トップページ不定期刊・きょうのトピックス不定期刊・きょうのトピックス2021年(令和3年)分「走れ! 歌謡曲」と中国放送ラジオのある戦略

「走れ! 歌謡曲」と中国放送ラジオのある戦略(2021年〔令和3年〕3月27日公開)

(本作をご覧頂くに当たっての注意)

・本作は様々な資料やサイト、更に自分が見聞したことを基に自分なりの解釈や自分の想像も入れて記しております。その点はご了承願います。また、もし事実と異なることを書いていると感じた場合は指摘して頂けると幸いです(抗議・脅迫・誹謗〔ひぼう〕・中傷などは一切対応致しませんので悪しからず)。

・便宜上本作で記す企業名と地名は現在使用しているものを記しております。

 日がだんだん長くなり、暖かくなり、緑が芽吹き始め、花が咲き始める春。けれど、その春は日本においてはお別れの季節である。特に今年は多くの人々に親しまれた長寿番組とのお別れが相次いだ。全国ネットの番組であれば「情報プレゼンター とくダネ!」(フジテレビ系。1999年〔平成11年〕放送開始)や「メレンゲの気持ち」(日本テレビ系。1996年〔平成8年〕放送開始)。地方にある都道府県域民間テレビ放送局の制作ながら中国地方にある都道府県域民間テレビ放送局でネットされた経験のある番組(注1)であれば毎日放送テレビ(MBS、大阪市北区茶屋町)制作の「ちちんぷいぷい」(1999年〔平成11年〕放送開始)や九州朝日放送テレビ(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)制作の「ドォーモ」(1989年〔平成元年〕放送開始)。中国地方にある都道府県域民間テレビ放送局の番組であれば中国放送テレビ(RCC、広島市中区基町)制作の「ゴルフの花道」シリーズ(2002年〔平成14年〕放送開始)。この他にもいろいろあるのだが、終わる番組に対して思い出を持つ方も少なくないことであろう。
 そんな中、中国地方にある都道府県域民間放送局では中国放送ラジオだけがネットしていたある長寿番組が今春その歴史に終止符を打つことになった。その番組の名前は「日野ミッドナイトグラフィティ 走れ! 歌謡曲」(1968年〔昭和43年〕放送開始。以後「走れ! 歌謡曲」と表記するものとする)。文化放送(QR、東京都港区浜松町一丁目)が制作・放送していた番組である。ただ、半世紀以上放送されていたにもかかわらずネットしていた民間中波放送局は文化放送・中国放送ラジオと北日本放送ラジオ(KNB、富山市牛島町)・福井放送ラジオ(FBC、福井市大和田二丁目)・静岡放送ラジオ(SBS、静岡市駿河〔するが〕区登呂三丁目)・東海ラジオ放送(SF、名古屋市東区東桜一丁目)・大阪放送(OBC、大阪市港区弁天一丁目)の7社(注2)にとどまったのが残念なところであった。
 長寿番組の割にはネット局が少数にとどまった「走れ! 歌謡曲」であったが、
なぜ中国放送ラジオはあえて「走れ! 歌謡曲」のネットに踏み切ったのか。今回の「不定期刊・きょうのトピックス」ではその謎に迫り、「走れ! 歌謡曲」ネット開始前後からの中国放送ラジオのある戦略を探っていくことにしたい。

「走れ! 歌謡曲」はなぜ誕生したのか

 多くの人々が眠りに就いている深夜・早朝についてもラジオ放送を行うことは実はかなり昔からあった。しかし、多くの人々に知られる番組が次々と始まったのは1960年代後半になってからである。民間中波放送局ではTBSラジオ(TBS、東京都港区赤坂五丁目)制作の「パックインミュージック」(1967〜1982年〔昭和42〜57年〕放送)やニッポン放送(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)制作の「オールナイトニッポン」(1967年〔昭和42年〕放送開始)、都道府県域民間エフエム放送局では「JET STREAM」(JFN系(注3)、1967年〔昭和42年〕放送開始)が代表的な存在といったところであろう。
 これらの番組は若年者を中心とした在宅者が主たる聴取者層となったのだが、一方で道路事情の改善やモータリゼーションの進展により発展してきた運送業者向けの番組というのは存在しなかった。もっとも、1960年代後半時点では終夜放送を行っているラジオ局は大都市にある民間中波放送局ぐらいであり、もし運送業者向けの番組を設定したとしても大都市以外の民間中波放送局ではネットされる可能性は皆無に等しい状態であった。
 そんな中、岐阜県加茂郡白川町河岐(かわまた)の国道41号線で観光バス2台が集中豪雨による土砂崩れに巻き込まれた飛騨川(ひだがわ)バス転落事故(1968年〔昭和43年〕8月18日。死者・行方不明者104人)が発生した。日本道路交通情報センター(JARTIC〔ジャティック〕。東京都千代田区飯田橋一丁目)の創設や異常気象時通行規制(注4)制度の設定の契機になったこの惨事はもし気象情報や道路情報がラジオ放送によって運転者に伝わっていたら防げたのではないかという教訓を残すことにもなった(注5)
 夜を徹して走り、物流を支える人々に楽しみや交通情報、気象情報を提供することができたら良いのではないか。そういうところから生まれたのが「走れ! 歌謡曲」だったのではないのだろうか。民間放送局の番組はスポンサーがないといくら人気を博しそうな内容があっても制作・放送できないものであるが、文化放送が企画したこの番組のスポンサーとして手を挙げたのが商用車を主力商品としている自動車製造会社・日野自動車(日野市日野台三丁目)であった。そして1968年(昭和43年)11月19日午前3時、「日野ダイナミックスコープ 走れ! 歌謡曲」という題名(注6)で始まった「走れ! 歌謡曲」は半世紀以上に及ぶ歴史の第一歩を記したのである。
 番組開始当初の「走れ! 歌謡曲」の特色を挙げると次の通りになる。
・聴取者層を考えて演歌を中心にかける音楽番組としたこと。
・喋り手は文化放送の女性アナウンサー(注7)や女性のフリーアナウンサーを起用したこと(注8)
 このことからも「走れ! 歌謡曲」は夜を徹して走る運送業者の目線に立った番組と言えるわけであるが、「パックインミュージック」とも「オールナイトニッポン」とも違う、新機軸の番組はやがて広く知られるようになった。ちょうどその頃東京と名古屋を結ぶ東名高速道路が全線開通し、東京〜名古屋〜大阪間が高速道路で結ばれたこともあり、大阪放送や飛騨川バス転落事故が起きた岐阜県を放送区域に含めている東海ラジオ放送でもネットされるようになった。東京〜名古屋〜大阪間にある都府県で文化放送・東海ラジオ放送・大阪放送の放送区域に含められていないのは静岡県だけだった(注9・注10)が、1971年(昭和46年)には文化放送・東海ラジオ放送・大阪放送のそれぞれの本局の出力が増強されたこと(注11)により東京〜名古屋〜大阪間の高速道路(首都高速道路→東名高速道路→名神高速道路→阪神高速道路)のほぼ全線で「走れ! 歌謡曲」が楽しめるようになったのである。

中国放送ラジオが終夜放送を開始するまで

 さて、「走れ! 歌謡曲」が文化放送で始まった頃、中国放送ラジオを含めた中国地方にある民間中波放送局各社はどこも毎日深夜・早朝に放送休止を入れていた。前記の通り「走れ! 歌謡曲」が始まった頃終夜放送を行っていたラジオ局は大都市にある民間中波放送局ぐらいのものだったし、地方では終夜放送などとんでもない!! という雰囲気が強かったからである。
 しかし、地方では国内外の放送局との混信に苛(さいな)まれながら大都市にある民間中波放送局の深夜番組を聴こうとする方々も少なくなかった。そういう方々の中には地元の放送局が大都市にある民間中波放送局で流れている深夜番組をネットしてくれたらもっと聴きやすくなるだろうと思い、地元の放送局にネット開始を要望する方もいたことであろう。しかし、大半の放送局は青少年に悪影響を及ぼすとか費用対効果がないとか経営が苦しくなるとか深夜番組よりも受信環境改善や技術更新が先であるといった理由からその声を聞き入れなかった(無論要望した方に対してはその旨は説明はしなかったことであろうが…)。
 そんな中で終夜放送を始めても良いのではないかと検討し始めていたのが中国放送ラジオであった。中国放送ラジオは開局したその日、すなわち1952年(昭和27年)10月1日に第25回衆議院議員総選挙(1952年〔昭和27年〕10月1日(注12))の開票速報を伝えるために早くも終夜放送を実施しており(注13)、終夜放送は経験済みであった。ただ、だからと言ってすぐに手を付けられるわけではなかった。次に挙げる問題点があったからである。
・それまでの終夜放送は臨時のものであり、定期ではないこと。
・終夜放送を臨時で行った時から時間が経っており、どのようにするか手探りの状態になったこと。
・臨時に終夜放送を行った時は本局(注14)しか中継局がなかったが、その後福山市・三原市・三次(みよし)市に中継局を設置しており(注15)、4箇所に増えたこと。
・深夜・早朝に何かあった場合に備えて人員を確保する必要があったこと。
・青少年に悪影響を及ぼすとして反対する声が少なくなかったこと。
・需要や費用対効果があるかどうかが分からなかったこと。
・全国ネットの番組ならスポンサーは付くが、地元企業が広告を出してくれるかどうか分からなかったこと。
・中国放送は1959年(昭和34年)にテレビ・ラジオ兼営局に転向したが、テレビ放送の受信環境改善やカラー放送移行など課題が山積していたこと。
 恐らく中国放送としてはラジオの終夜放送に関しては慎重に臨むことにしたのではないかと思うのだが、終夜放送開始に向けて追い風になる状況もいくつか生まれていた。それを挙げると次の通りになる。
・高度経済成長期に当たり、工業が盛んなところが多かった広島県の人口が増加傾向にあったこと。
・中国地方の中心都市である広島市や日本鋼管(現:JFEスチール〔東京都千代田区内幸町二丁目〕)の大規模な製鉄所の進出を契機に急激に発展した福山市を中心に他地域から広島県に移住する方が多くなっていたこと。
・現在でも中国放送ラジオや広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)で番組を持っている柏村(かしむら)武昭(後にフリーに転身し、広島県外の都道府県域民間テレビ放送局が制作していた全国ネットの番組の司会を務めていたこともあった)など若いアナウンサーが多数活躍するようになっていたこと。
・若年層を中心に大都市の民間中波放送局で放送されている深夜番組のネットを求める声が高まったこと。
 こうして中国放送はラジオの終夜放送を始めることを決断したのだが、問題はどの番組を放送するかである。中国放送ラジオはJRN(TBSラジオを総本山とする系列)とNRN(ニッポン放送と文化放送を総本山とする系列)の二つの系列に属しているのだが、このことを踏まえると次に挙げる4通りの選択肢が考えられた。
・自社制作番組を設定する。
・TBSラジオ制作の「パックインミュージック」を全部分ネットする。
・ニッポン放送制作の「オールナイトニッポン」を全部分ネットする。
・文化放送制作の「セイ! ヤング」(1969〜1981年〔昭和44〜56年〕放送)と「走れ! 歌謡曲」をネットする。
 まず、自社制作番組の設定はスポンサーが付かないことや人員の確保に問題があることなどからボツになった。文化放送の「セイ! ヤング」は文化放送以外では放送されていなかったことや「走れ! 歌謡曲」は前記の通り東京・名古屋・大阪でしか放送されていなかったから馴染(なじ)まないのではないかと考えたことからこれもボツになった。残ったのは「パックインミュージック」と「オールナイトニッポン」であったが、中国放送は「オールナイトニッポン」のネットを選択することにした。理由は「オールナイトニッポン」はネット局を着実に増やしていたのに対して「パックインミュージック」はTBSラジオでしか放送されていなかったことであった(注16)。つまり、「オールナイトニッポン」をネットしたほうが聴取率の向上が見込めるという判断をとったのである。
 そして1970年(昭和45年)10月5日、中国放送ラジオは火曜日〜日曜日の午前1時〜午前5時(注17)に「オールナイトニッポン」を設定することにより中国地方にあるラジオ局としては初めて終夜放送に移行した。終夜放送移行に当たってはそのことを知らせるポスターと思われるもの(注18)を作っており、中国放送の終夜放送に対する意気込みが感じられる。

「走れ! 歌謡曲」ネット開始の背景

 中国放送ラジオが「オールナイトニッポン」のネットを開始した頃の「オールナイトニッポン」の喋り手と言えば今年生誕100周年を迎えたニッポン放送の糸居五郎アナウンサー(1921〜1984)や、後にニッポン放送の社長を務めた亀渕昭信(注19)などがいた。現在の「オールナイトニッポン」と言えば有名な歌手や芸人、アイドル歌手(注20)などが喋り手に名を連ねているが、当時はニッポン放送の職員(アナウンサーであるか否〔いな〕かは問わない)しかいなかった。そういう状況を今日「オールナイトニッポン」をよく聴いている方はどのように思うかは分からないのだが、そういう状況でも人気を博し、ネット局を増やしていったことを考えると当時の若者に広く支持されたことがうかがえる。
 終夜放送開始から1年少々が経った1971年(昭和46年)12月15日に中国放送は当時廿日市(はつかいち)市住吉二丁目にあったラジオ局の本局の出力を20kWに増強したのだが、これにより瀬戸内海沿岸だけでなく中国地方の広い範囲(注21)でも夜間が中心になるが中国放送ラジオが受信できるようになった。当時中国地方にある民間中波放送局、すなわち山陰放送ラジオ(BSS、米子〔よなご〕市西福原一丁目)・RSK山陽放送ラジオ(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)・山口放送ラジオ(KRY、周南市徳山)はいずれも終夜放送は行っていなかった(注22)し、記すまでもなく「オールナイトニッポン」はネットしていなかったため(注23)中国放送ラジオを遠距離受信して「オールナイトニッポン」を聴こうとした方もある程度いたのではないかと思われる(注24)
 こうして若年者層を中心に人気を博した「オールナイトニッポン」であったが、時間が経ってくると問題点がいくつも浮上してくることになった。それを挙げると次の通りになる。
・子供が夜更かしして寝坊したりそれで学校に遅刻したり健康を害したりして好ましくないという声が寄せられたこと。
・高校や大学の受験を目指す子供がよく聴いているが、いわゆるながら聴取で志望校に合格できるほどの学力が身に付くのかどうか疑問だという声が寄せられたこと。
・夜間に広島県内を通過する時中国放送ラジオを聴いているのだが、若年者向け番組しか流れていないので面白くないという声が運送業者から寄せられたこと。
・早起きしてラジオをつけたが、若年者向け番組が流れているので面白くないという声が寄せられたこと。
・聴取率は時間が遅くなるにつれて低下傾向になっていることが明らかになったこと。
・「オールナイトニッポン」のネットを開始した時広島県内には高速道路は全く存在しなかったが、広島県北部を東西に貫く中国縦貫自動車道(以後中国自動車道と表記するものとする)の建設が進んでおり、広島県が高速交通網に組み込まれる時代が近付きつつあったこと。
 次々と浮上する問題点を受けて中国放送は深夜・早朝のラジオ番組の編成を見直すことに決めた。さすがに「オールナイトニッポン」のうちの第一部(火曜日〜日曜日の午前1時〜午前3時)は人気が高いために打ち切るわけには行かなかったので見直すべきだと考えたのは「オールナイトニッポン」のうちの第二部(火曜日〜日曜日の午前3時〜午前5時)とした。「オールナイトニッポン」第二部を打ち切ってその跡地に何を入れるかという話になったわけであるが、候補としては次に挙げるものがあった。
・放送休止とする。
・自社制作番組を設定する。
・「パックインミュージック」のうちの第二部(火曜日〜土曜日の午前3時〜午前5時(注25))を打ち切って1974年(昭和49年)9月3日に始まった運送業者向け番組「いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」(1974〜2001年〔昭和49年〜平成13年〕放送。以後「歌うヘッドライト」と表記するものとする)をネットする。
・「走れ! 歌謡曲」をネットする。
 まず放送休止を入れると中国地方にある民間中波放送局はどこも終夜放送を行っていなかったため中国地方は終夜放送空白地帯になってしまうことや終夜放送を行わないのは放送局として遅れていると見なす風潮が当時は強かったことなどからボツとなった。次に自社制作番組を設定するというのはスポンサーが付かないことや人員の確保に問題があることなどからボツになった。残った選択肢は「歌うヘッドライト」と「走れ! 歌謡曲」となったのだが、中国放送の選択は意外なものになった。当時東京・名古屋・大阪でしか放送されていなかった「走れ! 歌謡曲」をネットすることを決めたのである。
 なぜ中国放送ラジオは多数派の「歌うヘッドライト」ではなく少数派の「走れ! 歌謡曲」をネットすることにしたのか。考えられる理由は次の通りである。
・「歌うヘッドライト」は火曜日〜土曜日の放送だったのに対して「走れ! 歌謡曲」は火曜日〜日曜日の放送だったこと。「歌うヘッドライト」をネットすると「歌うヘッドライト」が放送されない日曜日午前3時〜午前5時についてどういう番組を入れるかという問題が生じるが、入れるのに適当な番組が見つからなかったのだろう。また、現在の山陰放送ラジオや平成時代初頭の広島エフエム放送のように放送休止を入れることも考えられたが、山陰放送ラジオや広島エフエム放送の日曜日早朝の放送休止は代替し得るもの(注26)があったからあえて設定したという側面もあり、中国放送ラジオ以外に終夜放送をやっているところがない当時放送休止は設定できなかったものと思われる。
・「歌うヘッドライト」のスポンサーはいすゞ自動車(東京都品川区南大井六丁目)であったが、当時のいすゞ自動車は商用車と自家用車を製造する会社であり、広島県が発祥地であり、同じく商用車や自家用車を製造しているマツダ(広島県安芸〔あき〕郡府中町新地)にとってみれば商売敵になっていたこと。マツダとしては製造しているものが重なるいすゞ自動車がスポンサーを務める番組を流すのは好ましくないと思っていただろうし、中国放送としても広島県の経済を支えている企業の一つであるマツダを苦しめるようなことはしたくないという思いがあったのだろう。
・中国放送ラジオはJRN・NRN両系列に属しているがJRN系列の総本山であるTBSラジオとの関係が良好とは言えない状況があったこと。若年者向け番組を見てもニッポン放送または文化放送が制作した番組を流すことが多く、TBSラジオ制作の番組はあまり流していない感じがある。
・「歌うヘッドライト」は歌謡曲を全般にかけていたのに対し「走れ! 歌謡曲」は演歌を中心にかけていたこと。当時はまだ演歌でも広く知られている曲が多かったが、歌謡曲の範囲を絞った番組をネットすることによって「午前3時〜午前5時は運送業者のための時間です。明日も学校に行かなければならない子供達はいい加減に寝ましょう」という思いを込めたことが考えられる(注27)
 「走れ! 歌謡曲」をネットすることを表明した時、「東京・名古屋・大阪でしか放送されていない番組を広島で放送して勝算があるのか」とか「一社提供番組はスポンサーの意向でネット局の生殺与奪が行われる(注28)のであまりにも危険だ」という声が上がったが、「オールナイトニッポン」第二部も「歌うヘッドライト」もネットはできない、自社制作番組は設定できない、放送休止は入れられないとなると最早背に腹は代えられない状況になっていた。
 結局「オールナイトニッポン」第二部は1976年(昭和51年)12月5日放送分を最後に中国放送ラジオでは打ち切られ、代わって1976年(昭和51年)12月7日からは「走れ! 歌謡曲」がその跡地に入ることになった。なぜ「オールナイトニッポン」第二部の打ち切りと「走れ! 歌謡曲」のネット開始が番組改編期ではない12月上旬なのかは分からないがいろいろあったのだろう(注29)

中国自動車道の開通と中波放送周波数間隔変更

 私は前に「『オールナイトニッポン』のネットを開始した時広島県内には高速道路は全く存在しなかったが、広島県北部を東西に貫く中国自動車道の建設が進んでおり、広島県が高速交通網に組み込まれる時代が近付きつつあった」と書いたが、遂に広島県にも高速道路が通じる時が訪れた。1978年(昭和53年)10月28日に中国自動車道北房インターチェンジ(真庭市五名)〜三次インターチェンジ(三次市西酒屋町)間100.2kmが開通したのである。山間部を通る高速道路だけに屈曲や急勾配が多いことや暫定上下2車線で整備した箇所があること、冬は積雪が多く、タイヤ規制がかかることが多いことといった問題があったが、広島市から見れば中国自動車道は広島市と三次市を結ぶ幹線道路・国道54号線(注30)と併せて広島方面と東京・名古屋・大阪方面を往来するのに有用な道路になった(注31)
 その約1ヶ月後の1978年(昭和53年)11月23日には中波放送において大きな変更が行われた。それまでの日本の中波放送の周波数間隔は10kHzとなっていたのだが、需要が増えて逼迫(ひっぱく)したために9kHz間隔に改められたのである。中国放送ラジオの場合、9と10の公倍数となる周波数を用いている本局(1350kHz)と三原中波中継局(三原市明神三丁目。周波数:720kHz)については変更はなかったのだが、9と10の公倍数ではない周波数を用いている福山中波中継局(福山市北美台。周波数:1060kHz)は1062kHzに、三次中波中継局(三次市南畑敷町。周波数:1500kHz)は1485kHzにそれぞれ変更された。
 中国自動車道の広島県内区間の開通と中波放送の周波数間隔変更。当時は誰も気付かなかったのだが、実はこの二つの出来事が1980年代以降の中国放送ラジオにおけるある大きな動きの始まりとなったのである。

ようやく動き出した中波中継局設置

 日本の中波放送の周波数間隔が10kHzから9kHzに変更された時の中国放送ラジオの中波中継局は本局・福山・三原・三次の4箇所しかなかった。中国放送ラジオより放送区域の狭いRSK山陽放送ラジオの中波中継局はその当時本局・笠岡・津山・新見・備前の5箇所だったから明らかに少なかったのだが、なぜ中継局設置が進められなかったのか。考えられる理由を挙げると次の通りになる。
・本局の出力が20kWと強かったこと。
・広島県は平地が少ない、山間部が多い、島嶼(とうしょ)部が多い、分水嶺が県の中央部にあるなど地形が複雑であること。
・広島県は瀬戸内海に面している関係上他の府県にある中波放送局が受信しやすく、周波数の設定に苦慮したこと(注32)
・本局及び福山・三原・三次各中継局とは地形的に隔絶された人口集積地が各地にあり、受信環境改善を求める声が多数寄せられていたが、経営環境を考えればそれに応じるのが難しかったこと。
・中波中継局設置を検討していたところはいくつかあったが、周波数需要が逼迫している状況では積極的に進められなかったこと。
 真相は分からないのだが、周波数需要の逼迫と、広島県の地形の複雑さに理由があるのではないのだろうか。
 そんな中で日本の中波放送の周波数間隔が10kHzから9kHzに変更されたわけであるが、これにより使用できる周波数の個数が107個(540〜1600kHz)から120個(531〜1602kHz)に拡大した。そこでようやく中国放送は長年行わないでいた中波中継局の設置による受信環境改善に乗り出したのである。
 中国放送に対して中波放送の中継局設置を求めていた地域はいくつもあったが、その全てを受け入れるほど経営環境が良かったわけではないし、費用対効果も考えなければならない。そこで検討を重ねて中継局を設置しても良いと判断したところを3箇所選んだ。その3箇所は次の通りである。
・庄原市中心部。三次市中心部とは20kmも離れていないが中心部はともかく郊外は三次中波中継局の電波が届きにくい地域が少なくない。
・庄原市東城地区。中心部は中国自動車道と国道182号線、国道314号線、広島県道25号三原・東城線が集まる交通の要衝であるが、福山・三次両中波中継局からはかなり離れている上に山で隔てられており、中国放送ラジオが受信しにくい。
・府中市中心部。府中市はダイカスト製造会社のリョービ(府中市目崎町)の発祥地として知られる内陸工業都市(注33)だが、福山・三原両中波中継局はいずれも山の向こうになるため中国放送ラジオが受信しにくい。
 そして中継局の設置に取りかかっていったのだが、まず開局に漕ぎ着けたのは府中中波中継局(府中市土生〔はぶ〕町。周波数:1530kHz)であった。府中市中心部の南方の高台に設置された府中中波中継局は1980年(昭和55年)9月26日に開局したのだが、実はある二つの特徴を持っている。それは次の通りである。
・府中市内に設置された初めての府中中継局であること。テレビ放送とエフエム放送の府中中継局はいずれも福山市新市地区中心部の南方に聳(そび)える城山(標高:190.7m)にあり、府中市にはなかった(注34)
・NHKラジオ第一との共同中継局であること。NHK広島拠点放送局(広島市中区大手町二丁目)は広島県南東部に2箇所中波中継局(尾道・福山(注35))を設置していたが、尾道中波中継局(尾道市向島町)も福山中波中継局(福山市久松台三丁目)も府中市中心部から見れば山の向こうにあり、府中市中心部ではNHKラジオ第一が受信しにくくなっていたこと。
 内陸工業都市なのにラジオ放送は十分受信できず、中心部を通る幹線道路は主要地方道しかない(注36)など恵まれていない面が多かった府中市であったが、中国放送ラジオだけでなくNHKラジオ第一についても受信環境改善が実現したことは大きな喜びを持って迎えられたのではないのだろうか。
 次に開局したのは庄原中波中継局(庄原市西本町二丁目。周波数:720kHz)であった。庄原市及びその周辺地域の受信環境改善を目的として府中中波中継局開局からまだ1年も経っていない1981年(昭和56年)7月18日に開局したのだが、周波数は三原中波中継局と同じ720kHzに設定された。中国放送ラジオ史上初めて同じ周波数を複数の中継局が使用することになったのだが、三原市と庄原市は直線距離で50kmほど離れていることやその間にはいくつも山があることから不都合は起きなかったものと思われる(注37)
 そして庄原中波中継局開局から8ヶ月ほど経った1982年(昭和57年)3月27日には中国自動車道東城インターチェンジ(庄原市東城町川東)のすぐ南西の成羽(なりわ)川のそばに東城中波中継局(庄原市東城町川西。周波数:1458kHz)が開局した。これにより中国放送ラジオの受信環境改善は一旦終結を見ることになった。
 それにしてもわずか1年半で三つも中波中継局を開局させるということはよほど中国放送にしてみれば受信環境改善は喫緊の課題だったことがうかがえるのだが、確かに平日朝の情報番組「おはようラジオ」(1973年〔昭和48年〕放送開始。現在も放送中)や平日午後のワイド番組「なんでもジョッキー」(1975〜2003年〔昭和50年〜平成15年〕放送)、日曜日夕方の若年者向け番組「柏村武昭のサテライトNo.1」(1972〜1988年〔昭和47〜63年〕放送)、広島東洋カープ公式戦中継(1952年〔昭和27年〕放送開始(注38)。現在も放送中)といった人気番組を抱えているが故の課題だったとも言える。それに加えて中国放送を受信環境改善に駆り立てたのは広島県でも都道府県域民間エフエム放送局の開局が近付きつつあったことが考えられる。中国放送ラジオ東城中波中継局が開局する1ヶ月前の1982年(昭和57年)2月27日には広島県を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局を運営する会社として広島エフエム放送が設立されている(注39)のだが、中国放送の協力を得て開局させることになっていた(注40)ものの、ほとんどの時間でステレオ放送を実施し、中継局を多く設置するためにきれいな音声で受信でき、若年者を対象とした番組が多く設定されているエフエム放送は中国放送ラジオにとって脅威になる可能性があった。その前に手を打っておけば優位に立てるのではないかという思惑があったことは想像に難(かた)くない。
 こうして中国放送ラジオは中波中継局7局体制で開局30周年の記念すべき日(1982年〔昭和57年〕10月1日)と、広島エフエム放送の開局(1982年〔昭和57年〕12月5日)を迎えることになったのである。

中国自動車道の全線開通と備北地区の周波数統一

 東城中波中継局が開局した時点、すなわち1982年(昭和57年)3月27日時点の中国放送ラジオの中継局の状況は下表の通りである。

中継局名 所在地 周波数
(kHz)
備考
本局 廿日市市住吉二丁目 1350
庄原 庄原市西本町二丁目 720
東城 庄原市東城町川西 1458
福山 福山市北美台 1062
府中 府中市土生町 1530
三原 三原市明神三丁目 720
三次 三次市南畑敷町 1485

 前記の通り庄原・三原両中波中継局が同じ周波数を使っている以外はバラバラの周波数を使っていたことがうかがえる。
 そんな中、RSK山陽放送ラジオが1980年(昭和55年)7月7日に民間中波放送局としては初めて全ての中波中継局(注41)の周波数を1494kHzに統一するという出来事が起きた。RSK山陽放送ラジオが受信できる地域であれば一切周波数を変えることなくずっとRSK山陽放送ラジオを聴き続けられるということは非常に便利なことであり、中国放送にも中波放送の周波数統一を求める声が寄せられたことは想像に難くない。
 しかし、中国放送にはRSK山陽放送ラジオのような周波数統一ができない事情があった。それを挙げると次の通りになる。
・RSK山陽放送ラジオが中波放送の周波数を統一した時の本局(岡山市北区撫川〔なつかわ〕)の出力は5kW(注42)だが、中国放送ラジオの本局の出力は20kWであり、もし中国放送ラジオの中波放送の周波数を1350kHzに統一すると広島県内でかえって受信しづらくなる地域が生じる恐れがあったこと(注43)
・前記の受信しづらい地域の発生を抑制する目的で本局に指向性をかけた場合、中国放送ラジオの遠距離受信が難しくなる地域が出る恐れがあること。
・遠距離受信で中国放送ラジオを聴こうとする方の中には広島東洋カープのファンという方も少なくなく、広島東洋カープが1979〜1980年(昭和54〜55年)に日本選手権シリーズ(日本シリーズ)連覇を果たしたこと(注44)や全国的に知られた選手が多くいたことなどでそういう方の存在を無視できなくなっていたこと。
・中国放送ラジオは福山支社(注45)(福山市北美台)が制作し、福山・府中・三原各中波中継局だけで流す番組を設定していたため、全ての中波中継局の周波数の統一は不可能だったこと。
・もし中波中継局の周波数統一を実施すると広島市及びその周辺の情報ばかりが流される格好になるため特に人口が多い広島県南東部で反発が出る恐れがあったこと。
 全ての中波中継局の周波数統一が不可能であるなら広島・備北地区(本局及び庄原・東城・三次各中波中継局)、備南地区(福山・府中・三原各中波中継局)に分割して周波数統一を行うことを検討したが、これもボツになった。確かに広島地区と備北地区の結び付きは強く(注46)、本局及び庄原・東城・三次各中波中継局の周波数を統一すれば広島市と備北地区の往来の際に周波数を変えなくて便利にはなるのだがやはり本局の出力が強いことや本局に指向性がかけられないことが問題になった。
 こうして中国放送は広島地区(本局)・備南地区(福山・府中・三原各中波中継局)・備北地区(庄原・東城・三次各中波中継局)にラジオの放送区域を分け、それぞれで周波数を統一する方針を採ることに決めたのである。ただ、その実行はあることを待ってからとなった。

