トップページ>不定期刊・きょうのトピックス>不定期刊・きょうのトピックス2021年(令和3年)分>2021年(令和3年)の「重大」ニュースを斬る
2021年(令和3年)の「重大」ニュースを斬る(2021年〔令和3年〕12月31日公開)
振り返れば今年もいろいろなことがあった。腑に落ちないこと、腹が立つこと、嬉しいこと、驚かされたことなどいろいろあったが、そこでこの「不定期刊・きょうのトピックス」では2021年(令和3年)最後の企画として今年の重大ニュースを斬ることにした。但し、ここで取り上げる重大ニュースは本サイトの内容に沿ったもの、すなわち中国地方の地域・ラジオ・道路に関係したものであり、広く知られたものは取り扱わない。その点を踏まえた上でこのページをご覧頂きたい。
なお、取り扱ったニュースは地域編とラジオ編は3個、道路編は4個とした。また、順位は付けないことにした。その点はご理解頂きたい。
地域編
中国地方出身者としては5人目となるプロ野球日本選手権シリーズ優勝監督が誕生する
(概要)
ともに前年まで2年続けてリーグ最下位に終わった東京ヤクルトスワローズ(セントラルリーグ優勝球団)とオリックス・バファローズ(パシフィックリーグ優勝球団)が対決することになったことで注目されたプロ野球選手権シリーズ(以降日本シリーズと記すものとする)は東京ヤクルトスワローズが4勝2敗で制した。この東京ヤクルトスワローズを率いているのは広島市南区出身の高津臣吾監督であったが、今回東京ヤクルトスワローズが日本シリーズを制したことにより高津監督は中国地方出身者としては5人目(広島県出身者としては3人目)の日本シリーズを制した監督となった。
(コメント)
1950年(昭和25年)に始まった日本シリーズは今年で72回目となったのだが、歴代の優勝球団とその球団を率いていた監督を示すと下表の通りになる。
※出身地は出生時点で住んでいたところとし、日本国内の場合は都道府県名で、外国の場合は国名でそれぞれ記載している。
回 | 開催年 | 優勝球団名/ 所属リーグ名 |
優勝球団 監督名 |
出身地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1950年 (昭和25年) |
毎日オリオンズ (パシフィック) |
湯浅 禎夫 | 鳥取県 | 「湯浅禎夫」は「ゆあさ・よしお」と読む。 |
2 | 1951年 (昭和26年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
水原 茂 | 香川県 | |
3 | 1952年 (昭和27年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
水原 茂 | 香川県 | |
4 | 1953年 (昭和28年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
水原 茂 | 香川県 | |
5 | 1954年 (昭和29年) |
中日ドラゴンズ (セントラル) |
天知 俊一 | 兵庫県 | |
6 | 1955年 (昭和30年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
水原 円裕 | 香川県 | 「水原円裕(みずはら・のぶしげ)」は水原茂と同一人物(1955〜1959年〔昭和30〜34年〕の登録名)。 |
7 | 1956年 (昭和31年) |
西鉄ライオンズ (パシフィック) |
三原 脩 | 香川県 | |
8 | 1957年 (昭和32年) |
西鉄ライオンズ (パシフィック) |
三原 脩 | 香川県 | |
9 | 1958年 (昭和33年) |
西鉄ライオンズ (パシフィック) |
三原 脩 | 香川県 | |
10 | 1959年 (昭和34年) |
南海ホークス (パシフィック) |
鶴岡 一人 | 広島県 | |
11 | 1960年 (昭和35年) |
大洋ホエールズ (セントラル) |
三原 脩 | 香川県 | |
12 | 1961年 (昭和36年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
川上 哲治 | 熊本県 | |
13 | 1962年 (昭和37年) |
東映フライヤーズ (パシフィック) |
水原 茂 | 香川県 | |
14 | 1963年 (昭和38年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
川上 哲治 | 熊本県 | |
15 | 1964年 (昭和39年) |
南海ホークス (パシフィック) |
鶴岡 一人 | 広島県 | |
16 | 1965年 (昭和40年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
川上 哲治 | 熊本県 | |
17 | 1966年 (昭和41年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
川上 哲治 | 熊本県 | |
18 | 1967年 (昭和42年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
川上 哲治 | 熊本県 | |
19 | 1968年 (昭和43年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
川上 哲治 | 熊本県 | |
20 | 1969年 (昭和44年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
川上 哲治 | 熊本県 | |
21 | 1970年 (昭和45年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
川上 哲治 | 熊本県 | |
22 | 1971年 (昭和46年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
川上 哲治 | 熊本県 | |
23 | 1972年 (昭和47年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
川上 哲治 | 熊本県 | |
24 | 1973年 (昭和48年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
川上 哲治 | 熊本県 | |
25 | 1974年 (昭和49年) |
ロッテオリオンズ (パシフィック) |
金田 正一 | 愛知県 | |
26 | 1975年 (昭和50年) |
阪急ブレーブス (パシフィック) |
上田 利治 | 徳島県 | |
27 | 1976年 (昭和51年) |
阪急ブレーブス (パシフィック) |
上田 利治 | 徳島県 | |
28 | 1977年 (昭和52年) |
阪急ブレーブス (パシフィック) |
上田 利治 | 徳島県 | |
29 | 1978年 (昭和53年) |
ヤクルトスワローズ (セントラル) |
広岡 達朗 | 広島県 | |
30 | 1979年 (昭和54年) |
広島東洋カープ (セントラル) |
古葉 竹識 | 熊本県 | 「古葉竹識」は「こば・たけし」と読む。 |
31 | 1980年 (昭和55年) |
広島東洋カープ (セントラル) |
古葉 竹識 | 熊本県 | |
32 | 1981年 (昭和56年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
藤田 元司 | 愛媛県 | |
33 | 1982年 (昭和57年) |
西武ライオンズ (パシフィック) |
広岡 達朗 | 広島県 | |
34 | 1983年 (昭和58年) |
西武ライオンズ (パシフィック) |
広岡 達朗 | 広島県 | |
35 | 1984年 (昭和59年) |
広島東洋カープ (セントラル) |
古葉 竹識 | 熊本県 | |
36 | 1985年 (昭和60年) |
阪神タイガース (セントラル) |
吉田 義男 | 京都府 | |
37 | 1986年 (昭和61年) |
西武ライオンズ (パシフィック) |
森 祇晶 | 岐阜県 | 「森祇晶」は「もり・まさあき」と読む。 |
38 | 1987年 (昭和62年) |
西武ライオンズ (パシフィック) |
森 祇晶 | 岐阜県 | |
39 | 1988年 (昭和63年) |
西武ライオンズ (パシフィック) |
森 祇晶 | 岐阜県 | |
40 | 1989年 (平成元年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
藤田 元司 | 愛媛県 | |
41 | 1990年 (平成2年) |
西武ライオンズ (パシフィック) |
森 祇晶 | 岐阜県 | |
42 | 1991年 (平成3年) |
西武ライオンズ (パシフィック) |
森 祇晶 | 岐阜県 | |
43 | 1992年 (平成4年) |
西武ライオンズ (パシフィック) |
森 祇晶 | 岐阜県 | |
44 | 1993年 (平成5年) |
ヤクルトスワローズ (セントラル) |
野村 克也 | 京都府 | |
45 | 1994年 (平成6年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
長嶋 茂雄 | 千葉県 | |
46 | 1995年 (平成7年) |
ヤクルトスワローズ (セントラル) |
野村 克也 | 京都府 | |
47 | 1996年 (平成8年) |
オリックス・ブルーウェーブ (パシフィック) |
仰木 彬 | 福岡県 | 「仰木彬」は「おおぎ・あきら」と読む。 |
48 | 1997年 (平成9年) |
ヤクルトスワローズ (セントラル) |
野村 克也 | 京都府 | |
49 | 1998年 (平成10年) |
横浜ベイスターズ (セントラル) |
権藤 博 | 佐賀県 | |
50 | 1999年 (平成11年) |
福岡ダイエーホークス (パシフィック) |
王 貞治 | 東京都 | |
51 | 2000年 (平成12年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
長嶋 茂雄 | 千葉県 | |
52 | 2001年 (平成13年) |
ヤクルトスワローズ (セントラル) |
若松 勉 | 北海道 | |
53 | 2002年 (平成14年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
原 辰徳 | 福岡県 | |
54 | 2003年 (平成15年) |
福岡ダイエーホークス (パシフィック) |
王 貞治 | 東京都 | |
55 | 2004年 (平成16年) |
西武ライオンズ (パシフィック) |
伊東 勤 | 熊本県 | |
56 | 2005年 (平成17年) |
千葉ロッテマリーンズ (パシフィック) |
ボビー・ バレンタイン |
アメリカ 合衆国 |
|
57 | 2006年 (平成18年) |
北海道日本ハムファイターズ (パシフィック) |
トレイ・ ヒルマン |
アメリカ 合衆国 |
|
58 | 2007年 (平成19年) |
中日ドラゴンズ (セントラル) |
落合 博満 | 秋田県 | |
59 | 2008年 (平成20年) |
埼玉西武ライオンズ (パシフィック) |
渡辺 久信 | 群馬県 | |
60 | 2009年 (平成21年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
原 辰徳 | 福岡県 | |
61 | 2010年 (平成22年) |
千葉ロッテマリーンズ (パシフィック) |
西村 徳文 | 宮崎県 | |
62 | 2011年 (平成23年) |
福岡ソフトバンクホークス (パシフィック) |
秋山 幸二 | 熊本県 | |
63 | 2012年 (平成24年) |
読売ジャイアンツ (セントラル) |
原 辰徳 | 福岡県 | |
64 | 2013年 (平成25年) |
東北楽天ゴールデンイーグルス (パシフィック) |
星野 仙一 | 岡山県 | |
65 | 2014年 (平成26年) |
福岡ソフトバンクホークス (パシフィック) |
秋山 幸二 | 熊本県 | |
66 | 2015年 (平成27年) |
福岡ソフトバンクホークス (パシフィック) |
工藤 公康 | 愛知県 | |
67 | 2016年 (平成28年) |
北海道日本ハムファイターズ (パシフィック) |
栗山 英樹 | 東京都 | |
68 | 2017年 (平成29年) |
福岡ソフトバンクホークス (パシフィック) |
工藤 公康 | 愛知県 | |
69 | 2018年 (平成30年) |
福岡ソフトバンクホークス (パシフィック) |
工藤 公康 | 愛知県 | |
70 | 2019年 (令和元年) |
福岡ソフトバンクホークス (パシフィック) |
工藤 公康 | 愛知県 | |
71 | 2020年 (令和2年) |
福岡ソフトバンクホークス (パシフィック) |
工藤 公康 | 愛知県 | |
72 | 2021年 (令和3年) |
東京ヤクルトスワローズ (セントラル) |
高津 臣吾 | 広島県 |
(参考資料:上表において現存しない球団の現状一覧表)
リーグ名 | 現存しない球団名 | 現在の球団名 | 備考 |
---|---|---|---|
セントラル | 大洋ホエールズ | 横浜DeNAベイスターズ | 1978年(昭和53年)に横浜大洋ホエールズに、1993年(平成5年)に横浜ベイスターズに、2012年(平成24年)に横浜DeNAベイスターズにそれぞれ改称。 |
横浜ベイスターズ | |||
ヤクルトスワローズ | 東京ヤクルトスワローズ | 2006年(平成18年)に東京ヤクルトスワローズに改称。 | |
パシフィック | 東映フライヤーズ | 北海道日本ハムファイターズ | 1973年(昭和48年)に日拓ホームフライヤーズに、1974年(昭和49年)に日本ハムファイターズに、2004年(平成16年)に北海道日本ハムファイターズにそれぞれ改称。 |
日本ハムファイターズ | |||
南海ホークス | 福岡ソフトバンクホークス | 1989年(平成元年)に福岡ダイエーホークスに、2005年(平成17年)に福岡ソフトバンクホークスにそれぞれ改称。 | |
福岡ダイエーホークス | |||
西鉄ライオンズ | 埼玉西武ライオンズ | 1973年(昭和48年)に太平洋クラブライオンズに、1977年(昭和52年)にクラウンライターライオンズに、1979年(昭和54年)に西武ライオンズに、2008年(平成20年)に埼玉西武ライオンズにそれぞれ改称。 | |
西武ライオンズ | |||
阪急ブレーブス | オリックス・バファローズ | 1989年(平成元年)にオリックス・ブレーブスに、1991年(平成3年)にオリックス・ブルーウェーブに、2005年(平成17年)にオリックス・バファローズにそれぞれ改称。 | |
オリックス・ブルーウェーブ | |||
毎日オリオンズ | 千葉ロッテマリーンズ | 1958年(昭和33年)に毎日大映オリオンズに、1964年(昭和39年)に東京オリオンズに、1969年(昭和44年)にロッテオリオンズに、1992年(平成4年)に千葉ロッテマリーンズにそれぞれ改称。 | |
ロッテオリオンズ |
次に日本シリーズを制した球団を率いた監督の出身地別一覧表を示すと下表の通りになる。
(下表をご覧頂くに当たっての注意)
・出身地は出生時点で住んでいたところとしている。
・出身地は日本国内の場合は都道府県名で、外国の場合は国名でそれぞれ記載している。
・生没年欄と優勝年欄は西暦表示とし、年を省いている。
出身地 | 監督名 | 生没年 | 球団名 | 優勝年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
北海道 (1人) |
若松 勉 | 1947〜 | ヤクルトスワローズ | 2001 | |
秋田県 (1人) |
落合 博満 | 1953〜 | 中日ドラゴンズ | 2007 | |
群馬県 (1人) |
渡辺 久信 | 1965〜 | 埼玉西武ライオンズ | 2008 | |
千葉県 (1人) |
長嶋 茂雄 | 1936〜 | 読売ジャイアンツ | 1994 2000 |
|
東京都 (2人) |
王 貞治 | 1940〜 | 福岡ダイエーホークス | 1999 2003 |
|
栗山 英樹 | 1961〜 | 北海道日本ハムファイターズ | 2016 | ||
岐阜県 (1人) |
森 祇晶 | 1937〜 | 西武ライオンズ | 1986〜1988 1990〜1992 |
「森祇晶」は「もり・まさあき」と読む。 |
愛知県 (2人) |
金田 正一 | 1933〜2019 | ロッテオリオンズ | 1974 | |
工藤 公康 | 1963〜 | 福岡ソフトバンクホークス | 2015 2017〜2020 |
||
京都府 (2人) |
野村 克也 | 1935〜2020 | ヤクルトスワローズ | 1993 1995 1997 |
|
吉田 義男 | 1933〜 | 阪神タイガース | 1985 | ||
兵庫県 (1人) |
天知 俊一 | 1903〜1976 | 中日ドラゴンズ | 1954 | |
鳥取県 (1人) |
湯浅 禎夫 | 1902〜1958 | 毎日オリオンズ | 1950 | 「湯浅禎夫」は「ゆあさ・よしお」と読む。 |
岡山県 (1人) |
星野 仙一 | 1947〜2018 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 2013 | |
広島県 (3人) |
高津 臣吾 | 1968〜 | 東京ヤクルトスワローズ | 2021 | |
鶴岡 一人 | 1916〜2000 | 南海ホークス | 1959 1964 |
||
広岡 達朗 | 1932〜 | ヤクルトスワローズ | 1978 | ||
西武ライオンズ | 1982〜1983 | ||||
徳島県 (1人) |
上田 利治 | 1937〜2017 | 阪急ブレーブス | 1975〜1977 | |
香川県 (2人) |
水原 茂 (水原 円裕) |
1909〜1982 | 読売ジャイアンツ | 1951〜1953 1955 |
「水原円裕」は1955〜1959年(昭和30〜34年)に用いていた登録名であり、「みずはら・のぶしげ」と読む。 |
東映フライヤーズ | 1962 | ||||
三原 脩 | 1911〜1984 | 西鉄ライオンズ | 1956〜1958 | 初めてセントラルリーグ所属球団・パシフィックリーグ所属球団双方で日本シリーズを制した監督である。 | |
大洋ホエールズ | 1960 | ||||
愛媛県 (1人) |
藤田 元司 | 1931〜2006 | 読売ジャイアンツ | 1981 1989 |
|
福岡県 (2人) |
仰木 彬 | 1935〜2005 | オリックス・ブルーウェーブ | 1996 | 「仰木彬」は「おおぎ・あきら」と読む。 |
原 辰徳 | 1958〜 | 読売ジャイアンツ | 2002 2009 2012 |
小学生時代に神奈川県に転居し、神奈川県内の私立高校を卒業している。 | |
佐賀県 (1人) |
権藤 博 | 1938〜 | 横浜ベイスターズ | 1998 | |
熊本県 (4人) |
秋山 幸二 | 1962〜 | 福岡ソフトバンクホークス | 2011 2014 |
|
伊東 勤 | 1962〜 | 西武ライオンズ | 2004 | ||
川上 哲治 | 1920〜2013 | 読売ジャイアンツ | 1961 1963 1965〜1973 |
||
古葉 竹識 | 1936〜2021 | 広島東洋カープ | 1979〜1980 1984 |
「古葉竹識」は「こば・たけし」と読む。 | |
宮崎県 (1人) |
西村 徳文 | 1960〜 | 千葉ロッテマリーンズ | 2010 | |
アメリカ 合衆国 (2人) |
トレイ・ ヒルマン |
1963〜 | 北海道日本ハムファイターズ | 2006 | |
ボビー・ バレンタイン |
1950〜 | 千葉ロッテマリーンズ | 2005 |
これまでに日本シリーズを制した監督は上表をご覧頂ければうかがえるように31人いるのだが、西日本地域、すなわち近畿(関西)・中国・四国・九州・沖縄各地方出身者が31人中20人と大半を占めている(注1)。西日本地域5地方の内訳をみると九州地方8人・中国地方5人・四国地方4人・近畿(関西)地方3人・沖縄地方0人となっており、中国地方出身者は九州地方出身者に次いで多い。なぜ日本シリーズ制覇監督は西日本地域出身者が多いのかは分からないのだが、気候が温暖なことや日没が遅いことなどがあるのだろうか(注2)。
さて、ほとんど注目されることではないものの中国地方出身のプロ野球球団監督が出場した日本シリーズは興味をひかれることが多い戦いが多く見られる(注3)。今回の日本シリーズについて見ると戦前は次に挙げる注目点が存在した。
・出場した球団はともに直前の2年間、すなわち2019〜2020年度(令和元〜2年度)はリーグ最下位に終わっていること。
・東京ヤクルトスワローズが日本シリーズを制した場合は20年ぶりに、オリックス・バファローズが日本シリーズを制した場合は25年ぶりにそれぞれ日本シリーズを制することになること。
・2012年(平成24年)を最後にセントラルリーグに属する球団は日本シリーズでは優勝していないため東京ヤクルトスワローズが日本シリーズを制した場合9年ぶりにセントラルリーグに属する球団が優勝することになること。
・読売ジャイアンツと東北楽天ゴールデンイーグルスが対戦した2013年(平成25年)の第6戦(2013年〔平成25年〕11月2日開催)を最後にセントラルリーグに属する球団はパシフィックリーグに属する球団の本拠地で勝っていないため東京ヤクルトスワローズがオリックス・バファローズの本拠地で開催される試合で勝った場合その連敗を止めることになること(読売ジャイアンツと福岡ソフトバンクホークスが対戦した2020年〔令和2年〕の日本シリーズ終了時点での連敗数は19)。
・広島東洋カープと福岡ソフトバンクホークスが対戦した2018年(平成30年)の第2戦(2018年〔平成30年〕10月28日開催)を最後にセントラルリーグに属する球団はパシフィックリーグに属する球団に勝っていないため東京ヤクルトスワローズが1勝でもすればその連敗を止めることになること(読売ジャイアンツと福岡ソフトバンクホークスが対戦した2020年〔令和2年〕の日本シリーズ終了時点での連敗数は12)。
・オリックス・バファローズは前身球団となる阪急ブレーブス時代(1947〜1988)とオリックス・ブルーウェーブ時代(1991〜2004)にそれぞれ一度ずつ東京ヤクルトスワローズの前身球団となるヤクルトスワローズと対戦している(注4)がいずれも負けており、今回の対戦で日本シリーズを制した場合初めて東京ヤクルトスワローズに勝ったことになること(注5)。
・東京ヤクルトスワローズの高津監督とオリックス・バファローズの中嶋聡監督はどちらも前回東京ヤクルトスワローズとオリックス・バファローズが対戦した1995年(平成7年)の日本シリーズに自ら率いている球団の選手として出場しているため今度は監督として対戦することになったこと。
・東京ヤクルトスワローズは明治神宮野球場(通称:神宮球場。東京都新宿区霞ヶ丘町)を、オリックス・バファローズは大阪ドーム(愛称:京セラドーム大阪。大阪市西区千代崎三丁目)をそれぞれ本拠地として使用しているが、東京ヤクルトスワローズのホームゲームになる第3〜5戦(2021年〔令和3年〕11月23〜25日開催)は明治神宮野球場が、オリックス・バファローズのホームゲームになる第6〜7戦(2021年〔令和3年〕11月27日開催)は大阪ドームがそれぞれ使用できなくなったため第3〜5戦は東京ドーム(東京都文京区後楽一丁目)で、第6〜7戦は神戸総合運動公園野球場(愛称:ほっともっとフィールド神戸。神戸市須磨区緑台)でそれぞれ開催することになったこと。
こうして始まった日本シリーズであるがその戦績は下表の通りとなった。
(下表をご覧頂くに当たっての注意)
・戦績は東京ヤクルトスワローズ基準で記している。
・開催場所は省略して記している。つまり東京ドームは東京、大阪ドームは大阪、神戸総合運動公園野球場は神戸とそれぞれ表記している。
・球団名は東京ヤクルトスワローズはS、オリックス・バファローズはBとそれぞれ表記している。
回戦 | 開催日 | 開催場所 | 結果 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 11月20日 (土曜日) |
大阪 | S3−4B | 東京ヤクルトスワローズ1敗/オリックス・バファローズ1勝。 |
2 | 11月21日 (日曜日) |
大阪 | S2−0B | 東京ヤクルトスワローズ1勝1敗/オリックス・バファローズ1勝1敗。 この試合で東京ヤクルトスワローズが勝ったことにより2013年(平成25年)第7戦(2013年〔平成25年〕11月3日開催)から続いていたセントラルリーグ側出場球団のパシフィックリーグ側出場球団の本拠地における連敗が20で、2018年(平成30年)第3戦(2018年〔平成30年〕10月30日開催)から続いていたセントラルリーグ側出場球団の連敗が13でそれぞれ止まった。 |
3 | 11月23日 (火曜日) |
東京 | S5−4B | 東京ヤクルトスワローズ2勝1敗/オリックス・バファローズ1勝2敗。 |
4 | 11月24日 (水曜日) |
東京 | S2−1B | 東京ヤクルトスワローズ3勝1敗/オリックス・バファローズ1勝3敗。 |
5 | 11月25日 (木曜日) |
東京 | S5−6B | 東京ヤクルトスワローズ3勝2敗/オリックス・バファローズ2勝3敗。 |
6 | 11月27日 (土曜日) |
神戸 | S2−1B | 東京ヤクルトスワローズ4勝2敗/オリックス・バファローズ2勝4敗。これにより東京ヤクルトスワローズの優勝が決定した。 また、東京ヤクルトスワローズが優勝したことにより2013年(平成25年)から続いていたセントラルリーグ側出場球団の日本シリーズでの連続敗退が8で止まることになり、セントラルリーグ側出場球団の優勝回数とパシフィックリーグ側出場球団の優勝回数がともに36回で並ぶことになった。 |
なぜ東京ヤクルトスワローズが勝てたのか、その分析は専門家や解説者などに譲るとして、私は第2戦(2021年〔令和3年〕11月21日開催)で東京ヤクルトスワローズが高橋奎二投手の見事な完封勝ちで2013年(平成25年)第7戦(2013年〔平成25年〕11月3日開催)から続いていたセントラルリーグ側出場球団のパシフィックリーグ側出場球団の本拠地における連敗と2018年(平成30年)第3戦(2018年〔平成30年〕10月30日開催)から続いていたセントラルリーグ側出場球団の連敗を止めたことが大きかったのではないかと考えている。第1戦(2021年〔令和3年〕11月20日開催)が3対4のサヨナラ負けだっただけにもし第2戦も落とせばかなり応(こた)えたことは想像に難(かた)くないわけであるが、入団4年目で公式戦での完投も完封勝ちもまだ経験していない高橋投手が見事に完封勝利を飾ったことで自分達はやれるという自信を付けたのではないのだろうか。続く第3〜5戦は今夏開催された東京夏季オリンピック・パラリンピック大会で明治神宮野球場が使えなくなった時期に本拠地としていた東京ドームでの試合だったし、第6戦は屋根のない球場での試合だったことを考えれば東京ヤクルトスワローズに分があったとは言えるのだが、やはり第2戦の勝利が大きかったのではないのだろうか。
ちなみに日本シリーズにおけるセントラルリーグ側出場球団の連続敗退とセントラルリーグ側出場球団のパシフィックリーグ側出場球団の本拠地での連敗はともに2013年(平成25年)に東北楽天ゴールデンイーグルスが日本シリーズに出場した時に始まったのだが、その時東北楽天ゴールデンイーグルスを率いていたのは倉敷市出身の星野仙一(1947〜2018)であった。そして日本シリーズにおけるセントラルリーグ側出場球団の連続敗退とセントラルリーグ側出場球団のパシフィックリーグ側出場球団の本拠地での連敗はどちらも今年広島市南区出身の高津監督が止めた。中国地方出身の監督が始めたセントラルリーグの苦難の歴史を同じ中国地方出身の監督が止めた格好になったわけである。
