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広島市東区初の放送局誕生(2018年〔平成30年〕9月23日公開)
これまで広島県を放送区域とする放送局の本社(演奏所)は広島市の中区か南区に設置されてきた(注1)。中区にあるのはNHK広島放送局(広島市中区大手町二丁目)と中国放送(RCC、広島市中区基町)、広島テレビ放送(HTV、広島市中区中町)、広島ホームテレビ(HOME、広島市中区白島北町)、南区にあるのはテレビ新広島(TSS、広島市南区出汐二丁目)と広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)という具合である。広島県を放送区域とする放送局で最も新しい広島エフエム放送が開局したのは1982年(昭和57年)12月5日のことだった(注2)から35年以上この状況が維持されてきたのだが、この度この図式が崩れ、広島市東区に本社を置く放送局が誕生することになったのである。といっても新たな広島県を放送区域とする放送局が開局したというわけではなく、1962年(昭和37年)9月1日に開局して以来56年間広島市中区中町に本社を置いていた広島テレビ放送が広島市東区二葉の里三丁目に移転してきたのである。今日の午前5時59分から新社屋での放送を開始し(注3)、完全移転を果たすことになるわけである(注4)が、そこで今回の「不定期刊・きょうのトピックス」では広島テレビ放送が本社を置くことになった地・二葉の里と広島テレビ放送新本社、広島テレビ放送の本社移転の理由、広島テレビ放送の歴史と現状と課題を紹介することにしたい。
広島テレビ放送新本社が置かれる地・二葉の里とは…
広島市東区二葉の里は山陽新幹線・山陽本線・芸備線広島駅(広島市南区松原町)と二葉山(標高:139m)に挟まれたところにある町である(注5)。広島駅の北方に広がるこの地域は以前は西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)の関連施設が建ち並んでいたところであったが、西日本旅客鉄道の経営合理化や施設の移転などにより広大な空き地が生じることになった。そこで広島駅のすぐ北側にあることや広島高速1号線(県道472号広島東インター線)を介して山陽自動車道広島東インターチェンジ(広島市東区福田三丁目)に通じる広島高速5号線(県道474号温品・二葉の里線)の計画が進められていることから再開発を実施することになったのである。
広島駅新幹線口駅舎
現在建設中の広島高速5号線の高架橋
再開発用地には既に広島県医師会館(広島市東区二葉の里三丁目)や広島県歯科医師会館(広島市東区二葉の里三丁目)、イズミ(注6)本社(広島市東区二葉の里三丁目)、広島東警察署(広島市東区二葉の里三丁目(注7))などが立地しており、今後もホテルや長距離路線バス発着場、商業施設などが計画されている。まさに交通の結節点にふさわしい場所に生まれ変わりつつある。
広島県医師会館(手前の黒色の建物)と広島県歯科医師会館(奥の白色の建物)
イズミ本社。地域住民の利便性を考えてか本社にはゆめマート二葉の里が入居している。
広島東警察署庁舎。今年9月1日に移転してきたばかりである。
広島テレビ放送新本社はどのようなものなのか
広島テレビ放送の新本社は地上10階の高層建築である(下の写真)。
広島駅北口(新幹線口)から撮影した広島テレビ放送新本社
実は広島テレビ放送は旧本社(現:中町ビル)も高層建築(注8)であり、広島県を放送区域とする放送局では初めて高層建築の本社を建てた放送局でもある(注9)。
広島テレビ放送旧本社
新本社は1階がエントランスホールと広島テレビホール、2階と3階は広島コンベンションホール、4階は文化教室「広テレ! キャンパス」になっている(記すまでもないがその他の部分が広島テレビ放送の本社機能のある部分となる)。放送局といえば問題が起きる恐れがあることから部外者の立ち入りを厳しく制限する印象が強いところではあるのだが、一般市民が立ち入れるところがある程度あるというのが新本社の特色と言えよう(注10)。
新本社及びその周辺で注目したい点としては次のようなものがある。
・1階エントランスホールの片隅にはオノ・ヨーコ作のオブジェと、かつて広島テレビ放送が主催していた「広島平和音楽祭」で美空ひばり(1937〜1989)が歌った「一本の鉛筆」の歌詞が書かれた碑がある点。
オノ・ヨーコ作のオブジェ。
オブジェの時計は広島市中心部に原子爆弾が投下された日時(1945年〔昭和20年〕8月6日午前8時15分)を示している。
「一本の鉛筆」歌碑。美空ひばりが歌っている映像も見ることができる。
・広島テレビ放送のすぐ南側を通る二葉通り(県道84号東海田・広島線)の歩道に原子爆弾で焼かれながらも芽吹いて花を咲かせた桜の木の二世に当たる木が植えられている点。
二葉通りの歩道に植えられている桜の木(左)とその説明板(右)
・新本社にはコンビニエンスストア(ローソン)が併設されている点。
ローソン広島テレビ店外観。新本社の1階と2階を使用している。
なお、二葉通りの歩道に植えられている桜の木はいつでも見られるしローソン広島テレビ店は24時間営業を行っている(但し店のそばに駐車場はない)が、オノ・ヨーコ作のオブジェと「一本の鉛筆」の歌碑のある1階エントランスホールには常時立ち入れるわけではない(注11)のでその点は注意して頂きたい。
なぜ広島テレビ放送は本社を移転することにしたのか
平成時代に入ってから中国地方で都道府県域民間放送局の本社が移転した例は三つあった(下表参照)。
放送局名 | 概要 |
---|---|
日本海テレビジョン放送 (NKT、鳥取市田園町四丁目) |
・1959年(昭和34年)3月3日に開局した、中国地方初のテレビ放送のみの民間放送局(注12)。 ・開局当初は鳥取県だけを放送区域としていたが、1972年(昭和47年)に鳥取県と島根県の都道府県域民間テレビ放送の放送区域統合が実施されたことにより鳥取・島根両県を放送区域とするようになった。 ・開局してからずっと鳥取市本町三丁目に本社を置いていたが、鳥取商工会議所(鳥取市本町三丁目)の中に本社があり、手狭だったことや施設が老朽化したこと、音声多重放送を導入するのが困難だったことから1992年(平成4年)11月14日に移転した(注13)。 |
テレビせとうち (TSC、岡山市北区柳町二丁目) |
・1985年(昭和60年)10月1日開局。 ・五大都市(札幌・東京・名古屋・大阪・福岡)を擁する都道府県以外にある唯一のテレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局である。また、1989年(平成元年)以降全国ネットのアニメ番組を制作していることでも知られている。 ・開局当初は岡山市北区野田五丁目に本社を置いていたが、開局してから20年少々しか経っていない2006年(平成18年)11月20日に移転した。山陽新聞社(岡山市北区柳町二丁目)のすぐ隣に移転したのだが、そのことから山陽新聞社との連携強化が移転の理由として考えられる。 ・当然のことながら移転には多額の費用がかかる上、そもそも経営事情は厳しいこと(注14)から社屋の老朽化を理由としない移転には疑問の声が少なくない。 |
山陰中央テレビジョン放送 (TSK、松江市向島町) |
・1970年(昭和45年)4月1日開局。島根県に本社を置く初めての民間放送局である。 ・それまで島根県で視聴可能な民間テレビ放送局は山陰放送テレビ(BSS、米子市西福原一丁目)だけだったのだが山陰放送は鳥取県に本社を置いていたため島根県には民間放送局の本社は存在しなかった。 ・開局当初の社名は島根放送(愛称:テレビしまね)であり、島根県だけを放送区域としていたが、1972年(昭和47年)に鳥取県と島根県の都道府県域民間テレビ放送の放送区域統合が実施されたことにより鳥取・島根両県を放送区域とするようになった。その際社名を現在の山陰中央テレビジョン放送に変更している。 ・開局してからずっと松江市西川津町に本社を置いていたが、施設が老朽化したことから2016年(平成28年)8月29日に移転した。 |
テレビせとうち(TSC、岡山市北区柳町二丁目)は山陽新聞社(岡山市北区柳町二丁目)との連携強化という特殊な事情があったので別とすると日本海テレビジョン放送(NKT、鳥取市田園町四丁目)と山陰中央テレビジョン放送(TSK、松江市向島町)は施設の老朽化が移転の主たる理由であった。では広島テレビ放送は何が理由だったのか。日本海テレビジョン放送や山陰中央テレビジョン放送と同じく施設の老朽化が主たる理由であった。
私は前に「広島テレビ放送旧本社は広島県を放送区域とする放送局の本社としては初めての高層建築である」と記したのだが、この旧本社が建てられたのは1976年(昭和51年)のことであった(その後1992年〔平成4年〕に新館が建てられている)。つまり、建てられてから40年以上経っており、老朽化が進展していたのである。
では旧本社のあるところで建て替えれば良いではないかという声が出てきそうなところではあるのだが、広島テレビ放送旧本社がある広島市中区中町は広島市街地のど真ん中にあり、そういう土地はない。他には…と探していたのだろうが、そもそも広島市中心部が立地する広島平野は広いとは言えないし、そこに数十万人もの人が住み、多くの企業・官公庁が立地しているのだからたやすく見つかるものではなかった。そういう中で広島駅北口一帯の再開発が実施されることになったことからそこに白羽の矢を立て、移転することに踏み切ったのであろう。
ところで、広島テレビ放送の広島駅北口への移転にはある思惑があることはあまり知られていない。記すまでもなく広島市は第二次世界大戦後の復興の過程で中心部に幅の広い道路が縦横無尽に張り巡らされるようになったのだが、それらの道路を通っている時に広島テレビ放送の旧本社を見ることは実はできないのである。広島テレビ放送旧本社はその南方を平和大通りが、その西方を鯉城通り(国道54号線〔国道183号線・国道191号線・国道261号線重用〕)がそれぞれ通っているのだが、どちらの通りについても広島テレビ放送旧本社は建物の陰になっていて見えないのである。広島県を放送区域とする他の放送局は幹線道路のそばにあるか幹線道路のそばにはないが少し離れたところからでも見えるようになっており(注15)、幹線道路から社屋を見ることができないことは広島テレビ放送にとっては大きなマイナス要素になっていた。
翻って広島テレビ放送新本社を見ると社屋のすぐ南側を二葉通りが通っているし、更にその南方には山陽新幹線が通っている。つまり、幹線道路だけでなく山陽新幹線の列車に乗っている方も広島テレビ放送の新本社を見ることができるようになったわけである。山陽新幹線の列車から見ることのできる放送局の本社は中国地方には他にもいくつかあるわけである(注16)が、幹線道路や山陽新幹線の列車から見える本社は格好の宣伝材料になる。
私は前に「広島テレビ放送新本社の2階と3階は広島コンベンションホールになっている」と記したのだが、新本社にそういう施設を導入したのは明らかに広島駅が近いことと多くの人々が行き交う幹線から見えるところに移転したことで格好の宣伝材料になると考えたからであった。旧本社は行くのに説明がしにくいが、新本社は行くのに説明がしやすい。広島テレビ放送にとって大きくプラスになることは間違いないであろう。
広島市中区中町時代の56年間を振り返る
さて、広島テレビ放送は広島市中区中町でこれまでどのような歴史を刻んできたのかを示すと下表の通りになる。
年 | 月日 | 記事 | 備考 |
---|---|---|---|
1962年 (昭和37年) |
9月1日 | 広島本局と尾道中継局の2局体制で本放送を開始する。 | 広島本局・尾道中継局ともにコールサインを所有していた(広島本局…JONX、尾道中継局…JONY)。 開局当時の所属系列は日本テレビ系列とフジテレビ系列となっており、いわゆるクロスネットの状態にあった。 この日は午前11時に本放送を開始し、午後11時に放送を終了していた。 |
12月15日 | 呉中継局が開局する。 | 受信環境改善のため1967年(昭和42年)に休山(標高:497m)の中腹から山頂に移転している。 | |
1963年 (昭和38年) |
4月16日 | 初めてプロ野球中継を制作・放送する。 | 旧広島市民球場(広島市中区基町。1957〜2010)で開催された広島カープ(注17)対読売ジャイアンツ戦。ちなみに試合は2対17の大敗に終わった。 |
7月13日 | 広島県警察本部内部からの生中継番組を放送する。 | 当時広島市及びその周辺で起きて市民を恐怖に陥れていた暴力団抗争(いわゆる第二次広島抗争〔1963〜1967〕)に対して広島県警察本部(広島市中区基町)の職員が断固たる態度で臨んでいる姿を紹介するために企図されたものである。 | |
1964年 (昭和39年) |
7月1日 | 福山中継局が開局する。 | 福山市はこの時点で既に広島県南東部最大の都市になっていた(注18)のだが、中継局の設置場所を決めるのが難航したため尾道中継局より設置が遅れたものと思われる(そのことはこちらで記している)。なお、NHK広島放送局・中国放送テレビも同じ日に福山中継局を開局させている。 |
1965年 (昭和40年) |
4月1日 | 住居表示実施により所在地表記が広島市下中町から広島市中町に変更される。 | |
竹原中継局が開局する。 | 広島テレビ放送としては初めてのUHF電波を用いた中継局(注19)。なお、「竹原」中継局と称しているが設置場所は豊田郡大崎上島町中野になっている(注20)。 | ||
4月12日 | 三次中継局が開局する。 | 広島県北部初の中継局。これにより広島県の主要都市への中継局設置は完了した。 | |
1966年 (昭和41年) |
3月20日 | カラー放送を開始する。 | |
4月1日 | NNNに加盟する。 | ||
10月3日 | FNNに加盟する。 | ||
1969年 (昭和44年) |
10月9日 | テレビドラマ「碑(いしぶみ)」が日本テレビ系列全国ネットで放送される。 | 勤労動員中に被爆し、そのほとんどが死亡した旧制広島県立広島第二中学校(広島県立広島観音高等学校〔広島市南区南観音町〕の前身)の生徒の最期の様子などを杉村春子(1906〜1997)が淡々と語っていくという内容のドラマ。2015年(平成27年)には広島市出身の女優・綾瀬はるか主演で再制作され、これも日本テレビ系列で全国ネットで放送されている。 |
1971年 (昭和46年) |
10月4日 | 平日昼間に主婦向け生活情報番組を設定する。 | 放送時間帯や番組名の変遷、中断期間はあるが現在まで続く平日昼間の情報番組の起源となった。 |
1974年 (昭和49年) |
8月9日 | 第1回広島平和音楽祭を開催する。 | 新本社1階のエントランスホールに歌碑のある「一本の鉛筆」はこの時披露された曲である。 広島平和音楽祭はその後毎年開催されたが、諸事情により20回目となった1993年(平成5年)を最後に終了した。 |
1975年 (昭和50年) |
10月1日 | フジテレビ系列に属することを選んだテレビ新広島が開局したことによりフジテレビ系列を脱退する。 | なぜ広島テレビ放送が日本テレビ系列を、テレビ新広島がフジテレビ系列をそれぞれ選んだのかその経緯は不明。 |
10月15日 | 広島東洋カープが球団史上初のリーグ優勝を決めた後楽園球場(東京都文京区後楽一丁目。1937〜1987)での読売ジャイアンツ対広島東洋カープ戦を中継する。 | 制作は日本テレビ放送網(NTV、東京都港区東新橋一丁目)。試合は4対0で広島東洋カープが勝利している。 | |
1976年 (昭和51年) |
11月12日 | 旧本社新社屋が完成する。 | |
1979年 (昭和54年) |
4月2日 | 平日夕方のローカルニュース番組として「広島テレビニュース・アイ」を設定する。 | |
