トップページ不定期刊・きょうのトピックス不定期刊・きょうのトピックス2023年(令和5年)分RSK山陽放送ラジオ新本社移転

RSK山陽放送ラジオ新本社移転(2023年〔令和5年〕4月10日公開)

 本日、RSK山陽放送ラジオ(RSK、岡山市北区天神町)は1962年(昭和37年)から使用してきた旧本社(岡山市北区丸の内二丁目)での放送を午前0時15分で終了し、午前5時21分から新本社(岡山市北区天神町)での放送を開始した。テレビ部門については2021年(令和3年)6月6日に新本社に移転していた(注1)のだが、テレビ・ラジオ兼営局でテレビ部門の移転とラジオ部門の移転が別の日になる例はいくつか見られる(注2)ものの、RSK山陽放送のように2年近くずれた例は珍しい。ラジオ部門の機器の更新の問題からテレビ・ラジオ両部門同時の移転ができなかったようなのだが、疑問に思った方はいたことだろうが致し方ないところであろう。
 今年10月1日に開局70周年を迎えるRSK山陽放送であるが、本作ではRSK山陽放送ラジオの概要や新本社の様子、RSK山陽放送ラジオの課題、そしてRSK山陽放送ラジオに対して望むことなどを綴っていくことにしたい。

RSK山陽放送ラジオの概要

 RSK山陽放送ラジオの概要は下表の通りである。

項目 記事 備考
社名 RSK山陽放送株式会社
本社所在地 700-8580 岡山市北区天神町9番24号
支社・支局・報道部 (支社)
東京・大阪・広島・四国
(支局)
倉敷・津山
四国支社は高松市にある。
略称 RSK Radio San-you Kabushikigaishaの略。但しラジオ山陽という社名を用いたことはない(注3)
愛称など RSKラジオ
放送区域 岡山県 かつてはテレビ・ラジオとも岡山県だけを放送区域としていたが1979年(昭和54年)に岡山県と香川県の都道府県域民間テレビ放送局の放送区域が統合されたことによりテレビとラジオの放送区域は一致しなくなった
放送区域面積 7,114.77平方キロメートル 2023年(令和5年)1月1日時点の全国都道府県市区町村別面積調による。
香川県との境界が石島
(注4)の西岸部(岡山県玉野市石島/香川県香川郡直島町本村)で確定していないため面積は参考値を記している
放送区域人口 1,888,432人 2020年(令和2年)10月1日実施の国勢調査による。
コールサイン JOYR かつては笠岡・津山・新見各中波中継局がコールサインを有していたが、全て廃止されたため現在は本局(岡山市北区撫川)のJOYRしかない(注5)
所属系列 JRN/NRN 岡山県南部で受信できるところの多い西日本放送ラジオ(RNC、高松市丸の内)との兼ね合いから1997年(平成9年)9月30日まではTBSラジオ(TBS、東京都港区赤坂五丁目)を総本山とするJRN系列にしか属していなかった。
開局年月日 1953年(昭和28年)10月1日 民間中波放送局としては全国では21番目(注6)(西日本放送ラジオ・南海放送ラジオ〔RNB、松山市本町一丁目〕・熊本放送ラジオ〔RKK、熊本市中央区山崎町〕・大分放送ラジオ〔OBS、大分市今津留三丁目〕と同じ日)、中国地方では2番目(注7)に開局した放送局となっている。
社名の変遷 山陽放送→
RSK山陽放送
ラジオ局として開局し、後にテレビ・ラジオ兼営局に移行したが前に記したように中国地方にある他の民間中波中継局と異なりラジオ○○という社名を用いたことはない(注8)
2019年(平成31年)4月1日に認定放送持株会社・RSKホールディングス(岡山市北区丸の内二丁目)が発足し、その傘下に入ったことにより山陽放送からRSK山陽放送に改称している。
中継局・周波数 (中波)
岡山本局(岡山市北区撫川。周波数:1494kHz。出力:10kW)
落合(真庭市杉山。周波数:1494kHz。出力:1kW)
笠岡(笠岡市神島。周波数:1494kHz。出力:0.1kW)
高梁(高梁市松原町松岡。周波数:1494kHz。出力:1kW)
津山(津山市林田。周波数:1494kHz。出力:1kW)
新見(新見市新見。周波数:1494kHz。出力:1kW)
備前(和気郡和気町田土。周波数:1494kHz。出力:1kW)
(エフエム)
岡山(岡山市南区郡。周波数:91.4MHz。出力:0.7kW)
落合中波中継局(真庭市杉山)は現在の市区郡町村名を採って真庭中波中継局と称されることもある(注9)
備前中波中継局(和気郡和気町田土)は備前市ではなく和気郡和気町佐伯地区にあるのだが、佐伯中波中継局という名称にならなかった理由は不明(和気郡佐伯町〔1955〜2006〕の知名度が低いからだろうか)。
本局及び高梁中波中継局(高梁市松原町松岡)は中波ステレオ放送を実施していたことがある(実施期間は本局は1992年〔平成4年〕10月5日〜2011年〔平成23年〕3月28日、高梁中波中継局は1992年〔平成4年〕10月5日〜2011年〔平成23年〕3月21日)。
radiko参加年月日 2014年(平成26年)12月1日 都道府県以上の放送区域を有する民間放送局としては全国では73番目(注10)(栃木放送〔CRT、宇都宮市昭和二丁目〕と同じ日)、民間中波放送局としては39番目(注11)(栃木放送と同時)、中国地方の都道府県域民間ラジオ放送局としては4番目に参加した(注12)
一方で政令指定都市に本社を置いている民間中波放送局(注13)、更に中波ステレオ放送を実施していた民間中波放送局(注14)としては最後に参加した放送局となった

radiko参加と同時に日本全国どこでも番組が楽しめるradiko.jpプレミアムにも参加。但し本来の放送区域である岡山県以外の地域では有料になること(月額385円〔消費税込み〕がかかる)とJリーグ二部に属するファジアーノ岡山の公式戦中継
(注15)は2018年(平成30年)以降配信対象になっていないこと(つまり岡山県以外の地域ではradikoを介して聴けないこと)、更に2018年(平成30年)以降ファジアーノ岡山の公式戦中継は過去一週間の番組を聴取できるタイムフリー聴取の対象外になっていることが難点となっている。
エフエム補完放送
開始年月日
2018年(平成30年)3月21日 民間中波放送局としては全国では39番目(注16)、中国地方にある民間中波放送局としては最後に開始した放送局となった(注17)。また、中波ステレオ放送を実施していた民間中波放送局としても最後に開始した放送局になっている(注18)。一方で政令指定都市に本社を置いている民間中波放送局としては最後に開始した放送局にはなっていない(18社中15番目(注19))。
ただ、岡山エフエム中継局(岡山市南区郡)を開局させてからは全く中継局設置には動いておらず、中国地方にある民間中波放送局では所有エフエム補完中継局数が最少になっている
(注20)
放送時間 月曜日午前5時〜翌週月曜日午前0時15分
(一週間の総放送時間:163時間15分)
放送開始時間は今春の番組改編までは月曜日午前3時となっていたが、午前3時台に放送していた自社制作番組「沢知恵日曜日の音楽室」の再放送の放送時間を日曜日午後11時台に変更したことと午前4時台に放送していたエフエムナックファイブ(さいたま市大宮区錦町)制作の「松山千春 ON THE RADIO(注21)」を打ち切ったこと、そしてそれらの番組の跡地に新たな番組を設定しなかったことから2時間繰り下がることになった。この結果、山口放送ラジオ(KRY、周南市徳山)以外の中国地方にある都道府県域民間ラジオ放送局や西日本放送ラジオと同じ放送開始時間になった(注22)
一方、放送終了時間は中国地方の民間中波放送局では最も早く
(注23)、西日本放送ラジオと同じ時間となっている。
公式サイトのURL https://www.rsk.co.jp/

 次にRSK山陽放送ラジオの略史を示すと下表の通りになる。

※社名や所在地、単位は分かりやすくするために現在のものを記している。

年月日 記事 備考
1953年(昭和28年)10月1日 山陽放送という社名で開局する。 開局当時の本社・演奏所は岡山市北区表町二丁目(注24)に、本局は岡山市南区浜野四丁目(注25)にそれぞれ設置されていた。
本局の周波数は1280kHz、出力は昼間は1kW、夜間は0.5kWとなっていた。
放送局の愛称はラジオ山陽としていたが、ラジオ山陽を社名としたことは一度もなかった。
1954年(昭和29年)9月1日 本局の完全無人化を実施する。 本局の無人化は全国初。もっとも無人化を前提とした施設として建設され、開局を迎えている。
1955年(昭和30年)10月1日 津山中波中継局(津山市林田)が開局する。 周波数は800kHz。
1956年(昭和31年)10月1日 本局の出力が終日1kWになる。
1957年(昭和32年)8月12日 新見中波中継局(新見市新見)が開局する。 周波数は1060kHz。
1958年(昭和33年)6月1日 テレビ放送を開始し、テレビ・ラジオ兼営局に移行する。 都道府県域民間テレビ放送局としては全国で7番目となる(注26)。また、五大都市(札幌・東京・名古屋・大阪・福岡)以外では初の都道府県域民間テレビ放送局にもなっている。
記すまでもないことであるがこの時点で中国地方には都道府県域民間テレビ放送局はまだ存在しなかったためRSK山陽放送テレビは中国地方初の都道府県域民間テレビ放送局にもなっている
(注27)
1959年(昭和34年)10月1日 本局の周波数を1280kHzから1260kHzに変更し、併せて出力を3kWに増強する。
1960年(昭和35年)4月5日 本局の周波数を1260kHzから1420kHzに変更する。
1961年(昭和36年)7月1日 笠岡中波中継局(笠岡市神島)が開局する。 周波数は1420kHz。
本局と周波数を統一するための実用化実験局として開局した。
1961年(昭和36年)9月1日 ラジオ山陽という愛称の使用を取りやめる。 テレビ・ラジオ兼営局に移行したことが背景にあるものと思われる。
1962年(昭和37年)5月1日 本社・演奏所を岡山市北区丸の内二丁目(以降二代目本社と記すものとする)に移転する。
1962年(昭和37年)10月1日 本局の出力を5kWに増強する。
1963年(昭和38年)12月4日 津山中波中継局の周波数を800kHzから1060kHzに変更する。 この結果津山・新見両中波中継局の周波数が統一され、岡山県北部を移動する場合は周波数を合わせ直さなくても良くなった。
1965年(昭和40年)5月2日 TBSラジオを総本山とするJRN系列に加盟する。 JRN系列はこの日発足。
この翌日、すなわち1965年(昭和40年)5月3日に発足した、ニッポン放送(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)・文化放送(QR、東京都港区浜松町一丁目)を総本山とするNRN系列への所属はこの時は見送っている。
1965年(昭和40年)7月1日 笠岡中波中継局の位置付けを実用化実験局から標準放送局に変更する。
1968年(昭和43年)4月1日 本局及び笠岡中波中継局の周波数を1420kHzから1490kHzに変更する。
1970年(昭和45年)3月1日 本局を現在地に移転する。 現在の本局周辺にはその後RSKバラ園(岡山市北区撫川)が整備され、市民の憩いの場になっている(但し入場料金が必要である)。
1973年(昭和48年)10月1日 備前中波中継局が開局する。 周波数は本局及び笠岡中波中継局と同じ1490kHz。
備前中波中継局は備前市ではなく和気郡佐伯町に設置されたのだが佐伯中波中継局という名称にしなかった理由は不明である(和気郡佐伯町の知名度が低いからだろうか)。
1977年(昭和52年)1月31日 終夜放送に移行する。 JRN系列にしか属していなかったためニッポン放送制作の「オールナイトニッポン」や文化放送制作の「セイ! ヤング」(1969〜1981年〔昭和44〜56年〕放送)・「走れ! 歌謡曲」(1968〜2021年〔昭和43年〜令和3年〕放送)はネットできず、TBSラジオ制作の「パック・イン・ミュージック」(1967〜1982年〔昭和42〜57年〕放送)と「歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」(1974〜2001年〔昭和49年〜平成13年〕放送)をネットするしかなかった。1970年(昭和45年)秋の番組改編で終夜放送に移行した中国放送ラジオがニッポン放送や文化放送の番組をネットしていたのとは対照的な状況になった(注28)
1978年(昭和53年)11月23日 中波放送の周波数の再編に伴い全ての中波中継局の周波数を変更する。 中波放送の需要逼迫に伴い10kHzごとに設定していた周波数間隔を9kHz間隔に変更したものである(つまり中継局で使用する周波数は10で割り切れる数から9で割り切れる数に変更したということ)。無論山陰放送ラジオ(BSS、米子市西福原一丁目)の本局(米子市彦名町。周波数:900kHz)や中国放送ラジオ(RCC、広島市中区基町)の本局(江田島市沖美町美能。周波数:1350kHz)のように9と10の公倍数に当たる数字を使用していたために変更せずに済んだところもあった。
本局及び笠岡・備前両中波中継局は1490kHzから1494kHzに、津山・新見両中波中継局は1060kHzから1062kHzにそれぞれ変更している。
1980年(昭和55年)7月7日 落合中波中継局が開局する。
また、落合中波中継局の開局を期して津山・新見両中波中継局の周波数を1494kHzに変更し、民間中波放送局としては初めて全ての中継局の周波数を統一する。
落合中波中継局の周波数は1494kHz。RSK山陽放送ラジオとしては初めて1494kHz以外の周波数を用いたことのない中波中継局となった。
1982年(昭和57年)10月1日 高梁中波中継局が開局する。 全ての中波中継局の周波数を統一した後の開局となったため周波数は記すまでもなく1494kHzとなった。
高梁中波中継局の開局をもってRSK山陽放送ラジオの中波中継局の整備は終了した。
1987年(昭和62年)10月1日 本局の出力を10kWに増強する。
1992年(平成4年)10月5日 本局と高梁中波中継局について中波ステレオ放送を開始する。 RSK山陽放送ラジオは初めて本局だけでなく中継局についても中波ステレオ放送を実施した放送局となった(注29)
既に全ての中波中継局の周波数は1494kHzに統一されていたのだがなぜ高梁中波中継局だけ実施したのかは不明。高梁中波中継局がRSK山陽放送ラジオの中波中継局としては最新だったことを考えるとまずは本局と高梁中波中継局について実施し、その後他の中波中継局に拡張しようとしたのではないのだろうか。ただ、中波ステレオ放送は元々中波放送の音質が良くないことや機器が高額になること、日本放送協会(NHK、東京都渋谷区神南二丁目)が一切導入しなかったことなどから普及せず、これ以上の拡張は行われることはなかった。
1997年(平成9年)10月1日 ニッポン放送・文化放送を総本山とするNRN系列に加盟する。 これにより中国地方にある民間中波放送局は全てJRN・NRN両系列に属することになった。
2011年(平成23年)3月21日 高梁中波中継局の中波ステレオ放送が終了する。
2011年(平成23年)3月28日 本局の中波ステレオ放送が終了する。 これによりRSK山陽放送ラジオの中波ステレオ放送は約18年半で終止符が打たれることになった。2011年(平成23年)3月14日には中国放送ラジオも中波ステレオ放送を終了させていたため中国地方にある民間中波放送局で実施されていた中波ステレオ放送は全て終了した。
2014年(平成26年)12月1日 都道府県以上の放送区域を有する民間ラジオ放送局を対象としたインターネット再送信サービスのradikoに参加する。同時に日本全国どこでも番組が楽しめるradiko.jpプレミアムにも参加する。 radiko.jpプレミアムについては本来の放送区域である岡山県で使用する場合は無料であるが岡山県以外で使用する場合は月額385円(消費税込み)がかかるようになっている。
2018年(平成30年)3月21日 岡山エフエム中継局が開局したことによりエフエム補完放送を開始する。 周波数は91.4MHz。
岡山エフエム中継局はテレビ放送の本局(岡山市南区郡)に併設している。
これにより中国地方にある民間中波中継局は全てエフエム補完放送を実施することになった。
2019年(平成31年)4月1日 五大都市以外にある都道府県域民間放送局としては初めて認定放送持株会社体制に移行し、社名を山陽放送からRSK山陽放送に変更する。 全国では10番目となる(注30)
また、認定放送持株会社体制移行に合わせてRSKホールディングスは高松市及びその周辺地域を放送区域としているコミュニティ放送局・エフエム高松コミュニティ放送(愛称:MAN de GAN815〔1996〜2005〕→FM815。高松市常磐町一丁目)を子会社としている。
2021年(令和3年)6月6日 テレビ部門とラジオ部門の一部について現本社に業務を移転する。
2023年(令和5年)4月10日 午前0時15分をもって二代目本社からのラジオ放送の送信を終了し、午前5時21分から現本社からのラジオ放送の送信を開始する。 二代目本社から流した最後の番組は中国放送ラジオ制作の「SETOUCHI STARTUPS SELECTION」、現本社から流した最初の番組は里見俊樹・RSK山陽放送代表取締役社長の挨拶であった。
なお、二代目本社はRSKホールディングスが引き続き使用することになっている上に二代目本社の真向かいにあった岡山映像ライブラリーセンター(岡山市北区丸の内二丁目)が移転してくることになっている。

 最後に2023年(令和5年)4月10日時点のRSK山陽放送ラジオの主な自社制作番組(放送時間5分以上)を示すと下表の通りになる。

※今春の番組改編で始まった番組については番組名の前に◎を付けている。

題名 放送日時 備考
曜日 時間
◎KAWADAレコード 月〜金 午前5時〜午前5時25分
歌のない歌謡曲 月〜金 午前6時45分〜午前7時 大半の民間中波放送局で放送されている(注31)が内容は放送局ごとに異なっている。
◎天神ワイド 朝 月〜金 午前7時〜午後0時 本日、すなわち2023年(令和5年)4月10日から始まった自社制作のワイド番組。
あもーれ! マッタリーノ 月〜金 午後0時30分〜午後4時25分 月曜日と金曜日は表町商店街に設置されたサテライトスタジオ「RSKらじお本舗」(岡山市北区表町三丁目)で公開生放送を行っている。
◎おかやまニュースタイム 月〜金 午後5時45分〜午後6時15分
タケすし垣島
〜ちょっとディープなゴルフの○○な話〜
午後7時30分〜午後8時
演歌春秋 午後8時〜午後10時 RSK山陽放送ラジオ随一の長寿番組(1984年〔昭和59年〕4月9日放送開始)。
みんなで守ろう黄色い道
〜岡山発マモちゃんラジオ
午後4時40分〜午後4時50分
せとうち企業セレクション2023 午前8時15分〜午前8時45分 月曜日午後7時〜午後7時30分に再放送を行っている。
国司と新田の土曜番長 午前9時〜午後2時 自社制作のワイド番組で最も長く続いている番組(2015年〔平成27年〕4月4日放送開始。但し出演者の変更により「土曜番長」を除く部分の題名は何度か変わっている)。
ブラヴォー!! 岡フィル!!
もっとクラシック♪
午後4時30分〜午後5時
沢知恵日曜日の音楽室 午後5時〜午後6時 日曜日午後11時〜月曜日午前0時に再放送を行っている。
中四国ライブネット 午後6時〜午後8時 中国・四国地方にある民間中波放送局8社(山陰放送ラジオ・RSK山陽放送ラジオ・中国放送ラジオ・山口放送ラジオ・四国放送ラジオ〔JRT、徳島市中徳島町二丁目〕・西日本放送ラジオ・南海放送ラジオ・高知放送ラジオ〔RKC、高知市本町三丁目〕)が持ち回りで制作・放送する番組。
ファジアーノ岡山公式戦中継を挿入するためRSK山陽放送ラジオでは放送されない場合がある(その場合別の時間帯に改めて放送されることはない
(注32))。
◎OKYAAAMA
〜大都会オカヤマな夜〜
午後10時〜午後11時 日曜日午前4時〜午前5時に再放送を行っている。
ファジアーノ岡山公式戦中継 不定 不定 原則として岡山県総合グラウンド陸上競技場(愛称:シティライトスタジアム。岡山市北区いずみ町)で週末に開催されるホームゲームに限って放送。
ファジアーノ岡山寄りの中継放送を行っていることもあってか2018年(平成30年)以降はradiko.jpプレミアムの配信対象になっていないため放送区域外、すなわち岡山県以外の地域ではradiko.jpプレミアムを介して楽しむことはできなくなっている。また、試合観戦者に携帯ラジオ受信機を持参するように番組公式サイトで呼びかけていることや生放送で楽しんだほうが好ましいと考えていることなどから2018年(平成30年)以降はタイムフリー聴取の対象からも外されている。

 前にも記したように今秋開局70周年を迎えるRSK山陽放送ラジオであるが、長寿番組が少ないのが気になるところである。特に三つある日中の自社制作のワイド番組はいずれも放送を開始してからまだ10年経っていないものばかりであり、開局した時から20年以上の長きにわたって続いている日中の自社制作のワイド番組が二つもある岡山エフエム放送(注33)愛称:エフエム岡山またはVV-FM。岡山市北区中山下一丁目)や今春節目を迎える日中の自社制作のワイド番組が二つもある中国放送ラジオ(注34)と比べるとなぜこうなっているのだろうと思いたくなってしまう。経営環境が厳しいことやスポンサーの獲得がままならないこと、価値観の変転が激しいことなどいろいろ理由はあるのだろうがもう少し長い目で番組を制作・放送することはできないものであろうか。経営環境がRSK山陽放送ラジオより更に厳しい岡山エフエム放送にできることがRSK山陽放送ラジオにはできないことはないと私は思うのだが…。

RSK山陽放送新本社の様子

 さて、RSK山陽放送の新本社はどこにあり、どのような建物なのか。ここではそれを紹介することにしたい。
 RSK山陽放送の新本社の所在地は岡山市北区天神町9番24号である(場所はこちら)。新本社の東側を日本三大園(注35)の一つ・後楽園に通じる岡山県道400号後楽園線(城下筋)が通っており、南側には岡山市立オリエント美術館(岡山市北区天神町)が、北側には岡山県立美術館(岡山市北区天神町)がそれぞれ建てられている。この他近くには旭川や岡山神社(岡山市北区石関町)、岡山県天神山文化プラザ(岡山市北区天神町)などもあり、岡山市中心部に属しながら閑静な場所にあることがうかがえる。
 RSK山陽放送が岡山市北区天神町に移転することを決めたのは2017年(平成29年)のことである。RSK山陽放送の新本社がある場所には2012年(平成24年)まで岡山市立岡山後楽館中学校・高等学校(岡山市北区南方一丁目)があったのだが、岡山市立岡山後楽館中学校・高等学校が現在地に移転してからは使用されていなかった(注36)。そんな中、1962年(昭和37年)から使用していた社屋が老朽化していたことや本社・演奏所が岡山城跡(岡山市北区丸の内二丁目)の中にあるために現在地周辺での建て替えが困難になっていたことなどの課題を抱えていたRSK山陽放送は新築移転先を探していたのだが、岡山市が岡山市立岡山後楽館中学校・高等学校跡地を売却することになったことから名乗りを上げ、岡山市立岡山後楽館中学校・高等学校跡地に移転することになった。

校舎解体後の岡山市立岡山後楽館中学校・高等学校北門(2018年〔平成30年〕3月18日撮影)。
撮影した時は移転から6年近く経っていたのだが撮影時点でも残されていた引戸門扉や防球ネットが学校だったことを偲ばせている。

 RSK山陽放送新本社は2018年(平成30年)12月に起工して約1年半後の2020年(令和2年)7月に竣工、2020年(令和2年)10月の多目的ホール「能楽堂ホールtenjin9」(1階に設置)の開業、2021年(令和3年)6月のテレビ部門全般とラジオ部門の一部の移転を経て今回の全面移転と相成った。放送局の機能を移転させる前に社屋に内包した文化施設を開業させ、放送局の機能移転も一挙に行うのではなく二度に分けたという珍しい形での移転となった。
 さて、RSK山陽放送新本社は前に書いたように岡山県道400号後楽園線に面していることと、社屋の中に多目的ホールを設けていること以外にも次に挙げる特色を持っている。
・カフェレストランを併設していること。
・岡山県道400号後楽園線に面して設置された玄関横にかつてはJR山陽新幹線・山陽本線・宇野線・吉備線・津山線岡山駅(岡山市北区駅元町)構内に設置されていた芸術家・岡本太郎(1911〜1996)制作の陶板レリーフ「躍進」を移設して展示していること。

南東方面から撮影したRSK山陽放送新本社。
中央奥に見える陶板レリーフが「躍進」である。
撮影したのは一部部門移転前の2021年(令和3年)5月30日だった(注37)ためロードコーン(注38)がまだ置かれている。

「躍進」の全体写真。
撮影したのは一部部門移転前の2021年(令和3年)5月30日だった(注37)ためレリーフの下にはロードコーン(注38)とコーンバーが置かれている。

 

レリーフの脇に彫られている作品名・作者表示(左)とレリーフにある作者の署名(右)。
このレリーフが岡本太郎の作品であることがうかがえる。

 社屋の中に多目的ホールを設置したことや長年岡山市の代表駅である岡山駅構内に設置されていたレリーフを新社屋の壁に移設したことに私はRSK山陽放送は岡山県を代表する放送局は我々であるという気概を感じ取ったものである。RSK山陽放送を取り巻く環境は厳しいものがあるが、どのような展開が新本社であるのだろうか。今後も注目していきたいところである。
 ところで、RSK山陽放送の本社移転についてある二つの事実があることはあまり知られていない。それを挙げると次の通りになる。
・RSK山陽放送は近世城郭の跡地の中にある放送局ではなくなったこと。RSK山陽放送は中国地方では中国放送・山口放送(注39)とともに近世城郭の跡地に本社・演奏所のある民間放送局として知られていたのだが、今回の全面移転により近世城郭の跡地の中にある放送局ではなくなった。

RSK山陽放送二代目本社。
建物の下にある石垣は岡山城跡の中に建てられていることをうかがわせている。

・岡山市に本社・演奏所を置くテレビ放送局は全て21世紀に入ってから本社・演奏所移転を経験することになったこと。RSK山陽放送以外のテレビ放送局はNHK岡山放送局(岡山市北区駅元町)が2005年(平成17年)に岡山市北区丸の内二丁目から、テレビせとうち(TSC、岡山市北区柳町二丁目)が2006年(平成18年)に岡山市北区野田五丁目から、岡山放送(OHK、岡山市北区下石井二丁目)が2021年(令和3年)に岡山市北区学南町三丁目からそれぞれ現在地に移転している(注40)。このような状況は現在のところ中国地方では他に松江市でしか見られない(注41)
 どのくらいの方がこれらの事実を知っているのかは分からないのだが…。

私が抱くRSK山陽放送の印象

 新たな社屋で開局70周年を迎えることになったRSK山陽放送ラジオであるが、本ページをご覧になっている方はRSK山陽放送ラジオについてどのような印象を持っているのだろうか。中にはその存在を知らない方や存在を知っていても聴いたことすらないという方もいることであろうが、私は先進的・積極的・挑戦的・独自的な放送局という印象を抱いている。なぜそのような印象を抱いたのか、ここから説明していきたいと思う。

(開局当初からラジオ○○という社名を使わなかったこと)

 RSK山陽放送が開局したのは1953年(昭和28年)10月1日のことである。その当時日本にあった民間放送局は中波放送局がほとんどであり、民間テレビ放送局はRSK山陽放送が開局する1ヶ月ほど前の1953年(昭和28年)8月28日に開局した日本テレビ放送網(NTV、東京都港区東新橋一丁目)だけであった。まだ東京都及びその周辺地域でしか民間テレビ放送局の番組を楽しめなかったということになるのだが、そんな中で開局したRSK山陽放送はラジオ山陽とかラジオ岡山という名称ではなく、最初から山陽放送という名称を用いていた。RSK山陽放送ラジオが放送区域とする岡山県でテレビ放送が始まるのはRSK山陽放送が開局した時点ではかなり先の話だろうと考える方が少なくなかったのではないかと思う(注42)のだが、RSK山陽放送の設立・開局に関わった方々は将来のテレビ・ラジオ兼営局移行を見据えていたように感じられる。ただ、開局時点ではラジオ放送しか有していなかったために別途ラジオ山陽という愛称を付けて放送を展開していた。
 結局RSK山陽放送がテレビ放送を開始し、テレビ・ラジオ兼営局に移行したのはラジオ放送開局から5年近く経った1958年(昭和33年)6月1日のことである。五大都市以外の地域では初めての都道府県域民間テレビ放送局の開局であり、記すまでもなく中国地方初の都道府県域民間テレビ放送局にもなっている。他の中国地方にあるテレビ・ラジオ兼営局がテレビ・ラジオ兼営局に移行してから数年後に社名を変更せざるを得なくなったことを考えるとRSK山陽放送には先見の明があったことが感じられるところである。

(県名ではなく広域地名を社名に用いたこと)

 RSK山陽放送の「山陽」という地名は兵庫県・岡山県・広島県・山口県の瀬戸内海沿岸地域を指している。いわゆる広域地名になるわけであるが、それ故に「RSK山陽放送」という名称を付けるとどの県にある放送局なのか分かりにくくなるという難点を有している。それでもなぜ岡山県を放送区域とする民間放送局が「山陽」という地名を用いたのだろうか。考えられる理由は次の通りである。
・岡山県の地方紙・山陽新聞社(岡山市北区柳町二丁目)との関係が深いことを示したかったこと。
・放送区域は岡山県だけであるが山陽地方を代表する放送局を目指すという意思を示したかったこと。
・1950年代前半に開局した民間放送局は都道府県名よりも地方名や広域地名などを付ける傾向があったこと(注43)
・RSK山陽放送より1年早く開局したラジオ中国(現:中国放送)やRSK山陽放送と同じ日に開局し、岡山県南部で受信できる可能性が高かったラジオ四国(現:西日本放送)などへの対抗意識があったこと。
・大阪・神戸・広島・高松などの近隣にある都市への対抗意識があったこと。
 真相ははっきりしないが、広域地名を社名に採用したこともあってかRSK山陽放送ラジオの放送開始告知と放送終了告知には冒頭(放送開始告知は二文目、放送終了告知は一文目)でどこにある放送局であるかを示すという特徴がある。下表は中国地方にある、社名に県名を付けていない民間中波放送局の放送開始告知と放送終了告知の冒頭部分(中継局の周波数を読み上げるまでの部分)を書き起こしたものである(放送内容はいずれも2021年〔令和3年〕12月時点のもの。某動画投稿サイトで公開されているものを参考にしている)が、RSK山陽放送ラジオの放送開始告知・放送終了告知が一風変わっていることがうかがえるのではないのだろうか。

放送局名 放送開始告知 放送終了告知 備考
山陰放送 おはようございます。BSSラジオが只今今日の放送を開始しました。
山陰を一つに結ぶBSSラジオ・山陰放送は島根・鳥取両県各地にAM・FMラジオの放送局を置いて全山陰に広くサービスしています。
JOHF、BSSラジオ米子放送局は…
今日もBSSラジオをお聴き頂き、ありがとうございました。
BSSラジオAM放送局、東からJOHL、鳥取放送局は…
日曜日深夜(月曜日早朝)だけでなく土曜日深夜(日曜日早朝)にも放送休止を設定しているため放送開始告知・放送終了告知とも一週間に2回流れる格好になっている。
放送開始告知は約5分、放送終了告知は約3分とかなり長い。
放送開始告知は本局から周波数を読み上げていくのに対して放送終了告知は最も東にある中波中継局、すなわち鳥取中波中継局(鳥取市里仁。周波数:1431kHz)から読み上げている。なぜこのようにしているのかは定かではない。
RSK山陽放送 おはようございます。こちらは岡山のRSK山陽放送です。只今から今日の放送を開始します。
JOYR山陽放送、RSK山陽放送はAM全局1494kHzでお送り致します。
岡山放送局…
こちらは岡山のRSK山陽放送です。これで山陽放送ラジオの放送は全て終了しました。この後午前3時から放送を開始します。
JOYR山陽放送、RSK山陽放送はAM全局1494kHzでお送りしました。
岡山放送局…
中国放送 おはようございます。お休みしていましたRCCラジオ、これから放送を始めます。
AMでは広島からは…
お聴き頂きましたRCCラジオ、次の放送開始までしばらくお休みを頂きます。
AMでは広島からは…
RCCという略称が広く浸透しているからか放送開始告知・放送終了告知とも社名である中国放送を一切出さないことと、中波中継局名は「○○からは…」というように地名だけを読み上げていること、中継局の周波数とコールサイン(本局及び福山中波中継局〔福山市北美台〕のみ所有)は紹介するが中継局の出力については一切触れないこと(注44)といった特徴を持っている。
放送開始告知・放送終了告知とも現在は1分ほどであるが、1984〜1994年(昭和59年〜平成6年)に流されていた放送終了告知は何と2分半に及ぶかなり長いものであった。

 放送開始告知では二文目で、放送終了告知では一文目でそれぞれ放送区域としている県―本社・演奏所のある市の名前でもあるのだが―の名称を出すところになかなかどの県にある放送局なのか分かって頂けないという苦悩と、岡山県または岡山市にある放送局であることを多くの人々に知って頂きたいという切実な願望を感じ取ることができる。

(早くから周波数統一に取り組み、結局全ての中波中継局の周波数を統一したこと)

 RSK山陽放送ラジオは開局した時点では岡山市及びその周辺でしか聴取できなかったが、1955年(昭和30年)には岡山県北部最大の都市・津山市に、1957年(昭和32年)には岡山県北西部の交通の要衝・新見市にそれぞれ中継局を設置し、岡山県内の主たる地域でRSK山陽放送ラジオの番組が楽しめるようになった。新見中波中継局が開局した時点での各中継局の周波数は次の通りであった。
・本局…
1280kHz
・津山中波中継局…800kHz
・新見中波中継局…1060kHz
 放送区域内三つの中波中継局の周波数はバラバラであり、岡山市〜津山市間、岡山市〜新見市間、津山市〜新見市間を自動車で移動する際はどこかで周波数を合わせ直さざるを得ないという問題が生じた。まあ新見中波中継局が開局した時点で岡山市と津山市を結ぶ道路(二級国道179号岡山・鳥取線〔1953〜1963〕)、岡山市と新見市を結ぶ道路(二級国道180号岡山・松江線〔1953〜1965〕)、津山市と新見市を結ぶ道路(二級国道181号津山・米子線〔1953〜1965〕及び主要地方道勝山・新見線〔1954〜1982〕)の改良はそんなに進んでいなかったこと(注45)や自動車を所有している人が多くなかったことなどを考えれば放送区域内三つの中波中継局の周波数がバラバラであることはあまり問題にはならなかったものと思われる。
 しかし、岡山県南西部の中心都市・笠岡市に中波中継局を設置することになって他の中波中継局との周波数が異なることは果たして好ましいのかという問題が生じた。その理由を挙げると次の通りになる。
・岡山市と笠岡市を結ぶ一級国道2号線(1952〜1965)の改良が進んでおり、交通量が増えていたこと。
・笠岡市は広島県に属する福山市との交流が盛んであること。
・福山市は1956年(昭和31年)9月30日に周辺の2町8村(注46)を一挙に編入して広島県南東部初の10万都市になっていた上に今後更に発展していく可能性が高かったこと。
・福山市には1959年(昭和34年)2月1日にラジオ中国が中波中継局を設置しており、岡山県南西部でも十分受信できるようになっていたこと。
・福山市の発展に伴って井原市・笠岡市で福山市への吸引効果(注47)が生じることは必然的なことだったのだが、それが高じて越県合併に進むことを岡山県は好ましく思わなかったこと(注48)
 つまり、笠岡中波中継局の設置に当たっては次に挙げるような課題が生じたのである。
・井原市・笠岡市において福山市への吸引効果が発生することは致し方ないこととしても井原市・笠岡市の岡山県への帰属意識は維持されなければならない。
・岡山市〜井原市・笠岡市を自動車で往来する際に周波数を合わせ直さないようにしなければならない。
 そこで笠岡中波中継局の周波数は本局と同じ1420kHz(注49)に設定することにしたのであるが、次に挙げるような課題が生じた。
・本局と同じ周波数で開局した、本局の電波が十分受信できる地域に設置された中波中継局がないこと。
・もし本局と笠岡中波中継局について同じ周波数を用いた場合、その間にある浅口市などで干渉性フェージングが発生し、RSK山陽放送ラジオが受信しづらくなる恐れがあること。
 RSK山陽放送ラジオは前例がなく、困難が伴うことに挑戦しようとしたことになるわけであるが、そこで採った方法は笠岡中波中継局は本局と周波数を統一するための実用化実験局として開局させるというものであった。実験を重ねて問題点を見つけ出し、改善していった上で正式な中継局に移行させようというわけであるが、これがある史上初の出来事の第一歩になるとは当時誰も考えなかったことであろう。
 RSK山陽放送ラジオによる本局と同じ周波数を用いた中継局の設置は当時かなりの驚きを持って受け止められたことであろうが、RSK山陽放送ラジオは笠岡中波中継局の開局からそんなに年数が経っていない1963年(昭和38年)暮れに今度は岡山県北部にある二つの中波中継局、すなわち津山・新見両中波中継局の周波数を1060kHzに統一したのである(津山中波中継局の周波数を800kHzから1060kHzに変更する形で実施)。津山市〜新見市間は直線距離で50kmほど離れていることやその途中には山があることから本局と笠岡中波中継局の周波数を同じくすることよりは難しくはなかったのだろうが、津山・新見両中波中継局の周波数統一もかなりの驚きを持って受け止められたものと思われる。
津山市と新見市を結ぶ交通路はJR姫新線しかなかったことや道路事情は良くなかったことなどを考えれば周波数を統一する必要はないのではないかと思われていたからであるが、それでも津山・新見両中波中継局の周波数統一に踏み切った理由としては次に挙げるようなことが考えられる。
・笠岡中波中継局開局時点から日夜続けてきた本局と笠岡中波中継局の周波数統一実験は成果を上げていたこと。
・本局と笠岡中波中継局の周波数統一実験の成果
を今度は岡山県北部で示したかったこと。
・岡山県南部では1420kHzで、岡山県北部では1060kHzでそれぞれRSK山陽放送ラジオの番組を楽しんで頂くように住み分けを図ろうとしたこと。
 こうして
岡山県南部では1420kHzで、岡山県北部では1060kHzでそれぞれRSK山陽放送ラジオの番組を楽しめるようにする体制が確立したわけであるが、その後笠岡中波中継局の位置付け変更(1965年〔昭和40年〕)や本局及び笠岡中波中継局の周波数変更(1968年〔昭和43年〕)、本局の移転(1970年〔昭和45年〕)、備前中波中継局の開局(1973年〔昭和48年〕)、中波放送の需要逼迫に伴う周波数間隔変更(1978年〔昭和53年〕)を経てもこの状況は変わらなかった。参考までに1978年(昭和53年)11月23日時点のRSK山陽放送ラジオの中波中継局の一覧を示すと下表の通りになる。