 さて、東城中波中継局の開局から1年近く経った1983年(昭和58年)3月24日、中国自動車道千代田インターチェンジ(広島県山県〔やまがた〕郡北広島町丁保余原〔よおろほよばら〕)〜広島北ジャンクション(広島市安佐北〔あさきた〕区安佐町飯室〔いむろ〕)〜鹿野(かの)インターチェンジ(周南市鹿野上)間101.7km(注47)と、広島自動車道広島北インターチェンジ(広島市安佐北区安佐町飯室)〜広島北ジャンクション間2.8kmが開通した。これにより中国自動車道は全線開通し、広島県は高速交通網に組み込まれることになった。中国自動車道は前にも記したように山間部を通る高速道路だけに屈曲や急勾配が多いことや暫定上下2車線で整備した箇所があること、冬は積雪が多く、タイヤ規制がかかることが多いことといった問題があったが、東京・名古屋・大阪方面と九州方面を往来する車が多数行き交うようになった。
 広島県北部が高速交通網に組み込まれたということは東京・名古屋・大阪方面と九州方面を往来する車が中国放送ラジオを聴こうと思ったとしたら百数十km程度の間で5回もカーラジオの周波数を変えなければならないという問題が浮上することでもあった。何度も記すように中国自動車道は山間部を通る高速道路だけに屈曲や急勾配が多く、通行は気が抜けないことの連続であるわけであるが、中国自動車道で広島県内を通過するのに1494kHz(RSK山陽放送ラジオ新見中波中継局〔新見市新見〕)→1458kHz(中国放送ラジオ東城中波中継局)→720kHz(中国放送ラジオ庄原中波中継局)→1485kHz(中国放送ラジオ三次中波中継局)→1350kHz(中国放送ラジオ本局)→918kHz(山口放送ラジオ岩国中波中継局〔岩国市尾津町一丁目〕)と5回も周波数を変えるというのは面倒この上ないことであるし、事故の危険性も高まることである(休憩所に入って車を止めて合わせ直せば良いのだが…)。そこで中国放送は中波放送の周波数統一第一弾として庄原・東城・三次各中波中継局の周波数統一を行うことを決めたのである。
 庄原・東城・三次各中波中継局の周波数統一が実施されたのは中国自動車道が全線開通してから1年8ヶ月ほど経った1984年(昭和59年)12月10日のことであった。庄原・三次両中波中継局の周波数を東城中波中継局が使用している1458kHzに変更したのである。三次中波中継局の周波数が1485kHzに変更されてから6年ほどで、庄原中波中継局が開局してから3年半ほどでそれぞれ周波数が変わることに対して早すぎるのではないかとか初めから1458kHzに設定しておけば良かったのではないかといった声もあったのではないかと思うのだが、中国放送としては次のような考えを持っていたのではないかと思われる。
・中国自動車道の全線開通からそんなに時間が経っていない時期に行わないと中国自動車道を通る方に対して不便を強い続けることになる。
・山陽自動車道の建設が始まっており、ほとんどの区間が開通することになる1990年代中期には山陽自動車道が中国地方の大動脈として君臨するようになる一方で中国自動車道は中国地方の大動脈の座を降りることになるので今やらないと周波数統一の好機を逃すことになる。
・中国放送としては中波放送の周波数を統一することは初めての経験であり、慎重に臨まざるを得なかった。
・三次中波中継局の周波数で統一することはRSK山陽放送ラジオの周波数(1494kHz)と近接しているためにできなかったし、庄原中波中継局の周波数で統一することは三原中波中継局との兼ね合いを考えるとできなかった。
 中国放送ラジオの庄原・東城・三次各中波中継局の周波数統一については当時中国新聞朝刊で報じられたように覚えているのだが、恐らく中国放送としても「(1984年〔昭和59年〕)12月10日の放送開始から庄原・三次両中波中継局の周波数は1458kHzに変更されます。従来の720kHz(庄原中波中継局)または1485kHz(三次中波中継局)では中国放送ラジオの番組は聴けなくなりますので注意して下さい」というような注意喚起を流していたのではないかと思われる。そのようにしてもなお周波数が変わったことを知らずに中国放送ラジオを聴こうと思ったところ全く受信できなかったのでどうしたのかと思った方はいくらか出たのではないかと思うのだが、中国放送ラジオ史上初めての経験はどのように広島県北部に住む方々に映ったのだろうか。
 ともあれ、庄原・東城・三次各中波中継局の周波数統一により広島県北部、すなわち安芸高田(あきたかた)市・庄原市・三次市を移動する時は1458kHzに合わせたまま中国放送ラジオの番組を楽しめるようになり、利便性が向上したことは確かなことである。

山陽自動車道の概成と備南地区の周波数統一

 中国放送ラジオ庄原・東城・三次各中波中継局の周波数統一から3ヶ月ほど経った1985年(昭和60年)3月20日―その日は広島市が日本で最も人口の多い自治体としての町村として知られた(注48)佐伯(さえき)郡五日市(いつかいち)町(1911〜1985)を紆余曲折(うよきょくせつ)の末編入した日でもあったのだが―、山陽自動車道広島ジャンクション(広島市安佐南〔あさみなみ〕区伴東〔ともひがし〕町)〜五日市インターチェンジ(広島市佐伯区五日市町石内)間3.0kmと、広島自動車道広島ジャンクション〜広島北インターチェンジ間14.4kmが開通した。実はこれが広島県内における山陽自動車道の初開通であった。山陽自動車道はその約3年前の1982年(昭和57年)3月30日に龍野西インターチェンジ/サービスエリア(注49)(たつの市揖西〔いっさい〕町土師〔はぜ〕)〜備前インターチェンジ(備前市八木山)間25.1kmが開通しており、広島ジャンクション〜五日市インターチェンジ間は2箇所目の開通区間となった(注50)。山陽自動車道沿線には人口が多い都市がいくつもあり、費用対効果は十分見込めるのだが、建設・開通が中国自動車道よりもかなり遅れたのは中国自動車道よりも後に企図されたことや人口の多いところを通ることから沿線住民の強硬な反対に遭うことが多かったこと、代替し得る道路があるとか地形が厳しいといった理由で経路がなかなか決まらなかったところがあったこと(注51)などが挙げられる。
 山陽自動車道は部分開通を重ねてだんだん広域幹線道路に成長していったところが中国自動車道と大きく異なる(注52)のだが、曲がりなりにも(注53)中国地方の幹線道路として有用になったのは備前インターチェンジ〜岡山インターチェンジ(岡山市北区富原)間38.0kmが開通し、山陽姫路東インターチェンジ(姫路市飾東〔しきとう〕町豊国)〜山口ジャンクション(山口市黒川)間が一本の道に繋がった1993年(平成5年)暮れのことであった。概成状態といったところである(注54)が、そこで中国放送は中波放送の周波数統一第二弾を企図することにした。対象となる中波中継局は備南地区にある福山・府中・三原各中波中継局であった。
 福山・府中・三原各中波中継局の周波数統一は備北地区と同じような同時統一は見送った。というのも、中国放送ラジオは1992年(平成4年)10月1日に本局に限って導入した中波ステレオ放送を福山・府中・三原各中波中継局についても導入することにしたからである。そのため周波数統一は二段階に分け、周波数統一後も微調整のため深夜・早朝に周波数統一を実施した中波中継局だけ放送を休止する方法をとることになった。
 まず周波数統一を行ったのは福山・府中両中波中継局である。1994年(平成6年)11月14日に福山中波中継局の周波数を1062kHzから1530kHzに変更し、府中中波中継局の周波数と統一したのである。福山・府中両中波中継局の周波数が統一される前は福山市中心部から数kmしか進んでいないところで早くも周波数を変えざるを得ない状況が生じており、非常に不便だったのだが、これにより福山市中心部と府中市中心部を往来する際に周波数を変えないで中国放送ラジオの番組を楽しめるようになった。
 次に周波数統一を行ったのは福山・府中両中波中継局と三原中波中継局である。福山中波中継局の周波数変更から3ヶ月ほど経った1995年(平成7年)2月13日に三原中波中継局の周波数を720kHzから1530kHzに変更し、福山・府中両中波中継局の周波数と統一したのである。これにより備南地区の周波数統一は完成を見たのである。
 今にして思えばこの頃が福山支社の最盛期と言って良い頃であった。福山支社で1991年(平成3年)秋の番組改編から平日午前中に広島・備北地区とは別編成のワイド番組を設定するようになったのだが、備南地区の周波数統一完成後の1995年(平成7年)春の番組改編からは更に土曜日午後にも広島・備北地区とは別編成のワイド番組を設定することになった。これらの地元番組を備南地区を移動する際に周波数を変えずに楽しめることは福山支社にとっては大きなプラスになったことは記すまでもないことであろう。
 なお、(全てではないのだが)その頃中国放送福山支社制作のラジオ番組に関わっていたのが下関市立大学学園祭情報局〜中国地方最古参の市立四年制大学の学園祭のきのう・きょう・あす〜」というサイトを運営している私の友人の中島孝祐(なかしま・こうすけ)さんの大学時代の一級上の先輩(男性。残念ながらある事情により十数年前に中国放送を退職しており、消息は現在も不明である)だったことは本企画でこれまで何度も触れてきたことである。

中波放送周波数統一の完成

 三原中波中継局の周波数変更が実施された1995年(平成7年)2月13日時点の中国放送ラジオの中継局の状況は下表の通りである。

中継局名 所在地 周波数
(kHz)
備考
本局 廿日市市住吉二丁目 1350 中波ステレオ放送導入局。
庄原 庄原市西本町二丁目 1458
東城 庄原市東城町川西 1458
福山 福山市北美台 1530 中波ステレオ放送導入局。
府中 府中市土生町 1530 中波ステレオ放送導入局。
三原 三原市明神三丁目 1530 中波ステレオ放送導入局。
三次 三次市南畑敷町 1458

 東城中波中継局開局時点では使用していた周波数が6個あったが、広島・備南・備北各地域ごとに統一され、3個に集約されていることがうかがえる。
 ところで、今まで記してきた周波数統一の状況を見てあることに気付いたのではないのだろうか。それは備北地区にある庄原・三次両中波中継局も、備南地区にある福山・三原両中波中継局も周波数統一の際はそれぞれの地区の最後発の中波中継局の周波数に合わせているということ(備北地区…東城中波中継局/備南地区…府中中波中継局)である。つまり、庄原・三次両中波中継局については東城中波中継局の周波数に、福山・三原両中波中継局については府中中波中継局の周波数にそれぞれ合わせたというわけであるが、なぜこのような形をとったのか。今までこの点について深く突いてこなかったのだが、今回初めて中国放送はなぜそのような形の周波数統一を行ったのかを考えてみたいと思う。
 事情を知らない方は次のようなことを考えるかもしれない。
「統一するのであれば周波数はどれでも良かったのではないか。備北地区なら720kHzか1485kHz、備南地区なら720kHzか1062kHzでも良かったのではないか」
 まあ周波数の設定はどのように進められるのか、専門家ではないので分からないのだが、実は備北地区が720kHzか1485kHzで、備南地区が720kHzか1062kHzでそれぞれ周波数統一を行えない事情があった。それをここからは記していきたいと思う。
 まず、中国放送としてはRSK山陽放送ラジオとの関係を考えたのではないかということである。私は前にRSK山陽放送ラジオの周波数が1494kHzに統一されたことを書いたのだが、備北地区の周波数の1458kHz、備南地区の周波数の1530kHzはともに1494kHzに近く(どちらも36kHz差となる)、周波数を合わせるのにそれほど手間がかからなくなるのである。つまり、少ない手間で岡山県から広島県に入った場合はRSK山陽放送ラジオから中国放送ラジオに、反対に広島県から岡山県に入った場合は中国放送ラジオからRSK山陽放送ラジオにそれぞれ合わせ直せるようにしたことが考えられる。まあRSK山陽放送ラジオは広島県でも、中国放送ラジオは岡山県でも受信できる地域がともに少なくないのでどこで合わせ直すかは人それぞれなのだが、それでも少ない手間で周波数を合わせ直せることは好ましいことと言えるのではないのだろうか。
 次に、備北地区が720kHzか1485kHzで、備南地区が720kHzか1062kHzでそれぞれ周波数統一を行った場合、不都合が生じることである。どういう不都合が生じるのかを記すと下表の通りになる。

地区名 周波数
(kHz)
その周波数を使用した時に起きる可能性のある不都合
備北 720 ・史実通り1984年(昭和59年)12月10日に周波数統一を行った場合世羅郡などで三原中波中継局との混信が起きる。
・RSK山陽放送ラジオの周波数とは遠く離れているため合わせ直しづらくなる。
1485 ・RSK山陽放送ラジオの周波数と近接しているため岡山・広島県境周辺で混信が起きる。
・史実通り1993年(平成5年)に山陰放送ラジオ大田中波中継局(大田市大田町大田)が1485kHzを使用して開局した場合同じ周波数になるため島根・広島県境周辺で混信が起きる
備南 720 ・もし備南地区の周波数統一が先だった場合世羅郡などで庄原中波中継局との混信が起きる。
・RSK山陽放送ラジオの周波数とは遠く離れているため合わせ直しづらくなる。
1062 ・NHK広島拠点放送局のラジオ第一放送の本局(広島市安佐南〔あさみなみ〕区西原四丁目。周波数:1071kHz)と周波数が近接しているため広島市に近付くにつれて混信が起きる。
・RSK山陽放送ラジオの周波数とは遠く離れているため合わせ直しづらくなる。

 結局中国放送は交通流動が最も多い岡山県との関係と広島県及びその周辺地域で使用されている周波数との兼ね合いを考え、東城・府中両中波中継局の周波数を設定し、庄原・三次両中波中継局の周波数は東城中波中継局の周波数に、福山・三原両中波中継局の周波数は府中中波中継局の周波数にそれぞれ統一するという方針を採ったのではないのだろうか。考えてみれば東城・府中中波中継局が開局したのはRSK山陽放送ラジオの全ての中波中継局の周波数が1494kHzに統一されてから間もない時期のことである。前にも記したように周波数の設定はどのように進められるのか、専門家ではないので分からないのだが、恐らくRSK山陽放送ラジオの全ての中波中継局の周波数が1494kHzに統一された頃には既に備北地区・備南地区それぞれについて中波放送の周波数を統一する計画を企図していたのではないのだろうか。「人気番組が多かったし、高速道路がなかった頃でも国道2号線や国道54号線など広域交通を担う道路はいくつもあったのでもっと早くやれば良かったのではないか」という声もあるのではないかと思うが、広島県が高速道路の貫通により広域交通網に組み込まれなければやれることではなかったことや経営事情があったこと、周波数を統一しても不都合が起きないようにするためにいろいろ苦心したことなどから時間がかかったのではないかと思われる。
 最後になるべくなら本局と近接した周波数に備北地区・備南地区双方の周波数を統一させたかったことである。本局に最も近い中波中継局は備北地区では三次中波中継局、備南地区では三原中波中継局となるのだが、三次中波中継局の周波数は前記の通りRSK山陽放送ラジオの周波数と近接しているため統一には使えなかったし、三原中波中継局の周波数は本局とは離れすぎている。もし現実通り備北地区については1458kHzで、備南地区については1350kHzでそれぞれ周波数を統一すれば広島地区と備北地区の周波数差は108kHz、広島地区と備南地区の周波数差は180kHzとなり、周波数を変えやすくなる。その点を考えて周波数変更の重要拠点となる東城・府中両中波中継局の周波数を設定したのではないのだろうか。もっとも、本局も出力が20kWと強いことから広島県内のかなりの地域で受信は可能になっているのだが…。
 こうして広島県を通過する運送業者は広島県内では最大でも一度だけ周波数を変えるだけでずっと中国放送ラジオの番組を楽しめるようになったのである。

新たな方針を示したエフエム補完放送

 府中中波中継局の設置から15年近くにわたって進められた中国放送ラジオの受信環境改善計画であったが、実は不十分なまま終わっている。次に挙げる地域の受信環境整備が行われなかったからである。
・東広島市。広島県では広島市・福山市・呉市に次ぐ人口を有し、山陽自動車道と東広島・呉自動車道、国道2号線、国道375号線、国道486号線が集まる交通の要衝になっているが、本局及び三原中波中継局とは山で隔てられており、中国放送ラジオが受信しにくいところがある。
・神石郡神石高原町。町内を備後(びんご)地方を南北に結ぶ幹線道路である国道182号線と広島県道25号三原・東城線が貫いているが庄原・東城・福山・府中各中波中継局が近くにあるにもかかわらず地形的な問題により中国放送ラジオが受信しにくい。
・世羅郡世羅町から三原市北部にかけての地域。世羅郡世羅町は中心部で国道184号線と国道432号線、広島県道25号三原・東城線が集まる交通の要衝であるし、三原市北部は山陽自動車道が通過しているが、福山・府中・三原・三次各中波中継局とは山で隔てられており、中国放送ラジオが受信しにくい。世羅郡世羅町を自分の車で走っていた時に自分の車のカーラジオの周波数を福山・府中・三原各中波中継局が使用している1530kHzに合わせたところ中国放送ラジオではなく栃木放送(CRT、宇都宮市昭和二丁目)が受信できたのには驚いたものである。
・山県郡全域(所属自治体は安芸太田〔あきおおた〕町と北広島町)。国道186号線と国道191号線、国道433号線、国道434号線が集まる安芸太田町加計(かけ)地区と中国自動車道と浜田自動車道、国道261号線、島根県道/広島県道5号浜田・八重・可部線が集まる北広島町千代田地区が交通の要衝になっているが、本局及び三次中波中継局とは山で隔てられており、中国放送ラジオが受信しにくい。中波中継局設置を求める声はあったのだろうが、中国新聞朝刊に中国放送としては技術的な理由により中波中継局の設置は困難であると話していたという記事が載っていたような覚えがある。
 だから中国自動車道と山陽自動車道、更に1991年(平成3年)暮れに全線開通を果たした浜田自動車道の沿線地域では中国放送ラジオが受信しにくいところが残されたわけである。ではなぜ受信環境改善を見送ったのか。最大の理由は中波中継局は高い塔を建てなければならないことと、受信範囲が広くなければ割に合わないこと、そして地形的な問題により受信範囲が限られることであった。この問題は中国放送だけでなく山口放送など他の民間中波放送局でも抱えていた問題なのだが、その当時考え得る方法では解決できない問題であった。
 それどころか民間中波放送局は平成時代に入ると経営環境が厳しくなってきた。状況を記すと次の通りになる。
・大韓民国や中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国などの近隣諸国が高出力の中波放送を行うようになり、受信環境が悪化するところがいくつも出てきた(注55)
・都市部では高層建築物が増え、中継局があっても受信しづらいところが増えた。
・都道府県域民間エフエム放送局が各地で開局し、都道府県域民間エフエム放送局との間で激しい聴取率競争が起きた。
・バブル景気終焉後の不況が総理大臣が短期間でコロコロ代わったことや兵庫県南部に甚大な被害をもたらした兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災。1995年〔平成7年〕1月17日)が起きたこと、不況の最中なのに消費税の税率を1997年(平成9年)4月1日に3%から5%に引き上げたことなどによりなかなか克服できなかった。
・1995年(平成7年)秋のWindows95の発売を契機にインターネットが爆発的に普及した。
・東京一極集中と少子・高齢化が進み、広島県など政令指定都市を擁する都道府県でも人口が減少に転じた。
・長く続く不況やインターネットの普及、企業の過度の合理化などにより広告収入が減少した。
 中国放送もその波を避けることはできなかった。そのことは次に挙げる点からもうかがえる。
・福山支社の機能縮小。広島・備北地区とは別編成のワイド番組はだんだん設定日数が減らされ、2001年(平成13年)春の番組改編で打ち切りになった。更に2001年(平成13年)秋には長らく福山市延広町の駅前大通り(現在は福山市道であるがかつては広島県道190号福山停車場線〔1960〜1974〕だった(注56))に面したビル(現存せず)に置いていた福山支社を福山中波中継局のあるところに移転した。
・福山支社が制作し、福山・府中・三原各中波中継局だけで放送していたワイド番組のコミュニティ放送局への事実上の移管。広島県におけるコミュニティ放送局の開局は広島市よりも尾道市や福山市のほうが早い(詳細はこちらをご覧頂きたい)のだが、中国放送が開局に協力していたという話がある。現在も尾道市や福山市にあるコミュニティ放送局は平日だけだが三つ自社制作のワイド番組を設定していることや特に福山市にあるコミュニティ放送局、すなわちエフエムふくやま(愛称:レディオBINGO。福山市西町二丁目)の自社制作番組に福山支社が制作していた番組の出演経験者が多く出演していること(注57)を考えるとそれは事実なのだろうと考えたくなる。
・福山・府中・三原各中波中継局における中波ステレオ放送の取りやめ。中国放送ラジオは中波ステレオ放送を導入した民間中波放送局16社で最も多くの中継局で中波ステレオ放送を行っていた(注58)が、福山・府中・三原各中波中継局については福山支社移転の少し前の2001年(平成13年)10月15日未明の放送終了をもって取りやめ、本局のみ中波ステレオ放送を継続することにした(それも2011年〔平成23年〕3月14日未明の放送終了をもって取りやめ)。そのため三原中波中継局は中波ステレオ放送を実施していた期間が最も短い中継局となった。
・アナウンサー採用の抑制。特に入れ替わりの少ない男性の新卒アナウンサーの採用は1999年(平成11年)から2016年(平成28年)まで17年間見合わせている(注59)
・アナウンサーの削減。詳細は分からないのだが異動などにより表舞台から消えたアナウンサーが男性を中心に多い感じがする。
・看板番組の一つである広島東洋カープ公式戦中継の見直し。広島東洋カープは1990年代末期から2010年代初頭まで長期間低迷していたが、その時期には順位が決定した後の試合、すなわち消化試合に入ると中継しなかったり中継するとしても途中から始めたりすることがあった。
・サテライトスタジオの廃止。2004年(平成16年)8月にNTTクレド基町ビル(広島市中区基町)の6階にあったサテライトスタジオを廃止したことをもって中国放送はサテライトスタジオを全て廃止し、今日に至るまで設置していない。
 中島さんの大学時代の一級上の先輩が中国放送を退職せざるを得なくなった事情が起きたのはその頃のことであるが、中島さんは今も当時の中国放送の経営事情が影響したのではないかと思っているそうである(注60)
 しかし、そういう状況でも明るい話はいくつもあった。「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」や「バリシャキNOW」、「一文字弥太郎の週末ナチュラリスト 朝ナマ!」などの自社制作のワイド番組はその頃から始まり、今日まで続く人気番組となっているし、2008年(平成20年)からは中国地方にある民間中波放送局としては初めて視覚障害者のための音響装置付信号機の普及を目的としたチャリティー番組「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」に参加するようになった。2010年代になると長期間低迷していた広島東洋カープの成績が上向き始め、2013年(平成25年)には16年ぶりにAクラス(3位)に入って日本選手権シリーズ出場を懸けたクライマックスシリーズ進出(注61)を決め、今後の躍進が期待できるようになった。
 そんな中、ラジオ放送の受信環境改善について新たな潮流が生まれ始めた。一つはラジオ放送のインターネットサイマル配信サービスのradikoの登場であった。2010年(平成22年)に登場したそのサービスについて中国放送ラジオは早くも2011年(平成23年)7月20日に広島エフエム放送と同時に参入した。中国放送ラジオと広島エフエム放送が同時に参入したのは前にも記したように広島エフエム放送は中国放送の協力を得て開局した経緯があったことに加えて中国放送ラジオ・広島エフエム放送とも受信困難地域を抱えていたこと(注62)があったからだと思われる。これにより広島県内ではインターネットが受信できる環境を持っていればどこでも実際の放送より数秒遅れる格好になるのだが、中国放送ラジオ・広島エフエム放送の番組が楽しめるようになった。
 そしてもう一つは中波放送の受信環境改善対策としてエフエム補完放送を推進することを総務省(東京都千代田区霞が関二丁目)が決めたことであった。既に混信対策などを理由に中波放送局がエフエム中継局を設置することは北日本放送ラジオなどで行われていたのだが、それを全ての民間中波放送局に適用することにしたのである。広島県を放送区域とする民間中波放送局、すなわち中国放送ラジオにはそのための周波数として94.6MHzが割り当てられた。
 中国放送ラジオにおけるエフエム補完放送実施の目的としては次に挙げるようなことがあった。
・都市部における受信困難解消対策。
・中波中継局を置けなかった地域の受信環境改善。
・中波中継局の災害対策。
 更に中国放送ラジオはあることをそこに盛り込んだ。それは中波放送では実現し得なかった周波数統一をエフエム補完放送で実現させることであった。既に広島県内にあるコミュニティ放送局、すなわちエフエムふくやまや尾道エフエム放送(愛称:エフエムおのみちまたはエフエムおのみち79.4。尾道市東御所町)では本局と中継局の周波数は統一していた(注63)し、中国放送テレビのアナログ放送本局(広島市南区黄金山町。1959〜2011)を転用して設置することになっていた広島エフエム中継局(広島市南区黄金山町)の出力は1kWとしていた(注64)からエフエム補完放送での周波数統一は問題ないという結論に達していたのだろう。
 中国放送ラジオのエフエム補完放送が正式に始動したのは2015年(平成27年)12月1日に広島エフエム中継局が開局した時だった。その後2016年(平成28年)10月1日には福山エフエム中継局(福山市千田町千田)が、2017年(平成29年)10月1日には久井エフエム中継局(広島県世羅郡世羅町小世良)が、2018年(平成30年)9月30日には三次エフエム中継局(三次市粟屋町)が、そして2020年(令和2年)3月1日には西条エフエム中継局(東広島市八本松町篠)がそれぞれ94.6MHzで開局している。広島エフエム中継局は本局、福山エフエム中継局は福山・府中・三原各中波中継局、三次エフエム中継局は庄原・三次両中波中継局をそれぞれ補完する役割を担っているわけであるが、では久井・西条両エフエム中継局はなぜ設置されたのか。私は次に挙げることが理由ではないかと考えている。
・山陽自動車道や尾道自動車道、東広島・呉自動車道の沿線地域における受信環境改善。
・中波放送では費用対効果や受信範囲の問題などから中継局設置を見送った地域における受信環境改善。
 90.0MHz以上の放送が受信できるカーステレオの普及はまだまだといったところであるが、そこでも中国放送は高速道路を通る車の利便性を考えたのであろう。受信しづらい地域はそれでも残るだろうが、周波数を統一することによって県内三大拠点(広島市・福山市・三次市)を往来するのに周波数を変えないで中国放送ラジオの番組を楽しめるようにしたかったのであろう。
 西条エフエム中継局の開局を最後に中国放送はエフエム補完中継局の整備は中断しているし新たな計画も発表していないが、私が今後エフエム補完中継局が整備されるのではないかと考えている地域とその理由は下表の通りである。

地域名 近隣にある中継局 エフエム補完中継局を設置しても良いと思う理由
中波 エフエム
江田島市
呉市中心部
本局 広島
西条
・本局は江田島市沖美地区にあるが、呉市中心部から見ると山の向こうになる箇所があり、受信しにくいところがあること。
・広島エフエム中継局が受信しにくいところがあること。
・呉市は広島県第三の都市であるが、重要な都市であるにもかかわらずこれまで中国放送ラジオの中継局は全く設置されていないこと。
・対抗関係にあり、中国放送ラジオ広島エフエム放送局と同じ場所に本局を置いている広島エフエム放送は呉市に中継局を設置していること。
・呉市は過去に何度も集中豪雨で甚大な被害を受けていること。
・本局は災害に遭う危険性があること。
尾道市中心部
福山市内海地区
福山市沼隈地区
福山市松永地区
三原市中心部
福山
三原
久井
福山
・福山・三原両中波中継局及び久井・福山両エフエム中継局が受信しにくいところがあること。
・三原中波中継局は沼田(ぬた)川のそばにあり、浸水被害を受ける恐れがあること。
・NHK広島拠点放送局が2021年度(令和3年度)中の開局を目指してラジオ第一の尾道エフエム中継局(尾道市向島町。周波数:93.6MHz?(注65))を設置する計画を進めていること。
・対抗関係にある広島エフエム放送は尾道市に中継局を設置していること。
呉市蒲刈地区
呉市下蒲刈地区
呉市豊浜地区
呉市豊地区
竹原市中心部
東広島市安芸津地区
豊田郡大崎上島町
本局
三原
久井
西条
・中波中継局もエフエム中継局も山の向こうにあるため受信しにくいこと。
・NHK広島拠点放送局が2021年度(令和3年度)中の開局を目指してラジオ第一の大崎エフエム中継局(豊田郡大崎上島町中野。周波数:90.9MHz?(注66))を設置する計画を進めていること。
・対抗関係にある広島エフエム放送は豊田郡大崎上島町に中継局を設置していること。
庄原市高野地区 庄原
三次
三次 ・地区内を松江自動車道が通っているが、中波中継局もエフエム中継局も山の向こうにあるため受信しにくいこと。
庄原市東城地区 東城 三次 ・中国放送ラジオ三次エフエム中継局が受信しにくいこと。
・東城中波中継局は成羽川のそばにあり、浸水被害を受ける恐れがあること。
府中市上下地区
三次市甲奴地区
庄原
府中
三次
久井
三次
・尾道自動車道や国道432号線、広島県道25号三原・東城線、広島県道27号吉舎(きさ)・油木線が集まる交通の要衝なのに中波中継局もエフエム中継局も山の向こうにあるため受信しにくいこと。
神石郡神石高原町 福山
府中
久井
福山
・町内を備後地方を南北に結ぶ幹線道路である国道182号線(国道314号線重用)と広島県道25号三原・東城線が通っているが中波中継局もエフエム中継局も山の向こうにあるため受信しにくいこと。
山県郡安芸太田町 本局 広島 ・中国自動車道や国道186号線、国道191号線、国道433号線、国道434号線が集まる交通の要衝なのに中波中継局もエフエム中継局も山の向こうにあるため受信しにくいこと。
山県郡北広島町 本局
三次
広島
三次
・中国自動車道と浜田自動車道、国道261号線、島根県道/広島県道5号浜田・八重・可部線が集まる交通の要衝なのに中波中継局もエフエム中継局も山の向こうにあるため受信しにくいこと。
・対抗関係にある広島エフエム放送は山県郡北広島町に中継局を設置していること。

 しかし、今後エフエム補完中継局を整備していくに当たっては次に挙げるような課題を解決させていかなければならないことも事実である。
・今後エフエム補完中継局を整備していった場合、果たして94.6MHzを用い続けられるのかどうか。例えば四国放送ラジオ(JRT、徳島市中徳島町二丁目)は93.0MHzを用いて徳島・池田・日和佐各エフエム放送局を整備したが、阿南エフエム中継局(阿南市椿町)については93.9MHzを用いている。恐らく近くにある徳島・日和佐両エフエム中継局との干渉性フェージングが発生する恐れがあるために別の周波数を用いることにしたのだろうが、中国放送も四国放送と同じような状況が生じる可能性はあるのではないかと考えたくなる。また、放送開始告知・放送終了告知・放送基点(注67)の際の局名告知がどのようになるのかも気になるところである。
・エフエム補完中継局を整備することで中波放送が蔑(ないがし)ろにされることにならないかどうか。現状から考えれば中国放送は中波放送はやめる気はないように感じられるが…。
・対抗関係にある広島エフエム放送の経営に甚大な影響を与えないかどうか。最近の広島エフエム放送の状況を見ると自社制作のワイド番組が削減傾向にあるのが気になる(注68)。山口放送ラジオのエフエム補完中継局の積極的な整備では対抗関係にあるエフエム山口(FMY、山口市緑町)が苦境に立たされ、2020年(令和2年)1月からは日曜日深夜の放送終了時間の繰り上げ(月曜日午前0時30分→月曜日午前0時)を行っているが、この状況が続けば広島エフエム放送も何らかの合理化策(注69)をとるのだろうか。
・高齢者に浸透するかどうか。広島県は大都市がある一方で高齢化が進展している山間部や島嶼部を多く抱えているが、そういう地域に住んでいる方が果たしてエフエム放送を聴くようになるのかどうか。また、聴いてもらえるようになったとしてもきめ細かに中継局を整備しないことにはどうにもならない。
・エフエム補完放送の知名度は果たして高まっているのかどうか。下の写真は福山市赤坂町早戸/赤坂バイパス早戸ランプ交差点の脇にある受信可能なラジオ局とその周波数を記した看板であるがそこには中国放送ラジオ福山エフエム中継局の周波数は記されていない。エフエム補完放送はその先にある赤坂・松永・尾道・木原・三原各バイパスにあるトンネル内で受信できないことが記されない理由であるが、これで良いのだろうか。

・遠距離受信の楽しみを維持できるかどうか。エフエム放送は障害物がなければ200km以上離れたところでも十分受信できるので中国放送ラジオの場合は瀬戸内海沿岸地域では受信できる可能性は残るが、中波放送のように遠くまでというわけには行かなくなるであろう(注70)。果たして「私どもの放送局は中波放送を取りやめますので遠距離受信はできなくなります。広島県外で私どもの放送を聴きたい方はradiko.jpプレミアムに加入し、月額385円(消費税込み)を払って楽しんで下さい」と宣伝するようになる日は来るのだろうか。
 実は中国放送ラジオは七大都市(札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・広島・福岡)に本社を置いている民間中波放送局14社で最もエフエム補完放送に積極的なところである(下表参照)。エフエム補完放送の開始はCBCラジオ(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)・東海ラジオ放送に次いで早かったし、中継局数は最多の5箇所となっている。七大都市に本社を置いている民間中波放送局のエフエム補完放送への動きは鈍いものがある(注71)のだが、中波放送の今後はともかくとして、中国放送は大都市を擁する地域を放送区域とする民間中波放送局のエフエム補完放送について主導的な役割は担えないものであろうか。「中国放送ラジオが放送区域としている広島県は地形が複雑だからエフエム補完中継局の設置には積極的になるのは当然のことではないか」という冷淡な声や「中国放送が率先して中波放送廃止に動くのはいかがなものか」というような声はあるかもしれないのだが、中国放送の取り組みは今後のラジオ業界の注目点になる可能性を秘めているのではないかと考えているところである。