東京ヤクルトスワローズの高津監督には来年1992〜1993年(平成4〜5年)以来となるリーグ連覇と、日本シリーズのセントラルリーグ側出場球団ではもう40年以上出ていない日本シリーズ連覇(注6)がかかっているわけであるが、同時に頑張って頂きたいのは広島東洋カープの佐々岡真司監督であろう。球団に甚大な影響を与えた新型コロナウィルス感染症の集団感染がなければAクラス入りはあり得た可能性があったのだが、実は中国地方出身の広島東洋カープの監督でAクラス入りを果たしたのはともに広島県出身の山本浩二(在任期間:1989〜1993/2001〜2005)と三村敏之(1948〜2009。在任期間:1994〜1998)しかいない。山本浩二監督の時代に中国地方出身の広島東洋カープの監督としては初めてAクラス入りとリーグ優勝を成し遂げているわけである(注7)が、果たして佐々岡監督は山本浩二・三村敏之に続く存在になれるのだろうか。私としては大リーグに挑むことになった鈴木誠也外野手の後釜となり得る打者の育成とずっとどうかと思い続けている投手陣の底上げ、弱点を補える外国人選手の獲得、そして今年出てきた若手選手の更なる成長がカギを握るのではないかと見ているのだが…。
徳山大学の公立化が決定する
(概要)
山口県東部では唯一の四年制大学である徳山大学(周南市学園台)は今年開学50周年を迎えたのだが、数年前から公立化への動きが起きていた。賛否両論起こる中周南市議会では今年8月18日に公立化関連議案が可決され、更に今年12月3日付で山口県知事から公立大学法人周南公立大学の設立について、文部科学大臣から徳山大学の設置者変更についてそれぞれ認可されたことから2022年(令和4年)4月1日から周南公立大学として再出発することが決定した。山口県で市立四年制大学が発足するのは下関市・山陽小野田市に次いで3例目となる。
(コメント)
これまでに中国地方で発足した、市立であるか市が運営主体になっている四年制大学は下表の通りである(注8)。
県名 | 大学名 | 所在地 | 開学年 | 設置学部 | 備考 |
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岡山県 | 新見公立大学 | 新見市西方 | 2010年 (平成22年) |
健康科学部 | 新見公立短期大学(新見市西方。1980〜2020)のうちの看護学科(3年制)と地域看護学専攻科(1年制)を四年制大学に再編して発足。 |
広島県 | 広島市立大学 | 広島市安佐南区 大塚東三丁目 |
1994年 (平成6年) |
芸術学部 国際学部 情報科学部 |
中国地方にある市立四年制大学では唯一前身校を持たない。 中国地方では唯一の政令指定都市または都道府県庁所在地が運営する市立大学である。 |
尾道市立大学 | 尾道市久山田町 | 2001年 (平成13年) |
経済情報学部 芸術文化学部 |
尾道市立女子専門学校(尾道市長江二丁目。1946〜1950)→尾道短期大学(尾道市久山田町。1950〜2004)を再編して発足。 開学当時の名称は尾道大学だったが、2012年(平成24年)に改称。 |
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福山市立大学 | 福山市港町二丁目 | 2011年 (平成23年) |
教育学部 都市経営学部 |
福山女子短期大学(福山市北本庄四丁目。1963〜1974)→福山市立女子短期大学(福山市北本庄四丁目。1974〜2012)を再編して発足。 福山女子短期大学→福山市立女子短期大学の跡地も北本庄キャンパスとして活用されている。 |
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山口県 | 山陽小野田市立 山口東京理科大学 |
山陽小野田市 大学通一丁目 |
2016年 (平成28年) |
工学部 薬学部 |
東京理科大学山口短期大学(山陽小野田市大学通一丁目。1987〜1996)→山口東京理科大学(山陽小野田市大学通一丁目。1995〜2016)を山陽小野田市に移管して発足。 敷地の一部は宇部市に属している。 |
下関市立大学 | 下関市 大学町二丁目 |
1962年 (昭和37年) |
経済学部 | 下関商業短期大学(下関市貴船町三丁目。1956〜1966)を再編して発足。 現在2024年度(令和6年度)にデータサイエンス学部を、2025年度(令和7年度)に看護学部をそれぞれ設置する計画が進められている。 |
平成時代初頭までは下関市にしかなかったのだが、1994年(平成6年)に広島市が市立四年制大学を設置したのを皮切りに各地で設置が相次ぐようになった。その背景を挙げると次の通りになる。
・短期大学は女性が学生の大半を占めていることや2年で卒業することになるため学業に専念できる時間が少なくなること、四年制大学志向が高まったために志願者が減っていることなどの問題が起きていること。
・私立大学は学費が高いことや少子化による入学者数の減少で経営が成り立たなくなる恐れが高まることなどの問題が起きていること。
・経営難などの理由で大学が廃校になった場合、地域に甚大な影響を与える恐れがあること。
・地域における象徴を欲する声が高まったこと。
・規模などは大都市にある大学にかなわないし設置しても志望する地元の高校生は多くないかもしれないが、大学があることで地域に定着する若者を増やしたいこと。
前身校がない広島市立大学(広島市安佐南〔あさみなみ〕区大塚東三丁目)を除いてこれまで中国地方で発足した市立四年制大学はいずれも前身校が存在する。市立短期大学を発展的解消させて発足させたもの(新見市・尾道市・福山市・下関市)と私立四年制大学を公立化させたもの(山陽小野田市)に分かれるのだが、周南公立大学の場合は後者、すなわち私立四年制大学を公立化させたものに属する。
ではなぜ周南市は徳山大学を公立化することにしたのか。背景を挙げると次の通りになる。
・周南市は前身の一つである徳山市(1935〜2003)在りし頃から山口県を代表する都市は自分だという意識が強かったこと。徳山市は中国山地・山陰方面への交通路が脆弱なこと(注9)や山口県中央部にないために山口市以西の地域では影響力が弱まること、そして中心部がある地域の平地が狭いことといった弱点を抱えているが、山口県初の民間放送局・山口放送(KRY、周南市徳山)は徳山市で開局し、現在も徳山市改め周南市に本社を置き続けていること(注10)や山口相互銀行(現:西京銀行〔周南市平和通一丁目〕)の本店を下関市から移転させたこと(注11)、そして徳山市改め周南市の代表駅であるJR山陽新幹線・山陽本線徳山駅(周南市御幸通二丁目)は一部の「さくら」号と「のぞみ」号が停車する駅になっていること(注12)を考えると山口県を代表する都市としての矜持(きょうじ)を抱いていることがうかがえる。第二次世界大戦後に臨海部に重化学工業の工場が進出し、山口県の経済を支える都市として大きく成長を遂げたことが大きいのではないのだろうか。
・徳山市改め周南市には山口県の県庁所在地・山口市や山口県最大の都市・下関市などに対する対抗意識が強いと感じられる面があること。そのことを象徴していると言えるのが昭和時代末期に浮上した、徳山市と周辺自治体、すなわち下松(くだまつ)・新南陽・光各市と熊毛郡熊毛・田布施・大和(やまと)各町、都濃(つの)郡鹿野(かの)町(1940〜2003)が合併して山口県には存在しないとされている中核都市(注13)を作ろうといういわゆる周南合併構想であった。もし前記4市4町の合併が実現すれば面積は888.20平方キロメートル(2021年〔令和3年〕10月1日現在の全国都道府県市区町村別面積調による)、人口25万7,708人(2020年〔令和2年〕10月1日実施の国勢調査による)という都市が誕生することになった(注14)のだが、だんだん足並みが揃わなくなり、結局新南陽・徳山両市と熊毛郡熊毛町(1956〜2003)・都濃郡鹿野町の統合による周南市発足(2003年〔平成15年〕4月21日)にとどまった。周南合併構想は今よく考えると無理がありすぎた面が多い(注15)のだが、周南市の発足は山口県における平成の大合併第一号になったこと(注16)を考えると早く実現させなければ山口市や下関市などに対抗できないという意識が強かったことがうかがえる。
・徳山大学は山口県東部(岩国・下松・周南・光・柳井〔やない〕各市及び大島・玖珂・熊毛各郡)では唯一の四年制大学であること(下表参照)。私立四年制大学は少子化などの影響を受けて廃校に追い込まれるところが出ているが、もし徳山大学がなくなることになると山口県東部からは四年制大学がなくなることになり(注17)、地域に大きな影響を与える恐れがある。周南市が山口県を代表する都市としての地位を維持するためには、そして地域の未来を支える人材を育(はぐく)む場を維持させるためには何としてでも四年制大学を存続させる必要があると考えるのは当然の帰結と言える。
市名 | 大学名 | 所在地 | 学部または学科 | 備考 |
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山口市 | 国立山口大学 | 吉田 | 教育学部 共同獣医学部 経済学部 国際総合科学部 人文学部 農学部 理学部 |
通称:吉田キャンパス。 本部はここに置かれている。 |
山口県立大学 | 桜畠三丁目 | 看護栄養学部 国際文化学部 社会福祉学部 |
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山口学芸大学 | 小郡みらい町一丁目 | 教育学部 | ||
宇部市 | 国立山口大学 | 常盤台二丁目 | 工学部 | 通称:常盤(ときわ)キャンパス。 |
南小串一丁目 | 医学部 | 通称:小串キャンパス。 | ||
宇部フロンティア大学 | 文京台二丁目 | 心理学部 人間健康学部 |
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山陽小野田市 | 山陽小野田市立 山口東京理科大学 |
大学通一丁目 | 工学部 薬学部 |
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下関市 | 下関市立大学 | 大学町二丁目 | 経済学部 | |
水産大学校 | 永田本町二丁目 | 海洋機械工学科 海洋生産管理学科 食品科学科 水産流通経営学科 生物生産学科 |
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東亜大学 | 一の宮学園町 | 医療学部 芸術学部 人間科学部 |
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梅光学院大学 | 向洋町一丁目 | 子ども学部 文学部 |
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周南市 | 徳山大学 | 学園台 | 経済学部 福祉情報学部 |
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萩市 | 至誠館大学 | 椿東 | 現代社会学部 |
・私立大学は学費がかかるが、公立化すればそれを軽減することができること。平成時代初頭からの日本経済の低迷などにより進学を諦(あきら)めたり進学しても途中で辞めざるを得なかったりする学生が少なくないことを考えると心置きなく学問に専念できる場を持つことは大切なことと言えるのではないのだろうか。
無論徳山大学の公立化に関しては課題はないわけではない。それを挙げると次の通りになる。
・周南市は前に記した通り工業都市として第二次世界大戦後大きく発展したわけであるが、徳山大学には文系学部、すなわち経済学部と福祉情報学部しかないこと。徳山大学がある周南市学園台には国立徳山工業高等専門学校(周南市学園台)があることから理工系学部は設置する必要はないと考えているのかもしれないのだが…。
・どれだけ大学のある周南市及びその周辺地域の高校生から進学するのかが分からないこと。いくら大学が地元にあっても大都市及びその周辺以外の地域ではそこに進学する方はそれほど多くはない現状があるのだが、その点はどのように考えているのだろうか。徳山大学の公式サイト(それはこちら)を見たところ下関市立大学(下関市大学町二丁目)のような地元の高校生(注18)を対象にした推薦入試は行われていないようであるが、将来の地域を支える人材を育てるためにも導入は考えても良いように思われる。
・運営主体となる周南市の財政事情が大学を支え続けられる状況にあるかどうかということ。中国地方初の市立四年制大学である下関市立大学はまだ卒業生を全く送り出していなかった1965年(昭和40年)に下関市の財政事情悪化(注19)から私学に移管させようという話が浮上したことがあった。学生が反対運動を起こしてこの話は撤回された(注20)のだが、下関市の財政事情の厳しさにより大学の充実が図れない状況はその後も続き、中国新聞朝刊山口版で大学の厳しい状況が報じられたこともあった(注21)。下関市立大学の場合は高度経済成長期に当たっていたことや下関市の人口はまだ増え続けていたことから最悪の事態は回避できたのだが、それとは逆の状況の中で発足することになる周南公立大学はどうなるのだろうか。
・大学の敷地は警備上の問題などから開放されないことが多い(注22)のだが、そういう中で周南市民に大学の存在を広く知ってもらう機会や大学と触れ合う機会をどのように作るのかということ。数少ない機会の一つが学園祭となるのだが、私の友人で「下関市立大学学園祭情報局〜中国地方最古参の市立四年制大学の学園祭のきのう・きょう・あす〜」というサイトを運営している中島孝祐(なかしま・こうすけ)さんによると下関市立大学・大学祭実行委員会事務局でも学園祭について市民開放路線を推進していること(注23)を先輩方から度々言われていたという。学園祭の実施において下関市内の企業などの協力を得るためにも下関市内の年中行事(注24)の手伝いによく出ていたというのだが、大学に閉じこもらず、外に打って出る姿勢が学生には必要だということなのだろう(注25)。
・周南公立大学と言えばこれだというものを持てるかどうかということ。徳山大学はプロ野球選手を何人か輩出している硬式野球部と、プロサッカー選手を何人か輩出しているサッカー部、かつては秩父宮賜杯(ちちぶのみやしはい)全日本大学駅伝対校選手権大会にほぼ毎年出場していた(注26)陸上競技部が有名であるが、公立化することで果たしてこれらの部活動はどうなるのだろうか。部活動は資金力のある大都市にある私立大学のほうがどうしても有利になる傾向があるが、公立化しても周南市民や周南公立大学の学生・卒業生が喜び、関心を持つような活躍を見せられるように努めて頂きたいものである。
・大学と地元の間に信頼関係が構築できるかどうかということ。新設ではなく徳山大学を継承して発足することを考えれば私立時代同様の関係を維持することになるだろうが、いかに維持し続けるかが徳山大学改め周南公立大学が地域にとってかけがえのない存在になるかどうかのカギを握っているものと思われる。信頼関係が破綻すればどうにもならない結末が待ち構えているだけに運営者側には独善的な行為に走らないように努める姿勢が、学生には地域に好感を持たれるような姿勢がそれぞれ求められよう。
・他の公立四年制大学の経験を参考にし、運営に生かすことができるかどうかということ。山口県には中国地方最古参の市立四年制大学で、厳しい状況を何度もくぐり抜けてきた下関市立大学と、周南公立大学と同じく私立四年制大学を公立化して発足した山陽小野田市立山口東京理科大学(山陽小野田市大学通一丁目)があるが、これらの大学が経験してきたことは周南公立大学にとって参考になることではないかと思われる。
・山口県にある他の大学との連携を図ること。他の大学も記すまでもなく様々な課題を抱えているわけであるが、その中で協力し合い、切磋琢磨(せっさたくま)できる環境を構築することが求められよう。折角の存在なのだから自分だけ栄えれば後はどうでも良いというような考えだけは持って頂きたくない。
徳山大学の公立化はどのような結果をもたらすのか。短期大学または私立大学の公立四年制大学移行を考えている自治体は今後も出てくることだろうが、(他の短期大学または私立大学の公立四年制大学移行に踏み切ったところも当然のことながら含まれるのだが)そういうところの参考になるような結果がもたらされることを期待したい。
響灘バラバラ殺人事件の容疑者の指名手配が突然「解除」される
(概要)
1995年(平成7年)11月7日に下関市安岡駅前二丁目の海水浴場でショルダーバッグに入れられた男性の頭部が発見されたことで発覚した響灘バラバラ殺人事件は被害者(殺害当時37歳の男性。以降Aさんと表記するものとする)の父親・吉田富一(注27)容疑者(事件発覚当時74歳)が何らかの方法で被害者を殺害し、遺体をバラバラにして海に捨てたとして指名手配された。しかし、検挙に至らないまま事件発覚から間もなく26年が経過しようとしていた今年10月のある日、山口県警察本部(山口市滝町)の公式サイト(それはこちら)の指名手配被疑者の情報提供を呼びかけているページ(それはこちら)に掲載されていた吉田容疑者に関する記述(インターネットアーカイヴで探し出した、吉田容疑者に関する記述が掲載されていた頃の当該ページはこちら)は突然削除されてしまった(現在のそのページはこちら)。今年9月19日に吉田容疑者は100歳の誕生日を迎え、生存している可能性が著しく低くなったことが背景にあるものと思われるが、山口県警察本部や下関警察署(下関市細江町二丁目)は吉田容疑者を指名手配にした時点から理解に苦しむ行動をいくつもとっており、このことが広く知られた場合山口県警察本部や下関警察署は批判を食らうことは避けられない状況を作ってしまった。
(コメント)
響灘バラバラ殺人事件というのは本サイトで付けた事件名称である。(概要)では触れなかったのだが1995年(平成7年)11月12日に北九州市小倉北区西港町の岸壁でAさんの腰部が入れられたカバンが見つかっていることと、遺体発見現場はどちらも響灘に面していることがそういう名称にした理由である。
2010年(平成22年)4月27日に刑事訴訟法が改正されて殺人事件の公訴時効が撤廃され、1995年(平成7年)4月28日以降に発生した殺人事件については公訴時効が成立しなくなったのだが、響灘バラバラ殺人事件は山口県警察本部が抱えた未解決凶悪事件で公訴時効が成立しないことになった最も古い事件となっている。
では響灘バラバラ殺人事件はどのような経緯があったのか。吉田容疑者が指名手配されるまでの状況を記すと次の通りになる。
・Aさんは理由は分からないのだが1992年(平成4年)から貝塚市内の病院に入院していた。
・1995年(平成7年)10月28日に吉田容疑者がAさんが入院していた病院を訪れ、被害者を連れ出した。それ以来Aさんは行方不明となった。
・吉田容疑者は北九州市小倉北区内にあった自宅にAさんを連れ帰った後Aさんを殺害し、Aさんの遺体をバラバラにして海に捨てた。
・1995年(平成7年)11月7日に下関市安岡駅前二丁目の海水浴場でショルダーバッグに入れられたAさんの頭部が発見されたことでこの事件は明るみになった。
・当初被害者の身元は判明せず、捜査を担当することになった下関警察署は被害者の似顔絵を作成・公開して情報提供を呼びかけた。
・被害者の身元が判明しないうちに今度は1995年(平成7年)11月12日に北九州市小倉北区西港町の岸壁で被害者の腰部が入れられたカバンが見つかった。
・1995年(平成7年)11月14日になってようやく被害者の身元がAさんであると判明した。
・被害者の身元が判明したことを受けて下関警察署が北九州市小倉北区内にある吉田容疑者の自宅を家宅捜索したところ血液反応が見つかった。
・吉田容疑者の自宅から血液反応が見つかったことから吉田容疑者が自宅でAさんを殺害し、遺体をバラバラにして海に捨てたと判断し、下関警察署は1995年(平成7年)11月17日に吉田容疑者を全国に指名手配した。
容疑者が逮捕されていないことから真相は不明のままになっているが、事件の概要から考えられる犯行動機と遺体をバラバラにした理由は下表の通りになる。実の子供を殺(あや)め、遺体をバラバラにして海に捨てることは許されないことではあるが、犯行動機によってはもしかしたら裁判の結果いわゆる温情判決が吉田容疑者に下された可能性はあったかもしれない。
項目 | 理由 |
---|---|
吉田容疑者が Aさんを殺した理由 |
・Aさんは遠く離れた病院に長期間入院しており、吉田容疑者にとって入院費や治療費、交通費はかなりの負担になっていたこと。 ・吉田容疑者は犯行時点で74歳になっており、自分が逝去した後Aさんがどうなるのかが心配だったこと。 ・Aさんは治癒困難な病気になっており、親心から早く楽にしてやりたいと思ったこと。 ・働き盛りの年齢になっているにもかかわらず長期間入院するなど吉田容疑者にとってみればAさんは邪魔な存在になっていたこと。 |
吉田容疑者がAさんの 遺体をバラバラにして 海に捨てた理由 |
・高齢者でも持ち運びできるようにしたかったこと。 ・海流で拡散し、遺体の全部位の回収を困難にしたかったこと。 ・身元判明を遅らせたかったこと。 ・自分に容疑がかかるのを少しでも遅らせようとしたこと。 ・Aさんは自分をずっと悩ませた存在であり、遺体を無残な姿にすることでAさんに対する意趣返しを果たそうとしたこと。 |
しかし、響灘バラバラ殺人事件は疑問の多い事件である。その状況を示すと次の通りになる。
・遺体発見から身元判明まで一週間かかったこと。Aさんが吉田容疑者によって貝塚市内の病院から連れ出され、それ以来行方不明になっていることやAさんと吉田容疑者の有力な立ち回り先として吉田容疑者の自宅や下関市内にあるAさんの母親の自宅が考えられることを思えば通報を受けた貝塚警察署(貝塚市海塚)から何らかの連絡が下関・北九州両市にある警察署になされたはずであるが、なぜそれでも遺体の身元判明に時間がかかったのだろうか(注28)。
・頭部・腰部以外のAさんの部位が見つかったかどうかが分からないこと。こちら、すなわちインターネットアーカイヴで探し出した吉田容疑者の情報が掲載されていた頃の山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者の情報提供を呼びかけているページでは「いずれかの方法によりAさんを殺害した」と記しているので殺害方法が判明しなかったことがうかがえるのだが、そのことから考えて結局頭部・腰部以外のAさんの部位は見つからなかったのではないかと思われる。見つからないまま遠くへ流され、どこかの海底に沈んだことが考えられるが、響灘に遺棄したのは頭部と腰部だけであり、他の部位はどこかの山中に掘った深い穴に入れて捨てたとかゴミ収集の日に遺体の一部が入っていることが分からないようにしてゴミとして出したという可能性もないというわけではない。
・インターネットアーカイヴで探し出した吉田容疑者の情報が掲載されていた頃の山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者の情報提供を呼びかけているページには吉田容疑者の顔写真は掲載されていないこと。吉田容疑者について使用できる顔写真がなかったのか、吉田容疑者の身近な人物が吉田容疑者の顔写真提供を拒んだのか、それは分からない。写真がダメなら似顔絵を…としても琵琶湖バラバラ殺人事件(2008年〔平成20年〕5月17日発覚。未解決。情報提供を呼びかけているページはこちら)の被害者の例(注29)を見るまでもなく各方面から疑問が出る恐れがあるため難しかったのだろうが、そういう状況で「身長は172cm、体格はがっちりで角顔です」とだけ吉田容疑者の特徴を明かしたとしてもどのくらいの方が下関警察署に「吉田容疑者と思しき方を見かけたのですが…」と通報したのだろうか。「身長は172cm、体格はがっちりで角顔」という特徴を持つ高齢男性はどこにでもいることを思うと最低限顔写真は公開すべきであったし、それが無理なら似顔絵や他の特徴(もしあれば…の話だが)を公開しても良かったのではないのだろうか。いずれにせよ顔写真を公開しなかったことが最大の汚点になったことは疑いようのないことであろう。
・自動車の存在が全く明かされていないこと。吉田容疑者がAさんを貝塚市内の病院から連れ出して北九州市小倉北区内の自宅に連れ帰った時やAさんの遺体をバラバラにして海に捨てた時に自動車を使った可能性は高いはずなのだが、なぜ自動車の車種やナンバープレートを公開しないのだろうか。インターネットアーカイヴで探し出した吉田容疑者の情報が掲載されていた頃の山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者の情報提供を呼びかけているページでは吉田容疑者はAさんを北九州市内で殺害したと記しているが、自動車があるのであれば殺害現場は吉田容疑者の自動車の中である可能性も出てくることになる。そうなれば殺害現場は北九州市内とは限らないということになるのだが…。
・指名手配にした時点で吉田容疑者は74歳になっており、もし逮捕されても高齢者であることや病気を抱えていることなどを理由に公判が維持できなくなる可能性があるのに吉田容疑者が100歳になるまで山口県警察本部や下関警察署は吉田容疑者の指名手配解除や捜査打ち切りを全く考えなかったこと。山口県警察本部や下関警察署は響灘バラバラ殺人事件に関して吉田容疑者の生存の可能性が低くなったことから捜査を打ち切り、捜査本部を解散したのか、吉田容疑者の生存の可能性が低くなったことから吉田容疑者の指名手配は解除するが吉田容疑者の消息が判明するまで数人だけの専従捜査班を設けて捜査を続行することにしたのか一切声明を出していないので分からないのだが、沖縄市警察官射殺事件(1990年〔平成2年〕11月23日発生。情報提供を呼びかけているページはこちら)の容疑者として指名手配されている又吉建男(またよし・たけお)容疑者について既に死亡している可能性が高いとして数年前に指名手配を解除することを検討する報道がなされたこと(注30)を考えるともっと早く捜査の在り方をどのようにするか考えても良かったのではないのだろうか。だんだん生存の可能性が低くなっていくのに何もせず放置し、ある日突然もう生きていないだろうと考えて何の説明もなく突然削除するというのは感心できるやり方ではない。
・山口県警察本部や下関警察署は吉田容疑者と思しき遺体が見つかったり吉田容疑者と思しき身元不明者が保護されたりする場合があることを考えているのかが分からないこと。恐らくある程度の本人識別資料を持った上で捜査を行っているのではないかと思うのだが、もし遠隔地で吉田容疑者と思しき遺体が見つかったり吉田容疑者と思しき身元不明者が保護されたりした場合、それが吉田容疑者であると確認するのは至難の業になる。下関市から近い福岡県京都(みやこ)郡苅田(かんだ)町の臨海埋立地で1997年(平成9年)に埼玉県在住の若い女性の全裸他殺遺体が見つかった事件があったが、遺体が全裸であり、身元を示すものがなかったこと(注31)に加えて被害者が遠隔地に住んでいたことなどもあって身元判明には1年半以上の歳月を費やす結果になっている。そのことを考えれば警察の身元不明者の身元捜査がどれだけ難しいかがうかがえようというものであるが、高速交通が発達して短時間で遠距離を移動できるようになった今日、失踪者と身元不明者のデータベースを構築するなどしてもっと身元不明者の身元捜査を楽にする方法は考えられても良いのでは…と思うのは私だけだろうか。
公務員には守秘義務が課せられている以上響灘バラバラ殺人事件の捜査がどのようなものだったのかとかなぜ行き詰まり、指名手配「解除」という結末を迎えたのかを捜査担当者が明かすことはまずないだろうが、私としては次に挙げる点が敗因になったのではないかと考えている。
・警察署間の連携や情報共有がうまくできていなかったこと。
・事件に関係した地域が大阪府・山口県・福岡県と広範囲になったこと。
・身元判明に一週間かかるなど初動捜査で遅れが生じたこと。
・吉田容疑者の顔写真や吉田容疑者が乗っていた自動車など公にしなかった、事件解決の手がかりになるはずの情報があまりにも多かったこと。
・吉田容疑者は指名手配された時点で後期高齢者(75歳以上)になる直前の年齢になっており、もし逮捕できても公判に持ち込めるかどうかが分からなかったため積極的になれない捜査員が少なくなかったこと。
・頭部・腰部以外の被害者の部位が見つからずじまいになり、死因を特定することができなかったこと。
・響灘バラバラ殺人事件が起きた1995年(平成7年)は兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災。1995年〔平成7年〕1月17日)や東京地下鉄毒物散布事件(1995年〔平成7年〕3月20日)などのオウム真理教による一連のテロ事件、八王子スーパーマーケット女性従業員射殺事件(1995年〔平成7年〕7月30日。未解決。情報提供を呼びかけているページはこちら)などの大きな事件が頻発していたので人々の印象に残らなかったこと。
・事件を伝えたのが中国地方・九州地方にある報道機関に限られ、下関市から近い地域で起き、世間を騒がせた福岡美容師バラバラ殺人事件(1994年〔平成6年〕3月3日発覚)のように全国的に知られる事件にならなかったこと(注32)。
・捜査本部は存続していたことは2020年(令和2年)7月11日付中国新聞朝刊にある記事(注33)からも明らかであるが、吉田容疑者の顔写真や吉田容疑者が乗っていた自動車の存在を公開しない、情報提供を呼びかけるポスターは作らない、どの報道機関も取り上げなくなったなどの事情により下関市民ですら覚えている人のほとんどいない事件になっていったこと。
