放送終了時の映像は暗いという印象がそれぞれ強かった時代(注13)にダーク・ダックスが歌うイメージソング「もしも・ひろしまに」を放送開始時・放送終了時に流したこと。「もしも・ひろしまに」はピーターパンやみつばちマーヤ、ガリバー、ピノキオ、星の王子様といった童話の主人公がもし広島に来たら何をして欲しいかを歌った上で最後はちゃっかりテレビ新広島の宣伝をするという内容であり、十数年間流されたのだが、あまりにも演奏時間が長いためある時期から放送終了時には流されなくなってしまった(注14)。
・1982年(昭和57年)春には早くもブロックネット番組を始めたこと。番組やその内容、放送日時は何度か変わっているしいろいろ波乱もあったが、30年以上継続し、なおかつ中国地方全域で流れ続けているというのはあまりないことと言える。テレビ新広島の主要株主に中国電力(広島市中区小町)があることやこれまで放送してきたどの番組も中国電力一社提供であることも長く続けられた要因と言えよう。
・テレビの終夜放送などとんでもないとされ、なおかつ広島県を放送区域とする民間テレビ放送局はどこも深夜の早い時間帯で一日の放送を終了していた1980年代末期(注15)に週末だけ終夜放送を実施したこと。金曜日深夜(土曜日未明)はフジテレビジョン制作の番組を、土曜日深夜(日曜日未明)は自社制作番組をそれぞれ放送していたのだが、間もなくバブル景気が終焉を迎えたこともあり、わずか4年半で終焉を迎えてしまった。しかし、福山市内に自社制作番組の名前を付けたパブ(下の写真参照)が存在したことや終夜放送打ち切り半年前の1993年(平成5年)4月1日から中国放送テレビが終夜放送を開始したことを考えればその影響は決して小さくはなかったことが推察される。
・広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)と同時放送を実施したこと(前記の平成時代初頭に放送された土曜日深夜の自社制作番組で実施)。同じ広島市南区の国道2号線沿線(それも道の南側)に本社があることと800mほどしか離れていないことから実現した企画であるが、テレビ局とエフエム放送局の同時放送は画期的な企画と言えた(注16)。
・テレビ新広島は1991年(平成3年)7月1日(注17)になってようやく音声多重放送を開始したのだが、音声多重放送開始後間もなくのある日の旧広島市民球場(広島市中区基町。1957〜2010)での広島東洋カープの公式戦中継で副音声は球場の音しか流さない企画を実施したこと。テレビ新広島が実施する前に他の民間テレビ放送局でもやっていた可能性もあるが、広島県を放送区域とする民間テレビ放送局では初の試みだったものと思われる。
・平日午前中の生活情報番組の制作・放送から撤退する動きがある中であえて平日午前中の生活情報番組の制作・放送に踏み切ったこと。何度か番組は変わったが、既に20年以上の歴史を刻んでいる。
・2000年(平成12年)春から放送されている平日午前中の生活情報番組「ひろしま満点ママ!」で県道路線とその沿線を紹介する企画を打ったこと。広島県の県道路線は361路線(今年12月1日現在)と全国第9位の多さを誇る(注18)が、高速道路や国道路線に比べて知名度はあまり高くなく、中にはその存在すら知られていないものもある。それ故に短期間で不人気で終わってしまいそうな企画ではあったのだが、何と5年半にわたって続いた人気企画となった。
・広島県の放送局・報道機関で初めて専用郵便番号を導入したこと(1997年〔平成9年〕11月)。しかも郵便番号7桁化実施(1998年〔平成10年〕2月2日)の前だったにもかかわらず7桁の専用郵便番号、すなわち734-8585を使用していた。テレビ新広島以外の広島県の放送局・報道機関が専用郵便番号導入を郵便番号7桁化実施まで見送ったのは短期間での変更で視聴者や聴取者、読者が戸惑う恐れがあると考えていたからだと思われるが、テレビ新広島がいち早く専用郵便番号を導入し、頻繁に示したのは視聴者に周知したかったことが考えられる(1997年〔平成9年〕11月から始めたら郵便番号7桁化実施時点で十分浸透するし、別に使っていけなかったわけではないし…)。
・ハーフ(日本人と外国人の間に生まれた子供を指す)のアナウンサーを広島県を放送区域とする民間テレビ放送局で初めて採用したこと。現在も活躍しているバーゲル・ルミアナウンサーがそれである。
一方、テレビ新広島は(個人的な見方ではあるが)孤高を貫く放送局である。そのように感じる理由は次の通りである。
・中途採用のアナウンサーや契約アナウンサーを一切採らないこと。
・今春まで平日夕方に自社制作の生活情報番組を一切設定せず、平日夕方のワイド番組戦争に参戦しなかったこと。
・一貫して平日午前中に自社制作の生活情報番組を設定し続けていること。
・他の広島県を放送区域とする民間テレビ放送局が視聴率不振などの事情で打ち切ったテレビ東京及びその系列局制作の番組を原則として受け入れないこと。
・他の広島県を放送区域とする民間テレビ放送局はどこも発行している20年史を発行しなかったこと(10年史は発行したらしいが福山市内の図書館には入っていない。広島県立図書館〔広島市中区千田町三丁目〕にはあるらしいが未だに閲覧したことはない)。
広島県で最後発の民間テレビ放送局であるだけに先輩局を反面教師としてどのようにすれば良いのかを考え、決断した姿がこういう点に表れているのだろう。
アナログ放送終了とともに消えたもの
2011年(平成23年)7月24日正午をもって岩手県・宮城県・福島県を除く地域でテレビのアナログ放送は終了し、デジタル放送に移行した(注19)。アナログ放送終了をもって消えたものは多数あるが、ここでは福山市内にあったあるものを紹介したい。
福山市中心部の北東に聳える蔵王山(標高:225.3m)。福山市を通る主な高速道路や国道路線、鉄道路線からも眺められるその山は地域の象徴たる存在である。そのことは蔵王山南東麓にあった深安郡市村(1889〜1956)が福山市に編入された時深安郡市村だった区域をもって発足した町丁を蔵王町としたことや蔵王山周辺にある学校の校歌の歌詞に「蔵王」という単語が入っていること(注20)にうかがえる。
その蔵王山にテレビ局の中継局が設置されたのは1964年(昭和39年)7月1日のことである(注21)。当初はNHK(総合テレビ・教育テレビ共用)と中国放送テレビ、広島テレビ放送しかなかったのだが、その後1970年(昭和45年)に広島ホームテレビが、1975年(昭和50年)にテレビ新広島がそれぞれ中継局を設置し、蔵王山中腹に五つのテレビ中継局が林立することになったのである(注22)。
在りし日の蔵王山中腹のテレビ中継局群(2011年〔平成23年〕7月3日撮影)
五つのテレビ中継局で珍しい存在と言えたのが広島ホームテレビの中継局であった。上の写真の右側に不鮮明ながらその姿が見えているのだが、上部に何か円いものが取り付けられていることがうかがえる。「何か円いもの」はパラボラアンテナなのだが、よく見ると北または北東を向いているように見える。なぜこういう中継局が作られることになったのか。その答えは「広島ホームテレビ20年史」(1991年〔平成3年〕広島ホームテレビ20年史編纂委員会編)に記されている。
広島ホームテレビの電波は本社(広島市中区白島北町)から本局(広島市安芸区矢野町の絵下山〔標高:593m〕)→宇根山中継所(三原市久井町吉田)を経由して福山中継局に届けることになっていた。ところが、宇根山〜蔵王山間に何らかの障害物(恐らく山)があることから蔵王山の山頂に反射板を設置し、宇根山中継所からの電波をそこではね返して福山蔵王中継局に届けるようにしたのである(だから電波を集約する目的でパラボラアンテナが設置されたのだろう)。実は蔵王山の山頂の反射板は府中中継局(福山市新市町相方〔さがた〕の城山〔標高:190.7m〕)に電波を届ける目的も持っており、故に上下2枚で構成されるという珍しいものであった。つまり、蔵王山山頂の反射板は福山・府中両市の中心部で広島ホームテレビが受信できるようにするために必要不可欠なものだったのである。
さて、広島ホームテレビ福山中継局は蔵王山中腹にある五つのテレビ・エフエム中継局の中で最も高い建物となった。蔵王山山頂の反射板から来た電波を受けるためのパラボラアンテナを付けたことや斜面を削って平らにしたところに設置したことが理由である。それが理由だったわけではないのだろうが、広島ホームテレビ福山中継局には何と建物の中ほどに展望台が設置されたのである。テレビ・エフエム中継局と言えば防犯対策で有刺鉄線を最上部に取り付けたフェンスで取り囲んで立ち入れないようにしているところが多いのだが、展望台を設けたことにより広島ホームテレビ福山蔵王中継局だけはフェンスが設置されなかったのである。まあ蔵王山は観光化された山ではない(一応憩いの森として整備されているし、風致地区にも指定されているのだが…)し、自動車で登っても広島ホームテレビ福山中継局のすぐそばまでは行き着けない(注23)のだが、発展著しい福山市中心部や瀬戸内海などを眺められる場所なので展望台に上り休憩したり弁当を食べたりした人は多数いたことであろう。本当に粋な演出だったと今思うのだが、恐らくこういう中継局は広島ホームテレビ福山中継局以外にはなかったのではないのだろうか。
しかし、テレビ放送のデジタルへの移行が決まったことや開局から数十年経ち、階段の腐食が進んできたことから2000年代に入ってから広島ホームテレビ福山中継局の展望台への立ち入りはできなくなってしまった。蔵王山中腹の中継局は福山南中継局として存続することになったがテレビ・エフエムともNHK福山蔵王中継局に全てを集約することになり、中国放送テレビ・広島テレビ放送・広島ホームテレビ・テレビ新広島のそれぞれの福山中継局は2011年(平成23年)7月24日をもってその役目を終えたのである。それからしばらくは放置されていたのだが、2012年(平成24年)秋に蔵王山山頂の反射板とともに解体され、今はそれがあったと思しき平地だけが残されている。広島ホームテレビ福山中継局の展望台部分だけでも残して欲しいという声が一部にはあったようであるが、残念ながらそれはかなわなかった。展望台がなくても福山市中心部や瀬戸内海などを眺められる場所は多数あることや費用対効果が見込めなかったことや老朽化が進展していたこと、福山市の財政事情が厳しいことが存続を断念する理由になったようである。
福山南中継局の銘板。明記されていないがNHK-FMと広島エフエム放送の中継局も併設されているものと思われる。
私は蔵王山中腹のテレビ・エフエム中継局と蔵王山山頂を眺められるところにずっと住んでいるので一つしかテレビ・エフエム中継局がない様子や山頂に反射板がない様子には未だになじめないでいる(無論それらがあった時間のほうが長いわけであるが…)。致し方ないことだったとは思うのだが、これも時代の流れと考えるべきなのだろうか…。
民間テレビ放送局の問題点を考える
我々の生活になくてはならない存在であるテレビ放送。しかし、民間テレビ放送局を考えた時にどうかと思うことは多数ある。そこでここからは私が感じる民間テレビ放送局の問題点を紹介していくことにしたい。
未だに改まらない視聴率至上主義
インターネットでよく見るニュースの一つにテレビ番組の視聴率がどうだったかというものがある。視聴率は番組の人気を示す一つの指標であることがこのことからもうかがえるのだが、私は最近視聴率が良かったかどうかにこだわる必要はないのではないかと考えている。そのように考える理由を挙げると次の通りになる。
1 視聴率を稼ぐことは結果としてテレビ局にとって損になることでしかないと思うこと。
よく「歴史は繰り返す」と言うが、昨今のフジテレビ系列の視聴率の不振を見ていて感じることは過去のある事件を全く他山の石として生かしていないのではないかということである。その事件とは「アフタヌーンショー」(テレビ朝日系、1965〜1985年〔昭和40〜60年〕放送)のいわゆるやらせリンチ事件であった。
やらせリンチ事件とは1985年(昭和60年)8月に東京郊外の河川敷で起きた暴行事件の一部始終を「アフタヌーンショー」が放送したのだが、それが後にディレクターの演出であることが判明したというものである。それが判明したことで20年半続いた「アフタヌーンショー」は打ち切りの憂き目に遭ったばかりかその後長らくテレビ朝日系列の平日午後0時台は低迷を続ける結果になったのだが、私が呆れたのはこの企画を「激写!
