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ニュースダイアリー・2022年(令和4年)1月分
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1月6日(木曜日)…1件
分野 | 関係 都道府県名 |
出来事 | 概要 |
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ラジオ | 岐阜県 | シティエフエムぎふが本社・演奏所を移転する。 | 岐阜市を中心とした地域を放送区域とするコミュニティ放送局・シティエフエムぎふ(愛称:FMわっち。岐阜市本荘西二丁目)が本日本社・演奏所を移転した。 シティエフエムぎふは2002年(平成14年)7月7日に開局した岐阜県3番目のコミュニティ放送局であり、岐阜市に本社・演奏所を置いた初めての民間エフエム放送局(注1)でもある。開局当時の本社・演奏所は岐阜市橋本町一丁目10番地の1にある商業施設・アクティブG(場所はこちら)に本社・演奏所を置いていたが、開局10周年を目前にした2012年(平成24年)7月2日に岐阜市神田町六丁目22番地にあるユリヤビル(場所はこちら)に移転した。そして今回岐阜市本荘西二丁目1番地にある敷島ビル(場所はこちら)に移転したものである。 シティエフエムぎふは本社・演奏所の移転理由を明らかにしていないのだが、気になったのは初代本社・演奏所はJR東海道本線・高山本線岐阜駅(岐阜市橋本町一丁目)構内、二代目本社・演奏所は岐阜駅北口駅前広場から北方に延びている大通り(国道157号線)沿いというように岐阜市中心部にあったのに対し、三代目本社・演奏所は岐阜市西郊の住宅街にあるということである。シティエフエムぎふの聴取者がどのように今回の移転をとらえているかは分からないが、郊外に本社・演奏所を移転したとしても中心部に本社・演奏所を置いていた時と同様に頑張って頂きたいと思うところである。 (出典) ・シティエフエムぎふ公式サイト |
1月26日(水曜日)…1件
分野 | 関係 都道府県名 |
出来事 | 概要 |
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ラジオ | 鹿児島県 | せとうちラジオ放送が開局する。 | 九州本土の南方海上にある奄美群島最大の島・奄美大島の南西部にある大島郡瀬戸内町を放送区域とするコミュニティ放送局・せとうちラジオ放送(愛称:せとラジ。大島郡瀬戸内町古仁屋。周波数:76.8MHz)が本日午前10時に開局した。 大島郡瀬戸内町を放送区域とするコミュニティ放送局としてはエフエムせとうち(大島郡瀬戸内町古仁屋。周波数:76.8MHz。2012〜2021)が存在したが、大島郡瀬戸内町がコミュニティ放送局の運営を見直すことにしたこと(注2)から2021年(令和3年)2月28日をもって放送を終了して廃業した。NPO法人が運営していたエフエムせとうちに代わって大島郡瀬戸内町を放送区域とするコミュニティ放送局を運営することにした会社は当初2021年(令和3年)4月上旬に開局させる予定にしていたが、何らかの事情で遅れ、試験放送を開始したのは2021年(令和3年)9月上旬になってからであった。そして今年1月14日に総務省九州総合通信局(熊本市西区春日二丁目)から本免許付与を受け、本日の開局と相成ったものである。 大島郡瀬戸内町は全国で8箇所目のコミュニティ放送局が復活した市区町村となったわけである(注3)が、エフエムせとうちが中継局を設置していた与路島(注4)への中継局設置は見送っており(注5)、受信しづらい地域における受信環境の改善は今後の課題になることは避けられないであろう。また、エフエムせとうちはコミュニティ放送の目的に反する内容の番組が設定されていたという指摘が住民からなされたことで廃業に追い込まれたが、そのことをどのように教訓として生かすかも重要な課題になるのではないかと思われる。 (出典) ・「コミュニティFM大図鑑」のせとうちラジオ放送に関する記事 ・せとうちラジオ放送公式Twitterページ ・総務省九州総合通信局の報道資料 ・でんぱでーたどっと混む掲示板(「新規開局情報」のスレッドにせとうちラジオ放送が2021年〔令和3年〕9月上旬に試験放送を開始した旨の投稿がある) |
1月29日(土曜日)…1件
分野 | 関係 都道府県名 |
出来事 | 概要 |