私としてはやはり山口県警察本部や下関警察署は吉田容疑者に関する記述を山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者の情報提供を呼びかけているページから削除したことと今後はどのようにするのかということをきちんと説明したほうが良いのではないかと考えている。山口県警察本部や下関警察署が何の声明も出さずに吉田容疑者に関する記述を山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者の情報提供を呼びかけているページから削除したのは一般市民からの批判を受けたくなかったことやできる限りの努力をしても容疑者逮捕に漕ぎ着けられなかった、辛い思いしか残らない事件になったこと、関心を示す方がほとんどいないために何も言う必要はないと考えていること、殺人事件の公訴時効はやはり必要だという議論が起きることを恐れていること、そして残念な結果になったことに対して何も言いたくないことが考えられるが、果たしてそれで良いのだろうか。辛いことから逃げても何の利益にもならないし不信感を各方面に与え続けるだけになることを考えたほうが良いように思われる。
今年は神戸男子高校生殺害事件(2010年〔平成22年〕10月4日発生→今年8月4日容疑者逮捕)や明王台(注33)主婦殺害事件(2001年〔平成13年〕2月6日発生→今年10月25日容疑者逮捕)といった長期間未解決状態にあった凶悪事件で容疑者逮捕の報道があった。しかし、八王子スーパーマーケット女性従業員射殺事件や世田谷(せたがや)一家殺害事件(2000年〔平成12年〕12月31日発覚。情報提供を呼びかけているページはこちら)などまだまだ多くの凶悪事件が未解決のまま残されている。そしてかつて長期間未解決状態にあった凶悪事件の一つである津山女子小学生殺害事件(2004年〔平成16年〕9月3日発生→2018年〔平成30年〕5月30日容疑者逮捕)は今秋ようやく裁判が始まったのだが容疑者は無罪を主張しており、今後どうなるか予断を許さない状況になっている。かつて本企画では中国地方の未解決凶悪事件に関する企画を打ったことがある(それはこちら)のだが、こちらを公開した時と同じく一つでも多くの未解決凶悪事件の解決を望む気持ちは変わらない一方で現実は厳しいなと感じているところである。
前に記したように現在殺人事件には公訴時効は存在しない。しかし、人命には限りがある。つまり、いくら殺人事件の公訴時効を撤廃したとしても容疑者を逮捕し、裁きの場に突き出すための時間には限りがあるということである。容疑者を突き止めた時には既に亡くなった後であり、裁きの場に出せなかったとか指名手配被疑者が亡くなっていたことが確認されたという話はこれまで何度もあったこと(注34)であるが、今後こういう事例は増えてくるのではないかと考えているところである。
しかし、未解決凶悪事件の捜査に対する警察の熱意はどうなのだろうと思うものがある。私が気になっていることを挙げると次の通りになる。
・テレビを用いて情報提供を呼びかける機会があまりないこと。かつては公開捜査番組や公開捜査企画がいくつも設定されていたが現在は全くと言って良いほどないしテレビで未解決事件の情報提供を呼びかける宣伝は全く見かけない。警察側にしてみればいつまで続ければ良いのか分からないことに手を出すのはどうかと思っていることや効果があるかどうか分からないことに多額の費用をかけたくないことが、テレビ局側にしてみれば金にならないことや視聴率が稼げないことには手を出したくないことや視聴者が怖がる企画はなるべくならやりたくないことがそれぞれ手を出さない理由として考えられるが、テレビ局が利益至上主義や視聴率至上主義に走り、その態度を改めないことがいけないのではないのだろうか。
・未解決凶悪事件の中には捜査に行き詰まったのか情報提供を呼びかけるページが警視庁(東京都千代田区霞が関二丁目)及び各道府県警察本部の公式サイトに載っていないものが少なくないこと。例えば福岡市で女性会社員が失踪し、博多(はかた)湾の各所でバラバラにされた遺体が発見された博多湾女性会社員バラバラ殺人事件(2010年〔平成22年〕3月6日発生。未解決)では捜査特別報奨金制度の適用を取りやめた2012年(平成24年)暮れ頃をもって情報提供を呼びかけるページが福岡県警察本部(福岡市博多区東公園)の公式サイト(それはこちら)から削除され、現在も復活しないままになっている。捜査自体行き詰まりの様相を呈していたことが背景にあるのではないかと思われるのだが、事件発覚当時の報道状況を考えれば中国地方で言えば浜田女子大生バラバラ殺人事件(2009年〔平成21年〕10月26日発生。容疑者は特定されたが遺体発見直後に死亡したため起訴できず)や津山女子小学生殺害事件、廿日市(はつかいち)女子高校生殺害事件(2004年〔平成16年〕10月5日発生→2018年〔平成30年〕4月13日容疑者逮捕。容疑者の量刑は確定済み)と同じ程度の知名度を有する事件である。そのことを考えると捜査が行き詰まったから情報提供を呼びかけるページを削除するのはどうなのだろうと思いたくなる。
・捜査特別報奨金制度が創設されて間もなく15年になるが、さしたる効果を上げているとは思えないこと。背景の一つにあるのが前に記したテレビを用いて情報提供を呼びかける機会があまりないことであるが、そういう状況がありながら制度創設時に適用に踏み切れば有力な情報がもたらされるなどの効果があるのではないかというような甘い考えて適用に踏み切った事件(注35)がいずれも一回限り適用を取りやめ、現在も未解決の状況にあることを考えると何らかの優遇措置を付けたほうが良かったのではないのだろうか。中国地方における捜査特別報奨金適用事件(注36)で唯一容疑者特定に至っていない竹崎町四丁目(注37)男性殺害事件(2008年〔平成20年〕3月3日発生。情報提供を呼びかけているページはこちら)は私が住んでいる広島県を基準として考えると浜田女子大生バラバラ殺人事件や廿日市女子高校生殺害事件に比べると知名度が低いこと(注38)を考えると例えば山口県と隣接各県(鳥取県(注39)・島根県・広島県・愛媛県・福岡県・大分県)で情報提供を呼びかける宣伝をテレビで流すという優遇措置をとっていればまだ違った展開があったのではないかと思うのだが…(注40)。
・人口の減少や平成の大合併を契機として各都道府県で警察施設の合理化が実施されたが、特に下関市ではどうかと思うような合理化が断行されたこと。2005年(平成17年)2月13日に下関市と豊浦郡菊川・豊浦・豊田・豊北(ほうほく)各町が統合して改めて下関市が発足した時、下関市には6箇所警察署が存在したが、そのうちの下関水上警察署(下関市観音崎町〔かんのんざきちょう〕。1902〜2006)は2006年(平成18年)4月1日に下関警察署に、豊田警察署(下関市豊田町殿敷。1954〜2007)は2007年(平成19年)4月1日に長府警察署(下関市長府才川一丁目)に、彦島警察署(下関市彦島緑町。1954〜2008)は2008年(平成20年)4月1日に下関警察署にそれぞれ統合され、現在は小串・下関・長府の3箇所になっている。それだけならまだしも山口県警察本部は下関市中心部の交番・警察官駐在所についても大幅な整理を行い、下表で示した通り中国地方の人口20万人以上の県庁所在地ではない都市(倉敷市・呉市・福山市・下関市の四つ)の中心部を管轄する警察署では管内にある交番・警察官駐在所(注41)が最少になっている。北九州市という大都市が近隣にあり、関係が深いことや大韓民国の釜山(プサン)直轄市との間にはフェリーボートが毎日就航していることを考えると警察施設を減らしすぎだと岡山県との関係が深く、高速道路の整備により近畿(関西)・中国・四国各地方の各地にも短時間で往来できるようになり、なおかつ警察施設が多い福山市(注42)に住んでいる私は考えたくなる。山口県警察本部としては下関市の人口が大きく減ったことや財政事情が厳しくなったこと、山口県最大の都市の座にずっと就き続けている下関市だからと言って特別扱いする考えはないことを理由として挙げるのだろうが現場を全く分かっていないと思うのは私だけだろうか。
※下表に示した倉敷市・呉市・福山市・下関市の人口は2020年(令和2年)10月1日実施の国勢調査によるものである。単位は人。
市名 | 人口 | 警察署名 | 施設数 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
交番 | 駐在所 | 合計 | ||||
倉敷市 | 474,592 | 倉敷 | 10 | 5 | 15 | 倉敷市内にある施設は14箇所(内訳は交番9箇所/駐在所5箇所)となっている(注43)。 |
呉市 | 214,592 | 呉 | 11 | 5 | 16 | |
福山市 | 460,930 | 福山東 | 15 | 1 | 16 | |
下関市 | 255,051 | 下関 | 8 | 2 | 10 |
いくら指名手配被疑者がもう生存していないだろうと多くの方々が考える年齢に達したことを理由に捜査を担当する警察署が指名手配解除や捜査打ち切り、捜査本部解散に踏み切ったとしても多くの人々が望み、実現させた殺人事件の公訴時効撤廃が撤回され、再び殺人事件について公訴時効が設定されることはないであろう。容疑者の特定に至らなかった事件や容疑者を特定し、指名手配したけれど公訴時効成立までに逮捕できなかった事件、公訴時効成立までずっと被害者の身元が不明のままに終わった事件の捜査に携わった方々や事件で人生を大きく狂わされ、今も傷が癒(い)えない方々の無念の思いを無駄にすることはできないし、してはならないと思うからである。しかし、人命にも時間にも限りはある。そこで今後どのようにしていけば良いのか。私は次のように考えている。
・捜査本部はもっと積極的に、なるべく早く事件解決に結び付くと思われるような情報を一般市民に公開すること。世田谷一家殺害事件などの長期間にわたって未解決状態にある凶悪事件では事件発生からかなり時間が経ってから容疑者に繋がる可能性がある情報を公開することがしばしば見られるのだが、捜査に携わっている方々は人々の記憶も永遠のものではないことを分かってやっているのだろうか。
・捜査特別報奨金制度について在り方を見直すこと。適用を更新するごとに報奨金の金額を増やすことや発生地及び隣接各都道府県の民間放送局で情報提供を呼びかける宣伝を流すようにできること、一般市民からの提起ができるようにすることなどが考えられる。捜査特別報奨金制度に関しては津山女子小学生殺害事件のように知名度があり、適用を求める声が少なくなかったのに踏み切らずじまいになったものや竹崎町四丁目男性殺害事件のように適用に踏み切ったけれど効果がなかったので一回きりでやめてしまったものが少なくないことを考えるともっと早く在り方を見直し、積極的に活用できる制度になるように努めるべきだったと私は考えるのだが…。
・公訴時効が成立していない未解決凶悪事件について全て情報提供を呼びかけるページを設置すること。山口県警察本部の公式サイトのように管轄区域となる地域で起きた未解決凶悪事件をまとめて掲載している例(それはこちら)や博多湾女性会社員バラバラ殺人事件のようにある時期をもって公式サイトから情報提供を呼びかけるページを削除する例が見られるが、そのようなことをするのは警察側の勝手でしかなく、一般市民には「あの事件はまだ解決していないのにもう降参するのか。情けないな」とか「○○警察署はろくに捜査していないのだろう」というような目で見られる可能性がある。更にそれは事件解決を一日千秋の思いで待ちわびている被害者の関係者の思いを無視していることでもある。そのことを考えたことはあるのだろうか。
・失踪者と身元不明保護者・身元不明遺体の照合が短時間で行えるようなデータベースを構築すること。前記の埼玉県在住の女性が福岡県の臨海埋立地で全裸他殺遺体となって見つかった事件に象徴されるように失踪地と発見地がかなり離れている事例が多数生じていることを考えればある程度まで絞り込めるようにする手段は考えられても良いのではないのだろうか。もしそういうデータベースが構築されればできれば見たくない身元不明遺体の似顔絵または復顔像を見なくても良くなるようになるし、捜査も早く進むようになることが期待できる。また、警視庁及び各道府県警察本部の公式サイトに掲載されている失踪者や身元不明遺体の情報提供を呼びかけるページに掲載している内容が警視庁及び各道府県警察本部でバラバラ(注44)なので統一することも考えても良いであろう。ただ、それでも捜索願が出されていないとか確認材料がないなどの理由で身元不明のまま残る保護者・遺体は解消できないだろうが…。
・広域的視野に立った捜査を行うように努めること。高速交通網が発達した今日、失踪地と遺体発見地や失踪地と保護地、事件発生地と容疑者在住地、事件発生地と被害者在住地がそれぞれ異なる都道府県だったという事例は想定外とは言えなくなっている感がある。しかし、事件捜査は最初から広域的視野を持たず、近隣から考えていく傾向があるし、他の都道府県のことなど知ったことではないという考えを持つ方も少なくない。これが捜査を難航させているということは考えられないだろうか。近隣地域だけでなく幅広い視野を持った捜査が望まれるし、同時に広域捜査を専門に取り扱う官庁を創設し、そこが有する公式サイトで各都道府県に存在する未解決凶悪事件や身元不明遺体、身元不明保護者の情報提供を呼びかけるページを設定するというのも考えても良いように思われる。
・事件解決に有用になる情報提供を呼びかけるためにもっとテレビを活用すること。警察がテレビを活用するのに消極的になった背景にあるのが民間放送局の視聴率至上主義であるが、無料で視聴できる民間衛星テレビ放送局で公開捜査番組を設定すれば視聴率は考えなくても良いことやスポンサーが確保できること、視聴率は高くはないが人気番組が少なくないこと、そして衛星放送が受信できる状況であれば日本全国で視聴可能であることといった利点が存在するので検討しても良いように思われる。また、地上波テレビ放送局でも昔のようにワイドショーで公開捜査企画を設定するのも良いのではないのだろうか。ワイドショーは視聴率至上主義に走っているせいもあってか同じような内容しか取り上げない傾向があるが、どこか一つでも別の企画を打てば他の番組との差別化が図れて注目の存在になるかもしれない。
・出せる情報を出し、一生懸命捜査を続けてもどうしても事件解決に至れない場合はある程度の時間が経ったところで捜査の在り方を見直すことも考えること。いくら殺人事件については公訴時効が撤廃されたとはいえ容疑者がずっと生きているわけではないし、もし逮捕できても高齢者になっていたとか病気になっていたという理由で公判が維持できない場合もあるからである。事件発生から50年経過した時点や容疑者が後期高齢者となる75歳になった時点など区切りとする時期はいくつも考えられるが、響灘バラバラ殺人事件や博多湾女性会社員バラバラ殺人事件のようにある日突然何の説明もなく公式サイトから情報提供を呼びかけるページを削除するというのでは一般市民から事件をなかったことにしたいのだろうとか捜査をする気がないのだろうというような感情を抱かれる恐れがある。捜査する側の手の内は別に明かさなくても良いが、仮に捜査の在り方を見直したとしても我々は被害者の人生を台無しにした人物を最後まで追い続けるという意思は示したほうが良いように思われる(注45)。
・殺人事件の公訴時効を撤廃したのは良いが、他の関連する法令の改正がなっていないのがどうかと思うので改正を検討すること。例えば死体遺棄罪や死体損壊罪は事件発覚から3年で公訴時効が成立するが、殺人の疑いがある場合は殺人罪と合わせるべきではないのだろうか。もし逮捕できても殺人罪でしか起訴できないというのはどうかと思うからである。
・人口減少や財政事情の悪化などを理由とする合理化は地域の実情に合わせて行うこと。下関市の場合、山口県最大の都市であり、福岡市・北九州市という二つの政令指定都市を擁する福岡県との関係も深く、大韓民国にも行くことができるところであるにもかかわらず下関警察署が抱える交番・警察官駐在所の数は10箇所しかない。中島さんによると中島さんが下関市に住んでいた平成時代初頭には下関市中心部の各地に交番があったというのだが、人口が減ったとか財政事情が厳しいとかいう理由で地域の実情や地域住民の感情、そして職員の状況を無視した合理化を断行して不都合はなかったのだろうか。下関警察署は竹崎町四丁目男性殺害事件の捜査の迷走ぶりや彦島福浦町(注46)一丁目幼女殺害事件(2010年〔平成22年〕11月28日発生)の冤罪(えんざい)説浮上、そして響灘バラバラ殺人事件の容疑者の積極さの見られない捜査状況と突然の指名手配「解除」と市民にどうかと思われるような面が目立つが、合理化が職員の士気に影響したのではないかと思う方が出てきても不思議ではないと思う。
・もっと市民の目線で物事を考え、行動すること。警察内部には警察の掟(おきて)というものがあるだろうし、一日も早く事件を解決させたいという気持ちも理解できないわけではない。しかし、それで市民を不快な気分にさせることは警察として本意ではないはずである。こちらで書いたようにただでさえ不気味な感じを催させるものが掲載されたポスターを貼りまくることや市民からのもしかしたら事件解決に繋がるかもしれない通報を何の理由説明もなく無視すること、身元不明の他殺遺体の似顔絵または復顔像を何度も作り直すこと、何の声明も出さず未解決凶悪事件の情報提供を呼びかけるページを削除することなどいろいろ挙げられるわけであるが、それで市民が苦情を訴えても何とも思わないのだろうか。「私達は市民の安全のために日夜働いているんだぞ。何か文句あるのか」などという上から目線な態度で臨むのではなく、市民の声は真摯(しんし)に受け止め、市民の抱く感情を真剣にとらえ、市民が納得できないと訴えることについてはきちんと取り合い、自分達の見解を述べることが必要なのではないのだろうか。私は未解決凶悪事件の中には市民が非協力的な態度をとっているが故に有力な情報が提供されず、解決に漕ぎ着けられないものがあるのではないかと考えているのだが、もっと市民に寄り添うようになれば変わると思うのだがどうであろうか。
殺人事件の公訴時効撤廃により今後吉田容疑者のように100歳になったのでもう生きていないだろうと考えて情報提供を呼びかけるページを警視庁及び各道府県警察本部公式サイトから削除する例や又吉容疑者のように既に死亡している可能性が高いという情報を得たために指名手配を解除しようという話が出る例は今後いくつも出てくるものと思われる。しかし、だからと言って捜査を諦めることだけはして頂きたくない。存命の可能性がなくなったとしてもどこでいつ亡くなったのかを掴(つか)むまで少人数になってしまうかもしれないが捜査を続け、情報提供を呼びかけるページは存続させる必要があるのではないのだろうか。無論そういう段階に至るまでは一生懸命使える手段は使い、出せる情報は積極的に出し、一般市民からの通報は真摯に受け止め、一般市民に何としてでも被害者の無念の思いを晴らしたい、事件を解決させたい、容疑者を裁きにかけたいという熱意を伝え続ける必要があることは記すまでもない。
ラジオ編
中国地方初のラジオ放送の受信障害対策中継局が三原市で開局する
(概要)
中継局からの電波が受信しづらい地域に放送局以外の団体、すなわち市区町村や地下街運営会社が免許人になって小規模のラジオ放送の中継局を設置する受信障害対策中継局(ギャップフィラー中継局とも称する)は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災。2011年〔平成23年〕3月11日)で甚大な被害を受けた東北地方のコミュニティ放送局で適用されるようになり、以後全国に広まっていったが、中国地方でも今年4月1日に初めてのラジオ放送の受信障害対策中継局が三原市で開局した。三原市を放送区域とするコミュニティ放送局・FMみはら(愛称:FOR LIFE RADIO。三原市宮沖五丁目)の三原市木原地区・幸崎(さいざき)地区・鷺浦(さぎうら)地区における受信環境改善を目的として三原市が免許人となって設置したもの(注47)で、木原地区には2箇所、幸崎地区には4箇所、鷺浦地区には1箇所それぞれ設置された。なお、三原市内に設置されたFMみはらの受信障害対策中継局はFMみはらが所有する中継局(本局〔三原市登町〕・久井中継局〔三原市久井町吉田〕)と同じ周波数(87.4MHz)が用いられており、FMみはらが受信可能な地域であれば周波数を変えないでFMみはらの番組を楽しめるようになっている。
(コメント)
受信障害対策中継局は次に挙げるような特徴を持っている。
・免許人は放送局ではなく市区町村や地下街運営会社などである。
・免許人の管理範囲内(市区町村が免許人であれば当該市区町村の行政区域内となる)であれば多数中継局を設置できる。
・中継局の出力は小さくて済む(FMみはらの場合、本局の出力は20w、久井中継局の出力は5wだが受信障害対策中継局の出力は7箇所とも0.25wとなっている)。
・出力が小さいためにすぐ近くに中継局が設置できるし、周波数を統一しても不都合が起きない(そもそも同じ免許人が運営する中継局で中継局ごとに異なる周波数を使っているところは一切ない)。
・免許人が放送局ではなく市区町村などである関係上、放送局の所有中継局とはならない。
・免許人が放送局ではなく市区町村である関係上、放送局の公式サイトや放送開始告知、放送終了告知、放送基点における局名告知などではその存在はほとんど触れられることはない。
ラジオ局はインターネットの急激な普及や聴取人口の減少、広告収入の減少などにより経営が厳しいところが多い。そのため費用対効果が見込めないことはしない傾向が強まっている。その一つが中継局設置による受信環境改善である。いくら総務省(東京都千代田区霞が関二丁目)が中継局設置について費用を補助する(注48)とは言え多額の費用がかかることであり、いくら要望があっても積極的になれないのである。まあ受信状況が芳(かんば)しくないところはそのほとんどが人口が少ないところや既存の方法では過大投資になり(注49)、好ましくないところなのだが、2010年代初頭まではどうすることもできなかったのである。
その風向きが変わる契機になったのが東北地方太平洋沖地震であり、総務省が半(なか)ば強制した(と私は思っている)民間中波放送局のエフエム補完放送実施だったというわけであるが、下表をご覧頂ければうかがえるように受信障害対策中継局はきめ細かに免許人の管理範囲内であればラジオ局の中継局は設置できるという利点があるものの広まっているとは言い難(がた)い。ラジオは聴く人が少なくなっていることや経営が厳しく、コミュニティ放送局を中心に廃業に追い込まれたところが出ていること(注50)、市区町村側としても費用対効果のないものに手を出したくないこと、いくら毎年のように各地で甚大な被害が出る災害が起きたとしてもそこまでする必要はないと思っているところが多いことが理由として考えられる。
種類 | 都道府県名 | 市区郡町村名 (免許人名) |
状況 |
---|---|---|---|
都道府県域 ラジオ放送局 |
福島県 | 大沼郡昭和村 | 村内9箇所にNHK福島放送局(福島市早稲〔わせ〕町)のラジオ第一放送とラジオ福島、エフエム福島(愛称:ふくしまFM。郡山市神明町)の共同中継局(周波数はNHK福島放送局ラジオ第一放送が88.0MHz、ラジオ福島が90.8MHz、エフエム福島が82.8MHz)を設置。 |
双葉郡広野町 | 町内2箇所にNHK福島放送局のラジオ第一放送とラジオ福島、エフエム福島の共同中継局(周波数はNHK福島放送局ラジオ第一放送が89.0MHz、ラジオ福島が90.2MHz、エフエム福島が78.6MHz)を設置。但し現在2箇所とも未開局状態になっている(2022年〔令和4年〕1月下旬開局予定)。 | ||
双葉郡葛尾村 | 村内12箇所にNHK福島放送局のラジオ第一放送とラジオ福島、エフエム福島の共同中継局(周波数はNHK福島放送局ラジオ第一放送が89.0MHz、ラジオ福島が90.8MHz、エフエム福島が81.8MHz)を設置。但し現在運用されているのは11箇所であり、1箇所は未開局状態になっている(2022年〔令和4年〕2月上旬開局予定)。 | ||
兵庫県 | 美方郡香美町 | 町内8箇所にNHK大阪拠点放送局(大阪市中央区大手前四丁目)のラジオ第一放送(注51)とラジオ関西(CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目)の共同中継局(NHKラジオ第一の周波数は76.2MHz、ラジオ関西の周波数は77.8MHz)を、町内3箇所にラジオ関西だけの中継局(周波数:77.8MHz)をそれぞれ設置。 | |
熊本県 | 球磨郡水上村 | 村内2箇所に熊本放送ラジオ(RKK、熊本市中央区山崎町)の中継局(周波数:80.0MHz)を設置。 | |
コミュニティ 放送局 |
岩手県 | 一関市 | 市内6箇所に一関コミュニティFM(愛称:FMあすもまたはFM ASMO。一関市大町)の中継局(周波数:79.5MHz)を設置。 |
宮城県 | 石巻市 | 市内6箇所に石巻コミュニティ放送(愛称:ラジオ石巻。石巻市鋳銭場〔いせんば〕)の中継局(周波数:76.4MHz)を設置。 | |
登米市 | 市内6箇所に登米(とめ)コミュニティFM(愛称:H@! FM〔ハットエフエム〕。登米市迫〔はさま〕町佐沼)の中継局(周波数:76.7MHz)を設置。 | ||
名取市 | 市内2箇所にエフエムなとり(愛称:なとらじ801。名取市増田)の中継局(周波数:80.1MHz)を設置。 | ||
秋田県 | 大仙市 | 市内4箇所にTMO大曲(愛称:FMはなび。大仙市大曲通町)の中継局(周波数:87.3MHz)を設置。 | |
福島県 | いわき市 | 市内13箇所にいわき市民コミュニティ放送(愛称:SEA WAVE FMいわきまたはFMいわき。いわき市平)の中継局(周波数:76.2MHz)を設置。 | |
栃木県 | 栃木市 | 市内4箇所にケーブルテレビ(愛称:FMくらら857。栃木市樋ノ口町)の中継局(周波数:85.7MHz)を設置。 | |
新潟県 | 魚沼市 | 市内2箇所にエフエム魚沼(魚沼市堀之内)の中継局(周波数:81.4MHz)を設置。 | |
柏崎市 | 市内4箇所に柏崎コミュニティ放送(愛称:FMピッカラ。柏崎市日石町)の中継局(周波数:76.3MHz)を設置。 | ||
広島県 | 三原市 | 市内7箇所にFMみはら(愛称:FOR LIFE RADIO。三原市宮沖五丁目)の中継局(周波数:87.4MHz)を設置。 | |
長崎県 | 諫早市 | 市内4箇所にエフエム諫早(愛称:レインボーFM。諫早〔いさはや〕市宇都〔うづ〕町)の中継局(周波数:77.1MHz)を設置。 |
ではなぜそういう状況で三原市はFMみはらの受信障害対策中継局整備に乗り出したのだろうか。その理由を挙げると次の通りになる。
・三原市はFMみはらの開局に向けて動いていたし、FMみはらの株主に名を連ねていること。
・FMみはらの受信困難地域で受信環境改善を行おうとすると既存のやり方では過大投資になるところが少なくなかったこと。
・FMみはらが自力で中継局を整備するのは難しかったこと。
・三原市は東隣の尾道市を放送区域としているコミュニティ放送局・尾道エフエム放送(愛称:エフエムおのみちまたはエフエムおのみち79.4。尾道市東御所町)が受信できる地域が多く、更に尾道エフエム放送はFMみはら開局時点で20年近い歴史を重ねていたのでFMみはらを三原市民に浸透させる努力が必要だったこと。
・FMみはらが開局して間もなくの頃に三原市は集中豪雨で甚大な被害が出ていること。
・三原市としてはFMみはらの発展に積極的に尽力しようとしていること。
・三原市は平地も少なくないが地形が複雑であること。
三原市が今回FMみはらの受信障害対策中継局を設置したのは(概要)で触れた通り木原地区・幸崎地区・鷺浦(さぎうら)地区である。それぞれの地区の状況を記すと下表の通りになる。
※中継局名は本サイトで付けたものであり、周波数はいずれも87.4MHzである。また、所在地表記は「三原市」を略している。
地区名 | 中継局名 | 所在地 | 状況 |
---|---|---|---|
木原 | 木原西 | 木原三丁目 | ・木原地区は三原市東部の瀬戸内海に面した地域で、奥野山町・木原・木原町・鉢ヶ峰町で構成されている。三原市公式サイト(それはこちら)によると2021年(令和3年)11月30日時点の地区の推計人口は938人となっている。 ・海の近くまで山が迫っており、平地は狭い。 ・地区内をJR山陽本線や国道2号線木原道路、国道2号線松永・尾道・木原旧道(注52)が通っている。 ・地区内には三原市立木原小学校(三原市木原三丁目)がある。 ・木原東中継局のある三原市木原六丁目は尾道市福地町と境を接している。 ・本局のある竜王山(標高:444.9m)との間に鉢ヶ峰(標高:429.4m)があるため受信しづらい。 |
木原東 | 木原六丁目 | ||
幸崎 | 能地北 | 幸崎町能地 | ・幸崎地区は三原市南部の瀬戸内海に面した地域で、幸崎久和喜・幸崎町久和喜・幸崎町能地・幸崎町渡瀬・幸崎能地・幸崎渡瀬で構成されている。三原市公式サイトによると2021年(令和3年)11月30日時点の地区の推計人口は3,135人となっている。 ・海の近くまで山が迫っており、平地は狭い。 ・地区内をJR呉線や国道185号線が通っている。 ・地区内には今治(いまばり)造船広島工場(三原市幸崎能地二丁目)がある。 ・地区内にはJR呉線安芸幸崎(あきさいざき)駅(三原市幸崎能地三丁目)や三原市立幸崎小学校(三原市幸崎能地三丁目)、三原市立幸崎中学校(三原市幸崎能地三丁目)がある。 ・本局のある竜王山との間に山があるため受信しづらい。 |