中学女番長! セックスリンチ全告白!」という題名で放送したことであった。8月といえば幼稚園児や小学生、中学生、高校生が夏休みで家にいることが多い時期であり、しかも放送時間帯は(中国地方の場合)午後0時台か午後2時台である(注24)。青少年には見せたくないような「セックス」とか「リンチ」といった単語を題名に入れたり暴力を振るう場面を映したりする企画を放送することに対して番組関係者は何とも思わなかったのだろうか。番組関係者の中には疑問に感じていても不利益を被りたくなかったために声を上げなかった方もいるのではないかと思うのだが…。
ではなぜテレビ朝日(EX、東京都港区六本木六丁目)はこんな事件を起こしたのか。私は1982年(昭和57年)秋以降「森田一義アワー 笑っていいとも!」に視聴率で負けることが多くなったことが背景にあったのではないかと考えている。まあ前記の通り「森田一義アワー 笑っていいとも!」と放送時間が重ならない地域も少なくなかったのだが、テレビ朝日にとって大切なのはテレビ朝日の放送区域である東京都及び茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・神奈川各県での視聴率である。しかも「アフタヌーンショー」は社会の問題(注25)を度々取り上げていた。社会問題化していた青少年の非行問題を紹介して視聴率を稼ぎたいという思惑が出てくるのは無理からぬことであった。「『よそはよそ。自分は自分』という考えを持てなかったのか」とか「住み分けを考えるべきではなかったのか」とか「番組を延命させるのは愚の骨頂。新たな形で『森田一義アワー 笑っていいとも!』に対抗することは考えられなかったのか」という声も出るところではあろうが、当時はそんな余裕などなかったのだろう(当時はテレビ朝日系列に属する民間テレビ放送局は少なかったし、「ドラえもん」など人気のある番組はなかったわけではないが不人気系列という印象がまだ根強かったし…)。
視聴率を稼ぐためには何をしても許されるものではないということを「アフタヌーンショー」のやらせリンチ事件は教訓として残したと私は考えるのだが、あろうことかフジテレビ系列も同じ轍を踏む結果になってしまった。フジテレビ系列の隆盛は1980〜2000年代の約30年間であり、その間多くの人気番組が生まれ、多くの人々の思い出になったのだが、今数々の人気番組を思い起こすと視聴率を稼ぐためには何をしても許されるという姿勢があったことに驚かされる。人命や人権を踏みにじるものやいじめを助長する恐れのあるもの、大人が好ましくないと思うもの、死傷事故を起こす恐れのあるもの…。そして残念なことにやらせやでっち上げが発覚し、打ち切りに追い込まれた番組もいくつか存在する。かつてのフジテレビ系列は家族みんなで見られる番組が多かったのに、今はもうその面影すらない。
私はフジテレビ系列の今日の不振は視聴率至上主義のなれの果てだと考えている。長年愛された番組を視聴率が悪くなったからということで無慈悲にも打ち切り、一方で賛否両論ある人気番組を多く生み出してきたがその大半は実は10年も続かずに終わっている。そんなことを繰り返していたらいずれは飽きられることは分かっていたはずなのに、今も改める姿勢は全く見せていない。もしフジテレビジョンがやらせリンチ事件を教訓として番組制作を行っていたらどうなっていたのだろうか。もし視聴率至上主義に走っていなかったらどうなっていたのだろうか。少なくとも今日の苦境は迎えずに済んだのではないかと私は考えている。
2 テレビ局職員の不祥事の遠因の一つに視聴率競争があるのではないかと考えていること。
こちらの注釈とこちらの注釈で書いたことがあるのだが、私の友人で「下関市立大学・大学祭実行委員会事務局OB会公式サイト」(諸事情により近く下関市立大学〔下関市大学町二丁目〕及びその前身の下関商業短期大学〔下関市貴船町三丁目。1956〜1966〕の学園祭の歴史を紹介するサイトに再編することにしているとのこと)というサイトを運営している中島孝祐(なかしま・こうすけ)さんの大学時代の一級上の先輩(男性。以後Aさんと表記するものとする)が中国放送に勤務していたという。こちらの注釈でも記したようにAさんは残念ながらとんでもない不祥事を起こして警察に逮捕され、十数年間勤務していた中国放送を追放されてしまったのだが、中島さんはAさんの不祥事の遠因はある番組の視聴率不振の責をとらされたことにあるのではないかと今も信じて疑わないのだという。なぜそのように思うのか、中島さんから聞いたことの概要を紹介したい。
・Aさんは1998〜2000年(平成10〜12年)に報道記者を務めていた。主に見かけたのは当時の中国放送テレビの平日夕方のローカルワイドニュース番組「RCCニュース・ブリッジ」(1998〜2000年〔平成10〜12年〕放送)であった。
・当時の平日夕方の広島県を放送区域とするテレビ局の番組で視聴率が最も高かったのは広島テレビ放送の「柏村(かしむら)武昭のテレビ宣言」(1993〜2001年〔平成5〜13年〕放送)であった。中国放送も「柏村武昭のテレビ宣言」に対抗すべく「なんでもワイド」(1994〜1996年〔平成6〜8年〕放送)を設定したが全く歯が立たなかった。恐らく「RCCニュース・ブリッジ」の視聴率も「柏村武昭のテレビ宣言」の後塵を拝してばかりだったものと思われる。
・Aさんは恐らく2000年(平成12年)1月の異動で記者職を離れたらしく、その頃から「RCCニュース・ブリッジ」が終了する2000年(平成12年)6月までは全く見かけなかった。「RCCニュース・ブリッジ」が終了したのは再び生活情報番組を設定することが主たる理由であったが、視聴率低迷もあった可能性は否定し得ない。
・2001年(平成13年)3月頃に放送された平日夕方の青少年向け番組の中で「もし番組の視聴率が悪かったらどうなるか」というコントが放送されたことがあるのだが、中島さんはそこにAさんらしい人物が出ていたのを見たという。中島さんはその時が中国放送テレビの番組でAさんの姿を見た最後の機会だったと言うのだが、真相は不明である。もし本当にAさんだったとしたら「RCCニュース・ブリッジ」の視聴率不振の責任は自分にあるということを視聴者に印象付ける意図でこのコントに出演させたのではないかと中島さんは考えているという。
中島さんは今、Aさんは視聴率不振の責をとらされるには最適な人物だったのではないかと考えているという。その理由は次の通りである。
・容姿に問題があったこと。中島さんによると記者時代のAさんは学生時代より太った感じがしたという。
・裏方でいたくないという思いが強く、結果社内をフラフラしているかのように見える異動を繰り返して信頼を失ったこと。中島さんによるとアナウンサーになりたいと話していたこともあったという(当時20人以上もアナウンサーがいた中国放送ではまずあり得ない話だが…(注26))。
・中国放送での活躍は度々見聞していたが、それで評価されたという話がないこと。
・中島さんによるとAさんの父親は高名な方(どういう職業の方なのかはその方の私的領域や評判に関わることなのでここでは記さないでおく。またそのためAさんの出身地もここでは記さないことにする)であり、そのことでいじめなどの標的にされる可能性があったこと。
・視聴率が芳しくなかった番組について、出演したアナウンサーなどは誰もお咎めを受けていないこと(中には幹部役職に就いた方もいる)。
中島さんは「今でも悔やむのが2001年(平成13年)11月に広島市内で開催された広島県在住の同窓生を対象とした大学の同窓会にAさんから誘われた(同窓会の案内を記した往復ハガキにAさんがメッセージを記していた)のに都合が付かないとして行かなかったことである(注27)。そのことで失望し、不祥事に手を染めてしまったのではないかと今でも思っている」と話しているのだが、実はこの他にも視聴率不振が遠因になった放送局職員の不祥事はいくつも起きているのである。Aさんの不祥事と前後して起きた事件を挙げると次の通りになる。
・テレビ新広島の男性アナウンサー。ゴールデンタイムの自社制作番組の進行役を務めていたが、痴漢をしたとして逮捕された。担当していた番組は無論打ち切りになり、テレビ新広島がゴールデンタイムに自社制作番組を設定することをやめる契機にもなった。このアナウンサーの担当していた番組の裏番組には人気アニメ「名探偵コナン」(日本テレビ系)などがあり、激しい視聴率競争が起きていたことや入社数年で大役を任されたことが不祥事に手を染める要因になった可能性がある。
・日本テレビ放送網(NTV、東京都港区東新橋一丁目)の男性職員。視聴率を調査する機械を置いている家を探し出し、担当している番組を見るように依頼して金品を渡していた。無論この職員は日本テレビ放送網を追放された。
・東日本放送(KHB、仙台市青葉区双葉ヶ丘二丁目)の男性アナウンサー。平日夕方の自社制作の情報番組を担当していた時に万引事件を起こし、番組を降板させられた上に他部署に異動させられたが、その後盗撮事件を起こし、そこで追放された。立派な犯罪であるはずの万引を起こした時点で追放しなかった東日本放送の姿勢には疑問符を付けざるを得ないが、やはりテレビ新広島の男性アナウンサーと同様に視聴率競争などで苦しんでいた可能性が考えられる。
これらの事件を見ていて思うのは視聴率が全てであり、同時に視聴率が放送局の職員をおかしくさせているのではないかということである。前にも書いた通り視聴率競争はテレビ局にとってかえって損になることでしかないわけであるが、こういう不祥事が起きると職員にも被害が及んでいるのではないかと感じたくなる。不祥事を起こした背景はほとんどの場合掘り下げられることなく終わってしまうのだが、今後も起きる恐れがあることを考えると多角的な面から対策がとられるべきではないのか。放送局にとっては辛い問題だろうが、今一度真剣に考えて欲しい問題である。
3 長期的視野に立った番組編成が不可能になること。
2014年(平成26年)春、31年半続いた「森田一義アワー 笑っていいとも!」の後番組として始まった「バイキング」(フジテレビ系)は番組開始当初から視聴率が低迷しており、インターネットの掲示板を見ると「早く打ち切ってくれ!!」というような書き込みが多数見られるようになっている。しかし、「バイキング」は番組開始から1年半以上経った今も続いている。なぜ低視聴率でも打ち切らないのか。長期的視野に立って物事を考えているからである。
「何を寝ぼけたことを言っているのか」とか「あのフジテレビジョンにろくな番組が作れるわけがないだろう」という批判が出てきそうであるが、もし視聴率が悪いという理由で「バイキング」を打ち切ったらどうなるだろうか。恐らくフジテレビ系列の平日の昼は短期間で番組が打ち切りになってばかりになる魔の時間帯となり、「アフタヌーンショー」打ち切り後のテレビ朝日系列と同じ状況になることであろう。だから打ち切れないし、何とか視聴率を向上させようと試行錯誤を繰り返しているのである。
こういう事例は実は1990年代中期の広島ホームテレビでも見られた。1996年(平成8年)春、広島ホームテレビは平日午前中に1時間50分の生活情報番組「西田篤史のテレビランド」(1996〜2000年〔平成8〜12年〕放送)を設定した。当時人気を博していたテレビ新広島の「どっこい!
神田の日めくりテレビ」(1994〜2000年〔平成6〜12年〕放送)に対抗すべく設定したわけであるが、番組開始当初はやたら企画が変わり、迷走気味な状況は否めなかった。設定するに当たり平日朝の情報番組「HOMEフレッシュモーニング」(1987〜1995年〔昭和62年〜平成7年〕放送)と週末の若年者向け深夜番組「たわわのTARZAN」(1991〜1995年〔平成3〜7年〕放送)を打ち切ったこと(注28)や「西田篤史のテレビランド」開始の少し前に中国放送テレビの「なんでもワイド」が広島テレビ放送の「柏村武昭のテレビ宣言」に一度も視聴率で勝つことなく打ち切られたことから視聴者の不満もかなりのものがあったことが推察される。
しかし、「西田篤史のテレビランド」は「なんでもワイド」のように放送時間の短縮や短期間での打ち切りに追い込まれるどころか放送時間を維持し、「どっこい!
神田の日めくりテレビ」と対等に渡り合える番組になったのである。ダンベルで運動をしながらカラオケを楽しむという企画が受けたこともあるのだが、背水の陣で臨みながらも当分の間視聴率は考えなくて良いからより良い番組を作ろうという気概がスタッフの間にはあったのであろう。広島ホームテレビが平日夕方の生活情報番組に力を入れることにしたために「西田篤史のテレビランド」はわずか4年で終了したことが惜しまれるが、広島ホームテレビの平日夕方の生活情報番組(現在は2003年〔平成15年〕春放送開始の「HOME
Jステーション」)もやはり当初は迷走していたが成功していることを思えばこういう気概が放送局には必要なのだろうと考えたくなる。
我々はよくお気に入りのスポーツチームの成績が芳しくないとすぐ「○○監督辞めろ!!」と叫ぶ。しかし、スポーツチームがファンの声を聞き入れ、監督の首をすげ替えても成績が好転したことはほとんどない。更に監督がコロコロ替われば長期的視野に立ったチーム編成が不可能になり、更に低迷する。番組も同じことが言える。短期間で期待通りにならないといら立つ気持ちは理解できないわけではないが、放送局も視聴者ももう少し長い目で見る必要があるのではないか。私はそのように思うのである。
4 そもそも視聴率は現在意味をなさないのではないかと考えていること。
1986年(昭和61年)頃のことであるが、中国放送ラジオの平日夜のある自社制作の番組で、こういうナレーションで始まるものがあった。
「かつてRCCラジオのある番組が聴取率0%を記録した…」
本当にこういう番組があったのかどうかは定かではないのだが、私はこの話はあり得ないと考えている。どのようにして聴取率を出したかがはっきりしないし誰か一人は確実に聴いていた可能性があるからである。番組の内容が面白おかしいものだっただけにおふざけ半分でそういうナレーションを冒頭に入れたのではないかと思うのだが、こういう番組の存在を知っている私は視聴率が低いという報道に対しては本当はもう少し高かったのではないのかと疑いの目をもって見ている。
確かに視聴率は番組の人気を測る尺度ではあるが、それを測る機器は無作為に選ばれた家庭にしかなく、測る機器のない家や事業所などの視聴状況は全く考慮されていない。故に視聴率を測る機器のある家ではあまり見られていなかった番組が視聴率を測る機器のない家では多く見られていた可能性はないとは言えない。それに現在は録画して後で番組を見る人も少なくないし、パソコンやスマートフォン、タブレット、カーナビゲーションシステムなどでテレビを見る人も増えている。これで視聴率は番組、ひいては放送局の人気を測る尺度になり得るのだろうか。私はもうなり得ないのではないかと考えている。
そもそも視聴率が良い番組=名作という図式は成り立たないことや視聴率が悪い番組でも番組の主題歌がヒットし、それを歌っていた方が広く知られるようになったことを考えれば視聴率の意味は有名無実化していたと言える。しかし、視聴率の良し悪しは番組に金を出している企業(スポンサー)からの信頼に関わる問題である。故に視聴率を気にしなければならなくなったのだろう。けれど時代は変わり、どこでも手軽にテレビ番組を見られる時代になった。更に録画して後で見る人も多くなった。果たして視聴率はいつまで番組、ひいては放送局の人気を測る尺度であり続けられるのだろうか。
確かに視聴率はテレビ局にとって大切なものである。しかし、視聴率にこだわることは果たして良いことなのだろうか。視聴率にこだわることがより良い番組作りを阻害し、職員を焦らせ、職員の心身を蝕み、視聴者の信頼を損ねる結果を招いているとしたらどうなのか。それは一部のこと、言い換えれば些細なことだと一蹴するかもしれないのだが、真剣に考えるべき時期が来たのではないのだろうか。私はそのように感じている。
もう名物アナウンサーは生まれない?〜あまりにもひどくなったアナウンサー事情〜
中国地方最古参の民間放送局・中国放送。これまで多くの名物アナウンサーを輩出してきたが、最近ある異変が起きていることはあまり知られていない。それは21世紀に入ってから男性アナウンサーを一人しか採用していないことである。しかもそのアナウンサーは別のテレビ局で2年間務めた後中国放送に入社しているし、入社したのは8年も前のことなので現在の中国放送には20代の男性アナウンサーが一人もいなくなっているのである。記すまでもないが20代の男性アナウンサーがいない広島県を放送区域とする民間テレビ放送局は中国放送だけである。
中国放送が男性アナウンサーを受け入れなくなった背景には経営事情もあるのだが、多くの男性アナウンサーが長く活躍し続けており、受け入れる必要がないことが考えられる。考えてみれば至極当然なことなのだが、気になるのは男性アナウンサーの「高齢化」である。実は今月中に中国放送の30代の男性アナウンサーは一人だけになり、そのほとんどが40〜50代になるのである。40〜50代の男性アナウンサーがいろいろな番組を担当しているというわけであるが、次に定年退職を迎えるアナウンサーが出るまでまだ数年あるものの2020〜2030年代の中国放送は誰が担うのだろうかとか誰が人気アナウンサーとして活躍するのかとか誰が中国放送の番組の柱である広島東洋カープの公式戦中継を担当するのだろうかと考えたくなる。女性アナウンサーであれば退職補充で2010年代に入ってからも何人か入社しているので何年か先には男性アナウンサーを受け入れないという状況は終わりを迎えるのではないかと思うのだが、果たしてどうなのだろうか。
それにしても最近感じるのはアナウンサー事情の変化である。特にアナウンサーの入れ替わりが激しいところがいくつか見られるのがどうかと感じている。広島県を放送区域とする民間テレビ放送局でそういう状況が見られるのは広島テレビ放送と広島ホームテレビで、殊に広島ホームテレビは誰か入ったと思ったら知らない間にいなくなっていたという話がよく起きている(広島テレビ放送と広島ホームテレビの公式サイトではアナウンサーの日記が公開されているが、広島ホームテレビの場合挨拶もなく日記が削除される方〔=広島ホームテレビを辞めていった方〕も少なくない)。中には何局も渡り歩く方もいるようなのだが、思うところがあってそのようにしているのだろうがこれで果たして良いのかな? と感じたくなる。
確かに今は大学卒業から定年退職までずっと同じ企業・団体で働き続けるという方は少なくなってきており、アナウンサーの世界もそうなっていることがうかがえるのだが、だからといってコロコロ顔触れが変わるのはどうなのだろうか。広島ホームテレビの場合、中国放送や広島テレビ放送、テレビ新広島と比べてアナウンサーの知名度が低いように感じられる(背景には不人気系列に属したことやその系列に属する放送局が平成時代に入るまで少なかったこと、自社制作番組が少なかったこと、上層部の人員上の問題からか40代半ばぐらいでアナウンス部から異動で離れる方が多いことなどがある)のだが、致し方ない事情があるとはいえこれまで何も手を打たないでいたのだろうか(まあ「来る者拒まず、去る者追わず」ということわざがあるし…)。それでも入社以来ずっと頑張っている方も少なくないのでまだましとは言えるのだろうがどうであろうか。
更にもう一つ私として苦言を呈したいのは女性アナウンサーをアイドル扱いする放送局が多いということである。確かに放送局の花たる存在ではあるのだろうが、ならばニュースを詰まりながら読んだり読み方を間違えたりすることは許されるのだろうか。視聴者にとっては別にどうでも良い私生活を見せびらかすことは許されるのだろうか。更に現在では結婚・妊娠・出産を経ても40代・50代になっても活躍している方もいるし、定年退職まで勤め上げた方もいる。自分の人生がどうなるかは分からないのだから入社時点からプロ意識を持ち、真剣に仕事に取り組んで欲しいと思うのだが、それはもう昔の考え方でしかないのだろうか。
「イヤなら見るな!!」はフジテレビジョンだけの問題ではない〜広島ホームテレビが流したある番組を巡る問題から〜
これはある方から聞いた話である。この話を読んで何が問題か、よく考えて頂きたい。
「2000年(平成12年)頃のことでしたか、広島ホームテレビの金曜日と日曜日の午後3〜4時台に『スキヤキ!! ロンドンブーツ大作戦』(テレビ東京系、1998〜2001年〔平成10〜13年〕放送)が放送されていたんですが、ある時見たら出ている男の人が全裸になったり若い女の子が真昼間にすべきではないようなことを話したりしてこんな番組を真昼間に流して良いのかと腹が立ったんです。そこで広島ホームテレビに早急に放送日時を変えるよう求める文書を送ったんですが何の返答もないばかりか無視したのでものすごく腹が立ちました。結局放送日時が月曜日深夜(火曜日未明)に移動したのは文書を送ってから1年近く経った2001年(平成13年)春のことでしたが広島ホームテレビは何も私には言ってきませんでしたね」
この方をモンスター視聴者と批判する方もいるかもしれないのだが、私はこの方の考え方は正しいと考えている。実は真昼間に流すのが好ましくない番組を放送枠の問題などからあえて真昼間に流す例は広島ホームテレビにおける「スキヤキ!!