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道路 | 島根県 | 道の駅ごいせ仁摩が開業する。 | 島根県では29番目、大田市では2番目の道の駅となる道の駅ごいせ仁摩(大田市仁摩町大国)が本日午後1時開業した。 道の駅ごいせ仁摩の登録路線は県道31号仁摩・邑南線となっているが、二つある駐車場出入口のうちの東側入口は山陰自動車道(国道9号線仁摩・温泉津道路)仁摩・石見銀山インターチェンジ(大田市仁摩町大国)のランプウェイと県道31号仁摩・邑南線が接続する丁字路(大田市仁摩町大国/仁摩・石見銀山インターチェンジ入口交差点〔信号機・交差点名標なし〕)に接しており、(現在は江津方面しか開通していないが(注6))山陰自動車道(国道9号線仁摩・温泉津道路)を通る方が気軽に利用できるようになっている。 また、敷地内には有料にはなるが車中泊に対応した駐車スペースも設置されており、世界文化遺産に指定されている石見銀山遺跡(大田市大森町)や鳴き砂で有名な琴ヶ浜海岸(大田市仁摩町馬路)、世界最大の砂時計のある仁摩サンドミュージアム(大田市仁摩町天河内)などの観光名所への拠点としての機能も有することが期待されている。 なお、道の駅の名称に用いられている「ごいせ」とは地元の方言で「いらっしゃい」を意味する言葉である。 (出典) ・道の駅ごいせ仁摩公式サイト ・島根県大田市観光サイト |
1月31日(月曜日)…2件
分野 | 関係 都道府県名 |
出来事 | 概要 |
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道路 | 北海道 | 道の駅フォーレスト276大滝が廃止される。 | 伊達市大滝地区の国道276号線(国道453号線重用)沿線にあった道の駅フォーレスト276大滝(伊達市大滝区(注7)三階滝町)の登録が本日付で抹消され、廃止された。 道の駅フォーレスト276大滝は1996年(平成8年)4月16日に開業した道の駅で、音楽を自動で演奏するピアノが置かれた豪華な便所が話題になった。しかし、交通量が多いとは言えない道路のそばにあったことや近隣にいくつも道の駅があったことなどから経営状態は良かったとは言えず、経営者は何度か入れ替わっていた。そして2017年(平成29年)10月2日から改修工事に入るという理由で休業していたがその直後に運営会社が破産したことや施設が老朽化していたために建て替えるかどうか検討することにしたことから再開されないままになっていた。 伊達市は道の駅フォーレスト276大滝の廃止理由を再開へのメドが立たなくなり、道の駅登録・案内要綱に定められた要件(注8)を遵守できなくなったこととしているが、前記の通り経営事情が芳しいとは言えない状況があったことや伊達市内にあるもう一つの道の駅、すなわち道の駅だて歴史の杜(伊達市松ヶ枝町)に重きを置きたかったこと(注9)から再開を断念し、登録抹消したとも考えられるところである。飛び地合併になること(注10)や中心部が遠くなること(注11)を承知で平成の大合併で伊達市に編入することを選んだ伊達市大滝地区、すなわちかつての有珠郡大滝村(1950〜2006)に相当する地域の住民感情はいかほどなのだろうかと思いたくなるのだが、道の駅フォーレスト276大滝の廃止を契機におかしな方向に進まないことを願うばかりである。 (出典) ・国土交通省北海道開発局の報道発表 ・伊達市公式サイト内の道の駅フォーレスト276大滝登録廃止を伝えるページ ・北海道の道の駅に関するサイト・北の道の駅内の道の駅フォーレスト276大滝登録廃止を伝えるページ |
道路 | 北海道 | 道の駅足寄湖が廃止される。 | 足寄郡足寄町西部の国道241号線(国道274号線及び道道88号本別・留辺蘂線重用)沿線にあった道の駅足寄湖(足寄郡足寄町中矢)の登録が本日付で抹消され、廃止された。 道の駅足寄湖は活込ダム(中川郡本別町西美里別/美里別(注12))のダム湖・足寄湖のそばに設置された道の駅で、1993年(平成5年)4月22日に開業した。道の駅の中心施設となったのはチーズ工場で、チーズ工場の見学やこのチーズ工場で作られたチーズを味わえる喫茶店・売店があることで知られていた。 しかし、道の駅のある国道241号線(国道274号線及び道道88号本別・留辺蘂線重用)は帯広方面と阿寒湖・北見方面を結ぶ幹線道路としては交通量が少なかったこと(注13)などから経営状態は良かったとは言えず、それは主力商品になるはずだったチーズの販売不振にも直結した。チーズの販売不振が回復できる見込みがないとした運営者は2013年(平成25年)10月末をもってチーズの製造と道の駅の運営から撤退し、解散している。 その後地元の農業協同組合が道の駅の運営とチーズの製造を再開させたが状況は変わらず、最近では駐車場と便所、記念スタンプとパンフレットを置いている小屋、飼い犬を遊ばせる場所(ドッグラン)しか利用可能箇所がない場所となっていた。そんな中足寄郡足寄町にあるもう一つの道の駅である道の駅あしょろ銀河ホール21(足寄郡足寄町北一条一丁目)に足寄郡足寄町が運営する道の駅を一本化することになり、道の駅足寄湖を廃止することにしたものと思われる。ただ、道の駅としての登録は抹消するが道の駅足寄湖にあった駐車場・便所・ドッグランは引き続き使用できるようにするとのことであり、国道241号線(国道274号線及び道道88号本別・留辺蘂線重用)沿線にある貴重な休憩所として今後は活用されることになる。 なお、本日をもって道の駅フォーレスト276大滝と道の駅足寄湖が登録抹消になったことにより廃止された道の駅は4箇所となった(注14)。 (出典) ・国土交通省北海道開発局の報道発表 ・北海道の道の駅に関するサイト・北の道の駅内の道の駅足寄湖登録廃止を伝えるページ ・あしょろ観光協会特設サイト内の道の駅足寄湖登録廃止を伝えるページ |