10月6日 | 広島東洋カープが二度目のリーグ優勝を決めた旧広島市民球場での広島東洋カープ対阪神タイガース戦を中継する。 | 広島テレビ放送だけでの放送。試合は4対3で広島東洋カープが勝利している。 | |
12月1日 | 音声多重放送を開始する。 | 山口放送テレビ(KRY、周南市徳山)とともに中国地方では初めて音声多重放送を実施した民間テレビ放送局となった。 | |
1980年 (昭和55年) |
4月1日 | 広島市が政令指定都市に移行したことにより所在地表記が広島市中町から広島市中区中町に変更される。 | |
1986年 (昭和61年) |
3月31日 | 平日夕方の情報番組として「ひろしまTODAY60」を設定する。 | 平日夕方の情報番組の先駆的存在だが視聴率で苦戦し、わずか1年で終了した。 |
1991年 (平成3年) |
10月13日 | 広島東洋カープが5年ぶり5度目のリーグ優勝を決めた旧広島市民球場での阪神タイガース戦を中継する。 | 広島テレビ放送だけでの放送。試合は1対0で広島東洋カープが勝利している。ちなみに優勝を決めた試合はダブルヘッダーの2試合目であった。 |
1992年 (平成4年) |
7月23日 | 旧本社新館が完成する。 | この新館には常時ニュースを送り出せるニュースセンターが設けられている。 |
1993年 (平成5年) |
4月1日 | 平日夕方の情報番組として「柏村(かしむら)武昭のテレビ宣言」を設定する。 | 柏村武昭は三次市出身の元中国放送アナウンサー。柏村武昭は2001年(平成13年)春で番組を降板するが、「テレビ宣言」という名称は2008年(平成20年)春まで使用され続けた。 |
4月18日 | 総合スポーツ情報番組として「進め! スポーツ元気丸」を設定する。 | 現在も続いている広島テレビ放送随一の長寿番組である(但し放送時間や放送日時はずっと同じではない)。 | |
1997年 (平成9年) |
4月 | 現在も使用されているマスコット・ピッピの使用が始まる。 | |
1998年 (平成10年) |
2月2日 | 専用郵便番号の使用を開始する。 | 当時の専用郵便番号は730-8575。 |
10月6日 | 全国ネットの深夜ヴァラエティ番組の放送を開始する。 | 日本テレビ系列が設定していた深夜のヴァラエティ番組枠「ZZZ(ズィー)」(設定期間:1997〜2003年〔平成9〜15年〕)で放送。番組はいくつか変遷しながら2003年(平成15年)春まで続いた(注21)。 | |
1999年 (平成11年) |
5月10日 | 「NNN24」をフィラーとして挿入することにより終夜放送を開始する。 | 広島県を放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局の終夜放送は中国放送テレビが1993年(平成5年)4月1日から開始しており、広島テレビ放送が二番目となる。中国放送テレビとは異なり、開始当時から月曜日早朝でも放送するようにしていた(注22)。 |
2005年 (平成17年) |
12月31日 | 広島エフエム放送との同時放送番組「HFMTV」を放送する。 | |
2006年 (平成18年) |
10月1日 | 地上波デジタル放送を開始する。 | |
2008年 (平成20年) |
3月31日 | 「テレビ宣言」シリーズに代わる平日夕方の情報番組として「旬感★テレビ派ッ!」を設定する。 | 2011年(平成23年)4月4日からは「テレビ派」に改題して現在も続いている。 |
2009年 (平成21年) |
4月10日 | 広島東洋カープの現在の本拠地である広島市民球場(愛称:Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島。広島市南区南蟹屋二丁目)での初めての公式戦を中継する。 | 広島東洋カープ対中日ドラゴンズ戦。ちなみに試合は3対11の大敗に終わった。 |
2011年 (平成23年) |
7月24日 | 地上波アナログ放送を終了する。 | 正午をもってアナログ放送の番組は終了し、7月25日午前0時をもって完全停波。半世紀近くアナログ放送を続けてきたがアナログ放送完全停波前に何もしなかったのが残念なところである(注23)。 |
7月25日 | 尾道アナログ中継局のコールサイン(JONY)が廃止される。 | ||
2018年 (平成30年) |
3月31日 | 本社の登記上の住所を広島市中区中町から広島市東区二葉の里三丁目に変更する。 | |
新本社の専用郵便番号の使用が始まる。 | 新本社の専用郵便番号は732-8575。 | ||
旧本社の建物の名称が中町ビルに変更される。 | |||
9月16日 | 旧本社のスタジオでの番組放送が終了する。 | ||
9月17日 | 新本社のスタジオでの番組放送が開始される。 | ||
9月23日 | 午前0時55分をもって旧本社からの放送を終了する。 | 56年に及ぶ広島市中区中町時代を振り返る映像を流すこともなく、ただ(広島市中区)中町からの放送は終了することや次の放送開始からは(広島市東区)二葉の里(三丁目)から放送することなどを表示しただけで停波した(注24)。 | |
本社の全機能が新本社に移行し、広島市中区中町時代は56年で終止符を打つ。 |
上表をご覧になって驚くことの一つは恐らく広島テレビ放送は開局時からずっと日本テレビ系列だけに属していたわけではなく、ある時期まで日本テレビ系列・フジテレビ系列の双方に属していたことであろう。私はクロスネット時代の広島テレビ放送を全く知らないのだが、日本テレビ系列・フジテレビ系列双方の番組が流れるが故にいろいろ制約がかかる状況はどのようなものだったのだろうか(注25)。
広島市中区中町から広島テレビ放送が番組を送り出したのは約56年間、日数に換算すれば2万477日(注26)。この間様々な出来事が起き、多くの番組が流された。広島テレビ放送に対して思い出を持つ方は少なくないことであろう。しかし、それにしては広島市中区中町時代の終焉は上表をご覧頂ければうかがえることであるがあまりにもあっさりしすぎなものであった。広島テレビ放送が本社を完全に移転させる少し前に本社を移転させた北海道テレビ放送(HTB、札幌市中央区北一条西一丁目)では旧本社(札幌市豊平区平岸四条十三丁目)からの送信終了時に旧本社があったところへの感謝の思いを乗せた映像を流しており、それは某動画投稿サイトに投稿されていたのだが、広島テレビ放送にとって56年間の歴史、そして広島市中区中町への思いは軽んじても構わないものだったのだろうか。その点が残念なところである。
広島テレビ放送の現状と特色
広島テレビ放送の中継局の数は…
広島県を放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局はアナログ放送時代、放送開始時や放送終了時に一切チャンネル紹介をしなかった(注27)。広島県はあまりにも地形が複雑すぎ、中継局を多数設置せざるを得なくなったこと(注28)や「視聴者が住んでいる地域のチャンネルだけ分かれば良いし主なところは新聞のテレビ欄に書いてある。よって表示する必要はない」というようないわゆる上から目線な態度をとっていたことが考えられる。
そのような状況を考えれば地上波デジタル放送に移行し、受像機で自動的にチャンネルを設定できるようになったことは広島県を放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局にとっては好都合だったということになるのだろうが、ではどれだけ中継局が多いのか。広島テレビ放送のアナログ放送とデジタル放送の中継局の一覧表を広島テレビ放送公式サイトや本サイトからもリンクを貼っている「千客万来・でんぱでーたどっと混む!」、広島テレビ放送が開局20周年を記念して刊行した「あなたと共に20年」(1982年〔昭和57年〕広島テレビ放送開局20周年記念誌編集委員会編)を元に作成したのが下表である。
(下表をご覧頂くに当たっての注意)
・下表では中継局の所在地の町字名や出力、偏波の状況は省略している。その点はご了承願いたい。
・アナログ中継局はそのほとんどがアナログ放送終了の翌日、すなわち2011年(平成23年)7月25日に廃止されているが、中には2011年(平成23年)7月24日以前に廃止されたところもある。
・特にアナログ中継局の名称に関しては正式なものではない場合がある。
市区郡町村名 | アナログ中継局 | デジタル中継局 | 備考 |
---|---|---|---|
広島市安芸区 | 熊野跡(62ch) 瀬野(59ch) 瀬野川(39ch) 瀬野立石(56ch) (以上4局) |
本局(19ch) 瀬野(47ch) (以上2局) |
|
広島市安佐北区 | 可部(42ch) 安佐布(54ch) 高陽(59ch) 白木(61ch) (以上4局) |
可部(19ch) 高陽(30ch) 白木(17ch) (以上3局) |
|
広島市安佐南区 | 佐東(60ch) 戸山(55ch) 西山本(51ch) 八木(34ch) (以上4局) |
佐東(19ch) 戸山(17ch) (以上2局) |
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広島市佐伯区 | 五日市(54ch) 五月ヶ丘(53ch) (以上2局) |
五日市(19ch) (以上1局) |
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広島市中区 | (なし) | (なし) | |
広島市西区 | 己斐(38ch) (以上1局) |
己斐(17ch) (以上1局) |
|
広島市東区 | 牛田(11ch) (以上1局) |
安芸温品(17ch) (以上1局) |
|
広島市南区 | 本局(12ch) (以上1局) |
(なし) | |
安芸高田市 | 吉田(61ch) 北美土里(12ch) 甲田(42ch) 高宮(49ch) 高宮栃林(61ch) 南美土里(12ch) 向原(46ch) 八千代(54ch) (以上8局) |
吉田(19ch) 北美土里(46ch) 甲田(39ch) 高宮(33ch) 高宮栃林(33ch) 南美土里(50ch) 向原(39ch) 八千代(17ch) (以上8局) |
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江田島市 | 大柿(51ch) (以上1局) |
大柿(19ch) (以上1局) |
|
大竹市 | 大竹(26ch) (以上1局) |
大竹(19ch) (以上1局) |
|
尾道市 | 尾道(12ch) 因島(62ch) 因島田熊(54ch) 尾道美ノ郷(52ch) 御調(58ch) 三庄(22ch) (以上6局) |
尾道(17ch) 因島(17ch) 因島田熊(17ch) 尾道美ノ郷(34ch) 御調(17ch) (以上5局) |
|
呉市 | 呉(5ch) 倉橋(54ch) 呉冠崎(44ch) 呉警固屋(42ch) 呉小坪(44ch) 呉広(61ch) 呉焼山(28ch) 仁方(42ch) 安浦(61ch) (以上9局) |
呉(19ch) 倉橋(19ch) 呉小坪(43ch) 呉広(19ch) 仁方(45ch) 安浦(30ch) (以上6局) |
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庄原市 | 庄原(41ch) 小奴可(43ch) 川北(57ch) 口和(36ch) 西城(12ch) 高野(44ch) 東城(12ch) 東城千鳥(38ch) 比和(57ch) (以上9局) |
庄原(40ch) 小奴可(30ch) 口和(17ch) 西城(17ch) 庄原川北(39ch) 高野(19ch) 東城(19ch) 東城千鳥(17ch) 比和(39ch) (以上9局) |
|
竹原市 | 竹原北(42ch) (以上1局) |
竹原北(32ch) (以上1局) |
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廿日市市 | 安芸佐伯(57ch) 吉和(39ch) (以上2局) |
安芸佐伯(41ch) 吉和(27ch) (以上2局) |
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東広島市 | 西条(11ch) 黒瀬(44ch) 河内(41ch) 河内小田(61ch) 志和(39ch) 豊栄(40ch) (以上6局) |
西条(17ch) 黒瀬(19ch) 河内(17ch) 河内小田(17ch) 志和(17ch) 豊栄(51ch) (以上6局) |
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福山市 | 福山(11ch) 新市常金丸(45ch) 大門(62ch) 鞆(38ch) 福山千田(48ch) 福山西(19ch) 府中(62ch) (以上7局) |
福山(17ch) 新市常金丸(19ch) 大門(38ch) 鞆(47ch) 福山千田(25ch) 福山南(17ch) 府中(17ch) (以上7局) |
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府中市 | 協和(57ch) 上下(12ch) 父石(33ch) (以上3局) |
協和(34ch) 上下(17ch) 父石(19ch) (以上3局) |
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三原市 | 三原(51ch) 賀茂大和(53ch) 久井(58ch) 三原久津(49ch) 三原久和喜(42ch) 三原幸崎(54ch) 三原中之町(59ch) 三原深町中組(54ch) (以上8局) |
三原(32ch) 賀茂大和(32ch) 久井(39ch) 三原幸崎(30ch) 三原中之町(37ch) (以上5局) |
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三次市 | 三次(11ch) 吉舎(12ch) 君田(57ch) 甲奴(61ch) 作木(44ch) 双三三和(61ch) 三次中の村(55ch) 三良坂(54ch) (以上8局) |
三次(19ch) 吉舎(32ch) 甲奴(17ch) 双三三和(32ch) 三良坂(31ch) (以上5局) |
|
安芸郡海田町 | (なし) | (なし) | |
安芸郡熊野町 | (なし) | (なし) | |
安芸郡坂町 | 坂(44ch) (以上1局) |
(なし) | |
安芸郡府中町 | (なし) | (なし) | |
神石郡神石高原町 | 油木(62ch) (以上1局) |
油木(48ch) (以上1局) |
|
世羅郡世羅町 | 世羅甲山(60ch) (以上1局) |
世羅(39ch) (以上1局) |
|
豊田郡大崎上島町 | 竹原(62ch) (以上1局) |
竹原(19ch) (以上1局) |
|
山県郡安芸太田町 | 戸河内(57ch) 加計(10ch) 南加計(27ch) (以上3局) |
戸河内(47ch) 加計(47ch) 南加計(40ch) (以上3局) |
|
山県郡北広島町 | 安芸千代田(62ch) 大朝(48ch) 芸北板村(41ch) 芸北才乙(48ch) 芸北八幡(55ch) (以上5局) |
安芸千代田(17ch) 大朝(30ch) 芸北板村(29ch) 芸北八幡(17ch) (以上4局) |
上表をご覧頂ければうかがえるのだが、確かに中継局はアナログ放送で98局、デジタル放送でも79局とかなり多い。チャンネル紹介は「Xch…○○・××、Ych…△△・□□…」というような表示にすれば表示量は減るし、中国放送テレビや広島テレビ放送は一時期放送終了時の映像(注29)に翌日放送される主な番組の紹介を被せていたからできない話ではなかったように思うのだが、やはり紹介する必要はないという判断があったのだろうか。