能地中央 | 幸崎能地三丁目 | ||
能地西 | 幸崎能地六丁目 | ||
能地東 | 幸崎能地一丁目 | ||
鷺浦 | 鷺浦東 | 鷺浦町向田野浦 | ・鷺浦地区は三原市中心部の南東の瀬戸内海にある佐木島と、その北方にある小佐木島で構成される地域で、鷺浦町須波・鷺浦町向田野浦(むこうたのうら)で構成されている。三原市では唯一の島嶼(とうしょ)だけで構成された地域である。三原市公式サイトによると2021年(令和3年)11月30日時点の地区の推計人口は625人となっている。 ・鷺浦東中継局は佐木島の東岸部にある。 ・鷺浦東中継局がある辺りは狭いながらも平地があり、集落が形成されている。1995年(平成7年)までは三原市立須ノ上小学校(三原市鷺浦町向田野浦。1875〜1995)があった。 ・鷺浦東中継局のある辺りは瀬戸内海を隔てて尾道市に属する因島と向かい合っている。 ・本局のある竜王山との間に山があるため受信しづらい。 |
上表から三原市がFMみはらの受信障害対策中継局を設置した三つの地区には次に挙げる共通点があることがうかがえる。
・人口はそんなに多くないこと。
・人口はそんなに多くはないがある程度の人口集積(=ある程度の規模の集落)があり、中枢施設がある(またはあった)こと。
・FMみはらの本局との間に山があってFMみはらが受信しにくいこと。
・海の近くまで山が迫り、平地は狭いこと。
・瀬戸内海に面していること。
もし放送局が自分で中継局を設置しようとした場合、今挙げた条件の場所は費用対効果が見込めないとして設置自体を見送るか設置するとしても後回しにされる可能性が高い。ほとんどのラジオ局がインターネットの急激な普及や聴取人口の減少、広告収入の減少などにより厳しい経営を強いられている現状を考えればそれは尚更であろう。受信障害対策中継局制度はそういうところについて市区町村などが中継局を設置できるようにする制度であり、FMみはらの株主に名を連ねている三原市は早速(さっそく)適用に踏み切ったのだろう。
ただ、気になったのは今回三原市がFMみはらの受信障害対策中継局を設置したのは全て瀬戸内海に面した地域であり、FMみはらが開局して間もない頃に起きた集中豪雨で甚大な被害が出た三原市西部(小泉・高坂・本郷各地区)は対象に入っていないということである。FMみはらが開局して間もない頃に起きた集中豪雨の際にFMみはらが受信できなくて困ったという声が上がった(そのことはこちらで触れている)のだが、なぜ優先して実施すべきだった三原市西部の受信環境改善は後回しになったのだろうか。三原市が更なる受信障害対策中継局設置計画を考えているのか、FMみはら自身が将来構想として三原市西部に中継局設置計画を考えているのかは分からないがいつ再び災害が起きるか分からないことを考えると真剣に考えて頂きたいものだと思っている。
現在のところ受信障害対策中継局は都道府県域放送に関しては5箇所36中継局(うち2箇所3中継局は現在未開局)、コミュニティ放送局に関しては11箇所58中継局それぞれ存在するのみであり、広まっているとは言い難い。しかし、ラジオ局はどこも経営が厳しいことや災害などの緊急事態が起きた時に受信できなかったという理由で情報が得られない地域が生じるのは好ましくないこと、そしてインターネット再送信はラジオ受信機より高額な機器を持たないと楽しめないことなどを考えれば市区町村が放送局の肩代わりをして中継局を整備するという方式は今後各地で広まってくるのではないかと考えている。FMみはらがある三原市を含む広島県南東部では尾道エフエム放送がある尾道市やエフエムふくやま(愛称:レディオBINGO。福山市西町二丁目)がある福山市が考えられるのだが、放送局側が地域の実情や志向に合った放送を展開することや地域にとってかけがえのない存在になるべく努力を続けていること、真摯に聴取者からの意見に向き合うことが、地域側が放送局をかけがえのない存在だと認識することや何だかんだ言って放送局をあっさり見捨てるような態度に出ないこと、放送局を発展させるべく協力的な態度をとり続けることが導入のカギになるのではないのだろうか(つまり地域や視聴者、聴取者を蔑〔ないがし〕ろにするようなことばかりしている放送局や放送局をどうでも良い存在と見なしている地域は導入すべきではないということ)。
最近福山市郊外の幹線道路の道端に設置されるようになったエフエムふくやまの宣伝看板。
写真は福山市鞆町後地にあるものだが受信しづらい地域であるせいかスマートフォン・パソコンでも聴けることが記されている。
できれば芦田川河口から走島にかけての地域を対象とする中継局を設置して頂きたいものであるが…。
全く知られていないことであるが今年はコミュニティ放送局と地域の関係が問われる出来事がいくつかあった。九州本土の南方海上にある奄美大島(あまみおおしま)の西部にある鹿児島県大島郡瀬戸内町を放送区域としていたエフエムせとうち(鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋。2012〜2021)が2月末をもって廃業したのだが、その契機はエフエムせとうちがコミュニティ放送の目的に反する番組を放送しているとの声が鹿児島県大島郡瀬戸内町役場(鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋)に寄せられたことであった。また、10月には大阪市郊外の枚方(ひらかた)市を放送区域とするエフエムひらかた(枚方市岡東町)が来年2月末での放送終了・廃業を発表したのだが、その契機は枚方市がエフエムひらかたに支払っていた委託金を2021年度(令和3年度)をもって打ち切ることや災害情報をSNSを用いて発信することを決めたことであった。もしエフエムせとうちがコミュニティ放送の目的に反する番組を放送していなかったら、もし枚方市がラジオを終わったメディアだと見なさず、なおかつ信頼し続けていたらエフエムせとうちと(まだ逆転存続の可能性は潰〔つい〕えたわけではないが(注53))エフエムひらかたの廃業は回避できていたのではないかと思うのだが、この二つの出来事を見てもいかにコミュニティ放送局と地域は良好な関係が構築されないとダメであるかがうかがえる。考えてみれば中国地方で廃業に追い込まれたコミュニティ放送局2社も地域との良好な関係が構築できなかったために廃業という結末を迎えたわけである(注54)が、これ以上の廃業を出さないためにも放送局と地域は密接で良好な関係を構築し、継続できるように努めて頂きたいと思う次第である。
広島エフエム放送が火曜日・水曜日について平日午後の自社制作のワイド番組の制作を取りやめる
(概要)
広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)は開局した1982年(昭和57年)12月5日(注55)から平日午後はずっと自社制作のワイド番組を設定してきた。今春の番組改編直前の状況は下表の通りである。
曜日 | 番組名 | 制作局名 | 備考 |
---|---|---|---|
月曜日〜木曜日 | 近藤志保・俊山真美のDAYS! | 広島エフエム放送 | 放送時間は午後1時30分〜午後3時55分。 喋り手は月曜日・火曜日が広島エフエム放送の近藤志保アナウンサー、水曜日・木曜日が俊山真美(元エフエム山口〔FMY、山口市緑町〕アナウンサー)となっている。 |
金曜日 | 廣瀬桃子の皆実町マルシェ | 広島エフエム放送 | 放送時間は午後1時30分〜午後5時。 |
今春の番組改編で「近藤志保・俊山真美のDAYS!」と「廣瀬桃子の皆実町マルシェ」はともに終了することになったのだが、その後継番組は下表の通りになった。
曜日 | 番組名 | 制作局名 | 備考 |
---|---|---|---|
月曜日 | アラウンドカープX | 広島エフエム放送 | 放送時間は午後1時30分〜午後3時55分。 |
火曜日・水曜日 | seasoning 〜season your life with music〜 |
ジャパンエフエム ネットワーク |
放送時間は午後1時30分〜午後3時55分。 |
木曜日 | アヤノンスタイル | 広島エフエム放送 | 放送時間は午後1時30分〜午後3時55分。 |
金曜日 | Satoruman50 〜半世紀少年ミュージックショー |
広島エフエム放送 | 放送時間は午後1時30分〜午後5時。 |
つまり、平日のうち火曜日・水曜日について広島エフエム放送は自社制作のワイド番組の設定を取りやめ、ジャパンエフエムネットワーク(JFNC、東京都千代田区麹町一丁目)制作のワイド番組をネットするようになったというわけである。これにより広島エフエム放送では史上初めて平日午後に自社制作のワイド番組が設定されない曜日が生じることになった。
(コメント)
今春の広島エフエム放送の番組改編における平日午後の自社制作のワイド番組の異動には実はもう一つ特徴がある。それは全くの新番組として設定されたのが「Satoruman50(フィフティ)〜半世紀少年ミュージックショー」だけということである。というのも、月曜日の「アラウンドカープX」は月曜日の午後7時台に放送していた「アラウンドカープ」を移動した上にワイド番組化させたものであるし、木曜日の「アヤノンスタイル」は喋り手の笹原綾乃が広島エフエム放送のアナウンサーだった時期(2008〜2015年〔平成20〜27年〕)に金曜日の午後に放送されていたものを6年ぶりに復活させたものだったからである。広島エフエム放送の経営環境がかなり厳しいことをうかがわせているのだが、その背景を挙げると次の通りになる。
・対抗関係にある中国放送ラジオ(RCC、広島市中区基町)の平日午後の自社制作のワイド番組に聴取率で後塵を拝し続けていること。
・中国放送ラジオはエフエム補完中継局を放送区域となる広島県内に5箇所(広島・久井・西条・福山・三次〔みよし〕)に設置しているのだが、周波数は94.6MHzに統一しており、同じ周波数を使っている中継局が全くない(注56)広島エフエム放送にとっては分が悪くなっていること。
・筆頭株主を務めている広島東洋カープの成績が近年低迷している上に新型コロナウィルス感染症の世界的な流行の影響で経営環境が厳しくなっていること。
・他のラジオ局と同様にインターネットの急激な普及や聴取人口の減少、広告収入の減少といった厳しい状況に直面していること。
・広島エフエム放送の放送区域となる広島県内でもコミュニティ放送局がいくつも開局していること。
広島エフエム放送の経営環境の厳しさは他の面でも垣間見られるわけである(注57)が、それにしても気になるのは月曜日と木曜日だけ自社制作のワイド番組を残し、なおかつ月曜日と木曜日では全く別の番組としたということである。その意図は分からないわけであるが、今後次に挙げるような不都合が起きる可能性をはらんでいる。
・「seasoning〜season your life with music〜」は月曜日から木曜日まで同じ喋り手が担当しているのだが、火曜日と水曜日にネットを限ったことで番組の全体像が掴みにくくなる恐れがあること。広島エフエム放送がジャパンエフエムネットワーク制作の平日午後のワイド番組をネットしたのは「flowers」(2009〜2013年〔平成21〜25年〕放送)以来となるが、この「flowers」は午後4時台しかネットしなかったため広島エフエム放送の聴取者にとっては番組の全体像が掴みにくかった感は否めず、結局2年で打ち切られている(注58)。
・ジャパンエフエムネットワーク制作の平日午後のワイド番組は何が理由なのかは分からないが数年で番組が終わる傾向があること。10年以上続いたのは「ヒルサイド・アヴェニュー」(1992〜2005年〔平成4〜17年〕放送)だけであり、その後は「Wonderful
Go! Go!」(2005〜2009年〔平成17〜21年〕放送)→「flowers」→「face」(2013〜2016年〔平成25〜28年〕放送)→「Day
by Day」(2016〜2018年〔平成28〜30年〕放送)→「seasoning〜season your life with music〜」と変遷しているわけであるが、こんなに番組がコロコロ変わると聴取者はどのように思うのだろうと考えたくなってくる。
・もし将来広島エフエム放送が火曜日と水曜日の午後に自社制作のワイド番組を再び設定することにした時、どのようにするかが問題になる恐れがあること。現状を生かすのであれば各曜日でそれぞれ異なる番組を設定することになるだろうが聴取者に受け入れられない恐れがあるし、月曜日〜木曜日について統一した番組を設定することにすれば現在放送している番組をどのようにするのかを考えなければならない。また、「flowers」と同様に数年で「seasoning〜season your life with music〜」のネットを打ち切った場合ジャパンエフエムネットワーク制作の平日午後のワイド番組のネットは二度としないで頂きたいという声が上がる恐れもある。
広島エフエム放送が直面する厳しい状況は今後も続く可能性が高い。その理由は次の通りである。
・新型コロナウィルス感染症の世界的流行がいつ収束するのか分からないこと。
・筆頭株主を務めている広島東洋カープの成績や業績が上向くのかどうかが分からないこと。
・広島県の人口が減少に転じ、広島市及びその周辺しか人口が増加している市区町村がなくなったこと。
・中国放送ラジオが2028年(令和10年)秋をメドに中波放送を取りやめてエフエム放送局に転換する民間中波放送局に名を連ねていること(注59)。
・中国放送ラジオは現在のところ新たなエフエム補完中継局設置計画を明らかにしていないが、不都合が生じない限り広島・久井・西条・福山・三次各エフエム中継局と同じ周波数(94.6MHz)を使う可能性が高いこと。
・2022年(令和4年)春までにNHK広島拠点放送局(広島市中区大手町二丁目)が尾道市と豊田郡大崎上島町にラジオ第一のエフエム補完中継局を設置することにしており、福山市から呉市までの瀬戸内海沿岸部でNHKラジオ第一がエフエム電波でも楽しめるようになること。
・インターネットの急激な普及や聴取人口の減少、広告収入の減少という状況は今後も変わらないこと。
・具体的な計画が浮上しているところはないが、今後も広島県内各地でコミュニティ放送局が開局する可能性は十分考えられること。
全ての放送局が全ての民間中波放送局より歴史が浅く(注60)、ほとんどの放送局が高度経済成長が終わってから開局している都道府県域民間エフエム放送局(注61)はどこも経営が厳しくなっており、既に新潟県と愛知県では廃業に追い込まれたところが出ている。都道府県域民間エフエム放送局最大の系列であるJFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局でも岐阜県と兵庫県にある系列局が経営破綻に追い込まれているわけである(注62)が、廃業や経営破綻は放送局に対する信頼を損なうことであり、地域に大きな傷跡を残すことでもあるため避けなければならない。今後どうなるかは分からないのだが、そういう中でも広島エフエム放送は地域のかけがえのない放送局として、そして中国地方のJFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局における基幹放送局として頑張り続けなければならない。
来年、広島エフエム放送は開局40周年の節目を迎える。現時点でどういうことをするかは分からないのだが、果たして何を我々に見せるのであろうか。状況は厳しいけれど不惑の年を迎える広島エフエム放送の今後に私は期待したい。決して悲観することはないし、長所も多数あるし(注63)、何より来年には看板アナウンサーの一人であり、現在出産・育児休暇中の中川真由美アナウンサーが復帰してくる可能性が高い(注64)し…。
RSK山陽放送ラジオが月曜日の放送開始時間を午前3時に繰り上げる
(概要)
RSK山陽放送ラジオ(RSK、岡山市北区天神町)は今春まで月曜日の放送開始時間を午前4時としていたが、今春の番組改編でそれを1時間繰り上げ、何と月曜日午前3時に放送を開始するようにした。月曜日早朝の放送開始時間を午前3時にした例は過去に中国放送ラジオなどで見られたがそれは臨時のものであり、定期の放送開始時間を午前3時にしたのはRSK山陽放送ラジオが初めてではないかと思われる。
(コメント)
日曜日深夜(月曜日早朝)と言えばほとんどの都道府県域民間ラジオ放送局は機器調整を理由に放送を休止する。中国地方にある都道府県域民間ラジオ放送局の場合は下表の通りになっている(2021年〔令和3年〕12月27日現在)。
※下表では放送局の略称や愛称、所在地は省いている。
種類 | 放送局名 | 放送終了時間 | 放送開始時間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
中波 | 山陰放送 | 午前0時30分 | 午前5時 | |
RSK山陽放送 | 午前0時 | 午前3時 | ||
中国放送 | 午前1時30分 | 午前5時 | 毎週ではないが午前3〜4時台に試験放送を実施しており、そこでは三次市出身の歌手で中国放送ラジオで番組を持っている佐々木リョウの「Only Life〜君のヒーローになる〜」を繰り返しかけている。 | |
山口放送 | 午前1時 | 午前4時 | ||
エフエム | エフエム山陰 | 午前2時25分 | 午前5時 | |
岡山エフエム放送 | 午前1時 | 午前5時 | 1999年(平成11年)に開局した時から月曜日午前1時放送終了→午前5時放送開始を基本線としている。但し2013年(平成25年)4月から半年間だけ月曜日午前1時から「おやすみNMB48」(現在は月曜日午前0時から放送されている)を放送していたため月曜日の放送終了時間が午前1時15分になっていた。 | |
広島エフエム放送 | 午前2時 | 午前5時 | 放送終了数分後から放送開始数分前まで無変調状態(受信反応はあるが音声が一切流れない状態)になっており、午前3時と午前4時には時報を鳴らしている。 | |
エフエム山口 | 午前0時 | 午前5時 | 放送終了後から放送開始前まで試験放送と称して音楽を流している。 |
上表からほとんどの中国地方にある都道府県域民間ラジオ放送局の放送開始時間は午前5時になっており、午前3時はいくら何でも早すぎると思う方が多いのではないだろうか。なぜRSK山陽放送ラジオが月曜日の放送開始時間を午前3時に繰り上げたのか、考えられる理由は次の通りである。
・放送終了時間の繰り上げにより打ち切りの憂き目に遭う恐れがある番組の放送枠を確保すること。
・岡山県内外にある、日曜日深夜(月曜日早朝)も放送を休止しないラジオ局(注65)に対抗すること。
・仕事などの事情で月曜日の午前3〜4時台に起きている方々が寂しい思いをしなくても済むようにすること。
・多くの聴取者から月曜日の放送開始時間を繰り上げて欲しいという要望が寄せられたこと。
・RSK山陽放送テレビは午前3時台に放送を開始することがあり(注66)、ラジオ放送でもやっても良いのでは…という話になったこと。
・RSK山陽放送ラジオはエフエム補完中継局は未だに1箇所しか設置していないが、2028年(令和10年)秋をメドに中波放送を取りやめてエフエム放送局に転換する民間中波放送局に名を連ねており、対抗関係にある岡山エフエム放送(愛称:エフエム岡山またはVV-FM。岡山市北区中山下一丁目)に対して優位に立てるようにしたかったこと。
・ラジオ部門の大部分は移転しないことになったが(注67)、今年6月6日にRSK山陽放送は岡山市北区丸の内二丁目1番3号(場所はこちら)から岡山市北区天神町9番24号(場所はこちら)に本社・演奏所を移転しており、新しいRSK山陽放送を聴取者に示したかったこと。
どれが真相なのか全く分からないのだが、(個人的な印象だが)挑戦的な態度(注68)を随所に見せるRSK山陽放送ラジオの新たな挑戦といったところであろうか。
ただ、いくら挑戦的な態度を随所に見せるとはいえ、長続きしなければ結局何だったのかなどと聴取者に思われるだけになる。現に長続きするのかどうか不安が拭えない面が多数存在する。それを挙げると次の通りになる。
・RSK山陽放送ラジオが月曜日は午前3時から放送していることに関する認知度が高いとは言えないこと。
・RSK山陽放送ラジオが放送するようになった月曜日午前3時台の番組について、半年後に他局制作の番組から自社制作番組の再放送に差し替えられたこと(注69)。
・月曜日午前3時に起きている人は少数であり、聴取率は見込めないこと。
・RSK山陽放送のテレビ部門、すなわちRSK山陽放送テレビは岡山県だけでなく香川県を放送区域としているが、岡山県と香川県を放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局は5社(RSK山陽放送テレビ・岡山放送〔OHK、岡山市北区下石井二丁目〕・テレビせとうち〔TSC、岡山市北区柳町二丁目〕・西日本放送テレビ〔RNC、高松市丸の内〕・瀬戸内海放送〔KSB、高松市上之町二丁目〕)ある一方で岡山県と香川県の合計人口は283万8,676人(2020年〔令和2年〕10月1日実施の国勢調査による。内訳は岡山県…188万8,432人/香川県…95万244人)と都道府県域民間テレビ放送局の全系列が揃っている地域では最少となっており、経営が厳しくなっていること(注70・注71)。
・(どの放送局についても言えることであるが)インターネットの急激な普及や放送区域人口の減少、視聴者または聴取者の減少、広告収入の減少などにより経営が厳しくなっていること。
・前記の通りRSK山陽放送は今年6月6日に本社を移転したが、その費用がかなりかかった上に当面の間新旧双方の本社を使用するため費用の節減が課題になる可能性があること。
・費用対効果や聴取率が見込めないことをするくらいなら未だに1箇所しかないエフエム補完中継局の整備を積極的に進めたほうが良いという声が上がる可能性があること。
・RSK山陽放送ラジオが放送区域としている岡山県の経済情勢や人口減少を受けて費用対効果が見込めるものに重きを置き、そうでないものは切り捨てる方針に転じる可能性があること。
RSK山陽放送ラジオがこのままの放送体制を続けるかどうか、それは誰にも分からないわけであるが、もし1〜2年程度で月曜日の放送開始時間を午前4時や午前5時に繰り下げることにしたとしたらRSK山陽放送ラジオに対する聴取者の目は一層厳しくなることであろう。ただでさえ聴取者にどうかと思われているようなこと(注72)を何度もやっているからであるが、ではどうすればRSK山陽放送ラジオは月曜日の放送開始時間を午前3時に固定し続けられるのか。私は次に挙げることをしてはどうかと考えている。
・RSK山陽放送ラジオは日本で最も早く起きるラジオ局であることを宣伝すること。日曜日深夜(月曜日早朝)も放送を休止しないラジオ局が少なくない今日では珍しくも何ともないことに映るかもしれないが、日曜日深夜(月曜日早朝)に放送を休止するラジオ局はまだまだ多いし、そういうラジオ局の放送開始(放送再開)は午前5時が多い。しかもRSK山陽放送ラジオの全ての中波中継局が使用している周波数・1494kHzは日本国内では他に北海道放送ラジオ(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)の名寄(なよろ)中波中継局(名寄市緑丘)しか使っていないことやRSK山陽放送ラジオの本局(岡山市北区撫川〔なつかわ〕)の出力が10kWであることを考えるとある程度の地域までなら遠距離受信は可能だと思われるし(有料にはなるが)RSK山陽放送ラジオはラジオ放送のインターネット再送信サービス・radikoのエリアフリー聴取に対応している(注73)。それらのことを考えるとRSK山陽放送ラジオはこのことを生かさない手はないのではないのだろうか(注74)。
・RSK山陽放送ラジオは日本で最も早く起きるラジオ局であることを宣伝することに加えて遠距離受信をしてでも、金はかかるけれどradikoのエリアフリー聴取を使ってでも聴きたいと思う番組を設定すること。例えば月曜日午前4時台に放送されているエフエムナックファイブ(さいたま市大宮区錦町)制作の「松山千春
ON THE RADIO」はかつては中国放送ラジオでもネットされていたが、いかなる理由があったのかは分からないのだが2019年(平成31年)春の番組改編で打ち切られている。もし広島県に住んでいて「松山千春
ON THE RADIO」を引き続き聴きたいという思いを持つ方がRSK山陽放送ラジオが現在もネットしていることを知れば遠距離受信かradikoのエリアフリー聴取を用いてRSK山陽放送ラジオを聴こうとするのではないのだろうか。月曜日午前4時台は良いのだが、月曜日午前3時台についても遠距離受信をしてでも、金はかかるけれどradikoのエリアフリー聴取を使ってでも聴きたいと思う番組が設定できれば放送開始時間を午前3時に固定し続けられる可能性は高まるのではないのだろうか。
・未だに1箇所しかないエフエム補完中継局の整備を進めること。RSK山陽放送ラジオがエフエム補完放送に消極的なのは中波放送の中継局の周波数を統一していることを売りにしてきたことやRSK山陽放送の親会社(注75)・RSKホールディングス(岡山市北区丸の内二丁目)が出資者に名を連ねている岡山エフエム放送の経営を困窮させたくないこと(注75)、経営事情が厳しいこと、RSK山陽放送ラジオとしてはエフエム補完放送が必要だとはあまり考えていないこと、唯一のエフエム補完中継局である岡山エフエム中継局(岡山市南区郡。周波数:91.4MHz)は岡山県の人口の大半が集中している岡山県南部のほぼ全域で受信可能であること、そしてエフエム補完放送開始時点では新本社建設問題が浮上しており、そちらに重きを置きたかったことなどが考えられるのだが、RSK山陽放送ラジオは2028年(令和10年)秋をメドに中波放送を取りやめてエフエム放送局に転換する民間中波放送局に名を連ねていることや新本社建設が一段落したことを考えるとそろそろ動きを見せるのではないのだろうか。RSK山陽放送ラジオのエフエム補完中継局の設置は本局以外は全て高地に設置している中波中継局の置き換えと中波・エフエム双方で受信しづらく、なおかつ費用対効果が見込める地域における受信環境改善の二本立てで進めるのではないかと思われる(注76)のだが果たしてどうなるのだろうか。
難しい状況の中で始めたRSK山陽放送ラジオの新たな挑戦は果たしてどうなるのか。受信しづらい地域に住んでいるのだがRSK山陽放送ラジオの今後に注目したい。
道路編
国道2号線木原道路の開通により福山市〜三原市間で無停車走行が可能になる
(概要)
今年3月21日、三原市東部の木原地区の山裾に建設されていた国道2号線木原道路が上り線を使っての暫定上下2車線ながら全線開通した。広島県南東部における国道2号線のバイパスはこれまでに木原道路の東側にある赤坂バイパス・松永道路・尾道バイパス、木原道路の西側にある三原バイパスが既に全線開通を果たしており、木原道路の開通により広島県南東部にある五つのバイパスは一本の道に繋がった。五つのバイパスのうち松永道路・尾道バイパス・木原道路・三原バイパスは全線が他の道路とは立体交差になっており、赤坂バイパスも起点の福山市瀬戸町山北(さぼく)/赤坂バイパス東口交差点から500mほど広島方面に進んだところにある福山市赤坂町早戸/赤坂バイパス早戸ランプ交差点以西は他の道路とは立体交差になっているため福山市赤坂町早戸/赤坂バイパス早戸ランプ交差点〜三原市新倉二丁目/新倉交差点間約30.9km(「Googleマップ」で計測)が停車せずに走れるようになった。
(コメント)
国道2号線は大阪市北区曽根崎新地一丁目/梅田新道交差点を起点とし、北九州市門司(もじ)区老松町/老松公園前交差点を終点とする、中国地方随一の幹線道路である。沿線には人口の多い都市がいくつもあり、交通量も多い。そのため1960年代から各地で渋滞箇所を迂回するバイパスの建設が進められてきた。無論広島県南東部も例外ではなかった。山と海の間の狭いところに市街地が展開されており、渋滞が頻発していた尾道市中心部を迂回する格好で企図された尾道バイパスを皮切りに各地でバイパス建設が企図されたのである。20世紀末期には尾道バイパスと、尾道バイパスから東方に延びる松永道路と赤坂バイパスがいずれも全線開通を果たし、福山市赤坂町早戸/赤坂バイパス早戸ランプ交差点〜三原市木原四丁目/木原町交差点間約18.7km(「Googleマップ」で計測)が停車せずに走れるようになっていた(注77)。
広島県南東部における国道2号線のバイパス、すなわち赤坂バイパス・松永道路・尾道バイパス・木原道路・三原バイパスの沿線にある人口集積地(市街地)は松永・尾道・三原だけであり、その中で最大である尾道市ですら人口は13万1,170人(2020年〔令和2年〕10月1日実施の国勢調査による)と多いとは言えない。そういう状況で30kmにも及ぶ連続無停車区間が生じた理由を挙げると次の通りになる。
・赤坂バイパス・松永道路・尾道バイパス・木原道路・三原バイパスはその大部分が人口集積地を外れたところを通っていること。