ロンドンブーツ大作戦」だけではない(注29)のだが、なぜ広島ホームテレビに文句を言った方の考え方が正しいとしたのか。理由は次の通りである。
・「スキヤキ!! ロンドンブーツ大作戦」は若年者向けの番組であり、対象となる世代があまり在宅していない時間帯に流すべき番組ではないから。
・真昼間の主たる視聴者である主婦や高齢者が顔をしかめたくなるような内容の番組であるから。
・番組ネット開始時点で他の放送枠は確保できたはずだから。
・広島ホームテレビは視聴者に不快な思いをさせているから。
・多数の視聴者からこういう番組は流すのをやめて欲しいという苦情が寄せられたはずなのにすぐに改めようとしなかったから。
要するに広島ホームテレビが真昼間に俗悪番組を流し、批判を多数受けたのに謝罪も釈明もせず、放送日時変更にも消極的な態度をとったのが問題だというのである。近年フジテレビジョンが「イヤなら見るな!!」というような態度をとっていること(これは無論フジテレビジョンの職員が公言したことではなく、あるお笑い芸人が深夜のラジオ番組で発言したことを契機にフジテレビジョンの方針を象徴する言葉として広まったらしい)が盛んに言われているが、広島ホームテレビのこの態度はフジテレビジョンのそれと全く同じである。我々のやることなすことに文句を付けるならもう見なくてよろしいと言わんばかりの態度である。確かに放送は不特定多数の人々に向けて流されるものであり、その受け止め方は人それぞれなのだからそういう考えになるのも無理からぬところではあるのだろうが、私はこれでは解決にはならないと考えている。視聴者の怒りは解消されないし、そういう態度をとったことで広島ホームテレビは大切な視聴者を一人失ったことになるからである。
ではどうすれば良かったのか。広島ホームテレビがとるべき態度は次に挙げる通りである。
・まず苦情を述べた視聴者に対してお詫びすること。
・なぜ放送日時を若年者層があまり家にいない時間帯に設定したのか、機密事項に触れない範囲内で経緯を説明すること。
・番組ネット開始時点からどのくらいの苦情が寄せられたのかを公開すること。
・放送日時の変更について実現できるのかどうかとかスポンサーとの交渉がどうなっているかを機密事項に触れない範囲内で説明すること。
・もし放送日時の変更が実現できる見込みであればその旨を明記すること。
・上記事項は電話ではなくメールや文書で苦情を述べた視聴者に速やかに送付すること(口頭では後でうやむやにしてしまう恐れがある)。
「スキヤキ!! ロンドンブーツ大作戦」の放送日時の変更を求めた方は「広島ホームテレビがきちんと説明してくれればそれで納得した。なぜそれができないのか。視聴者あっての放送局なのに視聴者の思いを蔑ろにするのは認められない」と話しているのだが、この件で感じたのは放送局はもう少し視聴者の声を真摯に受け止め、自らを省みる姿勢があっても良いのではないかということである。
我々としていら立つことの一つは企業や団体などが明らかにどうかと思うようなこと、言い換えれば失礼に当たることや不満・不信・憤怒を買うようなことをし、そのことについて抗議したのに素直に謝るどころか逆ギレするようなことを言ったり無視したり一方的に抗議者を悪者扱いするようなことを言ったあげく「もう二度と電話をかけてくるな!!」と怒鳴って電話を切ったり誠意が感じられないような謝り方をしたり言い訳に終始し、抗議者の満足する解決策を全く考えようともしなかったりすることである。自分は正しいことをしている、それに文句を言うあなたは間違っているとか考え方がおかしいとか他人と明らかにずれていると言いたいのだろう。しかし、それで全てが解決すると思ったら大間違いである。解決するどころか新たな問題を招く恐れがあることを知って頂きたいのである。どんなことが起きるかはあえてここでは書かないでおくが、それを回避するためにはどのようにすれば良いのか。妙なプライドを捨て、自分達の行動を省み、相手の感情を考え、誠意を尽くすことではないのだろうか。つまり、相手の目線に立って物事を考えて欲しいということである。フジテレビジョンの件(注30)はともかく、広島ホームテレビの件はそういう考え方があれば視聴者の声を真摯に受け止め、「スキヤキ!! ロンドンブーツ大作戦」の放送日時をもっと早く変更することに踏み切れたのではないかと思うのだが、どうであろうか。
恣意性すら感じる番組編成
2008年(平成20年)のある日の中国新聞朝刊の投稿欄「広場」に自分が好きだった番組の放送時間が短縮されたことに対する不満を綴った女子高校生の投稿が掲載された。どのテレビ局のどの番組かは記されていなかった(広島県を放送区域とする民間テレビ放送局各社と何らかの関係を持つ中国新聞のことだから記せないだろうしもし原稿に記してあっても掲載時にそこを改変するだろうが…)のだが、その投稿を読んでその番組とは広島テレビ放送がネットしていた読売テレビ放送(YTV、大阪市中央区城見二丁目)制作の情報番組「なるトモ!」(2004〜2009年〔平成16〜21年〕放送)のことであると気付いた。2008年(平成20年)春の改編で通販番組や自社制作番組を設定したために午前10時55分以降のネットが取りやめになったのだが、そのことを不満に感じての投稿だったようである。
実は広島テレビ放送は広島県を放送区域とする民間テレビ放送局の中で番組編成に関して最もどうかと思うようなことを昔からやっているところである。言い換えれば視聴者の思いを無視し、恣意的だと感じたくなるような番組編成をよくやっているのである。その事例を挙げると次の通りになる。
・「柏村武昭のテレビ宣言」開始以前の広島テレビ放送の平日夕方はアニメ枠だったのだが、打ち切りが頻発していたこと。日本テレビ系列のアニメを打ち切ってテレビ東京系列のアニメに差し替えるということが度々あったが、最後にはテレビ東京系列のアニメですら途中で打ち切るという有様だった。
・長寿科学情報番組「所さんの目がテン!」(日本テレビ系)の放送日時が何度も変わっていること。「所さんの目がテン!」は昨秋放送開始25周年を迎えたが、何度放送日時を変えたのかもう分からないほどになっている。まあ打ち切りの憂き目に遭わないでいるだけまだましなのだろうが…(注31)。
・長寿番組「メレンゲの気持ち」(日本テレビ系)の扱いがひどいこと。何度も打ち切り→放送再開を繰り返している。もし視聴率が芳しくなくて打ち切っているのならネットなどしなければ良いのになぜ性懲りもなくネットを再開するのか。昨年7月からまたネットされているが近々また打ち切られるのでは…と思うと安心して見られない。
・テレビ東京系列の人気番組に対する扱いがひどいこと。現在放送中の番組であれば「THEフィッシング」や「ドラマ24」、「ヨソで言わんとい亭〜ココだけの話が聞けるマル秘(注32)料亭〜」(注33)、既に終了した番組であれば「たけしの誰でもピカソ」(1997〜2009年〔平成9〜21年〕放送。広島テレビ放送では二度放送したがどちらも打ち切りになった(注34))や「いい旅・夢気分」(1986〜2013年〔昭和61年〜平成25年〕放送(注35))がそれぞれ打ち切りの憂き目に遭っている。また、最近はテレビ東京系列のアニメ作品を全く放送しなくなっている。
・平日夕方の情報番組や「進め! スポーツ元気丸」が好調な一方で平日昼間の生活情報番組が迷走気味なこと。今秋の改編でも「テレビ派ランチ」(2013〜2015年〔平成25〜27年〕放送)が打ち切られているが、どれだけの番組が短命に終わったのかもう見当が付かなくなっている。
広島テレビ放送は更に問題を多数抱えている(注36)のだが、こういう状況でも不平不満があまり聞かれないのは広島テレビ放送が属する日本テレビ系列の番組視聴率が好調なことや二大自社制作番組である「テレビ派」と「進め!
スポーツ元気丸」が安定した人気を誇っていることが考えられる。しかし、だからと言って視聴者の思いを蔑ろにし、恣意的に番組を打ち切っているなどと思われるようなことをして良いのだろうか。今はまだ良いが、いずれ問題化することは避けられないのではないかと考えている。
視聴者が放送局に対して不信感を抱く原因の一つは番組の打ち切りである。ならばなぜ視聴者の思いを無視して番組を打ち切るのか。ほとんどの場合その番組を流すことで得られる効果がなくなったからである。「上から目線で決めるな!!」とか「視聴者の声を聞いてどうするか決めるべきだ」とか「放送日時の変更は選択肢にないのか」という意見はあるのだが、放送局側にしてみれば利益を生み出さない番組は流し続ければ損でしかなく、いかなる声があろうとも切り捨てる以外に選択肢はないのであろう。そこは腹が立とうとも察する以外に方法はない。
しかし、次に挙げるような意見もあるのも事実である。
・番組の視聴率が低迷したのは制作に関わった人間にやる気がなかったことや番組の宣伝が少なく、番組が放送されていること自体知らない人が多かったことがあるのではないか。
・番組を始めるに当たって勝算があるかどうかきちんと調査したのか。
・一時の流行や感情で番組を始めているのではないか。
・長期的視野に立って物事を考えていないのではないか。
・過去に打ち切り歴のある番組を放送するに当たって何が良くなかったのかきちんと調査し、どのようにすれば打ち切りをせずに済むのか方策を考えたのか。
・本当に移動できる時間帯はないのか。
・視聴者の思いをなぜ聞こうとしないのか。
・視聴者が抗議してきた時いつも「視聴率が悪かったから打ち切った」と弁解するがそれで抗議者が納得してくれると思っているのか。
・視聴者が視聴率の低迷による番組打ち切りに納得しない時、視聴率のデータの開示を要求することがあるが、視聴率は機密事項でもないのになぜ開示要求を拒むのか。
・番組の関係者がどのように感じているのか考えたことがあるのか。
中にはここでは記せないような過激な考え(もし記して実際に行動を起こされても私は責任を持てないから。扇動者になりたくないし…)を持っている方もいるのだが、ただ一つ言えることは誰が放送局を統べる人間になったとしてもみんなが満足する放送局など絶対に実現し得ないということである。ならばどうすれば良いのか。私としては視聴率にこだわらないことや視聴者の意見を聞くこと、説明責任を尽くすことなどを望みたいところであるがどうであろうか。
気になる報道方法・表現方法
※これから書くことには賛否両論あることが多数あります。その点を踏まえて以下の文をお読み頂きますようお願い申し上げます。
テレビ局の主たる番組と言えばニュースやワイドショーなどの情報番組である。早朝から深夜まで多数の番組が設定されているのだが、その中にはどうかと思う報道方法や表現方法を用いているものが少なくない。私が改善したほうが良いのではないかと思っているものとしては次のようなものがある。
・どぎつい表現(「全裸」や「バラバラ」、「猟奇」など)を用いた事件報道。事件自体衝撃を持って受け止められるものであるが、どぎつい表現を用いることで衝撃性を高める意図があるのだろう。しかし、そのことで気分を害する方もいるだろうし、何より被害者の感情が無視されている感が否めない。もう少し緩和表現を使うことを考えても良いのではないか。
・顔出しNGや変声、匿名などの私的領域に配慮した報道。中でも問題視したいのはある時期を境に被害者などの氏名を伏せることや取材対象者が訴えたいことがあるのに取材対象者の意向で顔を一切出さない条件で取材に応じることである。盛んに報道した結果途中から匿名となった被害者などの氏名は多くの人々に覚えられてしまうし、顔を出さないことを条件に取材に応じる人に対して「訴えたいことがあるなら正々堂々と顔を出せ!! そんな勇気もない人間の思いなど誰が聞くのか」とか「顔を出さないなら髪の毛一本や指一本たりとも映さないようにすれば良いのではないか」などと批判的な目で見る方も少なくない。また、匿名報道にしたことであらぬ誤解を生み出すという問題もある(注37)。私的領域や感情への配慮を欠くことは現在では認められないことではあるが、どうにかならないものなのだろうか。
・事件の関係者の私的領域に関する報道。報じることで誤解や偏見を視聴者に抱かせ、関係者の感情を著しく損なう恐れが生じる。微妙な問題なので報じないようにしたほうが良いように思うのだがどうであろうか。
・開発行為などについて反対派の肩ばかり持つ報道。反対派ばかりいないということは現地に赴くとよく分かる(現地に開発行為に賛成する旨の看板や幟などがあることで分かる)。賛成派の言い分などを全く報じずして何が公平な報道なのか。
・安全保障関連法案に関する報道。「日本は再び戦争をする国になるので反対」という意見が多く見られたが、そういう意見を言うのならどういう形で日本を守るべきなのかとかどのようにして戦争のない世の中を実現させるのか、自分なりの意見を述べても良いのではないか。私自身無論戦争反対派であるが、報道が短絡的で見ていられない。
・一部分だけを切り取ってあたかもこれが現実だと言わんばかりの報道。かつてある日曜日朝の情報番組で「備南広域農道(岡山県西南部を東西に貫く幹線道路。国道2号線のバイパスとして通る車が少なくない。無論私も倉敷市に行く時よく通っている)をトラックが頻繁に通っている」というような報道がなされたことがあるが、なぜそうなったかも言わずに広域農道をトラックが頻繁に通ることはけしからんことだという姿勢に腹が立った。
・住民トラブルに関する報道。トラブルを起こす人に対して記者がインタビューすれば無視するか逆ギレして自分のやっていることを正当化するようなことを言うかしかないのになぜ性懲りもなく同じことを繰り返すのか。現実を伝えるのは一向に構わないが、最悪の場合記者が被害者に、トラブルを起こす人が加害者にそれぞれなる恐れのあることまで手を出すのはやめたほうが良いのではないか。
・疑惑に関する報道。疑惑をかけられた人が素直に自分の罪を認め、謝罪するわけがない(もししたらそこで一巻の終わりになるから)。それに毎日毎日同じことを報じれば次第に飽きてくる。視聴率が低下することを覚悟した上で「新たな事実が判明するまでこの件は一切取り上げません」と宣言しても良いのではないか。
・台風の時、アナウンサーまたは記者を港や海岸に立たせてその猛威を伝える報道。危険極まりないことをなぜさせるのか。もし看板や強風で折れた枝などに当たったり高波にさらわれたりしたらどうするつもりなのか。
・事件や事故、災害の際の犠牲者の私的領域に関する報道。何かいわゆるお涙頂戴報道になっているような気がしてならない。どれだけその事件や事故、災害がひどいものだったかを伝える意図があるようにも感じるのだが、淡々と事実を伝えるだけで良いと思うのは私だけだろうか。
・衆議院と参議院で与野党の勢力が正反対となるいわゆるねじれ国会を問題視する報道。なぜ衆議院と参議院が設置されているのかを考えれば別に衆議院と参議院で与野党の勢力が正反対となることは問題視すべきことではないと思うのだが、やはり対案を出さないくせに与党のやることなすことにことごとく反対し、首相を精神的に追い詰める野党(特に政権奪取以前の民主党)の存在を好ましく思わないことからねじれ国会を好ましく思わないのだろうか。ならば報道機関として野党のこの態度を改める提言をしてはどうであろうか(それでも聞く耳を持つかどうかは分からないが…)。
・政治家の問題発言に関する報道。中には本当に失礼だと思わせるものがあるが、政治家は冗談を言ってはいけないのかと考えたくなる。報道機関は言論統制に反対しているのに政治家に対して言論統制をかけるのはどうなのか。この他にも政治家をバカにするかのような報道が見られるが、そんなにその政治家に辞めて頂きたいのか。
・選挙に関する報道。有力候補ばかり取り上げて、立候補してもあまり票を獲得できずに落選するいわゆる泡沫候補は蔑ろにする傾向が見られる。新聞の選挙報道の場合、候補が誰か分からないような加工を写真に施して一応平等性は保っているが、テレビも平等性を考慮することはできないのか。
・東アジア諸国に関する報道。大韓民国や中華人民共和国との関係悪化を促したり朝鮮民主主義人民共和国が怖い国だという印象を植え付けたりしているような気がしてならない。まだ日本の首相が感情的にならないだけ良いのだが、そんなに関係を悪化させたいのか。これらの国々との関係改善を望まない方も少なくないことを理解した上で書いているのだが、もう少しましな報道方法はないのか。
・日本を貶める報道。バブル景気終焉後本当に後ろ向きな報道が多くなったように感じる。こういうご時世だからこそもう少し前向きなことは伝えられないのか。
・事件の容疑者に関する報道。捜査や裁判の結果有罪か無罪かが決まるまでは完全に容疑が確定したわけではないので大きく報道しなくても良いのではないか。また、かつて起きたある殺人事件では容疑者が特定される前に容疑者が誰か分かるような報道をしていたワイドショーがあった。容疑者の人権を考えた場合こういう報道はなされて良いものなのだろうか。三億円事件(1968年〔昭和43年〕12月10日。未解決)の容疑者とされた男性がその後も執拗に追いかけ回され、何年か前自ら命を絶ったことを思えばこのことはもう少し真剣に考えるべきではないのだろうか。
・企業に関する報道。ある躍進著しい企業が問題を起こすと一気にその企業を叩く報道に回るというのはどうかと思った。問題が表面化する前は何も証拠がないので伝えることができないという問題があるのだが…(もししたら否定されるだけでなく場合によっては名誉棄損だとして訴えられる恐れもあるし…。更にその企業が番組のスポンサーだった場合はその番組の存廃問題も浮上するし…)。
・有名人の離婚報道。男性側に原因があるように報じるものが多いが、ならば女性側は何も非はないというのか。女性視点一辺倒で報じるのはやめて頂きたい。
・女性ばかり強調する報道。そんなに女性が目立つことが珍しいのか。別に男子高校生作家や男子高校生歌手が注目されてもおかしくはないと思う。
・平成の大合併に関する報道。賛成とか致し方ないという意見ばかりが流されたような気がする。
・未解決事件に関する報道。2010年(平成22年)に撤廃されるまで殺人事件には公訴時効が存在したが、公訴時効が成立したはずなのにそのことが報じられなかった事件が少なくない。東京都内で起きた事件で顕著に見られるが、広島県でもそういうものがいくつかある。発生当時は大々的に騒いだのに公訴時効が成立したことが報じられないのはどういうことなのか。それとも解決はしたけれど何らかの事情で報じないでいるだけなのか。まさか遺族の方がもう報じないでくれとか取材しないでくれと要望したわけではないだろうが…。
テレビは真実を伝えるものではあるが、こういう状況を見ると視聴者に何を伝えたいのかが分からなくなる。偏ったことなのか、誰かを貶めたいことなのか、誤解させたいことなのか、単なるトラブルなのか。視聴率や人権などの問題はあるが、もう少し報道の在り方を考えるべきではないのだろうか。
テレビの終夜放送は是か非か
今から30年ほど前の広島県を放送区域とする民間テレビ放送局はいわゆる遅起き早寝という状況にあった。一日の放送が始まるのは午前6時半頃と遅く、終わるのは午前0〜1時頃だったからである。放送終了時の映像の中でも中国放送テレビのそれは「呪いのハープ」と称されるほど恐怖感たっぷりなもの(暗いスタジオの中で正体非公表の女性がハープで「中国地方の子守唄」(注38)を演奏するというもの)だったのだが、午前0時台という早い時間帯(注39)にそういう映像が流れることほど怖いものはなく、見られなかったという人も少なくなかったという。「何で中国地方最大の都市(広島市)があるのにテレビの放送時間は短いんだよ。もっと遅くまでやれば良かろう」という声もあったことだろうが、経営事情や青少年への配慮などもあってこのようにしていたのだろう。