※所在地は1978年(昭和53年)11月23日時点のものを記している。

中継局名 所在地 周波数 備考
岡山
(本局)
岡山市撫川 1490kHz→
1494kHz
笠岡 笠岡市神島 1490kHz→
1494kHz
津山 津山市林田 1060kHz→
1062kHz
新見 新見市新見 1060kHz→
1062kHz
備前 和気郡佐伯町田土 1490kHz→
1494kHz
1973年(昭和48年)に開局した時から周波数は本局及び笠岡中波中継局と同じ1490kHzを用いていた。

 中波放送の需要逼迫に伴う周波数間隔変更は中継局を設置したくでもできないでいた民間中波放送局にとって朗報と言えることであった。使える周波数が増えたことで中波中継局の設置が行えるようになったからである。中国放送ラジオが1980〜1982年(昭和55〜57年)に3箇所の中波中継局(庄原・東城・府中)を設置したことはその象徴的な話であった(注50)が、同じ頃RSK山陽放送ラジオも中波中継局設置を考えていたところがあった。それは津山市と新見市の中間にあり、ある程度の人口集積があって道路交通の要衝となっていた真庭郡南部(注51)であった。ある程度の人口集積があることや交通の要衝になっていること、地形的に津山・新見両中波中継局からの電波が受信しづらい地域が少なくなかったこと、真庭郡内には有名な観光地が多くあったことが白羽の矢を立てた理由であるが、もし真庭郡南部に中波中継局を設置するとすればその周波数は津山・新見両中波中継局と同じ1062kHzを用いるはずであった。
 そんな中、真庭郡南部に設置する中波中継局の開局を期して真庭郡南部に設置する中波中継局を含めて全ての中波中継局の周波数を1494kHzに統一しようという話が浮上した。これまで記してきたようにRSK山陽放送ラジオは岡山県南部にある中波中継局(本局及び笠岡・備前両中波中継局)については1494kHz、岡山県北部にある中波中継局(津山・新見両中波中継局)については1062kHzを用いており、地域ごとに周波数を統一することまでは行っていたのだが、全ての中波中継局の周波数を統一することはこれまでどの民間中波放送局も取り組まなかったことであり、RSK山陽放送にとってもその結果がどうなるか皆目見当の付かない話であった。それでもなぜ取り組むことに決めたのか。無論これまでの実績もあったわけであるが、次に挙げるようなことも考えられる。
・道路事情の改善。
・南北格差の是正。
・聴取者の利便性向上。
・一体化の醸成。
・存在感の向上。
 
真庭郡南部への中波中継局設置と並行しての周波数統一作業は困難を極めたことであろうが、結局真庭郡南部に設置する中波中継局、すなわち落合中波中継局―記すまでもないが周波数は1494kHzを用いている―が開局した1980年(昭和55年)7月7日を期して津山・新見両中波中継局の周波数を1062kHzから1494kHzに変更する形でRSK山陽放送ラジオは全ての中波中継局の周波数を1494kHzに統一するという、史上初の快挙を成し遂げたのである。
 しかし、これでRSK山陽放送ラジオの受信環境改善が完了したわけではない。既に気付いた方もいるかもしれないのだが、RSK山陽放送ラジオの中波中継局は岡山県南部に3箇所(本局及び笠岡・備前両中波中継局)、岡山県北部に3箇所(落合・津山・新見各中波中継局)それぞれ設置していたのだが、その中間部には全く中波中継局は設置されていなかったのである。
岡山市と岡山県北部にある主要都市を結ぶ交通路はともに瀬戸内海に注ぐ旭川(津山・落合方面)か高梁川(新見方面)に沿って形成されていることや旭川・高梁川の流路はかなり直線的であることから6局体制で十分だろうと考えていたのだろうがそれでも受信しづらい地域は残ることになった。その一つが岡山県中部にあり、多くの観光地を擁している高梁市であった。高梁市は中心部がある平地は高い山に囲まれていることや中心部がある平地はそんなに広くないことから中波中継局を設置するのが難しいところだった(注52)のだが、RSK山陽放送ラジオは本局以外丘陵地か山の上に中継局を設置してきたことが役に立った。高梁市中心部の西方にある山の上に周波数を1494kHzに設定した高梁中波中継局が開局したのは全ての中波中継局の周波数を統一してから2年ほど経った1982年(昭和57年)10月1日のことであり、RSK山陽放送ラジオの受信環境改善は一旦終結することになった。
 本局と同じ周波数を用いた笠岡中波中継局を開局させてから21年かけて全ての中波中継局の周波数を統一し、放送区域内ならば周波数を合わせ直すことなくRSK山陽放送ラジオの番組が楽しめるようになったわけであるが、その後下表に示すように全ての中波中継局の周波数を統一する民間中波放送局は各地で登場した。中波中継局が本局以外ない民間中波放送局(TBSラジオ・ニッポン放送・文化放送・北日本放送ラジオ〔KNB、富山市牛島町〕・ラジオ沖縄〔ROK、那覇市西一丁目〕・琉球放送ラジオ〔RBC、那覇市久茂地二丁目〕の6社(注53))を含めると47社中17社が中波放送について一つの周波数しか使用しない放送局となっているわけであるが、RSK山陽放送ラジオ以外の中国地方にある民間中波放送局は結局どこも全ての中波中継局の周波数の統一に取り組まなかったのが残念なところである(注54)

放送局名 周波数 中継局数 備考
山形放送 918kHz 6
山梨放送 765kHz 3
朝日放送ラジオ 1008kHz 2
MBSラジオ 1179kHz 2
大阪放送 1314kHz 2
RSK山陽放送 1494kHz 7
四国放送 1269kHz 4
西日本放送 1449kHz 4
南海放送 1116kHz 6
熊本放送 1197kHz 10
宮崎放送 936kHz 7

JRN系列にしか加盟しなかったこと

 中国地方にある民間中波放送局、すなわち山陰放送ラジオ・RSK山陽放送ラジオ・中国放送ラジオ・山口放送ラジオは現在TBSラジオを総本山とするJRN系列とニッポン放送・文化放送を総本山とするNRN系列の双方に加盟しているのだが、実は今から30年ほど前まではRSK山陽放送ラジオだけJRN系列にしか加盟していなかったのである(注55)。JRN系列とNRN系列は発足したのが一日違い(JRN系列…1965年〔昭和40年〕5月2日/NRN系列…1965年〔昭和40年〕5月3日)なのだが、山陰放送ラジオや中国放送ラジオなど多くの民間中波放送局がJRN・NRN両系列に加盟していく中でなぜRSK山陽放送ラジオはJRN系列にしか加盟しなかったのか。その理由を挙げると次の通りになる。
・RSK山陽放送テレビがTBSテレビ系列に属していたこと。
・岡山県南部で受信できるところの多い西日本放送ラジオがNRN系列にしか加盟しなかったこと。
 テレビ部門の所属系列の総本山と同じ系列に属したほうが好ましいという考えが根強かったことや人口集中地域で十分受信できる他県の民間中波放送局に配慮したことが背景にあったわけであるが、この結果中国放送ラジオをよく聴く私から見てRSK山陽放送ラジオは一線を画した存在に感じられるようになった。
 そのことを象徴したのが平日―ここでは火曜日〜土曜日を指す―の午前1〜4時台の番組編成である。中国放送ラジオは1970年(昭和45年)10月から、RSK山陽放送ラジオは1977年(昭和52年)1月からそれぞれ終夜放送に移行したのだが、終夜放送移行に当たってネットするようになった番組は対照的であった。下表、すなわちRSK山陽放送ラジオが終夜放送を開始した時のRSK山陽放送ラジオと中国放送ラジオの平日午前1〜4時台に放送していた番組を示したものをご覧頂ければうかがえるようにJRN・NRN両系列に加盟していた
中国放送ラジオはTBSラジオ・ニッポン放送・文化放送のいずれかが制作している番組を選べたのに対しRSK山陽放送ラジオはTBSラジオが制作している番組しか選べなかったのである(もっとも中国放送ラジオはTBSラジオ制作の平日午前1〜4時台の番組については一切ネットしていないのだが(注28))。

時間帯 放送していた番組及び制作局名 備考
RSK山陽放送 中国放送
午前1時〜午前3時 パック・イン・ミュージック
(TBSラジオ)
オールナイトニッポン
(ニッポン放送)
午前3時〜午前5時 歌うヘッドライト
〜コックピットのあなたへ〜
(TBSラジオ)
走れ! 歌謡曲
(文化放送)

 RSK山陽放送ラジオが終夜放送を開始した時中国放送ラジオや西日本放送ラジオがネットしている「オールナイトニッポン」がネットされなかったことをどうかと思った方は少なくなかったことであろう。そもそも「オールナイトニッポン」のほうがネット局も多いし聴取率も高かったのに「パック・イン・ミュージック」をネットしたからである(注56)RSK山陽放送ラジオでも『オールナイトニッポン』をネットして欲しい」という声はRSK山陽放送ラジオに多数寄せられたことであろうが、RSK山陽放送ラジオはその声に頑として耳を貸さなかった。無論「そんなに『オールナイトニッポン』を聴きたければネットしている放送局を受信して聴いて頂きたい」とか「私どもの放送局はTBSラジオを総本山とするJRN系列にしか加盟していないから『オールナイトニッポン』は放送できない」というような返答はしなかったことであろうが、この結果RSK山陽放送ラジオに対しては独自路線を歩んでいることを評価する方と、ネット番組はそのほとんどがTBSラジオ制作であり、中国放送ラジオなどで見られるような多様性が感じられないことをどうかと思う方が生じることになった。
 私としてはJRN系列にしか加盟しないという独自路線を歩み続けていればRSK山陽放送ラジオは現在でも一目置く存在になっていたのではないかと考えているのだが、
残念ながら時代はそれを許さなくなっていった。次に挙げるようなことに見舞われたからである。
・都道府県域民間エフエム放送局が各地で開局したこと。中国地方では1982年(昭和57年)に広島県で開局したのを皮切りに次々と開局し、1986年(昭和61年)には早くも岡山県以外の各県に存在するようになった(注57)
・バブル景気が1990年代初頭に終わり、その後不況が長く続いたこと。折悪しくも短命政権が続いたことや神戸市を中心とした地域に甚大な被害をもたらした兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災。1995年〔平成7年〕1月17日)が起きたこと、大韓民国や中華人民共和国などの近隣諸国が著しい経済成長を遂げたことなどからなかなか不況から抜け出せなかった。
・パソコンやインターネットが急激に普及したこと。特にパソコン用オペレーションシステムとしてWindows95が日本で発売された1995年(平成7年)秋頃からサイトを作って情報を流す方が増えてきたことからやがて既存の媒体に取って代わる存在になることは時間の問題となっていた。
・原則として市区町村を放送区域とするコミュニティ放送局が登場したこと。岡山県では1996年(平成8年)12月24日に倉敷市でエフエムくらしき(倉敷市白楽町)が、1997年(平成9年)1月1日に岡山市北区で岡山シティエフエム(愛称:Radio momo。岡山市北区中山下二丁目)がそれぞれ開局し、地域密着の放送を展開するようになっていた。
・日本放送協会がラジオ放送について終夜放送を実施したこと。1980年代後半以降いつ何が起きるか分からない事態が相次いで起きたこと(注58)を契機に「ラジオ深夜便」がラジオ第一放送で始まり、その後エフエム放送でも放送されるようになったのだが、中継局がきめ細かく整備されている日本放送協会のラジオ放送が終夜放送に移行したことは民間ラジオ放送局にとって脅威になった。
・TBSラジオが本拠地・東京ドーム(東京都文京区後楽一丁目)での公式戦中継を独占していた読売ジャイアンツの人気が低迷していったこと。プロサッカーリーグが発足してサッカーへの注目が高まったことや価値観が多様化したことに加えて読売ジャイアンツのリーグ優勝回数が1970年代以降減少傾向にあったこと(注59)や9年連続してプロ野球日本選手権シリーズ(日本シリーズ)を制覇した頃、すなわちV9時代(1965〜1973)の主力選手だった王貞治・長嶋茂雄のような多くの人々がその一挙手一投足に注目するような選手が出てこなかったこと、常勝軍団作りに重きを置いたこともあるのかフリーエージェント制度創設を契機にフリーエージェント宣言をした他球団の主力選手を何人も受け入れたこと(注60)が特に他球団のファンの不評を買ったことなども背景にある。
RSK山陽放送の経営環境が厳しくなっていったこと。不況が長く続いたことやパソコン・インターネットが急激に普及したこともあったが、テレビ部門の放送区域人口が300万人に満たないのに5社も都道府県域民間テレビ放送局があること(注61)やRSK山陽放送テレビが属しているTBSテレビ系列の番組の視聴率が平成時代に入ると低迷したことなどが主たる理由であった。
RSK山陽放送→RSKホールディングスの筆頭株主になっている岡山県の財政事情が厳しくなったこと。岡山県は高速道路や鉄道の整備で岡山市及びその周辺地域が中国・四国地方随一の交通の要衝となることを見越し、長野士郎(1917〜2006。知事在任期間:1972〜1996)が知事に就いていた時代に多くの公共事業を展開したのだが、それが県政に暗い影を落とす結果になってしまった。
 立て続けに厳しい状況を突き付けられる結果になったわけであるが、JRN系列にだけ加盟することについて限界に達したと感じたRSK山陽放送ラジオはNRN系列にも加盟することを決断し、1997年(平成9年)10月1日からJRN・NRN両系列に加盟する民間中波放送局に移行した(注62)RSK山陽放送ラジオでも「オールナイトニッポン」がネットされるようになったのはその6日後の1997年(平成9年)10月7日からである。
 ところで、NRN系列に加盟した当時のRSK山陽放送ラジオでは本来なら都道府県域民間エフエム放送局の多くが加盟しているJFN系列各社で流れている番組がいくつか放送されていた。私は前に「都道府県域民間エフエム放送局は中国地方では1986年(昭和61年)までに岡山県以外の各県に存在するようになった」と書いているのだが、岡山県ではRSK山陽放送ラジオがJRN・NRN両系列に加盟する民間中波放送局に移行した1997年(平成9年)になっても都道府県域民間エフエム放送局はまだ開局していなかったのである。岡山県を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局用の周波数は1984年(昭和59年)に郵政省(現:総務省〔東京都千代田区霞が関二丁目〕)から割り当てがなされていたのだが496もあった申請者を一本化するのが難航したことなどから開局に至れていなかったのである。そこでいくつかの番組はRSK山陽放送ラジオでネットされるようになったのである。広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)が制作し、同局とエフエム山陰(愛称:V-air。松江市学園南一丁目)・エフエム山口(FMY、山口市緑町)で放送されていた「木もれ陽のアプローズ」(1993〜2013年〔平成5〜25年〕放送)やエフエム東京(愛称:Tokyofm。東京都千代田区麹町一丁目)が制作し、JFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局各社で放送されていた「福山雅治のSUZUKI Talking F.M.」(1996〜2015年〔平成8〜27年〕放送)が主なところであるが、このように見るとJRN・NRN両系列に加盟した頃のRSK山陽放送ラジオは多様な放送を展開していたことがうかがえる。
 しかし、1999年(平成11年)4月1日に岡山エフエム放送が開局すると「木もれ陽のアプローズ」や「福山雅治のSUZUKI Talking F.M.」は岡山エフエム放送にネット局を変えたためRSK山陽放送ラジオからJFN系列の番組は姿を消した
(注63)この岡山エフエム放送が開局した頃からRSK山陽放送ラジオはどうかと思う状況が見られるようになった。それを挙げると次の通りになる。
・30年近くにわたって岡山県に住んでいる若者に親しまれてきた日曜日深夜の自社制作の洋楽番組「サンデーベスト」(1973〜2002年〔昭和48年〜平成14年〕放送)の終了。中国地方にある民間中波放送局で放送された、若年者に親しまれた自社制作番組はいくつもあったが30年近く続いたのは「サンデーベスト」だけである。終了せざるを得なくなったのはスポンサーの確保がままならなくなったことや音質が良いエフエム電波を用いた岡山エフエム放送が開局したことなどいろいろ考えられるところであるが、「サンデーベスト」に比肩し得る存在の番組がその後全く登場していないのが残念なところである。
・長寿番組の減少。RSK山陽放送ラジオは今秋開局70周年を迎えることになっているのだが、10年以上続いている番組は1984年(昭和59年)に放送を開始した「演歌春秋」だけである。
・自社制作のワイド番組―ここでは放送時間が1時間を超えるものを対象としている―の厳しい現状。下表は中国地方にある民間中波放送局の現在放送されている自社制作のワイド番組の一覧であるが、RSK山陽放送ラジオは中国地方にある民間中波放送局では中国放送ラジオに次いで放送区域人口が多いことや中国地方第二の都市であり政令指定都市でもある岡山市と、中国地方第三の都市である倉敷市という人口の多い都市を抱えていることを考えると長寿番組の少なさや長時間番組の多さはどうなんだろうと思いたくなる。

※出演者の交代などの事情により番組名についてある程度の変更のあったものは始祖的存在となる番組が始まった年を番組開始年と見なしている。

放送局名 番組名 番組開始年 放送日時 備考
曜日 時間
山陰放送 あさスタ♪ 2016年
(平成28年)
月〜金 午前7時45分〜午前10時50分
音楽の風車 1954年
(昭和29年)
月〜金 午前11時〜午後0時55分 中国地方の民間放送局における最長寿番組(注64)
土曜日を除いて深夜に再放送が行われている
(注65)
午前11時〜午後0時25分
午前11時〜午後0時30分
午後はドキドキ! 2016年
(平成28年)
月〜金 午後1時〜午後3時55分
森谷佳奈のはきださNIGHT! 2016年
(平成28年)
午後8時〜午後10時
ビタミン! Saturday 2016年
(平成28年)
午前9時〜午前10時45分
午後1時〜午後2時55分
週刊 ブンノジ ぶんしょう堂 2016年
(平成28年)
午後4時〜午後5時30分
RSK山陽放送 天神ワイド 朝 2023年
(令和5年)
月〜金 午前7時〜午後0時
あもーれ! マッタリーノ 2016年
(平成28年)
月〜金 午後0時30分〜午後4時25分
演歌春秋 1984年
(昭和59年)
午後8時〜午後10時
国司と新田の土曜番長 2015年
(平成27年)
午前9時〜午後2時
中国放送 おはようラジオ 1973年
(昭和48年)
月〜金 午前7時〜午前9時
平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま 2003年
(平成15年)
月〜金 午前9時〜午前11時40分
おひるーな 2014年
(平成26年)
月〜木 午前11時40分〜午後3時
バリシャキNOW 2004年
(平成16年)
月〜木 午後3時〜午後5時
ヨルノバ 2020年
(令和2年)
午後9時〜午後11時30分
おひるーなフライデー
ひるうたマガジン
2020年
(令和2年)
午前11時40分〜午後4時50分 「おひるーな」金曜日放送分が独立して発足した番組。
週末ナチュラリスト 2003年
(平成15年)
午前7時〜午前10時55分
ショコラジ 2014年
(平成26年)
午後1時〜午後2時55分
山口放送 KRY Morning Up 2021年
(令和3年)
月〜金 午前7時〜午前11時
お昼はZETTAI ラジTIME 2021年
(令和3年)
月〜金 午後0時〜午後4時
どよーDA! 2021年
(令和3年)
午前9時〜午後0時

・日曜日深夜の放送終了時間の繰り上げ。かつては日曜日深夜は午前2時まで放送していたのだが2009年(平成21年)春の番組改編で午前1時に、更に2021年(令和3年)春の番組改編で午前0時にそれぞれ繰り上がっている。現在は午前0時15分に繰り下がっているが中国地方にある民間中波放送局としては最も早い放送終了になっている(注23)し、中国地方にある都道府県域民間ラジオ放送局としてはエフエム山口に次いで早い(注66)。RSK山陽放送ラジオが放送を終了する月曜日午前0時15分時点では岡山県にあるラジオ放送局はどこもまだ放送を続けているしNHKラジオ第二放送(午前0時30分放送終了)と岡山エフエム放送(午前1時放送終了)以外は原則として放送を休止しない(注67)のだがいち早く放送を終了するということはかなり経営事情が厳しいのだろうか。
・月曜日早朝の放送開始時間の繰り下げ。かつては月曜日は午前4時に放送を開始していたのだが、放送終了時間の繰り上げと連動する格好で2021年(令和3年)春の番組改編で何と午前3時に放送を開始するようになった。恐らく日本にある都道府県以上の放送区域を有する民間ラジオ放送局では最も早い放送開始となっていたのだが結局2年で終わっただけでなく今春から放送開始は午前5時に繰り下がってしまった。午前3時に放送を開始した背景にあるのは番組の放送枠確保が理由と思われるのだが、午前3〜4時台はまだ真っ暗だし寝ている人は多いし営業している店舗は少ないし道路は交通量は少なく、信号機の中には点滅運用を行っているところがある(注68)しテレビ放送はともかくラジオ放送は放送を休止しているところが多いし…という印象を抱く時間帯ではあるのだがもし午前3時から放送をしていることを宣伝していたらどうだったのだろうかと思いたくなる。まあ放送開始時間繰り下げはやはりRSK山陽放送の経営事情が厳しいことも背景にあり、いくら宣伝して認知度を高めても長く続くとは限らないわけであるが…。
 もし現在もJRN系列だけに加盟していたとしたら今よりも厳しい状況になっていたのではないかと思うわけであるが、果たしてRSK山陽放送ラジオにとって最善の選択は何だったのだろうか。
 なお、RSK山陽放送ラジオがJRN・NRN両系列に加盟するようになって四半世紀の歳月が流れたのだが、今もJRN系列だけに加盟していたことの名残りはいくつか存在する。その一つが中国地方にある民間中波放送局で唯一TBSラジオが制作し、平日午前3〜4時台に放送している「CITY CHILL CLUB」をネットし続けていることである。かつての平日午前3〜4時台の中国地方にある民間中波放送局と言えば山陰放送ラジオ・RSK山陽放送ラジオ・山口放送ラジオがTBSラジオ制作の番組を、中国放送ラジオが文化放送制作の番組をそれぞれネットしていたのだが、2022年(令和4年)春の番組改編で山口放送ラジオが、2022年(令和4年)秋の番組改編で山陰放送ラジオが、そして今春の番組改編で中国放送ラジオがいずれもニッポン放送制作の「オールナイトニッポン0」をネットするようになり(注69)、「CITY CHILL CLUB」をネットし続けているのはRSK山陽放送ラジオだけとなった。RSK山陽放送ラジオの聴取者の中には「オールナイトニッポン0」のネットを望む方もいるのではないかと思うのだが、どこまでTBSラジオ制作の番組のネットを続けられるのか、今後も注目していきたいところである。

(初めて本局だけでなく中継局についても中波ステレオ放送を実施したこと)

 1992年(平成4年)春、中波放送について新たな動きが発生した。一部の民間中波放送局でステレオ放送が始まったのである。1992年(平成4年)3月15日に東京・大阪に本社・演奏所がある5社が始めたのを皮切りに夏には五大都市に本社・演奏所がある10社で実施されるまでになった(下表参照。なお、下表に記載している社名や所在地は現在のものを記している)。

開始年月日 放送局名 備考
1992年(平成4年)3月15日 TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
MBSラジオ
(MBS、大阪市北区茶屋町)
1992年(平成4年)4月1日 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
1992年(平成4年)4月4日 CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
1992年(平成4年)8月1日 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)

 「○○放送でステレオ放送が始まる」と聞いて多くの方はテレビ放送の音声多重放送のように全ての中継局を対象とする(注70)のだろうと思ったことであろうが実は上表に出てきた民間中波放送局における中波ステレオ放送は全て本局だけでの実施であり、中継局については対象外だったのである。「折角中波ステレオ放送対応のラジオ受信機を買ったのに何も変わらないとは…」とがっかりした方もいたのではないのだろうか。
 そんな中、上表に掲げた10社+中国放送ラジオ(1992年〔平成4年〕10月1日開始)に続いて1992年(平成4年)10月5日に中波ステレオ放送を開始したRSK山陽放送ラジオは本局だけでなく、本局と周波数が同じ高梁中波中継局についても中波ステレオ放送を実施したのである。放送区域内に政令指定都市がなく(注71)、なおかつ本社・演奏所のある都市の市内局番が二桁(注72)という民間中波放送局が中波ステレオ放送を実施したこともそうなのだが、本局だけでなく本局と同じ周波数を用いている中継局についても中波ステレオ放送を実施したことは大きな驚きを持って迎えられた。
 ここでこのページをご覧になっている方はRSK山陽放送ラジオはなぜ6箇所ある中継局のうちの高梁中波中継局だけを中波ステレオ放送の対象にしたのかと思ったのではないのだろうか。高梁市の人口はRSK山陽放送ラジオの中継局のある都市、すなわち笠岡市・津山市・新見市よりも人口が少ない(注73)し、高梁中継局の電波が届く範囲はいくら山の上に設置されていると言えども山間部にあるため広いとは言えない。本局と同時にやるのなら人口が多く、電波が届く範囲が広い津山中波中継局のほうが効果が大きいように思うのだが、RSK山陽放送ラジオはなぜ本局と同時に高梁中波中継局で中波ステレオ放送を開始させたのか。私は次のように考えている。
・高梁中波中継局はRSK山陽放送ラジオとしては最後発の中継局であり、施設はまだ新しかったこと。
・高梁中波中継局は山の上にあるが、中波中継局のあるところとは高い山で隔てられており、干渉性フェージングが発生する恐れは少なかったこと。
・高梁中波中継局は山の上にあるが、高梁市は高梁川及びその支流に沿って狭い平地が展開しているという地理的条件を有しており、受信対象範囲は狭かったこと。
 RSK山陽放送は本局だけでなく高梁中波中継局でも中波ステレオ放送を導入した意図を一切説明していないのだが、笠岡中波中継局を周波数統一に向けての実用化実験局として開局させたのと同じように高梁中波中継局は全ての中波中継局への中波ステレオ放送導入に向けての実用化実験局と位置付けていたのでは…と私は考えたい。もしそのようにすればRSK山陽放送は周波数を統一している全ての中波中継局で中波ステレオ放送を実施したことで多くの放送関係者や放送愛好家から注目される存在になったことであろうが、残念ながら中波ステレオ放送は普及せず、RSK山陽放送ラジオの中波中継局で中波ステレオ放送を実施したのは本局と高梁中波中継局の2箇所から広がることもなかった。その理由を挙げると次の通りになる。
・日本放送協会が中波ステレオ放送の導入を見送ったこと。日本放送協会はラジオ第一放送・ラジオ第二放送と二つも中波放送を運営していることやその中継局は多数に及び、もし導入するとすれば莫大な費用がかかる恐れがあったこと、日本放送協会はエフエム放送も運営しており、そちらではほとんどの時間帯でステレオ放送を実施していることなどが見向きもしなかった理由ではないかと思われる。
・ステレオ放送を導入したから中波放送の状況が良くなるものではなかったこと。中波放送は音質が良くないことや国内外の放送局との混信が頻発することなど問題を多く抱えており、「課題が多いのにステレオ放送を導入してもねえ…」という考えを持つ中波放送局が少なくなかったことは想像に難くない。
・市販されている中波ステレオ放送対応機器が多くなかったこと。特に中波ステレオ放送に対応した車載ラジオ受信機についてはあまり製造されなかったため自動車に乗っている最中に中波ステレオ放送を導入している民間中波放送局の番組をステレオ放送で聴く方はほとんどいなかったものと思われる。
・いくら大都市を放送区域内に擁していても、いくら放送区域人口が多くても導入を見送った民間中波放送局が少なくなかったこと。東北放送ラジオ(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)はその代表的存在であるが、東北放送ラジオが中波ステレオ放送の導入を見送ったことで七大都市(札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・広島・福岡)を放送区域に擁する民間中波放送局14社全てで中波ステレオ放送が実施される日は遂に訪れなかった。もし東北放送ラジオが導入に踏み切っていたら新たな展開があった可能性も考えられるところであるが、東北放送ラジオとしては費用がかかることや放送区域人口が少ないこと(注74)などを理由として一切見向きもしなかったものと思われる。
・バブル景気が1990年代初頭に終わり、その後不況が長く続いたこと。折悪しくも短命政権が続いたことや神戸市を中心とした地域に甚大な被害をもたらした兵庫県南部地震が起きたこと、大韓民国や中華人民共和国などの近隣諸国が著しい経済成長を遂げたことなどからなかなか不況から抜け出せなかった。
・パソコンやインターネットが急激に普及したこと。特にパソコン用オペレーションシステムとしてWindows95が日本で発売された1995年(平成7年)秋頃からサイトを作って情報を流す方が増えてきたことからやがて既存の媒体に取って代わる存在になることは時間の問題となっていた。
・エフエム放送が普及してきたこと。RSK山陽放送ラジオが本局と高梁中波中継局について中波ステレオ放送を導入した1992年(平成4年)10月5日時点で岡山県内で受信できるエフエム放送はNHK-FMとエフエム香川(高松市上之町二丁目)ぐらいだったが、1990年代後半になると都道府県域民間エフエム放送局やコミュニティ放送局が岡山県でも登場した。岡山県内にあるラジオ局の聴取率の状況は分からないが、ようやく音質の良いエフエム放送が普及したことでRSK山陽放送ラジオにある程度の影響が出たことは考えられるところである。
RSK山陽放送の経営環境が厳しくなっていったこと。不況が長く続いたことやパソコン・インターネットが急激に普及したこともあったが、テレビ部門の放送区域人口が300万人に満たないのに5社も都道府県域民間テレビ放送局があること(注60)やRSK山陽放送テレビが属しているTBSテレビ系列の番組の視聴率が平成時代に入ると低迷したことなどが主たる理由であった。
RSK山陽放送→RSKホールディングスの筆頭株主になっている岡山県の財政事情が厳しくなったこと。岡山県は高速道路や鉄道の整備で岡山市及びその周辺地域が中国・四国地方随一の交通の要衝となることを見越し、長野士郎が知事に就いていた時代に多くの公共事業を展開したのだが、それが県政に暗い影を落とす結果になってしまった。
 結局中波ステレオ放送を導入した民間中波放送局は47社中16社にとどまり、1997年(平成9年)以降は新規参入するところは一つも出なかった。21世紀に入ると経営事情が厳しくなったことや実施し続ける意味が見出せなくなったことなどを理由に取りやめるところが相次いだ。中波ステレオ放送に対応したラジオ受信機はだんだん製造されなくなり、次第に忘れ去られた存在になっていった。そんな中でもRSK山陽放送ラジオは本局・高梁中波中継局の中波ステレオ放送を続けていたが、遂に2011年(平成23年)春、取りやめることを決定した。そして高梁中波中継局の中波ステレオ放送は2011年(平成23年)3月21日午前1時の放送終了をもって、本局の中波ステレオ放送は2011年(平成23年)3月28日午前1時の放送終了をもってそれぞれ取りやめとなり、約18年半の歴史に終止符を打った。中国地方にある民間中波放送局で中波ステレオ放送を導入していたもう一つの放送局である中国放送ラジオの中波ステレオ放送は2001年(平成13年)10月15日に福山・府中・三原各中波中継局で、2011年(平成23年)3月14日に本局でそれぞれ取りやめとなっているからRSK山陽放送ラジオの本局での中波ステレオ放送の取りやめをもって中国地方では中波ステレオ放送を実施している民間中波放送局は消滅することになった。
 RSK山陽放送ラジオの中波ステレオ放送取りやめから12年の歳月が流れた。RSK山陽放送ラジオが中波ステレオ放送を実施していたことをどのようにとらえているかは分からないが、もし他の多くの中波ステレオ放送を導入した民間中波放送局と同じように本局だけで導入していたらどうなっていたのだろうか。恐らく中国放送ラジオは本局だけの導入に留めただろうし、大阪市に本社・演奏所を設置している民間中波放送局各社(朝日放送ラジオ〔ABC、大阪市福島区福島一丁目〕・MBSラジオ〔MBS、大阪市北区茶屋町〕・大阪放送〔OBC、大阪市港区弁天一丁目〕)は京都市に中波中継局を設置した時京都共同中波中継局(京都市東山区今熊野総山町)について中波ステレオ放送を導入することは考えなかっただろう。今挙げた民間中波放送局の中で今日も中波ステレオ放送を続けているのは大阪放送だけになったが、このように考えるとRSK山陽放送ラジオの挑戦は他の民間中波放送局に大きな影響を与えたことは紛れもない事実だと言えるのではないのだろうか。