(注釈コーナー)
注1:シティエフエムぎふが開局した時点では岐阜県では大垣市・高山市・多治見市に民間エフエム放送局が存在した(大垣市にあるのは都道府県域民間エフエム放送局、高山・多治見両市にあるのはコミュニティ放送局)。
注2:その背景にあるのがエフエムせとうちではコミュニティ放送の目的に反する内容の番組が設定されていたという指摘が住民からなされたことである。どのような番組だったのかは分からないが、私として気になったのはエフエムせとうちの公式ブログ(それはこちら)が2016年(平成28年)8月30日を最後に更新されず、現在も存続していることである。公式サイトや公式ブログ、SNSをある時期から放置したまま廃業したコミュニティ放送局はいくつか見られるが、そういう状況が見られるコミュニティ放送局はいずれも経営難が原因で廃業に追い込まれており、経営事情が厳しくなっていたこともあったのでは…と考えたくなる。
(参考資料:2022年〔令和4年〕1月26日時点で公式サイト・公式ブログ・SNSが残されている廃業コミュニティ放送局〔エフエムせとうちを除く〕)
放送局名 | 開局年月日 | 放送終了 年月日 |
存続している サイトまたはSNS |
状況 |
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かにかも放送 (可児市広見七丁目) |
2004年 (平成16年) 6月6日 |
2010年 (平成22年) 7月15日 |
公式サイト | ・愛称:FMでんでん。 ・可児市と美濃加茂市を放送区域とするコミュニティ放送局として開局したが、経営難により2009年(平成21年)12月31日をもって自社制作番組の放送を全て終了し、2010年(平成22年)1月1日以降は音楽が終日流れるだけの状態になっていた。それも2010年(平成22年)7月15日に突然止まり、1ヶ月ほど無変調状態になった後2010年(平成22年)8月中旬(正確な時期は不明)に遂に停波した。なお、無変調状態になった2010年(平成22年)7月15日は可児市周辺では梅雨末期の集中豪雨で甚大な被害が出たのだがそういう状況だったため全く役に立たなかった。 ・コミュニティ放送局は5年ごとに放送免許を更新する必要があり、2010年(平成22年)はちょうどその年であったが、2010年(平成22年)10月28日に総務省東海総合通信局(名古屋市東区白壁一丁目)が行った報道発表(インターネットアーカイヴに保存されているそのページはこちら)によると免許更新申請を行った総務省東海総合通信局の管内4県(岐阜県・静岡県・愛知県・三重県)のコミュニティ放送局にかにかも放送は含まれておらず、かにかも放送は放送免許が失効する2010年(平成22年)11月1日をもって廃業することが確定した。ただ、かにかも放送が総務省東海総合通信局に運用廃止届を提出した様子はないし、運営会社がどのようになったのかも分かっていない。 ・かにかも放送の廃業理由は経営難とされているが、私は都市としての性格が異なり、なおかつ木曽川で隔てられているために地形的に一体とは言えない可児市と美濃加茂市を放送区域として開局させたことが廃業の遠因になったのではないかと考えている。総務大臣に届け出ずに本社・演奏所を移転させたことや経営難に見舞われたのに合理化を徹底的に行わなかったこと、自社制作番組の制作・放送を取りやめた時点で放送も休止すべきだったのにそれをしなかったことなどおかしいと感じる点がいくつもあるのだが、私は可児側・美濃加茂側双方から出ていた経営陣に何らかの対立が起き、まともな運営ができなくなっていったのではないかと考えている。もし経営陣がうまくまとまっていたとしたらかにかも放送の息の根を止める結果になったリーマンショックが引き起こした世界的な不況を乗り越えることができたのではないのだろうか。 ・あまりにも悲惨な格好で廃業に追い込まれたかにかも放送であるが、救いはかにかも放送廃業の約1年半後にかにかも放送と同じく可児・美濃加茂両市を放送区域とするコミュニティ放送局・FMラインウェーブ(愛称:FMららまたはFM rara。可児市広見七丁目)が開局し、現在も盛業中であることであろう。あまりにも悲惨な格好でコミュニティ放送局が廃業に追い込まれたところであるだけに総務省東海総合通信局は厳しい態度で臨んだことであろうが、かにかも放送の顛末について十分反省した上でFMラインウェーブは設立され、運営されているのではないかと思われる。 ・リンクを貼っている公式サイト(臨時ホームページと銘打たれている)は2009年(平成21年)6月下旬頃を最後に更新が止まっている。なぜ削除されないままになっているのかは分からないのだが、もう触れたくないとして放置しているのか。失敗の象徴として経営に携わっていた方があえて残しているのか。それとも…。 |