しかし、1993年(平成5年)4月1日に中国放送テレビが深夜・早朝にフィラーとして「中国新聞文字ニュース」を挿入して終夜放送に移行したことを契機に広島県を放送区域とする民間テレビ放送局では終夜放送への移行が進んだ。現在では中国放送テレビと広島テレビ放送(1999年〔平成11年〕5月10日開始)、テレビ新広島(移行時期失念。つい最近だと思うが終夜放送開始通告はしていない。なし崩し的に終夜放送に移行したのだろう)の3局が毎日終夜放送を実施しており、広島ホームテレビも終夜放送にならない日が多いのだが放送休止時間が数分程度という日が多いという状況になっている。どのテレビ局も経営環境は決して芳しいわけではないだろうし、ラジオ局よりも中継局や消費電力は多いのになぜ終夜放送に移行したのか。理由としては次のようなことが挙げられる。
・昭和時代末期以降重大な事件や事故、災害が相次ぎ、それらのことに対する備えが必要になったから。
・終夜営業のスーパーマーケットやファミリーレストラン、コンビニエンスストアなどが増えたから。
・深夜帯でも視聴率がある程度見込める番組が増えたから。
・日本が夜でも海外は人々が多く動いている昼間であり、海外の動きも注目しなければならなくなったから。
・海外のスポーツチームで活躍する日本人が増えたから。
・多くの衛星放送で終夜放送を実施しており、地上波でやっても問題はないと考えているから。
・通販番組が多く放送されるようになり、視聴率が見込めなくてもそれ相応の効果が期待できるから。
実は広島県には似たような動きをしたものがある。それは信号機である。かつて広島県では深夜になると信号機の全ての灯火が消えるという滅灯を実施していた交差点が人口の多い広島市や福山市の中心部でも多数見られた。しかし、2000年代に入ってから広島県警察本部(広島市中区基町)の方針により最低限でも点滅運用にすることになり、今ではほとんど見られなくなった。やはり終夜営業のスーパーマーケットやファミリーレストラン、コンビニエンスストアなどが増え、深夜・早朝でもある程度の交通量が見られるようになったことや滅灯運用開始時にいきなり全ての信号機の灯火を消していたためあまりにも危険であること(注40)などが滅灯運用をやめることにした理由であるが、確かに他の都道府県から広島県に移住してきた人が深夜・早朝に全ての灯火が消えている信号機を見たら、反対に広島県から他の都道府県に移住した人が深夜・早朝に全ての灯火が消えている信号機を全く見つけられなかった(注41)ら広島県はどれだけ遅れたところなのかとかなぜ広島市や福山市、呉市といった大きな都市がいくつもあるのにその中心部であっても信号の灯火を全て消す運用を行うのかとか広島県は深夜・早朝に出歩く人がほとんどいないのかと考えたくなってくる。そういう感情の問題もあったのだろうし、やはり生活様式の変化もあって広島県警察本部も重い腰を上げたのだろうが、テレビの終夜放送への移行と何らかの関係があるのでは…と思うとあまり知られていないことではあるものの興味深いものがある。
しかし、テレビの終夜放送実施について疑問を持つ方も少なくない。その理由を挙げると次の通りになる。
・夜遅くまで番組を視聴することは健康上好ましいとは言えないこと。
・昔ほどではないが青少年にとって精神上・教育上好ましくない番組が流れていること。
・テレビ放送は多くの電力を消費していること。
・ほとんどの都道府県域民間ラジオ放送局が放送休止時間を設ける日曜日深夜(月曜日早朝)も原則として終夜放送を実施していること。
・視聴率が見込める番組が少ないこと。
・通販番組が多く流れていることに批判的な声があること。
・若年層を中心としたテレビ離れや人口減少、景気の悪化、インターネットの普及などで経営事情が厳しくなっていること。
・終夜放送を実施するようになったことを契機に放送開始時及び放送終了時の映像を一切流さなくなったところがあること。
現に経営上の問題や環境保護などを理由に終夜放送を取りやめたところもいくつか出ているのだが、広島県を放送区域とする民間テレビ放送局にその動きは見られない。確かにどの局も経営事情は厳しいことだろうが、やはりやめられない事情があるのだろう。やめられない事情としては突発的な事態への対応や視聴者の感情などが挙げられるが、例えばNHK総合テレビを含めて輪番制で終夜放送休止日を設けるとか日曜日深夜(月曜日早朝)だけは終夜放送を原則として行わないとか考えられないものであろうか。現在はあまり問題にならないことではあるが、いずれその在り方を巡る論議が起きるのではないか、私はそのように考えているところである。
テレビ局における格差問題
今日、様々なところで格差が問題になっているが、民間テレビ放送局にもいろいろな格差がある。その主たるものを挙げると次の通りになる。
・ある県より人口が少ないのにそのある県より民間テレビ放送局が多くある状態。中国地方では山口県が長らく鳥取・島根両県より人口が多いのに民間テレビ放送局の数は鳥取・島根両県の3局を下回る2局だった。
・政令指定都市があるのにテレビ東京系列に属する民間テレビ放送局がない府県が少なくない状態。中国地方では広島県だけだが、他の地方では宮城県・新潟県・静岡県・京都府・兵庫県・熊本県が該当する。また、人口100万人以上の都市がある府県に限ると宮城県・京都府・兵庫県・広島県の1府3県がテレビ東京系列に属する民間テレビ放送局がないままになっており、特に兵庫県では独立局のサンテレビジョン(SUN、神戸市中央区港島中町六丁目)がテレビ東京及びその系列局の制作の番組をほとんど流さない方針をとっているためテレビ大阪(TVO、大阪市中央区大手前一丁目)や京都放送テレビ(KBS、京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町)、テレビ和歌山(WTV、和歌山市栄谷)、山陰放送テレビ、日本海テレビジョン放送、山陰中央テレビジョン放送、テレビせとうち、四国放送テレビ(JRT、徳島市中徳島町二丁目)が視聴できる地域を除いてテレビ東京及びその系列局の制作の番組を見られない状況が続いている。
・山口県が日本の大動脈である東海道・山陽新幹線の通る都府県で最も民間テレビ放送局が少ない状態。東海道・山陽新幹線が通過する都府県は東京都・神奈川県・静岡県・愛知県・岐阜県・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・岡山県・広島県・山口県・福岡県となるが山口県以外の都府県は最低でも4局以上あり、3局しかないのは山口県だけである。山口県は東海道・山陽新幹線が通過する都府県で唯一30万人以上の都市がないところでもある(注42)のだが、第二次世界大戦終結後間もなくの頃浮上した吉南市構想(注43)が成就していたら…と思うのは私だけだろうか。
・テレビ東京系列に属する民間テレビ放送局がない広島県では放送されたのにテレビせとうちでは放送されずじまいになったテレビ東京及びその系列局制作の番組がいくつかある状態。テレビせとうちが放送することを何らかの理由で拒んだのか、それともテレビ東京系列に属する民間テレビ放送局で最少の放送区域人口であることを理由にテレビ東京側がテレビせとうちでの放送を見送ったのかその辺りの事情は定かではないのだが…。
・スポンサーの都合で系列局があっても放送されない番組がある状態。岡山放送とテレビ新広島では放送されているのに山陰中央テレビジョン放送では現在放送されていない長寿音楽番組「ミュージックフェア」(フジテレビ系)はその代表的な例である(注44)。
・山口県最大の都市である下関市に民間テレビ放送局の本社がない状態。こういうところは他にもある(福島県・静岡県・三重県)が、山口県の西の端にあることや福岡県に電波が飛ぶことなどを理由に下関市への本社設置をどの局も見送ったのだろうか。
・未だにテレビせとうちが井原市に中継局を設置していない状態。経営上の問題が理由と言うが、井原市は中継局設置には消極的な態度をとっている。地元のケーブルテレビ業者に加入すればテレビせとうちは見られるが、そんな金もない人のことを考えて欲しい。民間の地上波放送は原則として金を払ってまで見るものではないのだから…。
・自社制作番組で取り上げる情報が本社のあるところばかりという状態。例えば倉敷市や呉市、福山市、宇部市、下関市、防府市といった人口が多いが放送局の本社がない都市でも取り上げられてもおかしくないものは多数存在する。地域別放送はラジオ局の例を見るまでもなく多額の費用がかかるため困難だが、もっと本社のある都市以外の情報も取り上げるよう努めてはどうであろうか。
・自社制作番組の割合に差があるという状態。自社制作比率は経営状況を測る指標の一つではあるが、ある局は自社制作番組が多いのに別の局は…という状況を見ると何が明暗を分けているのだろうかと思いたくなる。
・同じ放送区域の放送局で終夜放送をしているところとそうでないところがある状態。例えば山口県では山口放送テレビとテレビ山口が終夜放送に移行しているが、最後発の山口朝日放送は終夜放送を実施していない。やはり経営状況がそのようにさせているのだろうか。
・人口の多いところの考えを重視し、人口の少ないところの事情を軽んじる状態。(中国地方の話ではないが)例えば徳島県は近畿(関西)地方のテレビ放送が人口集中地帯で十分視聴できることから四国放送テレビしか民間テレビ放送局がなく、山間部では四国放送テレビしか民間テレビ放送が楽しめない状況が続いている。かつては2局目の開局計画があり、現に1969年(昭和44年)秋に予備免許取得まで至っている(この時広島ホームテレビも予備免許を取得しており、こちらは記すまでもないが無事開局に至っている)のだが何らかの事情で頓挫し、後にチャンネル割り当ても破棄されている。もしその放送局が開局に至っていたら前記の状態はなかったはずだったのだが、徳島県はこの問題をどのようにとらえていたのだろうか。
格差是正は課題ではあるのだが、現状では不可能と言わざるを得ない。これまで実施されてきた政策や打ち出された構想のいずれもが頓挫したことでもそのことはうかがえるが、なぜこうなったのか。簡単に記せば経営が成り立たないからである。鳥取・島根両県ではテレビ朝日系列に属する民間テレビ放送局の開局を望む声が、広島県ではテレビ東京系列に属する民間テレビ放送局の開局を望む声が、山口県ではフジテレビ系列に属する民間テレビ放送局の開局を望む声がそれぞれあるが、いずれも難しい話と言える。鳥取・島根・山口各県には大きな都市、少なくとも倉敷市や福山市とほぼ同じ規模の都市がないし、更に鳥取・島根両県は地元に多額の利益をもたらせるような大企業が少ない。広島県は経済力こそあるが岡山・香川両県の合計人口より人口が少ないし、地形が複雑な上に人口集積のある都市が県内にまんべんなく存在するためテレビせとうちやTVQ九州放送の開局時のように大きな都市しか中継局を置かないという状況で開局させること(注45)には対象外になったところから異論が上がる恐れがある。どう考えても勝算はない。
まあ格差はあって当然なものなのかもしれないのだが、地方の活性化や東京一極集中是正といった課題があることを考えると放置するわけにも行かないだろう。ならばどうすれば良いのか。その解決策は未だに見つからない。
その他のどうかと思う問題あれこれ
これまで民間テレビ放送局の問題をいくつも書いてきたが、他にもどうかと思うことはある。それを挙げると次の通りになる。
・マンガ作品を原作としたドラマが多いこと。脚本は作りやすいかもしれないが、安易すぎやしないかと思う。また、マンガ作品のイメージを損なわない出演者などなかなかいない。最近民間テレビ放送局のドラマはほとんど見ないし、名作たるものもあまり生まれていないが、こういう状況があるからではないか。
・ほとんどのドラマが一クール(約3ヶ月)で終わること。確かにずっと続くドラマは視聴し続けるのも難しいが、3ヶ月でコロコロ変わるのもどうかと思う。
・ドラマの再放送があまり行われなくなったこと。人気ドラマがなくなったからなのか、権利の問題があるからなのか。
・ずっと夕方のドラマの再放送が「水戸黄門」(TBS系、1969〜2011年〔昭和44年〜平成23年〕放送)というところがあること。他のドラマの再放送は考えないのだろうか。
・本来の放送時間が1時間のヴァラエティ番組が毎週のように2時間スペシャルまたは3時間スペシャルと銘打って放送されていること。なぜこのような形で放送するのだろうか。
・番組内容が著しく変わっていったものがあること。「クイズプレゼンバラエティーQさま!!」(テレビ朝日系)はその典型的な例である。前身の「さまぁ〜ずと優香の怪しい××貸しちゃうのかよ!!」(テレビ朝日系、2002〜2004年〔平成14〜16年〕放送)時代は面白いのでよく見ていたが、どんどん内容が変わっていったので今ではほとんど見なくなってしまった。
・番組の功労者を冷遇しているのでは…と思う面が多々見られること。例えば「トゥナイト2」(テレビ朝日系、1994〜2002年〔平成6〜14年〕)の最終回(2002年〔平成14年〕3月29日放送)では前身番組「トゥナイト」(テレビ朝日系、1980〜1994年〔昭和55年〜平成6年〕放送)を含めて21年半続いた番組にもかかわらず番組OBまたはOGで出演したのはテレビ朝日の下平さやか・渡辺宜嗣両アナウンサーだけだったことでテレビ朝日は「トゥナイト」の司会者だった利根川裕や女性レポーターOGを軽んじたのではないかとする声が上がった。都合が付く方だけを出演させることにしたことや打ち切りを決めた時に検討したが諸事情で結局断念したこと、いわゆる葬式番組にしたくなかったことが下平さやか・渡辺宜嗣両アナウンサーしか出演しなかった理由と思われるがもし番組の視聴者から「なぜ○○を出演させなかったのか。お前らは番組の功労者を冷たくあしらうのか」とか「これが20年以上も続いてきた番組の最終回なのか。つまらん。最終回をやり直せ」というような抗議が来たとしたらどのように対処するのだろうか。
・費用の問題もあるのだろうが、視聴者が出演する番組が減ったこと。タレントや文化人、有名人がバカ騒ぎする番組のほうが都合が良いのだろうが、淋しく感じるのは私だけだろうか。
・早朝やゴールデンタイム、夕方に子供向け番組が放送されなくなったこと。子供の生活習慣が変わったことや少子・高齢化が進展していることが原因ではあろうが…。
・テレビ局の態度が矛盾していること。政治家の疑惑などについてニュースキャスターは「説明責任が求められます」とコメントするのに視聴者からの番組に関する苦情などにはきちんとした説明をせず、かえって視聴者を憤慨させているし、言論統制に反対しているのに政治家の冗談で言ったとしか考えられない発言を問題発言だと決め付け、政治家を失脚させようとしている。また、サイトに設けてある掲示板に番組内容や応援しているスポーツチームなどについて批判的なことを書くとその投稿を公開しないだけでなく投稿者を掲示板荒らしと決め付けて永久書き込み禁止処分にする。「あれは良くてこれはダメ」という態度はよく見られることではあるがこれはどうなのか。
・出演者に対してどうかと思うような仕打ちをする番組があること。ヴァラエティ番組によく見られるが学校や職場でのいじめが社会問題化している今日、それをまねする人が出ることは全く考えていないのだろうか。
・触法行為を面白おかしく取り上げていること。例えば長寿深夜番組「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系)の人気コーナー「空耳アワー」のVTRの中には夜道を一人で歩いていた若者を不良少年三人組が捕まえて自慰をしろと脅すものや全裸の男性が複写機に腹ばいに乗って自分の性器を複写するもの、男性教師が女子生徒の前で自分の性器を見せびらかすもの、男性が男女が性交している絵を次々見せびらかして捨てていくもの、ある恥ずかしいことを大声で叫んで回るものなどが過去にあった。これらの行為をまねする犯罪が起きた場合どのように対処するのだろうか。
・ドキュメント番組が深夜・早朝にしか放送されないこと。多くの視聴者にとって難しいことや堅いこと、面白くないことを取り上げるが故に視聴率が見込めないために深夜・早朝に追いやられたのだろうが…。
・かつてはワイドショーの名物企画だった公開捜査コーナーが全く企画されなくなったこと。私的領域を擁護すべきだという声が高まったことや流すだけで結果はほとんど報告しなかったこと、効果があまりなかったこと、暗さや怖さを感じる方が少なくなく、視聴率が見込めなくなったこと、嘘をついて出演した人がいたことなどが背景にあるものと思われるが、2007年(平成19年)に創設された捜査特別報奨金制度がさしたる効果を上げていないことや警察が捜査にテレビをあまり活用しなくなっていることを考えれば企画しても良いのではないのだろうか。無論「奇跡の扉 TVのチカラ」(テレビ朝日系、2002〜2006年〔平成14〜18年〕放送)のような定期公開捜査番組を設定することを考えても良い。但し胡散臭い超能力者を出演させるような視聴率稼ぎを目的とした企画は導入しないものとする。
・民間放送局である以上企業などの宣伝を流すのは良いのだが、中にはどうかと思うようなことがある企業の宣伝も流れていること。そういう企業の宣伝を見て良さそうだなと思い、採用面接を受けたところひどい目に遭わされたとかどうかと思う現実を目の当たりにしたとかいうような話は多数存在するが、確かに疑わしきは罰せずという姿勢をとっていることや貴重な収入源になっていることなどから視聴者から「○○という会社の宣伝は流さないでくれ。あの会社から不愉快な仕打ちを受けた」というような苦情を受けても何もすることはできない。視聴者が自ら情報を得るなどして自衛するしか方法はないわけであるが、どうにかならないものなのだろうか。
・ゴールデンタイムに自社制作の番組を放送しないところが少なくないこと。広島県ではかつて中国放送テレビやテレビ新広島で設定していたが、現在はどちらもやめている。特にテレビ新広島は前に記した通り司会を務めていたアナウンサーの不祥事が原因で撤退に追い込まれたのだが、岡山放送がずっと自社制作番組を流していることやフジテレビ系列の視聴率不振が著しいこと、開局30周年記念番組として一度復活させた時に好評を得たことを思えば復活させたらどうだろうと思っている。ただ、そのようなことをすれば何かを犠牲にしなければならないという問題が生じるのだが…。
・ケーブルテレビ局の普及が遅れていること。確かに金を払ってまで番組を見るというのは抵抗感のあることだが、広島県の場合呉市には未だ存在しないし、福山市にはあるにはあるが今一歩定着しているとは言い難い。そもそも福山市の場合は自主放送チャンネルが設定されていないことがどうかと思っているのだが、できることなら福山市や中国新聞社(広島市中区土橋町)、エフエムふくやま(愛称:レディオBINGO、福山市西町二丁目)などで第三セクター企業を設立して光パーフェクTV!