五大都市以外にある都道府県域民間放送局としては初めて認定放送持株会社体制に移行したこと

 2019年(平成31年)4月1日、山陽放送はその日発足した認定放送持株会社・RSKホールディングスの傘下に入り、RSK山陽放送と改称した。五大都市以外にある都道府県域民間放送局としては初めて認定放送持株会社を設立し、認定放送持株会社体制に移行したのだが、RSKホールディングスは次に挙げる特色を持っている。
・RSK山陽放送はテレビ部門とラジオ部門の分社を行わず、テレビ・ラジオ兼営局を維持すること。
高松市及びその周辺地域を放送区域としているコミュニティ放送局・エフエム高松コミュニティ放送を子会社に入れていること。
 なぜ
山陽放送は認定放送持株会社を設立することにしたのか。その理由を挙げると次の通りになる。
・放送を取り巻く環境が激変していること。
・新本社建設を決めたこと。
 つまり、
今後の厳しい状況を考えた時どのように経営を効率化するのかとかどのように収益力を高めるのかといった課題に対処するために企業の在り方を検討した結果認定放送持株会社に移行するのが妥当だろうという結論に達したものと考えられる。
 そこでこのページをご覧になっている方はこのような疑問を抱くかもしれない。
「山陽放送が認定放送持株会社に移行するのであれば札幌テレビ放送・STVラジオ(注75)STV、札幌市中央区北一条西八丁目)や北海道放送(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)、東北放送、静岡放送(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)、中国放送なども移行を考えても良いのではないか。これらの放送局は山陽放送に先を越されたことを何とも思っていないのか」
 まあ今年6月1日に新潟放送(BSN、新潟市中央区川岸町三丁目)が認定放送持株会社に移行する予定になっているので今挙げた放送局ももしかしたら近い将来認定持株会社に移行することを考えるようになるのかもしれないのだが、ではなぜ山陽放送が認定放送持株会社に移行することに踏み切ったのか。私は岡山県・香川県の放送環境の厳しさが背景にあるのではないかと考えている。
 岡山県・香川県の放送環境の厳しさとは何なのか。それを挙げると次の通りになる。
・岡山県・香川県の合計人口は300万人に満たないのに都道府県域民間テレビ放送局は5社あるため放送局間の競争が激しくなっていること。政令指定都市はあるがテレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局が存在しない宮城県・新潟県・静岡県・京都府・兵庫県・広島県・熊本県に住んでいる方にとっては全ての都道府県域民間テレビ放送局の系列の番組が見られる岡山・香川両県を羨ましいと感じる方が少なくないのではないかと思うのだが、残念ながら現実はものすごく厳しいのである。他のテレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局がある都道府県と比べると100万人以上の人口を有する都市が存在しない(注76)、放送区域人口は500万人に満たない(注77)、プロ野球球団はない(注78)、プロサッカーチームはあってもまだJリーグ一部(いわゆるJ1)に属したところはない(注79)など劣る点が多いのも難点となっている。
・都道府県域民間ラジオ放送局に関しては放送区域は岡山県と香川県で分かれているのだが、岡山県南部では香川県を放送区域とする都道府県域民間ラジオ放送局が、香川県のほぼ全域では岡山県を放送区域とする都道府県域民間ラジオ放送局がそれぞれ十分受信できるようになっていること。つまり、岡山県南部と香川県のほぼ全域はRSK山陽放送ラジオ・岡山エフエム放送・西日本放送ラジオ・エフエム香川の4社が十分受信できるので激しい聴取率競争が起きているということになる。今のところ経営難に陥ったという話はないのだが、RSK山陽放送ラジオについて長寿番組が少ないことや何かの契機があるとすぐに平日朝のワイド番組を刷新すること、西日本放送ラジオについてradikoへの参加やエフエム補完放送開始が遅くなったことなどは激しい聴取率競争の中で経営環境が厳しくなっていることをうかがわせている。
・岡山・香川両県ではこれまでに10社のコミュニティ放送局(内訳は岡山県…5社/香川県…5社)が開局したのだが、既に4社(内訳は岡山県…1社/香川県…3社)が廃業に追い込まれていること(注80)。市区町村を放送区域としているために経営基盤が脆弱なことや他のラジオ放送局との聴取率競争が激しいこと、経営陣に問題があったことなどいろいろ理由は挙げられるところであるが、RSKホールディングスがエフエム高松コミュニティ放送を子会社したのは中枢性の高い都市を放送区域とするコミュニティ放送局は是が非でも存続させるべきだという考えがあったこと(注81)RSK山陽放送ラジオは香川県を放送区域としていないためにいくら高松市に支社を設置していたとしてもラジオ部門が脆弱になること、RSK山陽放送ラジオを聴いている人に高松市及びその周辺地域の情報を伝える手段を設けたかったことが考えられる。
 今春で山陽放送が認定放送持株会社に移行して4年になるが、いかほどの効果があったかははっきりしない。ただ、山陽放送が採った形の認定放送持株会社は例えば中国放送は参考にしても良いのではないかと考えているところである。2028年(令和10年)秋に予定されるエフエム放送局への転換の際に福山中波中継局の廃止と福山支社の放送発信機能廃止・コールサイン破棄が予想されるのだが、もしその時までに中国放送が認定放送持株会社に移行し、中国放送を傘下に置くRCCホールディングスが発足していればRCCホールディングスは福山市を中心とした地域を放送区域としているコミュニティ放送局・エフエムふくやま(愛称:レディオBINGO。福山市西町二丁目)を子会社にするのではないかと考えているからである。もしそうなれば中国放送ラジオはエフエムふくやまを広島県南東部の情報発信拠点として活用できるしエフエムふくやまが抱えている課題(注82)にも対処できるのではないかと考えているのだが、果たしてどうなるのだろうか。

(その他の先進的・積極的・挑戦的・独自的だと感じた事柄)

 今まで記してきたこと以外にもRSK山陽放送ラジオが先進的・積極的・挑戦的・独自的だと感じたことを挙げてみると下表の通りになる。
・大半の民間中波放送局が加盟している地方民間放送共同制作協議会(通称:火曜会)に加盟していないこと(注83)。加盟しないでいる理由は分からないのだが五大都市以外に本社・演奏所を置いている民間中波放送局ではアール・エフ・ラジオ日本(RF、横浜市中区長者町五丁目)とともに加盟しておらず、珍しい存在になっている。
・中国地方にある民間中波放送局では唯一全国紙の名称が入ったニュース番組を放送していないこと。山陽新聞社との関係が深いことも背景にあると思われるのだが理由ははっきりしない。
・ある出来事を契機に平日朝の自社制作のワイド番組を刷新すること。radikoに参加した時は「おかやま 朝まるステーション1494」(2008〜2014年〔平成20〜26年〕放送)を終了させて「朝です。全員起立!」(2014〜2017年〔平成26〜29年〕放送)を始めたし、ラジオ部門の新本社への全面移転が完了した時は「朝耳らじお」シリーズ(2017〜2023年〔平成29年〜令和5年〕放送)を終了させて「天神ワイド 朝」を始めている。「朝です。全員起立!」は迷走した末にわずか2年4ヶ月で終了に追い込まれたとのことであるが、そのことを考えると「天神ワイド 朝」はどうなるのだろうかと思いたくなる。
・週一日だけならともかく週五日も5時間30分も放送する長時間の自社制作のワイド番組を設定したこと。6年間続いた「朝耳らじお」シリーズの一つとなる「朝耳らじおGoGo」(2020〜2023年〔令和2〜5年〕放送)は2020年(令和2年)春の番組改編で始まったのだが、放送時間は月曜日〜金曜日の午前7時〜午後0時30分となっていた。途中にはネット番組がいくつも挟まるので5時間30分も出演者が喋り続けるというわけではなかったのだが、放送時間が長すぎることが災いしたのか2022年(令和4年)1月10日放送分から放送時間は月曜日〜金曜日の午前7時〜午後0時に短縮されてしまった(番組自体は今年4月7日まで続いている)。
・経費節減などを理由にサテライトスタジオを廃止する動きがある中でサテライトスタジオをあえて設置したこと。2016年(平成28年)8月29日に急遽始まった(注84)平日午後の自社制作のワイド番組「あもーれ! マッタリーノ」は2017年(平成29年)春から岡山市中心部にある表町商店街に設置したサテライトスタジオで毎日公開生放送を行うようになった。大都市の中心部にある商店街に設置されたサテライトスタジオからの公開生放送は注目されたが、経費節減や新型コロナウィルス感染症の世界的流行などの事情により2022年(令和4年)春からは公開生放送は週二日に削減されている。
・Jリーグ二部に属しているファジアーノ岡山の公式戦中継を週末に開催されるホームゲームに限って中継していること。中継するのは週末に開催されるホームゲームに限っていることやホームゲームであっても中継しない場合(平日に開催される場合)があること、中継を挿入するためにTBSラジオ制作の「爆笑問題の日曜サンデー」などの通常番組が休止になることをどうかと思っている方がいること、2018年(平成30年)以降は岡山県以外ではradiko.jpプレミアムを介して楽しむことはできなくなっていることなど問題もあるのだが、賛否両論はあれど地元のプロスポーツチームを積極的に応援する姿勢はもう少し評価されても良いのではないのだろうか。
・月曜日の放送開始を午前3時に繰り上げたこと。日曜日深夜(月曜日早朝)に放送休止を設定している都道府県域民間ラジオ放送局で最も放送開始が早いのは午前4時である(注85)が、RSK山陽放送ラジオは2021年(令和3年)春の番組改編で月曜日午前3時に放送を開始するようになり、放送休止を設定している都道府県域民間ラジオ放送局で最も早く放送を開始するようになった。その時点で3時間確保していた放送休止時間を1時間前倒ししたこと(つまり2021年〔令和3年〕春の番組改編までは月曜日午前1時放送終了→月曜日午前4時放送開始だったのを月曜日午前0時放送終了→月曜日午前3時放送開始にしたということ)やなるべく番組を打ち切らずに済むようにしたことがそのようにした理由と思われるのだが、聴取率が芳しくなかったことや経営事情が厳しくなったことなどからわずか2年で月曜日の放送開始時間は午前5時に繰り下げられてしまった。
・放送区域としている岡山県をもっと知ってもらおう、盛り上げようという意識が随所に見られること。最近でも「カンナ総統のジミケン革命結社 ブラック★シャドウ」(2020〜2021年〔令和2〜3年〕放送)や今春の番組改編で始まった「OKYAAAMA〜大都会オカヤマな夜〜」など、地味だとされる岡山県を盛り上げる目的で企図された若年者向け自社制作番組が放送されており、RSK山陽放送の地元への強い思いが感じられる。
 この他にもいろいろあるのだが、なぜRSK山陽放送ラジオは先進的・積極的・挑戦的・独自的だと感じられる存在になったのだろうか。私は次のように考えている。
・大阪・神戸・広島・高松などの近隣にある都市への対抗意識があること。
・岡山県の存在感を高めたいこと。
・岡山県に対する印象を改めたいこと。
・山陽地方を代表する放送局という矜持を持っていること。
・テレビ放送局もラジオ放送局も数が多く、激しい競争が起きている中で優位に立ちたいと思っていること。
・中波中継局が使用している周波数、すなわち1494kHzは他には北海道放送ラジオ名寄中波中継局(名寄市緑丘)しか使っていないことから混信する恐れが低く、遠距離受信で聴いてもらえる可能性があること。
・岡山県で受信できる他の民間中波放送局との差別化を図りたいこと。
 このように挙げてみると不利な点や劣っている点はいくつもあるけれどそれを跳ね返してその存在を、そして放送区域としている岡山県を多くの人々に知ってもらいたい。そんな気概を感じる次第である。
 必ずしも先進的・積極的・挑戦的・独自的な態度が実を結ぶとは限らないし、RSK山陽放送を含めた民間放送の今後は非常に厳しい。そんな中でRSK山陽放送は今後どのような行動を起こすのであろうか。RSK山陽放送ラジオを聴く機会はあまりないのだが、注目していきたいところである。

RSK山陽放送ラジオの問題点

 さて、先進的・積極的・挑戦的・独自的な姿勢を持っている(と私は考えている)RSK山陽放送ラジオであるが、どうかと思うようなことがないわけではない。ここからは私が気になったRSK山陽放送ラジオの問題点を紹介していきたいと思う。

(聴取者を蔑ろにしているかのような態度)

 どの放送局にもあることなのだが、視聴者または聴取者の思いを無視し、どうなのかなと思わせるような態度に出ることがある。例を挙げると次の通りになる。
・番組内容を把握していながら放送するのがふさわしくないような時間帯に放送する。
・放送当日の新聞のテレビ・ラジオ欄には最終回である旨は一切記していないのに番組の最後になって「この番組は今回をもって終了させて頂きます」というような字幕を出してそこで初めてその番組は打ち切ることを通告する。
・番組の打ち切りを回避しようという考えがない。
・放送局に対して意見や質問、疑問を送っても何の反応も示さない。
・報道番組で「○○には説明責任が求められます」とアナウンサーは話しているのに自分達がやっていることについては説明責任を果たさないことが多く、どこか矛盾している。
・言論の自由を擁護しなければならないと度々訴えているのに自分達の考えに合わないことなどどうかと思うものは排除する傾向を持っており、どこか矛盾している。
・ある一面だけを強調する報道を行う。
・折角立ち上げた番組に対する熱意が感じられない。
・番組の放送日時や内容を頻繁に変更する。
・本来は1時間番組なのにスペシャルを乱発して2時間番組として放送する。
・視聴者または聴取者が理解していることを前提としているのか視聴者または聴取者に迷惑をかける恐れのあることについて説明責任を尽くさない。
・録画して視聴する人が多くなったのに未だに視聴率を重視している。
・録音したりradikoのタイムフリー聴取を用いたりして聴く人が多くなったのに未だに聴取率を重視している。
・新たな番組を立ち上げるために長く続いてきた番組をいきなり終了させる。
・番組の打ち切り通知が何か上から目線に感じられる。
・やり方が恣意的だと感じる面がある。
 近年若年者を中心としてテレビは見ないしラジオも聴かないという方が増えているが、こういう放送局の姿勢もあるのでは…と思うのは私だけだろうか。
 さて、記すまでもなくRSK山陽放送ラジオについても聴取者を蔑ろにしているのではないかと思うことはいくつもある。どの点がそのように感じるのかは人それぞれであるのだが、私がそのように感じている点は二つある。それをここから触れていきたいと思う。
 まず、臨時の放送休止や放送終了時間繰り上げ、放送開始時間繰り下げについて公式サイトで一切通知しないことである。まあ公式サイトで通知しなくてもなぜそのようにするのかは分かるだろうとか聴取率は低い時間帯なので広く周知する必要はないという考えでやっているのだろうが、それはどうなのかなと思うことが2019年(令和元年)6月17日に起きている。その日次に挙げるようなことがあったのである。
・RSK山陽放送ラジオは放送開始時間を午前4時から午前5時に繰り下げたこと。
・広島エフエム放送は放送終了時間を午前2時から午前1時に繰り上げたこと。
 RSK山陽放送ラジオの放送開始時間繰り下げと広島エフエム放送の放送終了時間繰り上げによりどちらも放送されずじまいになる番組が生じるのだが、RSK山陽放送ラジオと広島エフエム放送の対応は全く正反対のものになったのである。RSK山陽放送ラジオは一切放送開始時間を繰り下げることとそれで放送未了となる番組が生じることに対するお詫びを公式サイトに掲載しなかったのに対して広島エフエム放送はきちんと放送設備更新のために月曜日午前1〜2時に放送する番組(注86)は休止することと月曜日午前1〜2時に放送される番組を別の日時に放送することはしないことを公式サイトに掲載したのである(しかもそれは現在も閲覧できる)。なぜ放送局によって対応が異なるのだろうかと考えたくなるのだが、RSK山陽放送ラジオにおける臨時の放送休止や放送終了時間繰り上げ、放送開始時間繰り下げは広島エフエム放送のそれよりも多かったことを考えるときちんと通知したほうが聴取者の立場をわきまえていると評せるので好ましいのではないかと思うのは私だけではないはずである。
 次に、平日朝の自社制作のワイド番組について長続きしない傾向があることである。平日朝の自社制作のワイド番組と言えば岡山エフエム放送の「Fresh Morning OKAYAMA」(1999年〔平成11年〕4月1日放送開始)や中国放送ラジオの「おはようラジオ」(1973年〔昭和48年〕4月16日放送開始)、西日本放送ラジオの「さわやかラジオ」シリーズ(注87)(1975年〔昭和50年〕4月7日放送開始)というように長く続いているものが多いのだが、RSK山陽放送ラジオの平日朝の自社制作のワイド番組は何十年も続いたものが全くないのである。意外に思う方がいるかもしれないのだが、下表に示した通りそれは事実なのである。

放送期間 題名 備考
1997年(平成9年)4月7日〜
2005年(平成17年)4月1日
(約8年)
ラジばたワイド おはようネットワーク→
おはようネットワーク
「ラジばたワイド おはようネットワーク」から「おはようネットワーク」への改題時期は不明。
2005年(平成17年)4月4日〜
2006年(平成18年)3月31日
(約1年)
国司憲一郎のラジオ直球どまん中!
2006年(平成18年)4月3日〜
2008年(平成20年)3月31日
(約2年)
石田好伸の通勤ラジオ絶好調!
2008年(平成20年)4月1日〜
2014年(平成26年)11月28日
(約6年8ヶ月)
おかやま 朝まるステーション1494 radiko参加に伴い終了。
2014年(平成26年)12月1日〜
2017年(平成29年)3月31日
(約2年4ヶ月)
朝です。全員起立!
2017年(平成29年)4月3日〜
2023年(令和5年)4月7日
(約6年)
朝耳らじお→
朝耳らじおGoGo
「朝耳らじお」から「朝耳らじおGoGo」への改題は番組放送時間が5時間30分に拡大した2020年(令和2年)春の番組改編の際に行われている。その後2022年(令和4年)1月10日放送分からは番組放送時間が5時間に短縮されたが改題は行わなかった。
ラジオ部門の新本社への全面移転に伴い終了。
2023年(令和5年)4月10日〜 天神ワイド 朝

 上表は岡山エフエム放送が開局する少し前から今日までのRSK山陽放送ラジオの平日朝の自社制作のワイド番組の変遷を示したものであるが、最も長く続いたものでも「おはようネットワーク」(1997〜2005年〔平成9〜17年〕放送)の8年に留まり、何があったのかは分からないがたった1年で番組が終了したものすらあることがうかがえるのではないのだろうか。更には何らかの出来事がきっかけで番組を刷新するということもやっているのだが、このように見るとRSK山陽放送ラジオは平日朝の自社制作のワイド番組に対してどういう考えを持っているのだろうかと考えたくなってくる。
 なぜRSK山陽放送ラジオの平日朝の自社制作のワイド番組は長続きしないのか。考えられる理由を挙げると次の通りになる。
・聴取率にこだわりすぎていること。
・岡山県の人口の大半が集中し、瀬戸内海に面している岡山県南部を中心に他の都道府県域民間ラジオ放送局の番組が受信できるため一人でも多くの方にRSK山陽放送ラジオを聴いて頂きたいと思っていること。
・「Fresh Morning OKAYAMA」の牛嶋俊明(元中部日本放送(注88)CBC、名古屋市中区新栄一丁目〕アナウンサー)や森田恵子(元瀬戸内海放送〔KSB、高松市上之町二丁目〕アナウンサー。学生時代は「サンデーベスト」に出演していた(注89))、「おはようラジオ」の本名正憲(元中国放送アナウンサー)というようにこの番組と言えばこの人という存在を作り得なかったこと。
・何らかの出来事を契機に番組を刷新することで多くの方々に注目されたいという思いがあること。
・アナウンサーなどの人員が慢性的に不足していること。
・スポンサーの確保に苦戦していること。
・長期的視野に立って物事を考えていないこと。
・聴取者の多くが聴きたいと思うようなものや注目するようなものがないこと。
・対抗関係にある放送局の番組と比べると様々な面で劣っているため何をやっても勝てないのではないかという雰囲気が蔓延していること。
 真相はRSK山陽放送のみぞ知ると言ったところであろうが、やはり聴取率に対するこだわりなどを捨て、聴取者の目線に立ち、長期的視野で番組の在り方を考える姿勢が必要なのでは…という気がする。終わったことはどうしようもないのだがただでさえ厳しい目で見られているのだから「天神ワイド 朝」についてはそういう姿勢で臨んで頂きたいものであるが果たしてどうなるのだろうか。

(あまりにも少ない長寿番組)

 前にも記したように今年10月1日にRSK山陽放送は開局70周年を迎えることになっている。中国地方にある民間放送局としては中国放送に次ぐ歴史を有しているのだが、長い歴史を有しているのだからRSK山陽放送ラジオには長寿番組―様々な解釈があるがここでは10年以上続いている番組を指すものとする―が多数あるのだろうと思う方がいるかもしれない。しかし、10年以上続いている番組はニュース・天気予報・交通情報とスポーツ中継、大半の民間中波放送局(注31)で内容を変えているが放送されている「歌のない歌謡曲」、中国・四国地方にある民間中波放送局8社が持ち回りで番組を制作・放送する「中四国ライブネット」、季節限定番組を除けば1984年(昭和59年)に始まった「演歌春秋」だけである。
 まあ長寿番組が一つしかないというところはまだあるのかもしれないのだが、暗澹たる気分にさせるのは対抗関係にある岡山エフエム放送や岡山県南部で十分受信できる西日本放送ラジオ・エフエム香川、更にRSK山陽放送ラジオより1年早く開局している中国放送ラジオには長寿番組がいくつもあるということである。下表はRSK山陽放送ラジオ・岡山エフエム放送・西日本放送ラジオ・エフエム香川・中国放送ラジオの今年4月10日時点の主な長寿番組、すなわち2013年(平成25年)4月10日以前に始まった番組(放送時間5分以上)の一覧表であるが、いかにRSK山陽放送ラジオの長寿番組が少ないかがうかがえるのではないのだろうか。

※出演者の交代などの事情により番組名についてある程度の変更のあったものは始祖的存在となる番組が始まった年を番組開始年と見なしている。

放送局名 番組名 番組開始年 放送日時 備考
曜日 時間
RSK山陽放送 演歌春秋 1984年
(昭和59年)
午後8時〜午後10時
岡山エフエム放送 Fresh Morning OKAYAMA 1999年
(平成11年)
月〜金 午前7時30分〜午前10時 開局した時から続いている番組。
TWILIGHT PAVEMENT 1999年
(平成11年)
月〜木 午後5時〜午後6時55分 開局した時から続いている番組。
牛嶋俊明ドリームファクトリー 2008年
(平成20年)
午後3時〜午後6時30分
おやすみNMB48 2013年
(平成25年)
午前0時〜午前0時15分
西日本放送 さわやかラジオ おはようハイタッチ! 1975年
(昭和50年)
月〜金 午前7時〜午前11時 現行題名になったのは2017年(平成29年)。
ミュージック イン ランチボックス 2002年
(平成14年)
月〜金 午前11時20分〜午後0時25分
RNC TODAY 1990年
(平成2年)
月〜金 午後5時15分〜午後6時15分
波のりラジオ WEEKEND FEVER 2004年
(平成16年)
午前8時30分〜午前11時
午後0時〜午後3時30分
第一部(午前の部)は「バリバリタイプ」、第二部(午後の部)は「まんぷくタイプ」がそれぞれ題名の後に付く。
第一部(午前の部)は四国放送ラジオ・高知放送ラジオでもネットされている
(注90)
私の観た香川II 1990年
(平成2年)
第一日
第三日
午後5時30分〜午後5時50分 正式な題名ではIIは2を表すローマ数字となっているのだが機種依存文字となるためここではIを横に二つ重ねたもので表記している。
2012年(平成24年)春の番組改編までは毎週日曜日に放送されていた。
記すまでもないが左記の第一日は第一日曜日、第三日は第三日曜日をそれぞれ指している。
エフエム香川 GOOD MORNING & GOOD MUSIC
786 SUPER MEDIO
1998年
(平成10年)
月〜金 午前7時30分〜午前8時55分
JOY-U CLUB 1989年
(平成元年)
月〜金 午後4時〜午後6時55分
Passion Live〜情熱生放送〜
WEEKEND SHUTTLE
1995年
(平成7年)
午前11時30分〜午後3時55分
勝手にシネマニア 1995年
(平成7年)
午後6時〜午後6時15分
続・麺通団のUDON RADIO!(うどラヂ) 2006年
(平成18年)
午後6時15分〜午後6時30分 2006年(平成18年)5〜8月に放送された「麺通団のUDON RADIO うどラヂ!」の後継番組であるが故に題名に「続」が付いている。但し「麺通団のUDON RADIO うどラヂ!」が終了してから「続・麺通団のUDON RADIO!(うどラヂ)」が始まるまで1ヶ月ほど中断期間がある。
中国放送 おはようラジオ 1973年
(昭和48年)
月〜金 午前7時〜午前9時
平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま 2003年
(平成15年)
月〜金 午前9時〜午前11時40分
バリシャキNOW 2004年
(平成16年)
月〜金 午後3時〜午後5時
週末ナチュラリスト 2003年
(平成15年)
午前7時〜午前10時55分 現行題名になったのは2022年(令和4年)。
マツダミュージックドライブ 1980年代
中期以前
午後0時〜午後0時30分 番組開始時期は不明。1980年代中期には既に放送されていた覚えがあること(注91)から左記では番組開始時期を1980年代中期以前と記している。
山野秀子のちいさなパティオ 1994年
(平成6年)
午後0時30分〜午後0時55分
森本ケンタのハッピータイムRadio♪ 2007年
(平成19年)
午後1時〜午後1時30分
ザ★横山雄二ショー 2007年
(平成19年)
午後10時〜午後10時55分 日曜日午後8時〜午後8時55分に再放送されている。

 なぜRSK山陽放送ラジオは岡山エフエム放送・西日本放送ラジオ・エフエム香川・中国放送ラジオに比べて長寿番組が少なくなっているのだろうか。考えられる要因を挙げると次の通りになる。
・競争相手が多数に及ぶこともあってか聴取率に対するこだわりが強いこと。
・番組に対して長期的視野に立って取り組んでいないこと。
・スポンサーの確保に苦戦していること。
・常に注目され続けることや存在感を向上させることを念頭に置いていること。
・価値観の変転が激しいこと。
・長い間人気を博している喋り手(特にタレント)が少ないこと。
・聴取者の求めるものとRSK山陽放送が考えていることが噛み合っていないこと。
RSK山陽放送→RSKホールディングスの筆頭株主になっている岡山県の財政事情が厳しくなったこと。
・NRN系列への加盟や岡山エフエム放送の開局により番組編成が大幅に変わったこともあって独自性が薄れてきたこと。
・特に日中の自社制作のワイド番組に短命のものが多いこと。
 厳しい状況はどこも同じなのだが、RSK山陽放送ラジオにだけそういう状況が見られるということはRSK山陽放送ラジオの番組に対する姿勢に何らかの問題がある可能性があることが推察されるところである。そのことをRSK山陽放送は認識しているのだろうか。そして解決に向けて動いているのだろうか。長寿番組を作り出すことは非常に難しいことではあるのだがその点が気になる。

放送区域外でradiko.jpプレミアムでは聴けなくなった番組

 RSK山陽放送ラジオがradikoに参加したのは2014年(平成26年)12月1日のことであった。政令指定都市に本社を置いている民間中波放送局(注13)、更に中波ステレオ放送を実施していた民間中波放送局(注14)としては最後に参加した放送局となったのだが、参加と同時に日本全国どこでも番組が楽しめるradiko.jpプレミアムにも参加し、有料ながら岡山県以外の各都道府県でRSK山陽放送ラジオの番組がインターネットを介して聴けるようになった。
 それから8年以上の歳月が経ったのだが、実は現在RSK山陽放送ラジオの全ての自社制作番組をradikoで聴けるのは本来の放送区域となる岡山県だけとなっている。というのも2018年(平成30年)からファジアーノ岡山の公式戦中継についてはradiko.jpプレミアムの配信対象番組から除外されたからである(ファジアーノ岡山の公式戦中継については過去一週間の番組を聴取できるタイムフリー聴取の対象からも2018年〔平成30年〕から外されている)。放送区域となる静岡県に三つのJリーグ二部に属するプロサッカーチームがある静岡放送ラジオのプロサッカーチーム公式戦中継はradiko.jpプレミアムの配信対象番組になっていること(注92)を考えると放送局やチームの方針からそのようになっていることが推察されるのだが、賛否両論はあれど地元のプロスポーツチームを積極的に応援しようという考えから全試合とは行かないけれど中継するようにしたのにこれではどうなのだろうと思いたくなる。
 確かにファジアーノ岡山は未だにJリーグ一部昇格を果たしていない(注93)し、全国的な知名度も高いとは言えない。そのように考えればファジアーノ岡山の公式戦中継をradiko.jpプレミアムの配信対象番組から外したのはRSK山陽放送ラジオにとって利益にならないと判断したことが背景にあったのではないかと考えたくなる。しかし、次に挙げる点はどのように考えるのだろうか。
・Jリーグ二部に属するチームは全国に散らばっており、中にはJリーグ一部(前身のJリーグ〔1993〜1998〕を含む)でリーグ優勝を果たしたチームもあること(下表参照。なお、下表に記載しているプロサッカーチーム名について青太字で記載しているものは過去にJリーグ一部に所属していたことがあるチームであることを示している)。

都道府県名 チーム名 備考
宮城県 ベガルタ仙台
秋田県 ブラウブリッツ秋田
山形県 モンテディオ山形
福島県 いわきFC
茨城県 水戸ホーリーホック
栃木県 栃木SC
群馬県 ザスパクサツ群馬
埼玉県 大宮アルディージャ
千葉県 ジェフユナイテッド市原・千葉
東京都 東京ヴェルディ1969 Jリーグ一部でのリーグ優勝歴あり(1993年度〔平成5年度〕・1994年度〔平成6年度〕の2回)。
FC町田ゼルビア
山梨県 ヴァンフォーレ甲府
石川県 ツエーゲン金沢
静岡県 清水エスパルス
ジュビロ磐田 Jリーグ一部でのリーグ優勝歴あり(1997年度〔平成9年度〕・1999年度〔平成11年度〕・2002年度〔平成14年度〕の3回)。
藤枝MYFC
岡山県 ファジアーノ岡山
山口県 レノファ山口FC
徳島県 徳島ヴォルティス
長崎県 V・ファーレン長崎
熊本県 ロアッソ熊本
大分県 大分トリニータ

・岡山県以外に住んでいるファジアーノ岡山のファンを蔑ろにしていること。
・もし将来ファジアーノ岡山と、Jリーグ一部に属しているサンフレッチェ広島との公式戦が実現した時(注94)、RSK山陽放送ラジオと中国放送ラジオで公式戦中継が放送される可能性がある(注95)のだが、その時どのように扱うのかが問題になる可能性があること。
・RSK山陽放送ラジオは地元至上主義に陥っていると思われる恐れがあること。
 radiko.jpプレミアムについてRSK山陽放送ラジオと正反対の態度をとったのは中国放送ラジオである。radiko.jpプレミアムが始まった時、中国放送ラジオは多数人気番組を抱えていたにもかかわらずradiko.jpプレミアムの配信対象としたのは広島東洋カープ公式戦中継と当時平日夜に放送していた自社制作の若年者向け帯番組だけであった。なぜその二つの番組に限ったのか、中国放送は一切説明していないのだが、広島東洋カープ公式戦中継については次に挙げることが理由として考えられる。
・広島東洋カープ公式戦中継は開局5日目(1952年〔昭和27年〕10月5日)に早くも始めた番組であり、それ以降の全ての公式戦を中継したわけではないのだが中国放送ラジオとしては
球団の歴史のほとんどを伝え続けてきたという矜持を抱いていること。
・中国放送ラジオを遠距離受信して聴こうとする方の中には広島東洋カープのファンという方が少なくないこと。
・広島東洋カープは1990年代末期から長らく低迷していたが、2013年度(平成25年度)は16年ぶりにAクラス入りを果たし、プロ野球日本選手権シリーズ(日本シリーズ)への出場権を賭けたクライマックスシリーズへの出場権を得たこと(注96)から今後の躍進が期待できるようになったこと。
・広島東洋カープは1990年代末期から長らく低迷していたが、そういう時期であっても知名度の高い選手が少なくなかったこと。
・中国放送としては広島東洋カープ公式戦中継をradiko.jpプレミアムの配信対象とすることによって一円でも多くの収入を得たかったこと。
 結局この限定方針は多くの方から快く思われなかったことなどから短期間で改められることになった
(注97)のだが、このことは中国放送がいかに広島東洋カープを重要視していたかがうかがえる事実と言えるのではないのだろうか。となればRSK山陽放送がradiko.jpプレミアムにおいてファジアーノ岡山の公式戦中継に制限をかけているのはどうなのかという話になってくる。確かに広島東洋カープとファジアーノ岡山では知名度・観客動員数・試合数など様々な面で大きな差がついており、同列で論じるのはどうかと思うわけであるが、折角のプロスポーツチームなのだから制限を撤廃し、他の都道府県に住んでいるファジアーノ岡山のファンやファジアーノ岡山と対戦するチームのファンにもradiko.jpプレミアムで公式戦中継を楽しんで頂けるようにすべきではないのだろうか。でないともし今後Jリーグ一部に昇格し、鹿島アントラーズや浦和レッドダイヤモンズ、横浜F・マリノス、川崎フロンターレ、ガンバ大阪などの人気チームと対戦することになった時に「なぜ注目の試合なのに岡山県以外ではradiko.jpプレミアムでは楽しめないのか」とか「RSK山陽放送は岡山県だけでファジアーノ岡山の公式戦中継を楽しんで下さいというつもりなのか。他の都道府県に住んでいる方や他のチームのファンの存在を無視しないで頂きたい」というような批判が出る恐れがあるからである。
 RSK山陽放送ラジオには長寿番組や放送区域外で注目されるような番組はあまりない。そういう中で賛否両論はあるにせよファジアーノ岡山の公式戦中継は注目される取り組みと言えるものであるが、それをradiko.jpプレミアムの対象から外すのはいかがなものであろうか。今だけ、放送区域となる岡山県だけを考えるのではなくもっと広い視野に立って考える必要があるのではないのだろうか。

(5年以上途絶えているエフエム補完中継局設置)

 RSK山陽放送ラジオがエフエム補完放送を開始したのは2018年(平成30年)3月21日のことである。岡山市中心部の南方に聳える金甲山(標高:403.1m)にあるRSK山陽放送テレビの本局に併設する格好で岡山エフエム中継局を設置したのだが、RSK山陽放送ラジオのエフエム補完中継局はそれから5年以上経った現在になってもその岡山エフエム中継局だけになっている。
 そもそもRSK山陽放送ラジオのエフエム補完放送への取り組みは鈍いものがあった。その状況を記すと次の通りになる。
・中国地方にある民間中波放送局としては最後にエフエム補完放送を開始した放送局になったこと
(注17)
・全国で39番目にエフエム補完放送を開始した放送局になったこと
(注16)
・中波ステレオ放送を実施していた民間中波放送局としては最後にエフエム補完放送を開始した放送局になったこと
(注18)
 なぜ
RSK山陽放送ラジオはエフエム補完放送に対して積極的にならないでいるのだろうか。考えられる理由は次の通りである。
・中波中継局は放送区域となる岡山県に万遍なく設置している上に全ての中波中継局の周波数を1494kHzに統一しているため不便はないと考えていること。
・RSK山陽放送ラジオが使用している周波数、すなわち1494kHzを使用している中波中継局はあまりないことなどから混信の恐れがないこと。
・山陽放送改めRSKホールディングスは岡山エフエム放送の出資者に名を連ねているが、もしエフエム補完放送を積極的に推進した場合、岡山エフエム放送の経営に甚大な影響を及ぼす恐れがあること。
・岡山県は岡山・倉敷両市への一極集中が著しく、高層建築物の増加で受信困難な地域が出ているところが少ないこと。
・新本社建設に重きを置きたかったこと。
・岡山県は高齢化や過疎化に悩まされている地域が多いので若年者向けとされているエフエム放送を推進するのはRSK山陽放送ラジオの主たる聴取者層である高齢者を蔑ろにすることだという認識があること。
・民間中波放送局のエフエム補完放送は総務省が放送局の状況を無視して強引に推進している感が否めず(注98)、それ故に積極的になれなかったこと。
・日本のエフエム放送の使用周波数帯は長らく76.0〜90.0MHzだったこと(注99)からいくら90.1〜108.0MHzを用いた中継局の電波が受信できるラジオ受信機が昔から多く売られていたとしても認知度は高くないのではないかと考えたこと。
・エフエム放送の使用周波数帯を76.0〜95.0MHzから76.0〜108.0MHzに拡大することについて結論が未だに出ていないこと。
・RSK山陽放送ラジオの放送区域となる岡山県は南部の瀬戸内海沿岸地域に人口の大半が集中しているため費用対効果が高いところだけエフエム補完中継局を設置すれば良いと考えていること。
・ラジオ放送が受信できるようになっている幹線道路のトンネルではエフエム補完放送が受信できないことや政見放送はエフエム放送では流せないこと(注100)などエフエム補完放送創設に当たって改善すべきだったことが未だに改善されていないことから急いで整備を進める必要はないと判断したこと。
 その一方でRSK山陽放送ラジオは2028年(令和10年)秋をメドに中波放送局からエフエム放送局に転換することにしている放送局に名を連ねている(注101)のだが、現在に至るまで方針を一切公にしていないことが気になる。今は新本社への移転に重きを置いているからかもしれないのだが、そろそろどのようにするのかきちんと説明してはどうであろうか。まあ残り5年半でエフエム補完中継局をいくつも設置することは不可能なことではないのだが、どのような態度に出るのか、今後が注目されるところである。

(この他の問題点)

 今挙げたこと以外のRSK山陽放送ラジオの問題点を挙げると次の通りになる。
・注目されることや聴取率を向上させることばかり考えている感が否めないこと。自社制作のワイド番組の入れ替わりが激しいことや週に6日も5時間も放送する自社制作のワイド番組を設定したことなどにそれは垣間見られるのだが、それがかえって番組の短命化に繋がっているという認識はないのだろうか。
・番組の制作・放送に必要な人員が不足しているのでは…と感じる面があること。RSK山陽放送ラジオの特徴の一つとして放送時間が5時間に達する自社制作のワイド番組が週6日設定されているということがあるのだが、このようになったのは複数番組を制作・放送するのに必要な人員が不足しているということがあるのでは…と考えたくなる。今春の番組改編で設定された「天神ワイド 朝」は毎日出演者が異なっていることや「土曜番長」シリーズは週一回の放送であること、途中で喋り手が休める時間帯があることなどを考えれば別に5時間に達する番組を設定しても問題はないという認識なのだろうが、時間経過とともに聴取者層が変わることを全く考慮していないのでは…と考えたくなる。人員問題が解決しない限りこの状況で推移するのだろうが…。
・地元・岡山県を盛り上げたいという意識が強いことは理解するが、その姿勢が中途半端になっている感が否めないこと。ファジアーノ岡山の公式戦中継についてradiko.jpプレミアムで制限をかけていることや地味だとされている岡山県を盛り上げるべく2020年(令和2年)春の番組改編で設定したカンナ総統のジミケン革命結社 ブラック★シャドウ」をたった1年半で終了させたこと(注102)などにそのことはうかがえるのだが、これで本当に地元を盛り上げようという気はあるのかと思いたくなってくる。聴取率が伸び悩んだとかスポンサー・人員の確保がままならなかったとかいろいろ理由はあるのだろうがもう少し岡山県を盛り上げたい、存在感を高めたいという気概を見せて頂きたいものである。
・番組設定の在り方にどうかと思う面があること。2021年(令和3年)春から2年間RSK山陽放送ラジオは月曜日の放送開始時間を午前3時に繰り上げたのだが、2年間の番組編成(下表参照)を見て感じたことは無理にその時間帯に放送する必要のない番組ばかりであり、放送開始時間を繰り上げる必要はあったのかと思いたくなる。しかもRSK山陽放送ラジオは日本で最も早く起きるラジオ局であるというような宣伝は一切行っておらず(注103)、定着したとも言い難い状況があった。結局経営事情などから月曜日の放送開始時間は今春から2時間繰り下げられることになったのだが、午前3時から放送していることを生かすことを考えていたら良かったのでは…と思うのは私だけだろうか。