都市名 放送局名 エフエム補完放送
開始年月日
エフエム補完
中継局数
備考
札幌市 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
2016年
(平成28年)
10月19日
1
北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
2016年
(平成28年)
10月19日
1
仙台市 東北放送
(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)
2017年
(平成29年)
5月1日
1
東京
区部
TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
2015年
(平成27年)
12月7日
1
ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
2015年
(平成27年)
12月7日
1
文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
2015年
(平成27年)
12月7日
1
名古屋市 CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
2015年
(平成27年)
10月1日
1
東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
2015年
(平成27年)
10月1日
1
大阪市 朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
2016年
(平成28年)
3月19日
1
大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
2016年
(平成28年)
3月19日
1 愛称:ラジオ大阪。
毎日放送
(MBS、大阪市北区茶屋町)
2016年
(平成28年)
3月19日
1
広島市 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
2015年
(平成27年)
12月1日
5
福岡市 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
2016年
(平成28年)
3月28日
4
九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
2016年
(平成28年)
3月28日
4

運送業者向け深夜番組の終焉

 1963年(昭和38年)7月16日に名神高速道路栗東(りっとう)インターチェンジ(栗東市小野)〜尼崎インターチェンジ(尼崎市名神町二丁目(注72))間71.1kmの開通で始まった日本の高速道路―ここでは国土開発幹線自動車道を指す―は順次各地に広まり、31年後の1994年(平成6年)3月17日に徳島自動車道藍住インターチェンジ(徳島県板野郡藍住町東中富)〜脇町インターチェンジ(美馬市脇町)間32.1kmが開通したことにより全都道府県に存在するようになった(注73)。そして今では本州・四国・九州にある45都府県は自動車専用道路で往来できるようになっている。
 高速道路の拡充は物流を促進することにもなったわけであるが、そのことを考えると「歌うヘッドライト」や「走れ! 歌謡曲」は多くの運送業者に愛され、長く続く番組になっていくはずであった。しかし、現実は逆になった。「歌うヘッドライト」も「走れ! 歌謡曲」も続くどころか縮小を経て結局過去帳入りしてしまったからである。
 まず縮小傾向になり、番組終了に追い込まれたのは多数派の「歌うヘッドライト」であった。1995年(平成7年)には30局ネットにまで拡大した「歌うヘッドライト」であったが、いすゞ自動車の経営難が番組に甚大な影響を与えることになってしまった。そこで1998年(平成10年)秋の番組改編で放送時間を火曜日〜土曜日午前3時〜午前5時から火曜日〜土曜日の午前4時〜午前5時に縮小したことや題名を「いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」から「歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」に変更したこと、いすゞ自動車の宣伝を流すのは一部のネット局に限ったことなどの変更を行った。その際南海放送ラジオ(RNB、松山市本町一丁目)と高知放送ラジオ(RKC、高知市本町三丁目)がネットを離脱したことから28局ネットで新生を期した「歌うヘッドライト」であったが、いすゞ自動車の経営難が解消されなかったことなどから3年しか持たず、結局2001年(平成13年)9月29日放送分をもって27年1ヶ月の歴史に終止符を打つことになった。
 一方、「走れ! 歌謡曲」は平成時代初頭までは喋り手の交代や北日本放送ラジオのネット参加(1989年〔昭和64年〕1月3日)、企画の変更があった程度であり、そんなに大きな変化は見られなかった。しかし、1990年代に入ると次に挙げるような変化が見られた。
・それまでかける曲は演歌がほとんどだったが、他の歌謡曲やアニメソングもかけるようになった。
・1991年(平成3年)春の番組改編から題名を「日野ダイナミックスコープ 走れ! 歌謡曲」から「日野ミッドナイトグラフィティ 走れ! 歌謡曲」に変更した。
・題名変更に合わせてテーマ曲をWhistling Jack Smith(ホイッスリング・ジャック・スミス)(注74)の「I Was Kaiser Bill's Batman(注75)」からPaul Mauriat(ポール・モーリア。1925〜2006)の「Pour Un Flirt(注76)」に変更した。
・これまでは女性しか喋り手に起用しなかったが、男性タレントを喋り手に起用した(但しこれは一年間だけで終わっている)。
 その頃の「歌うヘッドライト」が歌謡曲全般から演歌に特化していったのに対して「走れ! 歌謡曲」は多様化と変化を目指したというわけであるが、考えてみればこの変化が功を奏したのではないのだろうか。もし番組開始当初のまま続けていたらどのような展開がその後あったのか、皆目見当も付かない。
 それから10年以上テーマ曲の変更(2002年〔平成14年〕秋の番組改編期に「Pour Un Flirt」から「I Was Kaiser Bill's Batman」に戻す)や静岡放送ラジオのネット参加(2003年〔平成15年〕4月1日)、更には喋り手や企画の変更といった変化はあったものの大きな変化もなく続いてきた「走れ! 歌謡曲」であったが、2006年(平成18年)春の番組改編で大きな変更が行われた。それは日曜日の放送を取りやめ、その時点では既に終了していた「歌うヘッドライト」と同じく火曜日〜土曜日の放送に縮小することであった。背景にあったのは週休二日制が普及したことで日曜日の早朝に車を走らせる運送業者が減ったことであった。山陰放送ラジオや昨年6月末に放送を終了し、廃業した新潟県民エフエム放送(愛称:FM PORT。新潟市中央区万代二丁目。2000〜2020)が平日は終夜放送を行うのに土曜日深夜(日曜日早朝)は終夜放送を行わないのと同じ理屈である(注77)。1991年(平成3年)春の大規模改編と同じく時代に合わせた変更ということになるのだろうが、このように考えると「走れ! 歌謡曲」は時代の変化に合わせて番組の在り方を見直したことで生き残りを図ろうとしたことがうかがえる。
 「走れ! 歌謡曲」のネット局が最大の7局になったのは放送日を火曜日〜土曜日に縮小してから1年経った2007年(平成19年)春の番組改編の時である。福井放送ラジオがネットを開始したからであるが、それでもネット局の数は「歌うヘッドライト」の最大時の4分の1にも満たなかった。福井放送ラジオも静岡放送ラジオも「歌うヘッドライト」のネット局であり、「歌うヘッドライト」終了からある程度経ってから「走れ! 歌謡曲」のネットを始めているわけであるが、「歌うヘッドライト」終了直後に「走れ! 歌謡曲」のネットを始めたところはなく、「歌うヘッドライト」終了からある程度経ってから「走れ! 歌謡曲」のネットを始めたところは2局にとどまったということ(注78)は何を物語っているのだろうか。このように考えるとその頃既に運送業者向け深夜番組は必要性・需要はともかくとして先細り→消滅が懸念される状況に来ていたのでは…と考えたくなる。
 「走れ! 歌謡曲」は2018年(平成30年)秋に「JET STREAM」「オールナイトニッポン」に次いで放送開始50周年を迎えた深夜番組となったのだが、それから2年少々でネット局が多く、現在も続いている「JET STREAM」や「オールナイトニッポン」を尻目に番組は縮小、そして終了への道を歩むことになる。背景にあったのは日野自動車の経営環境の悪化による宣伝費用の見直しであった。状況を示すと下表の通りになる。

年月日 記事
2019年(令和元年)10月1日 ・スポンサーの日野自動車の宣伝を流す時間帯を次のように変更する。
文化放送…午前3時台・午前4時台
福井放送ラジオ・静岡放送ラジオ…午前3時台
(注79)
北日本放送ラジオ・東海ラジオ放送・大阪放送・中国放送ラジオ…午前4時台
(注79)
2020年(令和2年)9月26日 ・北日本放送ラジオと静岡放送ラジオでのネットが終了する。
2020年(令和2年)9月29日 ・東海ラジオ放送の放送時間が午前3時〜午前4時30分に変更される。
・スポンサーの日野自動車の宣伝を流す時間帯を次のように変更する。
文化放送…午前3時台の冒頭だけ
その他のネット局…一切流さない
2020年(令和2年)11月18日 ・文化放送が今年3月27日での終了を発表する。
2021年(令和3年)3月27日 ・最終回放送。最後に流した曲は山口百恵の「さよならの向う側」(注80)であった。

 最終回を含めて最近何度か「走れ! 歌謡曲」を聴いたことがあるのだが、きちんと番組名を「日野ミッドナイトグラフィティ 走れ! 歌謡曲」と言っているのに番組内では日野自動車が提供である旨は一切言わないことや日野自動車の宣伝が一切流れないことに違和感を抱いたものである。日野自動車の経営事情が厳しく、宣伝費用を減らしていることはその点からもうかがえるわけであるが、結局「走れ! 歌謡曲」は「歌うヘッドライト」と同じような末路をたどったということになる。
 ニッポン放送はずっと「オールナイトニッポン」を放送しているし、TBSラジオは「歌うヘッドライト」終了後一切運送業者向け深夜番組は設定していない。そして文化放送は「走れ! 歌謡曲」の後番組に「ヴァイナル・ミュージック〜歌謡曲2.0〜」を設定すること(注81)にし、運送業者向け深夜番組からは離れることになった。ここに運送業者向け深夜番組の歴史は終止符を打ったのである。

なぜ運送業者向け深夜番組は廃(すた)れたのか

 前にも記したように高速道路網は初開通から30年ほどで全ての都道府県に普及し、本州・四国・九州にある45都府県は自動車専用道路で往来できるようになっている。そのため物流は大きく促進されることになった。そのことを考えれば「歌うヘッドライト」や「走れ! 歌謡曲」のような運送業者に向けた深夜番組は需要や要望があるはずである。なのになぜ廃れてしまったのか。ここではその要因を考えていきたいと思う。
 私が考えた、運送業者向け深夜番組が廃れた理由を挙げると次の通りになる。
・日本経済の低迷。少子・高齢化が進展したことやそれに伴い人口が減少に転じたこと、大韓民国・中華人民共和国などが著しい経済発展を遂げたこと、政権交代や短命政権の多発によって長期的な経済対策が実施しにくくなったこと、政府は景気対策と財政対策の双方を考えなければならなくなったこと、日本を代表する大企業が相次いで経営難に陥ったこと、そして兵庫県南部地震や東北地方太平洋沖地震(東日本大震災。2011年〔平成23年〕3月11日)などの甚大な被害が生じた災害が相次いだことなどが要因として挙げられる。
・終夜放送を行うラジオ局の増加。中国放送ラジオが終夜放送に移行した1970年(昭和45年)時点では終夜放送を行っているラジオ局は中国放送ラジオなど一部の民間中波放送局に限られていたが、その後民間中波放送局だけでなく都道府県域民間エフエム放送局やNHKラジオ第一・NHK-FMが終夜放送を行うようになり、対抗関係になる放送局が増えていった。特にNHKラジオ第一とNHK-FMの終夜放送移行は中継局が民間放送局より多く、受信可能範囲が広い点や多くの民間ラジオ放送局が機器調整を理由に放送を休止する日曜日深夜(月曜日早朝)でも原則として休止しない点、幅広い世代を受け入れている点で民間放送局には脅威となった。
・車内での過ごし方の変化。現在ではラジオ放送だけでなくテレビ放送が楽しめるカーナビゲーションシステムやiPodなどの多数の曲を収録できるデジタル携帯音楽プレーヤーなどが普及し、車内でラジオ放送を聴かなくても済むようになった。
・民間中波放送局の経営環境の悪化。日本経済の低迷や聴取人口の減少、インターネットの急激な普及なども一因だが、総務省が推進したエフエム補完放送や(テレビ局を兼営しているところに限るが)テレビ放送のデジタル化でかなりの出費を強いられたことも大きい。特にエフエム補完放送は諸事情から積極的になれない放送局が少なくなかったのに2020年(令和2年)3月31日までに開局させないと周波数割り当てを破棄するとしたのはどうかと思っているところである。
・対抗関係になる放送局の増加。1980年代に入ると各地で都道府県域民間エフエム放送局が相次いで開局したし、1990年代に入ると今度は市区町村を放送区域とするコミュニティ放送局の制度が導入された。このためいくつもラジオ放送が受信できる地域では激しい聴取率競争が起きており、安泰と思われている民間中波放送局でも厳しい環境に叩き込まれているところが出ている。
・多様化による歌謡曲・演歌の知名度低下。昔はヒット曲は誰もが知り、口ずさめるものだったが、昭和時代後半から静かに進行していた多様化や楽曲の複雑化などにより現在ではどういう曲が流行(はや)っているのかとかどんな歌詞なのかすら全然分からないという方が少なくない。その背景には歌番組が減少したことや歌手の流行り廃りが激しくなったこと、人々の好みが分かれるようになったこと、インターネットや衛星放送の普及などにより海外の人気歌手の情報が容易に得られるようになったこと、何か(商品の宣伝やテレビ番組の主題歌、ラジオ局のヘヴィーローテーションなど)と提携しなければ知名度が向上しない傾向が強くなったこと(しかもそれで注目されても長続きしない場合が多い。まあ人気や発表し得る楽曲の質を維持すること自体難しいものがあるのだが…)、多くの人々に影響を与えるような歌手(それもグループの一員ではなく単独で登場するのが望ましい)がなかなか出てこなくなったこと、ラジオ番組でかけられる回数が減ったことなどが挙げられる。
・ヒット曲の寿命の短さ。(紹介する順位の幅にもよるが)昔は何十週間もランキングに入り続ける曲が多かったが、現在では数週間で早くもランク外になる曲が多くなった感が否めない。そういう状況があるせいかどんな曲が今流行っているのかを紹介するランキング番組が減少の一途をたどっているような感じがある(注82)
・ラジオ局の周波数の知名度の低さ。幹線道路沿いに「○○放送はXkHzでお楽しみ下さい」というような看板を出しているところはあるがその数は少ない(中には過去にあったことは覚えているがいつの間にかなくなったところもある(注83))し、受信できるのになぜか記されていない放送局もある。なぜ放送局の知名度を向上させる周波数を記した看板を道路脇に出さないのだろうか。「経営事情が厳しいからそんなものは設置できない」と言うのだろうが…(注84)
・内容と聴取者の望むものの乖離(かいり)。「歌うヘッドライト」は平成時代に入ると歌謡曲全般から演歌に特化した番組になっていったのだが、それが終わりの始まりになったことは考えられないだろうか。確かに番組終了はスポンサーのいすゞ自動車の経営不振が大きかったのだが、もし番組開始当初のまま歌謡曲全般を取り扱う内容を堅持していたとしたら違った展開があったのでは…と思うのは私だけだろうか。
・ラジオを聴く人の減少。少子・高齢化などによる人口減少やインターネットの普及など理由は様々であるが、地域のきめ細かな情報を流せることや中継局はテレビ放送より少なくて済むこと、使用電力はテレビ放送より少なくて済むこと、もし受信環境が良くなかったとしても現在では大半のラジオ局の番組がインターネットで再送信されており、受信困難は克服できつつあることを考えるともっと見直されても良いのでは…と思っているところである。
・インターネットやスマートフォンなど手軽に情報を得られる手段の登場。運転中にそういう手段を参考にするのは危険であるが、休憩中に「この先の○○市××町では事故で渋滞中か…」というような情報を得ることができるようになったため気象情報や交通情報を流すこともあるラジオ放送をあえて聴く必要性もなくなった。
・自分中心主義の蔓延(まんえん)。自分の嫌いなものは受け入れず、自分の好きなものさえ周りにあれば良いとする考え方を指す。確かに自分が好きなものだけ選べば気分は良いのだろうが…。
・好みの多様化。現代では何事においても選択肢が増え、好みが分散する傾向が高まっている。そのため昔は盛んに取り上げられていたのに今ではその量が少なくなったものも少なくない。
 結局は時代の流れに屈したというところなのだろうが、致し方ないと見るべきなのか、もっとやれることはあったのでは…と考えるべきなのか。それは私には分からない。

最後に〜運転者の目線に立ったラジオ放送を〜

 中国放送ラジオが「走れ! 歌謡曲」のネットを開始したのは1976年(昭和51年)12月7日のことである。その頃の広島県の道路事情を記すと次の通りになる。
・国道は14路線、主要地方道は36路線、一般県道は308路線存在した(1976年〔昭和51年〕12月7日時点の広島県の国道路線・県道路線の一覧表を作成し、こちらで公開したので興味のある方は併せてご覧頂きたい)。
・高速道路―ここでは国土開発幹線自動車道を指す―は全く存在せず、自動車専用道路は国道2号線尾道・西広島両バイパスと広島・呉道路だけであった。
・国道路線で整備が終わっていたのは国道2号線・国道31号線・国道54号線など数路線に過ぎず、大半の国道路線には中央線がなかったり普通自動車同士のすれ違いに難渋したりするような狭隘箇所が存在した。また、発足してまだ数年しか経っていなかった国道314号線には通行不能箇所が存在した(注85)
・都市部での交通渋滞が社会問題化したが、バイパスが完成していたのは尾道市や三次市などわずかであった。また、バイパスが完成しても沿線人口の増加により交通渋滞が頻発するようになったところも存在する。
 つまり、広島県の道路事情は整備途上にあったということになる。そういう時期に「走れ! 歌謡曲」のネットを開始したということは中国放送は間もなく到来する高速交通時代に対応したラジオ放送を展開することを決断・表明したこととも受け取れる。その延長線上にあるのが需要逼迫を理由とする中波放送の周波数間隔変更を契機とした中波中継局の新設→備北地区・備南地区それぞれにおける中波中継局の周波数統一→エフエム補完放送の同一周波数での展開といったところであろうか。近隣にある民間中波放送局、すなわちRSK山陽放送ラジオ・四国放送ラジオ・西日本放送ラジオ(RNC、高松市丸の内)・南海放送ラジオが行った、全ての中波中継局の周波数を統一することは本局の出力の強さなどを考えれば不可能だったが、中国放送として行い得る最大限の施策が今挙げたことであろう。
 中国放送ラジオのようなやり方をとっているところは下表をご覧頂ければうかがえることであるが実は少ない。もっと広まれば非常に便利になることであろうが、広まらなかったのは周波数統一の動機となるものがなかったことや技術上の問題や費用対効果などを考えた結果統一しないほうが良いという結論に達したこと、中波放送については21世紀に入ってからほとんど中波中継局の設置が行われなくなったこと、経営事情などからエフエム補完放送に対して積極的になっていないところが多いことなどが考えられる。

(中波放送の周波数を地域ごとに統一し、住み分けを図っている例)

放送局名 状況
茨城放送
(IBS、水戸市千波町)
放送区域となる茨城県を中部・北部と西部・南部に分け、中部・北部では1197kHz(本局〔水戸市下国井町〕のみ)で、西部・南部では1458kHz(関城・土浦両中波中継局)でそれぞれ聴けるように設定している。
北陸放送
(MRO、金沢市本多町三丁目)
放送区域となる石川県を中部・北部と南部に分け、中部・北部では1107kHz(本局〔野々市市押野二丁目〕及び七尾・輪島両中波中継局)で、南部では1485kHz(山中中波中継局〔加賀市山中温泉こおろぎ町〕)でそれぞれ聴けるように設定している。
福井放送
(FBC、福井市大和田二丁目)
放送区域となる福井県を嶺北と嶺南に分け、嶺北では864kHz(本局〔坂井市丸岡町油為頭〕のみ)で、嶺南では1557kHz(小浜〔おばま〕・敦賀〔つるが〕両中波中継局)でそれぞれ聴けるように設定している。
中国放送
(RCC、広島市中区基町)
放送区域となる広島県を広島地区・備南地区・備北地区に分け、広島地区では1350kHz(本局のみ)で、備南地区では1530kHz(福山・府中・三原各中波中継局)で、備北地区では1458kHz(庄原・東城・三次各中波中継局)でそれぞれ聴けるように設定している。
南日本放送
(MBC、鹿児島市高麗町)
放送区域となる鹿児島県を本土と南西諸島(注86)に分け、本土では1107kHz(本局〔霧島市隼人〈はやと〉町真孝)及び阿久根・大口・川内〔せんだい〕各中波中継局)で、南西諸島では1449kHz(名瀬中波中継局〔奄美〈あまみ〉市名瀬金久町〕)でそれぞれ聴けるように設定している。

(エフエム補完中継局の周波数を統一している例)

放送局名 状況
山梨放送
(YBS、甲府市北口二丁目)
2017〜2018年(平成29〜30年)に放送区域となる山梨県内の3箇所(甲府・三ツ峠・身延)でエフエム中継局を開局させているが、どの中継局も周波数は90.9MHzを使用している。
なお、山梨放送ラジオは中波放送の中継局(本局〔甲斐〈かい〉市龍地〕及び大月・富士吉田両中継局)の周波数も765kHzに統一しているが、中波・エフエムともに複数の中継局を持っている民間中波放送局で中波・エフエムのどちらについても周波数を統一しているのは山梨放送ラジオだけである。
ラジオ関西
(CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目)
2019年(平成31年)に放送区域となる兵庫県内の2箇所(神戸・姫路)でエフエム中継局を開局させているが、どの中継局も周波数は91.1MHzを使用している。
中国放送
(RCC、広島市中区基町)
2015〜2020年(平成27年〜令和2年)に放送区域となる広島県内の5箇所(広島・久井・西条・福山・三次)でエフエム中継局を開局させているが、どの中継局も周波数は94.6MHzを使用している。

(参考資料:エフエム補完放送の周波数を地域ごとに統一し、住み分けを図っている例)

放送局名 状況
山口放送
(KRY、周南市徳山)
2015〜2018年(平成27〜30年)に放送区域となる山口県内の13箇所(周南・山口鴻ノ峯・阿東・岩国・宇部・下関・周防大島〔すおうおおしま〕・須佐田万川・豊浦・長門〔ながと〕・萩・美祢〔みね〕・柳井〔やない〕各中継局)でエフエム中継局を開局させているが、瀬戸内海側にあるエフエム中継局(周南・山口鴻ノ峯・阿東・岩国・宇部・下関・周防大島・柳井)については92.3MHzに、日本海側にあるエフエム中継局(須佐田万川・豊浦・長門・萩・美祢)については86.4MHzにそれぞれ周波数を統一している。
なお、美祢市は瀬戸内海沿岸にある宇部市・山陽小野田市と同じ都市圏に含められているが、美祢エフエム中継局(美祢市伊佐町伊佐)の周波数が日本海側のものを使うことになった理由は不明である(技術的な問題だろうか)。

 しかし、私は中継局の設置と周波数統一による受信環境改善はもっと考えられても良いのではないかと考えている。なぜそのように考えるのか。理由を挙げると次の通りになる。
・自動車で移動する際にラジオ放送をかけ続ける場合、同じ放送を聴き続けるのに何度も周波数を変えなければならないというのは不便この上ないことであるから。
・中波放送だけでなくエフエム放送でも周波数を統一しているところが出ているから(特にコミュニティ放送局で本局と異なる周波数を用いている中継局を持っているところは全く存在しない)。
・周波数を統一することで周波数が放送局の宣伝要素に取り入れられるようになるから。
・周波数を統一することで放送局の存在感が向上するから。
・中継局を設置すると同時に周波数を統一することで聴取者により近い存在になり得ることが期待されるから。
・エフエム放送の周波数需要は今後中波放送のエフエム補完中継局設置やコミュニティ放送局の開局により逼迫する可能性があるから。
・もし民間中波放送局のほとんどがエフエム放送局に移行したとしても条件さえ整えば遠距離受信できる可能性は残るし、有料にはなるがradiko.jpプレミアムに加入すれば都道府県以上の放送区域を有するラジオ放送局の番組を楽しめるようになったから。
 しかし、問題点はないわけではない。それを挙げると次の通りになる。
・日本放送協会(NHK、東京都渋谷〔しぶや〕区神南二丁目)と民間放送局で足並みが揃わないこと。複数の中波中継局を持っている日本放送協会の放送局で周波数を統一している例はないし、日本放送協会の放送局で未だにエフエム補完中継局を有していないところもまだ多数ある。日本放送協会の中波放送は本局の出力が高いところが多く(注87)、もし周波数統一を実施すれば干渉性フェージングが生じる恐れがあることや日本放送協会の中波放送についてはエフエム補完放送は必須事項にはなっていないことが理由であるが、日本放送協会も都道府県域民間ラジオ放送局と同じ悩み(注88)を持っていることを考えると何とかしなければ…という思いは出てもおかしくないはずである。そのことをどのように考えているのだろうか。
・エフエム補完放送が普及したことを契機に民間中波放送局の中には中波放送を廃止してエフエム放送に転換しようと考えているところが出ていること。中波・エフエムの二本立て放送を継続することは広告収入が減少し続けている民間中波放送局にとってはかなりの負担になっていることや老朽化が進展している中波中継局が少なくないことなどが背景にあるのだが、エフエム補完放送に対する取り組みには著しい温度差があることや多数の中継局を設置しなければならないこと、対抗関係になる都道府県域民間エフエム放送局の経営を圧迫する恐れがあること、遠距離受信が楽しめなくなることなど問題は少なくない。中国放送ラジオ・NHKラジオ第一府中中波中継局のように民間中波放送局・日本放送協会合同中波中継局を設置し、維持費用を民間中波放送局と日本放送協会で折半するようにするなど中波放送を維持する方法はいくつも考えられるのだが、果たしてどうなるのだろうか。いずれにせよ問題が山積している以上急いで結論を出す必要はない。
・ラジオ局の周波数を知る手段が少ないこと。ラジオ局が放送開始告知・放送終了告知以外で周波数を紹介することはあまりないことや新聞のテレビ・ラジオ欄に記されるラジオ局の周波数は一部であること、その付近で受信できるラジオ局の周波数を紹介する看板はそんなに多くないことを考えれば致し方ない面もあるのだが…。
・ラジオ放送の今後がはっきりしなくなっていること。今後起き得る大きな変化としてはテレビ放送に続いてラジオ放送もデジタル化することとエフエム放送に使用する周波数帯を76.0〜95.0MHzから76.0〜108.0MHzに拡大することが挙げられる。しかし、ラジオ放送のデジタル化については規格が乱立していてどれが日本にとって最適であるかが確定していないことや対応機器が高額になる可能性が高いこと、安定して受信できる環境を整えるのが難しいことなどが、エフエム放送に使用する周波数帯の拡大についてはそれだけの需要があるかどうか疑問が残ることや2014年(平成26年)にエフエム放送に使用する周波数帯が76.0〜90.0MHzから76.0〜95.0MHzに拡大されたが未だにNHK-FM・都道府県域民間エフエム放送局・コミュニティ放送局で90.0〜95.0MHzを使用した中継局は開局していないこと、エフエム補完放送への取り組みについて放送局間で著しい温度差が生じていること、エフエム補完放送が定着したとは言い難(がた)い状況があることなどがそれぞれ課題として残っている。
・経営難に陥っても誰も救いの手を差し伸べなかったために廃業を選択せざるを得ないラジオ局が出ていること。コミュニティ放送局ではこれまでに28社(注89)、都道府県域民間エフエム放送局では新潟県民エフエム放送・愛知国際放送(愛称:RADIO-i。名古屋市東区東桜一丁目。2000〜2010)・Radio NEO(名古屋市瑞穂区北原町一丁目。2014〜2020)の3社がそれぞれ廃業に追い込まれている。廃業理由のほとんどは経営難であるが、地域に定着しなかったのか、経営陣が良くなかったのか、抱えた負債があまりにも大きく、どこも継承しようと思わなかったのかは分からないが地域から見捨てられる格好で廃業を選ばざるを得なかったのでは…というところが多いように感じる(注90)。一方では廃業しようと思っていたが土壇場で存続することになったところ(注91)もあるのだが、やはり放送局は地道に努力することや堅実な経営を行うことが生き残るための数少ない道となるのだろうか。
・受信環境改善が難しいことなどを理由にインターネット放送局に転換するところが出る可能性があること。しかし、発信手段をインターネットに変えても設備や備品などそれ相応の投資は必要であるし、広告収入がないといずれ立ち行かなくなる。また、その存在を知ってもらえなければどうにもならない。現に愛知国際放送廃業後に愛知国際放送の社員だった方々がインターネット放送局を開局させたことがあったが、長続きせずに終わっている。
・もし今後放送局の再編が実際に行われるようになった時、放送体制が激変してかえって親しみにくい放送局が発足する恐れがあること。私として再編が行われる可能性が高いと考えているのは都道府県域民間テレビ放送局とJFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局である。前者は広告収入が激減したことやデジタル放送移行で多額の出費を強いられたこと、(テレビ・ラジオ兼営局に限るが)中波放送のエフエム補完中継局整備を総務省から強制され、それでまた多額の出費を強いられたこと、地域格差が著しいこと、人口・経済規模に比して局数が多く、経営が厳しくなっているところが少なくないことが、後者は深夜・早朝や週末を中心に同じ番組を放送しているところが多いことや高度経済成長が終わってから開局したところが多く、自社制作比率が高くないところが多いこと、JFN系列に属していても経営難に陥り、体制を刷新せざるを得なくなったところがあること、都道府県域民間エフエム放送局は民間中波放送局とは異なってテレビ局と兼営しているところが一切ないため(注92)単立が難しくなりつつあることがそれぞれそのように考える理由である。しかし、再編を行えばそれまでの独自性は損なわれ、それで聴取者離れを引き起こす恐れがある。独自性維持を目的として地域別放送を導入することも考えられるが中国放送ラジオの例を見るまでもなく経営が厳しくなれば切り捨ての対象になる可能性も否定し得ない。記すまでもなく私としては再編推進を声高に叫ぶ考えは毛頭ないのだが、どのやり方なら多くの方々が満足し得るものができるのだろうか。
 まあ今後どうなっていくのか誰にも分からないわけであるが、どのようになっても念頭に置いて頂きたいと思うことは聴取者、特に放送区域内を自動車で移動する方の目線に立った受信環境改善を展開して頂きたいということである。運転者しか自動車に乗っていない場合の情報を得る手段はラジオしかないこと(注93)やそのラジオであれば緊急情報を即座に流せること、そして同じ放送を聴き続けるのに何度も周波数を合わせ直すのは面倒であるだけでなく脇見運転をする可能性があるためにどうかと思うことがそのように考える理由であるが、では今後何をしていけば良いのだろうか。それを挙げると次の通りになる。
・エフエム放送についても周波数を統一しても不都合が起きない技術を確立・普及させること。中継局を持っているコミュニティ放送局と一部の民間中波放送局のエフエム補完放送でしか行われていないエフエム放送の周波数統一であるが、都道府県域民間エフエム放送局でも普及すれば民間中波放送局と対等に渡り合える手段になり得る可能性がある。対抗関係にある民間中波放送局がエフエム補完中継局設置に積極的であり、既に経営に影響が出ている広島エフエム放送・エフエム山口、今のところ対抗関係にある民間中波放送局はエフエム補完中継局はあまり設置していないが将来設置を推進すれば経営に甚大な影響が出る恐れのある岡山エフエム放送(愛称:エフエム岡山またはVV-FM。岡山市北区中山下一丁目)は検討しても良いのではないかと思われる
・現在幹線道路のトンネルではエフエム補完放送は受信できないようになっているが、今後普及していくことを考えて受信できるように改善すること。前に写真を掲げた、福山市赤坂町早戸/赤坂バイパス早戸ランプ交差点の脇にある受信可能なラジオ局とその周波数を記した看板に中国放送ラジオのエフエム補完中継局の周波数が記されていないのはその先の国道2号線赤坂・松永・尾道・木原・三原各バイパスにあるトンネルでは中国放送ラジオのエフエム補完放送が受信できないことが理由であるが、来年までには福山市西部で十分受信できる可能性が高いNHKラジオ第一尾道エフエム中継局が開局することなどを考えるとこのままでは良いとは思えない。エフエム放送局については政見放送が流せないという問題(注94)も抱えているが、民間中波放送局がエフエム放送局へ転換しようという動きが起きていることを考えるとこういう状況は早急に改善すべきではないのだろうか。
・自動車で移動する方のためにその付近で受信できるラジオ局の名称とその周波数を記した標識を設定し、都府県境や市区町村境、幹線道路上の恒久性の高い休憩所(サービスエリア・パーキングエリア・道の駅など)、幹線道路のラジオ放送受信可能トンネル入口に設置すること。現在でもあることはあるが意匠が様々であるし、そういう標識がないために今いるところでどの放送局を聴けば良いやら分からないという状況も起き得る。無論広告目的のラジオ局の周波数を記した看板を設置するのは構わないことにするのだが、もし官民双方でラジオ局の周波数を記した標識・看板が普及すれば突発的な事態に対処できる方が増えたり放送局の知名度が向上したりするなどの効果が期待される。
・ラジオ放送が受信できるカーナビゲーションシステムに現在いる場所で受信できるラジオ放送を選択できるようにする機能を付けること。現在地が把握できるようになっていることを考えるとそういう機能はあっても良いと考えるのだが、なぜ今までそういう機能は考えられなかったのだろうか。自分の生活する場所から離れたところで情報を得るのに有用な機能だと私は考えるのだが…。
・ラジオ局の経営に対して総務省は放任せず、どうかと思う場合は注意・指導するように努めること。そのようにすることは総務省がラジオ局の放送内容に干渉することに繋がり、好ましくないという反対意見が起きることを承知で記すのだが、近年どうかと思う事例が多発していること(注95)を考えると緊急事態に役に立たず、地域住民の信頼を失うラジオ局が出るのは好ましいとは言えないのではないのだろうか。予備免許を取得したのに開局への動きが停滞しているところや公式サイト・公式ブログ・公式SNSの更新が途絶えたところについては関係者から事情を聴き、何らかの改善策を提示するとか仲裁に入るとかして地域にとって有用な存在になるよう努めるようにしても良いと思う。
・中波放送は極力維持することを考えること。民間中波放送局が中波放送を取りやめようと考えている理由としては中波・エフエム二本立て放送が経営事情から困難になっていることや施設の新調が難しくなっていることがあるが、中波中継局に関しては日本放送協会と共同施設にして維持費用は折半するなど方策はまだ残されているように思われる。今後エフエム放送に親しんできた世代が年をとることや高い鉄塔を建てなければならないこと、受信可能範囲は広くないといけないことなどを考えるとそれでも中波放送はずっと続けられるかは疑問であるが、聴取者の感情や中波放送の利点、中波放送を廃止した場合に生じる不都合を無視してエフエム放送局転換を強行するのは感心できない。
・放送局は明確な目標や独自性、「○○放送と言えばこれ!!」というようなものを持つこと。何かを持っている放送局は信頼感が向上するし、厳しい中でも生き残れる可能性が高まる。聴取者に宣言するか、特に何も示さずさり気なく事を進めるかは放送局次第だが、どの放送局も最低限それを目指して頂きたいものである。
・間もなく日本のラジオ放送は開始から一世紀が経過するが、次の時代も身近な存在であり続けるためにも聴取者を念頭に置いた改善や技術革新を進めること。今後考えられるのはエフエム放送の使用周波数帯の拡大やデジタル化といったところだろうが、中波ステレオ放送やエフエム文字多重放送などで失敗した経験を踏まえ、どのようにすれば聴取者に浸透するのか、そして短期間で放棄する羽目に陥らないようにするためにはどのようにすれば良いのかを考えて臨んで頂きたいと思っている。
 今回は中国放送ラジオの1970年代中期、すなわち「走れ! 歌謡曲」のネットを開始した頃からの受信環境改善策について綴ってきたわけであるが、私として感じたことは中国放送は中国放送なりにどのようにすれば多くの方々に不便を感じさせないで番組を楽しんで頂けるのかを考えてきたのではないかということである。その具現化したものが地域ごとに中波中継局の周波数を統一することであり、エフエム補完放送に関しては全ての中継局の周波数を統一することだったのであろう。近隣にある民間中波放送局、すなわちRSK山陽放送ラジオ・四国放送ラジオ・西日本放送ラジオ・南海放送ラジオのような全ての中波中継局の周波数を統一するというようなことは本局の出力が高いことや遠距離受信で中国放送ラジオの番組を聴きたいと思う方が少なくないことなどからできなかったが、こういう戦略的な受信環境改善策はもう少し知られても良いことだと思うし、評価されても良いことだと思う。
 中国放送ラジオの今後は決して楽観視できるものではない。しかし、その中で今後どのように受信環境改善策を進めていくのであろうか。そして中国放送としては中波放送をどのように考えているのであろうか。取り巻く環境は厳しいものがあるが、中国放送ラジオの一聴取者としてこれからも中国放送の動向には注目していきたいと思う。