から回線を引き継いではどうかと思っている(その際エフエムふくやまの演奏所も移転させるべきであろう(注46))。自主放送チャンネルの存在しないケーブルテレビ局などエフエムふくやまでいくら宣伝が流れていたとしても存在しないも同然だ。
・番組で取り上げる情報が東京及びその周辺に偏っているものが多いこと。まあ情報番組の場合制作局のある場所中心で番組を作るため致し方ない面はあるのだが、東京まで気軽に行けないような地方の人間が見ても面白くないし、反対にそういう番組が東京一極集中を促しているという問題もある。まだ「王様のブランチ」(TBS系)のように地方でも使えるような情報をいくつも取り上げれば良いのだが…。
・放送倫理・番組向上機構(BPO)の顔色をうかがうようになったのか番組が面白くなくなったこと。確かに番組内容に関してどうかと思うことはいくつもあるが、だからといって批判を怖がるのはどうだろうか。今日のフジテレビ系列の視聴率不振は放送倫理・番組向上機構を恐れるあまり萎縮してしまったことにも原因があるように感じるのだが…(一方でどうかと思うような企画を流していたことも放送倫理・番組向上機構が設立される一因になったわけであるが…)。
・新聞のテレビ・ラジオ欄での問題だが時々新番組なのに新番組記号が入れられていなかったり反対に最終回記号がないのに番組を見ていたら番組の最後で今回をもって終了する旨の表示がなされたりすることがあること。スペースの問題や不手際も考えられるし突然決まったことも考えられるのだが、テレビ雑誌や電子番組表、新聞などに折り込まれる週間番組表では記載されている場合があるのできちんとして欲しいと思っている。
・深夜帯にも短時間で良いからローカルニュース番組を設定してはどうかと感じていること。広島県の場合かつて中国放送テレビではそういう番組があったが今はないし、広島ホームテレビは設定しているが伝えるものは一つか二つであり、例えば広島東洋カープやサンフレッチェ広島の試合結果は伝えない。夜遅くまで起きる生活はどうかとは思うのだが、検討してはどうだろうか。
・高齢化社会が進展しているのに番組編成が未だに若年者主体になっていること。確かにまだ若年者の人口が多いのだが、高齢者にはなじめないような番組が少なくないことをどのように考えているのだろうか。
・スポーツ中継が全般的に縮小の一途をたどっていること。広島県の場合特に全国高等学校野球選手権大会の予選の中継が最近少なくなっている。スポンサーが付かないとか視聴率が見込めないとか広島県代表が好成績を挙げられないとか人員が足りないとかいろいろ理由はあるのだろうが…。
・視聴率稼ぎが目的なのだろうがあおりやじらしを多用するヴァラエティ番組が多いこと。あおるようなことや期待させるようなことを言って宣伝に入り、宣伝が終わって番組に戻ったらそれは次回の話だった…ということはよくあるが、視聴者を欺いて何が面白いのだろうか。まああおるようなことや期待させるようなことを言って宣伝に入り、宣伝が終わって番組に戻ったらそれは次回の話だった…というのは番組の終盤でよく見られるので時間を考えたら「この話は次回のことだろうな」と考える方も少なくないとは思うのだが…。
・パソコンやスマートフォンを持っていることを前提とした宣伝が多いこと。「『○○』で検索」と宣伝の最後で言うものが多いが、まだパソコンやスマートフォンを持っていない方や使いこなせていない方が少なくないことを考えるとそういう人はどのように感じているのだろうかと思いたくなる。
・フジテレビ系列の「27時間テレビ」や日本テレビ系列の「24時間テレビ 愛は地球を救う」など24時間以上放送される番組についてその在り方を見直しても良いのではないかという議論が出ていること。前者は来年30回目の節目を、後者は再来年40回目の節目を迎えるが、批判は少なくない。「24時間テレビ 愛は地球を救う」については日本の福祉向上を目的に放送されているので今後も続けて頂きたいと思うのだが…。
・NHKの番組に民間放送でやってもおかしくないようなものが多くなっていること。どうかという声もあるが最近自分がNHK-FMを聴く機会が増えたのは実は面白い番組や親しみやすい番組が増えたことがある。時代の流れと言えばそれまでなのだろうが…。
・長時間番組について再考して欲しいと思うこと。例えば夏に各局で長時間の歌番組が放送されるが広く知られているヒット曲や歌手があまりない昨今どれだけの方がずっと見ているのだろうかと感じたくなる。
まあ満足度100%のものなど絶対にできるわけはないし、そういう状況でも視聴者の声や感情にも配慮していかなければならないのだが、果たしてどうすればより良いものができるのだろうか。それがこれからの課題になるのではないかと思うのである。
これからのテレビ局の在り方を考える
テレビ放送には限界がある
日本でテレビ放送が始まって60年以上の歳月が流れた。その効果は最早記すまでもないことであるが、一方でテレビ放送には限界があることも事実である。民間テレビ放送局における限界を挙げると次の通りになる。
・スポンサーの都合に振り回される。
・どの系列も全都道府県を網羅していない。
・地域によっては見られないテレビ局がある。
・時間による制約がある。
・伝えるもの(臨場感や音声など)に制約がある。
・いくら物事の魅力を伝えても伝え切れるものではない。
・効果や利益を優先させがちである。
・放送局の都合で取り上げられないものや流されない番組、終了させられる番組が少なくない。
・視聴者の思いを全て受け止められない。
・説明責任が果たせない。
・本当はどうかという事情や評判を抱える企業や事業所、店舗までも取り上げざるを得ない。
・視聴率至上主義をとっているところが多く、本当に多くの方々に見て頂きたい番組を作ることが難しい。
・制作局中心主義が根強く、制作局から離れた地域が軽んじられがちになっている。
・どうしても見方が偏りがちになる。
・資金力がなく、番組を充実できない。
・人材難もあるのか番組作りが安易になっている。
・格差が随所で生じているが解消できない。
・宣伝を入れなければならないために大切なところで番組が分断されるなど視聴者をいら立たせることがよくある。
・少数意見を無視せざるを得ないことが多い。
・(特に最近顕著になったが)どの世代にも支持されるものがない。
その弊害も多数に及ぶのでここでは割愛させて頂くが、こういう限界を見るとなぜ1990年代中期以降インターネットが爆発的に普及し、反対に若年者を中心にテレビ離れが進んだかが分かるような気がする。インターネットだったらサイトやブログで自分の思いを広く伝えることができるし、動画投稿サイトでテレビで流すことがまずあり得ないような映像、言い換えれば見る人が少ないような映像を公開することもできる。制限や批判もないわけではないし責任を被らざるを得なくなる場合もあるが、自由に思いを言え、見たいものを見ることができる。こういうことはテレビにはできない。
確かに便利なものや面白いものができれば人はそれに流れていく傾向がある。しかし、それまでのものは否定されるべきなのか。姿を消して良いものなのか。私はそうは思わない。自分達が持つ良さを考え、新たに出てきたものとの共存を模索することがもっと考えられるべきだと思うのである。過去の栄光にすがっても「そんな古い話をされても…」とか「昔は昔。今は今。どちらが大切なのか」などと思われて一蹴されるだろう。人々を振り向かせようと身の丈に合わない努力をしてもその先にあるのは破綻という悲惨な結末だけである。それは既に我々の知るところとなっていたことなのだが、残念ながら今日まで顧みられることはなかった。しかし、若年者を中心としたテレビ離れが起き、長らく栄光の座にあったフジテレビ系列が没落した今、顧みられても良いことだと私は考えている。「やっても無駄だ」などと思う方は少なくないことであろうが、それが新たな展開を生み出し、結果として利益を生み出すかもしれない。そういう挑戦する考え方が今求められているのではないのだろうか。
放送局は一体誰のものなのか
本サイトではこちらで全国にあるコミュニティ放送局の一覧表を公開しているのだが、1992年(平成4年)以降各地で設立され、この度ようやく全都道府県に1局はある状態になったコミュニティ放送局の中には残念ながら廃業に追い込まれたところや予備免許を取得しながら結局開局に至れなかったところがいくつかある。廃業または開局断念の原因のほとんどは経営不振なのだが、中にはこいつら何を考えてるんだとか聴取者を何様と思っているのかと感じたくなるものがある。事実かどうかはっきりしないものがあるのでどの放送局のことなのかは書かないでおくが、そういうものを挙げると次の通りになる。
・無届けで本社(演奏所)を移転した。
・番組放送中に局長の怒鳴り声が入った。
・局長が遅刻したため演奏所に入れず、一部の番組を休止せざるを得なくなった。
・番組で局長に楯突くようなことを話したために番組は通告もなく打ち切りになった。
・無断で出力を増強していた。
・放送局の親会社になった社長(女性)が「○○の巫女(みこ)」と名乗って喋り手を務める番組を始めた。
・放送局の上層部にいる人間が不祥事を起こした。
・放送部の上層部の中で何らかのゴタゴタが起きた。
・経営不振で自社制作番組を全て打ち切ったのにその後はただ一日中音楽を流すだけでどうするのか明確な方針も示さなかった。
・放送区域が災害に見舞われているのに何もしようとしなかった。
・廃業したのに未だに公式サイトは残したままにしている。
・予備免許取得後何らかの問題が起きて開局延期→開局断念に追い込まれたのに何の説明も釈明も行わず、行方をくらます。
開局に至れないで、廃業に追い込まれて当然だという声もあるところであるが、なぜこうなるのか。私は次に挙げるような考えがあったからではないかと考えている。
・自分の考えていることこそ正しい。他人がとやかく言うけど聞く耳は持てない。
・この状況を見れば聴取者はどういう状況にあるか察してくれるだろう。
・正直なことを言えば非難の矢面に立たされる。そんな状況に自分は立ちたくない。
・責任はあまりにも重いのでできれば背負いたくない。
・見つからなければ何をしても許されるのではないか。
要するに考え方には独り善がりや甘えが垣間見えるのである。言い換えれば聴取者のことなど全く眼中にないのである。こんな考え方を持つ人間が経営していたコミュニティ放送局の聴取者は本当に不幸だなと思いたくなる。
まあ誰にも脅かされたくない考え方があるからとやかく言うのは筋違いなのかもしれない。しかし、それが存亡にかかわる問題に至るなら、信頼を失う結果に繋がるなら、誰かを憤慨させる結果になるならこれほど愚かなことはない。「俺は一生懸命頑張っていたんだ。何で認めてくれないのか」などと逆ギレされるかもしれないのだが、そういう態度が発展させたかった、そして地域住民のかけがえのない存在に成長させたかったはずの放送局を潰す結果に繋がったのではないのだろうか。
民間放送局は利益を生み出す存在ではあるが公たる存在でもある。そのことが蔑ろにされているのではないか、私はそう感じるのである。低俗番組を平然と真昼間に放送し、抗議されても無視する放送局が公たる存在なのか。恣意的に番組を打ち切ったり放送日時を変えたりする放送局が公たる存在なのか。不可解な理由で人気が高いはずの番組を打ち切る放送局が公たる存在なのか。説明責任を果たし、視聴者や聴取者の不満を解消することを考えない放送局が公たる存在なのか。有力なものに肩入れし、少数意見や無名なものを蔑ろにする放送局が公たる存在なのか。今一度放送関係者は胸に手を当てて考えてはいかがであろうか。
テレビ局の廃業はあり得るのか
私は前にコミュニティ放送局の中には残念ながら廃業に追い込まれたところがあると書いたが、ならば都道府県域民間放送局で廃業したところはないのかというと実は一つだけ存在する。愛知県を中心とした地域で外国語放送を行っていた愛知国際放送(愛称:RADIO-i。名古屋市東区東桜一丁目。2000〜2010)である。外国語放送を行っていた民間エフエム放送局は東京・愛知・大阪・福岡にあったのだが、日本語放送がほとんどないことや日本にいる外国人に深く浸透しなかったことなどから経営はどこも厳しかった。その中で愛知国際放送はどうせどこが継承しても同じ結果になるだろうと思ったのか放送を継承したいという声をことごとく退け、廃業を選択したのである。もっとも、その後外国語放送局のネットワークであるMegaNetの総本山であるInterFM(東京都品川区東品川一丁目)が名古屋に支社を置き、そこから放送を流すようにしたことで愛知県及びその周辺地域における外国語放送局は再興を果たしているのだが、愛知国際放送の投げやりな態度はともかく、この事件は少子・高齢化により人口減少に転じ、経済情勢も芳しくない日本の民間放送局の今後に大きな影を落としたことは間違いないと言えよう。
ならば都道府県域民間テレビ放送局で経営破綻はともかくとして廃業に追い込まれるところは出るのか。私は今のところはないのではないかと考えている。その理由は次の通りである。
・ほとんどの都道府県域民間テレビ放送局はTBS・日本テレビ・テレビ朝日・フジテレビ・テレビ東京のいずれかの系列に属しており、それらの総本山に当たる放送局が廃業を回避すべく動くことになるものと思われるから。
・残ったテレビ局は廃業したテレビ局が属している系列の番組を流さざるを得なくなるため番組編成が大幅に変わるから。
・地域に大きな傷を残すことになるから。
・職員や自社制作番組、放送時間の削減など経営破綻や廃業を回避するために取り組むべきことがあるから。
・民間テレビ放送局が一つしかないところ(徳島県・佐賀県)ではテレビ局がNHKだけになり、民間テレビ放送局は自分の地域についてほとんど取り上げない他府県の放送を見るしかなくなるから(徳島県は大阪府・兵庫県・和歌山県に本社のあるテレビ局の番組を、佐賀県は福岡県・長崎県・熊本県に本社のあるテレビ局の番組をそれぞれ見ることになる)。
・独立局があるところ(東京都・京都府・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・神奈川県・岐阜県・三重県・滋賀県・兵庫県・奈良県・和歌山県)では放送区域としているものの地元の情報をほとんど取り上げない民間放送を見ざるを得なくなるから(東京都・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・神奈川県は東京都に本社のあるテレビ局の番組を、岐阜県・三重県は愛知県に本社のあるテレビ局の番組を、京都府・滋賀県・兵庫県・奈良県・和歌山県は大阪府に本社のあるテレビ局の番組をそれぞれ見ることになる。また、テレビ愛知〔TVA、名古屋市中区大須二丁目〕は愛知県しか、テレビ大阪は大阪府しかそれぞれ放送区域にしていないため京都府・岐阜県・三重県・滋賀県・兵庫県・奈良県・和歌山県ではテレビ東京系列の番組が見られなくなるという問題が起きる)。
・何だかんだ言う声もあるが放送局は地域のかけがえのない財産であるから。
・そのテレビ局で制作・放送されていた地域色豊かな番組がなくなるから。
・本社やラジオ局より多い中継施設が廃墟と化し、その処分に苦慮することになるから。
しかし、記すまでもないことであるが今後もテレビ局が廃業せずに済むという保証はない。人口減少や経済力低下、若年者を中心としたテレビ離れ、インターネットの急激な普及など状況が好転する様子はないからである。無論経営破綻や廃業を回避すべく何らかの経営努力(自社制作番組の削減や放送開始時間の繰り下げ、放送終了時間の繰り上げ、視聴率の芳しくない番組の打ち切り、職員の削減など)は行い、万策尽きた時に経営破綻や廃業を選択することになるのだろうが、一体どうなっていくのであろうか。
最後に〜私が考えるテレビ局の在り方と将来〜
人口減少や経済力低下、若年者を中心としたテレビ離れ、インターネットの急激な普及など、テレビ局を取り巻く環境は厳しいものがある。楽観視もできないし、恐らくこれまでなかったこと(廃業や放送休止、テレビ局同士の統合など)が起きるかもしれない。しかし、一切テレビに触れない生活はあり得ないと言って良い。ならばどのようにすればテレビはこれからも生活の一部として有用であり続けるのか。私が提案したいのは次の事柄である。
・視聴者の目線で物事を考えるようにすること。
・説明責任を完遂するよう努めること。
・視聴率至上主義に走らないこと。
・番組の打ち切りは極力避けること。
・「どうせ力を入れても何にもならないだろう」とか「相手が強すぎるからね…」というような投げやりな態度をとらず、果敢に挑戦すること。