・赤坂バイパス・松永道路・尾道バイパス・木原道路・三原バイパスの中で最も早く着手・開通した尾道バイパスは自動車専用道路として建設されており、尾道バイパスと接続するバイパスは自動車専用道路かそれに準じた規格にしなければならなくなったこと。
・赤坂バイパス・松永道路・尾道バイパス・木原道路・三原バイパスは広域交通を担うべき存在であり、それ相応の規格で建設することが求められたこと。
・福山市西部から三原市西部にかけての山陽自動車道は国道2号線から離れた地域を通っているため尾道市や三原市の中心部は高速交通の恩恵を受けにくくなっていること。
実は広島県南東部における国道2号線の連続無停車区間は今後更に延びることになっている。赤坂バイパスから東に延びるバイパスは全て立体交差で計画されているか信号機付き交差点の立体交差化が進められているからである。全区間が立体交差で計画されている玉島バイパスと玉島・笠岡道路、笠岡バイパス、福山道路が開通し(注78)、なおかつ岡山バイパスにある全ての信号機付き交差点の立体交差化が完成すると何と岡山市東区寺山/西祖交差点〜三原市新倉二丁目/新倉交差点間118.2kmが無停車で走行できるようになるのである。岡山バイパスにある全ての信号機付き交差点の立体交差化や福山道路がいつ完成するか皆目見当が付いていない状況なのでいつそれが実現するかは分からないのだが、岡山県南部から広島県南東部にかけての山陽自動車道は常に国道2号線の北方を通過している(注79)のでもし完成すれば山陽自動車道を補完する地域高規格道路として有用な存在になるのは間違いないことであろう。
課題は多数あるが果たして今後どんな変化があるのか。今後も注目していくことにしたい。
広島県道155号三原・本郷線が三原市本郷地区に初めて供用区間を有するようになる
(概要)
三原市中心部と三原市本郷地区北部を結ぶ広島県道155号三原・本郷線は1996年(平成8年)4月25日広島県告示第469号で発足した県道路線であるが、長らく前身の広島県道359号高坂・本町線(1965〜1998。路線名称は廃止時点のものを記載)の区域だった部分しか供用されておらず、三原市本郷地区には一切供用区間を有しないままになっていた。しかし、今年3月31日に三原市高坂町真良(しんら)/本郷産業団地東入口交差点(信号機・交差点名標なし)〜三原市本郷町船木/佐用北交差点(信号機・交差点名標なし)間約1.9kmが開通し、発足25周年を前にしてようやく三原市本郷地区に供用区間を有するようになった。
(コメント)
広島県道155号三原・本郷線は三原市西町一丁目/甲山通り交差点を起点とし、三原市本郷町船木/船木大橋(東)交差点を終点とする予定で発足した県道路線である。もし全線が整備されれば次に挙げるような効果がもたらされることになっている。
・三原市中心部と三原市北西部(小坂・高坂・大和・本郷各町)、更には東広島市北部・北東部(河内〔こうち〕・豊栄〔とよさか〕・福富各町)を国道2号線を一切通らないで往来できるようになること。
・三原市中心部と三原市北西部にある主要施設(山陽自動車道本郷インターチェンジ〔三原市本郷町船木〕・広島空港〔三原市本郷町善入寺〕など)や観光地(仏通寺〔三原市高坂町許山〈もとやま〉〕など)を国道2号線を一切通らないで往来できるようになること。
・(広島県道50号本郷・久井線や広島県道344号大草・三原線を介する格好になるが)三原市中心部と三原市久井地区を直線的に結んでいるが深い谷の上を通っているために異常気象時通行規制区間に指定されているところがある広島県道25号三原・東城線(注80)が災害などで通行できなくなった時の迂回路を確保できるようになること。
そのように見れば費用対効果は高いものがあるのだが、発足時点では次に挙げるような問題点があった。
・全般的に改良が進んでいなかったこと。
・通行不能箇所や未開通箇所、区域未決定箇所があったこと。
・一般県道であるが故(ゆえ)に三原市中心部から放射状に各地に延びる主要地方道路線(注81)とは異なって国土交通省(東京都千代田区霞が関二丁目)から整備に関する補助が出ないことやバブル景気終焉後の長く続いた不況で広島県の財政事情が厳しくなっていた時期に発足したことなどから整備が積極的に進められなかったこと。
その結果広島県道155号三原・本郷線は広島県道359号高坂・本町線だった部分しか区域決定がなされず(注82)、旧三原市域にしか実体が存在しない路線となっていた。そういう状況が大きく変わる契機になったのが2010年代後半に三原市高坂地区と三原市本郷地区に跨る丘陵地帯に工業団地(本郷産業団地〔三原市本郷町船木〕)を造成することになったことである。三原市高坂地区と三原市本郷地区北部は今記したように丘陵地帯で隔てられており、交流が盛んだったとは言えなかったためこれまで自動車の通れる道路は存在し得なかったし、建設する意味もなかったわけであるが、工業団地の造成を契機にようやく広島県道155号三原・本郷線のうちの広島県道359号高坂・本郷線を継承していない区間は日の目を見ることになり、今回の開通と相成ったわけである。
ただ、前に「広島県道155号三原・本郷線は三原市西町一丁目/甲山通り交差点を起点とし、三原市本郷町船木/船木大橋(東)交差点を終点とする予定で発足した県道路線である」と記したことでもうかがえるように広島県道155号三原・本郷線は三原市高坂町真良/本郷産業団地東入口交差点(信号機・交差点名標なし)〜三原市本郷町船木/佐用北交差点(信号機・交差点名標なし)間が開通したことをもって全線開通とはならない。残る未開通区間及び区域未編入区間となる三原市本郷町船木/佐用北交差点(信号機・交差点名標なし)〜三原市本郷町船木/船木大橋(東)交差点間(注83)の整備が今後の課題となるが、交通量は少ないことや本郷産業団地への企業進出が新型コロナウィルス感染症の世界的な流行の影響もあり進んでいないことなどから当面は進められないのではないかと思われる。また、広島県道359号高坂・本町線から移行した部分でも三原市中心部に近い地域で未改良箇所が残されているし案内も十分とは言い難い。広島県道155号三原・本郷線が前に挙げた効果を発揮するようになるのはかなり先の話になりそうである。
広島県道232号高停車場線が大幅に延伸される
(概要)
JR芸備線高駅(庄原市高町)の(西口)駅前広場と国道183号線を結ぶ広島県道232号高停車場線は1960年(昭和35年)10月10日広島県告示第682号で発足して以来起点の高駅(西口)駅前広場から北西に延び、庄原市高町/高駅前交差点(信号機なし(注84))で国道183号線高旧道に突き当たる駅前通りを全区域とする、全長20mほどの短い県道路線であった。しかし、2021年(令和3年)9月24日広島県告示第880号により終点が庄原市高町/高駅前交差点(信号機なし)から国道183号線高道路宮内ランプ(庄原市宮内町)に変更されたことにより路線延長は27mから2,939.5mとなり、広島県内にある県道○○停車場線(一般県道だけだが現在46路線ある)で最も長い路線になった(注85)。短距離路線が一躍長距離路線になった背景にあったのは国道183号線高道路(2008年〔平成20年〕3月9日開通)により生じた旧道、すなわち国道183号線高旧道について広島県が国道183号線の区域から外し、庄原市宮内町から庄原市高町にかけての国道183号線を高道路に一本化したことであった(その区域変更は2021年〔令和3年〕9月24日広島県告示第880号によりなされている)。
(コメント)
国道183号線高道路の開通は前記の通り2008年(平成20年)3月9日のことであり、旧道処分はそれから13年半も経ってからのこととなったわけであるが、実はこういうことは珍しいことではない。例えば私が住んでいる福山市では福山市加茂町中野/中野交差点以南(注86)の国道182号線(国道314号線重用)について1970年代中期から1990年代中期までの約20年間にわたって御幸・奈良津経由の旧道と神辺(かんなべ)・蔵王(ざおう)経由の新道の二つの経路が存在した。当時の福山市民の中にはなぜ神辺・蔵王経由の新道のほうが道路状況が良いのにそちらに一本化しないのだろうと思っていた方が少なくなかったのではないかと思うのだが、御幸・奈良津経由の旧道のほうが福山市中心部に通じていることや一般県道や福山市道に再編すると国土交通省から整備に関する補助が出なくなるため広島県としては国道のままにしておいたほうが都合が良かったことが考えられる(注87)。
福山市加茂町中野/中野交差点以南の国道182号線(国道314号線重用)以外にも新旧両道を長期間併存させる例は広島県内各地にあるわけであるが、国道183号線高道路の場合は歩行者・自転車・原動機付自転車の通行が禁止されているという点が他の例とは異なっていた。国道183号線高道路は自動車専用道路には指定されていないのだが、それ故にいくら交通量がほとんどなくなったとしても国道183号線高道路に相対する旧道、すなわち国道183号線高旧道は国道183号線として存続しているものと考えていた。
ではなぜ国道183号線高道路に対する旧道、すなわち国道183号線高旧道は国道183号線から外されることになったのか。広島県側は一切その理由を明かしていないのだが、自動車専用道路ではないことが理由ではないかと私は見ている。歩行者・自転車・原動機付自転車は国道183号線高道路を通れないのにそれに相対する旧道は国道183号線の区域から外すのはいかがなものかという声もあるのではないかと思うのだが、広島県の考え方を示すと次に挙げるようになるのではないのだろうか。
・国道183号線高道路は山の中を通していることや沿線には民家や事業所は一切ないことから通行を禁止している歩行者・自転車・原動機付自転車の需要はまずない。
・国道183号線は広島県と鳥取県を結ぶ数少ない広域幹線道路であること(注88)を考えると庄原市宮内町から庄原市高町にかけての国道183号線は高道路に一本化し、力を入れたほうが都合が良い。
・国道183号線は広島県が管理する国道路線であるが、いくら国土交通省から補助が出るとしても財政事情が厳しいので新旧両道を抱え続けるのは厳しい。
恐らく広島県側は国道183号線高道路が開通した頃から国道183号線高旧道の処分方法について検討し、庄原市や国道183号線高旧道の沿線地域住民との話し合いを重ねていたのだろうが、ここまでかかったのは次に挙げる事情があったからではないかと思われる。
・沿線住民が国道183号線高旧道を国道183号線の区域から外すことについて難色を示していたこと。
・国道183号線高旧道をどのように再編するのか庄原市との間で話がまとまらなかったこと。
・庄原市は中国地方で最大の行政区域面積を有する一方で人口は3万人程度しかおらず、また経済基盤も脆弱なので財政事情が厳しいこと。
旧道処分は簡単に行くものではないことがうかがえるのではないかと思うのだが、十数年間議論と検討を重ねて広島県が出した結論は意外なものになった。国道183号線高旧道は庄原市高町/高駅前交差点(信号機なし)を境として米子(よなご)方面は庄原市道に、三次方面は広島県道232号高停車場線にそれぞれ再編することになったのである。広島県道232号高停車場線の新たな終点がある庄原市宮内町に住む人が高駅を利用することは全くと言って良いほどないことを考えると現実とは逆、すなわち庄原市高町/高駅前交差点(信号機なし)を境として米子方面は広島県道232号高停車場線に、三次方面は庄原市道にそれぞれ再編したほうが良いように思うのだが、なぜ庄原市高町/高駅前交差点(信号機なし)を境として米子方面は庄原市道に、三次方面は広島県道232号高停車場線にそれぞれ再編することになったのか。私は次のように考えている。
・広島県は財政事情が厳しいために県道路線の新規認定を十数年間見送り続けていること。
・前にも記したように庄原市は中国地方で最大の行政区域面積を有する一方で人口は3万人程度しかおらず、また経済基盤も脆弱なので財政事情が厳しいこと。
・庄原市高町/高駅前交差点(信号機なし)〜宮内ランプ間の国道183号線高旧道には庄原市中心部を通らないで米子方面と庄原市南部・三次市東部を往来できる備北広域農道が分岐する庄原市高町/夜燈交差点があること。
・庄原市高町/高駅前交差点(信号機なし)から米子方面と、庄原市高町/高駅前交差点(信号機なし)から三次方面を比べた場合、交通量は後者が多いこと。
・国道183号線高旧道について広島県管理分と庄原市管理分に再編することにしたが、財政規模や人口などを考えた場合広島県の取り分を多くしたほうが好ましいこと。
・今年6月に西日本旅客鉄道(JR西日本。大阪市北区芝田二丁目)はJR芸備線のうちの新見市・庄原市通過分(備中神代〔びっちゅうこうじろ〕〜山ノ内間75.2km)についてその在り方を通過自治体や沿線住民と協議する場を設けることを表明したが、そのことから高駅の将来が分からなくなってきたこと。
今回の再編についてはいろいろな声があるところであろうが、いろいろな状況を勘案して広島県と庄原市で決めたのであろう。地域高規格道路に指定されている江府・三次道路の一部になっている国道183号線高道路の米子方面及び三次方面への延伸問題やJR芸備線の新見市・庄原市通過分の存廃問題など広島県道232号高停車場線を取り巻く環境は不透明なものが多いが、今後どのようになっていくのか、注目していきたいところである。
中国地方で32年ぶりに県道路線の異動が発生せずに終わる
(概要)
今年は中国地方各県、すなわち鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県では県道路線の異動、すなわち県道路線の認定や改称、廃止が全く発生しなかった。中国地方全県で県道路線の異動がなかったのは1989年(昭和64年/平成元年)以来32年ぶりになる。
(コメント)
岡山県・広島県で現行道路法に基づく一般県道路線の認定が実施され、中国地方全県で現行道路法に基づく道路体系が確立した1960年(昭和35年)以降の中国地方各県の県道路線の異動状況を示すと下表の通りになる。
※鳥取県の県道路線の異動はこちらで、島根県の県道路線の異動はこちらで、岡山県の県道路線の異動はこちらで、広島県の県道路線の異動はこちらで、山口県の県道路線の異動はこちらでそれぞれ紹介しているので併せてご覧頂きたい。
西暦 | 年号 | 異動の有無 (あり…○/なし…×) |
備考 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
鳥取県 | 島根県 | 岡山県 | 広島県 | 山口県 | |||
1960年 | 昭和35年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
1961年 | 昭和36年 | × | × | × | × | × | |
1962年 | 昭和37年 | ○ | × | ○ | × | × | |
1963年 | 昭和38年 | ○ | ○ | ○ | × | ○ | |
1964年 | 昭和39年 | ○ | × | × | × | × | |
1965年 | 昭和40年 | ○ | × | ○ | ○ | ○ | |
1966年 | 昭和41年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
1967年 | 昭和42年 | ○ | × | ○ | ○ | × | |
1968年 | 昭和43年 | ○ | × | ○ | ○ | ○ | |
1969年 | 昭和44年 | ○ | ○ | × | ○ | ○ | |
1970年 | 昭和45年 | × | ○ | ○ | ○ | ○ | |
1971年 | 昭和46年 | ○ | × | ○ | ○ | ○ | |
1972年 | 昭和47年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
1973年 | 昭和48年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
1974年 | 昭和49年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
1975年 | 昭和50年 | ○ | × | ○ | ○ | ○ | |
1976年 | 昭和51年 | ○ | × | ○ | ○ | ○ | |
1977年 | 昭和52年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
1978年 | 昭和53年 | × | × | ○ | ○ | ○ | |
1979年 | 昭和54年 | ○ | × | ○ | ○ | ○ | |
1980年 | 昭和55年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
1981年 | 昭和56年 | × | × | × | ○ | × | |
1982年 | 昭和57年 | ○ | ○ | ○ | ○ | × | |
1983年 | 昭和58年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
1984年 | 昭和59年 | ○ | ○ | × | × | ○ | |
1985年 | 昭和60年 | ○ | × | × | × | × | |
1986年 | 昭和61年 | × | ○ | × | ○ | × | |
1987年 | 昭和62年 | × | × | × | ○ | × | |
1988年 | 昭和63年 | ○ | ○ | ○ | × | × | |
1989年 | 昭和64年 | × | × | × | × | × | 1月1日〜7日。 |
平成元年 | × | × | × | × | × | 1月8日〜12月31日。 | |
1990年 | 平成2年 | × | × | ○ | ○ | ○ | |
1991年 | 平成3年 | ○ | ○ | × | ○ | ○ | |
1992年 | 平成4年 | ○ | × | × | × | ○ | |
1993年 | 平成5年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
1994年 | 平成6年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
1995年 | 平成7年 | ○ | ○ | ○ | × | ○ | |
1996年 | 平成8年 | × | ○ | ○ | ○ | × | |
1997年 | 平成9年 | ○ | ○ | × | ○ | ○ | |
1998年 | 平成10年 | × | ○ | × | ○ | ○ | |
1999年 | 平成11年 | × | ○ | × | ○ | × | |
2000年 | 平成12年 | ○ | ○ | × | ○ | ○ | |
2001年 | 平成13年 | ○ | ○ | × | ○ | ○ | |
2002年 | 平成14年 | ○ | ○ | ○ | × | ○ | |
2003年 | 平成15年 | ○ | ○ | × | × | ○ | |
2004年 | 平成16年 | × | ○ | × | ○ | × | |
2005年 | 平成17年 | × | ○ | × | ○ | × | |
2006年 | 平成18年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |
2007年 | 平成19年 | × | ○ | × | × | × | |
2008年 | 平成20年 | × | × | × | × | ○ | |
2009年 | 平成21年 | ○ | × | × | ○ | ○ | |
2010年 | 平成22年 | × | × | × | ○ | × | |
2011年 | 平成23年 | ○ | × | × | × | ○ | |
2012年 | 平成24年 | ○ | × | × | × | ○ | |
2013年 | 平成25年 | ○ | × | × | × | × | |
2014年 | 平成26年 | ○ | ○ | × | × | × | |
2015年 | 平成27年 | ○ | × | × | × | ○ | |
2016年 | 平成28年 | ○ | × | × | × | ○ | |
2017年 | 平成29年 | ○ | × | × | × | ○ | |
2018年 | 平成30年 | ○ | × | × | × | × | |
2019年 | 平成31年 | × | ○ | × | × | × | 1月1日〜4月30日。 |
令和元年 | × | × | × | × | × | 5月1日〜12月31日。 | |
2020年 | 令和2年 | ○ | × | × | × | ○ | |
2021年 | 令和3年 | × | × | × | × | × |
上表から1960年(昭和35年)以降で中国地方全県で県道路線の異動がなかったのは1961年(昭和36年)と1989年(昭和64年/平成元年)、そして今年となることがうかがえる。つまり1960年(昭和35年)以降で三度目の事例ということになる。
まあ本サイトは県道路線の再編を声高に主張する場ではないのだが、なぜ今年は中国地方全県で県道路線の異動が全く見られなかったのか。理由は簡単で、異動を行うだけの大義名分が存在しなかった、ただそれだけのことである。
今年もし県道路線の異動があるとすれば鳥取県と島根県が考えられた。鳥取県は2006年(平成18年)に県道路線の整理を行うことを公表し、これまでにいくつかの県道路線を廃止している(注89)し、島根県はJR三江(さんこう)線(1930〜2018)の全線廃止(2018年〔平成30年〕4月1日)に伴い存在意義が消滅した県道路線(注90)の廃止(通過自治体への移管)または路線再編が考えられたからである。しかし鳥取県も島根県も今年県議会で県道路線の異動に関する議案を提出することは遂になかった。考えられる理由を挙げると次の通りになる。
・そもそも県道路線を異動させる必要がなかったこと。
・通過自治体の理解を得られないでいること。
・新型コロナウィルス感染症の世界的な流行でその対応に追われていること。
・急いで実施する問題ではないこと。
・県道路線廃止→通過自治体への移管は通過自治体に負担を強いる行為であり、現状では慎んだほうが良いという声が高まったこと。
・標識の新調などである程度の費用がかかるため今はしないほうが良いという判断に傾いたこと。
議案として出すには時期が適切ではなかったというところなのだろうが、記すまでもなく来年以降も現状維持ということはないであろう。鳥取県は県道路線整理政策をやめるとは宣言していないし、島根県はいつまでも存在意義が消滅した県道路線を放置することはしないだろう(注91)。2010年代について見ると鳥取県に次いで県道路線の異動が多く(注92)、中国地方における令和時代の県道路線異動第一号となった路線が存在する山口県(注93)は2020年代も同じような姿勢を貫くだろうし、10年以上県道路線の異動が途絶えている岡山県と広島県(注94)も今後も一切行わないということはまずないだろう。どのように推移していくのか、今後も注目していきたいと思う。
中国地方にまつわる、知名度のあまり高くない10個の今年の出来事をここまで紹介してきたわけであるが、果たして来年、すなわち2022年(令和4年)はどのようなことが起きるのだろうか。公開頻度の低いこの企画であるが、来年もいろいろなことに注目し、紹介していきたいと思う。
注釈コーナー
注1:その傾向は日本シリーズに出場した監督全員に範囲を拡大しても変わらない。日本シリーズに出場した監督の出身地別一覧表を示すと下表の通りになるのだが、何と50人中31人までが西日本地域出身者になっているのである。
(下表をご覧頂くに当たっての注意)
・出身地は出生時点で住んでいたところとしている。
・出身地は日本国内の場合は都道府県名で、外国の場合は国名でそれぞれ記載している。
・生没年欄と出場年欄は西暦表示とし、年を省いている。
出身地 | 監督名 | 生没年 | 球団名 | 出場年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
北海道 (1人) |
若松 勉 | 1947〜 | ヤクルトスワローズ | 2001 | 2001年(平成13年)に日本シリーズを制している。 |
秋田県 (2人) |
落合 博満 | 1953〜 | 中日ドラゴンズ | 2004 2006〜2007 2010〜2011 |
2007年(平成19年)に日本シリーズを制している。 |
中嶋 聡 | 1969〜 | オリックス・バファローズ | 2021 | ||
栃木県 (1人) |
真中 満 | 1971〜 | 東京ヤクルトスワローズ | 2015 | |
群馬県 (1人) |
渡辺 久信 | 1965〜 | 埼玉西武ライオンズ | 2008 | 2008年(平成20年)に日本シリーズを制している。 |
千葉県 (2人) |
長嶋 茂雄 | 1936〜 | 読売ジャイアンツ | 1976〜1977 1994 1996 2000 |
1994年(平成6年)と2000年(平成12年)に日本シリーズを制している。 |
和田 豊 | 1962〜 | 阪神タイガース | 2014 | ||
東京都 (3人) |
王 貞治 | 1940〜 | 読売ジャイアンツ | 1987 | 1999年(平成11年)と2003年(平成15年)に日本シリーズを制している。 |
福岡ダイエーホークス | 1999〜2000 2003 |
||||
栗山 英樹 | 1961〜 | 北海道日本ハムファイターズ | 2012 2016 |
2016年(平成28年)に日本シリーズを制している。 | |
小西 得郎 | 1896〜1977 | 松竹ロビンス | 1950 | ||
神奈川県 (1人) |
大沢 啓二 | 1932〜2010 | 日本ハムファイターズ | 1981 | |
岐阜県 (1人) |
森 祇晶 | 1937〜 | 西武ライオンズ | 1986〜1988 1990〜1994 |
「森祇晶」は「もり・まさあき」と読む。 1986〜1988年(昭和61〜63年)と1990〜1992年(平成2〜4年)に日本シリーズを制している。 |
愛知県 (3人) |
金田 正一 | 1933〜2019 | ロッテオリオンズ | 1974 | 1974年(昭和49年)に日本シリーズを制している。 |
工藤 公康 | 1963〜 | 福岡ソフトバンクホークス | 2015 2017〜2020 |
2015年(平成27年)と2017〜2020年(平成29年〜令和2年)に日本シリーズを制している。 | |
近藤 貞雄 | 1925〜2006 | 中日ドラゴンズ | 1982 | ||
京都府 (2人) |
野村 克也 | 1935〜2020 | 南海ホークス | 1973 | 1993年(平成5年)と1995年(平成7年)、1997年(平成9年)に日本シリーズを制している。 |
ヤクルトスワローズ | 1992〜1993 1995 1997 |
||||
吉田 義男 | 1933〜 | 阪神タイガース | 1985 | 1985年(昭和60年)に日本シリーズを制している。 | |
大阪府 (1人) |
岡田 彰布 | 1957〜 | 阪神タイガース | 2005 | |
兵庫県 (1人) |
天知 俊一 | 1903〜1976 | 中日ドラゴンズ | 1954 | 1954年(昭和29年)に日本シリーズを制している。 |
和歌山県 (2人) |
西本 幸雄 | 1920〜2011 | 大毎オリオンズ | 1960 | |
阪急ブレーブス | 1967〜1969 1971〜1972 |
||||
近鉄バファローズ | 1989〜1980 | ||||
東尾 修 | 1950〜 | 西武ライオンズ | 1997〜1998 | ||
鳥取県 (1人) |
湯浅 禎夫 | 1902〜1958 | 毎日オリオンズ | 1950 | 「湯浅禎夫」は「ゆあさ・よしお」と読む。 1950年(昭和25年)に日本シリーズを制している。 |
島根県 (1人) |
梨田 昌孝 | 1953〜 | 大阪近鉄バファローズ | 2001 | |
北海道日本ハムファイターズ | 2009 | ||||
岡山県 (1人) |
星野 仙一 | 1947〜2018 | 中日ドラゴンズ | 1988 1999 |
2013年(平成25年)に日本シリーズを制している。 |
阪神タイガース | 2003 | ||||
東北楽天ゴールデンイーグルス | 2013 | ||||
広島県 (6人) |
伊原 春樹 | 1949〜 | 西武ライオンズ | 2002 | |
高津 臣吾 | 1968〜 | 東京ヤクルトスワローズ | 2021 | 2021年(令和3年)に日本シリーズを制している。 | |
鶴岡 一人 (山本 一人) |
1916〜2000 | 南海ホークス | 1951〜1953 1955 1959 1961 1964〜1966 |
「山本一人」は1946〜1958年(昭和21〜33年)に用いていた登録名。 1959年(昭和34年)と1964年(昭和39年)に日本シリーズを制している。 |