(注釈コーナー)

注1:「ちちんぷいぷい」は山陰放送テレビと中国放送テレビで、「ドォーモ」は山口朝日放送(YAB、山口市中央三丁目)でそれぞれネットされていた。しかし、いずれも視聴率低迷などの事情で打ち切られ、番組自体の最終回まで放送されることはなかった。
※私として問題視したいのは中国放送テレビにおける「ちちんぷいぷい」のネットと、山口朝日放送における「ドォーモ」のネットである。それぞれについて問題点を挙げると下表の通りになる。

問題視している点 問題点
中国放送テレビにおける
「ちちんぷいぷい」ネット
・中国放送テレビは1970年代中期以降「スタジオ2時」(1975〜1982年〔昭和50〜57年〕放送)や「ワイドYOU」(1982〜1990年〔昭和57年〜平成2年〕放送)などの毎日放送テレビ制作の平日午後の生放送情報番組をネットしていたが、これらの番組は月曜日から金曜日までネットしていたのに対し、「ちちんぷいぷい」は金曜日しかネットしなかったため視聴者に番組の全体像や面白さが伝わらなかったこと。もし「スタジオ2時」や「ワイドYOU」のように月曜日から金曜日までネットしていたらまた違った展開があったかもしれない(現に山陰放送テレビはそのようにしていたがそれでも1年でネットを打ち切っている)。
・中国放送テレビは視聴率が芳(かんば)しくないと一クール程度で番組を打ち切ることが多く、視聴率にかなり厳しい態度をとっていたと推察される様子があったこと。「ちちんぷいぷい」(3ヶ月半で打ち切り)以外には今年放送開始25周年を迎えた週末の情報番組「王様のブランチ」(TBSテレビ系)の午後の部(午後0時〜午後2時。2ヶ月半で打ち切り)やテレビ神奈川(TVK、横浜市中区太田町二丁目)制作のヴァラエティ番組「saku saku」(2000〜2017年〔平成12〜29年〕放送。最初にネットした時は2ヶ月で打ち切り)がその被害に遭っている(「王様のブランチ」は午後の部打ち切り数ヶ月後に今度は午前の部〔午前9時30分〜午前11時45分〕のネットを開始して現在も続いている。また、「saku saku」は数年後再度ネットし、その時は2年半程度続いている〔但し番組自体の最終回まではネットしていない〕)。
・「ちちんぷいぷい」は放送時間が重なっていた讀賣テレビ放送(YTV、大阪市中央区城見一丁目)制作のワイドショー「情報ライブ ミヤネ屋」のように全国ネットにはなっていないし、毎日放送テレビ・讀賣テレビ放送の放送区域である近畿(関西)地方(滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県)以外での知名度は著しく低いこと。もし「ちちんぷいぷい」が「情報ライブ ミヤネ屋」やCBCテレビ(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)制作のワイドショー「ゴゴスマ」(現在山陰放送テレビ・中国放送テレビともネットしている)のように全国ネットされるところまで人気・知名度が高まっていたら違った展開があったかもしれないのだが…。
山口朝日放送における
「ドォーモ」ネット
・山口朝日放送が開局する少し前に「ドォーモ」の女性出演者の妊娠公表から出産までを追った企画が大きな反響を呼んだこと(ちなみにこの企画は「ドォーモ」を一度も定期ネットしたことのない広島ホームテレビ〔HOME、広島市中区白島北町〕でも放送されている。広島ホームテレビが九州朝日放送テレビと何らかの関係を持っているから放送したのではないかと思うのだが…)があったが、そのことで「トゥナイト」(テレビ朝日系。1980〜1994年〔昭和55年〜平成6年〕放送)より「ドォーモ」をネットしたほうが視聴率が稼げるのではないかと山口朝日放送の経営陣は判断したこと。ただ、山口朝日放送が広島ホームテレビや瀬戸内海放送(KSB、高松市上之町二丁目)がネットしていた「トゥナイト」をネットしなかったのは山口朝日放送に青少年に悪影響を及ぼすと考えられる番組の放送をなるべくならしたくないという方針があった可能性が考えられる(ちなみに山口朝日放送は「トゥナイト」の後継番組になる「トゥナイト2」〔テレビ朝日系。1994〜2002年〈平成6〜14年〉放送〕については1999年〔平成11年〕春からネットしている。記すまでもないが「ドォーモ」を打ち切った上でのネット開始であった)。
・山口県のうち福岡県に近い地域である宇部市・山陽小野田市・下関市は九州朝日放送テレビが十分受信できる地域であり、山口朝日放送が「ドォーモ」をネットしたとしても見向きもしない可能性が高かったこと。更に(中島さんから聞いた話なのだが)山口朝日放送が開局した当時中島さんが住んでいたところ(下関市山の田東町)では山口朝日放送の映りが良くなく、それで引き続き九州朝日放送テレビの番組を見ようと考えた方も少なくなかったことが考えられる(中島さんは結局山口朝日放送はほとんど見なかったという。しかも山口朝日放送が開局したのは中島さんが大学を卒業する少し前だったのでその後映りが良くなったかどうかは分からないとのことである)。
・山口県には福岡県に近い地域以外にも広島県に近い地域(岩国市・柳井市・大島郡・玖珂〔くが〕郡など)や広島県・福岡県のどちらからも遠い地域(萩市・阿武郡など)があり、そういう地域で福岡市を中心とした地域の情報を流したとしても関心が高まる可能性はなかったこと。そのことから「ドォーモ」以外の番組(考えられるのは「トゥナイト」や朝日放送テレビ〔ABC、大阪市福島区福島一丁目〕制作の深夜ヴァラエティ番組、山口県に系列局の存在しないフジテレビ系列やテレビ東京系列の番組、テレビ神奈川などの独立局制作の番組となる。自社制作番組は難しいだろう)を流したほうが視聴率が良くなった可能性は考えられるところである。
・山口県は現在の倉敷市や福山市とほぼ同じくらいの人口を有する中核都市が形成されなかったことや主力産業が振るわなくなったことなどから若年者を中心に人口流出傾向が著しくなっていたこと。「ドォーモ」の主たる視聴者層である若年者が少なくなっていたということは山口朝日放送が「ドォーモ」をネットしたとしても視聴率が稼げないということになるのだが…。
・前記の通り山口朝日放送は1999年(平成11年)春の番組改編で一度「ドォーモ」を打ち切るのだが、性懲(しょうこ)りもなく2005年(平成17年)春の番組改編でネットを再開したこと。結局視聴率が芳しくなかったのか2009年(平成21年)春の番組改編で再び打ち切り、それを最後に山口朝日放送は二度と「ドォーモ」をネットしなかったのだが、なぜ視聴率低迷などの事情で一度打ち切った番組を再びネットしたのだろうか。これは広島テレビ放送(HTV、広島市東区二葉の里三丁目)における「メレンゲの気持ち」のネット(何度かネットしたがいずれも長続きせず。定期ネットは2016年〔平成28年〕3月5日をもって最後となった)などにも言えることであるが…。

つまり、私が言いたいのはもう少し状況を考えた上でネットするかどうかを決めていたら良かったのではないかということである。民間放送局の経営が厳しい今日であればそれは尚更であるが、それができなかったのはいかなる事情があったからなのだろうか。

注2:「走れ! 歌謡曲」をネットしていた民間中波放送局のうち北日本放送ラジオと静岡放送ラジオについては2020年(令和2年)9月26日放送分をもって打ち切られており、番組自体の最終回までは放送されなかった。また、福井放送ラジオは番組前半部分、すなわち午前3時〜午前4時だけのネットだったため番組自体の最終回は前半部分しか放送されなかった。
※この他東海ラジオ放送も2020年(令和2年)9月29日放送分からは番組終盤の30分、すなわち午前4時30分〜午前5時はネットしなくなっていた。

注3:「JET STREAM」の制作局はJFN系列の総本山であるエフエム東京(愛称:Tokyo fm。東京都千代田区麹町〔こうじまち〕一丁目)であるが、このエフエム東京が開局したのは1970年(昭和45年)4月26日のことであり、エフエム東京開局以前はどこで放送されていたのかという疑問が生じる。実はエフエム東京は東海大学超短波放送実用化試験局(愛称:エフエム東海。東京都港区虎ノ門二丁目。1958〜1970)の後身的存在であり、東海大学超短波放送実用化試験局在りし時に「JET STREAM」は放送を開始したのである。ただ、運営形態や本局の周波数が異なることからこの東海大学超短波放送実用化試験局は日本初の都道府県域民間エフエム放送局とはされていない。
※ちなみに日本初の都道府県域民間エフエム放送局は1969年(昭和44年)12月24日に開局したエフエム愛知(FMA、名古屋市中区千代田二丁目)となっている。エフエム東京はエフエム愛知・エフエム大阪(愛称:FM OH!。大阪市浪速〔なにわ〕区湊町一丁目)に次いで三番目に開局した都道府県域民間エフエム放送局となっている(エフエム愛知とエフエム東京の間に開局したエフエム大阪は1970年〔昭和45年〕4月1日に開局している)。

注4:こちらでも書いているが事前通行規制とも称する。例えば私が住んでいる広島県の場合、道路標識では「異常気象時通行規制区間」と書いているが、広島県の道路情報を紹介しているサイト「ひろしま道路ナビ(道路防災情報システム)」では「事前通行規制」と書いている。

広島県・広島市・三次市が管理する国道路線・県道路線で見られる異常気象時通行規制予告標識の一例

注5:飛騨川バス転落事故発生までの経緯を記すと次のようになる(インターネット百科事典「Wikipedia」の当該項目などを参考に記している)。
・名古屋市で主婦向けのフリーペーパーを発行していた会社(現在は廃業している)が土曜日、すなわち8月17日の夜に名古屋市を出発し、乗鞍岳(標高:3,025.7m)で御来光を拝んだ後岐阜県北部の中心都市で古い町並みが残っていることで知られる高山市を観光して日曜日、すなわち8月18日の夕方に名古屋市に戻ってくるバス旅行を企画したところ
多数の応募があり、15台のバスを出して催行することになった(飛騨川バス転落事故が起きた1968年〔昭和43年〕の曜日パターンはこちらに示しているので興味のある方はご覧頂きたい)。
・15台のバスは成田山名古屋別院大聖寺(犬山市犬山)の駐車場に一旦集合し、そこから乗鞍岳を目指すことになった(現在の国道41号線は成田山名古屋別院大聖寺の2.4kmほど南方を通っているのでなぜ国道41号線の沿線にない寺院の駐車場を集合場所にしたのかと思う方がいるかもしれないのだが、1968年〔昭和43年〕時点の国道41号線は成田山名古屋別院大聖寺の300mほど西方を通っていた〔現在は愛知県道/岐阜県道27号春日井〈かすがい〉・各務原〈かかみがはら〉線になっている〕。1968年〔昭和43年〕時点の国道41号線の沿線にある広い駐車場ということで成田山名古屋別院大聖寺の駐車場を集合場所にしたのであろう)。
・15台のバスは美濃加茂(みのかも)市を通過した辺りから激しい雷雨に見舞われながらも最初の休憩地(岐阜県加茂郡白川町坂ノ東にあったモーテル)に到着した。
・モーテルでの休憩中に高山方面で土砂崩落が起きているという情報を得たことや激しい雷雨が降り続いていたことから企画を一週間後、すなわち8月24〜25日に延期することにし、名古屋市に戻ることにした。
・1〜7号車の6台(4号車は縁起を担いで欠番となっていた)を第一グループ、8〜16号車の9台を第二グループとして来た道を引き返すことにしたが、第一グループの行く手でも土砂崩れが起きて名古屋方面に進めなくなった。4番目に引き返した5号車は途中で消防団員にこの先は危険なので進まないように言われたのだが、既に1〜3号車が通過していたことや通行規制がかけられていないことから進むことにし、6号車・7号車も後に続いた。結果的にこれが悲劇への分岐点になった(ちなみに第二グループの9台は消防団員の警告を聞き入れて付近で待機している)。
・事故現場付近は大型車両が方向転換できるような場所がなかったことから後退させて高山方面に戻ることにしたが高山方面でも土砂崩れが起きたため第一グループの6台は立ち往生せざるを得なくなった。
そんな中、8月18日午前2時11分頃に大規模な土砂崩落が発生して5〜7号車を直撃し、5号車と6号車は土砂もろとも飛騨川に転落したのである(7号車はガードレールで押しとどめられたため転落は免〔まぬか〕れている。また1〜3号車は前記の通り高山方面に後退していたため5〜7号車の後方、すなわち高山寄りにあり、土砂崩落の直撃は受けなかった)。
この飛騨川バス転落事故は責任主体を特定するのが非常に困難な事故なのだが、私として気になったのは岐阜地方気象台(岐阜市加納二之丸)が8月17日午後8時に雷雨注意報を、そして午後10時30分に大雨・洪水(こうずい)警報をそれぞれ出していることである。つまり、バスの運転手や旅行の主催者がその情報を察知していれば悲劇は回避できた可能性があるのではないかということである。
ではなぜバスの運転手やこの旅行の主催者がその情報を察知できなかったのか。考えられる理由は次の通りである。
・主催者は出発日の午後7時時点の天気予報については岐阜地方気象台に電話で問い合わせているが、その後の注意報や警報は察知していたかどうかが分からないこと。
・もし主催者かバス会社の従業員が注意報や警報を察知したとしてもバスの運転手に伝える手段がなかったこと(バスに無線などの連絡手段はあったかもしれないが山間部に入ると受信しづらくなる恐れが高いことや運転に集中している時に連絡を入れるのは危険であることを考えると連絡しづらかった可能性が高い。記すまでもないが1968年〔昭和43年〕時点では自動車電話や携帯電話はまだ普及していない)。
・バスにはカーラジオは備え付けられていたのではないかと思うのだが、この旅行は夜を徹して走って目的地に向かうことになっていたため乗客の安眠を妨(さまた)げるようなこと、つまりカーラジオを大きな音量でかけることができなかったこと。
・岐阜県はNHK名古屋拠点放送局(名古屋市東区東桜一丁目)・CBCラジオ・
東海ラジオ放送・岐阜放送ラジオ(GBS、岐阜市橋本町二丁目)の放送区域に含められているのだが、国道41号線は美濃加茂市を通過すると山間部に入るためこれらの中波放送が受信しにくいところが少なくなかったこと(ちなみにNHK名古屋拠点放送局の中波放送は愛知県だけでなく岐阜県と三重県も放送区域としているため岐阜県を放送区域としているNHK岐阜放送局〔岐阜市京町二丁目〕は独自の中波放送は行っていない)。
・もし前記の岐阜県を放送区域に含めている中波放送局が気象警報を把握したとしてもすぐに流せるかどうかは分からなかったこと。
・1968年(昭和43年)時点では終夜営業の店舗はほとんどなく、交通情報や気象情報を得るのは困難だったこと。
・1968年(昭和43年)時点では気象情報を即座に知るのが難しかったこと。
・1968年(昭和43年)時点の気象観測はレーダー観測が主流であり、衛星による観測はまだ始まったばかりだったこと。
・現在でも集中豪雨の予測は困難を極めること。
気象の急変はいくら観測技術が発展した今日になっても予測し得ないことが少なくないわけであるが、いずれにせよ飛騨川バス転落事故は気象情報の把握やその情報伝達について課題を残した出来事だったことは疑いようのないことであろう。

注6:「日野ダイナミックスコープ 走れ! 歌謡曲」という題名で放送されたのは1991年(平成3年)3月31日放送分までである。1991年(平成3年)4月2日放送分からは「日野ミッドナイトグラフィティ 走れ! 歌謡曲」に改称している。

注7:番組草創期に携わった文化放送の女性アナウンサーの中には後に作家に転向した落合恵子や若くして不治の病に倒れた成田敦子(1941〜1975。遺稿集が逝去後出版され、テレビドラマ化・映画化されたことで知られている)がいる。

注8:「走れ! 歌謡曲」の喋り手はほとんどが女性(文化放送アナウンサーやフリーアナウンサー以外には歌手や声優などもいた)であるが、男性の喋り手も一人だけだがいた。タレントの田中義剛が1991年(平成3年)4月から1年間だけだったが日曜日放送分を担当している。

注9:文化放送の放送区域は関東地方、すなわち茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県、東海ラジオ放送の放送区域は岐阜県・愛知県・三重県、大阪放送の放送区域は近畿(関西)地方、すなわち滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県となっている。よって、東京〜名古屋〜大阪間の高速道路の沿線都府県で文化放送・東海ラジオ放送・大阪放送の放送区域に含められていないのは静岡県だけになる。但し文化放送・東海ラジオ放送の本局の出力増強により静岡県でも文化放送と東海ラジオ放送のどちらかが受信できる地域は少なくなかったものと思われる。

注10:静岡放送ラジオでの「走れ! 歌謡曲」のネット開始は2003年(平成15年)4月1日のことである(但し前半部分、すなわち午前3時〜午前4時のみのネットだった)。これにより東京〜名古屋〜大阪間の高速道路の沿線都府県の全てで「走れ! 歌謡曲」がネットされている民間中波放送局が存在するようになった。但し注2でも触れているように静岡放送ラジオでの「走れ! 歌謡曲」のネットは2020年(令和2年)9月26日放送分をもって打ち切られており、2020年(令和2年)9月29日以降は2003年(平成15年)3月30日以前の状況に戻っている。

注11:「走れ! 歌謡曲」が始まった1968年(昭和43年)11月19日時点における本局の出力は文化放送が50kW、東海ラジオ放送が10kW、大阪放送が20kWとなっていた。1971年(昭和46年)に文化放送は100kW、東海ラジオ放送と大阪放送は50kWにそれぞれ本局の出力を増強している。

注12:中国放送ラジオが開局した1952年(昭和27年)10月1日は水曜日である(1952年〔昭和27年〕の曜日パターンはこちらを参照して頂きたい)。現在では衆議院議員総選挙の投票日は日曜日で固定されているので水曜日に投票が行われていたことを奇異に思う方がいるかもしれないのだが、1960年代末期までは日曜日以外でも実施することが多かったのである。投票日が日曜日で固定されたのは第33回衆議院議員総選挙(1972年〔昭和47年〕12月10日実施。1972年〔昭和47年〕の曜日パターンはこちらを参照して頂きたい)からである。

注13:この他1957年(昭和32年)9月には台風10号が広島県に接近する恐れがあったため終夜放送を行ったとの記録がある(「中国放送の50年 その時、いつもそばにいた」〔2002年〈平成14年〉中国放送50年史編纂〈へんさん〉委員会編〕にそのような記述がある)。

注14:中国放送ラジオが開局した時は本局は広島市西区観音新町四丁目にあった。その後現在は一部が広島ヘリポート(広島市西区観音新町四丁目)として使用されている旧広島空港(広島市西区観音新町四丁目。1961〜1993)の整備に伴い1961年(昭和36年)8月30日に廿日市市住吉二丁目に移転した。現在本局がある江田島市沖美町美能に移転したのは2002年(平成14年)10月1日のことである。

注15:福山中波中継局は1959年(昭和34年)2月1日に、三原中波中継局は1968年(昭和43年)12月20日に、三次中波中継局は1960年(昭和35年)12月20日にそれぞれ開局している。

注16:「パックインミュージック」は中国地方にある民間中波放送局ではRSK山陽放送ラジオしかネットしなかった。
※RSK山陽放送ラジオが「パックインミュージック」をネットしたのは長らくJRN系列にしか属していなかったためである(反対に岡山県南部で受信できる西日本放送ラジオはNRN系列にしか属していなかった)。このためRSK山陽放送ラジオは中国地方にある民間中波放送局で最も遅く「オールナイトニッポン」のネットを開始したところとなった(RSK山陽放送ラジオがNRN系列にも加盟した1997年〔平成9年〕10月になってようやくネット開始)。

注17:記すまでもないが月曜日については機器調整を理由に放送を休止するところが多いため設定されていない。

注18:そのポスターと思われるものの写真は「RCC20年のあゆみ」(1972年〔昭和47年〕中国放送編)に掲載されている。

注19:亀渕昭信はニッポン放送の職員ではあったがアナウンサーではなかった。

注20:「走れ! 歌謡曲」の最終週となった今年3月23〜28日の週の「オールナイトニッポン」第一部の喋り手は次の通りになっている。
・火曜日…菅田将暉(すだ・まさき)
・水曜日…星野源
・木曜日…乃木坂46(出演は新内眞衣〔毎回〕+新内眞衣以外の乃木坂46のメンバー1人〔毎回変わる〕)
・金曜日…ナインティナイン
・土曜日…三四郎(今年3月27日放送分をもって降板)
・日曜日…オードリー

注21:中国放送の放送区域である広島県から見れば中国山地の向こうになり、かなり離れている鳥取県八頭郡智頭(ちづ)町でも中国放送ラジオ(中波放送)の広島本局は受信できることを自分の車のカーラジオで確認している。

注22:中国放送ラジオ以外の中国地方にある民間中波放送局における終夜放送の開始時期は次の通りである。
・山陰放送ラジオ…1990年(平成2年)4月2日
・RSK山陽放送ラジオ…1977年(昭和52年)1月31日
・山口放送ラジオ…1990年(平成2年)4月2日
但し山陰放送ラジオは経営上の問題などから終夜放送移行当初から現在に至るまで土曜日深夜(日曜日早朝)に放送休止を入れており、RSK山陽放送ラジオ・中国放送ラジオ・山口放送ラジオのような形の終夜放送(日曜日深夜〔月曜日早朝〕にしか放送休止を入れない形の終夜放送)は行っていない。

注23:中国放送ラジオ以外の中国地方にある民間中波放送局における「オールナイトニッポン」のネット開始時期は次の通りである。
・山陰放送ラジオ…1985年(昭和60年)4月2日
・山口放送ラジオ…1988年(昭和63年)4月5日
・RSK山陽放送ラジオ…1997年(平成9年)10月7日

注24:但し1971年(昭和46年)12月15日時点では西日本放送ラジオや九州朝日放送ラジオが「オールナイトニッポン」をネットしていたため岡山県南部では西日本放送ラジオを、山口県西部では九州朝日放送ラジオをそれぞれ聴いていた方が多かった可能性がある。

注25:「パックインミュージック」は1972年(昭和47年)春の番組改編から火曜日〜土曜日の放送になっていた(つまり日曜日の放送は別の番組を設定したために打ち切られたということ)。無論「パックインミュージック」第二部の跡地に設定された「いすゞ歌うヘッドライト」も火曜日〜土曜日の放送になっていた。

注26:山陰放送ラジオについてはエフエム山陰(愛称:V-air。松江市学園南一丁目)・NHKラジオ第一・NHK-FMが、広島エフエム放送については中国放送ラジオがそれぞれ該当する。

注27:このこともあるのか1982年(昭和57年)頃の中国新聞朝刊のラジオ欄における中国放送ラジオの番組表では「オールナイトニッポン」が最下段になり、「走れ! 歌謡曲」が記載されていなかったことがあった。その頃だけ「走れ! 歌謡曲」が放送されていなかったわけはないと思うのだが、中国新聞の発行元である中国新聞社(広島市中区土橋町)は中国放送の筆頭株主になっているなど中国放送との関係が深いことを考えると中国放送から「走れ! 歌謡曲」の存在を隠すように要請され、それで記さないようにしたことが考えられる。
※中国放送は現在ではそういう雰囲気はなくなった感じがあるのだが、実は結構お堅い放送局である。それを象徴していたのがテレビ放送の放送終了がかつてはものすごく早かったことである。例えば平日は1983年(昭和58年)時点では午前0時35分に、日曜日は1986年(昭和61年)時点では午前0時10分にそれぞれ放送を終了していた。RSK山陽放送テレビがそれよりも遅くまで放送していたことを考えるともっと遅くまで放送すれば良いのに…と思ったものであるが、経営環境が厳しかったことや第一次石油危機(1973年〔昭和48年〕)以降テレビ放送については多くの電力を消費するため深夜放送は自粛する方針を採っていたこと、遅くまで番組を流すのは特に青少年にとって好ましくないという考えが根強かったことなどからそのようにしていたものと思われる。ちなみに当時の放送終了の映像は正体非公開の女性が暗いスタジオでハープで「中国地方の子守唄」を演奏するという恐怖感を抱きたくなるような映像であった。

注28:ネット局の少ない一社提供番組は人口の少ない地域を放送区域としている都道府県域民間放送局ではスポンサーの経営上の問題などによりネットから外されることがある。中国放送ラジオでそういう例があったかどうかは私は知らないのだが、広島エフエム放送については過去に何度かスポンサー都合によるネット外し(広島エフエム放送などにおけるネット打ち切り)が行われている。(番組自体の知名度は著〔いちじる〕しく低いのだが)私が把握している例を示すと下表の通りになる。