期間 放送時間 番組名 制作局 備考
2021年(令和3年)4月〜
2021年(令和3年)9月
午前3時〜午前3時30分 志の輔ラジオ 落語DEデート 文化放送 2021年(令和3年)9月末をもってネット打ち切り。
午前3時30分〜午前4時 北方謙三 水滸伝 九州朝日放送 2021年(令和3年)10月から日曜日午後11時30分〜月曜日午前0時に放送時間を変更(注104)
午前4時〜午前5時 松山千春 ON THE RADIO エフエムナックファイブ
2021年(令和3年)10月〜
2023年(令和5年)3月
午前3時〜午前4時 沢知恵日曜日の音楽室 RSK山陽放送 再放送(本放送は日曜日午後5時〜午後6時)。
今年4月から放送時間を日曜日午後11時〜月曜日午前0時に変更。
午前4時〜午前5時 松山千春 ON THE RADIO エフエムナックファイブ 今年3月末をもってネット打ち切り。

・かつては他の民間中波放送局でも放送されていた番組があったのに現在は全く存在しないこと。他の民間中波放送局で放送されるようになるためには岡山県以外の地域でも多くの方々に聴いて頂けるような番組内容にする必要があるのだが、残念ながらそういう番組は現在のRSK山陽放送ラジオには見当たらない。確かに中国放送ラジオでもネットされていた「井上いつのりの男と女のI LOVE 湯」(1985〜1993年〔昭和60年〜平成5年〕放送)は全国各地の温泉をRSK山陽放送の往年の看板アナウンサー・井上凱文(在職期間:1966〜2004)と聴取者の女性数人が訪ねるという内容だったので中国放送ラジオなどでも放送できたのだが、こういう岡山県外でも通用するような番組はもう作れないのだろうか。
・次代のRSK山陽放送を担うアナウンサーの育成が進んでいないのでは…と思う面があること。どの放送局でも言えることなのだが、アナウンサーの採用抑制やアナウンサーの移籍、契約アナウンサーの多用などで次代を担うはずの人材がなかなか育たないというのは放送局の将来にとって重大な問題になる恐れがあるのではないのだろうか。往年の看板アナウンサーを起用し続けるのも良いのだがそれとていつまで続けられるかは分からないことを考えると次代のRSK山陽放送を担うアナウンサーの育成は重要な課題になるのは避けられないことではないのだろうか。
・RSK山陽放送に電子メールで意見を送ろうとした場合、どのメールアドレスに送信すれば良いのか分からない場合があること。例えば笠岡市にエフエム補完中継局を早く設置して欲しいという要望を電子メールで送ろうとした場合、RSK山陽放送の公式サイトにあるお問い合わせのページに掲載されているメールアドレスの一覧には放送局に対する要望に関するものはなく、そこで手が止まってしまう。まあ意見を送ったところできちんと対応するかどうかは分からないのだが、放送局に対する要望については多く寄せられることが予想されるので放送局に対する要望はこのメールアドレスで送って頂きたいというように設定してはどうであろうか。現状ではどのメールアドレスで送れば良いのか迷ってしまう人が多いのでは…と思うのは私だけではないはずである(お断りしておくが今書いたことは例であり、私は実際にRSK山陽放送に電子メールで意見を送ろうとしたことはない)。
・RSK山陽放送ラジオの立ち位置がはっきりしないこと。開局当初からラジオ○○という社名にしなかったことや五大都市以外で初めてテレビ放送を開始し、テレビ・ラジオ兼営局に移行したこと、全ての中波中継局の周波数を統一したこと、五大都市以外にある都道府県域民間放送局としては初めて認定放送持株会社体制に移行したことなどで先進性を見せている一方でradikoへの参加やエフエム補完放送の開始は遅く、近年のラジオ放送の潮流に乗り遅れている感が否めない。立ち位置がはっきりしないところとしては山口放送が挙げられる(注105)のだが、どのような考えを持っているのかがはっきりしないのがもどかしいところである。
 RSK山陽放送ラジオの現状をRSK山陽放送ラジオの聴取者がどのように思っているのかは分からない。しかし、中国地方にある民間中波放送局としては中国放送ラジオに次ぐ歴史を有し、中国地方にある民間中波放送局としては中国放送ラジオに次ぐ放送区域人口 を有し、放送区域内には中国地方第二の都市であり、政令指定都市でもある岡山市や中国地方第三の都市である倉敷市を擁していることを考えるとこの現状はどうなのだろうかと考えたくなる。置かれた状況を考えれば致し方のないことなのかもしれないのだが、もう少し危機感を抱き、改善していく姿勢を見せることはできないものであろうか。

RSK山陽放送ラジオに対して望むこと

 今年10月1日にRSK山陽放送は開局70周年の節目を迎える。今回の節目は新しい本社・演奏所で迎えることになるのでそのことに対する意気込みは相当なものがあるのではないのだろうか。
 しかし、RSK山陽放送を含めた民間放送局の現状は厳しい。また、今後どのような展開があるのか予想することも難しい。だから例えば開局75周年を迎える2028年(令和10年)10月1日にRSK山陽放送がどのようになっているのかは皆目見当が付かないと言ったところである。
 けれど、どのような将来があろうともRSK山陽放送ラジオは放送を続け、放送区域となる岡山県に住む人々にとってかけがえのない存在であり続けなければならない。そこでRSK山陽放送ラジオは今後どのようにしていけば良いのか。ここではRSK山陽放送ラジオに対して私が望むことを紹介することにしたい。

(番組制作に対する考え方を改めること)

 RSK山陽放送ラジオについて長寿番組が少ない理由は価値観の変転が激しいことやスポンサーの確保がままならないことなどの外的要因もあるのだが、私は聴取率に対して厳しい態度で臨んでいることや注目されたいという思いが強すぎることなどの内的要因が大きいのではないかと考えている。そのようになったのはRSK山陽放送ラジオと対抗関係にあるラジオ放送局が多数に及ぶために競争を勝ち抜いていかなければならないという状況があったことが大きいわけであるが、ならば聴取率が芳しくないのなら番組や番組内容をコロコロ変えても良いというわけには行かない。聴取者には次のように思われるからである。
・番組に対して肩肘を張りすぎているのではないか。
・「あれだけ頑張っているのに聴取者は全く分かってくれない」と思っているのではないか。
・岡山県、そして山陽地方を代表する放送局であるという矜持を強く持ちすぎているのではないか。
・目先の利益にとらわれ、何か大切なものを見逃しているのではないか。
・注目されたいという思いばかりが先行し、肝心な中身の充実が図れていないのではないか。
・聴取者の考えていることや必要としていることを全く無視しているのではないか。
・長期的視野に立って番組の制作・放送を行っていないのではないか。
 RSK山陽放送としては今挙げたことをことごとく否定することだろう。そして「私達は番組に対して真摯に向き合っているし、数年で終わらせようとして始めているわけでもない。長寿番組を作り得なかったのは番組を取り巻く環境が良くなかったからだ」と言うのだろうが、果たしてそれで良いのだろうか。放送局が考えていることと聴取者が受け止めていることは必ずしも同じではなく、それが合致しなければどうにもならなくなることを考えて頂きたいのである。
 まあ価値観の変転が激しく、数年後どうなっているのか全く予想が付けられないような現代では長寿番組を作ること自体難しいものがあるのだが、RSK山陽放送ラジオが長く続き、聴取者に親しまれる番組を作るためには何が必要なのか。考えられるものを挙げると次の通りになる。
・聴取者の意見を真摯に受け止めること。全ての意見を受け止める必要はないのだが、聴取者から寄せられる意見の中には自分達がやっていることは果たして正解だったのかを考えさせられるものも少なくないのではないのだろうか。そういう意見を受け止め、今後の番組作りの参考にすることはできないものであろうか。
・独り善がりに陥らないように努めること。私としてどうかと思ったのはradikoに参加したことを契機として平日朝の自社制作のワイド番組を刷新したことである。そのことに対する疑問はこちらでも書いているのだが、ラジオ受信機でRSK山陽放送ラジオを聴く方が大半を占める状況でradikoに参加したそのことだけで平日朝の自社制作のワイド番組を刷新するというのはRSK山陽放送側の独り善がりでしかないように見える。結局radikoに参加したことを契機として創設した「朝です。全員起立!」は迷走した末にわずか2年4ヶ月で終了に追い込まれたわけであるが、なぜこのようになったのかRSK山陽放送はきちんと反省したのだろうか。失敗したことをなかったことにし、一切反省しないのであれば同じことをずっと繰り返すだけになることを考えて頂きたいものであるが…。
・聴取率にこだわらないように努めること。確かに聴取率は番組の存廃に関わる重要な指標ではあるのだが、聴取率が芳しくないからテコ入れを繰り返すというのでは聴取者に不信感を抱かせて状況を更に悪化させるだけであり、決して好ましくない。そもそも録音するとかradikoのタイムフリー聴取を使うとかして本来の放送時間とは別の時間に聴く方もいることを考えると聴取率は最早形骸化したも同然と言える存在であり、そこまで気にする必要はないのではないか。聴取率至上主義にとらわれ続ける限りRSK山陽放送ラジオから長く続く番組が生まれる土壌は育まれないことにそろそろ気付いて頂きたいものであるが…。
・番組の制作・放送についてあまり力まないように努めること。RSK山陽放送ラジオについて短命に終わる番組が多い要因の一つとして考えられるのが気概や矜持は高いものがあるのにそれが空回りしているのではないかということである。「対抗関係にある放送局の番組より0.1%でも高い聴取率が欲しい」とか「我々は岡山県、そして山陽地方を代表する放送局であり、番組はそれ相応のものでなければならない」とか「岡山県最古参の民間放送局である以上多くの方々に親しまれる番組を作り、流さなければならない」というような思いを持つのは大切なのだが、それが足枷になっていることは考えられないだろうか。もう少し気楽に番組の制作・放送に臨むようにすれば多くの聴取者に親しまれ、長く続く番組がいくつもできるようになるのではないかと思うのだが…。
・長期的視野を持って番組の制作・放送に臨むこと。そもそも成功したと評される番組が必ずしも最初から注目されたり人気を博したり高評価を付けられたり高い聴取率を記録したりしていたわけではないし、反対に満を持したり社運を賭けたり多額の費用をかけたりして始めた番組が思ったほどの人気・聴取率・評価を得られなかったことや最初は高い聴取率を記録してもしばらくするとだんだん下がっていってどうにもならなくなったこともある。そのように考えれば最初から多くの聴取者に受け入れられる番組を目指すのではなく、地道な努力を重ねてじわじわと支持を広げていく番組を目指したほうが良いように思われる。聴取者がどのように思うのかが課題として残るのだが、短期間で終わらせる考えで番組を制作・放送するわけではないのだからもう少し長い目で番組を見てはどうであろうか。
・番組が短命に終わったことの理由を外部にばかり求めないこと。確かに番組が短命に終わった要因は外部に求める傾向が強く、それを分析するのも良いのだが、ならば番組を制作・放送していた放送局には原因は一切なかったと言えるのだろうか。真剣に総括すれば自分達にも要因があったことに気付くだろうし教訓も得られることであろうがそれをどのくらい行っているのだろうか。「そんなことをすれば社内でいがみ合いが起きるので好ましくない」などと言って避けるところもあるのではないかと思うのだが、失敗したことをなかったことにし、一切反省しないのであれば短命に終わった番組からは何の教訓も得ることもなく、今後もずっと同じような失敗を繰り返すだけであることを真剣に受け止めて頂きたいものである。
 RSK山陽放送ラジオ側は今挙げた考えで番組の制作・放送を行っており、今更一市民に何だかんだ言われたくないなどと反論することだろうが、もしそのようにしているのならなぜRSK山陽放送ラジオは岡山エフエム放送・中国放送ラジオ・西日本放送ラジオ・エフエム香川のように長寿番組を多数生み出せないでいるのだろうか。そこが我々には分からないのである。自らを総括することは誰もがやりたくないと思うことではあるのだが、今一度これまでを振り返り、何が良くなかったのかをあぶり出し、今後に生かしてはどうであろうか。

(聴取者の目線に立つように努めること)

 どの放送局にもあることかもしれないのだが、RSK山陽放送ラジオにはどうも聴取者の目線に立って物事を考えていないのではないかと思うことがいくつもある。それを挙げると次の通りになる。
・何らかの出来事を契機に平日朝の自社制作のワイド番組を刷新したこと。「おかやま 朝まるステーション1494」から「朝です。全員起立!」への刷新はradikoへの参加が、「朝耳らじおGoGo」から「天神ワイド 朝」への刷新はラジオ部門の新本社への全面移転完了がそれぞれ契機となったのだが、極論すればいずれもRSK山陽放送ラジオ側の都合による刷新でしかなく、何か聴取者の感情が無視されている感が否めない。聴取者のほとんどが納得したり致し方ないと受け止めたりする出来事(注106)が起きたのなら刷新することに対して異論は挟まないが、そういう理由による刷新でなかったが故に「朝です。全員起立!」は聴取率が「おかやま 朝まるステーション1494」より下がり、試行錯誤を繰り返したがどうにもならず…となったのではないのだろうか。(始まったばかりの番組に対してこういうことを書くのもどうかとは思うのだが)「天神ワイド 朝」が「朝です。全員起立!」と同じ道をたどらないように頑張って頂きたいものであるのだが…。
・2020年(令和2年)春の番組改編から平日の午前中に放送時間が5時間以上になる自社制作のワイド番組を設定したこと。人員の問題や「大は小を兼ねる」という発想からそのようにしたのかもしれないのだが、午前7時台と午前11時台では番組を聴いている層が異なることや5時間ずっと聴いている方はそんなに多くないこと、長時間ワイド番組は週末(金曜日・土曜日・日曜日)に設定される傾向が高いことなどを考えればそういう設定は無理があるのでは…と思いたくなる。また、今春の番組改編で始まった現行の平日朝の自社制作のワイド番組「天神ワイド 朝」は毎日出演者を変えていることが主たる特色となっているが、それでは「Fresh Morning OKAYAMA」の牛嶋俊明・森田恵子、「おはようラジオ」の本名正憲、「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」の横山雄二(中国放送アナウンサー)…というようにこの番組と言えばこの人という存在を育めなくなる恐れもある。「天神ワイド 朝」より放送時間が1時間短い山口放送ラジオの平日朝の自社制作のワイド番組「KRY Morning Up」は山口放送の高橋裕アナウンサーが毎日出演していることを考えると(始まったばかりの番組に対してこういうことを書くのもどうかとは思うのだが)「天神ワイド 朝」について何らかの見直しを行うのであれば「天神ワイド 朝」を午前7時〜午前11時の4時間番組とするとか(人員の都合が付くという条件付きではあるのだが)「天神ワイド 朝」を午前9時までの番組とし、午前9時〜午後0時に新たな自社制作のワイド番組を設定するとか考えても良いように思われる。
・土曜日深夜(日曜日早朝)に臨時の放送休止を入れたり月曜日の放送開始時間を繰り下げたりする時に公式サイトでそのことを一切通知しないこと。放送休止や放送開始時間繰り下げにより流れなくなる番組が出てくるのだが、聴いている人はあまりいないだろうとか公式サイトに掲載している番組表や新聞のテレビ・ラジオ欄でそのことを知るだろうと考えて一切通知しないのだろうか。しかし、機器調整などの都合で番組を休止せざるを得ないことや代替放送は行わないことは聴取者に対して迷惑をかける行為であることや新聞のテレビ・ラジオ欄におけるラジオ放送局の番組表はテレビ放送局のそれより枠が小さく、更に新聞の気付きにくい面に配置される傾向があることなどを考えると公式サイトでそのことを一切通知しないというのは好ましいことではない。今後いつ臨時の放送休止や放送終了時間繰り上げ、放送開始時間繰り下げが行われるかは分からないが、少数派となる聴取者に配慮してせめて公式サイトでそのことを通知してはどうであろうか。
・番組編成の意図が分かりづらいこと。月曜日の放送開始時間を午前3時に繰り上げたことや何らかの契機―それはいつもRSK山陽放送ラジオ側の都合であるのだが―で何度か平日朝の自社制作のワイド番組を刷新したこと、平日朝の自社制作のワイド番組の放送時間を長時間化したこと、今春の番組改編で日曜日の昼前に文化放送が火曜日〜金曜日の午前3時〜午前4時44分に放送している「ARTIST FC」の一部分をネットするようになったこと(注107)などにそのことは見られるのだが、RSK山陽放送ラジオの番組編成担当者はどういう意図を持って番組編成を行っているのだろうか。
radiko.jpプレミアムの配信対象番組からファジアーノ岡山の公式戦中継を外していること。現状では知名度が低いことやホームゲームのみの中継としていること、ファジアーノ岡山寄りの中継放送を行っていること、そして全てのホームゲームを中継しているわけではないことなどが対象から外した理由として考えられるが、この措置はRSK山陽放送ラジオが受信しづらい地域に住んでいる方やファジアーノ岡山と対戦するチームのファンを蔑ろにしていると受け止められかねない。Jリーグ一部昇格を果たすなど状況が大きく変わるまではこのままなのだろうが、地元だけに目を向けず、もっと広い視野に立って物事を考えて頂きたいと思う。
・番組や放送局に対する要望を送ろうとしてもどのメールアドレスで送信して良いのか分かりにくいこと。現状ではホームページ、RSKアプリ、データ放送などに関することを対象としたメールアドレス(master@rsk.co.jp)が該当メールアドレスとなるのだろうが、そのように書いているために番組や放送局に対する要望はどのメールアドレスで送れば良いのか迷い、結局諦めてしまう方がいることが考えられる。夜間・週末・祝日・年末年始には対応できない電話と異なって電子メールであればどの時間帯でも要望を送ることができることを考えれば意見・要望を送るためのメールアドレスを設けるか番組や放送局に対する要望についてもホームページ、RSKアプリ、データ放送などに関することを対象としたメールアドレスで送っても良いことを明記したほうが良いように思われる。そのようにしてどのくらいの意見・要望が寄せられるかは分からないが、意見や要望はいつでも気軽に送れるように努める姿勢は示すべきではないのだろうか。
・聴取者がどうかと思うことに対して説明責任を果たしていないこと。例えばエフエム補完放送に関するRSK山陽放送ラジオの動きとしては岡山エフエム中継局を開局させたことと2028年(令和10年)秋にエフエム放送局に転換する民間中波放送局に名を連ねたことだけになっているが、なぜ岡山エフエム中継局を開局させたところでエフエム補完中継局の整備を止めているのかとかどのような形で中波放送局からエフエム放送局に転換させていくのかとかもし今後エフエム中継局を設置するのであればどこに設置するのかとかを明らかにすべきではないのだろうか。よく考えれば分かるだろうというような姿勢ではなく、機密事項に触れない範囲内で方針を明らかにしたほうが聴取者の不信感も軽減されるのではないかと思うのだがどうであろうか。
・放送局として今後どのようにしていきたいのかが聴取者に伝わっていないような感じがあること。エフエム補完中継局の整備や中波放送局からエフエム放送局への転換、次代のRSK山陽放送ラジオを担う人材の育成、放送サービスの維持などどのようにしたいのかを全く示していないのがどうかと思うのだが、機密事項に触れない範囲内でどのようにするのか明かし、聴取者の理解を求めてはどうであろうか。
 RSK山陽放送ラジオの聴取者がRSK山陽放送ラジオをどのようにとらえているのかは分からないのだが、RSK山陽放送ラジオについて長寿番組があまりないのはこういうRSK山陽放送ラジオの姿勢にも原因があると思うのは私だけだろうか。聴取者の目線に立った放送を展開するように努めれば状況はある程度改善されるのではないかと思うのだが、果たして…。

(RSK山陽放送ラジオと言えばこれ!! というような番組を持つこと)

 放送局の中には放送区域内だけでなく放送区域外でも広く知られた番組を持っているところが少なくない。中国地方にある民間中波放送局で言えば山陰放送ラジオの「音楽の風車」や中国放送ラジオの広島東洋カープ公式戦中継が代表的な例であるが、RSK山陽放送ラジオなら何が該当するのだろうか。ちょっと思い当たらないのだが、努力次第でRSK山陽放送ラジオと言えばこれ!! というような番組になり得る可能性を秘めている番組を挙げるとすればファジアーノ岡山の公式戦中継と、今春の番組改編で始まった「OKYAAAMA〜大都会オカヤマな夜〜」が該当するのではないかと考えている。なぜそのように考えるのか、ここから説明していくことにしたい。
 まず、ファジアーノ岡山の公式戦中継についてであるが、次に挙げる特色を持っている。
・ファジアーノ岡山がJリーグ二部に昇格した次の年度、すなわち2010年度(平成22年度)に開始した。
・原則として週末に開催されるホームゲームを中継している。
・中継するのはホームゲームだけであるが全ての試合を中継しているわけではない(週末以外に開催する試合はあまり中継しない)。
・中継試合数は多いほうである(2021年度〔令和3年度〕の場合21試合中16試合について中継を実施)。
・2018年度(平成30年度)以降radiko.jpプレミアムの配信対象番組から外されているために岡山県以外の地域ではradiko.jpプレミアムを介して聴くことができなくなっている。
・2018年度(平成30年度)以降タイムフリー聴取の対象から
外されている。
 全てのホームゲームを中継していないことやradiko.jpプレミアムの配信対象番組から外されているために岡山県以外の地域では遠距離受信でしか聴けなくなっていること、タイムフリー聴取の対象から外されていることなど課題もいくつかあるのだが、ここまでサッカー中継に力を入れているのはファジアーノ岡山がJリーグ二部に昇格するまで岡山県にはプロスポーツチームがなかったことや折角のプロスポーツチームを盛り立てたいこと、平成時代に入ってから厳しい状況にいくつも見舞われた岡山県を盛り上げたいという思いがあることなどが考えられる。無論この状況をどうかと思っている方も少なくないわけであるが、この姿勢はもっと評価されても良いし今後もずっと続けて頂きたいし改善できるところがあれば積極的に改善し、全国的に注目される存在に育てて頂きたいものだと考えている。
 次に「OKYAAAMA〜大都会オカヤマな夜〜」であるが、1年半の短命に終わった「カンナ総統のジミケン革命結社 ブラック★シャドウ」と同じく地味だとされる岡山県を盛り上げることを目的として設定された若年者向け番組である。「カンナ総統のジミケン革命結社 ブラック★シャドウ」と異なる点としては次のようなことが挙げられる。
・本放送の放送時間が早くなった。「カンナ総統のジミケン革命結社 ブラック★シャドウ」は一週間最後の番組として放送されていた(2020年〔令和2年〕4月6日〜2021年〔令和3年〕3月29日…月曜日午前0時30分〜午前1時/2021年〔令和3年〕4月4日〜9月26日…日曜日午後11時30分〜午前0時)が、「OKYAAAMA〜大都会オカヤマな夜〜」は日曜日午後10時〜午後11時となっている(RSK山陽放送ラジオの放送終了時間は月曜日午前0時15分なので無論「OKYAAAMA〜大都会オカヤマな夜〜」は一週間最後の番組ではない)。
・放送時間が長くなった。「カンナ総統のジミケン革命結社 ブラック★シャドウ」は30分番組だったが、「OKYAAAMA〜大都会オカヤマな夜〜」は1時間番組となっている。
・進行役が岡山県を主たる活動地域としている人物かつRSK山陽放送アナウンサーとなった。「カンナ総統のジミケン革命結社 ブラック★シャドウ」の進行役は福井柑奈という岡山県出身で、大阪を中心に活動していた女性アイドルグループ・ポンバシwktkメイツ(活動期間:2009〜2017)のメンバーとして活動していた女性タレントだった(注108)が、「OKYAAAMA〜大都会オカヤマな夜〜」はRSK山陽放送の坂俊介アナウンサーが進行役を務めている。
・初めから再放送を設定している。「カンナ総統のジミケン革命結社 ブラック★シャドウ」は番組開始から1年3ヶ月経った2021年(令和3年)7月から日曜日午前4時30分〜午前5時に再放送を行うようになったのだが、「OKYAAAMA〜大都会オカヤマな夜〜」は最初から日曜日午前4時〜午前5時に再放送を行うように設定されている。
・番組名が人々の目を引くようなものになったこと。「カンナ総統のジミケン革命結社 ブラック★シャドウ」と比べると「OKYAAAMA〜大都会オカヤマな夜〜」はかなりインパクトのある番組名であるように感じる。ただ番組名がインパクトがあると言ってもそれで人気番組になるとは限らず、人気番組に成長させるには様々な努力が必要なことは記すまでもないであろう。
 今挙げたことから「OKYAAAMA〜大都会オカヤマな夜〜」は「カンナ総統のジミケン革命結社 ブラック★シャドウ」の反省点(注109)を生かして制作された番組と解しても間違いではないのではないかと私は思うのだが、番組設定趣旨は同じでも番組名にインターネットで盛んに使われる言葉、すなわち大都会岡山を使い、岡山県を盛り上げようとする姿勢がどれだけ聴取者に浸透するのか、そして山陰放送の森谷佳奈アナウンサーが進行役を務めている山陰放送ラジオの「森谷佳奈のはきださNIGHT!」などのようにradiko.jpプレミアムを介して聴こうとする人が出るのか、今から注目されるところである。
 ○○放送と言えばこれ!! というものを作り出すことは簡単なことではないし、その間には様々な苦労を経験することになる。「音楽の風車」も広島東洋カープ公式戦中継も記すまでもなく様々な苦労(注110)を経験してきたが多くの聴取者の支持を得て長く続き、なおかつ広く知られる番組になった。RSK山陽放送ラジオにもできないことはないと思うのだが、それができないのは競争相手が多いことや聴取率に対するこだわりが強いこと、所属系列の変更など変転が激しかったことなどがあったからであろうか。状況は難しいものがあるが、しっかり腰を据えて番組制作に臨み、放送区域内外で広く知られる番組を育んで頂きたいものだと考えている。

(厳しい環境の中でも生き抜くように努めること)

 RSK山陽放送の置かれた環境はあまりにも厳しい。その状況を示すと次の通りになる。
・岡山・香川両県を放送区域とするテレビ部門は放送区域人口が300万人に満たないながら対抗関係にある都道府県域民間テレビ放送局が4社(岡山放送・テレビせとうち・西日本放送テレビ・瀬戸内海放送)もあり、競争が激しいこと。
・岡山県だけを放送区域とするラジオ部門も同じく岡山県だけを放送区域とする岡山エフエム放送、香川県だけを放送区域としているが岡山県南部で十分受信可能な西日本放送ラジオ・エフエム香川、岡山市・笠岡市・倉敷市・津山市にあるコミュニティ放送局との競争が起きていること。
・ラジオ部門の中継局の施設老朽化が進展していること。
・交通網の整備(注111)で中国・四国地方随一の交通の要衝として更なる発展を遂げるという観測のあった岡山県の人口は2005年(平成17年)を頂点として減少に転じ、現在も止まっていないこと(注112)
・岡山県はひどい財政難に見舞われていること。
・インターネットが急激に普及し、若年者を中心にテレビ・ラジオ離れが進行していること。
・テレビ・ラジオ・新聞・雑誌に見切りを付けてインターネットで広告を展開する企業が増えていること。
・新型コロナウィルス感染症の世界的な流行に見舞われたこと。
・日本経済が低迷から脱し切れないでいること。
 5年後、10年後のRSK山陽放送ラジオがどのようになっているのか、皆目見当が付かないところなのだが、最も回避して頂きたいことは業務継承がかなわず、廃業を余儀なくされることである(注113)。つまり、運営する会社は変わるかもしれないけれどどのような状況下にあっても放送を継続し、地域のかけがえのない存在であり続けるように努めて頂きたいということである。ではRSK山陽放送ラジオはそのために何をしていけば良いのか、既に書いたことを含めて挙げると次の通りになる。
・自社制作番組を大切にすること。
・聴取率偏重主義を改めること。
・聴取者が気軽に意見を送れるようにすること。
・方針を二転三転させないように努めること。
・機密事項に抵触しない範囲内で説明責任を果たすこと。
・遠距離受信やradiko.jpプレミアムを介して放送区域外でも聴いてもらえるような番組を持つこと。
・次代の
RSK山陽放送を担う人材を育てること。
・身の丈に合った放送体制を心がけること。
・短期的には注目されても長期的には続かない恐れがあるようなこと(月曜日の放送開始時間の大幅繰り上げなど)には手を出さないように努めること。
・地元・岡山県に根差した番組作りを心がけ、岡山県を広く知ってもらえるように努めること。
・環境が厳しい中でも経営していけるような体制を構築すること。
・長期的視野に立って物事を考えること。
・聴取者の信頼を損ねるようなことはしないように努めること。
 今書いたことをRSK山陽放送ラジオがどのように受け止めているかは分からない。ただ、現状を知り、積極的に改善していかなければ更に窮地に追い立たされていくのは確実であろう。生き残るためにどのように行動していくのか、RSK山陽放送ラジオの出方が注目されるところである。

(今後も積極的に動き、地方の民間放送局の代表的存在を目指すこと)

 開局当初からラジオ○○という社名にしなかったことや五大都市以外で初めてテレビ放送を開始し、テレビ・ラジオ兼営局に移行したこと、全ての中波中継局の周波数を統一したこと、五大都市以外にある都道府県域民間放送局としては初めて認定放送持株会社体制に移行したことなどで先進的・積極的・挑戦的・独自的な姿勢を持つ放送局という印象がある(と私は思っている)RSK山陽放送であるが、その状況は厳しい環境の中で育まれたものであった。それがRSK山陽放送の存在感を高めてきたとも言えるわけであるが、今後も生き残っていくためには今までと同じく先進的・積極的・挑戦的・独自的な姿勢をとり続けることが考えられる。
 ではRSK山陽放送―ここでは岡山県だけを放送区域としているラジオ部門についてのみ対象とする―はどのようなことを行っていったほうが良いのか。それを挙げると次の通りになる。
・改善点を積極的に提案するように努めること。例えばエフエム補完放送は周辺整備(注114)が行われないままになっていることや民間中波放送局がエフエム補完放送を推進すれば対抗関係にある都道府県域民間エフエム放送局やコミュニティ放送局の経営状況に甚大な影響を及ぼす可能性があるのに経営難に陥った放送局の救済策が全く考えられていないこと、未だにテレビ・ラジオ欄で民間中波放送局のエフエム補完放送の周波数を書いていない新聞があること(注115)など課題はいくつもあるのだが、この点をRSK山陽放送はどのように考えているのだろうか。RSK山陽放送ラジオのエフエム補完放送への取り組みは諸事情により遅れたが、その中で見えてきたことはいくつもあったのではないのだろうか。折角RSK山陽放送ラジオは2028年(令和10年)秋をメドに中波放送局からエフエム放送局に転換する民間中波放送局に名を連ねているのだからより良い環境の中で移行するためにも積極的に思ったことを明かし、改善に繋げるよう努めてはどうであろうか。
・もし中波放送を維持することにした場合は中波放送を維持することにしているNHK岡山放送局と中波中継局を共有するようにすること。中波中継局はある程度広い敷地が必要なことや高い塔を建てなければならないことから建設し、管理する費用は相当なものになるのだが、民間中波放送局は広告収入の減少で、日本放送協会は受信料収入の減少でそれぞれ捻出しにくくなることが予想される。更にNHK岡山放送局の中波中継局は本局(岡山市南区藤田)及び津山・新見両中波中継局が浸水被害に遭う恐れがあることや中波中継局がRSK山陽放送ラジオより少ない5箇所(本局及び久世・津山・新見・北房各中波中継局)しかなく、岡山県南東部(備前市・和気郡)や岡山県南西部(浅口市・井原市・笠岡市・浅口郡)が手薄になっていることといった課題がある。そこでNHK岡山放送局とRSK山陽放送ラジオは中波中継局を共同化して受信環境の改善と管理費用の節減を行うようにするのである。日本放送協会の放送局と民間中波放送局の共同中波中継局は中国地方では既に広島県府中市で実現していることや岡山エフエム放送の本局(玉野市八浜町波知。周波数:76.8MHz)はNHK岡山放送局のテレビ放送・エフエム放送の本局(玉野市八浜町波知)と共用していることを考えると実現難易度は高くないと思われるし、中波放送を維持することにした民間中波放送局が参考にすることも考えられる。実現する可能性は著しく低いのだがもし取り組むとすれば注目されることになるのは間違いないのではないかと思われる。
・もし中波放送局からエフエム放送局に転換するのであれば放送区域と同じくする岡山エフエム放送の経営に甚大な影響を及ぼさないように努めること。エフエム補完放送に積極的な民間中波放送局のある地域を放送区域としている都道府県域民間エフエム放送局では影響が出ているところがいくつかある
(注116)のだが、RSK山陽放送の親会社・RSKホールディングスは岡山エフエム放送の出資者に名を連ねていることや岡山エフエム放送より後に開局した都道府県域民間エフエム放送局は全て経営問題が起きていること(注117)、岡山エフエム放送は経営環境こそ厳しいが健闘していることを考えると岡山エフエム放送を窮地に追い立たせることはしたくないのではないのだろうか。そこでRSK山陽放送としては岡山エフエム放送と共存共栄が図れるような施策をとることが求められる。具体策としてはRSK山陽放送ラジオ・岡山エフエム放送とも中継局を設置していないところ(岡山市北区建部地区や真庭市北部など)にRSK山陽放送ラジオ・岡山エフエム放送共同中継局を設置することやもしRSK山陽放送ラジオが同じ周波数を用いてエフエム中継局を整備するのであれば岡山エフエム放送の中継局の周波数統一も同時並行で行うこと、幹線道路のそばにその辺りで受信できるRSK山陽放送ラジオと岡山エフエム放送の周波数を記した看板を設置すること(注118)などが挙げられる。
・岡山県内にあるコミュニティ放送局、すなわち岡山シティエフエム・エフエムくらしき・笠岡放送(愛称:エフエムゆめウェーブ。笠岡市笠岡)・つやまコミュニティFM(愛称:エフエムつやま。津山市南新座)と連携を図ること。市区町村を放送区域とするコミュニティ放送局で番組を持っている方がRSK山陽放送ラジオの自社制作のワイド番組で地域の情報を伝える企画を設定すれば本社以外に発信拠点を持たないRSK山陽放送ラジオにとっては岡山県内各地に発信拠点を持つことになることやコミュニティ放送局の存在も広く知られるようになることといった利点がある。また、岡山県内におけるコミュニティ放送局は岡山県にある民間放送局としては初めて廃業に追い込まれたエフエム津山(愛称:レディオつやま〔2010〜2012〕→MegaWAVE76.3〔2012〜2020〕。津山市小田中。2010〜2020)を最後に10年以上新規開局は途絶えているが、岡山県にもコミュニティ放送局開局への機運が盛り上がっても良いようなところはいくつかある(注119)。もし岡山県内のどこかでコミュニティ放送局開局への具体的な動きが起きるのであればある程度の知識を持っているRSK山陽放送の元職員を相談役として派遣して円滑な開局・運営ができるようにしても良いのではないのだろうか。
・当分続くと思われる人口減少などの厳しい状況でも生き残るためにも率先して番組編成の在り方などを見直し、他の放送局が参考にするような放送局を目指すこと。過去に何の説明もなく合理化をいきなり実施して反発を食らったり聴取者に疑念を持たれたりして逆に損をした放送局があったことを考えるともしそのようにするのであれば目的や方針をきちんと説明し、聴取者の理解を得られるように努めるべきであろう。もしそのようにするのであれば効果のないことや無駄なこと、聴取者に疑念を持たれるようなことは一切しないように努める必要もあることは最早記すまでもないことであろう。
・聴取者に開かれた放送局を目指すこと。具体的な行動としては情報公開を推進することや説明責任を果たすこと、番組審議会を公開し、聴取者からの意見・疑問・要望をSNS(Twitter・Facebook・LINEなど)などで募ること、クラウドファンディングスポンサー制度(注120)を導入することなどが挙げられる。聴取者の中には自分の思うことを実現してくれないと絶対に引き下がらないというような強硬的な態度をとる方や放送局のやることなすことに文句を付ける方、言論の自由は日本国憲法で保障されているのだから何を言っても許されると思っている方など対応に困る方がいることや聴取者の意見に耳を傾けたことで放送局としての方針が揺らぎ、結果損をすることなど課題はあるのだが、聴取者離れを引き起こした要因の一つは明らかに放送局側が聴取者を蔑ろにした態度をとっていることにあることを考えると今後も生き残っていくためには必要なことになるのではないのだろうか。
 RSK山陽放送は五大都市以外では初めてテレビ放送を開始し、テレビ・ラジオ兼営局に移行したことや中波中継局の周波数をいち早く統一したこと、本局だけで実施する傾向強かった中波ステレオ放送について本局だけでなく本局と同じ周波数を用いている中継局についても実施したこと、五大都市以外に本社・演奏所を置く都道府県域民間放送局としては初めて認定放送持株会社に移行したことなど先進的・積極的・挑戦的・独自的な態度を随所に見せてきた。状況は厳しいものがあるが、そういう姿勢を今後も見せ、注目される存在であり続けて頂きたいと思う。