|
濃人 渉 | 1915〜1990 | ロッテオリオンズ | 1970 | ||
広岡 達朗 | 1932〜 | ヤクルトスワローズ | 1978 | 1978年(昭和53年)と1982〜1983年(昭和57〜58年)に日本シリーズを制している。 | |
西武ライオンズ | 1982〜1983 1985 |
||||
山本 浩二 | 1946〜 | 広島東洋カープ | 1991 | ||
徳島県 (1人) |
上田 利治 | 1937〜2017 | 阪急ブレーブス | 1975〜1978 1984 |
1975〜1977年(昭和50〜52年)に日本シリーズを制している。 |
香川県 (3人) |
中西 太 | 1933〜 | 西鉄ライオンズ | 1963 | |
水原 茂 (水原 円裕) |
1909〜1982 | 読売ジャイアンツ | 1951〜1953 1955〜1959 |
「水原円裕」は1955〜1959年(昭和30〜34年)に用いていた登録名であり、「みずはら・のぶしげ」と読む。 1951〜1953年(昭和26〜28年)と1955年(昭和30年)、1962年(昭和37年)に日本シリーズを制している。 |
|
東映フライヤーズ | 1962 | ||||
三原 脩 | 1911〜1984 | 西鉄ライオンズ | 1954 1956〜1958 |
初めてセントラルリーグ所属球団・パシフィックリーグ所属球団双方で日本シリーズを制した監督である。 1956〜1958年(昭和31〜33年)と1960年(昭和35年)に日本シリーズを制している。 |
|
大洋ホエールズ | 1960 | ||||
愛媛県 (2人) |
藤田 元司 | 1931〜2006 | 読売ジャイアンツ | 1981 1983 1989〜1990 |
1981年(昭和56年)と1989年(平成元年)に日本シリーズを制している。 |
藤本 定義 | 1904〜1981 | 阪神タイガース | 1962 1964 |
||
福岡県 (2人) |
仰木 彬 | 1935〜2005 | オリックス・ブルーウェーブ | 1989 1995〜1996 |
「仰木彬」は「おおぎ・あきら」と読む。 1996年(平成8年)に日本シリーズを制している。 |
原 辰徳 | 1958〜 | 読売ジャイアンツ | 2002 2008〜2009 2012〜2013 2019〜2020 |
小学生時代に神奈川県に転居し、神奈川県内の私立高校を卒業している。 2002年(平成14年)と2009年(平成21年)、2012年(平成24年)に日本シリーズを制している。 |
|
佐賀県 (2人) |
緒方 孝市 | 1968〜 | 広島東洋カープ | 2016 2018 |
|
権藤 博 | 1938〜 | 横浜ベイスターズ | 1998 | 1998年(平成10年)に日本シリーズを制している。 | |
熊本県 (4人) |
秋山 幸二 | 1962〜 | 福岡ソフトバンクホークス | 2011 2014 |
2011年(平成23年)と2014年(平成26年)に日本シリーズを制している。 |
伊東 勤 | 1962〜 | 西武ライオンズ | 2004 | 2004年(平成16年)に日本シリーズを制している。 | |
川上 哲治 | 1920〜2013 | 読売ジャイアンツ | 1961 1963 1965〜1973 |
1961年(昭和36年)と1963年(昭和38年)、1965〜1973年(昭和40〜48年)に日本シリーズを制している。 | |
古葉 竹識 | 1936〜2021 | 広島東洋カープ | 1975 1979〜1980 1984 |
「古葉竹識」は「こば・たけし」と読む。 1979〜1980年(昭和54〜55年)と1984年(昭和59年)に日本シリーズを制している。 |
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大分県 (1人) |
阿南 準郎 | 1937〜 | 広島東洋カープ | 1986 | |
宮崎県 (1人) |
西村 徳文 | 1960〜 | 千葉ロッテマリーンズ | 2010 | 2010年(平成22年)に日本シリーズを制している。 |
アメリカ合衆国 (3人) |
トレイ・ ヒルマン |
1963〜 | 北海道日本ハムファイターズ | 2006〜2007 | 2006年(平成18年)に日本シリーズを制している。 |
ボビー・ バレンタイン |
1950〜 | 千葉ロッテマリーンズ | 2005 | 2005年(平成17年)に日本シリーズを制している。 | |
与那嶺 要 | 1925〜2011 | 中日ドラゴンズ | 1974 | 日本人の名前だがハワイ移民日系2世である(姓名からうかがえるかもしれないのだが父親は沖縄県出身。ちなみに母親は広島県出身だったという)。 | |
ヴェネズエラ・ ボリバル共和国 (1人) |
アレックス・ ラミレス |
1974〜 | 横浜DeNAベイスターズ | 2017 |
(参考資料:上表において現存しない球団の現状一覧表)
リーグ名 | 現存しない球団名 | 現在の球団名 | 備考 |
---|---|---|---|
セントラル | 松竹ロビンス | (消滅) | 1953年(昭和28年)に大洋ホエールズと統合して大洋松竹(たいようしょうちく)ロビンスに移行。しかし松竹(しょうちく。東京都中央区築地四丁目)が1954年(昭和29年)に経営から撤退したため結果的に大洋ホエールズに吸収合併された格好になった。そのような事情から松竹ロビンスの歴史は横浜DeNAベイスターズの球団史においては傍系扱いとなっている。 |
大洋ホエールズ | 横浜DeNAベイスターズ | 1978年(昭和53年)に横浜大洋ホエールズに、1993年(平成5年)に横浜ベイスターズに、2012年(平成24年)に横浜DeNAベイスターズにそれぞれ改称。 | |
横浜ベイスターズ | |||
ヤクルトスワローズ | 東京ヤクルトスワローズ | 2006年(平成18年)に東京ヤクルトスワローズに改称。 | |
パシフィック | 近鉄バファローズ | (消滅) | 1999年(平成11年)に大阪近鉄バファローズに改称。 2005年(平成17年)にオリックス・ブルーウェーブと統合してオリックス・バファローズに移行。愛称こそ統合後の球団に継承されているがオリックス・ブルーウェーブに吸収合併された格好になったため近鉄バファローズ→大阪近鉄バファローズの歴史はオリックス・バファローズの球団史においては傍系扱いとなっている。 |
大阪近鉄バファローズ | |||
東映フライヤーズ | 北海道日本ハムファイターズ | 1973年(昭和48年)に日拓ホームフライヤーズに、1974年(昭和49年)に日本ハムファイターズに、2004年(平成16年)に北海道日本ハムファイターズにそれぞれ改称。 | |
日本ハムファイターズ | |||
南海ホークス | 福岡ソフトバンクホークス | 1989年(平成元年)に福岡ダイエーホークスに、2005年(平成17年)に福岡ソフトバンクホークスにそれぞれ改称。 | |
福岡ダイエーホークス | |||
西鉄ライオンズ | 埼玉西武ライオンズ | 1973年(昭和48年)に太平洋クラブライオンズに、1977年(昭和52年)にクラウンライターライオンズに、1979年(昭和54年)に西武ライオンズに、2008年(平成20年)に埼玉西武ライオンズにそれぞれ改称。 | |
西武ライオンズ | |||
阪急ブレーブス | オリックス・バファローズ | 1989年(平成元年)にオリックス・ブレーブスに、1991年(平成3年)にオリックス・ブルーウェーブに、2005年(平成17年)にオリックス・バファローズにそれぞれ改称。 | |
オリックス・ブルーウェーブ | |||
毎日オリオンズ | 千葉ロッテマリーンズ | 1958年(昭和33年)に毎日大映オリオンズに、1964年(昭和39年)に東京オリオンズに、1969年(昭和44年)にロッテオリオンズに、1992年(平成4年)に千葉ロッテマリーンズにそれぞれ改称。 | |
ロッテオリオンズ |
更に驚いたのは日本シリーズに出場した監督の出身地で最も多かったのは広島県だったこと(6人)である。しかも6人中5人までが広島市及びその周辺出身者であり(高津臣吾・濃人渉・山本浩二は広島市、鶴岡一人〔=山本一人〕と広岡達朗は呉市)、それ以外の地域の出身者は府中市出身の伊原春樹だけである。確かに広島県の高校野球事情を考えると広島市及びその周辺にある学校の選抜高等学校野球大会・全国高等学校野球選手権大会への出場が多く、それ以外の地域にある学校の出場が少ない(下表参照)。やはり高校野球事情がこの結果にも反映されているのではないのだろうか。
※学校名及び所在地は2021年(令和3年)12月31日時点のものを記している。
市町村名 | 学校名 | 出場回数 | 状況 | |
---|---|---|---|---|
選抜高等学校 野球大会 |
全国高等学校 野球選手権大会 |
|||
広島市 | 広島県立高陽東 (安佐北区落合南八丁目) |
1 | ||
広島県立広島観音 (西区南観音町) |
1 | |||
広島県立広島工業 (南区出汐二丁目) |
5 | |||
広島県立広島商業 (中区舟入南六丁目) |
20 | 選抜高等学校野球大会では1931年(昭和6年)に、全国高等学校野球選手権大会それぞれ優勝している。 | ||
広陵 (安佐南区伴東三丁目) |
24 | 選抜高等学校野球大会では1926年(大正15年)・1991年(平成3年)・2003年(平成15年)に優勝している。 | ||
崇徳 (西区楠木町四丁目) |
3 | 選抜高等学校野球大会では1976年(昭和51年)に優勝している。 | ||
広島県瀬戸内 (東区尾長西二丁目) |
3 | |||
尾道市 | 広島県立尾道商業 (古浜町) |
6 | ||
呉市 | 広島県立呉三津田 (山手一丁目) |
1 | ||
呉市立呉 (呉市阿賀中央五丁目) |
2 | |||
呉港 (広大新開三丁目) |
5 | |||
東広島市 | 広島県立西条農業 (鏡山三丁目) |
1 | ||
福山市 | 近畿大学附属広島・ 福山校 (佐波町) |
1 | 正式名称は近畿大学附属広島高等学校福山校。 | |
府中市 | 広島県立府中東 (土生町) |
1 | ||
三原市 | 広島県立総合技術 (本郷南五丁目) |
1 | ||
如水館 (深町) |
1 | |||
山県郡北広島町 | 広島新庄 (新庄) |
2 |
注2:これまで92回開催されている選抜高等学校野球大会では優勝校92校中55校が、これまで100回開催されている全国高等学校野球選手権大会では優勝校100校中62校がそれぞれ西日本地域にある学校になっている。
注3:これまでの中国地方出身の監督が率いるプロ野球球団が出場した日本シリーズにおける注目点と主な出来事などは下表の通りとなる。
年 | 出場球団 | 状況 | |
---|---|---|---|
セントラルリーグ側 | パシフィックリーグ側 | ||
1950年 (昭和25年) |
松竹ロビンス | 毎日オリオンズ | ・史上初の日本シリーズ。 ・毎日オリオンズの湯浅禎夫(ゆあさ・よしお)監督が米子市出身。 |
1951年 (昭和26年) |
読売ジャイアンツ | 南海ホークス | ・3年続けて読売ジャイアンツと南海ホークスの決戦となった。 ・ |
1952年 (昭和27年) |
|||
1953年 (昭和28年) |
|||
・ | |||
日本放送協会 | ・ | ||
・ | |||
2013年 (平成25年) |
読売ジャイアンツ | 東北楽天ゴールデンイーグルス | ・東北楽天ゴールデンイーグルスとしては初の日本シリーズ出場となった。 ・東北楽天ゴールデンイーグルスを率いていた星野仙一監督が倉敷市出身。 |
注4:オリックス・バファローズと東京ヤクルトスワローズは1978年(昭和53年)と1995年(平成7年)の二度対戦している(1978年〔昭和53年〕時点の球団名で記せば阪急ブレーブス対ヤクルトスワローズ戦、1995年〔平成7年〕時点の球団名で記せばオリックス・ブルーウェーブ対ヤクルトスワローズ戦となる)。しかし、1978年(昭和53年)の対戦では3勝4敗で、1995年(平成7年)の対戦では1勝4敗でそれぞれ敗退している。
注5:オリックス・バファローズは前身球団を含めて日本シリーズではこれまで東京ヤクルトスワローズと広島東洋カープ、読売ジャイアンツの3球団としか対戦していない(つまり現在までに中日ドラゴンズ・阪神タイガース・横浜DeNAベイスターズとの対戦は実現していないということ)。本文や注6で触れた通り東京ヤクルトスワローズ戦では日本シリーズを制せないままになっているが、広島東洋カープ戦では1975年(昭和50年)に、読売ジャイアンツ戦では1976〜1977年(昭和51〜52年)にそれぞれ日本シリーズを制している。
※今記したことからもうかがえると思うのだがもし1978年(昭和53年)に阪急ブレーブスがヤクルトスワローズを破って日本シリーズを制した場合、パシフィックリーグ所属球団による初めての日本シリーズ4連覇が実現することになっていた(初めてパシフィックリーズ所属球団が日本シリーズ4連覇を成し遂げたのは福岡ソフトバンクホークスとなるのだがそれが実現したのは40年以上後の2020年〔令和2年〕のことであった)。それを阻んだのが初めてセントラルリーグを制して日本シリーズ進出を決めたヤクルトスワローズだったというわけである。ちなみに東京ヤクルトスワローズのリーグ制覇はセントラルリーグに属する球団では最も遅かったのだが、日本シリーズ制覇は阪神タイガース(1985年〔昭和60年〕に達成)や広島東洋カープ(1979年〔昭和54年〕に達成)よりも先に実現することになった。
注6:セントラルリーグ側出場球団の日本シリーズ連覇は広島東洋カープと読売ジャイアンツしか成し遂げていない。広島東洋カープは1979〜1980年(昭和54〜55年)に、読売ジャイアンツは1951〜1953年(昭和26〜28年)と1965〜1973年(昭和40〜48年)にそれぞれ達成しているのだが、広島東洋カープの日本シリーズ連覇を最後に40年以上セントラルリーグ側出場球団の日本シリーズ連覇は出ていない。
注7:中国地方出身の広島東洋カープ監督が初めてAクラス入りを成し遂げたのは山本浩二監督の一年目となる1989年(平成元年)のことであり、中国地方出身の広島東洋カープ監督が初めてリーグ優勝を成し遂げたのは山本監督の三年目となる1991年(平成3年)のことである。ちなみに山本浩二は現在に至るまで中国地方出身の広島東洋カープ監督で唯一リーグ優勝を成し遂げた監督にもなっている(他の広島東洋カープで優勝を成し遂げた監督、すなわち古葉竹識〔こば・たけし。1936〜2021〕と阿南準郎、緒方孝市はいずれも九州地方出身である)。
(参考資料:広島カープ〔1950〜1967〕→広島東洋カープ〔1968〜〕の監督一覧表)
※同じ人物が二度以上就任した場合はその都度立項している。
※出身地は出生時点で住んでいたところとしている。
※出身地は日本国内の場合は都道府県名で、外国の場合は国名でそれぞれ記載している。
※生没年欄と出場年欄、Aクラス(3位以上)になった年欄は西暦表示とし、年を省いている。
代 | 氏名 | 出身地 | 生没年 | 在任期間 | Aクラス (3位以上)に なった年 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 石本 秀一 | 1950〜1953 | ― | |||
2 | 白石 勝巳 (第一期) |
― | ||||
3 | 門前 真佐人 | ― | ||||
4 | 白石 勝巳 (第二期) |
― | ||||
5 | 長谷川 良平 | ― | ||||
6 | 根本 陸夫 | 1968 | ||||
7 | 森永 勝也 (第一期) |
― | ||||
8 | 別当 薫 | ― | ||||
9 | 森永 勝也 (第二期) |
― | ||||
10 | ジョー・ルーツ | ― | ||||
11 | 古葉 竹識 | 1975〜1976 1978〜1981 1983〜1985 |
||||
12 | 阿南 準郎 | 1986〜1988 | ||||
13 | 山本 浩二 (第一期) |
1989〜1991 | ||||
14 | 三村 敏之 | 1994〜1997 | ||||
15 | 達川 晃豊 | ― | ||||
16 | 山本 浩二 (第二期) |
― | ||||
17 | マーティー・ ブラウン |
― | ||||
18 | 野村 謙二郎 | 2013〜2014 | ||||
19 | 緒方 孝市 | 2016〜2018 | ||||
20 | 佐々岡 真司 | ― |
注8:この他鳥取市が運営主体になっている大学もあるのだがその大学、すなわち鳥取環境大学(鳥取市若葉台北一丁目)は鳥取県も運営主体に参加しているため表には含めていない。
注9:その状況は次の通りである。
・周南市から北方に延びる鉄道路線は全く建設されなかったこと。
・周南市を起終点とし、北方に延びる国道路線は1970年(昭和45年)まで発足しなかったこと。
・周南市を起終点とし、北方に延びる国道路線で整備が終わっているのは山口県を横断して萩市須佐地区に至る国道315号線だけであること。
・周南市富田(とんだ)地区を起点とする国道489号線は中国山地の中にある山口市阿東地区で終点となっており、陰陽連絡国道路線になり得なかったこと。
注10:中国地方で県庁所在地以外の都市に本社を置いている都道府県域民間放送局は山陰放送(BSS、米子〔よなご〕市西福原一丁目)と山口放送だけである。山陰放送は1954年(昭和29年)3月1日に、山口放送は1956年(昭和31年)10月1日にそれぞれ開局しているので山口放送が現在のところ中国地方で県庁所在地以外の都市に本社を置いた最後の都道府県域民間放送局となっている。
なお、山口県の県庁所在地・山口市に本社を置いた最初の都道府県域民間放送局はテレビ山口(TYS、山口市大内千坊六丁目)である(1970年〔昭和45年〕4月1日開局)。
注11:山口県にある地方銀行は西京銀行と山口銀行(下関市竹崎町四丁目)の二つである。西京銀行は周南市に、山口銀行は下関市にそれぞれ本店を置いているので山口県の県庁所在地・山口市に本店を置いている地方銀行は全くないことになる。
ちなみに地方銀行の本店のない都道府県庁所在地がある都道府県は山口県だけである。
注12:山口県で「さくら」号・「のぞみ」号双方が停車する駅は他にJR山陽新幹線・山陽本線・宇部線・山口線新山口駅(山口市小郡令和一丁目)がある。この新山口駅も停車する「さくら」号・「のぞみ」号は一部にとどまっている。
注13:山口県に中核都市が形成されなかった理由を挙げると次の通りになる。
・県庁が幹線筋(JR山陽新幹線・JR山陽本線・山陽自動車道・国道2号線を指す)から外れた山口市中心部に置かれたこと。
・幹線筋にある平野部への人口集積が遅れたこと。
・第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)に山口市が行った小郡平野にある自治体、すなわち吉敷(よしき)郡阿知須・小郡両町及び秋穂二島(あいおふたじま)・嘉川・佐山・陶・名田島各村との統合は民意を経なかった強制合併であるとして第二次世界大戦後吉敷郡阿知須・小郡両町及び秋穂二島・嘉川・佐山・陶・名田島各村が山口市から分離し、吉南市を発足させようという動きが起きたことがあるが、足並みが揃わず、吉敷郡阿知須・小郡両町の山口市からの分離だけに終わったこと。
・吉敷郡阿知須・小郡両町が分離した後も山口市は小郡平野に市域を有し続けていたが、大規模工場を進出させるなどして南部地区の振興を図ろうとしなかったこと。
・山口市は何の犠牲も払おうとせずに吉敷郡小郡町(1901〜1944/1949〜2005)が分離した後も長らく吉敷郡小郡町との合併を進めようとしたこと。
・山口県の中心都市の中心部を吉敷郡小郡町改め山口市小郡地区に置くことについて山口市中心部では中心部が寂れるなどとして反対する声が多かったこと(山口市が南部地域の振興を図らなかったのはそのことも一因ではないかと思われる)。
もし吉敷郡阿知須・小郡両町とともに吉敷郡秋穂二島・嘉川・佐山・陶・名田島各村も山口市から分離し、周辺にある吉敷郡秋穂(あいお)町(1940〜2005)及び鋳銭司(すぜんじ)村(1889〜1956)と合併して吉南市を発足させていたら、吉南市が発展して山口市と統合し、改めて山口市が発足していたら、山口市が南部地区の振興を図っていたら現在の山口市は現在の倉敷市や福山市と同じくらいの人口になっていたのでは…とか平成の大合併では宇部市や防府市を巻き込んで政令指定都市移行を目指していたのでは…とか山口県ではフジテレビ系列に属する都道府県域民間テレビ放送局も開局し、都道府県域民間テレビ放送局4局体制が実現していたのでは…と考えたくなるのだが、結局は山口県全体の発展という大局的観点で物事を考えなかったことがいけなかったというところであろうか。
注14:もし下松・新南陽・徳山・光各市と熊毛郡熊毛・田布施・大和各町、都濃郡鹿野町が合併し、その他の山口県で史実通りの市町村合併が行われた場合、下松・新南陽・徳山・光各市と熊毛郡熊毛・田布施・大和各町、都濃郡鹿野町が統合して発足した自治体は面積こそ山口市(2021年〔令和3年〕10月1日現在の全国都道府県市区町村別面積調によると1,023.23平方キロメートル)を下回るが、人口は下関市(2020年〔令和2年〕10月1日実施の国勢調査によると25万5,051人)を上回り、山口県史上初めて下関市の人口を上回る都市が誕生することになっていた。
注15:周南合併構想が成就しなかった理由を挙げると次の通りになる。
・市外局番が0820(柳井地域。熊毛郡田布施・大和両町)・0833(下松地域。下松・光両市及び熊毛郡熊毛町)・0834(徳山地域。新南陽・徳山両市及び都濃郡鹿野町)と三つに分かれており、その点で一体であるとは言い難かったこと。
・下松・新南陽・徳山・光各市と熊毛郡熊毛・田布施・大和各町、都濃郡鹿野町が合併して発足する都市の中心部は徳山市中心部になる可能性が高いが、その他の自治体の中心部は中枢機能を失うため衰退する恐れが高くなること。
・合併により発足した自治体は多くの場合選択と集中で費用対効果が見込めるところに力を入れる傾向があるためそれを外れる恐れの高い地域では不快感を抱くようになったこと。
・合併構想に参加した新自治体中心部から外れる都市、すなわち下松・新南陽・光各市はいずれも工業を主力として発展した都市であり、そのことに対する矜持は強いものがあったこと。
・合併構想に参加した新自治体中心部から外れる都市、すなわち下松・新南陽・光各市はいずれも工業を主力として発展した都市であり、財政事情も良好だったこと。
・下松市は大型商業施設が進出するなどして発展したため合併論議にだんだん消極的になっていったこと。
・光市及び熊毛郡田布施・大和両町は周南市から離れており、徳山市などと同じ自治体になることに違和感を抱くようになったこと。
・熊毛郡田布施町は徳山市や光市よりも柳井市のほうが近く、そのことを考えれば合併構想に参加させるのは無理があったこと。
・合併の目的が山口県には存在しないとされる中核都市を作ることであったが、地形的に恵まれているとは言えないことや山口県でも影響力が高いとは言えない地域がいくつもあること、県庁を山口市から移転させることは不可能なことなどを考えれば無理があった感が否めないこと。
・合併して規模の大きな都市を作るという短期的な目的しかなく、将来はどのようにしたいのかというような具体的な構想が全く示されなかったこと。
・市民の声をしっかり聴こうとせず、政財界の考えで合併を推進しようとしたこと。
最近周南市で唯一市外局番が異なり、なおかつ周南警察署(周南市徳山)の管轄区域にもなっていない周南市熊毛地区で合併により地域が衰退したとして周南市から独立しようという運動を地域住民が起こしたという話が中国新聞朝刊で報じられたのだが、このような話を聞いて感じるのは結局市町村合併は本当にやって良かったことなのだろうかということである。自分が住んでいる福山市でも平成の大合併で編入された地域では学校の統廃合が推進され、中でも島嶼(とうしょ)のみで構成されている沼隈郡内海(うつみ)町(1955〜2003)改め福山市内海地区では来春地区内にある小学校2校・中学校1校が対岸(本土)にある小学校・中学校と統合され、地区内から学校がなくなることが最近決定したのだが、過疎化や少子化という事情があったとはいえ果たしてこれは我々が望んだ結果と言えるのであろうか。だから私は平成の大合併における福山市の周辺自治体の編入に関しては都市としての多様さを増したことと40万都市の仲間入りを果たしたことしか評価していない。
注16:山口県における平成の大合併の状況は下表の通りである。
※合併により発足した自治体(統合による再発足を含む)については赤太字で記載している。
年 | 月日 | 異動内容 | 市区郡町村数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2003年 (平成15年) |
4月20日 | ― | 14市11郡37町5村 | 山口県で平成の大合併が始まる前の状態。山口県では1978年(昭和53年)4月1日に大津郡日置(へき)村(1889〜1978)が町制施行して大津郡日置町(1978〜2005)に移行したのを最後に市区郡町村の異動はなかった。 |
4月21日 | 新南陽市・徳山市・熊毛郡熊毛町・都濃郡鹿野町が統合して周南市が発足する。 | 13市10郡35町5村 | この異動をもって都濃郡が所属町村がなくなったことにより消滅した。 | |
2004年 (平成16年) |
10月1日 | 大島郡大島・久賀・橘・東和各町が統合して大島郡周防大島(すおうおおしま)町が発足する。 | 13市10郡32町5村 | |
10月4日 | 光市と熊毛郡大和町が統合して改めて光市が発足する。 | 13市10郡31町5村 | ||
11月1日 | 宇部市が厚狭(あさ)郡楠(くすのき)町を編入する。 | 13市10郡30町5村 | ||
2005年 (平成17年) |
2月13日 | 下関市と豊浦郡菊川・豊浦・豊田・豊北各町が統合して改めて下関市が発足する。 | 13市9郡26町5村 | この異動をもって豊浦郡が所属町村がなくなったことにより消滅した。 |
2月21日 | 柳井市と玖珂郡大畠町が統合して改めて柳井市が発足する。 | 13市9郡25町5村 | ||
3月6日 | 萩市と阿武郡須佐・田万川(たまがわ)両町及び旭・川上・福栄・むつみ各村が統合して改めて萩市が発足する。 | 13市9郡23町1村 | ||
3月22日 | 小野田市と厚狭郡山陽町が統合して山陽小野田市が発足する。 | 13市8郡22町1村 | この異動をもって厚狭郡が所属町村がなくなったことにより消滅した。 | |
長門(ながと)市と大津郡日置・三隅・油谷(ゆや)各町が統合して改めて長門市が発足する。 | 13市7郡19町1村 | この異動をもって大津郡が所属町村がなくなったことにより消滅した。 | ||
10月1日 | 山口市と佐波郡徳地町、吉敷郡秋穂・阿知須・小郡各町が統合して改めて山口市が発足する。 | 13市5郡15町1村 | この異動をもって佐波・吉敷両郡が所属町村がなくなったことにより消滅した。 | |
2006年 (平成18年) |
3月20日 | 岩国市と玖珂郡玖珂・周東・錦・美川・美和・由宇各町及び本郷村が統合して改めて岩国市が発足する。 | 13市5郡9町 | この異動をもって山口県から自治体としての村が消滅した。 |
2008年 (平成20年) |
3月21日 | 美祢(みね)市と美祢郡秋芳・美東両町が統合して改めて美祢市が発足する。 | 13市4郡7町 | この異動をもって美祢郡が所属町村がなくなったことにより消滅した。 |
2010年 (平成22年) |
1月16日 | 山口市が阿武郡阿東町を編入する。 | 13市4郡6町 |
注17:山口県東部には短期大学は岩国短期大学(岩国市尾津町二丁目)しかない。
注18:下関市立大学の地元の高校生を対象にした推薦入試の対象校は下表に示した山陽小野田・下関両市にある高等学校となっている。
市名 | 学校名・所在地 | 備考 |
---|---|---|
山陽小野田市 (4校) |
山口県立厚狭高等学校 (厚狭/郡) |
校地は山陽小野田市厚狭と山陽小野田市郡に分かれており、厚狭にある校地は北校舎、郡にある校地は南校舎とそれぞれ呼称されている。 北校舎には全日制普通科が、南校舎には全日制総合家庭科と定時制商業科がそれぞれ設置されている。 |
山口県立小野田高等学校 (くし山一丁目) |
所在地の「くし山」の「くし」は正式には漢字表記である(手へん+帝)が、機種依存文字になるため平仮名表記にしている。なお、漢字表記の「くし山」は山陽小野田市公式サイト(それはこちら)や一部の市販の道路地図で見ることができる。 | |
山口県立小野田工業高等学校 (中央二丁目) |
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サビエル高等学校 (くし山三丁目) |