番組名 概要
RADIO MAGAZINE WHAT'S IN? ・エフエム東京制作の番組で、1996年(平成8年)4月7日放送開始(放送開始日はエフエム東京基準)。
・スポンサーは音楽に関する書籍・雑誌を出版していたソニー・マガジンズ(現:エムオン・エンタテインメント〔東京都港区六本木三丁目〕)。
・番組開始当初のネット局はエフエム東京・エフエム北海道(愛称:AIR-G'〔エアージー〕。札幌市中央区北一条西二丁目)・エフエム仙台(愛称:Date fm〔デイトエフエム〕。仙台市青葉区本町二丁目)・エフエム愛知・エフエム大阪・広島エフエム放送・エフエム福岡(福岡市中央区清川一丁目)の7社。七大都市を擁する都道府県を放送区域とし、JFN系列に属している都道府県域民間エフエム放送局に限定していた。但し2000年(平成12年)春から1年間だけエフエム徳島(徳島市寺島本町西一丁目)がネット局として加わっていた。
・ネット局を限定していた関係上ソニー・マガジンズが発行していた月刊音楽情報誌「WHAT's IN?」(1988〜2016)では2ページ程度の誌上再録コーナーが設けられていた。
・しかし、2003年(平成15年)3月末をもってエフエム仙台と広島エフエム放送でのネットが打ち切られ、五大都市(札幌・東京・名古屋・大阪・福岡)を擁する都道府県を放送区域とし、JFN系列に属している都道府県域民間エフエム放送局にネット局を縮小した。理由は不明だが、エフエム仙台と広島エフエム放送でのネット打ち切りの少し前に主婦向け書籍・雑誌を出版していた婦人生活社(東京都文京区湯島二丁目。1947〜2003)や道路地図を出版していたワラヂヤ出版(大阪市西区新町三丁目。1872〜2002)などの著名な出版社の経営破綻が相次いだことを考えるとインターネットの急激な普及などが原因でソニー・マガジンズが出版している書籍・雑誌の売れ行きが芳しくなくなったために放送区域人口が少ないエフエム仙台と広島エフエム放送についてはネットから外すことにしたのではないかと思われる。ただ、「WHAT's IN?」の誌上再録コーナーでは一切エフエム仙台と広島エフエム放送でのネット打ち切りは通知されなかったこと(それどころかエフエム仙台と広島エフエム放送で流れなくなった直後に発行された号では誤ってエフエム仙台と広島エフエム放送でも放送されていると書いている。さすがにその次の号ではエフエム仙台と広島エフエム放送の放送日時は削除されているが誤って掲載したことに関するお詫びは一切なかった)や2003年(平成15年)3月23日付山陽新聞朝刊に掲載されていた週間エフエム番組表を見ても広島エフエム放送で2003年(平成15年)3月29日深夜(=2003年〔平成15年〕3月30日未明)に放送されると記されている「RADIO MAGAZINE WHAT'S IN?」には最終回記号は付されていなかったことから急遽(きゅうきょ)打ち切りが決まった可能性がある(記すまでもないが2003年〔平成15年〕3月29日付各紙朝刊に掲載されていたラジオ欄を見ると広島エフエム放送の「RADIO MAGAZINE WHAT'S IN?」には最終回記号が付されている)。
・その後エフエム北海道・エフエム東京・エフエム愛知・エフエム大阪・エフエム福岡の5社で「RADIO MAGAZINE WHAT'S IN?」は放送を継続するのだが、エフエム仙台と広島エフエム放送での打ち切りの原因になったソニー・マガジンズの経営環境悪化は解消に至らなかった。そこで清涼飲料水製造会社のチェリオコーポレーション(京都市南区上鳥羽石橋町)をスポンサーに加えたためソニー・マガジンズ一社提供状態は終焉を迎えた。
・それでもエフエム仙台と広島エフエム放送でのネット再開はならず、結局ネット局の増減はないまま番組は2006年(平成18年)3月26日(エフエム東京基準)をもって10年間の歴史に終止符を打った。
・番組終了から6年経った2012年(平成24年)にソニー・マガジンズは衛星放送事業者のミュージック・オン・ティーヴィと合併してエムオン・エンタテインメントに改称している。また、「RADIO MAGAZINE WHAT'S IN?」の誌上再録コーナーを掲載していた「WHAT's IN?」は発行部数の減少などが原因で2016年(平成28年)に休刊している。エフエム仙台と広島エフエム放送でのネット打ち切りの要因になった経営環境の悪化は結局如何(いかん)ともし難かったことがうかがえる。
C1000 presents yuumiのLOVELY DAY ・静岡エフエム放送(愛称:K-mix。浜松市中区常盤〔ときわ〕町)制作の番組で、2006年(平成18年)10月1日放送開始(放送開始日は静岡エフエム放送基準)。
・スポンサーはハウスウェルネスフーズ(伊丹〔いたみ〕市鋳物師〔いもじ〕三丁目)。
・番組開始当初のネット局は静岡エフエム放送・エフエム北海道・エフエム仙台・エフエム東京・エフエムラジオ新潟(愛称:FM-NIIGATA。新潟市中央区幸西四丁目)・エフエム石川(愛称:HELLO FIVE〔ハローファイヴ〕。金沢市彦三町二丁目)・エフエム愛知・エフエム大阪・広島エフエム放送・エフエム香川(高松市上之町二丁目)・エフエム福岡の11社となっていた。
・しかし、番組開始1年半後の2008年(平成20年)3月末をもってエフエム北海道・エフエム仙台・エフエムラジオ新潟・エフエム石川・広島エフエム放送・エフエム香川・エフエム福岡でのネットが打ち切られた。理由は不明だが、スポンサーの意向かスポンサーの経営環境悪化かネット局における聴取率低迷のいずれかではないかと思われる。
・2008年(平成20年)4月以降はエフエム東京・静岡エフエム放送・エフエム愛知・エフエム大阪の4社での放送になったが、ネット局の大幅削減は終わりの始まりになった感が否めず、2008年(平成20年)9月28日(静岡エフエム放送基準)をもって2年間の歴史に終止符を打った。
・なお、題名にある「C1000」はハウスウェルネスフーズが販売している清涼飲料水の商品名であり、「yuumi」はその宣伝に使用されている曲を歌っていた女性歌手である。ちなみにyuumiは現在も静岡エフエム放送で番組を持っているがその番組は静岡エフエム放送でしか流れていない。

注29:番組改編期は1月・4月・7月・10月となっており、4月と10月が規模が大きい。よって、前記の1月・4月・7月・10月を外れた時期の番組改編は異例ととられることが多い。しかし、ここ数年の中国地方の民間ラジオ放送局を見ても番組改編期ではない時期に番組改編を行うことはいくらか見られる。その例と状況を記すと下表の通りになる。

事例 状況
RSK山陽放送ラジオの
2014年(平成26年)12月改編
・平日朝の自社制作のワイド番組「おかやま 朝まるステーション1494」(2008〜2014年〔平成20〜26年〕放送)を2014年(平成26年)11月28日をもって終了させ、2014年(平成26年)12月1日から「朝です。全員起立!」(2014〜2017年〔平成26〜29年〕放送)を開始した。
・背景にあったのはRSK山陽放送ラジオがインターネット再送信サービスのradikoに参入したことである。RSK山陽放送ラジオの番組がようやくパソコンやスマートフォンで聴けるようになったということもあり、自社制作のワイド番組の刷新を企図したのではないかと思われる。radiko参入を契機に自社制作のワイド番組を刷新するというのは異例なことだったが、RSK山陽放送ラジオの意気込みがうかがえる。
・しかし、「朝です。全員起立!」は2017年(平成29年)3月にわずか2年4ヶ月で終了しており、radiko参入を契機とした番組刷新は成功しなかった。番組は迷走気味だったとの情報が本サイトの閲覧者から寄せられたことがあるのだが、「おかやま 朝まるステーション1494」を打ち切ってまで始めたことで聴取者の不評を買い、それを何とか払拭しようと考えて試行錯誤を繰り返したために定着し切れなかったのは疑いようのないところであろう。
エフエム山口の
2015年(平成27年)12月改編
・平日朝の自社制作のワイド番組「Morning Street」(2008〜2015年〔平成20〜27年〕放送)を打ち切り、ともに自社制作のワイド番組となる「PURE Morning」(現在も放送中)と「Joyous(ジョイアス)!」(2015〜2016年〔平成27〜28年〕放送)を設定した。
・平日午後の自社制作のワイド番組「Daytime Street」(2009〜2015年〔平成21〜27年〕放送)とジャパンエフエムネットワーク(JFNC、東京都千代田区麹町一丁目)制作の「News Delivery-Evening Edition-」(2010〜2016年〔平成22〜28年〕放送)を打ち切り、ジャパンエフエムネットワーク制作の「face」(2013〜2016年〔平成25〜28年〕放送)のネットを開始し、更に自社制作の「coziness」(現在も放送中)を設定した。
・金曜日午後の自社制作のワイド番組「FRIDAY Bang! Bang! Highway」(2010〜2015年〔平成22〜27年〕放送)を打ち切り、同じく自社制作の「はっぴーはっぴーフライデー」(2017年〔平成29年〕4月に「Happy Happy FRIDAY」に改称し現在も放送中)を設定した。
・自社制作のワイド番組の大幅刷新を行った背景にあるのはエフエム山口が2015年(平成27年)10月1日に開局30周年を迎えたことと対抗関係にある山口放送ラジオがエフエム補完放送を開始したことである。エフエム山口にとっては山口放送ラジオのエフエム補完放送がかなり脅威に映っていたことがうかがえ、開局30周年を契機に気持ちを刷新しようという思惑があったのだろう。
・開局30周年を契機に始めた自社制作のワイド番組はわずか10ヶ月で終了した「Joyous!」以外は現在も続いているが、3年半で13箇所ものエフエム中継局を設置し、なおかつ瀬戸内海側(周南・山口鴻ノ峯・阿東・岩国・宇部・下関・周防大島・柳井各エフエム中継局。周波数:92.3MHz)と日本海側(須佐田万川・豊浦・長門・萩・美祢各エフエム中継局。周波数:86.4MHz)それぞれで周波数を統一した山口放送ラジオの攻勢はすさまじいものがある。そのため山口鴻ノ峯・岩国両中継局を除いてバラバラの周波数を用いているエフエム山口は苦境に立たされている。
RSK山陽放送ラジオの
2016年(平成28年)8月改編
・平日午後の自社制作のワイド番組「昼からどーだい!」(2015〜2016年〔平成27〜28年〕放送)を2016年(平成28年)8月26日をもって終了させ、2016年(平成28年)8月29日から「あもーれ! マッタリーノ」(岡山市中心部の商店街に設置したサテライトスタジオで公開生放送を行うことにしたことにより2017年〔平成29年〕4月3日から「表町LIVE! あもーれ! マッタリーノ」に変更し現在も放送中)を開始した。
・背景にあったのは2016年(平成28年)8月15日放送の「昼からどーだい!」で喋り手(倉敷市出身の落語家)がある自動車学校を名指しで批判するような発言を行ったことである。その喋り手は2016年(平成28年)8月15日放送分をもって降板させられたが、題名に喋り手の名前が入っていたことや喋り手を降板させるだけでは済まないと考えた自動車学校側がRSK山陽放送に対して番組自体の打ち切りを要請したこと、RSK山陽放送としては悪い印象を払拭したかったことが打ち切り(時期外れの番組改編)の理由になったものと思われる。
広島エフエム放送の
2020年(令和2年)5月改編
・平日午後の自社制作のワイド番組「DAYS!」(2014〜2021年〔平成26年〜令和3年〕放送)の放送時間を午後1時30分〜午後4時50分から午後1時30分〜午後4時(月曜日〜水曜日)または午後1時30分〜午後4時20分(木曜日)に変更した(つまり番組終了時間を繰り上げ、放送時間を縮めたということ)。
・月曜日〜水曜日についてはジャパンエフエムネットワーク制作の番組を、木曜日については自社制作番組をそれぞれ設定した。
・背景にあったのは中国放送ラジオが同一周波数でエフエム補完中継局の設置を進めたことや広島県内各地でコミュニティ放送局が開局したこと、ラジオ放送局の広告収入が減少したことなどにより広島エフエム放送の経営環境が一層厳しくなったことである。そのため「DAYS!」の番組終了時間を繰り上げ、別の番組を設定したものと思われる。
・「DAYS!」はこの後2020年(令和2年)10月改編でも番組終了時間が繰り上げられ、月曜日〜木曜日午後1時30分〜午後3時55分の放送となった。そして2021年(令和3年)3月31日をもって7年間の歴史に終止符を打つことになったのだが、後番組のうち火曜日と水曜日についてはジャパンエフエムネットワーク制作の平日午後のワイド番組「seasoning〜season your life with music〜」をネットすることになっており、広島エフエム放送の経営環境が厳しくなっていることをうかがわせている。広島エフエム放送がジャパンエフエムネットワーク制作の平日午後のワイド番組をネットするのは「flowers」(2009〜2013年〔平成21〜25年〕放送)以来となる(広島エフエム放送は2009年〔平成21年〕10月〜2011年〔平成23年〕9月の2年間午後4時〜午後4時45分だけネットしていた)。その時は当時の平日午後の自社制作番組「Over The Rainbow」(2004〜2014年〔平成16〜26年〕放送)の番組終了時間繰り上げ(午後5時→午後4時。ちなみに広島エフエム放送が「flowers」のネットを打ち切ったのは2011年〔平成23年〕秋の番組改編で「Over The Rainbow」の番組終了時間を午後4時から午後4時39分に繰り下げたことによる)が理由だったのだが、果たして今後どんな展開があるのだろうか。

注30:広島市と三次市を結ぶ幹線道路としては広島県道37号広島・三次線もあるが、中国自動車道北房インターチェンジ〜三次インターチェンジ間が開通した1978年(昭和53年)10月28日時点ではまだ存在しなかった(広島県道37号広島・三次線は1982年〔昭和57年〕12月6日広島県告示第1,277号により発足)。

注31:中国自動車道北房インターチェンジ〜三次インターチェンジ間が開通した1978年(昭和53年)10月28日時点では名神高速道路京都方面と中国自動車道宝塚方面は直通できず、東京・名古屋・京都方面と津山・三次方面を高速道路で往来する場合は大阪府道2号大阪中央環状線を介する必要があった(つまり一旦高速道路を出る必要があったということ)。しかし、それではあまりにも非効率だということで1979年(昭和54年)5月15日に名神高速道路京都方面と中国自動車道宝塚方面を短絡するランプウェイが設置され、名神高速道路京都方面と中国自動車道宝塚方面は直通できるようになった。
※余談だが中国自動車道宝塚方面と名神高速道路西宮方面の往来は現在も大阪府道2号大阪中央環状線を通る必要がある。中国自動車道宝塚方面と名神高速道路西宮方面の往来に名神高速道路と中国自動車道を経由するのは遠回りになる上に需要がないからである。

注32:このことは広島エフエム放送の開局時に大きな問題になっている。福山中継局(福山市西深津町七丁目。周波数:82.1MHz)は当初87.5MHzを使用する予定だったのだが、サービス放送が始まる直前になってそれでは不都合が生じることが判明し、1982年(昭和57年)11月20日に始まったサービス放送では福山中継局は外されている。その理由を広島エフエム放送は明らかにしていないのだが、87.5MHzはNHK-FM高知本局(高知市五台山)が使用していることや福山市南部の高台で讃岐(さぬき)山脈(阿讃山脈とも称する)の向こうにあるエフエム徳島の池田中継局(三好市池田町白地。周波数:82.3MHz)が受信できることを考えるとNHK-FM高知本局と混信する恐れが生じたことが考えられる。結局広島エフエム放送は福山中継局を82.1MHzに変更して1982年(昭和57年)11月25日からサービス放送を開始している。

注33:この他府中市は紳士服販売会社の青山商事(福山市王子町一丁目)の発祥地にもなっている。

注34:テレビ放送とエフエム放送の府中中継局が府中市ではなく福山市新市地区に設置されたのは府中市中心部周辺に中継局を設置するのが好ましい山がなかったからではなく、府中市中心部だけでなく福山市北部(芦田・駅家・加茂・神辺〔かんなべ〕・新市・御幸各地区)も受信範囲に含めようとしたことが考えられる。中波放送だと中継局を高い山の上に設置する必要がなかったので府中市中心部に近い丘の上に設置できたのであろう。

注35:NHK広島拠点放送局としては尾道中波中継局は福山中波中継局、福山中波中継局は福山木之庄中波中継局とそれぞれ呼称している。かつてNHK広島拠点放送局福山支局(福山市東桜町)がNHK福山放送局となっていたことの名残りでそのように呼称しているわけであるが、本サイトでは次に挙げる理由により福山中波中継局は尾道中波中継局、福山木之庄中波中継局は福山中波中継局とそれぞれ表記することにしている。
・NHK福山放送局は1988年(昭和63年)にNHK福山支局に再編されたこと。
・NHK福山放送局がNHK福山支局に再編された後も尾道中波中継局はコールサインを有していた(ラジオ第一…JODP/ラジオ第二…JODD)が、2003年(平成15年)に廃止されたためにNHK福山放送局改めNHK福山支局は名実ともに放送局機能を失ったこと。
・福山市中心部に住んでいる方が「福山中波中継局」を受信してNHKラジオ第一(周波数:999kHz)・ラジオ第二(周波数:1602kHz)を聴くことはまずないこと。
・「福山木之庄中波中継局」はともかく、「福山中波中継局」が福山市にあると思う方が少なくないこと。
・人口や経済規模などにおいて福山市が尾道市を大きく上回るようになった今日になっても尾道市と福山市の間には広島県南東部の中心都市を巡る確執があると感じていること。

注36:中国放送ラジオ府中中波中継局が開局した時点、すなわち1980年(昭和55年)9月26日時点の府中市域(現在の府中市域から上下地区を除いた部分)を通る幹線道路(国道路線・主要地方道路線・一般県道路線)は下表の通りになっていた。

種類 路線名称 発足年月日 備考
国道 当時存在した広島県の市では唯一国道路線が通っていないところになっていた。
主要地方道 県道24号福山・庄原線 1954年
(昭和29年)
9月17日
県道48号府中・松永線 1976年
(昭和51年)
12月21日
前身は1960年(昭和35年)10月10日に発足した一般県道府中・松永線。
1976年(昭和51年)4月1日建設省告示第694号により主要地方道に昇格することになり、1976年(昭和51年)12月21日に県道158号府中・松永線から県道48号府中・松永線に改称した。
そのため発足年月日は主要地方道になった日としている。
県道49号府中・御調線 1976年
(昭和51年)
12月21日
県道48号府中・松永線と同時に主要地方道になっているが、前身路線、すなわち県道373号市・府中線(1960〜1976。路線名称は廃止時点のものを記載)の廃止(1976年〔昭和51年〕12月21日広島県告示第953号)→県道49号府中・御調(みつぎ)線の認定(1976年〔昭和51年〕12月21日広島県告示第952号)を経て発足している点で県道48号府中・松永線とは異なっている。
一般県道 県道182号落合・世羅線 1960年
(昭和35年)
10月10日
県道183号小畠・府中線 1960年
(昭和35年)
10月10日
県道217号新市停車場線 1960年
(昭和35年)
10月10日
全線にわたって自治体境が道の真ん中を通っているという稀有(けう)な路線。道路の西側が府中市に属している(東側の所属自治体は芦品〔あしな〕郡新市町〔1907〜2003〕→福山市)。
県道218号府中停車場線 1960年
(昭和35年)
10月10日
県道219号河佐停車場線 1960年
(昭和35年)
10月10日
県道383号篠根・貝原線 1960年
(昭和35年)
10月10日
県道384号下川辺・尾道線 1960年
(昭和35年)
10月10日
県道398号新山・府中線 1960年
(昭和35年)
10月10日
県道399号金丸・府中線 1972年
(昭和47年)
3月21日
県道402号金丸・市場線 1972年
(昭和47年)
11月24日
府中市域を通過する路線になったのは1975年(昭和50年)2月1日のことである(その日府中市が芦品郡協和村〔1955〜1975〕を編入したことによる)。
県道421号矢多田・阿字線 1980年
(昭和55年)
7月1日

上表をご覧頂ければうかがえるように中国放送ラジオ府中中波中継局が開局した時点の府中市域における最上位の幹線道路は主要地方道であった。内陸工業都市なのに国道路線が通らずじまいになった背景には地理的事情などから路線の設定のしようがなかったことや近隣の尾道市・福山市などと比較して中枢性が低かったことなどが挙げられる。
結局平成時代になってから府中市を通る国道路線は出現したのだが、現在でも府中市は上下4車線の道路がほとんどないこと(府中市中心部を通る国道486号線が最近福山市境からの数百mだけ上下4車線化された程度)や市内を高速道路が通っていないこと(広島県では他に江田島市がある。また竹原市は山陽自動車道と東広島・呉自動車道が通っているが出入口がない)など道路事情に恵まれているとは言えない状況がある。もっと早く国道路線が通っていたら現状とは異なる展開があったのでは…と思うのは私だけだろうか。

注37:三原市と庄原市を自動車で往来する時(主な経路は国道432号線と広島県道25号三原・東城線とする)にカーラジオの周波数を720kHzに合わせたままにしても地形的な問題から府中市上下地区や世羅郡世羅町で受信しづらくなった可能性が高い。広島県中部の集積地であり交通の要衝でもある世羅郡世羅町付近の受信環境改善は中国放送としても課題としていたことだろうが、費用対効果や受信対象範囲の問題から中波放送では実現せずに終わっている。

注38:広島東洋カープという球団名称になったのは1968年(昭和43年)からである。それまでは広島カープという名称であった。但し現在でも広島カープと呼称することはよく見られる。
また、中国放送ラジオは開局5日目に早くも広島東洋カープ公式戦中継を始めているが、実は全ての公式戦を完全中継していたわけではない。1960年代初頭には広島カープ側が観客が減ることを危惧して中国放送ラジオにナイター中継の放送権を与えないいわゆるブラックアウトを実施したことがあったし、広島東洋カープが長期低迷期にあった2000年代(2000〜2009年〔平成12〜21年〕を指す)には消化試合になると中継自体放送しなかったり中継するとしても試合の途中から始めたりすることがしばしば見られた。

注39:広島エフエム放送が開局する前でも広島県ではエフエム大阪やエフエム愛媛(松山市竹原町一丁目)が受信できる地域があった(エフエム福岡は受信できるかどうかは不明)。特にエフエム愛媛は広島エフエム放送より10ヶ月早い1982年(昭和57年)2月1日に開局していることや瀬戸内海沿岸地域では十分受信できることから広島エフエム放送が開局する前はエフエム愛媛を聴いていた方はある程度いたのではないかと思われる。

注40:広島エフエム放送は経営上の問題から独自に中継局を設置するのではなく、中国放送テレビの中継局に併設する格好で中継局を整備している。現在も本局(広島市南区黄金山町)は中国放送ラジオ広島エフエム中継局と施設を供用している。
※広島エフエム放送が中国放送テレビの中継局に中継局を併設する格好で中継局を整備していることが明らかになった事故がある。2008年(平成20年)8月14日の朝に中国放送テレビのアナログ放送本局に落雷があり、中国放送テレビのアナログ放送と広島エフエム放送が送信できなくなったことである。

注41:RSK山陽放送ラジオが中波中継局の周波数を統一した1980年(昭和55年)7月7日時点のRSK山陽放送ラジオの中波中継局は本局・落合・笠岡・津山・新見・備前の6箇所だった(落合中波中継局〔真庭市杉山〕は1980年〔昭和55年〕7月7日開局。記すまでもないが落合中波中継局は1494kHzしか使用したことのない初めての中波中継局となる)。その後1982年(昭和57年)10月1日にやはり1494kHzを用いた高梁(たかはし)中波中継局(高梁市松原町松岡)が開局し、現行の7局体制になっている。

注42:RSK山陽放送ラジオの本局の出力は1987年(昭和62年)10月1日に現行の10kWに増強されている。

注43:確かに中波放送について周波数を統一すれば自動車などで移動する際にずっと聴きたい放送局を周波数を変えることなく楽しめるので便利ではある。しかし、現在周波数統一を行っているのは一部の民間中波放送局に限られている。なぜ周波数統一が普及しないのか、まずは下表(民間中波放送局の本局の周波数一覧表)をご覧頂きたい。

周波数
(kHz)
放送局名 本局出力
(kW)
中波
中継局数
状況
558 ラジオ関西
(CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目)
20 2
684 IBC岩手放送
(IBC、盛岡市志家町)
5 7 岩泉・大船渡・久慈各中波中継局が本局(岩手県紫波〔しわ〕郡矢巾町煙山〔けむやま〕)と同じ周波数を使用している。
738 北日本放送
(KNB、富山市牛島町)
5 1
琉球放送
(RBC、那覇市久茂地二丁目)
10 1
765 山梨放送
(YBS、甲府市北口二丁目)
5 3 中波中継局は全て同じ周波数を使用している。
山口放送
(KRY、周南市徳山)
5 6 山口・須佐田万川両中波中継局が本局(周南市大津島)と同じ周波数を使用している。
864 福井放送
(FBC、福井市大和田二丁目)
5 3
ラジオ沖縄
(ROK、那覇市西一丁目)
10 1
900 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
5 7
高知放送
(RKC、高知市本町三丁目)
5 5
918 山形放送
(YBC、山形市旅篭町二丁目)
5 6 中波中継局は全て同じ周波数を使用している。
936 秋田放送
(ABS、秋田市中通七丁目)
5 6
宮崎放送
(MRT、宮崎市橘通西四丁目)
5 7 中波中継局は全て同じ周波数を使用している。
954 TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
100 1
1008 朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
50 2 中波中継局は全て同じ周波数を使用している。
1053 CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
50 10
1098 信越放送
(SBC、長野市問御所町)
5 8 飯田・伊那両中波中継局が本局(長野市屋島)と同じ周波数を使用している。
大分放送
(OBS、大分市今津留三丁目)
5 6 湯布院中波中継局(由布市湯布院町川北)が本局(杵築〔きつき〕市守江)と同じ周波数を使用している。
1107 北陸放送
(MRO、金沢市本多町三丁目)
5 4 七尾・輪島両中波中継局が本局と同じ周波数を使用している(つまり山中中波中継局のみ別の周波数を使用しているということ)。
南日本放送
(MBC、鹿児島市高麗町)
20 5 阿久根・大口・川内各中波中継局が本局と同じ周波数を使用している(つまり名瀬中波中継局のみ別の周波数を使用しているということ)。
1116 新潟放送
(BSN、新潟市中央区川岸町三丁目)
5 8
南海放送
(RNB、松山市本町一丁目)
5 6 中波中継局は全て同じ周波数を使用している。
1134 文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
100 1
1143 京都放送
(KBS、京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町)
20 4
1179 毎日放送
(MBS、大阪市北区茶屋町)
50 2 中波中継局は全て同じ周波数を使用している。
1197 茨城放送
(IBS、水戸市千波町)
5 3
熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
10 10 中波中継局は全て同じ周波数を使用している。
1233 青森放送
(RAB、青森市松森一丁目)
5 6
長崎放送
(NBC、長崎市上町)
5 10 諫早(いさはや)・島原両中波中継局が本局(長崎市田上三丁目)と同じ周波数を使用している。
1242 ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
100 1
1260 東北放送
(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)
20 4
1269 四国放送
(JRT、徳島市中徳島町二丁目)
5 4 中波中継局は全て同じ周波数を使用している。
1278 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
50 4
1287 北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
50 17
1314 大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
50 2 中波中継局は全て同じ周波数を使用している。
1332 東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
50 10 新城中波中継局(新城市向野)が本局(あま市七宝〔しっぽう〕町下田)と同じ周波数を使用している。
1350 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
20 7
1404 静岡放送
(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)
10 12 掛川・御殿場・佐久間・龍山・天竜・浜松・春野・水窪(みさくぼ)・三島各中継局が本局(静岡市駿河区桃園町)と同じ周波数を使用している。
1413 九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
50 4
1422 RFラジオ日本
(RF、横浜市中区長者町五丁目)
50 2
1431 岐阜放送
(GBS、岐阜市橋本町二丁目)
5 6 恵那・多治見両中継局が本局(各務原市川島北山町)と同じ周波数を使用している。
和歌山放送
(WBS、和歌山市湊本町三丁目)
5 8 串本中波中継局(和歌山県東牟婁〔ひがしむろ〕郡串本町出雲〔いつも〕)が本局(和歌山市狐島)と同じ周波数を使用している。
1440 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
50 17 苫小牧(とまこまい)・室蘭両中波中継局が本局(江別市角山)と同じ周波数を使用している。
1449 西日本放送
(RNC、高松市丸の内)
5 4 中波中継局は全て同じ周波数を使用している。
1458 ラジオ福島
(RFC、福島市下荒子)
1 5 本局(福島市下荒子)より郡山中波中継局(郡山市菜根二丁目。周波数:1098kHz。出力:5kW)のほうが出力が高くなっている。
1494 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)
10 7 中波中継局は全て同じ周波数を使用している。
1530 栃木放送
(CRT、宇都宮市昭和二丁目)
5 3

上表から本局以外にも中継局を有する民間中波放送局で、全ての中波中継局の周波数を統一しているところを抜き出すと下表の通りになる。

放送局名 周波数
(kHz)
本局出力
(kW)
中継局数 備考
山形放送 918 5 6
山梨放送 765 5 3
朝日放送ラジオ 1008 50 2
大阪放送 1314 50 2
毎日放送 1179 50 2
RSK山陽放送 1494 10 7
四国放送 1269 5 4
西日本放送 1449 5 4
南海放送 1116 5 6
熊本放送 1197 10 10
宮崎放送 936 5 7

上表から本局の出力が5kWのところが多いことがうかがえる(11社中6社)のではないかと思うのだが、このことから本局の出力が強いところは中波中継局の周波数統一が技術的に困難になっていることが考えられる。例外なのは朝日放送ラジオ(ABC、大阪市福島区福島一丁目)・大阪放送・毎日放送ラジオの3社であるが、本局(朝日放送ラジオ…高石市綾園四丁目/大阪放送…堺市東区石原町三丁/毎日放送ラジオ…高石市西取石六丁目)と朝日放送ラジオ・大阪放送・毎日放送ラジオ京都共同中波中継局(京都市東山区今熊野総山町)との間には高い山々があることや干渉性フェージングにより受信しにくい地域が出ることを防ぐために何らかの措置をとっていることで同じ周波数を用いても不都合が出ないようにしているのではないかと思われる。
一方で中波中継局の周波数を統一しても良いように感じるけれど実現しないままになっているところを挙げると下表の通りになる。

放送局名 周波数を統一しても良いと思う理由 実現しないままになっている理由
北陸放送
(MRO、金沢市本多町三丁目)
・周波数が統一できていないのは山中中波中継局だけになっていること。 ・本局と同じ周波数を用いている南日本放送ラジオ(MBC、鹿児島市高麗町)との混信が起きる恐れがあること。
・もし山中中波中継局の周波数を1107kHzに変更すると何らかの不都合が起きる恐れがあることが判明したこと。
・山中中波中継局の受信範囲に住む方々が周波数変更に反対していること。
・石川県は日本海に面しているために国内外の放送局との混信が頻繁に起きているので北陸放送としてはエフエム補完放送を推進したほうが良いと考えていること。
・山中中波中継局だけ周波数の統一を行わないことで住み分けを図っていること。
静岡放送
(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)
・周波数が統一できていないのは熱海(あたみ)・富士宮両中波中継局だけになっていること(どちらも1557kHzを使用している)。 ・もし熱海・富士宮両中波中継局の周波数を1404kHzに変更すると何らかの不都合が起きる恐れがあることが判明したこと。
・熱海・富士宮両中波中継局の受信範囲に住む方々が周波数変更に反対していること。
山口放送
(KRY、周南市徳山)
・放送区域となっている山口県は岡山県より面積が狭いこと。
・山口放送ラジオの中波中継局は6局あるが、そのうちの3局が本局と周波数を統一していること。
・山口放送はエフエム補完放送を積極的に推進したために中波放送の存在感が希薄になっていること。
・本局の出力は5kWとなっており、RSK山陽放送ラジオより小さくなっていること。
・本局と同じ周波数を用いている山梨放送ラジオ(YBS、甲府市北口二丁目)との混信が起きる恐れがあること。
・山梨放送ラジオとの混信を回避するために本局の周波数を変更した上で周波数を統一することが考えられるが、周波数の空きがないとか経営陣などが反対しているなどの理由で実行できないでいること。
・山口放送としては費用対効果が見込めないことや施設の老朽化が進んでいることなどを理由に中波放送に見切りを付けようと考えている節があること。
・山口放送ラジオのエフエム補完放送は瀬戸内海側と日本海側で周波数をそれぞれ統一しており、今後90.0MHz以上のラジオ放送が受信できるカーステレオが普及すれば問題はないと考えていること。
高知放送
(RKC、高知市本町三丁目)
・四国地方にある民間中波放送局で唯一中波中継局の周波数を統一していないこと。 ・本局(高知市大津乙)と同じ周波数を用いている山陰放送ラジオとの混信が起きる恐れがあること。
・山陰放送ラジオとの混信を回避するために本局の周波数を変更した上で周波数を統一することが考えられるが、周波数の空きがないとか経営陣などが反対しているなどの理由で実行できないでいること。
・高知放送はエフエム補完放送には経営事情もあるのか消極的であり、開始順は47社中45番目とかなり遅くなったが、災害が多いことや山間部が多いことを考えるとエフエム補完放送を推進したほうが良いという声が少なくないこと。
・高知放送の経営陣に中波中継局の周波数統一に反対する方々がいること。
・高知放送の放送区域となっている高知県は東西に長いために中波中継局の周波数統一には向いていない面があること。
南日本放送
(MBC、鹿児島市高麗町)
・周波数が統一できていないのは名瀬中波中継局だけになっていること。 ・本局と同じ周波数を用いている北陸放送ラジオ(MRO、金沢市本多町三丁目)との混信が起きる恐れがあること。
・もし名瀬中波中継局の周波数を1107kHzに変更すると何らかの不都合が起きる恐れがあることが判明したこと。
・名瀬中波中継局の受信範囲に住む方々が周波数変更に反対していること。
・南日本放送ラジオは本土部分にある中波中継局については周波数を1107kHzに統一しており、本土部分及びその周辺と奄美群島の住み分けを図っていること。
・南日本放送ラジオの本局の出力は20kWと強く、もし周波数を統一すれば干渉性フェージングが起きる恐れのある地域が生じること。
・鹿児島県は東シナ海に面しており、国内外の放送局との混信が頻繁に起きているので南日本放送としてはエフエム補完放送を推進したほうが良いと考えていること。
・名瀬中波中継局だけ周波数の統一を行わないことで住み分けを図っていること。

技術的な問題やエフエム補完放送との兼ね合いなどいろいろ理由はあるところであるが、恐らく民間中波放送局の中波中継局の周波数統一はもう行われないのではないかと思っている。中波放送の中波中継局が設置されることは最近ないことや中波中継局は設置費用や管理費用がかなりかかる上に広範囲に電波を送れないと設置する意味がないこと、こちらで触れたように民間中波放送局のエフエム放送への転換が行われる可能性が高まっていることがそのように考える理由であるが、果たして…。