広島テレビ放送のアナウンサー
広島テレビ放送のアナウンサーは現在11人(男性5人・女性6人)いる(下表参照。なお、下表では出身地や生年月日、読み方は省略している)。
性別 | 氏名 | 入社年 | 担当番組 | 備考 |
---|---|---|---|---|
男性 | 小野 宏樹 | 2013年 (平成25年) |
テレビ派 てっぺん 進め! スポーツ元気丸 スポーツ中継 |
|
澤村 優輝 | 2017年 (平成29年) |
テレビ派 | ||
長野 正実 | 1992年 (平成4年) |
週刊カープ スポーツ中継 |
広島テレビ放送で最年長のアナウンサーであり、アナウンス部長を務めている。 | |
宮脇 靖知 | 2006年 (平成18年) |
テレビ派 スポーツ中継 |
||
森 拓磨 | 2002年 (平成14年) |
テレビ派 スポーツ中継 |
||
女性 | 有田 優理香 | 2014年 (平成26年) |
テレビ派 ZIP! エキキタ 進め! スポーツ元気丸 スポーツ中継 |
|
糸永 直美 | 2008年 (平成20年) |
テレビ派 びんご姫のふくやま福さがし |
元鹿児島讀賣テレビ(KYT、鹿児島市与次郎一丁目)アナウンサー(但し鹿児島讀賣テレビ退職から広島テレビ放送入社までの間はタレント活動をしたりNHK広島放送局契約キャスターを務めたりしており、すぐに移籍したというわけではない)。 広島テレビ放送における最年長の女性アナウンサーである。 |
|
西口 真央 | 2018年 (平成30年) |
Dearボス トップの秘密のぞき見バラエティ ZIP!(ローカル部分) |
||
西名 みずほ | 2004年 (平成16年) |
(なし) | 現在出産・育児休暇中。 | |
馬場 のぶえ | 1997年 (平成9年) |
テレビ派 | 「柏村武昭のテレビ宣言」時代の1997年(平成9年)暮れからずっと平日夕方の情報番組に出演し続けており、夕方の顔として知られている(但し出産・育児休暇取得により降板した時期がある)。 | |
松岡 絵梨子 | 2018年 (平成30年) |
テレビ派 | 元テレビユー山形(TUY、酒田市入船町)アナウンサー。 |
私が広島テレビ放送のアナウンサーに対して抱く印象は比較的若いということである。なぜそのような印象を抱くのか理由を挙げると次の通りになる。
・(上表をご覧頂ければうかがえることであるが)既に昭和時代入社のアナウンサーがいなくなっていること(十数年前からその状態である)。
・50代以上(注30)のアナウンサーがいないこと(最年長の長野正実アナウンサーでもまだ40代である)。
このようになったのは幹部役職の層が薄いことや一線で活躍してきたことが評価され、幹部役職に抜擢(ばってき)されることが多いこと、生涯一アナウンサーというような考えを持つ方が少ないことが考えられる。広島テレビ放送以外の広島県を放送区域とする民間放送局では昭和時代入社のアナウンサーも未だに活躍しているし、50代以上のアナウンサーも多数いるだけにどうなのかなと考えたくなるのだが、状況を考えれば致し方ないことなのだろう。
広島テレビ放送の自社制作番組
2018年(平成30年)9月23日現在広島テレビ放送が制作・放送している番組は下表の通りである(広島テレビ放送がキー局だが広島テレビ放送が制作に関わっていないもの(注31)は下表には掲載していない)。
題名 | 放送日時 | 概要 | |
---|---|---|---|
曜日 | 時間 | ||
テレビ派 | 月〜金 | 午後3時48分〜午後6時55分 | 「テレビ宣言」シリーズからの流れを汲む、平日夕方の生活情報番組。番組の一部分は翌日未明に再放送されることがある。 |
ひろおく便り | 月 | 午後6時55分〜午後7時 | 広島県北東部にある庄原市・府中市・神石郡神石高原町・世羅郡世羅町の情報を紹介する番組。 |
週刊ひろしマスター | 火 | 午後9時54分〜午後10時 | 広島市政情報番組。広島のタウン情報誌編集者・市島広(さいねい龍二)とその記者・水野みやこ(八谷〔やたがい〕しおり)が広島市政の情報を紹介するという設定になっている。 |
丸ごと! 好奇心・知っとる!? | 水・木 | 午前10時55分〜午前11時 | 変遷の激しい広島テレビ放送の現在の平日の生活情報番組。 正式な題名表記は「・」がハートマークになるのだが機種依存文字になるため「・」で代用している。 |
金 | 午前10時25分〜午前11時 | ||
びんご姫のふくやま福さがし | 水 | 午後6時55分〜午後7時 | 広島県南東部の中心都市・福山市の情報を紹介する番組。進行役は福山市出身の糸永直美アナウンサーである。 |
たからモノさがして | 木 | 午後6時55分〜午後7時 | 広島県内各地にある「たからモノ」を紹介する番組。ネッツトヨタ広島(広島市西区南観音五丁目)一社提供番組である。 |
よくばりアリス | 金 | 午後7時〜午後7時56分 | 女性芸人・いとうあさこがゲストとともに広島県各地を訪ねるというローカルヴァラエティ番組。月一回放送。 |
STU(すちゅー)でんつ! | 土 | 午前0時30分〜午前0時59分 | 瀬戸内海沿岸7県(兵庫県・岡山県・広島県・山口県・徳島県・香川県・愛媛県)を中心に活動するアイドルグループ・STU48(記すまでもないがAKB48の姉妹グループである)が出演するヴァラエティ番組。山口放送テレビ・四国放送テレビ(JRT、徳島市中徳島町二丁目)・西日本放送テレビ(RNC、高松市丸の内)・高知放送テレビ(RKC、高知市本町三丁目)・サンテレビジョン(SUN、神戸市中央区港島中町六丁目)でも放送されている。 |
てっぺん | 土 | 午前1時59分〜午前2時14分 | 娯楽情報を中心に流している番組。日曜日午前2時25分〜午前2時40分に再放送を行っている。 |
お好み焼き紀行 | 土 | 午前11時35分〜午前11時40分 | 広島県内にあるお好み焼きの店を紹介する番組。 |
週刊カープ | 土 | 午後0時55分〜午後1時25分 | 広島東洋カープの一週間の戦いぶりを紹介する番組。 |
WATCH〜真相に迫る〜 | 日 | 午前0時55分〜午前1時25分 | 事件や事故などの問題を見出し、検証する番組。原則として毎月最終土曜日の深夜放送。 |
ZIP! エキキタ | 日 | 午前6時30分〜午前7時 | 広島の情報や広島東洋カープに関する情報、平日朝の情報番組「ZIP!」の見どころを紹介する番組。毎月第一日曜日放送。 |
テレビ派増刊号 | 日 | 午前6時30分〜午前7時 | 「テレビ派」の人気コーナーのダイジェストを放送する番組。但し「ZIP! エキキタ」が放送される毎月第一日曜日は放送されない。 |
子育てんき | 日 | 午前11時25分〜午前11時30分 | 天気予報を流しながらかわいい子供の写真を紹介する番組。 |
Dearボス トップの秘密のぞき見バラエティ |
日 | 午後0時35分〜午後1時5分 | 広島で活躍する企業や団体の代表に突撃取材を敢行する番組。 |
進め! スポーツ元気丸 | 日 | 午後11時25分〜午後11時55分 | 広島地区におけるスポーツ総合情報番組の草分け的存在であり、広島テレビ放送随一の長寿番組。広島東洋カープとサンフレッチェ広島に関する情報が主な内容になっている。 |
広島テレビ放送と言えばお堅い放送局という印象を持つ方が少なくないのだが、番組編成を見た限りはそういう印象は薄れている感じがある。辛うじてその印象を残しているのが毎月最終土曜日深夜に放送されている「WATCH〜真相に迫る〜」であるが、公式サイトは設置されていないため内容を知るには当日の新聞のテレビ欄を見るか実際に番組を見るかしないとできないのがどうかと思うところである。まあお堅い姿勢をとり続けるのはいろいろな面で難しいことは分かるのだが…。
広島テレビ放送の特色
広島テレビ放送はお堅い雰囲気のある放送局という印象を持っている方は少なくないのだが、それだけではない。私が感じる広島テレビ放送の特色は次の通りである。
・不祥事が起きた話を聞かない。
・「ひろしまTODAY60」や「進め! スポーツ元気丸」など先駆的存在になった番組を多く制作している。
・お堅い雰囲気があるという印象がある一方で昔からヴァラエティ番組はよく制作している。
・(既に書いたことであるが)アナウンサーが比較的若い。
・アナウンサー事情が安定している。
・この時間帯の番組と言えばこの人というような看板アナウンサーがいる(休職期間はあるが20年以上夕方の顔として活躍している馬場のぶえアナウンサーが代表的なところだろう)。
・視聴率が安定している日本テレビ系列に属していることもあり、比較的番組は安定している。
違うよという声はあるかもしれないが、私はそのように感じているところである。
さて、ここまで広島テレビ放送の良いところを書いてきたが、次からは私としてどうかと思っていることを書くことにしたい。
広島テレビ放送の課題
歴史・伝統を大切にしていないのでは…と思いたくなる姿勢
広島テレビ放送は1962年(昭和37年)9月1日に開局してから既に半世紀以上の歴史を刻んでいる。しかも開局から今年9月23日までずっと広島市中区中町に本社を置いていた。であればこの歴史を振り返る企画が何度か企画されても良いはずである。しかし、現状は次の通りである。
・中国放送は最近でも開局50周年と開局60周年の時に記念誌を発行しているが、広島テレビ放送は開局20周年の時に発行しただけである(注32)。開局50周年を迎えた頃、社史を発行するというような話があったようであるが、それはどうなったのだろうか。無論開局20周年を迎えた1982年(昭和57年)から後でも多くの視聴者の思い出に残る番組や多くの人々が記憶している出来事はあったのだから発行しても良いように思うのだが…(もし今後記念誌か社史を発行するとすれば2022年〔平成34年〕9月1日に迎える開局60周年の時が絶好の機会になるだろうが…)。
・アナログ放送の完全停波前、中国放送テレビは初代(注33)「RCCニュース6(シックス)」(1976〜1990年〔昭和51年〜平成2年〕放送)や「週刊パパたいむ」(1992〜2003年〔平成4〜15年〕放送)などの往年の自社制作の人気番組の映像を流した後2006年(平成18年)秋まで放送終了時に流されていた、正体非公開の女性が「中国地方の子守唄」をハープで演奏する映像を流してアナログ放送を終了させたが、広島テレビ放送は何もせず、完全停波の時(2011年〔平成23年〕7月25日午前0時)を迎えた。広島テレビ放送のアナログ放送の期間は半世紀近くに及ぶ(正確には約48年11ヶ月。日数に換算すると1万7,859日(注34))のだが、半世紀近くに及ぶアナログ放送を振り返ることや視聴者に感謝の意を示すことは全く考えなかったのだろうか。
・旧本社からの送信を終了する時(今年9月23日午前0時55分)、ただ(広島市中区)中町からの放送は終了することや次の放送開始からは(広島市東区)二葉の里(三丁目)から放送することなどを表示しただけで停波したこと(注24)。広島テレビ放送が本社を移転する一週間前に本社を移転した北海道テレビ放送では旧本社からの送信終了時に旧本社があったところへの感謝の思いを乗せた映像を流していたことを思うとそのくらいやっても良かったのでは…と思うのだが、そのようなことをしなかった理由は何なのだろうか。
広島テレビ放送としては後ろ向きなことはあまりしたくないという考えがあり、それを如実に示したのがアナログ放送完全停波時と今回の旧本社からの送信終了時だったのではないかと思うのだが、果たしてそれで良かったのだろうか。確かに後ろ向きなことにばかり目を向けるのもどうかとは思うのだが、時々で良いから節目ぐらいは過去を振り返ることをしても良いのではないか。別にそれは好ましくない話ではないのだし、なかったことにしたい過去が多数あるわけではないだろうし、広島県では中国放送に次ぐ歴史を持つ民間放送局なのだし…。
終夜放送開始とともに消えたもの
広島県を放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局は現在、どこも終夜放送を実施している。時々機器調整のために終夜放送を実施しないことがあるのだが、中国放送テレビ・広島ホームテレビ・テレビ新広島と広島テレビ放送では大きく異なる点がある。それは放送終了時と放送開始時の映像があるか否かである。中国放送テレビ・広島ホームテレビ・テレビ新広島はきちんと放送終了時と放送開始時の映像を入れているのに対し、広島テレビ放送はそういう映像は入れず、ただ機器調整のため放送を休止する旨の表示を出しただけで放送を終了し、何の予告もなくいきなり放送を開始しているのである。
このような格好になったのは1999年(平成11年)5月10日に終夜放送に移行した時からである。その時をもって放送開始時の朝の平和記念公園(広島市中区中島町)に群がるハトの映像と放送終了時の夜の平和記念公園の噴水「祈りの泉」の映像は見られなくなってしまったのである(もっとも某動画投稿サイトでこれらの映像は公開されており、見ることはできるのだが…)。終夜放送に移行しても前記の通り機器調整のために深夜・早朝に放送休止を設けることは時々あるのだからそういう映像は引き続き使えば良かったのでは…と思うのだが、やはり「終夜放送を休止するのは機器調整のため。1秒でも早く放送休止に入りたいこと(注35)や1秒でも早く放送を再開したいことを考えればそういう映像は時間の無駄。そういう映像は必要ない」とか「使用頻度の低いものを作るのは費用の無駄。必要ない」というような上から目線な考え方から廃止したのだろうか。今回の旧本社からの送信終了時の表示も同じようなものだったのだが、結局は発想は同じものだったのだろう。
しかし、私は機器調整のために深夜・早朝に放送休止を設けることは時々あるのだからやはり広島テレビ放送は放送開始時・放送終了時の映像を復活させてはどうかと考える。もし復活させるとすれば次のようなものが考えられる。
・マスコットキャラクターのピッピを起用する。
・(変化が著しいため数年で変えなければならないという問題は生じるが)広島テレビ放送の新本社周辺の映像を使用する。
・広島県の名所や風景、名物の映像を使用する。
・新本社からは遠くなってしまったが世界平和と核兵器廃絶を希求するという考えからかつての放送開始時・放送終了時の映像と同じく平和記念公園の映像を使用する。
・広島テレビ放送の歴史を振り返る映像を使用する(但し視聴者の印象を悪くする事件・事故・災害の映像は流さないものとする)。
・広島テレビ放送のイメージソングを作り、それを流す(もしそうするとすれば広島県出身の著名な歌手やSTU48の起用が考えられる)。
・無論映像の途中にはデジタルチャンネル番号(4ch)とコールサイン(JONX-DTV)を表示する(各中継局のチャンネル紹介や放送開始時の映像では今日の主な番組の紹介、放送終了時の映像では明日の主な番組の紹介も入れても良いだろうがどれだけ需要があるのだろうか…)。
無論終夜放送をやめない限り使用頻度は低いままになるが、一切流さないよりはましであろう。そもそも放送開始時・放送終了時の映像を流すことは次に挙げる効果があるからである。
・放送を開始することや放送を終了することに対する示しになること。
・見ている放送局がどこか視聴者(特に他の都道府県から広島県に来た方)が認識できること。
・放送局や放送区域の認識に一役買えること。
広島テレビ放送の考え方も分からないわけではないのだが、だからと言って省くのはどうかと思うことまで省くのはどうなのだろうか。これまでの反省を踏まえ、新本社時代ではそういう問題を解消するように動いて頂きたいものだと思う。
広島テレビ放送のコールサインを知っていますか?