エフエム津山 (津山市小田中) |
2010年 (平成22年) 7月1日 |
2020年 (令和2年) 10月25日 |
Twitter |
・愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。 ・津山市を放送区域とするコミュニティ放送局として開局したが、開局時点では津山市には既につやまコミュニティFM(愛称:エフエムつやま。津山市南新座)というコミュニティ放送局が開局しており、苦戦は必至な状況にあった。 ・案の定エフエム津山は苦戦を強いられ続け、放送免許更新時期を間近に控えた2020年(令和2年)10月25日をもって放送を終了し、廃業した。廃業の主たる理由は経営難であるが、開局当初から放送形態や方針、愛称、本社・演奏所の位置が何度も変わっており、迷走気味だったことがうかがえる。また、2012年(平成24年)には経営立て直しを目的として半年近く放送を休止していたこともあった。 ・廃業時点では平日の夕方から夜にかけてと土曜日の日中にしか番組が設定されておらず(しかも土曜日に設定されていた番組は全て平日に放送された番組〔自社制作であるかどうかは問わない〕の再放送であった)、その他の時間は洋邦問わず音楽が流れ続けるという状態だった。また、廃業時点の本社・演奏所は津山市中心部と倉吉・真庭方面を結ぶ幹線道路(津山市道)のそばにあるにもかかわらずエフエム津山があることを示す物件はなぜか全く設置されなかった。そういう状況ではエフエム津山は津山市民に親しまれる存在にはなり得ず、存在感が希薄になっていったことが想像される。 ・エフエム津山の放送最終日の様子はこちらで紹介しているが、洋邦問わず音楽が流れているだけで企業の宣伝や時報、局名告知、更には閉局告知は一切流れていなかった。廃業時点の本社・演奏所を訪ねても誰もおらず、椅子や机はあったが何かをしようという雰囲気も感じられなかった。インターネット百科事典「Wikipedia」のエフエム津山に関する記事(それはこちら)を見ると2020年(令和2年)10月25日午後11時に放送を終了して閉局したとあるのだが、その真偽はともかくとして恐らく特別番組を編成することもなく2020年(令和2年)10月25日午後4時〜2020年(令和2年)10月26日午前0時のどこかで音楽を止め、閉局通知を行って停波したのではないかと考えている。なお、現在に至るまでエフエム津山の最期の様子を紹介したブログや動画は全く見つかっておらず、その状況は分かっていない(その点からも聴く方はほとんどいなかったことがうかがえるわけであるが…)。 ・エフエム津山廃業時点でエフエム津山は公式サイト(それはこちら。最終更新は2020年〔令和2年〕5月頃)とTwitterページ(それはこちら。最終投稿は2019年〔令和元年〕8月30日)、Facebookページ(それはこちら。最終投稿は2018年〔平成30年〕7月11日)を所有していた。このうち公式サイトについては2021年(令和3年)10月頃まで存続していたが現在では閲覧できなくなっている。なぜ公式サイトは閉鎖したのにSNSは残しているのかが分からないのだが、もう触れたくないこととして放置しているのだろうか。それとも…。 |
注3:鹿児島県大島郡瀬戸内町以外のコミュニティ放送局が廃業に追い込まれた市区町村でその後改めてコミュニティ放送局が開局したところは下表の通りである。
都道府県名 | 市区郡町村名 | 状況 |