・「強きを助け弱きをくじく」という考え方を捨てること。
・面白がるような態度を見せないこと。
・視聴者の声を無視したり「あなたの意見は聞く耳を持てるものではない。二度と電話などしてくるな!!」などと怒鳴ったりして門前払いしないように努めること。
・公平な報道を貫くこと。
・放送局などにとって不都合な意見は排除するのではなく、自分達に対する厳しい意見であるとして重く受け止めるよう努めること。
・番組審議会を公開生放送にするなどし、密室性を排除すること(Twitterなどで意見を募るのも良いと思う)。
・あまりにも聞く耳を持てないようなことや触法性のあることを除き放送局に寄せられた意見にはきちんと回答するよう努めること(放送局の公式サイトに掲載するのが良いように思われる)。
・放送局への意見を募る方法を複数化すること。
・もっとインターネットを活用すること。
・視聴率などの情報を公開し、視聴者の理解を得られる姿勢をとること。
・電力事情や経営事情、視聴者の健康への影響などを考え、放送終了時間の繰り上げを検討すること(但し深夜・早朝に発生する重大な出来事に対応できるよう努めるものとする)。
・原則として都道府県単位としてきた放送区域の在り方を見直すこと。
・その都道府県における重要な都市なのに放送局の本社がないところからも情報発信ができるよう考えること。
・長期的かつ広域的な視野を持って番組を制作・放送するよう努めること。
・長時間番組を見直すこと。
・番組における制作地一極集中問題について真剣に検討するよう努めること。
・もっと地方発の番組を発信できる状況を作ること。
・視聴者参加番組や公開捜査番組、系列局リレー番組、コント番組など今ではあまり見られない番組を復活させること。
・放送倫理・番組向上機構や視聴者を極度に恐れないこと。
・不祥事を防ぐためにも職員の心身に留意すること。
・少子化の時代であってもゴールデンタイムに子供や家族が安心して見られるような番組を設定すること。
・番組の放送時期や放送時間帯に対してもっと配慮するように努めること。
・目先の利益にとらわれて放送局の方針を乱さないように努めること。
・放送格差の是正に対してもう少し地方自治体は積極的になること。
併せて視聴者側も積極的に気が付いたことは指摘するとともにどのようにテレビと付き合っていくのか考えることが求められよう。ただテレビから流れるものを鵜呑みにせず、より良いものを作り上げるためには視聴者の関心の高まりが必要だと考えているからである。
ここまで書かないでいたのだが、私は今日の民間テレビ放送局の苦境は今ではなく1970年(昭和45年)前後には既に始まっていたのではないかと考えている。その象徴的な事件と言えるのが広島ホームテレビと同時に予備免許を取得した徳島県の二つ目の民間テレビ放送局・ニュー徳島放送が開局に至れずに終わったことである。なぜ開局に至れなかったのか、はっきりした理由は分からないのだが、私は徳島県を放送区域とする民間テレビ放送局を見るのは近畿(関西)地方の民間テレビ放送局を受信できない地域の方に限られることや近畿(関西)地方の民間テレビ放送局を受信できない地域は山間部や南部といった人口が少ない地域となり、当然のことながら徳島県や徳島市に対する発言力が低下すること、UHF電波は多数の中継局を必要とするが徳島県の場合地形が険しい上に山間部の集落に住んでいる人は少ないために費用対効果が見込めなかったこと、大規模な工場がないなど経済力が弱く、複数の民間テレビ放送局を抱えることが難しかったことが原因ではないかと考えている(その点を考えれば経営上不利になる既存局の四国放送の関係者が開局させまいとして圧力をかけたのではないかという説も浮かび上がってくる。ただ、もしそれが本当ならエフエム徳島〔徳島市幸町一丁目〕も開局できなかったことになるが…)。
この事件は日本の総人口の1%もない、東京から遠く離れた県で起きたことなので重く受け止めた方はほとんどいなかったものと思われる。しかも1970年(昭和45年)頃と言えば高度経済成長の真っ只中にあった。恐らく徳島県の二つ目の民間テレビ放送局は誰かが志を受け継いでいずれは開局に向けて動き出すだろうし、その頃全国各地で開局した、UHF電波を用いた民間テレビ放送局も高度経済成長の波に乗って成長していくだろうという楽観論があったのではないのだろうか。
しかし、その高度経済成長自体が第四次中東戦争(1973年〔昭和48年〕)を契機に発生した第一次石油危機をもって終焉を迎えてしまった。高度経済成長は都会と地方の格差を拡大させる元凶にもなっていたためたださえ地方の民間テレビ放送局は厳しい経営を強いられていたが、高度経済成長の終焉はそれに拍車をかける格好になってしまった。広島ホームテレビが自社制作番組を多く設定できず、郵政省から指導される事態になったことやその頃三大都市圏で相次いで開局した独立局はどこも経営が厳しく、あるテレビ局では平成時代初頭になっても放送開始時間が午前9時頃で、放送開始直後から数時間は新聞社提供の「文字ニュース」を流し続けるという状況が見られたこと(「文字ニュース」を中国放送テレビのように深夜・早朝に流すのならまだ分かるが…)はその象徴的な出来事と言えた。
高度経済成長が終わってから40年以上の歳月が流れたのだが、状況は更に厳しくなっている。1950〜1970年代ほどの経済成長は見られなくなったし、東京への一極集中が進んだ上に少子化が進展して広島県など政令指定都市を有する道府県でも人口が減少に転じるようになった。そして1990年代中期になるとインターネットが台頭し、(そればかりが理由ではないのだが)若年者を中心にテレビ離れが進んだ。今ではほとんどの都道府県域民間テレビ放送局が厳しい経営環境の中にあるし、新たな都道府県域民間テレビ放送局の開局も21世紀に入ってからはない(注47)。
そういう中で目に付くのは利益を上げられるなら批判や苦情があろうとも何をしても許されるのではないかという考え方であり、利益が上げられないなら関係者や視聴者の思いを無視して切り捨てても良いという考え方である。前者には「アフタヌーンショー」のやらせリンチ事件や広島ホームテレビが「スキヤキ!!
ロンドンブーツ大作戦」を不適切な時間帯に流した問題が、後者にはフジテレビジョンが視聴率低迷を理由に長く続き、多くの人々に親しまれた番組を次々に打ち切った問題や広島テレビ放送が恣意的な番組編成を行っている問題がそれぞれ挙げられる。何かどの企業も金の亡者と化しつつあるのではないかとか自分達の考え方に合わないものは徹底的に排除し、独善的になっているのではないかと最近よく思うのだが、利潤を追求しながら公的存在たらねばならない放送局までそういう考え方を持つのは果たして好ましいことなのだろうか。
今後もテレビは生活の必需品としての地位を維持していくことであろう。けれど今のままで良いとは私は思わない。何が必要なのか。もうこれ以上は書かないでおくけれど、技術ではないことだけは確かである。
(注釈コーナー)
注1:山口朝日放送より後に開局した中国地方の民間放送局はコミュニティ放送局22社全て(但し1社は廃業しており、現存しているのは21社)と岡山エフエム放送である。現在の中国地方最後発の民間放送局は都道府県域放送局は1999年(平成11年)4月1日に開局した岡山エフエム放送、コミュニティ放送局は2012年(平成24年)2月3日に開局したFM山陽小野田(愛称:FMサンサンきらら。山陽小野田市小野田)である。
注2:国道2号線新広島バイパス沿線には他にも新広島という単語を入れた会社が存在する(例:新広島自工)。
注3:現在は「tss みんなのテレビ」を放送している。
注4:実はテレビ新広島も1995年(平成7年)に開局当初の本社のすぐそばに新館を建設している。開局時から使っていた局舎が手狭になったことなどが背景にあったものと思われる。
テレビ新広島の開局当時の本社局舎(2007年〔平成19年〕11月16日撮影)
テレビ新広島本社新館(2007年〔平成19年〕11月16日撮影)
テレビ新広島本社旧館脇にある関係者以外の立ち入りを禁じる旨を記したユニークな看板(2007年〔平成19年〕11月16日撮影)
注5:岡山放送と瀬戸内海放送の概要は下表の通りである。
放送局名 | 本社のある場所の概要 |
---|---|
岡山放送 | ・岡山市中心部の北部にある。 ・JR山陽新幹線・山陽本線よりも北側にある。 ・本社の近くには国立岡山大学(岡山市北区津島中一丁目)がある。 ・本社の西方には岡山県総合グラウンド(岡山市北区いずみ町)がある。 ・本社の西方には国道53号線が、本社のすぐ北側には岡山県道/兵庫県道96号岡山・赤穂線がそれぞれ通っている。 ・住居表示は実施されている。 |
瀬戸内海放送 | ・高松市中心部の西部にある。 ・JR高徳線よりも西側にある。 ・都市化は進展している。 ・香川県道33号高松・善通寺線(国道11号線旧道)が本社のすぐ南側を通っている。 ・住居表示は実施されている。 |
注6:テレビ新広島の自社制作の深夜番組「デジ生! バなな調査団」(2008年〔平成20年〕放送。わずか2ヶ月で打ち切り)や中国放送テレビがネットしたテレビ神奈川(TVK、横浜市中区太田町二丁目)制作のヴァラエティ番組「saku
saku」(中国放送テレビでは2008年〔平成20年〕5月1日に始まって6月26日で打ち切り。その後2012年〔平成24年〕4月から再度ネットしたがこれも昨年末で打ち切られた)が挙げられる。いずれも「水曜どうでしょう」の放送時間と重なっていた上に番組内容が視聴者に受けなかったことが短期間での打ち切りに至る原因となったものと思われる。
※「saku saku」は山陽放送テレビでも放送されていたことがあるがこちらも2009年(平成21年)3月で打ち切られており、現在中国地方の民間テレビ放送局で「saku
saku」を放送しているところは存在しない。
注7:電車などにある週刊誌の中吊り広告の中から気になる芸能情報についてを伝えるコーナーだったという。
注8:私が考える平成時代初頭に生じた女性アイドル歌手冬の時代の原因は次の通りである。
・視聴者参加型歌手オーディション番組として一世を風靡し、多くのアイドル歌手を輩出した「スター誕生!」(日本テレビ系、1971〜1983年〔昭和46〜58年〕放送)が打ち切られたこと。
・アイドル歌手の出演が多かった「ヤンヤン歌うスタジオ」(テレビ東京系、1977〜1987年〔昭和52〜62年〕放送)や「ザ・ベストテン」(TBS系、1978〜1989年〔昭和53年〜平成元年〕放送)といった歌番組が昭和時代末期から平成時代初頭にかけて相次いで打ち切られたこと。
※「ヤンヤン歌うスタジオ」は広島県では広島テレビ放送で土曜日の午後4時台に放送されていたのだが、小学生の頃「ヤンヤン歌うスタジオ」を見ていて冒頭で夜の東京タワー(東京都港区芝公園四丁目)が映し出されたのを見て「東京はこの時間もう暗いのか」と勘違いしたことがある(ちなみにその時は秋か冬だった)。
・若者のファッションなどに影響を与える歌手が出てこなかったこと。
・人気を博するロックバンドが次々と現れた上、その影響を受けて高校生を中心にバンドブームが起きたこと
・人気が高い海外アーティスト、すなわちマドンナやマイケル・ジャクソン(1958〜2009)などが来日してライヴを開催するなど洋楽が身近な存在になったこと。
・大成する可能性は高かったのに事務所のゴタゴタで伸び悩むなどし、消え去った歌手がいたこと(セイントフォーなど)。
・人気アイドル歌手の岡田有希子(1967〜1986)がこれから…という時に自殺したこと。
・曲の歌詞が覚えにくくなったこと(私の場合1987年〔昭和62年〕頃を境に歌詞が覚えにくくなった)。
・女性は若いほうが良いという考えが根強いこと(例えばAKB48には現在20代中盤〜後半のメンバーが何人かいるが1980年代には20代中盤〜後半のメンバーがいるということはまず考えられない話だった)。
・たとえ人気を博しても数年で歌手活動から足を洗う歌手、言い換えれば別の方向の芸能活動に進む歌手が少なくなかったこと。
・一般市民の価値観が多様化し、人気の独占化や寡占化が生じにくくなったこと。
・反対にタレントの種類も多様化したこと。
・歌のうまさなど本格的なものが求められるようになったこと。
・アイドル歌手の乱立で何が何だか分からなくなることが多かったこと(岡村有希子という、岡田有希子と名前がよく似た名前のアイドル歌手も存在した〔紛らわしかったのか後に岡村良枝に改名している〕)。
※岡村有希子改め岡村良枝というアイドル歌手の存在は中島さんから聞いたものである。中島さんによると岡村有希子は下関市出身で、デビュー前に下関市立大学(下関市大学町二丁目)の学園祭の企画にゲストで出演したことがあったという(第22回馬関祭〔1983年〈昭和58年〉〕での話)。十数年前ある週刊誌の「あの人は今」的な企画で岡村有希子改め岡村良枝の近況が報じられたことがあることを考えると当時ある程度の人気・知名度はあったことが推察されるが、中島さんはそういうアイドル歌手がいたことは下関市立大学の学園祭のパンフレットを調べるまで全然知らなかったと話している。
・歌番組の減少でテレビドラマの主題歌を担当するかヴァラエティ番組に出るかしないとその存在を分かってもらえなくなったこと。
※中島さんが大学3年生の時の学園祭、すなわち第31回馬関祭(1992年〔平成4年〕)では森口博子のコンサートが開催されているが、中島さんが森口博子の存在を知ったのは1989年(昭和64年)の正月に日本テレビ系列で放送された、とんねるずが進行役を務めたヴァラエティ番組だったという(それが放送されたのは昭和天皇〔1901〜1989。在位期間:1926〜1989〕が崩御される前だったので昭和64年と書いている)。「その番組を見ていてこういうアイドル歌手がいたのかと思いましたよ。まさか自分が進学した大学の学園祭でコンサートを開くことになるとは当時想像だにしませんでしたね」と話しているが、残念ながら大学祭実行委員会事務局のスタッフであっても当時森口博子の姿を見ることはかなわなかったという。しかし、何と森口博子は第45回福山ばら祭(2012年〔平成24年〕)のローズコンサートに出演しており、中島さんも見に行ったということである。中島さんはこういうこともあるもんだなと今も思っているとのことである。
・昭和時代末期から平成時代初頭にかけて首都圏で女児が相次いで誘拐され、殺害された事件の容疑者がアニメなどに興味を持っていたことが明らかになったことでアイドル歌手などに興味を持つことが好ましからざることとされるようになったこと。
・目先の利益を優先させたのか長期的視野を持って育成する考えを持たない芸能事務所が増えたこと。
・バブル景気が終わり、長期的な不況に入ったこと。
様々な要因が重なり合って冬の時代を迎えたということになるのだろうが、アイドルという単語はもともとは偶像を意味する英単語(綴りはidol)であることを考えるとそれは昭和時代末期から平成時代初頭にかけての数年間だけの話だったのではないかと私は考えている(その後は最早記すまでもないであろう)。また、冬の時代にアイドル歌手としての活動を行ったために当時はさほど有名にはならなかったが、その後女優や声優に転身して成功した元アイドル歌手もいくらかいる(永作博美〔元ribbon〕はその代表例)。何にでも冬の時代とか暗黒時代とも称するような低迷期はあるのだからもう少し見方を変えて女性アイドル歌手冬の時代を考える動きがあっても良いのではないかと思うのだがどうであろうか。
注9:理由としては井原市は人口が少なく、財政事情もそんなに良好とは言えないことや費用対効果が見込めないこと、テレビせとうちを見たければ地元のケーブルテレビ業者(井原放送〔井原市井原町〕)に加入すれば良いことが考えられる。しかし、岡山エフエム放送の中継局はあるのにテレビせとうちの中継局がないという現状に不満を抱く井原市民は少数ながらいることや家計が苦しいなどの理由でケーブルテレビ業者に加入しないでいる方がいること、井原市は交通網の整備で十分福山市のベッドタウンになり得るところであることを考えるとこの状況はいずれ解消に向けて動くのではないかと私は思うのだがどうであろうか。
注10:ここでは内容(題名・声優・放送日時など)の変更はあったものの同じ系列で現在までずっと放送され続けているものを取り上げている。通算放送年数基準で順位を付けた場合の放送年数(今年12月1日現在)は「サザエさん」(47年2ヶ月)→「ドラえもん」(37年2ヶ月)→「それいけ!