放送局は放送開始時と放送終了時にコールサインを示すことが義務付けられているが、残念ながら広島県を放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局ではそれを守っていないところがある(注36)。中でも広島テレビ放送は放送開始時・放送終了時の映像があった時でさえコールサインを示すことはなかった。まあコールサインの知名度は放送局の略称より著しく劣るものではある(注37)のだが、広島テレビ放送としては知名度が低いものを示す必要はないと考えていたのだろう。終夜放送開始時に放送開始時・放送終了時の映像を廃止したことといい、アナログ放送完全停波時と旧本社からの送信終了時に何もしなかったことといい、コールサインを一切表示しないことといい、広島テレビ放送は合理主義的な面が多々見られるように感じるのだが、果たしてこれで良いのだろうか。
知名度が皆無に等しい広島テレビ放送のコールサインはJONXである。今年9月23日現在末尾に「X」が付くコールサインを持つ民間放送局は24社(テレビ放送23社・中波放送1社)あり、うち6社は略称として用いている(下表参照)のだが、そのことを考えても示すのが不都合だという感じは見受けられない。カッコ良さも感じるのでむしろ積極的に表に出しても良いように感じるのだが、何がそれを妨げたのだろうか。
コールサイン | 使用放送局名/ 略称・所在地 |
所属系列 | 備考 |
---|---|---|---|
JOAX | 日本テレビ放送網 (NTV、東京都港区東新橋一丁目) |
日本テレビ系 (キー局) |
|
JOBX | 大分朝日放送 (OAB、大分市新川西) |
テレビ朝日系 | |
JOCX | フジテレビジョン (CX、東京都港区台場二丁目) |
フジテレビ系 (キー局) |
|
JODX | 関西テレビ放送 (KTV、大阪市北区扇町二丁目) |
フジテレビ系 | |
JOEX | テレビ朝日 (EX、東京都港区六本木六丁目) |
テレビ朝日系 (キー局) |
|
JOFX | 東海テレビ放送 (THK、名古屋市東区東桜一丁目) |
フジテレビ系 | |
JOGX | CBCテレビ (CBC、名古屋市中区新栄一丁目) |
TBSテレビ系 | |
JOHX | (なし) | (なし) | かつてはテレビ西日本(TNC、福岡市早良〔さわら〕区百道浜〔ももちはま〕二丁目)の本局(注38)→北九州アナログ中継局(北九州市八幡東区大蔵)で使われていたが、アナログ放送が終了した2011年(平成23年)7月25日以降使用されていない。 |
JOIX | 讀賣テレビ放送 (YTV、大阪市中央区城見二丁目) |
日本テレビ系 | |
JOJX | 日本海テレビジョン放送 (NKT、鳥取市田園町四丁目) |
日本テレビ系 | |
JOKX | 札幌テレビ放送 (STV、札幌市中央区北一条西八丁目) |
日本テレビ系 | |
JOLX | 名古屋テレビ放送 (NBN、名古屋市中区橘二丁目) |
テレビ朝日系 | 略称のNBNは最近はあまり使用されず、むしろ愛称の「メーテレ」がよく使用されている。 |
JOMX | 東京メトロポリタンテレビジョン (MXTV、東京都千代田区麹町一丁目) |
独立局 | |
JONX | 広島テレビ放送 (HTV、広島市東区二葉の里三丁目) |
日本テレビ系 | |
JOOX | 仙台放送 (OX、仙台市青葉区上杉五丁目) |
フジテレビ系 | |
JOPX | 福島テレビ (FTV、福島市御山町) |
フジテレビ系 | |
JOQX | 高知さんさんテレビ (KSS、高知市若松町) |
フジテレビ系 | |
JORX | TBSテレビ (TBS、東京都港区赤坂五丁目) |
TBSテレビ系 (キー局) |
|
JOSX | 静岡第一テレビ (SDT、静岡市駿河区中原) |
日本テレビ系 | |
JOTX | テレビ東京 (TX、東京都港区六本木三丁目) |
テレビ東京系 (キー局) |
|
JOUX | 新潟テレビ21 (UX、新潟市中央区下大川前通六ノ町) |
テレビ朝日系 | 正式な社名は「新潟テレビ二十一」。 「21」はアナログ時代(1983〜2011)の本局のチャンネル番号を指す。 開局当初の略称はNT21だったが、デジタル放送移行を見据えて2006年(平成18年)8月1日から現在のUXに変更された(現在の本局は23chを使用している)。 |
JOVX | STVラジオ (STV、札幌市中央区北一条西八丁目) |
NRN系 | 網走(あばしり)中波中継局(網走市潮見)のコールサインとして使用されている。 |
JOWX | テレビ金沢 (KTK、金沢市古府二丁目) |
日本テレビ系 | |
JOXX | 秋田朝日放送 (AAB、秋田市川尻町) |
テレビ朝日系 | |
JOYX | 山口朝日放送 (YAB、山口市中央三丁目) |
テレビ朝日系 | 中国地方で最後に開局した都道府県域民間テレビ放送局。 |
JOZX | (なし) | (なし) | 使用履歴なし。 |
ところで、今まで一度もコールサインを表示することのなかった広島テレビ放送であったが、何と今日の午前5時59分に恐らく初めてコールサインを表示し、女性アナウンサーが「広島テレビ。JONX-DTV」と読み上げるという歴史的瞬間があった(下の写真。なお、下の写真は自分のパソコンでその部分を録画したものを撮影したものである)。願わくばこれが最初で最後の機会にならないで頂きたいものであるが…。
番組編成上の問題点その1〜全く放送されなくなったあるもの〜
ご存知の通り広島県にはテレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局は存在しない。テレビ東京系列の総本山であるテレビ東京(TX、東京都港区六本木三丁目)としては系列局を開局させたい地域の一つとしているのだが、テレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局で最も放送区域人口が少ないテレビせとうち(岡山・香川両県)より更に放送区域人口が少ない広島県で経営が成り立つとは思えず(注39)、積極的な意見は聞かれない(注40)。
だからテレビ東京系列の番組は広島県では既存の都道府県域民間テレビ放送局各社で遅れて放送されることになるわけであるが、このうち広島テレビ放送で放送されている主なものは下表の通りになる。
題名 | 放送日時 | 備考 | |
---|---|---|---|
曜日 | 時間 | ||
昼めし旅 〜あなたのご飯見せてください〜 |
月〜木 | 午前10時25分〜午前10時55分 | |
博多華丸のもらい酒みなと旅2 | 木 | 午前1時29分〜午前1時59分 | |
和風総本家 | 土 | 午後4時〜午後5時 | テレビ東京系列では今秋終了。 |
にちようチャップリン | 日 | 午前1時30分〜午前2時20分 | テレビ東京系列では今秋終了。 |
ポケモンの家(うち)あつまる? | 日 | 午前5時45分〜午前6時15分 | |
ありえへん∞世界 | 日 | 午前9時55分〜午前10時55分 | |
男子ごはん | 日 | 午後4時55分〜午後5時25分 |
※この他にも「モヤモヤさまぁ〜ず2」(1時間短縮版)が放送されることがあるが広島テレビ放送公式サイトに記載がないことや放送日時が不定なことから上表には掲載しなかった。
上表をご覧になってあることに気付かないだろうか。実は広島テレビ放送はテレビ東京及びその系列局制作のアニメ番組を一切放送していないのである。いつから放送しなくなったのかは全く知らないのだが、他の広島県を放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局ではある程度人気があるものを放送していることを考えると異例なことと言える(下表参照)。
放送局名 | 番組名 | 放送日時 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
曜日 | 時間 | |||
中国放送テレビ | キラキラハッピー★ ひらけ! ここたま |
土 | 午前4時50分〜午前5時20分 | |
広島テレビ放送 | (なし) | ― | ― | |
広島ホームテレビ | デュエル・マスターズ | 土 | 午前5時20分〜午前5時50分 | |
ポケットモンスター サン&ムーン |
土 | 午前9時45分〜午前10時15分 | ||
フューチャーカード 神バディファイト |
土 | 午前10時15分〜午前10時45分 | ||
イナズマイレブン アレスの天秤 |
日 | 午前5時50分〜午前6時20分 | テレビ東京系列では今秋終了。 | |
テレビ新広島 | ベイブレードバースト 超ゼツ | 日 | 午前5時30分〜午前6時 | |
しまじろうのわお! | 日 | 午前6時15分〜午前6時45分 | テレビせとうち(TSC、岡山市北区柳町二丁目)制作。 こちらでも書いたが全編アニメではない。 |
私としてどうかと思ったのは広島テレビ放送はポケットモンスター関連の番組である「ポケモンの家(うち)あつまる?」を放送しているにもかかわらずアニメの「ポケットモンスター」シリーズは受け入れていないことである。実は広島県では「ポケットモンスター」シリーズは当初中国放送テレビで放送されていたのだが、中国放送テレビでの放送日時が広島東洋カープの公式戦中継を入れることの多い土曜日の夕方だったこと(注41)などから2015年(平成27年)春にネットを打ち切ったのである。この時広島テレビ放送が継承を申し出ていれば広島テレビ放送が「ポケットモンスター」関連の番組(注42)を一手に引き受けることになり、都合が良くなったはずなのだが、広島テレビ放送は結局手を挙げなかった。理由は分からないのだが、放送枠が確保できないことや一時期ほどの人気はなく、放送する意味が見出せなかったことが考えられる。
更に最近のテレビ東京及びその系列局制作のアニメ番組は人気が高いと言えるものが少なくなっていることも広島テレビ放送が一切受け入れない原因となっているのではないかと思われる。例えば広島県ではかつて広島ホームテレビで放送されていた「アイカツ!」シリーズや「妖怪ウォッチ」シリーズはどちらも最終回を前にして打ち切られているが、どちらも一時期ほどの人気がなくなったことが打ち切りの背景にあったのではないかと思われる(注43)。無論広島テレビ放送がこれらのアニメ番組を受け入れることは要望があったとしてもないであろう。
素人目に見れば土曜日午前5時〜午前5時30分など入れることのできる枠はないわけではない。しかし、広島テレビ放送も視聴率や利益を欲する企業である。テレビ東京系列で大人気を博するような作品(注44)が出てこない限りこの状況は続くのではないのだろうか。
番組編成上の問題点その2〜変転を重ねる自社制作の生活情報番組〜
広島テレビ放送は1971年(昭和46年)秋に平日昼間に主婦向け生活情報番組を設定した。それは変転を重ね、現在は「丸ごと! 好奇心・(注45)知っとる!?」になっているのだが、ここ数年のその類の番組を見ていると短期間で打ち切り→新設→…を繰り返している感じがしてならないのである。ある程度長く続いたのは「ほっと・ひろしま」(1987〜1992年〔昭和62年〜平成4年〕放送)や「こちらマル○生活研究所」(1995〜2005年〔平成7〜17年〕放送)ぐらいのもので、短命番組を挙げれば「中町スタイル」「YOUなび」「テレビ派ランチ」「るんるんカフェ」「もっきんカフェ」…ときりがない。
平日夕方の情報番組は現在の「テレビ派」でも既に7年半は続いていることや(他局のことになるが)テレビ新広島の平日午前中の生活情報番組「ひろしま満点ママ!!」は18年半続いている長寿番組になっていることを考えると何がいけないのだろうと思うのだが、私は次のように考えている。
・裏番組が「ひろしま満点ママ!!」であり、視聴率で太刀打ちできないこと。
・「ひろしま満点ママ!!」との差別化が図れないでいること。
・広島テレビ放送は平日夕方の情報番組に力を入れていること。
しかし設定し、それを続ける以上はやはり長続きする番組であって頂きたいものである。例えば中国放送テレビは週一回「ランキンLand!」という生活情報番組を金曜日の午前中に設定しており、長続きしている。実は中国放送テレビも1980年代前半に「家庭ジャーナル」(1971〜1983年〔昭和46〜58年〕放送)が終わってから平日午前中の生活情報番組は数年で終わることを繰り返しており、安定しなかったのだが、「ランキンLand!」が「ひろしま満点ママ!!」の裏番組になりながらも長続きしているということはある程度の視聴率が稼げているということであろう。
中にはいくらやってもどうにもならないのだから広島テレビ放送は生活情報番組の制作・放送をやめたほうが良いという意見もある。しかし、何度短命に終わっても制作を続けるということは需要があると考えていることであろう。広島テレビ放送も何かに気付けば「ほっと・ひろしま」や「こちらマル○生活研究所」のように何年も続く番組を作れるようになるのではないかと思うのだが、そのことに気付く時は来るのだろうか。
番組編成上の問題点その3〜ひどい扱いを受ける番組達〜
来秋番組開始30周年を迎える予定の科学情報番組「所さんの目がテン!」(日本テレビ系)は制作局の日本テレビ放送網を含めて多くの地域で日曜日午前7時から放送されている(注46)。しかし、広島テレビ放送で「所さんの目がテン!」がその時間帯に放送された時期、言い換えれば日本テレビ放送網などと同時ネットになった時期は短い。しかも放送日時はコロコロ変わっており、一体何度放送日時が変わったのか分からないほどになっている(現在は土曜日午前5時30分〜午前5時59分)。「所さんの目がテン!」はスポンサーの都合により番組販売扱いとなった2009年(平成21年)秋以降ネットを打ち切るところ(注47)が出ており、広島テレビ放送でも打ち切られても致し方ない状況があったのだが、幸い今日まで打ち切られずに続いている。
何度も放送日時が変わっても番組が続く「所さんの目がテン!」はまだ良いほうなのだが、広島テレビ放送では「所さんの目がテン!」よりもひどい扱いを受けている番組が少なくない。例を挙げると次の通りになる。
・「メレンゲの気持ち」(日本テレビ系)
→何度かネットしたが視聴率が芳しくなかったのか時差ネットも考慮に入れずことごとく打ち切りの憂き目に遭っている(注48)。
・「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ系)
→多くの地域で放送している時間帯に「進め! スポーツ元気丸」を設定している関係上水曜日深夜(木曜日未明)に放送されている。「進め! スポーツ元気丸」が日曜日の昼間に放送日時を移していた頃(2003〜2004年〔平成15〜16年〕頃)は同時ネットになっていたが、「進め!