所在地の「くし山」の「くし」は正式には漢字表記である(手へん+帝)が、機種依存文字になるため平仮名表記にしている。なお、漢字表記の「くし山」は山陽小野田市公式サイト(それはこちら)や一部の市販の道路地図で見ることができる。 かつては女子校だったが2002年(平成14年)に共学校化した。 |
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下関市 (15校) |
山口県立下関北高等学校 (豊北町滝部) |
2018年(平成30年)に山口県立響・豊北(ほうほく)両高等学校を統合し、山口県立豊北高等学校(下関市豊北町滝部。1956〜2020)の校地で開校した高等学校。 |
山口県立下関工科高等学校 (富任町四丁目) |
2016年(平成28年)に山口県立下関工業・下関中央工業両高等学校を統合し、山口県立下関工業高等学校(下関市富任〔とみとう〕町四丁目。1964〜2018)の校地で開校した高等学校。 実は山口県立下関工業・下関中央工業両高等学校は1954年(昭和29年)までは一つの学校(初代山口県立下関工業高等学校〔下関市後田町四丁目。1949〜1954〕)だったので62年ぶりに一つの学校に戻ったことになった。 ※初代山口県立下関工業高等学校はその後山口県立幡生(はたぶ)工業高等学校(下関市後田町四丁目。1954〜1965)→山口県立下関中央工業高等学校(下関市後田町四丁目。1965〜2018)と変遷。一方初代山口県立下関工業高等学校から分離して発足した学校は山口県立安岡工業高等学校(下関市富任町四丁目。1954〜1964)→二代目山口県立下関工業高等学校と変遷している。 |
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山口県立下関双葉高等学校 (後田町四丁目) |
2019年(平成31年)に山口県立下関工科・下関西両高等学校及び下関商業高等学校(下関市後田町四丁目)の定時制を再編して山口県立下関中央工業高等学校の校地で開校した定時制高等学校。 | |
山口県立下関西高等学校 (後田町四丁目) |
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山口県立下関南高等学校 (後田町一丁目) |
かつては女子校だったが2003年(平成15年)に共学校化した。 | |
山口県立長府高等学校 (長府亀の甲二丁目) |
かつては女子校だったが2003年(平成15年)に共学校化した。 | |
山口県立豊浦高等学校 (長府宮崎町) |
「豊浦」は「とようら」ではなく「とよら」と読む。 かつては男子校だったが2003年(平成15年)に共学校化した。 |
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山口県立田部高等学校 (菊川町田部) |
平成の大合併で下関市と統合した豊浦郡域(菊川・豊浦・豊田・豊北各町)にある高等学校では唯一再編の波を受けずに存続している。 | |
山口県立山口農業高等学校 西市分校 (豊田町殿敷) |
かつては山口県立西市高等学校(下関市豊田町殿敷。1952〜2021)という独立した学校だったが、2019年(平成31年)に山口県立山口農業高等学校(山口市小郡上郷)と統合し、その西市分校に再編された。豊浦郡域にある高等学校、すなわち山口県立下関北・田部・響・豊北各高等学校ではなく山口県立山口農業高等学校が統合先に選ばれた背景には農業系統の学科(生産流通科)を有していたことが考えられる。 | |
山口県立下関中等教育学校 (彦島老町二丁目) |
2004年(平成16年)に山口県立下関第一高等学校(下関市彦島老町二丁目。1970〜2006)を中高一貫校化して発足した学校。山口県では初めての中等教育学校である。 | |
下関商業高等学校 (後田町四丁目) |
1970年(昭和45年)に下関市立下関第一高等学校(下関市彦島老町二丁目。1962〜1970)が山口県に移管されてからは下関市が運営者となっている唯一の高等学校になっている。但し「下関市立下関商業高等学校」という名称を公式に用いたことは一切ない。 | |
下関国際高等学校 (伊倉) |
かつては男子校だったが2002年(平成14年)に共学校化した(但し前身の下関高等学校時代〔1967〜1993〕に数年間だけだが女子生徒を受け入れていた時期がある)。 硬式野球部は2010年代後半から何度か選抜高等学校野球大会・全国高等学校野球選手権大会に出場しており、第100回全国高等学校野球選手権記念大会(2018年〔平成30年〕8月5日〜21日開催)では準々決勝に進出したことで知られている。 |
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下関短期大学付属高等学校 (桜山町) |
かつては女子校だったが2000年(平成12年)以降共学校化が進められ、2019年(平成31年)に全学科の共学化が完了した。 | |
早鞆高等学校 (上田中町八丁目) |
校地は下関市道を挟んで北側(下関市向洋町一丁目)と南側(下関市上田中町八丁目。本部はそこにあるため所在地は下関市上田中町八丁目になっている)に分かれている。 かつては北側校地が男子部、南側校地が女子部に分かれていたが1992年(平成4年)以降共学化が進められ、2002年(平成14年)に全学科の共学化が完了した。 |
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梅光学院中学校・高等学校 (丸山町二丁目) |
山口県立下関中等教育学校が発足するまでは下関市で唯一の中高一貫校だった。 かつては中学校・高校とも女子校だったが中学校については2012年(平成24年)に、高校については2015年(平成27年)にそれぞれ共学校化した。また、中学校が共学化した際に梅光女学院中学校・高等学校から現行名称に変更した。 |
注19:下関市の財政事情が悪化した理由として考えられる要因は次の通りである。
・戦災復興。
注20:
注21:
注22:
注23:
注24:
注25:
注26:徳山大学が秩父宮賜杯全日本大学駅伝対校選手権大会に出場したのは第12〜22回大会(1981〜1990年〔昭和56年〜平成2年〕。なお1988年〔昭和63年〕だけは開催時期の変更により1月17日と11月6日の二度開催されたため年数と回数が合わなくなっている)と第24〜38回大会(1992〜2006年〔平成4〜18年〕開催)の26回である。通算出場回数は中国・四国地方代表では最多となっている。
注27:こちら、すなわちインターネットアーカイヴで探し出した山口県警察本部公式サイトの指名手配被疑者の情報提供を呼びかけているページによると吉田容疑者の読み方は「よしだ・とみいち」と「よしだ・とみかず」の二通りあると記されている。どちらが正式な読み方なのかは分からないが、「よしだ・とみかず」という読み方を異名としていることを考えると「よしだ・とみいち」が正式な読み方なのかもしれない。
注28:考えられる理由の一つが自分が関係しない事柄には関わりたくないという考え方である。それが顕著に示された例がこちらで記した、他県で発見された身元不明他殺遺体の似顔絵が大学時代の後輩に似ているとして自宅近くにある福山東警察署(福山市三吉町南二丁目)に訴えたところ、5日後に電話をかけてきて捜査を行っている警察署に訴えるように言われたことである。確かに捜査を担当している警察署に直接訴えなかった私もいけないのだが…。
※こちらでも記しているのだが、福山東警察署のどうかと思う態度は次の通りである。
・私が訴えた際にその場で捜査を担当している警察署に電話をかけなかったこと。
・私が訴えた際にその場で直接捜査を担当する警察署に訴えるように言わなかったこと。
・捜査を行っている警察署に訴えるように言ったこと、つまり福山東警察署としては取り次ぎはしないことを電話で通知したのは私が福山東警察署に赴いて訴えてから5日も経ってからだったこと。
・電話で捜査を行っている警察署に訴えるように言った時、何度か電話をしたが繋がらなかったと言っているが、その5日間一度も私の自宅に福山東警察署から電話がかかってきた様子はなかったこと。また、私の家族の誰かが福山東警察署からかかってきた電話に出たという話もなかったこと。
・何度か電話をしたが繋がらなかったと言うのであればいつ電話をかけたのか言うべきなのに一切言っていないこと。
・福山東警察署はなぜ取り次ぎを断ったのか理由を一切説明していないこと。
もし本当にその遺体が私の大学時代の後輩だったとしたら私の訴えを何の理由説明もなく門前払いにした福山東警察署の態度は許されるのかという問題が生じるのだが、いくら多忙であったとしてもきちんと対応するのが筋というものではないのだろうか。折角信用して訴えたのに嘘をついてまで断るというのでは一般市民からの信頼を失い、捜査に協力して欲しい時に一般市民からの協力を得られないという事態に陥ることを考えて頂きたいものである。
なお、私が訴えた件であるが、実は現在も身元不明のままになっている(情報提供を呼びかけているページはこちら)。20年以上身元不明のままになっていることからこの女性は恐らく家族からは疎(うとま)まれ、親しい友人もいなかったことが推察される(その寂しさを紛らわすためにテレフォンクラブに入り浸り、彼女を殺害した男性〔事件発覚後間もなく逮捕されている〕と出会ったのだろう。彼女を殺害した男性によると彼女は「みか」または「みき」と名乗っていたそうであるが本名なのかどうかは分からない)のだが、もしお心当たりの方がいれば最寄りの警察署ではなく捜査を担当している習志野(ならしの)警察署(習志野市鷺沼台〔さぎぬまだい〕二丁目)に直接連絡して頂きたい。
注29:琵琶湖バラバラ殺人事件は事件発覚から10年半が経過した2018年(平成30年)11月になってようやく被害者の身元が判明したのだが、その突破口になったのは自動車免許の更新に来ず、所在不明になっていた方を中心に捜査したことであった。記すまでもなく自動車免許には顔写真が貼付されており、被害者(野洲〔やす〕市在住の殺害当時39歳の男性)の顔写真はそこから得られるはずなのだが、なぜか捜査を担当している滋賀県警察本部(大津市打出浜)や近江八幡(おうみはちまん)警察署(近江八幡市土田町)はその顔写真を基に作成した似顔絵を情報提供を呼びかけるポスターに掲載していた。被害者は琵琶湖がある滋賀県に住んでいたのに10年半も身元が判明しなかったことやこちらで書いたように貼って頂きたくないようなところにまで情報提供を呼びかけるポスターを貼り、多くの方々の顰蹙(ひんしゅく)を買う結果を招いたこと、似顔絵を何度も作り直したこと、二度も捜査特別報奨金制度の適用に踏み切りながらいずれも効果がなかったとしてやめてしまったことなどこの事件もどうかと思う点は多々存在するのだが、こういう状況だから解決に漕ぎ着けられないのでは…と思うのは私だけだろうか。
福山東警察署の掲示板に貼られていた琵琶湖バラバラ殺人事件の情報提供を呼びかけるポスター(2020年〔令和2年〕7月20日撮影)。
被害者の氏名が書かれていることと身元判明後なのに被害者の似顔絵が掲載されていることが注目すべき点である。
注30:沖縄市警察官射殺事件は殺人事件の公訴時効撤廃対象事件ではないのだが、共犯者の裁判が長引いたこととその間に殺人事件の公訴時効が撤廃されたことから又吉容疑者の指名手配が継続されることになったものと思われる。
また、確かに又吉容疑者については既に死亡している可能性は高くなっているのだが、やはり又吉容疑者の消息だけは何としても掴みたいと思う方が多いからか現在も指名手配は継続されている。下の写真は今秋新調された指名手配被疑者の情報提供を呼びかけているポスターであるが、そこにもきちんと又吉容疑者の顔写真は掲載されている(下段の左から二人目)。こういう気概が必要だと私は思うのだがどうであろうか。
注31:このため捜査を担当していた行橋警察署(行橋市中央一丁目)では被害者の復顔像を作成・公開している(但し途中でなぜか一度作り直し、再公開している)。ただ、被害者の家族の意向によるものだと思うのだが一部の全国紙の東京本社版における身元判明報道は詳しいことは書いておらず、どのような経緯で身元判明に至ったのかは分かっていない。
注32:福岡美容師バラバラ殺人事件が起きた1994年(平成6年)は他に東京や大阪でもバラバラ殺人事件が発生し、世間を騒がせている。
注33:その記事は中国地方には捜査本部が設置されている未解決凶悪事件が2020年(令和2年)7月11日時点で21件あるというもので、響灘バラバラ殺人事件は「北九州市の下関市出身の男性殺害」という名称でその一覧表に掲載されている。
(参考資料:2020年〔令和2年〕7月11日付中国新聞朝刊に掲載されている中国地方で捜査本部が設置されている未解決凶悪事件一覧)
※事件名称は本サイトで付けたものを使用している。
県名 | 警察署名 | 事件名称 | 発生年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
鳥取県 | ||||
島根県 | ||||
岡山県 | ||||
広島県 | ||||
山口県 |
注33:明王台は福山市中心部の西方の高台に造成された大規模住宅団地である。団地の名称は団地の近くにある寺院・明王院(福山市草戸町)に因(ちな)んでいる。
注34:容疑者を突き止めた時には既に亡くなった後であり、裁きの場に突き出せなかった例としては浜田女子大生バラバラ殺人事件(容疑者は2009年〔平成21年〕11月8日美祢市内の中国自動車道で起きた交通事故で死亡)が、指名手配被疑者が亡くなっていたことが確認された例としては淡路・徳島親子殺害・放火事件(2001年〔平成13年〕4月20〜21日発生。容疑者は2012年〔平成24年〕10月19日岡山市北区で病死)がそれぞれよく知られている。
注35:
注36:
注37:竹崎町四丁目は下関市中心部西部にある町字(まちあざ)の一つで、JR山陽本線下関駅や山口銀行本店、大型商業施設・シーモール下関があるところでもある。
注38:中国地方における捜査特別報奨金制度適用事件は
注39:
注40:
注41:
注42:福山市にある警察施設(交番・警察官駐在所)は下表の通りである。
注43:
注44:
注45:
注46:
注47:三原市はFMみはらの出資者に名前を連ねている。
注48:総務省から出る補助金は状況により異なっている。その割合は下表の通りになる。
中継局設置理由 | 状況 | 補助金の割合 | 備考 |
---|---|---|---|
地理的・地形的難聴 | 中継局との間に高い山があるなどして受信しにくい。 | 3分の2 | |
外国波混信 | 近接した周波数を用いている海外の放送局との混信がひどい。 | 3分の2 | |
都市型難聴 | 都市部で高層建築物が増えたことにより受信しづらくなった。 | 2分の1 |
注49:代表的な例が山口放送ラジオである。山口放送ラジオが放送区域としている山口県には長門市・美祢市・柳井市といったある程度の人口集積があるが地形的な事情により近隣中波中継局の受信が難しい都市がいくつもあったのだが、それらの都市には中波中継局の設置は行わなかった。高い塔を建てる中波中継局はある程度受信対象範囲が広くないと設置しても費用対効果が見込めないからである。そういうこともあってか山口放送はエフエム補完放送制度が導入されると既存の中波中継局があるところだけでなく長門市・美祢市・柳井市などの中波中継局の設置を見送っていたところにも積極的にエフエム補完中継局を設置し、現在は日本にある民間中波放送局で最も多くの中継局を有するところ(内訳は中波中継局6箇所/エフエム中継局14箇所)になっている。
注50:これまでにコミュニティ放送局は28社が、都道府県域民間ラジオ放送局は3社がそれぞれ廃業の憂き目に遭っている。
(廃業に追い込まれたコミュニティ放送局一覧)
廃業 順位 |
放送局名 | 開局年月日 | 放送終了 年月日 |
主たる廃業理由 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | エフエムこんぴら (香川県仲多度郡琴平町榎井) |
1997年 (平成9年) 2月3日 |
1998年 (平成10年) 11月30日 |
経営難 | 別称:FMこんぴら。 |
2 | 沖縄市エフエムコミュニティ放送 (沖縄市中央一丁目) |
1997年 (平成9年) 3月1日 |
2004年 (平成16年) 3月31日 |
経営難 | 愛称:FM Champla!。 FMコザ(沖縄市中央三丁目)が業務を継承したがコールサインが異なるため本サイトでは沖縄市エフエムコミュニティ放送とFMコザはそれぞれ別の放送局と見なしている。 |
3 | 高松シティエフエム (高松市天神前) |
1997年 (平成9年) 1月25日 |
2005年 (平成17年) 3月31日 |
放送区域が重なるコミュニティ放送局への吸収合併 | 愛称:FM MARINO。 |
4 | 宮崎シティエフエム (宮崎市橘通東一丁目) |
1999年 (平成11年) 3月14日 |
2005年 (平成17年) 10月31日 |
経営難 | 愛称:City FM77。 |
5 | イセハラエフエム放送 (伊勢原市板戸) |
2001年 (平成13年) 1月28日 |
2006年 (平成18年) 3月31日 |
経営難 | 愛称:プリズムステーションまたはiFM85.7。 |
6 | エフエムたまな (玉名市田崎) |
1998年 (平成10年) 2月22日 |
2006年 (平成18年) 4月30日 |
経営難 親会社の経営不振 |
愛称:ほっとラジオ。 |
7 | 仙台市民放送 (仙台市宮城野区原町三丁目) |
1999年 (平成11年) 9月25日 |
2007年 (平成19年) 1月19日 |
経営難 | 愛称:FMじょんぱ。 |
8 | FMニセコ放送 (北海道虻田郡倶知安町北一条西) |
2006年 (平成18年) 12月18日 |
2007年 (平成19年) 9月22日 |
経営難 | 別称:FMニセコ。 開局からわずか279日で放送終了に追い込まれた、最短命のコミュニティ放送局である。 |
9 | 五日市コミュニティ放送 (広島市佐伯区皆賀四丁目) |
2004年 (平成16年) 4月18日 |
2007年 (平成19年) 11月30日 |
経営難 | 愛称:エフエムななみ。 |
10 | エフエム・セト (丸亀市土器町東三丁目) |
1996年 (平成8年) 12月26日 |
2008年 (平成20年) 4月13日 |
経営難 | 別称:FMセト。 |
11 | 名古屋シティエフエム (名古屋市中村区乾出町二丁目) |
1998年 (平成10年) 4月23日 |
2008年 (平成20年) 6月13日 |
放送区域内の高層建築物の増加による受信環境悪化 | 愛称:SHANANA! FMまたはCityFM761。 名古屋シティエフエムの後身的存在となるのがMID-FM(愛称:MID-FM761。名古屋市中区新栄一丁目)となるのだが、放送区域やコールサインが異なることなどから本サイトでは名古屋シティエフエムとMID-FMはそれぞれ別の放送局と見なしている。 |
12 | 南区コミュニティエフエム (札幌市南区澄川三条六丁目) |
2006年 (平成18年) 7月7日 |
2008年 (平成20年) 12月5日 |
経営難 | 愛称:GREEN FM。 |
13 | 名古屋中エフエムラヂオ放送 (名古屋市中区大須三丁目) |
1998年 (平成10年) 5月29日 |
2009年 (平成21年) 3月31日 |
経営難 | 愛称:FM DANVO(1998〜2006)→Transamerica(2006〜2009)。 |
14 | BIWA WAVE (近江八幡市鷹飼町) |
2005年 (平成17年) 5月1日 |
2009年 (平成21年) 5月28日 |
経営難 | 愛称:B-WAVE。 |
15 | エフエム多摩放送 (多摩市一ノ宮三丁目) |
1995年 (平成7年) 5月31日 |
2010年 (平成22年) 3月31日 |
経営難 | 愛称:エフエム多摩G-WIND。 |
16 | かにかも放送 (可児市広見七丁目) |
2004年 (平成16年) 6月6日 |
2010年 (平成22年) 7月15日 |
経営難 | 愛称:FMでんでん。 放送終了年月日は「TOPPY.NET-INSIDE NAGOYA-」の一コーナー「TOPPYのくびったけブログ」の2010年(平成22年)8月22日の記事「電波も停まったFMでんでん―かにかも放送」による(そこには経営難により一切の番組放送を取りやめたかにかも放送は2010年〔平成22年〕1月1日からずっと音楽を流すだけだったが、2010年〔平成22年〕7月15日にそれが止まり、無変調になったとある。この2010年〔平成22年〕7月15日は可児市周辺で集中豪雨により甚大な被害が出た日でもあるのだが、そういう状況だったため全く役に立たなかった)。 |
17 | 貝塚コミュニティ放送 (貝塚市近木) |
2006年 (平成18年) 4月1日 |
2010年 (平成22年) 9月30日 |
経営難 | 愛称:FM826 SENSHU JOLLY FM。 |
18 | 福岡コミュニティ放送 (福岡市早良区百道浜二丁目) |
2000年 (平成12年) 3月3日 |
2010年 (平成22年) 10月31日 |
経営難 親会社の不祥事 |
愛称:FM MiMi(2000〜2006)→StyleFM(2006〜2010)。 |
19 | 天神エフエム (福岡市中央区今泉一丁目) |
1996年 (平成8年) 10月1日 |
2010年 (平成22年) 12月31日 |
経営難に陥っていた都道府県域民間エフエム放送局の業務継承 | 愛称:FREE WAVE。 |
20 | 東京コミュニケーション放送 (渋谷区道玄坂二丁目) |
1996年 (平成7年) 4月28日 |
2013年 (平成25年) 1月11日 |
経営難 | 愛称:SHIBUYA-FM。 |
21 | さかいhill-front forum (堺市東区北野田) |
2010年 (平成22年) 6月6日 |
2015年 (平成27年) 3月31日 |
本社・演奏所を置いていた場所の指定管理者変更 | 愛称:エフエムさかい。 |
22 | エフエムわいわい (神戸市長田区海運町三丁目) |
1996年 (平成8年) 1月17日 |
2016年 (平成28年) 3月31日 |
インターネット放送への移行 | 愛称:FMわぃわぃ。 |
23 | やまがたシティエフエム (山形市中桜田三丁目) |
2002年 (平成14年) 10月21日 |
2016年 (平成28年) 7月22日 |
経営難 | 愛称:Vigo FM。 |
24 | 市川エフエム放送 (市川市八幡二丁目) |
1998年 (平成10年) 9月20日 |
2016年 (平成28年) 11月30日 |
経営難 | 別称:市川エフエム。 |
25 | FMしまじり(初代) (南城市佐敷津波古) |
2013年 (平成25年) 2月28日 |
2018年 (平成30年) 2月28日 |
南城市との契約期間満了 | 愛称:FMなんじょう。 「FMしまじり(初代)」と表記したのは南城市でコミュニティ放送局を運営していた業者が沖縄県島尻郡与那原(よなばる)町で改めてFMしまじり(愛称:FMよなばる。沖縄県島尻郡与那原町上与那原)という名称のコミュニティ放送局を開局させたことによる。 |
26 | 長崎シティFM (長崎市江戸町) |
2005年 (平成17年) 12月11日 |
2020年 (令和2年) 4月30日 |
経営難 | |
27 | エフエム津山 (津山市小田中) |
2010年 (平成22年) 7月1日 |
2020年 (令和2年) 10月25日 |
経営難 | 愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。 |
28 | エフエムせとうち (鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋) |
2012年 (平成24年) 4月25日 |
2021年 (令和3年) 2月28日 |
運営の見直し | 公式ブログ(それはこちら)が2016年(平成28年)8月30日を最後に更新が途絶えていることや現在も削除されないまま存続していること、コミュニティ放送の目的とは反する内容の番組を放送していたとの声が町民から上がったこと、それを受けて鹿児島県大島郡瀬戸内町が新たな運営者を公募した際にエフエムせとうちを運営していた業者(NPO法人)は手を挙げなかったことを考えると経営難も理由として考えられる。 |
(廃業に追い込まれた都道府県域民間ラジオ放送局一覧)
廃業 順位 |
放送局名 | 所属系列 | 開局年月日 | 放送終了 年月日 |
主たる廃業理由 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 愛知国際放送 (名古屋市東区東桜一丁目) |
Mega Net |
2000年 (平成12年) 4月1日 |
2010年 (平成22年) 9月30日 |
経営難 | 愛称:RADIO-i。 |
2 | Radio NEO (名古屋市瑞穂区北原町一丁目) |
Mega Net |
2014年 (平成26年) 4月1日 |
2020年 (令和2年) 6月30日 |
経営難 開局に尽力したInterFM897の筆頭株主の経営からの撤退 |
経営難が主たる理由だが私はInterFM897の筆頭株主を務めていた木下グループ(東京都新宿区西新宿六丁目)がInterFM897の経営から撤退したことが大きいと考えている。木下グループ・InterFM897からの独立を果たして自立した放送局になっていれば廃業は回避できたかもしれないのだが…。 |
3 | 新潟県民エフエム放送 (新潟市中央区万代二丁目) |
独立 | 2000年 (平成12年) 12月20日 |
2020年 (令和2年) 6月30日 |
経営難 | 愛称:FM PORT。 開局当初はJFLに属していたがすぐに脱退し、地方では珍しい独立局として運営されていた。 |
注51:兵庫県なのにNHK大阪拠点放送局の放送区域に含められているのは兵庫県を放送区域とするNHK神戸放送局(神戸市中央区中山手通二丁目)は中波放送は実施していないからである。
注52:福山市西部から三原市東部にかけての国道2号線のバイパス、すなわち松永道路・尾道バイパス・木原道路が自動車専用道路になっているためにバイパス開通後も引き続き国道2号線として存続した国道2号線の旧道を指す。管理しているのは広島県になっている。
注53:過去には埼玉県南部の朝霞(あさか)・志木・新座・和光各市を放送区域としていたクローバーメディア(愛称:クローバーラジオ。志木市本町五丁目。2017〜2020)は2020年(令和2年)7月、経営難を理由に2020年(令和2年)9月末での放送終了・廃業を表明したのだが、放送最終日となる2020年(令和2年)9月30日になって突然業務を継承しても良いという方が現れたので存続することにしたと発表した例がある。クローバーメディアは東京のベッドタウンとして発展した地域を放送区域としていることやすまいるエフエム(愛称:あさかエフエム。朝霞市西原一丁目。2007〜2017)として開局した時から首都圏の電波混雑に苛(さいな)まれていたことから廃業を表明するに至ったのだが、受信困難対策としてインターネットを活用した放送を展開していたことや東京のベッドタウンとして発展した地域ではあるが地域の象徴であるコミュニティ放送局がなくなることは由々しきことだと考える方が少なくなかったことが逆転存続に繋がったと言えよう。
注54:中国地方で廃業に追い込まれたコミュニティ放送局はエフエム津山(愛称:レディオつやま〔2010〜2012〕→MegaWAVE76.3〔2012〜2020〕。津山市小田中。2010〜2020)と五日市(いつかいち)コミュニティ放送(愛称:エフエムななみ。広島市佐伯〔さえき〕区皆賀四丁目。2004〜2007)の2社である。この2社の状況を記すと下表の通りになる。
放送局名 | 状況 |
---|---|
エフエム津山 | ・ |
五日市コミュニティ放送 | ・ |
注55:広島エフエム放送が開局した1982年(昭和57年)12月5日は日曜日であった(1982年〔昭和57年〕の曜日パターンはこちらで公開しているので興味のある方はご覧頂きたい)。よって、広島エフエム放送が初めて迎えた平日は1982年(昭和57年)12月6日(月曜日)となる。
注56:広島エフエム放送が所有する中継局の周波数は下表の通りである。
注57:その他の広島エフエム放送の経営環境の厳しさを挙げると次の通りになる。
・大阪・福山両支社を廃止したため現在東京にしか支社がないこと。
・庄原市東城地区など受信しづらい地域が残っているが中継局設置を全く進めていないこと。
・「クラシカル・ホリデー」(日曜日午前9時30分〜午前10時)が一週間の放送時間5分以上の自社制作番組としては最後になっていること。
・毎月のように番組の改編が見られること。
・本文では火曜日・水曜日の午後について自社制作のワイド番組が設定されなくなったと記しているが、金曜日の午前中も2020年(令和2年)秋の番組改編からジャパンエフエムネットワーク制作の「OH!