注44:セントラルリーグに属する球団で2年以上続けて日本選手権シリーズを制したのは読売ジャイアンツ(1951〜1953年〔昭和26〜28年〕/1965〜1973年〔昭和40〜48年〕)と広島東洋カープ(1979〜1980年〔昭和54〜55年〕)だけである。しかも1981年(昭和56年)以降はセントラルリーグに属する球団で2年以上続けて日本選手権シリーズを制したところはどこもない。したがって広島東洋カープがセントラルリーグに属する球団で2年以上続けて日本選手権シリーズを制した最後の球団になっている。
※反対にパシフィックリーグに属する球団で2年以上続けて日本選手権シリーズを制したところは現行球団名で記載するとオリックス・バファローズ(1975〜1977年〔昭和50〜52年〕)と埼玉西武ライオンズ(1956〜1958年〔昭和31〜33年〕/1982〜1983年〔昭和57〜58年〕/1986〜1988年〔昭和61〜63年〕/1990〜1992年〔平成2〜4年〕)、福岡ソフトバンクホークス(2014〜2015年〔平成26〜27年〕/2017〜2020年〔平成29年〜令和2年〕)の3球団となっている。

注45:中国放送は福山支社を福山放送局と称している(府中中波中継局開局15周年の記念すべき日となった1995年〔平成7年〕9月26日改称)。現在でも福山支社制作の番組(但し広島県全域で放送)があるし、自社制作のワイド番組で福山支社から広島県南東部の情報を紹介するコーナーが設定されているからである。

注46:広島地区と備北地区の結び付きの強さは次の点からもうかがえる。
・道路事情。国道路線も高速道路も広島地区と備北地区を結ぶ路線が早く整備され、備南地区と備北地区を結ぶ路線の整備はかなり後になってからだった。
・鉄道事情。広島地区と備北地区を結ぶ路線(JR芸備線)はかつては急行列車が走っていたし、現在も快速列車が設定されているが、備南地区と備北地区を結ぶ路線(JR福塩線)は普通列車しかなく、しかも途中(府中駅〔府中市府川町〕)で乗り換えを余儀なくされている。
・高速バス。広島地区と備北地区を結ぶ路線は便数が多いが、備南地区と備北地区を結ぶ路線は便数が少ない。
・電話番号。「082」で始まる市外局番は広島県北部・西部で広く使用されているのに対し、「084」で始まる市外局番は広島県東部に押し込められている。
・自動車のナンバープレート。広島ナンバーは広島県北部・西部で広く使用されているのに対し、福山ナンバーは広島県東部に押し込められている。
広島市の都市規模の大きさを考えればこのようになるのは当然の帰結と言えるのだが…。

注47:本文では中国自動車道三次インターチェンジ〜千代田インターチェンジ間の開通時期を記していないが、北房インターチェンジ〜三次インターチェンジ間開通1周年を迎える少し前の1979年(昭和54年)10月18日に開通している。そのため三次インターチェンジが中国自動車道の東方からの開通区間の終点だった期間は1年に満たなかった。

注48:佐伯郡五日市町の人口は1980年(昭和55年)10月1日実施の国勢調査によると8万7,325人となっていた。既に市制施行要件人口(5万人)を大きく超えていたのだが、それでも市制施行に踏み切れなかったのは次に挙げる理由があったからである。
・広島市のベッドタウンとして発展したことで他地域から移住した住民が昔から住んでいた住民を大きく上回るようになったこと。
・西隣の廿日市市が佐伯郡(1664〜2005)の中心地となっていたことから中枢性が高くなかったこと。
・佐伯郡五日市町には廿日市市にあるウッドワン(廿日市市木材港南)のような広く知られた大企業がなく、財政が潤沢とは言えなかったこと。
・市制施行要件人口を超えた頃から広島市が政令指定都市移行を目的とした周辺町村との合併を推進するようになり、市制施行するのか広島市に編入されるのかで町が二分されるようになったこと。
佐伯郡五日市町が市制施行に踏み切れず、広島市への編入に至った要因の一部は佐伯郡五日市町改め広島市佐伯区五日市地区を放送区域とするコミュニティ放送局、すなわち五日市コミュニティ放送(愛称:エフエムななみ。広島市佐伯区皆賀四丁目。2004〜2007)がわずか3年半程度で廃業に追い込まれた要因にもなっている。広島市佐伯区五日市地区の中心部からいくらか離れた娯楽施設の中に本社・演奏所を設置したために広く知られずに終わったことやNHK広島拠点放送局・中国放送ラジオ・広島エフエム放送・中国コミュニケーションネットワーク(愛称:エフエムちゅーピー。広島市中区土橋町)との競争に打ち勝とうとして身の丈に合わない放送(自社制作番組を多く設定したことや終夜放送を実施したことなど)を展開したことも理由として挙げられるのだが、やはり中枢性や経済力、地元意識が廿日市市に比べて低かったことがいけなかったのではないかと私は考えている。

注49:龍野西インターチェンジが供用を開始した時点では龍野西サービスエリアは用地を確保しただけの状態であり、営業を開始していなかった。龍野西サービスエリアが営業を始めたのは1990年(平成2年)7月31日に山陽姫路西インターチェンジ(姫路市石倉)〜龍野西インターチェンジ・サービスエリア間が開通した時である。

注50:その次、すなわち三番目の開通区間は徳山西インターチェンジ(周南市戸田〔へた〕)〜防府(ほうふ)東インターチェンジ(防府市下右田)間12.6kmで、1986年(昭和61年)3月27日に開通した。これにより山陽自動車道の通過都道府県(兵庫県・岡山県・広島県・山口県)全てに開通区間が存在することになった。
※ちなみに中国自動車道の通過都道府県(大阪府・兵庫県・岡山県・広島県・山口県・島根県)全てに開通区間が存在することになったのは全線開通した時である。

注51:代替し得る道路があるという理由で建設が遅れたのは神戸市北区〜姫路市間と備前市〜岡山市北区間、廿日市市〜大竹市間、山口市〜宇部市間が、地形が厳しいという理由で建設が遅れたのは福山市松永地区〜東広島市河内(こうち)地区間がそれぞれ挙げられる。このうち廿日市市〜大竹市間(広島・岩国道路で代替)と山口市〜宇部市間(国道2号線小郡道路及び山口県道6号山口・宇部線で代替)については現在も山陽自動車道本線は建設されていない。

注52:中国自動車道と山陽自動車道(支線及び広島・岩国道路を含む)の開通区間の延長を長い順に並べると下表の通りになる。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・下表では中国自動車道は「中国」、山陽自動車道は「山陽」、広島・岩国道路は「広岩」、山陽自動車道神戸西支線は「神戸」、山陽自動車道早島支線は「早島」、インターチェンジは「IC」、ジャンクションは「JCT」、サービスエリアは「SA」とそれぞれ略して表記している。

・路線内順位は中国自動車道分は赤太字、山陽自動車道分は青太字でそれぞれ表記している。

・開通区間距離が同じ場合は開通順に並べている。

順位 開通区間距離
(km)
路線
名称
区間 開通年月日 備考
全体 路線内
1 1 101.7 中国 千代田IC〜広島北JCT〜鹿野IC 1983年
(昭和58年)
3月24日
同時に広島自動車道広島北インターチェンジ〜広島北ジャンクション間2.8kmも開通している。
左記区間の開通により中国自動車道は全線開通した。
2 2 100.2 中国 北房IC〜三次IC 1978年
(昭和53年)
10月28日
3 3 60.2 中国 福崎IC〜美作IC 1975年
(昭和50年)
10月16日
4 4 49.4 中国 西宮北IC〜福崎IC 1974年
(昭和49年)
6月4日
5 1 44.8 山陽/
早島
早島IC〜倉敷JCT〜福山東IC 1988年
(昭和63年)
3月1日
開通区間距離の内訳は山陽自動車道本線が倉敷ジャンクション(倉敷市生坂〔いくさか〕)〜福山東インターチェンジ(福山市蔵王〔ざおう〕町五丁目)間41.4km、山陽自動車道早島支線が倉敷ジャンクション〜早島インターチェンジ(岡山県都窪郡早島町早島)間3.4km。
6 5 44.5 中国 小郡IC〜小月IC 1974年
(昭和49年)
7月31日
7 6 42.2 中国 美作IC〜落合IC 1974年
(昭和49年)
12月21日
8 2 38.0 山陽 福山西IC〜河内IC 1993年
(平成5年)
10月26日
9 3 38.0 山陽 備前IC〜岡山IC 1993年
(平成5年)
12月16日
10 7 36.8 中国 鹿野IC〜山口IC 1980年
(昭和55年)
10月17日
11 8 35.1 中国 三次IC〜千代田IC 1979年
(昭和54年)
10月18日
12 4 28.1 山陽 宇部JCT〜下関JCT 2001年
(平成13年)
3月11日
13 5 27.7 山陽 神戸JCT〜三木小野IC 1996年
(平成8年)
11月14日
14 6 26.3 山陽 岩国IC〜熊毛IC 1992年
(平成4年)
6月25日
15 7 25.1 山陽 龍野西IC/SA〜備前IC 1982年
(昭和57年)
3月30日
山陽自動車道として初めての開通。
龍野西インターチェンジ/サービスエリアの供用開始当時の名称は竜野西インターチェンジ/サービスエリア(現行名称へは2003年〔平成15年〕3月29日変更)。
竜野西サービスエリア改め龍野西サービスエリアは1990年(平成2年)7月31日営業開始。
16 8 22.1 山陽 三木小野IC〜山陽姫路東IC 1997年
(平成9年)
12月10日
17 9 18.0 山陽 防府東IC〜山口JCT 1987年
(昭和62年)
12月4日
防府東インターチェンジは周南方面からの流出及び周南方面への流入のみ可能。よってこの時の開通区間だけを通行することは不可能。
18 10 18.0 山陽 徳山東IC〜徳山西IC 1990年
(平成2年)
3月30日
19 11 16.9 山陽 福山東IC〜福山西IC 1991年
(平成3年)
3月20日
同時に福山西インターチェンジ(福山市東村町)のランプウェイとして建設された尾道・福山自動車道今津ジャンクション(福山市今津町)〜福山西インターチェンジ間1.2kmも開通している。
※今津ジャンクションは日本道路交通情報センター公式サイトなどでは福山西ジャンクションと表記しているが、現地に「福山西ジャンクション」と書かれた標識がないことやすぐそばに福山市立今津小学校(現:福山市立遺芳丘〔いほうがおか〕小学校〔福山市今津町〕)があったことなどから本サイトでは今津ジャンクションと表記している。
20 12 16.8 山陽/
広岩
五日市IC〜廿日市IC 1987年
(昭和62年)
2月26日
開通区間距離の内訳は山陽自動車道が五日市インターチェンジ〜廿日市ジャンクション(廿日市市宮内)間14.3km、広島・岩国道路が廿日市インターチェンジ(廿日市市地御前北一丁目)〜廿日市ジャンクション間2.5km。
21 9 15.5 中国 小月IC〜下関IC 1973年
(昭和48年)
11月14日
同時に関門自動車道(関門橋)下関インターチェンジ(下関市椋野上町)〜門司(もじ)インターチェンジ(北九州市門司区黒川)間9.4kmも開通している。
22 10 13.2 中国 宝塚IC〜西宮北IC 1975年
(昭和50年)
10月16日
23 13 12.9 山陽 山陽姫路東IC〜山陽姫路西IC 1991年
(平成3年)
3月28日
24 11 12.7 中国 山口IC〜小郡IC 1975年
(昭和50年)
4月1日
25 14 12.6 山陽 徳山西IC〜防府東IC 1986年
(昭和61年)
3月27日
26 12 11.8 中国 落合IC〜北房IC 1976年
(昭和51年)
12月24日
27 15 11.8 山陽 熊毛IC〜徳山東IC 1990年
(平成2年)
12月20日
28 16 11.1 山陽 河内IC〜西条IC 1990年
(平成2年)
11月30日
29 17 11.0 山陽 西条IC〜志和IC 1988年
(昭和63年)
7月27日
30 18 11.0 山陽 山陽姫路西IC〜龍野西IC/SA 1990年
(平成2年)
7月31日
31 19 10.4 山陽 志和IC〜広島東IC 1987年
(昭和62年)
3月24日
32 20 9.6 神戸 三木JCT〜神戸西IC 1998年
(平成10年)
4月5日
同時に神戸・淡路・鳴門(なると)自動車道神戸西インターチェンジ(神戸市西区見津が丘四丁目)〜津名一宮インターチェンジ(淡路市中田)間44.4kmも開通している。
33 21 9.2 山陽/
広岩
大竹IC〜大竹JCT〜岩国IC 1988年
(昭和63年)
3月29日
開通区間距離の内訳は山陽自動車道が大竹ジャンクション(仮称。大竹市御園二丁目)〜岩国インターチェンジ(岩国市多田)間8.5km、広島・岩国道路が大竹インターチェンジ(大竹市小方二丁目)〜大竹ジャンクション間0.7km。
大竹ジャンクションは広島・岩国道路広島方面と国道2号線岩国・大竹道路岩国方面との接続のみ行うハーフジャンクションだが現在のところ供用されていない(そのため仮称と記している)。
34 13 8.5 中国 中国豊中IC〜宝塚IC 1970年
(昭和45年)
7月23日
中国豊中インターチェンジ(豊中市待兼山町)は京都・奈良・和歌山方面からの流出及び京都・奈良・和歌山方面への流入のみ可能。よってこの時の開通区間だけを通行することは不可能。
35 22 8.3 広岩 大野IC〜大竹IC 1990年
(平成2年)
11月27日
36 23 7.5 山陽 広島IC〜広島JCT 1988年
(昭和63年)
12月7日
37 14 7.1 中国 中国吹田IC〜中国豊中IC 1970年
(昭和45年)
3月1日
中国自動車道として初めての開通。
38 24 7.1 山陽 岡山IC〜岡山JCT 1993年
(平成5年)
3月31日
39 25 6.4 山陽 広島東IC〜広島IC 1988年
(昭和63年)
3月25日
40 26 6.4 山陽 岡山JCT〜倉敷JCT 1991年
(平成3年)
3月16日
同時に岡山自動車道岡山ジャンクション(岡山市北区津寺)〜岡山総社インターチェンジ(岡山市北区高松田中)間2.7kmも開通している。
41 27 4.7 広岩 廿日市JCT〜大野IC 1987年
(昭和62年)
12月10日
42 28 3.0 山陽 広島JCT〜五日市IC 1985年
(昭和60年)
3月20日
43 15 1.0 中国 吹田JCT/IC〜中国吹田IC 1994年
(平成6年)
X月Y日
開通した時期は不明。
左記区間の開通により中国自動車道宝塚方面と近畿自動車道東大阪方面は直結した。

上表から中国自動車道は開通区間距離が100kmを超えたことが2回ある一方、山陽自動車道は最長でも44.8km(しかも自分が住んでいる福山市が関係していたとは…全く知らなかった)で、10km未満も9回と多い。いかに山陽自動車道が部分開通を繰り返して広域交通網を担う存在になっていったかがうかがえる。

注53:「曲がりなりにも」と書いたのは次に挙げる事情があるからである。
・備前インターチェンジ〜岡山インターチェンジ間が開通した時はまだ神戸ジャンクション(神戸市北区八多町中)〜山陽姫路東インターチェンジ間が開通していなかったこと。
・兵庫県内の山陽自動車道の未開通区間の迂回で中国自動車道と播但連絡道路を通ることになるが、中国自動車道と播但連絡道路が接続する福崎インターチェンジ(兵庫県神崎郡福崎町西田原)で一旦料金計算が打ち切られること(反対に山陽自動車道と播但連絡道路が接続する山陽姫路東インターチェンジでは料金計算は打ち切られない)。
・廿日市ジャンクション〜大竹ジャンクション間は広島・岩国道路で代替していること。
なお、山陽自動車道は第四次全国総合開発計画に基づいて1987年(昭和62年)に終点が山口市から下関市に変更されているが、1993年(平成5年)時点では延伸区間は全く供用されていなかったためそのことは本文では考慮に入れていない。

注54:山陽自動車道については全線開通という表現は使えない。というのも次に挙げる事情があるからである。
・廿日市ジャンクション〜大竹ジャンクション間は広島・岩国道路で代替していること。
・廿日市ジャンクション〜大竹ジャンクション間について改めて山陽自動車道を建設することは現状では困難であること。
・広島・岩国道路を山陽自動車道に編入することは何らかの事情(Wikipediaの当該項目では裁判での和解の結果別途山陽自動車道を建設するという協定を地元住民と結んでいると記されているが何を根拠に書いているのかが示されていないので疑わしい)によりできないことになっていること。
・山口南インターチェンジ(山口市鋳銭司〔すぜんじ〕)〜宇部ジャンクション(宇部市東岐波〔ひがしきわ〕)間は国道2号線小郡道路→山口県道6号山口・宇部線(山口・宇部道路)で代替していること。
・山口南インターチェンジ〜宇部ジャンクションについて改めて山陽自動車道を建設することは現状では困難であること。
しかし、次に挙げる点を考えればその処遇はいずれは真剣に考えなければならない時期が来るのではないかと思っているところである。
・広島・岩国道路の料金体系は割高になっていること。
・広島・岩国道路がある区間、すなわち廿日市市から大竹市にかけての区間だけ山陽自動車道が途切れていることに疑問を持つ方が少なくないこと。
・広島・岩国道路がある区間、すなわち廿日市市から大竹市にかけての区間の山陽自動車道の建設は地形が険しいことや二重投資になること、二つも自動車専用道路を設けても良いと思えるほど交通量が増える見込みがないこと、改めて建設することについて沿線住民の理解が得られないだけでなく各方面から疑問視される可能性があることなどから現実的ではないこと。
・広島・岩国道路には料金徴収期限が設定されており、それは39年後の2060年(令和42年)6月22日になっているが、料金徴収期限が到来して無料開放した時に廿日市ジャンクション・大竹ジャンクションに料金所を設置することは現実的ではないこと。
・山口市〜下関市間の中国自動車道は山間部を通過するために急な屈曲や急勾配が多いこと。
・山口市〜下関市間の中国自動車道は山間部を通過するために冬は積雪・凍結の恐れがあること。
・山口市〜下関市間の中国自動車道は過去に重大な交通事故がいくつも起きていること。
・山陽自動車道宇部インターチェンジ(宇部市川上)が使い勝手の悪さからあまり利用されていないこと。
・宇部市は山口県を代表する工業都市になっているのに高速交通網については冷遇されている感が否めないこと。
・山陽自動車道の終点となる下関ジャンクション(下関市吉田地方〔よしだじかた〕)は山陽自動車道宇部方面と中国自動車道北九州方面が本線化されていること(反対に中国自動車道美祢方面と中国自動車道北九州方面は路線名称が同じでもランプウェイを介する格好になる)。
山陽自動車道は神戸ジャンクションで2023年度(令和5年度)に全線開通する予定になっている新名神高速道路と接続するようになり、太平洋ベルト地帯の幹線道路としての地位は今後も高まっていくことが予想されるが、これらの区間の処遇は今後どのようになっていくのだろうか。
なお、もし山口南インターチェンジ〜宇部ジャンクション間が建設されるとしたらどのようになったのか、私の案をこちらで書いているので興味のある方はご覧頂きたい。

注55:中島さんから聞いた話なのだが1980年代半ばのある日浜田市郊外の高台に住んでいる中島さんの母方の叔母の家に行った時、そこの家にあるテレビでは大韓民国のテレビ番組(内容はプロ野球中継だったという)が映っていたのを見たという。そのことから日本海沿岸地域ではアジア大陸からかなり離れていても中波放送だけでなくエフエム放送やテレビ放送も受信できることが考えられる。山陰放送ラジオがradikoには早い段階で参加した一方でエフエム補完中継局整備には消極的になっているのはこのことも背景にあるのではないのだろうか(反対にNHK松江放送局〔松江市灘町〕はその浜田市にもラジオ第一のエフエム中継局を設置するなどエフエム補完放送に積極的になっているのだが…)。

注56:広島県道190号福山停車場線は福山市元町/福山駅前交差点を起点とし、福山市延広町/福山郵便局前交差点で国道2号線と接続して終点になる県道路線だった(おおよその経路はこちら)。福山市がその地下に駐車場(福山市営駅南口駐車場〔福山市東桜町〕)を建設するに当たって道路管理者を福山市にする必要が生じたことから広島県道としては廃止されている。
※ちなみに広島県道190号福山停車場線の廃止により広島県内のJR山陽新幹線の停車駅を起終点とする都道府県道路線は皆無となった(もっとも広島県道190号福山停車場線廃止時点では山陽新幹線はまだ開業していなかったのだが…)。新幹線が通過し、なおかつ駅が設置されている都道府県で新幹線停車駅を起終点とする都道府県道路線がないのは広島県以外には大阪府があるだけとなっている(大阪府は新大阪駅〔大阪市淀川区西中島五丁目〕しか新幹線停車駅がないことや新大阪駅のある大阪市は政令指定都市であり、大阪市内を通る府道路線は大阪市が管理していること、新大阪駅を終点とする予定で計画が進められているJR中央新幹線やJR北陸新幹線は大阪府内に駅を設置する予定はないこと、大阪府内では中央・北陸両新幹線以外に新幹線の建設計画は進められていないことからその状況は今後も続くものと思われる)。

注57:この他中国放送のアナウンサーだった男性も番組を持っていたことがあった(但し数年前に逝去している)。

注58:中波ステレオ放送を実施していた民間中波放送局とその状況は下表の通りである。

放送局名 実施
中継局名
開始年月日 終了年月日 備考
STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
本局 1992年
(平成4年)
8月1日
2010年
(平成22年)
3月1日
中波ステレオ放送開始時点の社名は札幌テレビ放送(2005年〔平成17年〕10月1日現行社名に変更)。
北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
本局 1996年
(平成8年)
10月7日
2010年
(平成22年)
3月29日
TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
2011年
(平成23年)
1月31日
中継局は本局以外存在しない。
中波ステレオ放送開始時点の社名は東京放送(2001年〔平成13年〕10月1日TBSラジオ&コミュニケーションズに、2016年〔平成28年〕4月1日現行社名にそれぞれ変更)。
ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
(実施中) 中継局は本局以外存在しない。
文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
2012年
(平成24年)
2月6日
中継局は本局以外存在しない。
CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月4日
2021年
(令和3年)
1月11日
中波ステレオ放送開始時点の社名は中部日本放送(2013年〔平成25年〕4月1日現行社名に変更)。
東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月4日
2012年
(平成24年)
5月14日
朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
2010年
(平成22年)
3月15日
全中継局で実施。
中波ステレオ放送開始時点の社名は朝日放送(2018年〔平成30年〕4月1日現行社名に変更)。
京都局 1997年
(平成9年)
4月1日
2010年
(平成22年)
3月15日
大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
本局 1993年
(平成5年)
3月29日
(実施中) 愛称:ラジオ大阪。
全中継局で実施。
京都局 1997年
(平成9年)
4月1日
(実施中)
毎日放送
(MBS、大阪市北区茶屋町)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
2010年
(平成22年)
3月1日
全中継局で実施。
京都局 1997年
(平成9年)
4月1日
2010年
(平成22年)
3月1日
和歌山放送
(WBS、和歌山市湊本町三丁目)
本局 1996年
(平成8年)
7月14日
(実施中)
RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)
本局 1992年
(平成4年)
10月5日
2011年
(平成23年)
3月28日
中波ステレオ放送開始時点の社名は山陽放送(2019年〔平成31年〕4月1日現行社名に変更)。
高梁局 1992年
(平成4年)
10月5日
2011年
(平成23年)
3月21日
中国放送
(RCC、広島市中区基町)
本局 1992年
(平成4年)
10月1日
2011年
(平成23年)
3月14日
福山・府中・三原各中継局の開始時期は推定(便宜上福山・三原両中継局の周波数が変更された日を開始年月日としている)。
福山局
府中局
1994年
(平成6年)
11月14日
2001年
(平成13年)
10月15日
三原局 1995年
(平成7年)
2月13日
2001年
(平成13年)
10月15日
RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月1日
2010年
(平成22年)
5月31日
九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月1日
2007年
(平成19年)
4月2日
熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
本局 1993年
(平成5年)
10月1日
2008年
(平成20年)
9月29日

上表から中波ステレオ放送を導入する場合は本局だけ、中継局を含めたとしても2箇所だけ(本局+中継局1箇所)というところばかりであり、中国放送ラジオのように4箇所で実施していたというのは珍しい。

注59:男性の新卒アナウンサーの採用を見合わせていた時代には一人だけだが中途入社のアナウンサーは受け入れている。

注60:中島さんは大学時代の先輩(以後Aさんと記すものとする)が中国放送を退職せざるを得なくなった事情を引き起こした原因について他にも次に挙げることを指摘している。
・下関市立大学(下関市大学町二丁目)の大学祭実行委員会事務局のOB会の設立に深く関与しておきながらその責任から逃げ続けたこと(結局OB会は会務を執らされることになった4年生の三役、すなわち委員長・副委員長・事務局局長→総務部部長の経験者が就職活動で苦戦したことにより会務を執れなくなったため5年で自然消滅したという)。
・Aさんの活躍ぶりは中国放送の番組や中国新聞の報道を通じて中島さんの知るところとなっていたが、一貫性がないことや評価されたとは言い難い状況があったことが気になったこと。
・そのせいか2000年(平成12年)以降Aさんの活躍ぶりは全く感知できなくなったこと。
・Aさんの言行から目立ちたい、認められたいという思いが強く、地道に努力するという考えが見えなかったこと。
・2001年(平成13年)秋に広島県在住の下関市立大学の同窓生を対象にした同窓会を広島市内で開くことになった時にAさんはその案内状に中島さんに対するメッセージを書いていたが、中島さんは予定があると言って参加しなかったこと。
中島さんは「Aさんは下関市立大学・大学祭実行委員会事務局最大の功労者であるという評価は現在も変えていない。しかし功労者としての評価を落としたのが自分で責任を完遂するつもりのないOB会の設立というあまりにも余計な行為だったと思う。そのことは中国放送入社後の身の丈に合わない活躍に表れ、遂にはどうにもならないところに追い込まれてしまったのではないか。功労者なら大学祭実行委員会事務局や学園祭の振興がなったところで潔く身を引くのが好ましいのに晩節を汚したのが残念だ」と話している。「あの時同窓会に行ってやれば中国放送を辞めることになる事情を起こすことはなかったのではないかと今も思うのだがAさんが性懲りもなく誘いをかけてきたのが許せなかった。自分達にも関係者全員の思い出を台無しにした責任はあるが、私に対して同窓会の誘いをかけるのであればOB会を設立しておいて責任を完遂せず、関係者全員の思い出を台無しにしたことを詫び、償ってからにして頂きたかった。同時にAさんのやっていることがおかしいことに気付きながらそれを指摘せず、なおかつ断ち切ろうともしなかった自分が悔しくてたまらない」とも中島さんは話しているのだが、今どこで何をしているか分からないAさんは中島さんのこの思いをどのように受け止めるのであろうか。

注61:この時は第一ステージ(対戦相手はリーグ2位の阪神タイガース)は2勝0敗で突破しているが第二ステージ(対戦相手はリーグ優勝の読売ジャイアンツ)には0勝4敗(読売ジャイアンツに与えられていたアドヴァンテージの1勝を含む)で敗退している。

注62:広島エフエム放送は都道府県域民間エフエム放送局51社で最も多くの中継局を擁するところ(13箇所)であるが、現在でも経営事情などから中継局が整備されていないところが少なくない。例えば中国放送ラジオが中波中継局を設置している庄原市東城地区には中継局は設置されておらず、広島エフエム放送はradikoを用いないと聴けない状態が続いている。
※ちなみに放送局ではなく市区町村などが免許を有する受信障害対策中継局を含めた場合はエフエム福島(愛称:ふくしまFM。郡山市神明町)が25箇所で最多となる(25箇所中20箇所が受信障害対策中継局)。

注63:現在のところコミュニティ放送局で本局と中継局で異なる周波数を用いているところは一切存在しない。

注64:民間中波放送局のエフエム補完中継局で出力が1kW以上のところは下表の通りである。

出力
(kW)
放送局名 エフエム補完
中継局数
備考
7 TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
1
ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
1
文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
1
CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
1
東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
1
朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
1
大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
1
毎日放送
(MBS、大阪市北区茶屋町)
1
5 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
1
北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
1
東北放送
(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)
1
RFラジオ日本
(RF、横浜市中区長者町五丁目)
1
3 京都放送
(KBS、京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町)
1

いずれもエフエム補完中継局が1箇所(記すまでもないが本社に近いところである)しかない点で共通しているのだが、同時にこれ以上のエフエム補完中継局の整備は行わないのだろうかとも考えたくなる。例えば東北放送ラジオ(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)は今月11日をもって発生から10年が経った東北地方太平洋沖地震で甚大な被害を受けたところ(気仙沼市・本吉郡南三陸町)にも中波中継局を設置しているのだが、そういうところにエフエム補完中継局を設置しようという考えはないのだろうか。まあエフエム補完放送に積極的になりすぎて中波放送を蔑ろにするのもどうかとは思うのだが、その点が気になる。

注65:2020年(令和2年)6月1日付総務省報道資料「エフエム補完中継局の免許申請の受け付け」による(それはこちら)。NHK広島拠点放送局が尾道市と豊田郡大崎上島町にラジオ第一のエフエム補完中継局を設置することは2020年(令和2年)4月14日に開催された第1,351回NHK経営委員会の議案に出てきて可決されていること(それはこちら)や中国放送が新たなエフエム補完中継局設置計画を有していないことを考えると93.6MHzをNHKラジオ第一尾道エフエム中継局が使用するのは確実であろう。

注66:2020年(令和2年)6月1日付総務省報道資料「エフエム補完中継局の免許申請の受け付け」による(それはこちら)。NHK広島拠点放送局が尾道市と豊田郡大崎上島町にラジオ第一のエフエム補完中継局を設置することは2020年(令和2年)4月14日に開催された第1,351回NHK経営委員会の議案に出てきて可決されていること(それはこちら)や中国放送が新たなエフエム補完中継局設置計画を有していないことを考えると90.9MHzをNHKラジオ第一大崎エフエム中継局が使用するのは確実であろう。

注67:中国放送ラジオは火曜日〜日曜日の午前5時を放送基点としている。

注68:番組改編で終了した広島エフエム放送の自社制作のワイド番組の跡地に広島エフエム放送が自社制作のワイド番組を設定しなかったのは最近2回あった。その状況を示すと下表の通りになる。

終了番組名 状況
冨田奈央子のぶらフラ! ・2020年(令和2年)4月放送開始の金曜日午前中の自社制作のワイド番組。
・IBC岩手放送(IBC、盛岡市志家町)→広島ホームテレビでアナウンサーを務めていた冨田奈央子が喋り手を務める番組だったが、冨田奈央子が妊娠したことから半年で終了した。
・後番組はジャパンエフエムネットワーク制作の「OH! HAPPY MORNING」。自社制作のワイド番組の放送を休止する年末年始に臨時にネットすることはあったが、金曜日だけではあるが定期ネットするのは初めてとなる。
・今春の番組改編でも「OH! HAPPY MORNING」のネットは継続されることになっており、自社制作のワイド番組の復活はならなかった。
・金曜日午前中について自社制作のワイド番組の設定をやめたのは聴取率が良くないことが考えられる。前番組の「徳永真紀のWEEKEND CONNECT」(2019〜2020年〔平成31年〜令和2年〕放送)も聴取率が低かったせいか1年で終わっており、広島エフエム放送にとっては魔の時間帯となっている。まあ裏番組が中国放送ラジオの「おはようラジオ」と「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」では致し方ないと言えるところであろうが…。
DAYS! ・2014年(平成26年)4月放送開始の平日(月曜日〜木曜日)午後の自社制作のワイド番組で、今年3月31日をもって7年間の歴史に終止符を打つことになった。
・後番組は月曜日が自社制作の「アラウンドカープX」、木曜日が同じく自社制作の「アヤノンスタイル」となったが、火曜日と水曜日は自社制作のワイド番組ではなくジャパンエフエムネットワーク制作の平日午後のワイド番組「seasoning〜season your life with music〜」をネットすることになった。広島エフエム放送がジャパンエフエムネットワーク制作の平日午後のワイド番組をネットするのは2009年(平成21年)10月〜2011年(平成23年)9月にネットしていた「flowers」以来となる。また、このことにより広島エフエム放送は開局以来初めて平日午後に自社制作のワイド番組を設定しない日を作ることになった(自社制作のワイド番組の放送を休止する年末年始を除く)。
・ちなみに木曜日午後の自社制作のワイド番組「アヤノンスタイル」は2009年(平成21年)10月〜2015年(平成27年)3月に放送されていた金曜日午後の自社制作のワイド番組を6年ぶりに復活させたものである。喋り手は金曜日時代と同じく笹原綾乃となる(金曜日時代は広島エフエム放送のアナウンサーだったが番組終了と同時に退職し、しばらくしてからフリーに転身して広島エフエム放送や広島ホームテレビの番組に出演している)。