 今回はRSK山陽放送の新本社への移転完了に寄せていろいろなことを書いてきたのだが、私として思うのは新本社への移転完了を契機にラジオ部門は特にもう少ししっかりして頂きたいということである。RSK山陽放送ラジオは中国放送ラジオに次ぐ歴史を有しているのに長寿番組が少ないことや長期的・広域的視野に欠けた番組編成を度々行っていること、radiko参加やエフエム補完放送開始に象徴されるように近年の都道府県域民間ラジオ放送局の潮流にことごとく乗り遅れていること、臨時の放送休止や放送終了時間繰り上げ、放送開始時間繰り下げについて公式サイトで通知しないことや聴取者が電子メールで意見・要望を送ろうとしてもどのメールアドレスで送れば良いのか分かりにくいことに象徴されるように聴取者を蔑ろにしているような態度が随所に見られることがどうかと思うわけであるが、RSK山陽放送のラジオ部門に携わっている方はこのことをどのように思っているのだろうか。確かにRSK山陽放送はテレビ部門もラジオ部門も激しい競争にさらされていることや少子・高齢化の進展や東京・名古屋・大阪などの大都市への若年者を中心とした流出などの理由により放送区域人口が減少していること、インターネットの普及や経済活動の低迷などの理由により広告収入が減少していることなど厳しい環境に置かれているわけであるが、近年のどうかと思われる事柄の原因を外部にばかり求めてはいないだろうか。やはりRSK山陽放送は自分達が何をしてきたかを総括し、それを踏まえて今後どのようにすれば良いのかを真剣に考えるべきではないかと思う。これは企業に限らず誰にとっても非常に辛いことなのだが、それを行わないことには新たな展開は望めないし、視聴者・聴取者離れに拍車をかけることになるのではないのだろうか。新本社への移転完了を契機にこれまでを振り返り、中国放送ラジオに次ぐ歴史を有する民間ラジオ放送局として、中国地方では中国放送ラジオ・広島エフエム放送に次ぐ放送区域人口を有する都道府県域民間ラジオ放送局として、中国地方第二・第三の都市を放送区域内に擁する放送局としてふさわしい姿に生まれ変わるために何をなすべきなのかを真剣に考え、新たなRSK山陽放送を見せることを私は要望したい。

(注釈コーナー)

注1:実はラジオ部門の一部については2021年(令和3年)6月6日から新本社で業務を行っていた。しかし、その時は一部業務の移転に留まったためラジオ放送に関しては臨時の放送休止は入れなかった(反対にテレビ部門は全面移転となったため2021年〔令和3年〕6月6日は午前1時28分〜午前5時29分に放送休止を入れて移転作業を行っている)。

注2:最近の例では北海道放送や東北放送、長崎放送(NBC、長崎市尾上町)が挙げられる。状況は下表の通りである。

放送局名 移転年月日 備考
テレビ部門 ラジオ部門
北海道放送 2020年
(令和2年)
10月12日
2020年
(令和2年)
9月21日
旧本社におけるラジオ放送は2020年(令和2年)9月21日午前0時をもって終了したが、その際かつてラジオ放送の放送終了時にかけていた伊福部昭(1914〜2006)作曲の「ウポポ」をかけるという演出がなされている。
東北放送 2020年
(令和2年)
6月8日
2020年
(令和2年)
5月25日
長崎放送 2021年
(令和3年)
11月8日
2021年
(令和3年)
11月1日
当初はテレビ部門・ラジオ部門とも同じ日(2021年〔令和3年〕11月1日)に移転する予定だったが、第49回衆議院議員総選挙(2021年〔令和3年〕10月31日)が実施されたことによりテレビ部門は一週間遅れての移転となった。

注3:ラジオ山陽というのは1961年(昭和36年)8月31日までのRSK山陽放送の愛称である。恐らくテレビ・ラジオ兼営局に移行したことで使用を取りやめたのであろう。

注4:石島は香川県側では井島と表記している。なお、読み方は岡山県側・香川県側とも「いしま」である。

注5:RSK山陽放送ラジオの中波中継局でかつて使われていたコールサインは次の通りである。
・笠岡中波中継局…JO5A(実用化実験局時代〔1961〜1965〕に使用)
・津山中波中継局…JOYO
・新見中波中継局…JOYE
ちなみに中国地方にある民間中波放送局でコールサインを一つしか使用していないのはRSK山陽放送ラジオだけである。

(参考資料:中国地方にある民間中波放送局で現在使用されているコールサイン一覧表)

※略称や所在地は下表では省いているのでその点はご了承願いたい。

放送局名 コールサイン 使用
中波中継局名
備考
山陰放送 JOHF 米子
(本局)
JOHL 鳥取
JOHM 浜田
JOHN 益田
RSK山陽放送 JOYR 岡山
(本局)
中国放送 JOER 広島
(本局)
JOEO 福山 中国放送は福山支社について現在も番組制作・発信機能を残している関係上福山放送局と呼称している。
山口放送 JOPF 周南
(本局)
JOPL
JOPM 下関
JOPN 岩国

注6:民間中波放送局を開局年月日順に並べると下表の通りになる。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名・略称は現在盛業中のものは現行のものを、廃業したものは廃業時点のものをそれぞれ記している。

・所在地は分かりやすくするために盛業中のものも廃業したものも現在のものを記している。

・同じ日に複数の放送局が参加した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

順位 放送局名 開局年月日 備考
1 CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
1951年
(昭和26年)
9月1日
MBSラジオと開局した日は同じだが放送開始時間はCBCラジオ(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)が先だったためCBCラジオが日本初の民間放送局となっている。
MBSラジオ
(MBS、大阪市北区茶屋町)
1951年
(昭和26年)
9月1日
3 朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
1951年
(昭和26年)
11月11日
4 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
1951年
(昭和26年)
12月1日
5 京都放送
(KBS、京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町)
1951年
(昭和26年)
12月24日
愛称:KBS京都(京都放送と呼称することはあまりない)。
6 TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
1951年
(昭和26年)
12月25日
7 北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
1952年
(昭和27年)
3月10日
8 信越放送
(SBC、長野市問御所町)
1952年
(昭和27年)
3月25日
9 文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
1952年
(昭和27年)
3月31日
10 ラジオ関西
(CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目)
1952年
(昭和27年)
4月1日
11 東北放送
(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)
1952年
(昭和27年)
5月1日
12 北陸放送
(MRO、金沢市本多町三丁目)
1952年
(昭和27年)
5月10日
13 北日本放送
(KNB、富山市牛島町)
1952年
(昭和27年)
7月1日
14 四国放送
(JRT、徳島市中徳島町二丁目)
1952年
(昭和27年)
7月1日
15 福井放送
(FBC、福井市大和田二丁目)
1952年
(昭和27年)
7月20日
16 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
1952年
(昭和27年)
10月1日
17 静岡放送
(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)
1952年
(昭和27年)
11月1日
18 新潟放送
(BSN、新潟市中央区川岸町三丁目)
1952年
(昭和27年)
12月24日
19 長崎放送
(NBC、長崎市尾上町)
1953年
(昭和28年)
3月1日
20 高知放送
(RKC、高知市本町三丁目)
1953年
(昭和28年)
9月1日
21 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
1953年
(昭和28年)
10月1日
西日本放送
(RNC、高松市丸の内)
1953年
(昭和28年)
10月1日
南海放送
(RNB、松山市本町一丁目)
1953年
(昭和28年)
10月1日
熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
1953年
(昭和28年)
10月1日
大分放送
(OBS、大分市今津留三丁目)
1953年
(昭和28年)
10月1日
26 南日本放送
(MBC、鹿児島市高麗町)
1953年
(昭和28年)
10月10日
27 青森放送
(RAB、青森市松森一丁目)
1953年
(昭和28年)
10月12日
28 山形放送
(YBC、山形市旅篭町二丁目)
1953年
(昭和28年)
10月15日
29 秋田放送
(ABS、秋田市中通七丁目)
1953年
(昭和28年)
11月1日
30 ラジオ福島
(RFC、福島市下荒子)
1953年
(昭和28年)
12月1日
31 近畿東海放送
(KTB、津市中央)
1953年
(昭和28年)
12月10日
ラジオ東海(RTC、岐阜市上加納山)と統合して東海ラジオ放送(SF、名古屋市東区東桜一丁目)に移行したため1960年(昭和35年)4月1日に廃業した。
32 アイビーシー岩手放送
(IBC、盛岡市志家町)
1953年
(昭和28年)
12月25日
33 九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
1954年
(昭和29年)
1月1日
34 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
1954年
(昭和29年)
3月1日
35 ラジオ佐世保
(?、佐世保市天神五丁目)
1954年
(昭和29年)
4月1日
ラジオ長崎と統合して長崎放送に移行したため1954年(昭和29年)10月18日に廃業した。
開局直前にラジオ長崎との統合が決まったこともあってか略称の設定はなかったものと思われる。
放送日数は200日間だけであり、日本で最短命の民間中波放送局となっている。
36 山梨放送
(YBS、甲府市北口二丁目)
1954年
(昭和29年)
7月1日
宮崎放送
(MRT、宮崎市橘通西四丁目)
1954年
(昭和29年)
7月1日
38 ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
1954年
(昭和29年)
7月15日
39 琉球放送
(RBC、那覇市久茂地二丁目)
1954年
(昭和29年)
10月1日
愛称:RBCiラジオ。
40 ラジオ東海
(RTC、岐阜市上加納山)
1955年
(昭和30年)
3月10日
近畿東海放送(KTB、津市中央)と統合して東海ラジオ放送に移行したため1960年(昭和35年)4月1日に廃業した。
41 山口放送
(KRY、周南市徳山)
1956年
(昭和31年)
4月1日
42 極東放送
(KHR、浦添市小湾)
1958年
(昭和33年)
2月23日
沖縄県を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局・エフエム沖縄(浦添市小湾)に移行したため1984年(昭和59年)9月1日に廃業した。
43 大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
1958年
(昭和33年)
7月1日
愛称:ラジオ大阪(大阪放送と呼称することはあまりない)。
44 アール・エフ・ラジオ日本
(RF、横浜市中区長者町五丁目)
1958年
(昭和33年)
12月24日
45 和歌山放送
(WBS、和歌山市湊本町三丁目)
1959年
(昭和34年)
4月1日
46 東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
1960年
(昭和35年)
4月1日
47 ラジオ沖縄
(ROK、那覇市西一丁目)
1960年
(昭和35年)
7月1日
48 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
1962年
(昭和37年)
12月15日
49 岐阜放送
(GBS、岐阜市橋本町二丁目)
1962年
(昭和37年)
12月24日
50 茨城放送
(IBS、水戸市千波町)
1963年
(昭和38年)
4月1日
愛称:Lucky FM 茨城放送(略称は2021年〔令和3年〕4月1日以降は公的には用いられていない)。
栃木放送
(CRT、宇都宮市昭和二丁目)
1963年
(昭和38年)
4月1日

注7:中国地方にある民間中波放送局を開局年月日順に並べると下表の通りになる。

※社名・略称・所在地は現行のものを記している。

順位 放送局名 開局年月日 備考
1 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
1952年
(昭和27年)
10月1日
2 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
1953年
(昭和28年)
10月1日
3 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
1954年
(昭和29年)
3月1日
4 山口放送
(KRY、周南市徳山)
1956年
(昭和31年)
4月1日

注8:中国地方にある民間中波放送局の社名の変遷状況は下表の通りである。

放送局名 社名 使用開始
年月日
使用終了
年月日
備考
山陰放送 ラジオ山陰 1954年
(昭和29年)
3月1日
1961年
(昭和36年)
5月31日
当時の略称はRSB。
1959年(昭和34年)12月15日にテレビ・ラジオ兼営局に移行したことにより改称。社名変更と同時に略称もRSBから現行のBSSに変更している(ラジオ局だけの放送局ではないことを強調したかったものと思われるが真相は不明)。
山陰放送
(現行社名)
1961年
(昭和36年)
6月1日
(使用中)
RSK山陽放送 山陽放送 1953年
(昭和28年)
10月1日
2019年
(平成31年)
3月31日
ラジオ局として開局し、1958年(昭和33年)6月1日にテレビ・ラジオ兼営局に移行したが社名の変更はなかった。
放送持株会社に移行したことにより改称。社名使用期間65年6ヶ月(日数に換算すれば2万3,923日)は中国地方にある民間放送局では最長記録になっている(但し2024年〔令和6年〕8月31日に日本海テレビジョン放送〔NKT、鳥取市田園町四丁目〕が最長記録の座に就くことになっており、山陽放送がその座に就け続けるのはあと1年4ヶ月ほどとなっている)。
RSK山陽放送
(現行社名)
2019年
(平成31年)
4月1日
(使用中)
中国放送 ラジオ中国 1952年
(昭和27年)
10月1日
1967年
(昭和42年)
3月31日
1959年(昭和34年)4月1日にテレビ・ラジオ兼営局に移行したことにより改称。但しテレビ・ラジオ兼営局に移行してから8年も経ってからの改称であり、テレビ・ラジオ兼営局に移行してからもラジオ○○を名乗り続けた最長記録を有している(なぜ長らく改称しないでいたのかは不明。ただ中国放送に改称してからかなり経った1970年代後半になっても中国放送をラジオ中国と呼んでいた方は少なくなく、慣れ親しんだ社名を変えることに消極的になったことも考えられるところである)。
中国放送
(現行社名)
1967年
(昭和42年)
4月1日
(使用中)
山口放送 ラジオ山口 1956年
(昭和31年)
4月1日
1961年
(昭和36年)
5月31日
1959年(昭和34年)10月1日にテレビ・ラジオ兼営局に移行したことにより改称。
山口放送
(現行社名)
1961年
(昭和36年)
6月1日
(使用中)

注9:そういう例は中国新聞朝刊備後本社版のテレビ・ラジオ欄のRSK山陽放送ラジオの番組表で見られる。中国新聞の発行元である中国新聞社(広島市中区土橋町)としては「落合」と記すとどこにあるのか分かりにくくなることから「真庭」と記すようにしたのであろう。
※「落合」はかつて岡山県北部に存在した地方自治体の名称(真島郡落合村〔1889〜1897〕→真島郡落合町〔1897〜1900〕→真庭郡落合町〔1900〜2005〕)である。真庭市の一部になってからは地名としてはほとんど使われなくなっている(真庭市の大字として落合垂水が残るのみ)が、施設の名称としては多数見られる。

注10:都道府県以上の放送区域を有する民間ラジオ放送局のradikoへの参加年月日は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・日経ラジオ社(愛称:ラジオNIKKEI。東京都港区虎ノ門一丁目)は二波体制で運用されている上に参加時期が異なるため第一放送と第二放送は分けている。

・FM COCOLO(大阪市北区天神橋二丁目)とFM802(大阪市北区天神橋二丁目)は同じ会社(FM802)が運営しているが番組内容が異なるため分けている。

・参加年月日はradiko.jpプレミアム開始前、すなわち2014年(平成26年)3月31日以前に参加した場合は試験配信を開始した日としている。

・同じ日に複数の放送局が参加した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

・radikoで無料で番組が楽しめる地域の一覧表は中波放送・エフエム放送についてはこちらの最下部に、短波放送についてはこちらにそれぞれ掲載しているので併せてご覧頂きたい。

順位 放送局名 参加年月日 備考
1 InterFM897
(東京都品川区東品川一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
エフエム東京
(TFM、東京都千代田区麹町一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
愛称:Tokyo fm。
J-WAVE
(東京都港区六本木六丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
日経ラジオ社第一放送
(東京都港区虎ノ門一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
愛称:ラジオNIKKEI。
参加年月日は埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県での配信を開始した日を記載している。
茨城県・栃木県・群馬県では2010年(平成22年)12月1日から、岐阜県・愛知県・三重県では2011年(平成23年)3月25日から、滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県では2011年(平成23年)4月12日から、北海道では2011年(平成23年)4月20日から、福岡県では2011年(平成23年)4月22日から、広島県では2011年(平成23年)7月20日から、静岡県では2011年(平成23年)10月3日から、その他の県では2012年(平成24年)4月2日からそれぞれ配信を開始している。
朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
エフエム大阪
(fmo、大阪市浪速区湊町一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
愛称:FM OH!。
FM COCOLO
(大阪市北区天神橋二丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
FM802
(大阪市北区天神橋二丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
MBSラジオ
(MBS、大阪市北区茶屋町)
2010年
(平成22年)
3月15日
大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
愛称:ラジオ大阪(大阪放送と呼称することはあまりない)。
14 岐阜放送
(GBS、岐阜市橋本町二丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
エフエム愛知
(FMA、名古屋市中区千代田二丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
ZIP-FM
(名古屋市中区丸の内三丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
三重エフエム放送
(津市観音寺町)
2011年
(平成23年)
3月25日
愛称:radio CUBE FM三重。
20 茨城放送
(IBS、水戸市千波町)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:Lucky FM 茨城放送(略称は2021年〔令和3年〕4月1日以降は公的には用いられていない)。
エフエム栃木
(宇都宮市中央一丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:RADIO BERRY。
エフエム群馬
(前橋市千代田町二丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
エフエムナックファイブ
(さいたま市大宮区錦町)
2011年
(平成23年)
4月12日
ベイエフエム
(千葉市美浜区中瀬二丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
アール・エフ・ラジオ日本
(RF、横浜市中区長者町五丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
横浜エフエム放送
(横浜市西区みなとみらい二丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:FMヨコハマ。
京都放送
(KBS、京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:KBS京都(京都放送と呼称することはあまりない)。
本局で流しているものを配信している。
兵庫エフエム放送
(神戸市中央区波止場町)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:Kiss FM KOBE。
ラジオ関西
(CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
和歌山放送
(WBS、和歌山市湊本町三丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
本局で流しているものを配信している。
31 エフエム北海道
(札幌市中央区北一条西二丁目)
2011年
(平成23年)
4月20日
愛称:AIR-G'。
STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
2011年
(平成23年)
4月20日
本局で流しているものを配信している。
北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
2011年
(平成23年)
4月20日
本局で流しているものを配信している。
34 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
エフエム福岡
(福岡市中央区清川一丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
ラブエフエム国際放送
(福岡市中央区今泉一丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
愛称:LOVE FM。
38 エフエム滋賀
(大津市西の庄)
2011年
(平成23年)
7月1日
愛称:e-radio。
エフエム京都
(京都市下京区烏丸通四条下ル水銀屋町)
2011年
(平成23年)
7月1日
愛称:α-STATION。
40 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
2011年
(平成23年)
7月20日
広島エフエム放送
(HFM、広島市南区皆実町一丁目)
2011年
(平成23年)
7月20日
愛称:広島エフエム。
42 信越放送
(SBC、長野市問御所町)
2011年
(平成23年)
10月3日
長野エフエム放送
(松本市本庄一丁目)
2011年
(平成23年)
10月3日
愛称:エフエム長野。
北陸放送
(MRO、金沢市本多町三丁目)
2011年
(平成23年)
10月3日
静岡エフエム放送
(浜松市中区常盤町)
2011年
(平成23年)
10月3日
愛称:K-mix。
静岡放送
(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)
2011年
(平成23年)
10月3日
南日本放送
(MBC、鹿児島市高麗町)
2011年
(平成23年)
10月3日
48 福井放送
(FBC、福井市大和田二丁目)
2012年
(平成24年)
1月30日
山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
2012年
(平成24年)
1月30日
エフエム長崎
(長崎市栄町)
2012年
(平成24年)
1月30日
長崎放送
(NBC、長崎市尾上町)
2012年
(平成24年)
1月30日
エフエム熊本
(FMK、熊本市中央区千葉城町)
2012年
(平成24年)
1月30日
熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
2012年
(平成24年)
1月30日
54 アイビーシー岩手放送
(IBC、盛岡市志家町)
2012年
(平成24年)
4月2日
東北放送
(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)
2012年
(平成24年)
4月2日
ラジオ福島
(RFC、福島市下荒子)
2012年
(平成24年)
4月2日
本局で流しているものを配信している。
エフエムラジオ新潟
(新潟市中央区幸西四丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
愛称:FM-NIIGATA。
新潟県民エフエム放送
(新潟市中央区万代二丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
愛称:FM PORT。
廃業により2020年(令和2年)7月1日午前0時をもって配信終了。
新潟放送
(BSN、新潟市中央区川岸町三丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
北日本放送
(KNB、富山市牛島町)
2012年
(平成24年)
4月2日
富山エフエム放送
(富山市奥田町)
2012年
(平成24年)
4月2日
愛称:FMとやま。
エフエム石川
(金沢市香林坊二丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
愛称:HELLO FIVE。
エフエム大分
(大分市府内町三丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
愛称:Air-Radio FM88。
大分放送
(OBS、大分市今津留三丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
宮崎放送
(MRT、宮崎市橘通西四丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
66 日経ラジオ社第二放送
(東京都港区虎ノ門一丁目)
2012年
(平成24年)
7月27日
愛称:ラジオNIKKEI。
第一放送とは異なり参加した時から全国で配信している。
67 南海放送
(RNB、松山市本町一丁目)
2012年
(平成24年)
11月1日
68 琉球放送
(RBC、那覇市久茂地二丁目)
2013年
(平成25年)
1月11日
愛称:RBCiラジオ。
69 CROSS FM
(北九州市小倉北区京町三丁目)
2014年
(平成26年)
4月30日
70 エフエム福島
(郡山市神明町)
2014年
(平成26年)
5月9日
愛称:ふくしまFM。
71 青森放送
(RAB、青森市松森一丁目)
2014年
(平成26年)
10月1日
72 栃木放送
(CRT、宇都宮市昭和二丁目)
2014年
(平成26年)
12月1日
RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
2014年
(平成26年)
12月1日
74 四国放送
(JRT、徳島市中徳島町二丁目)
2015年
(平成27年)
4月1日
高知放送
(RKC、高知市本町三丁目)
2015年
(平成27年)
4月1日
76 エフエム・ノースウェーブ
(札幌市北区北七条西四丁目)
2015年
(平成27年)
7月30日
Radio NEO
(名古屋市瑞穂区北原町一丁目)
2015年
(平成27年)
7月30日
廃業により2020年(令和2年)6月30日午後0時をもって配信終了。
初めてradikoでの配信を終了した放送局となっている。
78 山形放送
(YBC、山形市旅篭町二丁目)
2015年
(平成27年)
9月18日
79 エフエム岩手
(FMI、盛岡市内丸)
2015年
(平成27年)
9月30日
80 エフエム岐阜
(大垣市小野四丁目)
2016年
(平成28年)
4月1日
81 エフエム富士
(FMF、甲府市川田町)
2016年
(平成28年)
5月9日
山口放送
(KRY、周南市徳山)
2016年
(平成28年)
5月9日
83 エフエム仙台
(仙台市青葉区本町二丁目)
2016年
(平成28年)
9月29日
愛称:Date fm。
84 エフエム青森
(AFB、青森市堤町一丁目)
2017年
(平成29年)
4月3日
エフエム愛媛
(松山市竹原町一丁目)
2017年
(平成29年)
4月3日
エフエム鹿児島
(鹿児島市東千石町)
2017年
(平成29年)
4月3日
愛称:μFM。
87 秋田放送
(ABS、秋田市中通七丁目)
2017年
(平成29年)
6月1日
88 エフエム沖縄
(浦添市小湾)
2017年
(平成29年)
10月2日
ラジオ沖縄
(ROK、那覇市西一丁目)
2017年
(平成29年)
10月2日
90 山梨放送
(YBS、甲府市北口二丁目)
2017年
(平成29年)
10月10日
91 西日本放送
(RNC、高松市丸の内)
2017年
(平成29年)
11月1日
92 エフエム香川
(高松市上之町二丁目)
2018年
(平成30年)
2月1日
93 エフエム山口
(FMY、山口市緑町)
2018年
(平成30年)
4月2日
94 福井エフエム放送
(福井市御幸一丁目)
2018年
(平成30年)
7月2日
愛称:エフエム福井。
95 エフエム高知
(高知市鷹匠町二丁目)
2020年
(令和2年)
3月2日
愛称:Hi-Six。
96 エフエム秋田
(AFM、秋田市八橋本町三丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
エフエム山形
(山形市松山三丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
愛称:Rhythm Station。
エフエム山陰
(FSK、松江市学園南一丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
愛称:V-air。
岡山エフエム放送
(岡山市北区中山下一丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
愛称:エフエム岡山またはVV-FM。
エフエム宮崎
(宮崎市祇園二丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
愛称:JOY FM。
101 エフエム佐賀
(FMS、佐賀市本庄町袋)
2020年
(令和2年)
4月15日
102 エフエム徳島
(徳島市寺島本町西一丁目)
2020年
(令和2年)
9月1日
愛知国際放送
(名古屋市東区東桜一丁目)
愛称:RADIO-i。
愛知県に本社を置く都道府県域民間ラジオ放送局がradikoに参加する前の2010年(平成22年)9月30日をもって放送を終了して廃業したため参加せずに終わる。2020年(令和2年)9月1日をもってradikoが存する時期に存在した都道府県以上の区域を放送区域とする民間ラジオ放送局で唯一radikoに参加したことのない放送局となった。

注11:民間中波放送局のradikoへの参加年月日は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・参加年月日はradiko.jpプレミアム開始前、すなわち2014年(平成26年)3月31日以前に参加した場合は試験配信を開始した日としている。

・同じ日に複数の放送局が参加した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

・radikoで無料で番組が楽しめる地域の一覧表はこちらの最下部に掲載しているので併せてご覧頂きたい。

順位 放送局名 参加年月日 備考
1 TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
MBSラジオ
(MBS、大阪市北区茶屋町)
2010年
(平成22年)
3月15日
大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
愛称:ラジオ大阪(大阪放送と呼称することはあまりない)。
7 岐阜放送
(GBS、岐阜市橋本町二丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
10 茨城放送
(IBS、水戸市千波町)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:Lucky FM 茨城放送(略称は2021年〔令和3年〕4月1日以降は公的には用いられていない)。
アール・エフ・ラジオ日本
(RF、横浜市中区長者町五丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
京都放送
(KBS、京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:KBS京都(京都放送と呼称することはあまりない)。
本局で流しているものを配信している。
ラジオ関西
(CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
和歌山放送
(WBS、和歌山市湊本町三丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
本局で流しているものを配信している。
15 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
2011年
(平成23年)
4月20日
本局で流しているものを配信している。
北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
2011年
(平成23年)
4月20日
本局で流しているものを配信している。
17 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
19 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
2011年
(平成23年)
7月20日
20 信越放送
(SBC、長野市問御所町)
2011年
(平成23年)
10月3日
北陸放送
(MRO、金沢市本多町三丁目)
2011年
(平成23年)
10月3日
静岡放送
(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)
2011年
(平成23年)
10月3日
南日本放送
(MBC、鹿児島市高麗町)
2011年
(平成23年)
10月3日
24 福井放送
(FBC、福井市大和田二丁目)
2012年
(平成24年)
1月30日
山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
2012年
(平成24年)
1月30日
長崎放送
(NBC、長崎市尾上町)
2012年
(平成24年)
1月30日
熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
2012年
(平成24年)
1月30日
28 アイビーシー岩手放送
(IBC、盛岡市志家町)
2012年
(平成24年)
4月2日
東北放送
(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)
2012年
(平成24年)
4月2日
ラジオ福島
(RFC、福島市下荒子)
2012年
(平成24年)
4月2日
本局で流しているものを配信している。
新潟放送
(BSN、新潟市中央区川岸町三丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
北日本放送
(KNB、富山市牛島町)
2012年
(平成24年)
4月2日
大分放送
(OBS、大分市今津留三丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
宮崎放送
(MRT、宮崎市橘通西四丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
35 南海放送
(RNB、松山市本町一丁目)
2012年
(平成24年)
11月1日
36 琉球放送
(RBC、那覇市久茂地二丁目)
2013年
(平成25年)
1月11日
愛称:RBCiラジオ。
37 青森放送
(RAB、青森市松森一丁目)
2014年
(平成26年)
10月1日
38 栃木放送
(CRT、宇都宮市昭和二丁目)
2014年
(平成26年)
12月1日
RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
2014年
(平成26年)
12月1日
40 四国放送
(JRT、徳島市中徳島町二丁目)
2015年
(平成27年)
4月1日
高知放送
(RKC、高知市本町三丁目)
2015年
(平成27年)
4月1日
42 山形放送
(YBC、山形市旅篭町二丁目)
2015年
(平成27年)
9月18日
43 山口放送
(KRY、周南市徳山)
2016年
(平成28年)
5月9日
44 秋田放送
(ABS、秋田市中通七丁目)
2017年
(平成29年)
6月1日
45 ラジオ沖縄
(ROK、那覇市西一丁目)
2017年
(平成29年)
10月2日
46 山梨放送
(YBS、甲府市北口二丁目)
2017年
(平成29年)
10月10日
47 西日本放送
(RNC、高松市丸の内)
2017年
(平成29年)
11月1日

注12:中国地方にある都道府県域民間ラジオ放送局のradikoへの参加年月日は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・参加年月日はradiko.jpプレミアム開始前、すなわち2014年(平成26年)3月31日以前に参加した場合は試験配信を開始した日としている。

・同じ日に複数の放送局が参加した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

・radikoで無料で番組が楽しめる地域の一覧表はこちらの最下部にそれぞれ掲載しているので併せてご覧頂きたい。

順位 放送局名 参加年月日 備考
1 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
2011年
(平成23年)
7月20日
広島エフエム放送
(HFM、広島市南区皆実町一丁目)
2011年
(平成23年)
7月20日
愛称:広島エフエム。
3 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
2012年
(平成24年)
1月30日
4 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
2014年
(平成26年)
12月1日
5 山口放送
(KRY、周南市徳山)
2016年
(平成28年)
5月9日
6 エフエム山口
(FMY、山口市緑町)
2018年
(平成30年)
4月2日
7 エフエム山陰
(FSK、松江市学園南一丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
愛称:V-air。
岡山エフエム放送
(岡山市北区中山下一丁目)
2020年
(令和2年)
4月1日
愛称:エフエム岡山またはVV-FM。

注13:政令指定都市に本社を置いている民間中波放送局のradikoへの参加年月日は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・参加年月日はradiko.jpプレミアム開始前、すなわち2014年(平成26年)3月31日以前に参加した場合は試験配信を開始した日としている。

・同じ日に複数の放送局が参加した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

・radikoで無料で番組が楽しめる地域の一覧表はこちらの最下部に掲載しているので併せてご覧頂きたい。

順位 放送局名 参加年月日 備考
1 朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
MBSラジオ
(MBS、大阪市北区茶屋町)
2010年
(平成22年)
3月15日
大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
2010年
(平成22年)
3月15日
愛称:ラジオ大阪(大阪放送と呼称することはあまりない)。
4 CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
2011年
(平成23年)
3月25日
6 アール・エフ・ラジオ日本
(RF、横浜市中区長者町五丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
京都放送
(KBS、京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町)
2011年
(平成23年)
4月12日
愛称:KBS京都(京都放送と呼称することはあまりない)。
本局で流しているものを配信している。
ラジオ関西
(CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目)
2011年
(平成23年)
4月12日
9 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
2011年
(平成23年)
4月20日
本局で流しているものを配信している。
北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
2011年
(平成23年)
4月20日
本局で流しているものを配信している。
11 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
2011年
(平成23年)
4月22日
13 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
2011年
(平成23年)
7月20日
14 静岡放送
(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)
2011年
(平成23年)
10月3日
15 熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
2012年
(平成24年)
1月30日
16 東北放送
(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)
2012年
(平成24年)
4月2日
新潟放送
(BSN、新潟市中央区川岸町三丁目)
2012年
(平成24年)
4月2日
18 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
2014年
(平成26年)
12月1日

注14:中波ステレオ放送を実施したことのある民間中波放送局のradikoへの参加年月日は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・参加年月日はradiko.jpプレミアム開始前、すなわち2014年(平成26年)3月31日以前に参加した場合は試験配信を開始した日としている。

・同じ日に複数の放送局が参加した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

・radikoで無料で番組が楽しめる地域の一覧表はこちらの最下部に掲載しているので併せてご覧頂きたい。

順位 放送局名 実施中継局名 開始年月日 終了年月日 参加年月日 備考
1 TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
2011年
(平成23年)
1月31日
2010年
(平成22年)
3月15日
ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
(実施中) 2010年
(平成22年)
3月15日
文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
2012年
(平成24年)
2月6日
2010年
(平成22年)
3月15日
朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
本局
1992年
(平成4年)
3月15日
2010年
(平成22年)
3月15日
2010年
(平成22年)
3月15日
京都 1997年
(平成9年)
4月1日
2010年
(平成22年)
3月15日
MBSラジオ
(MBS、大阪市北区茶屋町)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
2010年
(平成22年)
3月1日
2010年
(平成22年)
3月15日
京都 1997年
(平成9年)
4月1日
2010年
(平成22年)
3月1日
大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
本局 1993年
(平成5年)
3月29日
(実施中) 2010年
(平成22年)
3月15日
愛称:ラジオ大阪(大阪放送と呼称することはあまりない)。
京都 1997年
(平成9年)
4月1日
(実施中)
7 CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月4日
2021年
(令和3年)
1月11日
2011年
(平成23年)
3月25日
東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月4日
2012年
(平成24年)
5月14日
2011年
(平成23年)
3月25日
9 和歌山放送
(WBS、和歌山市湊本町三丁目)
本局 1996年
(平成8年)
7月14日
(実施中) 2011年
(平成23年)
4月12日
本局で流しているものを配信している。
10 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
本局 1992年
(平成4年)
8月1日
2010年
(平成22年)
3月1日
2011年
(平成23年)
4月20日
本局で流しているものを配信している。
北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
本局 1996年
(平成8年)
10月7日
2010年
(平成22年)
3月29日
2011年
(平成23年)
4月20日
本局で流しているものを配信している。
12 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月1日
2010年
(平成22年)
5月31日
2011年
(平成23年)
4月22日
九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月1日
2007年
(平成19年)
4月2日
2011年
(平成23年)
4月22日
14 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
本局 1992年
(平成4年)
10月1日
2011年
(平成23年)
3月14日
2011年
(平成23年)
7月20日
福山・府中・三原各中波中継局の中波ステレオ放送開始時期は推定(福山・府中両中波中継局については福山中波中継局〔福山市北美台。周波数:1530kHz〕と府中中波中継局〔府中市土生町。周波数:1530kHz〕の周波数統一が実施された日を、三原中波中継局〔三原市明神三丁目。周波数:1530kHz〕は福山・府中両中波中継局との周波数統一が実施された日をそれぞれ開始年月日としている)。
福山
府中
1994年
(平成6年)
11月14日
2001年
(平成13年)
10月15日
三原 1995年
(平成7年)
2月13日
2001年
(平成13年)
10月15日
15 熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
本局 1993年
(平成5年)
10月1日
2008年
(平成20年)
9月29日
2012年
(平成24年)
1月30日
16 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
本局 1992年
(平成4年)
10月5日
2011年
(平成23年)
3月28日
2014年
(平成26年)
12月1日
高梁 1992年
(平成4年)
10月5日
2011年
(平成23年)
3月21日

注15:ファジアーノ岡山の公式戦中継は岡山県総合グラウンド陸上競技場で週末に開催されるホームゲームに限っており、アウェーゲームに関しては行っていない。また、全てのホームゲーム(21試合)について行っているわけではない(つまり平日〔主に水曜日〕に開催されるホームゲームは中継されないということ)。

注16:民間中波放送局のエフエム補完放送の開始年月日は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・エフエム補完放送は2014年(平成26年)に制度化されたものであるが、それ以前にエフエム中継局を設置していた民間中波放送局については最初のエフエム中継局が開局した日をエフエム補完放送の開始年月日としている。