アンパンマン」(27年2ヶ月)→「クレヨンしんちゃん」・「ちびまる子ちゃん」(ともに23年8ヶ月)→「しまじろう」シリーズ(22年)…となる。
※「ドラえもん」の放送年数は日本テレビ版(1973年〔昭和48年〕4〜9月放送。諸事情により現在では存在しなかったことにされているし見ることも不可能になっている)の放送期間を、「ちびまる子ちゃん」(フジテレビ系。1995年〔平成7年〕1月放送開始)の放送年数は第一期(フジテレビ系。1990年〔平成2年〕1月〜1992年〔平成4年〕9月)の放送期間をそれぞれ加算したものである。
注11:正式な開局年月日は不明(1987年〔昭和62年〕10〜11月頃だろう)だが、ちょうど1987年(昭和62年)10月19日に自宅のテレビのチャンネルを変えていたところテレビせとうちが映ることに気付いた。なお、地上波デジタル放送に移行した現在でも福山市中心部でテレビせとうちを視聴することは可能である(ユーホー福山店〔福山市奈良津町三丁目〕で確認)が、福山市内でテレビせとうちを視聴している人は少数派だと思われる。
注12:広島ホームテレビの自社制作番組の少なさの象徴と言えたのが平日夕方のローカルワイドニュース番組の短さであった。「広島ホームテレビ20年史」によると1983年(昭和58年)春にローカルワイドニュース番組を始めたと記されているのだが、その放送時間はわずか15分であり、広島県を放送区域とする民間テレビ放送局の平日夕方のローカルワイドニュース番組の草分け的存在たる初代「RCCニュース6」(1976〜1990年〔昭和51年〜平成2年〕放送)の半分だった(その15分で県内の事件や事故、季節の話題、広島東洋カープの試合の結果または途中経過を流すことになるのだがきついのでは…と感じたくなるのは私だけだろうか。もっともどんな番組だったか全く覚えていないのだが…)。ようやく放送時間30分の平日夕方のローカルワイドニュース番組が広島ホームテレビで始まったのは初代「RCCニュース6」放送開始から10年半も経った1986年(昭和61年)秋のことである。
注13:「もしも・ひろしまに」が流され始めた頃の他の広島県を放送区域とする民間テレビ放送局の放送開始時・放送終了時の映像の概要は下表の通りである。
放送局名 | 放送開始時の映像 | 放送終了時の映像 | 備考 |
---|---|---|---|
中国放送テレビ | 広島市中心部を南方から空撮する映像。終盤では中国放送本社上空を旋回して空撮する映像になっていた。 | 正体非公表の女性がハープで「中国地方の子守唄」を演奏する映像。 | 放送終了時の映像には翌日の天気や翌日の番組案内がかぶせて流されていた。 放送終了時の映像はあまりにも怖すぎるので「呪いのハープ」なる異称も付いたほどであるが、1993年(平成5年)春に終夜放送を開始してからは出番が減ってしまい、2006年(平成18年)秋で遂に使用されなくなってしまった。しかし、アナログ放送終了時(2011年〔平成23年〕7月24日深夜)に一度だけの復活を遂げ、粋な演出だと評判になった(無論それからは一切使用されていない)。 なお、現在も放送終了時の映像では「中国地方の子守唄」が流されているが、マスコットキャラクターが演奏するアニメになっている上、終夜放送は継続されているため見られる機会は少なくなっている。 |
広島テレビ放送 | 朝の平和記念公園(広島市中区中島町)の映像。 | 夜の平和記念公園の噴水の映像。 | 放送終了時の映像には翌日の番組案内がかぶせて流されていた。 1999年(平成11年)5月に終夜放送を開始した時点で放送開始時・放送終了時の映像は流されなくなった。また、コールサインは一切流しておらず(広島本局…JONX、尾道アナログ中継局〔廃止〕…JONY)、コールサインを全く知らない広島県民が少なくない。 |
広島ホームテレビ | 親子三人(夫婦と息子)が登場するアニメ。放送開始時の映像なので明るい。 | 親子三人(夫婦と息子)が登場するアニメ。放送終了時の映像なので夜の映像になっている。 | 内容はほとんど同じなのだが放送開始時の映像では親子は雲に乗っているのに対し放送終了時の映像では親子は流れ星に乗っているなどの相違点がある。 |
なお、広島県を放送区域とする民間テレビ放送局はアナログ時代(少なくとも1980年代中期以降)、放送開始時・放送終了時にチャンネル紹介は一切していない(中継局が多いことやそういうことは示す必要がないと考えていたことなどが理由)。
注14:1994年(平成6年)6月には既に流れていなかったことを確認している(1994年〔平成6年〕6月5日未明に放送されたJリーグ録画中継〔清水エスパルス対サンフレッチェ広島戦〕を録画した際に放送終了の部分が映り込んでおり、それで知った)。
注15:例えば中国放送テレビは1980年代中期には日曜日は午前0時10分(厳密には月曜日の午前0時10分)で一日の放送を終了していた。百万都市(政令指定都市)を擁する県を放送区域とする放送局なのにこんなに早く一日の放送を打ち切っていた背景には経営事情が厳しかったことや青少年の健全な育成のためには夜遅くまで番組を放送するのは好ましくないと考えていたことなどが考えられる。
注16:2005年(平成17年)暮れには広島テレビ放送と広島エフエム放送で同時放送を行ったことがある。テレビ放送がデジタル化された今ではどうしても数秒のずれが生じるためこういう企画は今後考えられることはないのではないのだろうか。
注17:テレビ新広島の音声多重放送開始年月日は1991年(平成3年)7月2日だったとする説がある。その根拠は次の通りである。
・1991年(平成3年)7月1日付朝刊のテレビ欄には一切テレビ新広島について音声多重放送を行っていることを示す記号は入れられていないこと。
・1991年(平成3年)7月2日付朝刊のテレビ欄からテレビ新広島について音声多重放送を行っていることを示す記号が入れられていること。
・当時の中国新聞を見ても一切テレビ新広島が音声多重放送を開始したことを知らせる記事または広告が掲載されていないこと。
・テレビ新広島は本文でも記した通り開局○周年の記念誌を10周年の時しか発行しておらず、全く沿革を知る方法がないこと。
しかし、私はテレビ新広島の音声多重放送開始年月日は本文で触れた通り1991年(平成3年)7月1日ではないかと考えている。その根拠は次の通りである。
・当時の週刊テレビ雑誌には1991年(平成3年)7月1日からテレビ新広島について音声多重放送を行っていることを示す記号が入れられていたこと。
・広島県を放送区域とする民間テレビ放送局は全て○月1日から音声多重放送を開始していること(広島テレビ放送…1979年〔昭和54年〕12月1日、中国放送テレビ…1980年〔昭和55年〕4月1日、広島ホームテレビ…1985年〔昭和60年〕12月1日)。
※「広島ホームテレビ20年史」では広島ホームテレビの音声多重放送開始年月日は1985年(昭和60年)11月14日と記されているが、きちんと1985年(昭和60年)12月1日付中国新聞朝刊にその日から音声多重放送を開始する旨の広告が掲載されていることから1985年(昭和60年)12月1日に開始したと見なしている。
・1991年(平成3年)7月1日は月曜日であり、週の初めであるので物事を始めるのに都合が良いこと(1991年〔平成3年〕は曜日パターンBなので曜日配列はこちらを参照して頂きたい)。
・1991年(平成3年)7月1日付朝刊のテレビ欄に一切テレビ新広島について音声多重放送を行っていることを示す記号がなかったのはテレビ欄を新聞社に供給する業者の不手際だった可能性があること(しかしそのお詫び広告はない。まあ最終回記号が付いていないのにその番組を見ていたら番組の終わりで「この番組は本日をもちまして終了させて頂きます」という字幕が出てきて最終回だったことを知ったという話はよくあるのであり得る話なのだろうが…)。
どちらが正しいのかはテレビ新広島が公式サイトで沿革を公開するか、記念誌を発行するかしない限り確定しないことであろうが…。
注18:都道府県道路線の多い都道府県は下表の通りである(今年12月1日現在。10位まで掲載)。
順位 | 都道府県名 | 路線数 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
主要地方道 | 一般 都道府県道 |
合計 | |||
1 | 北海道 | 151 | 742 | 893 | |
2 | 新潟県 | 89 | 453 | 542 | |
3 | 兵庫県 | 98 | 394 | 492 | |
4 | 愛知県 | 80 | 387 | 467 | |
5 | 福岡県 | 101 | 355 | 456 | |
6 | 長野県 | 83 | 320 | 403 | |
7 | 岡山県 | 68 | 305 | 373 | 一般県道の路線数と合計には鳥取県が津山市阿波と鳥取県八頭郡智頭町口波多を結ぶ目的で認定しながら未だに岡山県が認定を拒んでいる鳥取県道303号大高下・口波多線を含めている。 |
8 | 福島県 | 76 | 293 | 369 | |
9 | 広島県 | 76 | 285 | 361 | |
10 | 埼玉県 | 90 | 256 | 346 |
面積・人口とも広島県を下回っている岡山県のほうが県道路線数が多いことに気付いた方もいるかもしれないのだが、岡山県には財政事情が良好な市町村があまりないことや広島県は主要地方道を広域路線として位置付けているため他県に跨るものを除いて短距離の路線を主要地方道に指定しない方針をとっていることが理由として考えられる。
注19:岩手・宮城・福島各県でのテレビのアナログ放送終了は2012年(平成24年)3月31日に延期されている。
注20:「蔵王」という単語が校歌に入っている学校は下表の通りである。
校名 | 所在地 | 単語が入っている番 | 単語の 使用状況 |
備考 |
---|---|---|---|---|
福山市立蔵王小学校 | 福山市蔵王町四丁目 | 一番 | 蔵王山 | |
福山市立千田小学校 | 福山市千田町三丁目 | 一番 | 蔵王が峰 | |
福山市立西深津小学校 | 福山市西深津町五丁目 | 二番 | 蔵王の山 | 敷地のほとんどは福山市東吉津町にあるが正門が福山市西深津町五丁目にあるため所在地は福山市西深津町五丁目となっている。 |
福山市立日吉台小学校 | 福山市日吉台一丁目 | 二番 | 蔵王の山 | |
福山市立緑丘小学校 | 福山市春日町五丁目 | 一番 | 蔵王の山 | |
三番 | 蔵王の松 | |||
福山市立城東中学校 | 福山市東深津町三丁目 | 二番 | 蔵王の峰 | |
福山市立中央中学校 | 福山市西深津町五丁目 | 二番 | 蔵王の山 | 応援歌(1980年代中期には歌われていたらしいが現状は不明)にも「蔵王」という単語が入っている。 |
ちなみに福山市立西深津小学校と福山市立日吉台小学校、福山市立中央中学校の校歌の作詞者と作曲者はそれぞれ同じ人物である(いずれも1970〜1980年代の人口急増期に児童数または生徒数の増加対策として設置された学校である)。
注21:福山市は1964年(昭和39年)時点で既に広島県南東部最大の都市(言い換えれば広島県南東部唯一の10万都市)になっていたのだが、なぜ1964年(昭和39年)夏まで中継局が設置されないでいたのかはこちらで書いているので併せてご覧頂きたい。
注22:この他1970年(昭和45年)にはNHK-FMの中継局が、1982年(昭和57年)には広島エフエム放送の中継局がそれぞれ設置されている(NHK-FMはNHKテレビの中継局と共用、広島エフエム放送は中国放送テレビの中継局と共用)。
注23:かつてはNHK(総合テレビ・教育テレビ共用)と中国放送テレビ、広島テレビ放送の中継局のすぐ下まで自動車で行けたのだが、道幅が狭く、行き止まりでの方向転換が難しいことや1990年代末期から2000年代初頭にかけて香川県で鉄塔を何者かが倒壊させようとした事件(いずれも未解決のまま公訴時効が成立している)が相次いだために自由に行けるようにするのはどうかという声が上がったことなどから現在は自動車では行けなくなっている(現在自動車は福山南テレビ・エフエム中継局の南方約60mのところにある駐車場までとなっている)。
注24:中国地方の場合午後0時から放送していたのは広島ホームテレビと瀬戸内海放送、午後2時から放送していたのは日本海テレビジョン放送と山陰放送テレビ、山口放送テレビであった。
※放送区域が重なる日本海テレビジョン放送と山陰放送テレビで同時にテレビ朝日系列のワイドショーを流していた理由(と思われること)はこちらでも書いているが、やらせリンチ事件の影響などもあり1989年(平成元年)秋の改編でテレビ朝日制作のワイドショーは山陰放送テレビだけがネットすることになった。しかし、それも2009年(平成21年)春の改編で終わりとなり、現在鳥取・島根両県ではテレビ朝日制作のワイドショーは放送されていない。
注25:中にはどうかと思うことを取り上げたこともある。例えば1981年(昭和56年)春頃のことだったのだが、視覚障害者のために設置されている音響装置付信号機の曲に童謡「通りゃんせ」を使うのはいかがなものかという企画が放送されたことがある。また、公開捜査企画では番組中ずっと身元不明の他殺遺体の似顔絵が映され続けたということもある。
注26:元々人数が少なく、退職などで欠員が生じる場合はあり得ない話ではない(過去に広島エフエム放送でそういう例があった)。また、中国放送では記者職だった女性社員がテレビ埼玉(TVS、さいたま市浦和区常盤六丁目)に移籍し、そこで契約アナウンサーとして活躍していた例があった(現在は退職している)。いずれにせよAさんが中国放送でアナウンサーになるのは困難なことだったと言える。
注27:「都合が付かない」というのは表向きの理由で、本当の理由はAさんが下関市立大学・大学祭実行委員会事務局のOB会を設立しておいて一切責任を取らなかったことに対して反発していたことだったという。中島さんがAさんを許したくないと考えている理由は次の通りである。
・長期的かつ広域的な視野に立って設立すべきか否かを全く考えず、設立を急いだこと。
・中島さんが設立準備や会務に携わりたいと申し出たことに対して就職活動が控えていることを理由に断ったくせに会務は4年生の三役、すなわち委員長・副委員長・総務部部長の経験者に押し付けたこと(4年生は就職活動が控えているのだから誰にも会務はさせないということになるのだが…。なお、中島さんは1993年〔平成5年〕の正月に開催された小学校の同期会での経験を活かしたいことが参加したかった理由だと話している)。