スポーツ元気丸」が日曜日深夜に放送日時を戻した時に枠がないなどの理由から打ち切られ、数ヶ月間だけだが放送されなかった。
・「THEフィッシング」(テレビ東京系)
→当初は日曜日早朝に放送されていたが、2009年(平成21年)春の改編でさすがに釣りを趣味する人が見ないような時間帯(平日の午前中)に放送日時が変更され、1年後打ち切られた(注49)。このやり方は視聴率を悪くさせて打ち切りに追い込ませる策とも受け取られかねない。
・「たけしの誰でもピカソ」(テレビ東京系。1997〜2009年〔平成9〜21年〕放送)
→広島県ではテレビ新広島以外の各局でネットされ、いずれも打ち切りの憂き目に遭ったというある意味で伝説の番組。広島テレビ放送では1998〜1999年(平成10〜11年)頃(土曜日深夜〔日曜日未明〕)と2005〜2006年(平成17〜18年)頃(日曜日昼)の二度ネットしたが前者は1年程度で、後者は半年程度でいずれも打ち切られている(広島テレビ放送での二度目の打ち切りを最後に広島県を放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局でネットするところは出なかった。唯一ネットしなかったテレビ新広島が手を出さなかったのは当然の帰結であろう)。テレビ東京及びその系列局における後番組の「たけしのニッポンのミカタ!」(テレビ東京系)も中国放送テレビでは2016年(平成28年)1月に打ち切りの憂き目に遭っている(但し今春の改編でネット再開)が、そんなにビートたけし(北野武)が嫌いな広島県民が多いのだろうか(注50)。でないとこんなにひどい目に遭わされる理由がない。
・「モヤモヤさまぁ〜ず2」(テレビ東京系)
→テレビ東京及びその系列局では1時間24分番組だが広島テレビ放送では1時間番組として放送されている。更に放送日時も安定せず、定期放送しているのかどうか分からない状況になっている。
まあ例を挙げればきりがないのだが、実は広島テレビ放送の番組編成に対して苦言を呈する投稿が中国新聞朝刊の投稿欄「広場」に掲載されたことがある。今から10年ほど前のことで、ある女子高校生が自分が好きだった番組の放送時間が短縮されたことに対する不満を綴ったというものだったのだが、読んでいて放送局名や番組名は記されていなかったものの広島テレビ放送がネットしていた讀賣テレビ放送(YTV、大阪市中央区城見二丁目)制作の平日午前中の情報番組「なるトモ!」(2004〜2009年〔平成16〜21年〕放送)であるとすぐに分かった(恐らく他の読者もすぐに気付いたのではないかと思うのだが…。もし放送局名や題名が書いてあったとしても中国新聞社〔広島市中区土橋町〕は広島テレビ放送に配慮してその部分を改変したのだろう)。2008年(平成20年)春の改編で通販番組や自社制作番組を設定したために午前10時55分以降のネットが取りやめになったのだが、そのことに不満を抱き、投稿したのであろう。致し方ないこととは思うのだが、この投稿を読んだ広島テレビ放送の関係者はどのように感じたのだろうか。
本来ならこういう問題はもっと広く知られても良いことではある。しかし、あまり認識されている感じを受けない。広島テレビ放送が属する日本テレビ系列の番組の視聴率が好調なことや自社制作番組、特に「テレビ派」と「進め!
スポーツ元気丸」が安定した人気を誇っていることから枝葉末節なことでしかないこれらの問題は気にも留められることもないのだろう。だが、いつまでも日本テレビ系列の番組の視聴率の好調が続くとは限らない(最近ある週刊誌で日本テレビ系列の視聴率首位時代は間もなく終わるというような記事が載ったことがあったし…。まあそういう記事は気にも留めない関係者がほとんどだろうが…)し、「テレビ派」はNHK広島放送局の「お好みワイドひろしま」や中国放送テレビの二代目(注33)「RCCニュース6」、広島ホームテレビの「みみよりライブ 5UP(ごーあっぷ)!」、テレビ新広島の「TSSプライムニュース」との視聴率競争があり、もしかしたらそれらの番組に視聴率で負けることもあるかもしれない。もしそうなった時、こういう枝葉末節の問題はどのようになるのであろうか。気になるところである。
その他の番組編成上の問題点
今まで記してきたことの他に広島テレビ放送における番組編成上の問題点としては次のようなものがある。
・広島東洋カープに重きを置き、反対にサンフレッチェ広島を軽んじている感じがある。公式戦の試合数(プロ野球…143試合、Jリーグ一部…34試合)を比べれば致し方ないとは思うのだが、サンフレッチェ広島も優勝を争えるチームなのだからもう少し取り上げても良いのではないか。
・お堅い姿勢を感じさせるのがドキュメンタリー番組であるが、それが月一回しか放送されない上に番組公式サイトがないのがどうかと思う。広島県が抱える問題はたくさんあることを考えれば放送時間帯が深夜帯になるのは致し方ないとしても毎週放送するようにすることや番組公式サイトを設けることを考えて欲しい。
・週末の深夜帯に映画を流さない。実は平成時代初頭の一時期流していたことはあったのだが長続きはしなかった。映画を流せるような枠がないことやレンタルビデオ店で借りて見れば良いという考えを持っていることから流さないのだろうが…。
・ドラマの再放送を全くしない。理由としては枠がないことや日本テレビ系列で放送されたドラマで話題になり、高視聴率を上げたものが最近ないこと、過去の人気作や名作になると権利などの問題で流すのが不可能になっていることなどが考えられる。
・(今ではどの放送局でも滅多に見られなくなったが)アニメの再放送もほとんどしない。子供の長期休暇中に「名探偵コナン」(日本テレビ系)を再放送するくらいである。
・広島テレビ放送が属している日本テレビ系列は唯一中国・四国地方全域を網羅できている系列であるにもかかわらずブロックネット番組があまりない。中波放送であれば「中四国ライブネット」という番組(注51)があるのだが、そのテレビ版は制作することは難しいのだろうか。中国・四国地方に跨って経営を行っている企業がスポンサーに就けば実現はある程度たやすくはなるのだが…(注52)。
致し方ない事情があることや視聴率や利益を欲する企業であり、それを満たせないものに手を出したくないことが背景にあるのだろうが、もう少し問題視されても良いのではないのだろうか。
問題点から垣間見える広島テレビ放送の考え方
今まで挙げてきた問題点から垣間見える広島テレビ放送の姿は次の通りである。
・他の放送局ではやっていることややっていて当たり前だとされていることでも無駄だとか不要だと思えばあえて省く合理主義的な考えを持っている。
・視聴率が芳しくない番組は基本的に放送日時変更などのテコ入れをせず、あっさり打ち切る。
・反対に必要性を感じる番組は制作取りやめや打ち切りを選択せず、放送日時や内容、題名の変更で続ける努力をしている。
・特にヴァラエティ番組について長く続いているものが多く、視聴率も安定している日本テレビ系列に属している以上視聴率には敏感になっている。
・いくら視聴者からの要望があったとしても利益にならないものは流さない。
このような考え方を育(はぐく)んだ背景にあるのが先発2局、すなわちNHK広島放送局と中国放送テレビと対等に渡り合いたいという開局当時からの宿願である。広島テレビ放送が開局した時点でNHK広島放送局と中国放送テレビは下表の通り広島県の主たる地域に中継局を設置しており、開局からの年数だけでなく視聴可能地域でも先発2局に後れを取っていた。
都市名 | 中継局 設置場所 |
開局年月日 | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
NHK広島放送局 | 中国放送テレビ | 広島テレビ放送 | ||||
総合テレビ | 教育テレビ | |||||
広島市 | 比治山/ 黄金山 |
1956年 (昭和31年) 3月21日 |
1961年 (昭和36年) 1月8日 |
1959年 (昭和34年) 4月1日 |
1962年 (昭和37年) 9月1日 |
NHK広島放送局は比治山に、中国放送テレビ・広島テレビ放送は黄金山にそれぞれ設置。いずれも本局を兼ねている。 |
尾道市 | 高見山 | 1960年 (昭和35年) 3月1日 |
1962年 (昭和37年) 12月1日 |
1962年 (昭和37年) 4月1日 |
1962年 (昭和37年) 9月1日 |
|
呉市 | 休山 | 1958年 (昭和33年) 6月1日 |
1962年 (昭和37年) 3月31日 |
1960年 (昭和35年) 4月1日 |
(未開局) | 広島テレビ放送の中継局は1962年(昭和37年)12月15日開局。 |
福山市 | 蔵王山 | (未開局) | (未開局) | (未開局) | (未開局) | NHK広島放送局・中国放送テレビ・広島テレビ放送の中継局はいずれも1964年(昭和39年)7月1日開局。 |
三次市 | 高谷山 | 1961年 (昭和36年) 5月11日 |
1962年 (昭和37年) 4月1日 |
1962年 (昭和37年) 5月1日 |
(未開局) | 広島テレビ放送の中継局は1965年(昭和40年)4月12日開局。 |
福山市のように先発2局と同時に中継局を開局させたところもあったのだが、広島県の主たる地域での広島テレビ放送の中継局整備は常に先発2局の後追いになった。無論広島テレビ放送としては視聴者にその存在を浸透させていくのに躍起にならざるを得なかった。だから視聴率には敏感にならざるを得なかったのだろうし、多くの広島県民に楽しんでもらえる番組を作るためには無駄な費用はかけたくないという思いが生じたのだろう。
そのように考えていくと日本テレビ系列・フジテレビ系列のクロスネット局として開局した広島テレビ放送はなぜ日本テレビ系列に属し続けることとフジテレビ系列から脱退することを選択したのかがおぼろげながら見えてくる。無論テレビ新広島が日本テレビ系列に、広島テレビ放送がフジテレビ系列にそれぞれ属することも考えられない話ではなかったのだが、広島テレビ放送としては人気番組はあるが視聴率などの面でTBSテレビ系列・日本テレビ系列に劣るフジテレビ系列に属し続けることは先発2局と対等に渡り合いたいという方針を堅持している以上できないと判断したのであろう(注53)。果たして広島テレビ放送の選択は吉と出たわけであるが、フジテレビ系列の1980〜2000年代の黄金時代は広島テレビ放送の系列脱退が遠因だったと思うのは私だけだろうか(注54)。
これからの広島テレビ放送に望むこと
多くの高層建物に囲まれ、交通量の多い幹線道路から見ることのできなかった旧本社から山陽新幹線や交通量の多い幹線道路のそばに建てられた新本社に移転した広島テレビ放送。目立つところに建てられた新しい本社で新生を期すことになったわけであるが、職員の意欲・意気込みは相当なものになっていることであろう。
そこで「広島テレビ放送の抱える課題」の最後に今後の広島テレビ放送に望みたいことをいくつか挙げることにしたい。私が望むことは次の通りである。
・使用頻度は低いが放送開始時・放送終了時の映像を復活させること。広島テレビ放送としてはそういう映像を流す時間さえも無駄であるという考えを持っているのだろうが、ただ「機器調整のため本日の放送を終了します」と表示しただけで放送を終了し、いきなり放送再開するというのはあまりにも無粋すぎるのではないのだろうか。放送開始時・放送終了時の映像は実は放送局の認識(放送局名やチャンネル番号、コールサインを表示することが多いため)に一役買っており、無駄なものでも不要なものでもないのだが、そういう考えを持つことはできないのだろうか。
・コールサインやデジタルチャンネル番号の表示を行うこと。これもするだけ無駄という考えを持っているのだろうが、略称として用いないまでもJONXというコールサインはカッコ良ささえ感じるし、コールサインやデジタルチャンネル番号の表示は他の放送局では普通にやっていることである。更に表示することが不都合だということもない。折角コールサインは新社屋からの送信開始時に示したのだからそういう流れになって欲しいものであるのだが…。
・もう少し歴史や伝統に目を向けて頂きたいこと。アナログ放送終了時や旧本社からの送信終了時のあっさりしすぎた態度はいかがなものかと思ったものであるが、決してなかったことにしたい歴史があったわけでもないし、既に半世紀以上の歴史を刻んでいることを考えると時々は自らの歩んできた道を振り返ることをしても良いのではないか。2022年(平成34年)9月1日に広島テレビ放送は開局60周年を迎える予定になっているのだが、その時には開局20周年の時以来発行していない記念誌を発行するなどの企画を期待したいところである。
・お堅い雰囲気を残すためにもドキュメンタリー番組や問題提起番組を週一回は放送するよう努めること。こういう番組は視聴率やスポンサーが見込めないことから「NNNドキュメント」(日本テレビ系)や「テレメンタリー」(テレビ朝日系)のように深夜・早朝に追いやられることが多く、広島テレビ放送としても積極的になれないのだろうが、現在の広島県が抱えている問題を視聴者に知って頂くためにもこういう番組は必要ではないのだろうか。
・(考えたくないことではあろうが)もし今後日本テレビ系列の視聴率が不振に陥った場合や間もなくリーグ三連覇を達成するであろう広島東洋カープが1990年代末期〜2010年代初頭のような低迷期に陥った場合を想定して頂きたいこと。フジテレビ系列の視聴率不振は系列局のテレビ新広島にもかなりの影響が及んでいる感じを受ける(注55)し、広島東洋カープの長期低迷期には広島東洋カープが筆頭株主を務めている広島エフエム放送を除いて「カープ」という単語の入った番組が消えたばかりか開局5日目(1952年〔昭和27年〕10月5日)から広島東洋カープの公式戦中継を放送してきた中国放送ラジオも消化試合(リーグ優勝や順位が決定した後の試合を指す)になると全く中継しなかったり試合を全て中継しなかったりすることが見られた。確かに毎年下位に低迷するようなチームの番組を放送するのは放送局にとって利益にならないから消極的になるのだろうが、そこで見向きもしなくなるというのはどうなのだろうか(注56)。そういう時こそ応援するのがファンであり支援者であるだと思うのだが…。
・広島東洋カープだけでなくサンフレッチェ広島などの他の広島県を本拠地としているスポーツチームに関しても取り上げる量を増やして頂きたいこと。試合数や観客動員数は広島東洋カープに大きく劣るが、そういうチームがあることはもっと知られても良いことだと思うし、広島東洋カープ一辺倒になるのもどうかと思うからである。そのためには「進め! スポーツ元気丸」の放送時間を昔のように1時間に戻すとか日曜日深夜という遅い時間から適切な時間帯に移すなどの施策が必要になるのだが…。