注69:考えられるのは日曜日深夜の放送終了時間(現在は月曜日午前2時)の繰り上げや自社制作番組の削減、終夜放送の取りやめである。

注70:春から夏にかけて発生するいわゆるEスポ現象でかなり離れたところのエフエム放送を受信できることがあるが、季節的な事象になるのでここでは遠距離受信の対象には含めていない。
※ちなみに私は広島県内を自分の車で走っていた時に北海道や宮城県、沖縄県のエフエム放送を受信したことがある。その現象に出くわしたのは全て6月下旬のことであった。

注71:七大都市に本社を置いている民間中波放送局のエフエム補完放送に対する取り組みが鈍い理由は次の通りである。
・受信困難地域が少ない。
・放送区域が広大なため中継局を多数設置せざるを得ないが、費用がかかりすぎるので積極的になれない。
・本社に最も近いところのエフエム中継局の出力が強いため新たに中継局を設置する必要はない。
・経営基盤が脆弱である。
・放送区域内にある他の民間中波放送局や都道府県域民間エフエム放送局の経営を圧迫したくない。

注72:尼崎インターチェンジの所在地は京都方面の出入口がある場所を記している(西宮方面の出入口〔尼崎市名神町一丁目〕は京都方面の出入口とは別の場所にある上に名神高速道路栗東インターチェンジ〜尼崎インターチェンジ間が開通した時はまだ建設中だったため)。

注73:各都道府県の国土開発幹線自動車道の初開通時期を示すと下表の通りになる。

※下表では国土開発幹線自動車道として開通した箇所よりも一般有料道路として開通し、後に国土開発幹線自動車道に編入された箇所が先に開通していた場合は一般有料道路として開通し、後に国土開発幹線自動車道に編入された箇所をその都道府県における初開通箇所としている(該当するのは山形県・埼玉県・三重県・奈良県・沖縄県)。

都道府県名 国土開発幹線
自動車道
初開通年月日
状況 備考
北海道 1971年
(昭和46年)
12月4日
札樽(さっそん)自動車道小樽インターチェンジ(小樽市勝納〔かつない〕町)〜札幌西インターチェンジ(札幌市西区宮の沢二条四丁目)間及び道央自動車道千歳(ちとせ)インターチェンジ(千歳市泉沢)〜北広島インターチェンジ(北広島市大曲並木二丁目)間が開通したことによる。 札樽自動車道は一般有料道路の札幌・小樽道路として建設・開通。1973年(昭和48年)4月1日に国土開発幹線自動車道に編入され、その際に札樽自動車道に改称した。
青森県 1979年
(昭和54年)
9月27日
東北自動車道大鰐弘前(おおわにひろさき)インターチェンジ(南津軽郡大鰐町八幡館)〜青森インターチェンジ(青森市三内)間が開通したことによる。
岩手県 1977年
(昭和52年)
11月19日
東北自動車道一関インターチェンジ(一関市赤荻〔あこおぎ〕)〜盛岡南インターチェンジ(盛岡市湯沢)間が開通したことによる。
宮城県 1973年
(昭和48年)
11月27日
東北自動車道白石インターチェンジ(白石市福岡深谷〔ふくおかふかや〕)〜仙台南インターチェンジ(仙台市太白区茂庭)間が開通したことによる。
秋田県 1983年
(昭和58年)
10月20日
東北自動車道安代(あしろ)インターチェンジ(八幡平〔はちまんたい〕市上の山)〜鹿角八幡平インターチェンジ(鹿角市八幡平)間が開通したことによる。 秋田県内には鹿角八幡平インターチェンジしか出入口がなかったため左記区間の開通当時秋田県内だけの通行はできなかった。
山形県 1981年
(昭和56年)
4月15日
山形自動車道笹谷(ささや)インターチェンジ(宮城県柴田郡川崎町今宿)〜関沢インターチェンジ(山形市関沢)間が開通したことによる。 一般有料道路の笹谷トンネルとして建設・開通。山形県内には関沢インターチェンジしか出入口がなかったため左記区間の開通当時山形県内だけの通行はできなかった。
1998年(平成10年)7月1日に国土開発幹線自動車道に編入され、その際に山形自動車道の一部になった。
福島県 1973年
(昭和48年)
11月26日
東北自動車道白河インターチェンジ(西白河郡西郷村小田倉)〜郡山インターチェンジ(郡山市喜久田町)間が開通したことによる。
茨城県 1981年
(昭和56年)
4月27日
常磐自動車道柏インターチェンジ(柏市大青田)〜谷田部(やたべ)インターチェンジ(つくば市谷田部)間が開通したことによる。
栃木県 1972年
(昭和47年)
11月13日
東北自動車道岩槻インターチェンジ(さいたま市岩槻区加倉)〜宇都宮インターチェンジ(宇都宮市宝木本町)間が開通したことによる。
群馬県 1972年
(昭和47年)
11月13日
東北自動車道岩槻インターチェンジ〜宇都宮インターチェンジ間が開通したことによる。 群馬県内には館林インターチェンジ(館林市赤生田町〔あこうだ〕町)しか出入口がなかったため左記区間の開通当時群馬県内だけの通行はできなかった。
埼玉県 1971年
(昭和46年)
12月20日
関越自動車道練馬インターチェンジ(東京都練馬区三原台一丁目)〜川越インターインターチェンジ(川越市南大塚二丁目)間が開通したことによる。 一般有料道路の東京・川越道路として建設・開通。1973年(昭和48年)4月1日に国土開発幹線自動車道に編入され、その際に関越自動車道に改称した。
千葉県 1971年
(昭和46年)
10月27日
東関東自動車道宮野木ジャンクション(千葉市稲毛区宮野木町)〜富里インターチェンジ(富里市七栄)間が開通したことによる。 開通当時の路線名称は新空港自動車道。1979年(昭和54年)4月1日に東関東自動車道に改称した。
東京都 1967年
(昭和42年)
12月15日
中央自動車道調布インターチェンジ(調布市富士見町一丁目)〜八王子インターチェンジ(八王子市宇津木町)間が開通したことによる。
神奈川県 1968年
(昭和43年)
4月25日
東名高速道路東京インターチェンジ(東京都世田谷区砧公園〔きぬたこうえん〕)〜厚木インターチェンジ(厚木市岡田三丁目)間が開通したことによる。
新潟県 1978年
(昭和53年)
9月21日
関越自動車道長岡インターチェンジ(長岡市上除町)〜長岡ジャンクション(長岡市上除町)間及び北陸自動車道新潟黒埼インターチェンジ(新潟市西区山田。1978〜1989)〜新潟西インターチェンジ(新潟市西区立仏)〜長岡ジャンクション間が開通したことによる。 長岡ジャンクションは新潟黒埼インターチェンジ〜長岡インターチェンジ間開通時点では未供用。1980年(昭和55年)9月27日に北陸自動車道長岡ジャンクション〜西山インターチェンジ(柏崎市西山町坂田)間が開通した時に供用を開始した。
新潟西インターチェンジは新潟黒埼インターチェンジ〜長岡インターチェンジ間開通時点では未供用。北陸自動車道を新発田(しばた)方面に延伸することになったことから新潟黒埼インターチェンジに代わるインターチェンジとして北陸自動車道の長岡寄りに設置されることになり、1989年(平成元年)3月23日に供用を開始した。
新潟西インターチェンジの供用開始により新潟黒埼インターチェンジ〜新潟西インターチェンジ間の北陸自動車道は新潟西インターチェンジ供用開始約2ヶ月後の1989年(平成元年)6月1日に国道116号線(国道289号線重用)新潟西バイパスに転用された。その際新潟黒埼インターチェンジは黒埼インターチェンジ(新潟市西区山田)に改称している。
山梨県 1969年
(昭和44年)
3月17日
中央自動車道相模湖(さがみこ)インターチェンジ(相模原〔さがみはら〕市緑区吉野)〜大月ジャンクション(大月市大月町花咲)〜河口湖インターチェンジ(富士吉田市新倉)間が開通したことによる。 中央自動車道は大月ジャンクションで本線(八王子方面)と富士吉田支線(河口湖方面)に分かれる(現在のところ富士吉田支線について新たな路線名称を付ける動きはない)。
大月ジャンクションは相模湖インターチェンジ〜河口湖インターチェンジ間開通時点では未供用。1977年(昭和52年)12月20日に大月ジャンクション〜勝沼インターチェンジ(甲州市勝沼町上岩崎)間が開通した時に供用を開始したが、供用開始当時は八王子方面と甲府方面、八王子方面と河口湖方面との往来しかできなかった。甲府方面と河口湖方面との往来ができるようになり、完全化を果たしたのは1982年(昭和57年)9月20日のことである。
長野県 1975年
(昭和50年)
8月23日
中央自動車道駒ヶ根インターチェンジ(駒ヶ根市赤穂)〜中津川インターチェンジ(中津川市千旦林)間が開通したことによる。
富山県 1973年
(昭和48年)
10月16日
北陸自動車道小杉インターチェンジ(射水市上野)〜砺波(となみ)インターチェンジ(砺波市五郎丸)間が開通したことによる。
石川県 1972年
(昭和47年)
10月18日
北陸自動車道金沢西インターチェンジ(金沢市神野町)〜小松インターチェンジ(小松市長崎町)間が開通したことによる。 金沢西インターチェンジの所在地は福井方面の出入口がある場所を記している。
福井県 1973年
(昭和48年)
10月17日
北陸自動車道小松インターチェンジ〜丸岡インターチェンジ(坂井市丸岡町小黒)間が開通したことによる。 福井県内には丸岡インターチェンジしか出入口がなかったため左記区間の開通当時福井県内だけの通行はできなかった。
岐阜県 1964年
(昭和39年)
4月12日
名神高速道路関ヶ原インターチェンジ(不破〔ふわ〕郡関ヶ原町関ヶ原)〜栗東インターチェンジ間が開通したことによる。 岐阜県内には関ヶ原インターチェンジしか出入口がなかったため左記区間の開通当時岐阜県内だけの通行はできなかった。
静岡県 1968年
(昭和43年)
4月25日
東名高速道路富士インターチェンジ(富士市伝法)〜静岡インターチェンジ(静岡市駿河区西脇)間が開通したことによる。
愛知県 1964年
(昭和39年)
9月6日
名神高速道路一宮インターチェンジ(一宮市丹陽町九日市場)〜関ヶ原インターチェンジ間が開通したことによる。 愛知県内には一宮インターチェンジしか出入口がなかったため左記区間の開通当時愛知県内だけの通行はできなかった。
三重県 1970年
(昭和45年)
4月17日
東名阪自動車道四日市インターチェンジ(四日市市菅原町)〜亀山インターチェンジ(亀山市太岡寺町〔たいこうじちょう〕)間が開通したことによる。 一般有料道路の東名阪道路として建設・開通。1973年(昭和48年)4月1日に国土開発幹線自動車道に編入され、その際に東名阪自動車道に改称した。
滋賀県 1963年
(昭和38年)
7月16日
名神高速道路栗東インターチェンジ〜尼崎インターチェンジ間が開通したことによる。
京都府 1963年
(昭和38年)
7月16日
名神高速道路栗東インターチェンジ〜尼崎インターチェンジ間が開通したことによる。
大阪府 1963年
(昭和38年)
7月16日
名神高速道路栗東インターチェンジ〜尼崎インターチェンジ間が開通したことによる。
兵庫県 1963年
(昭和38年)
7月16日
名神高速道路栗東インターチェンジ〜尼崎インターチェンジ間が開通したことによる。 兵庫県内には尼崎インターチェンジしか出入口がなかったため左記区間の開通当時兵庫県内だけの通行はできなかった。
奈良県 1969年
(昭和44年)
3月21日
西名阪自動車道松原ジャンクション(松原市大堀五丁目)〜天理インターチェンジ(天理市櫟本町〔いちのもとちょう〕)間が開通したことによる。 一般有料道路の西名阪道路として建設・開通。1973年(昭和48年)4月1日に国土開発幹線自動車道に編入され、その際に西名阪自動車道に改称した。
松原ジャンクションは開通当時は松原インターチェンジだったが、近畿自動車道八尾インターチェンジ(東大阪市大蓮東四丁目)〜松原ジャンクション間が開通した1988年(昭和63年)3月17日に松原ジャンクションに改称した。その時点では一般道路、すなわち大阪府道2号大阪中央環状線との接続が残っていたが、1989年(平成元年)3月29日に阪和自動車道松原ジャンクション〜美原北インターチェンジ(堺市美原区丹上)間が開通した時に一般道路との接続がなくなった。
和歌山県 1974年
(昭和49年)
10月25日
阪和自動車道阪南インターチェンジ(阪南市山中渓〔やまなかだに〕)〜海南インターチェンジ(海南市藤白)間が開通したことによる。
鳥取県 1989年
(平成元年)
12月14日
米子自動車道江府インターチェンジ(日野郡江府町佐川)〜米子インターチェンジ(米子市赤井手)間が開通したことによる。
島根県 1983年
(昭和58年)
3月24日
中国自動車道千代田インターチェンジ〜広島北ジャンクション〜鹿野インターチェンジ間が開通したことによる。 島根県内には六日市インターチェンジ(鹿足〔かのあし〕郡吉賀〔よしか〕町立河内〔たちごうち〕)しか出入口がなかったため左記区間の開通当時島根県内だけの通行はできなかった。
岡山県 1974年
(昭和49年)
12月21日
中国自動車道美作(みまさか)インターチェンジ(美作市北山)〜落合インターチェンジ(真庭市下市瀬)間が開通したことによる。
広島県 1978年
(昭和53年)
10月28日
中国自動車道北房インターチェンジ〜三次インターチェンジ間が開通したことによる。
山口県 1973年
(昭和48年)
11月14日
中国自動車道小月インターチェンジ(下関市小月幸町)〜下関インターチェンジ間及び関門自動車道(関門橋)下関インターチェンジ〜門司インターチェンジ間が開通したことによる。
徳島県 1994年
(平成6年)
3月17日
徳島自動車道藍住インターチェンジ〜脇町インターチェンジ間が開通したことによる。
香川県 1987年
(昭和62年)
12月16日
高松自動車道善通寺インターチェンジ(善通寺市金蔵寺〔こんぞうじ〕町)〜川之江ジャンクション(四国中央市金生町下分)間及び松山自動車道川之江ジャンクション〜三島川之江インターチェンジ(四国中央市下柏町)間が開通したことによる。 川之江ジャンクションは善通寺インターチェンジ〜三島川之江インターチェンジ間開通時点では未供用。1992年(平成4年)1月30日に高知自動車道川之江ジャンクション〜川之江東ジャンクション(四国中央市柴生〔しぼう〕町)〜大豊インターチェンジ(高知県長岡郡大豊町川口)間が開通した時に供用を開始した。
※川之江東ジャンクションは川之江ジャンクション〜大豊インターチェンジ間開通時点では未供用。徳島自動車道井川池田インターチェンジ(三好市井川町西井川)〜川之江東ジャンクション間が開通した2000年(平成12年)3月11日に供用を開始した。
愛媛県 1985年
(昭和60年)
3月27日
松山自動車道三島川之江インターチェンジ〜土居インターチェンジ(四国中央市土居町野田)間が開通したことによる。
高知県 1987年
(昭和62年)
10月8日
高知自動車道大豊インターチェンジ〜南国インターチェンジ(南国市領石)間が開通したことによる。
福岡県 1973年
(昭和48年)
11月14日
関門自動車道(関門橋)下関インターチェンジ〜門司インターチェンジ間が開通したことによる。 福岡県内には門司港インターチェンジ(北九州市門司区門司)が設置されているが、門司港インターチェンジは下関方面との出入口しかないため左記区間の開通当時福岡県内だけの通行はできなかった。
佐賀県 1973年
(昭和48年)
11月16日
九州自動車道鳥栖(とす)ジャンクション(鳥栖市永吉町)〜南関インターチェンジ(熊本県玉名郡南関町関外目〔せきほかめ〕)間及び長崎自動車道鳥栖インターチェンジ(鳥栖市姫方町)〜鳥栖ジャンクション間が開通したことによる。 佐賀県内には鳥栖インターチェンジしか出入口がなかったため左記区間の開通当時佐賀県内だけの通行はできなかった。
鳥栖ジャンクションは鳥栖インターチェンジ〜南関インターチェンジ間開通時点では未供用。1975年(昭和50年)3月13日に九州自動車道古賀インターチェンジ(古賀市川原〔かわばる〕)〜鳥栖ジャンクション間が開通した時に供用を開始したが、供用開始当時は鳥栖インターチェンジ以遠の長崎自動車道が開通していなかったため鳥栖ジャンクションは事実上鳥栖インターチェンジと同一の存在になっていた。鳥栖ジャンクションが高速道路同士の接続点としての機能を有するようになったのは1985年(昭和60年)3月28日に長崎自動車道佐賀大和(さがやまと)インターチェンジ(佐賀市大和町久池井)〜鳥栖インターチェンジ間が開通した時である(更に1987年〔昭和62年〕2月5日に大分自動車道鳥栖ジャンクション〜朝倉インターチェンジ〔朝倉市比良松〕間が開通したことをもって完全化を果たしている)。
長崎県 1982年
(昭和57年)
11月17日
長崎自動車道長崎多良見インターチェンジ(長崎市中里町)〜大村インターチェンジ(大村市池田二丁目)間が開通したことによる。
熊本県 1971年
(昭和46年)
6月30日
九州自動車道植木インターチェンジ(熊本市北区植木町亀甲)〜熊本インターチェンジ(熊本市東区御領七丁目)間が開通したことによる。
大分県 1989年
(平成元年)
7月20日
大分自動車道湯布院インターチェンジ(由布市湯布院町川北)〜日出(ひじ)ジャンクション(速見郡日出町南畑)間及び東九州自動車道日出ジャンクション〜別府インターチェンジ(別府市鶴見)間が開通したことによる。 日出ジャンクションは湯布院インターチェンジ〜別府インターチェンジ間開通時点では未供用。1994年(平成6年)12月15日に東九州自動車道速見インターチェンジ(速見郡日出町南畑)〜日出ジャンクション間が開通した時に供用を開始した。
湯布院インターチェンジ〜日出ジャンクション〜別府インターチェンジ間の路線名称は開通当時は大分自動車道だったが、日出ジャンクション〜別府インターチェンジ間については2018年(平成30年)8月5日に東九州自動車道に編入されている。
宮崎県 1976年
(昭和51年)
3月4日
九州自動車道えびのインターチェンジ(えびの市湯田)〜えびのジャンクション(えびの市西長江浦)間及び宮崎自動車道えびのジャンクション〜高原(たかはる)インターチェンジ(西諸県郡高原町西麓)間が開通したことによる。 えびのジャンクションはえびのインターチェンジ〜高原インターチェンジ間開通時点では未供用。1981年(昭和56年)10月1日に九州自動車道えびのジャンクション〜栗野インターチェンジ(鹿児島県姶良〔あいら〕郡湧水町木場)間が開通した時に供用を開始した。
鹿児島県 1973年
(昭和48年)
12月13日
九州自動車道加治木インターチェンジ(姶良市加治木町反土)〜薩摩吉田インターチェンジ(鹿児島市宮之浦町)間が開通したことによる。
沖縄県 1975年
(昭和50年)
5月20日
沖縄自動車道許田インターチェンジ(名護市許田)〜石川インターチェンジ(うるま市石川)間が開通したことによる。 一般有料道路の沖縄自動車道として建設・開通。1987年(昭和62年)10月8日に国土開発幹線自動車道として建設された沖縄自動車道石川インターチェンジ〜那覇インターチェンジ(那覇市首里崎山町三丁目)間が開通した時に国土開発幹線自動車道に編入された。

上表を基にして都道府県の高速道路の初開通順を示すと下表の通りになる。

※「都道府県名」欄で都道府県名の前に△を付けているところは出入口が一つしかないなどの理由で開通当時その都道府県内だけの通行ができなかったところを指している。

順位 都道府県名 国土開発幹線
自動車道
初開通年月日
状況 備考
1 滋賀県 1963年
(昭和38年)
7月16日
名神高速道路栗東インターチェンジ〜尼崎インターチェンジ間が開通したことによる。
京都府
大阪府
△兵庫県
5 △岐阜県 1964年
(昭和39年)
4月12日
名神高速道路関ヶ原インターチェンジ〜栗東インターチェンジ間が開通したことによる。
6 △愛知県 1964年
(昭和39年)
9月6日
名神高速道路一宮インターチェンジ〜関ヶ原インターチェンジ間が開通したことによる。
7 東京都 1967年
(昭和42年)
12月15日
中央自動車道調布インターチェンジ〜八王子インターチェンジ間が開通したことによる。
8 神奈川県 1968年
(昭和43年)
4月25日
東名高速道路東京インターチェンジ〜厚木インターチェンジ間が開通したことによる。
静岡県 1968年
(昭和43年)
4月25日
東名高速道路富士インターチェンジ〜静岡インターチェンジ間が開通したことによる。
10 山梨県 1969年
(昭和44年)
3月17日
中央自動車道相模湖インターチェンジ〜大月ジャンクション〜河口湖インターチェンジ間が開通したことによる。
11 奈良県 1969年
(昭和44年)
3月21日
西名阪自動車道松原ジャンクション〜天理インターチェンジ間が開通したことによる。
12 三重県 1970年
(昭和45年)
4月17日
東名阪自動車道四日市インターチェンジ〜亀山インターチェンジ間が開通したことによる。
13 熊本県 1971年
(昭和46年)
6月30日
九州自動車道植木インターチェンジ〜熊本インターチェンジ間が開通したことによる。
14 千葉県 1971年
(昭和46年)
10月27日
東関東自動車道宮野木ジャンクション〜富里インターチェンジ間が開通したことによる。
15 北海道 1971年
(昭和46年)
12月4日
札樽自動車道小樽インターチェンジ〜札幌西インターチェンジ間及び道央自動車道千歳インターチェンジ〜北広島インターチェンジ間が開通したことによる。
16 埼玉県 1971年
(昭和46年)
12月20日
関越自動車道練馬インターチェンジ〜川越インターチェンジ間が開通したことによる。
17 石川県 1972年
(昭和47年)
10月18日
北陸自動車道金沢西インターチェンジ〜小松インターチェンジ間が開通したことによる。
18 栃木県 1972年
(昭和47年)
11月13日
東北自動車道岩槻インターチェンジ〜宇都宮インターチェンジ間が開通したことによる。
△群馬県 1972年
(昭和47年)
11月13日
東北自動車道岩槻インターチェンジ〜宇都宮インターチェンジ間が開通したことによる。
20 富山県 1973年
(昭和48年)
10月16日
北陸自動車道小杉インターチェンジ〜砺波インターチェンジ間が開通したことによる。
21 △福井県 1973年
(昭和48年)
10月17日
北陸自動車道小松インターチェンジ〜丸岡インターチェンジ間が開通したことによる。
22 山口県 1973年
(昭和48年)
11月14日
中国自動車道小月インターチェンジ〜下関インターチェンジ間及び関門自動車道(関門橋)下関インターチェンジ〜門司インターチェンジ間が開通したことによる。
△福岡県 1973年
(昭和48年)
11月14日
関門自動車道(関門橋)下関インターチェンジ〜門司インターチェンジ間が開通したことによる。
24 △佐賀県 1973年
(昭和48年)
11月16日
九州自動車道鳥栖ジャンクション〜南関インターチェンジ間及び長崎自動車道鳥栖インターチェンジ〜鳥栖ジャンクション間が開通したことによる。
25 福島県 1973年
(昭和48年)
11月26日
東北自動車道白河インターチェンジ〜郡山インターチェンジ間が開通したことによる。
26 宮城県 1973年
(昭和48年)
11月27日
東北自動車道白石インターチェンジ〜仙台南インターチェンジ間が開通したことによる。
27 鹿児島県 1973年
(昭和48年)
12月13日
九州自動車道加治木インターチェンジ〜薩摩吉田インターチェンジ間が開通したことによる。
28 和歌山県 1974年
(昭和49年)
10月25日
阪和自動車道阪南インターチェンジ〜海南インターチェンジ間が開通したことによる。
29 岡山県 1974年
(昭和49年)
12月21日
中国自動車道美作インターチェンジ〜落合インターチェンジ間が開通したことによる。
30 沖縄県 1975年
(昭和50年)
5月20日
沖縄自動車道許田インターチェンジ〜石川インターチェンジ間が開通したことによる。
31 長野県 1975年
(昭和50年)
8月23日
中央自動車道駒ヶ根インターチェンジ〜中津川インターチェンジ間が開通したことによる。
32 宮崎県 1976年
(昭和51年)
3月4日
九州自動車道えびのインターチェンジ〜えびのジャンクション間及び宮崎自動車道えびのジャンクション〜高原インターチェンジ間が開通したことによる。
33 岩手県 1977年
(昭和52年)
11月19日
東北自動車道一関インターチェンジ〜盛岡南インターチェンジ間が開通したことによる。
34 新潟県 1978年
(昭和53年)
9月21日
関越自動車道長岡インターチェンジ〜長岡ジャンクション間及び北陸自動車道新潟黒埼インターチェンジ〜長岡ジャンクション間が開通したことによる。
35 広島県 1978年
(昭和53年)
10月28日
中国自動車道北房インターチェンジ〜三次インターチェンジ間が開通したことによる。
36 青森県 1979年
(昭和54年)
9月27日
東北自動車道大鰐弘前インターチェンジ〜青森インターチェンジ間が開通したことによる。
37 △山形県 1981年
(昭和56年)
4月15日
山形自動車道笹谷インターチェンジ〜関沢インターチェンジ間が開通したことによる。
38 茨城県 1981年
(昭和56年)
4月27日
常磐自動車道柏インターチェンジ〜谷田部インターチェンジ間が開通したことによる。
39 長崎県 1982年
(昭和57年)
11月17日
長崎自動車道長崎多良見インターチェンジ〜大村インターチェンジ間が開通したことによる。
40 △島根県 1983年
(昭和58年)
3月24日
中国自動車道千代田インターチェンジ〜広島北ジャンクション〜鹿野インターチェンジ間が開通したことによる。
41 △秋田県 1983年
(昭和58年)
10月20日
東北自動車道安代インターチェンジ〜鹿角八幡平インターチェンジ間が開通したことによる。
42 愛媛県 1985年
(昭和60年)
3月27日
松山自動車道三島川之江インターチェンジ〜土居インターチェンジ間が開通したことによる。
43 高知県 1987年
(昭和62年)
10月8日
高知自動車道大豊インターチェンジ〜南国インターチェンジ間が開通したことによる。
44 香川県 1987年
(昭和62年)
12月16日
高松自動車道善通寺インターチェンジ〜川之江ジャンクション間及び松山自動車道川之江ジャンクション〜三島川之江インターチェンジ間が開通したことによる。
45 大分県 1989年
(平成元年)
7月20日
大分自動車道湯布院インターチェンジ〜日出ジャンクション間及び東九州自動車道日出ジャンクション〜別府インターチェンジ間が開通したことによる。
46 鳥取県 1989年
(平成元年)
12月14日
米子自動車道江府インターチェンジ〜米子インターチェンジ間が開通したことによる。
47 徳島県 1994年
(平成6年)
3月17日
徳島自動車道藍住インターチェンジ〜脇町インターチェンジ間が開通したことによる。

注74:Whistling Jack Smithはイギリス人ミュージシャンのJohn O'Neill(ジョン・オニール。1926〜1999)の別名義である。“Whispering”Jack Smith(“ウィスパリング”ジャック・スミス)の愛称で知られたバリトン歌手のJack Smith(ジャック・スミス。1896〜1950)の名前をなぞらえて付けたものである。なお、日本ではWhistling Jack Smithを口笛ジャックと表記する場合もある。

注75:原題の意味は「私はドイツ皇帝のヴィルヘルム2世(1859〜1941。在位期間:1888〜1918)の従兵だった」となるが、ほぼ全編にわたって口笛で演奏されている点(人の声が入るのは最後のかけ声だけ)から日本では「口笛天国」という題名が付けられている。

注76:原題の意味は「戯(たわむ)れの恋のために」となるが、日本ではなぜか「青春に乾杯」という題名が付けられている。

注77:山陰放送ラジオ・新潟県民エフエム放送とも経営環境が厳しいことが日曜日深夜(月曜日早朝)だけでなく土曜日深夜(日曜日早朝)に放送休止を設定した主たる理由になっているが、私は放送区域内の交通事情も背景にあったのではないかと考えている。それぞれの事情は下表の通りである。

放送局名 事情
山陰放送ラジオ ・規模の大きな都市が少ないことや夜間は点滅運用になる信号機が多いことなどから高額な通行料金がかかる中国自動車道・山陽自動車道を避けて国道9号線を通る運送業者が少なくないのだが、土曜日深夜(日曜日早朝)はその数は少なくなること。
・放送区域となる鳥取県と島根県は東西に長いのに高速道路の整備が遅れていること。
・前記の事情により機器調整で放送を休止する場合拠点(本社・支社)から中継局までの時間がかなりかかるため機器調整の時間を長くとらざるを得なくなっていること。
新潟県民エフエム放送 ・五大都市を擁する都道府県以外では唯一の第二都道府県域民間エフエム放送局として開局したが、その際大手自動車製造会社の系列に属する自動車販売会社や地元の大手運送会社が開局に向けて動いたこと。
・前記の通り大手運送会社が開局に向けて動いたが土曜日深夜(日曜日早朝)は新潟県内を走行する運送業者は平日に比べると少なくなっていることを知っていたため日曜日深夜(月曜日早朝)だけでなく土曜日深夜(日曜日早朝)に放送休止を設定することを進言した可能性があること。
・新潟県は広大な行政区域を持つ一方で高速道路の整備は早く進んだが、中継局が本社からかなり離れた場所(魚沼市と上越市にあった)にあったことや新潟県内には支社は一切設置していなかったこと(支社は東京にしか設置しなかった)などから機器調整の時間を長くとらざるを得なくなっていること。

注78:逆に「走れ! 歌謡曲」を打ち切って「歌うヘッドライト」のネットに加わったところはない。

(参考資料:運送業者向け深夜番組のネット状況)

※下表では民間中波放送局の略称や所在地は省いて記載している。その点はご了承願いたい。

状況 該当放送局名 備考
「歌うヘッドライト」のみネット
(28社)
北海道放送
青森放送
IBC岩手放送
東北放送
秋田放送
山形放送
ラジオ福島
TBSラジオ
新潟放送
山梨放送
信越放送
北陸放送
CBCラジオ
毎日放送
和歌山放送
山陰放送
RSK山陽放送
山口放送
四国放送
南海放送
高知放送
RKB毎日放送
長崎放送
熊本放送
大分放送
宮崎放送
南日本放送
琉球放送
「走れ! 歌謡曲」のみネット
(5社)
文化放送
北日本放送
東海ラジオ放送
大阪放送
中国放送
「歌うヘッドライト」
「走れ! 歌謡曲」
双方ネット
(2社)
福井放送
静岡放送
いずれも「歌うヘッドライト」終了の数年後に「走れ! 歌謡曲」のネットを開始している。
「歌うヘッドライト」
「走れ! 歌謡曲」
双方不ネット
(12社)
STVラジオ
茨城放送
栃木放送
ニッポン放送
RFラジオ日本
岐阜放送
京都放送
朝日放送ラジオ
ラジオ関西
西日本放送
九州朝日放送
ラジオ沖縄
ニッポン放送は「オールナイトニッポン」制作局のため記すまでもないが「歌うヘッドライト」も「走れ! 歌謡曲」も放送できない。
ラジオ沖縄は「歌うヘッドライト」「走れ! 歌謡曲」が放送されていた時は終夜放送は実施していなかった。

注79:「走れ! 歌謡曲」のネット局で日野自動車の宣伝を流す時間が異なるのは北日本放送ラジオ・東海ラジオ放送・大阪放送・中国放送ラジオが全部分ネットしていたのに対して福井放送ラジオと静岡放送ラジオは午前3時台しかネットしていなかったからである。