HAPPY MORNING」をネットするようになったため自社制作のワイド番組が設定されなくなったこと。
・広島県内各地で無料で入手できるタイムテーブルが冊子形式から一枚もの(CDアルバムのケースに入るような大きさに折り畳まれている)に小型化された上に半年ごとの発行になったこと。
注58:「flowers」を広島エフエム放送が打ち切った理由は当時の平日午後の自社制作のワイド番組「Over The Rainbow」(2004〜2014年〔平成16〜26年〕放送)の放送時間を拡大し、午後4時台も放送するようにしたためである。反対に「flowers」を広島エフエム放送がネットするようになった理由はその「Over The Rainbow」の放送時間を短縮したことであるが、結局「flowers」は広島エフエム放送にとっては穴埋め的存在でしかなかったのだろう。
注59:民間中波放送局47社のうち中波放送を維持することにしているのはSTVラジオ(STV、 札幌市中央区北一条西八丁目)・北海道放送ラジオ・秋田放送ラジオ(ABS、秋田市中通七丁目)の3社だけである。但し民間中波放送局のエフエム補完中継局整備には温度差があることなどを考えると中波放送維持派に寝返るところも出る可能性はある。
注60:民間中波放送局で最後に開局したのは茨城放送(愛称:Lucky FM 茨城放送。水戸市千波町)と栃木放送(CRT、宇都宮市昭和二丁目)で、ともに1963年(昭和38年)4月1日に開局している。一方、都道府県域民間エフエム放送局で最初に開局したのはエフエム愛知(FMA、名古屋市中区千代田二丁目)で、1969年(昭和44年)12月24日に開局している。つまり、茨城放送・栃木放送より前に開局した都道府県域民間エフエム放送局も、エフエム愛知より後に開局した民間中波放送局も存在しないということになる。
注61:高度経済成長が終わったのは1973年(昭和48年)のことであるが、その時点で存在した都道府県域民間エフエム放送局はエフエム愛知と1970年(昭和45年)4月26日に開局したエフエム東京(愛称:Tokyo fm。東京都千代田区麹町一丁目)、1970年(昭和45年)4月1日に開局したエフエム大阪(愛称:FM OH!。大阪市浪速〔なにわ〕区湊町一丁目)、1970年(昭和45年)7月15日に開局したエフエム福岡(福岡市中央区清川一丁目)の4社だけであった。
注62:岐阜県と兵庫県にあるJFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局の状況は下表の通りである。
県名 | 状況 |
---|---|
岐阜県 | ・岐阜県におけるJFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局は2001年(平成13年)4月1日に岐阜エフエム放送(愛称:Radio80〔レディオエイティ〕。大垣市小野四丁目)という社名で開局した。 ・しかし、岐阜県の人口集中地帯である南部・東部は名古屋市へのストロー効果(ストロー現象とも称する)が著しい地域だったことや名古屋市に本社を置く都道府県域民間ラジオ放送局が十分受信できたこと、岐阜県は山間部が多く、しかもその山間部に郡上(ぐじょう)・下呂・高山・中津川などの人口集積のある都市があるために多数の中継局を設置しなければならなくなったことやインターネットが普及してからの開局であり、広告収入が望めなくなったことで開局当初から苦戦を強いられた。 ・岐阜県の人口集中地帯である南部ではともにJFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局であるエフエム愛知やエフエム三重(愛称radio CUBE FM三重。津市観音寺〔かんのんじ〕町)が十分受信できるためそれらの都道府県域民間エフエム放送局との差別化を図るために独立局として開局する方法もなかったわけではないが、岐阜県の経済基盤が脆弱なことがそれを許さなかったのではないかと思われる。 ・結局岐阜エフエム放送は経営難に陥ったためエフエム東京とエフエム愛知が中心となって設立されたエフエム岐阜(大垣市小野四丁目)が業務を継承することになった。そのため岐阜エフエム放送は2014年(平成26年)2月28日をもって放送事業を終了した。 ・岐阜エフエム放送から業務を継承したエフエム岐阜は本社こそ同じ場所にあるが岐阜エフエム放送の愛称であるRadio80の使用を取りやめたり公式サイトで岐阜エフエム放送時代の沿革を一切記載しなかったりするなどしており、あくまでも岐阜エフエム放送とエフエム岐阜は別会社であると強調するかのような態度をとっている。 |
兵庫県 | ・兵庫県におけるJFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局は1990年(平成2年)10月1日に兵庫エフエムラジオ放送(愛称:Kiss-FM〔1990〜1994〕→Kiss-FM
KOBE〔1994〜2003〕。神戸市中央区波止場町)という社名で開局した。 ・開局当初は独立局として運営されていたが、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災。1995年〔平成7年〕1月17日)が経営に甚大な影響を及ぼしたことや実質的な親会社だったダイエー(東京都江東区東陽二丁目)の経営状況が悪化したことから独立局として維持するのが困難になり、2003年(平成15年)4月1日にJFN系列に加盟した。その2ヶ月後の2003年(平成15年)6月1日に社名をKiss-FM KOBE(神戸市中央区波止場町)に変更した。 ・Kiss-FM KOBEは新聞報道により粉飾決算の疑いがあることが発覚するなどし、2010年(平成22年)4月28日に民事再生法の適用を申請して経営破綻した。この事態を重く見た全国エフエム放送協議会(JFN。東京都千代田区麹町一丁目)は2010年(平成22年)4月30日付でKiss-FM KOBEの系列からの除名を通告した。 ・Kiss-FM KOBEの経営を再建し、事業を継続すべくエフエム東京などが主導者になって設立されたのが現在の運営会社となる兵庫エフエム放送(愛称:Kiss FM KOBE。神戸市中央区波止場町)であり、2010年(平成22年)10月1日にKiss-FM KOBEから業務を継承した。2010年(平成22年)11月4日には兵庫エフエム放送はJFN系列に加盟し、現在も盛業中である。 ・Kiss-FM KOBEの経営破綻は経営陣に原因があったのは事実だが、やはり遠因として挙げられるのは兵庫県南部地震で甚大な影響を受けたことであろう。もし兵庫県南部地震が起きていなければ現在も独立局として運営され、JFN系列に属しているところが多い近隣の都道府県域エフエム放送局とは差別化が図れていたのではないかと思われる。 |
共通点 | ・大都市に近く、人口集中地帯は大都市へのストロー効果(ストロー現象とも称する)が生じていた。 ・平野部も多いが山間部も多く、しかも山間部にある程度の人口集積を有する都市があったために多くの中継局を設置せざるを得なくなった。 ・都道府県域民間エフエム放送局が開局したのは人口集中地帯で十分受信できる都道府県域民間エフエム放送局より遅くなった。 ・近隣府県にあって受信が可能な都道府県域民間エフエム放送局のほとんどがJFN系列に属しているため差別化が図りにくかった。 ・近隣の都道府県域民間エフエム放送局との差別化を図るために独立局として運営する方法もあったが諸事情によりできなかった。 ・終夜放送を行うなど身の丈に合わない放送を展開した。 |
注63:広島エフエム放送の長所を挙げると次の通りである。
・経営事情により中継局の整備が行われていないところが少なくないがそれでも都道府県域民間エフエム放送局では最も多くの中継局(13箇所)を有している。
・喋り手の年代が20〜70代と幅広い。
・民間放送局のアナウンサーだった方が番組を持っていることが多い。
・開局当時から活躍しているアナウンサーがいる。
・平日夜の若年者向け番組は20年以上続く長寿番組になっている。
・中国放送ラジオが現在は撤退している公開生放送番組を現在も維持している。
・成績不振などの事情により広島県を放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局が制作を見送っていた時期でも広島東洋カープやサンフレッチェ広島に関する番組を制作・放送し続けている。
・日曜日深夜は中国放送ラジオよりも30分だけだが遅くまで放送している。
注64:広島エフエム放送公式サイト(それはこちら)の「DJプロフィール」というページを見ると中川アナウンサーの項は休職中であるにもかかわらず存続しており、閲覧も可能になっている(記すまでもないがそこには休職中であることが記されている)。現状は一切分からないのだが、この点から考えても状況が整えば復帰する意思があることがうかがえる。
注65:岡山県及びその周辺地域にある日曜日深夜(月曜日早朝)も放送を休止しないラジオ局は下表の通りである。
※下表では放送局の所在地や愛称は省いている。
都道府県名 | 放送局名 | 岡山県内における主な受信可能地域 |
---|---|---|
全国 | NHKラジオ第一 | 全域 |
NHK-FM | 全域 | |
岡山県 | 岡山シティエフエム | 岡山市・赤磐市・倉敷市・瀬戸内市・総社市・玉野市・都窪郡 |
笠岡放送 | 浅口市・笠岡市・浅口郡 | |
エフエムくらしき | 倉敷市・浅口市・岡山市・総社市・都窪郡 | |
つやまコミュニティFM | 津山市・真庭市・美作市・勝田郡・苫田郡 | |
大阪府 | エフエム大阪 | 瀬戸内海沿岸部 |
FM802 | 瀬戸内海沿岸部 | |
FM COCOLO | 瀬戸内海沿岸部 | |
兵庫県 | ラジオ関西 | 瀬戸内海沿岸部 |
広島県 | エフエムふくやま | 井原市・笠岡市 |
香川県 | エフエム香川 | 瀬戸内海沿岸部 |
エフエム・サン | 瀬戸内海沿岸部 |
注66:RSK山陽放送テレビの放送開始はフィラー番組である「オールナイトウェザー」から通常番組に切り替わるところとなっている。なお、「オールナイトウェザー」の存在はRSK山陽放送公式サイト(それはこちら)で閲覧できる基本番組表(3ヶ月ごとに更新されており、PDF文書になっている)でしか示されていない。
注67:そのことがはっきりしたのは今年6月6日未明のRSK山陽放送テレビとRSK山陽放送ラジオの放送状況である。RSK山陽放送ラジオは一切放送休止を入れなかったのに対してRSK山陽放送テレビは移転作業のため約4時間(6月6日午前1時28分〜午前5時29分)放送を休止している。もし全面移転だったとしたらRSK山陽放送ラジオも4時間程度(恐らく6月6日午前1時〜午前5時となったものと思われる)の放送休止を入れたはずであり、その点からもラジオ部門は移転対象になっていなかったことがうかがえる。
注68:RSK山陽放送が過去に見せた挑戦的な態度は次の通りである。
・中国地方で初めてテレビ・ラジオ兼営局に移行したこと(1958年〔昭和33年〕)。
・中波中継局の周波数を1494kHzに統一したこと(1980年〔昭和55年〕)。
・本局と、本局と同じ周波数を用いている高梁(たかはし)中波中継局(高梁市松原町松岡)で中波ステレオ放送を実施したこと(1992年〔平成4年〕。いずれも2011年〔平成23年〕終了)。
・radikoの参入を期して平日朝の自社制作のワイド番組を刷新したこと(2014年〔平成26年〕。但しその番組は2年4ヶ月で終了している)。
・五大都市(札幌・東京・名古屋・大阪・福岡)以外に本社を置く民間放送局で初めて認定持株放送会社を発足させたこと(2019年〔平成31年〕)。
その一方でradikoへの参入は政令指定都市に本社を置く民間中波放送局としても中波ステレオ放送を実施していた民間中波放送局としても最後になったし、エフエム補完放送の開始は中国地方にある民間中波放送局では最後になり、現在も1箇所しか中継局を設置していないという問題(他の中国地方にある民間中波放送局はいずれもエフエム補完中継局は2局以上所有しており、RSK山陽放送ラジオが最少となる)があるのだが、RSK山陽放送は挑戦的になる事柄と反対に消極的になる事柄についてどのような考えを持っているのだろうか。そこが気になる。
注69:今年4月時点ではRSK山陽放送ラジオは月曜日午前3時〜午前3時30分には文化放送(QR、東京都港区浜松町一丁目)制作の「志の輔ラジオ 落語DEデート」を、月曜日午前3時30分〜午前4時は九州朝日放送ラジオ(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)制作の「北方謙三 水滸伝(すいこでん)」をそれぞれ放送していた。しかし、今秋の改編で「志の輔ラジオ 落語DEデート」は打ち切られ、「北方謙三 水滸伝」はそれまで自社制作番組「カンナ総統のジミケン革命結社ブラック★シャドウ」(2020〜2021年〔令和2〜3年〕放送)を放送していた日曜日午後11時30分〜午前0時に放送日時を変更した。その代わりに入ったのが日曜日午後5時〜午後6時に放送されている自社制作番組の「沢知恵日曜日の音楽室」の再放送であった。自社制作番組の再放送は中国放送ラジオなど民間中波放送局各社で行われていることであり、別に珍しいことではないのだが、聴取率低迷などの事情でこのような措置をとったのではないかと思われる。
注70:都道府県域民間テレビ放送局の全系列が揃っている地域の放送区域人口は下表の通りである。
※人口の単位は全て人であり、2020年(令和2年)10月1日実施の国勢調査による。
都道府県名 または区域名 |
人口 | 備考 |
---|---|---|
北海道 | 5,224,614 | |
関東広域 | 43,653,441 | 内訳は茨城県286万7,009人/栃木県193万3,146人/群馬県193万9,110人/埼玉県734万4,765人/千葉県628万4,480人/東京都1,404万7,594人/神奈川県923万7,337人。 栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県についてはそれぞれの都県だけを放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局が存在しており、前記都県で視聴できる都道府県域民間テレビ放送局は6局となる。 |
愛知県 | 7,542,415 | |
大阪府 | 8,837,685 | |
岡山県 香川県 |
2,838,676 | 内訳は岡山県188万8,432人/香川県95万244人。 |
福岡県 | 5,135,214 |
注71:ちなみに岡山県・香川県は民間ラジオ放送局の経営事情も厳しくなっている。岡山県の瀬戸内海沿岸部では香川県の放送局が、香川県のほぼ全域では岡山県の放送局が十分受信できるからであるが、これまでに次に挙げるような状況が生じている。
・RSK山陽放送ラジオはradikoに参入したのは政令指定都市に本社を置く民間中波放送局としても中波ステレオ放送を実施していた民間中波放送局としても最後になった。
・岡山エフエム放送は500近くに及んだ免許申請の一本化が難航したことなどからエフエム香川(高松市上之町二丁目)が開局してから10年以上経ってから開局したため特にエフエム香川を聴いている人が多い岡山県の瀬戸内海沿岸部で苦戦することになった。
・岡山エフエム放送はradikoへの参入が政令指定都市に本社を置く都道府県域民間エフエム放送局としては最後になった。
・西日本放送ラジオはradikoへの参入が民間中波放送局としては最後になった。
・西日本放送ラジオがエフエム補完放送を開始したのは民間中波放送局47社中46番目となった。
・RSK山陽放送ラジオ・西日本放送ラジオともエフエム補完中継局は未だに1箇所しか有していない。
・西日本放送ラジオはかつては月曜日は午前4時に放送を開始していたが今春の番組改編で1時間繰り下がり、午前5時に放送を開始するようになった。
・香川県ではコミュニティ放送局はこれまで5社開局しているが、既に3社が廃業に追い込まれている。
・香川県のコミュニティ放送局の廃業率は60%(=3/5)となっており、これは廃業したコミュニティ放送局がある都道府県(2021年〔令和3年〕12月31日現在で1都1道1府17県)では最悪である。
・岡山県でもコミュニティ放送局はこれまで5社開局しているが、1社が廃業に、1社が親会社のケーブルテレビ局への吸収合併にそれぞれ追い込まれている。
注72:私としてどうかと思うのは次に挙げる点である。
・radikoに参入した時に平日朝の自社制作のワイド番組の刷新を断行したこと。
・radikoに参入した頃から土曜日深夜(日曜日早朝)に放送休止を入れたり日曜日深夜の放送終了時間を繰り上げたり月曜日早朝の放送開始時間を繰り下げたりすることが時々見られるのだが公式サイトでそのことに対する通知や理由説明を一切行っていないこと。
・(最近は安定しているのだが)自社制作のワイド番組の入れ替わりが激しいこと。
注73:但しJリーグ二部に属しているファジアーノ岡山の公式戦中継については2018年度(平成30年度)からはradikoのエリアフリー聴取の対象外になっている(つまり岡山県以外ではファジアーノ岡山の公式戦中継はradikoのエリアフリー聴取では楽しめないということ)。
注74:臨時番組ではあるのだが岐阜放送ラジオ(GBS、岐阜市橋本町二丁目)では1987年(昭和62年)8月に5回にわたってほとんどのラジオ局が放送を休止する日曜日深夜(月曜日早朝)に「日曜の夜は新感覚〜日本全国ここだけ深夜放送」なる番組を放送したことがある(1987年〔昭和62年〕の曜日パターンはこちらで掲載しているがその年の8月は5回土曜日・日曜日・月曜日があったことがうかがえる)。ほとんどのラジオ局が放送を休止する日曜日深夜(月曜日早朝)に放送されたということもあり、遠距離受信して聴いた方が少なくなかったという。
ちなみに岐阜放送ラジオはその後定期の終夜放送を行っていたことはあるが経営上の問題などから現在は再び一切行っていない。
注75:RSK山陽放送は2019年(平成31年)4月1日に設立された認定持株放送会社・RSKホールディングスの傘下に入ったためRSKホールディングスを親会社と表記している。
注76:私がRSK山陽放送ラジオが今後エフエム補完中継局を設置するのではないかと考える地域は下表の通りである。
設置理由 | 地区名 | 設置しても良いと思う理由 |
---|---|---|
中波中継局置換 | 笠岡市 | ・笠岡中波中継局(笠岡市神島〔こうのしま〕)は設置から60年以上が経過しており、老朽化の懸念がある。 ・笠岡中波中継局は笠岡市中心部の南方にある神島(但し現在は笠岡湾干拓事業により本土と陸続きになっている)の最高峰・栂丸(つがのまる)山(標高:306m)の山頂近くにあり、RSK山陽放送テレビ笠岡デジタル中継局(笠岡市神島。21ch)と同居しているため新たに中継局を建設しなくても済む。 ・隣接する広島県福山市との繋がりが深い地域であるためNHK広島拠点放送局・中国放送ラジオ・広島エフエム放送・エフエムふくやまを受信して聴く方がある程度いる。 |
高梁市 | ・高梁中波中継局は設置から40年近くが経過しており、老朽化の懸念がある。 ・今年3月1日にはNHK岡山放送局(岡山市北区駅元町)が高梁市中心部の南方に聳える鶏足山(標高:585.5m)にラジオ第一の高梁エフエム補完中継局(高梁市松山。周波数:89.6MHz)を開局させている。 |
|
津山市 | ・津山中波中継局(津山市林田〔はいだ〕)は設置から70年近くが経過しており、老朽化の懸念がある。 | |
新見市 | ・新見中波中継局(新見市新見)は設置から60年以上が経過しており、老朽化の懸念がある。 | |
真庭市落合地区 真庭市勝山地区 真庭市久世地区 |
・落合中波中継局(真庭市杉山)は設置から40年以上が経過しており、老朽化の懸念がある。 | |
和気郡和気町和気地区 | ・備前中波中継局(和気郡和気町田土)は設置から50年近くが経過しており、老朽化の懸念がある。 | |
受信環境改善 | 岡山市北区建部地区 岡山市北区御津地区 |
・本局及び落合・津山両中波中継局、岡山エフエム中継局との間には山があり、受信しづらい地域がある。 ・地区内を岡山市と津山市を最短経路で結ぶ幹線道路・国道53号線が通っている。 ・現在のところ対抗関係になるNHK岡山放送局・岡山エフエム放送・岡山シティエフエム(愛称:Radio momo。岡山市北区中山下二丁目)とも中継局を設置しておらず、中継局を設置すれば優位に立てる可能性がある。 |
井原市中心部 井原市芳井地区 |
・本局及び笠岡・高梁両中波中継局との間にはいずれも山があり、受信しづらい地域がある。 ・人口が少ないせいか一部のテレビ局によって費用対効果が見込めない地域とされており、そのことに不満を抱く方がいる。 ・隣接する広島県福山市との繋がりが深い地域であるためNHK広島拠点放送局・中国放送ラジオ・広島エフエム放送・エフエムふくやまを受信して聴く方がある程度いる。 |
|
真庭市川上地区 真庭市中和地区 真庭市八束地区 |
・落合中波中継局との間には山があり、受信しづらい地域がある。 ・地区内を近畿(関西)地方と山陰地方中央部を結ぶ米子自動車道が通っている上に蒜山(ひるぜん)高原は観光名所になっていて訪れる方が多い。 ・現在のところ対抗関係になるNHK岡山放送局・岡山エフエム放送とも中継局を設置しておらず、中継局を設置すれば優位に立てる可能性がある。 |
注77:広島県南東部における国道2号線の連続無停車区間の変遷は下表の通りである。
※起点と終点は現在信号機がある場所としており、その時点で信号機があった場所を指しているわけではない。また、距離は「Googleマップ」で計測したもので、単位は全てkmである
時点 | 起点 | 終点 | 距離 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1969年(昭和44年)7月9日 | 尾道市高須町/ 高須インターチェンジ |
尾道市長江三丁目/ 栗原インターチェンジ |
2.8 | 尾道バイパス一部開通。 |
1972年(昭和47年)4月27日 | 尾道市高須町/ 高須インターチェンジ |
三原市木原四丁目/ 木原町交差点 |
8.4 | 尾道バイパス全線開通。 |
1987年(昭和62年)6月27日 | 尾道市西藤町/ 西藤インターチェンジ |
三原市木原四丁目/ 木原町交差点 |
10.9 | 松永道路一部開通。 |
1990年(平成2年)12月15日 | 福山市神村町/ 神村町三区交差点 |
三原市木原四丁目/ 木原町交差点 |
15.5 | 松永道路全線開通。 |
1998年(平成10年)3月14日 | 福山市赤坂町早戸/ 赤坂バイパス早戸ランプ交差点 |
三原市木原四丁目/ 木原町交差点 |
18.7 | 赤坂バイパス全線開通。 |
2021年(令和3年)3月14日 | 福山市赤坂町早戸/ 赤坂バイパス早戸ランプ交差点 |
三原市新倉二丁目/ 新倉交差点 |
30.9 | 木原道路全線開通。 |
注78:このうち玉島バイパスは2002年(平成14年)7月27日に全線の立体交差化が完成している。
注79:岡山県・広島県で山陽自動車道(広島・岩国道路や瀬戸中央自動車道の一部とも位置付けられる早島支線を含む)が国道2号線より南方を通っているところは備前市三石(兵庫県境)〜備前市八木山間だけである。山陽自動車道のインターチェンジで国道2号線と接続しているのも備前インターチェンジ(備前市八木山)・早島インターチェンジ(岡山県都窪郡早島町早島)・玉島インターチェンジ(倉敷市玉島長尾)・福山西インターチェンジ(福山市東村町)・廿日市インターチェンジ(廿日市市地御前北一丁目)・大竹インターチェンジ(大竹市黒川二丁目)の6箇所だけになっている。
注80:本文でも触れた通り三原市中心部〜三原市久井地区間の広島県道25号三原・東城線は深い谷の上を通っていることから異常気象時通行規制区間(1時間当たりの雨量が40mm、24時間当たりの雨量が120mmになった場合通行止めとなる)に指定されている。近くにバイパスを建設しても良いようなところはあるのだが、費用対効果が見込めないこと(建設費がかさむ割に交通量が見込めないこと)などから現在のところ考えられていない。
注81:三原市中心部から放射状に延びる主要地方道路線は下表の通りである。
路線 番号 |
路線名称 | 読み方 | 発足年 | 進行方向 | 三原市中心部からの 主な目的地 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
25 | 三原・東城線 | みはら/ とうじょう/ せん |
1954年 (昭和29年) |
北 | 三原久井インターチェンジ 三原市久井地区中心部 世羅郡世羅町中心部 世羅インターチェンジ |
三原市中心部〜三原市久井地区間に異常気象時通行規制区間がある。 |
55 | 尾道・三原線 | おのみち/ みはら/ せん |
1982年 (昭和57年) |
北東 | 尾道インターチェンジ | |
75 | 三原・竹原線 | みはら/ たけはら/ せん |
1994年 (平成6年) |
南西 | 竹原市忠海地区中心部 竹原市中心部 |
三原市小泉町に未改良箇所がある(現在改良が進められているが完成は2020年代後半の予定となっている)。 |
注82:1997年(平成9年)6月5日広島県告示第649号による。それを受けて広島県道359号高坂・本町線は1998年(平成10年)8月27日広島県告示第857号により廃止されている。
注83:広島県道155号三原・本郷線の未開通区間及び区域未編入区間のうち、三原市本郷町船木/菖蒲(しょうぶ)第一踏切西交差点(信号機・交差点名標なし)〜三原市本郷町船木/船木大橋(東)交差点間については歩道付きの上下2車線の道が整備されている。この道が恐らく広島県道155号三原・本郷線になるのではないかと私は見ているのだが、三原市本郷町船木/佐用北交差点(信号機・交差点名標なし)〜三原市本郷町船木/菖蒲第一踏切西交差点(信号機・交差点名標なし)間の整備計画が具体化していないことから区域編入を見送っているものと思われる。
注84:庄原市高町/高駅前交差点(信号機なし)にはかつては幹線閃光方式(横断要求がない場合主道路については黄色点滅、従道路については赤色点滅でそれぞれ運用する方式)の押しボタン信号機が設置されていた。国道183号線高道路が開通したことで国道183号線高旧道を通る車がほとんどなくなってからも運用され続けていたが、2013年(平成25年)頃その信号機は廃止され、現在は交差点名標だけが残されている。
注85:広島県道232号高停車場線の大幅延伸まで広島県にある県道○○停車場線で最も長かったのは(安芸高田〔あきたかた〕市甲田町下小原)と国道54号線(国道183号線重用)を結ぶ県道212号吉田口停車場線の約2.7kmが最長であった(内訳は単独区間の延長が約1.6km、県道37号広島・三次線との重用区間の延長が約1.1km)。
注86:国道182号線(国道314号線重用)の御幸・奈良津経由の旧道と神辺・蔵王経由の新道が分岐するのは正確には福山市加茂町中野/宇代橋北交差点(信号機・交差点名標なし)であるが、後に福山市加茂町中野/中野交差点で分岐するように改められたのは福山市加茂町中野/中野交差点で広島県道21号加茂・油木線(現:福山市道粟根・中野幹線)や広島県道394号中野・御幸線(1960〜2000。現:福山市道中野34号線)と接続していたことが背景にあったものと思われる。国道182号線(国道314号線重用)の御幸・奈良津経由の旧道のうちの福山市加茂・御幸地区分(福山市加茂町中野/中野交差点〜福山市横尾町一丁目/鶴ヶ橋南詰交差点間)に関しては1994年(平成6年)に広島県道391号加茂・福山線に再編されているが、その広島県道391号加茂・福山線の起点も福山市加茂町中野/中野交差点となっており、国道182号線(国道314号線重用)の新旧分岐を踏襲したことがうかがえる。
注87:国道182号線(国道314号線重用)の御幸・奈良津経由の旧道のうちの福山市横尾町一丁目/鶴ヶ橋南詰交差点〜福山市三吉町南二丁目/府中分かれ交差点間については国道313号線になっている。
注88:広島県と鳥取県を直接結ぶ道路は国道183号線と広域農道(広島県側…東城広域農道/鳥取県側…奥日野広域農道)の二つだけである。県道路線は旧道路法時代(1920〜1960)には存在したが広島県で現行道路法に基づく一般県道路線の認定が実施された1960年(昭和35年)10月10日以降認定されたことはない。
注89:2006年(平成18年)以降に廃止された鳥取県の県道路線は下表の通りである。
注90:JR三江線の全線廃止に伴い存在意義が消滅した島根県の県道路線は下表の通りである。
路線 番号 |
路線名称 | 読み方 | 発足年 | 概要 |
---|---|---|---|---|
221 | 川平停車場線 | かわひら ていしゃじょう/ せん |
1959年 (昭和34年) |
・川平駅(江津市川平町南川上〔みなみかわのぼり〕。1930〜2018)の(南口)駅前広場と国道9号線を結ぶ路線。但し起点から240mほどの区間は県道112号三次・江津線と重用しており、実質的には川平・黒松線といった状況になっている。 ・総延長は8.3kmほどとなっており、島根県にある県道○○停車場線としては最長になっている。8.3kmにも及ぶ長大路線になった背景には発足した当時川平駅から見て近くにある国道路線は一級国道9号線(1952〜1965)しかなかったことや当時浜原〜式敷間で建設が進められていた三江線が全線開通すれば島根県西部と広島県を結ぶ鉄道路線として有用な存在になるだろうとされていたこと、そしてその時を見越して江津市北部と三江線の主要駅の一つであった川平駅を結ぶ県道路線が必要だとされていたことが考えられる。 ・しかし、三江線は1975年(昭和50年)に全線開通を果たしたが期待通りの路線にはならなかったことや江津市の郊外を結ぶ路線であるために交通量は多くなかったことから整備は進んでいない。 |
222 | 川本停車場線 | かわもと ていしゃじょう/ せん |
1958年 (昭和33年) |
・石見川本(いわみかわもと)駅(邑智〔おおち〕郡川本町川本。1934〜2018)の(東口)駅前広場と県道31号仁摩・邑南(おおなん)線(県道40号川本・波多線重用)を結ぶ路線。 ・石見川本駅の(東口)駅前広場からまっすぐに東方に延びる上下2車線の道路があるのだが、実は県道222号川本停車場線は石見川本駅の(東口)駅前広場のすぐ横から北に延びる上下2車線幅の道路である(石見川本駅の〔東口〕駅前広場からまっすぐに東方に延びる上下2車線の道路は川本町道川本駅通線)。100mほど北上した後右折して東に方向を変え、県道31号仁摩・邑南線(県道40号川本・波多線重用)に突き当たって終わりとなる。路線識別手段は県道31号仁摩・邑南線(県道40号川本・波多線重用)にある路線方向表示(どのようなものか知りたい場合はこちらに写真を掲載しているので併せてご覧頂きたい)しかないが、県道222号川本停車場線の車道部分は薄赤色の舗装がなされていることと全線が上下2車線幅(車道幅員は4〜5m)になっていることを知っておけばたどることは可能である。 ・県道222号川本停車場線は島根県内の三江線の沿線自治体の代表駅の駅前広場を起終点とする唯一の県道路線であった。他の自治体の代表駅はすぐそばを国道路線または県道路線が通っていたり開業が1960年代以降になったりしたことで代表駅の駅前広場を起終点とする県道路線は設定されなかったものと思われる。 ・駅名は石見川本駅なのに県道路線名称が川本停車場線になった理由は不明。このような例は珍しいことではなく、岡山県や広島県でも見られる。 |
298 | 跡市・川平停車場線 | あといち/ かわひら ていしゃじょう/ せん |
1959年 (昭和34年) |
・江津市跡市町と川平駅の(南口)駅前広場を結ぶ路線。但し終点の手前640mほどの区間は県道112号三次・江津線と重用しており、実質的には跡市・川平線といった状況になっている。 ・江津市跡市町から見て最寄りとなる鉄道の駅はJR山陰本線都野津(つのづ)駅(江津市都野津町)となっている。それにもかかわらず江津市跡市町と川平駅を結ぶ県道路線が設定された背景には発足した当時浜原〜式敷間で建設が進められていた三江線が全線開通すれば島根県西部と広島県を結ぶ鉄道路線として有用な存在になるだろうとされていたこととその時を見越して江津市跡市町と三江線の主要駅の一つであった川平駅を結ぶ県道路線が必要だとされていたことが考えられる。 ・しかし、三江線は1975年(昭和50年)に全線開通を果たしたが期待通りの路線にはならなかったことや江津市の郊外を結ぶ路線であるために交通量は多くなかったことから整備は進んでいない。また、異常気象時通行規制区間に指定されている箇所もある。 |
注91:島根県で鉄道路線の廃止により存在意義が消滅した県道路線のその後を示すと下表の通りになる。
注92:2010年代における中国地方各県の県道路線の異動件数は下表の通りである。
順位 | 県名 | 異動件数 (異動路線数) |
備考 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
認定 | 改称 | 廃止 | 合計 | |||
1 | 鳥取県 | 5 | 3 | 9 | 17 | |
2 | 山口県 | 5 | 1 | 3 | 9 | |
3 | 島根県 | 0 | 2 | 0 | 2 | |
4 | 広島県 | 0 | 0 | 1 | 1 | |
5 | 岡山県 | 0 | 0 | 0 | 0 | 県道路線の異動は2006年(平成18年)を最後に途絶えている。 |
合計 | 10 | 6 | 13 | 29 |
上表から中国地方各県の県道路線の異動件数は鳥取県が最も多く、山口県>島根県>広島県>岡山県の順になっていることがうかがえる。
注93:中国地方における令和時代初の県道路線の異動は2020年(令和2年)3月27日山口県告示第96号による県道259号新下関停車場・稗田(ひえだ)線(2003〜2020)の県道259号新下関停車場線への改称である。JR山陽新幹線・山陽本線新下関駅(下関市秋根南町一丁目)の東口駅前広場と県道248号下関港・安岡線(国道191号線旧道)を結んでいた県道259号新下関停車場・稗田線を、国道191号線下関北バイパス垢田北ランプ(下関市垢田。ランプの名称は便宜上本サイトで付けたものである)まで延伸することになったことから改称したものである。1994〜2016年(平成6〜28年)に存在した県道路線が名称だけではあるが復活したわけである(1994〜2016年〔平成6〜28年〕に存在した路線とは起点は同じだが終点と経路、そして路線番号が異なる)が、県道259号新下関停車場・垢田線にしたほうが良かったのでは…と思うのは私だけだろうか。
注94:岡山県と広島県における現時点で最後の県道路線の異動は下表の通りである。
県名 | 告示年月日/ 告示番号 |
異動内容 | 備考 |
---|---|---|---|
岡山県 | 2006年(平成18年)3月31日 岡山県告示第199号 |
県道124号宮原・上月(こうづき)線の県道124号宮原・力万(りきまん)線への改称(2006年〔平成18年〕4月1日実施) | いずれも兵庫県佐用郡に属する全自治体、すなわち上月・佐用・南光・三日月各町の統合による兵庫県佐用郡佐用町再発足(2005年〔平成17年〕10月1日)に伴う路線名称変更である(兵庫県側は2006年〔平成18年〕4月1日兵庫県告示第418号の2に基づいて即日実施)。 県道124号宮原・上月線は終点が兵庫県佐用郡佐用町上月ではなく兵庫県佐用郡佐用町力万にあることから、県道368号吉永・南光線は兵庫県佐用郡上月・佐用・南光・三日月各町の統合による兵庫県佐用郡佐用町再発足によって「南光」という地名は地名表記では使われなくなったことと終点が兵庫県佐用郡佐用町下徳久にあることからそれぞれ改称対象になったものと思われる。 |
県道368号吉永・南光線の県道368号吉永・下徳久(しもとくさ)線への改称(2006年〔平成18年〕4月1日実施) | |||
広島県 | 2010年(平成22年)2月8日 広島県告示第88号 |
県道191号備後赤坂(びんごあかさか)停車場線の廃止 | 福山市がJR山陽本線備後赤坂駅(福山市赤坂町赤坂)の駅前通り、すなわち県道191号備後赤坂停車場線を拡幅することにしたことから駅前通りを福山市に移管させる必要が生じたため廃止され、福山市道赤坂駅前線となった。 福山市道赤坂駅前線の拡幅は2015年(平成27年)に完成したが、福山市道赤坂駅前線の拡幅は県道191号備後赤坂停車場線時代(1960〜2010)の路盤を埋め立てて行ったため現在では県道191号備後赤坂停車場線時代の路盤はほとんど見ることはできない(そのことはこちらで書いているので併せてご覧頂きたい)。 県道191号備後赤坂停車場線の廃止により福山市内のJR山陽本線の駅の駅前広場を起終点とする県道路線(過去には他に県道190号福山停車場線〔1960〜1974〕と県道192号松永停車場線〔1960〜2005〕が存在した)は全て廃止され、福山市に移管された。 |
ちなみに岡山県の県道路線の数は2002年(平成14年)4月19日岡山県告示第252号で県道458号勇崎・入江線が廃止された時から373路線(内訳は主要地方道68路線/一般県道305路線。なお、一般県道の路線数と合計には岡山県が未だにその存在を認めていない鳥取県道303号大高下・口波多線〔津山市阿波字大高下と鳥取県八頭郡智頭町口波多を結ぶ目的で鳥取県が認定した路線。岡山県側としては津山市阿波地区と鳥取県を結ぶ県道路線、すなわち県道117号鱒返・余戸線と県道118号加茂・用瀬〈もちがせ〉線がいずれも鳥取・岡山県境付近で通行不能状態のままになっているために同じく鳥取・岡山県境付近に通行不能箇所を抱えることになる新たな県道路線は受け入れられないとして認定を拒み続けているものと思われる〕を含めている)のままで推移している。