・番組のネット開始や打ち切りについて慎重に臨んで頂きたいこと。視聴率が芳しくなくて打ち切られた番組は広島県民の嗜好に合わないことや放送する時間帯が不適切だったこと、宣伝が少なく、放送されていることを知らない人が多かったことなどが敗因として考えられるが、そうして一度打ち切った番組を性懲りもなく数年経ってから再度ネットするのはどうかと思うし、それでまた打ち切られれば「それ見たことか。何を編成部はやっているのか」と言いたくなってくる。また、視聴率が芳しくなくて打ち切られた番組は放送日時を変えるなどのテコ入れを行えば何とかなった可能性はないわけではない。打ち切りは万策尽きた時の最終手段と位置付け、乱発しないで欲しい。
・視聴者の意見を聞く場を設け、なおかつ情報を公開し、説明責任を果たす姿勢を見せること。視聴者の中には意見を寄せても無視することに対して不満を持つ方がいるし、打ち切りなどの仕打ちに対して理由を説明しろとか打ち切りの原因になった視聴率のデータを公開しろと要求してくる方、最悪の場合自分の思いを呑ませるために触法行為(脅迫・テロなど)に手を染める方が出てこないとも限らない。視聴者のテレビ離れが問題になっている昨今、いつまでも上から目線で臨み続けていれば経営にも視聴率にも好ましからざる影響が出ることを考えて欲しい。
・視聴率にこだわらない姿勢を持って頂きたいこと。既に十分先発2局(NHK広島放送局・中国放送テレビ)と対等に渡り合えているし、たとえ視聴率が悪かったとしても録画して後で見る方やスマートフォンなどで見ている方がいるので昔ほどこだわる必要性はないように思われるからである。
・平日昼間の自社制作の生活情報番組を安定させて頂きたいこと。視聴率が「ひろしま満点ママ!!」に勝てないなどの事情からコロコロ変わるのだろうが、視聴者としてもコロコロ変わるのではなじみにくくなる。その点は考えたことがあるのだろうか。
広島テレビ放送がどのように考えているかは分からないが、今挙げたことは考えられても良いことではないのだろうか。
最後に
ご承知の通り平成時代は現在の天皇陛下のいわゆる生前退位により来年4月30日をもって終わることになる。よって平成時代の中国地方の都道府県域民間放送局の新築移転は広島テレビ放送が最後になる。
次の年号―現時点ではまだ決まっていないのだが―に入ってからは2021年度(平成33年度(注57))に山陽放送(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)が岡山市北区天神町の岡山市立岡山後楽館中学校・高等学校跡地(注58)に、岡山放送(OHK、岡山市北区学南町三丁目)が岡山市北区下石井二丁目のイトーヨーカドー岡山店跡地(注59)にそれぞれ新築移転することが決まっている(注60)。その他は現時点では情報はない(注61)が社屋使用開始からかなりの年数が経過している放送局(注62)は少なくなく、今後新築移転の話が出るところがある可能性はある。放送局の本社の移転新築は多額の費用がかかるためそうある話ではないのだが、恐らく今後も出てくるであろう。
記すまでもなく民間放送局の現状は厳しい。既にラジオ局では廃業に追い込まれたところが出ている(注63)が、テレビ局も(影響の甚大さを考えれば恐らくその手前で回避する策をとることになり、最悪の事態に至ることはないだろうが)もしかしたら…というところが出るかもしれない。更に放送区域の再編や放送局同士の統合なども現実問題となってくるかもしれない。まあどうなるか分からないのだが、果たして広島テレビ放送の新本社はどのような時代の波を受けることになるのだろうか。広島テレビ放送の一視聴者として今後も注目していきたいと思うところである。
(注釈コーナー)
注1:広島市が政令指定都市に移行し、行政区が設置されたのは1980年(昭和55年)4月1日のことである。この時は安芸区・安佐北区・安佐南区・中区・西区・東区・南区の7行政区が設置された。その約5年後の1985年(昭和60年)3月20日に佐伯郡五日市町(1911〜1985)を編入した際に8番目の行政区・佐伯区が設置されている。
注2:広島テレビ放送・広島エフエム放送以外の放送局の開局時期と、現在地に本社を置くようになった時期は下表の通りである。
放送局名 | 開局年月日 | 現在地への 本社設置時期 |
備考 |
---|---|---|---|
NHK広島放送局 | 1928年(昭和3年)7月6日 | 1960年(昭和35年) | その後建て替えを経ている。 |
中国放送 | 1952年(昭和27年)10月1日 | 1961年(昭和36年) | 1967年(昭和42年)3月31日までの社名はラジオ中国。 |
広島ホームテレビ | 1970年(昭和45年)12月1日 | 開局時点から | |
テレビ新広島 | 1975年(昭和50年)10月1日 | 開局時点から |
注3:広島テレビ放送は通常は終夜放送を実施しているのだが完全移転のため9月23日は午前0時55分〜午前5時59分の約5時間放送を休止した。
注4:実は広島テレビ放送の登記上の本社は今年3月31日に既に広島市東区二葉の里三丁目に移転している。それからは広島市中区中町にある旧本社は広島テレビ放送中町ビルと称するようになった。なお、今年9月13日付中国新聞朝刊によると旧本社、すなわち中町ビルは今年中に解体されることになっているとのことである。
注5:昭和時代に活躍した歌手・二葉あき子(1915〜2011)の芸名は広島市東区二葉の里出身だったことに由来している。
広島市東区二葉の里三丁目にある二葉あき子歌碑(左)とその傍らにある歌碑建立の趣旨を記した看板(右)。
歌碑には二葉あき子の代表曲の一つである「夜のプラットホーム」(1947年〔昭和22年〕発表)の歌詞が刻まれている。
注6:イズミは中国地方を中心に多くの商業施設を持つ企業である。
注7:広島東警察署は以前は広島市中区富士見町に庁舎があったが、広島市内の警察署の管轄再編により広島市東区二葉の里三丁目に移転したものである。なお、移転と同時に広島東警察署は広島市東区と安芸郡府中町を管轄区域とする警察署に再編されている。
(参考資料:広島市を管轄する警察署一覧表)
警察署名 | 所在地 | 管轄区域 | 備考 |
---|---|---|---|
安佐北 | 広島市安佐北区 可部四丁目 |
広島市安佐北区 | 旧:可部警察署(2007年〔平成19年〕4月1日現行名称に変更)。 |
安佐南 | 広島市安佐南区 西原九丁目 |
広島市安佐南区 | 旧:広島北警察署(2007年〔平成19年〕4月1日現行名称に変更)。 |
海田 | 安芸郡海田町 つくも町 |
広島市安芸区 安芸郡海田町 安芸郡熊野町 安芸郡坂町 |
安芸郡海田・熊野・坂各町はもし広島市に編入された場合広島市安芸区に編入されることになっている(現在合併問題は浮上していないが今後浮上する可能性があるためあえて書いている)。 |
佐伯 | 広島市佐伯区 倉重一丁目 |
広島市佐伯区 | 2013年(平成25年)9月2日に設置された、広島県では最も新しい警察署。 |
広島中央 | 広島市中区 基町 |
広島市中区 | |
広島西 | 広島市西区 商工センター四丁目 |
広島市西区 | |
広島東 | 広島市東区 二葉の里三丁目 |
広島市東区 安芸郡府中町 |
安芸郡府中町はもし広島市に編入された場合広島市東区に編入されることになっている(現在合併問題は浮上していないが今後浮上する可能性があるためあえて書いている。また、安芸郡府中町は人口が5万人を超えていることから2010年〔平成22年〕秋以降市制施行を目指しているが具体的な動きは見られないままになっている)。 |
広島南 | 広島市南区 宇品東四丁目 |
広島市南区 | 2023年(平成35年)に広島市南区出汐二丁目に移転する予定。 |
注8:広島テレビ放送はかつて福山市沖野上町五丁目の駅前大通り(県道22号福山・鞆線)に面して建っていた福山支社も高層建築であった(老朽化により広島県民文化センターふくやま〔愛称:エストパルク。福山市東桜町〕に移転した上に解体されたため今はもう見られない)。
注9:その後1990年代中期にNHK広島放送局とテレビ新広島(新館)が高層建築の本社を建てている。
注10:広島テレビ放送新本社入口には「私有地なので立ち入りや通り抜けはご遠慮下さい」という看板があるが一般市民開放部分に関しては立ち入りは規制していないのでその点は留意して頂きたい。
注11:広島テレビ放送新本社1階エントランスホールに立ち入れる日時は次の通りである。
・月曜日〜金曜日…午前10時〜午後5時
・土曜日…午後1時〜午後5時
なお、祝日は立ち入ることはできない。
注12:中国地方初の都道府県域民間テレビ放送局は1958年(昭和33年)6月1日に開局した山陽放送テレビである。山陽放送は1953年(昭和28年)10月1日に中波放送局として開局していたので中国地方初の都道府県域民間テレビ放送局は中国地方初のテレビ・ラジオ兼営民間放送局にもなっている。
山陽放送本社のそばにあった山陽放送テレビ開局60周年を宣伝する看板(今年3月18日撮影)
※ちなみに他の中国地方初の放送局は次の通りである。
・日本放送協会(NHK)…広島放送局(1928年〔昭和3年〕7月6日開局)
・民間中波放送局…中国放送ラジオ(1952年〔昭和27年〕10月1日開局。中国放送は同時に中国地方初の民間放送局にもなっている)
・テレビ放送…NHK広島放送局(1956年〔昭和31年〕3月21日開局)
・都道府県域民間エフエム放送局…広島エフエム放送(1982年〔昭和57年〕12月5日開局)
・コミュニティ放送局…エフエムふくやま(1996年〔平成8年〕8月8日開局)
注13:日本海テレビジョン放送は本社移転と同時に音声多重放送を開始したのだが、音声多重放送が実施されるようになってから開局したところを除くと中国地方では最後に音声多重放送を開始した民間テレビ放送局となった。
注14:テレビせとうちの経営状況が厳しいのは人気が低く、系列局のない地域では視聴に制限がかかるテレビ東京系列に属していることが主たる理由ではある。しかし、テレビせとうちが放送区域としている岡山・香川両県の人口は300万人に満たないこと(これでも広島県よりは若干多い)を考慮する必要がある。300万人に満たない人口の地域に都道府県域民間テレビ放送局5社・民間中波放送局2社・都道府県域民間エフエム放送局2社もあったら当然のことながら経営環境は厳しいものになる。現在岡山・香川両県で生じている民間放送局の問題は次に挙げる通りである。
・テレビせとうちは未だに井原市に中継局を設置できていないし、中国地方に本社を置いている都道府県域民間テレビ放送局では唯一広島市に支社を設置できていないといった問題を抱えている。
・テレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局がない広島県では放送されたのにテレビせとうちでは放送されずじまいになった番組がいくつかある。
・西日本放送テレビは中国・四国地方に本社のある日本テレビ系列に属する都道府県域民間テレビ放送局で唯一終夜放送を実施していない。
・山陽放送ラジオの自社制作のワイド番組の改廃が激しい。
・山陽放送ラジオはradikoへの参入も遅かったし、エフエム補完放送の開始も遅かった。
・西日本放送ラジオは日曜日は午前0時で放送を終了している。
・西日本放送ラジオはradikoへの参入も遅かったし、未だにエフエム補完放送開始への動きを見せていない。
確かにテレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局があることや多くの番組を楽しめることを羨ましいと思う方は少なくないのだが、内情は非常に厳しいものがある。その点はどのくらいの方が認識しているのであろうか。その点があまり知られていないのが私としてはどうかと思うところである。
注15:広島テレビ放送以外の状況は下表の通りである。
放送局名 | 状況 |
---|---|
NHK広島放送局 | 社屋の東側を鯉城通りが、社屋の南側を平和大通りがそれぞれ通っている。 |
中国放送 | 社屋は幅の広い幹線道路には面していないのだが社屋の南方約300mのところを通る城南通りや社屋の西方約350mのところを通る国道54号線(国道191号線重用)から社屋を見ることはできる。 |
広島ホームテレビ | 社屋の東側を国道54号線(国道191号線重用)が通っている。 |
テレビ新広島 | 社屋の北側を国道2号線が通っている。 |
広島エフエム放送 | 社屋の北側を国道2号線が通っている。 |
注16:他には岡山放送・テレビせとうち・中国放送・広島ホームテレビ・山口放送がある。
注17:現在の球団名である広島東洋カープになったのは1967年(昭和42年)暮れのことである。但し現在でも広島カープと呼称することはよく見られる。
注18:福山市が広島県南東部最大の都市になったのは1956年(昭和31年)9月30日に沼隈郡鞆・水呑(みのみ)両町及び赤坂・熊野・瀬戸・津之郷各村と深安郡市・千田・引野・御幸各村を編入した時である。この時点で福山市の人口は10万人を超え、広島県南東部初の10万都市になっている。
注19:NHK広島放送局と中国放送テレビにおける初のUHF電波を用いた中継局は府中中継局(福山市新市町相方〔さがた〕)である。NHK広島放送局は1964年(昭和39年)5月25日に、中国放送テレビは1964年(昭和39年)10月1日にそれぞれ開局させている(広島テレビ放送は1966年〔昭和41年〕3月26日開局。無論UHF電波を用いている)。
注20:中継局に付けられている市町村名とその中継局がある市区郡町村名が合致しない例は広島県でも多数存在する。かつては尾道中継局もそうだった(2005年〔平成17年〕3月27日までは御調〔みつぎ〕郡向島町〔1950〜2005〕だった)し、現在でも竹原中継局や府中中継局(テレビ放送・エフエム放送のみ。中波放送についてはきちんと府中市内にある)がそうなっている。
注21:中国地方にある日本テレビ系列に属する都道府県域民間テレビ放送局では山口放送テレビも制作番組を流していたことがある。
注22:中国放送テレビも2001年(平成13年)10月から月曜日早朝も終夜放送を実施している。
注23:反対に本文で触れた通り中国放送テレビはアナログ放送完全停波前にこれまで放送してきた主な自社制作番組の映像を流した後正体非公開の女性が「中国地方の子守唄」をハープで演奏する映像を流してアナログ放送を終了させている。見ていてなかなか粋な演出だと思ったものであるが、広島テレビ放送はこういうことは考えなかったのだろうか。