注80:「さよならの向う側」は実は山口百恵の最後のシングル曲ではない。「さよならの向う側」が発売されたのは1980年(昭和55年)8月21日のことであるが、その約3ヶ月後の1980年(昭和55年)11月19日(この日は山口百恵が俳優の三浦友和と結婚式を挙げた日でもある)に「一恵(いちえ)」というシングル曲を出しているからである。しかし、引退前に出演したいくつかのテレビ番組ではいずれも「さよならの向う側」を最後に披露していることや1980年(昭和55年)10月5日に日本武道館(東京都千代田区北の丸公園)で開催されたファイナルコンサートで最後に歌った曲であること(歌い終えた後山口百恵はマイクを舞台に置いて舞台裏に去っていったのは有名な話である)などから「さよならの向う側」を山口百恵最後の曲と認識している方は少なくない。

注81:「ヴァイナル・ミュージック〜歌謡曲2.0〜」は放送日時は「走れ! 歌謡曲」と同じなのだが、全部分放送するのは制作局の文化放送と、中国放送ラジオの2社だけになっている。その他の「走れ! 歌謡曲」終了時点の「走れ! 歌謡曲」ネット局のネット状況は次の通りである。
・福井放送ラジオ…午前3時台だけネット
・東海ラジオ放送…ネットせず
・大阪放送…午前4時台だけネット

注82:最近の終了事例としては北海道放送ラジオ(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)の「ベストテンほっかいどう」(1971〜2020年〔昭和46年〜令和2年〕放送)が挙げられる。

注83:私が覚えているのはRSK山陽放送ラジオと広島エフエム放送である。RSK山陽放送ラジオは笠岡市内の国道2号線に、広島エフエム放送は三次市内の国道184号線にそれぞれ設置してあったような覚えがある。

注84:そのため本サイトではこちらでラジオ局の一覧表を掲載している。そこでは各放送局の周波数も掲載しているので是非参考にして頂きたい。

注85:国道314号線の通行不能箇所は庄原市東城町小奴可〜庄原市西城町高尾間に存在した。実は通行不能箇所付近の国道314号線は前身となる国道路線または県道路線が存在しない区間、すなわち東城町道や西城町道を国道314号線の区域として編入した区間である。国道314号線が福山市と雲南市を結ぶ目的で発足したことを考えれば県道43号小鳥原(ひととばら)・神石線(一般県道。1960〜1972)や県道184号油木・小鳥原線(1960〜1972)を国道314号線に編入すれば最短経路になるので良かったのだろうが、そのようにしなかった理由としては次のようなことが挙げられる。
・もし県道43号小鳥原・神石線や県道184号油木・小鳥原線を国道314号線に編入すると交通の要衝になっているJR芸備線・木次(きすき)線備後落合(びんごおちあい)駅(庄原市西城町八鳥)付近を通らなくなるため好ましくないという意見が出たこと。
・もし県道43号小鳥原・神石線や県道184号油木・小鳥原線を国道314号線に編入すると島根県道4号/広島県道20号出雲(いずも)・西城線(主要地方道。広島県側の存在期間は1954〜1972)の庄原市西城町油木/灰庭交差点(信号機・交差点名標なし)庄原市西城町小鳥原/落合橋西詰交差点(信号機・交差点名標なし)間の処遇が問題になること。
・県道43号小鳥原・神石線や県道184号油木・小鳥原線は山越えをする箇所が多く、西城川に沿って延びる島根県道4号/広島県道20号出雲・西城線よりも改良費用がかさむ恐れがあること。
・もし県道43号小鳥原・神石線や県道184号油木・小鳥原線を国道314号線に編入すると国道314号線が庄原方面と奥出雲方面の最短経路にならなくなること。
つまり、備後落合駅付近を通る経路で国道314号線を設定したほうが好都合だったということになる。そのため東城町道や西城町道を編入した結果自動車の通れない箇所が生じたのであろう。

注86:実は鹿児島県の地域の分け方は適切ではない。本土については本土の西方にある甑島(こしきしま)諸島と本土の南方にある大隅諸島(種子島〔たねがしま〕・屋久島など)を含めていることと、南西諸島については本来なら含まれる大隅諸島を除いていることがその理由である。

注87:日本放送協会の放送局は現在54箇所ある。中波放送の本局の状況を記すと下表の通りになる。

地方名 都道府県名 放送局名 中波放送本局出力
(単位:kW)
中波中継局数 備考
ラジオ第一 ラジオ第二 ラジオ第一 ラジオ第二
北海道 北海道 札幌拠点 100 500 1 1 北海道全域を統べる放送局であり、石狩・後志(しりべし)総合両振興局の管内全域と空知総合振興局管内の一部(赤平市・芦別市・岩見沢市・歌志内市・砂川市・滝川市・美唄〔びばい〕市・三笠市・夕張市・樺戸郡・空知郡〔上砂川町・奈井江町・南幌町〕・夕張郡)を管轄する放送局でもある。
旭川 3 1 6 6 上川総合・宗谷(そうや)総合・留萌(るもい)各振興局の管内全域と空知総合振興局管内の一部(深川市・雨竜郡)を管轄する放送局。
帯広 5 1 2 1 十勝(とかち)総合振興局の管内全域を管轄する放送局。
エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一1局)。
北見 10 10 3 2 オホーツク総合振興局の管内全域を管轄する放送局。
釧路 10 10 3 3 釧路(くしろ)総合・根室両振興局の管内全域を管轄する放送局。
エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一2局)。
函館 5 1 4 3 渡島(おしま)総合・檜山両振興局の管内全域を管轄する放送局。
室蘭 3 1 2 2 胆振(いぶり)総合・日高両振興局の管内全域を管轄する放送局。
東北 宮城県 仙台拠点 20 10 4 2
青森県 青森 5 1 7 3
岩手県 盛岡 10 10 9 6 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一1局)。
秋田県 秋田 10 500 8 4 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一3局)。
山形県 山形 5 1 6 4
福島県 福島 1 1 9 6 ラジオ第一の中波中継局の出力は本局(福島市古川)より郡山中波中継局(郡山市安積町〔あさかまち〕長久保二丁目)のほうが強くなっている(郡山中波中継局の出力は5kW)。
関東・
甲信越
東京都 本部 300 500 1 1 日本放送協会の総本山。但し本局は東京都内ではなく埼玉県久喜市菖蒲(しょうぶ)町三箇(さんが)にある。
エフエム補完中継局所有放送局(内訳はラジオ第一2局/ラジオ第二2局)。
茨城県 水戸 本部の中波放送は茨城県も放送区域に含めている関係上水戸放送局(水戸市大町三丁目)独自の中波放送は実施していない。また、本部の中波放送の本局の出力が強いため中波中継局は管内には一切設置されていない。
栃木県 宇都宮 本部の中波放送は栃木県も放送区域に含めている関係上宇都宮放送局(宇都宮市中央三丁目)独自の中波放送は実施していない。また、本部の中波放送の本局の出力が強いため中波中継局は管内には一切設置されていない。
群馬県 前橋 本部の中波放送は群馬県も放送区域に含めている関係上前橋放送局(前橋市元総社町)独自の中波放送は実施していない(かつては実施していたが1938年〔昭和13年〕に取りやめになっている)。また、本部の中波放送の本局の出力が強いため中波中継局は管内には一切設置されていない。
埼玉県 さいたま 本部の中波放送は埼玉県も放送区域に含めている関係上さいたま放送局(さいたま市浦和区常盤〔ときわ〕六丁目)独自の中波放送は実施していない。また、本部の中波放送の本局の出力が強いため中波中継局は管内には一切設置されていない(但し本部の中波放送の本局は管内にある)。
千葉県 千葉 本部の中波放送は千葉県も放送区域に含めている関係上千葉放送局(千葉市中央区千葉港)独自の中波放送は実施していない。また、本部の中波放送の本局の出力が強いため中波中継局は管内には一切設置されていない。
神奈川県 横浜 本部の中波放送は神奈川県も放送区域に含めている関係上横浜放送局(横浜市中区山下町)独自の中波放送は実施していない。また、本部の中波放送の本局の出力が強いため中波中継局は管内には一切設置されていない。
新潟県 新潟 10 10 8 3
山梨県 甲府 5 1 2 1
長野県 長野 5 1 11 9 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一2局)。
北陸・
東海
愛知県 名古屋拠点 50 10 3 2
富山県 富山 5 1 1 1
石川県 金沢 10 10 4 3 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一2局〔但しそのうちの1局は未開局〕)。
福井県 福井 5 1 5 4 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一3局)。
エフエム補完放送中継局はいずれも福井市にあるが、福井市以外に日本放送協会の中波放送のエフエム補完中継局のある都道府県庁所在地はなく、福井市は日本放送協会の中波放送のエフエム補完中継局のある唯一の都道府県庁所在地になっている。
岐阜県 岐阜 6 5 名古屋拠点放送局の中波放送は岐阜県も放送区域に含めている関係上岐阜放送局独自の中波放送は実施していない。
岐阜放送局の管内にはエフエム補完中継局が一つある(ラジオ第一のみ)が前記の理由により名古屋拠点放送局の所有になっている。
静岡県 静岡 10 10 6 2 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一1局)。
三重県 3 2 名古屋拠点放送局の中波放送は三重県も放送区域に含めている関係上津放送局(津市丸之内養正町)独自の中波放送は実施していない。
近畿
(関西)
大阪府 大阪拠点 100 300 1 1
滋賀県 大津 1 1 滋賀県は大阪拠点放送局(大阪市中央区大手前四丁目)の中波放送の放送区域に含められているがラジオ第一については大津放送局(大津市打出浜)独自の中波放送を実施できるようになっている。
京都府 京都 3 2 大阪拠点放送局の中波放送は京都府も放送区域に含めている関係上京都放送局(京都市中京〔なかぎょう〕区烏丸通〔からすまどおり〕御池下ル虎屋町)独自の中波放送は実施していない(かつては実施していたがラジオ第一は2015年〔平成27年〕に、ラジオ第二は1973年〔昭和48年〕にそれぞれ取りやめになっている)。
兵庫県 神戸 3 1 大阪拠点放送局の中波放送は兵庫県も放送区域に含めている関係上神戸放送局(神戸市中央区中山手通二丁目)独自の中波放送は実施していない。
奈良県 奈良 大阪拠点放送局の中波放送は奈良県も放送区域に含めている関係上奈良放送局(奈良市三条大路一丁目)独自の中波放送は実施していない。
和歌山県 和歌山 4 3 大阪拠点放送局の中波放送は和歌山県も放送区域に含めている関係上和歌山放送局(和歌山市吹上二丁目)独自の中波放送は実施していない。
和歌山放送局の管内にはエフエム補完中継局が二つある(いずれもラジオ第一のみ)が前記の理由により大阪拠点放送局の所有になっている。
中国 広島県 広島拠点 20 10 9 7 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一2局。但し2局とも未開局)。
鳥取県 鳥取 1 1 6 3
島根県 松江 10 10 9 6 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一6局)。
岡山県 岡山 5 5 5 3 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一1局)。
山口県 山口 5 5 5 3
四国 愛媛県 松山拠点 5 5 9 7 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一2局)。
徳島県 徳島 5 4 1 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一1局)。
ラジオ第二については1973年(昭和48年)に独自の放送を取りやめている(管内にある唯一のラジオ第二の中波中継局、すなわち池田中波中継局〔三好市池田町ウエノ〕は松山拠点放送局〔松山市堀之内〕を本局としているが、管理は徳島放送局〔徳島市寺島本町東一丁目〕が行っている)。
香川県 高松 5 1 2 1
高知県 高知 10 10 10 4 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一4局)。
九州・
沖縄
福岡県 福岡拠点 100 50 1 1 福岡県全域を統べる放送局であり、福岡県のうちの福岡・朝倉・糸島・うきは・大川・大野城・大牟田・小郡・春日(かすが)・久留米(くるめ)・古賀・太宰府(だざいふ)・筑後・筑紫野・那珂川・福津・みやま・宗像(むなかた)・柳川(やながわ)・八女(やめ)各市と朝倉・糟屋・三井・三瀦(みずま)・八女各郡を管轄する放送局でもある。
北九州 1 1 1 1 福岡県のうちの北九州・飯塚・嘉麻・田川・中間・直方(のおがた)・豊前(ぶぜん)・宮若・行橋(ゆくはし)各市と遠賀(おんが)・嘉穂・鞍手・田川・築上・京都(みやこ)各郡を管轄する放送局。
佐賀県 佐賀 1 3 ラジオ第二については1974年(昭和49年)に独自の放送を取りやめている。
長崎県 長崎 5 1 6 2 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一2局)。
熊本県 熊本 10 500 5 2
大分県 大分 5 1 6 2 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一3局)。
宮崎県 宮崎 5 1 7 7 エフエム補完放送中継局所有放送局(内訳はラジオ第一2局)。
鹿児島県 鹿児島 10 10 6 4 エフエム補完中継局所有放送局(内訳はラジオ第一10局〔但しそのうちの2局は未開局〕/ラジオ第二2局)。
沖縄県 沖縄 10 10 4 3 那覇放送局ではなく沖縄放送局と呼称するのは2006年(平成18年)まで豊見城(とみぐすく)市に演奏所があったことによる。
エフエム補完中継局所有放送局(内訳はラジオ第一3局/ラジオ第二2局)。

日本放送協会の中波放送の本局は対抗関係にある民間中波放送局より出力を強くしているところがいくつもあることが主たる特徴と言える。日本全国で受信できるように努めていることを考えれば日本放送協会こそ周波数統一に取り組んでも良いように思うのだが、今記した事情から進めないでいるのではないのだろうか。

注88:国内外の放送局との混信や高層建築物が林立するようになった都市部での受信困難、災害対策、施設の老朽化が挙げられる。

注89:これまでに廃業に追い込まれたコミュニティ放送局は下表の通りである。

廃業
順位
放送局名 開局年月日 放送終了
年月日
主たる廃業理由 備考
1 エフエムこんぴら
(香川県仲多度郡琴平町榎井)
1997年
(平成9年)
2月3日
1998年
(平成10年)
11月30日
経営難 別称:FMこんぴら。
2 沖縄市エフエムコミュニティ放送
(沖縄市中央一丁目)
1997年
(平成9年)
3月1日
2004年
(平成16年)
3月31日
経営難 愛称:FM Champla!。
FMコザ(沖縄市中央三丁目)が業務を継承したがコールサインが異なるため本サイトでは沖縄市エフエムコミュニティ放送とFMコザはそれぞれ別の放送局と見なしている。
3 高松シティエフエム
(高松市天神前)
1997年
(平成9年)
1月25日
2005年
(平成17年)
3月31日
放送区域が重なるコミュニティ放送局への吸収合併 愛称:FM MARINO。
4 宮崎シティエフエム
(宮崎市橘通東一丁目)
1999年
(平成11年)
3月14日
2005年
(平成17年)
10月31日
経営難 愛称:City FM77。
5 イセハラエフエム放送
(伊勢原市板戸)
2001年
(平成13年)
1月28日
2006年
(平成18年)
3月31日
経営難 愛称:プリズムステーションまたはiFM85.7。
6 エフエムたまな
(玉名市田崎)
1998年
(平成10年)
2月22日
2006年
(平成18年)
4月30日
経営難
親会社の経営不振
愛称:ほっとラジオ。
7 仙台市民放送
(仙台市宮城野区原町三丁目)
1999年
(平成11年)
9月25日
2007年
(平成19年)
1月19日
経営難 愛称:FMじょんぱ。
8 FMニセコ放送
(北海道虻田郡倶知安町北一条西)
2006年
(平成18年)
12月18日
2007年
(平成19年)
9月22日
経営難 別称:FMニセコ。
開局からわずか279日で廃業に追い込まれた、最短命のコミュニティ放送局である。
9 五日市コミュニティ放送
(広島市佐伯区皆賀四丁目)
2004年
(平成16年)
4月18日
2007年
(平成19年)
11月30日
経営難 愛称:エフエムななみ。
10 エフエム・セト
(丸亀市土器町東三丁目)
1996年
(平成8年)
12月26日
2008年
(平成20年)
4月13日
経営難 別称:FMセト。
11 名古屋シティエフエム
(名古屋市中村区乾出町二丁目)
1998年
(平成10年)
4月23日
2008年
(平成20年)
6月13日
放送区域内の高層建築物の増加による受信環境悪化 愛称:SHANANA! FMまたはCityFM761。
名古屋シティエフエムの後身的存在となるのがMID-FMとなるのだが、放送区域やコールサインが異なることなどから本サイトでは名古屋シティエフエムとMID-FMはそれぞれ別の放送局と見なしている。
12 南区コミュニティエフエム
(札幌市南区澄川三条六丁目)
2006年
(平成18年)
7月7日
2008年
(平成20年)
12月5日
経営難 愛称:GREEN FM。
13 名古屋中エフエムラヂオ放送
(名古屋市中区大須三丁目)
1998年
(平成10年)
5月29日
2009年
(平成21年)
3月31日
経営難 愛称:FM DANVO(1998〜2006)→Transamerica(2006〜2009)。
14 BIWA WAVE
(近江八幡市鷹飼町)
2005年
(平成17年)
5月1日
2009年
(平成21年)
5月28日
経営難 愛称:B-WAVE。
15 エフエム多摩放送
(多摩市一ノ宮三丁目)
1995年
(平成7年)
5月31日
2010年
(平成22年)
3月31日
経営難 愛称:エフエム多摩G-WIND。
16 かにかも放送
(可児市広見七丁目)
2004年
(平成16年)
6月6日
2010年
(平成22年)
7月15日
経営難 愛称:FMでんでん。
放送終了年月日は「TOPPY.NET-INSIDE NAGOYA-」の一コーナー「TOPPYのくびったけブログ」の2010年(平成22年)8月22日の記事「電波も停まったFMでんでん―かにかも放送」による(そこには経営難により一切の番組放送を取りやめたかにかも放送は2010年〔平成22年〕1月1日からずっと音楽を流すだけだったが、2010年〔平成22年〕7月15日にそれが止まり、無変調になったとある。この2010年〔平成22年〕7月15日は可児市周辺で集中豪雨により甚大な被害が出た日でもあるのだが、そういう状況だったため全く役に立たなかった)。
17 貝塚コミュニティ放送
(貝塚市近木)
2006年
(平成18年)
4月1日
2010年
(平成22年)
9月30日
経営難 愛称:FM826 SENSHU JOLLY FM。
18 福岡コミュニティ放送
(福岡市早良区百道浜二丁目)
2000年
(平成12年)
3月3日
2010年
(平成22年)
10月31日
経営難
親会社の不祥事
愛称:FM MiMi(2000〜2006)→StyleFM(2006〜2010)。
19 天神エフエム
(福岡市中央区今泉一丁目)
1996年
(平成8年)
10月1日
2010年
(平成22年)
12月31日
経営難に陥っていた都道府県域民間エフエム放送局の業務継承 愛称:FREE WAVE。
20 東京コミュニケーション放送
(渋谷区道玄坂二丁目)
1996年
(平成7年)
4月28日
2013年
(平成25年)
1月11日
経営難 愛称:SHIBUYA-FM。
21 さかいhill-front forum
(堺市東区北野田)
2010年
(平成22年)
6月6日
2015年
(平成27年)
3月31日
本社・演奏所を置いていた場所の指定管理者変更 愛称:エフエムさかい。
22 エフエムわいわい
(神戸市長田区海運町三丁目)
1996年
(平成8年)
1月17日
2016年
(平成28年)
3月31日
インターネット放送への移行 愛称:FMわぃわぃ。
23 やまがたシティエフエム
(山形市中桜田三丁目)
2002年
(平成14年)
10月21日
2016年
(平成28年)
7月22日
経営難 愛称:Vigo FM。
24 市川エフエム放送
(市川市八幡二丁目)
1998年
(平成10年)
9月20日
2016年
(平成28年)
11月30日
経営難 別称:市川エフエム。
25 FMしまじり(初代
(南城市佐敷津波古)
2013年
(平成25年)
2月28日
2018年
(平成30年)
2月28日
南城市との契約期間満了 愛称:FMなんじょう。
「FMしまじり(初代)」と表記したのは南城市でコミュニティ放送局を運営していた業者が沖縄県島尻郡与那原町(よなばるちょう)で改めてFMしまじり(愛称:FMよなばる。沖縄県島尻郡与那原町上与那原)という名称のコミュニティ放送局を開局させたことによる。
※混同回避のため本サイトでは沖縄県島尻郡与那原町にあるFMしまじりは「FMしまじり(二代目)」と表記することにしている。
26 長崎シティFM
(長崎市江戸町)
2005年
(平成17年)
12月11日
2020年
(令和2年)
4月30日
経営難
27 エフエム津山
(津山市小田中)
2010年
(平成22年)
7月1日
2020年
(令和2年)
10月25日
経営難 愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。
28 エフエムせとうち
(鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋)
2012年
(平成24年)
4月25日
2021年
(令和3年)
2月28日
運営の見直し

注90:中国地方における民間ラジオ放送局の廃業事例は二つある。津山市を放送区域としていたエフエム津山(愛称:レディオつやま〔2010〜2012〕→MegaWAVE76.3〔2012〜2020〕。津山市小田中。2010〜2020)と、広島市佐伯区五日市地区を放送区域としていた五日市コミュニティ放送である。それぞれの廃業に追い込まれた要因を示すと下表の通りになる(五日市コミュニティ放送については注48で触れたものもあるが再度記すものとする)。

放送局名 廃業に追い込まれた要因
共通事項 ・競合相手が多数あり、それに割って入るのが難しかったこと。
・身の丈に合った放送を展開しなかったこと。
・地域の特性を考えた放送を展開しなかったこと。
・一日も早く定着させたい、親しまれる存在になりたいという意識が強すぎたこと。
・目指すものが不明確で、迷走を重ねたこと。
・本局の設置場所が適切でなかったこと。
・本社・演奏所のある場所が多くの人々の目に留まる場所ではなかったこと。
・スポンサーに恵まれなかったこと。
・経営再建や放送再開を望む声がほとんど上がらなかったこと。
・存在感が希薄だったこと。
エフエム津山 ・エフエム津山が開局した時点で津山市には既にコミュニティ放送局、すなわちつやまコミュニティFM(愛称:エフエムつやま。津山市南新座)があったため劣勢に立たされるのは火を見るより明らかだったのにそれでも開局に漕ぎ着けたこと。
・既にコミュニティ放送局がある中で開局させたため各方面との連携が築けなかったこと。
・つやまコミュニティFMの愛称に酷似した社名を付けたりつやまコミュニティFMと同じ時期の開局を目指したりするなどつやまコミュニティFMへの対抗意識を剥(む)き出しにする一方で地道に努力しようという姿勢が見えなかったこと。
・開局から廃業までの10年4ヶ月間で二度も本社・演奏所を移転したり路線を変えたりするなど安定感に欠けたこと。
・開局当初は毎日深夜・早朝に放送休止を入れていたのに、途中から終夜放送に移行したこと。
・三代目本社・演奏所、すなわち廃業時点の本社・演奏所は津山市中心部と倉吉・真庭方面を結ぶ幹線道路(津山市道)のそばにあったが、その幹線道路を通る方々にエフエム津山の本社・演奏所があることを示す物件を一切設置しなかったため知名度が高まらなかったこと。
・エフエム津山は経営が厳しくなったことなどを理由に2012年(平成24年)3〜8月に放送を休止しているのだが、放送休止は廃業への前段階になることが多かったこと(五日市コミュニティ放送がそうであった)からそこで放送局としては終わったと見なす雰囲気が生じたこと。
・2012年(平成24年)8月に放送を再開してからは平日の夕方から夜にかけての時間帯と土曜日の日中にしか番組を設定せず、後はずっと音楽を流し続けるという状態だったためコミュニティ放送局としての体(てい)を成しているとは言い難い状況があったこと。
・公式サイトの更新やSNSへの投稿がある時期から途絶えたり廃業に関する挨拶(あいさつ)がなされなかったりするなど経営陣に何らかの問題が生じていたこと。
・経営陣に何らかの問題が生じていたせいもあるのだろうが業務見直しに手を付けるのが遅れ、どうにもならない状態に陥っていったこと。
・新型コロナウィルス感染症の世界的な流行で広告収入が減るなどし、好転が見込めなくなったこと。
・エフエム津山の開局に向けて動いたのは岡山県北部を販売区域としているタウン情報誌を発行している会社だったが、結局その会社が抱いていた矜持(きょうじ)を前面に出しただけの存在でしかなかったこと。
・開局に向けて動いた出版社が損失を背負い切れなくなったこと。
・本局を津山市中心部に近いところにある山の上に設置したために津山市北部(阿波〔あば〕・加茂地区)での受信が困難になり、津山市全域の放送局になり得なかったこと。
・番組が少ないことや他社制作の番組を多く流していたこと、番組を入れない時間帯はずっと音楽を流し続けていたこと、そして経営が厳しかったこともあったのかインターネットによる再送信を行わなかったためその点でも存在感を出せない放送局になってしまったこと。
五日市コミュニティ放送 ・広島市佐伯区は広島市のベッドタウンとして発展し、大きく人口を増やしたところであるため旧来からの住民の割合が低まっていたこと。
・広島市佐伯区は広島市のベッドタウンとして発展したことに加えて西隣には佐伯郡の中心地として栄えた廿日市市があったことから中枢性が高いとは言い難かったこと。
・広島市佐伯区の中心部分は市制施行要件人口を大きく超過しながら市制施行に踏み切れなかった佐伯郡五日市町だったが、市制施行に踏み切れず、結局広島市への編入を選択した背景には広島市佐伯区に広く知られた大企業がなく、財政が潤沢とは言えない状況があったこと。
・広島市佐伯区を主たる放送区域とした放送局だったのに広島市佐伯区役所(広島市佐伯区海老園二丁目)などとの連携があまり見られなかったこと。
・広島市佐伯区にこだわる一方で周辺地域(広島市・江田島市・廿日市市・安芸郡)を見据えた放送を展開しなかったため支持が広まらなかったこと。
・広島市佐伯区は2005年(平成17年)4月25日に広島市が編入した佐伯郡湯来町(1956〜2005)を編入しているのだが、佐伯郡湯来町改め広島市佐伯区湯来地区への中継局設置などの受信環境改善を全く考えなかったために広島市佐伯区全域の放送局になり得なかったこと。
・自社制作番組削減などの経営合理化に手を付けたのがあまりにも遅く、しかも終夜放送は継続するなど不徹底だったこと。
・放送休止(=事実上の廃業)を決めた頃西隣にある廿日市市でコミュニティ放送局開局への動きが起き、それは放送休止中にFMはつかいち(別称:FM廿日市。廿日市市下平良〔しもへら〕二丁目)として実現したこと。
・放送休止中の2008年(平成20年)2月23日に開局したFMはつかいちは広島市佐伯区中心部で十分受信できるため放送を再開しても状況が好転する見込みがなくなったこと。

エフエム津山の放送最終日(2020年〔令和2年〕10月25日)に撮影した、エフエム津山の本社・演奏所が入居していた建物。
エフエム津山の本社・演奏所は建物の2階にあったがそのことを示す物件(看板など)は見当たらなかった。
なお、建物の手前を通っているのは津山市中心部と倉吉・真庭方面を結ぶ幹線道路(津山市道)である。

エフエム津山の放送最終日に撮影した、エフエム津山の本社・演奏所が入居していた建物の脇にあった、入居している店舗を記した看板。
撮影時点で既に廃業していたものもあるので放送最終日時点の入居店舗を記しているものではない。
写真をご覧頂ければうかがえることであるがどこにも「エフエム津山」とか「MegaWAVE76.3」という文字は記されていない。
前記の通り津山市中心部と倉吉・真庭方面を結ぶ幹線道路のそばにあったのになぜその存在を示す物件を設置しなかったのだろうか。

五日市コミュニティ放送の演奏所が入居していた娯楽施設。
左側に見える高架橋は国道2号線西広島バイパスであり、広島市佐伯区中心部からいくらか離れたところにあったことがうかがえる。

注91:その放送局とは埼玉県南部の朝霞(あさか)・志木・新座・和光各市を放送区域としているコミュニティシェアFM(愛称:775〔ななこ〕ライブリーFM。朝霞市東弁財一丁目)である。コミュニティシェアFMは2007年(平成19年)にすまいるエフエム(愛称:あさかエフエム。朝霞市西原一丁目。2007〜2017)として開局し、2017年(平成29年)にクローバーメディア(愛称:クローバーラジオ。志木市本町五丁目。2017〜2020)に改称したが、東京都区部へのストロー効果(ストロー現象とも称する)が著しい地域であることや開局当初から首都圏の電波混雑の影響に苛まれたこと(周波数は開局した時は76.7MHzを使用し、2018年〔平成30年〕に77.5MHzに変更したが、76.7MHzはフラワーコミュニティ放送〔愛称:フラワーラジオまたはエフエムこうのす。鴻巣〈こうのす〉市東一丁目〕が、77.5MHzはエフエムナックファイブ〔さいたま市大宮区錦町〕の秩父〈ちちぶ〉中継局〔秩父市黒谷〕がそれぞれ使用しているためそれらの放送局との混信が生じる恐れがあった)などから経営が立ち行かなくなり、2020年(令和2年)7月に2020年(令和2年)9月30日をもって放送を終了し、廃業することを発表した。しかし、放送終了当日、すなわち2020年(令和2年)9月30日になって突然業務を継承しても良いという方が現れたので存続することにしたと発表し、廃業は回避された。
すまいるエフエム→クローバーメディア→コミュニティシェアFMが存続し得たのは受信困難対策としてインターネットを活用した放送を展開していたことや朝霞・志木・新座・和光各市は東京都区部へのストロー効果が著しい地域ではあるが地域の象徴であるコミュニティ放送局がなくなることは由々しきことだと考え、何とかしなければ…と思う方がいたこと、経営状況は厳しかったが地域に定着していたことなどが考えられる。何とかしようという努力があったからこそ存続し得たと言えるわけであるが、この状況を放送局を廃業に追い込んだ方々はどのように見るのだろうか。

注92:但しエフエム香川のように都道府県域民間テレビ放送局の本社・演奏所と同じ建物に本社・演奏所が入居しているところや岡山エフエム放送のように都道府県域民間テレビ放送局が出資しているところ、広島エフエム放送のように都道府県域民間テレビ放送局の中継局を用いて中継局を設置しているところがあり、全く都道府県域民間テレビ放送局と関係がないところはあまりない。

注93:記すまでもないことかもしれないのだが運転者しか自動車に乗っていない場合、スマートフォンやカーナビゲーションシステムを操作する場合はどこかに駐車してからでないと道路交通法違反に問われる。

注94:政見放送が流せる放送局の種類は公職選挙法第150条により規定されている。

注95:どうかと思う事例は次の通りである。
・予備免許を取得したのに開局準備に当たっていた方々に何らかの問題が起きたのか開局への動きが停滞し、結局開局計画が頓挫してしまった。
・目的や目標、方向性などが不明確で将来に不安を残す中で開局を強行した。
・経済情勢などを考えれば経営難に陥る可能性が高かったのに開局に漕ぎ着けた。
・公式サイトに聴取者の知りたい情報、言い換えれば公開すべき情報(放送局の所在地や番組表など)が一切記されていない。
・ある時期から公式サイト・公式ブログ・公式SNSの更新が止まってしまった。
・経営難に陥っているのは明らかなのに経営再建策や合理化策が不徹底であり、さしたる効果を上げられていないように見える。
・経営難により廃業を選択したのにそのことに対するお詫びなどを一切行わなかった。
・筆頭株主の傀儡(かいらい)放送局という感が否めず、筆頭株主の撤退をもって廃業させられた。
・廃業以外眼中になく、業務継承を申し出る方に対して申し訳ないが遅すぎたなどと言って断った。
・5年ごとの放送免許更新申請を行わず、放送免許失効をもって廃業した。
・番組の改廃が著しい。
・自社制作比率が低い。
・何度も愛称や本社・演奏所の位置、運営方針を変える。
・経営環境が厳しいのに身の丈に合わない放送を展開する。
・人目に付きにくい場所に本社・演奏所を置いたり反対に人目に付く場所に本社・演奏所を置いているのに一切その存在を示す物件を取り付けなかったりしたため存在感が希薄になっている。