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宮城県 | 仙台市宮城野区 | ・最初に開局したのは仙台市民放送(愛称:FMじょんぱ。仙台市宮城野区原町三丁目。1999〜2007)であった。 ・仙台市民放送は経営難により2007年(平成19年)1月19日をもって放送を休止した。仙台市民放送は放送再開を目指すべく行動を起こしていたが色好い返事がなかったこともあって放送再開を断念し、2007年(平成19年)3月13日をもって廃業した。 ・その後2015年(平成27年)8月9日に楽天野球団(愛称:Rakuten.FM TOHOKUまたはらくてんみやぎのエフエム。仙台市宮城野区宮城野二丁目)が開局し、仙台市宮城野区ではコミュニティ放送局が復活した。 ・仙台市民放送の周波数は78.8MHz、楽天野球団の周波数は89.1MHzとなっており、周波数が異なっているが、これは仙台市民放送の廃業半年後の2007年(平成19年)9月29日に仙台市太白区を放送区域とするエフエムたいはく(仙台市太白区長町三丁目)が仙台市民放送が使用していた周波数とは0.1MHz違いとなる78.9MHzを用いて開局したためである。廃業したコミュニティ放送局とその後同じ市区町村で開局したコミュニティ放送局の周波数が異なる初めての事例になったが、仙台市民放送が廃業した時点で仙台市宮城野区で再びコミュニティ放送局が開局するという動きがなかったことや開局への動きが起きないと総務省(東京都千代田区霞が関二丁目)はコミュニティ放送局用の周波数割り当てを行わないことを考えると致し方ないことだったと言えよう。 |
千葉県 | 市川市 | ・最初に開局したのは市川エフエム放送(愛称:市川エフエム。市川市八幡二丁目。1998〜2016)であった。 ・市川エフエム放送は経営難により2016年(平成28年)11月30日をもって放送を休止し、その後自己破産して廃業した。 ・その後2017年(平成29年)7月14日に市川市の南隣にある浦安市を放送区域としていたコミュニティ放送局・エフエム浦安(愛称:市川うららFMまたはI&U-LaLaFM83。市川市八幡二丁目)が浦安市北栄一丁目から市川市八幡二丁目に本社・演奏所を移転し、市川・浦安両市を放送区域とするコミュニティ放送局として再出発したことにより市川市ではコミュニティ放送局が復活した。その際エフエム浦安は周波数を83.6MHzから市川エフエム放送が使用していた83.0MHzに変更しているが、これは市川市民に長らく親しまれてきた周波数を継承する目的があったことに加えてNHK-FM・J-WAVE本局の移転によりエフエム浦安が使用していた周波数に受信障害が起きていたこともあってのことであった。 |
東京都 | 渋谷区 | ・最初に開局したのは東京コミュニケーション放送(愛称:SHIBUYA-FM。渋谷区道玄坂二丁目。1996〜2013)であった。 ・東京コミュニケーション放送は経営難により2013年(平成25年)1月11日をもって放送を休止し、半年後の2013年(平成25年)7月10日をもって廃業した(その後運営会社は破産している)。 ・その後2016年(平成28年)4月1日にCQ(愛称:渋谷のラジオ。渋谷区渋谷三丁目)が開局し、渋谷区では3年3ヶ月ぶりにコミュニティ放送局が復活した。但し東京コミュニケーション放送の周波数は78.4MHz、CQの周波数は87.6MHzとなっており、東京コミュニケーション放送の周波数はCQの周波数には継承されなかった。東京コミュニケーション放送の周波数をCQが使えなかった理由としては首都圏の電波混雑により78.4MHzを用いると近隣の放送局と混信する可能性があったことが考えられる(現に近隣の放送局との混信の恐れがあるために出力を強くできず、廃業に追い込まれかけたコミュニティ放送局が東京近郊に存在する)。 ・ただ、CQにとって幸いだったのはNHK総合テレビアナログ放送本局(東京都港区芝公園四丁目。1953〜2011)が1chを使用していたために設定されていたガードバンド(1chを使用しているアナログテレビ中継局の周辺地域ではエフエム放送の本局・中継局の周波数として86.0〜90.0MHzを用いることができなくする設定。実は私が住んでいる福山市周辺でもNHK総合テレビ尾道アナログ中継局〔尾道市向島町。1960〜2011〕が1chを使用していた関係上NHK総合テレビ尾道アナログ中継局の周辺地域〔尾道市・福山市・三原市〕で設定されていたことがある)がテレビ放送のデジタル化により撤廃されたことであった。これによりCQは新たに使えるようになった周波数(87.6MHz)で開局できたわけである。 |
岐阜県 | 可児市 | ・最初に開局したのはかにかも放送であった。 ・かにかも放送は経営難により2009年(平成21年)12月31日をもって自社制作番組の放送を取りやめ、2010年(平成22年)1月1日以降は音楽がずっと流れるだけの状態になっていた。しかしそれも2010年(平成22年)7月15日に突然止まり、それから1ヶ月ほど無変調状態が続いた後停波した。結局かにかも放送は放送免許更新の申請は行わなかったため放送免許が失効した2010年(平成22年)11月1日をもって廃業が確定した。 ・その後2012年(平成24年)7月24日にかにかも放送と同じ放送区域(可児・美濃加茂両市)、同じ周波数(76.8MHz)のコミュニティ放送局・FMラインウェーブが開局し、可児市では2年ぶりにコミュニティ放送局が復活した。かにかも放送を運営していた会社のその後ははっきりしないがかにかも放送と同じところに本社・演奏所を設置していることを考えるとかにかも放送が残した施設を流用した可能性が考えられる(そのことを考えるとかにかも放送はFMラインウェーブが開局する前に何らかの措置がとられたことになるのだろうが果たして…)。 |