・会務を他人にさせておいてAさんは全然手助けもしなかったこと。
・一切情報を公開しないまま設立を強行したこと。
・一度も説明・討議の場を設けないまま秘密裡に設立を強行したため何が何だか分からないままOB会として初めての総会・懇親会に参加せざるを得なくなったこと。
・どのようなものにしたいのか明確な青写真を一度として明かしたこともなく、関係者を戸惑わせたこと。
・関心に重きを置き、会費や寄付金を払った方だけ優遇するというような関係者に対して上から目線も甚だしい態度をとったこと(本来なら多数の参加を呼びかけ、参加を歓迎するのが筋なのだが…)。
・1956〜1985年度(昭和31〜60年度)に活動した方や幹部に就任しなかった方、退学した方、幹部に就任して活動していた記録は学園祭のパンフレットに残っているが何らかの事情で関係を絶った方を何の理由説明もなく対象外としたこと(対象外とされた方の中には中島さんの母親と同郷で、卒業後は故郷に帰り、過疎化が進んでいる故郷の振興に頑張っている方もいるという。中島さんは「こういう方の存在が何の理由説明もなく存在しなかったことにされたのは心外である。別に連絡先など私的領域に当たる事柄は書かなくても良いからこういう方がいたことだけでも示すべきだったと思う。不祥事を起こして追放されたわけではないのだしもし対象外にするのなら全員の合意を取り付けた上でやって頂きたかった」と話している)。
・一つも先達の苦労を理解していないこと。
・頃合いを見計らったかのようにある時期をもって「仕事に専念したいからもう参加しない」と言い、一切姿を見せなくなったこと(Aさんが参加しなくなった時からOB会は担当者の問題などでうまく機能しなくなり、数年後自然消滅したという)。
・多くの関係者を不快にさせたにもかかわらず未だに一切謝罪していないこと。
「こういうことをしておいて一切責任を取らないばかりか何食わぬ顔をして同窓会に来ないかと私を誘うとは虫が良すぎる。自分の無責任を詫び、罪を償ってからそういう誘いをかけるべきだった。順序が全く逆だし、性懲りもなくやっているようにしか見えなかった。Aさんは私が行かなかった理由は何なのかを真剣に受け止めて欲しかった」と中島さんは今も考えているという。
中島さんは「Aさんは下関市立大学の学園祭の今日を築き上げた最大の功労者であるとの認識は今も変えていない。しかし、OB会を設立することは余計な行為であり、晩節を汚す行為であり、結果転落街道に足を踏み入れる契機になったのではないかと私は考えている。同時に自分を含めておかしいと感じることは多々あったのに何だかんだ言われることが怖かったのか、あるいはどうでも良いとでも思ったのか、Aさんの機嫌を損ねたくなかったのか誰も声を上げなかったことが本当に残念である。確かにAさんの責任が最も重いけれど、自分達もかけがえのない思い出を台無しにしたこと、そして勇気を持って状況を変える行動やどうかと思うことを指摘する行動、どうにもならないものとの関係を絶つ行動に出なかったことを反省しなければならないと思っている」と話している。
※中島さんは「下関市立大学・大学祭実行委員会事務局OB会公式サイト」を再編した後の新サイトでこの問題を検証することにしているという。中島さんは「過去の問題を蒸し返して不快感を抱く方が出るかもしれないが、OB会再興のためにはきちんと過去の問題を総括し、下関市立大学及びその前身の下関商業短期大学の学園祭の歴史を調査・公開する必要があると考えている。そのことを関係者の皆様には理解して頂きたいと思っているところである」と話している。
注28:「HOMEフレッシュモーニング」と「たわわのTARZAN」の打ち切りの理由は「西田篤史のテレビランド」を始めるためにスタッフや準備期間が必要だったことも考えられるのだが、私はどちらの番組も人気に陰りが出ていたことがあったのではないかと考えている。特に顕著だったのは「たわわのTARZAN」で、1994年(平成6年)秋に広島ホームテレビ本社での公開収録を取りやめてからは番組が迷走気味になっていた(1994年〔平成6年〕春に出演者の変更があったことも遠因になった可能性がある)。番組末期の1995年(平成7年)頃には後に有名になり、現在も活躍しているある女性タレント(名前は本人の感情に配慮し、記さないでおく)がよく出演していたが経歴などで「たわわのTARZAN」に出ていたことについて一切触れないでいるのはこういう状況に原因があったのではないかと私は考えているのだがどうであろうか。
注29:他には名古屋テレビ放送(NBN、名古屋市中区橘二丁目)制作の「夫婦交換バラエティー ラブちぇん」(2005〜2008年〔平成17〜20年〕放送)が挙げられる。名古屋テレビ放送や広島ホームテレビでは深夜帯に放送されていたが、日本海テレビジョン放送や瀬戸内海放送では真昼間または夕方に放送されていた。恐らく日本海テレビジョン放送や瀬戸内海放送には苦情が多数寄せられたことであろうが…。
注30:フジテレビジョンの件は韓流ドラマを多く放送するのが気に入らないというある若手俳優のツイートが契機になった(この俳優はその後所属芸能事務所を追放されている)のだが、その後の日韓関係の悪化を経ても現在も特にBSデジタル放送で韓流ドラマがよく流されているのを見ると韓流ドラマの放送を望む人が少なくないことを感じさせる。つまり、フジテレビジョンが韓流ドラマを多く放送するようになったのは韓流ドラマの放送を望む人が少なくなかったことを受けての対応だったと言えるわけであるが、そのことを気に入らない人の存在を考えなかったことが問題を大きくしたと言えるのではないのだろうか。
注31:中国地方+香川県にある日本テレビ系列に属する民間テレビ放送局ではなかったのだが、近隣地域では読売テレビ放送や四国放送テレビで一時期ネットされなかったことがある。
注32:本来は「秘」を丸囲みした字なのだが、機種依存文字になるためこのように表記している。
注33:「THEフィッシング」は現在は広島ホームテレビで放送されている。また「ドラマ24」はBS JAPANで一クール遅れで放送されているため広島県で完全に見られなくなったわけではない。
※「ドラマ24」は広島テレビ放送で放送する前に広島ホームテレビでも放送していたがこちらも打ち切られている。
注34:「たけしの誰でもピカソ」は広島テレビ放送での一度目の放送と二度目の放送の間に広島ホームテレビや中国放送テレビで放送されているが、どちらも打ち切りの憂き目に遭っている。広島テレビ放送における二度目の打ち切りは2006年(平成18年)春のことだったが、その後どこも放送することなく「たけしの誰でもピカソ」は終了している。テレビ新広島だけ「たけしの誰でもピカソ」を受け入れなかったのはこういう事情があったからであろう(まさかビートたけし〔北野武〕が嫌いな広島県民が多いから視聴率が伸び悩み、打ち切りの憂き目に遭ったわけではないだろうが…)。
注35:その後中国放送テレビが放送し、こちらは最終回まで流している。
注36:広島テレビ放送の抱える問題点は次に挙げる通りである。
・コールサインを全く示さない(一応JONXというコールサインは持っているのだが…)。
・番組に関するお問い合わせを電話でしか受け付けない(営業時間外に意見を訴えたい方はどうすれば良いのか…)。
・終夜放送開始をもって放送開始時及び放送終了時の映像が廃止された(現在放送休止を入れる場合は「日テレNEWS24」は休止する旨の表示が放送休止前になされるだけ)。
・昭和時代入社のアナウンサーや現在50代のアナウンサーがいない(2000年代〔2000〜2009年の10年間を指す〕半ばからそうなっている)。
・本文でも触れたがアナウンサーの入れ替わりが激しくなった。
・中国放送に次いで広島県を放送区域とする民間テレビ放送局としては歴史があるのにそれを大切にしていない感がある。
注37:(新聞の話になるが)例えば自分の知人が住んでいるところで起きた交通死亡事故の記事が挙げられる。
注38:「中国地方の子守唄」の発祥地は実は広島県ではなく岡山県である。井原市高屋町が発祥地で、そこを通る井原鉄道井原線の駅はその名も「子守唄の里高屋」となっている(更に子守唄の里高屋駅付近の井原鉄道井原線の高架の柱には各地の有名な子守唄の歌詞が書かれている)。
注39:1980年代中期の中国放送テレビの日曜日の放送終了時間は何と月曜日午前0時10分だった。当時と現在では深夜に対する感覚が異なるが、午前0時過ぎにあの怖い映像が流れることほど嫌なことはなかったのではないのだろうか。
注40:広島県の場合、通常運用から点滅運用に切り替わる場合や反対に点滅運用から通常運用に切り替わる場合は原則として一旦全方向の信号機を赤にした上で切り替えている。
注41:2012年(平成24年)1月時点の話であるが、岡山市北区内の県道213号福島・橋本線に夜間滅灯運用を行う信号機が存在した(岡山県公式サイトの「マルチメディア目安箱」で情報を得た後で現地で確認)。但しその信号機は狭隘箇所に設置された交互通行用信号機であり、今のところ広島県以外で交差点にある信号機で夜間滅灯運用を行うものがある話は聞いたことがない(インターネットで検索しても見つからない。やはりあまりない運用方法なのだろう)。
※福山市で唯一夜間滅灯運用を実施している信号機も実は狭隘箇所に設置された交互通行用信号機である(福山市鞆町後地の福山市道〔県道47号鞆・松永線旧道〕にある)。
注42:実は山口県最大の都市である下関市は国勢調査上の人口で30万人を超えたことが一度だけある。中島さんが運営する「下関市立大学・大学祭実行委員会事務局OB会公式サイト」というサイトの「豊浦郡各町の人口変遷」によると下関市と豊浦郡菊川・豊浦・豊田・豊北各町が統合して改めて下関市が発足した時点(2005年〔平成17年〕2月13日)の国勢調査上の人口は30万1,097人であった(2000年〔平成12年〕10月1日実施の国勢調査による)。しかし、昭和時代末期から過疎化や若年者を中心とした人口流出、少子・高齢化の進展、下関市を支えた水産業や漁業、工業の不振などが原因で人口減少傾向が続いており、下関市と豊浦郡菊川・豊浦・豊田・豊北各町が統合して改めて下関市が発足した時点の推計人口は30万人を下回っていた。よって、山口県に30万人以上の都市が存在したことはなかったと考えても間違いではない。記すまでもないが下関市と豊浦郡菊川・豊浦・豊田・豊北各町が統合して改めて下関市が発足した後の国勢調査で下関市の人口が30万人を上回ったことは一度もなく、人口減少傾向は今も続いている。
注43:山口市のうちの小郡平野(椹野〔ふしの〕川河口周辺)にある地域、すなわち当時の山口市秋穂二島(あいおふたじま)・阿知須・江崎・小郡上郷・小郡下郷・嘉川・佐山・陶・名田島・深溝が第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)4月1日に実施された統合は無効だとして独立し、吉敷(よしき)郡秋穂(あいお)町及び鋳銭司(すぜんじ)村と統合して市を作ろうとした構想。山口市阿知須は吉敷郡阿知須町として1947年(昭和22年)11月23日に、山口市小郡上郷及び小郡下郷は吉敷郡小郡町として1949年(昭和24年)11月1日にそれぞれ独立するのだが、他の地域、すなわち山口市秋穂二島・江崎・嘉川・佐山・陶・名田島・深溝はこの動きに同調せず、山口市にとどまったため結局空中分解してしまった。
※もし吉南市構想が実現した場合、椹野川河口周辺に港や工場が建設されるなどして商工業都市として発展した可能性がある(第二次世界大戦末期の統合も椹野川河口周辺の開発が目的だったと思われる)。恐らく山口市との統合を経て、その結果改めて発足した「山口市」は少なくとも現在の倉敷市や福山市とほぼ同じ規模の都市に成長したのではないのだろうか。もしかしたら平成の大合併では宇部市や防府市を巻き込んで岡山市・広島市に次ぐ政令指定都市移行を目指していたかもしれない。人口減少が著しいことや中核都市が形成されないままであること、未だに下関市が県内最大の都市であること、本文で触れたように平成時代初頭まで山陰地方2県(鳥取・島根両県)より人口が多かったのに民間テレビ放送局が2局だけであり、現在でも東海道・山陽両新幹線が通過している都府県ではその数が最も少ないこと、山口放送ラジオの終夜放送開始が平成時代初頭になったことなどを考えると吉南市構想の挫折はその後の山口県勢に大きな影響を与えたのではないかと思うのは私だけであろうか。もっとも、南部地域(秋穂二島・江崎・嘉川・佐山・陶・鋳銭司・名田島・深溝を指す)を軽んじ続け、何の犠牲も払おうとせずにただ吉敷郡小郡町との再統合を求め続けた山口市のやり方も責められるべきではあろうが…。
注44:「ミュージックフェア」はテレビ山口でも放送されていたがこちらも2000年(平成12年)に打ち切られている。また、山陰中央テレビジョン放送では1981年(昭和56年)までは放送していたらしい。
注45:テレビせとうちは岡山・津山南・高松各中継局、TVQ九州放送は福岡・北九州・久留米各中継局しかない状態でそれぞれ開局している。いずれもアナログ放送時代の開局であり、デジタル放送になった現在と一緒にするのはどうかとは思うのだが、もしそれを踏襲したとすると広島県の場合は広島・呉・福山各中継局しかない状態で開局を迎えることになる。ただ、福山市の場合は福山中継局(彦山)と福山南中継局(蔵王山)のどちらに中継局を設置するかでもめる恐れがあり、広島・呉両中継局しかない状態で開局することになるかもしれない(中国放送などでは福山中継局での受信を勧めているが、福山市中心部では福山南中継局で受信している人が少なくないため)。
注46:そのように主張するのはケーブルテレビ業者とコミュニティ放送局の関係が深いところがいくつかあるからである。中国地方では笠岡放送(笠岡市笠岡)とエフエムゆめウェーブ(本社:笠岡市笠岡、演奏所:浅口市鴨方町鴨方)が有名な例である。また、その主張はかにかも放送(愛称:FMでんでん。可児市広見七丁目。2004〜2010)がケーブルテレビ業者と同じ建物に本社・演奏所を置いていたにもかかわらず何の連携も結ばないまま事実上廃業状態になり、2010年(平成22年)夏に可児市周辺で起きた集中豪雨の際何の役にも立たなかったことがあったことを踏まえている。
※可児市及びその周辺を放送区域とするコミュニティ放送局は同じ場所でその後再興されている。
注47:日本で最後に開局した都道府県域民間テレビ放送局はとちぎテレビ(GYT、宇都宮市昭和二丁目)である。とちぎテレビは1999年(平成11年)4月1日に開局しているので記すまでもなく21世紀に入ってから開局した都道府県域民間テレビ放送局はないことになる。