・同じ日に複数の民間中波放送局で開始した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

順位 放送局名 開始年月日 備考
1 北日本放送
(KNB、富山市牛島町)
1991年
(平成3年)
9月26日
日本で初めてエフエム電波を用いた中継局を設置した放送局である(設置理由は混信対策)。
2 ラジオ沖縄
(ROK、那覇市西一丁目)
2001年
(平成13年)
4月1日
琉球放送
(RBC、那覇市久茂地二丁目)
2001年
(平成13年)
4月1日
愛称:RBCiラジオ。
4 南海放送
(RNB、松山市本町一丁目)
2014年
(平成26年)
12月1日
エフエム補完中継局制度創設後初めてエフエム中継局を開局させた放送局である。
5 南日本放送
(MBC、鹿児島市高麗町)
2015年
(平成27年)
1月1日
6 秋田放送
(ABS、秋田市中通七丁目)
2015年
(平成27年)
3月2日
7 アイビーシー岩手放送
(IBC、盛岡市志家町)
2015年
(平成27年)
3月29日
8 山口放送
(KRY、周南市徳山)
2015年
(平成27年)
7月21日
日本で最も多くのエフエム補完中継局を有する民間中波放送局である。
9 茨城放送
(IBS、水戸市千波町)
2015年
(平成27年)
8月17日
愛称:Lucky FM 茨城放送(略称は2021年〔令和3年〕4月1日以降は公的には用いられていない)。
10 CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
2015年
(平成27年)
10月1日
東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
2015年
(平成27年)
10月1日
長崎放送
(NBC、長崎市尾上町)
2015年
(平成27年)
10月1日
13 新潟放送
(BSN、新潟市中央区川岸町三丁目)
2015年
(平成27年)
10月20日
14 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
2015年
(平成27年)
12月1日
15 TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
2015年
(平成27年)
12月7日
ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
2015年
(平成27年)
12月7日
文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
2015年
(平成27年)
12月7日
18 ラジオ福島
(RFC、福島市下荒子)
2016年
(平成28年)
1月27日
19 朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
2016年
(平成28年)
3月19日
MBSラジオ
(MBS、大阪市北区茶屋町)
2016年
(平成28年)
3月19日
大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
2016年
(平成28年)
3月19日
愛称:ラジオ大阪(大阪放送と呼称することはあまりない)。
22 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
2016年
(平成28年)
3月28日
九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
2016年
(平成28年)
3月28日
24 宮崎放送
(MRT、宮崎市橘通西四丁目)
2016年
(平成28年)
4月1日
25 熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
2016年
(平成28年)
5月1日
26 和歌山放送
(WBS、和歌山市湊本町三丁目)
2016年
(平成28年)
5月30日
27 大分放送
(OBS、大分市今津留三丁目)
2016年
(平成28年)
6月23日
28 北陸放送
(MRO、金沢市本多町三丁目)
2016年
(平成28年)
8月1日
29 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
2016年
(平成28年)
10月19日
北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
2016年
(平成28年)
10月19日
31 静岡放送
(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)
2016年
(平成28年)
12月1日
32 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
2017年
(平成29年)
3月1日
33 福井放送
(FBC、福井市大和田二丁目)
2017年
(平成29年)
4月1日
34 東北放送
(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)
2017年
(平成29年)
5月1日
35 青森放送
(RAB、青森市松森一丁目)
2017年
(平成29年)
10月1日
36 山梨放送
(YBS、甲府市北口二丁目)
2017年
(平成29年)
12月24日
37 栃木放送
(CRT、宇都宮市昭和二丁目)
2017年
(平成29年)
12月28日
38 岐阜放送
(GBS、岐阜市橋本町二丁目)
2018年
(平成30年)
3月10日
39 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
2018年
(平成30年)
3月21日
40 信越放送
(SBC、長野市問御所町)
2018年
(平成30年)
3月26日
41 京都放送
(KBS、京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町)
2018年
(平成30年)
4月2日
愛称:KBS京都(京都放送と呼称することはあまりない)。
42 四国放送
(JRT、徳島市中徳島町二丁目)
2018年
(平成30年)
9月30日
43 山形放送
(YBC、山形市旅篭町二丁目)
2018年
(平成30年)
10月15日
44 ラジオ関西
(CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目)
2019年
(平成31年)
4月1日
45 高知放送
(RKC、高知市本町三丁目)
2020年
(令和2年)
2月10日
46 西日本放送
(RNC、高松市丸の内)
2020年
(令和2年)
2月16日
47 アール・エフ・ラジオ日本
(RF、横浜市中区長者町五丁目)
2020年
(令和2年)
3月16日

注17:中国地方にある民間中波放送局のエフエム補完放送の開始年月日は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・エフエム補完放送は2014年(平成26年)に制度化されたものであるが、それ以前にエフエム中継局を設置していた民間中波放送局については最初のエフエム中継局が開局した日をエフエム補完放送の開始年月日としている。

・同じ日に複数の民間中波放送局で開始した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

順位 放送局名 開始年月日 備考
1 山口放送
(KRY、周南市徳山)
2015年
(平成27年)
7月21日
日本で最も多くのエフエム補完中継局を有する民間中波放送局である。
2 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
2015年
(平成27年)
12月1日
3 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
2017年
(平成29年)
3月1日
4 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
2018年
(平成30年)
3月21日

注18:中波ステレオ放送を実施したことのある民間中波放送局のエフエム補完放送の開始年月日は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・エフエム補完放送は2014年(平成26年)に制度化されたものであるが、それ以前にエフエム中継局を設置していた民間中波放送局については最初のエフエム中継局が開局した日をエフエム補完放送の開始年月日としている。

・同じ日に複数の民間中波放送局で開始した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

順位 放送局名 中波ステレオ放送 エフエム
補完放送
開始年月日
備考
実施中継局名 開始年月日 終了年月日
1 CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月4日
2021年
(令和3年)
1月11日
2015年
(平成27年)
10月1日
東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月4日
2012年
(平成24年)
5月14日
2015年
(平成27年)
10月1日
3 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
本局 1992年
(平成4年)
10月1日
2011年
(平成23年)
3月14日
2015年
(平成27年)
12月1日
福山・府中・三原各中波中継局の中波ステレオ放送開始時期は推定(福山・府中両中波中継局については福山中波中継局と府中中波中継局の周波数統一が実施された日を、三原中波中継局は福山・府中両中波中継局との周波数統一が実施された日をそれぞれ開始年月日としている)。
福山
府中
1994年
(平成6年)
11月14日
2001年
(平成13年)
10月15日
三原 1995年
(平成7年)
2月13日
2001年
(平成13年)
10月15日
4 TBSラジオ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
2011年
(平成23年)
1月31日
2015年
(平成27年)
12月7日
ニッポン放送
(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
(実施中) 2015年
(平成27年)
12月7日
文化放送
(QR、東京都港区浜松町一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
2012年
(平成24年)
2月6日
2015年
(平成27年)
12月7日
7 朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
本局
1992年
(平成4年)
3月15日
2010年
(平成22年)
3月15日
2016年
(平成28年)
3月19日
京都 1997年
(平成9年)
4月1日
2010年
(平成22年)
3月15日
MBSラジオ
(MBS、大阪市北区茶屋町)
本局 1992年
(平成4年)
3月15日
2010年
(平成22年)
3月1日
2016年
(平成28年)
3月19日
京都 1997年
(平成9年)
4月1日
2010年
(平成22年)
3月1日
大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
本局 1993年
(平成5年)
3月29日
(実施中) 2016年
(平成28年)
3月19日
愛称:ラジオ大阪(大阪放送と呼称することはあまりない)。
京都 1997年
(平成9年)
4月1日
(実施中)
10 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月1日
2010年
(平成22年)
5月31日
2016年
(平成28年)
3月28日
九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
本局 1992年
(平成4年)
4月1日
2007年
(平成19年)
4月2日
2016年
(平成28年)
3月28日
12 熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
本局 1993年
(平成5年)
10月1日
2008年
(平成20年)
9月29日
2016年
(平成28年)
5月1日
13 和歌山放送
(WBS、和歌山市湊本町三丁目)
本局 1996年
(平成8年)
7月14日
(実施中) 2016年
(平成28年)
5月30日
14 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
本局 1992年
(平成4年)
8月1日
2010年
(平成22年)
3月1日
2016年
(平成28年)
10月19日
北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
本局 1996年
(平成8年)
10月7日
2010年
(平成22年)
3月29日
2016年
(平成28年)
10月19日
16 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
本局 1992年
(平成4年)
10月5日
2011年
(平成23年)
3月28日
2018年
(平成30年)
3月21日
高梁 1992年
(平成4年)
10月5日
2011年
(平成23年)
3月21日

注19:政令指定都市に本社を置いている民間中波放送局のエフエム補完放送の開始年月日は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・エフエム補完放送は2014年(平成26年)に制度化されたものであるが、それ以前にエフエム中継局を設置していた民間中波放送局については最初のエフエム中継局が開局した日をエフエム補完放送の開始年月日としている。

・同じ日に複数の民間中波放送局で開始した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

順位 放送局名 開始年月日 備考
1 CBCラジオ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
2015年
(平成27年)
10月1日
東海ラジオ放送
(SF、名古屋市東区東桜一丁目)
2015年
(平成27年)
10月1日
3 新潟放送
(BSN、新潟市中央区川岸町三丁目)
2015年
(平成27年)
10月20日
4 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
2015年
(平成27年)
12月1日
5 朝日放送ラジオ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
2016年
(平成28年)
3月19日
MBSラジオ
(MBS、大阪市北区茶屋町)
2016年
(平成28年)
3月19日
大阪放送
(OBC、大阪市港区弁天一丁目)
2016年
(平成28年)
3月19日
愛称:ラジオ大阪(大阪放送と呼称することはあまりない)。
8 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
2016年
(平成28年)
3月28日
九州朝日放送
(KBC、福岡市中央区長浜一丁目)
2016年
(平成28年)
3月28日
10 熊本放送
(RKK、熊本市中央区山崎町)
2016年
(平成28年)
5月1日
11 STVラジオ
(STV、札幌市中央区北一条西八丁目)
2016年
(平成28年)
10月19日
北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
2016年
(平成28年)
10月19日
13 静岡放送
(SBS、静岡市駿河区登呂三丁目)
2016年
(平成28年)
12月1日
14 東北放送
(TBC、仙台市太白区八木山香澄町)
2017年
(平成29年)
5月1日
15 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
2018年
(平成30年)
3月21日
16 京都放送
(KBS、京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町)
2018年
(平成30年)
4月2日
愛称:KBS京都(京都放送と呼称することはあまりない)。
17 ラジオ関西
(CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目)
2019年
(平成31年)
4月1日
18 アール・エフ・ラジオ日本
(RF、横浜市中区長者町五丁目)
2020年
(令和2年)
3月16日

注20:中国地方にある民間中波放送局のエフエム補完中継局の数は下表の通りである。

順位 放送局名 エフエム補完
中継局数
備考
1 山口放送
(KRY、周南市徳山)
14 日本で最も多くのエフエム補完中継局を有する民間中波放送局である。
また、日本で最も多くの中継局を有する民間中波放送局でもある。
2 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
5
3 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
2 放送区域は鳥取県・島根県に跨っており、現在は鳥取県・島根県に1箇所ずつ設置している格好になっている。
4 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
1

注21:番組名はRSK山陽放送公式サイトで公開されているラジオ番組表やエフエムナックファイブ公式サイトによる。

注22:山口放送ラジオだけは放送開始は月曜日午前4時となっている。
※山口放送公式サイトで閲覧できるラジオ番組表では月曜日午前3時55分放送開始となっているのだが、午前3時55分〜午前4時に設定されている番組「オープニング」は実際は放送開始告知であるため本サイトとしては月曜日午前4時から放送を開始するものと見なしている。

注23:中国地方にある民間中波放送局の日曜日深夜(月曜日未明)の放送終了時間は下表の通りである。

※下表における曜日は全て月曜日である。

順位 放送局名 放送終了時間 備考
1 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
午前0時15分
2 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
午前0時30分
3 山口放送
(KRY、周南市徳山)
午前1時 山口放送公式サイトで閲覧できるラジオ番組表では午前1時2分に放送休止に入ると記されているのだが午前1時〜午前1時2分に設定されている番組「お休みメモ」は実際は放送終了告知であるため本サイトとしては午前1時で放送を終了するものと見なしている。
4 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
午前1時30分

注24:RSK山陽放送の初代本社・演奏所があったところは現在は天満屋バスステーション(通称:天満屋バスセンター。岡山市北区表町二丁目)になっている。

注25:RSK山陽放送ラジオの初代本局があったところは現在は中電工岡山統括支社(岡山市南区浜野四丁目)になっている。

注26:RSK山陽放送テレビが開局した時点で存在した都道府県域民間テレビ放送局は下表の通りである。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・社名は現在のものを記している。

・同じ日に複数の都道府県域民間テレビ放送局が開局した場合、放送区域を同じくしている場合は放送局名の50音順で、放送区域が異なる場合は本社のある都道府県の全国地方公共団体コード順でそれぞれ並べている。

順位 放送局名 開始年月日 備考
1 日本テレビ放送網
(NTV、東京都港区東新橋一丁目)
1953年
(昭和28年)
8月28日
日本初の都道府県域民間テレビ放送局である。
2 TBSテレビ
(TBS、東京都港区赤坂五丁目)
1955年
(昭和30年)
4月1日
民間放送局初のテレビ・ラジオ兼営局である。
3 CBCテレビ
(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)
1956年
(昭和31年)
12月1日
朝日放送テレビ
(ABC、大阪市福島区福島一丁目)
1956年
(昭和31年)
12月1日
5 北海道放送
(HBC、札幌市中央区北一条西五丁目)
1957年
(昭和32年)
4月1日
6 RKB毎日放送
(RKB、福岡市早良区百道浜二丁目)
1958年
(昭和33年)
3月1日
7 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
1958年
(昭和33年)
6月1日

注27:中国地方で初めてテレビ放送を始めたのはNHK広島放送局(広島市中区大手町二丁目)である。1956年(昭和31年)3月21日に総合テレビの放送を開始している。
また、中国地方で初めてテレビ局のみの民間放送局として開局したのは日本海テレビジョン放送である(1959年〔昭和34年〕3月3日開局。ちなみにNHK鳥取放送局〔鳥取市寺町〕の総合テレビも同じ日に開局している)。

注28:中国放送ラジオがTBSラジオ制作の平日午前1〜4時台の番組を一切ネットしなかった理由としては次に挙げるようなことが考えられる。
TBSラジオとの関係が良くない。
・聴取率は「オールナイトニッポン」のほうが高いし、ネット局も「オールナイトニッポン」のほうが多い。
・「歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」は中国放送ラジオの放送区域である広島県を代表する企業である自動車製造会社・マツダ(広島県安芸郡府中町新地)と製造車種が重なるいすゞ自動車(横浜市西区高島一丁目)がスポンサーに就いており、マツダにとって商売敵となる企業がスポンサーに就いている番組を流すのは好ましくない。
・「走れ! 歌謡曲」は火曜日〜日曜日の週6日放送だったのに対して「歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」は火曜日〜土曜日の週5日放送であり、「オールナイトニッポン」第二部を打ち切って「走れ! 歌謡曲」のネットを開始した以上日曜日午前3〜4時台に放送されない番組をネットするわけには行かない。

注29:本局と、本局と周波数が同じ中波中継局について中波ステレオ放送を実施したところとしては朝日放送ラジオとMBSラジオ、大阪放送がある。朝日放送ラジオ・MBSラジオ・大阪放送はいずれも中波中継局は本局を含めて二つしか所有していないため結果的に全ての中波中継局で中波ステレオ放送を実施したことになる。

注30:これまでに発足した認定放送持株会社(発足予定のものを含む)は下表の通りである。

順位 社名 開始年月日 備考
1 フジ・メディア・ホールディングス
(東京都港区台場二丁目)
2008年
(平成20年)
10月1日
2 TBSホールディングス
(東京都港区赤坂五丁目)
2009年
(平成21年)
4月1日
2020年(令和2年)10月1日に東京放送ホールディングスから改称。
3 テレビ東京ホールディングス
(東京都港区六本木三丁目)
2010年
(平成22年)
2月1日
4 日本テレビホールディングス
(東京都港区東新橋一丁目)
2012年
(平成24年)
10月1日
愛称:日テレホールディングス。
5 テレビ朝日ホールディングス
(東京都港区六本木六丁目)
2014年
(平成26年)
4月1日
中部日本放送
(名古屋市中区新栄一丁目)
2014年
(平成26年)
4月1日
7 RKB毎日放送ホールディングス
(福岡市早良区百道浜二丁目)
2016年
(平成28年)
4月1日
8 MBSメディアホールディングス
(大阪市北区茶屋町)
2017年
(平成29年)
4月1日
9 朝日放送グループホールディングス
(大阪市福島区福島一丁目)
2018年
(平成30年)
4月1日
10 RSKホールディングス
(岡山市北区丸の内二丁目)
2019年
(平成31年)
4月1日
11 KBCグループホールディングス
(福岡市中央区長浜一丁目)
2023年
(令和5年)
4月1日
12 BSNメディアホールディングス
(新潟市中央区川岸町三丁目)
2023年
(令和5年)
6月1日
(予定)

上表をご覧頂ければうかがえることであるが五大都市のうち札幌市に本社を置く都道府県域民間放送局はまだどこも認定放送持株会社に移行していない。また、新潟放送やRSK山陽放送が認定放送持株会社に移行したことで東北放送・静岡放送・中国放送などの大都市に本社を置く都道府県域民間放送局が認定放送持株に移行することも考えられるところである。認定放送持株に移行した場合どのような利点または難点があるのかとかどれほどの効果・利益がもたらされるのかなどを吟味した上で可否を決めることになるのだろうが、果たして今後どうなるのだろうか。

注31:「歌のない歌謡曲」を放送していない民間中波放送局は次の通りである。
・STVラジオ
・茨城放送
・ニッポン放送
・文化放送
・アール・エフ・ラジオ日本
・東海ラジオ放送
・朝日放送ラジオ
・大阪放送
・九州朝日放送
・ラジオ沖縄

注32:これは「中四国ライブネット」の時間帯に広島東洋カープ公式戦中継を入れた場合の中国放送ラジオについても同じである。

注33:岡山エフエム放送の開局した時から続いている自社制作のワイド番組は平日朝の「Fresh Morning OKAYAMA」(月曜日〜金曜日午前7時30分〜午前10時)と平日夕方の「TWILIGHT PAVEMENT」(月曜日〜木曜日午後5時〜午後6時55分)である。二つとも開局した1999年(平成11年)4月1日から放送時間や出演者の変更は何度もあったがずっと続いている番組である。

注34:「おはようラジオ」(月曜日〜金曜日午前7時〜午前9時)と「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」(月曜日〜金曜日午前9時〜午前11時40分)を指す。今年3月31日に「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」が放送開始20周年を迎えたのに続いて今月16日には「おはようラジオ」が放送開始50周年を迎えることになっている。

注35:日本三名園として挙げられているのは後楽園と偕楽園(水戸市常磐町一丁目)、兼六園(金沢市兼六町)である。

注36:岡山市立岡山後楽館中学校・高等学校は農林水産省中国・四国農政局(岡山市北区下石井一丁目)の庁舎を暫定利用する形で1999年(平成11年)に開校している。その後RSK山陽放送二代目本社の真向かいにあり、2001年(平成13年)に廃校になった岡山市立内山下小学校(岡山市北区丸の内一丁目。1887〜2001)の敷地を内山下校舎として利用するようになったのだが、建物が古いことや敷地が二つに分かれているために不便だったことなどの問題があった。そこで岡山市立南方小学校(岡山市北区南方一丁目。1923〜2001)→岡山市立中央北小学校(岡山市北区南方一丁目。2001〜2005)の跡地に新築移転することになったものと思われる。

注37:当初は2021年(令和3年)6月6日にRSK山陽放送の本社・演奏所移転に関する企画を公開することにしており、それ故に2021年(令和3年)5月30日にRSK山陽放送の新社屋の写真を撮ったものである。しかし、一部部門だけの移転に留まったことからその企画は取りやめて今回改めて当時撮影した写真を本企画で使用することにしたものである。

注38:カラーコーンや三角コーン、セーフティーコーン、パイロン、ラバーコーンと呼称することもある。なお、カラーコーンは工事用保安用品を取り扱っているセフテック(東京都文京区本郷五丁目)という会社が1990年(平成2年)に商標登録を行っている。

注39:中国放送本社は広島城(広島市中区基町)の本丸の堀のそばに建てられていることはよく知られているが、山口放送本社が近世城郭の跡地の中に建てられていることを知っている方はあまりいない。というのも次に挙げる状況があるからである。
・徳山城(周南市徳山)は「近世城郭」ではあるのだが多くの方が想像するような石垣や堀、天守などはなく、土塁と御殿だけのいわゆる陣屋形式だったこと(そのため徳山陣屋と呼称する場合もある)。
・徳山城を本拠地としていた徳山藩は江戸時代萩城(萩市堀内)を本拠地とし、周防・長門両国を治めていた毛利氏の支藩だったこと。
・明治時代以降も建物は残されていたが、第二次世界大戦末期の徳山空襲(1945年〔昭和20年〕7月26日)の際焼失したこと。
・第二次世界大戦後跡地には山口放送本社や周南市文化会館(周南市徳山)、周南市徳山動物園(周南市徳山)などが建てられ、遺構が破壊されたこと。
・遺構があまり残っていないこともあってか市販の道路地図などで「徳山城跡」または「徳山陣屋跡」というような表記は全くと言って良いほど見られないこと。
・他の毛利氏支藩(岩国・清末・長府)の城下町は都市の中心部にならなかったが、徳山藩の場合は城下町がそのまま徳山市(1935〜2003)→周南市の中心部になっていったこと(岩国は市名に用いられているが明治時代以降の交通事情の変遷により中心部は城下町があった岩国地区ではなくJR山陽本線・岩徳線岩国駅〔岩国市麻里布町一丁目〕がある麻里布地区になっている。また、清末・長府は下関市郊外の地区名としてよく知られている)。
・徳山市→周南市は工業都市として広く知られるようになり、その一方で毛利氏支藩があった都市という認識が薄れていったこと。

注40:岡山市は対抗関係にあるテレビ放送局がすぐそばにあるという稀有な状況が見られる都市でもある。その状況を記すと次の通りになる。
・NHK岡山放送局とRSK山陽放送。RSK山陽放送の二代目本社のすぐ東側にNHK岡山放送局があった(RSK山陽放送が岡山市北区表町二丁目から移転してきた1962年〔昭和37年〕からNHK岡山放送局が岡山市北区駅元町に移転していった2005年〔平成17年〕まで)。
・岡山放送とテレビせとうち。どちらも岡山駅東口駅前広場から南に延びる岡山市道南方・柳町線に面して建っているのだが、岡山放送とテレビせとうちは岡山市道南方・柳町線を挟んで向かい合っている(岡山放送が西側、テレビせとうちが東側。岡山放送が現在地に移転してきた2021年〔令和3年〕から)。

注41:松江市の場合は次の通りである。
・NHK松江放送局(松江市灘町)。今年3月6日に旧本社・演奏所のすぐ南側に移転した。
・山陰中央テレビジョン放送(TSK、松江市向島町)。2016年(平成28年)8月29日に松江市西川津町から現在地に移転した。
※参考までに松江市・岡山市以外の中国地方にあるテレビ放送局の本社・演奏所移転年(開局時点から移転していないものは開局年を記し、なおかつ「備考」欄にその旨を記している)は下表の通りである。

都市名 放送局名 移転年 備考
鳥取市 NHK鳥取放送局
(鳥取市寺町)
1966年
(昭和41年)
日本海テレビジョン放送
(NKT、鳥取市田園町四丁目)
1992年
(平成4年)
米子市 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
1960年
(昭和35年)
広島市 NHK広島放送局
(広島市中区大手町二丁目)
1960年
(昭和35年)
中国放送
(RCC、広島市中区基町)
1961年
(昭和36年)
テレビ新広島
(TSS、広島市南区出汐二丁目)
1975年
(昭和50年)
開局した時から現在地にある。
広島テレビ放送
(HTV、広島市東区二葉の里三丁目)
2018年
(平成30年)
広島ホームテレビ
(HOME、広島市中区白島北町)
1970年
(昭和45年)
開局した時から現在地にある。
山口市 NHK山口放送局
(山口市中園町)
2005年
(平成17年)
テレビ山口
(TYS、山口市大内千坊六丁目)
1970年
(昭和45年)
開局した時から現在地にある。
山口朝日放送
(YAB、山口市中央三丁目)
1993年
(平成5年)
開局した時から現在地にある。
周南市 山口放送
(KRY、周南市徳山)
1959年
(昭和34年)

注42:岡山県でテレビ放送が始まったのは1957年(昭和32年)12月22日のことである。その日NHK岡山放送局が総合テレビの放送を開始したことによる。

注43:1953年(昭和28年)10月1日時点で存在した民間放送局の名称を分類すると下表の通りになる。

(下表をご覧頂くに当たっての注意)

・下表では1953年(昭和28年)10月1日時点の社名を記し、現在と異なる場合は「備考」欄で触れることにしている。

・放送局の所在地や略称は省略している。

・種類は放送局名の先頭の単語で分けている。異論が出るところはあるがご了承願いたい。

・地方名と都道府県名、都道府県名と都道府県庁所在地名が同じ場合はその上位に当たる種類に分類している(つまり地方名と都道府県名が同じ場合は地方名に、都道府県名と都道府県庁所在地名が同じ場合は都道府県名にそれぞれ分類しているということである)。

種類 放送波 備考
テレビ 中波放送
国名 日本テレビ放送網 日本文化放送協会 日本文化放送協会は現在の文化放送。
地方名 北海道放送
北陸文化放送
中部日本放送
ラジオ中国
四国放送
ラジオ四国
ラジオ九州
北陸文化放送は現在の北陸放送。
中部日本放送は現在のCBCラジオ。
ラジオ中国は現在の中国放送。
ラジオ四国は現在の西日本放送。
ラジオ九州は現在のRKB毎日放送。
広域地名 信越放送
北日本放送
山陽放送
山陽放送は現在のRSK山陽放送。
都道府県名 ラジオ東京
ラジオ新潟
福井放送
静岡放送
京都放送
ラジオ高知
ラジオ長崎
ラジオ熊本
ラジオ大分
ラジオ東京は現在のTBSラジオ。
ラジオ新潟は現在の新潟放送。
ラジオ高知は現在の高知放送。
ラジオ長崎は現在の長崎放送。
ラジオ熊本は現在の熊本放送。
ラジオ大分は現在の大分放送。
都市名 仙台放送
神戸放送
仙台放送は現在の東北放送。無論現在存在する都道府県域民間テレビ放送局の仙台放送(OX、仙台市青葉区上杉五丁目)とは関係はない。
神戸放送は現在のラジオ関西。
新聞社名 朝日放送 朝日放送は現在の朝日放送ラジオ。
その他 新日本放送
南海放送
新日本放送は現在のMBSラジオ。

上表から都道府県名を放送局名に用いたところは少数派だったことがうかがえる。

注44:但し中国放送の公式サイトに掲載されている中継局の周波数一覧表では中波・エフエム双方の全ての中継局の出力が記されている。

注45:岡山市と津山市を結ぶ道路と岡山市と新見市を結ぶ道路、津山市と新見市を結ぶ道路の改良完成時期は下表の通りである。

区間 改良完成年 備考
岡山市〜津山市 1971年
(昭和46年)
二級国道179号岡山・鳥取線は1963年(昭和38年)に一級国道に昇格し、一級国道53号線に改称。
1965年(昭和40年)に一級国道・二級国道統合による一般国道制定に伴い国道53号線に改称。
改良完成年は国道53号線全線の改良が完成した年を記している。
岡山市〜新見市 2008年
(平成20年)
二級国道180号岡山・松江線は1965年(昭和40年)に一級国道・二級国道統合による一般国道制定に伴い国道180号線に改称。
二級国道179号岡山・鳥取線は一級国道に昇格したのに二級国道180号岡山・松江線は一級国道に昇格しなかった理由は不明。
一級国道に昇格できなかったことや地形的に建設・改良が難しい部分が多かったこと、管理者が総社市・高梁市境で国土交通省中国地方整備局岡山国道事務所(岡山市北区富町二丁目)と岡山県に分かれること(総社市・高梁市境以南〔岡山市・総社市通過分〕は国土交通省中国地方整備局岡山国道事務所が、総社市・高梁市境以北〔高梁市・新見市通過分〕は岡山県がそれぞれ管理している)もあってか21世紀に入ってからも高梁市内に未改良箇所を残していた。
津山市〜新見市 2022年
(令和4年)
二級国道181号津山・米子線は1965年(昭和40年)に一級国道・二級国道統合による一般国道制定に伴い国道181号線に改称。
主要地方道勝山・新見線は1982年(昭和57年)に主要地方道新見・勝山線に改称。
国道181号線部分については1974年(昭和49年)までに改良は完成していたが主要地方道勝山・新見線改め主要地方道新見・勝山線については交通量が少ないからかつい最近まで真庭市内に未改良箇所が残っていた。

注46:1956年(昭和31年)9月30日に福山市が編入した町村は次の通りである。
・沼隈郡…鞆町・水呑町・赤坂村・熊野村・瀬戸村・津之郷村
・深安郡…市村・千田村・引野村・御幸村

注47:いわゆるストロー現象ともストロー効果とも称される現象。

注48:その頃和気郡日生町福浦の一部地域で赤穂市への編入を求める声が上がっていたことが背景にある。結局和気郡日生町福浦の一部地域は1963年(昭和38年)9月1日に赤穂市に編入されるのだが、人口・面積ともある程度失われることであり、好ましく思わなかったことは想像に難くない。

注49:新見中波中継局が開局した後RSK山陽放送ラジオの本局の周波数は二度変更されている。1959年(昭和34年)10月1日に1280kHzから1260kHzに、1960年(昭和35年)4月5日に1260kHzから1420kHzにそれぞれ変更されている。

注50:中国放送ラジオの庄原・東城・府中各中波中継局設置は受信環境改善が主たる目的だったのだが、次に挙げることも念頭に置いていた可能性が考えられるところである。
・広島県を放送区域とする都道府県域民間エフエム放送局、すなわち広島エフエム放送の開局が近付いていたこと。
・高速道路の整備を契機として広島県南東部や広島県北東部にある中波中継局の周波数を統一しようとしていたこと。

注51:真庭郡に属する町村のうちの落合・勝山・久世各町を指す。現在は落合・勝山・久世各町はいわゆる平成の大合併で発足した真庭市の中心部を構成している。

注52:反対にNHK岡山放送局は高梁市内に中波中継局を設置することは見送り、エフエム補完中継局を設置して高梁市中心部及びその周辺地域の受信環境改善を図っている。

注53:このうち北日本放送ラジオと琉球放送ラジオは過去に中波中継局(どちらも1箇所だけだった)を有していた時期がある(北日本放送ラジオは2016年〔平成28年〕から、琉球放送ラジオは2005年〔平成17年〕からそれぞれ中波中継局が本局だけになっている)。

注54:RSK山陽放送ラジオ以外の中国地方にある民間中波放送局が全ての中波中継局の周波数の統一に取り組まなかった理由は下表の通りである。

放送局名 考えられる理由
山陰放送 ・本局の周波数(900kHz)はいくつもの放送局で使われていることや日本海沿岸地域を放送区域としていることから国内外の放送局との混信が起きやすいこと。
・放送区域は東西に長いため周波数を統一するのには向いていないこと。
・二つの県(鳥取県と島根県)を放送区域としていること。
・中波中継局は山間部に一切設置していないためもし周波数を統一しても受信環境改善には役に立たないこと。
中国放送 ・本局の出力が20kWと強力なこと。
・遠距離受信をして聴こうと思う方の中には広島東洋カープのファンという方が少なくなく、それを無視できなかったこと。
・周波数統一のために本局に指向性を導入することも考えたが、電波が届かなくなる地域が出る恐れが生じたため断念したこと。
・広島県南東部にある中波中継局(福山・府中・三原)について本局及び広島県北部にある中波中継局(庄原・東城・三次)とは別編成の番組(福山支社制作)を挿入していたこと。
山口放送 ・本局の周波数(765kHz)はいくつもの放送局で使われていることや日本海沿岸地域を放送区域としていることから国内外の放送局との混信が起きやすいこと。
・山口放送の経営陣には保守的な考えを持つ方が少なくなく、周波数統一を提案しても却下されるしかなかったこと。
・山口県最大の都市でありながら山口県を放送区域とする都道府県域民間放送局の本社・演奏所を全く設置できなかった下関市とその周辺地域だけで放送する、下関支社(下関市南部町)制作の別編成の番組を設定することを考えていたこと。
・中波放送の受信環境改善には2000年代(2000〜2009年〔平成12〜21年〕を指す)末期まで取り組んだが技術的に限界に達したと判断したこと。

個人的には山口放送ラジオが周波数統一に取り組んでいたら面白かったのではないかと思うのだが…。

注55:中国地方にある民間中波放送局で発足当初からJRN・NRN両系列に属していたのは山陰放送ラジオと中国放送ラジオの2社だけである。山口放送ラジオは当初はNRN系列にしか属していなかったが1982年(昭和57年)10月26日にJRN系列に加盟している。

注56:結局「パック・イン・ミュージック」は聴取率が芳しくなかったこともあって1982年(昭和57年)7月末をもって終了する(但し終了時点で放送されなくなっていた土曜日深夜〔日曜日早朝〕に最終回と位置付けた特別番組を設定したため最終回は1982年〔昭和57年〕8月1日に放送されている)のだが、終了することを知った聴取者が署名活動やデモ行進をやって終了に抗議したという話がある(無論それで終了する方針が覆ることはなかったのだが…)。聴取率は低かったがいかに多くの方々に親しまれた番組だったかがうかがえる。

注57:中国地方では1982年(昭和57年)12月5日に広島エフエム放送が、1985年(昭和60年)12月1日にエフエム山口が、1986年(昭和61年)10月1日にエフエム山陰がそれぞれ開局している。なお、広島エフエム放送は広島県だけを、エフエム山口は山口県だけをそれぞれ放送区域としているのに対してエフエム山陰は鳥取県と島根県を放送区域としている(JFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局で複数の都道府県を放送区域としているのはエフエム山陰だけである)。

注58:昭和天皇(1901〜1989。在位期間:1926〜1989)の容態に関する報道(1988〜1989)や雲仙普賢岳噴火(1990〜1991)、湾岸戦争(1990〜1991)を指す。

注59:読売ジャイアンツの年代ごとのリーグ優勝回数を示すと下表の通りになる。

※年号が途中で変わっている年度は公式戦終了時点の年号で年度を記している。また、プロ野球日本選手権シリーズを制した年度は赤太字で表記している。

年代 優勝年度 優勝回数 優勝率 備考
1950年代 1951年度(昭和26年度)
1952年度(昭和27年度)
1953年度(昭和28年度)
1955年度(昭和30年度)

1956年度(昭和31年度)
1957年度(昭和32年度)
1958年度(昭和33年度)
1959年度(昭和34年度)
8 80.0%
1960年代 1961年度(昭和36年度)
1963年度(昭和38年度)
1965年度(昭和40年度)
1966年度(昭和41年度)
1967年度(昭和42年度)
1968年度(昭和43年度)
1969年度(昭和44年度)
7 70.0% 1965〜1973年度(昭和40〜48年度)のプロ野球日本選手権シリーズ(日本シリーズ)9連覇はV9と呼称されている。
1970年代 1970年度(昭和45年度)
1971年度(昭和46年度)
1972年度(昭和47年度)
1973年度(昭和48年度)

1976年度(昭和51年度)
1977年度(昭和52年度)
6 60.0% 1965〜1973年度(昭和40〜48年度)のプロ野球日本選手権シリーズ(日本シリーズ)9連覇はV9と呼称されている。
1980年代 1981年度(昭和56年度)
1983年度(昭和58年度)
1987年度(昭和62年度)
1989年度(平成元年度)
4 40.0%
1990年代 1990年度(平成2年度)
1994年度(平成6年度)
1996年度(平成8年度)
3 30.0%
2000年代 2000年度(平成12年度)
2002年度(平成14年度)

2007年度(平成19年度)
2008年度(平成20年度)

2009年度(平成21年度)
5 50.0% 2007年度(平成19年度)はリーグ優勝したがクライマックスシリーズ第二ステージで中日ドラゴンズに敗れたためプロ野球日本選手権シリーズには出場できなかった。
2010年代 2012年度(平成24年度)
2013年度(平成25年度)
2014年度(平成26年度)
2019年度(令和元年度)
4 40.0% 2014年度(平成26年度)はリーグ優勝したがクライマックスシリーズ第二ステージで阪神タイガースに敗れたためプロ野球日本選手権シリーズには出場できなかった。
2020年代 2020年度(令和2年度) 1 33.3%

注60:中日ドラゴンズの落合博満内野手や広島東洋カープの川口和久投手などが挙げられる。

注61:RSK山陽放送テレビと岡山放送は岡山県だけを、西日本放送テレビと瀬戸内海放送は香川県だけをそれぞれ放送区域としていたが、1979年(昭和54年)に岡山県と香川県は都道府県域民間テレビ放送局の放送区域を統合し、RSK山陽放送テレビ・岡山放送・西日本放送テレビ・瀬戸内海放送は岡山・香川両県を放送区域とする都道府県域民間テレビ放送局となった。その時点で岡山県側には3局目の都道府県域民間テレビ放送局用のチャンネル割り当てが郵政省(現:総務省)からなされており、宙に浮きかけたのだが、1980年代初頭にテレビ東京(TX、東京都港区六本木三丁目)を総本山とするテレビ東京系列が発足したことからそれはテレビせとうちとして日の目を見ることになった。五大都市がないにもかかわらず岡山・香川両県についてテレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局が存在するのはそういう事情があったからである。
なお、参考までに2020年(令和2年)10月1日実施の国勢調査に基づくテレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局各社の放送区域人口は下表の通りとなっている。