福岡県 | 福岡市中央区 | ・最初に開局したのは天神エフエム(愛称:FREE WAVE。福岡市中央区今泉一丁目。1996〜2010)であった。 ・天神エフエムは経営自体は良かったのだが経営難に陥っていた都道府県域民間エフエム放送局・九州国際エフエム(現:ラブエフエム国際放送〔福岡市中央区今泉一丁目〕)の事業を継承するため2010年(平成22年)12月31日をもって放送を終了し、コミュニティ放送局としては廃業した。福岡市では天神エフエムの廃業2ヶ月前の2010年(平成22年)11月1日に福岡市早良区を放送区域としていたコミュニティ放送局・福岡コミュニティ放送(愛称:FM MiMi〔2000〜2006〕→StyleFM〔2006〜2010〕。福岡市早良区百道浜二丁目。2000〜2010)が放送免許更新申請を行わなかったことから廃業が確定したため二つあったコミュニティ放送局がわずか2ヶ月で相次いで廃業する事態になり、コミュニティ放送局のない政令指定都市になってしまった。 ・その後2013年(平成25年)1月11日に天神エフエムと同じ周波数(77.7MHz)を用いてコミュニティメディアパートナーズ福岡(愛称:コミュニティラジオ天神またはCOMI×TEN。福岡市中央区大名一丁目)が開局し、福岡市中央区では2年ぶりにコミュニティ放送局が復活した。同時に福岡市はコミュニティ放送局のない政令指定都市でもなくなった。 |
沖縄県 | 沖縄市 | ・最初に開局したのは沖縄市エフエムコミュニティ放送(愛称:FM Champla!。沖縄市中央一丁目。1997〜2004)であった。ちなみに沖縄市エフエムコミュニティ放送は沖縄地方初のコミュニティ放送局でもある。 ・沖縄市エフエムコミュニティ放送は経営難により2004年(平成16年)3月31日をもって放送を終了し、翌2004年(平成16年)4月1日からFMコザ(沖縄市中央三丁目)が業務を引き継いだ。その際本社・演奏所・周波数に変更はなかったのだがコールサインが変更されたため本サイトとしては沖縄市エフエムコミュニティ放送は廃業したものと見なしている。記すまでもないが沖縄市エフエムコミュニティ放送とFMコザは別業者と見なしている。 ・本サイトでは日本の地方区分を北海道・東北・関東・甲信越・北陸・東海・近畿(関西)・中国・四国・九州・沖縄としているのだが、それぞれの地方で最初に開局したコミュニティ放送局が廃業に追い込まれたのは沖縄地方が初めてとなる(他の地方の最初に開局したコミュニティ放送局はいずれも盛業中である)。 ・その後沖縄市では2009年(平成21年)5月15日に沖縄ラジオ(愛称:オキラジ。沖縄市上地一丁目)が開局し、沖縄市は複数コミュニティ放送局が存在する市区町村になっている(廃業したところを含めてある市区町村に三つもコミュニティ放送局が存在したのは沖縄市だけである)。現在のところFMコザ・沖縄ラジオとも盛業中のようであるが果たして…。 |
南城市 | ・最初に開局したのは初代FMしまじり(愛称:FMなんじょう。南城市佐敷津波古。2013〜2018)であった(なぜ初代FMしまじりと記したかは後述)。 ・初代FMしまじりは南城市との契約が満了したことにより2018年(平成30年)2月28日をもって放送を終了し、廃業した。初代FMしまじりの経営者は島尻郡与那原町に移り、2018年(平成30年)3月25日に二代目FMしまじり(愛称:FMよなばる。島尻郡与那原町上与那原)を開局させている。ある市区町村でコミュニティ放送局を運営していた会社がそのコミュニティ放送局を廃業させた後別の市区町村に移って改めてコミュニティ放送局を開局させた例は珍しい。 ・そのため本サイトでは南城市にあったFMしまじりは初代FMしまじり、島尻郡与那原町にあるFMしまじりは二代目FMしまじりとそれぞれ表記することにしている。 ・その後南城市では2018年(平成30年)3月12日に南笑事(愛称:ハートFMなんじょう。南城市大里稲嶺)が開局している。南笑事は初代FMしまじりから演奏所・中継局・周波数を継承した状態で開局しているのだが前記の通りFMしまじりは島尻郡与那原町を放送区域とするコミュニティ放送局に鞍替えしたことや初代FMしまじりと南笑事はコールサインが異なることから初代FMしまじりと南笑事は別業者と見なしている。 |
参考までに廃業によりコミュニティ放送局が存在しなくなり、現在も復活への具体的な動きがない市区町村は次の通りである。
・北海道…札幌市南区・虻田郡倶知安町