注24:その映像の写真が下に公開したものである。なお、この写真は自分のパソコンで録画したものを撮影したものである。
注25:中国地方では山口放送テレビが1993年(平成5年)9月末まで日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット局になっていた。その頃山口県に住んでいた方の話では次のような状況だったという。
・午後7時から始まるプロ野球中継は延長がなく、午後8時54分で打ち切られていた(つまり山口県は中継延長がない一部の地域に入っていた)。
・火曜日午後10時台や土曜日午後10時台にはテレビ朝日系列の刑事ドラマが放送されていた。
・「火曜サスペンス劇場」(日本テレビ系。1981〜2005年〔昭和56年〜平成17年〕放送)は「土曜サスペンス劇場」と改題して土曜日午後1時から放送されていた。
・「土曜ワイド劇場」(テレビ朝日系。1977〜2017年〔昭和52年〜平成29年〕放送)は土曜日の深夜に放送されていた(それがその頃はまだ終夜放送に移行していなかった山口放送テレビの土曜日最後の番組でもあった)。
・「ドラえもん」など一部の番組はテレビ山口(TYS、山口市大内千坊六丁目)で放送されていた。
注26:計算式は365(通常の1年の日数)×56(年数)+14(1962〜2018年〔昭和37年〜平成30年〕にあった閏〔うるう〕年の数)+23(今年9月1〜23日の日数)である。
※ちなみに広島テレビ放送が開局した1962年(昭和37年)と今年、すなわち2018年(平成30年)の曜日配列は同じである(曜日パターンはこちらで、曜日配列はこちらでそれぞれ公開しているので興味のある方はご覧頂きたい)。
注27:開局間もない頃のテレビ新広島は放送開始時にチャンネル紹介をしていたような覚えがある。また、某動画投稿サイトで見たことがあるのだが、広島ホームテレビはかつては放送終了時に本局のチャンネル番号と映像周波数、音声周波数、出力を表示していたことがある(その映像は1984年〔昭和59年〕9月頃のものだったが、恐らく開局からCI〔コーポレーションアイデンティティ〕を導入し、略称をUHTからHOMEに変更した1986年〔昭和61年〕春まで使用していたのではないかと思われる)。
注28:これは広島エフエム放送の中継局の数が都道府県域民間エフエム放送局で最も多いこと(13箇所)でもうかがえる。それでも経営上の問題から庄原市東城地区や山県郡安芸太田町などのある程度の人口がある地域でも中継局の設置が見送られているところがある。
※広島エフエム放送は放送開始時(月曜日午前5時前)と放送終了時(月曜日午前2時過ぎ)にはきちんと全ての中継局の周波数を読み上げている。
注29:中国放送テレビは正体非公表の女性がハープで「中国地方の子守唄」を演奏する映像が、広島テレビ放送は夜の平和記念公園の噴水「祈りの泉」の映像(BGMにはリチャード・クレイダーマンの「午後の旅立ち(原題:Triste Coeur)」が使用されていた)がそれぞれ使用されていた(中国放送テレビの映像は2006年〔平成18年〕、広島テレビ放送の映像は1999年〔平成11年〕にそれぞれ使用をやめている。但し注23で触れた通り中国放送テレビの映像はアナログ放送終了時に一回だけ復活を遂げてアナログ放送の終了を飾っている)。
注30:「50代以上」と書いたのは既に60代になっているアナウンサーが何人かいるからである。
注31:該当する番組は下表の通りである。
題名 | 放送日時 | 概要 | |
---|---|---|---|
曜日 | 時間 | ||
コープのおいしめし | 月 | 午前11時25分〜午前11時30分 | 生活協同組合が取り扱っている商品で簡単でおいしい料理を作るという料理番組。日本海テレビジョン放送・山口放送テレビ・西日本放送テレビでも放送されている。 |
ハロー! クッキング | 土 | 午前11時40分〜午前11時45分 | 福山市が発祥地で近畿(関西)・中国・四国地方に店舗を展開しているスーパーマーケット・ハローズ(岡山県都窪郡早島町早島)がスポンサーの料理番組。月二回、第一・第三土曜日に放送。岡山放送やあいテレビ(ITV、松山市竹原町一丁目)でも放送されている。 |
大ちゃんの釣りに行こう! | 月 | 午前2時25分〜午前2時55分 | テレビ新広島の「釣りごろつられごろ」と並ぶ、広島県の釣り番組の代表的存在。「釣りごろつられごろ」とは異なってヴァラエティ要素が強い釣り番組である。番組も既に20年以上の歴史を刻んでおり、「釣りごろつられごろ」と同じく他地域でも放送されている。ただ、今春の番組改編で広島テレビ放送での放送日時が土曜日早朝から日曜日深夜(月曜日未明)に変更されたのが残念なところである。 |
注32:広島テレビ放送以外の広島県を放送区域とする民間放送局の記念誌の発行状況は下表の通りである(広島県立図書館〔広島市中区千田町三丁目〕・福山市図書館それぞれの公式サイトにある蔵書検索を元に作成)。
放送局名 | 状況 |
---|---|
中国放送 | 20周年・30周年・50周年・60周年の時に発行。 |
広島ホームテレビ | 20周年の時に発行。 |
テレビ新広島 | 10周年の時に発行(他の放送局が発行している20周年の時に発行しなかった理由は不明)。 |
広島エフエム放送 | 発行したことはない。 |
なお、広島県立図書館は上表に挙げた記念誌は全て所蔵しているが、福山市内の図書館は中国放送の開局30周年記念誌とテレビ新広島の開局10周年記念誌は受け入れていない。
注33:正式には「初代」「二代目」とは付かない。番組が異なるため便宜上付けたものである(現在の「RCCニュース6」、すなわち二代目「RCCニュース6」は初代「RCCニュース6」が終わってから19年経った2009年〔平成21年〕春に放送を開始している)。
注34:計算式は365(通常の1年の日数)×48(年数)+12(1962〜2011年〔昭和37年〜平成23年〕にあった閏〔うるう〕年の数)+327(2010年〔平成22年〕9月1日〜2011年〔平成23年〕7月24日の日数)である。
注35:そういう考えから放送終了時の映像を省略したところがある。それはテレビ新広島である。テレビ新広島では1986年(昭和61年)春から放送開始時と放送終了時にダークダックス(活動期間:1951〜2016)が歌うイメージソング「もしも・ひろしまに」を流していたが、演奏時間が5分近くに及ぶことから1994年(平成6年)頃には放送終了時には流さなくなってしまった(1994年〔平成6年〕6月5日未明に放送されたJリーグ公式戦録画中継〔清水エスパルス対サンフレッチェ広島戦〕を録画した際に放送終了の部分が映り込んでおり、それで知った)。
注36:中国放送(テレビ・ラジオとも)・テレビ新広島・広島エフエム放送はきちんと放送開始時・放送終了時にコールサインを示しているが、広島ホームテレビはかつては放送終了時にしかコールサインを示さなかったことがあった(現在は放送開始時・放送終了時とも示している)。
注37:広島県を放送区域とする民間放送局でコールサインの知名度が比較的高かったのは中国放送ラジオと広島エフエム放送である。中国放送ラジオはかつては時報の前にコールサイン(広島本局〔江田島市沖美町美能〕…JOER、福山中波中継局〔福山市北美台〕…JOEO、三次中波中継局〔三次市南畑敷町〕…JOEW〔現在は廃止〕)を読み上げていた(現在はやっていない)し、広島エフエム放送は開局時から十数年間はコールサインを入れた題名の番組(「JOGUでごきげん」「JOGU音楽ぷらざ」「JOGU歌謡ヒットチャート」など)を多く設定していた(現在は存在しない)。
※広島エフエム放送で2017年(平成29年)春から放送されている平日朝の情報番組「GOOD JOG」(月〜木:午前7時30分〜午前8時50分)と「GOOD
JOG+」(月・火:午前8時50分〜午前11時、水:午前8時50分〜午前10時55分、木:午前8時50分〜午前10時50分)、「GOOD JOG
FRIDAY」(金:午前7時30分〜午前10時15分)の「JOG」は広島エフエム放送のコールサインを意識したものとも考えられるが綴りが異なるためコールサインを入れた題名の番組とは見なしていない。
注38:テレビ西日本は1958年(昭和33年)に開局した時は現在の北九州市八幡東区西本町四丁目に本社を置いていた。福岡市に本社を移したのは1974年(昭和49年)のことである。
※福岡市における本社は当初は福岡市南区高宮四丁目にあった(1966年〔昭和41年〕に建てられた福岡放送会館を転用)。現在の福岡市早良(さわら)区百道浜(ももちはま)二丁目に移転したのは1996年(平成8年)のことである。
注39:政令指定都市がありながらテレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局がない府県は宮城県・新潟県・静岡県・京都府・兵庫県・広島県・熊本県である。このうちテレビせとうちの放送区域である岡山県と香川県の合計人口を下回る府県は宮城県・新潟県・京都府・広島県・熊本県となる。中には何とか経営が成り立つところもあるかもしれないが、テレビせとうちの現状を見る限り積極的な意見を持つことは私にもできない。
注40:私が把握している限り、テレビせとうち開局時から今日までの約33年間で中国新聞朝刊の投稿欄「広場」にそういう趣旨の投稿が載ったのはわずか2回である(1994年〔平成6年〕12月16日付朝刊・2007年〔平成19年〕6月19日付朝刊)。不採用投稿を含めると多数あるのかもしれないが、中国新聞社がそれを明かすことはないだろうから実態は分からない。
※実は私も1991年(平成3年)3月頃にそういう趣旨の投稿をしたことがあるがあえなく不採用になっている。内容が稚拙だったことと既存の都道府県域民間テレビ放送局(実は広島テレビ放送のことである)を批判するようなことを書いたことが理由だと思っているが…(新聞社は投稿欄への投書について不採用通知はしないし、不採用の理由は説明しない。中には納得できない方や文句を言う方、更に同一趣旨の別の投稿が採用されていることに不満を抱く方がいることを思うと何らかの改善策があっても良いのでは…と思うのだがどうであろうか)。ただ、その投稿には開局させても経営は厳しくなるだろうと書いており、いくら稚拙な文章だったとしても、独り善がりなものだと一蹴されるしかなかった文章だったとしても自分の見識は正しかったことだけは誇りに思っている(その一方でなぜ不採用にしたのかきちんと説明して欲しかったとか不採用ならきちんと通知して欲しかったという不満は未だに残っているのだが…)。
注41:中国放送テレビが「ポケットモンスター」シリーズを打ち切った理由は土曜日の午後に広島東洋カープの公式戦中継を入れることが多いことと書いたが、やはり近年の広島東洋カープの成績向上(2013年〔平成25年〕に16年ぶりにAクラスになった後は2015年〔平成27年〕を除いてAクラスになっており、2016〜2017年〔平成28〜29年〕はリーグ優勝も果たしている)と2014年(平成26年)暮れの黒田博樹投手・新井貴浩内野手の広島東洋カープへの復帰が大きかったように思われる。更なる広島東洋カープの公式戦中継の視聴率向上が見込まれる中で人気に陰りが出ていて、なおかつ適当な放送枠が確保できない「ポケットモンスター」シリーズの継続は困難と判断し、打ち切り→広島ホームテレビへの継承となったのではないのだろうか。
注42:「ポケットモンスター」シリーズの広島県におけるネット局が中国放送テレビから広島ホームテレビに変わった時点では「ポケモンゲット☆TV」(テレビ東京系、2013〜2015年〔平成25〜27年〕放送)だった。
注43:「アイカツ!」シリーズと「妖怪ウォッチ」シリーズはBS JAPANでも放送されており、衛星放送を見られる環境があれば広島県でも十分視聴可能である。無論広島ホームテレビで放送されなかった分もきちんと放送されている。
注44:広島テレビ放送にはテレビ東京及びその系列局ではある程度の人気があったにもかかわらず途中で打ち切ったアニメ番組がある。それは「ゲンジ通信あげだま」(テレビ東京系、1991〜1992年〔平成3〜4年〕放送)である。広島テレビ放送での放送時間が当時の広島テレビ放送では番組の打ち切りが頻発していたいわゆる魔の時間帯となっていた平日夕方だったこともあるのだろうが、この件も広島テレビ放送がテレビ東京系列のアニメ番組を一切受け入れない遠因になった可能性が考えられる。
※ちなみに「ゲンジ通信あげだま」はその後広島ホームテレビで平日の夕方に放送されたのだがこちらはきちんと最終回まで放送されている。また、平日夕方の魔の時間帯は広島テレビ放送としては由々しき問題とされ、「柏村(かしむら)武昭のテレビ宣言」設定の契機の一つとなった。
注45:「・」は正式にはハートマークが入るのだが、ハートマークは機種依存文字になるため「・」で代用している。
注46:日曜日朝に放送されていた時期が長いのだが、土曜日夕方に放送時間を移動させた時期があった(2009年〔平成21年〕4月〜2013年〔平成25年〕3月)。
注47:中国地方には該当する放送局はない。現在はテレビ岩手(TVI、盛岡市内丸)やテレビ大分(TOS、大分市勢家)が「所さんの目がテン!」をネットしていない。
注48:但し臨時にネットすることはある。例えば今年8月25日は「24時間テレビ 愛は地球を救う41」の事前番組という性格があったため臨時にネットしている。広島テレビ放送としては「24時間テレビ 愛は地球を救う41」が旧本社が迎える最後の「24時間テレビ 愛は地球を救う」であることと新本社が迎える最初の「24時間テレビ 愛は地球を救う」だったことから事前番組は全てネットして盛り上げようと考えたのだろう。
注49:「THEフィッシング」はその後2013年(平成25年)秋から広島ホームテレビで放送されていたが、残念ながら今春で打ち切られている。あまり面白さを感じないドキュメンタリータッチの釣り番組だったことや裏番組だった広島テレビ放送の「大ちゃんの釣りに行こう!」を見る人が多かったこと、数ヶ月遅れての放送になるため情報に新鮮味がない上に季節が合わなくなってくること(例えば放送内容が夏のものなのに秋や冬に放送するのは意味がない。まあ翌年のその時期の参考にはなるだろうが…)、番組で毎週やっている懸賞に応募できないこと(その部分を削除して放送すれば良いのだろうがなぜそうしなかったのだろうか)に不満を抱く方が少なくなかったことなどが視聴率低迷→打ち切りの原因になったのではないかと思われる(放送日時の変更は適当な枠がない上に前記の事情があったために考慮しなかったのだろう)。ただ、広島県を放送区域とする民間テレビ放送局は定期・不定期などを問わずどこも釣り番組を制作していることや確かに視聴率は悪かったかもしれないが需要はあったと考えられること、放送日時が適切だったのかどうか疑問が残ることを考えるとまだ一度もネットしたことのない中国放送テレビまたはテレビ新広島がネットするとか広島テレビ放送または広島ホームテレビが再びネットするとか考えても良いのでは…と思うのだがどうであろうか。