放送局名 放送区域に
含めている
都道府県名
人口 備考
テレビ北海道 北海道 5,224,614人
テレビ東京 茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県
千葉県
東京都
神奈川県
43,653,441人 内訳は茨城県286万7,009人/栃木県193万3,146人/群馬県193万9,110人/埼玉県734万4,765人/千葉県628万4,480人/東京都1,404万7,594人/神奈川県923万7,337人。
テレビ愛知 愛知県 7,542,415人
テレビ大阪 大阪府 8,837,685人
テレビせとうち 岡山県
香川県
2,838,676人 内訳は岡山県188万8,432人/香川県95万244人。
TVQ九州放送 福岡県 5,135,214人

注62:RSK山陽放送ラジオのNRN系列加盟と時を同じくして西日本放送ラジオもJRN系列に加盟している。この結果、中国・四国地方にある民間中波放送局8社は全てJRN・NRN両系列に加盟することになった。

注63:多くのJFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局で放送されていた「Heavy Metal Syndicate」(1991〜2014年〔平成3〜26年〕放送)も岡山エフエム放送が開局する前はRSK山陽放送ラジオで放送されていたのだが、岡山エフエム放送開局時点ではRSK山陽放送ラジオに留まり、2004年(平成16年)春の番組改編で岡山エフエム放送にネット局を移している。但し「Heavy Metal Syndicate」は2011年(平成23年)春の番組改編まで一部の民間中波放送局で放送されていたことやJFN系列に属する都道府県域民間エフエム放送局向けの番組を制作・供給しているジャパンエフエムネットワーク(JFNC、東京都港区麹町一丁目)が制作していた番組ではないことからJFN系列の番組とは見なしていない。

注64:中国地方にある民間放送局で最も歴史が古い番組は中国放送ラジオの広島カープ(現:広島東洋カープ)公式戦中継(1952年〔昭和27年〕10月5日開始)になるのだが、次に挙げる観点から山陰放送ラジオの「音楽の風車」を中国地方にある民間放送局における最長寿番組と見なしている。
・広島カープ(1950〜1967)→広島東洋カープの公式戦中継は通年放送ではないこと(年によるが放送されるのは3〜10月だけである)。
・中国放送ラジオは1952年(昭和27年)10月5日以降の広島カープ改め広島東洋カープの公式戦を全て放送したわけではないこと(全く放送しなかった年や優勝争いやAクラス争いが決着して広島カープ改め広島東洋カープが優勝争いまたはAクラス争いとは関係なくなった時期の試合、すなわち消化試合になると放送しなくなった年があったため)。

注65:山陰放送ラジオの「音楽の風車」の再放送の状況は下表の通りになっている。

曜日 放送時間 備考
月曜日 午後10時15分〜午後11時45分 日曜日放送分の再放送。
火曜日 午後10時15分〜午前0時 月曜日放送分の再放送。
水曜日 午後10時15分〜午前0時 火曜日放送分の再放送。
木曜日 午後10時15分〜午前0時 水曜日放送分の再放送。
金曜日 午後10時15分〜午前0時 木曜日放送分の再放送。
土曜日 放送なし。
日曜日 午後10時〜午後11時30分 金曜日放送分の再放送。

注66:中国地方にある都道府県域民間ラジオ放送局の日曜日深夜(月曜日未明)の放送終了時間は下表の通りである。

※下表における曜日は全て月曜日である。

順位 放送局名 放送終了時間 備考
1 エフエム山口
(FMY.山口市緑町)
午前0時 放送自体は終了するが放送休止時間帯(午前0時〜午前5時)は試験放送と称して音楽を流し続けている。
2 RSK山陽放送
(RSK、岡山市北区天神町)
午前0時15分
3 山陰放送
(BSS、米子市西福原一丁目)
午前0時30分
4 岡山エフエム放送
(岡山市北区中山下一丁目)
午前1時 今春番組開始10周年を迎えた「おやすみNMB48」(月曜日午前0時〜午前0時15分)を月曜日午前1時〜午前1時15分に放送していた2013年(平成25年)4〜9月を除いて開局した時からずっと放送終了時間は左記の時間に固定している。
山口放送
(KRY、周南市徳山)
午前1時 山口放送公式サイトで閲覧できるラジオ番組表では午前1時2分に放送休止に入ると記されているのだが午前1時〜午前1時2分に設定されている番組「お休みメモ」は実際は放送終了告知であるため本サイトとしては午前1時で放送を終了するものと見なしている。
6 中国放送
(RCC、広島市中区基町)
午前1時30分 毎週ではないのだが月曜日午前3〜4時台に試験放送として中国放送開局70周年を記念して作られたシンガーソングライター・藤江潤士の曲「ふるさとの風」を繰り返しかけることがある(但し試験放送である旨は一切言わない)。また、テストトーンを流している場合もある。
7 エフエム山陰
(松江市学園南一丁目)
午前2時 2019年(令和元年)9月までは午前0時30分で放送を終了していたが2019年(令和元年)秋の番組改編で放送終了時間が2時間繰り下がり、午前2時30分まで放送するようになった。中国地方にある都道府県域民間ラジオ放送局では最も遅くまで放送するところとなっていたのだが、2022年(令和4年)2月から放送終了時間が30分繰り上がっている。
広島エフエム放送
(HFM、広島市南区皆実町一丁目)
午前2時 放送自体は終了するがテストトーンを挿入する放送終了直後と放送開始直前を除いては無変調状態になっており、午前3時と午前4時には時報を鳴らしている。

注67:RSK山陽放送ラジオの放送区域である岡山県において日曜日深夜(月曜日早朝)に原則として放送休止を入れないラジオ放送局は下表の通りである。

放送局名 主な放送区域 備考
NHK岡山放送局
(岡山市北区駅元町)
岡山県全域 ラジオ第一放送とエフエム放送について実施。
ラジオ第二放送は午前0時30分〜午前6時は放送を休止している。
岡山シティエフエム
(岡山市北区中山下二丁目)
岡山市北区
岡山市中区
岡山市東区
岡山市南区
赤磐市
愛称:Radio momo。
赤磐市にも中継局を設置している。
笠岡放送
(笠岡市笠岡)
笠岡市
浅口市
浅口郡里庄町
愛称:エフエムゆめウェーブ(2020年〔令和2年〕3月30日までの社名でもある)。
本社は笠岡市笠岡に、演奏所は浅口市鴨方町鴨方にそれぞれ設置している。
エフエムくらしき
(倉敷市白楽町)
倉敷市
総社市
都窪郡早島町
総社市にも中継局を設置している。
つやまコミュニティFM
(津山市南新座)
津山市 愛称:エフエムつやま。

注68:RSK山陽放送ラジオの放送区域である岡山県では信号機の点滅運用は午前5時で終了するようになっている。岡山県警察本部(岡山市北区内山下二丁目)が早朝の交通事故対策の一環として夜間に点滅運用に切り替わる信号機の点滅運用を午前5時までとする施策をとったからである。

注69:山陰放送ラジオ・中国放送ラジオ・山口放送ラジオの「オールナイトニッポン0」のネット状況はそれぞれ異なっている。その概要を記すと下表の通りになる。

放送局名 状況
山陰放送 ・火曜日〜土曜日放送分について放送。
・日曜日放送分は放送していない。喋り手が毎週変わるために聴取率が見込めないことや放送休止時間帯になっていることが主たる理由である。
中国放送 ・火曜日〜土曜日放送分について放送。
・日曜日放送分は放送していない。喋り手が毎週変わるために聴取率が見込めないことや制作局のニッポン放送が全部分放送しないこと(午前4時50分で終了して「週刊 なるほど! ニッポン」を放送しているため)が主たるネット見送りの理由と思われる。「走れ! 歌謡曲」ネット開始(1976年〔昭和51年〕12月7日)以前は「オールナイトニッポン」第二部は日曜日放送分もネットしていたのだが、この結果46年4ヶ月ぶりの「オールナイトニッポン」日曜日午前3〜4時台放送分の復活はならなかった。
・ちなみに日曜日午前3〜4時台は自社制作番組の再放送を挿入している。
山口放送 ・全曜日(火曜日〜日曜日放送分)について放送。ニッポン放送が放送しない日曜日午前4時50分〜午前5時についても放送しており、全部分放送する中国地方唯一の民間中波放送局となっている。

なお、一貫してTBSラジオ制作の平日午前3〜4時台の番組をネットしないできた中国放送ラジオであるが、「オールナイトニッポン0」のネットを開始したのは「走れ! 歌謡曲」終了後の文化放送の平日午前3〜4時台の番組の迷走が著しいことや「CITY CHILL CLUB」をネットすることは聴取率が芳しくないことなどから妥当ではないと考えたこと、終夜放送を取りやめることは避けたかったこと、自社制作番組の設定は再放送を含めて難しかったことが背景にあったものと思われる。

注70:テレビ放送局の音声多重放送も実は一部地域だけ実施したに留まったところが存在する。それは北海道で、本社・演奏所・本局のある札幌市及びその周辺地域以外については2011年(平成23年)7月25日午前0時をもってアナログテレビ放送が終了するまでどの都道府県域民間テレビ放送局も音声多重放送を実施しなかったのである(つまり札幌市及びその周辺地域以外ではテレビ放送がデジタル化されたことでようやく都道府県域民間テレビ放送局の音声多重放送が始まったということ)。放送区域面積が広大であることや寒冷地であり、維持費用がかさむことがアナログテレビ放送時代に札幌市及びその周辺地域でしか音声多重放送を実施できなかった主たる理由である。

注71:RSK山陽放送ラジオが中波ステレオ放送を開始した1992年(平成4年)10月5日時点で中波ステレオ放送を実施している民間中波放送局の放送区域内にあった政令指定都市は下表の通りである。

※下表における社名は現在のものを記している。また、政令指定都市のうち都道府県庁所在地となっているところは都市名の前に◎を付している。

放送局名 放送区域に
含めている
都道府県名
政令指定都市名 備考
STVラジオ 北海道 ◎札幌市
TBSラジオ/
ニッポン放送/
文化放送
茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県
千葉県 ◎千葉市 千葉市はTBSラジオ・ニッポン放送・文化放送が中波ステレオ放送を開始した1992年(平成4年)3月15日時点では政令指定都市ではなかったのだが、その半月後の1992年(平成4年)4月1日に政令指定都市に移行している。
東京都
神奈川県 ◎横浜市
川崎市
CBCラジオ/
東海ラジオ放送
岐阜県
愛知県 ◎名古屋市
三重県
朝日放送ラジオ/
MBSラジオ
滋賀県
京都府 ◎京都市
大阪府 ◎大阪市
兵庫県 ◎神戸市
奈良県
和歌山県
RSK山陽放送 岡山県
中国放送 広島県 ◎広島市
RKB毎日放送/
九州朝日放送
福岡県 ◎福岡市
北九州市

注72:RSK山陽放送ラジオが中波ステレオ放送を開始した1992年(平成4年)10月5日時点ではRSK山陽放送の本社・演奏所のある岡山市の市内局番は0862(当時の市域の大部分)と08694(西大寺地区)となっていた。しかし、その5日後の1992年(平成4年)10月10日に当時の岡山市域のほぼ全域の市外局番を統一し、当時の岡山市のほぼ全域を市内通話区域化することを目的として市外局番は086に変更されている(この変更は1991年〔平成3年〕9月に公表されていた)。仙台市・浦和市(1934〜2001)・千葉市・新潟市・静岡市・浜松市・熊本市などの人口の多い都市が昭和時代末期から平成時代初頭にかけて市外局番・市内局番の三桁化に踏み切っていった中で岡山市はなぜ市内局番・市内局番の三桁化に踏み切らないのかという疑問を持っていた方はいくらかいたのではないかと思うのだが、市外局番0862地域だけでの市外局番・市内局番三桁化はまだ使用していなかった市内局番がいくつもあったためにできなかったことと、市内通話区域の再編が必要になることから岡山市西大寺地区と同じ市内通話区域となっていた邑久郡牛窓・邑久・長船各町などとの調整に時間がかかったことが背景にあったものと思われる。
※ちなみに同じ1992年(平成4年)10月10日には倉敷市・浅口郡船穂町(1940〜2005)・都窪郡早島町の市外局番も086に統一され、市内局番が三桁になっている。倉敷市も市外局番が0864(倉敷市〔玉島地区を除く〕と都窪郡早島町)・08652(倉敷市玉島地区)・086552(浅口郡船穂町)に分かれていたのだが、この市外局番統一により倉敷市・浅口郡船穂町・都窪郡早島町では市内局番から通話できるようになっている。なぜ倉敷市・浅口郡船穂町・都窪郡早島町が岡山市と同じ日に市外局番・市内局番の三桁化に踏み切ったのかは分からないのだが、岡山市への対抗意識があったからではないかと思うのは私だけだろうか。

注73:1990年(平成2年)10月1日実施の国勢調査によると笠岡市・高梁市・津山市・新見市の人口は次の通りとなっていた(いずれも当時の市域基準)。
・笠岡市…5万9,619人
・高梁市…2万6,003人
・津山市…8万9,400人
・新見市…2万7,291人
人口順は津山市>笠岡市>新見市>高梁市となっており、確かに高梁市が最も少なくなっている。

注74:七大都市に本社・演奏所を置いている民間中波放送局の放送区域人口は下表の通りである(データは2020年〔令和2年〕10月1日実施の国勢調査に基づいている)。

都市名 左記都市に
本社・演奏所を
設置している
民間中波放送局名
放送区域に
含めている
都道府県名
人口 備考
札幌市 STVラジオ/
北海道放送
北海道 5,224,614人
仙台市 東北放送 宮城県 2,301,996人
東京都区部 TBSラジオ/
ニッポン放送/
文化放送
茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県
千葉県
東京都
神奈川県
43,653,441人 内訳は茨城県286万7,009人/栃木県193万3,146人/群馬県193万9,110人/埼玉県734万4,765人/千葉県628万4,480人/東京都1,404万7,594人/神奈川県923万7,337人。
名古屋市 CBCラジオ/
東海ラジオ放送
岐阜県
愛知県
三重県
11,291,411人 内訳は岐阜県197万8,742人/愛知県754万2,415人/三重県177万254人。
大阪市 朝日放送ラジオ/
MBSラジオ/
大阪放送
滋賀県
京都府
大阪府
兵庫県
奈良県
和歌山県
20,541,441人 内訳は滋賀県141万3,610人/京都府257万8,087人/大阪府883万7,685人/兵庫県546万5,002人/奈良県132万4,473人/和歌山県92万2,584人。
広島市 中国放送 広島県 2,799,702人
福岡市 RKB毎日放送/
九州朝日放送
福岡県 5,135,214人

注75:札幌テレビ放送とSTVラジオは元々同じ会社(札幌テレビ放送)だったのだが、2005年(平成17年)10月1日にラジオ部門が独立してSTVラジオが発足している。

注76:テレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局各社が放送区域としている都道府県にある人口100万人以上の都市は下表の通りである。

※都市名の前に◎を付けているところは都道府県庁所在地である。

放送局名 放送区域に
含めている
都道府県名
人口100万人
以上の都市
人口 備考
テレビ北海道 北海道 ◎札幌市 1,973,395人
テレビ東京 茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県 ◎さいたま市 1,324,025人
千葉県
東京都 ◎東京都区部 9,733,276人 東京都区部は現在は23の特別区に分かれており、厳密にはまとまった一つの都市ではないのだが、1943年(昭和18年)7月1日に東京府(1871〜1943)と東京市(1889〜1943)が統合して東京都が発足したために廃止された東京市の区域は現在の東京都区部に相当することからここでは東京都区部を一つの都市と見なすことにしている。
神奈川県 ◎横浜市 3,777,491人
川崎市 1,538,262人
テレビ愛知 愛知県 ◎名古屋市 2,332,176人
テレビ大阪 大阪府 ◎大阪市 2,752,412人
テレビせとうち 岡山県
香川県
TVQ九州放送 福岡県 ◎福岡市 1,612,392人

注77:テレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局各社の放送区域人口は下表の通りである(人口は2020年〔令和2年〕10月1日実施の国勢調査に基づいている)。

放送局名 放送区域に
含めている
都道府県名
人口 備考
テレビ北海道 北海道 5,224,614人
テレビ東京 茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県
千葉県
東京都
神奈川県
43,653,441人 内訳は茨城県286万7,009人/栃木県193万3,146人/群馬県193万9,110人/埼玉県734万4,765人/千葉県628万4,480人/東京都1,404万7,594人/神奈川県923万7,337人。
テレビ愛知 愛知県 7,542,415人
テレビ大阪 大阪府 8,837,685人
テレビせとうち 岡山県
香川県
2,838,676人 内訳は岡山県188万8,432人/香川県95万244人。
TVQ九州放送 福岡県 5,135,214人

上表をご覧頂ければうかがえることであるが、テレビせとうちだけ放送区域人口は500万人に達していない。

注78:テレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局各社の放送区域内に本拠地を置いているプロ野球球団は下表の通りである。

放送局名 放送区域に
含めている
都道府県名
本拠地を置いている
プロ野球球団名
備考
セントラルリーグ パシフィックリーグ
テレビ北海道 北海道 北海道日本ハムファイターズ
テレビ東京 茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県 埼玉西武ライオンズ
千葉県 千葉ロッテマリーンズ
東京都 東京ヤクルトスワローズ
読売ジャイアンツ
神奈川県 横浜DeNAベイスターズ
テレビ愛知 愛知県 中日ドラゴンズ
テレビ大阪 大阪府 オリックス・バファローズ
テレビせとうち 岡山県
香川県
TVQ九州放送 福岡県 福岡ソフトバンクホークス

注79:テレビ東京系列に属する都道府県域民間テレビ放送局各社の放送区域内に本拠地を置いているプロサッカーチーム(正式名称で記載)は下表の通りである。

※下表に記載しているプロサッカーチーム名について青太字で記載しているもの(Jリーグ二部・三部に属しているものに限る)は過去にJリーグ一部に所属していたことがあるチームである。

放送局名 放送区域に
含めている
都道府県名
本拠地を置いている
プロサッカーチーム名
備考
Jリーグ一部(J1) Jリーグ二部(J2) Jリーグ三部(J3)
テレビ北海道 北海道 北海道コンサドーレ札幌
テレビ東京 茨城県 鹿島アントラーズ 水戸ホーリーホック
栃木県 栃木SC
群馬県 ザスパクサツ群馬
埼玉県 浦和レッドダイヤモンズ 大宮アルディージャ
千葉県 柏レイソル ジェフユナイテッド市原・千葉
東京都 FC東京 東京ヴェルディ1969
FC町田ゼルビア
神奈川県 横浜FC
横浜F・マリノス
川崎フロンターレ
湘南ベルマーレ
横浜スポーツ&カルチャークラブ
SC相模原
テレビ愛知 愛知県 名古屋グランパスエイト
テレビ大阪 大阪府 ガンバ大阪
セレッソ大阪
FC大阪
テレビせとうち 岡山県 ファジアーノ岡山
香川県 カマタマーレ讃岐
TVQ九州放送 福岡県 アビスパ福岡 ギラヴァンツ北九州

注80:岡山・香川両県で廃業に追い込まれたコミュニティ放送局は下表の通りである。

県名 放送局名 開局年月日 放送終了
年月日
概要
岡山県 エフエム津山
(津山市小田中)
2010年
(平成22年)
7月1日
2020年
(令和2年)
10月25日
・愛称:レディオつやま(2010〜2012)→MegaWAVE76.3(2012〜2020)。
・現時点で岡山県で開局した最後のコミュニティ放送局である。
・津山市二番目のコミュニティ放送局として開局。コミュニティ放送局は原則として一つの市区町村には一つの放送局しか開局が認められないのだが、免許一本化調整が難航したからか津山市では複数のコミュニティ放送局の開局が認められることになった。
・7ヶ月ほど早く開局したつやまコミュニティFMへの対抗意識はかなりのものがあり、つやまコミュニティFMの愛称に酷似した社名を付けたりJ-WAVEの再送信を行ったりした。
・しかし、開局時期や受信可能範囲など様々な面でつやまコミュニティFMの後塵を拝するばかりで、(体制立て直しが理由ではないかと思われるのだが)2012年(平成24年)2月末をもって放送を休止することにした。中国地方にあるコミュニティ放送局では広島市佐伯区五日市地区を主たる放送区域としていた五日市コミュニティ放送が経営難を理由として放送を休止し、結局放送再開に至らずに廃業したことがあったためエフエム津山の今後が危ぶまれた。
・しかし、多くの方々の心配を払拭するかの如く2012年(平成24年)8月20日に放送を再開し、いわゆるサブカルチャーに特化した放送局を目指すことになった。それで2015年(平成27年)秋の放送免許更新は乗り切ったが、平日の夕方から夜にかけてと土曜日の日中以外はずっと音楽を流し続けるだけだったことや津山市中心部と倉吉・真庭方面を結ぶ幹線道路のそばに本社・演奏所を設置しているにもかかわらずなぜかその存在を示す物件を一切設置しなかったことなどから劣勢を跳ね返すには至らなかった。結局新型コロナウィルス感染症の世界的な流行がとどめの一撃となって廃業に追い込まれてしまった。放送最終日は午後11時で放送を終了したとインターネット百科事典「Wikipedia」の当該項目(それはこちら)に記されているのだが、どのような形で波乱に満ちた約10年4ヶ月間の歴史に終止符を打ったのかは全く分からない(こちらで触れた状況から考えれば特別番組を設定することもなく、ただ閉局の挨拶を流して停波したのではないかと私は考えている)。
・廃業から2年半が経過したが、公式サイト(それはこちら)は2021年(令和3年)秋頃閉鎖されたもののSNS(Twitter…こちら。最終更新は2019年〔令和元年〕8月30日/Facebook…こちら。最終更新は2018年〔平成30年〕7月11日)は未だに残されている。また、エフエム津山を運営していた会社がどうなったのかは全く分かっていない。エフエム津山はどうかと思う面が多々見られたのだが、経営陣に問題があった可能性も指摘されるところである。
・なお、エフエム津山についてはこちらで取り上げているので興味のある方は併せてご覧頂きたい。
香川県 高松シティエフエム
(高松市天神前)
1997年
(平成9年)
1月25日
2005年
(平成17年)
3月31日
・愛称:FM MARINO。
・高松市二番目のコミュニティ放送局として開局。コミュニティ放送局は原則として一つの市区町村には一つの放送局しか開局が認められないのだが、免許一本化調整が難航したからか高松市では複数のコミュニティ放送局の開局が認められることになった。
・案の定開局当初から広告獲得や聴取率などで苦戦した。2000年(平成12年)には受信環境改善を目的として本局を高松市中心部の高層ビルから高松市郊外の山の上に移転させたが、状況は変わらなかった。
・結局エフエム高松コミュニティ放送に吸収合併する道を選び、8年2ヶ月の歴史に終止符を打ったのだが、放送区域を同じくするコミュニティ放送局に吸収合併されたことで廃業したコミュニティ放送局はこの高松シティエフエムだけである。
エフエム・セト
(丸亀市土器町東三丁目)
1996年
(平成8年)
12月26日
2008年
(平成20年)
4月13日
・別称:FMセト。
・津山市や高松市とは異なって丸亀市は複数コミュニティ放送局があるところではなかったのだが、開局した時には既に東隣にある坂出市にコミュニティ放送局(エフエム・サン〔坂出市京町一丁目〕)があったことから広告獲得や聴取率などで苦戦した。また、本社・演奏所は倉庫のような建物に入居していたためそこに本社・演奏所があるのか疑われることが多かったことも苦戦する一因になったことは否めない。
・事態打開のためエフエム・サンの子会社になり、エフエム・サンと同時放送を行ったこともあったがどうにもならなくなったため廃業する道を選んだ。
エフエムこんぴら
(仲多度郡琴平町榎井)
1997年
(平成9年)
2月3日
1998年
(平成10年)
11月30日
・別称:FMこんぴら。
・現時点で香川県で開局した最後のコミュニティ放送局である。
・エフエム・サンが受信できるところが多かったことから広告獲得や聴取率などで苦戦した。地域への定着を目的として自社制作番組を多く設定したが、身の丈に合わない放送を展開したことも経営環境を悪化させる一因になった。
・結局体調不良により退任した社長の後継者が見つからなかったことなどを理由として廃業に追い込まれたが、当時は民間放送局の廃業はあり得ないことと思われていたことやコミュニティ放送局の制度が創設されてから初めてのコミュニティ放送局の廃業となったためこのことは大きく取り上げられた。

注81:拠点性の高い都市に存在したコミュニティ放送局が廃業に追い込まれ、コミュニティ放送局のない都市になった例としては北見市がある。北見市を主たる放送区域としていたFMオホーツク(略称:FM OK。北見市幸町二丁目。2008〜2022)は放送を行うのに必要な資格を持っていた人物が逝去したため2022年(令和4年)2月11日をもって放送を終了したのだが、再開に至らないままその約半年後の2022年(令和4年)8月9日に廃業している。北見市はオホーツク総合振興局の所在地にはなっていないがオホーツク総合振興局管内最大の都市であることやオホーツク総合振興局随一の拠点都市となっていること、2022年(令和4年)はFMオホーツクの放送休止と相前後してNHK北見放送局(北見市北斗町二丁目)の機能縮小と札幌テレビ放送・STVラジオの支社廃止といった出来事が起きたことを考えるとコミュニティ放送局の放送再開に向けて積極的な動きが見られても良かったのではないかと私は思うのだが、逝去した人物あっての放送局という性格が強かったことやFMオホーツクの親会社だった不動産会社が経営環境が厳しかったことや後継者が見つからなかったことなどを理由としてFMオホーツクの廃業後間もなく破産したこと、ラジオ放送は経営が厳しいとされているために積極的に動こうと思う人がいなかったこと、そして市民の関心が高いとは言えなかったことからそういう動きは起きなかったのではないかと思われる。
ちなみに北海道には日本放送協会の放送局が7箇所(旭川・帯広・北見・釧路・札幌・函館・室蘭)あるのだが、コミュニティ放送局がないのは北見市だけである。

注82:エフエムふくやまの課題は次の通りである。
・中継局の整備が進んでいないこと。現在は本局(福山市瀬戸町長和)と新市中継局(福山市新市町下安井)の二局体制であるが、芦田川河口付近から沼隈半島東岸部にかけての地域や内海・沼隈・松永・山野各地区など受信しづらい地域が残っている。
・福山市と繋がりが深く、コミュニティ放送局が存在しない府中市・神石郡神石高原町への中継局設置が行われていないこと。岡山シティエフエムが赤磐市に、エフエムくらしきが総社市にそれぞれ中継局を設置していること(記すまでもないが赤磐市・総社市ともコミュニティ放送局は存在しない)を考えると府中市や神石郡神石高原町にエフエムふくやまが中継局を設置することは別に問題にならないのではないかと思うのだが…。
・本社・演奏所のある福山商工会議所ビル(福山市西町二丁目)の老朽化が進んでいること(福山商工会議所ビルは1976年〔昭和51年〕完成)。大規模な改修を行うのか、改めてどこかに新築するのか現在検討が進められているところであるが、状況によってはエフエムふくやまの本社・演奏所の移転は避けられない事態になる可能性がある。
・日曜日に一切自社制作番組が設定されていないこと。土曜日午後10時〜月曜日午前6時の32時間はずっとJ-WAVEの再送信に充てられており、それはそれで良いとは思うのだが福山市と人口規模が近接している倉敷市を主たる放送区域としているコミュニティ放送局・エフエムくらしきですらきちんと日曜日に自社制作番組が設定されていることを考えると日曜日に一切自社制作番組がないのはどうなのかなと思いたくなる。
・近隣にあるコミュニティ放送局、すなわち笠岡放送や尾道エフエム放送(愛称:エフエムおのみちまたはエフエムおのみち79.4。尾道市東御所町)、FMみはら(愛称:FOR LIFE RADIO。三原市宮沖五丁目)との住み分けを考えているのかミュージックバード(東京都千代田区麹町一丁目)が制作している番組のうちの喋り手がいるものが2015年(平成27年)春の番組改編で全て打ち切られ、一切流れなくなったこと。エフエムふくやまとしてはそんなにミュージックバード制作の番組を聴きたいのなら笠岡放送や尾道エフエム放送、FMみはらを聴いて下さいという考えなのだろうが…。

注83:アール・エフ・ラジオ日本・RSK山陽放送ラジオ以外の地方民間放送共同制作協議会に加盟していない民間中波放送局は次の通りである。
・STVラジオ
・TBSラジオ
・ニッポン放送
・文化放送
・朝日放送ラジオ
・MBSラジオ
・大阪放送
・九州朝日放送

注84:「あもーれ! マッタリーノ」が急遽始まったのはその前の番組となる「昼からど〜だい!」(2015〜2016年〔平成27〜28年〕放送)が2016年(平成28年)8月26日をもって打ち切られたためである。「昼からど〜だい!」に出演していた喋り手の男性が2016年(平成28年)8月15日放送分で、ある自動車学校を名指しで批判するようなことを喋ったことからこの男性は2016年(平成28年)8月15日放送分をもって降板させられ、11日後に番組自体も終了となった(舌禍事件のあった日で終了とならなかったのは後継番組の準備が必要だったからではないかと思われる)。私は2016年(平成28年)8月26日付中国新聞備後本社版朝刊のテレビ・ラジオ欄で「昼からど〜だい!」が終了することを知ったのだが、その時はなぜ改編期でもない8月下旬でいきなり番組が終了するのだろうかと思ったものであった。

注85:今年4月時点で月曜日午前4時に放送を開始する都道府県域民間ラジオ放送局は次の通りである。
・青森放送
・アイビーシー岩手放送
・エフエム山形
・山形放送
・エフエム群馬
・TBSラジオ
・エフエムラジオ新潟
・エフエム石川
・福井エフエム放送
・静岡放送
・山口放送
・エフエム徳島
・四国放送
・エフエム高知
・長崎放送
現在都道府県域民間ラジオ放送局は98社(内訳は中波放送47社/エフエム放送51社)あるのだが、日曜日深夜(月曜日早朝)に放送休止を設定しているところは86社ある(内訳は中波放送42社/エフエム放送44社)。上に挙げた15社(内訳は中波放送8社/エフエム放送7社)が最も早く放送を開始する都道府県域民間ラジオ放送局となっている。

(参考資料:今年4月時点の都道府県域民間ラジオ放送局の月曜日における放送開始時間一覧表)

放送開始時間 放送局名 備考
午前4時
(15社)
青森放送
アイビーシー岩手放送
エフエム山形
山形放送
エフエム群馬
TBSラジオ
エフエムラジオ新潟
エフエム石川
福井エフエム放送
静岡放送 日曜日深夜(月曜日早朝)に放送休止を設定している都道府県域民間ラジオ放送局で最も放送休止時間が短い放送局である(2時間)。
山口放送
エフエム徳島
四国放送
エフエム高知
長崎放送
午前4時35分
(1社)
朝日放送ラジオ
午前4時45分
(1社)
東海ラジオ放送 日曜日深夜(月曜日早朝)に放送休止を設定している都道府県域民間ラジオ放送局で最も遅くまで放送している放送局である(月曜日午前2時15分放送終了)。
午前5時
(64社)
エフエム北海道
エフエム青森
エフエム岩手
エフエム仙台
東北放送
エフエム秋田
秋田放送
エフエム福島
ラジオ福島
茨城放送
栃木放送
エフエムナックファイブ
ベイエフエム 今年3月までは日曜日深夜(月曜日早朝)については放送休止の設定はなかった。
公式サイトで閲覧できる番組表では月曜日午前4時50分〜午前5時については「PROGRAM」という番組が設定されていると記されているが、試験放送や放送開始告知などを包含した番組と考えられるため午前5時に放送を開始するものと見なしている。
InterFM897
エフエム東京
J-WAVE
ニッポン放送
文化放送
アール・エフ・ラジオ日本
横浜エフエム放送
新潟放送
エフエム富士
山梨放送
信越放送
長野エフエム放送
北日本放送
富山エフエム放送
北陸放送
福井放送
エフエム岐阜
静岡エフエム放送
エフエム愛知
CBCラジオ
三重エフエム放送
エフエム滋賀
エフエム京都 通常の放送終了時間は日曜日午後11時となっており、都道府県域民間ラジオ放送局で最も早く放送を終了する放送局である上に日付が月曜日に変わる前に放送を終了する唯一の放送局にもなっている。
また、岐阜放送(GBS、岐阜市橋本町二丁目)とともに日曜日深夜(月曜日早朝)に放送休止を設定している都道府県域民間ラジオ放送局で最も放送休止時間が長い放送局になっている(6時間)。
京都放送
大阪放送
兵庫エフエム放送
和歌山放送
エフエム山陰
山陰放送
RSK山陽放送
岡山エフエム放送
中国放送
広島エフエム放送
エフエム山口
西日本放送
南海放送
高知放送
RKB毎日放送
エフエム福岡
九州朝日放送
CROSS FM
ラブエフエム国際放送
エフエム長崎
熊本放送
エフエム大分
大分放送
エフエム宮崎
宮崎放送
エフエム鹿児島
エフエム沖縄
ラジオ沖縄
午前5時14分
(1社)
MBSラジオ
午前6時
(4社)
岐阜放送 エフエム京都(愛称:α-STATION。京都市下京区烏丸通四条下ル水銀屋町)とともに日曜日深夜(月曜日早朝)に放送休止を設定している都道府県域民間ラジオ放送局で最も放送休止時間が長い放送局になっている(6時間)。
エフエム愛媛
エフエム佐賀
エフエム熊本
放送休止なし
(12社)
エフエム・ノースウェーブ
STVラジオ
北海道放送
エフエム栃木
ZIP-FM
エフエム大阪
FM COCOLO
FM802
ラジオ関西
エフエム香川
南日本放送 午前2時15分〜午前4時は放送休止扱いではあるが「ミッドナイトミュージック」というフィラー番組を挿入していることから事実上放送休止は設定されていないものと見なしている。
琉球放送

注86:2019年(令和元年)6月17日時点で広島エフエム放送の月曜日午前1〜2時に放送されていた番組、すなわち2019年(令和元年)6月17日未明の放送終了時間繰り上げにより放送未了になった番組は下表の通りである。

時間帯 番組名 備考
午前1時〜午前1時30分 山田五郎と中川翔子の「リミックスZ」 番組自体は現在も続いているが広島エフエム放送でのネットは2020年(令和2年)9月28日をもって打ち切られている。
午前1時30分〜午前2時 JAPAN ハロプロ NETWORK 番組は2020年(令和2年)9月末をもって終了し、5年半の歴史に終止符を打っている(広島エフエム放送における最終回は2020年〔令和2年〕9月28日放送)。

ちなみに現在広島エフエム放送で月曜日午前1〜2時に放送されている番組は「武部聡志のSESSIONS」である(2020年〔令和2年〕10月5日ネット再開)。

注87:西日本放送ラジオの「さわやかラジオ」シリーズの題名の変遷は下表の通りである。

放送期間 題名 備考
1975年(昭和50年)4月7日〜
1985年(昭和60年)3月29日
さわやかラジオ
1985年(昭和60年)4月1日〜
1994年(平成6年)9月30日
さわやかラジオ
おはよううねやん!! です
「うねやん」は西日本放送の釆野友啓アナウンサー(当時)の愛称。
1994年(平成6年)10月3日〜
2002年(平成14年)3月29日
さわやかラジオ
かめばかむほど
2002年(平成14年)4月1日〜
2011年(平成23年)4月1日
さわやかラジオ
きょうも一日きし、快晴!
2011年(平成23年)4月4日〜
2017年(平成29年)3月31日
さわやかラジオ
気分上々
2017年(平成29年)4月3日〜 さわやかラジオ
おはようハイタッチ!