・東京都…多摩市
・神奈川県…伊勢原市
・愛知県…名古屋市中村区
・滋賀県…近江八幡市
・大阪府…堺市東区・貝塚市
・兵庫県…神戸市長田区
・広島県…広島市佐伯区
・香川県…丸亀市・仲多度郡琴平町
・福岡県…福岡市早良区
・熊本県…玉名市
復活への具体的な動きが起きない理由は様々だろうが、今挙げた市区町村から今度こそという思いを持って復活させようという動きが出てくることを私は期待したい。
注4:与路島は大島郡瀬戸内町中心部の南西にある島。大島郡瀬戸内町中心部から見た場合、加計呂麻島の向こうにある。
注5:エフエムせとうちは廃業時点で大島郡瀬戸内町阿木名(本局)・大島郡瀬戸内町阿室釜・大島郡瀬戸内町与路の3箇所に中継局を設置していた。一方でせとうちラジオ放送は開局時点で大島郡瀬戸内町阿木名(本局)・大島郡瀬戸内町阿室釜の2箇所に中継局を設置している。なぜせとうちラジオ放送が与路島に開局時に中継局を設置しなかったのか、はっきりしたことは分かっていない。
注6:仁摩・石見銀山インターチェンジ以東、つまり出雲市方面の山陰自動車道は2023年度(令和5年度)に大田中央・三瓶山インターチェンジ(大田市久手町刺鹿)〜仁摩・石見銀山インターチェンジ間が開通する予定になっている。
※大田中央・三瓶山インターチェンジ〜仁摩・石見銀山インターチェンジ間が開通したとしても山陰自動車道は出雲多伎インターチェンジ(出雲市多伎町久村)〜石見福光インターチェンジ(大田市温泉津町福光)間が一本化されたにとどまり、松江方面との往来には国道9号線などの一般道路を利用せざるを得ない。出雲多伎インターチェンジ以東の区間が開通し、米子自動車道や松江自動車道と自動車専用道路で繋がるのは2024年度(令和6年度)の予定となっている。
一方、石見福光インターチェンジ以西については現在石見福光インターチェンジ〜浅利インターチェンジ(仮称。江津市松川町下河戸)間が建設中であるが、現在のところいつ開通するかについては公表されていない。また、浅利インターチェンジ〜江津インターチェンジ(江津市嘉久志町)間については当面の間一般道路、すなわち国道9号線江津道路や県道302号浅利・渡津線を利用することが決まっており、浜田自動車道との間に一般道路経由区間が残る格好になる。交通量が増えれば浅利インターチェンジ〜江津インターチェンジ間について改めて自動車専用道路が建設されることになるのだろうが果たして…。
注7:伊達市は2006年(平成18年)3月1日に有珠郡大滝村を編入したのだが、有珠郡大滝村だった地域に20年を期限として地域自治区を設定したため有珠郡大滝村だった地域の地名表記は有珠郡大滝村○○または有珠郡大滝村○○町から伊達市大滝区○○町に変更されている。
注8:「利用者に多様なサービスを提供でき、道路や地域に関する情報を案内するところが備わっていること」を指す。
注9:伊達市が道の駅だて歴史の杜に重きを置きたかった理由は次の通りである。
・道の駅だて歴史の杜は伊達市中心部にあること。
・道の駅だて歴史の杜は国道37号線のそばにあること。
・道の駅だて歴史の杜の北東約2.1kmのところに道央自動車道伊達インターチェンジ(伊達市松ヶ枝町)があること。
・道の駅だて歴史の杜の中には伊達市と虻田郡洞爺湖町、有珠郡壮瞥町を放送区域とするコミュニティ放送局・だて観光協会(愛称:wi-radio。伊達市松ヶ枝町)の本社・演奏所があること(ちなみに伊達市には南隣の室蘭市に本社・演奏所のあるコミュニティ放送局・室蘭まちづくり放送〔愛称:FMびゅー。室蘭市みゆき町二丁目〕の中継局もあり、複数のコミュニティ放送局によって放送区域に含められている数少ない市区町村になっている)。
今挙げた事柄から伊達市としては中心部にある道の駅だて歴史の杜を伊達市の拠点施設と位置付けていることがうかがえる。
注10:伊達市は平成の大合併では有珠郡壮瞥町及び大滝村との合併を目指し、論議を重ねてきたが、伊達市と有珠郡壮瞥町の間にある有珠郡壮瞥町が協議から離脱した。その後伊達市が有珠郡大滝村を編入することになったため伊達市中心部と伊達市大滝地区の往来には有珠郡壮瞥町を通らざるを得なくなっている。
注11:伊達市役所(伊達市鹿島町)と伊達市役所大滝総合支所(伊達市大滝区本町。かつての有珠郡大滝村役場を利用している)は直線距離で28kmほど離れている。かつては国鉄胆振線(1919〜1986。路線名称は廃止時点のものを記載している)が伊達市中心部と伊達市大滝地区中心部を結んでいたが1986年(昭和61年)11月1日に廃止されてからは道路交通に頼らざるを得なくなっている。
注12:活込ダムは十勝川支流の美里別川をせき止めて作られたのだが、この美里別川は活込ダムの堰堤付近では中川郡本別町西美里別と中川郡本別町美里別の境にもなっている。そのため活込ダムの所在地を中川郡本別町西美里別/美里別と表記している。