※「THEフィッシング」はBS JAPANでは放送されておらず、テレビせとうちや山口放送テレビが受信できないと広島県では見られない。その点からも広島県を放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局での放送再開を求めたいし制作局のテレビ大阪(TVO、大阪市中央区大手前一丁目)はBS
JAPANでも流すことを考えて頂きたいと思うのだが番組内容などを考えると難しいのだろうか。
注50:他にもフジテレビ系列のビートたけし(北野武)が出演していた深夜のヴァラエティ番組がネットされなかったり途中で打ち切られたりしたことや長寿番組「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系)が今春日曜日の昼から月曜日深夜(火曜日未明)に追いやられたこと(広島ホームテレビが土曜日の午前中に放送していた自社制作の情報番組「ココ! ブランニュー」を日曜日の昼に移したため)が挙げられる。
注51:中国・四国地方にある民間中波放送局、すなわち山陰放送ラジオ・山陽放送ラジオ・中国放送ラジオ・山口放送ラジオ・四国放送ラジオ・西日本放送ラジオ・南海放送ラジオ(RNB、松山市本町一丁目)・高知放送ラジオが持ち回りで2時間の番組を制作し、各局で流すという番組でもう十数年続いている(番組開始当初はプロ野球公式戦の開催されない秋から春にかけての時期だけ放送されていたが現在は通年放送になっている)。但し山陽放送ラジオはファジアーノ岡山の公式戦中継(ホームゲームのみ)のため、中国放送ラジオは広島東洋カープの公式戦中継のためそれぞれ休止する場合がある(その場合別の日時で放送するということはない)。
注52:ブロックネット番組の難点としてはその地方全てで流せる状況がなかなか整わない例が多々見られることである。例えば中国放送ラジオの1970〜1980年代の人気番組「柏村武昭のサテライトNo.1」(1972〜1988年〔昭和47〜63年〕放送)は四国放送ラジオと高知放送ラジオでのネットがならなかった上に西日本放送ラジオでもネットされたことがあるが短期間で終わり、中国・四国地方の全ての民間中波放送局でのネットは実現しなかった(この他中国地方から外れるのだが九州朝日放送ラジオ〔KBC、福岡市中央区長浜一丁目〕でもネットされたことがあるがこれも短期間で終わっている)。四国放送ラジオの放送区域である徳島県と西日本放送ラジオの放送区域である香川県、高知放送ラジオの放送区域である高知県はいずれも広島県との関係が薄いことやスポンサーを務めていた家電量販店チェーン・第一産業→ダイイチ(現:エディオン〔大阪市北区中之島二丁目〕)がこれらの県に積極的に進出していなかったこと(記すまでもないが店舗がなかったわけではない)などが背景にあったものと思われる。
注53:ここで広島ホームテレビが開局した時になぜ広島テレビ放送のクロスネット解消は取り沙汰されなかったのかという疑問を持つ方がいるかもしれない。確かに広島ホームテレビは当時はいくらか人気番組はあったが不人気系列とされていたNET系列(現:テレビ朝日系列)だったことや開局から十数年間は経営が厳しく、1985年(昭和60年)時点で自社制作番組の割合がわずか6%しかなかったことで郵政省(現:総務省〔東京都千代田区霞が関二丁目〕)から指導を受けたことなどを考えると日本テレビ系列かフジテレビ系列に属したほうが良かったのではないかとも考えたくなる(その場合後に開局するテレビ新広島はNET系列→テレビ朝日系列に属することになる)。しかし、次に挙げる理由から当時は取り沙汰されなかったのではないかと思われる。
・1970年(昭和45年)時点ではUHF電波を用いた中継局は人口の少ない地域にしかなく、人口の多い地域ではUHF電波を受信できるテレビ受像機が普及していなかったこと。
・広島ホームテレビは先発3局、すなわちNHK広島放送局・中国放送テレビ・広島テレビ放送とは異なり、県内に11箇所の中継局(広島本局と因島〔いんのしま〕・尾道・呉・佐東・竹原・千代田・福山・府中・三原・三次各中継局)を設置した状態で開局したのだが、これでもしばらくの間は視聴できない地域が多数残ることになるため日本テレビ系列の総本山である日本テレビ放送網やフジテレビ系列の総本山であるフジテレビジョン(CX、東京都港区台場二丁目)が難色を示したこと。
・広島テレビ放送は日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネットになることで両系列の人気番組を選んで放送できるという利点を持っており、その時点ではどちらかの系列を手放すことには消極的であったこと。
真相は分からないのだが、広島ホームテレビが開局してから5年も経たないうちにテレビ新広島が開局したことを考えると広島ホームテレビ開局の際に何らかの問題が生じ、都道府県域民間テレビ放送局4局化への動きが加速したのでは…と考えたくなる。
注54:確かにフジテレビ系列は1980〜2000年代に黄金時代を迎えはしたが、私としてどうかと思うのは極端とも受け取れる視聴率至上主義が随所に見られたことである。そのように思う点を挙げると次の通りになる。
・黄金時代以前から続き、親しまれていたアニメ番組や幼児教育番組を視聴率低下を理由に終了させたこと。背景には少子化の影響もあったが、フジテレビ系列の特色を喪失させる結果になったのではないか。
・視聴率を稼げるなら何をしても許されるというような態度が随所に見られたこと。中には不正が発覚したり出演者が死傷したりして打ち切りに追い込まれた番組もあった。
・長く続き、多くの人々に親しまれている番組であっても視聴率が芳しくなくなると後先を考えずに容赦なく打ち切ったこと。長寿番組の後番組は長続きしない場合が多いことやその番組に強い思い入れを持っている出演者の感情を害する恐れがあることを考えると慎重に考えて頂きたかったものであるが…。
フジテレビ系列が2010年代に入ってから視聴率不振に陥った要因は他にも多数あるのだが、私は視聴率至上主義のひずみが出たのではないかと考えている。広島テレビ放送に去られ、系列局は歴史が浅く、経営基盤が確立できていないところが少なくない(特に中国・四国地方における系列局は広島テレビ放送の脱退により開局10年未満のところばかりになってしまった)という状況を打破するためにそういう路線に出たのだろうが、本企画で過去に何度も指摘した通り地道な努力を続けていればこういうことにはならなかったのではないのだろうか。フジテレビ系列脱退当時の広島テレビ放送の関係者―もう40年以上も前のことなので当時の職員はもう誰も社内にはいないだろうし中には逝去された方もいることだろうが―はどのようにこの現状を見ているかは分からないが、恐らく多くの方々が選択は正しかったと思っているのではないのだろうか。
※1975年(昭和50年)10月1日時点で中国・四国地方に存在したフジテレビ系列に属する都道府県域民間テレビ放送局と開局年月日は下表の通りである(放送局名と所在地は現在のものを記し、変更があった場合は備考欄に記している)。
放送区域 | 放送局名 | 開局年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
鳥取県・ 島根県 |
山陰中央テレビジョン放送 (TSK、松江市向島町) |
1970年 (昭和45年) 4月1日 |
開局当初の社名は島根放送(愛称:テレビしまね)。 鳥取・島根両県の都道府県域民間テレビ放送の放送区域を統合することになったことから1972年(昭和47年)4月1日に社名を現在の山陰中央テレビジョン放送に変更した。 2016年(平成28年)8月29日に本社を松江市西川津町から現在地に移転した。 |
岡山県 | 岡山放送 (OHK、岡山市北区学南町三丁目) |
1969年 (昭和44年) 4月1日 |
中国地方初の本局がUHF電波を用いた都道府県域民間テレビ放送局。 開局当初は岡山県だけを放送区域としていたが、1979年(昭和54年)に岡山・香川両県の都道府県域民間テレビ放送区域を統合することになったことから香川県も放送区域に編入した。 新聞のテレビ欄ではテレビ岡山(岡山県だけを放送区域にしていた時期)→OHKテレビ(香川県を放送区域に編入した後)と表記されることが多く、岡山放送と表記されることはない。 本社は2021年度(平成33年度)に岡山市北区下石井二丁目のイトーヨーカドー岡山店跡地に移転する予定になっている(ちなみに新本社予定地の真向かいには山陽新聞社本社とテレビせとうち本社がある)。 |
広島県 | テレビ新広島 (TSS、広島市南区出汐二丁目) |
1975年 (昭和50年) 10月1日 |
|
愛媛県 | テレビ愛媛 (EBC、松山市真砂町) |
1969年 (昭和44年) 12月10日 |
開局当初の社名は愛媛放送。2004年(平成16年)10月1日に愛称のテレビ愛媛に社名を変更した(新聞のテレビ欄では社名変更以前からテレビ愛媛と表記していた)。 |
注55:最近顕著になっていると感じるのがテレビ新広島のアナウンサー事情の変化である。これまで契約アナウンサーを受け入れていなかったのに受け入れるようになったし、異動・退職で姿を見かけなくなったアナウンサーが少なくなくなったからである。姿を消したアナウンサーのそれぞれの事情は知る由もないわけであるが、フジテレビ系列の視聴率不振が影響していると思うのは私だけだろうか。
注56:最近福山市中央図書館(福山市霞町一丁目)で「中国新聞縮刷版」1968年(昭和43年)9月号を見たことがあったのだが、当時の広島東洋カープの若手投手・外木場義郎が旧広島市民球場(広島市中区基町。1957〜2010)での大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)戦で完全試合を達成した翌日の朝刊、すなわち1968年(昭和43年)9月15日付朝刊では球団史上初の快挙だったにもかかわらず一面のどこにもそのことには触れられていなかったことに驚いたものであった。考えてみればその時点で広島東洋カープはまだリーグ優勝もしていなかった(初めて優勝するのはその7年後の1975年〔昭和50年〕)し、Aクラス(3位以上)になったこともなかった(外木場義郎投手が完全試合を達成した1968年〔昭和43年〕に初めてAクラス入り〔3位〕を果たすことになる)わけであるが、やはり強くないとダメなんだなと感じた次第である。
※なお福山市中央図書館で「中国新聞縮刷版」1968年(昭和43年)9月号を閲覧したのはこちらの企画で調べたいことがあったためである。
注57:本文で触れた通りまだ次の年号は決まっていないため便宜上2019年5月1日以降についても平成時代が続くものと見なして年号を記載している。
注58:岡山市立岡山後楽館中学校・高等学校は2012年(平成24年)に岡山市北区南方一丁目に移転している。
注59:イトーヨーカドー岡山店は1998年(平成10年)に開業した、中国地方初のイトーヨーカ堂(東京都千代田区二番町)の店舗であった。しかし、すぐ近くにイオンモール岡山(岡山市北区下石井一丁目)が2014年(平成26年)に開業したことで売り上げが落ち、2017年(平成29年)に閉店した。
※イトーヨーカ堂は中国地方ではこの他倉敷市と福山市に店舗を持っていたが、現在では福山店(福山市入船町三丁目)を残すのみになっている(ちなみにイトーヨーカドー福山店はイトーヨーカ堂としては最も西にある店舗でもある)。しかしその福山店も2019年(平成31年)春に閉店することが決まっており、中国地方からは撤退することになった(跡地は今春イトーヨーカ堂と業務提携を締結したイズミが入居し、ゆめタウン福山になることが決まっている)。
注60:この他中国地方に本社を置いていないが岡山県を放送区域に含めている瀬戸内海放送(KSB、高松市西宝町一丁目)が2020年(平成32年)に高松市上之町二丁目に新築移転することになっている。
注61:移転を伴わない社屋の新築については現在テレビ新広島が計画している(恐らく開局当時の社屋、すなわち本社旧館を建て替えるのではないかと思われる)。
テレビ新広島本社旧館。この建物が近く建て替えられ、姿を消すのではないかと思われる。
テレビ新広島本社新館。1995年(平成7年)に建てられており、今後も使用されるものと思われる。
注62:現在地に社屋を建ててから半世紀以上経つところとしては山陰放送(1960年〔昭和35年〕から使用)と中国放送(1961年〔昭和36年〕から使用)がある。また、数年のうちには広島ホームテレビ(1970年〔昭和45年〕から使用)とテレビ山口(1970年〔昭和45年〕から使用)が現在地に社屋を建ててから半世紀を迎える。もし移転新築の動きがあるとすればこの4局が候補になるのではないのだろうか。
注63:都道府県域民間放送局では愛知国際放送(愛称:RADIO-i。名古屋市東区東桜一丁目。2000〜2010)が廃業している。市区町村を放送区域としているコミュニティ放送局になると多数廃業したところが出ており、中国地方でも五日市コミュニティ放送(愛称:エフエムななみ。広島市佐伯区皆賀四丁目。2004〜2007)が廃業に追い込まれている。
五日市コミュニティ放送の演奏所が入居していた娯楽施設
(参考文献)
・RCC20年のあゆみ(1972年〔昭和47年〕中国放送編)
・あなたと共に20年(1982年〔昭和57年〕広島テレビ放送開局20周年記念誌編集委員会編)
・NHK広島放送局六〇年史(1988年〔昭和63年〕NHK広島放送局六〇年史編集委員会編)
・カープ50年―夢を追って―(1999年〔平成11年〕中国新聞社刊)
・中国新聞(中国新聞社発行)
・中国新聞縮刷版(中国新聞社発行。現在は発行されていない)
・日本海テレビのあゆみ(1999年〔平成11年〕日本海テレビジョン放送40周年誌編纂委員会編)
・広島ホームテレビ20年史(1991年〔平成3年〕広島ホームテレビ編)
(参考サイト)
・広島テレビ放送公式サイト(リンクは許可を得なければならないため貼っていない)