注88:中部日本放送は現在はCBCテレビ(CBC、名古屋市中区新栄一丁目)やCBCラジオなどを束ねている認定放送持株会社の名称となっている。

注89:森田恵子が「サンデーベスト」に出演していた頃、「サンデーベスト」の聴取者の中には森田恵子がRSK山陽放送に入社して欲しいと思う方が少なくなかったという。残念ながらそれはかなわなかったのだが、学生時代の経験を買われたのか、瀬戸内海放送に入社するとすぐに瀬戸内海放送の平日朝の情報番組「モーニングKSB」(1987〜1993年〔昭和62年〜平成5年〕放送)の司会に抜擢されている。

注90:「波のりラジオ WEEKEND FEVER」第一部(午前の部)、すなわち「波のりラジオ WEEKEND FEVER バリバリタイプ」の四国放送ラジオ・高知放送ラジオにおけるネット状況は下表の通りである。

放送局名 放送時間 備考
四国放送 午前10時〜午前11時 2014年(平成26年)春ネット開始。
2021年(令和3年)春の番組改編までは全部分ネットしていた。
高知放送 午前8時30分〜午前11時 2014年(平成26年)春ネット開始。
2021年(令和3年)春以降は「波のりラジオ WEEKEND FEVER バリバリタイプ」を全部分ネットする唯一の民間中波放送局となっている。

なお、南海放送ラジオも四国放送ラジオ・高知放送ラジオと同じ2014年(平成26年)春から「波のりラジオ WEEKEND FEVER バリバリタイプ」をネットしていたのだが理由ははっきりしないのだがわずか1年で打ち切られている。

注91:1980年代半ばの「マツダミュージックドライブ」は土曜日午後0時〜午後0時55分に放送されていた。当時は洋楽を多くかける番組で終盤では交通情報が挿入されていたような覚えがある。

注92:但し2018年度(平成30年度)だけは静岡放送ラジオのプロサッカーチーム公式戦中継もradiko.jpプレミアムの配信対象から除外されていた。

注93:但し6位になった2016年度(平成28年度)と3位になった2022年度(令和4年度)の二度Jリーグ一部昇格プレーオフに出場している。ただ、2016年度(平成28年度)は決勝戦でセレッソ大阪に、2022年度(令和4年度)は一回戦でモンテディオ山形にそれぞれ負けたためいずれもJリーグ一部昇格を逃している。

注94:ファジアーノ岡山とサンフレッチェ広島の公式戦は未だに実現していない。サンフレッチェ広島は2003年度(平成15年度)と2008年度(平成20年度)の二度Jリーグ二部に属していたのだがその時点ではまだファジアーノ岡山はJリーグ二部に属していなかったからである(ファジアーノ岡山がJリーグ二部に昇格したのは2009年度〔平成21年度〕から)。

注95:中国放送ラジオにおけるサンフレッチェ広島の公式戦中継は開幕試合など年数回程度に留まっている。

注96:この時は第一ステージ(2位の阪神タイガースと対戦)は2勝0敗で突破したが第二ステージ(優勝した読売ジャイアンツと対戦)で0勝4敗(読売ジャイアンツに与えられたアドヴァンテージで生じた1敗を含む)で敗退している。

注97:配信対象範囲を拡大する契機になったのは広島市北部を中心とした地域に甚大な被害をもたらした集中豪雨(2014年〔平成26年〕8月20日)である。それ以降順次配信対象範囲は拡大され、2015年(平成27年)9月28日からはほとんどの番組が配信対象になっている。

注98:そのことを私が感じたのは民間中波放送局の大半がテレビ・ラジオ兼営局であり、テレビ放送のデジタル化が完了してからまだ数年しか経っていないのにエフエム補完放送用の周波数を割り当てて2020年(令和2年)3月31日までにエフエム補完中継局を開局させないと周波数割り当てを破棄するとしたことである。民間放送局の経営状況が厳しいことは分かっているはずなのにこういう措置は果たして好ましかったことなのだろうか。せめて期限は設定せず、放送局の方針に任せたほうが良かったのでは…と思うのは私だけではないはずである。

注99:日本のエフエム放送の使用周波数帯が長らく76.0〜90.0MHzとなっていたのは90.0〜108.0MHzがテレビのアナログ放送の1〜3chに相当する周波数だったからである(下表参照。下表における周波数の単位は全てMHz)。だからテレビ放送がデジタル化されるまでエフエム放送の周波数としては使用できなかった。

チャンネル
番号
中心周波数 映像周波数 音声周波数 備考
93.00 91.25 95.75
99.00 97.25 101.75
105.00 103.25 107.75

また、テレビのアナログ放送で1chを使っていた地域ではテレビのアナログ放送が終了するまで86.0〜90.0MHzは1chのガードバンドと位置付けられていたために使用できなかった。現に広島エフエム放送福山中継局(福山市西深津町七丁目。周波数:82.1MHz)は87.5MHzを使用して開局する予定だったがNHK総合テレビ尾道アナログ中継局(尾道市向島町。1ch。1960〜2011)を受信してNHK総合テレビを視聴している方の多い福山市松永地区でも十分受信できることが判明したためサービス放送開始直前になって周波数設定変更を余儀なくされ、結果福山中継局のサービス放送開始が他の広島エフエム放送の開局当時の中継局(他には広島〔本局〕・大崎・尾道・呉・西条・佐東・千代田・府中・三次があった)より5日遅れて始まったという話がある。

注100:政見放送が流せる放送局の種類は公職選挙法第150条により規定されている。

注101:2028年(令和10年)秋以降も中波放送を維持することにしている民間中波放送局はSTVラジオ・北海道放送ラジオ・秋田放送ラジオ(ABS、秋田市中通七丁目)の3社である。

注102:「カンナ総統のジミケン革命結社 ブラック★シャドウ」は終了数ヶ月前にいくつかテコ入れが行われている。それを挙げると次の通りになる。
・2021年(令和3年)7月から再放送を行うようになったこと。
・2021年(令和3年)8月に福井柑奈以外の出演者を入れ替えたこと。
番組の評価は定かではないのだが、再放送を行うようになったこと(しかも出演者の福井柑奈は後になってそのことを知ったらしい)や出演者の大半を入れ替えたことを考えると何かがあったことが推察される。それで何とかしようとしたがどうにもならず、2021年(令和3年)秋の番組改編で終了させることを決めたのだろうが真相は果たしてどうだったのだろうか。

注103:まだ日曜日深夜(月曜日早朝)も放送を行うところがあまりなかった1980年代であれば日曜日深夜(月曜日早朝)に臨時に若年者向けの番組を設定する際に「電波ゼロゾーン」とか「全国ここだけ深夜放送」というような文句を入れて宣伝を行っていた民間中波放送局があった。今では日曜日深夜(月曜日早朝)も放送を行うところがいくつかあるためRSK山陽放送ラジオが日本で最も早く起きるラジオ局であることを宣伝するのは難しかったのではないかと考えられる。また、日本で最も○○が多い放送局というところはいくつもある(中国地方では広島エフエム放送〔所有中継局が最も多い民間エフエム放送局となっている〕や山口放送ラジオ〔所有中継局が最も多い民間中波放送局であり、なおかつ所有エフエム補完中継局が最も多い民間中波放送局でもある〕が挙げられる)がそのことを宣伝することはまずなく、その点からもRSK山陽放送ラジオが日本で最も早く起きるラジオ局であることを積極的に宣伝することは考えなかったのではないかと思われる。

注104:RSK山陽放送ラジオにおける「北方謙三 水滸伝」の放送時間は今春の番組改編で日曜日午前5時30分〜午前6時に移動している。

注105:山口放送における先進的だと感じる面と保守的だと感じる面を挙げると下表の通りになる。

立場 状況
先進的だと感じる面 ・テレビ放送の音声多重放送を広島テレビ放送(HTV、広島市東区二葉の里三丁目)とともに中国地方にある都道府県域民間テレビ放送局として初めて実施した(1979年〔昭和54年〕12月1日)。
・テレビ放送の終夜放送への移行が早かった(2000年〔平成12年〕1月1日。中国地方にある都道府県域民間テレビ放送局としては1993年〔平成5年〕4月1日に移行した中国放送テレビ、1999年〔平成11年〕5月10日に移行した広島テレビ放送に次いで三番目になっている)。
・ラジオ放送のエフエム補完放送を中国地方にある民間中波放送局として初めて取り組んだ(2015年〔平成27年〕7月21日)。
・わずか3年半で放送区域となる山口県内の13箇所にエフエム補完中継局を整備し、民間中波放送局で最も多くエフエム補完中継局を所有するところになった。
・エフエム補完放送については瀬戸内海・周防灘沿岸地域(92.3MHz)と日本海・響灘沿岸地域(86.4MHz)でそれぞれ周波数を統一し、利便性を図っている。
保守的だと感じる面 ・青少年にとって好ましくないと感じる番組についてネットしなかったりネットしていたけれどある時期をもって打ち切ったりした。
・放送区域となる山口県は中国自動車道や山陽自動車道、国道2号線、国道9号線といった幹線道路が通っているにもかかわらずラジオ放送が終夜放送に移行したのは平成時代に入ってからだった(1990年〔平成2年〕4月2日。なお、同じ日には山陰放送ラジオも平日についてだけだが終夜放送に移行している)。
・全ての中波中継局の周波数統一に取り組まなかった(但し周波数統一に取り組まなかったのは本局〔周南市大津島〕及び山口・須佐田万川両中波中継局が使用している周波数・765kHzで周波数統一を図った場合、NHK秋田放送局〔秋田市東通仲町〕のラジオ第二放送の本局〔秋田県南秋田郡大潟村西野。周波数:774kHz〕や山梨放送ラジオ〔YBS、甲府市北口二丁目〕の全ての中波中継局〔周波数:765kHz〕、NHK熊本放送局〔熊本市中央区花畑町〕のラジオ第一放送の本局〔熊本市北区清水東町。周波数:756kHz〕と混信する恐れがあったことも理由として考えられる)。
・radikoへの参加が中国地方にある民間中波放送局としては最も遅かった(2016年〔平成28年〕5月9日)。

注106:考えられるものを挙げると次の通りになる(但しいずれの例も場合によっては聴取者の大半が納得したり致し方ないと受け止めたりするとは限らないのでその点は留意して頂きたい)。
・主要出演者の逝去。
・主要出演者の不祥事。
・主要出演者の降板・引退。
・番組関係者の不祥事。
・スポンサーを務めていた企業の経営環境悪化に伴うスポンサー降板。
・放送目的の終了。

注107:RSK山陽放送ラジオがネットしているのは午前3時台に放送されている部分の一部(要約版)である。
※RSK山陽放送ラジオで放送される「ARTIST FC」は一部分だけなのだが、岡山県の大半の地域で受信できる大阪放送では全部分を文化放送と同じ時間帯にネットしている。なお、「ARTIST FC」の同時ネット局は大阪放送だけであり、「オールナイトニッポン0」の31社、「CITY CHILL CLUB」の7社よりも少なくなっている。

注108:福井柑奈は現在サンテレビジョン(SUN、神戸市中央区東川崎町一丁目)制作の深夜ヴァラエティ番組「ケンコバのバコバコナイト」に出演しており、タレント活動は継続している。
※余談だが岡山県にある多くのケーブルテレビ業者はなぜか本来は兵庫県だけを放送区域としているサンテレビジョンの区域外再送信を行っている。阪神タイガースのファンが多いことや兵庫県を含めた近畿(関西)地方との交流が深いことなど理由はいろいろ考えられるところであるが真相はどうなのだろうか。

注109:次のようなことが挙げられる。
・放送時間帯が適切だったとは言い難かったこと。radikoのタイムフリー聴取を用いたり録音したりして後で楽しむ方もいたことは考えられるが、放送時間は遅すぎるという感が否めなかった上に放送終了直前の番組だったため聴取率がさほど上がらなかった可能性が考えられる。同じことは今春番組開始10周年を迎えた岡山エフエム放送の「おやすみNMB48」にも言えること(当初は月曜日未明の放送終了直前の番組だったが、半年後に1時間放送時間が繰り上げられ、放送終了直前の番組ではなくなった。番組が長続きしたのはこの放送時間繰り上げも一因と言えるのではないのだろうか)であるが、もし早い段階で放送時間を繰り上げ、放送終了直前の番組ではないようにしていたらどうだったのだろうか。
・番組開始時期がちょうど新型コロナウィルス感染症の世界的な流行と重なったこと。流行拡大防止を目的として都道府県を跨ぐ移動はなるべくしないように言われていた時期でもあり、大阪を中心にタレント活動を行っている福井柑奈がRSK山陽放送の本社・演奏所のある岡山市に赴くことが難しくなったことは考えられないだろうか(それでも放送できたということは何らかの措置をとったということになるのだろうが…)。ちなみに前記の「おやすみNMB48」に出演しているNMB48のメンバーは「あもーれ! マッタリーノ」で毎週金曜日に放送されている企画「ラジオでマッタリーノ!」にも出演しているのだが、やはり新型コロナウィルス感染症の世界的な流行の影響を受け、企画休止に追い込まれている(記すまでもないが現在は再開されている)。
・岡山県を地味なところだと決め付けた感が否めないこと。岡山県が地味だとされる背景には京都・大阪・堺・神戸・広島といった大都市(実は今挙げた都市は全て近隣にある政令指定都市であるがいずれも岡山市より先に政令指定都市に移行しているし岡山市より人口が多い)の狭間にあることやJR山陽新幹線新大阪〜岡山間の開業(1972年〔昭和47年〕3月15日)を皮切りに交通網の整備が進み、岡山市は中国・四国地方随一の交通の要衝にはなったのだが人口が大幅に増えるなど劇的に発展したとは言い難いこと、岡山県にはプロ野球球団やJリーグ一部に属しているプロサッカーチームがないことなどがあるものと思われるが、設定趣旨を聞いて「そんなことはない」とか「岡山県は十分有名ではないか」と思った方が出たことは考えられないだろうか。岡山県を自虐的にとらえた番組と言えばそれまでなのだろうが…。
・番組名にどうかと思う面があること。番組名に使われている単語に印象が良いとは言えないもの(総統・ジミケン・革命・ブラック・シャドウ)がいくつも使われており、それが番組に大きく影響したことは考えられないだろうか。ただ、例えばそういう単語を使い、長続きしている番組はないというわけではなく(有名な例としてはBS日本〔愛称:BS日テレ。東京都港区東新橋一丁目〕が制作し、BS日本や一部の都道府県域民間テレビ放送局で放送されている「ボウリング革命 P★League」がある)、別の理由が短命に終わった理由になった可能性が高い。
・番組に対する熱意が見えなかったこと。岡山県を盛り上げるという趣旨で始めたのに最後まで放送終了直前の番組という位置付けだったことがどうかと思うのだが、もし番組開始当初から例えば日曜日午後10時台に放送するとか「おやすみNMB48」のように早い段階で放送終了直前の番組という状況を解消すべく放送時間を変更するとかしていればどうだったのだろうか。2021年(令和3年)夏に行ったテコ入れ(再放送の開始や福井柑奈以外の出演者の入れ替え)は聴取率が芳しくなかったことが背景にあったのではないかと思うのだが、それは自らが招いた結果であることに気付いているのだろうか。

注110:それを示すと下表の通りになる。

番組名 状況
音楽の風車 ・開局当時の本社・演奏所は米子市東倉吉町の国道9号線に面したところにあった建物に入居していたのだが、その建物にはパチンコ店が入居しており、国道9号線を通るトラックの警笛の音やパチンコ店の騒音がアナウンス室に入るという有様であった。
・開局当初番組ではレコードをかけてばかりだったので「レコード山陰」などと揶揄された。
・経営事情が厳しいことから放送区域となる鳥取・島根両県に万遍なく中継局を設置できなかったため山間部などで受信しづらい地域が生じた。
・放送区域となる鳥取・島根両県は日本海に面しているため国内外の放送局との混信が起きる場合がある。
広島東洋カープ
公式戦中継
・番組開始時点の広島カープ(1950〜1967。現行名称の広島東洋カープになったのは1968年度〔昭和43年度〕からだが現在でも広島カープという呼称はよく使われている)は潤沢な資金を持つ企業を親会社に持たなかったこともあって経営が厳しかった。
・経営が厳しいことなどから広島カープは球団解散や他球団との合併など球団消滅の危機に何度も見舞われた。
・観客動員減少を危惧した広島カープ側が中国放送ラジオに対して本拠地(旧広島市民球場〔広島市中区基町。1957〜2010〕)での中継放送を認めなかった(いわゆるブラックアウト)。
・1990年代末期から2010年代初頭にかけての長期低迷期には消化試合になると試合中継を行わなかったり中継を行うとしても途中から始めたりすることがあった。
・1959年(昭和34年)に福山市に、1960年(昭和35年)に三次市にそれぞれ中波中継局を設置するまで広島市及びその周辺地域でしか聴けなかった。

注111:高速交通網が普及するようになった1970年代以降の岡山県の交通網の整備状況を部門ごとに示すと下表の通りになる。

※下表では鉄道は特急列車が設定されている路線についてのみ、道路は高速道路についてのみそれぞれ取り上げている。

部門 状況
鉄道 ・JR山陽新幹線新大阪〜岡山間開業(1972年〔昭和47年〕3月15日)。
・JR山陽新幹線全線開業(1975年〔昭和50年〕3月10日)。
・JR伯備線全線電化完成(1982年〔昭和57年〕6月21日)。
・JR本四備讃線(愛称:JR瀬戸大橋線)全線開業(1988年〔昭和63年〕4月10日)。
・智頭急行智頭線開業(1994年〔平成6年〕12月3日)。
道路 ・中国縦貫自動車道(営業路線名称は中国自動車道)県内区間全線開通(1978年〔昭和53年〕10月28日)。
・瀬戸中央自動車道全線開通(1988年〔昭和63年〕4月10日)。
・山陽自動車道県内区間全線開通(1993年〔平成5年〕12月16日)。
・中国横断自動車道岡山・米子線(営業路線名称は岡山自動車道及び米子自動車道)県内区間全線開通(1997年〔平成9年〕3月15日)。
・中国横断自動車道姫路・鳥取線(営業路線名称は鳥取自動車道)県内区間全線開通(2013年〔平成25年〕3月23日)。
航空 ・岡山空港移転(1988年〔昭和63年〕3月11日)。
・岡山空港滑走路延長完成(2001年〔平成13年〕10月4日)。

注112:2005年(平成17年)10月1日実施の国勢調査によると岡山県の人口は195万2,764人であった。その後の国勢調査の結果は次の通りとなっている。
・2010年(平成22年)10月1日実施分…194万5,276人
・2015年(平成27年)10月1日実施分…192万1,525人
・2020年(令和2年)10月1日実施分…188万8,432人

注113:業務継承がかなわず、廃業を余儀なくされた民間放送局―ここではコミュニティ放送局の制度が創設された1992年(平成4年)以降に廃業に追い込まれた都道府県域民間エフエム放送局3社とコミュニティ放送局33社の合計36社に対象を限るものとする―の特徴を挙げると下表の通りになる(なお、下表ではどの放送局がどうだったのかは触れないものとする〔どこか分かるものもあるかもしれないが…〕)。

種類 特徴
都道府県域民間
エフエム放送局
・開局時はある系列に属していたが何があったのかは分からないがすぐに脱退し、以後はどの系列にも属さなかった。
・系列に属していたがその系列は脆弱だった。
・聴取対象が限定されていた。
コミュニティ放送局 ・既にコミュニティ放送局があったのにそれでもあえて開局を強行した。
・予備免許失効を恐れたのか十分な準備もそこそこに開局を急いだ。
・対抗関係にある放送局への対抗意識を剥き出しにする一方で全然中身が伴っていなかった。
・「この地域の情報を伝えるのは私達だ」という意識が強すぎた。
・開局に動いた人物あっての放送局という性格が強く、その人物がいなくなったところで終わりになってしまった。
・何がしたいのかが不明確だった。
・やることなすことがちぐはぐだった。
・番組を放送する時間帯が偏っていた。
・地域の実情と合っていない番組編成を行った。
・自社制作番組の設定のない時間帯について、J-WAVEの再送信やミュージックバード制作の番組の配信を行わず、ただ音楽を流し続けるだけだったので面白味がなかった。
・胡散臭い人物が経営に関わった。
・傍目にはもうやめたほうが良いと思われていたのに、どのようにしても状況が好転する見込みはなかったのに放送を続けた。
・経営者間で何らかの問題が起き、空中分解を起こした。
・行政側が上から目線も甚だしい理由(SNSが普及したことでラジオ放送は不要だと決め付けたことなど)で運営から撤退したために立ち行かなくなった。
・そもそもやる気がなかった。
・軽い気持ちで放送局を運営しようとした。
・何の理由説明もなくある時期から公式サイト・公式ブログの更新やSNSへの投稿が途絶え、聴取者を不審がらせた。
・公式サイトに書いておくべき事柄(番組表や経営者の名前、経営方針など)が全く書かれておらず、「何だこの放送局は」などと聴取者に思われてしまった。
・不祥事を起こして信頼を失った。
・経営事情から中継局整備が進められないのであればインターネットでの再送信を行うことを考えれば良かったのに何を思ったのか全く手を付けなかった。
・本局の設置場所が不適切で、受信しづらい地域を生じさせた。
・放送区域としている市区町村のことばかり考え、その他の地域について考慮しなかった。
・放送内容の水準があまりにも低かった。
・地域から飽きられた。
・経営者の恣意で何もかもが動いていた。
・本社・演奏所の場所をコロコロ変えた。
共通 ・開局に当たって何らかの問題が起き、開局後もそれを引きずる結果になった。
・地域の感情や需要を考慮しないまま開局を強行したため地域に定着しなかった。
・資金が潤沢ではなかったために様々な面において充実が図れなかった。
・放送局の命運は筆頭株主を務めている企業次第だった。
・存在感を十分示すことができなかった。
・中継局の整備が経営事情から進まず、放送区域とされていていても受信不可能なところが少なくなかった。
・開局した時には対抗関係にあるラジオ放送局が多数あったために存在を広める努力が必要になったが資金面で難しかった。
・開局した時には対抗関係にあるラジオ放送局が多数あったために不利を解消することを目的とした身の丈に合わない放送を展開してしまった。
・番組の改編が激しかったために聴取者が定着しなかった。
・人口減少や景気悪化などの事情により広告収入が見込めなくなった。
・経営合理化に手を付けた時期があまりにも遅かった。
・経営合理化は行ったが徹底的とは言い難いものだった。
・方針が二転三転し、聴取者を困惑させた。
・放送区域内外で注目されるような番組に恵まれなかった。
・地域のかけがえのない存在という認識が生まれなかった。
・地域住民などからどうでも良い存在とされてしまった。
・放送再開を求める声や業務を継承して放送を継続させようという動きが起きなかった。
・2010年代中期まで日本のエフエム放送に使用している周波数帯が狭かったために電波混雑の影響を受けた。
・総務省が救済策を全く打とうとしなかった。
・何か問題が起きても説明責任を果たしたり詫びたりしなかった。
・そもそも考えが甘かった。
・多額の負債を抱えたためにどこからも業務継承を拒まれた。
・不都合なことを隠し続けたためにどうにもならなくなってしまった。

注114:エフエム放送でも政見放送を流せるようにすることや幹線道路のトンネル内でのラジオ放送再送信の対象にエフエム補完放送を含めるようにすること、エフエム補完放送制度創設に当たって使用できるようになった周波数帯、すなわち90.1〜95.0MHzを使用しているラジオ放送が受信できるラジオ受信機が普及することが挙げられる。

注115:私が住んでいる福山市で購読可能な新聞(全国紙5社/地方紙2社)の状況は下表の通りである。

種類 新聞名 民間中波放送局名 状況 備考
全国紙 朝日新聞 朝日放送ラジオ 記載している。
MBSラジオ 記載している。
大阪放送 記載している。
山陰放送 記載している。 使用している全ての周波数を記している。
RSK山陽放送 記載している。
中国放送 記載している。
西日本放送 記載している。
南海放送 記載している。 使用している全ての周波数を記している。
産業経済新聞
(産経新聞)
大阪放送 記載している。
山陰放送 記載している。 使用している全ての周波数を記している。
RSK山陽放送 記載している。
中国放送 記載している。
山口放送 記載している。 本局に対応する補完中継局が使用している周波数のみ記している。
西日本放送 記載している。
南海放送 記載している。 本局に対応する補完中継局が使用している周波数のみ記している。
日本経済新聞 RSK山陽放送 記載している。
中国放送 記載している。
山口放送 記載している。 本局に対応する補完中継局が使用している周波数のみ記している。
毎日新聞 朝日放送ラジオ 記載している。
MBSラジオ 記載している。
大阪放送 記載している。
ラジオ関西 記載している。
山陰放送 記載していない。
RSK山陽放送 記載している。
中国放送 記載している。
山口放送 記載していない。
四国放送 記載している。 使用している全ての周波数を記している。
西日本放送 記載している。
南海放送 記載している。 本局に対応する補完中継局が使用している周波数のみ記している。
高知放送 記載している。
読売新聞 朝日放送ラジオ 記載している。
MBSラジオ 記載している。
ラジオ関西 記載している。
山陰放送 記載している。 鳥取エフエム中継局(鳥取県東伯郡湯梨浜町白石。周波数:92.2MHz)の周波数のみ記している。
RSK山陽放送 記載している。
中国放送 記載している。
西日本放送 記載している。
南海放送 記載している。 本局に対応する補完中継局が使用している周波数のみ記している。
地方紙 山陽新聞 朝日放送ラジオ 記載していない。
MBSラジオ 記載していない。
ラジオ関西 記載していない。
RSK山陽放送 記載していない。
中国放送 記載していない。
西日本放送 記載していない。
中国新聞 RSK山陽放送 記載していない。
中国放送 記載している。
西日本放送 記載していない。

上表から全国紙と地方紙で方針が大きく異なることがうかがえるわけであるが、愕然とさせられたのは山陽新聞は一切テレビ・ラジオ欄では民間中波放送局のエフエム補完中継局の周波数を書いていないということである(その点は岡山県内で購読できるものも同じである)。現在のところ岡山県南部でしかエフエム補完放送は楽しめないことや岡山県ではエフエム補完放送が普及しているとは言い難いことが書かないでいる理由なのだろうが、RSK山陽放送ラジオがエフエム補完放送を開始して5年以上経ったことやテレビ・ラジオ欄に番組表を掲載している民間中波放送局は全てエフエム補完放送を実施していること、上表に出てきた民間中波放送局12社(朝日放送ラジオ・MBSラジオ・大阪放送・ラジオ関西〔CRK、神戸市中央区東川崎町一丁目〕・山陰放送・RSK山陽放送・中国放送・山口放送・四国放送・西日本放送・南海放送・高知放送)は全て2028年(令和10年)秋をメドに中波放送局からエフエム放送局に転換する民間中波放送局に名を連ねていることを考えると書いても良いのではないのだろうか。まあ中国新聞も中国放送ラジオのエフエム中継局の周波数を書くようになったのは最近のことなのでここは気長に待つしかないのかもしれないのだが…。

注116:その状況は下表の通りである。

放送局名 状況
広島エフエム放送 ・2020年(令和2年)秋の番組改編をもって金曜日午前中の自社制作のワイド番組の制作・放送を取りやめた。
・2021年(令和3年)4月〜2022年(令和4年)3月の1年間は火曜日・水曜日、2022年(令和4年)10月〜2023年(令和5年)3月の半年間は火曜日についてそれぞれ平日午後の自社制作のワイド番組の制作・放送を取りやめた。
・放送区域としている広島県内の各地で無料で配布していたタイムテーブルの発行を2022年(令和4年)10月発行分をもって取りやめた。
エフエム山口 ・2010年代末期以降長寿番組(ここでは10年以上続いているものを指す)が相次いで終了したため長寿番組が「THE mouVment」(2005年〔平成17年〕放送開始)だけになった。
・2017年(平成29年)に大幅な減資を行った(4億9,500万円→9,900万円)。
・2020年(令和2年)1月から日曜日深夜の放送終了時間を月曜日午前0時30分から月曜日午前0時に繰り上げた。
エフエム愛媛 ・2022年(令和4年)秋の番組改編をもって40年以上続いていた「FMベストヒットえひめ」(1982〜2022年〔昭和57年〜令和4年〕放送)が終了した(番組が始まったのはエフエム愛媛が開局した1982年〔昭和57年〕のことなのだが総放送回数〔2,106回〕から考えてエフエム愛媛が開局した直後からではなくエフエム愛媛が開局してから数ヶ月経ってから始まったものと思われる)。
・2021年(令和3年)春と2022年(令和4年)秋の番組改編で放送終了時間を繰り上げ、月曜日〜木曜日及び土曜日の深夜は翌日、すなわち火曜日〜金曜日及び日曜日の午前2時に放送を終了するようにした(金曜日深夜は2021年〔令和3年〕春の番組改編から終夜放送に移行。また、日曜日深夜の放送終了時間はずっと月曜日午前1時30分で固定している)。

広島エフエム放送・エフエム山口・エフエム愛媛(松山市竹原町一丁目)とも対抗関係にある民間中波放送局がエフエム中継局を整備するに当たって極力周波数を統一する方針をとったのに対しほとんど周波数がバラバラになっている点が不利になっている(同じ周波数を使っているのはエフエム山口の山口鴻ノ峯・岩国両中継局〔82.1MHz〕のみ)。今のところRSK山陽放送ラジオがどのような形でエフエム中継局を整備していくのかは分かっていないのだが、もしラジオ関西・中国放送ラジオ・山口放送ラジオ・四国放送ラジオ・南海放送ラジオのように極力周波数を統一する方針をとることにした場合、岡山エフエム放送は笠岡・津山・新見各中継局が同じ周波数(80.4MHz)を使っている以外は全てバラバラなのでそのことが不利に働く可能性がある。そこで私は都道府県域民間エフエム放送局も周波数統一に取り組み、民間中波放送局に対抗できるようにしてはどうかと思うのだが果たして手を付けるところは出てくるのだろうか。

注117:岡山エフエム放送より後に開局した都道府県域民間エフエム放送局は2000年(平成12年)4月1日に開局した愛知国際放送(愛称:RADIO-i。名古屋市東区東桜一丁目。2000〜2010)2000年(平成12年)12月20日に開局した新潟県民エフエム放送(愛称:FM PORT。新潟市中央区万代二丁目。2000〜2020)、2001年(平成13年)4月1日に開局した岐阜エフエム放送(愛称:Radio80。大垣市小野四丁目。2000〜2014)、2014年(平成26年)4月1日に開局したRadio NEO(名古屋市瑞穂区北原町一丁目。2014〜2020)の4社である。このうち岐阜エフエム放送は2014年(平成26年)4月1日にエフエム岐阜(大垣市小野四丁目)に経営譲渡して存続したのだが、愛知国際放送は2010年(平成22年)9月30日をもって、新潟県民エフエム放送とRadio NEOは2020年(令和2年)6月30日をもってそれぞれ放送を終了し、廃業している。この4社はなぜ経営難に見舞われたのか、私が考える要因を示すと下表の通りになる。

状況 私が考える敗因
新潟県民エフエム放送 ・新潟県の人口規模や経済基盤などを考えた場合、複数の都道府県域民間エフエム放送局が存立できる可能性は高くなかったこと。
・開局に動いたのは道路網が発達した新潟県であれば多くの方々に聴いて頂けるだろうと考えた地元の運送業者や自動車販売会社だったが、開局した時点で既に自動車での過ごし方は多様化していたこと。
・開局当初はJ-WAVEを事実上の総本山とするJFL系列に属していたが、何らかの理由ですぐに脱退し、大都市及びその周辺以外の地域では経営が成り立たない恐れが高い独立局に転向したこと。
・地理的事情から遠距離受信が難しかったために広域的視野をもって放送を展開できなかったこと。
岐阜エフエム放送 ・岐阜県は特に人口集中地帯である南部で名古屋市への吸引効果が著しかったこと。
・JFN系列に属したが、その結果エフエム愛知(FMA、名古屋市中区千代田二丁目)やエフエム三重(愛称:radio CUBE FM三重。津市観音寺町)などの近隣にあるJFN系列に属している都道府県域民間エフエム放送局との差別化を図れなかったこと。
・エフエム愛知・エフエム三重などとの差別化を図るために独立局として運営する方法もあったのだが、岐阜県の経済基盤が盤石とは言い難い状況にあったことなどから結局できなかったこと。
・岐阜県は山間部にある程度の人口集積を持つ都市が散在しており、そういうところにも中継局を設置する必要があったこと。
愛知国際放送 ・InterFM897(東京都品川区東品川一丁目)を事実上の総本山とするMegaNet系列に属する都道府県域民間エフエム放送局では4番目に開局したことからもうかがえるように開局について積極的になれない状況があった可能性があること。
・本局・中継局双方とも周波数は海外のエフエム放送局では使われていない帯域(国・地域によって異なるが大体88.0MHz以下)を用いていたこと。
・筆頭株主を務めていた興和(名古屋市中区錦三丁目)が経営譲渡に消極的だったこと。
・中継局は浜松市と豊橋市に設置しただけであり、名古屋市との繋がりが深い岐阜県・三重県への中継局設置は見送ったため放送区域人口が広がらなかったこと。
Radio NEO ・愛知国際放送の廃業を由々しき問題ととらえたInterFM897が開局に漕ぎ着けた放送局だったが、そもそもなぜ愛知国際放送が業務継承も考慮せず、廃業に至ったのかを全く考えていなかった可能性があること。
・InterFM897の名古屋支社として開局させ、2016年(平成28年)12月1日から独立した会社に移行させたが、実態はInterFM897及びその筆頭株主の木下グループ(東京都新宿区西新宿六丁目)の意向が強く反映される放送局でしかなく、完全に独立した存在にはなれなかったこと。
・愛知国際放送の廃業によりMegaNet系列に属する都道府県域民間エフエム放送局を失った愛知県及びその周辺地域では開局はもっと歓迎され、愛知国際放送の二の舞にならないように努めれば良かったのにそういう姿勢が見えなかったこと。
・本局(名古屋市昭和区高峯町。周波数:79.5MHz)は愛知国際放送が設置していた名古屋市の東方の岐阜・愛知県境に聳える三国山(標高:701.0m。なお山頂は岐阜県〔土岐市〕にある)ではなく、名古屋市東部の高台に設置したことや中継局を全く設置しなかったことで受信可能範囲を愛知国際放送より狭めたこと。
・本局が使用していた周波数は海外のエフエム放送局では使われていない帯域(国・地域によって異なるが大体88.0MHz以下)を用いていたこと。
・廃業に追い込まれた理由は経営難もあったのだが、木下グループがInterFM897の筆頭株主を辞めることにしたことや経営譲渡など存続への道を全く考えなかったことなども挙げられるところであり、結局放送局の生殺与奪は木下グループの方針次第だったこと。
共通 ・景気が低迷し、なおかつインターネットが普及してからの開局だったため広告収入が伸び悩んだこと。
・ラジオ放送を聴く方が若年層を中心に少なくなったこと。
・競争相手が多かったこと。
・競争相手の多くは開局時期が早く、追い付くのにはかなりの努力が必要だったこと。
・中継局の整備が進められなかったために受信困難地域を多く生じさせたこと。
・終夜放送を行ったり自社制作番組を多数設定したりするなど身の丈に合わない放送を展開したこと。
・その存在に対して冷淡にとらえる方が少なくなかったこと。
・他地域で注目され、聴いて頂けるような番組を持てなかったこと。
・十分検討した上で計画を進めたとは言い難い状況があること。
・長期的・広域的視野に立っていたとは言い難い状況があること。
・何の説明もなくいきなり合理化を行うなど聴取者を蔑ろにする態度が随所に見られ、信用を失ったこと。

注118:40年ほど前になるのだがRSK山陽放送ラジオの周波数を記した看板が国道2号線のそばなどに設置されていたことがある。縦長長方形で水色地に白文字で放送局名と周波数が書いてあった看板だったのだが、いつの間にかその看板は見られなくなってしまった。

注119:岡山県で今後コミュニティ放送局が開局する可能性があるのではないかと私が予想している市区町村とその理由は下表の通りである。

市区町村名 コミュニティ放送局があっても良いと考える理由
高梁市 ・備中松山城跡(高梁市松山)などの観光名所を擁していること。
・四年制大学(吉備国際大学〔高梁市伊賀町〕)があること。
・有名な年中行事(備中たかはし松山踊り〔毎年8月14〜16日〕)があること。
・岡山県を放送区域とするラジオ放送局はいずれも中継局を設置しているが、高梁地区(NHKラジオ第一〔エフエム電波使用〕・NHK-FM・RSK山陽放送・岡山エフエム放送)と有漢地区(NHK-FM)にしかないために受信しづらい地域があること。
新見市 ・国道路線・主要地方道路線・鉄道路線が集中する岡山県北西部随一の交通の要衝となっていること。
・四年制大学(新見公立大学〔新見市西方〕)があること。
・岡山県を放送区域とするラジオ放送局はいずれも中継局を設置しているが、新見地区(NHKラジオ第一・NHKラジオ第二・NHK-FM・RSK山陽放送・岡山エフエム放送)と哲西地区(NHK-FM)にしかないために受信しづらい地域があること。
真庭市 ・高速道路と国道路線が集中する岡山県北部随一の交通の要衝となっていること。
・湯原温泉(真庭市湯原温泉)や神庭の滝(真庭市神庭)、蒜山高原などの観光名所を擁していること。
・岡山県を放送区域とするラジオ放送局はいずれも中継局を設置しているが、落合地区(RSK山陽放送)と久世地区(NHKラジオ第一・NHK-FM・岡山エフエム放送)、北房地区(NHKラジオ第一・NHK-FM)にしかないために受信しづらい地域があること。

注120:番組の放送や継続を望む方々が共同で出資してスポンサーになる制度。番組開始時・番組終了時に「この番組は○○さん(実名でなくても良い)などX人の出資によりお送りしております」というコメントを挿入する他、放送局の公式サイトで出資者の一覧(こちらも実名を出さなくても良い)を表示するようにするものである。ただ、その放送局がある地域では放送する意味がない番組や放送局の方針に合わない番組など適用できない番組はどうしても生じることやどのくらいの期間放送し続けるか設定する必要が生じることなど導入するに当たっては課題は山積している。