なお、(記すまでもないことではあるが)美里別川の右岸は中川郡本別町西美里別に、左岸は中川郡本別町美里別にそれぞれ属している。
注13:帯広方面と阿寒湖・北見方面を往来する場合、河東郡音更町・河東郡士幌町・河東郡上士幌町経由(国道241号線経由)と中川郡池田町・中川郡本別町経由(道東自動車道または国道38号線・国道242号線経由)の二通りの経路が考えられる。両者ともほぼ同じ距離なのだが、このうち交通量が多いと考えられるのは中川郡池田町・中川郡本別町経由である。川に沿って展開する平地を通っていることや国道38号線や国道242号線に並行する格好で鉄道路線が存在したこと(このうち国道242号線に並行して敷設された北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線〔1910〜2006。路線名称は廃止時点のものを記載している〕は廃止されたが現在も国道38号線に並行して敷設されたJR根室本線が盛業中である)、反対に国道241号線に並行する格好で鉄道路線を敷設する計画はあったが帯広市〜河東郡上士幌町間について敷設されただけにとどまったこと(帯広市〜河東郡上士幌町間に敷設された鉄道路線、すなわち国鉄士幌線〔1925〜1987。路線名称は廃止時点のものを記載している〕は既に廃止されているので国道241号線に並行する鉄道路線は皆無になっている)、国道38号線や国道242号線に並行する格好で道東自動車道が建設されたことがそのように考える理由である。
注14:これまでに廃止された道の駅は下表の通りである。
都道府県名 | 道の駅の名称 | 状況 |
---|---|---|
京都府 | 茶処 和束 (相楽郡和束町南) |
・京都府道/滋賀県道5号木津・信楽線と京都府道62号宇治・木屋線が接続する相楽郡和束町南/白栖橋交差点のすぐ東側に設置された道の駅。 ・名称は相楽郡和束町が日本茶(和束茶)の産地であることに由来している。 ・1993年(平成5年)に京都府初の道の駅として開業したが10年後の2003年(平成15年)12月31日をもって閉鎖され、翌2004年(平成16年)3月31日に登録を抹消した。その結果茶処 和束は史上初めて廃止された道の駅となった。 ・廃止理由ははっきりしないのだが、敷地に接している京都府道/滋賀県道5号木津・信楽線と京都府道62号宇治・木屋線の交通量が少なく、期待通りの利用が見られなかったことや駐車できる車両数が少なかったこと、敷地が狭く、施設の充実が図れなかったこと、相楽郡和束町の財政事情が厳しくなったことなどが考えられる。 ・現在は跡地でコンビニエンスストア・ローソン和束南店が営業を続けている。 |
兵庫県 | 山崎 (宍粟市山崎町今宿) |
・宍粟市中心部(宍粟市山崎地区中心部でもある)の国道29号線の沿線に設置された道の駅。 ・1993年(平成5年)に開業したが2013年(平成25年)3月31日をもって廃業した。 ・主たる廃止理由は宍粟市と土地所有者との土地などの貸借契約が2013年(平成25年)3月31日をもって切れることであるが、交通網の変化(鳥取自動車道や国道373号線の整備)により京阪神方面と鳥取方面を往来するのに国道29号線を通る方が少なくなり、経営が厳しくなったことも考えられる。そのことは廃業4年前の2009年(平成21年)に経営難が理由で運営者が変わったことや廃業後宍粟市は駐車場や便所は引き続き使用できるようにすることや観光拠点施設を設けることを表明していたのにそれをせず、施設は全て解体・撤去したことからもうかがえる。 ・2021年(令和3年)10月に撮影された道の駅山崎跡地付近の「Googleストリートビュー」を見ると道の駅山崎跡地は更地になっている。 |
道の駅と市区町村を放送区域とする民間ラジオ放送局・コミュニティ放送局はほぼ同じ時期に制度化され、全国に普及していったのだが、2022年(令和4年)1月31日時点のコミュニティ放送局の廃業者数は28社、廃業割合は約7.6%(=28/367)なのに対して道の駅の登録抹消者数は4箇所、登録抹消割合は約0.3%(=4/1,197)となっており、登録抹消、すなわち廃業に追い込まれた道の駅はほとんどないことがうかがえる。道路整備の進展によりどこもある程度の利用が見込めることや地域色が見られること、運営に意欲的なところが多いことが登録抹消がほとんど出ない理由として挙げられるのではないかと思うのだが、運営する地方自治体の財政事情の悪化や交通網の変化による通行車両の減少などにより今後どうなるかは予断を許さない状況にある。一般道路を走るのが好きな自分としては各地に特色のある道の駅があるのは面白いと思っているし、遠隔地に出かける時はよく立ち寄るのだが、残念な結末に至らないように運営者には一層の努力を見せて頂きたいと思う次第である。